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地上の恋を捨て天上の愛に生きるアリサ。死後、残された日記には、従弟ジェロームへの想いと神の道への苦悩が記されていた……。(新潮文庫案内)■ジッド『狭き門』(新潮文庫、山内義雄訳)◎愛と宗教との葛藤 小説家になることを夢見ていた、若い時代があります。乏しい恋愛体験を、原稿用紙に書き連ねては自己満足していました。そんな夢を無残にも打ち砕いたのが、ジッド『狭き門』(新潮文庫)でした。私の書く恋愛小説は、なんと薄っぺらなのだろうと愕然としました。『狭き門』には、愛と神との葛藤が描かれていました。「神」の力が欠如している私の小説は、軽薄で独りよがりで、それこそ狭い世界でのものがたりだったのです。ギターの弦を力任せにしめると、重苦しい音しか生まれません。『狭き門』はそんな音に満ちた、世界を描いたものがたりです。『狭き門』を紹介するとき、ジッドの生い立ちを抜きにしては語れません。これほど張りつめた世界は、空想だけでは描けないからです。ジッドの生い立ちについて、ふれられた文章を紹介します。 ――幼時に受けた厳格なキリスト教のモラルと、彼に内在する肉欲の悩みとの葛藤が、久しいあいだ、彼を苦しめた。一八九五年(二十六歳)、それ以前から彼が清純な愛情を捧げていた従姉のマドレーヌ・ロンドーと結婚したが、彼の悩みは解消しなかった。なぜなら、彼女に対しては信仰の対象とすらいえる精神的な愛のみを抱き、すでに結婚以前、アルジェリアで少年の肉体を体験し、自己の同性愛的傾向を自覚していたからである。それ以来、キリスト教のモラルと肉欲の対立のみでなく、妻には精神的な愛を、同性には肉体的な愛を感じるという新たな対立がはじまった。これらの複雑な対立は、彼の作品の多くに表れている。(加藤民男編『フランス文学・名作と主人公』自由国民社P160より) そんな前提で『狭き門』のストーリーを追ってみます。主人公・ジェロームは14歳。父を亡くし、母とともに叔父の家のある町に移ります。叔父には、3人のこどもがいます。ジェロームは2歳上のアリサに恋をしてしまいます。アリサは知的で、思慮深い美しい女性でした。しかし微笑みには、どこか憂いが含まれているのです。アリサは妹・ジュリエットと弟・ロベールを、こよなく愛していました。平穏な家庭に、突然波風が起きます。母親が若い男と、駆け落ちしてしまうのです。ジェロームはアリサを、不幸な環境から救い出したいと思います。その直後の礼拝で、ジェロームは牧師の説く「力を尽くして狭き門より入れ」という言葉に啓示をうけます。ジェロームの愛にたいして、アリサは心を閉ざしつづけます。妹のジュリエットが、ジェロームを恋していることを知っていたからです。しかしジュリエットは、ジェロームをあきらめてほかの男と結婚してしまいます。それでもアリサの心は開かれません。ジェロームは神学校に入学するために、アリサのもとを離れます。そのあいだ2人は、なんども手紙でやりとりをします。しかし宗教心の厚いアリサと、恋の成就を願う2人の距離は埋まりません。桑原武夫は著作のなかで、『狭き門』について簡単明瞭に説明してくれています。――『狭き門』は、一口でいえば、一人の少女が愛している青年との恋をあきらめるという恋物語ですが、そのあきらめは外部からの圧迫とか、周囲のやむをえない事情とかにもとづくのではすこしもなく、その少女の心の中から生まれたあきらめである――そういう微妙な恋物語です。(桑原武夫『わたしの読書遍歴』潮文庫)桑原武夫はアリサを主役にして、ものがたりを論評しています。『狭き門』は切ない小説です。ゲーテ『若きウェルテルの悩み』(新潮文庫)が、本書に重なってきました。『狭き門』は、ゲーテ『若きウェルテルの悩み』と併読するべきだったと思いました。私はこれら2つの作品を、代表的な恋愛小説だと思っています。◎絶賛、小林秀雄が石川淳が ジッドは石川淳が、大好きな作家です。安部公房(推薦作『砂の女』新潮文庫)を卒論に選んだ私は、彼が影響を受けた石川淳(推薦作『紫苑物語』講談社文芸文庫)や花田清輝(推薦作『復興期の精神』講談社文芸文庫)を読み、ジッドやカフカ(推薦作『変身』新潮文庫)まで手をのばしていました。安部公房という核から広がり読みはじめた作家はほかに、カミュ(推薦作『異邦人』新潮文庫)、リルケ(推薦作『マルテの日記』新潮文庫)、キャロル(推薦作『不思議の国のアリス』新潮文庫)、倉橋由美子(推薦作『スミヤキストQの冒険』講談社文芸文庫)などがいます。『狭き門』(新潮文庫)の巻末に「跋(ばつ)」として石川淳がつぎのように書いています。石川淳はジッド作品『背徳者』(新潮文庫)の翻訳も手がけています。――彼の文は、渾々(こんこん)と迸(ほとばし)る泉でもなく、飄々(ひょうひょう)捉え難き風でもない。それは、一字一字に鑿(のみ)の閃きを宿して、人の心の壁に刻み附ける浮彫りである。『狭き門』に至るまで、ジッドの著作は十数巻を算する。其処(そこ)には、言葉と言葉とがぶつかり合い、文字と文字とが犇(ひしめ)き合って、或いは動き、或いは静まりながら、各句各行が目に見えない鉤に繋がれ累々として一基の塔をうち樹てている。ジッドとともにこの塔へ上る者は、『狭き門』に於いて一段と作者の鑿の冴えを認めるであろう。その冴えこそは、「葉の蔭を洩れて水に沈む日の光」である。(巻末の石川淳「跋」より) 小林秀雄に『Xへの手紙』(角川文庫)という著作があります。このなかの「私小説論」で、ジッド『狭き門』についてつぎのように書いています。――純粋小説の思想は言ふ迄もなくアンドレ・ジイドに発した。一体ジイドが現代のフランス文学界で、極めて重要な位置を占めるに至ったゆえんは、その強烈な自己探求の精神にあった。「地の糧」の序文に彼は書いた。「私が、これを書いたのは文学が恐ろしく風遠しの悪さを感じてゐる時であった。文学を新しく大地に触れさせ、文学にただ素足のままで土を踏ませる事が焦眉の急だと私には思はれたのだ」と。(本文P80より) 小林秀雄は、ジッドの『狭き門』はどんな通俗小説よりも売れたとも書いています。また横光利一はパリの講演で「日本では女中でさへも、ジイド氏の作品を探し求めて読むやうになっています」(「我等と日本」『欧州紀行』講談社文芸文庫)といっています。(この部分は検証していません。小谷野敦『恋愛の昭和史』文春文庫を参考にさせてもらいました) 本書は小林秀雄や横光利一がいうとおり、読んでいなければ恥ずかしい作品でした。かたくななアリサの気持ちが、日本人にはわかりにくいと思います。神にたいする愛。ジェロームにたいする愛。この2つの愛をひとつにしてしまうと、『狭き門』の間口は広がります。最後に吉田健一の文章で結んでおきます。―― 一人の美しい少女が次第に大人になって、それは一人の男に対する愛情とともにであり、愛情の方も暫く成熟した時に、これと並行して強くなった宗教心の為に、他になんの邪魔もないのにも拘わらず、男からはなれなければならなくなる次第が、当の女の気持ちを通じて語られているとすれば、それだけで我々の同情,或いは少なくとも、好奇心に訴えるのに十分なものがある。(吉田健一『文学人生案内』講談社文芸文庫)(山本藤光:2010.05.30初稿、2015.02.27改稿)
2015年02月28日
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政夫と民子は仲の良いいとこ同士だが、政夫が十五、民子が十七の頃には、互いの心に清純な恋が芽生えていた。しかし民子が年上であるために、ふたりの思いは遂げられず、政夫は町の中学へ、民子は強いられ嫁いでいく。数年後、帰省した政夫は、愛しい人が自分の写真と手紙を胸に死んでいったと知る。野菊繁る墓前にくずおれる政夫……。涙なしには読めない「野菊の墓」、ほか三作を収録。(アマゾン内容紹介より)■伊藤左千夫『野菊の墓』(新潮文庫)◎牛乳搾取業から歌の道へ 伊藤左千夫は1864年に、上総の国・成東(現・千葉県山武市)で生まれています。生まれ故郷の山武市のホームページをみると、伊藤左千夫の生家は保存され、隣接する形で民俗資料館が建てられています。九十九里海岸の波音が聞こえるところで、資料館のかたわらには歌碑もあります。「牛飼いが歌よむ時に世の中のあらたしき歌大いに起る」と書かれていました。ネット検索では「あたらしき歌」とでてきます。「新潮日本文学小辞典」で確認しました。「新(あらた)しき歌」とルビがふられていました。 伊藤左千夫は明治法律学校へ入学するのですが、眼疾のために帰郷します。その後22歳のときに再度上京して、牧場に勤めます。26歳のときに独立し、牛乳搾取業をいまのJR錦糸町駅前で開業します。経営は順調で30歳ころから茶の湯や和歌と親しむようになります。 最終的には正岡子規に師事し、やがて後継者となるわけです。子規の教えにより、「写生の道」を追求しながら、小説も書きはじめます。『野菊の墓』を発表したのは40歳をすぎた明治39年のことです。 ここまでがホームページからのレビューです。JR総武線錦糸町駅の南口バスターミナルには、「伊藤左千夫牧舎兼住居跡」という碑が建っています。行ってみました。碑に向かって左側がバスの降車場になっており、降り立った乗客はおおむね急ぎ足で駅へと駆けてゆきます。碑に目をとめる人はだれもいません。終日人通りの絶えないこの駅前ロータリに、伊藤左千夫の搾乳牧舎があったとは思いもよらないことでしょう。 ほとんどの方は、『野菊の墓』(新潮文庫)のストーリーをご存知だと思います。『野菊の墓』は歌人として名をはせている伊藤左千夫が、はじめて書いた小説です。夏目漱石が伊藤左千夫に宛てた絶賛の書簡をご紹介します。――近代恋愛小説の代表作『野菊の墓』は、歌人伊藤左千夫の処女小説である。この頃同じく雑誌「ホトトギス」に『吾輩は猫である』を発表していた夏目漱石は、左千夫宛書簡で「野菊の花(注:ママ)は名品です。自然で、淡白で、可哀想で、美しくて、野趣があって結構です。あんな小説なら何百篇よんでもよろしい」と、その読後感を伝えている。(安藤宏・編『日本の小説101』新書館より)◎はじめて書いた小説 主人公の政夫は、有名な旧家の次男坊で15歳です。従姉の民子は2歳年長で、病弱な政夫の母親の看病のために斎藤家にきています。2人は幼少のころから仲がよく、民子が奉公にきてからも親しく接しあっていました。 政夫の家は、矢切の渡しを見下ろす丘の上にありました。快活な民子はしじゅう政夫の部屋を訪ね、2人の仲は甘酸っぱいものに変わります。小さな村のことです。2人のことが噂になりはじめます。噂が広がるにつれ、2人の間はぎこちないものになってゆきます。心配した母親は政夫に村の噂を伝え、注意をあたえます。そのことが政夫の火に、油を注ぐ結果となってしまいました。 ある朝2人は母にいいつけられて、山畑に綿を摘みにゆきます。2人はお互いの気持ちを知りながら、愛をささやくでもなく畑をあとにします。その後民子は、意地悪な兄嫁に追い出されてしまいました。政夫は町の中学校へと進みます。 2人は引き離されたまま、時がすぎてゆきます。民子は政夫の母や親類に強く勧められ、別の家へ嫁いでしまいます。民子は身ごもり、流産で重態となります。一報を受けて政夫は駆けつけてきますが、すでに民子は帰らぬ人になっていました。民子は政夫の写真と手紙を、握り締めたまま亡くなっていました。2人の純愛を知り、周囲の人たちは涙ながらに政夫にわびます。 政夫は民子の墓に通い、野菊でいっぱいにします。 『野菊の墓』が永年読みつがれている理由を、久世光彦が思わずニヤリとさせられる感想をのべています。――この作品が百年にわたって読み継がれてきているのは、凡俗の純愛小説にはない、男の大変身勝手な自己陶酔が手放しと言っていいくらい正直に、稚いほどに無邪気に描かれているからなのだ。男にとって、自分が紫紺の竜胆(りんどう)で、すぐ傍に上目づかいに羞じらった野菊が咲いているほど気持ちのいいことはない。(集英社文庫編集部『私を変えたこの一冊』集英社文庫) 久世光彦のふれていている「竜胆」の場面を、『野菊の墓』本文から引いておきます。政夫と民子が山畑に綿を摘みにいったときの会話です。 花好きな民子は例の癖で、色白の顔に其の紫紺の花をおしつける。やがて何を思いだしてか、ひとりでにこにこ笑いだした。「民さん、なんです。そんなにひとりで笑って」「政夫さんはりんどうの様な人だ」「どうして」「さアどうしてということはないけど、政夫さんは何かなしに竜胆の様な風だからさ」 民子は言い終って顔をかくして笑った。(本文P34より) 読み終わった私の気持ちを、代弁してくれている文章があります。それで結びたいと思います。――『野菊の墓』は、普通にいう文章の下手という意味では、もとより、下手な文章で、(いわゆる美文調のところがあったり、漢文脈の文章になったり、して、)書かれてあり、その言いまわしも、幼く、単純であり、ときに間のぬけたようなところもあるけれど、その幼い単純な表現のなかに、無類の、正直な、むきな、一途な、左千夫の人柄が、この小説の全編に満ちあふれている。それが、読む人の心をうち、読む人に涙をさそうのである。(宇野浩二。岩波文庫『野菊の墓』解説より)(山本藤光:2009.10.21初稿、2015.02.26改稿)
2015年02月27日
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25年前に別れた恋人から突然の連絡が。「あなたの息子が重体です」。日本を代表するコンピュータ開発者の「私」に息子がいたなんて。このまま一度も会うことなく死んでしまうのか…。奇しくも天才プログラマーとして活躍する息子のデータを巡って、「私」は、原発建設がからまったハイテク犯罪の壮絶な渦中に巻き込まれていく。(「BOOK」データベースより)■高嶋哲夫『イントゥルーダー』(文春文庫)◎落選から奮起して『イントゥルーダー』(文春文庫)は第16回サントリーミステリー大賞受賞作であり、読者賞もダブル受賞しています。これ以前に高嶋哲夫は、1990年「帰国」にて北日本文学賞、1994年「メルト・ダウン」にて小説推理新人賞を受賞しています。 そして1996年には「ペトロバク」が江戸川乱歩賞の最終候補となり、このときは渡辺容子『左手に告げるなかれ』(講談社文庫、「標茶六三の文庫で読む400+α」推薦作)に受賞を奪われています。そのときのことを、著者自身はつぎのように書いています。 ――以前書いた小説が、ジャンルでいうと国際謀略物で、江戸川乱歩賞の最終候補になったのですが、その際、選考委員の皆川博子さんが、「主人公が男性の場合、警察、新聞社などの大組織からはみだし、心に傷を持つ中年という設定が多い。既成の人物像を越えた新鮮な作品にめぐりあいたい」と選評で書かれていたんです。その時の僕の応募作の主人公が、心に傷を持つ新聞記者でした。(「本の話」1999年5月号)『イントゥルーダー』は、この教訓を活かして書かれています。主人公・羽嶋浩司は、有名な大手コンピュータ会社の超エリート副社長兼研究開発部部長。社長の大森とともに、裸一貫で巨大な会社を築きあげました。 会社は資本金320億円、従業員8200人、子会社15社、東証一部上場と大きなスケールです。その主人公に深夜、一本の電話がかかってきます。 ――脳裏には一人の女性の姿が鮮明によみがえっていた。昔、一緒に暮らした女性だった。そのときから、二十五年近くがすぎている。/一瞬の沈黙があった後、「あなたの息子が重体です」と奈津子は言った。(本文より) 物語は主人公「わたし」が、大学病院の集中治療室を訪れたところからはじまります。何本ものチューブにつながれた、患者は23歳。身長も体重も血液型も、「わたし」とほぼ同じ。患者の名前は松永慎吾。今まで、その存在さえ知らなかった息子との対面。 そして元恋人との25年ぶりの出会い。「わたし」は意識不明の息子が、コンピュータのソフト会社に勤めていたことを知らされます。現在、「わたし」の会社は、社運を左右する夢のコンピュータを開発中です。 高嶋哲夫は、見えない糸を、巧みにくりだします。突然の息子の出現。その息子は自分が父親であることを知っていた事実。そして父親を尊敬して、同じ業種の会社に勤務した経緯。一方「わたし」の会社では、電子の網の目に潜むバグ(コンピュータ・ウィルスのこと。これがいるとコンピュータ・ソフトが破壊されます)と格闘中です。 救命治療室で死と闘う息子と、迫りくる発表会に向かってバグと闘う研究開発室。著者は2つの闘いをていねいに描き分けています。2つの闘いの場を行き来する「わたし」に、社長の大森が思いがけないことを告げます。 原子力発電所を建設中の大手電力会社から、開発しているコンピュータの大きな予約がとれたということでした。物語はここから一気に加速します。見えない糸が複雑にからみ合いはじめます。 ダブル受賞にふさわしい、素晴らしい完成度の高い作品でした◎社会派作家としても活躍 高嶋哲夫とはお会いしたことはありませんが、何度か手紙のやりとりがあります。私が藤光伸という筆名でPHPメルマガ「ブックチェイス」に書評を書いていたとき、出会ったのが『イントゥルーダー』だったのです。どうしても初期作品を読んでみたくて、さがしましたがみつかりません。お願いして、コピーを送っていただきました。 そのなかに『カリフォルニアのあかねちゃん』(三修社文庫)がありました。あかねちゃんとママが異郷の地で、明るくたくましくすごす日々をつづった心温まる著作です。私は高嶋哲夫のミステリーに温かみを感じています。その原点はまさに、『カリフォルニアのあかねちゃん』にありました。 そして現在は『風をつかまえて』(文春文庫)や『塾を学校に』(小篠弘志との共著、宝島新書)など、社会派作家としても活躍中です。この2作には心をうたれました。◎『ミッドナイト・イーグル』もお薦め 『ミッドナイト イーグル』(文春文庫)には、度肝をぬかれました。スケールの大きな舞台、登場人物の繊細な描写、迫力満点のアクションシーン。どれをとっても、水準をはるかに超えていました。『イントゥルーダー』をしのぐほどの完成度といえるかもしれません。 主人公・西崎勇次は、有能なカメラマンです。世界中を飛び回って、悲惨な現実を写しつづけます。彼には別居中の妻の妹・慶子と優という六歳の独り息子がいます。慶子はフリーのルポライターです。在日米軍基地問題を手がけています。 謎の物体が、北アルプスに墜落します。たまたま穂高連峰にかかる月を撮影していた、西崎勇次はそれを目撃します。西崎は高校時代の山岳部の友人・新聞記者の落合とともに、不審な物体を追ってふたたび北アルプスにはいります。 いっぽう慶子は、何者かが横田基地に侵入し、銃撃戦となった事件の取材を依頼されます。青木という若いカメラマンとともに、負傷したまま逃亡した、謎の人物を追います。 墜落した謎の物体は、米軍機ステルス。謎の人物は、北からの侵入者です。2つの事実が明らかになったとき、別々だった事件が1つに重なりはじめます。 高嶋哲夫は二つの追跡劇を、交互に描き出します。厳寒の北アルプスを舞台に、米軍機ステルスの塔載物をめぐり殺戮が繰り広げられます。純白の世界を、銃弾が飛び交います。新雪に鮮にが染まります。猛吹雪に視界を遮られ、新雪に足をとられます。遅々として進めない行軍。北の軍隊が、自衛隊が、そして西崎と落合が入り乱れて、危険きわまりない塔載物に迫ります。 慶子の取材にも、邪魔がはいります。日本政府とアメリカが、取材の行く手をさえぎります。高嶋哲夫は自然の猛威にも、政府の圧力にも屈しないジャーナリストの勇気を描き上げます。やがて、離れ離れだった慶子と心がつながります。事件の渦中から、切れ切れの無線を通して、家族の声が聞こえます。 高嶋哲夫は「家族の再生」というテーマを、みごとに紡ぎあげました。タイトルの意味は最後に明かされます。ラストシーンには、こみあげてくるものがありました。脇役が光る作品は、読み応えがあります。『ミッドナイト イーグル』は、今年最大の収穫である。 (この章は、藤光 伸として2000年5月3日、PHP研究所「ブック・チェイス」掲載したものを転載させていただきました) (山本藤光:2009.10.23初稿、2015.02.25改稿)
2015年02月26日
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小説、随筆、書評、翻訳、連句など幅広い領域で活躍し、まさに文学における「達人」であった丸谷才一。その文学世界を解読して大好評を博した連続講演(世田谷文学館 二〇一三年)を書籍化。各界の第一人者であり、かつ生前の丸谷と親交が深かった豪華講師陣が、丸谷文学の全貌を多角的に明らかにする。文芸評論、書評、和歌、フランス文学、歌舞伎…視点の異なる各論考が“丸谷才一”で一本につながり、大文学者の多彩な魅力が改めて浮かび上がる。生前の丸谷との貴重なエピソードも収録。(「BOOK」データベースより)■菅野昭正・編『書物の達人・丸谷才一』(集英社新書)◎人間・丸谷才一を知った 菅野昭正・編『書物の達人・丸谷才一』(集英社新書)は、丸谷才一の偉大な業績を知るうえで欠かせない一冊です。本書は2013年に「世田谷文学館」で開催された連続講演をベースに書籍化されました。本書の執筆陣は丸谷才一と親交の深かった、川本三郎、湯川豊、岡野弘彦、鹿島茂、関容子の5人です。 丸谷才一の幅広い業績については、いまさらご紹介することもないでしょう。したがって本書から新たに得た発見をまとめることにします。【書評への関心】 丸谷才一は大学院(英文科)のときに、友人・篠田一士(推薦作『二十世紀の十大小説』新潮文庫)とともにイギリスの新聞や雑誌をとり寄せ、書評欄の充実に驚愕しています。書評の業績への萌芽はここにあったと、湯川豊(推薦作『イワナの夏』ちくま文庫)は書いています。――「書評といふジャーナリズムこそ社会と文学とを具体的にむすびつけるもの」という丸谷さんの持論が最初につくられたのだと思われます。(湯川豊の章P80)【丸谷才一の文体】――丸谷さんの文章を読んでいると、常に対話が行われている文体なんですね。それは、エッセイでも小説でも全部そうです。対話を活かしながら話が進んでいく。常に他者がいて、その他者との会話で論点を深めながら小説なり、エッセイを進めていくのが丸谷さんのやり方です。(鹿島茂の章P142)【丸谷才一が嫌っていたもの】――私小説が丸谷さんの文学的な最大の敵だったことはよく知られていますが、私小説で丸谷さんが一番嫌いだったのは、そこには対話がないということなんです。(鹿島茂の章P142)【丸谷才一が評価していたもの】 丸谷才一が評価していた文学者の筆頭は、折口信夫と永井荷風です。前者は「官能的なもの」を追及していたからです。後者は「戦争や兵隊」嫌いが自分と似通っていたからでした。(本書を参考にしています)丸谷才一が評価していた作品の筆頭についての記述を引用させてもらいます。――丸谷さんは『新古今和歌集』が一番好きでした、『新古今』の特徴は、自然が歌われているようだけれども、あれは全然自然ではなく、ほかの歌からの本歌取りであって、文学から文学をつくるものです。(鹿島茂の章P144) まだまだ紹介したいことは、たくさんあります。私は丸谷才一の小説もエッセイも好きです。しかしもっとも評価しているのは、書物のナビゲーターとしての丸谷才一です。つぎの4冊は、いつも身近なところにおいてあります。なにを読もうかと迷ったら、すかさず丸谷才一が「これ読め」といってくれます。1.快楽としての読書・日本篇(ちくま文庫、解説:湯川豊)2.快楽としての読書・海外篇(ちくま文庫、解説:鹿島茂)3.快楽としてのミステリー(ちくま文庫、解説:三浦雅士)4.丸谷才一編:私の選んだ文庫ベスト3(ハヤカワ文庫)◎丸谷才一と井上ひさし 奥行きの深い作家として、私は丸谷才一と井上ひさしを高く評価しています。2人の文字は丸みを帯びていて、流れるように走ります。似ているな、と思います。大学生のときに安部公房のサイン会に行ったことがあります。目の前で書いてくれた文字は、角ばっていて一字一字が独立していました。 2人が似ているのは、文字だけではありません。丸谷は歌舞伎、井上は舞台と軸足をのばしています。日本語や国語に関する著書は2人ともたくさんあります。小説やエッセイにちりばめられているユーモアのセンスも似ています。そしてなによりも、2人は博学だということです。 残念なことに2人とも、この世を去ってしまいました。懐の深い作家で、2人を追従できるとしたら、田辺聖子くらいしか思い浮かびません。それほど2人は文壇でも突出した人だったのです。 勝手に2人のお薦め作品を、5冊にしぼって書いてみたいと思います。【丸谷才一】1. 『女ざかり』(文春文庫)2. 『思考のレッスン』(文春文庫)3. 『文章読本』(中公文庫)4. 『私の選んだ文庫ベスト3』(ハヤカワ文庫、丸谷才一・編)5. ジョイス『若い芸術家の肖像』(新潮文庫、丸谷才一・訳)【井上ひさし】1. 『吉里吉里人』(新潮文庫)2. 『戯曲・頭痛肩こり樋口一葉』(集英社文庫)3. 『自家製文章読本』(新潮文庫)4. 『完本・ベストセラーの戦後史』(文春学芸ライブラリー)5. 『四千万歩の男』(全5巻、講談社文庫) これだけをならべただけで、圧倒されます。2人に共通していることは、幅広い読書量であることを、いまさらながら感じました。(山本藤光標茶六三:2014.09.22初稿、2015.02.25改稿)
2015年02月25日
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第一次大戦前、ハンブルク生れの青年ハンス・カストルプはスイス高原ダヴォスのサナトリウムで療養生活を送る。無垢な青年が、ロシア婦人ショーシャを愛し、理性と道徳に絶対の信頼を置く民主主義者セテムブリーニ、独裁によって神の国をうち樹てようとする虚無主義者ナフタ等と知り合い自己を形成してゆく過程を描き、〈人間〉と〈人生〉の真相を追究したドイツ教養小説の大作。(文庫案内より)■トーマス・マン『魔の山』(上下巻、新潮文庫、高橋義孝訳)◎3週間が7年間に むかしの日本にも、いたるところに「結核病院」(サナトリウム)がありました。ほとんどは国立病院で、現在はすべての病院名が改称されています。当時は結核に罹患したら、半数は亡くなる国民的な伝染病でした。サナトリウムにはいったら、死の運命を許容せざるを得ない状況でした。結核を題材にした小説の代表格は、堀辰雄『風立ちぬ』(新潮文庫)です。徳富蘆花『不如帰』(岩波文庫)や正岡子規『仰臥漫録』(岩波文庫)なども有名です。 トマス・マン『魔の山』(上下巻、新潮文庫、高橋義孝訳)の舞台も、まさにサナトリウムです。本書のヒントは、実際に結核で療養生活をしていた妻を見舞った、実体験からえています。それはスイスのアルプスにありました。主人公ハンス・カストルプは、23歳の大学をでたばかりの若者です。造船会社のエンジニアとして、就職が内定しています。エンジニア志望だけあって好奇心はつよく、なんでも吸収したいとの気持ちをもっています。さまざまな思想にふれ、かずかずの体験を自分の血肉にしようと真摯な姿勢で受けとめます。ハンス・カストルプは、いとこのヨアヒム・ツィームセンを見舞うために、アルプスの山頂にある国際療養所を訪れます。そこには日常生活から切り離された、退廃的な空気によどんでいました。カストルプは、愛用の葉巻を持参してきています。のちに知ることになりますが、食事も豪華ですし、高級ワインもそろっています。「死」の匂いさえなければ、まるで楽園のようなところです。療養所には、不可思議な空気が充満していました。退廃的で無気力な雰囲気のなかで、時間がほとんど消失しています。患者たちはひたすら、ベランダでの日光浴にいそしんでいます。これを「横臥療法」といいます。――「横臥療法」とは、「ほとんど神秘的といってもよい心地よさ」を与える寝椅子をベランダに持ちだし、そこで毛布にくるまって、季節を問わず、また天候の如何にかかわりなく、ひたすら横たわっていることを命ずる治療である。(『世界文学101物語(高橋康也・編、新書館より)3週間ほどの滞在のつもりで、カストルプは療養所にたどりつきます。彼は幼くして両親を失い、豊かな祖父と暮らしていました。ツィームセンは数少ない身内のひとりなのです。見舞いにいったつもりのカストルプは、やがて自分も結核に感染していることを知ります。「生」と「死」のあいだにある、「魔の山」での療養生活がはじまります。7年間の療養所生活で、若いカストルプはさまざまなことを学んでゆきます。ここには雑多な種類の人々がいます。 筆頭は、イタリア人で人文主義者のセテムブリーニ。彼は思想的にユダヤ人の神秘学者で、独裁主義者のナフタと対立しています。2人は顔をあわせるたびに、はげしくいい争いを展開します。そして2人は競うように、カストルプを洗脳します。死を意識している彼らにとって、自らの思想的な遺伝子を残そうと必死なのです。彼ら以外にも、ユニークな考えをもった人群れがいます。オランダのコーヒー王は、豪華な食事つきのカード遊びパーティを主催します。あきれるほどのメニューの羅列に、私は圧倒されました。そんななかでカストルプは、魅惑的なロシア人女性・クラウディア・ショーシャ夫人に恋をします。しかし彼女にはピーター・ベーベルコルンという愛人がいます。カストルプとショーシャ夫人について、倉橋由美子(推薦作『スミヤキストQの冒険』講談社文芸文庫)はつぎのように書いています。――ハンスがご執心のクラウディア・ショーシャをつかまえてフランス語で世にも奇妙な愛の告白をするところは、金管楽器の長い、音程の狂ったソロを聴かされるようで圧巻です。(倉橋由美子『偏愛文学館』講談社文庫より) サナトリウムでは世界中から集まった、男女が共同生活をしています。当然だれとだれが関係した、などのうわさ話も飛び交います。恋も芽生えます。倉橋由美子が「圧巻」と書いている箇所は、カストルプの少年愛の追想と、目の前の美しいロシア人とのやりとりが重なります。10歳ほど年上のショーシャ夫人は、まるで幼子のように彼をあつかいます。しかし彼女がサナトリウムをでる前夜に、カストルプを受けいれるのです。◎ドイツ風教養小説なのか『魔の山』は一般的に、教養主義小説といわれています。「教養主義」というのは、日本でなじみにくい概念です。以前、重松清の『とんび』(角川文庫)の書評を読んだときに、ある評論家が「教養主義小説」と書いていました。そのときは見つけられなかったのですが、池澤夏樹の著作を読んでいて納得できました。引用させていただきます。――(教養小説で)何を作るかというと、一人の人格を作り上げる、ということです。ある若者が、さまざまなことを学んで一人前になるまでを追いかけて、その成長の過程を書く。ドイツ文学に特有の用語です。(池澤夏樹『世界文学を読みほどく』新潮選書より)2人の作家は「教養小説」を、ユニークなとらえ方で解説しています。紹介させていただきます。――主人公が「魔の山」のサナトリウム「ベルクホーフ」に従兄を訪ねてきて思いがけず病気を発見され、えんえんと滞在しなければならなくなるという極めて不条理な状況の中で、次第に下界の時間感覚をなくしていく課程に対応している。最後近く主人公は時計を持たなくなるが、時間に背を向けるというのは市民社会の否定であり、そう見ていくところの小説は教養小説の新しい形式をとったアンチ教養小説とも思えるのである。(筒井康隆『本の森の狩人』岩波新書より)――この小説はドイツ風教養小説のパロディのようでもありますし、オリュンポスの山上に住むゼウス以下の神々の世界をパロディにしたもののようでもあります。ハンス・カスットルプはこんな世界に迷いこんだ無邪気な羊飼いの少年、といったところです。(倉橋由美子『偏愛文学館』講談社文庫より) 7年間の療養所生活のなかで、カストルプはかずかずの体験をします。医師の反対を押し切って、退院したツィームセンが病気を悪化させてもどってきます。ショーシャ夫人も一度退院するのですが、愛人とともにもどってきます。秘かに部屋から運び出される入居者たちもいます。 そんなときにカスットルプは、第1次世界大戦の勃発を知ります。長い麻痺状態から、彼はとつぜん覚醒することになります。カストルプは参戦する決心をかため、山をおりることにします。その後の彼の消息は不明のままに、小説は終ります。『魔の山』は長い作品です。しかも上巻の半分までは、退屈な記述がつづきます。若いときはここで投げだしていました。今回ていねいに読んでみて、この作品は投げだしたあとから、がぜんおもしろくなることを知りました。豪華なリゾートホテルに数日滞在して、ベランダで寝椅子に体をのばして読んだら、最高だったろうなとも思いました。(標茶六三:2013.02.05初稿、2015.02.23改稿)
2015年02月24日
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恋愛と性欲、それらと宗教との相克の問題についての親鸞とその息子善鸞、弟子の唯円の葛藤を軸に、親鸞の法語集『歎異抄』の教えを戯曲化した宗教文学の名作。本書には、青年がどうしても通らなければならない青春の一時期におけるあるゆる問題が、渾然としたまま率直に示されており、発表後一世紀近くを経た今日でも、その衝撃力は失われず、読む者に熱烈な感動を与え続けている。(「BOOK」データベースより)■倉田百三『出家とその弟子』(新潮文庫)◎『歎異抄』の教えを戯曲に 1910(明治43)年に一高へ入学した倉田百三は、西田幾太郎の門を叩きました。西田幾太郎(『善の研究』岩波文庫、講談社学術文庫)と阿部次郎(『三太郎日記』角川文庫、角川選書)の著作は、当時の学生の必読書になっていました。 倉田百三は21歳のとき肺結核になり、40余歳まで病床に伏しています。執筆はその間にもつづけられました。戯曲『出家とその弟子』は、26歳のときに発表されたものです。まさに病床のなかから生まれた作品なのです。 作品は『歎異抄』(親鸞の法語集、岩波文庫)をベースに、戯曲として描かれています。『歎異抄』は親鸞の死後、直弟子の唯(ゆい)円(えん)によって書かれたとされています。近年の出版物は、『歎異抄』と表記されている例が多いのですが、初出は「鈔」の字をあてていました。 倉田百三は、キリスト教、浄土真宗、神道にも造詣が深かったようです。『出家とその弟子』は、鎌倉・浄土真宗を創始した親鸞と弟子の唯円を中心に描かれていますが、キリスト教的な要素も認められます。この作品は、大ベストセラーになりました。 倉田百三は病床にあって、自分の煩悩に悩ませられました。生命、恋愛、肉欲……。本書はこの3つの単語に集約できます。健康な若者では描ききれない、自己の内面の吐露。これが読者から受け入れられたのでしょう。 私は「序曲」で強烈な一撃をくらいました。第一幕がはじまる以前に、「人間」と「顔蔽(おお)いせる者」とのやりとりがあります。まるで禅問答なのですが、「顔蔽いせる者」の存在に気になります。ちょっと紹介してみます。(引用はじめ)顔蔽いせる者(あらわる)「お前は何ものじゃ。」人間「私は人間でございます。」顔蔽いせる者「では『死ぬもの』じゃな。」人間「私は生きています。私の知っているのはこれきりです。」顔蔽いせる者「お前はまたごまかしたな。」(引用おわり)◎猛吹雪のなかの親鸞と左衛門『出家とその弟子』ではくりかえし、「人間を生かしむる根本は祈り」であることが語られています。この作品は海外にも翻訳され、フランスのロマン・ロラン(推薦作『ジャン・クリストフ』全4巻、岩波文庫)が絶賛の手紙を送ったほどの評価をしています。『出家とその弟子』の第1幕は、田舎屋敷が舞台です。主の日野左衛門は常陸の国に田を買って、小作人を雇っています。屋敷には妻のお兼と息子・松若が住んでいます。左衛門は、農民から借金をしぼりとっていることに、心を痛めています。戸外は猛吹雪がつづいていました。 托鉢行脚中の3人の僧侶が、左衛門の家へやってきて一夜の宿を願いでます。左衛門はそれを断りました。訪ねてきたのは、親鸞と弟子の慈円、良寛でした。押し問答のようすを、すこしだけ引用してみたいと思います。(引用はじめ)左衛門(親鸞に)「早く出て行け。この乞食坊主奴。」(親鸞を押す)慈円「あまりと云えば失礼な――」良寛「お師匠さまに手を掛けたな。」左衛門「早く出て行け。」(良寛をこづく)良寛「なにを」(杖を握る)左衛門「打つ気か。」(親鸞の杖を取って振りあげる)親鸞「良寛。手荒な事はなりませぬぞ。」(親鸞二人の中に割って入る。左衛門親鸞を打つ。杖は笈にあたる)(引用おわり) 3人は吹雪の戸外に投げだされます。眠りの床についた左衛門は、恐ろしい夢にうなりつづけました。翌朝、3人の僧侶は雪のなかにいました。左衛門は、自分の悪行に気がつき詫びます。出家を願いでた左衛門に、親鸞は在宅での修行をすすめます。 そして15年後。松若は唯円となって、親鸞に仕えています。ここから先にはふれません。人間としての親鸞、若い僧の唯円の生き方を、あなたに追いかけてもらいたいからです。 ◎松若の成長過程が知りたい 倉田百三は『歎異抄』の発表後、「白樺派」に接近します。そして作家としての自分の弱さに思い至り、大きく思想の舵をきることになります。罪を作らず人を傷つけない。こうした消極的な生き様を封印し、与えられたものを活かす積極的な生き方を求めはじめるのです。 そのことは『超克』(1924年大正13、角川文庫)から、顕著に読みとることができます。多くの評論には、断定形でそう書いてあります。残念ながら、その本は入手できないままです。『歎異抄』(野間宏・現代語訳『親鸞・歎異抄』河出文庫)は松若こと唯円が、親鸞の死後に書き上げたとされています。『出家とその弟子』は、幼かった松若の成長過程にはふれていません。それゆえ、幕間のものがたりが気になります。宗教小説とあなどっていましたが、本書は「すがるべき何か」があることの価値を、とことん教えてくれました。 (山本藤光:2009.09.15初稿、2015.02.23改稿)
2015年02月23日
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二年前の秋からつきあっていた女の子から突然の別れ話をされた春、俊介は偶然暖簾をくぐったラーメン屋で、ひそかに「Mさん」と呼んでいる女性と遭遇した。彼女は、俊介がバイトをしている北大近くのコンビニに、いつも土曜日の夜十一時過ぎにやってきては、必ずチョコレートの「M&M」をひとつだけ万引きしていくのだった…。彼女の名前は涌井裕里子。俊介より一回りも年上だった―。ただひたむきに互いの人生に向き合う二人を描いた、感動の恋愛小説。(「BOOK」データベースより)■盛田隆二『夜の果てまで』(角川文庫)◎文庫化で魅力を失った『湾岸ラプソディ』 注目の作家が花開きました。『湾岸ラプソディ』(角川書店1999年)を読んで、興奮しながら書評を書いたことがあります。この作品は文庫化にあたり、『夜の果てまで』(角川文庫)と改題されました。現代文学作品の頂点近くであると評価していた作品は、この愚挙で大きくランクを下げてしまいました。このタイトルではダメなのです。このカバーではダメなのです。 盛田隆二は『湾岸ラプソディ』の執筆に、3年の歳月を費やしました。しかも会社を辞めて、この作品に没頭しました。1人称で書きはじめたものを3人称に改め、さらに登場人物を増やしました。原稿用紙450枚だった作品が、最終的には850枚になりました。 盛田隆二には、ずっと注目してきました。デビュー作『ストリート・チルドレン』(初出1990年、講談社文庫)は、新宿300年の歴史を舞台に、様々な人の生き死にを描いた力作でした。 次作『サウダージ』(初出1992年中央公論社、角川文庫)も東京を舞台に、若者の喪失感をみごとに活写していました。盛田隆二の魅力は、物語としてのおもしろさと独特の文体にあります。さらにいつも感心させられるのは、タイトルの妙味でした。それゆえ、文庫化で消えたタイトルはもったいないと思っています。『サウダージ』については、坂東齢人『バンドーに訊け』(本の雑誌社)がつぎのように語っています。坂東齢人は、馳星周としてデビューする前の名前です。坂東齢人は「本の雑誌」で書評を書いていました。彼は盛田隆二のタイトルについても、高く評価していました。――盛田隆二『サウダージ』はやるせなくも美しい、今の東京を描いた佳作。サウダージとはポルトガル語で「失われたものをなつかしむ、さみしい、やるせない想い」を意味する言葉だそうだが、なるほど内容にぴったりのタイトルである。(本文より) 私がなぜ角川文庫『夜の果てまで』にたいして、冷たい評価しかしないのか、説明したいと思います。『湾岸ラプソディ』には、しかけが施されていました。その点について、著者自身がつぎのように書いています。――書店で『湾岸ラプソディ』を見かけたら、ぜひカバー写真に注目を。夕暮れの東京湾岸にシルエットで浮かぶ2人は「21歳の青年」と「33歳の人妻」だ。これは90年の撮影。次に本をひっくり返して、裏表紙の写真を。こちらは99年の東京湾岸道路。つまり表が90年で裏が99年。(「本の旅人」1999年5月号より) 著者自身が語っている「あの写真」が、文庫本では消えてしまったのです。タイトルにも納得していませんけれど、私が気に入っていた写真が消えてしまいました。残念でなりません。グチが長くなりました。気を取り直して、盛田隆二作品に迫ってみます。◎いくつもの支流が合流『夜の果てまで』は、盛田隆二の代表作です。簡単にストーリーを紹介したいと思います。以下は、むかし書いたものの焼き直しです。 21歳の北大生と33歳の人妻の、抜き差しならない関係。盛田隆二は、2人を極限まで追いやります。北大生の安達俊介は、大学の近くのセイコーマートでアルバイトをしています。そこへ土曜日の夜11時すぎにきまって現れる美人がいます。彼女は必ずM&Mチョコレートを一袋だけ万引きしてゆきます。俊介は密かに「Mさん」と呼んでいます。 やがて俊介は、彼女がラーメン屋の若妻であることを知ります。涌井裕里子、33歳。彼女の旦那は、一回りほど歳が離れています。そして正太という中学3年生の息子がいます。 物語はいくつもの支流から、動きだします。俊介と恋人だった西野賀恵との別れ。新聞記者を志望する俊介の就職活動。裕里子の旦那と前妻・小夜子との奇妙な関係。学校をサボる正太と仲間たちの非行。 支流が本流に流れ込むたびに、物語はうねりスピード感を増します。俊介と裕里子の関係が、あらゆる障害をのみこみ、濁流となって突き進みます。作品に登場する店は実名です。また1990年3月にはじまった物語は、1991年2月に終ります。北海道の自然の移ろいに、2人の気持ちの移ろいが重なります。憎いまでの演出です。 この作品は「物語の終った明くる日」からはじまります。作品の第1行を、じっくりと読んでいただきたいと思います。物語は1998年9月から動きだしているのです。『夜の果てまで』は、文句のつけようのない傑作です。専業作家の道を選んだ盛田隆二に、拍手を贈りたいと思います。そして多くの人にぜひ読んでいただきたい、と切望しています。ウォラーの『マディソン郡の橋』が260万部のベストセラーなら、『夜の果てまで』は300万部を超えてもおかしくありません。そんな熱く切ない物語なのです。『夜の果てまで』の文庫解説で、佐藤正午は大切なポイントにふれています。むすびとして転記させていただきます。――登場人物が失踪する小説でありながら、『夜の果てまで』が失踪後を描いた小説ではない。小説が終わった時点で、夫も、作家も、失踪した涌井裕里子の行方を知っている。もともと描く必要がないのだ。/結局のところ、『夜の果てまで』は誰にも探されることのない失踪者を描いた小説なのである。(文庫解説より)(山本藤光:2009.11.30初稿、2015.02.22改稿)
2015年02月22日
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有り体にいえば雑談である。しかし並の雑談ではない。文系的頭脳の歴史的天才と理系的頭脳の歴史的天才による雑談である。学問、芸術、酒、現代数学、アインシュタイン、俳句、素読、本居宣長、ドストエフスキー、ゴッホ、非ユークリッド幾何学、三角関数、プラトン、理性…主題は激しく転回する。そして、その全ての言葉は示唆と普遍性に富む。日本史上最も知的な雑談といえるだろう。(「BOOK」データベースより)■小林秀雄・岡潔『人間の建設』(新潮文庫)◎史上最強の雑談 文庫のコピーには、「史上最強の雑談」とあります。そのとおりの内容でした。良質な言葉のキャッチボールに、度肝をぬかれました。買い求めたばかりの文庫本は、たちまち真っ赤な線や書きこみでうまってしまいました。文系と理系のコラボレーション。単純な図式で読みはじめたのですが、話は時空を超えていました。 私が稚拙な紹介をするよりも、赤い線を引いた箇所のいくつかをおすそ分けさせていただきます。――ヨーロッパの大学は、四年間大学いれば卒業証書が貰えるという仕組みには出来ていないでしょう。資格を得るのには何年かかるかわからない。また何年かけてもよい。学問は非常にむずかしい。どうしてもむずかしいことをやりたいと願う人だけが学者の資格を取れる。従って大学の先生というものは、そういうむずかしいことを好んでいた人だから、ということになっております。(本文P12,小林秀雄の発言)――岡さんは、絵がお好きのようですね。ピカソという人は、仏教のほうでいう無明を描く達人であるということをお書きになっていましたね。私も、だいぶ前ですが、同じようなことを考えたことがある。(本文P13,小林秀雄の発言) ここから対談は、「ピカソ」「無明」「世界の四賢人」(ソクラテス、キリスト、釈迦、孔子)の話しになり、漱石や芥川などまで登場します。かくして私は知の大海で、アップアップしてしまいました。「無明」という概念をわからないまま、何度も活字から顔をあげて息を整えます。 ――勘は知力ですからね。それが働かないと、一切がはじまらぬ。それを表現なさるために苦労されるのでしょう。勘でさぐりあてたものを主観のなかで書いていくうちに、内容が流れる。それだけが文章であるはずなんです。(本文P24,岡潔の発言) 長くなるので、引用はおわりにします。「男女関係」「たくあん石」「本居宣長」「ドストエフスキー」「トルストイ」「個人主義」「同級生」と、話は途切れることなく広がります。耳を澄まし、言葉の源泉を知ろうと考えこみます。薄い本なのですが、容易に前に進めません。これまでさまざまな対談を読んできましたが、こんなに崇高なラリーを目のあたりにしたことはありませんでした。 本書の巻末に「注解」が掲載されています。23ページにわたる「注解」は、すべてノートに書き抜きました。折にふれて学んでみたいと思っています。まだ空っぽの引き出しですけれど、学問はエンドレスなのだよ、という2人の声が聞こえてきます。 ◎モーツアルト、ドストエフスキー、本居宣長 少しだけ、小林秀雄のことを紹介します。――小林秀雄が文芸評論家として登場したのは1930年前後、プロレタリア文学と芸術主義文学(新感覚派や新興芸術派)の対立と言う構図の中で、そのいずれをも批判することを可能にするいわば絶対的な「文学」の拠点を構築する役割を担ったわけだ。(『群像日本の作家14・小林秀雄』小学館所収、「阿部良雄「同時代人・小林秀雄」より) 私は好んで、文芸評論を読みます。前記引用のとおり小林秀雄の批評は、ニュートラルなのでわかりやすいものです。もうひとつ、江藤淳の小林秀雄論を紹介させてもらいます。――「Xへの手紙」の背後には明らかに「暗夜行路」があるが、そのむこうにはおそらく「明暗」がある。漱石が発見した「他者」を、志賀直哉は抹殺し去ることによって「暗夜行路」を書いた。そこには絶対化された「自己」があるだけである。小林は、この「自己」を検証するところからはじめた。つまり、彼の批評は、絶対者に魅せられたものが、その不可能を織りつつ自覚的に自己を絶対化しようとする過程から生まれる。(『群像日本の作家14・小林秀雄』小学館所収、「江藤淳「小林秀雄」より) 小林秀雄については、別に『無常ということ』(新潮文庫)をとりあげるつもりでいます。短いの著作ですが、小林秀雄の英知が集約されています。できれば『考えるヒント』(全4巻、文春文庫)も読んでいただきたいと思います。非常にわかりやすい文章で、「考える」ことの醍醐味を教えてくれます。 『モオツアルト』『ドストエフスキーの生活』『本居宣長』(ともに新潮文庫)と、小林秀雄の著作は幅の広いものです。表出されたものから、その本質に迫る思考のプロセス。それは本書『人間の建設』で味わうことは可能です。しかし、対談には限界があります。相手に思考を合わせなければならないからです。一人黙考する。そんな小林秀雄の世界への誘いとして、『人間の建設』はお勧めの1冊でした。 2014年9月に、小林秀雄・岡潔の対談「破壊だけの自然科学」が収載されている、『夜雨の声』(角川ソフィア文庫、山折哲雄・編)が文庫化されています。また角川ソフィア文庫から、岡潔『春宵十話』と『春風夏雨』も新装されてでました。 本書により自分の思考の貧弱さを、いやというほど知らされました。トップレベルの思考回路を知ってこそ、並のレベルの底上げが可能になります。あなたが私の部下なら、「読んでみたら?」ではなく、「読め!」といいたいと思います。それが小林秀雄・岡潔『人間の建設』なのです。(山本藤光:2010.04.05初稿、2015.02.21改稿)
2015年02月21日
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獰猛で狡知に長けた白鯨を追って、風雨、激浪の荒れ狂う海をピークォド号は進んだ。ホーン岬、インド洋、日本沖を経た長い航海の後、ついにエイハブは、太平洋の赤道付近で目ざす仇敵をみつけた。熱火の呪詛とともに、渾身の憎悪をこめた銛は飛んだ……。作者の実体験と文献の知識を総動員して、鯨の生態と捕鯨の実態をないまぜながら、エイハブの運命的悲劇を描いた一大叙事詩。(新潮文庫下巻の内容案内)■メルヴィル『白鯨』(新潮文庫・上下巻、田中西二郎訳)◎著者の気まぐれを受け入れる『白鯨』は著者メルヴィル自身の、捕鯨船体験をもとに書かれました。メルヴィルは1841年に捕鯨船アクシュネット号に乗りこみます。それからの波乱万丈のできごとについて、書かれた本があります。紹介させてもらいます。なにやらこちらのほうが、おもしろい小説になりそうだと感じるのは、私だけでしょうか。――当時、捕鯨船の労働条件は劣悪であった。そのことに嫌気が差したメルヴィルは、十八カ月後、船がマルキーズ諸島(南太平洋に浮かぶフランス領ポリネシア)に寄港したときに仲間とともに脱走する。ところが、その島には食人の習慣を持つ先住民がいて、彼らは「いつ自分たちが食われるか」と怯えながら過ごした。/一カ月後、偶然に寄港したオーストラリアの捕鯨船に乗って島を脱出したメルヴィルは、その捕鯨船内の暴動に巻きこまれ、タヒチ島で投獄されてしまう。その後脱走に成功したメルヴィルは近くの島に隠れ住み、やがてアメリカの捕鯨船に救われて一八四二年四月にハワイへ到着、ホノルルで店員などをした。(金森誠也・監修『世界の名作50選』PHP文庫)『白鯨』は『モービー・ディック』というタイトルで、1951年に刊行されましたが、当時はまったく受け入れられませんでした。『白鯨』は長く、しかも鯨に関する論文のような文章が挿入されています。そのあたりについて、サマセット・モームの助言を紹介しておきます。――わたくしがよんで退屈におぼえた章も、いくらかある。たとえば、図書館でくそ勉強をしておぼえこんだような、古物に関する知識だけからなる章とか、鯨の博物学をとりあつかった章とかがそれである。だが、メルヴィルがその深遠で玄妙な知識をひじょうに重んじていたことは明らかである。あなたは偉大なる才能をもつ作家の気まぐれな考えをそのままうけいれねばなるまい。(W.S.モーム『世界文学読書案内』岩波文庫、P135より)『白鯨』は、10人を超える人が翻訳をしています。私が手にしたのはたまたま新潮文庫(田中西二郎訳)でしたが、意図したものではありません。山村修はその著書『書評家<狐>の読書遺産』(文春新書)のなかで、岩波文庫の八木敏雄訳を高く評価しています。山村修(推薦作『遅読のすすめ』ちくま文庫)は「狐」の名義で、ニュートラルな書評を数多く発信し、2006年に肺がんのために亡くなっています。『白鯨』には、難解な記述が数多くあります。それゆえ翻訳の波長が、自分のリズムと合うか否かを確認することをお薦めします。最近では2013年に、丸山健二『白鯨物語』(眞人堂)が出版されています。私の大好きな作家で、個人的には評価しています。ただしあまり流通されていません。丸山健二については別途、『夏の流れ』(講談社文芸文庫)を紹介させてもらいます。 翻訳のちがいを冒頭部分で検証しておきます。まずは新潮文庫(田中西二郎訳)から引用します。――まかりいでたのはイシュメールと申す風来坊だ。もう何年前になるか――正確な年数などどうでもよかろう――懐中は文なし同然、陸地ではこれというおもしろいこともないので、しばらく船に乗って、水の世界を見て来ようと思った。わたしにとっては、それが憂鬱を追い払って、血行を良くする方法だったのだ。(本文P39)河島弘美は『動物で読むアメリカ文学案内』(岩波ジュニア新書)で、原文の英語の下にみずからの翻訳文を書いています。――わたしをイシュメイルと呼んでくれ。何年か前のこと――正確に何年かはどうでもよいのだが――財布の中身が底をつき、陸には興味をひかれるものもなかったので、船に乗って水の世界を見てこようと思った。それが凶暴性をなだめ.血行をよくするわたしのやり方だった。(河島弘美『動物で読むアメリカ文学案内』岩波ジュニア新書) もうひとつならべてみます。――人の名前なんぞというものにおよそどれほどの価値があるのかは知らないが、/若くしてとんでもない運命に遭遇し、/その渦に完全に巻きこまれてしまった、/極めて特異な体験の語り部として登場するおれのことは、/とりあえずイシュメールとでも名乗っておくことにしよう。(丸山健二『白鯨物語』眞人堂) 私は「水の世界」とか「血行をよくする」などの表現に、違和感をもっていました。翻訳が流れておらず、直訳っぽい場違いな単語が気になっていました。それを丸山健二はすべて削いで、みごとな滑り出しを描いてみせてくれました。 ほかに『白鯨』の訳書として、講談社文芸文庫(千石英世訳)と岩波文庫(八木敏雄訳)などがあります。読んでいませんが。◎迫力満点の最終章『白鯨』の語り手は、イシュメイルという無宿者です。鯨にかんする古今東西の文献の紹介や捕鯨にまつわる歴史なども、彼自身の言葉によって語られています。彼は捕鯨の街で、銛(もり)打ちのクィークェグと同宿します。2人は意気投合し、やがて片脚の船長・エイハブが陣頭指揮をする、捕鯨船・ピークォツド号に乗りこみます。この2人については最後に、笑ってしまった珍説(?)を紹介します。船長・エイハブは、自身の片脚を奪った白鯨・モービー・ディックへの復讐を胸に、長い航海へと出発します。エイハブはマストにスペイン金貨をはりつけ、第一発見者にはそれを進呈すると宣言します。エイハブはあらゆる航海の常識を放棄し、ひたすら白鯨を追い求めつづけます。エイハブには、人情のかけらもありません。荒れ狂う航海の安全にかんする、考慮すら欠けています。乗組員への配慮もありませんし、行き違うほかの捕鯨船への仲間意識も欠落しています。エイハブ船長の怨念と、乗組員の諦念を乗せて、ピークォツド号は荒海を進みます。行けども行けども、白鯨・モービー・ディックは出現しません。乗組員たちの、寄港すべきだという主張は、とうに切り捨てられてしまっています。『白鯨』は135章にもおよぶ長編です。しかし活劇が展開されるのは、最後の3章のみです。それまで読者は、たいくつな鯨学につきあわなければなりません。1度乗船した降りることのできない海原ですので、しかたがありません。最終章(第135章)の迫力ある場面まで、読者は耐えて待たねばならないのです。――突如、あたりの波が、ゆっくりと、広い円形にふくらんできた。それから、まるで水面下の氷山が急に浮き揚がるときのように、ふくらみは横すべりながら急激に高まった。低い地鳴りのような音が聞こえる。地底の鼻唄。次の瞬間、みな息を呑んだ。垂れる鯨索、銛と槍、それらを引きずりながら、巨大なるものが縦に――だが海面には斜めに跳り出たのだ。(下巻本文P513より)私がこの文章を読むために、大学時代の階段教室での講義のような時間に耐えました。このあたりのことを、池澤夏樹はつぎのように語っています。――真ん中の部分に何が書いてあるのか。ずうっと鯨の話です。鯨の種類、鯨という言葉の語源、鯨の生態、解剖学、捕る時の技術、その他種々、ありとあらゆる鯨学。それから捕鯨船の航海の詳細。いかなる人間が乗っていて、それぞれいかなるポジションについていて、どういう役割か。実際にいかにして鯨を見つけるのか。見つけたらどうやって追いかけて、捕まえて、母船まで運んで、最終的な処理をするか。そこから始まって、人類にとって鯨とは何かを哲学的に問う。具体的な応用例から、形而上学的な意味、旧約聖書に出てくる「ヨナの話」も出てきます。(池澤夏樹『世界文学を読みほどく』新潮選書より)私には読みにくい作品でしたが、この作品を抜きにして「標茶六三の文庫で読む400+α」は完結しません。そんな思いで、学生時代に挫折した本書を、みごとに読破しました。退屈な部分はどんどん飛ばして読むと、分厚い上下巻はあっという間に読み終えることができます。念のため。◎『白鯨』に寄せられたあれこれ 宮川雅は「『白鯨』はさまざまなレベルで読めるテキストである」として、つぎのように整理してくれています。1. 十九世紀捕鯨業のルポルタージュ2. 海洋冒険小説3. シェクスピア的ないし神話的悲劇4. 聖書のパロディ5. 神や悪魔や認識の問題を巡る思想小説6. フリーメーソンの象徴が解読され、エイハブと神の関係にグノーシス主義の思想7. フランス批評家による図像学的・数秘学的解読8. 男根冗句(『世界文学101物語』高橋康也・編、新書館) 岩波文庫の『白鯨』(上中下巻、八木敏雄訳)は、11番目の邦訳だそうです。「狐」こと山村修は、訳注の豊かさに着目しています。特に「聖書」との関連については新鮮さを感じています。――八木訳の特色をなすのは、その訳注のゆたかさだ。この小説は、語り手のイシュメールや船長のエイハブなど人名の借用をはじめ、いたるところい聖書本文の引用・暗示・パロディなどが織りこまれている。それが訳注で巨細にわたってしめされるばかりではない。訳文にも聖書読解にもとづく独特の工夫がこらされ、ときにはハッとさせられる。(山村修『書評家<狐>の読書遺産』文春新書) もうひとつ、メルヴィルが他の作家から受けた影響について紹介させていただく。――メルヴィルはホーソンを規範として、シェイクスピア悲劇の影響のもとに捕鯨の物語を書きなおした。そして、エイハブ船長は運命と悪に挑戦し、ついにはみずからを滅ぼすにいたるが、決して敗北はしないアメリカ的な英雄となる。(明快案内シリーズ:『アメリカ文学』自由国民社) ホーソンは『緋文字』(新潮文庫)、シェイクスピアは『マクベス』(新潮文庫)を別途紹介させていただきます。最後は斎藤美奈子が笑わせてくれたので、引用しておきます。鯨=ゲイ、とすこしこじつけっぽいけれど、物語の冒頭で引用させてもらった2人は、確かに同じベッドで寝ているのです。――親友(恋人?)のクィークェグを失い、「孤児」となった悲しみがイシュメールを鯨学に向かわせたのではなかったか。なぜかって鯨は親友(恋人?)の思い出に直結するからだ。そう思うと、いっけん退屈な鯨学の部分まで切なく感じる。ゲイ文学の傑作に認定したい。(斎藤美奈子『名作うしろ読み』中央公論新社)(標茶六三:2011.02.18初稿、2014.10.11改稿)
2015年02月20日
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優美かつ艶やかな文体と、爽やかで強靭きわまる精神。昭和30年代初頭の日本現代文学に鮮烈な光芒を放つ真の意味での現代文学の巨匠・石川淳の中期代表作―。華麗な〈精真の運動〉と想像力の飛翔。芸術選奨受賞作「紫苑物語」及び「八幡縁起」「修羅」を収録。(「BOOK」データベースより)■石川淳『紫苑物語』(講談社文芸文庫)◎極上の名文 名文家といわれる作家は、たくさんいます。そのなかでも石川淳は、ぬきんでています。三島由紀夫が硬質の金属的な文章だとしたら、石川淳は庶民的な川の流れに似ています。大江健三郎も一文は長いのですが、石川淳はその比ではありません。 石川淳の文章に最初に接したのは、安部公房『壁』(新潮文庫)によせた「序文」ででした。息つくひまもないほどに、たたみかけてくる文章にオーラを見ました。卒論を「安部公房」としたため、影響を受けた作家の作品もずいぶん読みました。カフカ、リルケ、石川淳、花田清輝などです。『壁』の序文に魅せられて、石川淳の芥川賞受賞作『普賢』(集英社文庫、現・講談社文芸文庫)をいちばんに読みました。重厚でいて、流れるようなリズムに鷲づかみされました。特別サービスで、一文を紹介しましょう。楽しめるでしょうか? こうした文章は、よほど博学でなければ書けません。正直にいうと、大学時代はかなり背伸びして、石川淳を読んでいたように思います。(引用はじめ) あくる朝、正午近く眼をさますと……だが、わたしにとって朝眼をさますということほど不思議な事件はないのだ。わたしは床の中でまたも日の光の下によみがえったわが手足を撫でながら、ああまだこのからだは生きているのかと、あたかも自分ではない微生物を指先につまみ上げて見るごとく、いましがた浮き出たばかりの仮睡の世界、夢と現(うつつ)のあわいの帷(とばり)を愛惜しつつ、数本の煙草を茫漠とくゆらすのであるが、これはわたしの一日のうちもっとも精彩ある時間で、たとえば太陽伝説についていうと心ひかれるのは太陽そのものよりも太陽の生殺を支配する朝焼け夕焼けの光であり、その明暗の中にわが身を浸して濛濛たる大病人の意識にふわりとくるまっているときにこそわたしは初めてたましいの秘密に参じえたような料簡になって、禅家のいわゆる透関の眼とは決してからりと晴れた青空を仰ぐようなばかばかしいものではなく、こうして世ならぬ霧の香をかぎあてた一瞬の妙機をさすのではあるまいかと独り合点をする始末で、人間の悟りがはたしてこの道のかなたにあるとすればそれは途方もない憂鬱の行き止りであろう。(引用おわり。石川淳『普賢』第8章冒頭の文より)『紫苑物語』(講談社文芸文庫)には、表題作をふくめて3つの短編が所収されています。『普賢/佳人』(講談社文芸文庫)も捨てがたいのですが、いちばん好きなのは「紫苑物語」です。 主人公の守(宗頼)は勅撰集の選者である父をもつ、先祖代々の歌の家に生まれました。幼いころから、歌の才能はゆたかでした。ある日父の添削をみて逆上し、主人公は朱筆を父の顔面に投げつけて、歌の道をやめてしまいます。 主人公・宗頼には、弓に秀でた伯父(弓麻呂)がいます。叔父は父の兄ですが、身分の低い異腹の子でした。宗頼は無頼漢の弓麻呂の指導で、たちまち弓の道でも才能を発揮するようになります。 14歳のとき宗頼は、10歳のうつろ姫と呼ばれる女と結婚します。うつろ姫は醜く、白痴の疑いもありました。彼女は夜の営みについては、飽きることのないほど積極的でした。宗頼はそれを不潔と感じ、うつろ姫を遠ざけます。 18歳になった宗頼は、遠国の守に任ぜられます。うつろ姫もついてきます。宗頼は弓を携えて、狩に明け暮れます。その間うつろ姫は下賤の輩を自室に招き、快楽をむさぼりつづけます。 宗頼の家臣に、藤内という腹黒い男がいます。宗頼は以前から気になっていた「岩山の向こうに何があるのか?」と藤内にたずねます。「血のちがう輩が住んでおり、危険なので近寄らない方がよい」との答えがあります。 そういわれれば、なおさら見たくなるのが人情です。宗頼は岩山の向こうへと出かけます。そこには平太という岩に仏を彫っている、同年代の若い男がいました。 岩山の向こうからの帰路で、宗頼は美しい若い女(千草)とめぐりあいます。女は彼が射た弓に倒れた、子ぎつねの化身だったのです。正体を知っても、宗頼は千草を愛しつづけます。 ある日弓麻呂は、庭で2人の家来を弓矢で殺します。宗頼は血で汚れたところに、紫苑を植えるように命じます。邸内での殺戮がつづき、庭はたちまち紫苑でいっぱいになります。 この先についてはふれません。宗頼と千草のその後。平太との再会など、後半にものがたりは大きく動きます。ただただ石川淳の筆力に圧倒されながら、見知らぬ「紫苑」を思い浮かべてしまうことになります。「紫苑」(しおん)を植物図鑑で確認しました。薄い紫色の花で、九州でわずかに自生している、とありました。◎最後の文士 手元に文芸誌『すばる』(1988年4月臨時増刊号)があります。「石川淳追悼記念号」です。宝物のように大切にしていますが、小口のヤケが活字面にまで浸食してきました。そのなかに「石川淳の文学と位置」という鼎談があります。佐々木基一、中村真一郎、丸谷才一の豪華な組み合わせです。『紫苑物語』について、中村真一郎が直に聞いたという石川淳の言葉があります。――中村:おれ(補:石川淳)はある朝、目が覚めたら、頭のなかに「ル・セニュール・エーメ・ラ・シャス」というフランス語の句が浮かんだ。すぐにそれを日本語に直して、「国の守は狩を好んだ」と書いて、それから先、ずっと空想を増殖させていってあれができた。プロはそういうものだ、おまえみたいに初めから終わりまで構成を考えて書くのは素人であると、福永(補:武彦)をつかまえて言ったのを聞いてて、「ああ、そうか。石川さんはそうなんだな」と。 このつづきがおもしろいので、重ねて引用させていただきます。丸谷:福永さんが石川さんのメモを見たんですって。淳さんが立ち上がったときに。小さな名刺みたいな紙に登場人物五人か六人の名前と職業と年齢が書いてあるだけで、あれを見るだけで書くんだ。「今の日本の小説家で、一番頭が強いのは、石川淳ではないか」と、福永さんが何かに書いていました。中村:福永の小説ノートたるや、小説ぐらい長いんだ、綿密で。福永は小説ノートを書くのが趣味なんだ。道楽なんだよ。 石川淳の作品には起承転結がない、と安原顕が書いていました。とりあげた『紫苑物語』は、めずらしく骨格がしっかりとした作品ですが。その理由は、鼎談で理解できました。冒頭だけ浮かんで、あとは発酵するのを待った作品だったのです。 石川淳は1899(明治32)年浅草で生まれています。1936(昭和11)年に『普賢』で芥川賞を受賞しています。その2年後に発表した「マルスの歌」(『焼跡のイエス/普財』講談社文芸文庫所収)が発禁処分となります。それからしばらくは、「森鴎外」などの評論や、江戸文学の研究に没頭します。 石川淳は太宰治、織田作之助らとともに「無頼派」と呼ばれています。私にはあまりぴんとこないくくりです。石川淳は若手の文学者にも寛容な姿勢をみせました。安部公房や中野重治に目をかけ、2人からは師とあおがれていました。大江健三郎や金井美恵子を、支援したのも石川淳でした。文学者・石川淳の原点にふれた文章があります。紹介させていただきます。――荷風がヨーロッパに触れることによって、逆に伝統的な規範を発見したのと同じように、石川淳もまた、昭和時代における東京の文化の風化を代償として、逆に貴族主義的精神を手に入れることができたのではなかろうか。彼のうちには、「江戸っ子」としての「血」がなおも動かしがたいものとして生きている。(磯田光一『昭和作家論集成』新潮社P142より) 石川淳の博識について、吉田健一はつぎのように書いています。――江戸の人間であって和漢の学がその素養をなし、ヨオロッパの文学に明るくその昔金に困っていた頃に小遣い稼ぎに翻訳をする位のことは何でもなかった。(吉田健一『交遊録』講談社文芸文庫より) 私はジッド『背徳者』(新潮文庫)を、石川淳訳で読みました。ジッド『狭き門』(新潮文庫)の解説は石川淳が書いています。古典では『新釈雨月物語/新釈春雨物語』(ちくま文庫)という著作があります。小説家というよりも、文士という称号のほうがふさわしいのが石川淳です。日本一の名文をどうぞ堪能してください。(山本藤光:2010.05.30初稿、2015.02.18改稿)
2015年02月19日
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十七年前、霧の霊峰で少年たちが起こした聖なる事件が、今鮮やかに蘇る……。/再会は地獄への扉だった。/山本周五郎賞受賞作から三年余。沈黙を破って放つ最高傑作ミステリー。(単行本上巻の帯コピー)連続殺人、放火、母の死……。無垢なる三つの魂に下された恐るべき審判は……。/人は救いを求めて罪を重ねる。/<救いなき現代>の生の復活を描く/圧倒的迫力の2385枚!(単行本下巻の帯コピー)■天童荒太『永遠の仔』(全5巻、幻冬舎文庫)◎虐げられて生きている 一度単行本で読んでいましたが、文庫は5分冊になっていることもあり、出勤の電車のなかで読み直しました。分厚い単行本が文庫化されると、もち運びに便利なので再読したくなります。この作品については、古い「読書ノート」から紹介してみたいと思います。(引用はじめ) 出張先のホテルで、配達された「中國新聞」(2002年6月8日)を開きました。特集記事がありました。「天童荒太自身が語る『永遠の仔』について」というタイトルでした。読者からの手紙やメールが3000通を超えたとの報告のあとに、つぎのようなコメントがありました。――人はみな幸せでありたいと思っているのに、なぜ人を虐げないと生きていけないのでしょう。僕の作品はそこから始まった。(新聞より)――子どもばかりでなく虐げられる存在は普遍的にある。今社会に必要なのは、こうした存在を皆が認め、その立場に立って物を発想していくこと。心に傷を受け懸命に生きる人たちの思いを私は背負わなければならない。その上で作家として何ができるか、考えていきたいと思うのです。(新聞より) 天童荒太は表現こそちがえ、「人は人に虐げられて生きている」と強調しています。作品を生みだす原点は、そこにあるといいきっていいと思います。 物語は、17年前の過去と現在を交錯させてつづられています。主たる登場人物の久坂優希、長瀬笙一郎(モウル)、有沢梁平(ジラフ)の3人は、愛媛県にある漁師町の小児総合病棟の入院患者です。3人は退院祝いとして、四国の霊山に登ります。そこで事件に遭遇します。やがて3人はある秘密を共有して、離れ離れになります。そして、17年後の再会。 久坂優希は看護婦、長瀬笙一郎は弁護士、有沢梁平は刑事になっています。再会は必然ではなく、偶然の出会いでした。再会は久坂優希の弟・聡志の存在がきっかけになっています。優希の勤める病院の近所で、連続殺人がおきます。 3人の絆(秘密)とはなんだったのか。12歳で心の病にかかり、入院を余儀なくされた3人の過去とはなにか。そして現在に待ち受けている事件とは? 再読にもかかわらず、最初の感動がよみがえってきました。「虐げられる」を意識しながら、ぜひお読みいただきたいと思います。緻密なディテールや世の中のゆがみに、読者は圧倒されます。何度読んでも、傑作でした。(引用おわり)◎サイコ・サスペンスでデビュー 天童荒太は現代日本を代表する、エンターテイメント作家です。宮部みゆきや東野圭吾とならぶ、最後まで読ませる筆力をもった作家だと思っています。ただし現状では、レパートリーが狭すぎます。家族、こども、哀れな人……。そのことはタイトルからも推察することができます。 天童荒太には歴史上の人物を、描いてもらいたいと思っています。天童荒太は、緻密で器用な作家です。デビュー作『白の家族』(野性時代新人文学賞1986年、文庫見当たらず)は、王出富須雄(オイデプスオ)の筆名で応募しています。発表時には本名の栗田教行と改められました。その後、映画界に身をおいた時期もあります。 ミステリーでのデビューは、『孤独の歌声』(日本推理サスペンス大賞優秀作1994年、新潮文庫)ということになります。この作品から、筆名を天童荒太としました。それにしても「王出富須雄(オイデプスオ)」というのは、大胆な名前です。「オイデプス王」はソポクレスの作品で、岩波文庫で入手可能です。 『孤独の歌声』は、サイコ・サスペンスのはんちゅうにはいる作品です。サイコ・サスペンスとは「異常殺人者、あるいは大量連続殺人犯の恐怖を描いたもので、サイコ・スリラー、異常心理小説、異常心理サスペンスともいわれる」(権田萬治・新保博久監修『日本ミステリー事典』新潮社より)ものです。 その後、天童荒太は『悼む人』(上下巻、文春文庫)で、直木賞を受賞することになります。私はそこにいたるまでの作品のなかで、『包帯クラブ』(ちくまブリマー新書)を高く評価しています。「サイコ・サスペンス」についてふれておきます。ロバート・ブロックは1959年に、有名な異常殺人者エド・ゲインをモデルに『サイコ』(創元推理文庫、他に『切り裂きジャックはあなたの友』ハヤカワミステリー文庫などがあります)を執筆。これがヒッチコックによって映画化されました。トマス・ハリス『羊たちの沈黙』(新潮文庫)は、その最高傑作といわれています。日本では逢坂剛『さまよえる脳髄』(集英社文庫)や折原一『異人たちの館』(講談社文庫)がサイコ・サスペンスの代表作です。(『日本ミステリー事典』を参照しました)◎『永遠の仔』(単行本)のカバー写真 初出『永遠の仔』(上下巻、幻冬舎)には、巻末に著者の簡単な謝辞が書かれています。今回文庫化にあたり天童荒太は、長い「文庫版あとがき・読者から寄せられた言葉への返事として」を挿入しています。真摯な天童荒太らしい文章で、作品にたいする並々ならぬ愛情を感じました。 『永遠の仔』を読んでいない方は、店頭で文庫版第五巻の「あとがき」を立ち読みしていただきたいと思います。これが天童荒太なのだ、と実感してもらえると思うからです。私のつたない文章の何百倍も説得力があります。以前私は「『永遠の仔』(単行本)のカバー写真」なる文章を発信しています。以下の文章は、PHP研究所メルマガ「ブックチェイス」に連載していた「藤光伸(当時のペンネーム)の文学界ウォッチ」からの引用です。残念ながら文庫本の装丁はちがっています。 ――天童荒太『永遠の仔』のカバー写真を覚えているでしょうか? 私はあの写真に圧倒されました。上下2巻のカバー写真は同じものですが、表と裏が逆になっています。上巻の表紙には2人の少年、裏表紙には1人の少年。下巻は表紙には1人の少年で、裏表紙には2人の少年。ともになにかをじっと見すえています。 神秘的な少年たちの視線に、圧倒されました。私は「少年」と書きましたが、性別は明らかではありません。また「カバー写真」と書きましたが、初めは絵だとばかり思っていました。本書に掲載されている説明では、つぎのようになっています。装幀・多田和博、カバー作品・舟越桂、『知恵の少年達へ』写真撮影・落合高仁、『かたい布は時々話す』名古屋市美術館所蔵写真撮影・落合高仁、『砂と街と』写真撮影・近藤正一、写真提供・西村画廊(株)求龍堂 あのカバー写真の謎が解けました。あの写真は、舟越桂という人の彫刻だったのです。天童荒太は「本」(講談社・2000年7月号)につぎのように書いています。「昨年、上梓した小説のカバーに、船越さんの彫刻作品をとの案が出されたのは、二年前の秋のことだ。無垢で温かい印象ながら、生きることの厳しさや奥深さをたたえている舟越彫刻が、その物語には合うと思えた。」(本文より) 私が圧倒されたカバー写真は船越桂の彫刻作品でした。その船越桂の版画と天童荒太の文章が合体した作品集が出版されています。『あなたが想う本』(講談社)。 天童荒太『永遠の仔』には感動しました。もう一つの感動をあたえてくれた〈カバー写真〉の作者・舟越桂の版画を、じっくりと見たいと思います。版画展があったら行ってきます。◎心の傷とは(追記:2015.03.02) むかし書いた書評がでてきました。天童荒太を知るうえで、大切なポイントだと思います。追記させてもらいます。(転記はじめ) 天童荒太『包帯クラブ』を読みました。天童荒太の6年ぶりの書き下ろしです。しかも珍しい新書サイズでの登場でした。(補:現在はちくま文庫)新書版といっても、260枚と長いものです。『包帯クラブ』は、少年少女たちの「心の傷」に迫った作品です。しかし、従来のように重いものではありません。 天童荒太が「心の傷」にこだわりつづけるのは、つぎの理由からです。――悲しい人とか、懸命なのに生きづらさを感じている人に惹かれるんでしょう。自分に、そういう人たちに対しての共感があるんだけど、何もしてあげられないこともわかっているので、せめて物語は差し出せるかもしれないということもありますね。 (「ちくま」2006年3月号・インタビュー記事より) 本書のタイトルの意味は、読んでのお楽しみとさせてもらいます。天童の新しい世界にふれて、さらなる可能性を確信しました。(転記おわり2006.05.10)(山本藤光:2010.01.21初稿、2015.03.02改稿)
2015年02月18日
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泥のごとできそこないし豆腐投げ怒れる夜のまだ明けざらん―零細な家業の豆腐屋を継ぎ病弱な体を酷使する労働の日々、青春と呼ぶにはあまりに惨めな生活の中から噴き上げるように歌は生まれた。そして稚ない恋の成就…六〇年代の青春の煌きを刻印し、世代を超えて読み継がれた本書には、生涯、命と暮しを侵す権力に筆と肉体で闘いを挑み続けた作家の揺るぎない「草の根」の在り処が示されている。(「BOOK」データベースより)■松下竜一『豆腐屋の四季』(講談社文芸文庫)◎眼施(げんせ)の教え いきなり引用でもうしわけありませんが、松下竜一『豆腐屋の四季』(講談社文芸文庫)の原点はここにあります。――病弱で、やせっぽちで、非力で、臆病で、こんな自分がどうして世の役に立てようと、ひとり寂しい思いで殻にこもっていたある日、ぼくはその一語に出会いました。眼施――げんせ。仏教の経典にある無財の七施のひとつだそうです。(本文P123) 松下竜一は1937年、大分県の片田舎の豆腐屋の息子として生まれます。幼いころから病弱で、高熱のために片目を失明してしまいます。高校卒業後に最愛の母を失い、豆腐屋の手伝いをすることになりました。起床は2時。豆腐をつくり、カブで配達し、帰るとすぐに豆腐をつくり、配達し、夕方にも豆腐をつくり、また配達をします。 そんな松下竜一のなぐさめのひとつは、朝日新聞に短歌を投稿することでした。そして入選作として朝日歌壇に掲載されたのがつぎの歌でした。――泥のごとできそこないし豆腐投げ怒れる夜のまだ明けざらん 松下竜一は苛酷な仕事のなかで、もうひとつの楽しみを見出します。彼は豆腐の配達先の娘・洋子さんを見そめます。洋子さんは、11歳年下の中学生でした。2人は洋子さんが18歳になるのを待って結婚します。結婚式の引き出物として「相聞」という歌集が配布されました。「相聞」は、著者が洋子さんへの思いを歌ったもので、文庫の付録として収載されています。第1首を紹介します。――ひたすらに泉湧くごと君恋えば我が命燃え歌生(あ)れやまず 私はいちど、『豆腐屋の四季』を講談社文庫で読んでいます。講談社文庫解説の岡部伊都子は、前記引用句を紹介しながら、つぎのように書いています。――1篇ごとに清新な感動をうけ、多くの人々、とくに方向を見失って悩み、荒れる若者たちの心をみたす生きた内容であると、思いあふれるのを思えた。 そして岡部伊都子は、つぎの1首を選んでいます。 ――稚ければその頬にも未だ触れず帰る我が唇に雪ながれ消ゆ 再読したのは、講談社文芸文庫のほうです。解説は小嵐九八郎が書いており、つぎの一句を選んでいます。 ――柔らかな真白き豆腐を造る手に我がみどり児を抱く日も近むも 小嵐九八郎の解説は、松下竜一が体を壊して豆腐屋を廃業してからのことに、スポットを当てています。◎途中から涙がとまらなくなった 松下竜一『豆腐屋の四季・ある青春の記録』(講談社文庫)との出会いを記しておきたいと思います。宮部みゆきや重松清を激賞していた私に、いつもは温和な友人が、強い口調で「読め」といいました。松下竜一は、はじめて聞く名前でした。「読め」と強要したのは大泉康雄です。著作には『あさま山荘籠城・無期懲役囚吉野雅邦ノート』(祥伝社文庫)などがあります。 大泉は硬派の読書家で、あさま山荘事件の吉野雅邦とは幼馴染でした。彼が薦めてくれた本は、極力読むようにしていました。酒が入ると記憶がよみがえるらしく、「読んだか」と激しく追及されます。追及をさけるために、読んでみることにしたのです。 ずっと探し求めていました。書店へ行くたびに文庫本の棚をあたるのですが、何ヶ月も発見できませんでした。あきらめかけていたとき、ひょっこりと松下竜一の背表紙が手招きしてくれました。 さっそく読みはじめました。途中から涙がとまらなくなりました。本書は松下竜一とその家族をめぐる、魂の記録です。著者は細々と豆腐屋を営みながら、独学で短歌の投稿をつづけています。最初に詠んだ歌が朝日歌壇の入選作となりました。 本書は著者が31歳のときに、自費出版されました。それが評判となって、翌年(1969年)講談社から出版されることになります。文庫化されたのは1983年で、私の手元にあるのは2000年10月の第12刷。息の長い作品なのです。 洋子への愛。動物や植物に示す愛。家族への愛。そして豆腐にかける愛。心が洗われ、それがピュアな涙となって流れ落ちました。『豆腐屋の四季』には、貧窮歌と洋子への恋情歌が交錯しています。それが読者を切なくさせます。さらに母親への愛に満ち満ちています。冒頭に「眼施」のことに触れました。感動的な文章を引用させてもらいます。――無学のうえ、信仰もなかった母が、眼施の教えをひとりでに会得していたのは、母自身このうえもなくやさしい心といつくしみの目を持っていたからでしょう。母はたぶん知っていたのです。やさしさに徹することでしか、ぼくは強くなれないのだと。でもほんとうにやさしくなることは、なんと至難なことでしょう。ぼくは今日も、つい些細なことで妻を怒ってしまいました。ぼくより小さく弱い妻を。(講談社文芸文庫P124) 松下竜一は豆腐屋を廃業してから、。「中津の自然を守る会」を結成し、火力発電所建設反対運動を起こします。つまり白(豆腐)から赤(火)へと人生の舵を切るのです。そのあたりについて、興味があればつぎの著作を読んでみてください。1972年『風成の女たち・ある漁村の闘い』(現代教養文庫)1975年『五分の虫一寸の魂』(現代教養文庫)1977年『砦に拠る』(ちくま文庫、講談社文庫)1978年『潮風の町』(講談社文庫) 私は松下竜一の著作のなかでは、迷うことなく白に軍配をあげます。最後に「無財の七施」について触れておきます。五木寛之『人間の覚悟』(新潮新書)のなかに説明が載っています。引用しておきます。――仏教には「無財の七施」というものがあります。「和顔施(わげんぜ)」は笑顔でにっこり笑うこと。「眼施(がんせ)」というのはじっと相手を見つめ、言葉にならない声を受けとめようとすること。それから「言施(ごんせ)」は、言葉を尽くして相手を慰め、「大丈夫だよ」といって安心させること。日常的なことでも、老人に席を譲る「床座施(しょうざせ)」や、自分の体を使って人に奉仕する「身施(しんせ)」、他人を思いやる「心施(しんせ)」、寝場所を与える「房舎施(ぼうしゃせ)」と、お金がない人でも、だれかのためにできることはたくさんある。(本文P171) 引用文中の「眼施(がんせ)」を、松下竜一は「げんせ」と表記しています。また「言施」は、「愛語施」と書かれている著作もあります。「無財の七施」をじっくりと学びたい方に、お薦めできる本は知りません。アマゾンで検索したら、東井義雄『喜びの種をまこう・誰でもできる無財の七施』(柏樹社)がありましたが、絶版であり3千円超の高額な本でした。念のため。◎ちょっと寄り道 佐藤雅彦・編『教科書に載った小説』(ポプラ文庫)のなかに、松下竜一「絵本」が所収されています。何冊かの中学国語に取りあげられているようです。この作品は『潮風の町』(筑摩書房)の収載作ですが、絶版で入手しにくいものでした。(山本藤光:2009.11.10初稿、2015.02.16改稿)
2015年02月17日
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私立探偵フィリップ・マーロウは、億万長者の娘シルヴィアの夫テリー・レノックスと知り合う。あり余る富に囲まれていながら、男はどこか暗い蔭を宿していた。何度か会って杯を重ねるうち、互いに友情を覚えはじめた二人。しかし、やがてレノックスは妻殺しの容疑をかけられ自殺を遂げてしまう。が、その裏には哀しくも奥深い真相が隠されていた…大都会の孤独と死、愛と友情を謳いあげた永遠の名作が、村上春樹の翻訳により鮮やかに甦る。アメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞最優秀長篇賞受賞作。(「BOOK」データベースより)■チャンドラー『ロング・グッドバイ』(早川書房軽装版、村上春樹訳)◎チャンドラー作品は訳者で別物になる桐野夏生『柔らかな頬』(上下巻、文春文庫、「標茶六三の文庫で読む400+α」推薦作)を再読しているとき、猛烈にチャンドラーを読みたくなりました。桐野夏生の女探偵・村野ミロが、チャンドラーの描く私立探偵・フィリップ・マーロウと重なってきたのです。 桐野夏生のミロシリーズは、すべて読んでいます。一方チャンドラーの作品は第1作『大いなる眠り』(創元推理文庫)、第2作『さらば愛しい人よ』(ハヤカワ文庫)、第7作『プレイバック』(ハヤカワ文庫)しか読んでいませんでした。もっとも評価の高い『長いお別れ』を買い求めてきました。しかも2冊も。清水俊二訳『長いお別れ』(ハヤカワ文庫)と村上春樹訳『ロング・グッドバイ』(早川書房・軽装版)です。 原書は同じですが、タイトルはちがっています。清水俊二訳を読んでから、村上春樹訳を読みました。2冊はまったく別物でした。前者は文庫版で482ページ、後者は新書版で655ページもあります。バーでフィリップ・マーロウと、有名なコメディアンがぶつかるシーンがあります。2冊を比較してみましょう。 【清水俊二訳】(ハヤカワ・ミステリ文庫) 彼は私の手をふりきって、脅し文句をならべた。「きいたふうなことをいうな。あごをはずしてやろうか」「ヤンキーズのセンターをやって、パンののし棒でホームランを打つ方が楽だぜ」 彼はこぶしを握りしめた。「よさないか。マニュキユアがだいなしになる」 彼はやっと感情をおさえたようだった。「もう一度いってみろ。いればがいるようになるぞ」 私は冷笑を浴びせた。「いつでも来い。だが、そんな台詞は古いよ」 彼の表情が変わった。顔に笑いがうかんだ。「映画の仕事をしているのか」「郵便局にポスターがかかっているようなのに出てるよ」「また会おうぜ」彼は相変わらず薄笑いをうかべたまま、立ち去った。 【村上春樹訳】(早川書房・軽装版) 彼は腕をふりほどき、すごみをきかせた。「おつなことを言うじゃないか。顎をゆるゆるにしてほしいのか?」「笑えるねえ」と私は言った。「ヤンキーズに入ってセンターを守り、棒パンでホームランをかっ飛ばすがいい」 彼は肉厚のこぶしをぐっと固めた。「おっとお嬢さん、マニュキュアにご用心」と私は言った。 彼は怒りをぐっと飲み込んだ。「口の減らねえちんぴらだ」と彼は鼻で笑った。「予定がなければ、しっかりのしてやるんだが」「ほう、ちゃんと予定を覚えていられるんだ」「消えちまえ、この棒だらやろう」と彼はうなった。「あとひとつでも生意気なことを言いやがったら、歯医者の支払いで泣きを見ることになるぞ」 私はにゃっと笑った。「楽しみだね。ただし次回はもうちっと冴えた台詞をこしらえてこいよ」 彼の顔つきがそれで変わった。声を上げて笑った。「おたく、映画に出ているのかい?」「ああ、郵便局にはってある手配写真にな」「前科者ファイルで探してみよう」と言って彼は去っていった。笑みを浮かべたまま。 清水俊二が、『長いお別れ』を翻訳したのは1976年です。清水俊二は1906(明治39)年生まれなので、70歳のときに翻訳したことになります。古いからダメだとはいいませんけれど、村上春樹の新訳はチャンドラーに新たな息吹を与えたのだと思います。『長いお別れ』を読むのなら、村上春樹『ロング・グッドバイ』(早川書店、新書サイズ)のほうをお薦めします。ただし、なじんでいるタイトル名まで変えるな、との注文つきでですが。 チャンドラー作品といえば、清水俊二訳が常識でした。ところがこの訳文にたいして、批判的な意見もありました。チャンドラー作品のだいごみは、セリフまわしにあります。その点について、興味深い記述があります。引用してみます。マーロウの名セリフをとりあげたものです。3つの訳文をならべてみます。 1.「しっかりしていなかったら、生きていられない、やさしくなれなかったら、生きていく資格がない」(清水俊二訳『プレイバック』ハヤカワ文庫)2.「タフでなければ生きていけない、優しくないと生きていく資格がない」(生島治郎訳。『傷痕の街』あとがきに書いているようです。絶版で入手できませんので、検証していません)3.「ハードでないとやっていけない。ジェントルでないと生きていく気にもなれない」(矢作俊彦と久間十義との対談で、原書を忠実に訳すと、こうなると例をしめしたもの) 前記引用は小森収編『ベスト・ミステリ論18』(宝島新書)からのものです。本書のなかで「清水チャンドラーの弊害について」という、ものものしいものタイトルで、2つの訳文(引用した1と2)を切り捨てています。 翻訳本は訳者を選ぶ。できれば最新の翻訳を選ぶ。そのことをお知らせするために、長々と引用をしてしまいました。◎マーロウは、世界的な名探偵 『ロング・グッドバイ』(「長いお別れ」)の主人公フィリップ・マーロウは、世界的な名探偵です。シャーロック・ホームズやエルキュール・ポワロなどと遜色のないアメリカの名探偵なのです。 しかしフィリップ・マーロウは、2人の著名な探偵とは明らかに個性がちがいます。彼の個性をうまく表現している文章があります。 ――反骨精神とユーモア精神のかたまりのような男で、きわめてプライドが高い。時に応じて軽妙なへらず口をたたく。男には強いが女には弱く、とくに金髪で青い目の淑女に対しては必要以上に騎士道精神を発揮したがる傾向がある。(郷原宏『このミステリーを読め・海外編』王様文庫P113より) 村上春樹はチャンドラー作品を、何度読んでも飽きないといいます。そんな人が『ロング・グッドバイ』を最高傑作だと断言しているのです。自ら翻訳してみたくなる気持ちはわかります。村上春樹訳は、リズム感がよくて読みやすいものでした。「村上春樹翻訳ライブラリー」(中央公論新社)のなかでも、レイモンド・カーヴァー『必要になったら電話をかけて』も絶品でしたが、本書はそれとならぶ傑作です。 村上春樹はチャンドラー作品を、ハードボイルドなどという枠にはいれていません。ハードボイルドや純文学などのくくりには、おさまりきれない「文学作品」(小説)が存在しているのです。それがチャンドラーの作品です。 桐野夏生を読んでいて、チャンドラーをもっと真剣に読み直そうと思いました。チャンドラーの影響を受けた作家は、ほかにもたくさんいます。矢作俊彦はそのものずばり『ロング・グッドバイ』(角川文庫)という作品を書いていますし、大沢在昌、平井和正、原りよう、稲見一良などの作品にも強い影響が認めらます。 ◎『ロング・グッドバイ』のあらすじ 私(マーロウ)は「ダンサーズ」のテラスの前で、はじめてテリー・レノックスに出会います。彼はロールスロイスのなかで、酔っ払って泥酔していました。車のなかにいた美しい若い女は、彼を押し出して車を走らせました。 男は若く見えましたが、髪の毛は真っ白でした。マーロウは仕方なく、男を彼のアパートに送り届けましたた。私(マーロウ)が再びテリー・レノックスと会ったときも、彼はへべれけに酔っ払って正体をなくしていました。 私は彼を自分のアパートに連れ帰ります。彼はラスベガスのクラブに身をおき、先日一緒にいたのはシルヴィアという妻だと語ります。シルヴィアは新聞王といわれている、大富豪のハーランド・ポッターの娘だということがわかります。 テリー・レノックスは、ときどき私のアパートに姿をあらわすようになります。いつでも酔っていますが、私は彼のなかの誠実さに好感をもちます。ある日テリーは、拳銃をもって私のところにやってきます。私は彼をメキシコへ逃がします。殺人課のグリーン部長刑事らが訪ねてきます。テリーが妻・シルヴィアを、殺害したということでした。 私は逃亡を助けた罪で、連行されます。黙秘をつづけているあいだに、テリーが拳銃自殺したことを知ります。このものがたりに、アル中で流行作家のロジャー・ウエイドと妻のアイリーン・ウエイドの、ドタバタ劇が重なってきます。『ロング・グッドバイ』の、ストーリーをたどるのは邪道だと思います。なんといってもチャンドラーの魅力は、奥深い会話のやりとりにあります。ぜひ楽しんでいただきたいと思います。村上春樹訳『ロング・グッドバイ』を読み終えたら、翻訳者の異なるつぎの2作品も手にとってもらいたいものです。双葉十三郎訳『大いなる眠り』(創元推理文庫)清水俊二訳『さらば愛しき女よ』(ハヤカワ文庫) 私は村上春樹の訳文が好きです。それは訳者としての彼が、楽しそうに仕事をしているからです。――この本を読み飽きない理由としては、まずだいいちに文章のうまさがあげられるだろう。チャンドラー独特の闊達な文体は、この『ロング・グッドバイ』において間違いなく最高点をマークしている。最初にこの小説を読んだとき、その文体の「普通でなさ」に僕はまさに仰天してしまった。こんなもがありなのか、と。(村上春樹訳者「あとがき」より)(山本藤光:2010.03.29初稿、2015.02.15改稿)
2015年02月16日
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或る日突然変貌し、異常なまでに猛烈に働き出す男(「聖産業週間」)。会社を欠勤し自宅の庭の地中深く穴を掘り始める男(「穴と空」)。企業の枠を越え、生甲斐を見出そうとする男(「時間」)。高度成長時代に抗して、労働とは何かを問い失われてゆく〈生〉の手応を切実に希求する第一創作集。著者の校訂を経て「花を我等に」「赤い樹木」を加えた新版・六篇。芸術選奨新人賞受賞。(「BOOK」データベースより)■黒井千次『時間 』(講談社文芸文庫)◎磯田光一と秋山駿が解説 黒井千次は東大経済学部を卒業し、富士重工に勤めました。それから15年間、サラリーマンのかたわら小説を書いていました。黒井千次の筆名は29歳のときに結婚した、黒川千鶴さんから拝借したものです。 初期作品はどれもが、企業を描いたものです。私はそれらを単行本『時間』(河出書房新社1969年)と『走る家族』(河出書房新社1971年)で読みました。当時は、東大卒のインテリで、大会社のサラリーマンで、彼女の名前をペンネームにした作家の卵くらいの印象しかありませんでした。私が社会人になって間もなく、『新鋭作家叢書』(全18巻、河出書房新社)が刊行されました。古井由吉、丸山健二、大庭みなこ、丸谷才一、李恢成、田久保英夫、小川国男、阿部昭などとならんで、黒井千次の作品集もはいっていました。近所の書店に予約注文しました。『新鋭作家叢書・黒井千次集』は、第3回の配本でした。「赤い樹木」以外の収載作は、単行本で読んだものばかりでした。「赤い樹木」を読んだあとに、巻末の解説を開きました。なんと磯田光一の名前があったのです。私がもっとも信頼している文芸評論家は、磯田光一でした。磯田光一の解説を読んで、収載作を再読することにしました。――現在、最も有力な新進作家と目されている黒井千次氏の作品の底にあるのは、端的にいえば〈現に存在しないもの〉への異様に屈折した飢渇の感情である。氏をサラリーマン作家と呼んでみたところで、氏の小説を解く鍵にはほとんどなりえない。現代社会の〈人間疎外〉という常套句さえ、黒井氏にとってはほとんど無縁といってよいのである。(『新鋭作家叢書・黒井千次集』磯田光一の解説より) 磯田光一の指摘する、「〈現に存在しないもの〉への異様に屈折した飢渇の感情」を確認するための再読でした。単に字面だけを追いかけていた読書が、さまがわりしました。黒井千次って奥深い作家なんだな、と認識を新たにしました。それ以来、ずっと黒井千次を読んでいますが、磯田光一の訓戒をうけて再読した『時間』が忘れられません。 紹介させていただく『時間』(講談社文芸文庫)の解説は、秋山駿が担当しています。秋山駿も、信頼している評論家のひとりです。◎古びたレインコートの男『時間』は、黒井千次のはじめての単行本です。本書が出版された翌年(1970年)に、彼は退職しています。『時間』(講談社文芸文庫)には表題作をふくめて、6つの短編が所収されています。表題作「時間」についてふれている野間宏の文章を紹介させていただきます。 磯田光一は『新鋭作家叢書・黒井千次集』の解説で、「『時間』は、少なくともその後半の部分については、野間宏氏の『暗い絵』を意識しながら書かれた小説である」と書いています。その野間宏の文章ですので、興味深いものでした。 ――「時間」の中には黒井千次の混沌とよぶべきものが、とじこめられている。黒井千次はこの「時間」の中にある彼自身の混沌をさがし求めて長い時間をかけて、歩みつづけていたといってよいだろう。そして彼はついにそこに到着することが出来たのである。私にはそのことが、すぐに解った。(『新鋭作家叢書・黒井千次集』の月報「黒井千次について」野間宏より)「時間」は黒井千次にとって到達点であり、新たな出発点ともなった記念碑的作品です。主人公の「彼」は、企業の商品企画部に勤務して十数年になります。「彼」は課長への昇進試験を目前にしています。「彼」は大学時代寺島ゼミで学び、学生運動にも参加していました。メーデーのときにいっしょに参加した友人の三浦は逮捕され、いまだに裁判で係争中です。「彼」には恋愛中に、いっしょに英語を勉強した妻とこどもがいます。「時間」は寺島ゼミの、同窓会場面からはじまります。ここには現役の学生をふくめ、「彼」の同期生たちも参加しています。同期生たちは、ともに学生運動を闘った仲間でもあります。彼らは鍋を囲んで、過去を懐かしみ現在を語り合います。鍋は混とんの象徴として、すえられています。 後輩たちは自分のビジネスに役立てようと、せっせと先輩と名刺交換をしています。若い後輩たちには、引きずるような過去は存在していません。輝かしい未来があるだけです。そして宴会の最後に、インターナショナルを歌わされることになります。「彼」は鬱屈した思い出で、みなにあわせて立ちあがります。――その時、一人の男が、ふっと部屋から出ていくのを彼は見た。古びた浅黄色のレインコートをつけた痩せた後姿が廊下の明りの中に鋭く浮かび、すぐ襖の陰に見えなくなった。髪から足の先まで、全体に脂気の切れたその男の後ろ姿は、なぜか、一瞬、赤く焼けた鉄を肌に押しつける激しさで彼の中に跡を残していた。(本文P101より) レインコートの男は、その後もたびたび彼の眼前をとおりすぎます。会社の同僚と談笑しているとき、課長昇進試験の受験資格をあたえられたとき……。 課長昇進試験を控えた「彼」は、社内調査レポートをまとめます。痛烈な営業部批判となりかねないレポートをみて、上司はグラフの修正を求めます。「彼」はそれを拒否します。課長昇進試験の面接で「彼」は、質問に反抗的な受け答えをします。結果は予想外の合格でしたが、レポートをめぐって営業部からの圧力が強まります。 そんな「彼」のもとに、三浦の最終陳述の裁判日時を告げる手紙がとどきます。三浦の時間は、あのときから15年間止まったままでした。「彼」は三浦とともにメーデーに参加していました。三浦は逮捕され、「彼」は現在を生きています。あのとき、自分が逮捕されていてもおかしくなかった、と「彼」は思います。 寺島ゼミという鍋のような混沌。学生運動を忘れ去った人群れと引きずりつづける三浦。組織のなかでうごめきまわる思惑。そして彼自身の日常という家庭。それらのものを黒井千次は、「時間」という概念のなかに、みごとな筆さばきで閉じ込めてみせました。そして「古いレインコートの男」が、作品の最後にあらわれるのです。 磯田光一と秋山駿と野間宏の導きで、私はしっかりと時間をかけて『時間』を読むことができました。感謝。(山本藤光:2013.06.19初稿、2015.01.23改稿)
2015年02月15日
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北朝鮮のコマンド9人が開幕戦の福岡ドームを武力占拠し、2時間後、複葉輸送機で484人の特殊部隊が来襲、市中心部を制圧した。彼らは北朝鮮の「反乱軍」を名乗った。財政破綻し、国際的孤立を深める近未来の日本に起こった奇跡。(初版本の帯コピー)■村上龍『半島を出よ』(上下巻、幻冬舎文庫)◎ジャン・ジュネと中上健次 村上龍の処女作『限りなく透明に近いブルー』(講談社文庫)は、まったく評価できませんでした。私にはあまりにも退屈な作品だったのです。芥川賞選考委員の安岡章太郎は、選考以前のマスコミの「はしゃぎ過ぎ」に苦言を呈していました。他の候補作は古くて完成されたものだっただけに、村上龍の新しさが選ばれたようです。 村上龍作品で私が評価しているのは、『コインロッカー・ベイビーズ』(講談社文庫)と『希望の国エクソダス』(文春文庫)の2作品です。村上龍はこれらの作品をへて、3つめの山『半島を出よ』(上下巻、幻冬舎文庫)に到達しています。 高校時代の村上龍は、ジャン・ジュネ(推薦作『泥棒日記』新潮文庫)の愛読者でした。村上龍は「ダ・ヴィンチ」の取材(1995年)につぎのように語っています。聞き手:ジュネの場合「泥棒が作家になった」なんてスキャンダラスな面のみが強調されがちに思いますが。村上龍:もちろん、スキャンダラスな面もすごいです。けれどこんなおぞましい世界を、あんなに美しい小説にしてしまう、その圧倒的な技術とエネルギーですよ。ジュネはこれにつきる。(インタビュー記事引用)聞き手:『五分後の世界』(幻冬舎文庫)で村上さんは、ある、どこにもない世界をつくり上げる、という作業を徹底的に推し進められたわけですが、その目指すものはジュネの初期作品と非常に似ていると思ったのですが。村上龍:ジュネの場合は、時代って混沌があってね、ある意味で未開の部分があって、そのなかで自分にしかない情報・言葉を組み合わせて世界をつくっていくわけです。けれど、ぼくはもっともっとツルツルした寒々しい時代に生きていて、『五分後の世界』はひとつのありようもないパラレルワールドをミニアチュールとしてつくっていくわけで、これは客観的に判断しても寒々しい作業なんですよ。亡くなった中上健次さん(推薦作『枯木灘』河出文庫)の『水の女』(講談社文芸文庫)や『千年の愉楽』(河出文庫、中上健次選集6・小学館文庫)を読むと、ぼくなんかよりぜんぜんジュネに近いものを感じますね。(インタビュー記事引用) 引用が長くなりましたが、村上龍の原点がこの記事に凝縮されています。武蔵野美術大学のときに、村上龍は『限りなく透明に近いブルー』で鮮烈なデビューを果たしました。この作品の評価は賛否両論に分かれました。「あんなもの小説ではない。高級品のガイドブックじゃないか」、と吐き捨てたともだちもいたほどです。 村上龍作品にジュネの影響がでてくるのは、その後の作品からです。私は『コインロッカー・ベイビーズ』を読んで、村上龍は新しい世界を構築しつつあると確信しました。この作品で村上龍は、とことん新しい世界を追及しています。 コインロッカーに棄てられた2人の赤ん坊。『コインロッカー・ベイビーズ』は、彼らが崩壊へと突き進む物語です。『限りなく透明に近いブルー』に見られた、表層的で淡白な描写は姿を消していました。開放から崩壊への道のりを、荒々しく描いたこの作品には合格点をつけました。 『希望の国エクソダス』は、村上龍にしか書けない、近未来小説です。近未来小説と書くと、SFと思われるかもしれません。この作品はちがいます。正確な現状認識をベースに、その延長線上の未来を描いているのです。 村上龍は進化しています。視覚世界だけだった(『限りなく透明に近いブルー』)ものに、意識の世界を組みこんでみせるようになりました。ジャン・ジュネや中上健次を肥やしにして、たくましい観念の世界を築きあげました(『コインロッカー・ベイビーズ』)。そして、インターネットや金融・経済まで融合させて、『希望の国エクソダス』を完成させたのです。◎だれひとり書けなかった作品『半島を出よ』(上下巻、幻冬舎文庫)の呪縛が解けました。だから、書評を書くことにしました。2005年5月、単行本を読んでしばらくしてから、私は書評にそう書きました。とてつもなく分厚い本なのですが、終始圧倒されつづけました。 村上龍は、類まれなるプロデューサーでした。本書は私の生涯読書の最高傑作に数えらます。400字詰原稿用紙で1650枚。参考資料は、細かい活字で14ページもありました。この作品は一人では書けません。本人が「文庫あとがき」に書いているとおり、『13才のハローワーク』(幻冬舎)スタッフがサポートに回ったから、完成された作品です。 第1幕。舞台は開幕戦の福岡ドーム。たった9人の北朝鮮のコマンドに、球場ごと武力占拠されてしまいます。満員の観客を人質に、彼らは時を稼ぎます。 第2幕は、それから2時間後にはじまります。なんと484名の特殊部隊が、複葉輸送機で日本に侵略してくるのです。福岡市の中心部が、あっという間に制圧されます。 第3幕はさらに北朝鮮反乱軍が、12万人博多へとやってくるという情報がはいります。北朝鮮は、反乱軍が勝手にやっていることだといいはなちます。日本政府は、福岡県の封鎖にふみきります。事態はそれ以上動きません。 福岡が北朝鮮によって、制圧されます。日本国政府は手出しができません。福岡の成金たちが逮捕され、金を巻き上げられます。北朝鮮反乱軍の独立国が、形作られます。それにたいして、無力な日本国政府が露呈されます。さらに12万人の襲来が、迫っています。 とてつもなく、壮大なドラマでした。書棚には芥川賞受賞作の『限りなく透明に近いブルー』(1976年、講談社)初版本があります。あれから30年の歳月が流れました。やったな、と素直に思います。とてつもない作品を、村上龍はつむぎ出しました。 ◎あとづけ2015.10.13 中沢けいに『書評時評・本の話』(河出書房新社)という720ページの分厚い著作があります。そのなかに気になった一文がありました。追記させていただきます。――それにしても、村上龍は、くり返し、近未来小説を書くのであろうか。『コインロッカー・ベイビーズ』からそうであった。近未来という手法は、作家にとって「リアリティがない」という非難から逃げられるものだ。形骸化して過去のものとなったステレオタイプの文章をふりかざす批評をかわすための手段を村上龍が使い続けるとしたら、それはかって、時代の寵児として登場した時に作家が背負ったトラウマのなせる業だろう。(P388)(山本藤光:2009.07.23初稿、2015.10.13改稿)
2015年02月14日
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イザナギ・イザナミの国造り、アマテラスの岩戸隠れ、八俣の大蛇。伝説の主役たちが、嫉妬に狂い、わがままを言い、ご機嫌をとる―。神々と歴代の天皇が織りなす武勇伝や色恋の数々は、壮大にして奇抜、そして破天荒。古代、日本の神さまはとっても人間的だった!「殺して」「歌って」「まぐわって」。物語と歴史が渾然一体となっていた時代、その痕跡をたどり旅した小説家・阿刀田高が目にしたものは!?古事記の伝承の表と裏をやさしく読み解いた一冊。(「BOOK」データベースより)■阿刀田高『楽しい古事記』(角川文庫)◎『古事記』は、日本最古の史書『古事記』は、日本最古の史書です。奈良時代に「壬申(じんしん)の乱」(672年)があり、当時の天智天皇の弟・大海人(おおあま)皇子と、天皇の長男・大友皇子が政権争いをしました。勝利をおさめた大海人皇子が即位して、天武(てんむ)天皇となりました。 日本最古の史書『古事記』は、この天武天皇の指示により生まれた著書です。そのあたりのいきさつについては、長尾剛『早分かり日本文学史』(日本実業出版社)の解説を引きます。――天武天皇としては、その政治活動において、天皇家が持つ「日本の支配者としての地位」の正当性を、内外に強くアピールする必要があった。そのためには、天皇家の歴史を中心に日本という国が成り立ってきた過程を、記録して示すこと。そうした〈文化事業〉が有効だったのだ。(本文P16より) それを命ぜられたのが、学校でならったことのある稗田阿礼(ひえだのあれ)でした。いまタイプをしながら驚いたことがあります。「ひえだのあれ」は、一発変換できました。そして稗田阿礼の記憶を書き記したのが、太安万侶(おおのやすまろ)という人です。これも一発変換できました。 『古事記』は、第1部:神代篇、第2部:人代篇(上)、第3部:人代篇(下)の3部構成になっています。第1部は天地創造と神話の世界、第2部は神武天皇(初代)から応神天皇(第15代)まで、第3部は仁徳天皇(第16代)から推古天皇(第33代)までのエピソードをまとめたものです。 本格的に口語体の『古事記』を読みたい方には、三浦佑之『口語訳・古事記』(人代篇および神代篇の2巻、文春文庫)を薦めたいと思います。最近、待望の文庫化が実現されました。『古事記』って、とっつきにくいよなと思っている方は、まず阿刀田高『楽しい古事記』(角川文庫)を読んでいただきたいと思います。その後、福永武彦訳『現代語訳・古事記』(河出文庫)で完結するのが理想的なステップだと思っています。福永武彦には『現代語訳・日本書紀』(河出文庫)という著作もあります。『草の花』(新潮文庫)や『死の島』(上下巻、講談社文芸文庫)などの小説以外にも、古典の口語訳というすぐれた業績を残しています。 福永版『古事記』を読んでまだ余裕があれば、三浦佑之訳『口語訳・古事記』で一丁あがりとなります。 ◎「殺して」「歌って」「まぐわって」 阿刀田高『楽しい古事記』は、古事記へと誘ってくれる「はとバス」に乗るイメージの著作です。のちほど引用文を紹介しますが、読んでいて実に楽しい。阿刀田高流にいうなら、『古事記』は「殺して」「歌って」「まぐわって」という話になります。 物語と歴史の境は、分厚い霧に覆われています。霧のかなたを指差して「本日は霧のために残念ですが、あのあたりに中島があります」などと、摩周湖でのバスガイドばりに伝承の裏と表を解説してくれています。本書は角川文庫の棚にないことが多々あります。角川文庫は最近ソフィア文庫が好調で、既存の文庫スペースが狭まっています。そんな逆境のなかで、ぜひ見つけだしてもらいたいと思います。 吉野敬介というカリスマ古文講師がいます。よくテレビにでている人です。著作に『学校では教えない古典』(東京書籍)があります。そのなかに古事記の「第1部・大国主神」の解説が掲載されています。原書の口語訳につづく「吉野のツッコミ」というコラムを楽しませてもらっています。引用しておきます。 ――スサノヲの家の門の前で二人は、互いに一目惚れした。そしてそのまま男女の契りを交わし、結婚してしまった(早いよ!)(本文P37より引用) この部分は阿刀田高『楽しい古事記』でも、しっかりと取り上げています。私はこの原稿を書くにあたり、4冊の『古事記』を読みくらべてみました。大学時代に『古事記』を知っていれば、安部公房ではなく間違いなく卒論のテーマにしたと思います。それほど『古事記』に、はまってしまいました。 ヘタなエロ文学を読むのなら、『古事記』の方がずっと重量感があります。古代、日本の神々は淫乱であり破天荒だったのでしょうか。◎相性のよい『古事記』を選ぶ 私の書棚に、改稿中に5冊目の『古事記』が追加されました。河出書房新社から創刊された『河出日本文学全集1・古事記』(池澤夏樹訳)です。まだ読んでいませんが、期待しています。大学時代に国文学を専攻した者としては、『新潮日本古典集成・古事記』くらいもっていなければなりません。しかしその巻は、ぽっかりと空いています。後輩が持ち出したのか、売ってしまったのか、買わなかったのか、定かではありません。とりあえず既存の『古事記』で、だれもが知っている一節を比較してみましょう。あなた好みの文章を一つ選んでみてください。――イザナキは、その妹(いも)イザナミにお尋ねになったのじゃった。「お前の体はいかにできているのか」との。 すると、答えて、「わたしの体は、成り成りして、成り合わないところがひとところあります」と、イザナミは言うた。 それを聞いたイザナキは、「わが身は、成り成りして、成り余っているところがひとところある。そこで、このわが身の成り余っているところを、お前の成り合わないところに刺しふさいで、国土を生み成そうと思う。生むこと、いかに」と問うたのじゃ。 するとイザナミは、「それは、とても楽しそう」とお答えになったのじゃった。(三浦佑之訳『完全版口語訳・古事記』文藝春秋) ――イザナギノ命は妻のイザナミノ命に次ぎのように尋ねた。「おまえの身体は、どのようにできているのか?」「私の身体は、これでよいと思うほどにできていますが、ただ一ところだけ欠けて充分でないところがございます。」 こう女神は答えた。イザナギノ命がそれを聞いて言うには、「私の身体も、これでよいと思うほどにできているが、ただ一ところ余分と思われるところがある。そこでどうだろう、私の身体の余分と思われるところを、お前の身体の欠けているところにさし入れて、国を生もうと思うのだが。」「それは、よろしゅうございましょう。 こうイザナミノ命も同意した。(福永武彦訳『現代語訳・古事記』河出文庫) ――イザナキの命は、その妻にあたるイザナミの命におたずねになりました。「あなたの体は、どのようになっているの?」 おたずねをうけて、イザナミの命はお答えになります。「私の体は、たしかにちゃんとできあがっているはずなのですが、でも一か所だけ、穴のようになって未完成になっているところがあります。」 その言葉に、イザナキの命も、うなずかれるところがおありだったのでしょう。イザナキの命は、こうおおせになりました。「わたしの体は、反対に、一か所だけよぶんにみえるようなところがある。だから――。どうだろう? わたしの体のこのよぶんなところで、あなたの体にある未完成な部分をふさいでしまったら? そして、ふたりで国土を生み出そうと思うのだが、あなたはそれをどう思う?」 そしてイザナミの命は、「それがよろしいでしょう。」とおっしゃったのです。(橋本治訳『古事記・21世紀版少年少女古典文学館(1)』講談社) ――二人はオノゴロ島に降り立って柱を建て、建て終わったところで有名な問答を交しあう。原文に近い形で引用するが、きっと一度くらい小耳に挟んだことがあるだろう。「汝(なんじ)が身はいかに成れる?」「吾が身は成り成りて、成り合わぬところ一処あり」「我が身は成り成りて、成り余れるところ一処あり。吾が身の成り余れる処を、汝が身の成り合わぬ処に刺し塞ぎて、国土生みなさむと思ふはいかに?」「しか善(え)しむ」と、直截(ちょくせつ)なセックス描写なのだが格調は高い。(阿刀田高『楽しい古事記』角川文庫)――イザナキとイザナミはその島に降りたって、まずは天の柱を立て、幅が両手を伸ばした長さの八倍もあるような大きな神殿を建てた。そこでイザナキがイザナミに問うには――「きみの身体はどんな風に生まれたんだい」と問うた。イザナミは、「私の身体はむくむくと生まれたけれど、でも足りないところが残ってしまったの」と答えた。それを聞いてイザナキが言うには――「俺の身体もむくむくと生まれて、生まれ過ぎて余ったところが一箇所ある。きみの足りないところに俺の余ったところを差し込んで、国を生むというのはどうだろう」と言うと、イザナミは、「それはよい考えね」と答えた。(池澤夏樹訳『古事記・河出日本文学全集01』より) 思わずにやにやしてしまいました。難解な書籍を読む場合には、できるだけやさしく書かれているものを選ぶ。これが鉄則です。たとえば『マルクス資本論』を読破しようと思ったら、まず平易な案内本から入る。自慢ではありませんが、私は何度も『マルクス資本論』に挑み、そのつど跳ね返された経験をもっています。「山本藤光の文庫で読む500+α」では欠かせない著作なので、私はつぎの順序で読みはじめました。 1.まんがで読破『資本論』(イーストプレス)2.宮沢章夫『「資本論」も読む』(幻冬舎文庫)3.的場昭弘『超訳「資本論」』(祥伝社新書)『マルクス資本論』については、さていよいよ本丸だという段階なのです。そういう意味で『古事記』についても、阿刀田高『楽しい古事記』(角川文庫)からはいることをお薦めします。その後は読みやすいものを選ぶ。日本最古の史書は、読書体験からはずさないでいただきたいと思います。(山本藤光:2013.02.05初稿、2015.02.12改稿)
2015年02月13日
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イギリスの静かな田舎町ロングボーンの貸屋敷に、資産家ビングリーが引っ越してきた。ベネット家の長女ジェインとビングリーが惹かれ合う一方、次女エリザベスはビングリーの友人ダーシーの気位の高さに反感を抱く。気難しいダーシーは我知らず、エリザベスに惹かれつつあったのだが…。幸福な結婚に必要なのは、恋心か打算か。軽妙な物語に普遍の真理を織り交ぜた、永遠の名作。(「BOOK」データベースより)■ジェイン・オースティン『自負と偏見』(新潮文庫、中野好夫訳)◎女性の側の「真理」『自負と偏見』(新潮文庫)にかぎらず、オースティン作品はタイトルで損をしていると思います。硬い作品なのだろうな、という変な先入観を与えてしまうのです。私もそんな一人で、大学在学中は手をだしませんでした。社会人になってから友人に薦められて、『説得』(岩波文庫)を読み、『自負と偏見』(新潮文庫)を読んだのは40歳を過ぎてからでした。電子書籍をみていたら、ハーレクイン文庫(田中淳子訳『高慢と偏見』)のものがあったので読んでみました。表紙は映画の主人公役を演じたのでしょう、女優の写真になっています。新潮文庫のイラスト表紙よりも、ずっと現代的なリアリティがありました。これなら若い人も、手を出すだろうなと思ったほどです。ところが、電子書籍は翻訳というよりも超訳だったのです。こんな訳を紹介したら、倉橋由美子(推薦作『スミヤキストQの冒険』講談社文芸文庫)に叱られてしまいます。倉橋由美子は著作『偏愛文学館』(講談社文庫)のなかで、冒頭に記された「真理」について鋭く言及しています。その描写が、電子書籍では割愛されているのです。電子書籍と新潮文庫の冒頭を比較してみたいと思います。――金持ちの独身男性は妻をほしがっているものだと一般的に考えられているからだろう。近所にそういう男性が引っ越してくると、年ごろの娘がいる家庭では、当の男性の意向も確かめないうちからその男性が自分の娘の婿になると期待してしまうものらしい。(田中淳子訳『高慢と偏見』ハーレクイン文庫の冒頭、電子書籍より)――独りもので、金があるといえば、あとはきっと細君をほしがっているにちがいない、というのが、世間一般のいわば公認真理といってもよい。/はじめて近所へ引越してきたばかりで、かんじんの男性の気持ちや考えは、まるっきりわからなくとも、この真理だけは、近所近辺どこの家でも、ちゃんときまった事実のようになっていて、いずれは当然、家(うち)のどの娘かのものになるものと、決めてかかっているのである。(中野好夫訳『自負と偏見』新潮文庫の冒頭より)「真理」について、倉橋由美子はつぎのように書いています。――冒頭に示された「真理」の裏側には、「相当な資産のある相当な家柄の年頃の娘は、ある程度の美貌と知性をそなえていれば、当然、恵まれた条件の男との結婚を願っている」という女性の側の「真理」があるわけです。(倉橋由美子『偏愛文学館』講談社文庫P143より)『自負と偏見』には、多くの登場人物が配置されています。それらの人々について「真理」をキーワードにして、言動との距離を測ってみていただきたいと思います。特に脇役たちの言動は、味わい深いものです。ジェイン・オースティンの6篇の作品は、いずれも文庫で購入できます。またDVDになっている作品も数多くあります。オースティンは、日本人に親しまれている息の長い作家なのです。本屋で立ち読みして、自分にふさわしい訳者の作品を選んでもらいたいと思います。◎200余年前の世界は風化していないオースティンは今から約200余年前の1775年に、イングランド南東部の小さな田舎で生まれた、女流作家です。オースティンの作品はいずれも、片田舎での平凡な日常を扱ったものです。『自負と偏見』のほとんどは、『高慢と偏見』(河出文庫、ちくま文庫、岩波文庫)というタイトルで翻訳されています。また映画では『プライドと偏見』という題名で上映されていました。『自負と偏見』は、サマセット・モームが推奨する世界十大小説の1つです。推薦文を紹介しておきます。――ジェイン・オースティンは完璧な作家である。たしかに彼女の世界は限られていて、彼女がとりあつかっているのは、田園紳士、牧師、中産階級の人びと、といったごく狭い世界であるにすぎない。しかし、彼女ほど、人間を見る鋭い目をもった者が、これまでほかにあったろうか。彼女以上に、細かい心づかいと慎重な分別とをもって、人間の心の奥底に探りを入れた者が、ほかにあったろうか。(サマセット・モーム『世界文学読書案内』岩波文庫P54より)つづいてオースティンについてふれている、2つの資料をご覧いただきたいと思います。――「愛のない結婚は決してすべきではない」二百年も昔、女に生まれれば就職はおろか財産の相続すらままならず、生活のために好きでもない男と結婚するのが当たり前だった時代に、堂々とこういってのけた女性がいる。彼女の名はジェイン・オースティン。(齊藤貴子『もう一度人生がはじまる・愛と官能のイギリス文学』PHP新書)――「独身の女性はどうやら貧乏になるという忌まわしい傾向があります。だからこそ、結婚が礼賛されるのです」これはオースティンが友人に送った手紙の一節である。この言葉からも、彼女がなかなかユーモラスながら辛辣な考え方をする女性だったことがわかる。(金森誠也『世界の名作50選』PHP文庫)この作品は当時の女性「真理」のはざまで、自負と偏見に揺れる長女ジェインと主人公である次女エリザベスの対比を、みごとに描ききっています。電子書籍をいち早く断念し、新潮文庫を再読して、200年になろうとしている作品が、いまなお風化していないことを実感させられた。◎結婚にまつわるものがたりベネット家は、イギリス南部の田舎町にあります。そこでは両親と5人姉妹が暮らしています。父親のベネットは、平凡な地主です。5人姉妹の長女のジェインは、素直で心やさしい美人。本書の主人公である次女のエリザベスは、近代的な思想の持ち主で活発な娘です。3女以下は、品格ともに上の2人に見劣りがします。ベネット家の近所に、上品で裕福な青年ビングリーが引っ越してきました。姉のジェインは彼に心惹かれ、母親も熱烈に2人の結婚を夢見ます。いっぽう次女エリザベスは、ビングリーが主催した舞踏会で、彼の友人ダーシーと知り合います。ところがこの男は、金持ちを鼻にかけたような傲慢で嫌味なタイプでした。エリザベスはその高慢さにたいして、我慢ならない男との偏見をもちます。『自負と偏見』は、2人の結婚にまつわるものがたりです。やがてエリザベスは、ダーシーの知性とやさしさに気がつきます。彼女は一度ダーシーからの求婚を断っていたのですが、長女のジェイン同様に彼と結婚することになります。家の格式を重んじる古い時代のイギリス社会。そのなかで背伸びをしなければとどかない、相手との結婚の困難さ。ジェイン・オースティンはユーモアのある文章で、細やかに読者に伝えてくれます。サマセット・モームの十大小説に、はずれはありません。イギリス文学の代表作として、ぜひ読んでもらいたいと思います。ジェイン・オースティンについて調べたい人は、新井潤美『自負と偏見のイギリス文化・J.オースティンの世界』(岩波新書)を参考にしてください。(山本藤光:2011.01.22初稿、2015.02.12改稿)
2015年02月12日
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土の犬人形、丑紅の牛--走馬燈のように廻る、子供の頃の想い出は、ひっくりかえした宝石箱のように鮮やか。誰の記憶の中にでもある〈銀の匙〉。大人のための永遠の文学です。平岡敏夫/郷原宏。(文庫案内より)■中勘助『銀の匙』(角川文庫クラッシックス)◎夏目漱石が絶賛 中勘介が夏目漱石の推薦で、東京朝日新聞に『銀の匙』(前編)の連載をはじめたのは28歳(1913年)のときです。それまで長詩にうちこんでいましたが、その限界をさとりはじめて書いた散文が『銀の匙』(角川文庫クラッシックス)でした。 岩波文庫『銀の匙』で、和辻哲郎はつぎのように書いています。少し長いのですが、引用させていただきます。――この作品の価値を最初に認めたのは夏目漱石である。漱石はこの作品が子供の世界の描写として未曾有のものであること、またその描写がきれいで細かいこと、文章に非常な彫琢(ちょうたく)があるにかかわらず不思議なほど真実を傷つけていないこと、文章の響きがよいこと、などを指摘して賞賛した。(中略)漱石がこのように高くこの作品を評価したのは、この作品の独創性をだれよりも強く感じたからであろう。実際この作品には先人の影響が全然認められない。それはただ正直に子供の世界を描いたものであるが、作者はおのれの眼で見、おのれの心で感じたこと以外に、いかなる人の眼をも借りなかった。(岩波文庫、和辻哲郎の解説より) 私は最初に『銀の匙』を、角川文庫クラッシックスで読みました。本書にはたくさんの、風物や地名や玩具などの単語が登場します。読みながら立ち止まって、巻末の「注釈」で意味を確認しなければなりませんでした。そこで再読を、kindle(岩波文庫)でおこないました。こちらはわからない単語をクリックすれば、すぐに「注釈」にとんでくれます。意味を確認したら「戻る」をクリックするだけで、本文がよみがえります。したがって再読はスムースでした。 本書は前編と後編からなり、前編では幼年期から小学生時代まで、後編は高等小学校と中学校の思い出がつづられています。前編には2人の女の子が登場します。お国ちゃんは、はじめてともだちになった女の子です。お恵ちゃんはいっしょに通学した女の子です。伯母さんはさまざまな工夫をして、引っ込み思案の「私」を2人に引き合わせます。後編では「私」のほのかな、初恋の場面が描かれています。また後年伯母さんを訪ねたときの、思い出がつづられています。◎銀の小匙からこぼれだした思い出 書斎の本箱の引き出しに、昔からの小箱がはいっています。――なかには子安貝や、椿の実や、小さいときの玩(もてあそ)びであったこまごましたものがいっぱいつめてあるが、そのうちのひとつ珍しい形の銀の小匙のあることをかって忘れたことはない。(本文P6より)「私」は中から銀の小匙取りだし、曇りを磨きながら眺めます。懐かしい記憶が、銀の小匙からこぼれだしました。「私」を産んだあとの母は産後のひだちがよくなく、「私」は伯母さんに育てられます。生まれて間もなくの「私」は、腫瘍(できもの)ができていました。銀の小匙は伯母さんが、水薬を飲ませてくれたときに、使われていたものです。「私」は病弱で、意気地なしで、人見知りのはげしいこどもでした。いつも伯母さんに背負われ、泣いてばかりいました。伯母さんについて、的確に紹介している著作があります。引用させていただきます。――伯母さんはたいへん信心深く、また迷信家です。記憶力もよく、いろんな迷信や通俗的な物語をこの子に教え込んでいきます。惣右衛門さん(補:伯母さんの夫)が死んだあとは、/「私を育てるのがこの世に生きる唯一の楽しみであった」/というくらい一所懸命に「私」を育てます。そのことが「私」を甘やかし、ある意味では非常に偏った子供にしたのですが、(後略)(十川信介『中勘助「銀の匙」を読む』岩波現代文庫P27より) 中勘助『銀の匙』を読んでいて、伯母さんと亡き夫(惣右衛門さん)が、『若草物語』のオールコットの父親と、重なる部分がありました。まずは『銀の匙』から引用します。――国では伯母さん夫婦の人のいいのにつけこんで困った者はもとより、困りもしない者までが困った困ったといって金を借りにくると自分たちの食べるものに事をかいてまでも貸してやるので、さもなくてさえ貧乏な家はまたたくうちに身代かぎり同然になってしまったが、そうなれば借りたやつらは足ぶみもずに、あんまり人がよすぎるで」などとあざ笑っていた。(『銀の匙』P9より) オールコット『若草物語』について、私はつぎのような文章を書いています。(「標茶六三の文庫で読む400+α」より)(引用はじめ) ルイザ・メイ・オールコットの父親について、知っておかなければなりません。『若草物語』(新潮文庫、松本恵子訳)の解説では、つぎのような説明がなされています。――オールコット氏は哲学者で、非常な理想家で、四海同胞主義を実践的に行い、豊かでもないのに、困窮している人々を見ればだれ彼の差別もなく、行路病者でもなんでも家に引き取って世話をしたので、オールコット家は常に無料宿泊所の観を呈し、親子水入らずで暮らすなどということはほとんどなった。(本書「解説」より) ルイザ・メイ・オールコットは、そうした父の理想と母の愛情のなかで育てられました。引用文中の「四海同胞主義」は。「超絶主義」「超越主義」などと書いてある解説書もあります。しかし主義の中味は、引用文のとおりです。(引用おわり)『銀の匙』の主人公は「私」ではなく、伯母さんなのかもしれない。そんな錯覚をおぼえるほど、作中にしめる伯母さんの存在を大きく感じました。本書は「私」の成長物語です。そして伯母さんが、残りの人生のすべてを賭した物語でもあるのです。――伯母さんは決して彼を責めない。安易に慰めたりも励ましたりもしない。ただ自分も一緒に泣くだけです。ここに、伯母さん独特の愛情の注ぎ方があらわれていると思われます。母親とも違う、先生とも違う、伯母さんにしかできない愛し方です。とにかく今は、彼の悲しみに寄り添ってやろう。自分にはそれしかできないのだから。そんな伯母さんの声なき声が聞こえてくるようです。(小川洋子『心と響き合う読書案内』PHP新書P74より)◎「心に残る3冊」ナンバーワン 富岡多恵子は『銀の匙』を高く評価しています。そしてこんな文章を書いています。―― 一九八七年に、創刊六十年を迎えた岩波文庫が「心に残る三冊」というアンケートを行った時『銀の匙』をあげたひとがいちばん多かった。それが「心に残る」理由として回答者たちが記したコメントは、「不思議なほど鮮やかに子供の世界が描かれている』(和辻哲郎)、「少年時代をなつかしく思い出さざるを得ない」(小宮豊隆)、「これほど慰めと力を与えられる愛情に充ちた作品は稀有」(河盛好蔵)というそれまでになされていた批評とおおかた一致していた。(富岡多恵子、『私が選んだ文庫ベスト3』丸谷才一編、ハヤカワ文庫より) 詩人で童話作家の岸田衿子は、朝日新聞社学芸部編『読みなおす一冊』(朝日選書)のなかで、『銀の匙』の魅力を3つあげています。・作者の幼年時代の感性、これに一点のくもりもないこと・手あかのついていない文体・作品のなかに散らばっているユーモア そしてつぎのように結びます。――こうした幼年期の感受性をそのまま、肌で覚えている作者は再現する。童話を書く人間は、子ども時代を何度も生きなければならないから、この作者に共鳴するところが多い。(岸田衿子「読みなおす一冊」より) 雑誌『オール讀物』(2012.11)で、「美の快楽」という特集が組まれました。そのなかで「作家28人が選ぶもっとも美しい小説」という、アンケートがなされています。窪美澄が選んだのは『銀の匙』でした。――『銀の匙』は、私が今まで読んできた本のなかで、最も美しい小説である。くりかえし描かれる、子供の目から見た世界。できたばかりの網膜に映される花や草、星空の美しさ。薄い膜を震わせる不可解な大人の言葉。自分を守ってくれる人の手の温かさ。自分は美しい世界に生きているのかもしれない、と、もう一度信じさせてくれる、そんな力がある作品だと思う。『銀の匙』はいまなお、多くの人に感動をあたえてくれます。(山本藤光:2011.06.24初稿、2015.01.30改稿)
2015年02月11日
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津村沙世子―とある地方の高校にやってきた、美しく謎めいた転校生。高校には十数年間にわたり、奇妙なゲームが受け継がれていた。三年に一度、サヨコと呼ばれる生徒が、見えざる手によって選ばれるのだ。そして今年は、「六番目のサヨコ」が誕生する年だった。学園生活、友情、恋愛。やがては失われる青春の輝きを美しい水晶に封じ込め、漆黒の恐怖で包みこんだ、伝説のデビュー作。(「BOOK」データベースより)■恩田陸『六番目の小夜子』(新潮文庫)◎恩田陸との出会い『六番目の小夜子』は恩田陸のデビュー作であり、高校生3部作の原点でもあります。この作品は生命保険会社を退職後に書き終え、1991年日本ファンタジーノベル大賞に応募されたものです。結果は佳作でしたが、翌年に文庫として刊行され作家デビューを果たします。 いまから20年ほど前のことです。重松清(推薦作『とんび』角川文庫)の幻のデビュー作『ビフォア・ラン』(KKベストセラーズ、現・幻冬社文庫)を探して、神田の古本屋を歩いていました。結局この作品は後日、地元千葉の古書店で、100円ワゴンのなかから発見したのですが。 そのとき同じワゴンにあったのが、恩田陸『六番目の小夜子』(新潮社、現・新潮文庫)の単行本でした。それまで恩田陸は、読んだことがありませんでした。手にとると、「読んでみて」という声が聞こえたような気がしました。埃を取り払い、表紙をみました。 帯には「ある高校に/密かに伝わる奇妙なゲーム。/「六番目の年」、/それは怖ろしい結末を迎えて……。」とあり、それよりも数倍大きな活字で「綾辻行人氏激賞!」とありました。 これらのコピーは、どうでもよかったのです。だいいち私は、綾辻行人作品をまだ読んだことがありませんでした。ひかれたのは、帯の片隅にあった本文中の活字みたいな小さなコピーでした。――「幻のデビュー作を/大幅改稿して単行本化」 重松清の幻のデビュー作を見つけて狂喜した瞬間、恩田陸の幻の処女作とも出会ったのでした。私は弾んだ気持ちで2冊の幻のデビュー作ををかかえて200円を払いました。 重松清の幻のデビュー作については、別途書きます。あのとき同時にゲットした、恩田陸『六番目の小夜子』(新潮文庫)の不可思議な世界にはまりました。のちほど知るのですが、本書は文庫が先行発売され、私が手にしたのはその単行本化だったわけです。 舞台は地方のある進学高校。ここには10数年にわたって受けつがれてきた、奇妙な伝統が存在しています。かって文化祭で演じられた「小夜子」という一人芝居がありました。この年の進学率が非常に高く、それ以来「サヨコ伝説」が根づきました。 恩田陸は『六番目の小夜子』について、インタビューに答えるかたちで、つぎのように語っています。質問者:『六番目の小夜子』は、一番目の小夜子が死んでその霊が「この学校」を呪っているんだ、だからこんな変なことが起こるんだっていう考え方が普通、というか一般的なホラーっていう思想で作られていませんか。恩田陸:そうですね。でも呪いそのものよりは呪いの仕組みというか、呪いが流布されるシステムに興味があるので、呪い自体はどうでもいいんです。(雑誌「文藝」2007年春号) 恩田陸自身が語っているように、伝統のゲームについてはほとんど、微細な説明はなされていません。それゆえ「ゲームの中味がわかりにくい」、という批判をあびることになります。ただし恩田陸は、それが伝統となる経緯については、詳細な筆運びをしています。――それがいつ始まり、誰が始めたのかは、正確には分からない。しかし、それは、三年に一度、必ず行われるのだ。/それは、他愛のないしきたりだった。なんの意味もない、それをしたからといって、どこかで表彰されるとか、栄誉を与えられるとかいうわけでもない。しかし、それでもその『行事』は行われた。(本書プロローグより)(1)卒業式のとき在校生は、全卒業生にひとりずつ花をわたします。卒業する「サヨコ」は、そのときひそかに新たな「サヨコ」に鍵をあたえます。これが新たな「サヨコ」任命の印です。(2)「サヨコ」に指名された人は受諾の意思を示すため、始業式の朝の教室に、赤い花を活けなければなりません。(3)あとはだれにも知られずに「サヨコ」を演じつづけ、卒業式で新たな「サヨコ」をこっそりと指名するのが義務となります。(4)ただし3年に1度だけの行事なので、ただ鍵をわたすだけの「サヨコ」も生まれます。――私たちの卒業する年、その年は『六番目のサヨコの年』と呼ばれていた。(中略)『六番目のサヨコの年』。その四月の始業式の朝、この物語は始まる。(本書プロローグより)◎「箱」を描いた ここまでの予備知識がなければ、第1章にあたる「春の章」から混乱することになります。私は出鼻からアップアップしました。なぜなら始業式の朝、花束を抱えて早朝の学校にやってきた『彼女』(本文中の表記)を女性だとばかり思いこんでいたのです。つまり著者がつけたカギカッコの『彼女』を読み流してしまっていたのです。――『彼女』はゆっくりと階段を登り、チラリと二階の廊下を覗いた。/そのとたん、ギュッと心臓を鷲づかみにされたような気がした。/一人の髪の長い少女が、ピタリとこちらに視線を向けて廊下の真ん中に立っていた。(本文P17) 六番目のサヨコに指名された『彼女』は、転校生・津村沙代子と鉢合わせをします。――「あなたも赤い花を活けにきたの?」/少女はゆっくりとそう言った。(本文P18) 2人の「サヨコ」の出現。ここから先については、紆余曲折はあるものの、スムーズに物語にはいりこむことができます。 恩田陸は、雑誌「文藝」(2007年春号)のインタビューのなかで、『六番目の小夜子』執筆中にいちばんこだわったのは「学校」。学校って「箱」みたいなものだと語っています。そしてその説明として、「同じ年齢の人間が一か所にいる」という不可解さだとつけくわえました。 恩田陸の「箱」のイメージは、得体のしれぬものが詰まった容器というものです。恩田陸はかねてから、「単なる懐古趣味じゃない、不変のノスタルジーを書きたい」と語っていました。そのために必要だったのは、舞台としての「箱」の存在だったのです。 謎の転校生・津村沙代子についても、恩田陸は「箱」のイメージで説明しています。ふたたびインタビューでのやりとりを引いてみます。質問者:津村沙代子という女の子は別に怪物でも幽霊でもないただの人間ですが、何か入っちゃってるところはありますよね。恩田陸:まあ望まれる役を演じちゃっているというか、自分という「箱」に何かが入っちゃった感じもあるかな。でも逆に一つの箱から出ちゃってどうしていいかわからなくなってそれで鬱になったり自殺をしちゃったりすのかなって。(雑誌「文藝」2007年春号) 恩田陸は谷崎潤一郎『細雪』を、高く評価しています。目指しているのは、「人間は出てくるけれどこれ人間なのかな」という感じのノスタルジーの世界です。――本当にインパクトがあったんですよ、『細雪』を読んだ時に、「こんなに何も起きないのに、このサスペンス感は何?」みたいな(笑)。ラストは唐突だし、雪子は下痢しているのに(笑)。「あれは何で?」ってずっと思ってるんです。いつかああいうものを書くのが私の理想です。(雑誌「文藝」2007年春号)◎高校生3部作の完結 デビュー作『六番目の小夜子』につづいて、恩田陸は高校生シリーズとして、『球形の季節』『夜のピクニック』(ともに新潮文庫)と書きつなぎます。『夜のピクニック』は高校生3部作の完結編と位置づけられます。私は「箱」の描き方が、格段に進歩しているとの実感をもちました。『球形の季節』(新潮文庫)は、地方の高校に広がる奇妙な噂がテーマです。脱出したい少年と居残りたいと願う少女をひとつの「箱」にいれて、恩田陸は感動のラストを描いてみせました。『夜のピクニック』(新潮文庫)は、午前8時から翌朝8時まで、あらかじめ定められた道をひたすら歩く、高校生活最後の歩行祭が舞台です。この作品は多くの読者から支持され、第2回本屋大賞、第26回吉川英治文学新人賞を受賞しました。また2004年度『本の雑誌』が選ぶ「ノンジャンルベスト10」では1位に選ばれています。「高校生3部作」で恩田陸は、逃げ場のない舞台となかなか進まない時間をフル活用しました。そしてそのなかに放り込まれた主人公たちの揺れる心理を、巧みに描きあげたのでした。「山本藤光の文庫で読む500+α」作品として、『夜のピクニック』をとりあげることも考えました。しかし恩田陸作品は、どうしてもデビュー作から読みはじめてもらいたいと思いました。谷崎潤一郎『細雪』という崇高なゴールをめざし、ノスタルジーという大きな「箱」を背負った恩田陸。「高校生3部作」を順序よく読んでいただくことで、恩田陸の熱い息づかいがきこえてくると思います。(山本藤光:2009.08.26初稿、2015.02.09改稿)
2015年02月10日
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大イビキをかく愛犬チョビ、モンチャンというあだ名の奥さん…定年後やることがないと思っていた日々は思いのほか楽しい。「ヌカ味噌くさい女房のくせにヌカ味噌はへただね」と憎まれ口を叩きながらも、その生活からは小さな幸福が零れ落ちてくる。洒落たユーモアの中に昭和の記憶が香り立つ名エッセイ。(「BOOK」データベースより)■早川良一郎『散歩が仕事』(文春文庫)◎珠玉のエッセイ集です 定年後の日常を描いたエッセイなんて、おもしろくないにきまっています。そんな固定観念を、早川良一郎はあっさりと払拭してしまいました。早川良一郎は1919(大正8)年に生まれ、1991年に没しています。本書は63歳のときに上梓された著作の文庫版です。まるで宝石箱をあけたときのように、美しい掌編がとびだしてきました。 著者のことは、まったく知りませんでした。店頭で江國香織(推薦作『号泣する準備はできていた』新潮文庫)の推薦コピーにふれて、読んでみたくなりました。――こんなふうに「声」のある文章を書けるひとがいまどのくらいいるのだろう。(江國香織) 表紙のイラストもすてきでした。買って読みました。本書との出会いに感謝しました。 著者は近所に住む、同年輩の定年退職者の家を訪ねます。自分のところには庭はありませんが、友人の家には石灯籠も池もあります。池をのぞいた著者が「大きい金魚ですね」とほめると、「緋鯉の鯉です」とたしなめられたりします。その後のてんまつを、すこし長いのですが、本書のエキスとして引用します。(引用はじめ) 友人は日向ぼっこしながら庭をながめていた。白いのがだいぶまじった無精髭が目立っていた。「毎日が退屈ですな」「だって、あなたの家は大家族だ。一家団欒したら退屈もしないでしょう」「いやあ、毎日ぶらぶらしていると、女房、子供がバカにしますよ」「だって、いままで家族を養って奮闘してきたんだ。長い航海が終わって港に帰ったんだ。バカにされることはないと思いますよ」「そりゃはじめの一、二カ月はね。だがあとはだめだな。なにしろ三十年うちにいなかったのが、朝からごろごろしているんですから、邪魔にされますよ」「お孫さんがいるんだから、お孫さんをからかったら」「チョコマカしているんで、こっちがくたびれちまいます。この頃の子供は扱いにくいんですよ。サルカニ合戦をおとなしくきいてるなんてのはいません。話題が違います」「庭、庭」と庭のない家に住んでいる私は話をかえた。(本文P12より) 引用したのは最初の章「邪魔者」の一部です。すべてのページはこんな具合に、ちょっぴり物悲しく、愉快で、笑ってしまうエピソードでうまっています。 本書には54編のエッセイが、ちりばめられています。友人とかわす「アッハッハ」の高笑いには、思わずつりこまれて笑ってしまいます。わがままな愛犬チョビとの交流にも、ほのぼのとしたやすらぎを感じます。奥さんの尻に敷かれながら、つよがってみせる男気にも共感できます。散歩の途上でみかけた風景の描写には、繊細さがにじんでいます。女性のお尻の話、軍隊の時の話、銀座のバーの話、ロンドンの話……。時空をこえて、思わぬ世界にも連れて行ってくれます。 著者は下戸でお酒は飲めません。パイプ煙草をたしなむ愛煙家です。2階に小さな書斎をもっています。「老いについて」と題された章は、格別におもしろかったので紹介させてもらいます。(引用はじめ) ある日、二階で本を読んでいるところへ、なんの用事でかオクさんが来た。オクさんはタバコの煙が嫌で滅多に二階に来ないから、珍しいことである。 私は読書用の眼鏡で本を読みながら話をしていたけれど、話がこみいってきたので、読むのをやめて首を動かしたら、目の前四十センチのところにオクさんの顔があった。 化物じゃないかと思った。シミとシワで見るかげもない顔である。よその婆さんである。 あわてて老眼鏡をはずした。化物は姿を消し、いつもの美人のオクさんがいた。年をとるとこういう経験もするものである。(本文P33より) 早川良一郎の「仕事」である「散歩」に随行し、私はエッセイの楽しさを再確認しました。江國香織が書いているように、著者の「声」はたしかに聞こえました。ときには心のなかで吐き捨てる声。世間という声のなかで、ちょっぴり肩肘をはったときのきばり声。ついつい舌打ちしてしまい、それを飲み込んだ声。愛犬チョビと交わす声。過去を回顧するときのため息。そして友人たちとの高笑い「アッハッハ」――すべての声や音を耳にしました。 早川良一郎の散歩コースが示された白地図は、さわやかな風がページをめくってくれます。そのたびに白地図には、淡い色彩が浮かびあがりました。(山本藤光:2014.10.07初稿、2015.02.09改稿)※本にまつわることなど、ぜひコメント欄にお寄せください。
2015年02月09日
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200年近い長い間、世界各国で圧倒的な人気をあつめてきた『巌窟王』の完訳。無実の罪によって投獄された若者ダンテスは、14年間の忍耐と努力ののち脱出に成功、モンテ・クリスト島の宝を手に入れて報恩と復讐の計画を着々進めてゆく。この波瀾に富んだ物語は世界大衆文学史上に不朽の名をとどめている。1841―45年刊。(文庫案内より)■デュマ『モンテ・クリスト伯』(全7巻、岩波文庫、山内義雄訳)◎無実の罪での幽閉 19歳の船乗りエドモンド・ダンテスは船長の急死により、つぎの航海から船長にばってきされることになっていました。また恋人メルセデスとの結婚もきまっていました。そんな絶頂期にあるダンテスは、婚約披露宴の席でいきなり逮捕されてしまいます。尋問にあたったのは刑事代理・ヴィルフォールでした。罪状はナポレオン派のスパイということでした。ダンテスは釈明の機会もあたえられず、海上の牢獄に幽閉されます。いたずらに時は流れます。そして約7年。ダンテスの前に隣の牢に閉じこめられていた、ファリア神父があらわれます。ファリア神父は長い歳月をかけて、脱獄用にトンネルを掘っていました。しかし計算ミスで、ダンテスの牢に行きついてしまったのです。孤独な2人の親交がはじまります。ファリア神父は、ダンテスを無実の罪におとしいれた人間を特定します。それまでダンテスは、そうした人間がいることに気づいていませんでした。ファリア神父は、ダンテスに教育を施します。そして新たな脱獄計画をねりあげます。しかしファリア神父は衰弱がはげしく、死を意識して秘宝のありかをしたためた書き物を、ダンテスにゆだねます。ファリア神父に死がおとずれます。ダンテスは袋にいれられたファリア神父の死体と入れ替わります。死体は海に投げこまれます。こうしてダンテスの14年間にわたる幽閉生活は終焉をむかえます。脱獄に成功したダンテスは、ファリア神父の地図にあったモンテ・クリスト島を買い求めます。彼はモンテ・クリスト伯の称号を得て、14年間の怨念を晴らすべく復讐の鬼と化します。◎復讐劇の幕開け 莫大な財力を手にしたダンテスは、モンテ・クリスト伯としてパリの社交界にはいりこみます。彼はブゾーニ神父、ウィルモア卿、船乗りシンドバッドなどに変装しながら、1等航海士だった時代の人間たちに接近します。 ファラオン号の船主・モレル氏は、ダンテスをつぎの船長に指名したやさしい人です。ファラオン号が沈没して、モレル商会は経営の危機にありました。そんなときに沈没した船がこつぜんと港にあらわれたのです。形は以前と同じなのですが、新装されたファラオン号でした。モレル氏は息子のマクシミリオンとともに、奇蹟をよろこびます。 モンテ・クリスト伯は善意の施しをしたのち、いよいよ復讐へと舵をきります。第1の標的は、元ファラオン号の会計係だったダングラールです。彼はダンテスを罪におとしいれたのち、大銀行家となり男爵の称号を手にしていました。ダングラールはダンテスがつぎの船長になることを知り、はげしい嫉妬にかられていたのです。第2の標的は、婚約者メルセデスに横恋慕していたフェルナンです。彼はダングラールと組んで、ダンテスをおとしいれました。そしてダンテスなきあと、メルセデスと強引に結婚しています。いまではモレゼール伯爵と名乗り、アルベールという息子がいます。第3の標的は、元マルセイユの検事補ヴィルフォールです。彼は保身のために、無実のダンテスを投獄した張本人です。現在は検事総長になっています。復讐劇については、具体的に紹介するのはひかえたいと思います。復讐のターゲットたちには、それぞれりっぱな若者に成長したこどもたちがいます。モンテ・クリスト伯は、彼らにはやさしい眼差しで接します。さらに物語の最後のほうには、エデという美しくて若い女性が登場します。フェルナンデスの裏切りで奴隷となっていたのを、モンテ・クリスト伯が救出したのです。エデを含めた若者たちは、とかく醜悪になりがちな復讐劇に、さわやかな風を送りこんでくれます。◎待て、しかして希望せよ!こどものころに『岩窟王』を読んでいます。そして村松友視・文『痛快世界の冒険文学15・モンテ・クリスト伯』(講談社)も読んでいます。『モンテ・クリスト伯』を「標茶六三の文庫で読む400+α」で紹介しようときめたとき、岩波文庫(山内義雄訳、全7巻)の山をみて一瞬たじろぎました。これを読まなければ、原稿は書けないのです。そして全7巻を読破したとき、手抜きをしなくてよかったと安堵しました。デュマ『モンテ・クリスト伯』は壮大な物語でした。これほど夢中になって、読み進めた本はありません。筒井康隆は著作のなかで、「児童書で読まなくてよかった」と若い時代の感想をのべています。――読みはじめてぼくはまず、児童向きの本で読まなくてほんとうによかったと思った。「神は細部に宿る」なんて諺はまだ知らなかったが、その諺はまさに小説のためにあったのだ。子供向きの本ではストーリイを追うあまり細部の描写や顛末なエピソードは省かれてしまう。しかし小説の真の面白さはそういう部分にこそあり(後略)(筒井康隆『漂流』朝日新聞社より)もう少し『モンテ・クリスト伯』の感想をひろってみます。――饗宴の描写、服や食物の描写の楽しみ、スカッとさわやかなドンデン返し、スリルとサスペンス、ハラハラドキドキ、快哉、感動、「ああ、終っちゃった……」の詠嘆。――ここにこそ、物語の魅力のすべてがある。/そのいいかげんさや適当さ、ご都合主義と感傷のすべてを含めて、これが私の考える理想の小説というものだ。私はこの本を読んだから小説家になったのだし、私の書きたいのはこういう小説だけなのだ。(中島梓、『朝日新聞社学芸部編:読みなおす一冊』朝日選書より) 最後にモンテ・クルスト伯がマクシミリヤンに宛てた印象的な手紙があります。それを引用させていただきます。――この世には、幸福もあり不幸もあり、ただ在るものは、一つの状態と他の状態との比較にすぎないということなのです。きわめて大きな不幸を経験したもののみ、きわめて大きな幸福を感じることができるのです。(岩波文庫第7巻P439より) そして手紙はこんな名セリフで終ります。――待て、しかして希望せよ!(山本藤光:2011.08.30初稿、2015.02.04改稿)
2015年02月08日
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天平の昔、荒れ狂う大海を越えて唐に留学した若い僧たちがあった。故国の便りもなく、無事な生還も期しがたい彼ら―在唐二十年、放浪の果て、高僧鑒真を伴って普照はただひとり故国の土を踏んだ…。鑒真来朝という日本古代史上の大きな事実をもとに、極限に挑み、木の葉のように翻弄される僧たちの運命を、永遠の相の下に鮮明なイメージとして定着させた画期的な歴史小説。(「BOOK」データベースより)※下の写真は上海万博に際し復元された遣唐使船■井上靖『天平の甍』(新潮文庫)◎鑑真来朝の史実を描く 最初に「遣唐使」の歴史を、ひもといておきたいと思います。――遣唐使は平安時代の894年に廃止されるまでに十数回派遣されたのだけれど、ここではその中で有名な人を見ていこう。/まずは阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)。この人は非常に優秀でなんと留学先の唐で役人になった。その後何度か帰国しようとするが失敗、ついに日本に帰ることができぬままに唐で、一生を終えた。(中略)その仲麻呂の日本を思う気持ちがよく表れている有名な歌がある。「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも」という歌だ。(後藤武士『読むだけですっきりわかる日本史』宝島社文庫P59より)「遣唐使」以前には、遣隋使がありました。「群れなしてゆく遣隋使=607年聖徳太子遣隋使派遣」と、ゴロ合わせをしていた記憶があります。 井上靖『天平(てんぴょう)の甍(いらか)』(新潮文庫)は、第9次遣唐使を描いたものです。時代は天平5年(733年)のことですから遣隋使からは130年ほどたっています。本書は鑑真来朝の史実をもとに、遣唐使の苦難を描いた作品です。鑑真は本書のなかでは、鑒真(がんじん)という表記になっています。鑑真にかんする史実をおさえておきたいと思います。日本からの遣唐使(留学僧)が鑑真を訪ねて、弟子を日本に派遣してもらいたいとお願いします、弟子たちはみんな尻込みします。鑑真はそれなら自分が行くと宣言します。――鑑真を引き止めたい弟子の妨害にあったり、せっかく出た船が嵐にあって戻ってきてしまったり、別の島に漂着してしまったり、鑑真を信じてついてきた弟子が死んでしまったり、たび重なる航海の失敗のはてに鑑真はついに失明してしまいます。それでもまだ鑑真は日本に仏教のありがたい教えを伝えるために頑張ったんだ。彼の才能を惜しむ唐の皇帝が鑑真の出発を反対するのをふりきり、こっそり遣唐使船に乗り込み、ついに10年の月日を経て彼は念願の日本に着いた。(後藤武士『読むだけですっきりわかる日本史』宝島社文庫P60より) 普照(ふしょう)、戒融(かいゆう)、栄叡(ようえい)、玄朗(げんろう)ら留学僧を乗せた船は、荒波にもまれながら4カ月を要して唐につきます。彼らは仏法の修業のほかに、日本に授戒制度を設けるための伝戒の師を勧誘する目的があたえられています。当時の社会は、課税を忌避するために農民の出家者でみちあふれていました。また正式な僧尼の認定手続きが徹底されていませんでした。伝戒師とは、僧尼の正式な認定者のことです。 来唐してから戒融は托鉢僧となり、唐にとどまる道をえらびます。玄朗は唐の女との生活をえらびます。普照と栄叡だけが、留学の目的にそった道を歩みます。普照と栄叡が鑒真にめぐりあったのは、渡唐してから8年もたってからでした。2人は渡日の承諾をえて感涙します。◎何度も挫折をくりかえして 唐には業行(ぎょうこう)という、日本人の僧がいました。在唐歴20数年の彼は、ひたすら日本へ持ち帰るために、経文を筆写していました。――(補:作中の日本の僧の)中でも忘れられないのは、業行という僧です。写経にのみ人生を捧げる彼は、他の僧侶からは変わり者と目される人物です。/業行は唐で本場の仏教に触れた際、結局のところ自分一人が何かを学んでも、日本にたいした影響は与えられないと悟ります。それよりも、ここにある重要な仏教書の数々を、書き写して持ち帰るほうが、よほど意味があるのではないか。そう考えるのです。(小川洋子『みんなの図書室2』PHP文庫より) 普照は唐にわたってから20年、6度目の挑戦でついに失明している鑒真に随行して帰国をはたします。しかしそのなかには、栄叡の姿はありません。彼は志なかばで死んでしまいます。またおびただしい経典をかかえて、別の船に乗っていた業行は帰国をはたせませんでした。4船団のなかでからくも日本にたどりついたのは、3船だけだったのです。 航海の模様について、井上靖は実にリアルに描いています。引用文は鑒真を乗せた船が2度目の失敗に終わる場面です。羅針盤などない時代です。荒海に翻弄されながら、木の葉のような船は、どこともしれぬ島へと漂着します。――夕方から強風が吹き始め、俄かに波浪が高くなった。潮は墨のように黒く不気味であった。夜になるとますます風は強く、船は波浪に弄ばれ、宛(さなが)ら山頂から谷底へ落ち、谷底から山頂へ上るに似て、いまや総勢七十余人を乗せた船は、一片の木片にしか過ぎなかった。/いつか乗員の全部が観音経を唱えていた。(本文P103より) 20年の歳月のなかで、日本は大きく様変わりしていました。伝戒の師としての、鑒真の価値が希薄なっていたのです。しかし東大院に戒壇院が落成し、鑒真は授戒伝律の権をゆだねられます。しかし既得権を得ている僧侶たちの猛反発をうけます。普照は彼らを堂々と論破してみせます。 その後鑒真は、唐招提寺を開きます。そんなころ普照のもとに唐から甍が届きます。その甍は唐招提寺の金堂の屋根に、すえられることになります。 高校時代の私は、日本史も世界史もきらいな科目でした。国文学を学ぶにあたり、日本文学史の学習は必須でした。そんな関係で必然、日本史も勉強しなければなりませんでした。最近では引用させていただいたような、後藤武士『読むだけですっきりわかる日本史』(宝島社文庫)などがあり、楽しく日本史を学んでいます。井上靖の作品は、そんな私にとってずっと歴史の指南書でもありました。『敦煌』『楼蘭』『風濤』(いずれも新潮文庫)も楽しく読ませていただきました。◎本格的な歴史小説を書こう(追記2015.03.09)『井上靖・わが文学の軌跡』(中公文庫)を読んでいて、『天平の甍』の執筆意図についての文章がありました。本書は篠田一士と辻邦生が聞き手となっています。井上靖の声をひろってみたいと思います。(引用はじめ)井上靖:『天平の甍』のときは、本格的な歴史小説を書いてみようという気持ちはありました。辻さんがおっしゃったように、歴史のなかにちゃんとロマネスクがはめ込まれてある……。『天平の甍』の題材など、書いてくれといわんばかりにはめ込まれています。どんな取り扱いもできます。正面から人間を書いてもいいし、歴史をそこだけ切り取って額縁に入れてもいい。(『井上靖・わが文学の軌跡』中公文庫P143より)(引用おわり)(山本藤光:2011.11.24初稿、2015.01.25改稿、2013.03.09追記)
2015年02月07日
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読書はパスティーシュという言葉を知っているか? これはフランス語で模倣作品という意味である。じつは作者清水義範はこの言葉を知らなかった。知らずにパスティーシュしてしまったのだ。なんととんでもない天才ではないか! 鬼才野坂昭如をして「とんでもない小説」と言わしめた、とんでもないパスティーシュ作品の数々。(「BOOK」データベースより)■清水義範『蕎麦ときしめん』(講談社文庫) ◎バスティーシュの名手 清水義範は、「バスティーシュ」の名手です。昔はSFを書いていたのですが、1988年に上梓した『蕎麦ときしめん』(講談社文庫、初出1986年)でその才能を開花させました。初出単行本の帯には「野坂昭如氏絶賛/新しい才能の開花!/大胆な模倣手法による清水義範初のバスティーシュ小説集」とあります。 読んでみました。笑いまくりました。度肝を抜かれました。まったくちがう世界に連れて行かれた感じでした。「バスティーシュ」は、馴染みのない言葉かもしれません。確認しておきます。――混ぜものを入れたパイ料理の意から、文学、美術、音楽などについて、さまざまな作者、原典、スタイルなどの断片を取り入れつつ混在させた作品のこと。文字通りの〈模写・写し〉を作品の意図として公然と開示したもの」(『最新文学批評用語辞典』研究社出版より) 運動会の借りもの競争とはちがいます。清水義範は既成の文学作品や巨匠の文体を、自らの世界で再構築しているのです。つぎにあげるのは、『蕎麦ときしめん』とともに、お薦めの作品です。 『国語入試問題必勝法』(講談社文庫)――ピントが外れている文章こそ正解! 問題を読まないでも答はわかる!? 国語が苦手な受験生に家庭教師が伝授する解答術は意表を突く秘技。国語教育と受験技術に対する鋭い諷刺を優しい心で包み、知的な爆笑を引き起こすアイデアにあふれたとてつもない小説集。吉川英治文学新人賞受賞作。(文庫案内より)『永遠のジャック&ベティ』(講談社文庫)――英語教科書でおなじみのジャックとベティが50歳で再会したとき、いかなる会話が交されたか?珍無類の苦い爆笑、知的きわまるバカバカしさで全く新しい小説の楽しみを創りあげた奇才の粒ぞろいの短篇集。ワープロやTVコマーシャル、洋画に時代劇……身近な世界が突然笑いの舞台に。(文庫案内より) 2009年、『清水義範バスティーシュ100』(全6巻、ちくま文庫)が完結しました。これは画期的な企画だと思います。このなかには、清水義範の代表的な100作品が網羅されています。『蕎麦ときしめん』は第4の巻、『国語入試問題必勝法』は第2の巻、『永遠のジャック&ベティ』は第6の巻に、それぞれ収載されています。◎偽東京人が名古屋論を書いた 清水義範『蕎麦ときしめん』(初出1986年講談社)と初対面したときの衝撃をお伝えします。一刻も早く、『蕎麦ときしめん』のおもしろさを知ってもらいたい。そんな気持ちで、毎日更新している「藤光日誌」(いまは休止しています)でとりあげました。しばらくたってから、たくさんの人から「腹を抱えて笑った」といったメールが届きました。(以下「藤光日誌」の再録) 清水義範『蕎麦ときしめん』と対面したときの衝撃は、今でも忘れられません。その後、清水義範にとりつかれて、気がついてみると書棚には単行本だけで60冊以上がならんでいました。 今回『騙し絵日本国憲法』(集英社)を読んで、まだ『蕎麦ときしめん』について書いたことがないことに気がつきました。『蕎麦ときしめん』は、清水義範のデビュー作ではありません。それ以前に、朝日ソノラマ文庫や光文社文庫で多くのSFや推理小説を発表しています。 『蕎麦ときしめん』は、6つの作品で構成されています。私はそのなかの、「序文」に衝撃を受けました。吉原源三郎という言語学者が、「英語語源日本語説」という本を出版します。この本は、英語の語源は日本語である、という主張で貫かれています。吉原源三郎が研究をはじめたきっかけは、つぎのとおりでした。 中学の時に、隣の席の少年が英語の試験で「名前」を意味する英単語を思い出せませんでした。それで少年はローマ字でも書いておけ、とnamaeと書きました。 英語と日本語は近い。この発見から吉原源三郎は、次々に珍説を繰り広げます。ざっとこんな具合です。 ――「坊や」boya→boy「少年」/「場取る」batoru→battle「戦い」/「斬る」kiru→kill「殺す」/「だるい」darui→dull「鈍い」(本文より) こうした珍説に、反論を唱える別の国文学者がいます。吉原源三郎は、次々にそれを引用しては反撃に転じます。「序文」という作品は、「英語語源日本語説」の初版本の序文からはじまり、改訂版、完全版、全著作集、文庫本への序文だけで成り立っています。 つまり「英語語源日本語説」という、架空の本の5つの序文だけを集めた形になっているのです。とにかく、吉原源三郎という三流言語学者の粘液質な独善性に腹をかかえて笑いました。 表題作「蕎麦ときしめん」は、名古屋の地域雑誌「しゃちほこ」に掲載されていました。それを著者が掘り起こし、著者の前書きと後書きをつけ加えた体裁をとっています。 ――前書き 初めに、誤解のないように明らかにしておきたいのだが、ここに私=清水が紹介する論文は、私の書いたものではない。私は偶然にこの論文を発見し、その内容があまりにも奇妙奇天烈であることにあきれかえり、これは論文というよりむしろナンセンス読物であると思った。(本文より) 前書きにつづく論文は、5章の組み立てになっています。内容は名古屋人に対する、強烈な皮肉だけです。たとえば、「名古屋人は同じ日本人であっても他の地方の人間とは決してなじもうとせず、自分たちだけで社会を作り、優越感と劣等感の両方を他の地方の人に対して持っている。それはちょうど世界に対して日本人が持つ感情と相似形のものなのだ。」といった調子で、様々な言動を例にとってみせます。 清水義範の作品は、いつも不思議な世界に導いてくれます。読めばわかる。ホワイト・ドッグなのである。白い犬。おもしろい(尾も白い)。クロージングがお粗末でした。(「藤光日誌1996.07.13」に掲載したものを加筆修正しました)清水義範は自作解説に、『蕎麦ときしめん』のヒントになったのはイザヤ・ペンダサン『日本人とユダヤ人』(角川文庫)であった、と書いています。イザヤ・ペンダサンは山本七平が、外国人になりすまして使ったペンネームです。この作品は大ヒットしました。 偽日本人が書いた日本の悪口があんなにうけるのなら、東京人の視点を借りて名古屋人をこき下ろしてみよう。この発想が、『蕎麦ときしめん』を書くきっかけとなったのです。◎ちょっと寄り道 清水義範は、1947年名古屋市に生まれました。半村良(推薦作『晴れた空』上下巻、祥伝社文庫)に師事します。きわだった文学賞の受賞暦はありません。作品で名古屋を大いに喧伝したとして、名古屋市名誉市民になってはいますが。 清水義範は大ウソつきです。清水義範は大変な苦労をして、自作ベスト20を選んだことがあります。『清水義範本人の愛好本・自選ベスト20篇』(講談社1991年)がそれです。あとがきには、次のように書いてあります。――なお、この本は後々になっても、文庫化はしない予定である。この本自体がある面で文庫本にも似た、お買い得本になっていると思うからである。(あとがき引用) 禁忌の文庫本が、出版されてしまいました。ところが、清水義範は自分で選んだ20作品のなかの3つを、100作品のなかから外してしまっています。『バスティーシュ100』のなかには、次の3つが見つかりません。清水義範はタブーを犯し、さらに誇らしげに選んだ自作を捨ててしまったのです。これは大罪でしょう。 清水義範に説明を求めたいのは、つぎの3作の罪名についてです。なぜ一度はベスト20に入れた作品を、はずしてしまったのでしょうか。「○○についてどう思いますか」「六十年の余生」「小切れ五十匁」(山本藤光:2009.09.07初稿、2015.02.06改稿)
2015年02月06日
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ここで語られる 「発想法」 つまりアイディアを創りだす方法は、 発想法一般ではなく、 著者が長年野外研究をつづけた体験から編みだした独創的なものである。 「データそれ自体に語らしめつつそれをどうして啓発的にまとめたらよいか」という願いから、新技法としてKJ法が考案された。ブレーン・ストーミング法に似ながら、問題提起→記録→分類→統合にいたる実技とその効用をのべる本書は、会議に調査に勉強に新しい着想をもたらす。(アマゾン内容紹介より)■川喜田二郎『発想法・創造性開発のために』(中公新書)◎KJ法を生んだ行動する学者 手元に「週刊新潮」(2009年7月23日号)の切抜きがあります。残念なコラムなのですが、「墓碑銘」に敬愛する川喜田二郎氏がとりあげられています。タイトルは「チベットを愛し、KJ法を生んだ行動する学者、川喜田二郎さん」とあります。 ――川喜田二郎さんの専門は文化人類学と民族地理学だが、分野でくくれない存在だった。徹底したフィールドワークによって集めた多面的なデータをどう活かすか、試行錯誤の末『KJ法』という発想・情報処理・問題解決法を生み出した。(前記コラムより引用) 私にとって「知」の指導者は、野中郁次郎氏、梅棹忠夫氏、花村太郎氏、宮本常一氏、西堀栄三郎氏、そして川喜田二郎氏です。お会いしているのは野中郁次郎氏だけですが、6人の共通点はフィールドワークに長けている点だと思います。「知は現場にあり」を実践している人たちなのです。 6人の先生の著作は、私の書棚の特等席においてあります。辞書と同様にいつでもとりだして、背中をおしてもらっています。ぐずぐず考えるなよ。とにかく現場へ行ってごらん。そんな励ましの声がきこえてきます。6人の先生の代表的な著作を紹介させていただきます。 野中郁次郎『知識経営のすすめ』(紺野登との共著、ちくま新書)梅棹忠夫『知的生産の技術』(岩波新書)花村太郎『知的トレーニングの技術』(JICC出版局)宮本常一『忘れられた日本人』(岩波文庫)西堀栄三郎『石橋を叩けば渡れない』(生産性出版)川喜田二郎『発想法・創造性開発のために』(中公新書) 製薬企業の営業企画部長時代に、ワラをもすがる思いで、『経営のためのKJ法入門』(日本能率協会編、同発行)を読みました。営業世界は「我流」がはびこり、業績さえあげていれば立派な営業リーダーとして評価されます。つまり「個人知」が「組織知」とはなっていない世界なのです。 全国の営業リーダーのスキル、ノウハウを集めて、部下育成のマニュアルを作成しよう。そんな動機ですがったのが、『経営のためのKJ法入門』でした。その本から「KJ法」の元祖は川喜田二郎氏であることを知りました。KJが川喜田二郎のイニシャルであることも、知りませんでした。 「KJ法」なんてもう古い。これだけは、いってもらいたくありません。どんな護岸工事を施したところで、源流はひとつです。そこから流れ出る水は、清く澄み切っています。企業で盛んに活用されている「ブレーンストーミング」は、「KJ法」の支流のひとつにすぎません。 営業リーダーのレベルアップ研修を、ビジネスの柱にしていた時代があります。テキストのなかから「ビジネスパースンのための用語事典」を引用してみます。【ブレーンストーミング】 1つのテーマについて、集団でアイデアを出し合う方法です。ルールは次の通りです。1.とにかく積極的にアイデアを出す。2.反対意見は述べない。3.質は問わない、量を出す。4.他人の発言に便乗する。【KJ法】 川喜田二郎氏が考案したので、その頭文字をとって命名されたものです。あるテーマに関して、アイデアをポストイットに書き出します。書き出したら、似たようなアイデアを集めて、アイデアの山を作ります。その山から、新たな戦略、戦術を導き出すものです。◎「KJ法」の「心」を学んだ 川喜田二郎氏の著作『発想法・創造性開発のために』(中公新書)、『続発想法・KJ法の展開と応用』(中公新書)、『知の探検学』(講談社現代新書絶版)は、まじめなフィールドワークの入門書です。 「KJ法」を勉強したいという人には、少し専門的すぎるかもしれません。私は本書から「KJ法」の「形」を学んだのではありません。「心」を学んだつもりです。そのあたりのことについては、川喜田二郎氏自身の文章を引用してみます。――私にとって兵馬の間に起居したような九年。書物などのんきに書く暇もなかったその年月。その間にKJ法の内外でも数知れぬバリエーションが玉石混交で現われている。いまや本道がジャングル化する前に、清流化すべき季節がめぐってきたようである。(川喜田二郎『発想法』の「まえがき」より) ここまでは『発想法』の「まえがき」の一部です。川喜田二郎氏は、KJ法の形だけの乱用に危惧感を抱いています。つづきの文章をごらんいただきたいと思います。 ――その清流化のためには、好ましいソフトウェア(標準テキスト)、正則な研修(KJ法や取材法についての)、および、望ましい機器類(たとえばデータカードやKJ手帳)の一体的な活用が、大いに望まれる。これらの三位一体を私は「文化」と呼ぼう。本来、人から人へ伝え得るものはこの文化であるのに、いまの世はその文化の片割れ、つまり、モノとか方法とか研修だけを売買・貸借・贈答の対象と錯覚しているのではないか。(川喜田二郎『発想法』の「まえがき」より) 私が企業人時代、外資系の会社勤務だったために、英語のテキストと研修に悩まされていました。そのなかに「ワイワイ・コラボレーション」というものがありました。私の営業リーダー研修テキストの「ビジネスパースンのための用語事典」を引用してみます。【ワイワイ・コラボレーション】1.コロンビア大学経営学科が「組織診断および変革マネジメント・ワークブック」として開発。2.ロシュグループでは、マネジメント研修として活用。3.SSTプロジェクトではワイコラで「同行を阻害する要因」をまとめた。4.その後マネージャー間の問題解決プログラムとして活用されている。◎ワイワイ・コラボレーションとは「ワイワイ・コラボレーション」は、コロンビア大学経営学科が「組織診断および変革マネジメント・ワークブック」として開発したものです。私が勤務していたロシュグループでは、マネジメント研修として活用していました。「ワイワイ・コラボレーション」は、およそつぎのようなステップで学びます。【ステップ1:ギャップの発見】・当社に導入すべき点(グループで優先順位を決める)・導入するに際しての障害(ギャップ)を発見する【ステップ2:根本原因の分析】・ギャップの根本原因を探る(WHY)・ギャップの根っこを明確にする【ステップ3:解決策の発見】・ギャップを埋めるための方法を探る(ブレーンストーミング)・根本原因に対してすべての解決策を発見する【ステップ4:アクションプランの作成】・実行に移すためのアクションプランを作成する【最終ステップ:グループ発表】 私はスイス本社の研修プログラムを学びながら、「これってKJ法じゃないか」と思いました。いまでも大切に考えているプログラムなのですが、テキストにあった英語名は忘れてしまいました。KJ法は「発想法」の入口でもあり、「問題解決」への出口でもあります。そんな意味で、現在のビジネスの根幹として活用させてもらっています。(山本藤光:2010.06.16初稿、2015.02.05改稿)
2015年02月05日
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急変してゆく現実を理解せず華やかな昔の夢におぼれたため、先祖代々の土地を手放さざるを得なくなった、夕映えのごとく消えゆく貴族階級の哀愁を描いて、演劇における新生面の頂点を示す「桜の園」、単調な田舎の生活の中でモスクワに行くことを唯一の夢とする三人姉妹が、仕事の悩みや不幸な恋愛などを乗り越え、真に生きることの意味を理解するまでの過程を描いた「三人姉妹」。(アマゾン内容紹介)■チェーホフ『桜の園』(新潮文庫・神西清訳)◎現代にも通用する『桜の園』 チェーホフは若い人と老人を、好んで作品に登場させています。若い人は夢や希望にあふれており、老人は諦念、幻滅の象徴として描かれているのです。『桜の園』(新潮文庫、「三人姉妹」併載)は、チェーホフ4大戯曲の最後の作品です。それ以前に『かもめ』(新潮文庫、「ワーニャ伯父さん」併載)が、モスクワ座で大成功をおさめました。つづいて『ワーニャ伯父さん』『三人姉妹』と書き連ね、1903年『桜の園』を書き上げたのです。モスクワ座での上演はその翌年であり、チェーホフはその数ヵ月後に亡くなっています。 チェーホフは、人物の内面を刻々と描くことに長けた作家です。『桜の園』には、たくさんの若者と老人が登場します。舞台は帝政ロシアの末期。ラネーフスカヤは没落貴族の女地主です。彼女には、娘・アーニャと幼女・ワーリャがいます。5年ぶりにパリから戻ったラネーフスカヤは、屋敷と桜の園が競売にかけられていることを知ります。屋敷には、老執事、兄、召使い、家庭教師、地主、商人などさまざまな人が出入りしています。兄はその無能力さから、屋敷や桜の園を競売へと追いやってしまっています。2人の娘は、華やかな世界へ行くことだけに関心があり、競売にはまったく無頓着な状態でした。唯一、一家の農奴の息子だったロバーヒン(今は豊かな商人)だけが、桜の園を守るためには、賃貸別荘地にすべきであると主張します。とにかく登場人物が複雑であり、名前が覚えにくいのが難点です。何度も登場者リストをくくりながら、読み進めました。創元推理文庫のように、表紙裏に登場人物リストがあれば参照しやすいのですが。そして、競売の日を迎えます。チェーホフは、急な流れに身をまかせるラネーフスカヤと、桜の園を守りたいとの思いの強いロバーヒンを対極においてみせます。地主階級と元農奴のなりあがり。2人の対比が、作品に色どりをそえます。◎日本文学にも大きな影響 太宰治(推薦作『斜陽』文春文庫)が『桜の園』に、大きな影響を受けた話は有名です。太宰治が文学の師匠である井伏鱒二(推薦作『山椒魚』新潮文庫)に、つぎのような書簡を送っています。――「私の生家など、いまは『桜の園』です。あはれ深い日常です」(関口夏史『新潮文庫20世紀の100冊』新潮新書より) チェーホフは太宰治以外にも、さまざまな作家に影響を与えています。当時の文壇では、私的な内面に迫ったリアリズム(自然主義)が新しかったのです。モーパッサン(推薦作『女の一生』新潮文庫)などが主流の時代でしたから、プロットのない作品は珍しかったのでしょう。そんなチェーホフは、イプセン(推薦作『人形の家』新潮文庫)やメーテルリンク(推薦作『青い鳥』新潮文庫)から大きな影響を受けていました。ちょっと読みにくいのですが、チェーホフは小説の世界を変えた分水嶺にいた作家です。チェーホフ作品には、2つのテーマが存在しています。未来への出発(『三人姉妹』)と現在への安住(他の作品中の登場人物)との2つです。このテーマは安部公房『砂の女』(新潮文庫、「標茶六三の文庫で読む400+α」推薦作)と同じです。『砂の女』の主人公は砂の穴の家に幽閉されて、ずっと「にげだしたい」(未来への出発)と希求していました。それが砂のなかから水を発見してから「巣ごもりたい」(現在への安住)との気持ちに変化します。 あなたの読書のマイルストーンとして、チェーホフ『桜の園』をいずれかの時期にすえたいものです。ちなみにここで描かれている桜は、日本人が花見を楽しんでいるものとはちがいます。サクランボの実をつける品種の方です。念のため。(山本藤光:2012.10.21初稿、2015.02.04改稿)
2015年02月04日
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音大のピアノ科を目指していた私は、後輩の天才ピアニスト永嶺修人が語るシューマンの音楽に傾倒していく。浪人が決まった春休みの夜、高校の音楽室で修人が演奏する「幻想曲」を偶然耳にした直後、プールで女子高生が殺された。その後、指を切断したの修人が海外でピアノを弾いていたという噂が…。(「BOOK」データベースより)■奥泉光『シューマンの指』(講談社文庫)◎新たなジャンルの確立 奥泉光は難解な純文学作家です。そうした硬派の鎧を脱ぎ去って、ミステリーの世界に小さな風穴をあけはじめました。その象徴的な作品が『「吾輩は猫である」殺人事件』(新潮文庫、初出1996年)でした。 そこへ至るまでの奥泉光は、野間文芸新人賞(『ノヴァーリスの引用』集英社文庫絶版、初出1993年)、芥川賞(『石の来歴』講談社文芸文庫、初出1994年)と純文学関連の賞で評価されてきました。芥川賞受賞作『石の来歴』の選評をならべてみます。――これまでの氏の力作と並び、創作意図は強くつらぬかれている。こうしてみれば、講談調にうわずる文体も粗雑な細部も、つまりは氏の個性なのだ。それを見きわめての、氏の剛腕への評価は、選考会でよく納得できた。(大江健三郎:芥川賞選評)――いつもその腕力と言葉の氾濫に負けそうになっていたが、今回は素直に降参することにした。(吉行淳之介:芥川賞選評)――才能とか資質という言葉よりも、力量という表現がまず頭に浮かぶ。石への執念、誰が誰を殺したかという疑惑などがストーリーを強引に押し進めて行く展開には、読者を引きずり込む力が認められる。それでいて、どこかにふと寂しい風の吹き抜ける気配もある。(黒井千次:芥川賞選評) 3人の選考委員は言葉を合わせたように、「力作」「腕力」「力量」と「力」こぶを評価しています。奥泉光が大きく変貌したのは、前記のとおり『「吾輩は猫である」殺人事件』を上梓してからです。奥泉光は自作について、つぎのように語っています。――僕には人をびっくりさせたい、面白がらせたいという非常に素朴な欲望がありまして、それで書いているところもあるんです。でも、最後はプロの技で、さすがはプロと言われるようになりたいな、と思う気持ちもあるんですけどね。(『小説家への道』マガジンハウス1997年) この思いをみごとに開花させたのが、『シューマンの指』(講談社文庫)です。近年の奥泉作品を的確に言い表している文章を紹介します。――奥泉さんの小説はミステリー仕立ての純文学、とでもいいましょうか……。ただし、いわゆるミステリー、推理小説と大きく違うのは、きっちりとした答えを出さないこと。何度でも冒頭にもどらされてしまうくらい、ことは錯綜しています。(女性文学会編『たとえば純文学はこんなふうに書く』同文書院より)『シューマンの指』(講談社文庫)でも奥泉光は、明確なエンディングを回避しています。夏目漱石、三島由紀夫、古井由吉、中上健次の文体をなぞっていた作品と決別して、奥泉光はこの作品で新たなる文体も確立したのかもしれません。◎エンディングに度肝を抜かれる CDを聞きながら、原稿を書いています。もちろんCDは、シューマンです。ずっと以前に購入したCDつき週刊誌「The Classic Collection15・シューマン」には、「ピアノ協奏曲イ短調・トロイメライ・交響曲第3番ライン」が収録されています。いつもはジャズを聴きながら原稿を書くのですが、本日はそんなわけにはゆきません。『シューマンの指』は、音楽ミステリーというジャンルにくくるべきでしょう。しかも主役は天才音楽家のシューマンと、8歳にして完璧にそれを弾きこなした天才ピアニスト・永嶺修人です。 本書を読むにあたって、シューマンに関する予備知識が必要です。なにしろ本書では、シューマンと永嶺修人は重ねて描かれているのですから。――シューマンと言えば、ほとんど多重人格者。脳内におのれの分身キャラクターを作り出し、彼らを遊ばせることで作曲する。やがて狂気に駆られ、ライン川で入水自殺を試みるが未遂に終わり、精神科病院へ。ベートーヴェンへのコンプレックスに悩まされたり、指を痛めてピアノを満足に弾けなくなったりもした。(「読売新聞」2010.7.26、評者:片山杜秀) 本書の入り口として、片山杜秀の書評の一部を引用させてもらいました。片山杜秀は文庫の解説も担当しています。大学の准教授であり音楽評論家を解説に起用している点からも、『シューマンの指』は単なる文芸作品とは一線を画していることが理解できます。 本書の語り手・私(里橋優)のもとに、30余年前にシューマンを愛した音楽仲間・鹿内堅一郎から一通の手紙が届きます。手紙はドイツで投函されたもので、「永嶺修人がピアノを弾いていた」とありました。 永嶺修人は高校3年のときに、大切な指を欠損しているはずです。ピアノなど弾けるはずはありません。手紙を受け取った「私」の回想シーンがつづきます。 里橋優(語り手の私)、鹿内堅一郎(手紙の差出人)、永嶺修人の3人は、高校時代に「ダヴィッド同盟」という音楽グループを結成していました。「私」(里橋優)と鹿内堅一郎は、美貌の天才に対して強い尊敬と憧憬をもって接しつづけていました。しかし永嶺修人は独善的であり、「私」は生涯に3回しか彼の演奏を聴いていません。 そのうちの1度は夜の高校で偶然耳にしたものです。その夜、敷地内で殺人事件が起こります。居合わせた「私」も事件に巻きこまれます。犯人は見つかりません。 指を失っているはずの永嶺修人は、なぜ30年後にピアノを弾いているのでしょうか。高校の敷地内での殺人事件の真犯人は誰なのでしょうか。「私」の長い回想シーンは、永嶺修人の妹の手紙で途切れます。『シューマンの指』は、サンドイッチ状の2通の手紙にはさまれた、過去の回想という構図になっています。エンディングには、きっと度肝をぬかれると思います。してやったりの奥泉光の笑顔が浮かびます。大成功だよ、この作品は。そんなメッセージを作者に届けたくなったほどでした。 最後に伊坂幸太郎のインタビュー記事に、おもしろいエピソードがありましたので紹介します。伊坂幸太郎が『オーデュポンの祈り』で新潮ミステリー倶楽部賞を受賞した日の2次会でのことです。――当時、奥泉さんは『鳥類学者のファンタジア』(集英社文庫)という作品を連載していらしたので、その話題にもなったんです。/「小説の中で主人公がチャーリー・パーカーにまで会っちゃうんですか。すごいですね」僕がそう言うと、「そりゃそうだよ。何でもできるんだからね、小説は。書けば、そうなるんだから」奥泉さんはとても嬉しそうに、おっしゃったんですよね。(木村俊介『物語論』講談社現代新書の伊坂幸太郎インタビュー記事P230) 奥泉光の高笑いが聞こえてきました。私は奥泉光の推薦作(1著者1作品に泣く泣く絞り込む無謀でバカげた決めごと)の書棚から、そっと『「吾輩は猫である」殺人事件』(新潮文庫)をはずし、『シューマンの指』(講談社文庫)をおさめました。(山本藤光:2012.11.26初稿、2014.09.26改稿)
2015年02月03日
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ヴェネツィアのフェニーチェ劇場からオペラアリアが聴こえた夜に亡き父を思い出す表題作、フランスに留学した時に同室だったドイツ人の友人と30年ぶりに再会する「カティアが歩いた道」。人生の途上に現われて、また消えていった人々と織りなした様々なエピソードを美しい名文で綴る、どこか懐かしい物語12篇。(「BOOK」データベースより)■須賀敦子『ヴェネツィアの宿』(文春文庫)◎美しい旋律のような文章 大学を卒業して入社したのは、日本ロシュというスイスの製薬会社でした。社内の公用語は英語でしたので、新入社員には英文タイプライターが支給されます。入社してしばらくは、タイプ打ちの練習をさせられました。黒いタイプライターには、金文字で「Olivetti」というロゴが刻まれていました。オリベッティはイタリアのタイプライター会社です。 須賀敦子はその会社の広報誌に、エッセイを連載していました。彼女が56歳(1985年)のときからです。エッセイの連載は多くの読者に評価され、須賀敦子が61歳のときに第1作品集『ミラノ 霧の風景』(白水Uブックス)が刊行されました。現在は『須賀敦子全集』(全8巻、河出文庫)が出ています。「ミラノ霧の風景」は「コルシア書店の仲間たち」とともに第1巻に所収されています。 須賀敦子は69歳で亡くなっています。『KAWADE夢ムック・追悼特集・須賀敦子』に、よしもとばなな(表記は吉本ばなな)が追悼文「美しい旋律」をよせています。――豊かで、力強く、品があり、激しさを秘め、静かに深みをたたえている。そういう美しい旋律のような文章を書くことができる稀有な人でした。須賀さんがその経験や才能を惜しげもなく私たちにさらしてくれたことも、その文章が年齢も性別も様々な多くの人に受け入れられたことも、すばらしいことだと思います。ご冥福をお祈りします。『KAWADE夢ムック・追悼特集・須賀敦子』のなかに、アントニオ・ダブッキの追悼文「深い絆」があります。ダブッキ作品は好きで、『インド夜想曲』『逆さまゲーム』『遠い水平線』(いずれも白水Uブックス)などを読んでいました。それらの作品の翻訳者が須賀敦子だったことを、ダブッキの追悼文ではじめて知りました。 私は迷いながら、『ヴェネツィアの宿』(文春文庫)を推薦作として選びました。『ヴェネツィアの宿』は3冊目のエッセイ集となります。本書には父親と母親が登場します。須賀敦子の原点を知るうえでは、いちばん大切な著作だと思っています。「ミラノ霧の風景」「コルシア書店の仲間たち」「ヴェネツィアの宿」「トリエステの坂道」「ユルスナールの靴」「遠い朝の本たち」「地図のない道」など、どの作品もすてきです。◎誰もが去っていく イタリアへは行ったことがありません。しかし読みながら、なぜか懐かしさを感じました。『ヴェネツィアの宿』(文春文庫)には、表題作をふくめた12の著作が所収されています。1番目「ヴェネツィアの宿」と12番目「オリエント・エクスプレス」は、父親の話です。そして父親の話にはさまれるような形で、母親の思い出も描かれています。 ヴェネツィアのホテルの一室で、体調を崩した須賀敦子はベッドで横になっています。隣接するフェニーチェ劇場からは、歌劇の音楽が聞こえてきます。彼女はかつて父親がこの地のホテルに滞在していたことに思いをめぐらせます。遠い日の記憶をたぐりよせながら、彼女は外の喧騒とは別の世界を彷徨します。 フランスでの孤独な留学時代のことは、「大聖堂まで」に書かれています。美しく格調高い文章を引用させていただきます。――すぐそこに、といっていい距離に、白くかがやくパリの大聖堂ノートル・ダムが、まだ昼間の青が残った夜空を背に、溢れるような照明の光をあびて、ぽっかり宙に浮かんでいた。それも、セーヌ河沿いの花やかな南面を惜しげなくこちらに向けて、後陣にちかいトランセプト(袖廊)の突出部分の中央に位置した薔薇窓の円のなかには、白い石の繊細な枠ぐみにふちどられた幾何もようの花びらが、凍てついた花火のように、暗黒のガラスの部分を抱いたまま、静かにきらめいている。宇宙にむかって咲きほこる、神秘の白い薔薇。(本文P135-136より) 夫・ペッピーノのことは、追悼文として「アスフォデロの野をわたって」に書かれています。――死に抗って、死の手から彼をひきはなそうとして疲れはてている私を残して、あの初夏の夜、もっと疲れはてた彼は、声もかけないでひとり行ってしまった。/がらんとしてしまったムジェッロ街の部屋で朝、目がさめて、白さばかりが目立つ壁をぼんやりと眺めていると、暮れ果てたベストゥムの野でどこかに行ってしまったペッピーノを、石につまずきながら捜し歩いている自分が見えるような気のすることがあった。(本文P266より) 父と愛人のことは、最終章の「オリエント・エクスプレス」に描かれています。ここは引用を控えさせていただきます。夫の死、父の死とつづく最後の2作は、淡い色を基調とした渾身のエッセイです。最後に林真理子の文章で結ばせていただきます。――須賀さんのエッセイに出てくる人たちは、誰もが去っていく。たまには再会する人もいるが、つかの間のことでまたどこかへ行く。ミラノの風景もヴェネツィアの夜も、みんな現し世の一瞬通りすぎるもので、須賀さんの心はいつか人々がすうっと消えていく一点を向いていたような気がして仕方がない。死を軸にすると、風景や人々はこのように美しく描かるのだろうか。(林真理子『林真理子の名作読本』文春文庫P150より) なんだか引用だらけになってしまいました。須賀敦子については、美しい文章にふれていただきたい、との思いからのものです。手抜きをしたかったわけではありません。念のため。(山本藤光:2013.012.16初稿、2015.01.25改稿)
2015年02月02日
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舞台は17世紀イタリア、トスカーナの小都市。思わぬことで殺人犯となったジャコモは、斬首刑に処せられる直前、面会に来た若妻エレナの鼻を食いちぎった!遺された妻が送ったその後の人生とは?地中海に面した町で繰り広げられる、この上もなく美しくグロテスクで恐ろしい物語。(「BOOK」データベースより)■河野多恵子『後日の話』(文春文庫)◎特異な世界を描く 1960年から1970年にかけて、代表的な女流作家といえば河野多恵子と倉橋由美子(推薦作『スミヤキストQの冒険』講談社文芸文庫)だと思います。2人の共通点は、非日常の世界を確かな文体でつむぎあげることです。「性」や「嗜虐(しぎゃく)」からは、けっして逃げません。まともに懐にひきいれ、独特な感性でそれらを読者につきだしてみせます。読者にはこびません。この揺るぎない姿勢が好ましいのです。 もうひとつ河野多恵子作品の魅力は、登場人物の造形の妙です。一人ひとりをていねいに創りあげ、活き活きと舞台を動かします。人形師が自ら造りあげた人形を、観客(読者)に向けて操っているかのようです。河野多恵子の作品には、そんな感じを受けています。自らが創作の原点にふれている文章があります。引用してみます。――エミリ・ブロンテは牧師館の老嬢だった自分に密着せず「嵐ケ丘」のヒースクリッフやキャサリンを創作したがために、自分の内部を完全に表現し、人間存在を謳い切ることをなし得たのではなかろうか。が、彼女は自分に発して自分を空高く飛翔させたけれども、私の場合は竹トンボくらいしか飛んでくれない。そして、しばしば落っこちる。中には、その地面に落っこちた部分のほうが面白いといってくださる方もあり、私は自分の至らなさを知らされてつらいのだが、やはりこの方法で進みたいと念願している。(毎日新聞社学芸部編『私の小説作法』1975年雪華社P170より) 河野多恵子を、一言で表現するのは難しいことです。私はつぎに引用する一文が、もっとも的確に女流作家・河野多恵子を表現していると思っています。――河野多恵子は、女流のうちでも外界にたいする殺意や幻想界への嗜好を具えた異色の存在で、奔放な夢想の世界のもつリアリティーが、作風の特性を示している。(松原新一・磯田光一・秋山駿『戦後日本文学史・年表』1979年講談社、P330より) 河野多恵子を理解するうえでもっともふさわしいのは、『谷崎文学の肯定と欲望』(読売文学賞、中公文庫絶版)を一読することです。谷崎文学のマゾヒズムに迫った本書は、さまざまな谷崎潤一郎文学論のなかでも、特筆に価します。 ◎若い妻の鼻をかみ切る『後日の話』(文春文庫)は、実話がヒントとなって生まれた作品です。絞首刑を宣告された夫が、最後の別れに訪れた若い妻の鼻をかみきります。 河野多恵子は舞台を、17世紀のイタリア・トスカーナ地方の小さな都市国家に設定しました。また鼻をかみちぎられた主人公をエレナとし、蝋燭商の次女としました。著者は設定の理由をつぎのように書いています。――作中の場所は、やはりイタリアから択ぶことにした。それをどこにするか。時代を十七世紀に設定した理由の一つは、場所との関係だったが、昔は繁栄していて、今は忘れられている土地がよさそうだった。作中では名を伏せてあるが、トスカーナ地方の地中海に面した、その場所を択んだ。鼻を噛み切り、噛み切られた夫婦は、ともにひとかどの商家の生まれの設定にする考えは、すでに兆していた。(「本の話」1999年2月号より) この設定が成功しています。著者は古風な港町と、そこに暮らす人々をていねいに描き上げます。また当時の習慣やにぎわいを、豊富な語彙(ごい)で挿入しています。 河野多恵子の初期小説は、幼児誘拐(『幼児狩り』新潮文庫、『不意の声』講談社文庫)や夫婦交換(『回転扉』新潮社、文庫なし)をモチーフにすることが多々ありました。河野多恵子は『後日の話』で、まったく新しい世界を切り開きました。読者はなんの違和感ももたずに、作品のなかへ入りこめます。それはつぎのような懐の広い文体によるものです。 ――市庁舎の前の広場で開かれている市へ、ジャコモとエレナは出かけて行った。幾並びにも露店がひしめき、人出で賑わっていた。(本文より)――その地方では、きょうだい間に恋争いなどの特別の事情がなければ、都合よく結婚できるように、きょうだいが気を利かせ合う。互いに恋文の取り次ぎもする。(本文より) 鼻を欠損したエレナは、うわさ話の好きな市民の格好のえじきとなります。また殺人者の妻として、不当な扱いを受けます。そんなエレナを、家族の慈愛に満ちた心が支えます。 私がこの作品を今までとはちがうと感じたのは、著者自身の遊び心が見える点でした。これまでの作品は頭のなかだけで描きあげてきましたが、この作品は取材と膨大な資料を要しています。 著者は17世紀の港町を、そこに住む人々を、楽しんで書いたにちがいありません。著者自身が、作品についてこう書いています。 ――この作品での私自身といえば、幾重にも包まれて、影さえ見せない。これまでに書いた小説中、最も自分を包んだ作品。つまり最も深く自分に根ざした作品ではなかろうかと思っている。(「本の話」1999年2月号より) 今なおその時代の面影を残しているだろうその町へ、行ってみたくなりました。 2015年1月30日の新聞に、河野多恵子さんの訃報が掲載されました。大学時代からずっと、本の魅力を提供してくれた偉大なさっかです。ご冥福をお祈りいたします。(山本藤光:2010.04.21初稿、2015.02.01改稿)
2015年02月01日
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