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「御宅は、どうして、あんないかがわしい会社から仕事を引き受けたんですか?」「急場しのぎって奴で、仕方なかったんですよ」How come your company accepted work from a shady outfit like that?We have no choice. It was a matter of any port in a storm. (松本道弘「日米口語辞典」)
2006年11月30日
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宇能鴻一郎という作家が、杉山巡先生んちのブログで話題になった。実は、宇能が話題になるのは週刊ポストの連載頃の飄々とした艶っぽい小説ばかりだと思うのだけれど自分が小学生時代に芥川賞作家として登場した頃には、颯爽とした気鋭の小説家というイメージだった。三年ぐらいのころに、大映映画「鯨神」が登場するがその原作者でもあり、ほかならぬ芥川賞作品だったのである。村上龍が、芥川賞をぬけぬけと取ってしまうというような情けない時代とは違い、まだしも芥川賞に権威めいたものが漂っていた時代である。彼の小説は、実はほとんど読んでいなかったのだけれどそれでもあれぐらいの多産家であるから何冊か手元に漂ってきたものは読んだ。当時、佐藤愛子と仲が良かった川上宗薫と初期作品を読み比べてみた。事情はよくわからないが(なにしろ自分は、昭和天皇よりも遥かに文学に弱いもので)印象だけを言えば川上宗薫という作家は、あまり女が好きではないのではないかと思った。彼は、高校の教員だったらしいが、父親がキリスト教徒で牧師まで勤めていたものを原爆で母も、妹も亡くしたという。それだけでも大きなドラマだが、ポルノ作家というのではなく官能小説作家というのだろうか、生涯の岐路には、いろいろなドラマが横たわっているものだと痛感する。川上の父親も、わたしの母親と同様に戦後棄教したものらしい。牧師で棄教とは、並大抵ではないという気がする。戦争に負けるということは、そういうことだ。一方、宇能鴻一郎の方はやけに頭のいい野心的な青年が都会へ出てきて上に駆け上ろうという時代のヰタセクスアリスなので「女なんか」と蹴散らしてゆきそうな雰囲気がしているのだが、その割りには女性の描写がやけに思いやり深く暖かい。初期作品は、古書店でも手に入り難いので困るのだが、(図書館で探したところで見つかりはしない)彼の相手をする性的遍歴時代と題して描かれている女性たちは、たとえば女性ピアノ教師だったり青線の女性だったりするのだが、まちがっても美化されてもいなければ持ち上げられてもいない。その一方でけして月並みなステレオタイプイメージにおざなりな描写で流したりもしていない。その一人づつを克明に描写して、肉体的な欠陥まで精緻に描き出しているのだけれど、不思議に作家の愛着の所在が読み解けて、ぞんざいではない。川上宗薫は、女が好きだ嫌いだという遥か以前に人生から叩き出されるような心的な辛酸をどこかで隠していたのかもしれない。宇能鴻一郎は、幸運にも日本の女から祝福されて生まれてきた人なのだろうと思う。
2006年11月30日
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彼は、私の話をまじめに聞いてくれない。右から左に聞き流すだけなんだから。」He never takes what I say seriously.It just goes in one ear and out the other. (松本道弘「日米口語辞典」)
2006年11月29日
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2006年11月29日
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2006年11月29日
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↑クリックさきに紹介した、松本道弘先生の「ぶっとび」人生スタイルを知りにわかファンになった。英語の達人には、ほんとうに不思議な人が多いのに気づく。もっと早く気づいていたら、50前から英語の勉強をしていたように思う。英語のやり直しを思い至ったのは、やはりフラッシュメモリーをつかったi-Riverの軽さだった。あれは素晴らしい。i-Podよりも良い面がある。たぶん、40代で始めていても挫折していただろう。それほど、近年の教材や装備の充実は愉しいほど完備している。基本は、フラッシュカードの徹底利用だ。インターネット環境のおかげで、たった数十分で自分の語彙を総点検できるようなフリーソフトが無償で配布されているのも凄い。以前紹介した、P-STUDY systemがそれだ。 ↑クリックすでにこのソフト(無償のフリー)をつかってから、AAA級の記憶定着という判定がでた語彙が、600を越えた。あと何年か、訓練すれば映画をみていても戸惑うことはなくなるのではないか、と予想している。一日、せいぜい10分も時間を割いてはいない。いかにフラッシュカードを利用した訓練が従量的に効き目があるのかを思い知った。結局は、訓練なのだからやればかたちがでてくる。それだけのものだったのだ。50代の脳みそでも、良い教材と効率の良いフラッシュカードで十分一年程度でそこそこやれそうな雰囲気で自信ができた。ほぼ一年で700語彙がはいっているわけで、たぶん来春ぐらいには1200は、無理なくおさまってくれるだろう。↑クリック最初に手にしたDUO3.0が、よく出来ていると思うし、毎日苦痛にならないフリーソフトがその反復学習と継続をたやすくしてくれた。そして、そして次には。松本道弘先生に深い敬意を表して、氏の代表的著作をブログで暗唱用にとりあげて行きたいと思う。 彼は、私の話をまじめに聞いてくれない。右から左に聞き流すだけなんだから。」He never takes what I say seriously.It just goes in one ear and out the other. (松本道弘「日米口語辞典」)
2006年11月29日
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↑click It's 9 o'clock on a SaturdayThe Regular crowd shuffles inThere's an old man sitting next to meMakin' love to his tonic and ginHe says, "Son, can you play me a memoryI'm not really sure how it goesBut it's sad and it's sweet and I knew it completeWhen I wore a younger man's clothes"La la la, de de daLa la, de de da da dumSing us a song, you're the piano manSing us a song tonightWell, we're all in the mood for a melodyAnd you've got us feelin' alrightNow John at the bar is a friend of mineHe gets me my drinks for freeAnd he's quick with a joke or to light up your smokeBut there's someplace that he'd rather beHe says, "Bill, I believe this is killing me,"As the smile ran away from his face"Well I'm sure that I could be a movie starIf I could get out of this place."Oh, la la la, de de daLa la, de de da da dumNow Paul is a real estate novelistWho never had time for a wifeAnd he's talkin' with Davy, who's still in the navyAnd probably will be for lifeAnd the waitress is practicing politicsAs the businessmen slowly get stonedYes, they're sharing a drink they call lonelinessBut it's better than drinkin' aloneSing us a song, you're the piano manSing us a song tonightWell, we're all in the mood for a melodyAnd you've got us feelin' alrightIt's a pretty good crowd for a SaturdayAnd the manager gives me a smile'Cause he knows that it's me they've been comin' to seeTo forget about life for a whileAnd the piano, sounds like a carnivalAnd the microphone smells like a beerAnd they sit at the bar and put bread in my jarAnd say, "Man, what are you doin' here."Oh, la la la, de de daLa la, de de da da dumSing us a song, you're the piano manSing us a song tonightWell, we're all in the mood for a melodyAnd you've got us feelin' alright
2006年11月28日
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南米移民労働者の中では、英語を学んでも生涯賃金には大きな差がでないけれども、いま先んじて日本語を習得できると日本での就労機会が飛躍的に増えて、生涯賃金にも影響がでるどころか、小所有者として自国での起業にも有利だという考え方があるのだと聞いた。他ならぬ、日本語教室の生徒たちはその中でも高い意欲で取り組んでいる連中だから彼等の中には確信に近い域のものがあるのだろうと推量する。ブラジル人は、日本就労3年で家が建つらしい。生徒の一人のおやじは、もう一軒家を建てていて賃貸収入があって、家族に送金していないと言う。いまは自分たちの家を建てるための資金で、あと3年もすればブラジルで悠々と暮らすなどと真顔で言っていた。なるほどその時には、ブラジルで日本語教師でもやるつもりなのだろう。こちらはボランティアで教師をして、相手は自国で金儲けの道具に転じるのだから、笑いが止まらないと思うわけだ。それでも日本語教師熱は、冷めない。大阪では、日本語教室に潜り込んで生徒を持つ事も難しいほど難関だったりする。一方、スカイプではマニア同士のあいだで日本語が一種のラテン語的に機能しているというのを耳にした。台湾の二十代の女性は、漫画家で日本の漫画を通し日本語を学習したという。話していると驚くが、もはや東京の二十代の女性と大差ない語り口だ。日本についての知識も、もしかしたら日本の二十代のものとさほど変わらないのかもしれない。もっと驚くのは、彼女がポーランドや北欧の男の子たちと、日本語でコミュニケーションしているというのだ。趣味の一致が、日本語を選択させているのだと思う。いつまでこのような例が増え続けるのか、おおいに疑問であるけれども、彼等にすれば日本語と日本文化は、なにか再生の期待をこめた要素を感じるらしい。とりわけ攻殻機動隊のファンが多いのには驚いた。こちらのオヤジが、へとへとで顎がでそうなのとは大違いだ。日本人が、あまり熱心に日本語を世界に広めようと努力していないことがむしろ彼等マニアには刺激的にはたらいているのかもしれない。
2006年11月28日
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不思議な夢をみた。夢は、いつでも不思議なものだけれど眼が覚めても憶えている夢というものは、滅多にない。子供の頃に、いくつか見た夢は割合と記憶しているのだけれどもこれは久しぶりの体験だ。寝る前にみた教育番組の影響もあるのかもしれない。赤ちゃんというのは、実のところまだまだ解明されていないさまざまな能力が多い存在らしい。産まれてすぐの時から、親の舌だしをまねる行動がある。まだ舌も知らず、教えられたわけでもないのに親のしたを眼で視認してそれが真似られる。これも凄い関係連合野の存在感だ。このあいだ、杉山巡先生のブログでコメントをしたが生後数ヶ月すると赤ちゃんは指を立てる。指を立てるという動作そのものが、霊長類中で人類だけらしい。そしてほどなくその指は、対象をさす。人、もの、おもちゃ、それぞれには「意味」を生じ、関係が表明される。多くが願望の表明で、母親であったり、ミルクであったりする。関係表出と、指示表出の萌芽だが、発語されさえすればりっぱに通じる、言語の内実の誕生だ。自分たちが、連日続けているブログもそんな誕生の瞬間からはじまる表現の大きな動機の延長に過ぎない。夢の中で、異国の老人が拾ってきた赤ちゃんを解体しておいしい美味しいと鍋にして食べてしまった。わたしはデジカメでそれを冷静に撮影している。音はないが、なぜか懐かしい郷愁のある音楽が流れていた。 ↓クリック夢十夜夏目漱石 第一夜 こんな夢を見た。 腕組をして枕元に坐(すわ)っていると、仰向(あおむき)に寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭(りんかく)の柔(やわ)らかな瓜実(うりざね)顔(がお)をその中に横たえている。真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、唇(くちびる)の色は無論赤い。とうてい死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、もう死にますと判然(はっきり)云った。自分も確(たしか)にこれは死ぬなと思った。そこで、そうかね、もう死ぬのかね、と上から覗(のぞ)き込むようにして聞いて見た。死にますとも、と云いながら、女はぱっちりと眼を開(あ)けた。大きな潤(うるおい)のある眼で、長い睫(まつげ)に包まれた中は、ただ一面に真黒であった。その真黒な眸(ひとみ)の奥に、自分の姿が鮮(あざやか)に浮かんでいる。
2006年11月27日
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世の中には、日本語学習オタクという存在もいるらしい。↑クリックかなり、面妖な気がするが海外からみれば不思議で面白そうな国と人々にみえるのかもしれない。高校時代に、アニミズム(物活論)というものを習ったのだけれどもその意味も実態も正しく教示されなかった。この年になって、ようやく意味が分かってきたような気がする。人間が都市化すると、間違いなく意識の表層でアニミズムに対する強烈な郷愁が生じることは、避け難い。人間の本来の存在が物活論が示すような姿をとっているからだ。アメリカや、イギリスやら西欧社会にいてどっぷりと近代文明に浸かっていると早晩間違いなく肉体から裏切られてゆくような恐怖感が生じるだろうと推量する。存在論的な恐怖だ。たぶん、日本文化は、彼等よりそういうものに一定の距離を置いていられる構造になっている。そもそも主語のない言葉もOKというこの気楽さは彼等にすれば、ムチャさ加減では憑き物が落ちたような感覚を呈するかもしれない。現実には、日本でもわれわれが都市化の極みでへとへとであることはこの際彼等の視野には入らないのだろう。われわれが一斉にゴミ扱いし、焼却炉送りしようとしている古き伝統の日本を、焦って拾いあげようとするのは意外にも価値を分かっている彼等だったりする。やや情けない気持ちがしないでもないのだけれど・・・ ↓クリック
2006年11月27日
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安倍首相、渋谷でショッピング・シャンプー、入浴剤、辞書も 安倍晋三首相は26日午後、東京・渋谷を訪れ、ショッピングを1時間半近く楽しんだ。この日、引っ越しをした首相は昭恵夫人を公邸に残し、百貨店でブレザー、スラックスなどを試着、購入した。一般客に支払い方法を聞かれ「カードです。普通は家内(が払うの)ですが」と応じる場面も。 お目当ては首相公邸で使う新生活グッズ。大型雑貨店でシャンプー、入浴剤からホチキス、ボールペンまで買い、書店では国語、漢和、英和など各辞典をそろえた。店外では予想外の首相訪問に驚いた買い物客らの握手攻めにも応じ、親しみやすさをアピールしていた。 (22:09) 日本の首相なんだから、せめて電子辞書ぐらい使いこなしてほしいかも。便利だよ。判断に切れ味がでるかも。
2006年11月26日
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アメリカのヤフーもやばいのか?訳が分からない。ここも、google比でなんと25%へ凋落だ。あまり、日本人も騙されないようにしないとな、、、An internal document by Brad Garlinghouse, a Yahoo senior vice president, says Yahoo is spreading its resources too thinly, like peanut butter on a slice of bread. Full text of the document is below.↑クリック凄いこと言うとるぞ。白旗みたな取り方されたらどうするのだろうか?おわっとるみたいやなあ。
2006年11月26日
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宅間守の事件があったとき、この事件はどのように少数であっても内面で宅間を喝采する連中が社会に存在するだろうという予感がした。予感は、的中してマスコミの連日の激しい騒動ぶりにもかかわらず、宅間と獄中結婚したいと申し出る女性たちまで続々登場するという倒錯した現代人の内臓を露出せんまでのありさまだ。それどころか、しばらくわれわれは唖然としながら宅間守を踏襲したかのような犯行まで報道が垂れ流されるのをみている情けなさだったではないか。宅間は、刑法の秩序の元で死刑に処せられているが、これで片付く問題ではないことは自明だろうと思う。被害者の家族の痛み。それと殺された幼い子供たちの遺恨については、我々の社会は、いまだに清算されてはいない。しかし、現実には、見事に社会はそれらについての記憶を薄れさせている。あの事件で、何人の幼い命が奪われたなど、他府県で憶えている人すらいないだろう。大阪教育大学附属池田小学校に侵入した当時37歳の宅間守が、殺傷した児童は8名だった。1年生1名、2年生7名が殺害され、ほかに児童13名・教諭2名に傷害を負わせた。これほど、残忍非道極まりない事件も、社会は死刑判決とその執行で清算されたかのように皆平然と忘れてしまう。忘れていない人がいるなどと嘘を言っても虚しい。テレビなどがときおり気まぐれに取り上げるなど、憶えているうちに入らない。被害者の肉親は、いまだに立ち直れないほど酷い打撃を被っているにもかかわらずだ。なぜ「仇討ち」が禁じられているのか。むしろ、このほうが野蛮だろう。人ヲ殺スハ、国家ノ大禁(たいきん)ニシテ、人ヲ殺ス者ヲ罰スルハ、政府ノ公権ニ候処、古来ヨリ父兄ノ為ニ、讐(あだ)ヲ復スルヲ以テ、子弟ノ義務トナスノ古習アリ。右ハ至情不(レ)得(レ)止ニ出ルト雖(いえ)モ、畢竟(ひっきょう)私憤ヲ以テ、大禁ヲ破リ、私儀ヲ以テ、公権ヲ犯ス者ニシテ、固(もとより)擅殺(せんさつ)ノ罪ヲ免レズ。加之(しかのみならず)、甚シキニ至リテハ、其事ノ故誤ヲ問ハズ、其ノ理ノ当否ヲ顧ミズ、復讐ノ名義ヲ挟(はさ)ミ、濫リニ相殺害スルノ弊往往有(レ)之、甚ダ以テ相不(レ)済事ニ候。依(レ)之復讐厳禁仰出サレ侯。今後不幸至親ヲ害セラルル者有(レ)之ニ於テハ、事実ヲ詳(つまびらか)ニシ、速ニ其筋へ訴へ出ヅ可ク侯。若シ其儀無ク、旧習ニ泥(なず)ミ擅殺スルニ於テハ相当ノ罪科ニ処ス可ク候条、心得違ヒ之レ無キ様致スベキ事。 復讐禁止令(太政官布告第37号 明治13年)↑クリックから「仇討禁止令」青空文庫菊池寛へ 宅間守に到っては、被害者の7名の家族には仇討ちの相手を国に取り上げられて永久に遺恨を晴らすこともできなくなっている。この仕組みがある以上、園や学校から「いじめ」が無くなることはないと思う。とはいえ、現代に仇討ちの復活は不可能。アメリカの属国同然のこの国に、ましてや仇討ちという伝統を蛇蝎のように忌み嫌ったアメリカの日本に向けたネキリ Brainwashing の壮絶さは、祖母の体験などでみてとれる。赤穂浪士の名跡につながるというだけで、貧乏寡婦にGHQが行った笑うしかないような恫喝を考えれば、日本の戦後には私的な制裁や復讐が貫逐できるのは、それだけでなにがしかの特権的な地位を暗示させさえするほどだ。先祖の浪士の庶子がいるというだけの、貧乏母子家庭ならぬ、子沢山農家にまで鉄槌を打ち込むアメリカのその妄念が、我々に復讐のDNAを奪い去ったという理解で間違いあるまい。さらに、仇討ちという制度を維持させていた濃密な人間関係も社会関係もいまは存在しない。また仇討ち制度があった時代にすら、それがまっとうできた事例はきわめて稀だったのだ。さもなければこれほど、赤穂浪士の「義挙」が喧伝され、歌舞に取り上げられるまでの事態には立ち行かない。近松行重の形見の小袖、帷子を手にした経験からあの浪士の装束そのものがとんでもない虚構だというのは、幼いころに痛烈に思い知った。滅多に実行されず、実行されたことそのものが事件であるような仇討ち。その程度のものすら日本の社会の法規範の上部に位置した、心の姿勢。コモンローとして伝承も認知も機能することもできなくなった今日のわれわれの精神的な漂流はどこまでも行方定めぬ情けなさだ。 勘六には甚三郎という家僕がおり、浪人となった勘六は暇を出そうとしたが、甚三郎はあくまでも参仕するよう願った。勘六の行くところに常に従っている。討ち入り前夜には大石内蔵助に命じられて、瑤泉院に「金銀請払帳」その他の書類を届けている。討ち入り当夜は門外で周辺を警備し、赤穂浪士一行が泉岳寺へ引き揚げる際、甚三郎は祝意を表しながら浪士たちに蜜柑や餅を手渡して回った。後世、義僕と呼ばれた。家祖甚三郎が仕えたとされる近松行重
2006年11月26日
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Amazonで、300円で買った。ソレィシー母子の、「かならず役に立つ」シリーズが面白かった。自分のボロクーペのCDプレイヤーにほりこんである。日本語教室へ行きかえりするときに聞いている。たのしい内容なので、頭にすぐはいる。その割に、物凄く考え抜かれたすばらしい内容だ。購入した順番の逆に、徹底的に聞くようにしている。ようするにピンポンみたいに、体が動く反射みたいなノリで便利なキーばかりを集めてある。そのくせ、応用範囲が広い。初心者には、物凄く親切だと思う。それなのに、わずか投資はAmazonに300円なのである。下から順番に、購入した。上から順番に練習すると、メキメキ日常会話で使えるみたい。日本語教室で、重機メーカーのエンジニアにこれで通じてる。まあ、こちらが日本語の教師なんやから真面目に聞いとるわけやけれど、「意味、ちゃんと通じとるか?」と聞いたら「うん、クリアや」とのこと。アメリカの旦那は、自分と同年で結構がんこな奴。あまり、嘘はいわないタイプ。まあ、通じとったらそれでええねん。過去10年間に買った英語本の中で、いちばんこれが役に立ちそう。
2006年11月25日
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渡辺千賀シリコンバレーのコンサルティング会社Blueshift Global Partnersのファウンダー・社長として、技術関連事業での日米企業間アライアンスと先端技術に関する戦略立案を行っています。会社設立以前は、東京の三菱商事にて、大規模不動産開発向け情報システム企画開発、ソフトウェア・ハードウェアの事業企画、米国インターネット基盤技術ベンチャーへの投資に関わった後、マッキンゼーで戦略コンサルティングに従事。2000年からシリコンバレーに移り、事業開発と戦略立案両方の経験を生かし、頭も手も足も動くコンサルティング事業を展開しています。また、NPOのJapanese Technology Professionals Associationのファウンディングメンバー・代表として、シリコンバレーの日本人プロフェッショナルの支援も行っています。職歴* 三菱商事株式会社* マッキンゼー* ネオテニー学歴* 東京大学工学部都市工学科学士* スタンフォード大学MBA趣味* 読書(脳神経学・動物生態・文化人類学など)* スキューバダイビング* ゴルフ* スキー(クリックで渡部千賀さんのサイトへジャンプします)【2005-03-25 のFBHNTアーカイブスです。】皆さん、ご存知の渡部千賀さんという社長さんの有名サイト。そこここに凄い英語学習のスキルが全公開されている。なにせ、「英語学習負け組」のわたしが手探りでいま一番旬な英語学習法をと探しに探して、体感上現在流通している英語学習法でもっとも妥当かつ秀逸なものを選ぶとこの方の方法論だと思った。最高である。でも、10年前や20年前にこんな方法を教えられていても今ほど環境は整っていなかったと思う。この時代に、教えられて状況にも恵まれているわけなので、ちょっと頑張ってみようとワクワクする。(クリックでジャンプします)(1)まず最大の鉄則は「読む」「聞く」「読んだことがないものは書けない。聞いたことがないことは話せない」。日本の中学レベルの英語が大体マスターできたら、後は「読む」と「聞く」に注力すべし。感覚的にいうと、必要な時間は「読む」=「書く」の10倍「聞く」=「話す」の10倍(もしかしたら100倍といってもよいかも)はっきりいって「英会話のレッスン」とか「英作文」は殆ど無駄。英語は数学のようにクリエイティブに解を導く学問ではない。聞いたことのある言葉・文章、読んだ言葉・文章から、必要なものを引っ張り出してきて、適当に組み合わせて「話す」「書く」のだ。たくさんの言葉・言い回しを知らないとだめ。さもなければ、Garbage in garbage out(入ってくるものがゴミなら出ていくものもゴミ)だ。というわけで、聞く・読む方がずっと重要。特に日本人では読み書きは何とかなっても、究極的に「話す」「聞く」ができないことが多いので、以降「話す」「聞く」に特化して勉強法を説明する。しかし、この渡辺千賀さんという社長さんはなぜこんなに親切なのだろうか。このプログに公開されている内容だけでも、英語学習の講演会でさんざん稼げるようなレベルの高い内容だと思う。たぶん、たっぷり所得を取れているのでバカな英語教師が失業するような質の高い英語学習法をわれわれの為にダンピングしてくれているのではないか。そんな気がした。(クリックでジャンプします)(1)ヒアリング上達方法会話英語スポーツ論に則り、リスニング力強化トレーニングを筋肉トレーニングと比較する。筋トレを行う際には、どの筋肉を鍛えるのか意識して行うことが肝要だが、リスニングも一緒で、「どの単語・どの音を聞き取っているのか」を意識して聞くことがとても大事。(逆に、意識してリスニングの練習をしないと、中々上達しない。大人になってからアメリカに住み始めると、何年たってもリスニング力が殆ど向上しない人がいる。これなどよい例。よほど耳がいい人でない限り、英語に浸って生活するくらいでは、思うように聞けるようにならない。)では、どうやって「意識して単語を聞き取る」のか。一番よいのは、a. 映画・テレビ・ラジオなどを5分程度、録音・録画する(もしくはDVDなど入手)b. その中で話されていることを全部が文字にしてあるスクリプトを入手(映画だったら、DVDで英語字幕、アメリカのテレビだったらclosed captionなど)c. スクリプトを見ながら、その全ての単語が聞き取れるようになるまで何度も聞く「キャプションを見ながら聞いてはいけません」などという教えもあるようだが、私自身の経験では「聞き取れないものはいつまでたっても聞き取れない」ことが多い。よって、迅速な上達にはスクリプトを見ながらの方がよい。ただし、字幕なしで聞き取れるようになるまで執拗に何度も聞く。これを一週間で一教材(つまり5分のものを一つ)こなしていく。2-3ヶ月で見違えるような成果があると思います。実験してみたのだが、一作目の「マトリックス」のDVDが平易でとっつきが良かった。割合にゆっくりとセリフを言ってくれるシーンが多く、しかも映画のすべてを網羅したスクリプト本が書店で簡単に手にはいる。DVDも相当安く売られているし、ビデオショップでも棚落ちしたものを500円ぐらいで売っている店もあった。DVDは、あのVHSと違い中古でも傷さえなければなんど繰り返して見てもメデアが劣化することはないのでありがたい。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp
2006年11月25日
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Re[1]:日本の危機管理能力???(11/21) kaiser1さん kyohagiさん>災害対策も勿論大切なんですが、なんだか、国自体が空中分解しそうな 気がしてなりません。-----うすうす感じていると思いますが、もう、日本という国が壊れはじめていると思います。ただ、沈黙を保っている日本国民が多数だと思います。過去の日本の歴史では、群雄闊歩した人たちが、自然に沸きあがってきていましたが、今の日本では敏感に感じている人たちが、ブログなどで警鐘を鳴らしていますね。(2006.11.23 18:39:11)滋賀に赴任してきたのは、90年代のベンチャー支援者団の中で怩懇にしていた社長さんの支援者が斡旋してくださった。その会社が湖北にあったからだ。まわりが驚いた。なにせ滋賀出身の両親がいるにもかかわらず、過去には一貫して滋賀を蛇蝎のように忌み嫌っていた自分が豹変したからだ。従兄も呆れていたらしい。滋賀も南部になると、北部を滋賀だと思っていないらしい。北部の不良少年たちは、窮屈な地域から羽を伸ばすにはやはり、愛知岐阜へ出向くらしい。寄るとさわると、名古屋市内や岐阜県下のキャバレーで遊んでいる自慢話をしている。あの有名を馳せた雄琴のソープ街も、往事を知るものからすれば、もはやゴーストタウンのような言われ方である。そんな滋賀には、やはり決定的な魅力がある。この途轍もない規模の水源である。これは滋賀には過去には御荷物であったかもしれないけれど、想像を絶する資産であることはもう明白だ。琵琶湖である。まもなく同重量の原油よりも遥かに高騰しかねない時代が目前だと思う。なにしろ石油が切れてもしばらくは生きられるが、水を欠かしては一週間と生きていくのは困難だ。しかも化石燃料とは違い、琵琶湖の水源は雨水でとりあえずは補充されて滅損をすることは、現状想定することは必要ないだろう。放射能汚染などの大規模災害においても結局は、水の大量投入と洗浄しか術はない。二十歳台の頃スペイン内戦のルポルタージュを読んだ。防疫戦になる事を想定している組織しか生き残れないと確信した。ハイテク戦は、せいぜい数時間。通常兵器ですら、精々一昼夜。早くても8時間ぐらいだという。防疫戦は、下手をすると何ヶ月も続く。戦争でなくても、巨大災害でも同じことで、阪神淡路大震災では、あの瓦礫の中で、福原の娼婦たちが落ち込む経営者を尻目に営業再開を始めた。われわれも、基本は生き物なのでそのような植物的な、木草的なまでの原始生命に戻ってやり直すしかない。都市化は、いつもそのような可能性をより濃厚に窮めるという運動で、これは今極相に近いと思う。つまり、戦争であれ災害であれ防疫戦なのだ。阪神淡路震災で生き残った友人たちは、腐ったおにぎりを食べざるを得なかったとのちに語っていた。つまり、生き残るということはそういう生活を想定して準備をするということを意味し始めてきている。防疫戦は半年、一年と尾を引く。ここで勝ち組、負け組みが決定してしまうという情けなさが現実のものだと思う。東京などひとたまりもありますまい。維持できているのは、東京が現状ではまだ妙味のある経済圏であるからだ。幸運にも巨大災害が起きなくても、テロの不安は消えるものでない。いつまで持ちこたえ続くことやら。地方に行き渡る広域社会の脆弱化が、反転して都市を痛撃するだろう。光ファイバーが、風に揺られて自然破断するなど笑うしかない。まさしく象徴的な出来事だと思うものだ。
2006年11月25日
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先日、関西電力系のケイオプチコムの光ファイバーが破断したという話題をした。よりによって風にふかれて、揺られてゆれて。風にゆれていいのは、たまゆら1/f氏のたまふぐりだけだ。恥を知れと、言いたい。今日は、別件でバイク用のバッテリーを取り寄せて交換していたら、当然電源にプラスとマイナスの端末がついているのだが、ボルトナットが装着できない。バッテリーとしても使える使えないという以前に、もはや工業規格をみたしていないような端子が樹脂に挿入されているのに驚いた。これをメーカーと応酬せずにそのまま取り付けている人もいるのかもしれないが、それでは走行中にハズレるとか、または接触不良で漏電するとか、おかしなことが派生してくるのではないか。これが国際化というものなのだろう。日本の製品といっても、どうせ中国製品に旧来の日本メーカーが商社的に介在して作らせているのだから、当然抜き打ち検査レベルの不行き届きで消費者にはこうしたデタラメなものが届く。国際化というものの正体と痛感した。日本語教室で、言葉を教えた教えられたという程度の市井の努力でかたづく規模の事態ではないように思う。以前にも申し上げたと思うのだけれど、・・・などと愚痴っていたら、郵便物。開いてみると、JAFの新しい会員証。おお、年次更改の分だが、これぞ「神の啓示」さっそく滋賀の窓口へ電話をした。なんと30分でやってくるという。大阪では考えられない早さだ。そこでお茶を沸かして、待つことにした。と、湯が沸騰するまえにもう玄関先に、JAFがすっ飛んできた。こういうところは、滋賀は気合がはっている。いや、交通の便がいいだけなのだけれど・・・これまた威勢のいいJAFのおやじさんで、道具をわんさか使いわけて自分ならば3日もかかりそうな、つまらない作業をてきぱきこなして帰っていった。凄い。どうも、錬度というのはあなどれない。ケイオプチコムの光ファイバー設置の連中よりも、バッテリーメーカーの品質管理の兄ちゃんよりも、JAFのロードサービスの仕事が遥かに抜きん出ている。分かった。日本の再生のキーワードは、「錬度」だ。これしかない。
2006年11月24日
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「高収益構造の確立」 日立製作所の古川一夫社長は、16日の経営方針説明会で何度もこの言葉を繰り返した。しかし、大胆に事業を見直す姿勢は見えず、従来の経営方針のマイナーチェンジにすぎない、との感は否めない。2007年3月期に550億円の最終赤字に転落し、創業以来の難局に直面しているだけに、今後、より具体的な経営再建策が求められそうだ。 重電3社のうち、東芝と三菱電機はすでに、家電から原子力発電まで幅広く手がけるビジネスモデルが手詰まりになっていると判断、大胆な事業の「選択と集中」を実施。東芝は半導体、原子力発電などの社会システム、家電を主力3事業と位置づけ、関連の薄いグループ会社は、黒字でも売却するなど切り離している。三菱電機は、安定収入が見込めるFA(ファクトリーオートメーション)事業に経営資源を集中。両社は、総花的事業展開から転換を図ったことで、業績を回復させている。 両社の経営状況を市場も好感し、株式時価総額でも重電3社の中でトップを走っていた日立を一時、東芝、三菱電機が追い抜いている。 日立にとって重荷となっているハードディスク駆動装置(HDD)、薄型テレビ、電力システムの赤字3事業について、今回の経営方針では07年度の営業黒字化を公約している。だが、具体的な策は見えてこない。 重電3社は多数のグループ会社を抱えている。東芝は約400社、三菱電機は約200社だが、日立は885社と東芝の2倍以上にのぼる。 抜本的な事業再編は待ったなしだが、事業やグループ会社の絞り込みに手間取り、これまでは有効な再建策を見いだせないでいた。 今回、日立は連結子会社を700社程度まで削減するとし、「聖域なき事業の再編と見直し」を掲げた。独自の経営指標に基づき、2期連続赤字の事業については原則、2年程度で撤退させる方針だ。 赤字を垂れ流しているHDD事業などの撤退について古川社長は、「HDDだろうと、薄型テレビだろうと(対象事業に)含まれる」としているが、どこまで実行できるか。今後、その実行力が問われる。 ここまで窮地に追い込まれた要因に、巨大組織ゆえの意思決定の遅さが指摘されている。古川社長はシナジー創出をさかんに訴えたが、縦割り組織でのシナジー創出の実現性は疑問視されている。 もしかして、時価総額換算googleの8分の1じゃなかったっけ? お間抜けな従業員は、そのgoogleの40倍いるけれど、、、きっと優秀な大学でているから物凄くお給料高いんだわ。 でも、眩いまでの世間的ブランド企業だから、再就職先は不自由しないだろうけれどね。待遇は、結構厳しいかも。 でも、いまからシナジーってどうするの。ハードディスク内臓の洗濯機つくるのかな?もしかして、超小型原子力起動で吸引力抜群の掃除機つくるのだろうか。 むかし、パソコン通信時代にニィフティのオフ会で日立製作所の欽也さんが来て言っていた。 日立製作所の運動会は、職員が成績集計するんだけれど全員がパワーブックだって。いいんだもんね。アレ、使いやすいからね。って、自慢しあうんだよって言っていた。特に、パワーブックの普及が凄いのは、フローラ販売部隊だって。自社製パソコンの営業成績をアップルコンピューターで集約しているんだけれど、やっぱり使いやすいパソコンはいいって皆意見が一致していると言っていたもんねえ。呆れるより、その高給ぶりが羨ましかった。一台30万も、40万もするアップルのパワーブックを皆で買うなよ。クヤジーい。 あとで、友達の飲み会に来ていた東芝の部長さんにその話をしたらおもむろにカバンから取り出したのが、、、、、パワーブックだった。自宅には、SE30から歴代並んでいると威張っていたんだから言う事なし。
2006年11月24日
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↑クリック自分が、中学3年時代にクラスに気になる女の子がひとりいた。まあ、気になるといっても憧れていたわけでもないが、同級生にしてはやけに艶っぽくなにごとにおいても恬然として涼しいので好感をしていた。まあ、中学も3年になれば色気づいて性的な関心も強くなる時期なのだが、あの時代は馬鹿みたいに自身の性欲を直視する文化が無かったので、見事に同級生はその種の関心の対象にはならなかったというような事情もある。まして彼女は、ただ美形な女子中学生という枠を越えていた雰囲気がある。いま思い出しても、中学生という枠組みから外れていて成熟した女の人の先駆的な雰囲気があった。彼女が、面白いのはあの日本国憲法を丸暗記しているのである。これは面妖な。周りにいた生意気なおにいちゃん達が、皆引いてしまっていた。正体が分からないものは、とりあえずパスしておこうというような気分だろうか。なにごとにも遠慮のない大阪の下町の子でも、やはり少々ちょっかいし難い雰囲気というゾーンはあるものなのだろうと思う。卒業前に知ったのは、彼女は腎臓に重篤な病気を持っていてつねに健康について厳しいハンデを背負っていた人らしい。まあ、彼女の存在もあって少しは真面目に日本国憲法を読んでみたような記憶があるのだが、どうもアレは良くない。贔屓目にみても、何が書いてあるのかが直裁に理解できなかった。頭が良くないのも手伝って、暗唱するのは諦めた。自分は、嬉しくも悲しくもなく気がついたらば平和憲法下のアメリカ万歳文化の直下で産まれて育った。渡部昇一の造語によれば「敗戦利得者」という層の市民が存在するのだという。そうか、敗戦利得者の子女というジャンルが存在したのか、などと回想してみた。なぜか、ありがたそうで眩しかった。彼女を思い出しながら、そんなことを思った。敗戦利得であろうが、なかろうが彼女そのものにはなんの関係もないことは自明だ。20年ほど前、大阪上六の深夜。うどん屋でひとり食事をしている姿をみかけた。その後も、健やかに暮らしてくれていればいいのになと思っている。
2006年11月23日
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「元々中国と韓国は仲が良いわけはない。歴史的に見てもそう。中華思想を展開していったときに、朝鮮半島はそれに飲み込まれた。それで根底の部分で反中感情がわだかまっている訳ですよ。両国で近代的ナショナリズムが発展するにつれて、それが表に出始めてきた、ということ」なにか、揉めているらしい。韓国が、漢字の発明起源であるの、孔子が韓国人だのというのは笑っておればいいのだがその動機は一体なんだろう。最近、テレビにはまるで興味がないので表の話題は宮崎哲弥あたりの鈍いまかないメシのような論評でたりる。その辺は、正直どうでもいいのだが、矛先が日本から微妙に中韓相互の露骨な民族意識というにもお粗末なレベルのチンピラ並みの「夜郎自大」に移ってきているこの理由はなんだろう。個人的には、底流の仕組みに興味が湧く。かつて中国で「批林批孔」という激しいキャンペーンがあって、林彪失脚劇にまで一気に動いた。林彪は、いまでこそ無名の人のようだが、当時共産中国を代表する大立者だったが、ミサイルで瞬時に、焼き豚にされてしまう。後には江青女史ら、四人組が角逐される大きな動きだ。
2006年11月23日
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1940年 3月6日 大阪市豊中区に生まれる。 1952年 豊中三中に入学。レスビギ先生(住吉先生)の授業を受けるが、当時の松本は英語そのものには強い関心を示さず、長兄の幸宏から英単語のスペルの特訓を受ける。 1953年 英語の授業で文法が分からなくなる。 1954年 夏休みに映画「シェーン」を見て感動。蝉取りに行ったとき「あんた誰?」と言ったおばさんに対し、シェーンを意識して「アイム・マツモト!!」と答える。おそらく学校の授業などを除き、日常生活で英語を話したのはこと時が初めてではないか。 1955年 高校に入学し、初めて外国人の英語の先生と出会う。他の生徒は中学時代から外国人教師だったので聞き取りで差がつく。ハービン先生の「Get out!」が聴きとれず「ゲラって何や?」と級友に問う。 12月3日、初めてハービン先生に英語で話しかける。Would you mind giving me your picture? 1960年 9月24日 当時の土曜ESSの司会者舘沼氏の英語を初めて聞き圧倒される。10月8日 「機関銃の永田」永田清氏との出会い。永田氏は当時卒論の英語のスラングのことを書いていた。後に英語道場での良き参謀となる。1961年 12月23日 土曜ESSの司会者舘沼氏が、司会者の椅子を松本に正式に譲る。松本将軍の誕生。このころ、うなぎ釣り店のおやじのサバイバル英語に完敗。 1962年 11月16日 映画「宮本武蔵」を観て衝撃を受ける。松本の人生の中で最も重要な日となる。 1963年 1月某日 BTGの新年会に岩田静治氏現れる。BTGの看板を守ると心に誓い、岩田氏を佐々木小次郎とみなす。8月13日 知人から「五輪書」をプレゼントされ、初めて「五輪書」を読む。松本の英語学習のバイブルとなる。12月2日 このころから英語の基本は、GiveとGetであるとひらめく。 1964年 9月1日 国際親善柔道大会で通訳を務める。アントン・ヘーシンクに、神永が負けて金メダルを取られる。 1965年 4月11日 小堀南嶺和尚との出会い。自らの「道」は「術」であったことを知る。初段に昇段。「私の英語に心はありますか?」とたずねるが、「自分というものの考えがぐらついている」と言われる。1967年 5月12日 初めて同時通訳を目のあたりにする。妻が松本に同時通訳に関する新聞の切り抜きを見せる。その日の晩、テレビで國弘正雄氏の同時通訳を見て、度胆を抜かれる。 1968年 3月12日 「宮本武蔵」を読み終える。自らの英語の剣が武蔵のそれに「心」という面で近いと知り感銘を受ける。それが同時通訳武士道論につながる。 7月26日 父を通じて松本亨氏に会う。 9月21日 松本亨氏と再会見。「I am a good judge of people」と言われた。 松本道弘さんのおもしろさは、柔道家として打ち込んでそのエネルギーをそのまま英語習得に転じられているところ。普通の人が、そこまでいくには何か躓いてしまうものだろうと思う面があるけれど、見事に壁を打ち破ってほとんど挌闘家のテンションで突き進んでおられる点。 思想の善し悪しではなく、唯一無二のギリギリの選択という「迫力」には敬服せざるをえない。 なにせ、師とも仰ぐ西山千氏から私塾の「英語道場」を切り上げ、同時通訳に集中しろと再々アドバィスを受けながら、ついに意思を通しぬいた不退転さとか、よりによって吉川英治の「宮本武蔵」で英語に取り組むという発想が凄い。背負っているものが、個人の生活レベルのものではないことが、その英語道に独特の迫力を与えているのだと思う。 学ぶべきことは、多い。 56 名前: >54 投稿日: 2000/04/08(土) 04:05私は松本道弘ディベート塾でディベートを教わったことがあります。 (まあいろいろありまして) 松本流ディベートは、1つの議論に1つの反駁を返さないと マイナス1点という、不思議な計算方法を採用していました。 スポーツやゲームとしての議論って感じですか。 私としては、結果の相対評価で良し悪し(勝ち負け)を決めるほうが 現実的だと思ったので、ぜんぜん納得がいきませんでしたけど。 例えば「携帯電話の電磁波でがんになる」と「携帯電話は友達とだべる のに便利」の論点が同じ1点じゃねえ。 松本流だと価値の重さはカウントされないので、くだらない論点を たくさん論破したほうが、重大な一点を潰すより点数があがります。 やっぱ今でも納得いかないや。 でもやはり、松本教信者はそこにもいました。
2006年11月22日
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ここの処、英語の達人の本を次々と読む癖がついている。 ほかならぬ「英語の達人」(杉田敏 編著)も、このあいだ御薦めしてさっそく たまゆら1/f氏も読んでいる。なかなか面白い対談集だったが、今回の「英語が泣いている」も面白い。これは、内容的にも杉山巡先生にも、読んでいただければと思う。どこの地域の図書館にも置いてあるぐらいポピュラーなものだと思うが、大変面白い。日本の企業の内部の風景も少し伺える。驚くのは、この松本道弘という人の日本人離れした性格だ。物凄くストレートで、実名で平気で回顧している。話題にされた相手は、沈黙しているのだろうか。豪快な時代証言だと思いながら、一気に読まされてしまった。東後勝明氏の「英語ひと筋の道」にも感動したが、杉田敏氏、ヴォーリス氏、山下元利氏、・・・もう皆壮絶な努力の人ばかりだ。尊敬する坂井三郎氏だって、娘さんの亭主に平気でアメリカ人を据えている。ひとつの言説に渾身の気迫を込めておられる人たちばかりだ。反米家とまでは言わないが、自分もこれだけアメリカに悪態をついているのだから、奴らとディベートのひとつや二つはこなせるほどでなくてどうするのか。そう心底思った。 「あかん」このままでは恥かしくて墓に入れない。上達する、しないは別にして少しは努力ということをなし遂げてから墓にはいらないとご先祖様と、遺伝子の起源に渉るすべての故人に申し訳ないという気持ちが湧いてきた。たぶん、これらの書籍を自分の手元に引き寄せてくれたのは祖先の霊というものだろう。ちなみにこの「英語が泣いている」というタイトルは、あの「銀が泣いてる勝負師カタギ」から来たものだろうと思う。関西人ならば、ピンとくるあのおさだまりの啖呵だ。 左、関根八段 右、阪田八段
2006年11月22日
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Three years ago, I started writing a screenplay about the assassinationof Robert Kennedy, caught up in a strange tale of second guns and"Manchurian candidates" (as the movie termed brainwashed assassins). As I researched the case, I uncovered new video and photographic evidence suggesting that three senior CIA operatives were behind the killing. I did not buy the official ending that Sirhan acted alone, and started dipping into the nether-world of "assassination research", crossing paths with David Sanchez Morales, a fearsome Yaqui Indian.Morales was a legendary figure in CIA covert operations.According to close associate Tom Clines, if you saw Morales walking down the street in a Latin American capital, you knew a coup was about to happen. When the subject of the Kennedys came up in a late-night session with friendsin 1973, Morales launched into a tirade that finished: "I was in Dallas when we got the son of a bitch and I was in Los Angeles when we got the little bastard." From this line grew my odyssey into the spook world of the 60s and the secrets behind the death of Bobby Kennedy.↓クリックhttp://www.guardian.co.uk/usa/story/0,,1952393,00.html↓クリックhttp://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/newsnight/6166806.stm
2006年11月22日
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厚生事務次官・岡光序治の黒幕と厚生大臣の姻戚関係 埼玉県内の建設業者66社が土曜会という談合組織をつくり、県内の建設事業をたくみに振り分けていたが、それがバブル崩壊と共に、91年から明るみに出はじめた。やがて92年には、土曜会内部に、「公正取引委員会の手入れがある」という警告が流れたため、自民党の "独占禁止法に関する特別調査会"の会長代理だった中村喜四郎に白羽の矢がたてられ、うまく公正取引委員会に取りなしてくれるよう、1000万円が届けられた。そして、その思惑通り、公正取引委員会が、不正な取引を公正と認めるという判断をくだして、事件そのものが闇に消えてしまった。 ちょうどその時期にあたる91年暮れに、埼玉県の彩福祉グループの小山博史代表から、厚生省の"老人保健福祉部長"だった岡光序治に、950万円相当のゴルフ会員権が贈られていたのである。 岡光夫妻への乗用車提供、北本市で「桃泉園」設立と共に岡光夫人の理事就任、岡光への現金2000万円提供、岡光夫妻のマンション購入、岡光への4000万円提供、岡光マンション改修費用をゼネコンが負担、薬害エイズ渦中の厚生省で晴れて岡光序治事務次官の誕生、という経過をたどってきた。 岡光序治は、逮捕されるまで、長らくシラを切り続けた。しかも、岡光が賄賂6000万円を受け取りながら退職金6000万円を受け取るのは官僚の職務として当然だ、という厚生大臣・小泉純一郎の説明に、国民の怒りが爆発した。 彩福祉グループの小山博史代表が、かつて総務庁長官・玉置和郎の秘書だったことが、 - 大きな意味を持ってくる。玉置和郎は、ありとあらゆる暗黒事件で名前が出たように、誠備グループの加藤と組んで莫大な利益を手にしてきた人物である。 埼玉県福祉施設の事件で、いまだに名指しされていない最大の責任社(黒幕)は誰であったろう。それは、茨城県と同じように、県内をゼネコン事業で埋めつくした知事の土屋義彦であった。 土屋知事は、 - 大蔵省代表日銀政策委員・大橋宗夫の一族であった。大橋は、 - 祖父が"ライオン宰相"浜口雄幸であり、高橋治則の一族だったことになる。東京・埼玉・茨城へとつながるすさまじい自治体の腐敗メカニズムが、こうして編みあげられてきたのである。 岡光序治をかばい、不正官僚などまったく存在しないかのように、言葉に迷彩をほどこし、とぼけたこの男は、一体何者であろうか。小泉純一郎の父・純也は1964年の防衛庁長官であり、60年代には高額所得者として名を連ねていた。祖父・又次郎は、正確には純也の養父にあたる人物で、満州事変を起こした1931年の若槻内閣で逓信大臣をつとめ、戦後は公職追放となった。 さらに小泉厚相の義兄・豊島格が、資源エネルギー庁長官として、80年代の原発推進政策を大きく前進させ、その後、実業界でアジア石油社長、コスモ石油副社長を歴任したのち、93年にはついに日本貿易振興会の理事長として君臨するまでになった。 小泉純一郎の一族には、このほかにも薬物利権に関連する職業の者が目につき、昨96年に発覚した医療業者からの献金問題と、91年に医療基本問題調査会長であった彼の履歴は、かなり根の深いものであると考えられる。さらに、祖父時代から郵政業界につながりがあり、92年に宮沢内閣の郵政大臣となったことを考え合わせれば、背後に壮大な人脈がみえる。 岡光序治が収賄容疑で起訴されたのは、彩福祉グループから6000万円を受領したためであった。この福祉グループの大株主だったのが、日本病院寝具協会の理事長・村田士郎であり、その協会の会長が小泉純一郎本人であった。この協会傘下の政治連盟から、小泉と橋本龍太郎が多額の政治献金を受け取っていた。 彼らが大臣になったのは、能力があるためではなく、背後に大きな力があったからである。しかもそれは、歴史的に奥の深い姻戚関係から出てきたものである。
2006年11月21日
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郵便事業、200億円超の実質赤字・郵政公社の今期見通し 日本郵政公社の2007年3月期決算は、手紙や小包を集配する郵便事業の最終損益が200億円超の実質赤字になる見通しとなった。当初は56億円の実質赤字を見込んでいたが、集配商品の増加などで配達コストが膨らみ、赤字幅が大きくなる。郵便事業の実質赤字は4年ぶり。07年10月の郵政民営化を前に郵便事業の不振が浮き彫りとなり、郵政公社は一段の合理化を迫られる。 07年3月期の決算見通しは22日発表する。 (16:01) また、また。こんな大嘘ついて、酷いものだねえ。だれがそんな話を、額面どうりに真顔で信じるものか。子供だましの、コンコンチキだ。クロネコヤマトが、羨ましがる高収益の切手や郵便を扱っていてなお200億円の赤字だなどと・・・よくよく裏の郵貯の焦げつきを隠すのにおおわらわだな。しかし、ついに奥の手を出し始めたという風にも見える。 芸の幅もとりどりで、おおむこうから「役者じゃの~」と声もかけてみたい。ほとんど郵貯は、財投だなんだのとテクニックをつかいまくって、アメリカに貢いだまま「帰らざる河」を渡っちまったのだろう。財投などという世をたばかるカバーストーリーに粉飾して、さっさと郵政のポチがアメリカ国債を買わされてきたのは、元中小企業金融公庫のキャリアから、さんざん聞いて知っている。政府系金融機関OBが講演会の、十八番にする程なのだ。郵政内部でも知らぬものなぞ、いないだろう。この国の、ポチどもはもう根こそぎ星条旗にくるんで太平洋に沈めるべしだね。
2006年11月21日
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86年5月号「天皇を守ったアメリカ人」が掲載されている文藝春秋に、興味深い記事があった。山下元利についてのもので、対談である。すでに他界して10年を過ぎるが、二階堂擁立劇の前後田中派の中でも異彩を放つ人物としてどこか気がかりな存在であった。滋賀選出の衆議院議員ということも理由のひとつだったかもしれない。対談の相手は、あの伊藤昌哉氏である。この政治家は、たまたま友人の女性が、山下夫人の関係する組織の末端で仕事をしていたこともあって、とんでもなく上層で生きている人だという実感があった。しかし、伊藤昌哉氏との対談で知ったのは、父親が建具職人で字もかけないという無学な人だったという述懐と、その父上が政治づいて幼い妹、弟を託し平然と朝鮮へ出奔してしまうというくだりである。そもそも京都一中一年の時に、母親が他界し父親が右翼壮士活動で知り合った大学生に預けられるなどという破天荒な十代を過ごしている。そんな中で、よくぞ弟、妹の面倒をみながら苦学して専門学校入学資格検定規定による試験で、当時の最年少検定合格者として新聞に報道されるほどの秀才としての面目を果たす。秀才は、秀才であるにしても常人では覚束ないほどの集中力。つまりは刻苦勉励の努力の人なのだろうと思う。その二年後に、一高文科甲類に17歳で合格する。東大法学部から、大蔵省入省という眼をみはる栄達を果たす。この人の頑張りも凄いが、そのあとのエピソードでまた驚いた。山下元利が、政界に進出したきっかけは39年4月の堤康次郎の死去にかかわっているのだそうだ。なるほどと思われた。空席となった選挙区に、束ねと頼みの代議士候補に誰をもってくるのか、と思案にあぐねた堤清二が大蔵省事務次官に後継者を相談する。そのときに、山下元利と青山俊を推薦するときた。青山俊が、拒絶するもので堤清二が、池田隼人に山下元利の人となりを訪ねる。池田は時の総理大臣であった。池田隼人は、山下元利を強く推薦したのだが、べた褒めモードだったらしい。「あれは官僚としても一級品だが、政治家としても最高だよ」と、まで言われたらしい。普通ならば、ここで決着だろうと思う。そこが、滋賀県という地域の独特さだろうか。選挙区がまったく動かず、そっぽをむいたというのである。いや、滋賀らしい。つねづね父親、母親から滋賀を聞いて知っていた。噂にたがわぬ、というのか体感どうりである。困り果てた堤清二が、いたしかたなく自民党幹事長であった田中角栄に頼み込みようやく選挙区に収まりがついたのだという。なんと、キャリア官僚で苦学勉励の人にして、代議士になるにつきこれほどの座りが悪い。そんな地域なのである。しかも、山下元利は選挙で当選するとギリギリまで確信がいだけなかったという。42年1月の総選挙ではビリか、へたをすると次点だとすら周囲にいわれて終生その時のことを思い出すと夜に眼が覚めるほどの苦境だったらしい。幼いころに母親を、亡くし父親には裏切られもっともキツいところから、国政へ。田中角栄の評価が高かった理由も、その辺にあるのかもしれない。そんな政治家も、いまは鬼籍に入っている。いや、ここで痛感するのはなんともはや滋賀県という地域の排他的なること。さながら鉄板のようである。義明と清二で、康次郎が没後、当時広島国税局長だった山下元利(故人)という人物の知遇を得て、相続税を最少限に押えるための"節税工作"を依頼した。その結果義明と清二の相続税は数百万円だったという。そうした因縁で山下元利に康次郎の選挙地盤を継がせることになったが、困ったことに、当時は佐藤栄作の秘書官を勤め、大蔵省銀行局長で退任した青山俊を康次郎の地盤から出馬させる約束があり、義明と清二は佐藤栄作に"手土産"持参で謝りに行った。すると佐藤栄作は「じゃあ西武が青山の面倒を見ろ」と言われ、青山俊を西武の息のかかった滋賀銀行の顧問に据えると同時に、「西武流通グループ」の当時の「西武都市開発」社長に就任させた。康次郎の選挙地盤を継いだ山下元利は衆議院議員として田中角栄の秘蔵っ子として将来を期待されたが早死にしている。義明は、1987年頃、米国の有力経済誌『フォーブス』で世界一の富豪と書かれたことがある。同誌が試算した義明の資産総額は、210億ドル(日本円で3兆1,500億円・当時ということで、9位にランクされていた松下幸之助の資産総額は20億ドル(約3,000億円・当時)で10分の1だった。しかし両者の納税額は、義明が2億4,468万円で松下幸之助が6億9,761万円で義明の約3倍だった。
2006年11月21日
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日本語教室で、平素はあまり生徒の根気が続かない。顔ぶれで数回参加するとやめるという恒例のパターンがあった。ところが、8月ぐらいからやってきた兄弟がまじめで皆勤でくる。すると、不規則参加のブラジル移民労働者の中でも学習意欲が高い人たちだけがまとまってきた。それでも4人がやっとだが、自分が維持できるのもその程度なのだ。毎回、休まずに参加する顔ぶれというのはむしろ貴重で周囲のボランティアからもうらやましがられる。ボランティア活動も、相手に恵まれなければ維持できない。無償といっても、成立するにはあちら側の士気も大いに関係する。一方的な指導の垂れ流しはありえないのである。義務教育とは訳が違う。それで、ずっこけひっこけしながらなんとかかんとかテキストが読める程度のひらがな、カタカナの習得が終わったところで、大手重機メーカーのエンジニアがやってきた。こちらは、同年輩の男性なのだけれど、さすがに日本語がまったくできないと仕事が退屈だろうし、さしせまって困ることも多いのだろう。教室にはめずらしくエリートの登場だ。英語でも、多少は疎通ができる。多少は、というのはこちらの力量の問題でボランティアでも大学の先生レベルとは、英語でかなり事情がわかりあえる。しかし、日本語の習得には自分のようにいっさい母国語を理解してあげない不親切なオヤジのほうが良い場合もある。そのエンジニアは、ボランティア側の大学の先生が休んじまったので、こちらのブラジル移民の兄ちゃん、おばさんに混じって自分のグループへ振り分けられてきた。うちとけにくそうに緊張していたのだが、そんな躊躇させているような自分ではない。ガンガン訓練モードで、二時間ぶっとおしで対話練習をいれる。かなり焦っていたようだが、ブラジル人側もエンジニアも相当緊張して必死で練習についてくる。実は、エンジニアがグループにはいってくるまでは結構だらけてダルい雰囲気になることも多かった。ゆっくりと話してあげなければ、スネルし、分からないというので停滞することも多かった。それなのに、エンジニアがグループにきたとたんに、私の方で用意していた教材で、ばんばん飛ばして発音練習、ロールプレィングを嵌めこんだ。焦っているのは、眼に見えるようだ。なのに面白いもので、ダルい雰囲気が皆無である。これは、ブラジル移民とアメリカ人エンジニアの相互の緊張感からくるものなのだろう。どちらも、負けてたまるかモードなのである。それほど難しい、キーエクスプレッションをやっているわけではないのだけれども、少なくともそれまでの週の学習内容や進行からすれば、明らかに猛烈なスパートを要求している。なんどもつまづいて、発音を間違えるのだけれど、まったくスネている気配がない。これは面白い。南米移民たちも、テーブルにアメリカ人エンジニアがいるだけで鋭敏に学習のメニューに食いついてくるし、エンジニアも恥かしいとか飲み込めないなどといって背中をみせる気配はない。むしろ、メニューのジャンプの程度は移民労働者たちよりエンジニアの方が高いぐらいだ。ちょっと、進み過ぎだとクレームもつけたいぐらいなのだけれども、殊勝にくらいついてくる。こういう雰囲気であれば、90分などあっというまに過ぎてしまう。
2006年11月20日
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朝から、ネット接続もメールも読めなかった。 がんがん追求して、復旧したのはなんと16時だ。驚いたことに断線らしい。光ファイバーの断線にちかい劣化だという。 そういえば、このあいだから妙な兆候が続いていた、デカい、有名サイトですらさくさくとデーターが落ちない。インターネットエクスプローラーに問題があるのかと思って、ネットスケープまで入れたのだがどうしても問題が解決しないようだった。すぐにCPUが暴走する。タスクマネージャーをみると内部でエクスプローラーが、うなりまくっているのがよく分かった。 聞くと、光ファイバーのケーブルが風で断線するまで摩擦で磨耗していたそうだ。まともに信号を伝達できなかったのだろう。調べると断線寸前だったようだ。 この地域で、光ファイバーなど使いたくっているのは自分だけらしいが酷い仕打ちだ。自分がここで使い出してまだ6ヶ月ほどにもならない。こんな簡単に磨耗劣化するような仕事で、天下の関西電力だというのだから情けない。しかも滋賀は、NTTもお手上げというのか採算性に問題があるため光ファイバーは、ドジでのろまの関西電力にまかせているみたいなふしがある。これは、周り回って都市部でも悪しき影響を生じることになるかもしれない。 なにしろNTTの電話を使っていたら強盗でも撃退できましたが、ケイオプチコムのひかり電話使っていたために強盗に殺されましたみたいなことが生じかねない。 見えざるコストを、よく考えておきたい。
2006年11月20日
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読み進めば進むほど、知れば知るほどヴォーリス氏(日本名は、一柳米来留と称す)という人物の才能と、にもかかわらずこの地域の厚い壁に阻まれた多くの困難、悲運さが分かってくる。しかしその人格は、それゆえにより一層陶冶されたもののようだ。実は、子供の頃にヴォーリスという名前を繰り返し母親から聞いていた。とにかく偉い人なのだといわれて育ったのだが、まったく理解を越えていた。まして小学生時代に、一柳米来留(ひとつやなぎめれる)などという、なんだかつかみどころのない名前をつけわが身を呼び為すという生活が到底理解できなかったのである。夫人が子爵小野藩一柳末徳の子女であるなど、と母親の不明瞭な解説を聞いただけでは50年代の魯鈍な小学生には、「ああ、あのみょうちきりんな帽子をかぶって手をふっているおばさん達の一味か」ぐらいにしか思わなかった。そもそもキリスト教信仰そのものが、わけがわからない。状況的に、大阪という街と自分には、とにかく何をしても疎通がよくないうえに、地域のキリスト教会というものが実にいかがわしくて気味が悪かった。地域差など、まるで理解ができない子供時代であるから、母親の郷里の偉い人など、実のところなんの興味もなかったのだ。ただ、寒い季節の国鉄の駅頭でであった浦谷道三氏のすがたがやはり初等教育年限の鈍い子どもの眼にも少し強い印象として残った。それに、浦谷道三氏は、それ以前からもそれ以後からもせっせと大阪の自宅に母親に向けてニュースレターや直筆の手紙を送りつけてこられた。筆まめな母親が、意外なほど熱心に返信をしているふしが無かったことが、怪訝な印象となったものだ。さらに長じて、自分が高校時代ぐらいになれば絶えることなく届くそのニュースレターや「湖畔の声」という会報を通じて、ヴォーリス氏が滋賀県初の商業高校である、県立八幡商業高校の英語教師をされていた、という事実を知り自分にとってのネガティブイメージが最高潮に達する。関東の方などは、その意味が理解できないと思う。高校とはいえ、八幡商業高校とは、普通の公立高校とはみなしずらいある種の超エリート校だった。親族にも、卒業した叔父もいる。それゆえに、自分は徹底的に毛ぎらいしていたのである。その「不愉快な思い出」の原因という風な印象がする時もある、よりによって八幡商業の教諭だなどと知れば、ますます自分の生涯とは縁もゆかりもない存在だという風に思ったものだ。しかし、これまでのところさまざまな雑誌や、WEB上に散在する詳細な知見を総合するとやはり瞠目をせざるを得ない凄しいまでの刻苦勉励の人であることは伺えるし、なによりも戦時下の虐待に耐えなお日本と日本国民、そして創業された会社、従業員、そして教会の信徒たちへ向けた愛情にあふれた人柄だったのだろうとよく理解できた。いくらでもアメリカへ逃げ帰る機会は、あったのだ。それを選択肢にされなかったのは、やはり「使命感」に生きる人というほか無い。昨年、あの解体騒動のあった豊郷小学校と、全国的に著名になった町役場を見学してきた。さすがに、両親が滋賀の産であるから、昭和天皇をしてヴォーリス氏に「いじめのありや、なきや」と誰何されたごとき現実が、概ねどこに所在していたのかぐらいの推量はつく。豊郷小学校の解体騒動の「騒然」を茫然と遠目で眺めながら、われわれの社会の現代史嫌いの膏毛ぶりにはつくづく嘆息せざるを得ない。googleで「守山空襲」と叩いたところ、Yahooともどもなんとこの日記だけしか出てこない。自分は、母親のあの事件に際して、遭難した方々の消息をなりかわって調べたいと思っただけだった。忸怩たる思いが、湧くばかりである。人は、戦争で死ぬためには生まれてはこない。そんなことすら、殊更に口にせねばならないのだろうか。むなしく、木魂を耳にするような空漠感がある。
2006年11月19日
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マタイ伝第4章1.さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。2.そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えらた。3.すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」4.イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」5.すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、6.言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる。』と書いてありますから。」7.イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない。』とも書いてある。」 8.今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、9.言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」10.イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」11.すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。 サタンは、イエスの力量を見抜いていた。石をパンにかえてしまいかねないぐらいの事は見越していたのかもしれない。もしかしたら、石をパンにできるからといってもそれがイエスの背負おうとしている大きな課題を解決できるほどのものなのかと疑問を呈していたフシもある。また、イエスが石をパンにかえるなどという「非合理的なわざ」で人々を救おうなどという情けないことをおこなえば、神とその息子であるイエスがあろうことか「非合理なわざ」のシモベとなる。その一点を思う存分嘲笑してやろうというひそかな思いもあった。その瞬間に神やイエスらとサタンを分け隔てていたものが消滅してしまうということをサタンが見越していなかったはずはない。サタンのこの試みは、イエスを痛撃するものでこれほど厳しい試みはありえなかっただろうと思われるほどのものだ。返答するイエスは、サタンの切れ味鋭い試みを反証してゆくのだが、イエスの起こした奇跡といえばサタンのこのような高度な質問を引き出すような強い存在感が最初のイエスの偉業と呼べるかもしれない。ここでイエスとサタンは「世界の本質」を象徴的に凝縮して呈示させてくれたという気がする。4.イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」あまりにも耳になれた言葉。言葉に拠って生きる世界は、我々のもうひとつの避け難い現実でもある。我々はピストルや刀で傷つけあう以外に、紙と鉛筆。インク印刷でも殺されることもある。救われることもあるのは当然といえば当然なのだ。5.すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、6.言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる。』と書いてありますから。」7.イエスは言われた。 「『あなたの神である主を試みてはならない。』とも書いてある。」サタンのこの迫り方も凄い。高所から身を投げて、地上に激突せぬものなどこの世にはありませんよ。すべての物質には質量がある。すべて羽毛も石も鉄器も地上に落下する。むしろ近世にニュートンの登場で始まる物理的世界観の明晰さはサタンのものともいえる。 いわゆるサタンを悪魔と呼称して退けるには、サタンはあまりにも近代現代の我々の思想を身におっていた。われわれはむしろサタンに近い。イエスに救いを求めるなどという人々が、なればイエスを生きている人なのかといえばけっして左様なことはない。キリスト者とて生きているかぎりはサタンの徒党としての所業ばかりをなす。イエスは、辛くも反駁した。反駁したイエスも唯一無二に近い切り替えしで、イエスをここまで追い詰めるサタンの力量の凄さが際立っている。イエスの奇跡とは、このようなサタンに象徴されるような地上的な知性が渾身の力をふるって迫るようなそんな「試み」を引き出したそのことにあるのかも。なんど考えてみても、このサタンの誰何に合理的なものを感じざるをえない。8.今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、9.言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。」11.イエスは言われた。これも熾烈な「試み」です。この部分だけでドストエフスキーはあの長編小説「カラマーゾフの兄弟」といわれる大作に相当規模な原稿を費やしているのはご存知の方もおられるはず。「ひれ伏して私を拝む」ならば、との事だがこれはサタンを拝むという系譜でいえば、サタンになりかわり「自民党政権」や「YP体制」「戦後平和憲法治世下的繁栄」などを代入してみて貰いたい。たちまち我々がこのサタンの試問にひれ伏した衆上であることは明瞭に見て取れる。イエスは、それすらも踏み越えて行こうとするのである。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」11.すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。ここはクリスチャンがもっとも鼓舞される部分なのだろうと思われるが、私には悲惨な話だとおもえなくもない。信仰なき私には、そのような非合理的にして不条理な選択はサタンのもたらした奇跡以上に非人間的だと思わずにいられぬ。このような思想信条に心を委ねれば、与えられる心の平穏については理解できない事はないとしても、私は真っ平ごめんである。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ。』と書いてある。」11.すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。ここでもサタンは、イエスから「引き下がれ」と述べられたがその根拠に旧い聖書の引用だけで応じている。彼の何事かでサタンを文句なしで退却させたとも思えない。サタンは、イエスを「離れて行った」だけであって、サタンはイエスに負けたとも、ひれ伏したとも、恥じ入ったとも、感服したとも記されていない。サタンが粉々に殲滅されたわけでもない。その場を立ち去っただけ。尋常な読解ならば、立ち去ったのはイエスを無用。無能、または手のつけられない虚け者と考えて呆れてのことという風にも読み解ける内容なのだ。、、、しかし、クリスチャンからすれば「見よ!御使いたちが近づいてきて仕えた」と、言うことになるのだから不思議。
2006年11月19日
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ヴォーリス夫妻の名で・・・ 「万一の場合は、吾々の個人財産一切を養子ともいうべき浦谷道三・たま子に」という遺言がのこされていたという。(中央公論86年5月号「天皇を守ったアメリカ人」)自分が、母親に聞いた話とかなり違っている。浦谷道三は、養子ではなかったが遺言に養子がわりの立ちまわりに謝意を含めて遺言でねぎらわれていたらしい。上坂冬子の述べるところを信じるならば、わが昭和天皇の「人間宣言」は、近衛の差し金でヴォーリス氏の取次で、マッカーサー元帥に託され昭和天皇への方針論として示唆された可能性が高いように思う。母親から聞いているのは、軍国日本だけがヴォーリス氏の「困難」ではなかった。この上坂冬子のドキュメントですら、ヴォーリス夫妻を取り巻く環境の厳しさは想像するにあまりある。軽井沢暮らしとは、今の人には想像できないかもしれないが軟禁蟄居のたぐい。強制収用所と大差ない、監視つきの不自由なものだったのではないか。特に「浦谷たま子さんは、・・・病気の時も、貧しい時も、大東亜戦争中世人に捨てられて居た時も、いつも変わらぬ愛にて支えてくださいました」 (中央公論86年5月号「天皇を守ったアメリカ人」)上坂冬子が、はしなくも指摘しているように現代の我々が想像するような域を遥かに越えて受難者に近い生活相だったということが伺え、瞬時息をのむような思いで凍りついた。昭和二十二年、昭和天皇とヴォーリス氏は関西行幸中に京都御所のお庭で謁見する機会を得たらしい。その際、なんと昭和天皇はヴォーリス氏に・・・「日本のいろいろな変遷をみてこられたのでしょうね。戦争中は不便な思いをしたり、いじめられたりしたことはありませんでしたか」と私問いかけてくださった。 (中央公論86年5月号「天皇を守ったアメリカ人」)・・・などと声をかけられた出来事を、ヴォーリス氏は備忘録である「ポケットノート」に記していたらしい。ご希望の方には、ZIPで圧縮した「天皇を守ったアメリカ人」をメール添付でお送りします。楽天日記に、所望のe-mailアドレスをお知らせください。
2006年11月19日
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昭和58年(1983)10月31日、東京新聞は、「終戦直後に、天皇とマッカーサー元帥の会見のためにヴォーリズが大きな活躍をした」という記事が報じられました。当時の東京新聞には、「米人宣教師、ウィリアム・M・ヴォーリズ師はマッカーサー元帥を訪ね、天皇処遇問題で近衛文麿元首相と会談するように仲介工作の労をとった」と記述されています。昭和43年(1968)満喜子夫人は『失敗者の自叙伝』の序文に、亡き夫を偲んで次の一文を載せています。「大東亜戦争は日本の敗北に終わり、マッカーサー元帥は、天皇を戦犯第一人者と考え、日本に進駐してきました。その時、米来留は、当時政権の裏にあって国を守るため生命をかけ、熱心に奔走された近衛公に、極秘のうちに用いられ、単独マッカーサー元帥横浜のキャンプに、差し向かい、天皇は、この戦争には責任のないこと、天皇ご自身は、自分を神とひとしいとは考えておられないことを証明し、その結果、元帥の信頼を受け、これらを信じてもらい、天皇に対する敬意を、高くするご用を果たしました。この一挙は、戦後わが国の発展に、多大の影響を及ぼしたと申しても過言でないと思います。」 ↑クリックRe:天皇を守ったアメリカ人(11/18) 杉山巡さん ヴォーリスさんも浦谷さんも立派で信頼の置ける人達だと思います。しかし、近衛文麿やマッカーサーというのは自己演出に長けた政治家であって、信用できません。1980年に昭和天皇の訪米がありました。戦後一貫した海軍善玉論の総仕上げの時期が、80年代で、私が敬愛してやまない上坂冬子先生までがその魔の手に組み込まれた。(否、元からそうだったのかも知れませんが)実は、杉山巡先生のコメントが早々とつくというブログ独特の猪口才なまでの便利さがあるので持論を敷衍するいとまもないのだけれど、このご意見滋賀と大阪の母子にもさほど隔たりのある認識ではない。驚くことに、わが母親は看護婦ということもあって京都府立医大の館内で近衛文麿の治療に遭遇している。なにしろまだ年齢が18歳そこそこである。直接治療現場に立ち会うなどというようなものではなかったようだが、廊下をゆく近衛公や診察室のあわただしさは回想する記憶に留めているようだ。まあ、田舎娘とはいえど激動の敗戦期には飛行機に殺されかけるは、近江八幡の教会に熱心にかよいつめていたクリスチャンの若葉マークに天の神様は荒い事をなさるものだ。 ご存知か、どうか。あの時代に滋賀で、しかも近江八幡とはいえキリスト教会へ十代の娘がかようというのはどういうニュアンスがあったのかを。実は、後年八日市に育った男と、うちとけて歓談したときがあり、たまたま話題が近江八幡の教会にふれた。フォークシンガーの岡林信康の話題だったかもしれない。岡林が、ほかならぬその教会の牧師であった父親のもとで育った。幼い時期の岡林は、一度二度はわが母親に抱かれたこともあるらしい。それは、この際どうでもよい。その男が、言うには「たまげた」のだと。要するに、こういうことだ。地元の人間でない人には、わからないかもしれないがあの時代に近江八幡へ野洲から教会へかようなど今の時代にオーム真理教や、連合赤軍の連中に抱く感情と大差ないものを地域で抱いていた。そんな中で、周りから咎められずに通えたものだ。もしくは、よほど酷い眼にあって十代で早々と不犯の誓願をたてて尼にでもなろうと志してでもいたのだろうか、という印象を抱くというわけだ。大阪育ちの自分には、まさか、と笑って聞いていたのだが昨冬豪雪時期に東浅井郡の製造工場に関わって地域の中から滋賀を眺め回して彼の言っていることが肌に粟さすほどよく理解できる思いがした。とてつもなく閉鎖的なのである。その閉鎖的なる理由もまた妥当さも分からないでもない。地域、地域に時代は最適化を強いる状況もある。一概に外部から広域社会の目線で、「排他的」だととがめだてすることも難しい。良いも悪いもそれが滋賀という地域なのだ。日本の大多数も、そのような地域があちこちに存在している。かつては日本の保守政権をそれら地域の郷力が支えてきた。だが、わが母は棄教する。あの守山空襲と、その後の壮絶過ぎて聞いても理解できない戦後経験は気丈なクリスチャンに神そのもの、というよりも神への安易な傾斜を信仰と呼ぶ人たちの群れと冷静に距離を置こうという思いに走らせる。その後、駅頭での出逢いののちに浦谷道三氏に再訪することはなかったのではないだろうか。哂うしかないのだが、自分はあの戦闘機三機に殺されかけた母親が辛くも生き残ったがゆえにいまここでブログづくりをしていられる。ところが、逆にあの戦闘機に殺されかけた母親の棄教がなければ、もしかしたら産まれていなかったかもしれない。まあ、なにか死なずにせねばならぬ役務で、この世に産まれたのだろう。おかげで5歳以後悪運強くさほど大病もせずに馬齢を重ねている。(つづく)2004/05/09「母の日に寄せて 」 2005/07/04「捜せるのだろうか?」2006/01/07「友なる人」 2006/02/24「琵琶湖の十字架」
2006年11月19日
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浦谷道三氏を、記憶している。国鉄野洲駅の駅舎の中で、里帰りしていた帰路に出会ったのだろうか。母親と親しく話しておられる姿をみかけたのは幼い妹のしぐさの記憶からすれば、50年代の終り頃か60年代の冒頭ぐらいでなければおかしいと思う。律儀な人で、汽車が駅を離れるまでプラットホームで見送ってくださった。その時に、母親が大変恐縮しているのを強く感じた。まだ蒸気機関車で滋賀、大阪間を往還するような時代だ。山科のトンネルの中を通過すると刺激臭と猛烈な煤が眼を直撃する。後年、SLブームなどというものが押し寄せるが自分はあの酷い乗り物が未練たらしく注目されているのか、と怪訝に思うほどだった。陶器の茶器が駅弁と一緒に売られていて、汽車の車窓にはいつもつきもので並んでいる。湯気でなぞりがきをしていると周囲の女性がクスクス笑った。我々が生まれる前、母親は生前のヴォーリス氏William Merrell Voriesには一度だけ出会っている。駅頭で、浦谷氏を拝見した頃には、まだヴォーリス氏は存命であったのだろうか。戦後、氏が疎開されて軽井沢暮らしをされていたこともあって、むしろご面識は、一柳満喜子夫人の方が多かったらしい。なんどか訪ねてヴォーリス邸にあがらせていただいたそうだ。小柄で温和な性格の方だったという。なにせあの近江兄弟社の社長さんと訪米したときに機内で、同社の社員の中にもヴォーリス氏の生前の姿をみかけたもの、謦咳に接したものがいなくなっているといわれたそうだ。地域にも、その記憶が遠のいているのかもしれない。ご存知、あの豊郷小学校の設計者だ。あらけない町長が、一思いに解体しようなどと発意するぐらいなのだからその偉業も、風雪に堪え切れず人々の記憶からも遠のいてゆくのかもしれない。全国をさわがせた町立豊郷小学校の事件で思い起こされるというのも皮肉なものである。唯一、建築家の世界でのみその偉業の一部が語り継がれているらしい。関西人にもあの大丸心斎橋店、関西学院大学、神戸女学院、神戸旧居留地38番館などの設計で知られている。浦谷道三氏は、お子さんがおられなかったヴォーリス氏の養子がわりにご夫婦のあいだで実子同然に過ごされた近江兄弟社の職員だったらしい。(つづく)
2006年11月18日
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光となれ、この「罪と罰」(紹介)点字訳を850冊 13年の業績を残して 「二宮」の死刑執行【近江八幡】殺人罪で死刑が確定してから13年間に、850冊もの点字本を翻訳していた福岡拘置所に収容中の死刑囚二宮邦彦(48)(広島生まれ)の遺書が、16日、滋賀県近江八幡市の近江兄弟社図書館に届き刑の執行が明るみに出た。遺書と同封されていた最後の点訳書は、くしくもドストエフスキーの「罪と罰」。 中国人ブローカー殺しの罪がもとで、妻子にも去られ、天涯孤独となった二宮は、死刑の執行10時間前にしたためた遺書の中で「『罪と罰』の点訳が、未完の一巻だけで終わってしまいました。それだけが心残りです」と一字乱れぬ冷静さで訴えていた。 死刑の執行は、現行では公表されていないため、刑死の前後の詳しい模様はわからないが、文面によると、さる11日午前に執行されたものらしい。肉親とのキズナを断たれた二宮は、盲人のための点訳を、死に直面した死刑囚の天職と受け止め、近江兄弟社図書館に寄せられた遺書には、淡々とした筆調の中にも、労なかばにして終わった点訳への執着をのぞかせていた。 二宮と同図書館との交わりは、13年前にさかのぼる。近江八幡市内の八幡教会柴田五郎牧師が、教戒師として福岡拘置所に立ち寄ったさい、二宮のまじめな人柄にひかれ、点訳を奨めたのがきっかけだった。この話を聞いて柴田牧師と同じキリスト教系列の同市のポーリズ記念病院、木戸マサエ看護婦長(45)も励ましの手紙と参考までに田中芳三著「荒野に水が湧く」と点字タイプを郵送した。 その後、二宮からの応答はなし。柴田牧師と木戸婦長もあきらめかけていたところ、二年後の37年春、二宮から点訳書がきれいに製本されて返ってきた。それは、一字のミスもない、みごとなできばえだった。 二人から話を持ちかけられた当時、二宮は点字のイロハも知らなかったズブのしろうと。その二年間に、二宮は朝から晩まで点訳に取り組み、ついには専門家もシタを巻くほどの技術を習得したのだった。 これを振り出しに、二宮は柴田牧師の紹介で、同図書館に毎月七、八冊ずつ精魂をこめた点訳書を送ってくるようになった。主なものは「風と共に去りぬ」「誰がために鐘は鳴る」「マクベス」「ハムレット」の外国ものから「人間の条件」「徳川家康」「氷点」「氷壁」などの日本文学まで850冊。同図書館では一冊につき300円の謝礼を送っていたが、二宮の生まじめな仕事ぶりに感心した前館長の浦谷道三さんは、一昨年11月、わざわざ福岡まで面会に出向き、感謝状と点字タイプを贈呈したほどだった。 遺書は死の前夜の9時から10時の間に記されたものらしく、便せん5枚に黒のボールペンでびっしり。「苦しい13年でしたが、毎日朝から夜8時、9時まで点訳に打ち込めて幸福でした。『罪と罰』が最後になりました。死刑になる犯人も、死刑のない平和な日本が訪れることを祈っています」とあった。 残念ながら、二宮の労作は、盲人へのPR不足もあって、あまり活用はされていない。 二宮はさる31年9月5日、大分県別府市内で銀行の集金人を誘い出し、仲間と二人で殺して死体を川に捨て、34年5月、福岡高裁で死刑が確定した。 ↓クリック天皇を守ったアメリカ人、ヴォーリスと浦谷道三牧師の若き姿
2006年11月18日
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凄いよねえ。子猫殺した坂東眞砂子だと、ネットは沸騰するけれど、60万人だか日本人の祖父母伯父伯母らを殺した大功労者カーティスルメイだとネットは沈黙して昔、勲章やったっんだっけって、もうぽけーっと惚けてログ読んでいるだけなんだから。これって、もう植民地そのものって感覚だよね。(2006/11/14 09:26:51 PM)1962(昭和37)年からは参議院議員を4期務めた。----------------坂井三郎が、源田実を嫌っていた気分がさすがにわかるような気がしてきた。・航空自衛隊の創設、育成に貢献した・源田実(当時参議院議員:自民党国防部会長)にアメリカ政府が叙勲 したバランスを考慮して、ルメイにも勲章を授与した・源田実がルメイ叙勲を強く推した。----------------これも、事実ならばちょっと理解できない。分からない。かつて、以下のように述べたことがある。http://plaza.rakuten.co.jp/hint2003/diary/200611140003/ 「迎撃するような戦闘機が日本の上空に存在しない事も問題だけれど蒸気機関車から逃げ出した老人や子供、若い少女たちを射殺する事を対航空戦用の機関砲で実行するという感覚がわからない。」源田実の感覚も、もっと分からない。(2006/11/14 09:42:02 PM)杉山巡さん ◆真珠湾攻撃を立案した参謀がアメリカのスパイだと推察していたのですが、それが源田実だと聞いて納得です。源田実=アメリカのスパイ ← だからアメリカ政府が叙勲(お古の飛行機を高値で買ってくれた領収書かもしれませんが、人間[狐or狸]どこかで尻尾を出すものです)(2006/11/15 07:05:49 AM)ポチ、とおりこしてスパイですか。(笑)まあ、山本五十六なんかがどこまで気づいていたのか怪しいものですが、平気でアメリカ占領案をぶちあげていたのなら海軍と陸軍の疎通を探っていたとも読めますよね。源田のつかんだ、小銭がどれほどのものかは分かりませんが殺された東京都民は、その上で踏みつけにされている怨念を雨散霧消させるはずがありません。東京には、いつか大地震が来るな。あの世から手招きしてますよ、きっと。(2006/11/15 08:27:48 AM)
2006年11月18日
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<イラク少女殺害>米兵に禁固90年 司法取引で死刑回避 【ワシントン吉田弘之】バグダッド南方マハムディアで今年3月、14歳の少女をレイプし、少女を含む家族4人を殺害したとして殺人罪などに問われている米兵の判決公判が16日、ケンタッキー州フォートキャンベルの軍事法廷で開かれ、裁判長はこの米兵に禁固90年の刑を言い渡した。 判決を受けたのは技術兵のジェームズ・バーカー被告(23)。被告は同僚兵士とともに少女をレイプし殺害した後、証拠隠滅のため遺体を焼き、家にいた少女の父、母、6歳の妹も殺害した。犯行には5人の米兵が関与しており、バーカー被告は他の兵士の関与についても証言する司法取引に同意し死刑判決を回避した。 バーカー被告は少女のレイプを認めたが、少女や家族を殺害したのは別の兵士だと主張している。(毎日新聞) - 11月17日12時18分更新 ↑クリック沖縄では強姦の実地練習、イラクでは非戦闘員にも強姦殺人。こんな米兵に、国土を守ってもらう期待をしている「わが国」のありようもつくづく情けないのかも。
2006年11月17日
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平素、めったにブログの記事でめげたり落ち込んだりすることはない。書いていることでも、読んでいることでも10年もすれば、一種のニルアドミラリィが形成されているのだろう。パソコン通信を始めたのが、93年だからもう軽く10年は越えている。しかし、あの源田実には正直呆れた。まだ、検証すべき仮説とはいえ杉山巡先生の推量は相当確度が高そうな気がしてしかたがない。それにしてもけしからぬ。よりによって、カーティスルメイにあの恥辱の勲一等旭日大綬章を授与の「下手人」が、風評とはいえ源田実だとは夢にも思わなかった。あまりにも頭にきて、鬱々するので週末でもないのに大阪の実家に戻り母親にこの件話に戻った。昨晩のことだ。母親は、八十にもなるが歴史には強いし、特定の分野では猛烈に読書量もある。自分が学生時代に購入した本は、ほぼすべて実家にほりだしてきたのだが、勿体ないとかたっぱしから読んだらしい。だから、多少の歯ごたえのある話題でも、よく理解する。なんだか人間インターネットのようだが、昨今の杉山巡先生の話題やらなにやらまとめて母親に晩飯食べながら話してた。まあ、大概のことはあまり反応しなかったのだが、流石に母親も憤懣を隠さなかったのは、源田実がカーティスルメイという母親が知らないアメリカの軍人に勲章を与えたということよりも、勝てる闘いを阻害した疑義があるということにあるらしい。母親は、18歳で京都府立医大の看護婦として大阪大空襲の罹災者の世話をしたと以前に述べた。昨晩も彼女が言うのは、「自分は手抜きをしなかった。来る日も来る日も薬の支給もなく、ピンセットで硝子の破片を支援先の現場へ駆けつける数え切れない罹災者の世話をして、指がおかしくなっても続けた」と。とりわけ、福井県から支援に来た看護婦たちの働きには心底心を打たれるほどのものがあったと言っていた。京都から来た自分らの未熟さに比して、職業婦人としてのプロ意識と、高いスキルに瞠目したという。つい正義感から、厚生係の長に若い娘が意見をしたという。気丈な母親の娘時代だ。それぐらいのことはやったかもしれない。そのときに、厚生係長は、ぼそっと「大阪の爆撃も悲惨で気の毒やが、京都もいつこういう風になるやらわからんしなあ。薬もおいとかなあかんと思うてますんや」と、気まずそうに言ったそうだ。結果的に、京都には敗戦まで爆撃らしい爆撃などなく無事だった。薬をつかっても、どうにもならない悲惨な罹災者の傷病でもせめてあるものならば使って差し上げたかったという思いが今だに禍根で残っているものらしい。それにくらべて、源田実は許せない、というのだ。母親からすれば、手抜き男というのだろう。眼つきも鋭いが、どことなく卑しい雰囲気のする嫌な奴だったと母もいう。堀越にパイロットの被弾防護や着水時の水沈配慮をさせなかったものはこの「論争」がもたらしたものだったかもしれない。ベテランの看護婦でも、ピンセットだけでは深刻な切創や火傷のある罹災者をいかんともしがたかっただろう。日本が太平洋戦争に敗れて50年以上たった現在、緒戦で圧倒的な戦果を収め、米軍パイロットを恐怖のどん底に陥れた零戦(レイせん)はなおも語り継がれ、その性能とパイロットの技量に疑間を差し挟む人は少ない。しかし、この通称ゼロ戦の性能とその用兵について、設計段階から激しい対立があり、戦中、戦後も論争が続き、当事者の死をもって一応の終止符がうたれたことは余り知られていない。 その当事者とは、源田実と柴田武雄である。二人は海軍兵学校の同期生で同じ戦闘機搭乗員を目指した。12試艦戦(ゼロ戦の試作機の名称)設計のあまりに過酷な要求項目に苦慮した設計責任者の三菱掘越次郎氏は、会議の席上でその項目に優先順位をつけてほしいと申し出た。 空戦性能と速力と航続力の3点はそれぞれ相反する要素である。空戦性能を最重点にすれぱ、速力はある程度犠牲になり、また航続力も影響をうける。また、速力に重点を置けぱ、空戦性能は制約されてしまうし、燃科を沢山積めぱ速力は落ちてしまう。 当時パイロットを代表する源田と柴田は激しく論争した。源田は空戦性能最優先を唱えた。当時、彼は源田サ-カスの異名をとるほどの編隊空戦の立て役者であった。これに反して柴田は、速力重視を主張した。スピ-ドが劣れば、敵に逃げられてしまう。空戦性能の低下は、パイロットの技量向上で補えると唱え、両者は譲らなかった。 読者はどう判断するだろうか? 堀越技師以下の設計陣は、両者の主張を何とか満足させたいと、苦心の設計に挑み、世界の想像を絶する高性能の戦闘機を開発した。僅か940馬力のエンジンで最高時遠533キロメートル、当時どこの国の戦闘機も搭載できなかった20ミリ機銃2丁と7.7ミリ機銃2丁を装備し、爆弾も60キログラムを2発積むことが出来、増槽をつければ長駆3,350キロメートルを飛び続ける戦闘機を創り上げたのである。開戦の日、台湾の高雄からフイリピンのクラーク・フイールド基地に空襲をかけたゼロ戦を、アメリカは戦後まで航空母艦を使って空襲したと思いこんでいたことでもその優秀さが分かる。 しかし、この防御装置を犠牲にして創られた脅威の戦闘機も、やがて戦況が互角になり、消耗戦の様相を帯びてからは、その弱点が被害を加速度的に増大させる。また、柴田武雄の主張がとおっていたら、グラマンはそう簡単にダイブで左にひねりながら逃げられなかったろうし、逆に追われた時も敵を引き離して脱出することが出来ただろう。 派手な機動部隊の陰で、柴田等の基地航空部隊は、黙々と航空撃滅戦を展開していた。連日休みのない戦闘を、限られた搭乗員と機材とで黙々と繰り返しながら、次々と南瞑に消えていった。そんな基地航空部隊を率いた柴田には、零戦の設計段階での自分の主張が通らなかった無念さが戦後も尾を引いていて、事ごとに源田と論争を繰り返し、ついにはお互いに口もきかず、手紙で論争を繰り返していたと言う。源田も柴田も掘越ももうこの世にはいない。 源田実と柴田武雄の終生の輪争阿部 三郎(元零戦搭乗員・海軍中尉)
2006年11月17日
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なぜ、その柔和で一見紳士そうな人物。なぜ取り沙汰せねばならないのだろう。楽天でも所詮は数百もアクセスがあるかなきかの私であるから、まさか謀殺されたりするほどの存在感もあるわけではないのだ。当然心配などはしていない。だから先の人物が日本の労働者の今日、明日を牛耳っているという消息を説明しよう。国民の怨嗟の的となっている社会保険庁だって、それなりに揺さぶれば内部には170兆円から180兆円規模の年金による貯蓄がある筈。ある筈なのだ。ところが、これをアメリカの思惑に乗った政府部内のポチと、財務省のポチが、チラチラ。社会保険庁解体論というヒカリものをみせびらかせて、内閣府の下部組織に、はたまた財務省の直系外局に編入するなどという構想をぶちあげて、厚生労働省のキャリアを締め上げたのであろう。星条旗印の恫喝に持ちこたえられるほどのタマがいない、厚生労働省は唯諾々と社会保険料の国民負担大幅増に協調することを表明したのだ。アメリカの狙いは、おそらく医療保険システムというアメリカ国内にない制度を破壊するつもりなのだ。厚生労働は、財務省だけでも冷や汗のところ、星条旗印の強烈な圧力で、へとへと。どうせ腹がいたむわけでもないので、国民負担増を大幅増大させるという線路の上を爆走する。今年6月国会を通過した、「医療制度改革関連法案」というものの、正体はそれだ。まんまと参議院本会議通過可決。すでに成立をしているのだ。分かるだろうか。あの永田偽メール事件の勃発。国民のいずれもこの法案の国会通過を気にもとめなかった。アメリカ側は、いつも日本を支配するに際して間接支配という流儀だ。つまりポチを使い日本の国民経済をグチャグチャにすることを露骨に仕掛けているのだ。格差社会問題などというが、こんなもの自然現象でもなんでもない。人為的に緻密に仕掛けてきたものに過ぎない。日常、セブンイレブンやローソンを利用することも多い。店の経営者は、どこにいるのか分からない。店長と名札を下げているが、ほとんどが長期アルバイト、パートさんだ。自分も、多少はビジネスが分かるが、業務代表というのなら分からないでもないけれど、はたして個店といえど、資格上こんな仕事に責任の取れない人たちが、店舗代表となる社会システムは、正しいのかと憤懣をいつも感じる。経営者側だって、苦しい。にもかかわらず行政は、取りやすいところから取るという発想の人間ばかりだ。放漫財政で、ばら撒き自治、くだらない施設をつくり野壷のような立地に利用者の見事に少ない図書館や、公民館をつくりまくって財政破綻をお越し、今度は税金をとる現場に民間のコンサルタントや貸し金経験者を登用してムチャクチャな税徴収を始めているという風景がこの国の「現在」というものだろう。雇用情勢でも、有効求人倍率が1.35倍になったなどというが東京を含めてその数はせいぜい15県。増えても20県に満たないだろう。ここいらでは、ポチでお利巧にふるまっているほうが過ごしやすい。ただ東京は5倍を越えていて加熱ぐらいの機微がある。大阪も、劣悪な労働市場が後ずさりするほど求人は増えているが、せいぜい2倍。それも非正規雇用が襲いかかって人さらいのように貧困に追いやっている。これも厚生労働族に巣食う親米ポチの仕掛けだということに気づいている人が、あまりにも少ない。正社員のクビを斬り、アルバイト、フリーター、契約社員、雇いどめなどの非正規雇用者が急増し大阪の統計をつりあげているだけだ。むろん、これを仕掛けているのはアメリカである。実は、正規雇用枠を増やしたくても増やせないというぐらい流通の現場の体感だろう。結果、コンビニなど、無理無体な新規店開設、規模拡大を爆走してきたのである。実は、前のページの人物。終身雇用制度の研究者でもある。いや、なに間違ってもアメリカで日本の麗しい制度を導入せんとして研究してきたのではない。いかに日本の経済的な基盤を維持してきたのか、という終身雇用制度の研究を反転して、制度破壊にその研究成果をフルに活用しているのだ。あの零戦が中国で不時着し、無傷でアメリカ軍の手に渡り、零戦が研究し尽くされて。結果あの対零戦対策戦闘機グラマンF6Fが登場したように、アメリカの日本占領プランは、極めて合理的で、つねに制度研究から始めるのである。Andrew Gordon この人物。自分の中では、かなりの問題人物である。ある意味で、Curtis Emerson LeMayと双璧だといわざるを得ない。まさしくCurtis Emerson LeMayがあの八百屋お七の「振袖大火」研究から東京大空襲をデザインした「軌跡」、まさしくその路線踏襲者なのである。すまし顔で、日本研究。それを反転して日本の労働市場の「徹底的な流動化」を策謀してきた張本人だ。パソナや、テンプスタッフ、インテリジェンスをよくよくご覧になられよ。奴らこそが、ポチ中のポチで、アメリカの国富に供する目的で日本人労働者の膏血を啜るが如く生涯賃金をそぎ落とすなりわいなのであるということを。荒廃しているのは教育の現場だけではない。中央官庁といわず地方行政といわず、ありとあらゆるところでポチが狂奔する時代になり果てた。この構造、どの業界にも進行しているのが分かると思う。明日は、生損保、銀行、証券と続々アメリカに狙い撃ちされている次の業界を話題にしてみようか?
2006年11月17日
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2002年度にラムズフェルド国防長官がCBSニュースに語った話によると、これまでに米国防総省が支払った費用のうち、2兆3,000億ドル(約245兆723億円)が使途不明。↑クリックからCBSへラムズフェルド、お前自身の存在そのものが歩く使途不明金だよ。「まあ、どうせ請求書なくても小泉や、安倍に電話すればいいんだから」って。こんな国の国債買わされ続けるなんて、だれが約束したんだって。どうせ、ミスター鮫の脳みそだろう。
2006年11月17日
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一体、どうなっているのだろう。原因は、分からないけれど大統領夫人が離婚届けに形式体裁を整えたというのだろうか?詳しく聞いたこともない話だが必要な方は以下の雑誌をあたってみられてはいかがか。例によって、リンク元にはクリックで飛べるようになっている。↓クリック
2006年11月16日
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米CNN放送の集計によると、イラク戦争で米英軍を中心とした『有志連合軍』の総戦死者数が10月16日時点で3,000人を超えたという。CNN放送によれば、連合軍側の戦死者数は以下のとおり。http://www.cnn.com/2006/WORLD/meast/10/16/iraq.main/index.html米軍:2,759人米軍が雇った傭兵:7人英軍:119人イタリア軍:32人ウクライナ軍:18人ポーランド軍:17人ブルガリア軍:13人スペイン軍:11人↑クリックどうせ、日本がアメリカ国債買ってくれるからそれで弔慰金支払ってしまいってか。だれがブッシュに投票したんだか。
2006年11月16日
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