全14件 (14件中 1-14件目)
1

笑左衛門残日録 54 小林一茶 俳句談義2 さて、話を小林一茶に戻そうか、 「はいっ、では熱い一茶を淹れましょうかね、、」 一茶は奉公先での苦労がたたったのか、40歳で白髪になり、50歳までに歯はすべて抜け落ちてしまい、病気も患っていた。一茶は若いころから、この歳になるまで定住地をもたず、俳人として各地を転々とする生活を送っていたのだが、 52歳になり、父親の遺産を相続し、故郷の信濃国に安住の地を得たことをきっかけに、 菊という、なんと28歳という若い妻をもらうことになったのだ。 一茶の日記 (文化13年1月)には 妻菊との その日何回、行為に及んだかを逐一記録しています。 たとえば「雨。夜三交」「墓詣。夜三交」というふうに、 その日の天気や出来事と一緒に、夜の行為の回数が記されていたのだ。 驚かされるのは、その歳にして1日3回もの行為を連日行っていることだ。15日 晴 三交、16日 晴 三交、7日 晴 夜 三交、18日晴 夜 三交 19日 晴 三交、廿 晴 三交 、廿一 晴 四校 まあ驚くばかりで、病にかかりながらも、この獅子奮迅ぶりである、一茶は史上稀に見る性豪としても名高いのだ。 彼は菊とのあいだに計4人の子どもを儲けたが、いずれもが、幼くして亡くなってしまった。 妻の菊が37歳で亡くなったのは、精神神経症を患い、 連日の営みで体力を消耗したからではないかといわれているほどななのだ。 その一茶は57歳の時、千曲川の雪道で転び、中風を発して一時は半身不随、言語障害になってしまったこともあった。62歳で2人目の妻、雪と再婚する一茶があまりに身体を求めすぎ、 僅か三月で離縁したという噂があるのだ。そして懲りずに、64歳の時に32歳のやおという女性と再再婚するが、翌年、三度目の発作を起こし小林一茶は死んだ。64歳没その時、妻のやおは懐妊中で五人目の子供は一茶の死後に産まれ、無事に育ったのですが一茶はその顔を見ることがなかったのだ。 残されている逸話を聞けば偉大な俳人の一茶も 俳句の外に出れば、人間臭く、金銭欲もと性欲も強欲であったらしいのだ。 一茶の住んでいた柏原の野山は雪深い山里であった。 ~これがまあ、ついの栖(すみか) 雪五尺~ ~故郷や よるもさはるも 茨の花~ 「なんだか、思い浮かべていた一茶とはずいぶんかけ離れてきてしまったが、 手習い所の子供らにはこの逸話は内緒にしておいた方がよさそうじゃな」 「御意にございまする、、」 笑左衛門
2023年02月28日
コメント(0)

笑左衛門残日録 53 小林一茶 俳句談義1 隠居所の陽だまりの縁側が部屋の中より暖かいので お筆とふかし芋を食べながら茶を楽しんでいた。 「のう、お筆は俳人ではだれが好きかのう、」 「やはり、平凡ですけどやはり松尾芭蕉でしょうか、」 ~夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡~ ~閑(しずけ)さや 岩にしみ入る 蝉の声~ ~秋深き 隣は何を する人ぞ~ ~旅に病んで 夢は枯れ野を かけめぐる~ 「わしは与謝野蕪村かな、情景が浮かび上がってくるような、 絵画のような句が好きだな」 ~春の海 ひねもすのたり のたりかな~ ~菜の花や 月は東に 日は西に ~ ~学問は尻から抜ける ほたる哉~ そして極めつけはお筆と某(それがし)のことのようじゃが、、 ~老が恋 忘れんとすれば 時雨かな~ 「あら、恐悦至極に存じますわ、、」 「手習い所に来る子供たちには、小林一茶が人気がありますわ、 子供の心に響くやさしさからなのか是非もありますんわ、」 ~雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る ~ ~やれ打つな 蝿が手をすり 足をする ~ ~名月を 取ってくれろと 泣く子かな ~ ~我と来て遊べや親のない雀~ どの句も弱い者の味方をしているようでございますもの。」 「だがね、片腹痛い思いもするのじゃよ、 小林一茶と云う人は俳句とは全く違う一面を持っているのだよ。 そもそも一茶と云う俳号は一椀の茶、つまり泡沫のごとき人生だという 無常観から命名されとるのじゃ。」 「そうなのでございますか、一茶なんていい俳号だと思っていましたわ」 「小林一茶のことを調べてみたのじゃ、」 ~小林一茶は濃国柏原で中農の子として生まれた。15歳の時に奉公のために江戸へ出て、 やがて俳諧と出会い、葛飾派の俳諧師として頭角を現しだし、松尾芭蕉、与謝蕪村と並ぶ江戸時代を代表する俳諧師の一人となり、その俳風は「一茶調」と呼ばれて人気を集めたのだ。 そして一茶も東北地方や西国に俳諧行脚をし、俳諧師としての実力を磨いていったったのだよ。 その一茶は39歳の時に父が亡くすのだが、 死期を悟った父の弥五兵衛は一茶と腹違いの弟の仙六を枕元に呼び、 財産を一茶と仙六とで二分するよう言い渡したのだ。 それから約13年間も継母と弟仙六との遺産相続の争いが続いたのだった。 一茶が35年間故郷を捨てていた間に、 継母のはつと腹違いの弟の仙六が守り増やした財産の半分を一茶は取り上げたのだった。 この事実をみても一茶が徘徊人から離れると欲深い人間だと思われる所以なのだ 「なあお筆、一茶の俳句の中身と生き方はずいぶん隔てがあるとは思わないか?」 「俳人はみな俳句と実際の生き方が違うものなのですか? では、松尾芭蕉はどうなんでしょうか?」 「松尾芭蕉は徳川幕府の隠密、伊賀の忍者だという説があるのじゃ、 奥の細道の行脚は幕府の探索のためだという説もあるぞ、」 「では与謝野蕪村さまは?、、」「与謝野蕪村は俳句だけではなく、文人画としての才能も有り、俳画という芸術を確立した人間で、当時一流の画家で幾通りもの芭蕉像を描いていたのだよ。 兎に角松尾芭蕉に憧れ、敬拝しておったのだ。 挙句、芭蕉の足跡を追って奥の細道の旅に出て、奥の細道の絵もたくさん描いているのだ。 蕪村は芭蕉を俳人としてだけではなく、忍者としての芭蕉を尊敬していたという話もあるのじゃよ、、、 まさかと思うがな、、人間の表と裏はなかなか単純ではないようだ。 お筆さんは大丈夫かな、、ふっっふっふっふっ、、」 笑左衛門
2023年02月26日
コメント(0)

囲い者(めかけ)5 坊主の妾 ~坊さんを、抱いて寝てみりゃ可愛いものよ、どこが尻やら頭やら~ 江戸都都逸 江戸時代の坊主の戒律は厳しく、飲酒、肉食は破門され寺から、追放となります。 僧侶は女と交わることは禁止され、妻帯もできず囲者などもっての外でございまして、 女犯(にょぼん)には厳しく、女郎買いなどが露見すれば、 日本橋に三日間晒された上で破門、遠島(島流し)などの刑に処されますし、 女犯の相手が亭主持ちであれば打ち首の上、首を獄門に晒されたのでございます。 ですが、厳しい罰則があったものの、僧侶も男、女犯僧はあとを絶たなかったのでございます。 なにせ、僧侶というもの金銭的には安定した高給取りだったのでございます。 江戸の町割りは武家地が六割、町屋が二割、寺社地が二割でお分かりのように、 江戸の町には多すぎるくらいの寺があって、誰の銭で維持してるのかと訝しがるかもしれませんが、寺はみな安定していて裕福だったのでございます。 と、いうのも、江戸幕府は寺請制度を設け、江戸の庶民は一人残らずいずれかの寺の檀家になり、宗門人別改帳に記録されて幕府に届け、寺請証文という身分証を受け取るのでございます。この人別帳から外されれば無宿人、非人扱いとなり、長屋に住むことも仕事をすることもできませし、幕府の役人に捕まれば人足寄場に収容されたり、 佐渡の金山の水替人夫として佐渡送りにされることさえありました。 つまり、寺の僧侶は幕府から戸籍の管理を請け負っていたのでございます。 檀家になった庶民はお布施や葬儀、法要で金銭を寺に納めるのでございますから、坊さんの収入は安定していて裕福に暮らすことができたのでした。 つまらぬ奴は坊主にでもなれなんていいますが、何、坊主は面白い職業なのでございますよ。 そうなると、坊さんもついついお慰みに足が向くのでございます。 坊主の中にも助平な人は多く、吉原に行きたくてうずうずする。 だが露見すれば斬罪に処せられるので変装をして吉原にまいります。 吉原まではという坊さんは日本橋の芳町にある男色の遊里、陰間茶屋で遊ぶのだそうでございます。 さて、坊さんのお妾さんとなれば、 旦那を看取った別嬪の後家さんが、お通夜葬式、初七日から四十九日まで七日ごとに寺の住職と顔を合わせて法要をしているうちに、 ~囲われに 地獄はないと 実を言い~ 江戸川柳 などと、坊主の甘言に騙されちゃう後家さんもいたのです、喝っ! 生臭坊主めが! 後家さんの髪を剃って比丘尼の格好をさせて寺で囲う妾のことを畜妾と申します。 菩提寺が女犯の場となるのでございますが、寺には町奉行所の手も入りませんから坊主も安心でございます。 坊主の“囲われ”というのは、坊主が人目を憚って別宅に囲ったお妾のことです。 銭のないケチな坊主は裏長屋に妾を囲うこともありました。 ~後家さんを 長屋へ囲う ケチ坊主~ 江戸川柳 ~坊さんと 呼んで囲われ 叱られる ~江戸川柳坊主は時々はやってくるのですが、噂になっては元も子もないので、なかなか来れません。 そうなると、お妾さんは坊さんに手紙を出します。「お越しをお待ち参らせ候」という文の末尾に、「なおなお、お米も残り少なくなり参らせ候、その折り呉々もよろしく頼み参らせ候」というような文句を忘れずに、書き添えます。 ~囲われは 文の文句に 米を入れ~江戸川柳 お寺には寄進米が充分にあるので、囲われ者の食費は現物支給だったこともあるようでございます。 いずれにしても金銭欲や女犯を犯す坊主は、生臭坊主、破戒僧でございますね。 ~坊主憎けりゃ袈裟まで憎い~とならぬよう、妾を囲ったんですからちゃんと面倒見てくださいね、、 笑左衛門
2023年02月24日
コメント(0)

囲い者(めかけ)3 小便組 ~御妾のおつなやまいは寝小便~ 江戸川柳 ~小便をして逃げるは妾と蝉~ 江戸川柳 肝煎屋 御奉公人口入稼業の中にも悪辣な輩もおりますので 詐欺などにかからぬよう十分ご用心が肝要でございます。 若くて震いつきたくなるような容貌絶美の娘を金持ちの助平爺さんのところへ 大金の支度金を出させて妾奉公に出すのです。 旦那も浮き浮きこの世の天国だと大喜びなのです。 ところがこの娘、寝小便の癖がありまして、 旦那と寝ている最中に小便を漏らしてしまうのである。 それも毎度毎度、これには旦那もついに、あきれて音を上げてしまいます。 「お梅、もう、年季奉公は結構だ、何も言わずに出て行っておくれ、」 お梅はめでたくお払い箱になります。 旦那の方は自分が嫌がって暇を出すのだから支度金を返せとは言えないし、 旦那の方もあからさまにでないので、奉行所に訴え出ることもできずに泣き寝入りでございます。 そのようなやり方でお梅と肝煎屋は支度金の三十両を懐に入れたのでございます。 むろん、小便を垂れるのははお梅がわざとやったことでございまして、 この手で、次々と江戸の金持ちの懐を狙ったのでございます。 小便をして稼ぎまくった妾なので小便組と呼ばれていました。 ~小便のくせに容貌美麗なり~ 江戸川柳 ~ここで三両かしこで五両とって垂れ~ 江戸川柳 こんな川柳が江戸にはあったのでございます。 綺麗な花には棘がある、可愛い娘が小便漏らすってえのは ほんとのことでございましょうかね、くわばらくわばら、、 笑左衛門
2023年02月22日
コメント(0)

囲い者(めかけ)3 妾奉公はつらいよ さて囲者の格といっても松竹梅の下、桜か杉かは知りませぬが、 妾奉公を職業にしていた手練れの女もいたのでございます。 ~肝煎屋 御奉公人口入仕候~ 肝いり屋とは口入れ屋(職業斡旋業)のことでございまして、 妾奉公を斡旋するのも肝煎屋でございました。 妾所望の女と妾願望の男の間に入り、妾の期間と給金を取り決め、きちんと証文を交わすのでございます。 給金は2カ月契約で安い場合で2両(約)20万円から高い場合で5両(50万円)でございましたから女にとっては武家屋敷や商家の下女奉公に比べれば高給だったのでございます。 ~まず歳は十五より十八まで、当世顔は少し丸く胸は上向き、尻肉はたっぷり、 などと希望する女を述べる~ 肝煎屋は手持ちの女の中から料金と男の欲求に見合う女を選んで斡旋するのであります。 金に余裕のない男がせめてひと月でも囲者を持ちたいとか、ひと月単位で次々と女を代えて楽しみたいという男もいたため、月ぎめの妾奉公というのも斡旋に応じておりました。 妾奉公する女にとっては、命令ばかりされる女中や下女の冷たくて辛い仕事に比べれば、暖かいし、給金もいいし楽して銭が稼げると踏んでいるのだが 旦那の中には面白く、優しい男ばかりでなく嫌な旦那にもめぐりあうこともあるのでございます。 旦那様が精力絶倫で、銭を払ったのだからしなければ損とばかりに朝昼晩お構いなしに一日五回もする男もいれば、 正常位だけでなく変態体位まで要求されることもあるのでございます。 毎晩毎晩が苦行で疲れ切ってしまい、陰部が擦り切れてひりひり痛み、夜中に井戸端であそこを冷やさなければいけない夜もあったのです。 いやはや、妾奉公もいいことばかりではないようでございまして、地獄の様のようなこともあるのでございます。 江戸にはやもめ暮らしの男がわんさか通りまして、 岡場所に通うほどの銭もなく、かといって妾を囲う銭もない男には、肝煎屋が知恵を絞った「安囲い」という妾を斡旋するのでございます。 一人の妾に五人の旦那を持たすことで、男の方は五分の一の負担で妾が持て、互いに日を決めて妾の家に通うのでございます。 はい、お妾さん、囲い女、忍び妻、日陰の女、もいろいろございますようで、、、 ~大笑い 夜這い 手に踏む 猫の糞~江戸川柳 こんなことになりませぬように 笑左衛門
2023年02月20日
コメント(0)

囲い者(妾)2 竹梅の妾 ~奥様といはれて顔が別になり~ 江戸川柳 ~お妾の昼間はしごく無口なり~ 江戸川柳 妾にしてみれば、あくせく働く者があほくさく見えるのか、 あまり長屋のおかみさんとは口をきかない。 底抜けに明るい長屋のかみさんを妬んでいたのかのしれない。 遊女や芸者を身請けしたり、年季を終えた遊女や芸者や後家さん、 或いは、町娘、百姓娘に支度金を渡して、お妾さんにするのがごく一般のお妾さんでございまして、まあ等級からすれば竹梅といったところですかね。 表通りからちょいとはいった裏道にこじゃれた格子戸の仕舞屋(しもたや)に住まわせ、婆や下女を付けてやるのでございます。 婆やはお妾さんに間夫の虫が付かないように見張り役も兼ねていたそうでございます。 日暮里辺りの裏手にはこじんまりしてこじゃれた小宅が並んでいて、靜かな通りからは昼間でも粹な三味線の爪弾や小唄が漏れ聞こえてまいりまして、 お妾横丁とも呼ばれているのでございます。 商家の旦那、大番頭、職人の頭や、お武家様、ご隠居さんなどかお妾さんを囲っております。 その、お妾さんが子供でも孕めば、間違いなくごたくさに巻き込まれます。 跡取りがいない大名や旗本であれば、妾腹であろうが世継ぎとなり、 「よくぞ産んだ!」と、妾も家族も丸ごと恩恵を受けるのでございます。 男子を産むというのは江戸時代では大変名誉なことなのでござりまするが、 本妻に子がある場合は大変な修羅場になるお覚悟が必要でございます。 ~囲われて 長屋の者をくぼく(低く)みる~江戸川柳 さて、お妾さんは町人のかみさんに後ろ指をさされるものだから、 妾の方も町人の女を見下すような態度をとってしまうのです。 女同士、どうしても妬み羨みあってしまうのですね。 ~囲い女など、卑俗ではしたない女だわ~ ~井戸端で 向こうの囲(かこい) こすられる~江戸川柳 働かないで、旦那を待つ身の妾に反感が募ります。 ~囲い者がかわいそうなんて嘘でございますよ、 あくせく働くこともなく、旦那以外の男を相手にすることはなく、 なんの心配もなく暮らしていけるのですから、 明日食べることにもあくせくしてる暮らしに比べれば、夢のようでございますよ。 手はしもやけで、朝から晩まで動きっぱなしで、化粧もしない、 髪結いにもいかない、長屋のかみさんたら、もう女としての色気は捨てた暮らしくらしですものね、~ そうでございますかね、暇を持て余す籠(かご)の鳥の方が幸せでございましょうか。 長屋のかみさんは、貧しても鈍していませんよ、毎日忙しくはしてますがね、色ばかりが人生じゃありませんよと、暮らしは生き生きとして楽しそうでございますよ。 たまに来る旦那だけでは体を持て余し、婆やに小遣いを渡し若い男を引き入れていたお妾さんも多いようでございますよ。 中には隠し部屋を作っていたお妾さんまでいたそうでございます。 ほれ、旦那様、しっかり下半身鍛えなきゃね、、 ~井戸替えと 知らず囲いへきて困り~江戸川柳 夏を迎える前に井戸の塵を攫う、井戸替え、長屋の者総出で水汲みをしているところへ妾の家に来てしまった旦那が困っておりますねえ。 ~暇すれば 鈍する 股の下~拙作 笑左衛門
2023年02月18日
コメント(0)

囲い者(妾)1 極上松の巻 ~親のため 我落ちにきと 女郎花~ 江戸川柳 江戸の男は妾を持つのがが男の甲斐性などといわれておりまして、 大店の主人に大番頭、大名や旗本のお武家さんにご隠居さん、 はたまた、火消しの棟梁に博徒にやくざまでが妾を抱えていたのでございます。 ですが、一口に囲い者(お妾さん)といっても 松竹梅とございまして、 吉原の花魁の身請けともなれば極上の松である。 何しろ身請け金が安くて100両(400万円)太夫の上物になれば 目の玉が飛び出る500両という金額なのである。 そんな花魁が身請けされても、旦那様には本妻がいるので、身分は愛人なのでございますが、 高い板塀で囲まれた門構えの家を用意し、世話をやく幾人かの奉公人も付けるのでございます。 お妾さんに綺麗な着物を着せ、おいしいものを食べさせ、お小遣いを上げて維持すると、月に二十五両が相場でございましようか。 吉原の花魁を囲者にした旦那は、まさに甲斐性のある男と言えましょう。 まっ、日本橋の大店の旦那か、大名家のお偉いさんか、悪代官か、 京大阪あたりの悪徳商人でもなけりゃできやしない。 囲者になった元花魁にすれば、なんとも極楽極楽な暮らしだったに違いない。 家事労働は女中と下女がやり、自分は風呂に入り、化粧をし、綺麗な着物を着て、 三味線を弾いたり、本を読んだりしながら暇を持て余していたのであります。 大店の主人ともなれば、店に目を配らなければならないし、 得意先や同業者との付き合いもあり、本妻への気遣いもあり、 毎日のように妾宅に来ることなどできやしないのだった。 たまに旦那が来れば、求めているのは性的快楽の欲望なので、 旦那を天にも昇るいい気持にして喜ばせてあげることがお妾さんのお仕事だった。 元花魁にとって旦那様を天国に連れて行って昇天させるは他愛のないことだった。 だが、極上松の囲い者になれる吉原の女は極極一部の女で、夢のまた夢の事でありました。 吉原へ身を売って奉公して吉原の囲いの中で病気になって 命を落し、投げ込み寺に放り込まれる女がほとんどだったのだ。 同じ囲いの中でも運命は残酷なものでございます。 ~忍ぶ夜の蚊はたたかれてそっと死に~ 江戸川柳 続く 笑左衛門
2023年02月16日
コメント(0)

千社札の 天愚孔平 下 南総里見八犬伝の作者、滝沢馬琴がみずから天愚孔平に取材して書いた「天愚孔平伝」という書物の中にこう書いてある。 「文化九年(1812)のことし、私は百五歳になります。世間では、「たかだか七、八十歳であろう」と取沙汰しているようですが、容貌が若く見えるからでしょうな。長寿の秘訣には色々あるでしょうが、わたくしの場合、風呂にはいらない、 熱い物を食べない、 女と交わらない、の三つが肝心と心得ております。 私は子供のころ、若君の側仕えをしておりました。あるとき、朋輩の小姓らが私の体をみなで押さえこみ、手淫をしました。これで初めて手淫を知ったわけですが、その後、自分で三度だけしましたが、それだけです。 二十歳のとき、初めて女を知りました。夜這いをかけたのですが、熟睡していて、私が果ててもまだ目を覚ましませんでしたな。そのまま、引き返しました。いまでは、女の名も忘れてしまいました。 殿の係累の方で、入道と申す方が、「偏屈なやつじゃ。すこし粋にしてやろう」と、私を吉原に連れて行き、二の町という遊女を揚げてくださったことがあります。 私は二の町と寝床を共にしましたが、遊女と接してはならぬと言うのが荻野家の家訓なので、二の町には手も触れず、自分で手淫をして終わりました。 私の妻は藤堂和泉守(津藩)様の藩医の娘で、子供は九人生まれました。一番目から四番目までは女、五番目と六番目は男、七番目は女、八番目は男、九番目は女でしたが早逝しました。」 滝沢馬琴は天愚孔平の聞き書きを掲載したあと、つぎのように論評している。 屋敷から外出するときには武士にふさわしい衣装で、供を連れて出なければならないが、天愚孔平はいったん藩邸を出てしばらくすると、供は返してしまい、古びた衣装に着替えて、草鞋ばきで江戸の町を徘徊した。 すべてに対して高慢で、みずから天狗斎と称していたため、人々は天愚孔平と呼ぶようになったとか。 長年にわたって入浴しないため体は臭気を発し、女や子供は嫌がって、天愚孔平が立ち去ると、そのあとを箒で掃いたという。 女に接しないのが長寿の秘訣というのだが、妻との間には九人の子供ができている。九番目の子供が生まれたあとから女人と接することをやめたのだろうか?ともあれ、奇人には違いあるまい。 その天愚孔平が考案したと云われるのが、参拝者が寺社に貼る千社札である。 天愚孔平は異様な格好で、江戸の町中はもとより、江戸近郊の神社仏閣へ参詣しては「天愚孔平」と自らの名を大書した千社札を継竿の先につけた刷毛で神社仏閣の天井など高い所にぺたりと貼って歩いた。 この奇行がまさに「千社札」の走りで、「これは面白い!」と、真似する輩が増え、瞬く間に、江戸庶民の間に千社札が一大流行したと伝えられている。 江戸中・後期の儒学者、本名萩野信敏。号は鳩谷、天愚孔平、有能な蘭学者だったそうだが、間違いなく、出雲松平家の江戸屋敷に仕えた奇人でもあった。 人間どう変わるのかわかりませんなあ、、 笑左衛門
2023年02月14日
コメント(0)

江戸の変人奇人狂人伝 千社札の 天愚孔平 何とも変てこな名前である。高慢なので世人から天狗と異名され、それを逆手にとって天愚と名乗り、さらに、わしは孔子の子孫の妾を平家のなんとかという武士が妻として生まれた子の子孫である」と、非常にうさんくさい出自を自称し、孔子「孔」と平家の「平」をあわせ「孔平」とし、天愚孔平と名乗るようになったのである。 ま、ここでもう奇人の仲間入りである。 本名は萩野信敏(はぎののぶとし)、通称喜内(きない)といい、号は鳩谷であった。 出雲国松江藩の武士で、生家は代々藩医を勤め、孔平も医師でもあり、さらに儒学者として多くの著書を残し、書家としても高名であった。萩野信敏の公的生活の精励さは、『列士録』(出雲国松江松平家文書)でも明らかであり、江戸時代中期の有名な文人にも慕われ、徂徠学末流の一人として多くの著述をなし、蘭学好きな茶人大名で有名な、丹波福知山藩主 朽木昌綱も天愚を重用していたほどである。 だが,どこで狂いだしたのか四十を超えた頃から萩野信敏は天愚孔平と名乗るようになり、奇行が目立つようになったのである。 藩の重役であったにもかかわらず、天愚孔平は屋敷内では大きな駕籠の中に入って読書をし、外出時は晴れている時でも雨羽織を着こみ、わざと襤褸を纏い、古草履を履き、腰には拾った草鞋を何足もぶら下げて出歩る奇行ぶりであった。 その風姿だと傍目には年齢も不詳で「何歳だ?」と聞くと、「わし、百歳ね」とうそぶく始末。絵に描いたような奇人ぶりで、江 戸の町ではその名を知らない者はいないといわれた だが、いざ天愚孔平と話すとその論調は高く、博識並ぶ者はいなかったと云われている。天愚孔平、何者ですかな?下の巻を期待して、笑左衛門
2023年02月12日
コメント(0)

~下手でよい、下手はよくない 拙劣(せつれつ)画 そのままでいい そのままじゃだめ 幼稚な絵~ へた絵画廊にてござりますれば、、 とにかく、江戸人は酒が好き 朝起きて飲み、昼にも飲み、夜も飲む、仕事の合間に飲む、 長屋の男はたいていが酒豪自慢だ。 町をぶらつけば 屋台の、すし屋、おでん屋、熱燗屋、そば屋と 酒を飲む場所にぶつかるのでございます。 居酒屋じゃ、燗酒に味噌田楽芋の煮ころばしが定番だ。 絵の中は、お馴染み、神田柳下の居酒屋、ひょっとこでござんすね、 ポン吉姉さんが待ってますよ、、 一膳飯屋、煮売り屋、うなぎ屋、鰌屋、そば屋、小料理屋、 飲む場所に苦労はいらないのが江戸の町でござんした。 上方から樽廻船で上方から江戸へ運ばれる下り酒を「下りもの」と言い、 その中でも清酒は灘や伏見が本場であったので人気があり美味で「下り酒」と呼ばれておりました。 関東の地酒は味が落ちるため「下らぬ酒」と言われ、くだらねえの語源になったとか、、 あれ、にぎやかにくだり酒を飲みながら、 くだらねえ話をしてるんでございますか、あっしにも一杯、 笑左衛門
2023年02月10日
コメント(0)

~雑すぎて 筆が泣いてる 長屋の絵 下手な臭いの ぷんぷん画~ へた絵画廊でございまする。 間男さん、不義密通は命を取られても文句は言えねえよ、 それとも、7両2分(江戸の不義密通の解決金の相場)で話をつけましょうか? なに?女は美人局(つつもたせ)だって?、、 夫婦二人、行灯の下静かな夜でございますな、 やることもなくそろそろ、股がもぞもしてまいりましたかな? で、お江戸は子だくさんなのでございまする。 ちょいとおまえさん、 お隣さんではまぐあいが始まりましたよ、 あっふっん、、 うむむ、盗み聞きしてやる気が出たか御新造さん、 ご亭主、おとぼけでござりまするか、、 裏長屋のお隣さんとは間は板一枚でございまして、 音は筒抜けでございますから、屁もご用心でございますよ。 笑左衛門
2023年02月08日
コメント(0)

~へたくそめ 褒めようもない 劣弱画 それでも描くか 忍者が泣くぞ~ 忍者とは影の者にて描いてくれるな 大名屋敷の天井裏、 影に生き影に消えた忍者、忍草シリーズで活躍の忍者でござりまする。 「女」という字は「くノ一」 女忍者のことをくノ一でと申します。 江戸城へ忍び込こむのか伊賀忍者 ~へたくそ画 俺にも描けるぞ カラス啼く~ はて、忍者のお叱りを受けそうな画でございました、笑左衛門
2023年02月06日
コメント(0)

~拙い絵 いい味でてると 褒められる 味だ味だと 魚じゃねえよ~ へた絵画廊でございまする おはなに魔法でもかけられているのか、今日もおはなに魅了されてしまっている。 爺さんはお花をまもってあげたくなるのじゃよ、 ぎゅっと、抱きしめてみたいものじゃ、、、 いつの時代の 爺さんも一緒だね。 まあるくて、ちいさくて、柔らかくて こわれそうで 子供の心に嘘はない、ああ、子供は可愛いものだ、 ~江戸時代 色鉛筆に 歪められ~ へたくそな絵を描いて江戸時代に叱れております。 書き物役同心40年笑左衛門でござりまする
2023年02月04日
コメント(0)

まだ描くか 下手がいいねと 煽てられ ~未熟画も 二日の命じゃ 哀れなり~ 「瓢箪から駒が出てこないかねえ、、」 瓢箪に囲まれた夫婦ものは何を願ってますかな? 秀吉様の馬印でもあった瓢箪は末広がりの縁起物、 無病息災、商売繁盛、子孫繁栄、 瓢箪の中をくりぬき よく干しておいて、水や酒、七味入れなどに 使います。ひさご、ふくべなどとも申しますな。 ~今日は温いのうお筆さん~ ~ええ、心が温ったかい、とってもいい日和ですこと~ ~夕涼み よくぞ男に 生まれける ~ 榎本其角 、夏の夕暮れは贅沢な時じゃのう 笑左衛門
2023年02月02日
コメント(0)
全14件 (14件中 1-14件目)
1
![]()
![]()
