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1時間10万円で私の性欲処理係をしてくれませんか?私セックスをスポーツのように楽しむタイプなので日課のようにしていないと駄目なんです。毎日でもいいし週何回かでもいいのであなたの性欲を私に売って下さい。 性欲買います 静香さんからのメール☆ 人工無脳(じんこうむのう)とは、人工知能に対応する用語である。ボトムアップ的な人工知能のアプローチでは「人らしさ」に到達するまでの道のりが遠いので、トップダウン的に「人らしさ」のモデルを作りこむことで「人らしさ」を作り出そうとする立場。およびその立場で作られたシステム・モデル・ソフトウェアなど。検索エンジンやエキスパートシステムなど、人らしくはないものの役には立つ「人工知能」に対して「人工無能」と呼ばれたのがこの語の起源であるが、「無能」のネガティブなイメージを嫌われ、2004年現在では「人工無脳」という表記のほうがメジャーである。有名な人工無脳として、「人工無能うずら」や「ししゃも」、「読兎」がある。ソニー・コンピュータエンタテインメントのトロも人工無脳に類する キャラクターである。こんばんは。私も@niftyですが、今日などはスパムメール60件でした。本当に、なんとかならないものですかね~。 いならまつさん (2006/05/30 11:03:11 PM)初めてパソコン通信をはじめた頃、おのぼりさんそのものであちこちで悪戯をしながら通信世界を堪能していったと思う。93年頃だ。その頃、すでに「人口無脳」というものがあることは知っていた。あれから、もう10年を超えている。昨今、猛烈なスパムメールが届いているが、あの怪しげな「出会い系」サイトは昨今人間のサクラだけでもなく、これら人口無脳が大活躍しているらしい。つまり、メールを貰った男性が「もしかして、サイトに本当の女性がいるのかも」などと返信をしたりなどすれば、この人口無脳のプログラムが動きだして返信を自動的に開始するなどと言うようになっている事例が、増えているのだという。堀江貴文らが、多くの個人投資家をたばかってあつめた巨額の資金をこのようなふざけた業者らに「再投資」などを行うなどするがために、われわれのメーラーはいまやゴミ屑箱と大差ない。国内のプロバイダーは、これら迷惑メールを多産した事業者を早急に縄をかけ、それら事業者に投資、融資した金融機関のリストをただちに一般に公開するべきだろう。落語に起源もある、「幽霊の正体みたり枯れ尾花」という言葉がある。男の大多数は、冬枯れたススキ(枯れ尾花)をみてさえ路上で春をひさぐお女郎さん、といっても夜鷹などと呼ばれる不可触賎民扱いされていた最下層の娼婦たちだろうが、間違えてつい声をかけて口説こうとすると江戸の町民からあざ笑われていた。江戸時代からこのかた、男の魂胆は見透かされているものなのだが、まさかススキが高度なアルゴリズムをかねそなえたコンピュータープログラムに化けるとは江戸庶民も夢にも思わなかったことだろう。
2006年05月31日
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米原万理が、面白い。米原万里ではない。米原万理が面白い。米原万里の凄いところは、ミスプリの米原万理でググッてみても921件も検索であがってくるところである。キーボードのミスで多くの人が、米原万理と打刻して、まちがえている。その筆頭が、あの糸井重里である。この「ほぼ日刊イトイ新聞」に、糸井と米原の対談がのっていた。非常に面白いことばが交わされていたので、さっそく たまゆら1/f氏の携帯にメールをうったりなどする。よけいなおせっかいオヤジというものだ、、、(笑)糸井 自分のことはよくわからないんです。ぼくは単純に、書くことは簡単、というところだけを伝えたいんですね。自己暴露するのが得意だったらすればいいし、大ウソつきたかったらすればいいし。よく若い子に課題を出すのは、「自分の好きな食いものを人に勧める文章を書け」これはみんな名作ですね。 米原 なるほど。 糸井 で、「えっ、これでいいの?」ってわかると、どこがよかったかというのが見えてくる。それはさっきの政治家の答弁じゃないですけど、「思い」なしには書けないんですよ、好きな食べものに関する文章は。 米原 そうですね。おざなりにできないからね。 糸井 ええ。非常に生理的な、内臓感覚まで一緒についてくる文章しか、やっぱり人は受けてくれないんです。 米原 それはうまい方法ですね。 糸井 これは非常に便利です。やっぱりつまんない人は、人が褒めていたものを受け売りで書くんですね。
2006年05月30日
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軽妙なエッセーやテレビのコメンテーターで知られる作家の米原万里さんが25日午後1時12分、卵巣がんのため死去していたことが29日、分かった。56歳だった。葬儀・告別式は27、28日に親族のみで営まれた。後日「友人葬」を行う予定。日本共産党所属の衆院議員だった父・米原昶(いたる)氏(故人)の仕事の関係で、少女時代を旧チェコスロバキアのプラハで過ごした。東京外語大、東大大学院でロシア語を学び、同時通訳に。その体験をつづったエッセー「不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か」で平成7年に読売文学賞、「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。テレビのコメンテーターとしても活躍。ロシア語通訳協会会長。作家の井上ひさしさんは義弟にあたる。最近はサンデー毎日で「発明マニア」と題したエッセーを連載していた。 驚いた。まだ、若い。せいぜい、自分と2つぐらいの差だろ。どこにもニュース記事がなく、googleもこの異変にはお手上げだ。調べてもネット上に記事らしいものがなく、exciteに速報程度の記事。はあ、なんというお寒い話なのだろうか。『ヒトのオスは飼わないの?』という著書名には笑ってしまった。飼って欲しい男は、いたかもしれないが実現してもあれだけ多忙だった彼女にはかまって貰えなかっただろう。謹んでご冥福をお祈りする。米原万里さん (作家)1950年、東京都生まれ。59年~64年、在プラハ・ソビエト学校に学ぶ。東京外国語大学ロシア語学科卒業。東京大学大学院露語露文学修士課程修了後、ロシア語会議通訳などで活躍。主な著書に『魔女の1ダース』『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』『オリガ・モリソヴナの反語法』『ヒトのオスは飼わないの?』など多数。
2006年05月30日
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また、Gatewayに酷い眼にあった。今月、すでに3回目のリカバリィーだ。おそらくサポートセンターの窓口でも、なにがなんだか分からなくなってきている筈である。昨晩と、深夜未明にGatewayのサポートセンターと応酬していると述べることが180度違ってしまう。昨晩の担当は、GatewayのGX5030Jの初期不良だろう、と言う。理由は、Java が暴走してエラーし続けているのだけれどリカバリィー直後から頻発するのでは、深奥部のハード損傷の可能性が濃厚だと言うのである。おかげで購入店に打診まで先週している。TSUKUMOである。実は、すでに述べたように昨年末に購入したGatewayの最上位機種が初期不良で交換した。それが今使っている、GX5030Jなのだ。これがふたたび初期不良だというのならば、この会社のPCはおわっとるじゃないか。まあ、サポート体制はけして悪いとは思わない。むしろ優秀な窓口を揃えている方ではないか。しかし、構成するパソコンの部品、ディバイスのそれぞれの動作不安、品位の低さ、もしくはその編成上の錬度不足、製造や営業、補修要員の人的な不足、もしくは指揮系統の混乱が予想される。われわれ消費者は、パソコンを購入すると同時に、それらすべてを購入している。いやが負うにもそれらを背負ったパソコンという製品なのである。昨年末、購入機種の初期不良以来。すでにリカバリィーを10回近く実行している。普通の消費者ならば、とうのむかしに押し入れでホコリをかぶせているだろう。いつまで日本の消費者を軽侮していられるつもりでいるのだろうか。こちらは、必要に差し迫られて利用している。いまや使いこなせなくては、一日も生活ができないという事態にまで追い込まれているのである。死活問題なのだ。さて、さきほど徹夜作業で復旧させていたらば自分の携帯に電話。おお、なんとあの@niftyの東京の窓口担当者ではないか。ここしばらく、古河建純くんをコケにしておったらば、さっそく反応されたのだろうか。わが心の@niftyである。励ましの陣中見舞いなのだろうか。@niftyの窓口担当者いわく。「昨年来」(実は、@niftyとの応酬は軽く10年戦争だ。昨年来というのは、古河建純くんちの体制がようやく消費者へ目線が向かいつつあるここ数年の流れを反映して、ということだろう)わたしと、東京の@niftyとの応酬の経緯で、わたしがあながち無理無体を言っているのではないということを彼らが咀嚼したということの反映だと思う。実は、@niftyの顧客情報の「統合感覚」が徐々に鋭敏になってきている。つまりまともげに傾いてきたのだ。これは凄い。学習効果というのか、つき合っていてつき合い甲斐のある会社になってきた証左である。おそらく、わたしのなすある種つかみがたい主張の一連の流れを、きちんと集約して妥当な範囲で理解しているとみた。これは、簡単なようでそれほど簡単なことではない。さすがわ富士通だ。いったん、非を改めるとなれば、着実に堅牢なシステムで対応しつつあるように思う。具体的に、のべれば光ファイバーを利用できなかった期間が昨年5月にある。その間、NTT彦根は、自社斡旋のADSLを私に勧めた。しかし、@niftyがからんでいるために、NTT彦根は、@niftyの意見をいれて、課金や月度負担額をおおむね@nifty側の提案をもとに、決着した。ところが、関西電力が、予想外に早期に大規模な工事をおこなって数週間もかけずに、光ファイバーを設営してくれた。これは有難いのだけれども、せっかく確保したADSL信号は、NTT彦根の局の汗かきにもかかわらず、無駄になった。その時の精算は、わたしとNTT彦根の側とで当然きれいに実行されている。にもかかわらず、@nfity側は、昨年以来そのADSL信号を利用していたとの前提で、わたしに過払いをしかけて課金引き落としし続けていたのである。実は、それが分かっり、表沙汰になった2月以来、もはや引き落としは行わないという風に@nfity側が言明していたのである。わたしは、まる一年間ものあいだ古川建純くんちの若い優秀な職員にだまされて使ってもいない、ADSL信号を「過払い」させられていた。これも@niftyは、確認済みだ。先の担当者は、正直に述べていた。そして、それが発覚して以後も、今月に至るまで課金請求され、引き落としされていたのだという。それを、さきほどの@nifty職員は、申し訳なく、失礼していたと連絡してきたのである。一時期の、@niftyに比べれば格段の進化である。一昔前ならば、取り込んだカネを返そうなどという発想も、それを相手に頭をさげて報告しようなどという考え方も、それを担当する職員もいなかった。がんばれ、@nifty。暴利をむさぼらず、適正価格できちんと収益をあげる健常な企業体質にはやく転換して貰いたいものだ。
2006年05月30日
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「真夜中のカーボーイ」って、映画がむかしあったのさ。ニューシネマって、いうのかな。社会派、っていうのかも。とにかく、描き方がそれまでの映画と違って、騎兵隊が突撃ラッパでトテチテターって感じじゃないの。そもそもカーボーイって、いってもこの映画ではニューヨークでお金持ちの女を漁りにでかけるというみょうちきりんな動機で苦労する。毎月2回生中出しで2000万出しますよ条件はただ1つだけ子供だけが欲しいの認知とかいらないし、言葉は悪いけど種付け料って所かな?成功したら3000万出しますよ。自分で生活していくだけのお金はあるし、結婚はしたくないし…不仲な両親の元で育ったからそこまでして結婚する意味ってあるのかわからなくなっちゃった。 つくね最近、こういう痛いメールが古河建純さんとこのフォルダーにじゃかすか入ってくる。93年から@nifyやっているが、まともげなメールとの区別がいまだにできない古河さんちの賢そうな人たちが、はずしてくれないので総て届く。世の中、よほど痛いメールを丁寧に読んでいる奴がいるのだろうか。知らないうちに、日本中で携帯電話やパソコンでメール読んでいる人たちが真夜中のカーボーイになっちまったのかと思いたくなる。この映画でカーボーイを演じたのが、ジョン・ヴォイトJon Voightって男優。そう、ご存知アンジェリーナ・ジョリーAngelina Jolie Voightのおとうちゃんだ。自分は、アンジェリーナ・ジョリーが好きで・・・といっても、別に昔の女優さんが好きだったみたいに好きな訳がなくて、威勢よくバイクに乗って暴れまわっていてくれれば満足というような距離で眺めているだけだ。ちなみに、お気に入り女優のジェシカ・アルバJessica Marie Albaだって、彼女が乗りまわしてくれるカワサキのニンジャと同じぐらい好き。バイクも女優さんも自分には、よく似たものである。カタログと大差がない。ところが、このアンジェリーナ・ジョリーは、いつもスクリーンで眺めている奇妙奇天烈な体育性能で印象するよりも、遥かに人物が複雑のようだ。初婚は『サイバーネット』で共演したジョニー・リー・ミラーと1995年に。しかし、4年後の1999年2月3日に離婚。2000年5月5日に『狂っちゃいないぜ!』で共演したビリー・ボブ・ソーントンと再婚。2002年3月にカンボジア人の子供マドックス君を養子として引き取る。2003年5月、ソーントンと離婚。2005年7月にはエチオピア人のエイズ孤児である生後6ヵ月の女児を再び養子として引きとり、ザハラ・マーリー・ジョリーと名づける。国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR) の親善大使も務める。どうやらとおちゃんとも折り合いが悪くて、最近Voightという名前を法的に削ってしまって正式に本名が、Angelina Jolieになったらしい。とおちゃんには、反撥しているものの意外にその気性は社会派のようだ。報道によると、ブラッドピットとの子供をよりによってナミビアで出産したらしい。その動機は、国連難民高等弁務官事務所の親善大使ならではのものなのだろうか?ちなみに、彼女はレズビアンでもあるらしい。頑張って子作り、子育てに励むレズビアンという存在は、もう菩薩さまとしか言いようがない。存在そのものが、超常現象のようだ。2006年05月28日14時07分[ワシントン 27日 ロイター] 米オスカー女優、アンジェリーナ・ジョリーさん(30)が俳優ブラッド・ピットさん(42)との間に女の子を出産した。ピープル誌が27日遅くに伝えた。
2006年05月29日
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土曜日は、リクエストを貰って現在大学院で修士論文に挑戦中のTさん。現役の助産婦さんで、心的外傷後ストレス障害PTSDPost-traumatic stress disorderや妊産期欝病Maternity Bluesなどをテーマに追われているとのことで、友人の産婦人科医を紹介することになった。私の不手際で、両名を待たせて大幅に遅刻。顰蹙ものだ。気の毒なぐらい、お待たせして両名を仲介したのだ。けして気前の良い話題ではないのだが、予想外にいろいろと話題が広がった。けしてご研究のテーマに沿った話題交換というわけには行かなかった。初対面でうちとけるというのも難事だ。とにかくうちとけて話題交歓が出来ただけでも運が良かったという処だろうか。残念ながら、このテーマを追っている研究者にとってこの国の現実はけして追い風ではないだろう、というのが医師の見解で自分にも納得が行くものだ。産科自体が虐待されているかのように、年々廃業医が急伸している中で、その産科医と協調的に妊産婦のさまざまな心的な負荷を少しでも減らして差し上げようという意欲的な活動プランを抱いておられるTさんの目論見は、いまこの国にとっては相当手厚く庇護し、官民あげてむしろ支援しなければならないような内容だろうと思うのだけれども、現実には周囲に呼びかけることすらままならないのではないだろうか。医師は、まずいかに現在の産婦人科医にゆとりがないのかという話題を展開した。そもそも彼の地域は、関西でも有数のベッドタウンとして有名だった地域だ。そこにいまわずか4人の産婦人科医しかいない。しかもそのうち2人はもはや70代、ほどなく廃業だろう。彼も、わたしと同輩だからそろそろ晩年の支度を考えたいぐらいだという。都市部ですらそうなのだ。これが地方にゆけばもう一層悲惨だろう。そもそも無医村どころか、産婦人科医の無人地帯が続くという。それでなくとも幼稚園児を殺傷する主婦すら登場するという時代に、子供を社会が育てようという意欲を阻喪しているのか、如実にさししめしている。彼の、話題の進行にともなっておそらく研究テーマの深耕や協力を依頼できればと思っていたらしい彼女もあきらめムード。なんと妊産婦のサポート活動を組織化しようと思っているらしいTさんの願いとは裏腹に、いまや我々が危惧せねばならないのは、産婦人科医の絶滅をどうするのかという喫緊の課題ではないか、という風に座の話題が移ってしまった。そうなのだ。いま、若い女性が子供を産まないとか、産みたくないとかという議論の以前に、下手をすると政権や行政、法律が女性に子供を産みたくなるような劇的な状況ができあがったとしても、その時点でこの国の産科医学の水準や産科医の絶対数が致命的に減衰してしまうという可能性すらあるのだ。事情は、小児科医でもご同様だろう。そんなことあの豊満な女性閣僚やポスト小泉の諸先生は、お気づきになられているのだろうか。国債を底抜け脱線で発行されているが、これから産まれようとする子供の数を少しは真剣に数えて見てもらいたいものだ。すでにいま生まれた赤ちゃんから、棺おけに片足を突っ込んでいる老人にまで等しくこの国の国民には700万円からの規模で「借金」があることになっている。小泉が、名ばかりの改革をやらかしてくれたおかげでその借金の規模は、さらに急伸しているわけだろう。いわば不良債権のかたまりのような巨額の既発国債を、生涯にわたり清算させられる運命が、バスタブの中の産湯よりも溢れ返って浴びせかけられるというようなこの21世紀の日本で、誰がばかばかしい子供を作りたいと思うものだろうか。榊原英資は、お金だけが動機で若い女性に出産をして貰えないのではない、とか言っていた。そんなことはないだろう。第一子出産をしたなら1千万円、第二子出産したらば3千万円というぐらいの助成金を政府がすべての未婚女性に対して約束をしたとしても、あの不良債権規模からすれば+-ゼロ。なんのなんの、まだたりないというぐらいのものだ。そういう風に私は思っている。猪口才な、思いつきで国力の疲弊は留まるものではない。さて、この日記の読者で関西のご婦人方でTさんとこのテーマを追いかけてみたいという方があれば、ぜひ声をかけていただきたい。それほどの過酷な時代に、敢えて敢然と子作りに踏み込んでくださるかたじけない妊産婦の現状に、ぜひとも人生の先輩たちの英知を注いで手厚い支援体制を築いていただければと願ってやまない。
2006年05月28日
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毎日、スパムメールが届く。プロバイダーは、いつもこの日記で悪態ついている@niftyだ。みな驚くが(つまりアンチ富士通、アンチニフティで鳴り響いている私がプロバイダーを@niftyだということについて)、自分はなぜか頑固にいまだ@niftyを使い続けている。あそこのカスタマーサポートも、うるさいオヤジがいつものようにうるさいというのに馴れっこになっているようだし、かえって居心地がいいのである。@niftyも、あきれながら渋々つきあっているのだろう。「いつでも退会してくださって、いいですよ」みたいな事をいう窓口もいた。よほど呆れているのだろう。この気分は、野村秋介が朝日新聞に深い思慕の思いを抱いていたのとは少し違っている。富士通と、ニフティーには、先駆けてこの国のネット人を育ててきた「大家」としての責任も自覚も抱いて貰わないと困るのだ。ただの消費者として利用しているつもりはない。ま、しかしこういうのをあちらは「有りがた迷惑」だと思っているのは間違いない。しかし、最近の@niftyのスパムメール判別はむちゃくちゃな気がする。このあいだまで、いくら教えても教えてもスパムメール学習能力が低いと呆れていた。数百回以上も設定したり、迷惑メール学習機能に入力をしているのに、ぜんぜん向上しなかった。それが、5月になってからほとんどの到着メールをスパムメールとしてWEB上で迷惑メールへ仕訳し始めた。これには驚いた。一旦迷惑メールに仕分けされると、自分のパソコンにメールが登場しないので、ほんとうに必要なメールが消えてしまうことが頻発するのである。ひどい時には、一日にメーラーへ数通のメールしか届かないことがある。そこで、WEB上の@niftyのサイトで膨大な迷惑メールを仕分けてみるとなんと、あの小泉首相のメールマガジンまで迷惑メールフォルダーにあるではないか。これには、笑う。しかし、笑うだけではすまないだろう。そもそも、小泉首相のメールマガジンが、@niftyが迷惑メールに判別するとすれば、それはさすがに私の選別ではなく@nifty側が設定した迷惑メールやスパムメールを判別するアルゴリズムがでたらめだという証左だろう。おーーい、小泉純一郎くん。古河建純くんところは、まだこんなことしとるぞぉ。
2006年05月27日
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↑クリック嫌われているということは、目立っているということや。 悲しい話は夜するな。つらい話も昼にすれば何ということもない。 通知表は、0じゃなければええ。1とか2を足していけば5になる! 葬式は悲しむな。丁度よかった、しおどきだった。人がこけたら笑え。自分がこけたらもっと笑え。人はみんなこっけいだから。 生きていることが面白い。なりふりかまうより、工夫してみろ。 人に気づかれないのが本当の優しさ、本当の親切。 ケチは最低!節約は天才! 「暑い」「寒い」と、うるさく言うな。夏は冬に感謝し、冬は夏に感謝しんしゃい。 時計が左に回ったら、壊れたと思って捨てられる。人間も昔を振り返らず、前へ前へと進め! 世の中には、病気で死にたくない人がいっぱいおるのに、自殺なんて贅沢だ。 今のうちに貧乏しておけ!金持ちになったら、旅行へ行ったり、寿司食ったり、着物を仕立てたり、忙しか。 「おさのばあちゃん語録」よりB&Bの洋七が、小説を書いて売れているそうだ。それがまた、映画化されて評判がいいらしい。生きている「三丁目の夕日」には、知らぬ顔 2005/11/27 昨年秋に、生きている「三丁目の夕日」には、眼も触れずスクリーンに向かうのは我々の物忘れなどと、憎まれ口をきいていた。考えてみれば洋七の描く「佐賀のがばいおばあちゃん」は、実のところ佐賀どころか日本中にいた。いや、まだまだ日本にはたくさんご存命だろう。どうやらわれわれは人に描写をされて、スクリーンを経由せずんばどうしても、そのお値打ちが理解できないような脳の仕組みになってしまっているらしい。人間は、感覚のいきものだ。左、右に眼をやるよりも眼の前の大画面、スクリーンからしか学ばないという反射がみについてしまったのだろう。実は、洋七のかぞえあげて枚挙するような語録は、日本の大多数のおばあちゃん達がかつて後進に向けて発していたものだ。聞こえなかったのは、われわれが耳に栓をしていただけのことなのである。馬鹿の壁というのは、他でもないわたしやあなたの考え方の姿そのものだろう。しかし、久しぶりに威勢のいいセリフを耳にした。わが母親経由で、祖母の逸話もいろいろ聞いたものだが、洋七のおかげでそれらを思い出させて貰った。感謝する。
2006年05月26日
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東儀秀樹も、かなりかわっていると思うがモィーズも相当なものだったらしい。いつもパイプをくわえているいる晩年の写真が知られているが、どうも健康法のつもりでパイプ煙草を嗜んでいたらしい。日本では、他界した吉田雅夫がこれにあやかっていたのか講演会の席上でも、煙草に火をかかさないという呆れた顰蹙男だったのが記憶にある。まだ、周囲が田園風景だった頃の吹田市江坂の吉田雅夫の講演には、聴衆が我慢しているなか煙草の煙がたゆとうという不思議な空気だった。フルーティストは、みなヘビースモーカーなのかと真剣に考えたが、アホらしい。そんな筈はないと思う。もともとフルートは、喉を荒らしやすい楽器だとも聞いた。そんな無茶をするから、早死にするのである。まあ、他人の事はあまり言えない。物事に動じない、たまゆら1/fさんがスカイプで話していると心底驚いていることが伝わってくる。こちらは、日常的に発想しているつもりなのだが、どうも自分の日常が「超常現象」みたいな発想で組み立てられているらしい。気づけば、それはたしかに一日中ワープしているような奴と、真面目に話をしていると疲れることだろう。つくづく気の毒だ。なんのことはない、自分が20代頃は超ド級のヘビースモーカーだった。当時25本入りのハイライトという銘柄があって、それを一日3箱はすっていたと思う。パッケージデザインは、あの料理研究家平野レミの旦那で和田誠というイラストレーターだ。ところが、いつのまにか煙草を吸わなくなっていた。酷い健忘症で、煙草を吸うことを知らないうちに忘れた。ニコチン中毒も、忘れてしまうほど自分の健忘症は相当酷いらしい。上海に行くと、なぜか記憶が蘇ってきて「人民」という煙草を喫ったりするが、関西空港に着く頃にはもう記憶が消えてしまっている。英語をいくら学習しても、身につかないわけである。
2006年05月26日
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マルセル・モイーズ(Marcel Moyse、 1889年5月17日 - 1984年11月1日)は、フランスのフルート奏者。エヌバン、ポール・タファネル、フィリップ・ゴーベールに師事、20世紀最大のフルート奏者の一人とも称される。第二次世界大戦前までパリ音楽院の教授を務め、晩年には指揮も行っている。 彼に捧げられた曲は多く、ジャック・イベールのフルート協奏曲などがある。 また彼は指導者としても有名で、その教え子にはウィリアム・べネット、トレバー・ワイ、オーレル・ニコレ、ルイ・モイーズらがいる。日本への影響も大きく、彼の研究者として吉田雅夫、高橋利夫らがいる。彼は作曲は行わなかったが、練習用教本を数多く書き、それらは今なお多くの人々に愛用されている。東儀秀樹が、バイク好きなのはまったく知らなかった。こちらには、フルート奏者だったマリィ ジョー ♪さんとかプロのサックス奏者であるlalameansさんが、たまさかお越しになる。こぼれ話か、トリビアTRIVIAついでに言えばあのランパル、ニコレが師と仰いだマルセルモイーズは、バイクおたくだったと指摘をしておきたい。カラヤンを遡る、トスカニーニの昔。主席フルーティストを占める大名跡マルセル・モイーズは、めてにフルート、ゆんでにスパナの人で。休みとなれば、バイクを弄っていたそうだ。その手先の器用さと、工具についての精通ぶりがあの木管フルートを近代的な金属製フルートに編成させたものらしい。金属のフルートを、木管と呼ぶのは奇異な気がしたものだが、その昔、フルートは木管そのものだったのだね。東儀秀樹の雅楽楽器は、シルクロードを経て東洋に伝承されてきているにせよ起源では多分木管のオーボエやフルートと繋がっていたのではないだろうか。
2006年05月25日
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聖徳太子の配下、渡来人で秦河勝の末孫などといわれる東儀秀樹が死に損ないのバイクライダーだというのは知らなかった。先に、辞任した弁護士の西村真吾議員も父西村栄一民社党委員長と、東儀家の母親のあいだに生まれたという。渡来人の末孫といっても、さまざまだ。あの東儀秀樹が、稀代のバイク狂いで衝突事故で10メートルも吹っ飛び集中治療室で危篤寸前まで行ったなどというようなことはまったく知らなかった。その時に、大破したカワサキのバイクを、交差点でぶつかって来た自動車の対物保険で全損補償を受け、ヤマハのXJ400に乗り換えたというから並大抵ではない。家族は、息子がバイクで死に損なった事実をまったく知らされていなかったという。道路にほりだされて、脳を路面に激突させて死ななかったというのは、偶然にせよ余程強運の持ち主というしかない。黒田清子さまが清子内親王殿下時代に、あわやという処で彼に押し付けられそうになったなどという風聞も(失礼、不敬でした)耳にするが、よくよくの命知らずで悪運が強いというのは多重に絡んでいそうだ。東儀秀樹の奏する篳篥(ひちりき)は、もしかしたら風をドラッグする感覚をも包含しているのだろう。音楽のことはよく分からないが、天秤座のB型の東儀と、水瓶座の0型である自分は、なにか向こう岸からさしかけてきて観えてしまう共通の光のようなものがあるのかもしれない。自分も、命拾いを何度も繰り返し、懲りもせずに生きている。自分は、2度医師に死亡宣告された死に損ないの2歳児を経験した過去がある。その後も、火事や危ない事故をスルスルと抜けてきた。実は、バイクで後方から、ボルボに追突されたこともある。なにか、東儀秀樹に親しみを感じて仕方がない。もしかしたら、自分も滋賀県人のこせがれながら、古い昔祖先が渡来人だったのかもしれないと常々思ってきた事も反芻される。人の脳には、いろいろ詰まっているものだ。みだりにコンクリートと激突させるのは避けたいものだ。
2006年05月24日
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1998年11月、インドはバンガロールにおいて、発展途上国のIT発展について考察する国際セミナー「Global Village」が開催されたという。デジタルデバイド解消への取り組み方が活発に討論されたといわれており、これに先立つ1998年9月には、Swami Manohar氏が新たなアプローチとして、低価格で使いやすい「Simputer」の開発を促している。同氏はSimputerのコンセプトを「The Simputer: access device for the masses」と題するレポートに著しており、現在でもSimputerの開発理念として前面に掲げられているとされる。同氏によると、Simputerは、シンプルかつ低価格かつ多言語対応のコンピュータを意味する「Simple, In-expensive, Multi-lingual People's compUTER」と定義されるという。まず、Simputerのユーザーインタフェースは、電話のダイヤルボタンやテレビのリモコンが、だれにでも使いやすいシンプルなデザインになっているのと同様に、わずかな操作キーのみで利用できることが目指されている。このシンプルな構造は、省スペース設計で低価格を実現する目標につながり、デジタルデバイドの解消にはUS100ドル以下で普及させられるかどうかが大きなポイントに挙げられるという。さらに、英語を母国語としない人々にも広く利用されるよう、多言語への対応が求められるほか、音声認識およびテキスト読み上げ技術などを採用して、たとえ文字の読めない人でも使えるコンピュータに仕上げることが理想とされているようだ。可能であれば、電話やファックス機としても用いられる多機能製品にしていきたい、あるいは、防塵防水耐熱性能を備えた堅牢仕様のコンピュータであれば、郊外の村落でも故障することなく長きにわたって使えるだろうといったリクエストも、同レポートには盛り込まれている。世界が100人の村だったら、われわれがコンピューターを独占している1人でいわば「準勝ち組」のようなものとしてさもめでたしめでたしという事になるはずだ。しかし、準組員だか、準勝ち組だかが、どれほどのものであるのかはこの日記に熱心にかよっていただいているような、きわめて知的に立ち上がった方々たちには、もう先刻承知のとうりである。たかだか、パソコンを前にして愚痴をいっているような衆生でしかないわれわれが勝ち組のはずはなく、またシンガポールへ持ち逃げするような金融資産もない。ノートパソコンならば、秋葉原や日本橋のゴミ箱にも捨ててある。とてもとても準勝ち組扱いされるいわれはないのである。しかし、現実に洋の東西にはパソコンはおろか、ソロバンにも手が届かない貧困層も多数あって、世界村のパソコンをもちあわさない99人について、真剣に考えてゆくべき義務は、等しく我々のものである。そこに、ひとつの解法を提起した人たちがいる。たとえば、Swami Manohar氏である。いわく、Simputerというらしい。新品のコンピューターというような意味ではなく、Simple な 安い、事と次第では言葉に不自由で読み書きできないというような人たちにも使えるComputerということなのだという。これは、結構凄い考え方だ。彼らは、世界でパソコンを使える1人であるというような現状を満足するどころか怪しみ、それを突き崩して行こうとしているのだ。いわば世界の30人以上が、利用できるインターネットを夢見ているのだろう。考えれば当然の考え方だ。世界が、地球が100人の村だったとしたら、パソコンを使えるただ一人の私やあなただけで維持できるはずがない。99人の手助けを得たとしても維持保全が難しいかもしれない、この地球の異変や災害に備えるために、われわれの手元から村に1台のパソコンよりも、30人、40人とアクセス可能な端末とインターネット環境である事が、なによりも望まれるのだ。無論、お金の流れがそのようなことをけして望まぬということは分かっている。お金の流れに、まかせておけばけして世の中は、そのようにはならないし、これからも「格差」は際立って行くばかりである。このSimputerの構想は、地味であれ凄い。あの無料OSで鳴り響くリナックスを搭載して、100ドル(11200円)以下で購入ができるインターネット端末にして、コンピューターもどきを普及させようという構想だ。21世紀は、このような最貧国にさえ根付くようなささやかな革新の上で辛くも成立するのではないか。政府にこのマシンを購入してもらい、村や地区に配布してもらおうというのだ。これを後押しするため、Simputer には共有ベースで利用可能なスマートカードリーダーが内蔵されている。スマートカードは1ドル~2ドルで小売されるため、貧しい村人でも1枚は購入できると思われる。もし本当に政府が地域に Simputer を配布することになれば、村人がそれを最低限の利用料金でレンタルし、その際、手持ちのスマートカードを使って個人情報を保存したり、そこにアクセスしたりできるというわけだ。 「個人所有は先進国の発想だ。インドなどの発展途上国では、すべてのものが共有される」と、Simputer の立案者の1人で、インド科学技術大学の助教授である Swami Manohar 氏は語った。
2006年05月23日
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英語で、上手な人は耳がいいと良く聞く。この「耳がいい」という状態は、どういう事なのだろうか。自分は、この耳がいい、という状態を意図的に形成できるのであれば、人はその希望するコミュニケーション力を少しは良くできるのであろうと、眼をつけていろいろ資料をあたっている。どうやら、語学学習は格闘技の鍛錬に似ている気がして仕方がない。余談であるが、大阪に天王寺高校という進学校がある。国文学者の折口信夫や、作家の開高健、アナウンサーの岸本多万重とか、学者の堺屋太一、中谷厳が卒業生だし、個人的にはSF作家の眉村卓や山野浩一などを輩出している眩しい高校である。実は、ここの柔道部に連戦連敗だった。あの天理高校だの、大阪商大付属だとかに柔道で負けるのは、仕方が無いという気がする。しかし、学区をまたいでわざわざ天王寺高校の柔道部と対戦して、負けっぱなしというのは不本意だ。相手は、大阪でも有数の進学校である。情けないというほか無い。そこで、なぜこんなに弱かったのか、という疑問だけは長らく追いかけて来たように思う。理由は、トレーニングの品質が低かったのである。ではどのように低かったのか。これが、正しく述べられないのであれば、ここまでこだわり続けてきた理由が、かたちにならない。自分なりに思うのは、ワザがかかる瞬間の構造が完璧に描けていない者が先輩の訓練方法の、盲目的な踏襲を述べ、誰も異論を述べられないままに形式的な訓練を反復して繰り返したことにあるという風に思っている。つまり、ただの雑巾ダンスを繰り返していたので、柔道の勝負にはなっていなかったのだ、と総括した。自分は、語学の習得にかかわる上達論的な構造は格闘技と疎通しているのではないか、という見通しを持っている。仮説といえば、仮説である。この仮説は、実証的に裏づけするしかないのだろう。そこで、かつて自分が、負けっぱなしの柔道部員であったという事実を踏まえて考えてきた経緯を前提にして、語学の習得に転用できれば、この上達論の構造そのものが、現実のものだと立証されたものとなるのではないか、と言う風に考えたのである。最近、知ったのは大脳科学の分野でも日本人が語学学習に際して脳内でどのように構造的な位相を獲得してゆくのかという時系列の現象について、ある程度の見通しができつつあるらしいと知った。つまり、学習における無駄や、無理を科学の眼でもある程度は指摘できるようになりつつあるようだ。かつて、英語会話の能力が皆無だった英語教師たちにたかだか講師だというだけの資格で、全幅の信頼を置いて語学習得の道筋をゆだねてきたという悔恨の時代を持っているわけだが、このような科学の視点があの手の無能な英語教員を、少しでも排除してくれる事を期待したいと思うものだ。現在までの処、脳の内部で発語反射を形成するについて、判明した事は大脳の中には空間的にへだたりのある言語の構成に関与する箇所があり、大きく2つの領域に分離しているということ。一つは外からの言語的な有意味のメッセージを受け取るというパッシブな箇所。発見者のヴェルニッケ氏の名前をつけられた「言語理解領野」だ。また、いまひとつの言語中枢では言語を意欲的に、アクティブに使うことを任務としている箇所で、こちらも発見者のブローカ氏の名前がつけられている「言語運動領野」だ。まず動かなければ発語されないのだから、ここが喉や唇、舌などの動きをドライブして言葉を適切に発する指令を出さなければ始まらない。この二つのフィールドが相互に緊張感を抱きつつ調整的に他の器官を指揮指導してこそ、語学習得がなしとげられたという事になる。分かりやすくいえば、いかなる合理的な鍛錬法もこの臓器の箇所で目的が遂げられていなければそれは無効だよ、という事だろう。やはり、格闘技的な鍛錬と言語習得のそれとは脳の解剖学的な器官依存という意味では、相当疎通がある構造だったのだ。識者によれば、錬度の高い言語習得者の脳では、このパッシブな領野での空間的な距離が、明瞭なのだという。つまり、日本人であるわれわれが異言語に触れたときに、脳の同じ場所で処理をしなくなっている状態がみられるそうだ。また、これが実現していなければ運動をつかさどる脳がいくら鍛えられても舌は動けないだろう。つまり、剣道における素振り。柔道でいえば、打ち込み稽古と同様に語学の習得では、ひたすらテキストを音読するしかないらしい。最短の学習法は、やはり普遍的な学習法の踏襲だ。または、その事に早く気づくことなのだろう。計量的にも、相当はっきりしてきて2000時間英語に漬かり、2000時間程度テキストを声を出して読まないと駄目だそうだ。ほかに、近道はなさそうに聞く。
2006年05月22日
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GATEWAYに、酷い目にあって朝から環境修復に追われている。たまゆら1/fさんも、SKYPEがつながらないから時折IP電話で様子を伺ってくださったりするも、ドライバーが無いのではどうしようもないと事情説明するばかり。昨晩は、ほんとうに酷い状態だった。偶然、エッヂを手元に持ち合わせていたからいま光が使えている。実は、光とIP電話を関西電力K-OPTがいじってくれて相当大変な5月が始まったのだけれど、それも新宿から援護射撃して貰って、なんとか早期解決したのである。持つべきものは楽天ブログ仲間というものだ。なにしろ、通信環境の理解という点では、親兄弟も宛てにならぬ。そんな中で、ようやくまともげな通信環境に整いつつあってのにGATEWAYが、3月に初期不良を認めて送り込んできたハイエンド機に粗相があるとのことで、リカバリーDVDを送り込んできた。責任は、こちらにもあるといえばいえるのだがどこにも解説書に書いていないし、毎回カスタマーサービスの指導を受けながら忠実に実行してきて、トラブっているのだからGATEWAYにも責任の一旦はあると思う。いずれにせよ、システム領域に異変を生じていることは間違いない。そこで日曜日に、一気に修復しようと思っていたのだ。ところが、そのGATEWAYが送ってきたDVDにはなんとドライバーがまったく入っていなかったのだ。GATEWAYのサポートも仰天していた。先に、動作確認していた前任者は間違いなく正しいDVDを工場に指示していたそうだが、届いたDVDにはまったく必要なものが入っていなかった。せっかく、通信環境が整ったので課題解決をと取り組んだ途端にこの仕打ちである。煮えたぎるのは、抑えてとりあえず復旧させるために最低でも光ファイバーの信号を読めるようにドライバーの一部を寄越して欲しいと、担当者に述べた。ところが、日本側のGATEWAYには、そのドライバーの持ち合わせがないというのだ。この間応酬に数時間経過している。そこでエッヂが役に立つのだけれども、これも偶然に過ぎない。相当事故のような幸運さなのである。たまたま手元にエッヂがあったに過ぎない。ところが肝心のドライバーが、おまぬけなGATEWAYの工場の担当者にしか保有されていないという。なにしろ初期不良で昨年末購入した最上位機種の交換で届いた機種なので、日本のGATEWAYのサイトにデーターダウンロードできる状況にないのだ、とか訳のわからぬ事を言う。深夜に亘る追求で、ようやくGATEWAYの大阪から電話。あった、あった。アメリカのGATEWAYのサイトに適当なドライバーが提供できるようだというのだ。そこで、あわてて深夜エッヂでそのドライバーを落とした。デスクトップにデーターが落ちたときは、スコッチで祝杯を挙げたのである。おかげで今、光ファイバー接続環境だけは取り返した。しかし、MP3もスカイプも使えない。酷いものだ。DVDを工場から送ってくるのは、早くて明日だろう。この企業に雇用されているサポーターは、結構優秀だと思う。こんな無茶苦茶な企業姿勢の下で、よく我慢しているものだ。しかも、とんでもないトラブルを毎回収拾しているのだろう。抜群の課題解決力だろ思う。この際、大量に引き抜いてみたらどうか。DELL日本支社さん。
2006年05月22日
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Virtual water 説によれば、精米1Kgを生産するにはほぼ8tもの水を必要とする。小麦粉の1Kgを作るには4t以上の水が投じられているとか。牛肉では、肉の1Kgに対して70~100tもの水が地球環境上では消費されると推定するらしい。2005/06/27雨は、黄金の恵み 18g が、1万円という高級牛肉のステーキもこの世に姿をあらわすまでに2トンの水を要するわけだが、毎日のように残飯を大量に発生するわが娘は、地球環境の敵という気がする。ステーキは、名残惜しそうにDVDの画像では歌手なぎら健壱氏が余すところなく呑みこんで満喫していたのだが、生涯に渡って生ゴミ発生機でやり過ごすつもりでいるような娘は、地球上の稀有な水資源を大阪市内の学校プールを満たしてあまりあるほどの規模で無駄づかいするつもりなのだろう。我々は、祖母の世代から残飯を生じることは犯罪だという感覚で世に送り出された。しかし、娘らはそのような感覚をあらかじめ持ち合わせていない母親の感化もあるにせよ、とんでもない蕩尽を恥じることなく日々行っている。神を畏れよとは、こちらの台詞である。冗談は、ともかく。水資源に、比較的恵まれているわが国が食糧自給率をさげてまで海外の輸入食糧を買い付け、その結果水の枯渇している国々から膨大な規模の水(推計上の仮想水だとしても、水なしにそれら輸入食糧が生産される筈もなく結構リアルなものだ)を、すなわち2000億トンもの規模で、これから永久(とこしえ)に簒奪してゆくなどとお考えでおられるつもりでいるのだろうか?馬鹿なことをお考えになられない方が宜しいですよ、と物理は教えてくれているのである。食糧自給率を、40%から押し上げて我々の口にする食品を自分たちの手で作るということが、ただの安全保障には留まらず地球環境にとって避け難い選択であるということは、早く気づくべきである。ネスレが、粉乳をアフリカの新生児に提供して過誤にもとづく死亡事故を誘発しているということを以前に述べた。その理由は、汚染されていないクリアな水が潤沢にない、ことが背景にある。なんのことはない。我々日本人が、彼らの水資源の最終消費者として君臨していれば、彼らの衛生状態が改善する筈もないのだ、という事に気づかなければならないのである。ネスレが「生命活動の敵」だとすれば、食べ散らかしで残飯を大量発生させているわが娘なども同じようなものだという気がする。
2006年05月21日
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↓Click6年前、アリゾナ大学のAnthony Allan教授はVirtual waterという注目すべき概念を提唱した。東京大学・生産技術研究所などでも、これに呼応した追従をしている。水は、哀しいかな良い意味でも悪い意味でも人間を支配している。金銀は程なく枯渇するだろう。いくら高騰しようが存在しなくなる物質は、議論をしても詮無い。しかし水は我々が生存するためには必要欠くべからざるものだ。水は間違いなくわれわれを支配している。Virtual water 説によれば、精米1Kgを生産するにはほぼ8tもの水を必要とする。小麦粉の1Kgを作るには4t以上の水が投じられているとか。牛肉では、肉の1Kgに対して70~100tもの水が地球環境上では消費されると推定するらしい。吉野屋の牛丼を一杯つくるのに、なんと水換算で1890Lもの水がその肉と米に蕩尽されているのだというわけだ。自分は、毎日ミネラルウォーターを1L飲むように心がけているのだが、1890Lの水というと飲み干すのに軽く5年以上もかかるという計算になる。たかだか一杯の牛丼の存在が膨大な水を地球上で消費して世に存在している。我々日本人は、この地球上でもっとも贅沢に水を使用し続けてきたが無意識の内に日々生活するたびごとに相当量の水を使用している。トイレを使用する。あの排便後に使用する水が一回で10Lぐらいだという。地球上では、人が一日にどうしても生きてゆくためにほぼ30Lの水が必要だという。ところが我々日本人では、一日一人当たりなんと2000Lの水を消費してしまうのだという計算がある。日本では馬鹿な子どもは、トイレのたびに2度も、3度も水を流すがその無駄が地球上ではどれぐらい異様な無駄づかいであるのか、親もけして教えていない。そのため日本人は、世界でもっとも水資源を無駄遣いする習慣を身につけているらしい。日本社会は、年間生活用水を総消費規模でおよそ890億tもの規模で蕩尽している。ところが、Virtual water 説によれば、その1.15倍もの規模の水を別途輸入しているのだという。つまり食糧自給率の低いわが国では、牛肉、小麦、大豆、豚肉、とうもろこしなど飼料穀物にいたるまで外国産品に依存している。それらを生産するに際して消費された背景にある水消費を我々の社会が地球環境で最終消費しているのであるから、この水消費を加算して行くと我々日本人は、年間で1.925億tもの水を地球上で消費しているというのだ。これは狂気の沙汰である。借金大国の日本は、赤字国債を発行してまで世界中に多額の金員を配給している。そんな現実とは裏腹にわれわれ日本人は「生命の水」を今日も暴走特急のように大量に無駄遣いして躊躇が無い。さきに触れた食物連鎖とは、また違ったもう一つのピラミッドの頂上に我々日本人は位置しているらしい。2005/06/27雨は、黄金の恵み 日本人は何もかも輸入に頼って大豆も小麦もアサリやシジミまで、服地もタオルも輸入、わずかに地産地消が動いてきたけど・・・田畑も輸入材の住宅に変わり、一部の金持ちを除いてこれから日本人は何もして生きて行こうと言うのか?百姓が田畑を手放したら何も残らないと同じように日本には化学廃材しか残らないのでは? ひめちゃん7777さん(2006/05/20 04:53:36 PM)去年でしたね。ひめちゃん7777さんが、この日記に書き込みしてくださった最初の頃。水についての一連の日記に興味を抱いていただきました。ふたたび、このテーマを再録してご関心のある方々に供したいと思います。
2006年05月20日
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いま、お金が値打ちを失う方向へ時代が傾斜しているという体感がある。また、始まったと思って貰って結構。もう、まもなくお金の備えている「換価性」が、現物に取って代わられるという私の推量は、現状では与太だが、次第に迫力を増すことになるだろう。いうなれば、「換金性」が「換価性」に屈するという歴史の象限に向かいはじめる。この読みは、物理的なものだ。ただの直観とは訳が違う。お金が、お金としての影響力を維持できるためには、他の諸価値が沈静している必要がある筈だ。しかし、現実にはお金で左右できないものがさまざまに勃発する。たとえば、食糧がそれであることは以前からこちらで話題にしてきた。昨晩のNHKでは世界中でメジャーが大豆の買占めに走っている事を報道していた。食糧の買占めなど、今に始まったことではないのだが今度の買占めにうかつに処すれば、いつぞや私自身や私の周りで間違いなく人は斃れる。村上龍が、勝ち組に数えられるのかどうかは知らないが彼の表情が左程勝ち組風に明朗ではない理由は、ただのキャッシュフロー程度では到底次の時代を生き抜けることは出来ないのだ、と言うことを彼なりに把握しているからだろう。中国経済は、「いつ」破綻するのか?↑Clickいま一万円で、永久脱毛を企図すると320本を整形外科で処置して貰える。国産最高級牛肉を、相応のレストランでステーキとして食事すると一万円では18グラム。ひとくちでおしまいだ。世界の子供たちに、小児麻痺予防ワクチンを提供する組織では、一万円あれば500人の子供にワクチン提供ができるという。一平米あたり、2200万円の土地を一万円で購入できたとすると、ほぼ10円玉程度の広さの土地と交換できる。われわれ庶民には、手の出ない世界だ。そこでやけになって一万円でレモンチュハイを居酒屋で頼むと24杯も出てきて急性アルコール中毒でぶっ倒れそうになる。 「Code NEO」創刊号特集よりいまから永久脱毛に1万円を投じるヤカラは、まっさきに斃れることも辞さずという事になりかねない。自分ならば、悩み無用のリーブ21の世話になるぐらいならば、禿げゆく頭髪に投資する同額で缶詰などでも買い込んで床下収納するつもりだ。これほど、価値の下がらない現物は他にないだろう。18グラムのステーキは、これ以後さらに1万円で口に出来る重量を下げるに違いない。中国の平均気温は2030年までに2.8℃上昇する可能性があり、この地球温暖化の影響から作物生産高は10%の下落を記録する可能性も濃厚と指摘されている。そもそもあの国の人口は、まともに数えられているフシがない。総人口が13億だといわれても、後にまだ数億規模の戸籍にものぼらない人口が控えているとされてあやしまれない。20億を越えている可能性も指摘される国が、愚かにも農業を無視してきたのだから、中国が今後食糧を大国に輸出しているような余裕がある筈がないと考える方が自然だろう。中国のバブルは、早晩資源環境が沈静を余儀なくするとの指摘は、少なくない。石油の高騰だけが中国に制動かけているだけではけしてないのだ。すでに中国以外の農業生産国において、たとえば昨晩のNHKなどの指摘のようにブラジルで大豆の買占めが大規模になされて、日本側ですらそれらに喰いついていけていない。我々にとっての大危機なのだが、それ以上に新興中国国内での買占めの熾烈さを推量させる。もともと農業生産をかなぐり捨てて、経済成長路線を採用してきていつまで維持できると考えているのだろう。レスターブラウン教授1934年、アメリカのニュージャージー州に生まれる。1955年ラトガース大学で農業科学の学位を取得後、インドの農村に6ヶ月滞在する。1959年、農務省に入省し、国際農業開発局長を務める。1974年、地球環境問題に取り組むワールドウォッチ研究所を設立、1984年に年次刊行物『地球白書』を創刊。2001年5月、アースポリシー研究所を創設して所長となる。グローバル経済は過去50年間に6倍の規模に拡大しましたが、グローバル経済と地球のエコシステムとは、極めてゆがんだストレスの多い関係になっています。漁場の崩壊、森林減少、砂漠化の進行、地下水位の低下、気温の上昇、 CO2濃度の増加、より破壊的な暴風雨、氷床の崩壊、海面の上昇、サンゴ礁の死滅、生物種の消失などに関する日々のニュース報道は、経済と地球のエコシステムとの関係が、より逼迫しストレスがかかっていることを示しているといえます。世界の文明を振り返ってみますと、古代文明においても経済とエコシステムとの不一致がありました。シュメール文明は、それ以前の文明に比べてはるかに卓越して優れた文明でした。灌漑をして農業を行い、余剰穀物によって都市生活者を支えることで、世界最初の都市が生まれました。また世界初の文字も発明されました。彼らは、私たちが現在インターネットに興奮するのと同じくらい、文字に興奮を覚えていたことでありましょう。 しかし残念ながら、過剰な灌漑、運河やダムの建設が、やがてどういう影響を及ぼすかについて、彼らは推測することができませんでした。彼らの灌漑システムの設計には問題があり、農業活動を続けた長い年月の間に地下水位が上昇し、地面のすぐ下、ほんの数十センチのところまで水が達して穀物が育たなくなってしまったのです。地下水位が上昇することによって、地面から水が蒸発し始め、水に含まれていた塩類が土壌に残されて塩害が起こり、収穫は激減しました。彼らは、小麦から塩類耐性の強い大麦へと生産を転換しますが、やがて大麦の収穫量も減り、食料供給が維持できなくなったのです。すでに日本でも家畜の飼料は高騰が始まりつつある。日本は穀物の80%が海外からの輸入に依存しているのはご存知のとうり。しかもその90%を米国に依存しているのだ。疑うのなら、自分で調べてみられよ。味噌、醤油、豆腐、納豆、日本人の生命線である代表選手として君臨する大豆は97%を輸入しているのである。米国がなぜ、その大豆を牛耳ってきたのか。まさかご存知ないとは言わせませぬ。今後日本に向けて輸出している穀物価格は戦略核ミサイル以上の脅威となって我々に突きつけられることになるだろう。日本は外交不在は誰も知るとうり。この穀物急騰の奔流のなすがまま、日常流通する食品価格に直撃し食品流通の価格は上昇してゆく事になる。季節はずれのイチゴを好んでいるような病的な日本の主婦達は、ひとたまりもない。国産最高級牛肉を、相応のレストランでステーキとして食事すると一万円では18グラム。なんと愚かなお金の使いかただったことと昔語りとなる。神を恐れぬ日本人らは、お札を握り締めて斃れよ、と神はお考えなのかもしれない。
2006年05月19日
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昨年末に、Gatewayに酷い目にあった。初期不良なのだが、なかなか認めない。ようやく春になって、初期不良を認めた。実は、その前にマウスの不良を2回指摘。2回とも交換に応じた。いかに、不良品歩留まりが悪いか。サポートの諸君も気が小さくなっているのが、如実によく伝わってくる。日常、トラブル頻発で防衛線が相当後退しているのだろう。日本で初めてのBTX仕様のパソコン。静かで実にいいと思います。自作しても、ここまでこの値段でできないのではないかと思います。ハードとしての評価は、5点+αでもよいと思うのですが、前回日本で販売していたGatewayは、サポート支持率第1位を獲得するだけのことはありました。しかし、今回Gatewayの名を引っ提げて再上陸(?)した会社は、全くの別物であるとしか言いようがありません。全て上層部の姿勢の問題だと思うのですが、サポートは名ばかり。こちらのクレームや質問にまともな返答は一切してもらえないし、挙句の果てには、製品の使用説明書もまだ出来上がっていない状態です。PCリサイクルマークのシールさえも張り忘れているといった始末。日本での商売の仕方を全く心得ていない不届き千万な会社です。初めてパソコンを使用するような人にはとてもじゃないが薦められるものではありません。パソコンの知識が多少なりともある人にとっては、大変魅力的な製品だと思います。(ただし自己責任が伴いますが)。アマゾンのカスタマーレビューは、なかなかシャープで的確だ。まさしく、そのとうりという印象が湧いた。とうとう、不良を認めて新しい機種が来たのだが、それまでにリカバーを3度もやらされたのには煮えそうになった。そこへ、今度はリカバーのDVDがトラブル。なかにドライバーが入っていないものが届いた。もう、この会社の窓口が気の毒で怒鳴る気もしないが、消費者側としてはたまったものではない。
2006年05月17日
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イタリアの哲学者ウンベルト・エーコと監督ジャン=ジャック・アノーは、当然対談している。その逸話が、面白い。どうやらあの映画の迷路で、幻惑されそうになるが意外にあの空間は同じ階層を行き来させられているだけらしい。それをアノー監督が見抜いてエーコに指摘をしたときに、エーコは、驚愕して見抜かれたという顔をしたらしい。その話を、嬉しそうに語るアノー監督の特典画像を見ながら自分は「なんだ、俺の頭の中みただ」などと不謹慎に思ったのである。迷路のように複雑そうだが、意味があるわけでもなくツクリが複雑なだけで、同じところをぐるぐると廻っているだけ、という印象はいつもする。たぶん、記憶がすぐに失せるのも何を言っているのか分からなくなるのも、その理由は上がり下がりが激しいだけで、同じ階層を遠回りして最初から分かりきったことを謎解きしては、疲れているだけなのだろうという気がして仕方がなかった。湖北の医院で、CTをわざわざ撮影して貰ったが脳には痴呆や認知障害特有の器官的損傷がまったくないと言われたのである。ようするに単純なことを、複雑怪奇に組み立てる悪い癖。パソコンでいえば、バグだらけのソフトのような「性格」が原因なのだろう。映画の中では、修道士ウィリアム(ショーンコネリー)につき従って行動する、実は小説では主人公であるアドソ(クリスチャン・スレーター、暴力沙汰と婦女暴行で有名)が迷路を行く時に、迷路に特有の解法を弟子のアドソが機転を利かせて迷わずにすむという設定になっている。あれは、素晴らしい。というのか、私が日常物忘れを頻発させるために、対処している方法そのものだ。つまり、大切なものには長い紐をつけておくのである。物事を混乱させ、記憶を吹き飛ばす原因は自分の脳にあるノイズのようなものなのであるからそれによって簡単なことを複雑にしてしまう系列に取り紛れることがないよう、物理的に連続している紐に結わえてしまうほかない。おかげで自分の身の回りのものは、どれもこれもストラップだらけになってしまった。いま気づいたが、クリスチャン・スレーターは1988年の映画「タッカー」にも登場していた。フランシス・フォード・コッポラ監督の映画の中では、好きな作品だ。WEB検索のおかげで彼が「タッカー」で、あのロイド・ブリッジスと競演したことも分かった。凄い。
2006年05月16日
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湖北で雪にさいなまれている今年一月に、DVD「薔薇の名前特別版」をわずか980円で手に入れたと述べた記憶がある。物忘れが酷いが、日記をつけているおかげで今980円で購入したことを思い出した。もともと1500円の廉価版。さらに割引で入手したのだ。実は、ぼけまじりのダブルブッキングでアポイントを飛ばしてしまいめげている処でひとつ喝を体内にむけて吐き、気合をいれる。そのためにまたこの映像をみた。テンションが下がると、これら迫力のある作品をみるのが一番良い気がする。>落ち込まないでくださいね(^^;)>弘法も筆の誤まりですよ。マーメイド8625さんマーメイド8625さんのお気遣いはありがたいのであるが、この慢性的な健忘症は相当深刻で困惑している。少しぐらい落ち込んだ方がいいかもしれない。なにしろ懲りないもので、何度でも同じ事をやりかねない。実は、このDVDは本編よりもメイキング特別付録が凄いのである。本編よりも長いのではないか、というぐらいこの作品がどれほど凄いのかが延々解説されている。他ならぬ監督のジャン・ジャック・アノー自身によるものだ。彼のフランスなまりの英語も結構カッコいい。解説は、眼からウロコの内容の連続で、何度見ても気合がはいる。監督としては、あまり好きな方ではないが「薔薇の名前」のような仕事を開示させると仕事の組み立て方が、芸術的に緻密だということだけはよく分かる。つまり気合が入ってくるのだ。今日は、「薔薇の名前特別版」を980円で購入した。ご存知の方もおられると思うが、この映画の製作費とそのセットに蕩尽された意匠や、技巧は半端ではない。あの「三丁目の夕日」とは、対極的である。コンピューターグラフィックスをまったく使わずに、中世の美術工芸品や、建築物、日常雑貨にいたるまで歴史博物館に寄贈ができるほどの徹底した再現品、レプリカで埋め尽くされている。しかも、俳優は世界中から選りすぐりで集められたキャスティングで、顔は一切特殊メイクがされていない。おどろおどろした作品世界を、俳優たちの地の風貌でリアリズム追求したという監督のこだわりの成果である。監督は、あまり好きな方ではないがフランス人のジャン・ジャック・アノーである。まあ、おしゃべりな奴で作品とは別に作品の緻密かつ詳細な解説をアノー自身が行ってくれている。これが聞き応えのある内容で、日本のベンチャー事業者の社長さんたちはぜひ一度この監督の肉声に当たられるが良かろうと思う。彼は、フランス人でありながらハリウッド映画の人的資源をことごとく動員し、あまつさえ巨額の製作資金を引き出し、彼の自己中心的な作品製作に一切口ばしをいれさせず、しかも世界的規模でのヒット作品に「薔薇の名前」を押し出したのである。このDVDは、このアノー監督の作品解説のおまけだけでも980円の価値はあった。2006/01/15「神の飛翔」Last updated 2006/01/15 01:36:49 PM
2006年05月15日
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ボケたらあかんのだが、間違いなくボケている。もともと記憶力が、怪しい。身体に身につけたものは、たいてい見失う。忘れ物は、酷いとかいうのではなく、忘れない時がマレ。普通は、なにかを忘れている。情けないが自分の正体は、そんな奴なのである。このあいだも、両国の隠居さんがダブルブッキングをしたという発言をされているときに、「まずい、自分もやりそうだ」と、瞬間いやなイメージが湧いた。実は、今日ダブルブッキングをやってしまった。今日のイベントに参加する筈を、明日と勘違い。おかげで今日参加できたイベントを、ふたつとも空振りしてしまった。腹立たしいが、誰を恨むわけにもゆかない。他ならぬ自分自身のポカである。もともと物忘れは、酷いがこの種の参加日を間違うというぐらいのポカは、相当なものだと思う。むかしから、他者をバカだと思ったことはあまり無いのだけれど、自分をバカじゃないか、と思うことは相当ある。バカを繰り返すと、ひとたび社会から黙殺されたときには、悲惨だ。自分で、墓を掘るしかなくなってしまう。
2006年05月14日
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シャルドネ。さん松下幸之助さんって何ていいやつなんだ・・・「ぼけたらあかん」という彼の文章を思い出した。ぼけたらあかん 長生きしなはれ年を取ったら出しゃばらず 憎まれ口に泣き言に人のかげ口愚痴言わず 他人のことはほめなはれ聞かれりゃ教えてあげてでも 知ってる事でも知らんふりいつでもアホでいるこっちゃ勝ったらあかん負けなはれ いずれお世話になる身なら若いもんには花持たせ 一歩さがってゆずる身が円満に行くコツですわ いつも感謝を忘れずにどんなときでも ヘイおおきにお金の欲を捨てなはれ なんぼゼニカネあってでも死んだら持っていけまへん あの人はええ人やったそんなに人から言われるよう 生きてるうちにバラまいて山ほど徳を積みなはれそやけどそれは表向き ほんまはゼニを離さずに死ぬまでしっかり持ってなはれ 人にケチやと言われてもお金があるから大事にし みんなベンチャラいうてくれる内証やけど ほんまでっせ昔のことはみな忘れ 自慢話はしなはんなわしらの時代はもう過ぎた なんぼ頑張り力んでも体がいうことききまへん あんたはえらい わしゃあかんそんな気持ちでおりなはれわが子に孫に世間さま どなたからでも慕われるええ年寄りになりなはれ ボケたらあかん そのために頭の洗濯生きがいに 何か一つの趣味持ってせいぜい長生きしなはれや(2006/05/17 08:00:15 AM) ジョージ・ながぬまさん松下幸之助は、身体が弱かった。彼は、金儲けには偏執狂のように最晩年にいたるまでけして油断なく蓄財に磨きをかけたという。生きた証人達から、直接耳にしたことがある。幸之助が、日本を無税国家にしようと本気で考えていたとするならば、その理由はただ一つ。彼の蓄財に日本国民が豊かで過ごしていることが、もっとも望ましいからだろう。貧乏人から、金を毟り取る事ほど難しいことはない。偏執狂、すなわちお金儲けの鬼のような松下幸之助はおそらく血の滲むような努力の人でもあっただろうと確信する。工藤夕貴という女優がいる。彼女が、12歳でデビューした頃。自分は営業車輌で移動中、、父親である演歌歌手、井沢八郎の熱い娘への思いをラジオで聞いた記憶がある。父親が、手放しで娘を賛美するのはどこにでもある話題だ。だが、ご贔屓の井沢八郎の娘に向けた思いは、意外なほど素直に耳に届いた。彼が、披瀝する娘工藤夕貴のエピソードがどれもこれも爽やかだたからだ。たぶん、直感的にいい子なのだと納得させられるものがあったのであろう。自分は、井沢ほど周囲を納得させうる風な語り口で娘を描写できるだろうか。このあたりは、我とわが身の来し方を試されるものがありそうだ。のちに落語家の立川談志が、工藤夕貴にぞっこんなのだと言っているのを耳にした。大きくなって、見違えるほどの女優になっても自分にとっては、あまり父親ほどに強い印象の湧かない工藤だが、直感的によほど凄いオーラがあるんだろうと予想した。偶然、書店で立ち読みした「英語でしゃべらナイト」4月号の特集記事を読んで愕然とする。彼女は、ハリウッド映画のオーディションを200回受けている。壮絶なのは連続20回も落ちたことがあるという。彼女は、われわれが普通に息をして吐くように努力を惜しまない。たとえ、オーディションを200回受けれるだけの資金的な体力があったとしても、人にはけして試みることができない容量というものがあるものだ。彼女は、常人が為し遂げることができないような努力を、平然とやってのけて、それをおくびにも出してはこなかった。雑誌で、話題にしたのは、英語の初学者たちへのサービス精神だろう。到底、鼻にかけているというような話題には思われぬ。これは、凄い。東京や大阪の人材銀行に登録するオヤジたちの中で、履歴書や職務経歴書を200通出したという人が、どれだけいるだろうか。1000人にひとり、いるかどうか。面接に、連続20回落ちるということの意味を理解できる人は、彼女の卓越した熱っぽさが分かる筈だ。この種の凄みを最近さりげなく我々に示した人物が脳裏に過ぎった。あの荒川静香だ。金メダルというものは、並大抵なものではない、と思った。荒川静香や、工藤夕貴の努力の足跡は常人には到底伺いしれないものがある。世阿弥に、「秘すれば花」(風姿花伝)というのがある。花がそこにあるのも立派に格闘技なのだと誰も知らない。
2006年05月13日
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お金の値打ちが、無くなるみたいな事を周囲に言いふらすと狂人扱いを受けるのは避け難い。そのうち、金の価値が暴落するなどといえばたぶん電波系だと思われても我慢せねばならないだろう。しかし、日本ではほんとうにお金の値打ちが相対化され、少なくともいまよりも羽振りを悪くして貰わないと困るという気がする。あまりにも短期でお金を集め(回転させる)ことが経済社会で白熱し過ぎているからだ。皆さん、あたりまえのように思っているが、これはすべて仕組まれた事だと気づいていない。昔、それほど酷くはなかったのだということを忘れ始めているらしい。実は、あのプラザ合意というのはこういう加速感の起源にある。サラ金の看板が街中にあふれ始めたのは、けして偶然ではない。わたしの謂いは、お金こそこの世の格差を助長するシステムの中心に他ならないからだ。多くを保有するところに、多くがあつまり、手元に少ないところにはけして集まってこない。だから、我々は致命的に豊かになれないということに少しは気づくべきだろう。いまの時代、景気は全人口の5%程度に潤いを与えているだけだ。もしいま購買が改善して売れているという流通に関わっている人たちがいるのであれば、それはこの国の5%に関与していると思っていい。一方、日本の失業率はもう5%目前というところだろう。多分実態では5%を越えているに違いない。つまり景気のいい5%は、雇用されない5%を養ってあまりある規模の収入を得ている。とすれば、残りの90%の大多数国民が、潤う筈が無い。そう考えて間違いないだろう。格差社会といわれるものは、どうやら5対95の社会という気がする。こんな国でも、世界ではGDP第2位で、ばら撒きで有名なODAは1兆円どころか、2兆円にもなろうかという嵩だったはずだ。こんな派手に我々の福祉に充当しても良かろうはずの金員を例年ばら撒いているヤカラを、「国」だと呼ぶのならば愛国心などが目覚める筈がない。だから、強制的に君が代を歌えとか、起立しろとかレベルの低い話をぶりかえすのである。ようするに嫌でも国を愛したくなるように懐へ、豊かさを配給して貰わないといけない。これがお金の分配に任せておけば、当分ありえないだろうというのが自分の読みなのである。およそ豊かな国とは、どんなイメージか。一、医療、教育はただ。ニ、若いサラリーマンが、ちょこっと仕事をすると家が買えて彼女に求婚しやすく、子供がつくりやすい。三、30代になると、ゆとりが出てきて別荘が持てる。四、海に臨んだ家では、桟橋にクルーザーを保有して土日は自前で調達したシーフードで家族でバーベキューができる。五、年恒例で、一ヶ月の有給休暇を認められていて、その消化を会社から義務づけられている。六、ルーブル博物館や、ボストン美術館、そしてエジプトにピラミッド発掘など社会人になってからも訪問が容易くできて、常に世界の文化状況に通暁している。七、時間があまれば、環境ボランティアで山や川、湖の美観に余念がない。本来、すでに我々の生活はこのレベルだった筈なのである。これは間違いない。戦後、一度も戦争をしなかった日本は当然この域に達していたことは相当な確度の高い内容なのである。実は、GDPが日本以下の国で「豊かな国民」イメージを問いただすと大体それら1~6のイメージになるらしい。彼らが不満を抱くとすると、このうちの2つ、3つが実現しているだけで到底6つは無理というような内容らしい。なんと、われわれ日本人が6つとも実現できていない、というのはそれらの国の人達には、夢にも思われていないらしい。まさか、日本でこれほど自殺者が多いなど、誰も思ってはいないわけでありましょう。皆、お金の分配が絡んでいるからではないのか。昨今この国の生活保護世帯がついに100万世帯を越えたと言う。収入が1000万円以下400万円以上という絵に描いたような中流派は、ジリジリと減る一方。だって、GDPの60%が個人消費だという構造の国で、中流派が減れば、個人消費が減じるのは避け難い。そもそも賃金は連続7年下がりっぱなし。「誰が、景気回復やねん」といっている人が、国民の95%という体たらく。しかもそのうち5%は、落ち込んだまま息絶え絶えなのだろう。景気回復にさえ、社会に格差があるという笑えない社会。無駄遣いをした覚えも無いのに我々の社会がけして豊かな事態にないという理由は、お金という特性をフルに活用した謀略によるものだと、いいかげん気づかなければならない。そう思う。
2006年05月12日
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↑Click中央公論6月号、橘由歩のレポート「アジア人嫁の挫折と孤独」が面白い。・・・失礼、興味深い。橘 由歩 たちばな ゆうほ福島県出身。東京女子大学文理学部史学科卒業。『別冊宝島』『月刊現代』において、「新小岩事件」「不倫OL放火〈殺人〉事件」など、女性が犯した時代を象徴する事件のノンフィクションを、『婦人公論』において1999年、2002年と二度にわたり、ひきこもりに関するルポを掲載。家族、子ども、女性を主なテーマとし、「普通の、と形容される人たちが感じる生きにくさ」を、具体的な現実の中から見つめようと、取材執筆活動を行っている。 中央公論6月号特集、橘のレポートによれば、滋賀県湖北長浜の男はどれもこれもマザコンで精神的に自立していないかのようだ。彼女の言わんとする事はよく分かる。一読して失笑を禁じえないのも事実である。しかし、ここまで事件の原因を、現地の男たちにステレオタイプイメージかぶせれば当然ながらくだんの長浜の男たちも釈然とはしないだろう。---二十年間、東北地方にやってきたアジア人女花嫁を見つめてきた、日本青年館結婚相談所所長坂本洋子氏は、当時の様子をこう語る。「農村の長男は、結婚して後継者をつくることが家を守ることだと思っている。『母ちゃんのために嫁がほしい』といった男性さえもいた。地域に雇用がなく、村を出る女性が多いなかで、日本の女性との結婚は難しいと本人も地域の人々も感じたところから、国際結婚はスタートしたんです。村の存亡をかけた国際結婚だから、結婚式にはよく、町村長が出席してましたね」6月号221Pさすがに、湖北長浜の男たちを擁護したいという気分が湧く。橘の論旨は、優れて帰納的であり、あらかじめ橘自身の隠された願望に沿って機能づけられて配置され事細かな取材先の声がちりばめられているが、これはみなある意味周到に用意されたダミーであって、それらの証言は実のところ橘の裏声のようでもある。自分は、この冬の湖北で腰椎変性を生じるほど雪掻きを実行した。大阪生まれの大阪育ちである自分にとり、初めて遭遇する雪国の雪の過酷さや壮絶さには息を呑む思いが湧いた。室内にあっても、氷点下にまで気温がさがり、ついに布団の中で、寝袋を使った日さえあった。橘は、この1月2月に現地にあって、あるいは寒冷地にあって一度でも雪おこしを試みたことがあるのだろうか。---「厳寒の地で育った彼女たちは、とても純朴で働き者です。両親との同居・年齢差も気にしません」鄭もインシュリン事件の鈴木詩織も、黒龍江省出身だ。ハルビンの東に位置する通河県と聞く。日本の男たちも、福島県出身で東京女子大学卒のインテリ女性が予想に反して「とても純朴で働き者」であることを歓迎することはあっても、けして酷評する事はないだろう。ただ、問題なのは間違っても橘のような女性が嫁にはやってこないというだけのことなのだ。---精神家医である桑山氏が出会うのは、ストレスが限界を超えた女性たちだ。「夫は非常に自己主張性の低い、パリッとしていない人が多いんです。母親が元気で、家をコントロールしていて、長男はマザコンに埋没している場合が多い。夫に夢を託して来日してくるがことごとく失望し、自分でやらなきゃ駄目だと諦める。誰も頼れないと、がんばった結果追いつめられ、うつ状態になったり、不定愁訴も非常に多い」6月号223Pたしかに、ストレスは多いことだろう。それが国際結婚というリスクなのだ。リスクを承知せずに、国際結婚に飛びつくという事情は存在するのかもしれない。しかし、その事情は日本の配偶者の責に一定求めるのは酷というものだろう。日本の配偶者にも困窮があり、国際結婚に飛びついた彼女らにも貧困があった。これを埋め尽くすことは、「農家の長男」のみの十字架なのだろうか。農家の長男をただ単にマザコンだと罵倒する一刀両断で、物事がかたづくのであれば誰も苦労はしない。百歩ゆずって滋賀の農家の長男が、ことごとくマザコンであるのだとしよう。であれば、誰がその責任を取るのか。男性たちの問題について桑山氏は言う。「男たちは日本の女性の何倍も保守的で、そのギャップが嫁不足だと思うんです。農村でも方向性をもった先進的農家には、都会からでもお嫁さんが来ています。つまり、これは農村固有の問題ではなく、男性の魅力のなさが問題なのです。そういう男性に、日本人女性はわざわざ行かないですよ。結婚しなくても生きていけますから」6月号226Pこれは抱腹絶倒の珍説だ。精神家医の桑山某の論は、よしとしよう。幼稚園児の佐野迅くん(五歳)と武友若菜ちゃん(五歳)は、刃渡り20センチの刺身包丁で心臓を貫通した傷を含めて全身20箇所を刺されている。これすべて、日本の男たちが魅力がなきがゆえに生じた刃傷沙汰なのか。「日本人女性が、わざわざ嫁がない」という魅力のない男性が、中国東北部から嫁を取れば罪もない幼稚園児が刺傷されるような原因の根源に位置づける罪なのであれば、日本社会にとり由々しき問題である。ただちに多くの日本の冴えない男性たちを、強制的に隔離措置をとり一般社会から断然距離を置く事を義務づけるべきだろう。ばかばかしい。こんな法案国会をも通過する筈がない。それどころか、議員立法すらされることはないだろう。---弁護士である大貫憲介氏が出会うのは、暴力に耐えかね夫の家を逃げ出した花嫁たちだ。「ある中国人女性が、こう訴えました。『家を建てた時、私を無視して、夫と母親がすべてを決めたことが一番悔しかった』と。彼女は、国際電話を禁止され、日本語教室に通うのも許されなかった。男性側に買ったという意識があるのか、性行為を強要し、殴る蹴るなどの暴力をふるう場合が非常に多いですね」224P自分は、江蘇省で大概すれっからしな中国女を目撃してきたが、同じようなことを言いつのりながら次々と日本男性を乗り換えてキャリアアップしてゆくさまをアレよアレよ。呆然と眺めていた記憶もある。弁護士大貫某の言う事例が、ないとは言わないがであれば、同時に手のつけられない札つきの不良中国人女らの素行も描写して貰わなければ平衡を欠くというものだ。残念ながら、橘など。これら弁護士の述べる特異な事例を、いきなり「非常に多い」と敷衍化しようというフシが濃厚である。これはいかにも危うい手際というほかない。----DVに対する、慰謝料請求訴訟を数多く手がける大貫氏もこういう。「冴えないから、暴君になるんです。大人のおもちゃを証拠として持って逃げ出した、中国人女性もいました。彼らの意識は、ペットショップで動物を買うのと同じ。ほしいのは、自分に都合のいい女性だけ」6月号226Pようするに大貫弁護士は、DVDで慰謝料請求する女性をもっぱらクライアントとする専門職なのである。いかにもクライアントの要望する、被告像。プロなればこそ、あしざまに謂うものだと言う以外の所感はない。ところで、橘はこの大貫弁護士の述べようが何か、かの鄭永善被告の幼児刺傷事件を免責するとでも思っているのだろうか。自身が冴えないことを自覚せぬ夫らに、暴力をふるわれ、絶望的な閉塞感に追いやられたとされる外国人妻たち。彼女らとの婚姻をいいことに性的虐待を加え続ける配偶者たちなるものの存在。それらを滋賀の農村部にもとめ、さもなにごとかのように描写をすれば、鄭永善被告の殺人への動機が浮かび上がるとでも橘は、思っているのだろうか。自分は、筆者がまことしやかに描写をすればするほど現実に生じた事件と乖離するリスクも高くなって行くという気がした。自分が関心を抱いたのは、この橘由歩の筆致の方だ。彼女は、長浜の男たちに何か恨みでもあるのだろうか。一連の罵倒モードに、思わず喝采するやら溜飲がさがるやら。だが、そこに展開された論旨はこびに著しい逸脱を感じないでもない。「痛烈さ」に小気味良さを感じると同時に、危ういものを印象しないでもないのである。彼女が拾ってきたさまざまな証言を、どれほどつみあげても導く結論をかならずしも根拠しないと感じた。視点として、彼女と目線の先にみえるものは自分にもあった。それはその渦中でひとたび暮らしてみて笑えない現実として横たわってはいるのだが、それをそのまま結論にすえるには、橘はむしろ売文的都合を背負い過ぎていると思わずにいられない。幼い園児二人を惨殺した鄭永善被告。中国では日本語の教師をしており、来日後日本語で試験を受けて運転免許を取得したほど日本語がうまい。まじめで働き者と評判のいい嫁だった。しかしある日、彼女は豹変する。長浜市中国人女性園児殺害事件「アジア人嫁の挫折と孤独」中央公論6月号
2006年05月11日
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今どき、ヤマギシ会でもあるまいし「お金がなくても愉しい生き方」などというと周囲から嘲笑われるのが必至である。他ならぬわが父、母からまっさきに言われる事だろう。お前に言われたくない、と。しかし、自分なりに確信するものがある。金があれば、間違いなくそのお金の成長にひきづられた人生を余儀なくされるだろう。これまでは、それで良かった。なぜなら我々の周りにはモノがなく、教養は払底し、家とは雨漏りするものだったからだ。そんな時代に、金を稼ぐことは正義だったことだろう。それは否定しない。いまや、我々の時代とは以下のような描写で理解せねばならない時代なのだ。いま一万円で、永久脱毛を企図すると320本を整形外科で処置して貰える。国産最高級牛肉を、相応のレストランでステーキとして食事すると一万円では18グラム。ひとくちでおしまいだ。世界の子供たちに、小児麻痺予防ワクチンを提供する組織では、一万円あれば500人の子供にワクチン提供ができるという。一平米あたり、2200万円の土地を一万円で購入できたとすると、ほぼ10円玉程度の広さの土地と交換できる。われわれ庶民には、手の出ない世界だ。そこでやけになって一万円でレモンチュハイを居酒屋で頼むと24杯も出てきて急性アルコール中毒でぶっ倒れそうになる。 「Code NEO」創刊号特集よりいま、明かなことはお金の価値自体が迷走している。つまり、お金は、その存在が価値の物指しであった赫々とした栄光の時代を遥か過ぎ越しいよいよ妖しい役目を果たし始め、みさかいがなくなってきたのである。以後、お金を多量に持っていることがリスクとなる時代すら、私なりに考えて「ありえる」と思っていさえする。お金を大量にもっている、となればこの資本主義社会の「市場」とやらと絶対に縁を切ることはできない。その恐ろしさは、気づいてさえいない貴方の前にも早晩露出するだろう。ここの処、景気が回復しただの、失業率が減り雇用が増えただのと、皆一時期の憂いを忘れて次第に気持ちが浮かれてきやしないだろうか。喉元過ぎて、焼け焦げ爛れそうだった昨日を忘れかけているらしい。実は、けして失業率は減っていない。それらしき報道を眺めさせられてあたかも景気回復しているかのように思い込まされているだけなのだ。また、大多数の市民は、生きて行くために取りあえず就労はしているのだが、組織内に留まっている者の中にも相当規模、失業予備軍は潜在しているし、それは二十代に至る規模で明らかに中高年に留まらぬ様相となり、雇用の先行きには暗雲がたれている。正規雇用されている者たちですら、あのライブドアのように巨大な粉飾決算を実行しておれば、当然突然の事業規模の縮小も勃発しかねず、望まぬ整理解雇も頻発しうるのである。そもそも、不良債権問題はどんな風に片づいたというのだろう?昨年、国はすでに不良債権問題が「正常化」したなどと平然と宣言した。「正常化」とは?またしても、あなたはあなたが視たいという夢を見続けようと青い錠剤を飲まされたのだね?4年程前に、26兆8000億円規模もあった不良債権が、昨年なんと7兆7000億円という処まで急減したというのである。だから不良債権問題は、片付いたのだという風に謳う。本当か?嘘に決まっている。すでに公的資金(ようするに日本の国民が払い続けてきた、またはこれからも払い続ける税が)湯水のように大手銀行金融機関に流れ込んだ。その規模、概算で43兆円を越えるという。つまり、もともと奴らが大バクチをしてスッタ、そのツケをあなたや私が支払っただけではなくまたバクチの元手を与えたのである。43兆円ー27兆円=16兆円強 これがいまの景気と言われている正体だろう。その証拠に、小泉が退陣した際未曾有の増税がやってくる。消費税が我々の懐を直撃する。銀行は、バブル期に不良債権を大量発生させた責任を取るどころか、その大失敗をほめられてご褒美を貰ったようなものだ。
2006年05月10日
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↑Click村上龍は、あまり自分と考えが交叉するとは思わなかった。あのライブドアには否定的な印象を抱いていたと本人は述懐している。このあたりは、自分らオヤジの平均的な所感なので、大差ないところだと思う。堀江貴文は、この時代に最も金を集めやすい方法に腐心して、おそらく状況が許すもっとも妥当なコースを選んだということなのだろう。彼らがやらかしたことは、違法行為だろうが、無かろうが、実行できたことの総てが非合法だった筈がない。村上や自分らがいくら否定しても、あのような金は間違いなく堀江らに託されて舞い上がった。この辺りについて俯瞰的に言及できるようになるには、しばらく時間が必要なのかもしれない。検察庁は、当初の意気込みと違えてこの拝金主義者らの保釈請求に、屈した。金正日の政権基盤がすでに危機ラインにあるのは明らかである。たとえば4月10日から東京で開かれた北東アジア協力対話に出席した米国主席代表のヒル国務次官補は、北朝鮮が六か国協議復帰の条件とするマカオのバンコ・デルタ・アジア銀行への金融制裁解除に関連して、米国の措置で凍結している北朝鮮の預金が2,400万ドルであると述べた。日本円で28億8,000万円。まともな国家にとっては端金だ。にもかかわらず、その凍結解除を北朝鮮は必死に求め、六か国協議復帰の条件としているのは、金正日政権の置かれた経済的苦境を示すものだ。だからこそ、日韓双方が協力してもう一歩追い詰めていけば、或いは金正日体制はさらに揺らぎ、崩壊に向かう可能性もある。 櫻井よしこWEBサイト/2006年04月27日この世は金だけではない、とは言うものの「北」の首領さまも29億弱の金が喉から手がでるほど欲しいらしい。櫻井よしこはハシタ金だというが、堀江貴文らが運用した規模から考えても侘しい規模だ。お金の塊は、いかにもこの地上の王様らしい。ところで、自分や村上龍がライブドアや堀江らのグループにあまり興奮しなかった理由はなんだろう。頭がボケてきたから興奮しなかったのだろうか。いや、それほどバカにしたものでもないと我が事ながら思っている。要するに、村上はもっと愉しい金の使い方を知っていると言いたげだ。村上と自分は相当違うとは思うが、同じく愉しい金の使い方のイメージが別途ある。そして、それに世間に誇れる妥当性もそこに確信できる。それがあるがゆえに、堀江貴文に熱狂することもなかったし、ライブドアをさほど「デカシタ」存在だとも思わなかったのだ。死に急ぎをしないで生きていける人は、そういう人達だろう。WHAT A WONDERFUL WORLD/Louis Armstrong I see trees of green, red roses too I see them bloom for me and you And I think to myself, what a wonderful world I see skies of blue and clouds of white The bright blessed day, the dark sacred night And I think to myself, what a wonderful world The colours of the rainbow, so pretty in the sky Are also on the faces of people going by I see friends shakin' hands, sayin' "How do you do?" They're really saying "I love you" I hear babies cryin', I watch them grow They'll learn much more than I'll ever know And I think to myself, what a wonderful world Yes, I think to myself, what a wonderful world Oh yeah
2006年05月09日
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連休にいろいろ平素の散漫でこまぎれな思考から離れて、本を読んだり集中してこの時代と状況を考えた。日曜日、「波乱万丈」というテレビ番組に片山さつきが登場していた。彼女は、事前に知っていたよりも遥かに秀才であることは分かった。現役女子高校生で、全国トップの成績で東大法学部に合格したという記録破りの伝説的な人物だ、ということもわかった。イギリスのあのマーガレット・サッチャーに憧れて政治家としても凡百の女性と違い、とことん頂上を目指すという野心を抱いていることも興味深い。その視点と折々の判断が、さらに面白い。地方のロートルながら年齢相応に世の中がみえてくるものがそれなりに私などにすらあるものだが、彼女はすでに二十代前半に喝破していたのだ。当然ながら、やはり秀才というものは、物事の本質的なものに辿りつく速度も、方法も、並外れている。その上、それを育む社会的な基盤においても圧倒的に恵まれている。つまり格差社会は、それらに根づき基礎づけられたもので昨日今日にわかに生じたようなものなのではないという事だろう。その後、彼女は外務省キャリア入省を足蹴にして、大蔵省をまっしぐらに目指している。大蔵省主計局まで登りつめて、ご存知のとうりわが国の国家安全保障の大きな流れや防衛予算の規模や質を相当大掃除した。詰まるところ彼女は、この国のカネの流れにもっとも影響力のある官庁以外に、若き日に夢みた野心を実現へ向けて散開させる手立てを与えはしないと確信。その路線をまっすぐに突き進んで今や小泉チルドレンの一角を絞めるのみならず、国政の最高首班を目指すほどの気概を虎視眈々抱いているらしい。凸版印刷が、全国にばら撒いていいるDVDマガジンcodeNEO創刊号で村上龍が面白いことを言っている。村上龍は、いつもこの日記で罵倒している人物だが、マガジンで述懐していることはやはり年齢相応の分別が散見できる。やはり、物事の見え方は経歴や人生の軌跡をこえて一定普遍的なものがあるのだろか。いま一万円で、永久脱毛を企図すると320本を整形外科で処置して貰える。国産最高級牛肉を、相応のレストランでステーキとして食事すると一万円では18グラム。ひとくちでおしまいだ。世界の子供たちに、小児麻痺予防ワクチンを提供する組織では、一万円あれば500人の子供にワクチン提供ができるという。一平米あたり、2200万円の土地を一万円で購入できたとすると、ほぼ10円玉程度の広さの土地と交換できる。われわれ庶民には、手の出ない世界だ。そこでやけになって一万円でレモンチュハイを居酒屋で頼むと24杯も出てきて急性アルコール中毒でぶっ倒れそうになる。われわれの時代の尺度をつかさどる、お金がことほど左様に価値尺度として輪郭が曖昧だ。戦後の貧困な時代ならば、とにかく稼ぎには正義の匂いがしていたと思うが、今やお金は無いことも困るが、たくさん持っている事でも日々したたかに人間力を試されるという怖さがある。ネット株の操作で70万円を3億円にした兄ちゃんは、この時代のヒーローだが100年後に彼の名前を記憶する者がいるか、どうかは彼の蓄財したワザよりもむしろそのお金の使い方に依存するだろう。そんな現実を踏まえて、村上龍は至極あたりまえの事をいっている。お金は、使い方のセンスが問われる。それは、世間で普通に考えられているよりも遥かに高度に文化的な洗練が必要だ。お金は、偏執病的な追及ができなければけして一所には集まっては来ない。3億円貯めた兄ちゃんも、全国の偏差値の頂上に登りつめて防衛予算を数兆円規模で左右する片山さつきも問われているのは、その度外れた幸運さやら頭脳のキレばかりではないようだ。尋常一様では収まらない人並み外れた執着力が世の流れの先を行ってさえ。彼らは、その才能と幸運のすべてをどこで蕩尽するのかが問われていたりする。片山さつきは、願って、願って、願った果てになんのことはないフツーに子供を得ることができなかった。母親になりそびれたのである。普通に、子供を産んで育てるということが本人の願い。その願いとは裏腹についに高度医療に傾斜しえてさえ、断念せざるを得なかったようだ。防衛庁を震撼させるほどの予算規模に采配大鉈を振るえる人にしてすら、普通に母親にはなり損ねた。本人なりに結構侘しいものがあるらしい。デイトレードでロレックスと、日産フェアレディを購入できた兄ちゃんの方は、ご満悦だ。だが、時計にもクルマにも興味がない自分には、3億円の使い方として侘しいという気がする。個人の顔色が、愉快なものになっているのかどうか。お金の使い方。消費の仕方も。そのような月並みなところに集約されそうだ。
2006年05月08日
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琵琶湖を一周して、大阪へ。連休は、パソコンからも光ファイバーからも離れて純粋休憩します。などといいながら、結構雑用が多かったりしますが、、、みなさん、楽しい連休をお過ごしください。
2006年05月03日
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見つけた。先に紹介した、あのAlice tepper marlin の大ヒット刊行物である。Rating America's Corporate Conscience が書庫から出てきた。いくらネット検索しても、彼女の活動の記念碑的な著作がどこにもみあたらない。致し方なく自分の蔵書棚を探してまわったのだ。結構、分厚い本なのだがそもそも捨てた筈がない。大した蔵書数でもないのに、どこにしまったのかと気がかりだった。さっそく、あのNestleの稿を開いた。 ↑Clickネスレ関連のブランドを頭に叩き込みましょう。さしもの、Alice tepper marlin女史もこの企業は掴み難かったらしく資料では著作刊行当時では、企業情報に No information available が、めだつ。We could locate little information on social initiateives by Nesdtle's U.S. operations or by the Nestle-owned Carnation company.1986年の刊行時点でも、相当なものだ。したたかな企業だという印象がする。この報告の時制では、女性の役員も総合職も皆無だったらしい。当時、人種差別政策の牙城であった南アフリカとのコミットは、明らかにYESであるとされている。↓Click
2006年05月02日
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司馬遼太郎の「龍馬がゆく」が、60年代に登場した時。やはり、驚きがあったと思う。時代の気分として、勤皇の志士というのは映画館の眩いスクリーンに、いつも奔走しているそそっかしい正義派で、新撰組に斬り殺されかねない修羅場をくぐって世の中が変わる礎になって果てた人達だという程度の印象は抱いていたが、断片的な描写ばかりでヒーローとしてはともかくその息遣いはもうひとつ納得が行く気がしなかった。のちに司馬自身が、どこかのエセーで書いていたがソビエト連邦が東欧に軍事介入していた時期、日本に相当多くの学生反体制活動家が逃げ隠れしていたらしい。戦後の動乱期、司馬は彼ら若き反体制派の留学生やらと交流があったらしい。龍馬のモデルは、実のところ歴史の中に登場してくるあの勤皇の志士たちというよりは、そんな青い眼の青年たちから司馬が受けた啓示のようなものがかたちになり著されたもののようだ。司馬自身がそれとなく独白している。それは、額面どうりなのかもしれない。高校時代、「龍馬がゆく」を読んでいて確かに鼓舞されるものはあった。ただ、その中でなにか腑に落ちない不明瞭な関係性が縦横に張り巡らされているのではないか、という気分が同時に自分に湧いた。ひとつには、すでに述べたように自分自身の幼い頃、密偵というものがそもそも何を背負っているのか。子供の目線ながら、久保などとの身近な接触から感じた皮膚感覚のようなものが働いていたという気がする。幕末の動乱期とはいえ、(いや、それ故になお)龍馬の伸びやかさは謎めいていた。その謎を、ひとつづつ加治将一はつぶしてゆく。そのつぶし方が、それぞれ愉快だ。とりわけ、わたしにとって。龍馬は、諜報部員だ。諜報部員としての姿は、その行動のあちこちに垣間見えるが、決定的な手がかりは、残った手紙が示している。暗号文が存在するばかりではなく、その数の異常さだ。現存する手紙の数は、一二八通。ほんとうは、もっとたくさんある。交流の深かった中岡慎太郎、西郷隆盛にもかなりの手紙を出しているはずだが、それらはすべて消滅してしまって、今現在目にすることはできない。それらを含めると、おそらく三〇〇通はくだらなかった、と言う歴史学者もいる。手紙は、飛脚が運んだ。飛脚料は江戸-大阪間で、だいたい七両から銀三分である。料金の違いは配達日数。三日で着く特急料金もあれば、のんびりと一〇日くらいかける便まであって、料金体系はこまかくわかれていた。(中略)ならば一通、七両から銀三分。手紙の送料合計を、平均一両としてざっと見積もれば、しめて一〇三両。現在の価値に見直すのは、はなはだ困難だ。前にも述べたが、一両、四〇万円から、たった六、七千円だったという極端な学者もいる。ものすごいインフレが進行していて、換算は不可能だという史家もいるくらいだ。それでも米価や手間賃から一〇万円説をとる。すると龍馬の飛脚料は、およそ一三○○万円になる。これは最低の概算であり、失われた手紙の量を考えると、二〇〇〇万円は超えていたのではないだろうか。 338P 加治将一「あやつられた龍馬」祥伝社
2006年05月02日
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大阪府警の密偵だった、久保は実に不思議なアプローチを仕掛けてきた。大胆にも、近隣の食品店で豆腐を買い求め、路上で食べ始めた。そこで「奥さん醤油を貸してくれ」などと我が家に立ち寄りしてきたのだ。両親も、根は純朴な田舎育ちの人間。大阪の下町で雑貨商をしていても気にも留めずに醤油差しを与えた。自分は、その時に居合わせたのでいまでも、久保のおかしな表情が忘れられない。いまから思えばかなり不思議な飛び込み方なのだが、そのまま玄関先にいついて話題をあちらこちらに所在なげに広げる。気短な人ならば塩をまいて追い払っただろうと思われる。そもそも奴は、当時相当広まっていたとはいえヒロポン中毒患者なのだ。吐く息も臭い。いまどき、ヒロポン中毒患者といっても何のことだか分からないだろう。シャブ中という言葉が、まだ無かった。なぜならば、シャブ中は直ちに非合法だと分かる。当時ヒロポンは、売薬で誰でも購入できた。日本中に、覚せい剤が蔓延していたのである。早い話、タクシーの運転手が、平気で「お客さん、ちょっとごめんなさい」と運転中に道路脇へクルマを寄せて、平気で覚せい剤を腕に注射していた。それを後部座席でみていた客が、「ちょうど夜勤明けで、麻雀にさそわれてるんだよ」などと声をかけて、運転手の使っているシリンジを使いまわしで自分の腕に平気で注射している。そんなばかげた風景を、ランドセル姿の自分は見てきた。ご存知、あのサリドマイド系睡眠薬でおなじみの製薬会社が朝日新聞社に広告を掲載していた。それが覚せい剤というものの大衆化にどれほど貢献したことか、計り知れない。父親を、いやがらせで大阪府警に密告したヤクザはのちに大阪高島屋の株主総会にかかわっていたあの山口組系の団体だが、それも昭和30年代頃では、町の商店主の稼ぎなどを宛てにしている程度の連中も多かった。顔をだしては自分の父親に相撲賭博だ、壷をふっているから来いと頻繁に声をかけていたようだが、遊び人のようでいて父親は意外にも賭け事をしない。愛想よく断っていたと思う。理由は、分からないが若くともすでに事業で一度大失敗をしているし、過去には地方公務員として表の顔の下で平気で相当な物量の物資を動かす闇のブローカーだったりした。20代の若造と、侮る人が郷里にはいなかったのは、その豪胆な行ないが実直な農家の長男の振る舞いとはおもわれず、懼れられていたからだろう。ヤクザの誘いで賭博や、麻薬密売にかかわるような下手なマネは慎重に避けていたのだと回想する。久保は、たちまち我が家が麻薬密売となんの関わりもないことを察知したらしい。なんのことはない、後日(といっても、十年後ぐらいに)彼はふたたび当家を訪ねてきた時に告白した。その頃には、彼はたちなおり義弟の町工場を手伝っていると言っていた。笑い話になったのだが、その時点では、真剣に我が家の中にあがりこんで、金の流れや物の配置などを懸命に調べては、密かにメモして帰っていったらしい。面白いことに、両親は眼がまわるほど忙しいという時代だ。小学生といっても、まだ低学年の自分と、幼い妹は久保にときおり預けられてしまったこともある。久保も、嫌がるでもなく世話の焼けない扱いやすい子供だった自分の手を引き縁日の屋台を連れ歩いたり、祭りの御面を買い与えたり案外子煩悩だったのかもしれない。手をつないであるいていた久保の指が、大人のおじさん達のそれよりも少ないのに気づいた。彼が、過去になにをしてきた人なのかは、ついに聞くことはなかった。(つづく)
2006年05月01日
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