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主人公の「ぼく」こと坂本が、ロサンゼルス・オリンピックにボートの選手として参加するために搭乗する、太平洋を渡る船の上が主たる舞台である。「秋ちゃん」という呼びかけで始まり、主人公は陸上の選手として同船している熊本秋子に淡い恋心を抱いているが、仲間の男たちの冷やかしを受け、秋子も気づくけれど、遂に恋心を伝えるにはいたらない。 田中自身が1932年に経験した事実に基づいた私小説で、2人の間にほとんど何も起こらない純然たる片思い小説である。帰国後、坂本は学生運動をへて結婚するが、「あなたは、いったい、ぼくが好きだったのでしょうか」というつぶやきで終わっている。秋子のモデルは相良八重である。 戦後、田中の小説があまり読まれなくなる中で、新潮文庫に収められて読み継がれた。(文庫案内より)田中英光『オリンポスの果実』(新潮文庫)◎元オリンピック選手が手がけた小説 手元にある『オリンポスの果実』(新潮文庫)は、昭和61年51刷となっています。この作品は、ずいぶん長いこと読まれつづけているのです。元オリンピック選手が手がけた小説は珍しいと思います。田中英光は漕艇(ボート)選手として昭和7(1932)年、ロサンゼルス・オリンピックに出場しました。『オリンポスの果実』は、そのときの実体験をもとにした青春記です。 当時のことですので、ロサンゼルスまではもちろん船旅でした。その船上で主人公は、走り高跳びの女子選手・熊本秋子に恋をします。このあたりのことにふれた記事がありますので、引用させていただきます。(以下はじめ)――師・太宰治の墓前で自ら命を絶った田中英光に『オリンポスの果実』という作品がある。ボートの選手として参加した昭和7年のロサンゼルス五輪での体験をもとにした青春小説だ。かつて胸をときめかせて読んだという方も多いだろう。(中略)ロスまではむろん太平洋の船旅だった。途中でハワイにも寄港している。その船上やオリンピックの会場で主人公は走り高跳びの女子選手に恋をし、外国の選手たちからさまざまな刺激を受ける。そんな話が、まるで潮の香りを感じさせるように叙情的に描かれている。(中略)昭和7年は五・一五事件が起きた年である。前年には満州事変が勃発(ぼっぱつ)している。日本全体に、きな臭く重苦しい空気も漂っていたはずだ。だが選手たちは思いのほか、五輪への旅や異国情緒を楽しんでいたことがわかる。ちなみにこの大会での日本の金メダルは7個だった。(「産経ニュ-ス」2008.7.19ネット 配信より引用おわり)『オリンポスの果実』の主人公は、読んでいていらいらさせられるほどピュアです。「根性」なるニュアンスが皆無なスポーツ小説は、非常に珍しいと思います。 昭和7年のスポーツ界は、どんな状況だったのでしょうか。文庫版あとがきを読んで、愕然としてしまいました。――スポーツというものは何といっても実生活の中で「遊び」に過ぎないのだから、生命を賭けた文学の対象にはなり難い筈のものである。(川上徹太郎「文庫版あとがき」より)◎情けないスポーツ小説 『オリンポスの果実』の冒頭は、印象的な投げかけで滑りだします。(引用はじめ)秋ちゃん。と呼ぶのも、もう可笑(おか)しいようになりました。熊本秋子さん。あなたも、たしか、三十に間近い筈だ。ぼくも同じく、二十八歳。すでに女房を貰い、子供も一人できた。あなたは、九州で、女学校の体操教師をしていると、近頃風の便りにききました。(引用おわり) こうして長々と、一方的な独白がつづけられます。詳細については、ふれないでおきます。主人公はオリンピックに向かうという緊迫感がないまま、ハイジャンパーに恋焦がれます。独りよがりの妄想だけをふくらませ、足はすくんだまま一歩たりとも踏みだせません。 情けないスポーツ小説。それが『オリンポスの果実』なのです。林真理子は、田中英光『オリンポスの果実』を卒論のテーマに選んでいます。林真理子の長編小説『本を読む女』(新潮文庫)の章立てにも、「斜陽」「放浪記」などとならんで、「オリンポスの果実」をとりあげているほどです。林真理子は『林真理子の名作読本』のなかで、つぎのように書いています。 ――「オリムピアへ向かう酩酊」の中で彼は対象は誰でもよかった。ただ恋をしたかったのである。スポーツ青年でありながら文学青年の彼はひとり酔い、ひとり憂いの世界に入っていく。皆に呆れられたり、嫌われたりするのも当たり前だ。最後には彼女からも無視される……と書くと、何の取り柄もない小説のように思えるが、この不器用さこそ、神から祝福され、選ばれたオリンピック選手だと、読者はいたるところで胸を締めつけられるはずだ。(林真理子『林真理子の名作読本』文春文庫より)『オリンポスの果実』を書いた、田中英光に関する論評を紹介したいと思います。元オリンピック選手。共産党員。太宰治の墓前で自殺した人。無頼派。そんな田中英光の一面を、垣間見ることができるでしょう。――『オリンポスの果実』以来『野狐』にいたるまで、かれは、実在のモデルたちを、自由自在に変形し、かれらに、相当の客観性をあたえるという揺るがぬ自信をもっていたようである。したがって、『オリンポスの果実』のような作品をみて、かれを、感傷的な作家のように思い込んでいる読者があるとすれば、それは、いささか性急すぎるというものだ。かれは、感傷的な仮面の背後に、つねにかれのほんとうの顔をかくすことを好んだ。(『花田清輝全集第3巻』より)――最後期の小説にみられる彼は、我がままで、理屈ぬきで、得手勝手で、あばれん坊の甘え子である。ホメるやつなら誰でも好き、苦言は一切嫌い、自分のなかの理性の声にも一切耳をかさない。この点は坂口安吾の晩年と似てみえる。(本多秋五『物語戦後文学史・上巻』岩波現代文庫より) ◎ちょっと寄り道 田中英光の息子であるSF作家・田中光二に、『オリンポスの黄昏』(集英社文庫)という著作があります。絶版になっています。私は単行本(1992年、集英社)で、それを読みました。『オリンポスの黄昏』は小説仕立てで、父親のことを書いた作品です。主人公は田代英二、父親は田代重光とされていますが、赤裸々な自伝といえるでしょう。――私の父親もまた物書きでした。田代重光といって、昭和の文学史にいちおう名前を留めている作家です。いわゆる無頼派作家のひとりで、戦後の混乱期に売り出し、まあいちおう流行作家となったわけですが、その前から酒と睡眠薬に溺れており、女にも溺れていて家族との板挟みになり、煩悩の泥沼地獄をのたうち回るような生活の果てに、師事していた作家の墓前で自殺しました。(『オリンポスの黄昏』P12より) 田中光二のSF小説は、読んだことがありません。しかし『オリンポスの黄昏』は、冷静な筆致がきわだっており、すばらしい著作だと思っています。 田中英光は、太宰の墓前で自殺した作家。または元オリンピック選手の無頼派作家。こんな形容で語られています。しかし日本共産党体験を生々しく描いたという文壇評価のほうが、はるかに勝っています。高価なので入手できないのですが、田中英光には『地下室から』(八雲書店、初出1949年)という作品があります。花田清輝が絶賛しています。本多秋五も著作のなかで、つぎのように書いています。――この小説を読むと、楽屋裏から意地悪くアラさがしばかりしているようでありながら、二・一ストへともり上がってゆく革命運動の基礎部分を、深層の近似値において描いたという感銘を禁じえない。(本多秋五『物語戦後文学史』上巻、岩波現代文庫P300) 本日(2015年11月29日)に角川文庫から『田中英光傑作選』が発売されます。期待していたのですが、残念なことに『地下室から』は所収されていないようです。(山本藤光:2013.07.01初稿、2015.11.29改稿)
2015年11月30日
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loose〔lu:s〕a.(1)緩んだ.(2)ずさんな.(3)だらしのない.…(5)自由な.―英語教師が押した烙印はむしろ少年に生きる勇気を与えた。県下有数の進学校を中退した少年と出産して女子校を退学した少女と生後間もない赤ん坊。三人の暮らしは危うく脆弱なものにみえたが、それは決してママゴトなどではなく、生きることを必死に全うしようとする崇高な人間の営みであった。三島賞受賞。(「BOOK」データベースより)佐伯一麦『ア・ルース・ボーイ』(新潮文庫)◎坂道の途中に立っている 佐伯一麦は、プロフィールを紹介する必要のない作家です。今回取り上げる『ア・ルース・ボーイ』(新潮文庫)は、17歳から18歳までの自伝小説です。主人公「ぼく」(斎木鮮)は17歳の高校生。進学校のなかで、唯一の就職希望者です。英語の教師から「ア・ルース・フィッシュ」(だらしのないやつ)と罵倒され、高校を中退してしまいます。「ぼく」には、ガールフレンドの幹がいました。彼女は女子高を選び、しばらく疎遠になっていました。そんなある日、幹が私生児を出産するという話を耳にします。産院を訪ね歩き、「ぼく」は幹と対面しますが、そのときには梢子という赤ちゃんが生まれていました。「ぼく」は私生児をかかえた、幹と同居します。2人で職安へ行きますが、「高校中退」「子連れ」という理由で、就職先は見つかりません。ある日「ぼく」は、公園の電球交換をしていた沢田さんと出会います。「ぼく」は沢田さんの弟子となります。「ぼく」には5歳のときに、お兄ちゃんと呼んでいた少年から性的暴力をうけたトラウマがあります。また母親から突き放されつづけた、深い心の傷があります。幹とは性的な結びつきがないまま、不安定な家族は生きるために努力をします。 仕事を通じて、少しずつ世間が見えてきます。居場所がなく、だらしない主人公は、「ルース」のもうひとつの意味である「解放された」心境を獲得します。そのうちに幹が失踪します。そして幹は主人公が18歳の誕生日に戻ってきます。「ぼく」ははじめて幹と結ばれます。 エンディングでは、ふたたび幹が消えます。ぼくは仕事をつづけながら、幹の帰りを待ちます。最後に中退した高校体育館の、電気点検をしている「ぼく」がいます。――ぼくは十七、いま、坂道の途中に立っている。 こんな書き出しではじまる『ア・ルース・ボーイ』は、心に突き刺さる言葉の雨に満ちています。中沢けいは冒頭の文章について、つぎのように書いています。――全編に流れる微妙な調整役を果たすのは、冒頭で紹介したような沈黙の表情を描写した短いセンテンスである。感想をさしはさむ余地のない一文が、そこに居るという状態だけを簡潔に告げる。その一文に含まれた沈黙が少年の矛盾した心理を細かく強靭に繋ぐ。(中沢けい『書評・時評・本の話』河出書房新社P142) もうひとつラストについて、書かれた文章があります。紹介させていただきます。――仕事に従事しながら少しずつ現実を受け入れていく主人公の姿が淡々と描かれ、それゆえに自らを解き放った少年の歓喜が直に伝わってくるラストにぼくは感動した。(坂東齢人『バンドーに訊け』本の雑誌社P33)◎現代の私小説作家の代表格 佐伯一麦は1984年、「木を接ぐ」により海燕新人文学賞を受賞しました。「木を接ぐ」は、『ショート・サーキット』(講談社文芸文庫、初出1987)に所収されています。本書にはほかに、初期作品の「端午」「ショート・サーキット」「古河」「木の一族」の4篇が所収されています。 佐伯一麦は、典型的な私小説作家です。『ショート・サーキット』(講談社文芸文庫)は電気工時代の経験と家族が描かれています。そして『ア・ルースボーイ』から6年後に発表された『遠き山に日は落ちて』(集英社文庫)では、仙台での結婚生活が語られています。さらに近作『ノルゲ』(講談社文庫)では妻のノルウェー留学につきあった1年間の生活が描かれています。 私小説を書きはじめた動機にふれたおもしろい対談があります。紹介させていただきます。。――佐伯:『ショート・サーキット』という作品が芥川賞の候補になりまして、ちょうど辻原登さんが「村の名前」で受賞したときです。このとき、あちこちで評が出たんだけど、週刊朝日だったかな、評者が「こんな電気工事の教科書みたいな小説のどこが面白いのか」みたいなことを書いていたんですよ。僕もまだ若かったから、「それじゃあ電気の配線だけで、面白いものを書いてやろうじゃないか」と(笑)、向こう見ずにも思ったところがあったんですよ。(池上冬樹「小説家になりま専科」2014.03.25) 日本の私小説は、田山花袋『蒲団』(新潮文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)が元祖というのが定説です。本稿執筆にあたり、「私(わたくし)小説」の系譜もたどりました。平野謙は「新潮日本文学小辞典」で6ページにおよぶ論評を書いています。島崎藤村も広義では私小説作家になるのでしょうが、そこは「心境小説」というくくりで説明されています。 佐伯一麦は自分と家族をモデルとした、泥臭い私小説作家です。最近では西村賢太(「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作『暗渠の宿』新潮文庫)なども、その範ちゅうに入れられると思います。いずれにせよ佐伯一麦は、現代を代表する私小説作家なのです。 佐伯一麦と古井由吉の往復書簡のなかで、佐伯は私小説を執筆する苦労を次のように書いています。――自分の「私」を書き始めていた頃の一番の難儀は、古井さんが書いておられたように、一篇の作品に没頭する間にも、私の環境が変わり、心境が変わりするので、「私」の口調がまるで安定してくれないという点でした。昨日まで書いたものを読み返すと、すでにその「私」が白々と見えてきてしまう。(古井由吉・佐伯一麦『遠くからの声・往復書簡』新潮社P57-58) 私小説は奥深いものです。(山本藤光:2013.06.11初稿、2015.11.28改稿)
2015年11月29日
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仕事と暮らしにおいて、いつでも幸せを運んできてくれるのは〈人〉である―。「その人の後ろの〈50人〉を意識する」「あえて距離を縮めない」「仕事と車と靴の法則」「行動のエンジンは思索」など、『暮しの手帖』編集長が贈る、あなたの人生を変える仕事術。(「BOOK」データベースより)松浦弥太郎『松浦弥太郎の仕事術』(朝日文庫)◎紙からウェブの世界へ 松浦弥太郎は1965年東京で生まれ、高校中退後に単身で渡米しています。「暮しの手帖」の編集長に就任したのは、2006年40歳になっていからです。本誌は1948(昭和23)年9月に花森安治らによって、季刊『美しい暮しの手帖』として(第1世紀)第1号が創刊されています。 その後松浦弥太郎は、2015年にクックパッドというウェブの会社に移籍し、『くらしのきほん』という媒体を立ち上げます。紙からウェブの世界へということで、大きなニュースとなりました。しかし松浦は「暮しは楽しいんだよ」というコンセプトは同じと心配を一蹴してみせます。――仕事の楽しみは、面倒くさいと思うところにあります。なぜなら、「仕事の愉しみ=結果」と定義してしまえば、常によい結果だけを求めねばならず、そんなことは不可能です。しかしプロセスを楽しむ姿勢があれば、その仕事がうまくいってもいかなくても、ゴールにたどり着くまでの過程で、必ず何かしらの学びと発見があります。(本書P192より) プロセスを楽しむ。松浦弥太郎はさりげなく書いています。これは平凡なことをくりかえしやることに、楽しみを見出すということでもあります。だれもが日々、新たな挑戦をし続けているわけではありません。あたりまえの1日に、ちょっぴりと加工を施す。松浦弥太郎のエッセイは、常に足元に思わぬヒントがあることを教えてくれます。◎感情を照れないで表現「クックパッド」のHPにすてきなインタビュー記事がありました。この感性こそ松浦弥太郎だと思いますので、引いておきます。――「僕は年をとればとるほど初々しくいたいと思っているんですね。そのためにはできるだけ素直でいるということを心がけています。そして感情を照れないで表現する、相手に伝えるということも大事にしているんですよ」 松浦弥太郎の文章は、飾りがなくシンプルです。私は3冊しか読んではいませんが、公園のベンチの陽だまりで読みなくなります。机に向かって読むのではなく、気軽にパラパラめくります。ページから温かな人間味がにじみ出てきます。 仕事を楽しんでいるんだな。暮しを楽しんでいるんだな。いつもほのぼのとした気持ちになります。「くらしのきほん」を覗くと、昔のままの松浦弥太郎がいました。ただし私にはウェブの世界は馴染みません。それゆえ今後も活字の世界でお会いすることになるでしょう。(山本藤光:2015.10.27初稿、2015.11.27改稿)
2015年11月28日
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■小説「どん底塾の3人」021:充実した疲れ 翌朝、加納は会社を休んで「どん底」に駆けつけた。自分の名刺を持って、来店する人たちをじかに見たかったからだ。また、朝食バイキングに、何人くらいくるのかも知りたかった。明日は、加納のポスター効果が表れる。加納はどうしても、亀さんの言葉を確かめてみたかった。 アルバイトの女性が、かいがいしく準備を手伝っている。亀さんはなにもいわずに、厨房から手を振ってみせる。加納も亀さんに手を振り返す。「会社を休んだので、手伝います」「おまえの場合は、特別に許可しよう。大河内と海老原には、絶対にくるなと釘をさしてある」「わたしから携帯メールで、情報提供することにしています」 味噌汁の鍋が運ばれてくる。準備は整った。「よし、開店だ。知美ちゃん、がんばってくれよ」 開店と同時に、背広姿のサラリーマンが入ってきた。あとを追うように、次々とお客さんが入ってくる。――7時15分ついに50食突破。 加納は2人に、メールを送信する。 昼の準備をしているときに、大河内と海老原が顔を見せた。亀さんは、笑って2人に手を上げた。指がVサインの形になっている。「驚きましたよ。82食でしょう。亀さんの予想が、的中しましたね」 大河内は厨房に向かって、声をかける。 「あたぼーよ。昼も戦場になるぞ。おまえたちは、本業に戻れ。こんなところにいたって、1銭の稼ぎにもならん」 昼の開店を待ちかねていたように、お客さんが入ってきた。ほとんどが、仲間といっしょだった。加納の名刺を、差し出すお客さんも多い。大河内と海老原はそれを確かめると、名残惜しそうに店を出た。「インスタント・ラーメンって、こんなにおいしかったのね」「きのうはミソ味を食べたんだけど、きょうは塩味にしたんだ」 お客さんの会話が弾んでいる。加納はうれしかった。自分たちのアイデアが、お客さんに歓迎されている。 午後2時、加納は2人にメールを送信する。充実した疲れが、心地よかった。――最終116食。夜、待っている。※ダントツ営業の知恵 考え抜いて実践するから、心地よい疲れが残る。
2015年11月27日
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1857年6月、発売と同時に検閲にあい、風俗壊乱の罪に問われた『悪の華』は、「きみは新しい戦慄を創造した」とのユゴーの絶賛をはじめ、フローベルなど多くの知友から賞賛された。第二帝政時代のブルジョア社会から忌避され危険視されたボードレールだが、彼の投じた「近代詩」への波紋はヴェルレーヌ、マラルメ、ランボーに、そしてロートレアモンへと拡がり、その後の世界の詩の流れを決定した(「BOOK」データベースより)ボードレール『悪の華』(集英社文庫、安藤元雄訳)◎読者は共犯者のちに一部を引用させていただきますが、冒頭の「読者に」について、次のような解説を引いておきます。――のっけから詩人は、詩集全体を貫く最大のテーマである「悪」を、その具体的諸相のうちに列挙、提示しようとする。しかも、その中でもっともたちの悪い「倦怠」の共有を契機に、読者を、有無をいわせずこれらすべての「悪」の共犯者にしたてあげる。(『世界文学101物語』高橋康也・編、新書館P104)詩を読むのは得意ではない、と思っているかたは多いことと思います。私もそのなかのひとりです。しかしボードレールの詩をはじめて読んだとき、一字一句が心に突き刺さるのを感じました。すさまじい言葉の棘。――恐らく十九世紀文学の最大の情熱の一つである自意識というものをもって実現し、又これによって斃死したボオドレエルは、まさにリボオの言を敢行した天才であった。(小林秀雄「様々なる意匠」、『Xへの手紙』新潮文庫所収P123)引用文中の「リボオの言」とは、次のことをさします。――人体の内部感覚というものは、明瞭には、局部麻酔によって逆説的に知り得るのみだ。(アルマン・リボオ:フランスの心理学)者。松本侑子は、私と同様に詩集を最後まで読んだのは、はじめての体験と書いています。そのうえで、次のようにつづけています。――私に限らず全ての読者は、彼の子供じみた甘えを自分の内にも見出し、彼を赦さずにはおれない。共犯者めいた気分を分かち合わずにはいられない。だからこそ読者は、この詩人に親しみ、彼の耽美的な退廃や物憂い甘さに酔い、おののきながら悪魔的な禁断の楽園に足をふみいれ、つい帰りそびれてしまう。(松本侑子『読書の時間』講談社文庫P209)ボードレール『悪の華』は、物語として読むべきだとの論評もあります。たしかに悪ではじまり、悪でむすばれていますので、そこに何らかの意図があるのかもしれません。本書は醜悪なものの見本市です。しかし並べ方が、なんとも説得力があります。――この詩集には社会通念としての美しいものはなにひとつありません。登場するのは、それこそ煤煙にまみれた労働者であったり、あるいは路上をさ迷うせむしの老婆だったり、売春婦であったり、あるいは外見の華やかさとは裏腹に内面はぶよぶよの、精神が潰瘍状態になったような貴婦人であったり、要するにわたしたちが普通、美しいと思うものの対極にあるような、退廃した、醜悪なものばかりです。◎まったく異なる訳文大学時代に新潮文庫(堀口大學訳)で読んでいました。「標茶六三の文庫で読む400+α」の推薦作としましたので、今回は集英社文庫(安藤元雄訳)で読み直しました。驚きました。まったく訳調がちがっていたのです。冒頭の「読者に」は、最初の数行は諳んじていました。2つの訳文は、出発点からちがっているのです。われらが心を占めるのは、われらが肉を苛むは、暗愚と、過誤と、罪と吝嗇(けち)乞食が虱を飼うようにだからわれらは飼いならす、忘れがたない悔恨を。(新潮文庫、堀口大學訳)愚行、あやまち、罪、出し惜しみ、われらの心を占拠し われらの体をさいなむはこれそこでわれらはおなじみの悔恨どもをかいふとらせる乞食が虱を養っているのと同じこと。(集英社文庫、安藤元雄訳)愚癡(ぐち)、過失、罪業、吝嗇はわれらの精神(こころ)を占領し 肉體を苦しめ、乞食どもが 虱を飼ふごとく、われらは 愛しき悔恨に餌食を興ふ。(岩波文庫、鈴木信太郎訳)愚かさ、誤り、罪、吝嗇は、われらの精神を領し、肉体を苦しめ、われら、身に巣食う愛しい悔恨どもを養うさまは、乞食たち蚤や虱をはぐくむにも似る。(ちくま文庫『ボードレース全詩集1悪の華』阿部良雄訳)もうひとつ紹介させていただきます。ネットに「フランス文学と詩の世界」というサイトがあります。訳者は明らかにされていませんが、こんな訳文が公開されています。愚行と錯誤、罪業と貪欲とが我らを捕らえ 我らの心を虜にする乞食が虱を飼うように我らは悔恨を養い育てるボードレールの詩は、自分の好みの訳文で読まなければなりません。今回は新しい訳文というだけの理由で、集英社文庫を紹介させていただいています。◎ボードレールの「悪」多田道太郎は、朝日新聞社学芸部編『読みなおす一冊』(朝日選書)で『悪の華』を取り上げています。そして第108詩を「ふたり酒」とタイトルをつけて、自ら訳文を掲載しています。「ふたり酒」(多田道太郎訳)きょう、空間は輝きわたる。轡(くつわ)もなく 拍車もなく 鐙(あぶみ)もなくさあ行こうよ 、ワインに 馬のりになって妖精と神の住む大空に向かって「愛し合う二人の酒」(集英社文庫、安藤元雄訳)今日はあたり一面きらきらしている!轡もない、拍車もない、手綱もないが、さあ出発だ 葡萄酒の背にまたがって夢のような神々しい空へ向かって!「愛し合う男女の酒」(新潮文庫、堀口大學訳)今日大空は素晴らしい! 轡(くつわ)も拍車も手綱もなしで酒に跨って出かけよう夢幻と聖(きよ)さの空めざし!(註:本文の「轡」の字は、「行」という漢字のなかに「金」という字がはいります。変換できません)ちなみに他の訳書は、「恋人たちの葡萄酒」(ちくま文庫、阿部良雄訳)、「恋する男女の酒」(岩波文庫、鈴木信太郎訳、註「恋」は旧字で表記)となっています。吉田健一は古さが取り柄のパリと、ボードレールの詩を重ねてみせます。私はボードレールの詩のなかに、「若い狂気」を見ました。それゆえに吉田健一が古いパリの光景を発見したのは、すぐれた眼力だと思いました。――春というのがその人間的で歴史的な意味を具体的に持っているのはパリのような町でマロニエの並木が芽を吹く時である。ボオドレエルの詩の魅力がそこにあり、それがその詩の魅力であることを解るまでには随分掛かった。(吉田健一『書架記』中公文庫P78)最後にボードレールの「悪」について、触れた文章を紹介させていただきます。笑ってしまいました。若いころの宮本輝と父親との会話場面です。――父は、その詩を正確に覚えていたらしいが、<田舎ホテルの窓硝子に 悪魔は 全て灯を消した>のところまで暗礁すると、箸を折り、「日本にいんちき詩人をぎょうさんのさばらせたのは、このボードレールや」と怒ったように言った。そして、どんな分野でも、中途半端が一番良くないといった。「真似事は、結局どれも中途半端なものを生む」と父は言いたかったらしい。(宮本輝『本をつんだ小舟』文春文庫P43)(標茶六三:2013.06.21初稿、2015.11.26改稿)
2015年11月27日
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岩田広一が通う中学に山沢典夫という転校生が入ってきた。典夫はギリシャ彫刻を思わせる美男子なのに加え、成績優秀でスポーツも万能だが、なぞめいた雰囲気を持っていた。ある日とんでもない事件を起こした典夫の秘密とは?’70年代にドラマ化され人気を博したSFジュブナイルの傑作。(「BOOK」データベースより)眉村卓『なぞの転校生』(講談社文庫)◎少年少女向けのSF 眉村卓が少年少女向けに描くジャンルは、もう誰もジュプナイル小説とは呼んでいません。いまはヤングアダルトというほうが通ると思います。とにかく眉村卓は、そのジャンルの先達でした。最近では講談社青い鳥文庫として、4冊が復刊されています。『まぼろしのペンフレンド』『なぞの転校生』『ねらわれた学園』『ねらわれた町』と、懐かしタイトルが揃っています。私は眉村卓の熱烈なファンです。『眉村卓コレクション異世界篇』(全3巻、出版芸術社)を読破しています。眉村卓の初期作品は、文庫のほとんどが絶版状態です。かろうじて双葉文庫『駅と、その町』などを店頭で見かけるくらいです。非常に残念なことだと思います。『なぞの転校生』(講談社文庫)は、角川文庫からも同名で出版されています。2つとも新古書店でもなかなか見つかりません。興味があれば、青い鳥文庫で読んでいただきたいと思います。『なぞの転校生』は、学研の「中二コース」に連載されていました。1965年が連載開始時期であり、SFの草創期にあたります。学習雑誌への連載は好評で、その後路線を延長することになります。 物語の舞台は、大阪の有名進学校・阿南中学2年3組と、主人公・岩田広一の住む阿倍野団地です。隣室に家族が転居してきます。広一は偶然に、そこの少年と鉢合わせします。ギリシア彫刻のように、整った顔立ちでした。 阿南中学2年3組に転入生・山沢典夫がやってきます。何と団地の廊下で、鉢合わせした少年でした。典夫はその美貌に加え、スポーツも万能で、とてつもなく頭のよい少年でした。彼はたちまち、学校の人気者になります。 これ以上ストーリーを追うのはやめます。テレビドラマ化されたときの紹介には、「次元を越えた友情と愛、そして争いとそれぞれの人生」とありました。堪能してください。◎妻に捧げる1日1話 眉村卓の近作に『僕と妻の1778話』(集英社文庫)があります。このショート・ショート集は、がんを告知された妻のために、毎日1作ずつ書き連ねたものです。毎日書くから、毎日読んでもらいたい。そんなやさしい気持ちがあふれた、笑える話がたくさんあります。当時を振り返って、眉村卓は次のように語っています。――病人に読ませるわけですから、「にやりと笑える話」を書こうと決めていて、殺人とか不倫などはテーマから除外していました。だんだんネタに詰まってきますが、1時間も考えればアイデアが浮かびます。そして、書いている間は、家内の病気のことなども頭からなくなって、単なる物書きになるんですよ。書くことを苦痛だと思ったことは一度もありませんでした。娘も「お父さんは、書いている間は逃避できたのかもしれないね」と言っていました。 (2011年8月25日 読売新聞) 眉村卓は1934年生まれですので、『なぞの転校生』の執筆は30歳を過ぎてからです。記憶にはないのですが、私の中学、高校時代に、未知なる世界を見せてくれていたのでしょう。(山本藤光:2011.04.26初稿、2015.11.25改稿)
2015年11月26日
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複雑な精神病理の形をとり発現する心の叫び!これが人格の病なのか…実際の医療カウンセリング業界における数多くの事例をもとに、巧みな場面展開と本物のディテールで描ききったサイコ・サスペンス長編。(「BOOK」データベースより)松岡圭祐『催眠』(小学館文庫)◎集団催眠の世界記録保持者 松岡圭祐が売れています。「千里眼」「万能鑑定士Q」など、次々とシリーズを連ねています。とても全作品を追いかけられないので、各シリーズの第1作だけ読んでみました。松岡圭祐との出会いは、デビュー作『催眠』(小学館、初出1997年)を出版社から寄贈されて以来です。当時私はPHPメルマガ「ブックチェイス」で、毎週現代文学の書評を担当していました。 もちろん松岡圭祐の名前は、知りませんでした。『催眠』を読んで、実力派のパワフルな新人登場と感激しました。すぐに書評を発信しました。「催眠術プロのデビュ作『催眠』はすごい」という見出しをつけました。読者から指摘がありました。『催眠』は小説のデビュー作だけれど、真のデビュー作ではないとのことでした。 調べてみました。なるほど「催眠術」関連の本を、すでに出版していたのです。『催眠術バイブル - 他人を操る驚異のテクニック』(にちぶん文庫、初出1995 年)『松岡圭祐の催眠絵本 ダイエット - 眺めるだけで、やせる! 』 (同文書院、1996年) その後に出版された『驚異の催眠ダイエット・読むだけでやせる』(KKベストセラーズ、初出1998年)には、集団催眠の世界記録保持者として「ギネスブック」に載っていると書かれていました。◎専門家が物語を引っ張る『催眠』の主人公・実相寺は、いい加減な催眠術師です。占い師プロダクションに所属し、給料をもらっています。いろいろな占いが軒を連ねて、客を待っている図を想像していただければよいと思います。 物語は実相寺がテレビ番組に、出演するところから幕があがります。相手はNHKの連続ドラマで人気者となった、国民的美少女でした。ところが一向に催眠術がかかりません。 打ちひしがれて職場に戻った主人公のもとへ、入江由香という女が訪ねてきます。女は猿にかけられた催眠術を、解いてほしいといいます。 実相寺のことは、さきほどのテレビで知ったと告げました。催眠術を解きにかかった実相寺の目前で、入江由香は突然人格を変えて宇宙人になります。実相寺は演技だと、誤解します。やがて由香は催眠から覚めて、実相寺の呼びかけに応えます。――「入江さん?」女は驚いたようすできいた。「入江って、だれ?」/「あなたが自分で名のったじゃないですか。入江由香」/「はあ? なにいってんの。わたしは理恵子。由香なんて知らないわ」(本文より) 入江由香は、様々な超能力をもっています。ジャンケンは絶対に負けませんし、透視の能力もあります。ときには理恵子となり、ときには宇宙人として声を発します。 いつの間にか入江由香は、占い師として評価されるようになります。この作品の優れた点は、「東京カウンセリング心理センター」の存在にあります。そこに勤務する催眠療法科長・嵯峨は、ひょんなことから入江由香を知ります。 嵯峨は由香を多重人格障害とみなし、何とか救おうとします。この他にもセンターの部長・倉石、催眠療法科カウンセラーの朝比奈宏美、嵯峨と同期の鹿内管理科長、そして赤戸病院・脳神経外科医長の根岸知加子などの、専門家が物語を引っ張ります。 本書が成功しているのは、それぞれの道における専門家の意見や推察を、ていねいに書きこんでいる点にあります。松岡圭祐は頼りない主人公を、バラエティに富んだ脇役で固めます。 殺人が起こらないサスペンス小説で、これほどまでの緊張感を持続できる著者の実力は本物です。855枚の長編とは思えないほど、一気に読んでしまいました。とてつもなくスケールの大きな新人が誕生しました。 これが小説のデビュー作での書評です。売れっ子作家・松岡圭祐の誕生の作品を、ぜひ忘れないでください。(山本藤光:1999.05.15初稿、2015.11.24改稿)
2015年11月25日
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啄木の処女歌集であり「我を愛する歌」で始まる『一握の砂』は、甘い抒情にのった自己哀惜の歌を多く含み、第二歌集の『悲しき玩具』は、切迫した生活感情を、虚無的な暗さを伴って吐露したものを多く含む。貧困と孤独にあえぎながらも、文学への情熱を失わず、歌壇に新風を吹きこんだ啄木の代表作を、彼の最もよき理解者であり、同郷の友でもある金田一氏の編集によって収める。(内容紹介より)石川啄木『一握の砂』(新潮文庫)◎天才・石川啄木の足跡 世界規模で石川啄木をとらえた、ユニークな論文から紹介をはじめます。同時代の作家を見比べたもので、私は強く心を打たれました。――たしかにゲーテに照応しうる詩人、バイロンに比定できる詩人は日本にはいない。だが、啄木に相当する詩人、牧水、晶子にあたる詩人もまた西洋には見当たらず、冷静な目で世界の文芸と明治の文芸を読み比べれば、優劣を論ずることが虚しくなるほど、双方の秀れた詩人たちの達成は独立した価値をもっている。(草壁焔太『石川啄木・「天才」の自己形成』講談社現代新書P9) 石川啄木の歌は、とにかくわかりやすいのが特徴です。考えこむ必要はなく、スラスラと先へ先へと読むことができます。啄木は日常の一場面を、照射してみせる天才です。心のなかの悲しみを、すくい上げる天才です。もうひとつだけ、石川啄木のことに触れた文章を引かせていただきます。――現状への憤怒と語るに値しない自己の真実とを語る結果とはなった。現実の壁に閉ざされた卑小なる自己と、かかる現実を基盤に生ずる短歌とへの見下しが、自尊心の壁をやぶって赤裸の自己告白となったのです。(註:引用文中「語るに値しない自己」には傍点がついています)(明快案内シリーズ『明治の名著2』自由国民社P189-190) 後段の都合もあり、少しだけ石川啄木の足跡をたどってみたいと思います。1886(明治19)年:岩手県で生まれる。生後すぐに一家は、北岩手郡渋民村に移る。1899(明治32)年、13歳:岩手県盛岡尋常中学校時代に、盛岡女学校の堀合節子と初恋。翌年から「明星」を愛読。1902(明治35)年、16歳:中学校を退学。上京。短歌をはじめる。与謝野鉄幹・晶子を訪問。1904(明治37)年、18歳:堀合節子と婚約。「明星」に詩歌を発表。1905(明治38)年、19歳:処女詩集「あこがれ」刊行。堀合節子と結婚。1906(明治39)年、20歳:渋民村に戻る。渋民尋常高等小学校の代用教員となる。1907(明治40)年、21歳:函館に到着。函館商業会議所の臨時雇いとなる。函館へ妻子、老母らを迎える。生活困窮。札幌から小樽へと転々。1908(明治41)年、22歳:1月釧路新聞社へ入社。4月函館へ。5月家族を函館に残し上京。翌年本郷に家族を迎える。1910(明治43)年、24歳:『一握の砂』刊行1912(明治45)年、26歳:死去。死去後に『悲しき玩具』刊行。◎釧路と石川啄木の歌碑 本稿を執筆するにあたり、石川啄木関連の資料を書棚から選び出しました。驚きました。石川啄木関連18冊と、『一握の砂』の資料が10冊ありました。1か月を要して、机の上に積まれた山を読破しました。漂白の歌人・石川啄木に迫ってみたいと思います。 前記のとおり、石川啄木は1886(明治19)年に生まれ、26歳の若さでその生涯を閉じています。1908(明治41)年、22歳のときに4カ月ほど釧路で生活をしています。釧路にはおびただしい数の、石川啄木の歌碑があります。「啄木歌碑マップ」(釧路市観光振興室・制作)を見ながら、25の歌碑をめぐることができます。釧路駅から幣舞橋を越えて右に曲がると、すぐのところに啄木像があります。そこでは第1番の歌碑がむかえてくれます。――浪淘沙ながくも声をふるはせてうたふがごとき旅なりしかな 大好きな歌は第9番で見つけました。啄木ゆめ公園のなかにありました。私は釧路の共栄小学校へ入学しています。そのときには、この歌をそらんじることができました。――さいはての駅に下り立ち雪あかりさびしき町にあゆみ入りにき そしてもうひとつの有名な歌碑には、12か所目でめぐりあえました。米町ふるさと館のそばにありました。――しらしらと氷かがやき千鳥なく釧路の海の冬の月かな この歌も小学校の授業で、暗唱させられました。意味はわからないまま、いまでも釧路へ行くたびに口をついて出ます。釧路へは同窓会で、毎年行っています。◎函館と石川啄木 函館に「石川啄木記念館」がオープンしたのは、1999年です。函館は啄木がもっとも愛した町、として知られています。有名な観光地・立待岬に石川啄木一族の墓所があります。そこには石川啄木の処女歌集『一握の砂』のなかの、有名な歌が刻まれています。――東海の小島の磯の白砂にわれ泣なきぬれて蟹とたはむる この歌の深い読み方を、示唆している文章があります。紹介させていただきます。――日本を「東海の小島」に見立て、「磯」には峻厳なたゆみない人間活動を、「白砂」には苛酷な生存競争の坩堝(るつぼ)である都会生活の場を暗示し、「われ泣きぬれて」に峻厳苛酷な人生の活機に直面して、現実の苦痛に泣かねばならぬこと多い己の引き裂かれた心情を示し、「蟹」には玩具としての短歌を、「たわむる」に短歌の虐使によって瞬時の快を覚える心情を表現している。(明快案内シリーズ『明治の名著2』自由国民社P191) 明治40年、21歳の石川啄木は、――石をもて追はるるごとくふるさとを出しかなしみ消ゆる時なしの心境で函館にやってきます。しかし生活は困窮し、商業会議所の臨時雇いになったり、小学校の代用教員をしたりします。そして函館青柳町に妻子、老母、妹みつこを迎えます。そのときの心境を読んだ歌は函館公園のなかにあります。――函館の青柳町こそかなしけれ友の恋歌矢ぐるまの花 函館については、木原直彦『文学散歩・名作の中の北海道』(北海道新聞社)を参考にさせていただきました。また函館「啄木浪漫館」では、次の歌碑が待っていてくれます。――砂山の砂に腹這い初恋のいたみを遠くおもひ出づる日 私は釧路は歩きぬきましたが、函館は友人の車で案内してもらいました。浜風のなかに生臭い匂いがあり、いくつもの歌が浮かび上がってきました。 北海道で石川啄木が詠ったのは、いずれも即興歌ではありません。その点にふれた文章を紹介させていただきます。――啄木研究家、岩城之徳氏のよると、すべての歌が東京時代の作品であるということであって、そのことは、この歌集を味わううえに極めて重要な示唆をふくんでいる。「煙」の中の故郷を詠んだ歌や、「忘れがたき人人」の北海道のことを詠んだ歌も、すべてが思い出を歌ったものであることがあきらかだったからである。(佐古純一郎『青春の必読書』旺文社新書P129)◎その他の啄木の歌碑 そのほか、私の好きな歌をならべてみたいと思います。カッコ歌碑の所在地です。――たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず(岩手県八幡平市平舘・平舘駅前に歌碑)――はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る――ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく(東京都台東区上野・JR新幹線上野駅コンコースに歌碑)――ふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな(岩手県盛岡市本宮・盛岡先人記念館に歌碑) ドナルド・キーンは著作のなかで、何度も石川啄木に言及しています。私はほとんどを『ドナルド・キーン著作集』で読みました。ドナルド・キーンは啄木を早熟な文学者である、と書いています。啄木に『ローマ字日記』という著作があります。キーンは自著『日本語の美』(中公文庫)のなかで、長文の論評を書いています。おもしろい記述がありますので、紹介させていただきます。――啄木の思想には一貫性がありません。子供っぽいとしかいえないような発言が多数あります。責任を負うことを嫌ったので家族をなかなか東京へ呼ぶことができなかった。そればかりでなく、しきりに結婚という制度そのものを攻撃していました。愛情に束縛されたくなかったと思っていた。自分を愛する人を裏切りたくなりました。何という複雑な人物、何という現代的な人物なのでしょう。(ドナルド・キーン『日本語の美』中公文庫P130 石川啄木は、「悲しい」歌を数多く残しました。そんな啄木との出会いを、13歳のころを振り返って、萩原葉子は次のように書いています。――私はもう夢中になっていた。啄木の詩の世界に、飢えた心の私は救われたのであった。こんなに悲しい心の中をじっと抱いている人が、いたのか? とまるで親友にでも出会ったような救いを覚えたのだった。(萩原葉子、扇屋正造編『一冊の本』PHP文庫P128) 萩原葉子と同様に、畑山博も青春の1冊のなかで『一握の砂』をあげています。畑山博は宮沢賢治やサン・テグジュベリに傾倒している作家です。その畑山博は、宮沢賢治と比べて、石川啄木について次のように書いています。――啄木もまた、何かを守るために生涯をかけて闘った文学者の一人だった。でもその守るものが希望ではなく、過ぎた時間への郷愁だった。(畑山博、文藝春秋編『青春の一冊』文春文庫プラスP97-98) 悲しいことがあったとき、そっと開いてみたい歌集。それが『一握の砂』であり、『悲しい玩具』なのです。(山本藤光:2012.04.14初稿、2015.11.23改稿)
2015年11月24日
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アメリカ南部の大農園「タラ」に生まれたスカーレット・オハラは16歳。輝くような若さと美しさを満喫し、激しい気性だが言い寄る男には事欠かなかった。しかし、想いを寄せるアシュリがメラニーと結婚すると聞いて自棄になり、別の男と結婚したのも束の間、南北戦争が勃発。スカーレットの怒涛の人生が幕を開ける―。小説・映画で世界を席巻した永遠のベストセラーが新訳で蘇る! (「BOOK」データベースより)マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』(全5巻、新潮文庫、鴻巣友季子訳)◎黒人だけが南部訛り?マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』(全5巻、新潮文庫)は、以前に大久保康雄・竹内道之助・訳で読んでいました。今回鴻巣友季子訳が出ましたので、読み直してみました。鴻巣友季子は『全身翻訳家』(ちくま文庫)や『本の寄り道』(河出書房新社)を発表している、馴染みの翻訳家です。新潮文庫『風と共に去りぬ』(大久保康雄・竹内道之助・訳)を読んだ後に、青木富貴子『「風と共に去りぬ」のアメリカ』(岩波新書)を読みました。こんなことが書いてあります。――英語の原書には黒人の会話だけが、南部奴隷訛りの形でつづられている。白人は全員、今日ふうのきちんとした英語を使っているのに、黒人の英語だけに強い訛りがあるというのは、考えてみれば不自然なことである。当時は南部白人もかなり強い南部訛りをもっていたはずであり、文字の読めなかった黒人は白人の英語を耳で覚えてそう発音していたに違いない。(青木富貴子『「風と共に去りぬ」のアメリカ』岩波新書P67)ずっと気になっていました。原書は読めないので、翻訳文に何の疑問ももっていませんでした。新訳版(鴻巣友季子訳)を読んでみたいと思ったのは、そのあたりの訳文の違いへの興味でした。新潮文庫の新旧訳を読み比べてみました。基本的にはどちらも同じです。白人と黒人を区別するには、このほうが適切と判断しているのでしょう。同じ言葉では、読者は混乱してしまうと考えてのことだと思います。――ブレントは、蔵の上からふりかえり、黒人の馬丁をよんだ。「ジームズ!」「へえ」「おまえは、おれたちがスカーレットさんに話したことを聞いただろう?」「いいえ、プレントさま。おいらが白人の話を盗みぎきするとでも思っとらっしゃるかね?」(大久保康雄・竹内道之助訳P21-22)グレントは馬上で身をひねり、黒人の従僕を呼びつけた。「ヒームズ!」「へい?」「スカーレットさんとおれたちの話は聞いてたろう?」「いや、聞いてねっす、プレントさん。なんでおいらが白人さんたちのことテエサツするなんて思うだ」(鴻巣友季子訳)「標茶六三の文庫で読む400+α」では、ストゥ『アンクル・トムの小屋』(河出文庫、丸谷才一訳)を紹介しています。丸谷才一訳では、主人公のトムのせりふは白人と同じものになっています。アンクルトムと幼女エバの会話を拾ってみます。「でも、アンクル・トムは、どこへ行くの?」「わたしには、わからないんですよ。エバお嬢さん」「わからない?」「はい。だれかに、売られるんですよ。だれが買うのか、わかりません」(ストゥ『アンクル・トムの小屋』河出文庫、丸谷才一訳P162-163)奴隷を扱った小説は、たくさんあります。訳者がどのようなせりふを用いているかを知るのも、読書の楽しみのひとつです。◎逆上したスカーレット『風と共に去りぬ』はミッチェルが生前に発表した、唯一の長編小説です。ミッチェルは49歳のときに、自動車事故で死去しています。主人公のスカーレット・オハラは、アメリカ南部アトランタで農園主の娘として生まれました。魅力的なスカーレットは、青年たちのあこがれのまとです。スカーレットは、教養のあるアシュリに恋をします。しかしアシュリは、従妹のメラニーと婚約します。逆上したスカーレットは、メラニーの兄チャールズと結婚します。彼はアシュレの妹の恋人でした。しかしチャールズは、南北戦争に出征して戦死してしまいます。幼い男児を抱えたスカーレットは、アトランタにあるアシュリの伯母の家に身を寄せます。アシュリへの思慕は、いまだに消えることはありません。ところがこの町も、戦火にのみこまれてしまいます。スカーレットは、レット・バトラーに助けられて故郷・タラへと戻ります。母親は死んでおり、父親は廃人になっていました。生活のためスカーレットは、材木商と再婚します。しかし材木商は事業に失敗し、やがて死亡します。スカーレットは以前に助けられた、レット・バトラーと3度めの結婚をします。レットと結婚して、スカーレットはアシュリへの愛は幻影だったことに気づきます。しかしレットは、自分はアシュリの代替物だったと悟り、スカーレットのもとを去ります。◎16歳の自分を取り戻す『風と共に去りぬ』は、南北戦争をはさんだ16歳の勝気な少女の愛の物語です。アシュリへのあてつけのために、最初の結婚をし、生活のために2度目の結婚をします。ずっとアシュリへの深い愛を意識していたスカーレットは、ある日それが幻影だったことに気づきます。3度目の結婚相手のレットは、戦争は金儲けの手段と豪語する男です。スカーレットは彼を軽蔑しながら、利用していました。レットはなんとしてでも、スカールッとの真の愛を得たいと願っていました。しかし、彼女は一向に心を開いてくれません。そして娘のポニーが事故死し、アシュリの妻になったメラニーっが流産のすえに世を去ります。さらに、レットはスカールットの心に巣食っているアシュリの存在を、排除できないと悟ります。レットまで消えてしまったのです。そして最後には、悲痛な言葉が残されます。――スカーレットは毅然と顔をあげた。レットはきっととりもどせる。とりもどせるに決まっている。そうと決めたら、ものにできない男なんていなかった。「とりあえず、なんでもあした、<タラ>で考えればいいのよ。明日になれば、耐えられる。明日になれば、レットをとりもどす方法だって思いつく。だって、あしたは今日とは別の日だから」(新潮文庫、鴻巣友季子訳、第5巻P511-512)すばらしいエンディングです。絶望のふちで、スカーレットは16歳の自分を取り戻したのです。新潮文庫新装版は、旧版よりも活字が大きくなっていました。もちろん鴻巣友季子の名訳も光っていますが、老年期の読者にとって大きい活字はありがたいものです。1ページの文字数を数えてみました。旧版:1行43字で19行新版:1行38字で16行◎「……でござえますだ」式の言い回し新潮文庫の旧訳について、斎藤美奈子は次のような感想を書いています。――黒人差別が露骨だとして近年では批判も浴びた小説。日本語訳では乳母マミーが話す「……でござえますだ」式の言い回しが気にかかる。それでも全五巻、飽きさせないのがすごい。(斎藤美奈子『名作うしろ読み』中央公論新社P87)乳母マミーの言い回しを比較してみたいと思います。「あの紳士たちは、もうお帰りかね? なぜ夕食におさそいしなかっただかね。スカーレット嬢さま?」(大久保康雄・竹内道之助訳、第1巻P41)「おや、旦那さんがたはお帰りですか? なんでまた、夕食までお引き留めしなかったんです、スカーレット嬢さん?」(鴻巣友季子訳、第1巻P52)斎藤美奈子さん、もうすっかり改められているだがさ。(標茶六三:2013.12.08初稿、2015.11.22改稿)
2015年11月23日
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青春の憧憬と疼痛、野心と叛逆を謳い、地上の人間界の不正と堕落と横暴に対し、未だ地に潜む若き意志が痛憤に満ちて闘いを宣言する。近代日本文学史上に閃光を放った果敢なる青春の文学。(「MARC」データベースより)島田清次郎『地上・地に潜むもの』(青空文庫/季節社)◎『地上』は自伝小説である「島清恋愛文学賞」をご存知でしょうか。これは島田清次郎の出身地である石川県石川郡美川町が、合併40周年を記念して制定したものです。もちろん「島清」は、島田清次郎の名前からつけられたものです。 第1回は1994年に、高樹のぶ子『蔦燃』(講談社文庫)が受賞しました。最近では第21回(2015年)で、島本理生『Red』(中央公論新社)が受賞しています。 島田清次郎の作品でかろうじて入手(アマゾン古書で5千円ほど)できるのは、『地上・地に潜むもの』(1995年復刊、季節社)だけです。最近、青空文庫で無料ダウンロードできるようになりました。そこで改めてご紹介させていただくことにしました。『地上』は発売と同時に、ベストセラーになりました。時の評論家たち(長谷川如是閑、徳富蘇峰、境利彦ら)がこぞって激賞し、島田清次郎の文壇的な地位は確立されました。島田清次郎が20歳のときのことです。 島田清次郎の生い立ちについて、紹介しておきたいと思います。『地上』は自伝小説です。これから紹介する内容は、ほとんど『地上』のストーリーと重なります。 ――1899年石川県に生まれる。早くから父を失い、家は没落。祖父や伯父をたよって金沢中、金沢商業に籍をおいたが、性来の覇気と過激な言動のため停学となり、以降放浪生活にはいる。この間、早熟な才能を育てあげ、精神界の王者たらんとし、われ天才なりという信念をいだきつづけた。(「新潮日本文学小辞典」より) 20歳のときに書いた『地上』は、本来これで完結しているはずでした。ところが思いがけず売上がよく、勢いにのって続編を次々と発表します。しかし続編は一般人気とは裏腹に、文壇ではまったく評価されませんでした。このころから、島田清次郎の精神は変調のきざしを見せはじめています。 その後、陸軍少将令嬢との恋愛事件をきっかけに、彼の人気は急落します。令嬢を誘拐、監禁、凌辱したと告訴されたのです。結局は相手側にも責任があったということで、告訴は取り下げられます。この事件によって島田清次郎は、文壇からも読者から無視されてしまいます。◎天才と狂人の間 島田清次郎を知ったのは、1994年発行の河出文庫、杉森久英『天才と狂人の間・島田清次郎の生涯』を読んでからです。杉森久英はこの作品で、直木賞を受賞しています。私はそれまで島田清次郎を、まったく知りませんでした。 私は『天才と狂人の間・島田清次郎の生涯』の帯に、魅せられたのです。「直木賞受賞の傑作伝記小説/20歳のデビューから僅か数年で凋落した男/自分を天才と信じ込んだ男の悲しい悲劇!」と大書されていました。 天才ってどんな人のことなのだろう。そのひとが凋落するのはなぜなのだろう。そんな興味から古書店で探しはじめました。まだアマゾンなどネット古書のない時代です。 そんなときに黒岩比佐子のブログで、「島田清次郎『地上』を入手」の文章を見ました。黒岩比佐子は、彼女のデビュー当時からのメールともだちです。会社の同僚が「ともだちが書いた」と、『音のない記憶・ろうあの写真家・井上孝治』(角川ソフィア文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)を紹介してくれたのです。残念ながら黒岩比佐子は、病のために他界しています。 ある日、近所の図書館で『地上』を発見しました。図書館で小説のコーナーを見ることはありませんでした。図書館ではいつも文学評論、社会史、歴史などの棚を中心に、書店で入手できない本を探していました。ふらっと立ち寄った「日本文学・さ行の作家」の棚に、天才が書いた『地上』があったのです。人なつっこい黒岩比佐子の顔が浮かんできました。◎政治家になる、偉くなる『地上』の主人公・大河平一郎は、金沢の町外れに住む中学5年生です。父親はなく母親と2人で、貸家の2階に間借りしています。収入は母親の仕立物の賃料だけで、生活はきわめて困窮しています。貧しさのどん底で、平一郎は「貧者を救う政治家になる」と公言していました。 彼の反抗的な態度は、校長や教師から目の敵にされていました。平一郎は社長令嬢の吉倉和歌子に、恋心をいだきます。平一郎は恋文を和歌子に送ります。「貧乏である」「政治家になる」「偉くなる」など、平一郎の熱い思いを、和歌子は受けとめてくれます。 しかし和歌子は東京へ嫁ぐことになり、平一郎から引き離されます。やがて平一郎親子は、芸娼紹介業・春風楼の2階に居を移します。そこに身売りされ非道なあつかいを受けた、お冬が飛びこんできます。母親のお光は取り乱したお冬を,娘のように慰めます。 時はめぐり、お冬は一流の芸妓になります。その間も母・お光は、わが子のようにお冬の心の支えになりつづけます。平一郎は母親の不幸、自分たちの愛を引き裂かれた和歌子の無念、貧乏なために身売りされたお冬の生い立ちのなかから、世の中のゆがみを感じていました。 お冬が日本有数の実業家に見そめられ、東京に妾宅をかまえてもらうことになりました。実業家の名前は天野栄介。平一郎の母・お光は双子の姉妹でした。天野栄介は、結婚間近のお光の姉・綾子を手ごめにした男でした。 ここから先は、紹介しないほうがいいと思います。『地上』は壮絶な男女の、あるいは富める者と貧しき者の、そして現実と夢が交錯した人間ドラマです。天才時代の島田清次郎が描いた自らの人生は、安穏と暮らす私たちに「生きる」意味を教えてくれます。 島田清次郎は早くに父を亡くし、茶屋街で貸座敷を営む金沢の母の実家に移ります。そこでいやいや客をとる女性、働かない政治家や官僚の姿を目のあたりにします。中学時代から教師に反抗するようになり、13歳のときに自殺未遂もおかします。25歳で精神分裂病で入院。それこそ「天才と狂人の間」を足早に駆けぬけたのが、島田清次郎でした。 2013年に風野春樹『島田清次郎 誰にも愛されなかった男』(本の雑誌社)が出ました。大型書店の棚で、いまだに発見できないままですが。(山本藤光:2010.01.14初稿、2015.11.21改稿)
2015年11月22日
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仕事にも恋にも疲れ、都会を離れた美容師の明里。引っ越し先の、子供の頃に少しだけ過ごした思い出の商店街で奇妙なプレートを飾った店を見つける。実は時計店だったそこを営む青年と知り合い、商店街で起こるちょっぴり不思議な事件に巻き込まれるうち、彼に惹かれてゆくが、明里は、ある秘密を抱えていて…。どこか懐かしい商店街が舞台の、心を癒やす連作短編集。(「BOOK」データベースより)谷瑞恵『思い出のとき修理します』(集英社文庫)◎シャッター街の小説 主人公の仁科明里28歳は、大手チェーン美容室に勤務していた美容師でした。職場の恋人の裏切りに合い失意のもとに、むかし過ごしたことのある田舎へと転居してきます。たまたま明里が小学生低学年のときに、2度ほど泊りにきたことのあるヘアーサロン由井が、賃貸に出ていたのです。 そこは津雲神社通り商店街の中にあり、斜め向かいには飯田時計店があります。津雲神社通り商店街は、駅前の開発が進み、おいてきぼりになった寂れたところです。ほとんどの店は、シャッターを下ろしています。 飯田時計店は2代目の秀司が、営業をしています。しかし小売りはしておらず、もっぱら修理を専門にしています。この店のショ-ウィンドーには、祖父の代から飾られているプレートがあります。そこには「おもいでの時 修理します」と銀文字で刻まれています。本当は「時計修理します」だったのですが、子供のいたずらで「計」の文字を失ってしまったのです。祖父はそのまま、飾りつづけていました。 谷瑞恵は、ライトノベルの作家でした。本書は一般向けに書いた、初めての作品です。それが大ヒットしました。何となく癒されるほのぼのとした作品。『思い出のとき修理します』(集英社文庫)は、片田舎の小さな物語です。 そのあたりについて、著者自身のインタビュー記事を紹介させていただきます。――コバルト文庫でずっと長編シリーズを書いてきたので、頭を切り替えて違うものを書いてみたくなって、それで一般向けのお話を書いてみたい、こんなのはどうでしょう、と文庫編集部さんに相談したら書かせてもらえることになりまして。(『ダ・ヴィンチ』2013年11月号より) 祖父の年代からある、プレートの文字に違和感がありました。「おもいで」ではなく、「おもひで」としてもらいたかったと思いました。父親ではなく、祖父が置いたプレートです。 主な登場人物は、時計店の飯田秀司と津雲神社の息子の太一だけです。ストーリーはわかりやすく、披露するまでもありません。『思い出のとき修理します』は、現在シリーズ3冊まで文庫出版されています。第3作は膨らみの少ない、パンのようです。発酵時間が不足しているのかもしれません。したがって推薦作は、第1作に限定させていただいています。 シャッター通り商店街なので、賑わいがないのは仕方がありません。私がシリーズ第2作『思い出のとき修理します2・明日を動かす歯車』(集英社文庫)を手にしたのは、ガラガラとシャッターが開く音を聞きたかったからです。ねじめ正一『高円寺純情商店街』(新潮文庫)のような、賑わいの兆しを求めていたのです。ところが期待は裏切られました。 仕方がないかな、と思います。谷瑞恵が描きたかったのは、商店街ではなく若い2人の主人公だったのですから。谷瑞恵は現在、「異人館画廊」シリーズ(集英社文庫)を発表しています。まだ第1作しか読んでいませんので、断言はできません。ただし「思い出の時」シリーズよりも、ずっと手ごたえを感じています。(山本藤光:2015.05.07初校、2015.11.20改稿)
2015年11月21日
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日本最古の物語にして成立年、作者ともに不詳という謎につつまれた古典の名作を、人気古典エッセイスト大塚ひかりが全訳。いきいきと躍動する現代語が作品の魅力を現在に呼び覚ます。姫の犯した罪とは? 作者は誰なのか? 作品にまつわる数々の謎に迫る解説も必見。古典世界をさらに楽しむための珠玉のエッセイを厳選収録。(「BOOK」データベースより)大塚ひかり『竹取物語・ひかりナビで読む』(文春文庫)◎川端康成・星新一・大庭みな子・田辺聖子 本稿を書くにあたり、書棚から『竹取物語』を抜き出してきました。文庫だけをならべてみます。♦角川書店編『竹取物語・ビギナーズ・クラシックス日本の古典』(角川ソフィア文庫)♦川端康成『現代語訳・竹取物語』(河出文庫)♦川端康成『現代語訳・竹取物語』(新潮文庫)♦大庭みな子『竹取物語/伊勢物語』(集英社文庫)♦田辺聖子『竹取物語/伊勢物語』(集英社文庫)♦星新一『竹取物語』(角川文庫)♦脚本・高畑勲・坂口理子『かぐや姫の物語』(角川文庫)♦大塚ひかり『ひかりナビで読む竹取物語』(文春文庫) このなかから『竹取物語』のナビゲーターとして、大塚ひかりのものを選ぶことにしました。大塚ひかり『ひかりナビで読む竹取物語』(文春文庫)は、寝転がってでも読むことができます。実に楽しい1冊です。 大塚ひかりは若手の日本古典エッセイストとして、幅広い活躍をしています。またブログ「ポポ手日記・相も変わらず恥ずかしい人生。でも案外楽しい」を公開しています。おもしろいので、ぜひアクセスしてみてください。『ひかりナビで読む竹取物語』の楽しさは、逐語訳にそえられた解説にあります。解説は、〇のなかに「ひ」といれた記号で、紹介されています。逐語訳の意味は次のとおりです。 逐語訳:(文脈を無視して)原文の一語一語を機械的に解釈・翻訳などすること(三省堂『新明解国語辞典』)『竹取物語』には、しばしば掛け言葉が用いられています。それをいかに訳すのかが、訳者の腕の見せどころになります。◎掛け言葉をいかに訳するのか 冒頭の文章に秘められた、掛け言葉の部分を比較してみたいと思います。お爺さんは光っている竹を発見します。中をのぞいてみると、小さな女の子がいました。お爺さんはその子を連れてかえります。そのあとの展開を並べてみます。【角川ソフィア文庫・古文】 手にうち入れて家へ持ちて来ぬ。妻の嫗(おうな)に預けて養はす。美しきことかぎりなし。いとおさなければ籠(こ)に入れて養ふ。【角川ソフィア文庫・口語文】 手のひらに、そっと包みこむようにして、わが家につれて帰った。さっそく、妻のばあさんにわけを話して、二人でたいせつに育てた。まったく、その子のかわいらしさといったら、たとえようがない。ただ、体があまりに小さかったので、竹の籠に入れて育てた。【川端康成訳】 その子を手の中に入れて家へ帰った。――翁が今ここで「そなたはわしの子になるべき人じゃ。」と云ったのは、その「子」というのを「籠」(こ)に掛けてあるのである。元来爺さんの職業は野山には入って竹を取ってその竹から籠などを作るので、その竹を取りに行って、「籠」(こ)ならぬ「子」を見附けたというわけである。――爺さんはそれを婆さんにあずけて育てさせた。ところがその子の美しいこと――なにぶんにも非常に小さいので、籠の中に入れて育てた。【星新一訳】 両方の手のひらで包むようにして、家へ連れて帰った。妻のおばあさんに、わけを話して育てさせた。ずっと子に恵まれなかった老夫婦。それに、あいらしく美しいのだから、心の込めかたがちがう。竹の製品は、お手のものだ。ゆりかご用の小さな籠、留守中にネズミが近付いたりしないように、かぶせる籠。いろいろ頭も使った。 文字数の関係で、すべてを紹介することができません。ただし、川端康成訳を見ていただけば、苦労のほどがわかるというものです。その点、大塚ひかり『ひかりナビで読む竹取物語』は、掛け言葉の説明を本文からはずしてありますので、リズムよく読むことができます。◎逐語訳と「〇ひ」なび【大塚ひかり・逐語訳】 てのひらにそっと入れ、家へ持ち帰りました。妻の<嫗>(おうな)に託して育てさせます。それはそれは愛らしく、とても小さいので、<籠>(こ)に入れて養います。 このあと「ひかりナビ」が連発されます。――『竹取物語』は、<今は昔>ということばから始まります。これは、『落窪物語』や『今昔物語集』でも用いられている、物語を始めるに当たっての常套句。読者を、非日常の世界に誘う呼び水の役目を果たします。――この<子>には、すぐあとに出てくる竹から作る<籠>が掛けてあります。 大塚ひかりは、随所にこのような解説をほどこし、楽しく物語の世界を広げてくれます。『竹取物語』を読む場合は、まず本書を手にしてもらいたいと思います。 大塚ひかりのお勧め本を、いくつ書き出しておきます。興味があればぜひ読んでください。いずれも腹を抱えて、笑いながら読みました。『源氏の男はみんなサイテー』(ちくま文庫)『愛とまぐはひの古事記』(ちくま文庫)『女嫌いの平家物語』(ちくま文庫)『快楽でよみとく古典文学』(小学館101新書)(山本藤光:2014.03.18初稿、2015.11.19改稿)
2015年11月20日
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アンネは両親のことをこんなふうに思っていたんだ……自分用と公開用の二種の日記に父親が削っていた部分を再現した「完全版」に新たに発見された五頁を追加。今明かされる親への思い。(内容紹介)アンネ・フランク『アンネの日記』(文春文庫、深町真理子訳)◎架空のともだち「キティ」――あなたになら、これまでだれにも打ち明けられなかったことを、なにもかもお話しできそうです。どうかわたしのために、大きな心の支えになってくださいね。アンネ・フランク『アンネの日記・増補新訂版』(文春文庫、深町真理子訳)の冒頭の文章です。アンネは13歳の誕生日に、プレゼントとして日記帳をもらいました。アンネは日記に「キティ」という名前をつけ、架空のおともだちとして手紙形式で語りかけます。『アンネの日記』がすばらしいのは、この設定にあります。アンネは1929年、ドイツのフランクフルトで生まれました。しかしナチスのユダヤ人への迫害が激しく、オランダのアムステルダムへ家族で亡命します。そこも第2次世界大戦でドイツに占領され、ユダヤ狩りがはじまります。家族は父が用意した「隠れ家」へと、身を隠さざるを得なくなります。池上彰に『世界を変えた10冊の本』(文春文庫)という著作があります。そのなかで最初の1冊として、『アンネの日記』が取り上げられています。時代背景が理解できますので、引用させていただきます。――第一次世界大戦に敗北して、多額の賠償金を課せられたドイツの人々は、生活に苦しんでいました。こういうときは、「敵」を作り出し、「あなたの生活が苦しいのは、敵の陰謀なのだ」と主張することで、政治家は支持を広げることができます。それを実行したのが、アドルフ・ヒットラーでした。ヒットラーは、自国の中に「敵」を作り出します。それがユダヤ人でした。(池上彰『世界を変えた10冊の本』文春文庫P26)なにやら現代にも通用しそうな話です。いたずらに反日感情をあおっている、どこかの国と同じです。◎作家・小川洋子の出発点『アンネの日記』を初めて読んだのは、中学生のときでした。国語の先生から、「読むように」と推奨されたのです。女の子の日記なんて、読みたくない。男子生徒のほとんどは、そっぽを向いていました。私も同じ気持ちだったのですが、ガールフレンドが貸してくれました。『アンネの日記』は、アウシュビッツ収容所で書かれたものだ、との先入観がありました。それゆえ平穏な学園生活の滑り出しをを読みながら、いつ逮捕されるのかとハラハラしていました。収容されるまでの日々を、思い出しながら書いているとばかり思いこんでいたのです。そのうちにアンネの家族が、逮捕を逃れて「隠れ家」に移る場面がでてきました。それで得心しました。これは現在進行中の日記なのだ、と。私が『アンネの日記』を読んだのは、今回で3度目となります。小川洋子と『アンネの日記』の出会いについて、書かれた文章があります。私も同様の感想をもったので、引用させていただきます。――小川さんが最初に「アンネの日記」と出会ったのは中学1年の時でした。その時は難しくて意味がよく分からなかったそうですが、高校生になって読んだ時に、親への反抗心や、異性への憧れ、将来への希望や不安などが、手に取るようにわかったといいます。小川さんは、アンネの精神年齢の高さに驚くとともに、言葉とはこれほどまでに人の内面を表現できるものなのかと思い、作家になることを決意しました。また大人になって読んだ時には、親としての立場からアンネを見るようになり、その時も新たな発見があったと語っています。(「NHK100分de名著」)小川洋子は、アンネ崇拝者の筆頭です。小川洋子は、たくさんのアンネ関連の文章を書いています。そのなかでも『アンネ・フランクの記憶』(角川文庫)は、アンネを心の友としている著者の熱い旅路をつづった傑作です。ぜひ『アンネの日記』を読んだあとで、手にしていただきたいと思います。◎識者たちが読んだアンネ赤染晶子『乙女の密告』(新潮文庫)は、芥川賞受賞作です。京都の外国語大学に通う女学生は、ドイツ人教授の指示で『アンネの日記』を暗唱させられます。教授が命じた暗唱箇所は、主人公みか子の記憶のなかにあるアンネとは、まったく異なる存在に思える場面でした。ユダヤ人として自覚するようになっていく心理のあやに、みか子はもう一人のアンネを見つけるのです。『アンネの日記』にかんする、何人かの感想を引かせていただきます。――書くっていう行為は、人間の脆くて不安定な精神をこんなにも支えることができるんだ。読み終えて、何よりそのことに心うたれました。(山室恭子・評、丸谷才一・池澤夏樹『愉快な本と立派な本』毎日出版社P148)――表面的には、陽気な「おしゃべり屋」として快活にふるまいながら、心の底には黒々とした孤立感を抱いていた少女。少年少女の内的世界の表現として、『アンネの日記』には時代や環境をこえる普遍的な素顔がある。(澤地久枝、朝日新聞社学芸部編『読みなおす一冊』朝日選書P409)――母親との対立に苦悩し、(支援者の名前を借りて行っていた)通信教育での勉強に喜びを見出し、将来の夢を描き、支援者たちへの感謝を忘れず、別れてきた友達へ思いを馳せ、性の問題に悩み、ベーターとの淡い恋に胸をこがす……。息を殺し、存在を消して過ごさなければならない、単調であったはず日常が、アンネにとってはたいへん濃密なものでした。それが、この日記からありありと伝わってきます。(小川洋子『物語の役割』ちくまブリマー新書P113-114)――完全版は、父親の配慮で伏せられていた部分を復元してあるので、思春期の少女らしい、性や身体についてのより正直な、赤裸々な記述が目立つ。生理についても六か所でふれている。(米原万里『打ちのめされるようなすごい本』文春文庫P472)――幼い頃から、驚くほど明確に作家になることをめざしていたアンネの、ものごとの本質を鋭く見抜く、透徹した目は、極限状態のなかでなお、豊かな精神世界をノートのうえにつづることを可能にした。(池田理代子『名作を書いた女たち』中公文庫P198)――われわれがこの本から読み取るべきことはきっと、「どんな不幸のなかにも、つねに美しいものが残っていることを発見しました」というアンネの言葉に尽きるとおもう。あらゆる場所に美しさはあり、ユーモアがある。われわれはそれを発見し、つかまえるべきなのだとアンネは書いている。(伊藤聡『生きる技術は名作に学べ』ソフトバンク新書P96)アンネの書いた童話や物語は『アンネの童話』(文春文庫、中川李枝子訳)として、まとめて刊行されています。聖書の次に世界で読まれている『アンネの日記』とともに、ぜひ手にとってみてください。『アンネの日記』は小川洋子の感想にあるとおり、生涯で3回は読まなければならない作品です、とお伝えしたいと思います。きっとその都度、新たな発見があると思います。(標茶六三:2013.08.07初稿、2015.11.18改稿)
2015年11月19日
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庄野潤三『夕べの雲』(講談社文芸文庫)何もさえぎるものない丘の上の新しい家。主人公はまず<風よけの木>のことを考える。家の団欒を深く静かに支えようとする意志。季節季節の自然との交流を詩情豊に描く、読売文学賞受賞の名作。(内容紹介より)◎平穏な日常描く異色さ書棚の『夕べの雲』(講談社文芸文庫)には、2枚の新聞切抜きがはさんであります。「第三の新人/芥川賞/庄野潤三氏死去」(「朝日新聞」2009.09.23朝刊)と「庄野潤三氏を悼む/平穏な日常描く異色さ/川本三郎」(「朝日新聞」2009.09.26朝刊)という見出しの記事です。庄野潤三死去のニュースを見た瞬間、ああこれで庄野家をのぞきみることはできなくなったと思いました。庄野潤三88歳。大往生でした。訃報に接して、改めて代表作の何冊かを読み直しました。これは崇拝する著作者の訃報にふれたときの、いつもの儀式です。深い感謝と追悼の念で読むと、また味わいがちがってきます。迷うことなく書棚から、『プールサイド小景』(新潮文庫)、『静物』(講談社文芸文庫)、そして今回紹介させていただく『夕べの雲』を引き抜きました。訃報の記事を著作のうえに置き、しばし黙祷してからもういちど、川本三郎の追悼記事に目を落としました。――庄野潤三は小市民の平穏な暮らしを愛し、彼らの慎ましい日常を描き続けた。初期の『プールサイド小景』などには日常に潜む危機が垣間見えたが、『夕べの雲』をはじめ自分の家族をモデルにした作品を書くようになってからは家族のささやかな幸福こそを見据えようとした。(川本三郎、「朝日新聞」2009.09.26朝刊)川本三郎の記事の最大のポイントは、『夕べの雲』あたりから庄野潤三は作風を大転換させた、との指摘にあります。同記事のなかには、庄野潤三は自分の仕事について、『文学交遊録』(新潮文庫)のなかで次のように書いていると付記されています。――何でもないようなことのなかによろこびの種を見つけて、それを書いてゆくのが私の仕事だ。(同記事より)『文学交遊録』を探してみましたが、当該箇所はみつけられませんでした。そのかわり、次のような記事を発見しました。ネット検索をすると「庄野潤三の部屋」というサイトがあります。そのなかに自身が語る『夕べの雲』についての記述があります。引用させていただきます。――たぶん、『夕べの雲』というのがね、私の大きな転換点だと思うんですけどもね。ここに引越してきて、家のまわりの木がつぶされていくのを、子供たちと一緒に惜しんで、眺めてきたのがこの本のいちばん大きなモチーフだったんです。(中略)もともと空想して書くというのが、好きじゃないんですね。自分の見聞きしたものの中から、心に訴えてきたことを書くというほうがずっと好きなんです。庄野潤三が目指したのは、フィクションではなく、ノンフィクションに近い世界だったのです。◎治者の文学・家長の文学庄野潤三は、執拗に家庭小説を書き続けてきました。1953年『愛撫』(『愛撫/静物・庄野潤三初期作品集』講談社文芸文庫)でデビューし、34歳のときに第2作『プールサイドの小景』(新潮文庫)で芥川賞を受賞しています。『プールサイドの小景』は小島信夫『アメリカン・スクール』(新潮文庫)と、芥川賞を同時に受賞しています。選者の瀧井考作のコメントをそえておきます。小島信夫については、『抱擁家族』(講談社文芸文庫)を推薦作として紹介しています。――サラリーマン生活の弱点を衝いたテーマで、このテーマは、このように明白に提出されると、皆んなが一応は心得ておくべきで、これは大勢に読んでもらいたいと思った。それに、この短篇は、うま味が多い。読みながら不安の心持が惻惻と迫って、やわらかい美しい文章で、香気のようなふくいくとしたものがある。(『芥川賞全集』第5巻、講談社より)このとき選者(川端康成、井上靖ら)の多くは、家庭小説を書き続けることに、ちょっとした疑念を表明しています。芥川賞受賞を契機に、庄野潤三は新たな挑戦をします。それがスケッチ風の文章に、磨きをかけることだったのです。庄野作品は小説ではなく、単なる日常を描くエッセイである、などとトンチンカンなことを書いている評論家もいます。私は庄野潤三の私小説を高く評価しています。庄野潤三の私小説について、書かれた文章を引いておきたいと思います。――ふつうの私小説は、肉親、家族との葛藤を描き、家庭を崩壊する方向をめざすことによって成り立っている。庄野はその逆なのであり、「治者の文学」とか「家長の文学」といわれているのは、そういうことなのだ。(百目鬼恭三郎『現代の作家一〇一人』新潮社P110)◎メルヘンの世界江藤淳が『成熟と喪失』(講談社文芸文庫。500+α紹介作)で俎上にのせた「第3の新人」がおかれた時代を考察してみます。松原新一・磯田光一・秋山駿『戦後日本文学史・年表』(講談社)のなかに、こんな記述があります。――戦前の家族制度から、1960年代以降の<核家族>への移り行きは、古典的な血縁が次第に遠のいていく過程でもあった。(松原新一・磯田光一・秋山駿『戦後日本文学史・年表』講談社P223)戦後を迎え、人々の倫理観や社会構造が少しずつ変化しました。そこをとらえるのが、作家としての機敏な腕の見せどころとなります。『夕べの雲』の舞台になった、山のてっぺんをのぞいてみます。――庄野さんは、田園自然を愛する人である。『ザボンの花』執筆のころは、自然の色どりもまだ豊かな石神井に住んでいた。しかし、その家も都市化の騒がしい波を受けて、住みづらくなり、自然そのものといった多摩丘陵地帯の一丘陵に居を移した。(『個人全集月報集・安岡章太郎・吉行淳之介・庄野潤三』講談社文芸文庫、瀧悌三・文、P268)引用文は瀧悌三が新聞小説連載の依頼のために、庄野邸を訪れたときの模様です。『夕べの雲』はまさに、この多摩丘陵を舞台に描かれています。庄野潤三が移り住んだのは、広大な元芝生栽培がなされていた分譲地です。したがって樹木は一本もありません。古い農家は風よけのために丘を背にして建てられ、しかも家の周囲には風よけの樹木で囲んであります。大浦一家は郊外の丘の上にある、一軒家に移住してきます。登場人物は『静物』のときと同じです。長女は高2、長男は中1、次男は小3に成長しています。家長の大浦は、まず風よけの樹を植えることを考えます。5人の家族は、自然をおおいに楽しみます。そして2年目を迎えると、団地の測量がはいります。庄野潤三は自然の移ろいと子どもの成長を、たんねんにスケッチしてみせます。本書は小説というよりも、完成されたメルヘンのような作品です。『夕べの雲』は、13の掌編で構成されています。久しぶりに再読して、ほのぼのとした気持ちになりました。最後に江藤淳『成熟と喪失』を引かせていただきます。私は庄野の文章を、スケッチ手法という表現を用いました。スケッチとは外の風景を写す以外に、心の内を描くことも含まれています。江藤淳はそのことを、明らかにしてくれました。――『夕べの雲』に描かれている大浦家の日常は、もちろん作者が細心につくりあげた虚構である。その虚構に、一種抗しがたい現実感が含まれているのは、私小説的な模写の手法で的確に描写されているからではなく、むしろ表面にあらわれた虚構と主人公の背後に隠された作者の心理的現実のあいだに、きわめて緊密かつ重層的な照応関係が存在するからにほかならない。(江藤淳『成熟と喪失』P213)◎本稿以前の日記から(2009.09.24) 訃報が飛びこんできました。第3の新人・庄野潤三が亡くなったのです。享年88歳。私の「文庫で読む500+α」の近代日本文学125選では、『夕べの雲』(講談社文芸文庫)を紹介する予定でした。家族小説をを息長く書き続けた庄野潤三は、安岡章太郎や吉行淳之介とは異なる温かい作品が特徴でした。人生とは何ぞや、を教えてくれた作家でもあります。子どもの成長、サラリーマン家族の心理、老夫婦の生活など、作品のすべてが庄野潤三の人生そのものでした。庄野潤三と焼き鳥屋で焼酎を飲んだ話は、吉行淳之介『私の文学放浪』(講談社文庫P70)に出てきます。いつも私は庄野、吉行、安岡を併行して読んでいました。第3の新人は、私の青春の真っ只中にいたのです。庄野潤三『プールサイドの小景・静物』(新潮文庫)を引っ張り出しました。心をこめて、読み直そうと思っています。 (山本藤光:2010.06.14初稿、2015.11.17改稿)
2015年11月18日
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パレスチナ難民キャンプで家族を虐殺された沙也は、日本人に救われ日本で育った。一方、同じように肉親を殺され復讐に燃える女テロリストのマリカは、指令を受け、日本へ。折しも、日本で中東をめぐる重大な会議が開かれようとしていた。そして、二人に、非情な謀略と運命が!人は永遠に血を流し続けなければならないのか? 日本ミステリー文学大賞新人賞受賞作。(「BOOK」データベースより)大石直紀『パレスチナから来た少女』(光文社文庫)◎スケールの大きなデビュー作 最近「○○賞受賞作」というのが多すぎて、食傷気味です。新人の登竜門として、賞が多いに越したことはありません。ただし、読んでみて失望する作品に出会うと、思わず選考委員を怨んでしまいます。新人作家を中心に読んでいる私にとって、「新人賞受賞作」は避けて通れないだけに、悩ましい時代になったとため息が出ます。 大石直紀『パレスチナから来た少女』(光文社文庫、日本ミステリー文学大賞新人賞)は本物です。「全選考委員絶賛」のコピーも、この作品なら許せます。大石直紀は本書のヒントをレバノン戦争の記録映画から得ました。(単行本「あとがき」を参照しました) 物語はふたつの基軸から、構成されています。ひとつは中東ジャーナリストの立花俊也が、パレスチナの虐殺現場から連れて帰って養子とした沙也(さや)をめぐる話。もうひとつは女テロリスト・マルカをめぐる話です。 沙也は虐殺場面を、何度も夢に見ます。 ――沙也は叫び声を上げながら跳ね起きた。/全身に鳥肌が立っているのがわかった。冷たい汗が背中をつたって流れ落ちる。大きく身震いすると、沙也は両手で顔を覆い、激しく鳴咽を始めた。(本文より) いっぽうユダヤ人極右過激派の指導者を次々と暗殺したマリカは、次なるターゲットを与えられて来日します。 ――マリカには自分が今見ている光景が、現実のものとは思えなかった。ここは今までマリカが暮らしてきた世界と、あまりにもかけ離れていた。今まで暮らしてきた場所には、散乱するゴミと、すえた臭いと、プロパガンダの落書きと、朽ちかけた家々があった。そしてそこには、怒りがあり、絶望があり、憎しみがあり、血の臭いがあった。ここには何もない。(本文より) 沙也が養父とイスラエルに旅立ったころ、名前を変えたマリカが日本へやってきます。やがて日本を舞台に、中東問題が吹き荒れます。2人はその渦中にのみこまれます。 ストーリーの詳細は紹介できませんが、伏線の張り方もみごとです。一気に読ませる筆力も、並々ならぬものがあります。最後にはあっと驚く結末が待っています。 巻頭には「中東問題基本年表」と「中近東の地図」がついています。私はこうしたものが、巻頭についている作品は苦手でした。これ以外に「主な登場人物」などがあると、もう読む気がおこらなくなります。 したがってこの作品を開いたときは、難しそうだなと感じました。しかし読んでいる間は、一度も巻頭資料の世話にはなりませんでした。大石直紀は難しい素材を、実にわかりやすく書き上げています。著者が短篇映画で見た世界を、活字の世界に再現した力量を評価したいと思います。 マリカの両親を惨殺した頬に傷のある男が、偶然日本に潜入していたなどと無理な筋立てもあります。しかしそんなことは、どうでもいいことです。パレスチナと日本。現実と夢。公安と組織。イスラエルとイラン……。複雑な世界をみごとにまとめた、大型新人の誕生です。(ここまでの原稿は、藤光伸名義でPHP研究所「ブック・チェイス」1999年4月17日号に掲載したものを加筆修正しました)◎デビュー作後の大石直紀 その後、『誘拐から誘拐まで』(カッパノベルズ、初出1999年)『サンチャゴに降る雨』(光文社文庫、初出2000年)『爆弾魔』(光文社文庫、初出2001年)と、出るたびに大石直紀作品を読みつなぎました。『誘拐から誘拐まで』は本の帯に、文芸評論家が「国際的スケールのサスペンスだ」と書いています。しかしデビュー作と比べたると、ずっとこじんまりとしています。『爆弾魔』もこじんまりとした作品でした。 大石直紀は正直な人です。『テロリストが夢見た桜』(現小学館文庫、初出2003年)の単行本あとがきに、次のように書いています。――ところがデビュー作こそ、そこそこ売れたものの、その後がさっぱりで、四作目を発表した二年前からは、全く仕事の依頼がなくなっていました。デビューわずか三年目にして、小説家廃業の危機を迎えていたのです。(あとがきより) 作家がデビュー作を超えるのは、簡単なことではありません。そのことについて林真理子はラディゲ『肉体の悪魔』の書評で次のように書いています。――「作家は処女作に向かって成熟していく」という言葉がある。このページでも処女作を紹介することが多いのは、初めての作品に作家のいいところが新鮮な形で凝縮されていることと、読者と年齢が近いということがある。(林真理子『林真理子の名作読本』文春文庫) 大石直紀も処女作を超えようと、もがいています。林真理子が指摘するように、「山本藤光の文庫で読む500+α」も処女作の採用が目立ちます。かろうじてリストに残っている、大石直紀『パレスチナから来た少女』を「現代日本文学の125+α」として推薦させていただきます。ただし早く超えて見せろ、との激をそえて。(山本藤光:1999.04.17初稿、2015.11.01改稿)
2015年11月17日
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現代日本の思想が当面する問題は何か。その日本的特質はどこにあり、何に由来するものなのか。日本人の内面生活における思想の入りこみかた、それらの相互関係を構造的な視角から追究していくことによって、新しい時代の思想を創造するために、いかなる方法意識が必要であるかを問う。日本の思想のありかたを浮き彫りにした文明論的考察。(「BOOK」データベースより)丸山真男『日本の思想』(岩波新書)◎ジュニア向け推薦書 最初に丸山真男『日本の思想』(岩波新書)を覆っている、「難解」というベールをはがすことからはじめます。鎌田慧は岩波ジュニア新書の『生きるための101冊』の1冊として、『日本の思想』を推薦しています。ジュニア向けの著作に、選ばれているのですから、大人が敬遠するわけにはゆきません。 そのなかで鎌田慧は、次のように書いています。――「思想が対決と蓄積のうえに歴史的に構造化されないという伝統」は、日本の「近代化」のなかにもよくあらわれている、というのが、『日本の思想』のひとつのテーマであって、その克服の方法が語られている。(鎌田慧『生きるための101冊』岩波ジュニア新書P168) 鎌田慧がジュニア向けブックガイドに、『日本の思想』を選んだ見識に拍手を贈りたいと思います。ちなみに、なぜ101冊なのかについては、最後の1冊として鎌田慧『ぼくが世の中に学んだこと』(岩波現代文庫)を「あとがき」の代わりにいれたためです。本書では「ちくま文庫」(絶版)と紹介されていますが、「岩波現代文庫」にもなっています。こちらはまだ書店で入手可能です。◎講演集のページから読む 丸山真男『日本の思想』(岩波新書)は毎朝30分と決めて、読み進めました。本書は4部構成になっており、第1部と第2部は相当難解でした。私の朝の修業は、こうした難解な本を1冊、歳時記を1日分、算数(現在は中学3年生のもの)問題を1問、と3点セットを組んでいます。 後から気がついたのですが、本書は第3部と第4部から読みはじめるべきでした。講演録のため、話し言葉で書かれているので、スラスラと読むことができます。同様の観点から、加藤周一との対談集『翻訳と日本の近代』(岩波新書)を先に読んでおくことをお薦めします。『翻訳と日本の近代』は対談ですので、やはり読みやすいものです。2人の知識人の対話は、非常に奥深いものでした。簡単にレビューをさせていただきます。 明治までの日本の対外関係は、大きく見れば中国一辺倒でした。江戸時代の鎖国によって、必然的にそうなっていたわけです、その中国がアヘン戦争に負けます。あの大国が負けたことに、日本は「大変だ」と反応します。早急に近代国家を樹立しなければなりません。以下、2人のやりとりのさわりを引用させていただきます。――加藤周一:それには徹底的な情報獲得が必要で、したがって、翻訳が必要だということになる。――丸山真男:日本はラッキーだったのだという解釈は、国際政治をやっている人の間では常識ですけれどもね。東アジアに向かっての帝国主義が本格的になる直前に、世界はおたがい同士の戦争で忙しかった。(『翻訳と日本の近代』岩波新書P10) だから、明治維新の直後、多数の留学生を西洋に送り、欧米視察の岩倉使節団をくり出すわけで、西洋モデルの近代化を推進するところまでいくのです。 丸山真男は戦後の日本の政治について、鋭いメスを入れてきた稀有な学者です。わかりやすい比喩を用いて、難解な思想を表現する名手でもあります。 冒頭では「国體」が、日本の思想におよぼした弊害が書かれています。得体のしれない「国體」が、国家や国民を牛耳っていました。権力の象徴であるそれが敗戦により消えた時、国民がすがるべき精神的な支柱も消失しました。 前記のとおり、前半は論文調で難解です。しかし第3章からはわかりやすくなります。たとえば、日本の思想や文化を「タコツボ型」と書きます。対極にヨーロッパの思想や文化を「ササラ型」としてすえます(『日本の思想』第3章)。タコツボ型は、孤立した蛸壺が並列になっている状態。ササラ型は、竹の先端を細かく割った状態をいいます。 ササラ型は共通の根をもって、そこからさまざまに分派していきます。ところが日本の思想や文化は、横展開できない構図になっているわけです。相互コミュニケーションの欠落は、日本の組織や企業において、いまだに大きな問題となっています。 第4章では、「である」の世界を「する」に変えなければならないと説いています。的確な解説がありますので、引用させていただきます。――「近代社会のダイナミックス」は<である>論理や価値から<する>論理や価値への移動になるのに、日本では<分に安んじる><らしくする>といった<である>価値が幅をきかせている。現在存在するものに価値が置かれている(状態的思考、建て前思考)が、そうでなくて「私たちの生活と経験を通じて一定の法や制度の設立を要求しまたはそれらを改めていくという発想への転換を説いている。(海老坂武『名作が語る日本の現代史』講談社現代新書)P150)◎丸山真男と『日本の思想』について 何人かの丸山真男論または『日本の思想』についてのコメントを紹介させていただきます。――丸山は、デモクラシィの根底にエゴイズムをおくことを原理的に否定する。デモクラシィは、最終的に「一票」に還元される多数者原理にではなく、理性、すなわち心理を把握しそれに基づいて行動する知的エリートの指導のもとにおかれるとき、その本来の正常な働きをする、と主張する。(鷲田小弥太『日本を創った思想家たち』PHP新書P310) 柄谷行人は『日本の思想』について、「柄谷行人公式ウエブサイト」で次のような論文を書いています。このウエブサイトは検索機能もついており、非常に便利です。――日本では、思想なんてものは現実をあとからお化粧するにすぎないという考えがつよくて、人間が思想によって生きるという伝統が乏しいですね。これはよくいわれることですが、宗教がないこと、ドグマがないことと関係している。(柄谷行人「丸山真男とアソシエーショニズム」公式Web2006より) 吉本隆明は丸山真男を相容れない、代表的な評論家です。しかし、丸山真男について次のように書いています。ちゃんとある意味で認めているのです。――学者でもなく思想家でもない「奇異なる存在」という印象は、それ自体が、現在の思想的状況のなかで希少価値であり、遊泳性のしるしである。(吉本隆明『丸山真男論』ちくま学芸文庫) 姜尚中は著作のなかで、丸山真男を次のように評しています。――丸山の場合、方法的懐疑にもとづく対象との距離感覚が保たれているのです。そしてまさしく、そのような距離感覚のゆえに、「自己内対話」が可能となり、「己に誠」であるような知的モラルが堅持されています。(姜尚中『青春読書ノート』朝日新書P145) 戦後を代表する日本の思想家の著作を、毎日少しずつ読み進めていただきたいと思います。(山本藤光:2012.07.24初稿、2015.11.15改稿)
2015年11月16日
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オイディプスが先王殺害犯人の探索を烈しい呪いの言葉とともに命ずる発端から恐るべき真相発見の破局へとすべてを集中させてゆく緊密な劇的構成。発端の自信に満ちた誇り高い王オイディプスと運命の運転に打ちひしがれた弱い人間オイディプスとの鮮やかな対比。数多いギリシア悲劇のなかでも、古来傑作の誉れ高い作品である。(「BOOK」データベースより)ソポクレス『オイディプス王』(岩波文庫、藤沢令夫訳)◎ギリシア悲劇の最高傑作ソポクレスは、ギリシア悲劇の代表的な作家です。そしてソポクレス『オイディプス王』(岩波文庫、藤沢令夫訳)は、ギリシア悲劇の最高傑作といわれています。私の手元に14冊の『オイディプス王』にかんする評論があります。すべてを紹介できませんが、いくつかを選んでみたいと思います。ソポクレス『オイディプス王』を読む前に世界地図を広げて、ぜひ物語の舞台となる「テーバイ」の市を確認していただきたいと思います。岩波文庫では、巻頭に地図が挿入されています。テーバイは、古代ギリシアにあった都市国家のひとつです。現在の中央ギリシャ地方ヴィオティア県の県都ティーヴァにあたります。テーバイを支配しているのは、オイディプス王です。テーバイが疫病と飢饉に見舞われます。オイディプス王はその救済のため、アポロン神殿の神託を求めます。オイディプス王は王妃の弟クレオンを出向させます。神託を受けて戻ったクレオンは、オイディプス王に次のように告げます。――王よ、あなたがこの国を導くようになる以前、かってこの地を支配していたのは、ライオスであった。(中略)そのライオスは殺害されました。そして神がいま命じたもうのは明らかに、その知られざる下手人どもを、罰せよとのこと。(本文P23)いよいよ悲劇の幕開けです。ここからはまるで、ミステリー小説を読んでいるような展開となります。ライオスを殺害したのはだれなのか、オイディプス王はその謎に迫ります。テーバイ王のオイディプスは、スフインクスの謎かけに答えて退治した人として『ギリシア神話』のなかに、たびたび登場しています。「山本藤光の文庫で読む500+α」では、串田孫一『ギリシア神話』(ちくま文庫)を紹介しています。◎殺人者はあなただオイディプス王は、盲目の予言者・テイレシアスを呼んで、犯人はだれかとたずねます。テイレシアスはいいよどみますが、執拗に答えを求められ、ついに次のように答えます。――あなたのたずね求める先王の殺害者はあなた自身だ(本文P38、本文ではすべての文字に傍点「、」がつけられています)自分が殺害者? オイディプス王は当惑し、おおいに悩みます。しかし少しずつ自分の出生の秘密が明らかになっていきます。このあたりの展開については、読んでのお楽しみということにしておきます。読者は驚くべき物語の展開に、ウームとうなり声をあげることになります。そしてもっと早くに、この物語を読んでおくべきだったと後悔することになります。みごとな悲劇は、とんでもないエンディングを迎えます。清水義範は著作のなかで、エンディングについて次のように書いています。――目が見えていた時には何も見えず、真実が見えた時には盲目になるというアイロニーだ。すべては神意のままにころがる、ということではあるが、その中でオイディプスは自分の意思で悲劇を身に受けるのだ。(清水義範『世界文学必勝法』筑摩書房P22) アイロニーについて、別の文献を紹介いたします。――オイディプスは決して受動的に運命のなすがまに流されているのではない。かれは渾身の力をふるって運命に立ちむかいこれと闘うのだが、アイロニー作用によって、ついには運命に打ち倒されるのである。しかしそこには、運命にからめとられながらも、これに抗し苦悩する偉大さがあり、これが悲劇の眼目なのだ。(高橋康也編『世界文学101物語』新書館P19)※アイロニー:文芸用語。表現技法として用いる、事実に反する言い方(三省堂『新明解国語辞典』)◎著名人のメッセージ『オイディプス王』に寄せられた、いくつかのメッセージを紹介させていただきます。――『オイディプス王』は傑作! なにしろ、かのフロイトがこの物語になぞらえて、男児が無意識のうちに母を愛し父に敬意を抱く複雑な感情を「エディップス(=オイディプス)コンプレックス」と名づけて提唱したほどですから、古典的な価値が非常に高い作品と言えます。(斎藤孝『50歳からの名著入門』海竜社P142)本書は屋外の円形劇場で、演じられることを意図して書かれています。そんな観点から劇作家の木下順二は、次のように書いています。――ギリシア演劇の、ことに悲劇のあの堂々とした細緻なせりふの書かれかたは、野外劇場で朗々と誦せられることで初めて効果的である要素を多分に含んでいる。(中略)そのことを念頭に置いて、読者がこの戯曲を読まれることを願う。(木下順二『劇的とは』岩波新書)ソポクレスの悲劇の偉大さに、言及している文章があります。――ソポクレースの劇の示す、人間にはどうにもならない神の道が存在する。詩人は冷厳に、怖ろしいまでの明確な輪郭の中に、劇を展開してみせる。彼の劇は人に何かぞっとするものを感じさせる。これはホメーロスやアイスキュロスとは全く別種のものである。(大岡信ほか『世界文学のすすめ』岩波文庫別冊P67)最後にオイディプス王の出生の秘密を、ちょっとだけ開示しておきたいと思います。――テーベの王ライオスは、「将来生まれる自分の子に殺されるだろう」という託宣をアポロン神から受けていたので、日ごろから妃のイオカステと交わらないように謹んでいたのだが、ある夜、酒に酔って交わり、イオカステは懐妊、月満ちて男子が生まれると、赤子を山中でころすように家臣に命じた。(阿刀田高『私のギリシャ神話』集英社文庫P188)その後のことは、読んでのお楽しみとします。『オイディプス王』は短い物語なので、簡単に読むことができます。ただし木下順二がいうように、せりふ回しを味わってください。(山本藤光:2013.12.14初稿、2015.11.14改稿)
2015年11月15日
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北海道の広大な自然を舞台に滅びゆく民族の苦悩と解放を主題に展開する一大ロマン。アイヌの風俗を画く画家佐伯雪子、アイヌ統一委員会会長農学者池博士、その弟子風森一太郎、キリスト者の姉ミツ、カバフト軒マダム鶴子など多彩な登場人物を配し、委員会と反対派の抗争の中で混沌とした人々の生々しい美醜を、周密な取材と透徹した視点で鮮烈に描く長篇大作。(「BOOK」データベースより)武田泰淳『森と湖のまつり』(新潮文庫)◎故郷・標茶町塘路が舞台 武田泰淳の代表作は『ひかりごけ』(新潮文庫)とした、書評はたくさん書かれています。もちろんすばらしい作品なのですが、個人的には故郷を描いた『森と湖のまつり』(新潮文庫)を推薦させていただきます。 なにしろ本書の舞台の中心は、私が筆名にしている標茶町塘路なのですから。作品中ではトウロと書かれています。標茶(しべちゃ)から塘路へは、JRの駅で3つ。映画の撮影を見たという同級生もいました。もちろん本は、高校生になってすぐに読みました。高倉健主演の映画(1958年公開)も観ました。 武田泰淳は1947(昭和22)年から半年ほど、北海道大学法学部の准教授だった時期があります。そしてアイヌ民族を書くために1953(昭和28)年に再び道東を訪れています。しかしすぐには書けず、先に仕上げたのが、羅臼のひかりごけと遭難船長の人肉事件を組み合わせた作品『ひかりごけ』だったのです。◎見る側と見られる側 純潔アイヌの統一を願うアイヌ研究家の池博士は、若い女画家の佐伯雪子をともない、阿寒湖を訪れています。雪子は美幌町の依頼で、北海道の先住民族アイヌを描くことが目的です。池博士はかってアイヌ女性の千木鶴子と結婚していましたが、彼女に逃げられて現在は独身の40歳ちょっとくらいの年齢です。池博士は秘かに雪子を愛していますが、告白できないままでいます。 雪子は阿寒湖で、アイヌの老翁と池博士のやりとりを耳にします。。(引用はじめ)「今のままだったら、うまくねえわわ。先生の言う通りだわさ。そんなこた知ってるさ。言われねえでも知ってるさ。だけんど俺たちは酒を飲むし、若い者はアイヌであるのを厭がるのさ。だから、ほんもののアイヌは、どうしたってなくなるんさ。もう誰も、止ことはできねえよ」「なくなって、いいのかね」「いいにも悪いにも……」老人は、はげしい呼吸音で咽喉を鳴らしながら、赤茶けた手拭いで額の汗を拭った。(引用おわり、本文P14) 池博士と佐伯雪子の会話のなかに、池博士の苦悩の様子が色濃くでてくる場面があります。まずはそこをおさえておきたいと思います。(引用はじめ)「世の中にはまあ、二つの立場があるんだ。見る側になるか、見られる側になるか。和人は見る側、アイヌは見られる側、今のところ、そうなってしまったんだ。見られたり、いじくられたりする側は、どうしたって見る側、いじくる側とはちがった立場なんだ。タヒチへ行ったゴオギャンは結局、最後まで見る側だったんだ。島の土人たちは見られる側さ。(.中略)」「その見る者と見られる者のあいだの壁をぶちこわすのが、池さんの仕事でしょう」「そうでなければならぬはずなんだが。どうも僕のは、その壁をなぜまわしてるだけかも知れん。時によると、わざわざ自分で壁を作っているような気がする」(引用おわり、本文P122) 2箇所を引用しましたが、『森と湖のまつり』のポイントはこの会話のなかに凝縮されています。アイヌ民族はいまや消滅の危機にあります。しかし老いたアイヌたちは民俗衣装をまとい、観光客の見世物になっています。働き盛りのアイヌ民族は、出自を隠して和人のなかに紛れ込んでしまっています。◎消滅と再生 見る側の池博士や雪子と対極にいるのが、アイヌの若者・風森一太郎やその姉・風森ミツとなります。一太郎は池博士の弟子として、統一委員会の仕事を手伝っています。知性豊かですが、すこぶる野性的な若者です。ミツはある事件をきっかけにキリスト教に入信しています。 池博士と別れた雪子は、アイヌの絵を描くために単身で活動を開始します。その過程で雪子は、池博士が主導する純粋アイヌを守るべきとの意見と、対立するシャモ(和人)と同化すべきという意見があることを知ります。統一委員会の運営のために、一太郎が網元などから、強引に寄付を集め回っていることも知ります。 いっぽう雪子の描いたアイヌの絵は、老翁たちに酷評されます。思い悩んだ雪子は、アイヌの裸を見たいと思います。その思いは実現されます。雪子が見た裸体は、一太郎の姉・ミツでした。 ある日釧路のバーで、雪子は一太郎と出会います。バーの経営者は池博士のもとから逃げ出したアイヌ女性の鶴子でした。やがて雪子は、一太郎と肉体関係を結びます。また雪子は泥酔していたときに、池博士に犯されます。そして雪子は一太郎のこどもを身ごもります。 ストーリーを追うのは、このくらいにしておきます。『森と湖のまつり』は、池博士の側面から読むと悲劇的なロマンとなります。アイヌの純潔を願いつつ、膝元から妻に逃げられます。片腕として頼りにしていた一太郎も、池の仕事の限界を悟ります。そして秘かに想っていた雪子を犯してしまいます。崇高なビジョンは地に落ちてしまいます。 雪子の側面から見ると、アイヌの女性がたくましく生きていることに心を動かされます。自分の絵に心がこもっていないことを、実感します。そして一太郎への愛を成就させます。 結末部分で一太郎は、アイヌであることを隠している青年と決闘をします。そして姿を消します。一太郎が姿を消したとき、雪子の体内にはアイヌの種が残されたのです。 武田泰淳は渾身の力で、滅びゆく民族を描きました。そして結末部分に、そっと再生の物語を添えたのです。(山本藤光:2011.11.09初稿、2015.11.13改稿)
2015年11月14日
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自分とセックスしている夢を見て、目が覚めた―。女から女へと渡り歩く淫蕩なレズビアンにして、芝居に全生命を賭ける演出家・王寺ミチル。彼女が主宰する小劇団は熱狂的なファンに支えられていた。だが、信頼していた仲間の裏切りがミチルからすべてを奪っていく。そして、最後の公演の幕が上がった…。スキャンダラスで切ない青春恋愛小説の傑作。俊英の幻のデビュー作、ついに文庫化。(「BOOK」データベースより)中山可穂『猫背の王子』(集英社文庫)◎中山可穂ができるまで 可能性をひめているのに、なかなか花開かない作家はたくさんいます。若いころPHPメルマガ「ブックチェイス」の文芸時評を担当していたとき、若手作家のデビュー作を積極的に紹介していました。 中山可穂『猫背の王子』(集英社文庫)もそのなかの1冊でした。発売になったのでさっそく読んでみて、異色のテーマを書きこなす才能に驚きました。プロフィールを調べてみました。 女性作家には珍しく、生年月日が明らかにされていました。1960年生まれ。早大卒業後に、小劇団を立ち上げます。その後芝居を止めて、空白の5年間を過ごすことになります。その間、ヨーロッパを旅行します。帰国後に会社勤めをしながら、旅行記をまとめます。それを知りあいに見せたところ、「あなたは小説を書くべきだ」と薦められます。 デビュー作『猫背の王子』は、そんな展開で33歳のときにマガジンハウスから出版されました。しかしほとんど、話題になることはありませんでした。その後中山可穂は、『天使の骨』(集英社文庫、初出1995年)を書いて、朝日新人文学賞に応募します。ところが受賞後の作品を世に出せません。 書けなかったのではなく、書くたびに編集者からダメ出しされつづけたのです。そして3年後にようやく出したのが、『サグラダ・ファミリア・聖家族』(集英社文庫)だったのです。本書は野間文芸新人賞候補になりましたが、大きな話題にはなりませんでした。 中山可穂はデビュー作以降も、女性の同性愛を描きつづけました。自らをレスビアンであると公言してはばからない、中山可穂は執拗に同じ世界を描きました。 そして2000年『感情教育』(講談社文庫)を発表します。この作品も野間文芸新人賞候補作となります。このあたりから、出版社からの原稿依頼がきはじめます。◎デビュー作がいちばん 中山可穂が実力を発揮したのは第7作『白い薔薇の淵まで』(集英社文庫、初出2001年)からです。この作品は山本周五郎賞に輝きました。この作品は朝日新人文学賞の受賞後の作品として書かれたものです。当時の編集者からダメ出しされたものだったのです。 しかし私はどの作品もまだ、デビュー作『猫背の王子』を超えていないと思っています。そこで「山本藤光の文庫で読む500+α」の『現代日本文学125+α」の末席ですが、本書を用意することにしました。『猫背の王子』の主人公・ミチルは、小劇団の主宰者です。著者自身も、20代半ばまでは劇団を主宰していました。ミチルは少し猫背で、痩せていて、少年のような体をしています。 自らも男役として、舞台にも立ちます。ミチルの舞台にかける情熱は、すさまじいものがあります。舞台のためには、なりふりかまいません。私生活のすべてが、舞台への延長線上にあります。 主演女優が引き抜きにあいます。連れ戻しに行きますが、願いはかなえられません。急きょ、代役をあてがうことになります。舞台に穴はあけられません。このてんまつは、実体験者にしか書けないものです。観客の目線での思考。この思考法が、作品に迫力を産み出しています。 中山作品は、単なるレズビアン小説ではありません。巧みな人物造形とテンポのよいストーリー展開は、職人芸を思わせます。 私はデビュー作を大きく超える作品の、完成を待ちつづけています。中山可穂はきっと、新たな世界を見せてくれると信じてもいます。別に今の世界が、嫌いなわけではありません。おそらく男女の恋愛は描けないでしょうが、男を主人公に据えることはできるはずです。期待して待つことにします。ただし紹介できる現代日本文学の席は、125しか用意していません。新たな新人が登場する前に、読ませていただきたいと願います。(山本藤光:2001.06.24初稿、2015.11.12改稿)
2015年11月13日
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ユーモア、犯罪、皮肉な結末。アメリカの原風景とも呼べるかつての南部から、開拓期の荒々しさが残る西部、そして大都会ニューヨークへ―さまざまに物語の舞台を移しながら描かれた多彩な作品群。20世紀初頭、アメリカ大衆社会が勃興し、急激な変化を遂げていく姿を活写した、短編傑作選。O・ヘンリーの意外かつ豊かな世界が新訳でよみがえる。(「BOOK」データベースより)O・ヘンリー『1ドルの価値/賢者の贈り物』(光文社古典新訳文庫、芹澤恵訳)◎短篇小説の名手O・ヘンリーといえば、ポーやサキと並んで短編、掌編小説の名手として名が知れています。、新潮文庫(大久保康雄訳)から、『O・.ヘンリー短編集』全3巻が出ています。O・ヘンリー作品集は、アメリカでは500万部超のロングセラーになっています。O・ヘンリー作品の魅力について、書かれた文章があります。――O・ヘンリー作品の描く作品の人物たちが、根っからの庶民だからである。彼は平凡な人たちの生活や感情のよくわかる作家で、庶民たちの生活の中の小さなドラマを巧みにとらえて描いている。(『国文学解釈と鑑賞・短編小説の魅力』(1978年4月号)残念なことに引用した雑誌は、休刊になってしまいました。今回私の好きな短篇を、タイトルにした新訳が出ました。『1ドルの価値/賢者の贈り物』(光文社古典新訳文庫、芹澤恵訳)です。久しぶりに読み直してみました。今回も悲しいドラマを、笑いにかえる妙技に舌を巻きました。ちなみに新潮文庫(小川高義訳)からも、新訳がでています。『賢者の贈りもの・O・ヘンリー傑作選1』(新潮文庫)『最後のひと葉・O・ヘンリー傑作選2』(新潮文庫)O・ヘンリーの物語は、巧みな構成力で縁どられています。そしてなにより秀逸なのが、エンディングです。しかも情景描写と人物造形が優れています。紙面の関係で、今回紹介させていただくのは「賢者の贈り物」だけになります。いずれも短い物語ですので、「賢者の贈り物」を読んでおもしろければ、「最後の一葉」「1ドルの価値」と読み進めてください。◎「賢者の贈り物」こそ代表作「賢者の贈り物」は、多くの評論家が、O・ヘンリーの代表作にあげています。「賢者の贈り物」は、若い夫婦の話です。2人は毎日を辛うじて生活するほど貧しいのですが、深い愛情で結ばれています。夫ジムのもっている金時計と、妻デラの長いみごとな髪の毛だけが2人の財産でした。金時計は祖父の代から受け継いだ、貴重なものです。金の鎖のかわりに、皮ひもでとめられています。クリスマスがやってきます。デラは思い悩んだすえに、夫へのプレゼントを買い求めるために、自らの髪の毛を売る決心をしました。その代金でデラは、夫の金時計につける金の鎖を買いました。2人は愛情を証明するために、プレゼントは必須だと信じています。のちほど触れますが、「愛があればプレゼントなどいらない」という考えなら、本書は成立しなくなります。夫が仕事から戻ってきます。デラの髪の毛を見て、夫は驚愕します。夫が妻に用意したのは、長い髪の毛を飾る櫛だったのです。しかも夫ジムは高価な櫛を買うために、金の時計を売ってしまったのでした。わずか10ページの物語ですが、2人の揺れる気持ちがヒシヒシと伝わってきます。2人の愛情の深さが手に取るようにわかります。そして予想もしなかった結末。デラの最後のセリフにふれたとき、シンミリとした気持ちが、一気に弾けました。すばらしい短篇です。阿刀田高の分析がおもしろいので、紹介させていただきます。阿刀田は「賢者の贈り物」を成り立たせている要素として、「夫婦が深く愛し合っていること」「愛は贈り物を交換することで実証されると考えていること」「2人は貧乏していること」の3点をあげています。そのうえで、次のように書きます。――作者が注意深くこの三つを描いて無理のない設定を構築していることに留意していただきたい。このあたりのそつのなさがトリッキーな作品の優劣を分ける分岐点となることが多いのも本当だ。ストーリーの進展の中で、さりげなく示されていることが、その実、作者の周到な用意の結果であるという事実を銘記していただきたい。(阿刀田高『海外短編のテクニック』集英社新書P122)『1ドルの価値/賢者の贈り物』には、表題作以外に21編が収載されています。個人的には、「1ドルの価値」と「最後の一葉」が、O・ヘンリーらしい「どんでん返し」の短篇で好ましく感じます。(標茶六三:2012.07.14初稿、2015.11.11改稿)
2015年11月12日
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黒岩比佐子『伝書鳩・もうひとつのIT』(文春新書)今の我々は鳩といえば駅前や公園のドバトを連想しがちだが、かつては新聞社のスクープ合戦の一翼を担う鳩もいた。海上や山間や僻地から写真などを身に帯び、隼や鷹の襲撃をかわしつつ、ときには数百キロという遠路を社屋目指して飛び帰る伝書鳩は、いわば当時の花形通信手段だったのだ。本書は明治期、軍用鳩として西洋より導入されてから、近年、レース鳩へと転身するまでのその歴史を、丹念な取材でたどりつつ、鳩が秘めた驚くべき能力の謎にも迫る。(「BOOK」データベースより)◎伝書鳩の重要な役割2018年1月1日。大切な著者の大切な1冊をそっと開いてみました。黒岩比佐子は、『音のない記憶・ろうあの天才写真家・井上孝治の生涯』(角川ソフィア文庫)でデビューしました。ていねいな筆運びと素材の掘り下げ方が印象的でした。『伝書鳩・もうひとつのIT』(文春新書)は第2著作となります。まずタイトルに魅せられました。鳩に興味を覚えたことはありませんが、ITと並べて書かれると見過ごすわけにはゆきません。読みはじめると、圧倒されました。駅の構内や公園でしか見かけない鳩は、マスコミや軍隊で貴重な役割を担っていたのです。本書は豊富な取材で、知られざる鳩に迫ってみせました。鳩の帰巣性については、だれもが知っていると思います。レース鳩についても、よく知られています。ところがマスコミや軍隊と、鳩の関係はほとんで知られておりません。 戦時中に、鳩は大切な通信手段だったのです。敵の砲弾に通信機が破壊されたときには、鳩に頼るしか方法がありませんでした。また新聞社のスクープ合戦でも、鳩はなくてはならないものでした。脚に小さな鉛管をつけて、ひたすら飛びつづける鳩。熱い思いを鳩に託す人々。そして帰巣能力を高めるために訓練する人々。私は堀田善衛『広場の孤独』(集英社文庫)の書評で、こんな本文を引用しています。まさにこれが、黒岩比佐子の迫ったテーマだったのです。――木垣はもう興味を失っていた。疲れてもいた。窓から外を眺めると、午後四時の太陽は、勝手気儘にあたりかまわず建てられた不調和な日本の中心部を、赫っと照らし出していた。軍艦の艦橋部のような型をしたA新聞社の上に伝書鳩が舞っていた。一羽、二羽、どうしても他の鳩たちのように陣列をつくって飛べないのがいた。ああいうのを劣等鳩というのであろう。木垣はその劣等鳩がしまいにはどうするか、と並々ならぬ気持ちで注視していた。(『広場の孤独』本文P24)「鳩通信」の時代から、「IT革命」の時代へと変遷します。黒岩比佐子は、前作にも劣らぬ克明さで、見事にまとめあげてくれました。公衆電話が肩身の狭い思いをしている時代です。混雑した電車の中で、自己主張をつづける携帯電話のある時代です。公衆電話が鳩に見えてきました。 通信手段は、驚くべき変化をとげています。そんな世の中に、静かに舞い下りてくれた鳩。通信の原点を考えさせられる一冊でした。◎新年を迎え私は黒岩比佐子『音のない記憶・ろうあの写真家・井上孝治』(角川ソフィア文庫)に、次のような文章を書いています。――2010年52歳の若さで、すい臓がんのために世を去ってしまいました。その後、遺作ともいえる『パンとペン・社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い』(講談社文庫)で読売文学賞(評論・伝記部門)を没後受賞しています。 生前の黒岩比佐子とは、何度もメールの交換をしています。彼女は古書収集マニアで、大物をゲットしたときは、自慢げに釣果の報告をしてくれました。 黒岩比佐子の新たな著作はもう読めませんが、新たな年を迎え、大切な著作を開いてみました。(山本藤光:2014.09.15初稿、2018.01.01改稿)
2015年11月11日
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朝鮮戦争勃発にともない雪崩のように入ってくる電文を翻訳するため、木垣はある新聞社で数日前から働いている。そこには「北朝鮮軍」を<敵>と訳して何の疑いを持たぬ者がいる一方、良心に基づき反対の側に立とうとする者もいた。ある夜、彼は旧オーストリー貴族と再会し、別れた後ポケットに大金を発見する。この金は一体何か。歴史の大きな転換期にたたずむ知識人の苦悩と決断。日本の敗戦前後の上海を描く「漢奸」併収。(「BOOK」データベースより)堀田善衛『広場の孤独』(集英社文庫)◎異色の第2次戦後派 堀田善衛の人物像に迫った、笑ってしまう文章から紹介させていただきます。堀田善衛には学者のイメージがあったのですが、得心できました。――堀田善衛はお喋りのなかに英語をまじえ、それをまた丁寧にもいちいち日本語で言い直すという癖がある。まず英語で発音し、つぎにそれを日本語に翻訳してみせるというこの操作をはたから見ていると、がらんとした教室の講壇の傍らに立った背丈のひょろ長い先生が一人か二人しか出席していない学生の前で世界語としての英語が地球上のここかしこに散らばった植民地を通じ、いかに訛ったかというまことに多面的な発音変遷史でも講義しているようで……。(埴谷雄高『戦後の文学者たち』構想社P238)――堀田さんが上海で生活したということは堀田さんの文学に大きな働きをしていると思います。堀田さんに私がある近さを感ずるのは私が満州で育ったせいかも知れませんが、違いは祖国をもっていないことだと思います。(『安部公房全集』第3巻、新潮社P182) 堀田善衛の文壇での位置を明確にするために、少しだけ文学史的な整理をしておきます。堀田善衛は「第2次戦後派」と位置づけられています。(『座談会昭和文学史6』集英社を参考にしました)・第1次戦後派:野間宏、梅崎春生、埴谷雄高、椎名麟三、武田泰淳・第2次戦後派:大岡昇平、中村真一郎、三島由紀夫、安部公房、堀田善衛 ただし堀田善衛は、これらのくくりからはみだした作家です。堀田善衛の著作では、『橋上幻像』(集英社文庫)と『広場の孤独』(集英社文庫)が秀逸です。第2次戦後派のなかで堀田は、学者肌の作家として異彩を放っていました。◎孤独感にさいなまれる 堀田善衛は1951年(33歳)のときに発表した、実質的な処女小説『広場の孤独』(集英社文庫)で芥川賞を受賞しました。時代は朝鮮戦争の勃発とレッドパージで揺れる1950年です。舞台は新聞社です。主人公の木垣幸二はいちど新聞社を辞めて、翻訳の仕事をしていました。そんなときに朝鮮戦争の戦況を伝える記事の、翻訳の仕事を新聞社から依頼されます。 日本は朝鮮戦争の余波で揺れています。新聞社内でも、北朝鮮を敵とするのか否かで、意見が対立しています。そんななかで木垣の立ち位置も定まらず、彼は孤独感にさいなまれます。妻の京子は、南米への脱出を主張します。木垣の心は揺れ動きます。 木垣幸二は世界中から舞いこむテレックスや電文の翻訳をしながら、これでは国家権力の肩棒をかつぐことになると思い悩みます。周囲には共産党のために死を賭けている日本人や、戦地を飛び回る中国人記者がいます。木垣はそうしたなかで、ますます孤立感を深めます。 ある日、木垣は以前上海で世話になった、旧オーストリア貴族ティルピッツと再会します。歓談して別れた帰路、木垣はポケットに大金が入っていることに気がつきます。このお金があれば、妻の希望する南米への移住が可能になります。木垣は一瞬、そう考えます。しかしその大金には裏があったのです。 さまざまな矛盾のなかで、孤立してゆく主人公。この点について安部公房の見解を示しておきます。――堀田善衛は矛盾をその中心テーマにした作家である。矛盾にさいなまれた被害者を追求している作家である。たしかに、見たところはそのとおりだ。矛盾の中から自己を選択する、というのが彼の文学の一貫したテーマである。登場人物ははじめから終わりまで矛盾になやまされつづけている。(『安部公房全集』第4巻P486.)◎比喩の達人 堀田善衛は比喩の達人です。作品のなかに、実に巧みな比喩を挿入してみせます。次に引用する文章は、『国文学』(1978年11月臨時増刊号)で解説された箇所です。――木垣はもう興味を失っていた。疲れてもいた。窓から外を眺めると、午後四時の太陽は、勝手気儘にあたりかまわず建てられた不調和な日本の中心部を、赫っと照らし出していた。軍艦の艦橋部のような型をしたA新聞社の上に伝書鳩が舞っていた。一羽、二羽、どうしても他の鳩たちのように陣列をつくって飛べないのがいた。ああいうのを劣等鳩というのであろう。木垣はその劣等鳩がしまいにはどうするか、と並々ならぬ気持ちで注視していた。(本文P24) うっかりすると単純な、窓外の風景描写と受けとられかねません。『国文学』の解説によると、――ビルディングの乱立といわず、いきなり「不調和な日本の中心部」と意味づけが出ている。軍艦の比喩も一通りのものとは思えない。他ならぬ新聞社の活動自体の朝鮮戦争に対する「Commitment」が問題になっている矢先なのだから、比喩は二重性を持つ。鳩が平和の象徴だとすると、「劣等鳩」は心中戦争を忌避しつつ現実との対応につまずいている主人公の木垣ということになる。場景はすべて社会の縮図なのである。 ここまでじっくり読みこむと、堀田善衛の奥深さが見えてきます。ちなみに新聞社の上を飛び交う伝書鳩については、黒岩比佐子『伝書鳩・もうひとつのIT』文春新書)をお読みください。黒岩比佐子の著作では、すでに『音のない記憶・ろうあの写真家・井上孝治』(角川ソフィア文庫)を紹介済みですが、明日「+α」として、『伝書鳩』を紹介させていただきます。(山本藤光:2012.09.16初稿、2015.11.09改稿)
2015年11月10日
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レイプ・スキャンダルで引退したお笑い芸人・笠原雄二。今は孤独に生きる彼を、元相方の立川誠が5年ぶりに訪ねてくる。だが直後、立川は失踪、かつてスキャンダルを書き立てた記者が殺された。いわれなき殺人容疑を晴らすため、笠原は自分の過去に立ち向かう。TV・芸能界を舞台に描く江戸川乱歩賞受賞作。(内容紹介より)新野剛志『八月のマルクス』(講談社文庫)◎新野剛志ができるまで 新野剛志は『八月のマルクス』(講談社文庫)で、江戸川乱歩賞を掌中にしました。3度目の挑戦でした。同賞へのチャレンジは、藤原伊織『テロリストのパラソル』(講談社文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)との出会いが発端でした。 新野剛志は仕事を辞め、家を飛び出し、何か大きなことを成し遂げなければと焦っていました。そんなときに『テロリストのパラソル』を読みました。社会復帰の手段は、これだと閃めきました。それからは、ファーストフード店やファミリーレストランを執筆のための場所とします。始発電車で仮眠し、また執筆空間へのサイクルを回し続けました。 そんな努力が実って、これまで最終候補作にも残らなかった著者は、念願をかなえたのです。◎タイトルの意味が明らかになる 本書の主人公・笠原雄二は、売れっこの元漫才師です。18歳の少女をレイプしたとして、マスコミに叩かれて引退しています。そのことで雄二の母親は自殺し、婚約中の所属事務所社長令嬢・奈津子とも別れました。 その後事件は、告発した鎌田和美の狂言であることが判明します。しかし、雄二が失ったものは戻りません。それから5年。雄二の行きつけの店へ、突然元相方で人気絶頂の立川誠が訪ねてきます。彼は自分が末期癌であること、アイドルの大島梨子とつき合っていることを告げ、意味不明の謝罪をすると失踪してしまいます。 同時に雄二を引退に追いやった、片倉義昭の死体が発見されます。平穏だった日常が、5年前に引き戻されます。 雄二は、立川誠を探しはじめます。昔の事務所・ヤベプロへ足を運び、立川の近況を探ります。大島梨子と面談します。離婚している立川の元妻や、かかりつけの医者に会います。立川のマンションを調査します。 立川誠の現在を手繰り寄せると、忘れかけていた過去がくっついて現れてきました。水に沈めたコルクから手を離した瞬間、過去の事件が浮上してきた感じです。多くの登場人物が複雑に絡み合い、読者を過去へ過去へといざないます。 雄二は立川のマンションで、「CANTIK」とロゴマークの刷り込まれた袋を発見します。雄二は立川が暴露本出版を依頼していた、市瀬真奈美に尾行されます。行きつけの店で、ヤベプロの副社長・桐島が雄二を待っていました。様々な仕かけと、巧みな登場人物の出し入れで、新野剛志は作品を動かします。 タイトルの意味が明らかになるまでは、事件の全容はわかりません。そして、思いがけないエンディングが待ち構えています。そのことについて、著者自身が次のように書いています。 ――本作の主人公は時間を止めた男だ。心の痛みに堪えながら過去を振り切った時、未来に繋がる希望が見えて来る。幾通りかのエンディングが考えられたが、希望の持てる終わり方は全てに共通した。先の見えない自分の未来をそこに託したかったのだ。(『本』1999年10月号) 殺人の動機があまりにも希薄であったり、偶然すぎる伏線があったりと、全体的にはまだ粗削りです。しかしスピーディな作品の流れや、巧みな会話には光るものがありました。私はエンディングの勇気をも、称えたいと思います。新野剛志の次作に期待します。(藤光伸の筆名で、PHP研究所「ブック・チェイス」・1999年9月24日に掲載したものに加筆修正しました)◎『あぽやん』でブレークの予感 新野剛志については、第2作『もう君を探さない』(講談社文庫)も高い評価をしています。その後遠ざかってしまったのですが、近作『あぽやん』(文春文庫)に、ブレークの予感を抱いています。現状ではとりあえず、文壇へのデビュー作『八月のマルクス』を推薦作とさせていただきます。(山本藤光:1999.09.24初稿、2015.11.08改稿)
2015年11月09日
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「人はどうやって不安を克服してきたか」人類の永遠とも言えるテーマに、多くの人の悩みと向き合ってきたカーネギーが綴る、現代にも通ずる「不安、疲労、悩み」の克服法。不安の正体を明らかにし、不安を分析する基本テクニック、さらには不安の習慣に先手を打つ方法、そして平穏と幸福をもたらす方法まで余すところなく書いた一冊。全世界で半世紀以上にわたって読まれた世界的ロングセラーの新訳文庫版。(「BOOK」データベースより)D.カーネギー『道は開ける・新訳』(角川文庫、田内志文訳)◎『人を動かす』を読むデール・カーネギーは、人間関係に着目した元祖として知られています。「山本藤光の文庫で読む500+α」では、『人を動かす』(創元社、山口博訳)を以前に紹介させていただいています。しかし2014年末に、その続編ともいえる『道は開ける・新訳』(角川文庫、田内志文訳)が出ましたので、そちらを紹介本とすることにしました。企業人時代の私は、長い間営業畑を歩きました。D・カーネギーも営業職出身者ですので、言説には共感できることがたくさんあります。本書は学者が書くものとは違い、著者自身の体験に裏打ちされたものです。説得力があるのは、そのためなのです。本書は基本的には、相手を変えるためには自分を変えなさい、という原則で貫かれています。――人と接する際の基本的な原則を基に、自分が重要視され、評価されていると相手に感じさせるようなスキルを教示する。また、操られていると相手に感じさせないようにしながらつき合う基本的な手法にも重点を置いている。カーネギーは、誰かに自分が望むことをさせるには、状況を一度自分以外の視点に立って観察し、「他人の中に強い欲望を喚起させる」ことで可能になると述べる。(デール・カーネギー『人を動かす』の出版社案内より)これってあたりまえのことですが、D.カーネギーに説かれると、なんともありがたいセリフに聞こえるから不思議です。扇谷正造は本書のポイントを次のように書いています。私が感動した個所と一致しているので、引用させていただきます。――鉄鋼王のアンドレー・カーネギーの話である。彼は鉄鋼のことなど、何も知らなかった。彼の成功の秘密は、彼よりも鉄鋼のことをよく知っている数百人の人々をその下に集め得たということであった。つまり彼は人の扱い方のエクスパートであった。(扇谷正造『一冊の本』PHP文庫)『人を動かす』には引用のとおり、実例が満載されています。◎不安を除去した1日を設計するD.カーネギー『道は開ける・新訳』も、『人を動かす』同様に赤線と書き込みだらけになりました。何といっても「序文。パート1・第1章:今日というひと区切りを生きる」が秀逸です。――すべての知識と情熱とを今日一日に傾けることこそが、明日に備える最上の手段であるということだ。未来への準備とは、そのようにしかできない。(P26)私は「1日のRPDCサイクル」を大切にしています。このサイクルの「P」は、「毎朝その日の成果を思い描く」ということです。1日の成果を思い描いていると、1日の終わりに成果の検証ができます。〇ならそれは翌日の弾みとなります。×なら翌日の糧とすればいいわけです。カーネギーは充実した1日を、実現することを強調しています。まったく同感で、設計なしの1日をのほほんと過ごしている人には、ぜひ実践してもらいたいと思います。そのあたりのことを、カーネギーは次のように書いています。――よき思考とは原因と結果とを踏まえ、論理的かつ建設的な計画へと繋がってゆくものだ。(P28)もう一度、私の「RPDC」に戻ってみます。「R」は新しい何かを発見する(気づき、ヒント)。「P」は説明しました。「D」は失敗を恐れずに挑戦する。「C」は新しい発見と挑戦を明日の糧にする、となります。。D・カーネギーについて、一部のガイドブックでは「不安解消のための名著」となっています。しかしこれはカーネギーの理論の一部です。カーネギーがもっとも尊重しているのは充実した1日の設計です。1日を楽しく確実に過ごすために、それにブレーキをかけてしまう不安は除去しなさいといっているのです。カーネギーは一貫して、「不足しているものを数えるな、恵まれているものを数えてみよう」と主張しています。不安がどこからうまれているかを的確に示した、すばらしい言葉だと思います。「気のもちよう」という言葉があります。まずは頭の片隅からネガティブ要素を取り払い、明るい1日を想像して創造する。それが『道は開ける』の教えです。◎松下幸之助『道をひらく』松下幸之助に著作に、似たようなタイトルの1冊があります。ちょっと引用させていただきます。――他人の道に心をうばわれ、思案にくれて立ちすくんでいても、道はすこしもひらけない。道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。心を定め、懸命に歩まねばならぬ。(松下幸之助『道をひらく』PHP文庫)松下幸之助もカーネギー同様に、思い悩んでいても進展はない。まずは一歩を踏み出しなさい、といっています。夢いっぱいの1日を設計しましょう。きちんと1日を思い描けたなら、それは明日へと繋がる第一歩なのです。(山本藤光:2014.11.13初稿、2015.11.07改稿)
2015年11月08日
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ラディゲ『肉体の悪魔』(光文社古典新訳文庫、中条省平訳)第一次大戦下のフランス。パリの学校に通う15歳の「僕」は、ある日、19歳の美しい人妻マルトと出会う。二人は年齢の差を超えて愛し合い、マルトの新居でともに過ごすようになる。やがてマルトの妊娠が判明したことから、二人の愛は破滅に向かって進んでいく…。(「BOOK」データベースより)◎夭折した天才作家20歳で夭折した天才作家レイモン・ラディゲは、17歳のときに『肉体の悪魔』を発表しています。ラディゲが文壇に登場したのは、それ以前に発表した詩集『燃える頬』(初出1920年、17歳)によってでした。そのころからラディゲは、創作に意欲を燃やして「肉体の悪魔」を執筆しています。『燃える頬』は『完本ラディゲ全集』(雪華社、江口清訳)に所収されていますが、他の訳書はみあたりませんでした。その後『肉体の悪魔』(初出1923年、20歳)を発表すると大きな反響をよび、ラディゲはフランス文壇の寵児となります。そして第2作『ドルジェル伯の舞踏会』(新潮文庫)の執筆に没頭します。本書はラディゲの死後に刊行されました。若きラディゲの背中を押したのは、ジャン・コクトー(「500+α」推薦作『恐るべき子供たち』岩波文庫)でした。コクトーはラディゲの詩を高く評価し、出版への道を拓きます。その後2人は親密になり、いっしょに旅行へ行ったりしています。ラディゲの臨終を看取ったジャン・コクトーのエピソードについては、三島由紀夫が『ラディゲの死』(新潮文庫、初出1953年)という作品を発表しています。三島由紀夫は少年の時より、ラディゲに心酔しつづけてきました。しかしラディゲの葬儀にコクトーは現れません。彼は絶望の底にあり、ヘロインに走るようになります。◎クライマックス場面へ『肉体の悪魔』(光文社古典新訳文庫、中条省平訳)の時代は、第1次世界大戦のさなかです。15歳の少年「僕」は、父の知り合いの娘マルト(19歳)と知り合います。マルトには婚約者がいて、現在戦地にいます。やがてマルトは婚約者と結婚して、少年の家の近くに住みます。マルトの夫ジャックは、ふたたび戦場へと送られます。少年は新妻マルトから誘われて、新居を訪れます。その後少年は、両親の目を盗んで毎晩、ジャック不在のマルトの家を訪れます。しばらくは何もない関係がつづきます。そのうちに2人の関係は、次第に深まっていきます。マルトが妊娠します。少年はマルトが身ごもったのは、ジャックの子であろうと都合よく思いこもうとします。やがてジャックが除隊し、マルトは男の子を早産します。マルトは赤ん坊に少年の名前をつけ、あなたの子どもだと知らせます。産後のひだちが悪く、マルトは衰弱してゆきます。そしてジャックの前で子どもの名前を呼びながら、マルトは死んでしまいます。◎初めての触れ合いの場面ラディゲ『肉体の悪魔』は大学時代に、新潮文庫(新庄嘉章訳)で読みました。その後『完本ラディゲ全集』(雪華社)で江口清訳を読みました。そして今回、新訳(光文社古典新訳文庫、中条省平訳)が出たので、久しぶりに読み直しました。少年とマルトの初キスシーンを3つの訳で比較してみます。――僕は彼女に接吻して、自分の大胆さにわれながら驚いたが、僕が彼女の顔に近づいたとき、僕の顔を自分の唇に引き寄せたのは、実は彼女だった。彼女の両の腕は、僕の首にしがみついていた。難破にあった場合でも、これほど激しくしがみつくことはあるまい。そして、彼女は僕に助けてもらいたいと思っているのか、それとも僕も一緒におぼらせようとしているのか、僕には全く見当がつかなかった。(新潮文庫、新庄嘉章訳P62)――ぼくは、自分の大胆さに驚きながらも、マルトに接吻したのだ。しかし、ぼくが顔を近づけたとき、ぼくの顔を唇へと引き寄せたのは、じつは彼女だったのだ。彼女の両手は、ぼくの襟首を抱き締めていた。難船のときだって、あんなに強く抱き締めることはあるまい。とすると彼女はぼくに助けられるのを願っていたのか、それとも、彼女といっしょにぼくまでが溺れるのを望んでいたのか、ぼくにはさっぱりわからなかった。(全集、江口清訳P36)――僕はマルトにキスをした自分の大胆さに呆然としていたが、本当は、僕が彼女に顔を寄せたとき、僕の頭を抱いて唇にひきよせたのはマルトのほうだった。彼女の両手が僕の首に絡みついていた。遭難者の手だってこれほど激しく絡みつくことはないだろう。彼女は僕に救助してもらいたいのか、それとも一緒に溺れてほしいのか、僕には分らなかった。(光文社古典新訳文庫、中条省平訳P65)どの訳文を選ぶかは、読者の好みの問題です。単純に解釈するなら、新訳を選ぶのが無難でしょう。なぜなら既存の訳文を読みこなしたうえでの、新訳なのですから。◎この人はこう読んだ何人かの作家のラディゲ評または『肉体の悪魔』の書評を、紹介させていただきます。――ラディゲの夭折、あの小説を書いた年齢も、私にファイトを燃やさせた。私は嫉妬に狂い、ラディゲの向うを張らねばと思って熱狂した。小説の反古作りに一段と熱が入ったのは、ラディゲのおかげである。私はしばらくラディゲの熱からさめなかった。ただ、だんだんに、ラディゲの小説の源を探りたい気がしはじめた。『クレエヴの奥方』を読み、『アドルフ』を読み、ラシイヌを読み、ギリシア神話を読んだ。(『三島由紀夫のフランス文学講座』ちくま文庫、鹿島茂編P17-18)――いつでも手に入ると思ったオモチャが、人のものになりそうになると、力づくで奪おうとするのが子どもである。が、女というのはこれをしばしば男の愛情と勘違いするから始末に悪い。いっぺんに女の方がのめり込んでしまう。けれども男の目は時々醒めて女を見つめる。そして大層意地の悪いことを仕向けて女を苦しめる。(林真理子『名作読本』文春文庫P121-122)――この小説が十七歳くらいの少年によって書かれたことは信じ難い事実なのだ。感傷を取り払ったメタファ、生硬な心理描写は、この不道徳な小説にひとつの底深い謎を与えている。(宮本輝『本をつんだ小舟』文春文庫P293)『ドルジェル伯の舞踏会』(新潮文庫、牛島遼一訳)は、三島由紀夫が絶賛する作品です。本書は、講談社文芸文庫(堀口大學訳)、岩波文庫(鈴木力爾訳)からも出ています。お好きな訳書を選んで、ぜひ読んでみてください。(山本藤光:2013.06.21初稿、2015.11.06改稿)
2015年11月07日
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極貧の家に生れた愛川吾一は、貧しさゆえに幼くして奉公に出される。やがて母親の死を期に、ただ一人上京した彼は、苦労の末、見習いを経て文選工となってゆく。厳しい境遇におかれながらも純真さを失わず、経済的にも精神的にも自立した人間になろうと努力する吾一少年のひたむきな姿。本書には、主人公吾一の青年期を躍動的に描いた六章を「路傍の石・付録」として併せ収める。(「BOOK」データベースより)山本有三『路傍の石』(新潮文庫)◎教養小説の代表作 山本有三『路傍の石』(新潮文庫)は、何度も中断を余儀なくされた未完の長編小説です。主人公の愛川吾一は小学生6年(旧・高等2年)で、中学への進学を夢見ています。彼は学業成績もよく、運動神経も抜群で、クラスでも人気者でした。 吾一の家は13代も続いた旧商家でしたが、明治維新ともに没落してしまいました。しかし父親の庄吾は気位の高い人で、損料目当てに訴訟を起こしたり、まともに働こうとはしませんでした。母親のおれんは、袋はりをしながら細々と生活を立てていました。 頭のよくない金持ちの級友たちが、中学への進学を決めます。ところが父親は、吾一の中学進学の夢を断ちます。近所のいなば屋の主人が、吾一の進学の援助を申し出ますが、父親は頑なに拒絶します。 そんなある日、仲間が集まって肝試しをすることになります。吾一は鉄橋の枕木につかまり、列車が通り過ぎるまで耐えて見せると宣言します。ところが吾一は失神してしまい、列車運行妨害で大きな事件となります。 吾一は、中学進学を決めた級友の家・呉服屋の伊勢屋に奉公に出されます。本書はこのあたりまでは、山本有三の自伝的な小説となっています。しかしこれ以降はドイツの教養小説の影響を受けた、完全な山本有三の創作となります。その点については、新潮文庫の解説で、高橋健二が触れています。ここでは触れません。◎大人たちの弁舌ぶり『路傍の石』には、途中で「ペンを折る」という章がはさまれています。その点について、斎藤美奈子は次のように書いています。――いま読んでもおもしろいのは吾一を取り巻く大人たちの弁舌家ぶりである。自由民権運動あがりで口だけは達者だが生活力ゼロの横暴な父。小学校の担任で文士志望の次野先生。文選工仲間で社会主義者の得次。彼らがまー自らの人生論や国家論を語る語る。この国家論の部分が当局の検閲にひっかかったのは想像にかたくない。(斎藤美奈子『名作うしろ読み』中央公論新社) 呉服屋の丁稚になった吾一は、「五助」という名前をつけられます。つらく絶望的な奉公の日が続きます。そんななかで、突然母親が死亡します。上京している父親は、葬式にも顔を出しません。 東京へ行って人生をやり直そう。そう決心した吾一は、着の身着のままで上京します。父の住まいを訪ねますが、行方知れずになっていました。ここから先については、触れないでおきます。 本書には貧困のなか、時代の荒波にもまれながら、吾一が成長していく過程が描かれています。印刷工場で働き始めた吾一。そして父親との再会。物語は未完のままになっていますが、日本の近代文学のなかでは大切な作品だと思います。(山本藤光:2013.12.11初稿、2015.11.05改稿)
2015年11月06日
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新宿・アンダーグラウンドを克明に描いた気鋭のデビュー作! おれは誰も信じない。女も、同胞も、親さえも…。バンコク・マニラ、香港、そして新宿―。アジアの大歓楽街に成長した歌舞伎町で、迎合と裏切りを繰り返す男と女。見えない派閥と差別のなかで、アンダーグラウンドでしか生きられない人間たちを綴った衝撃のクライム・ノベル。(「BOOK」データベースより)馳星周『不夜城』(角川文庫)◎坂東齢人のころ『本の雑誌』の創刊号からの愛読者です。もちろん」、その雑誌の書評欄を担当していた、坂東齢人の名前はよく知っています。しかしそれが馳星周と同一人物であることは、しばらくはわかりませんでした。 坂東齢人はハードボイルドを中心として、毎回辛口の書評を展開していました。そんな坂東がなぜ、自ら作品を書きはじめたのか。『不夜城』の誕生を、彼自身が『バンドーに訊け』(坂東齢人著・文春文庫、初出1997年)のなかで、次のように書いています。――坂東齢人が馳星周になって『不夜城』を書くにいたった道筋というものが、おぼろげに見えてくる。アンドリュー・ヴァクス→花村萬月→梁石日→ジェイムズ・エルロイ。なるほどぼくは、自分が見つけた道を清く正しく真っ直ぐ歩んできたのである。(本文より) 残念なことにこれらの小説家は、花村萬月(「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作『ゲルマニウムの夜・王国記1』文春文庫)しか読んだことはありません。花村萬月を一言で説明するなら、不器用な登場人物の不器用な愛と暴力物語作家となるのでしょう。 本人が書いているように、馳星周はまさしくこの領域に割って入りました。『不夜城』は書評人・坂東齢人が、徹底的に書評されることを意識して書かれたものです。◎金と嘘と裏切り 物語の舞台は、新宿歌舞伎町です。主人公はケチな日台混血の故買屋の劉健一(リウジェンイー)。登場人物は歌舞伎町に暗躍する中国人組織。台湾マフィア。北京のチンピラ。おカマに情婦……。眠らない歌舞伎町に、うごめく利害関係と利権争いの舞台をいろどるにふさわしい面々です。 馳星周はこれらの登場人物を、微妙な糸で結びます。結ばれている糸が「信頼」を表すとしたら、どれもがすぐにでもちぎれそうに張り詰めています。さっきまで結びついていた糸が、いつの間にか違うところにからみついていたりします。 馳星周は実に巧みに糸をかけかえ、糸を解き放ちます。緊張と弛緩。からみ合う糸。それらを短いセンテンスの文章と、会話で表現します。 ――待つことは苦痛じゃない。孤独を感じることもない。おれは一個の完結した存在なのだ。泣き事をいっていいのは、堅気だけだ。おれは泣き事をいわない代わりに、堅気から金をかすめとる(本文より)――「おまえは狡賢い。兵士としては最低だが、参謀としてならそれなりに才能を発揮するタイプだ」/「誉めてるのか?」/「おれは勇敢な兵士が好きだ」/腰に押しつけられた銃口の圧力が強くなった。(本文より) 生き残りをかけて、金と嘘と裏切りがはびこる世界。劉健一はそんな世界を、器用に泳いでいました。しかし突然かっての相棒だった呉富春(ウーフーチュン)が歌舞伎町に戻ってきます。その時点から、劉健一の世界が一変します。同じころ、夏美という正体不明の女とかかわります。女の存在がストーリーの展開に、微妙なあやをつけます。『不夜城』は、花村萬月の著書『笑う山崎』(祥伝社文庫、初出1994年)『皆月』(講談社文庫、初出1997年)に匹敵する傑作です。馳星周がねらったとおり、ベストセラーにもなり、映画化もされました。(藤光 伸・1998年5月 9日・PHP研究所「ブック・チェイス」掲載)◎小説はおもしろくなければならない 書評家・坂東齢人はチャンドラーの流れをくむ、ハードボイルドに違和感を覚えていました。そして好んで読んでいた花村萬月や梁石日のような世界を、みずから描く道を選びました。『不夜城』から3年。ますます磨きがかかった馳星周は、『M(エム)』(文春文庫)にて更に変身してみせました。 馳星周は藤沢周との対談で、次のように語っています。――主語も何もかも省きたいと思うときがありますね。(中略)ただ、なるべく簡潔に、簡潔にしたいと思います。(『文藝別冊』1998年8月号) 馳星周は、文体にこだわりをもっています。そして何よりも書評家の経験から、読者が喜ぶ作品を仕上げようとしています。『M(エム)』は簡潔な文章どころか、これまで一貫して描いてきた暗黒街まで削ぎ落としてしまいました。『M(エム)』には、一連の作品に見られる暴力場面はありません。殺し屋もアウトサイダーも、登場しません。『M(エム)』に収載されている4つの作品は、いずれも倒錯した性を描いたものです。 表題作「M(エム)」の主人公・稔は父親を刺殺し、母親の妹を孕ませて自殺に追いやっています。少年鑑別所を出て、今は勤労学生としてアルバイトをしています。 アルバイト先の先輩に誘われて、SMクラブを体験します。はじめは仕方なしに行ったSMクラブでしたが、そこで知り合ったまゆみとのSMプレー溺れます。まゆみの昔話に、自分の過去が重なります。 文芸評論家時代の、馳星周の文章を拾ってみます。 ――花村萬月『夜を撃つ』(廣済堂出版)について。「最近の萬月は暴力よりも性をとおしての濃密なコミニュケーションにより比重を置いているのか、セックス・シーンがやたらと多い。(中略)これで、性描写と同じほど濃密なストーリーがあれば、言うことなし。――藤沢周『刺青』(河出書房新社)について。「人間の魂の暗黒と虚無と紙一重の絶望を描く小説により魅かれてしまうのは、結局はその切実さとどこかグロテスクな美しさが、すべての肯定的なものを蹴散らして迫ってくるからだ。 馳星周は好意的に読んできた、花村萬月や藤沢周を超えようとしています。大好きだった香港のスーパースター・周星馳をもじった名前が、輝きを増してきました。 最近では直木賞候補にも、名を連ねるようになりました。成熟した作家・馳星周は、書評家時代の初心を大切にしています。小説はおもしろくなければならない。(山本藤光:1999.12.11初稿、2015.11.03改稿)
2015年11月05日
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会社・家庭・人間関係など、私たちの人生のすべての大切な側面を取り上げ、激しい変化の時代にあって充実した、人間らしい生活を営む道を示す。(「MARC」データベースより)スティーブン・R・コヴィー『七つの習慣』(キングベアー出版)◎まずは「人間力」を磨くスティーブン・R・コヴィー『七つの習慣』(キングベアー出版)の根底には、「成功するためには、優れた人格をもつこと」という理念があります。私はこの言葉に触発されました。いまやカタカナ語スキルの、資格安売りの時代です。日本にコーチングを導入した友人がある日、こんなことをいっていました。「雨後のたけのこみたいに、短期間でコーチング資格をもった人群れができてしまった」。友人はバカバカしくなって、渡米して苦労を重ねて得たライセンスに、封印してしまいました。私はコーチングやカウンセリングなどの、カタカナ語スキルを否定はしません。しかし簡単に資格を得た人たちには、それ以前に「人間力」を磨いてもらいたいと思っています。そんな意味で、『仕事と日常を磨く人間力マネジメント』(医薬経済社、初出2015年)という著作を上梓させていただいています。成功するためには、まず自分自身の内面の成長に挑まなければなりません。『七つの習慣』では、成功の秘訣をそうまとめています。コヴィーは米国建国以来200年に発表された文献を調べています。当初は誠意、謙虚、誠実、勇気、正義、忍耐、勤勉などといった人格に関する内容が中心でした。それがここ50年で、成功するためのイメージのつくり方、テクニックにフォーカスがあてられるようになったと書いています。(本文P8を参照しました)私が問題視しているのは、まさにその点にあるのです。コヴィーは、まず「私的成功」を目指さなければならないと説きます。そのためには、次の3つの原則が重要だとしています。・第1の習慣:「自己責任の原則」主体性を発揮する・第2の習慣:「自己リーダーシップの原則」目的をもって始める・第3の習慣:「自己管理の原則」重要事項を優先するここまでは非常にわかりやすい理論です。自分の不運や不幸を、嘆いていても仕方がありません。まずは自分自身を前記3つの原則にしたがい、磨き上げなければならないのです。特に「自己リーダーシップ」が、私の心に刺さりました。◎信頼を深める「私的成功」を獲得したなら、第4の習慣へと進みます。第4の習慣は「相互依存」の世界が待っています。・第4の習慣:「人間関係におけるリーダーシップの原則Win-Winを考えるこれは相互信頼または相互依存という形になることです。そして第5の習慣へと移行します。・第5の習慣:「感情移入のコミュニケーションの原則」理解してから理解される第5の習慣については、著者自身の説明を引用させていただきます。――信頼感が深まっているとき、コミュニケーションの苦労はなくなり、自分の意志が瞬間的に相手に伝わるようになります。多少言葉を間違うことがあったとしても、相手は言いたいことを理解してくれるでしょう。しかし、信頼がくずれているとき、コミュニケーションは我々の時間とエネルギーを浪費させ、意思疎通が極めて困難なものになります。(本書「著者からの挨拶」より)◎継続して自分自身を磨くここまでは個人を磨き、他人との良好な関係を構築する世界でした。第6の習慣は、組織としての成功に言及しています。私たちはさまざまな組織の一員です。舞台は会社や地域社会や家庭など、まったく次元の異なるものになります。・第6の習慣:「創造的な協力の原則」相乗効果を発揮する第6の習慣は、お互いまたはみんなが満足するゴールをめざすことです。そして第7の習慣では、継続的に自分自身を磨き続けることの大切さが説明されています。・第7の習慣:「バランスのとれた自己再新再生の原則」刀を研ぐ『第7の習慣』は分厚い本ですが、少しずつラインマーカーをひきつつ読んでいただきたいと思います。2度目はラインマーカーの部分だけ読み返すと、より理解が深まることでしょう。(山本藤光:2013.03.10初稿、2015.10.27改稿)
2015年11月04日
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言語の力によって現実世界の価値をことごとく転倒させ、幻想と夢魔のイメージで描き出される壮麗な倒錯の世界。――裏切り、盗み、乞食、男色。父なし子として生れ、母にも捨てられ、泥棒をしながらヨーロッパ各地を放浪し、前半生のほとんどを牢獄におくったジュネ。終身禁固となるところをサルトルらの運動によって特赦を受けた怪物作家の、もっとも自伝的な色彩の濃い代表作。(内容紹介より)ジュネ『泥棒日記』(新潮文庫、朝吹三吉訳)◎正真正銘の泥棒ジャン・ジュネは正真正銘の泥棒であり、大作家です。本物が書いたのですから、『泥棒日記』(新潮文庫、朝吹三吉訳)がおもしろくないはずはありません。ジュネは捨て子でした。両親の顔すら知りません。友人をつくらず、書物だけを友として成長しました。そんなジュネですので、書物のなかの悪人だけに偏った愛情を感じるようになりました。そして盗みを働き、感化院へと送られます。感化院は「おかま」と「暴力」と「裏切り」の巣窟でした。ジュネはそこで、親分格の少年の恋人になります。そして自由の身になると、軍隊を志願します。ジュネは軍隊でも重い犯罪を犯し、脱走を余儀なくされます。脱走後の逃亡のてんまつについては、『泥棒日記』にくわしく書かれています。冒頭でふれたように、ジャン・ジュネ『泥棒日記』は、本物の泥棒の日記なのです。入獄、出獄を繰り返しながら、ジュネはセーヌ河岸で古書店を営みます。このころジュネは自分の文才に気がつき、『死刑囚』という詩集を自費出版します。その詩集に目をとめたのが、ジャン・コクトー(「標茶六三の文庫で読む400+α」推薦作『恐るべき子供たち』岩波文庫、鈴木力衛訳)でした。コクトーはラディゲを世に送り出したことでも有名です。ジュネはコクトーの要請で、書いたばかりの『花のノートルダム』(光文社古典新訳文庫)を披露します。一読したコクトーはあまりの過激な内容に、まともな形での出版はできないと判断します。そして地下出版に踏み切るのです。(ここまでのプロフィールは、『解体全書』リクルートを参照しました)◎泥棒と男色と裏切り『泥棒日記』は自伝的な、詩のような小説です。舞台はスペインのバルセロナにある貧民窟。そこにはスペイン人以上に、外国人がたむろしています。主人公のジャンは孤児で、物乞いや盗みや男娼で生計をたてています。彼は乞食の醜男サルヴァドールと生活しています。しかしジャンは、片手を失った美男の女衒スティリターノと出会います。スティリターノは、冷酷で平気で人を裏切ります。それでもジャンは、それが彼の美徳と思います。ジャンはスティリターノと同棲して、献身的につくします。やがてジャンはスペインを追われ、放浪の旅をはじめます。『泥棒日記』には、そこでの体験が生々しくつづられています。このあとの展開については触れません。ジャンは次々と男の関係を繰り返します。途中で吐き気をもよおすほど、男同士の情交の模様をさらけ出します。サルトルには『聖ジュネ・殉教と反抗』(上下巻、新潮文庫)といつ著作があります。読んでみたいのですが、古書価格があまりにも高く手がでません。ジャン・ジュネについては、三島由紀夫もたくさんの論評をのこしています。その一部を紹介させていただきます。――ジュネは、泥棒と男色と裏切りにその半生を費やし、自らこの三つのものを聖三位一体と称して、自分の送った過去と、自分の本能と運命に対するおどろくべき情熱的な自己肯定によって、この小説を書いたのであるが、かくも執拗な悪徳の主張は、反対概念としての神をもたない日本人には、歯の立たないところであろう、(鹿島茂編『三島由紀夫のフランス文学講座』ちくま文庫P225)そして三島由紀夫はこんな文章で結んでいます。――私はこの世にも崇高で、豪華で、痛切な小説が、全くの偏見なしに読まれることを祈ってやまない、『泥棒日記』は一流の小説なのである。(鹿島茂編『三島由紀夫のフランス文学講座』ちくま文庫P225)三島やサルトルが絶賛する小説を、ぜひ読んでみてください。(山本藤光:2013.09.22初稿、2015.10.27改稿)
2015年11月03日
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■小説「どん底塾の3人」020:確かに売れませんでした◎あらすじ配置転換、リストラ、倒産で転身せざるを得なくなった3人。つぶれそうな定食屋「どん底」で店主亀さんの熱烈指導を受ける。授業料はいらない。ただし定食屋「どん底」の再建に力を貸してもらいたい。あの「世界一ワクワクする営業の本です」を、新たなものがたりにリメイクしました。(山本藤光)◎第020話 惣菜は12個しか売れなかった。店の後片付けをしてから、本日の反省会がはじまる。「まずは、夕方の部からだ。売上は1200円。これでは、商いとはいえないな。どうする? 撤退するか?」「確かに売れませんでしたが、認知度が原因だと思います。続けていれば、きっとお客さんがつくはずです」 加納百合子は、「いやっしゃいませ」「いかがですか」がいえなかった自分自身を思い出していた。せっかく、きめた新ビジネスである。簡単には、撤退したくなかった。「専任の店頭販売員を置くのは、もったいないと思います。今日は店の方が定休日だったので、兼務が可能かの判断ができませんでした。でも、店員で対応できると考えます」 大河内雄太は、撤退すべきと考えていた。しかし海老原たちの手前、それをいうのははばかられた。「惣菜販売ではなく、弁当として売ったらどうでしょうか。それなら、定食屋の延長線上の仕事ですし、わざわざ別に用意することもありません」 海老原浩二の主張に、亀さんは開いた掌に拳を落とす。「おれも、そう思う。それなら、店内の客と同じに対応できる。どうだ? 少し軌道修正してみないか?」 異論はなかった。お客さんが店内に顔を出し、定食弁当を注文する。座って待ってもらっている間に、厨房ではパック詰の弁当を作る。なるほどその方が合理的だ。大河内は、海老原の柔軟な思考に感心した。加納は自分が考えていたことを海老原から提案され、複雑な思いを抱いた。 「明日の朝食バイキングは、何食分を用意しようか?」「今朝が9食でしたから、20食くらいだろうと思います」 若い海老原がまじめな顔をして、意見を述べる。「大河内もそう思うか? そんな固い頭で、よく営業ができるよ。もっと、風を読め」「わたしも、そんなものかと考えていました」「ポジティブ思考って、知ってるか? 統計学者じゃないんだから、今日の売上を前提にして明日を考えるな。もっと大きく考えろ。昼にあれだけの、行列ができたんだぞ。その効果は、明日の朝食につながる。彼らは待っている間、加納のポスターをいやというほど見ているんだから」 加納百合子は、明日のことが気になっていた。自分の名刺を持ったお客さんは、本当にくるのだろうか。それを確かめたくなる。 大河内雄太は、久し振りに充実感を味わっている。海老原浩二は、お客さんから「ありがとう」をいわれる場面を思い描いている。※加納百合子の日記 どん底塾でのニュービジネスは、袋ラーメンがあたった。自分たちの企画が、お客さんから評価されたのだ。人事部では自分たちの企画を、現場で直接検証することがない。だから評価は、ネガティブなものしか入ってこない。 今日は顧客の声に、じかに触れることの大切さを実感した。明日は会社を休む。そして2日目を迎えるニュービジネスを、現場で体感しようと思う。どうせ辞めなければならなくなる会社だ。構うものか。※ダントツ営業の知恵 営業の成果は、種まきの量と比例している。
2015年11月02日
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彼の人生は、定年からが本番だった。三菱製紙高砂工場では、ナンバー3の部長にまでなり、会社員としても一応の出世をした永田耕衣。しかし、俳人である永田には、会社勤めは「つまらん仕事」でしかない。55歳で定年を迎えた永田は、人生の熱意を俳句や書にたっぷり注いで行く。異端の俳人の人生を、その97歳の大往生まで辿りながら、晩年をいかにして生きるかを描いた人物評伝の傑作。(「BOOK」データベースより)城山三郎『部長の大晩年』(新潮文庫)◎俳人・永田耕衣の晩年に限った伝記 最初に、城山三郎『部長の大晩年』(新潮文庫)のモデルである、俳人・永田耕衣の句のいくつかを引いておきます。夢の世に葱を作りて寂しさよ朝顔や百たび訪はば母死なむ後ろにも髪脱け落つる山河かな泥鰌浮いて鯰も居るというて沈む死螢に照らしをかける螢かなかたつむりつるめば肉の食い入るや少年や六十年後の春の如し白梅や天没地没虚空没 永田耕衣の持論を紹介している文章があります。引用させていただきます。――耕衣の持論は「俳句の面白さの核心は人生的であるべきや」「思いどおりにならん人生やからこそ、人間の詩をつくり、歌を詠ませるんや」だった。(安原顕『だからどうした本の虫』双葉社) 城山三郎『部長の大晩年』(新潮文庫)は、タイトルに惹かれて読みました。そして装画の井筒啓之に魅せられました。残念ながら文庫にはありません。本書は俳人・永田耕衣の、晩年に限った伝記です。私はその人を知りません。しかし、それでも思わず読みたくなったほど、魅力あふれる表情の単行本だったのです。 永田耕衣は三菱製紙高砂工場で、製造部長兼研究部長として55歳で定年を迎えます。定年後は現役時代からたしなんでいた俳句や、書三昧の人生を送ります。その耕衣について筆者は、「読売新聞」(1998年9月5日)のインタビューで次のように語っています。――会社という公の世界と、俳句という私の世界をしゅん別し、どちらも全力疾走した。だからこそ定年で会社という器がなくなっても、たじろがなかったのでしょう。 人生は「生徒・学生期」「会社・家族期」「老年期」の3層構造になっています。長い長い「老年期」を充実したものにするためには、「会社・家族期」をいかに過ごすかにかかっています。本書の主人公は、みごとに第3期に突入したのです。◎永田耕衣の人柄 サラリーマンなら、誰にでも訪れる定年というゴール。永田耕衣の場合は、そこからの40年余を美しく完全燃焼し,97歳で大往生をとげています。 耕衣の人柄が、顕著に見える個所を抜粋してみます。第1は定年を迎えたとき。部下たちが送別会を企画します。 ――「御免こうむる。そんなもん好かん。せんでええ」「でも、これはしきたりということで……」「アホなことを。わしはしきたりで生きとるんやないで」(本文より) 部下たちが困り顔になると、耕衣はひとつの提案をします。みんなで倉敷の大原美術館へ行こうというのです。世の中で一番大切なのは、本物をみることだといい添えます。 第2は還暦祝いにと息子、娘夫婦が神戸の中華料理屋に招いてくれたときのことです。彼は喜んで「実にうまい」といってよく食べました。ところが主宰する誌上にはこう書いてしまいます。 ――元来貧乏性の私は、その翌朝いつもの習慣の豆腐の味噌汁と、その一椀の後の目刺し一ぴきで、何ともいえぬ天上の舌楽を満喫せしめられたのであった。(本文より) 第3は耕衣が阪神大震災に、遭遇したときのことです。家は全壊し、彼はトイルに閉じ込められます。そのときのことを、耕衣はこう述懐しています。 ――潰れた家の中で銅器をカンカラカンと鳴らしたとき、自分で自分を茶化す気分になり、「踊りの一つでも踊ってやろうかという気さえ起こらないわけではなかった」(本文より) 城山三郎が『毎日が日曜日』(新潮文庫)を書いたのは、この作品の20年前になります。晩年はひたむきな人生を貫いた人の、伝記を書き続けていました。人間の数だけ人生がある、といったのは誰だったでしょうか。ただし定年後の人生となると、なんとなく紋切り型のような気がしていました。 ちなみに「毎日が日曜日」という言葉は、城山三郎の小説から生まれたと信じています。違っていたら教えてください。もっと早くからあった、いいまわしだったのでしょうか。◎定年後の心構え 本書はそんな私に、一石を投じてくれました。仕事という車輪を失い、安定走行が崩れるケースは多々あります。「趣味」というそれを補って余りある、車輪を持っていることの大切さ。本書はそうしたことを教えてくれました。城山三郎は最後に、こう書いています。 ――もし耕衣が墓の中から自作の句を詠み上げるとすれば、さて、どの句であろうか。「茄子や皆事の終るは寂しけれ」か、それとも、「放せ俺(わい)は昔の夕日だというて沈む」なのか。(本文より) 私は後者だと確信しています。「永田耕衣句集」は何冊か出版されています。私は『永田耕衣・秋元不死男・平畑静塔集』(朝日文庫)を買い求めました。◎城山三郎のこと 城山三郎を戦争文学の範ちゅうに、くくっている分類があります。現に『城山三郎昭和の戦争文学』(全6巻、角川書店)という全集が出ているほどです。しかし城山三郎は、経済小説の先達であることを忘れてはいけません。――城山はもともと経済小説という新分野を開拓した作家である。商社員の海外における苛酷な商戦を描いた彼のデビュー作『輸出』が、発表された昭和32年の時点でどんなに新鮮にみえたかは、これが純文学作家の登竜門である文学界新人賞を受賞したことからも察せられるだろう。(百目鬼恭三郎『現代の作家一〇一人』新潮社) デビュー作『輸出』は、『経済小説名作選』(集英社文庫)で読むことができます。本書の巻末に、城山三郎と山田智彦の対談があります。 その部分を拾って、佐高信は著作の中で、次のように書いています。――組織はその存続のために大義を振りかざし、個人の思いなどをはじきとばしていく。少年の日に国家という組織を信じて、手ひどいヤケドを負った城山は、つねに組織を疑い、大義に疑問を突きつけて、小説を書いてきた。その城山に、デビューしたころ、「この人は組織というものを軽信している」と見当違いの批評を投げつけた者がいた。「ぼくは過信ならいいと思ったけど、軽信って言われたから、ちょっと腹が立った。(佐高信『城山三郎の昭和』角川文庫P235-236) 紹介するスペースがなくなりました。城山三郎をもっと知りたい方には、娘さんが書いた2冊をお薦めします。井上紀子『父でもなく、城山三郎でもなく』(新潮文庫)井上紀子『城山三郎が娘に語った戦争』(朝日文庫) (山本藤光:1998.09.14初稿、2015.11.01改稿)
2015年11月02日
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