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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想37/宗教の時間観15(七百三) アウグスティヌスの時間観とは其の学識経過から見ても、当然にプラトン哲学の影響下にはありますが、彼は其れを神学的な枠組みのなかで捉え直します。殊(こと)時間論に関しての疑問、神は天地創造以前には何をしていたのかという疑問に対し、アウグスティヌスは、時間自体は天地創造とともに神により創造されたものであり、天地創造「以前」という捉え方自体が誤謬に満ちていると答えています。即ち「神」世界創造の意思を持たなかった場があったということです。此の場は「有」であり神以外には触れ得ない無限或は瞬間や永遠を問えないものであり、其のこと故に「神」と崇められます。更に、敢(あえ)て答えるのならば、天地創造以前は、世界は神以外は無の状態であり、神は天地創造(the Creatio)以前には何ものをも創造しなかったとなり、一般的には時間が存在しないところで、「その間(時無きところにタイムを問う)」、即ち、時間が在るとすれば、時間的存在無きところで何をしていたかという問いは愚問となります。神は時間を創造する、神の世界には人間の観想する時間は無い。時間は、我々人間の世界に創られた受動的感性とし人類に賦与された特権なのです。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年02月28日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想36/宗教の時間観14(七百二) 此処で取り上げるのは、アウグスティヌスの時間観です。プラトンやマニ教の影響下で彼の時間観はキリスト教に回心した時に何の様に変化変遷したのかは、プラトン哲学の影響下にあったアウグスティヌスの時間観の捉え方の哲学から信教への転換からもあり興味が尽きません。「それでは時間とは何であるか。誰も私に問わなければ私は知っている。しかし、だれか問うものに説明しようとすると、わたしは知らないのである」という有名な言葉がアウグスティヌスの時間論のすべてです。此の発言は、「時間」の存否に対して否定的なものではなく、時間について深く考察し、生涯悩みぬいた人物であるからこそ吐ける言葉です。案外、現代の生きる時間とは観想ではなく「時」を告知する機器に囲まれ一切の「時」は流転している或は未来に流れる。将又、流れ其のものも人間この言葉は、大変身近であり、熟知されていると思われるかもしれないが、「時間とは何か」その本質についていざ質問されたら、誰も容易に答えることはでき得ない、それどころか、それを言葉にするために、頭の中で思惟にさえも捉えることができ得ないとアウグスティヌスは指摘している通り「時」及び物質的な「時間子(Time particle)」の素性は謎に包まれて今日現代に及びます。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年02月27日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想35/宗教の時間観13(七百一) 青年期マニ教や新プラトン主義などを遍歴するものの、後にはキリスト教に改心どころか180度の回心をし、母国の故郷北アフリカのヒッポの司教となり、異端との論争を通じてキリスト教の神学的基礎を築いたアウグスティヌスは「聖教の神」として称えられても不思議がない程の活動を繰り広げます。聖パウロをイエス門下のなかでも筆頭に掲げ、原罪を負う人間は神の恵みによってのみ救われるという恩恵論を提示したことは特筆に値します。アウグスティヌスが回心により再構築されたキリスト教は神の恩寵(おんちょう)のみによる救いと教会の絶対性を展開、中世にはローマを中心にして中央集権的な体制を固め、次第に「教会権威」へと傾いていきます。アウグスティヌスの音楽論には、韻律が言語の音楽性として取り扱われています。此の韻律を言語の音楽性として取り扱うのは釈尊の流れを汲む「仏教」も非常に大切なものとし、現代仏教の経文の読み上げには、非常に多くの時間を取り発声練習が街頭に響き渡っていることは我々の経験するところであり、グレゴリオ聖歌のように純音楽的なリズムをもたずとも韻律があります。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年02月26日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想34/宗教の時間観12(七百) ミラノの司教アンブロジウスは東方の初期キリスト教徒たちの典礼に歌を用いることに積極的な態度をとり、アンブロシウス聖歌として知られる「単旋聖歌」を聖歌体系とした賛美歌の祖としても有名ですが、其の弟子とも称されるアウグスティヌスはアンブロシウス聖歌を過去の贖罪を迫るものとして、歌そのものに感動することを自己の罪悪感を催すものとしたことにより、其の思考の真偽が問題となります。後の中世のグレゴリオ聖歌は純音楽的なリズムをもたず、言語的・内容的なリズムの枠に嵌めて歌われていますが、此方は其のリズムの枠はリズム的モードと呼ばれて六つの種類があり、其のどれもが一種あるまじき世界との共鳴を思い起こさせ、と或る人間には快音を、とある人間には反省を齎す効果があるのでに成功しています。私的にも古典的聖歌は言語的には意味不明でありながらも、音楽的な構成の巧みさ或は世界の共鳴が齎す効果により罪過を背負う人間には負担となり、天賦の罪なき人間には讃歌と響くことには納得がゆき其の効果は絶大です。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年02月25日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想33/宗教の時間観11(六百九十九) 時間の考察が如何に難解かは「私はそれについて尋ねられない時、時間が何かを知っている。尋ねられる時、知らない」、此方も時間解釈なみに読解が困難なアウグスティヌス(AM354年-AM430年)の言葉に代表されますが、彼の西方キリスト教会最大の教父であり聖人であるアウグスティヌス本人でさえ時間概念には手を焼いています。彼アウグスティヌスはローマ帝国の貴族でパトリキウス(Patricius)と称される帝国の一定家族から選ばれた300の氏族長を父とし、異教徒であるキリスト教徒の母モニカのもとで産まれます。アウグスティヌスは46歳のときに書いた自伝「告白」によれば,16歳のときカルタゴに出て修辞学を中心とする自由学科を学んだが、善と悪の二元的世界観に立ち、悪からの救済を重視するササン朝ペルシャ(225〜651)のバビロニアで生まれたマニが創始した3世紀以降、キリスト教やゾロアスター教、仏教などの諸要素を加え広く普及していたマニ教(Manichaeism)の世界理解に興味を覚えて入信、其れ以前の女性との同棲生活の影響も看過し得ませんが、新プラトン主義などを遍歴した後に、ミラノの司教アンブロジウスおよび母モニカの影響によって、AM387年に息子である一子アデオダトゥスとともに洗礼を受け、キリスト教徒に回心します。受洗前の386年のミラノの自宅で隣家の子どもから「Tolle lege(とって読め)」という声を聞き、近くにあったパウロ書簡「ローマの信徒への手紙(ローマ人への手紙)」第13章13-14節の「主イエス・キリストを身に纏え、肉欲を満たすことに心を向けてはならない」を読んで回心したといわています。彼アウグスティヌスの時間観も其の思考の変遷に伴ない変わらざるを得ませんでした。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年02月24日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想32/宗教の時間観10(六百九十八) 旧教・新教を問わず、神の世界(宇宙)創造は別にしても、創造をたった一度で完了した過去の業に過ぎないという点では共通します。人間の現在時に絶えず不断の創造、永遠の時間・永遠の瞬間として現在を俯瞰し干渉しています。仮に新教が説く世界の終末があるにしても「神」の存在性の傘下にあり、神の普遍と永遠には干渉は及びません。新教ではイエス・キリストの出自と行動が人類史とともに人類史の中心とされ、時間的には紀元前や紀元後(AD and BC)として定義化されます。神は此の次元に干渉を持ち時間的には人類の転換点とし、不可逆的な直線的時間の上に配置しています。新旧聖書の人間世界は神の判断による終末宣言がある迄の仮住まいです。イスラエルのダビデの血脈に繋がる大工ヨセフの子として産まれたナザレのイエス(Jesus of Nazareth)の現出が神の創造が一度で完了した過去の業に過ぎないものではないことを証明します。神の人間世界への干渉であり、イエスを通した創造や贖罪・堕罪、終末や再臨が理解される時、それらのことが不可逆的な直線的時間の上に配置され、また現在の事実として主体的に反復される一定方向への時間の流れを表しています。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年02月23日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想31/宗教の時間観9(六百九十七) クロノス的思考である円環思想は、何もギリシアだけでなくインド文明やマヤ文明(Mayan civilization)にも見られる思考です。円環は時間を紐解く上での始まりの解釈困難や難解な終末を容易にさせるからです。旧教のユダヤ文化にも円環的な時間観も見られるが、新約聖書では反復不可能な時間が現れます。神の受肉として人間として産まれたイエス・キリストのこの世への到来です。イエスの死と復活という、歴史の只中の一点の一度限りでなされた神の啓示は反復しようがない。このことは単発的で一回限りのことであり、人類救済の根源であり時間は円環しないことになります。キリスト教の解釈はイエスの奇跡を通して、神の時間の永遠性と瞬間性を神に賦与して、人間の存在する流れ行く時間とは垂直方向にあり、「神格」性と「人格」性を併せ持つ創造者は人間生活を俯瞰する存在として、絶えず人間に神教的には有り難い、哲学的にはその受け止め方の形態が変わり、現実主義や是々非々的合理主義者は干渉していると考察し対応は様々です。此の中で時間論を自らの思考で探求するのは科学哲学をも含む哲学と神学の名を借りた神秘学が時間探求の真相を担っています。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年02月22日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想30/宗教の時間観8(六百九十六) 古代ギリシアの時間の捉え方は、ギリシアの神話と哲学では大いに異なります。其のギリシア神話にしても、現世の時間に関わる異なる時の神が二神掲げられています。一方はカイロス (Kairos)で一瞬を表す神であり、もう一方はクロノス (Khronos) です。クロノスは連続した時である「時間」を表す神であり、カイロスはギリシア語では「機会(チャンス)」を意味し、ギリシア語のκαιρόςで神格化された男性神です。語源は「刻む」という意味の動詞に由来しています。其の容貌は些か異様ですが、前髪は長いが後頭部が禿げた美少年、両足には翼が付いているとして表現されています。また、悲劇作家ギオスのイオーンはゼウスの末子として取り扱っています。其の風貌から「チャンスの神は前髪しかない」との諺(ことわざ)、好機はすぐに捉えなければ後から捉えることは出来ないの意として後世に伝えられ、盛んに「チャンス」を多用しています。「カイロス時間」とは、一瞬や人間の主観的な時間を表すこともあり「神の瞬間」である「永遠の時」とは些か意を異にしています。時計の象徴「時を刻む」時計の代名詞クロックはクロノスが語源であり、過去から未来へと一定速度・一定方向で機械的に流れる連続した時間を表現しています。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年02月21日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想29/宗教の時間観7(六百九十五) アビダルマ(阿毘達磨)は仏教の教説の解釈・注釈書であり論書であり対法により記述、其れ等を纏(まと)めたものであり「論蔵」とも呼称されるが、簡易的に云えばアビ・ダルマとは、仏陀の教え(ダルマ)に対する(アビ)考究だと言えます。アビダルマによれば、釈尊の説く「諸行無常」は仏説の第一義であり、全ての存在は細分より更に極分化された一瞬にのみ存在し、瞬間毎に生成消滅する「刹那滅」としてあり、人間が通俗的感覚や観想、物事の変化を捉える運動や計測は、目的や必要なものにとって好都合な便宜(べんぎ)だとしています。其処から見い出されるのは、計測される時間とは世界の実相を捕らえない幻想だとしています。釈尊の覚りと言(げん)を究明することに基幹を置く上座部仏教からすれば、大乗の祖「龍樹」の流れである各宗派も現在意識を軸に考察されている点に置いては小乗・大乗に相違はありませんが、瞬間にしろ「刹那滅」という思想として展開する上座部仏教は「龍樹」からすれば移ろい行く時間であり、「無い時間」過去から現代より未来へ流れる、或は、未来から現代そして過去へ流れる時間を瞬間であるとしても動きとして捉えるのは邪道であり、人間が観想する時間は幻想だとします。空論とは時間は一瞬であり永遠だと説きます。此の真相は仮に存在するとすれば現代科学が「時間子」を発見するまで続きそうです。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年02月20日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想28/宗教の時間観6(六百九十四) 日本にあっては宗教としてしか捕らえかねない、釈尊を世祖とする仏教哲学は、こと時間概念に関しては他宗教とは異質です。シッダールタ自身の覚りを開いた後の説法にも、円環的時間を述べた節(ふし)は見当たりません。否、「転生」を説いているではないかと反論するむきもあるとは想像しますが、其の転生説は、「輪廻」を否定していることからも解(わか)る通り、所謂同一時間線上の「円環的時間」の立ち位置にはなく、時間線上の別次元のものとして「転生」を捉えているからです。釈尊の説く根本的な時間線は「諸行無常」、物事は総じて移ろい行くものであり、不変な存在などはないというのが根本的原則であり、釈尊の認識・認容する「神」も「生者必滅」の原則の理から逃れるすべもなく滅びに逆らえないとしています。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年02月19日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想27/宗教の時間観5(六百九十三) 神仏の世界とは異なり人間の側の生存世界は、時間に関しての観念は宗教史が語るように、円環的構造を口伝により語り記録しています。時間とは無限に繰り返す、肉体に滅びへの限界ある人間の願望が生み出した時間の周期的な全面的再生を自己の精神にまで取り込もうとしたものを信仰として昇華させます。物理的世界の側に時間があるとすれば、其の世界は時間の制約から滅びを持たない「絶対存在」を除いては創造そして存続、それから終末に向かい破滅を迎えるも、永遠の存在が有る限りには、創造が繰り返される円環的な時間の流れを希求するのです。円環的時間は世界の再生の理であり実相だと其々に納得させています。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年02月18日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想26/宗教の時間観4(六百九十二) 観念論的哲学では、絶対存在であり且つ絶対意思と絶対精神の全ての持ち主「永遠の有」、世界の変化や流れとは当然に異質・異相であり、「永遠の有」にとっては瞬間とか人間の観想する永遠は意義を持ち得ません。「有」は時間の流れや大宇宙の運動とは掛け離れたものであるからしての完成体、欠ける「ところ」の無い全存在であり、自らとか他者を認識しません。それどころか、自らを存在者としても認識しない筈です。絶対存在は完璧存在であるからには何かをしようとか考察するとか創造に不足物があるとの思考は持ち得ない「有」だからです。創造が絶対存在である「有」に帰すとも、絶対存在の側では自らが創造の結果生じた「世界」や「時間」の結果も意識とは無縁です。絶対意思とは認識する必要性は完璧からして認識すら必要としないからです。「時間観想」は理性動物に与えられた特権的観念なのです。観念論的哲学では、そもそもが、原初的世界に対しては懐疑的であり、其の意味においては大宇宙さえも「輪環的構成」の中にあり、一方的な時間は無いとします。「時間」はアルキメデスが説くが如き運動量の変化を人間が観想する「幻想体験」かも知れない。観念論的哲学全てに共通するのは「円環」を基底にしていることが見渡せます。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年02月17日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想25/宗教の時間観3(六百九十一) 史的に人間が登場し記されだした頃、保々全般、全世界の種族・民族社会が暦をかち得て以来、年季をけじめとして神との交流である祝儀を行います。なかでも新年の祝祭には多くの周期的祝祭の筆頭的な重要性が与えられています。人類が何ものの宗教であれ創造神話の創造神を持つならば、世界は神の創造に伴ない時間の創造を行います。神を不滅の絶対者と捉える限りは、世界も形態が変われ失われども循環し、人間の側、神の創造世界の中では時間は周期(サイクル)を持ちます。世界は廻る時間を巡る円環的構造を基本として構成されていると思惟(しゆい)します。外殼が無いとすれば人間の属する内世界、外殼が在るとすれば絶対存在の世界を例外として時間は世界と同義語として、屡々、同様の扱いがなされています。古代北欧民族の世界観、人間と神々の世界は共に未来から過去へ流れ込む時間とともに一方向に流れ去る滅びの思考を抱かないで、世界は時間と同期化され無限に円環すると捉えています。其処には古代ゲルマン(Ancient Germanic)の悲壮感は見られず、世界と人類が絶対者、世界とは別存在である絶対的「有」のもとで、創造から存続から終末的破滅へと向かい、滅びからの再生を繰り返すとするのです。此処に宗教と哲学の世界観と時間観想の微妙且つ根本的な相違が生まれます。宗教の基底に流れるのが永遠に対する人間の希求を受け止めることが絡んでいるからです。人類一般の「新年」とは世界と時間が繰り返されることの象徴的な意義を予め背負い、神との交流の接点である性格を帯びています。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年02月16日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想24/宗教の時間観2(六百九十) 世界的に各々其々の宗教は、自らの宗教基暦による教的な祭儀を持ちます。祭儀とは人間の通俗生活を離れた神との接点「神との交流」が目的にあり、神との同一化を目指したものだと言えましょう。其の由(よし)は神々による世界創造の由縁とする時間が、あらゆる時間の原型とされ、其の聖なる時間は、世界が創造された根源的時間を象徴するものだからです。宇宙の原初、神の創造作用において聖なるものが顕現した根源的時間を周期的に再現するということが宗教暦の基盤であり、祝祭はたんなる記念日ではなく、神的出来事を再現しているとするのが、ミルチア・エリアーデの論理です。私的には信じられず認容し難い「新年の行事」の意味するところも世界が創造された根源的時間を象徴するものとしたところにあります。世界の誰しもが新年を祝う。大宇宙の原初において聖なるものが顕現した時間生成を認証する。其のことが人間の祭儀と成って顕彰される。祭儀は人間の神への接近の道具であり未来を託す価値あるものとして現代にあっても尊重されています。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年02月15日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想23/宗教の時間観1(六百八十九) 古代宗教における時間については、ミルチア・エリアーデが透徹した解釈を行うも、世界には宗教も幅広く且つ多くあります。然し乍ら、宗教に置ける時間の捉え方には共通する基底が眠ります。世界側の時間の「無・有」は問わず、人間社会の生活には時間が深く関わっており、存在するとの認識に立って、人類が生活する通俗的な時間と世界側の時間を区分します。宗教学者でもあるミルチア・エリアーデが、諸宗教の現象形態を説明するために用いた基本的概念の一つ、聖なるものの現れ・聖体示現・聖化現象・神聖顕現などとも訳される時間観念を各宗教が抱いていることの表れです。ヒエロファニー(hierophany)聖なるものの顕現とも訳されますが、和訳では「祟り」と似かよった種類とも訳されますが、世界人類史では意味合いを異にし、ギリシア哲学や神教哲学に置ける「神の永遠」「神の瞬間」ともまた違った意味合いを持って、世界の各宗教は其々に時間を独自解釈しています。時間が神々との接点としてすることは、古代宗教に限らず、神教的哲学やギリシア哲学でも神的存在を認識する限りに置いては何れもが認容しています。極東の日本の歴史においても神的世界の時間と俗世界の時間とを区別し、神の時間を疎かにすれば「祟り」を被るとして、通俗的な時間を中断する力をもった祭儀を周期的に営むことにより、神々と時間を同期化・同一化することによる本来的な「真実在の時間」に接することを希求しています。其のこと故の、自己の人生では、永劫に流れる水、形骸が変化しない岩、巨木への信仰が湧出(ゆうしゅつ)するのです。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年02月14日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想22/エリアーデ最終章(六百八十八) 厳寒の氷に年中覆われた世界などに定住する民族を除き、保々、台地に定住移動する民族は巨岩を好んで祀っています。更には、大地信仰や巨大洞窟の神聖視、巨木信仰(Giant tree faith)に至ります。八百万の神は何も日本の専売特許ではなく世界中至る所に見られる現象です。これらの原始信仰はイスラム圏や旧約及び新教などの一神教の台頭から影に潜んだかたちとなっていますが、神話や民話の形式で伝承されています。一神教の台頭は人類には見えない時間という存在を世界自然の形態から、時間を超越する「神の永遠・瞬間」と「人間の時間」とに分別されました。古代ギリシアの形而上学は時間を人間の観念に求め、現代科学は「時」の有用性から物理科学に取り込みますが、いざ、其の真相はというと、明確な答には導かれていません。「時」の存在を肯定するのか、将又、「次元」の真相を解明するのか、「時間子」たるものは発見できるのか、「時間」は人間の観想の側にあり世界には無くて、人間は運動量を時間と捉えているのか興味は尽きず、旧約的な始めに時間ありきでは人を納得させる力は現代科学に馴染んだ人間を納得させるにのは信仰に導き入れる以外には方策はないのでしょう。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年02月13日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想21/エリアーデ7(六百八十七) ミルチア・エリアーデは宗教哲学に関する著作で、岩や石に対する古代人の精神的な受け止め方は其処より発する生命を感じ取っていたとします。石は祖先の石化した霊だと捉えていたと述べます。石の中に固定された祖先の魂は、祖先であるが故に子孫を思いやり、ただ肯定的にのみに作用を及ぼさざるをえない。すなわち祖先の子孫に託した豊饒化の方向です。世界的に見て石には「祖先」が住んでいると信じられている多くの文化では、「石」は畑や女性を豊穣にするための道具となっていることからも推論しています。魂は石の中に住んでいる、葬礼のための巨石記念碑を建立するのも死者の魂を定着させる魂のための仮の宿を提供することです。其の目的は死者の魂を生者の近くに住まわせることにより、霊性によって賦与されている力をもって、田畑の地味に豊穣の影響力を与え、他方では、間違っても祖先の魂が仮宿無きために迷走し徘徊することにより害悪を子孫に被らせないことを目的にしています。石が生きている、「生岩石」は世界的に見られる象徴として多々あります。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年02月12日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想20/エリアーデ6(六百八十六) 自然受胎を超えた現代に置いても、たった「1pair(つがい)」から人工繁殖させたブロイラー(broiler)、たった二羽の両親からの血筋を除き、倫理上の問題や宗教上の倫理より、人間のクローンの培養までは流石の科学も出来得る可能性はあるとは言えとはいえ拒否はしています。然し乍ら、此の倫理の溶け去るのも時間の問題かも知れません。100万人のヒトラーも現実世界に不思議ではない世界に我々現代人は生き且つ生活しています。現代人類が時間史的に過去に思いを馳せるだけではなく、未来を尊重する環境を持するには「時間」存在の解明は欠かせません。未来に時間があれば結果が見渡せ現代其のものの未来時における役割もあろうかを見い出せます。但し、「時」の齎す「時間」が未来への一方向のみであるならば、エントロピー増大の法則により崩壊しか待っていません。人間科学が其のことに加担する必要性は何(いず)れにも見付かりません。時間存在が持つ人類の生態の時系列的観相は幻想であれ無かろうとも其の生得観念は貴重すべきです。世界の側に時間たるものが在ろうと無かろうと人間は其の観相から逃れては生きていけない運命を背負っているからです。人間は何事にも始めがあり終りがあると想いがちですが「現代科学」は、初めも無く終末も無い、将又、無から有・有から無の生成変遷を理論的には解明し、其処から、更には大宇宙の始元と終末、其の再生までを解明することを視野に入れIT技術を駆使して解明に近付こうとしています。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年02月11日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想19/エリアーデ5(六百八十五) 水と対角の存在「火」に関しては太陽が炎の象徴です。夜行性動物ではないどころか、最も危険なる闇の夜行性動物を恐れる人間が、太陽を人類の最も聖なる尊いものと崇めるのは理の当然です。陽光のない世界では人類どころか、闇に生きる生物を除いては、汎(あら)ゆる生物が、暗黒が世界を覆い尽くす期間によっては滅亡を免れ得ません。闇を恐れる人間は「月」にも勝って太陽光こそが希望としてあります。現代においても太陽信仰が息衝いているのも当然であり、大地に生きる生物全般が其の恩恵の源によって活性を保ちます、たとえ、暗躍に生きる生物も然りです。太陽が地球上の台地や海の生命体に与える影響は月や水の比ではありません。太陽は月の運行さえ隷下に置く程の大いなる力を誇り、「月」が女性的とするならば、地上の全てを支配する観点から見れば父性を伴っているとも云えます。但し、其の影響力の大いさから宗教的には多神教よりも一神教の対象になる傾向が歴史的には顕著です。太陽は地球上の大地を照らす最大の天体であり、全ての支配が太陽とされるのには一理あります。人間が環境世界で生存するには先ずもって太陽光を認識し、霊性をもっては意識し迎えるのは当然であり、命の源であり人天組成を支える水さえも太陽の働き掛けが無かったならば現存しません。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年02月10日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想18/エリアーデ4(六百八十四) ミルチア・エリアーデは古代宗教の信仰のあり方を月や太陽、そして水や希少石(宝石)及び岩石等の無生物、大地其のものは生命の母体の在り方から当然として、大地に育つを樹木を自然崇拝の対象とし神格化た人類文化の由縁を語ります。水が洗礼や禊に用いられるのは、水に浸すのが、形態の解消を意味し、先在しているもへの形なき状態へ回帰することに等しいことから来ています。旧約風に云うと初めに光ありき、次に水ありきです。創造と破壊を司さどるものへの畏敬の念として「火と水」は宗教には欠かせません。然し乍ら、こと水に限っては、水に浸すのは、形態の解消、先在しているものの形なき状態へ回帰することに等しいとする浄めは第一義ではあるものの、水がどんな形態にも先行し、どんな創造も支え再生を象徴すると考えたところから、水は受胎の力を持つとも信じられていました。水は生産と受胎をも合わせ意味するものだからです。屡々(しばしば)あろうことか「水と精」を同一視する古文明さえあります。ミロのヴィーナスは帆立貝から生まれた、人間ならシャコ貝程度の大きさは必須ですが、神々なら許されるのでしょう。水は豊穣を象徴することから此のようなも飛び出します。「水」の持つ特質は如何なるもの。其の先行する「水」さえも滅びの溶解と再生産ととの循環としての時間経過を自らに携えていることとすることも稀ではありません。古代人は男女間の生産活動については科学的根拠に拠らず性の役割を体験によって正確に読み解いていたのです。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年02月09日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想17/エリアーデ3(六百八十三) ミルチア・エリアーデは{水」に関しても「循環論」を用い時間との関連の理を説きます。彼が注視するのは水の形体変態と他物に及ぼす其のものの持っていた形態変性への干渉です。エリアーデは水による形態変性を循環として捉え、水の性状を個物の形態の解消、先在しているものの形なき状態へ回帰することと捉え、水に「神性的側面」を付与します。水が洗礼や禊にもちいられる要因です。形あるものが形ないものに移行するものを「水」の作用力とするのです。水には汎ゆるものが「溶け」、何の様な「形態」も水に崩れ去ってしまい、どんな「歴史」も存在しなくなってしまう。但し、此のことは石灰石等の水溶性鉱石や腐食性物質には適用されども鉱石以前に存在していたものも、水に浸してからは存在しなくなる。水は一切の形を台地と、一切の歴史を破棄して、浄化し、再び発生させ、あるいは再び誕生させる力をもっているとは述べていますが、エリアーデ自身が其のように想う筈もなく、古代宗教の分析から導き入れられたものであることは論を待ちません。然し乍ら、此の意味するところの重要性は「水はあらゆるものが誕生する生命の源、死んだものが還ってゆく事物の源である。」にあります。史的に見られる慣習の禊(みそぎ)や浄(きよ)めは、創生の時間に自己を現実化することにあります。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年02月08日
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2017年02月07日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想16/エリアーデ2(六百八十二) 世界に共通した古代信仰のあり方から「時間論」を観想してみるのは「時」の存在の真相に近付く一助になります。ミルチア・エリアーデの古代宗教における世界に「共通した信仰のあり方」の解読は、世界側の時間・人間精神の観相時間及び其の在り方の相違と共通性にも関連します、更には「時」及び「時間」が人間の幻想に過ぎないのかの問題にも係わります。古代宗教における原始的信仰は大凡(おおよそ)死と再生の循環を基底にしています。滅び滅亡し、死して再生することが根本にあり自己の回りを取り巻く自然の動植物、取り分け植物の回生は影響多々あります。其のことが世界を覆う大宇宙の再生論にまで話が及びます。生物にあっては生殖が再生であり、大地や宇宙にまで生殖を持ち込むことが特徴です。例えば、月は「死と再生」の循環的時間の象徴とされています。月は大地とは別存在としてではなく、台地に降臨し生命を見守る。月は擬人化され、あらゆる豊穣の源であり、多くの民族は、月は人間の姿を纏ったり、あるいは蛇の形をとって、人間の女性と交わると信じていたのです。此のことは人間女性の月経の周期と月の満ち欠け周期の同期性が齎します。古代人たちは月や太陽のような無生物にも生殖の捉え方を適用しました。「月」は月経の周期と満ち欠けの同期から、強力な繁殖力、生殖力を持つと捉えられ、夕闇が訪れると女たちはその力によって妊娠すると思い、また人びとは死者の霊魂を遠ざけられると信じ、多産豊穣を祈願したのです。驚くことに此の「死と再生」論は現代物理学の「無から有」同時に「有から無」への移行論やエントロピーにも共通性があります。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年02月07日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想15/エリアーデ1(六百八十一) 人間精神の心の受け取り方で時間の観相は様相を変化させ単純には定義できない側面を持っています。古代宗教における時間をルーマニア生まれの宗教学者で文学者、小説家でもあるミルチア・エリアーデ(Mircea Eliade/1907年-1986年)が、幻想作家らしく且つ哲学者としても古代宗教に置ける時間観を「永劫回帰」の自説をもって時間論に独自解釈を著します。現実主義者とは相違し幻想的思想家とされるのは、彼の顕す表象の本質が露呈する瞬間を神話的基底を持ってその意義を追求していることから来ます。夢やあらゆる状況に精神的な分析を解釈して展開させてゆくユングの手法をエリアーデは取り入れています。エリアーデは時間の概念について自らの著作「永遠回帰の神話」(1949年の公刊)の中で、時間の概念について研究の成果を述べます。古代宗教に置いては人間或は物が日常的な使用から区別されて,永久に神に仕えるために奉献されることを、礼拝で使用する器具などを聖なるものとして、他の被造物と別のものとすること「聖別」と呼称しますが、古代の原始宗教では、川・泉・岩・木などの自然の事物が神々ないし精霊を宿すものとして聖別されてます。この他にも,タブーや物神のように犯すことが禁じられている儀式によって聖なるものとされるこの、更には神聖または不浄な事物・場所・行為・人・言葉の類もあります。其の「聖別」をエリアーデは{時間」に取り入れています。「時間」の始まりには、何の様な宗教的儀式であれ、参加者と司祭及び従者がそこに存在します。其のこと故に、現実というのはその発する初点、起源に根拠があるのです。このことが、循環の法則に支配されている此の世界にあって、現実と繋がりを持ち続けるために、日・月・年等々の時間の周期がなくなるその時点まで、儀式は執り行われねばならない理由だと説きます。日本に置ける正月行事への神教やアイヌ伝説を見れば「時間」が聖別された現実性を持っていると古代宗教が認識していたことは間違いありません。エリアーデの精神構造の構築は、神聖なるものと神聖を冒すもの(神聖でないもの)、其れに対応した「現実」と「非現実」を基底に構成され「時間は現実」と捉えてます。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年02月06日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想14(六百八十) 現代に置ける時間の基本体系は数学的単位としての時間点と時間点の周期が国際単位系で定立され「1秒はセシウム133原子 (133Cs) の基底状態にある二つの超微細準位間の遷移に対応する放射の 9192631770(約100億)周期にかかる時間」とされています。国際単位系における基本物理量のひとつとされて世界的に統一された単位が定義され、社会生活や産業活動においてよく使われているいますが、IT技術を除けば人間が通常に生活するのには現実性がなく物理化学に置ける単位としてしか意味を成しません。時刻の表し方は、歴史的に見て様々な方法がある。古くは日の動きで決めた。日の出という時刻があり、日没という時刻がある。また日が南中する時刻が正午 (noon) とされた。つまり、時刻は、自然をもとに決められていた。一日のいつを一日の始まりの時刻と見なすかは文化圏によって異り、現代のように機械式の時計を基準に定められたりなどしていなかった。但し、一日のいつを一日の始まりの時刻と見なすかは文化圏によって異なっている。アラブ人やユダヤ人は日の入を一日の始まりとしている。またギリシアにある正教会などでも、他の地域の正教会でも、日没の瞬間が一日の始まりだとされている。キリスト教布教圏内では今日でもそうだとされているのである。一日は夜の闇の中で始まり、やがて夜明けを迎え、昼を迎え、最後に一日の終わりである夕暮れを迎えるのである。現代でもそうした時刻観にもとづいた時間割で日々の生活を規則正しく送っている教会の修道士たちは時の移り変わりを教本通りに肯んずる生活を送っています。一方、日本だけではなくエジプトでは日の出を神性なものとし、格別、日本では御来光を一日や一年の始まりと見做す傾向があります。事程左様に、時間の観相は多様であり、人間精神の心の感じ方を見れば時間は単純には定義できない側面を持っています。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年02月05日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想13(六百七十九) 古代人類が「時間」を「時の流れ」として捉え観相する概念は、環境世界や自己の肉体的変化の何かしらが変化することの「変化」其のものが時間観想になることを意味します。「単位」等という数的観念は其処には無かった筈です。「時」の概念は人類が農耕の収穫時期や猟期の時期、魚類の産卵時期等の生活の必要性から、人間の本能的特性は多の動物からは劣るものの、自己の精神的な知的特性から発想し発展さしてきたものです。現代にも用いられる「時」の要素はキリスト教以前から世界の何処其処にも見られます。人類特有の理性の時間概念の獲得が或る人に取れば宝石であり、他の一方にとれば悪夢となる性状を持った観念を齎したのです。「時の流れ」は人類の発祥があろうと無かろうと、時間の定義を時の因子(時間因子)の活動とすれば、実存として当然にあります。但し、時間が世界内に在るエネルギーの運動量の変遷と捉えれば、現代に到るまで真実在として捉え切れない時間因子なるものは科学の御都合主義の賜物とかし、其の実存は仮想世界に於ける映写機を回るフィルムであり現在するものではないとの判断が可能です。更には人間の製作技術と科学文明が機械式時計を制作するようになると、天体運行とは切り離された人工的な時間概念を人間は獲得します。時計は、更により短い周期で振動するものを追い求め採用することで精度を上げ、技術革新が継続発展し、遂には、原子の発する電磁波の周波数によって時間を決定することとなりました。これが原子時計(atomic clock)であり、放射性原子其のものの半減期を利用しています。此のことは時間が数学的科学の発展のためだけに科学分野で便宜上利用するものであり、人間自身の時間観想と時間其のものの「時間の流れの有無」其の源泉を解決している訳ではありません。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年02月04日
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思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想12(六百七十八) 哲学的概念としての時間は、第一には人間以外の他の生物に置ける単純なサイクル(cycle)ではなく、ある大きな体系が一(いち)の状態から出発して再び元の状態に戻る過程を指し示すものではなく、人間の精神母体に概念的観相としてある変化を永さとしたものが与えられています。時間の認識の成立のための最も基本的で基礎的な形式という位置づけです。時刻単位で日々の生活を忠実に再現する、村で「先生を見れば時間がわかる」と村民に言わしめた近世哲学を代表する最も重要な哲学者の一人であり、更にはフィヒテやフリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・シェリング(Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling/1775年-1854年)、ヘーゲルへと展開していく、当(まさ)にドイツ観念論の起点となった哲学者カントの時間認識の観相が現代今日まで用いられています。過去から未来へと流れているとする時間観と、未来から過去へ流れているとする時間観の相違はあれども時間を流れと観想することに相違はありません。「時」の概念は人類が有史以前から感想していた概念であり、天体運行から産み出された太陽暦や月陰暦及び諸々の天体が見せる運行も人類は生活のための必要性から暦として、生活リズムとして時間の存否ではなく取り入れ発展さしたものです。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年02月03日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想11(六百七十七) 人類が「時間」を「流れ」として捉え観相する概念は、太陽や月の運行、其のことを明示化するアイ・ハヌム(BC400~BC100の古代都市)や英国の巨岩遺跡ストーンサークルにみられます。光線が要(かなめ)の初期形態の運生指標であり自然物の時計です。続いて水時計や砂時計が生まれますが、此の二つは其のもの「時間」を「流れ」として捉える典型であり増々「時間流れ」が人間の倫理的実存にまで介入sることになります。格別、砂時計は、今現在というものが未来と過去の間にあることを象徴しています。縊れた部分を現在として見つめる。さすれば、時間というものは上である未来から流れてきて下である過去へと流れてゆく流れと感じられ人間が視覚的に時の流れを観想することが出来るといった按配です。15世紀にはスイスのベルンのツィットグロッゲに天文時計が設置されています。現代科学では腕時計に水晶発振回路を組み込んだクォーツ式時計が当たり前となりました。更には、放射性物質の半減期を利用した電波式腕時計が考案され正確度を増します。然し乍ら、人間は科学の発展とともに時間は時を刻むものとして捉え、時の流れを短く観想するようになります。人間が科学万能の世の中になり内精神の自己時計は共通化はしますが、自然時計の世界とは異なり、各種の明光機の発明から、人間の昼夜を問わずの労働時間や就学のための時間が肥大し、逆に人間の「観相する時間」は変わらずとも、人間の精神が「観想する時間」の経過は縮まっています。此の辺りに、時間の要素の真相を垣間見せてくれそうに「時(とき)}真相が見えてきそうです。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年02月02日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想10(六百七十六) 人類が用いる時間即ち「時の長さ」の表現は、日常的には年 (year)や月 (month)、日 (day)やそして時 (hour)・分 (minute)・秒 (second) が用いられ、更には週 (week) も暦ではよく用いられ用いられています。史的には、10年紀 (decade)、世紀 (century)、千年紀 (キリスト教のmillennium) などもよく使われる表現です。然し乍ら、黎明期の人類が「時間」を知らずとも何かの変化を「連続的で永続的なもの」とは意識していたことは事実です。数学的時間の基準単位を知らなくとも人間は時間を意識し、其れに伴う行動をしていました。世界のほうには時間があろうが無かろうが、人間は自己意識に眠る精神が「時の流れ」を観想させます。時の流れは「日」では、所謂(いわゆる)、夜行性ではない人類は太陽の運行を基底にした変化を捉えています。日が沈み入り闇が来たり、日が昇り来るに連れ光明が世界を照らす循環が一日であり、世界の文明の多数が、信仰及び人間女性の生理に裏付けされた「月神」である「月」の運行を除き最も一般的に用いられています。其の一方の「月」の運行の影響は、夜行生物ではない昼行性の人類が真夜中の暗闇を怖気(おじけ)づき、其の明光が夜行行動性動物の攻撃を事前に知らせること、人類の女性に毎月訪れるものが「月球」にの満ち欠けに表象され、女性は自身の身体や気分の変化で強く実感していることでもあり、時間観想としても意識され太陽運行とは違う意味での神秘的変化と捉えられ史的にも女性が神託を受ける立場になることの要素となります。其の当時は現代のネオン輝く常昼夜ではなく夜の闇はあくまでも暗く陽光の朝を迎えることに時間は待ち遠しく、時間を時刻の集団として把握する現代人とは精神が受け止める時間の短長は大いに異なります。人間は時刻の観念を観相にまで高めたために、時は全ての人間に平等に立つことは示しますが、人間個々の精神の受け止める「時間差」の観相を定義し得ません。一例として、小野小町生きる時代には40歳は老女どころか古女とされ、文献にも度々顕れますが、当時の精神を心理学から眺めると、現代人の時間速度2倍以上に遅延した状態を時間観相したとしており、現代人の80歳が小野小町は40歳だと観相し時の永さを実感していることになり科学的発展の要請がある数学的時間と人間精神が捉える時間観想に大きなズレが生じます。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年02月01日
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