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さて、今年もあとわずかだ。とりとめもない話題を、連日続けてきて呆れている人も多い。一部は耳にはいってもくる。しかし、誰も口にしない話題を、誰かが行うことには意味があるだろう。テレビで、有識者みたく偉そうに語っているヤカラは、みな既存社会の「おさだまり」について利権代表に過ぎない。一件庶民的な顔をして語っている人たちですら彼等の知見や、視力のか細さを考えれば、利権スポークスマンの都合で人選されているのは、眼に見えている。われわれがブログで語っていることは、けして広域メデアには登場することもないだろう。ブログは、所詮ミニコミに過ぎない。しかし、わたしにはこのブログでの日記に多少の可能性を感じている。かつて、デユプロの印刷機や、謄写輪転機を保有してみても、連日100部のビラを刷ることは不可能だった。それもせいぜい自宅や、寮の周辺半径数キロが限度だったと思う。その時代の記憶を私はいま思い起こす。それに比べれば、楽天日記以来。私が配布してきた、ブログ上のログは軽く連日数百部の閲覧がなされている。このブログの内容を考えれば、一過性の立ち見で通っている人たちばかりとは思えない。少なくとも連日、巡回されている人たちの20%程度は、明らかに内容についてきておられると読める。すると内容に批判的か賛同的かは問わぬまでも、60人ほどの人は、他のメデアでは得がたい知見を求めこのブログを利用されていると思える。これは60年代、70年代には想像もできない新しい疎通のありかたである。かつて、ナポレオンは一個大隊の兵よりも数部の地下出版新聞を畏れたという。私は、その傳でまいればすでに巨大な旅団規模の影響を抱いているということになるのかもしれない。現実には、社会の変化が往事とはまるで違うのだから、当然その影響力を丸ごと信じているわけではないが、いかに巨人のような国家権力も、所詮は天然自然の法則の僕である。権力の頂上にある、高偏差値のキャリア職らも、実のところ斬れば血もで焼却炉に投じればカルシウムの塊になる衆上である。この「互角さ」加減を、頼みに来年もログは多産してゆくつもりだ。
2006年12月31日
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F104なんて記号に、なんの感慨もない人が大多数だろう。あの東京大空襲の首謀者、カーティスルメイに勲章を与える運動をしてまで、アメリカに出向き防衛庁が決定していたグラマンG98スーパータイガーをチャブ台返ししてまで大騒動になった「悪夢のような戦闘機」なのである。その時期、機種選定にF-X選定調査団を率いた人こそ、あの源田実だった。源田実航空幕僚長(自衛隊内の呼称を旧軍でいえば「空軍大将」とでも言うところだろうか)230機、国産されているがこの受注は、御存知三菱重工である。当時、一機4億円。総額1000億円もの高額の買い物だ。喫茶店で珈琲が20円ぐらいの時代だから今の物価ならば80億円ぐらいなのだろうか。電子機器のコストが単純に比較はできないが、どう安くみても今の物価換算で4倍以上はするのではなかろうか。一ドル360円時代だから、なおさらこの価格は手厳しい。当時防衛庁が、購買の段階でさらに価格が高騰して、青くなったという風聞だ。ところが、昨今はそんな高額の買い物だったF104Jなど、涼しい顔で忘れてしまえるほどに戦闘機は、高騰している。F-X選定ごとに、ざっと5倍ぐらいにはなっている勘定だ。以下のような、ぺなぺなの戦闘機だか、なんだかが軽く108億円だ。クルマの例えでいえば車両本体価格にすぎない。クルマが公道を走るまで、どれぐらいカネをむしりあげられるのかは皆さん御存じのとうりだ。ガソリンをいれるたびに、油の物価に同額の税金がかかるようにこれらの戦闘機を維持管理するための費用は、壮絶なものがあると思う。そもそも、採用する戦闘機がすべてアメリカ製である理由がどこにあるというのだろう。選定とは、名ばかりでアメリカの空軍主力機種に「盲従」してきただけに過ぎない。早い話、毛沢東中国に盲目的につきしたがうネパール毛沢東主義者や、センデロルミノソといったい「この国」は、どこが違う。いや規模がデカい盲従だけに罪は一層深いと思う。笑えるのは、殺人鬼カーティスルメイに勲章をやってまで導入した源田実ご推奨なる冒頭のF104Jは、長距離攻撃大好き米戦略空軍には嫌われて、、、実は、空軍用兵思想には合致しないと、あっというまに蔑視されて早期退役させられたポンコツ戦闘機なのである。軽制空戦闘機を、あてがわれたのはアメリカの豚が食べたがらなかった、危険なまでの不健康な飼料だったあの脱脂粉乳を、こともあろうに捨てるのが勿体無いと日本の小学生の学校給食に輸出した食糧マフィアらと発想は同じだ。その片棒をかついだのがポチの頭目のひとり、源田実というのが真相だろう。F104Jは、その後日本で迎撃専用機に仕立て上げられたが、機体が小さくその機体内部に、全天候レーダーやAAMを装備組み込みするのに大難儀したことが語りつたえられている。飛行機は、購入して飛ばせば良いというものではないのだ。東京、大阪間を20分台で飛べると雑誌はさわぎ、われわれ小学生は眼を見張ったが現実のスクランブル、領空侵犯事件がおきれば到底オリンピックで発揮するような体躯競技のようなわけには行かない。低空をとられれば、操縦不能になりやすいF104は、世界中でよく墜落したものだ。つまり、日本の国防はこのような隙だらけの戦闘機に託されていたのである。F104Jのあとでは、あのベトナム戦争時代の主役だったF4Eファントムだ。この段階で、すでに三菱重工がライセンスを受け158機製造している。もやは一機25億円ほど。事前に述べたように5倍は高騰している。次世代のF15が、108億円。麻痺してなにも言えなくなっている国民が棒立ち状態で眺めているまに、いまや一機500億円もするAWCSがこの国の空を飛んでいるのは先日述べた。アジアの国々は、こんなバカな日本のような真似をしている国ばかりではない。マレーシアは、確かにアメリカからF18を購入してはいるが、同時にロシアからMiG29を購入して軍事専門家を瞠目させた事件がある。両大国の顔をたてるかのようなポーズの水面下で、両国を競争させて「思い切り値引き」をさせたのだ。当たり前だろう。買い物の基本だ。台湾は、米国製F16と仏製ミラージュ2000を睨み、したたかなソロバンづくで一国の軍事産業に強度傾斜する愚を避けている。この交渉力こそ、国家安全保障に肝要な精神なのである。しかるに我が国は、いったいなにごとだ。ポチと、嫌韓ショービニストばかりがWEBで騒がしいが、本格的な民族主義者はついに日本から消えうせたかのようだ。買い物ひとつをみていてもそれがわかる。しかし、実はそれらすべての大盤振る舞いな「買い物」よりも遥かに自衛官の人件費と、米軍思いやり予算の合算計の方が尨大なのである。だから予備役問題は、我が国にとって目前の大きな課題なのだ。
2006年12月30日
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飢死にした妹と、現在の娘を文字とするとなって、はっきり偽りを記した。空襲で大火傷を負った養母、戦後、転倒してほぼ寝たきりとなった祖母を、養父同様戦災死とし、十六歳で生家へもどったぼくは、育ててくれた養母に、稼ぎ始めて以後、わずかな金銭的援助の他、逢わなかった。現在、キャバレーチェーン店に勤め、ツケの回収を行うらしい、養母は死んだことにした。必然的にぼくは、あわれな戦災孤児となった。 野坂昭如「プレーボーイの子守唄」空襲当日、養父母を見捨てて逃げた、奇妙な解放感があった、幼い妹にやさしくなかった、満池谷のタニシやホタルは事実だが、妹のことよりも身を寄せた家の少女に夢中だった、けがをした養母は入院し祖母が看病したが、二人の確執を見るのが嫌で福井県春江町に逃げた......。野坂のこだわり、うしろめたさの根源に「戦災孤児」の虚構があり、その一番根っ子に養母の存在があるのだが、作者は、養母死没の「経歴の偽り」をこの『わが桎梏の碑』でも詳しくは語らない。 野坂昭如の「火垂るの墓」が、教科書に載っているのは知らなかった。野坂が戦災孤児という虚構で、知名度を上げてきたことも、直木賞作家となったことも、平行して彼がその餓死させた妹について、実は餓死へ追い込みもし、またその体力が下がった時期に虐待を繰り返したことも他ならぬ野坂昭如自身が粛々と告白しているのを、何度も読んだ記憶がある。彼自身は、あの宮崎駿のアニメで国民的な認知を得た節子に優しく野辺送りした少年ではさらさらなく、現実には幼くして死んだ節子の呪いに怯える小心な中年男であっても、いずれも野坂の作品の価値を毀損するものではない、と思う。野坂に、娘が誕生したとき彼がどれほど手放しで喜んだことか。それは、彼の尨大な雑文の中から窺いしれる。彼が娘を育ててゆく過程で、彼が虐待して死なせたかもしれない妹節子の「記憶」が、どれほど彼を追い込んでゆく事になるのかは、想像できる気がする。 ほかならぬ自分も、娘をみていると自分のありえた「過去」を重ね合わせてみる視野が生じる。実妹には、結構酷い加虐的な兄だったりしたもので、これが娘を通じて過去のその非道さなどは良く理解できたりする。子供をもうけることは、男にとっては相当なレッスンだ。しかし、世の中には子供がいてさえも、レッスンとして機能しない事例も多い。そんな自身の僅かな体験をつうじて透かしてみる作家野坂昭如は、事実として大嘘つきではあっても、どこか人間的な意味合いで救いを感じさせてくれる。人の世を、悲惨に貶めて平然としている神もほとけさまの方も、それほどたいしたことをしでかしてくれていると思えぬからだ。ましてや、神仏ならぬ人間さまがさほど「でかしたこと」ができる筈もないのだ。 野坂昭如と自伝小説--「戦災孤児の神話」再々説 清 水 節 治
2006年12月30日
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こんなことを書いてしまって、シャルドネさんが国家反逆罪で引っ張られないかって心配になります。 だって、こんなことを(仮装?)敵国が知ったら、張り子のトラだったってことがバレてしまいますから。もっとも、これで「けしからん」と言う政府だったら、それこそが日本国反逆罪だと思いますね。僕は、徴兵制には反対ですが、皆兵という(言葉はともかく)制度は検討する余地があると思います。社会に出る踏み台として、自衛隊勤務あるいは海外協力隊、あるいは老人ホームなどの福祉ボランティア等を必須にすることは、さまざまな面から有効かも知れませんね。 msk222さん(2006/12/29 09:47:59 PM) 日本の国土防衛に費やされている巨額の税金が、どのように機能しているのかについて正確に把握している者は、またしても日本国内に少ないのではないかと危惧する。アメリカと開戦して、勝てる自信のない海軍と不安気な天皇が真珠湾攻撃に「遭遇」してしまった事態が、いつまたやってくるか分からない。kaiser1さんのように、株式をやらかしている人たちはみなご承知と思うのだが昨今中国やら、インドやら、ブラジルを甘やかそうと世界的な動きになっており、それを株式でも反映していることでそれと知れるというほどの事態になってきた。しかし、現下の軍事的脅威低減の目的においてはそれらの開発途上国から先進工業国へ爆走する国々、ロシアも含めてだが野放しにしていたのでは我が国防衛費はいくらあっても、堪ったものではない。とりわけ、外交的テーマではインド、中国はけしからぬヤカラである。つねづね我が国から巨額の援助を被っておりながら、自国国内経済では貧民層を虐げはたまた暴力的な支配を続け、人権配慮の気配もない。勝手に核開発は行うわ、空母を保有するだの、無節操に武器輸出を行うし、軍拡に爆走するだけでもウザイのだけれど、外交手段に武力行使を十八番のようにちらつかせるに到ってはことと次第では、製品不買を市民レベルでも行い、民間資本のこれ以上の投下も大幅に制限し、徹底的に、その非民主制を攻撃しておかねばならないのである。軍事の戦略基本は、やはり相手の弱みをつくことではないか。日本人は奥ゆかしく刃物やピストルをちらつかせるようなヤカラにまで「思いやり」を働かせ、祖父母を殺した張本人に勲章を呉れてやる。もういい加減にしようじゃないか、というのが日本の国土防衛の原点だ。少なくともこちらが主導権を握れるように常に近隣諸国の脅威と脆弱点を突いてゆく必要がある。原子力潜水艦を持っている国には、経済支援しないなどイロハのイではないか。海洋を汚染した国には、民事でも刑事でもかたっぱしから告訴告発する。民間企業は、軒並みリストして倒産するまで徹底的に訴追するぐらいのことは国土防衛上絶対にやるべきだろう。 そもそも国家公務員が約95万人で、そのうちの27万人ほどが防衛省関連というぐらいだ。ここを徹底的にリストラし国民皆兵に置換しなければならない。、ならば、この27万人の人員と、郵政公社の職員が約26万人。ならば、郵政公社職員や残りの国家公務員、自治体職員は、全員兵役すませないままでは勤務できないようにすれば、その兵役中の人員不足を民間からの新規採用することで雇用対策面でも期待できるだろう。失業率圧縮の効用もあるのでは。兵役拒否する国家公務員や、自治体職員は、当然公務員としての就務も復職も、無理だ。国防が専門職公務員で担われているという構造が、利権を多産する。たしかに郵政の職員に、ジェット機の操縦は不要かもしれないが、全日空や、日本航空などでは当然統合軍での操縦経験は無駄にはならないと思う。そういう柔軟な発想を提起できないままでは、国富は疲弊の一途だろう。 さて、国民皆兵の件。民間人は多忙で生きてゆくのに忙殺されているのだ。まあ、せいぜい予備役からのエントリーだろう。家庭の主婦にすら、兵役も在宅勤務で、やれることをやってもらう。それが軍事革命の21世紀には、可能になりつつあるのではないか。 あまり、語られることがないのが日本の自衛隊の予備役事情だろう。これが、肝心の防衛費の有効性を軍事課題の先端部分で左右するほどの大問題なのだろ思う。過去に日本のリベラル派の諸兄が、非武装中立のような迷妄にどっぷり使っていた戦後の長らくの期間、議論の対象にすること事態を忌避しまんまと「国防利権派」(=親米ポチ)を利してきていた。残念ながら、そういうことだろう。統合軍構想の前に、話題にせねばらなないことは多いようだ。では、少し予備役呼集についてふりわけてみたい。少々迷走ぎみだが・・・この時期の思考に相応のボリュームに適した課題かも。 兵器の種類の比較(性能比較)を定量化しようという努力もされてはいるが、いまだに世界の主力戦闘機として広く使われているソ連製のMiG-21戦闘機と、航空自衛隊も使用している(世界で使用しているのは四ヵ国しかない)米国製のF-15戦闘機との性能比較を、一対五とか一対一〇とか決めつけるのには多くの異論を呼ぶことであろう。 MiG-21戦闘機にもいろいろな型があり、しかもまた、種々の近代化改造をした型があるから、一律に性能差の比率を定められない。 さらに、定量化できる要素であっても、兵士の数は現役兵士の数の比較だけではだめで、予備役兵やそれに準ずる兵士の数の比較もせねば実際に近づけない。たとえば米国では、予備役部隊や州兵が現役部隊と肩を並べて活動しているし、ときには米軍作戦の三分の一から半分を占めるまでになっている。兵器も、それによって発射、投下される砲弾や爆弾の数と質を問われねばならない。米国はマレーシアにF/A-18D戦闘攻撃機を輸出したが、それに搭載可能な非常に高性能の空対空ミサイルAIM-120アムラームの輸出は拒否した。理由はこの地域(東南アジア)の軍事バランスを崩すおそれがあるからというもので、どこか他の国がこの地域に同種の高性能空対空ミサイルを輸出した後であるなら、米国はアムラームの輸出を許可するという態度をとっている。そうすると(訓練の度合いなどの差は別としても)、米海軍・海兵隊が運用しているF/A-18DとマレーシアのF/A-18Dとは、基本的には同じものでも、空対空戦闘能力では大きな差があるということになる。 結局、こうした質の差はなかなか定量化比較ができないため、現実世界では、国家間の外交の場においてすら、国防予算が多いだの少ないだの(これもどこまでを国防予算とするか、その比較のためにどの通貨に換算するかなどによって異なる)、戦闘機を何機もっているだのという、定量化できる要素だけの比較が行なわれる場合が多い。江畑謙介(えばた けんすけ)1949年生まれ。上智大学大学院修了。軍事評論家。
2006年12月29日
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軍事費とは、以下の経費と定義されているらしい。現実には、軍事費に世界的な定義がないそうで、日本の場合には平和憲法が存在するのを好都合に、軍事費を過少に表明することも可能なので、それでは世界標準と比較しようがないので、日本でも妥当と思われる定義で世界各国と比べる必要があるそうだ。国際比較では、北大西洋条約機構軍方式、というのが物差しになる。 (1)軍隊の維持管理に必要な人件費・物件費 (2)軍事研究開発費 (3)軍事援助費(返済しなくてもいいもの) (4)準軍隊・警察隊費(沿岸警備隊、国境警備隊、憲兵警察など) (5)国防省以外の省庁の支出のうち軍事目的に使われるもの (6)退職金・退職年金日本は、(3)を粉飾しやすい。ODA支出などもことと次第では、軍事費に参入する必要もある。(4)で、海上保安庁も世界的には立派に軍事費として計算されるものだ。今回、防衛省ともなれば、上級監督官庁として防衛省は、海上保安庁を指揮指導する程度を一層強くすることだろう。外務省の思惑からも、防衛省は多少自由になれるという期待を寄せる向きもある。もともと防衛庁長官には、有事に際して海上保安庁を指揮指導するという権限を与えていた。海外の眼からみれば、海上保安庁は、海兵隊のような軍事性は希薄とはいえ軍事予算の中に読み上げられるのが順当な判断らしい。(5)が、良く分からない。隠れ軍事費というのだろうか。名神高速道路とか、各地の高速道路はところどころ意図的に直線でできている区間があるが、あれは軍事転用できると言う。これほど日本中に道路をつくっている理由は、有事のための備えという側面もあるのだとしたら、外国の軍事アナリストは、それら収支の合わない道路建設は軍事費の一部として読解されるものだ。概算で年間300億ドルも、軍事費に投入できるこの国は戦争を放棄した国にしては破格の軍事配慮を行ってきているのは間違いない。世評、日本は自衛官の軍人恩給や海上保安庁の予算を引いても、世界第2位なのである。NATO軍からは、インチキだといわれるほど湯水のように軍事費支出してきている。また、武器購入規模でも、世界第2位だ。では、まともな軍事大国なのかというと、首を傾げるほど怪しい構成になっているのはくりかえし週刊誌などで紹介されているので、よく知られている。15年前まで、自衛官にはセーターの支給もしていなかったらしい。自分の給与で、購入したセーターがたまたまアメ横の有名な中田商店だったりすると自衛官がお気に入りの米軍や中国軍のコレクションに手をだして、多国籍軍だと笑いあったというエピソードがあった。テレビでも有名な、戦車を樹木でカモフラージュしているのは、どうも戦車を迷彩するペンキを購入する予算がついていなかったりするからだそうだ。F15戦闘機は、高額で購入される軍事兵器だと思うのだけれどこれを格納するシェルターとか、対空システムが装備されていなかったりする時期もあって、なぜか低空から進入された爆撃などで瞬時に鉄くずになると心配している航空自衛官もいたそうだ。どうも巨額の軍事予算を適正バランスで配分するという財務テクニックが、予想外に稚拙な国だと思われる。そもそも巨額の軍事予算も、大半が人件費と米軍基地対策経費で占められており、兵器装備品や整備費は、国民が思っているよりも意外に少なかったりするほどだ。F15は、ざっと108億円というところだろうか。なかには一機500億円もするAWCSもある。なんというバランスの悪さだろう。フェラーリに乗っていながらカップヌードルを啜っているみたいだ。サザエさんのCMでお馴染みの某大手電機メーカーが作った「短SAM」だが純国産で、高性能。多機能レーダー、空中目標ロックオン、赤外線目標捕捉、追跡はパッシブホーミング方式と多目標処理、目標捕捉能力で世界水準を抜いたと大騒ぎした。素晴らしい優等生のようだが、なぜか「目標に追いつけない世界初のミサイル」でもあった。どうも国産の兵器は、どれもこれも重い。このミサイルも自重が100キロを越えて、追尾性能に万全を期したがために捕捉した肝心の標的に辿りつかないのだ。うう、、、さすがは専守防衛。自爆兵器だったのである。どうして、道路を走れない戦車。標的に届く前に自爆するミサイルに多額の国民の税金を平然と投じるのだろう。公務員に、祖国防衛を任せているとこういう羽目になる。大体、自衛官を国家公務員とみなして給与を支払っているのだから世界的にみて人件費の高い日本の軍事費が、突出するのは避け難い。私が、日本の国防を志願制から国民皆兵にせよ、というのは単なる理念ではなくこの軍事費高騰をもはや借金で支えるなどという事がかなわない、という事態にあると予感するからだ。国民皆兵となれば、自衛官を公務員とみなす必要もなく、税金等で物納するか徴兵に応じるのかを国民が選択するようにして、一気に軍事支出を削ぐことが可能だからである。これで軽く年額2兆円程度は見事に圧縮ができると読む。なにか自衛隊をみていると、ぽっと出のサラリーマンが、毎日ベンツにのって北新地でスコッチをあおっているが、自宅には給与をいれずに子供が学校へ給食費をもっていっていないというような家庭のイメージがする。現実を見ないで、理念を押し付けられては現場は困ります。ビジネスでも軍隊でも同じですね。梶川@とどろき塾さん(2006/12/28 01:59:34 PM)現実をみない、とは誰のことを言っているのかよく分からないが、現状自衛隊は、どう考えてもITベンチャーがハイテクビルに入居しているのに、仕事は8ビットパソコンで、オフィスの机の文具がダイソーの100円均一でかためられ。アメリカからの出向役員が高額報酬を取っているようなものだ。戦闘機ひとつが、活躍するにも武器弾薬燃料が備蓄されていないといけないのだけれども、錬度の高い整備要員(あえて整備兵とは言わない)や基地のシステムスタッフ、外敵の早期察知のレーダーシステム、統合司令部との情報通信システム、基地の防衛体制、航空機などを保護するためのシェルター、そしてなによりも兵員の健康の維持のための病院や、食堂の問題。そして志方俊之氏御指摘の、兵站の問題が、愁眉の課題になる。装備品の品揃えだけが話題になるというのは貧しい。とにかく、人件費を切る。徹底して削げば1兆円は切れるだろう。だから、国民皆兵だと言っている。そして、訳のわからない巨額装備品を買うな。戦車は、ODAがわりにブラジルにでも呉れてやれ。国産高額兵器は、つくるな、配備するな。「がんばれ、片山さつき」ではないが、装備品を現有の3分の1に圧縮する。そうすれば維持費も急激に減衰するので、日本の防衛費は34%圧縮できる。ついでも、アメリカ駐留米軍の年間5000億円もの維持経費もあきらめて貰う。浮いた金は、演習と自衛隊の近代化、ついでに減税や国民福祉予算に廻せば誰がこの国を守るのかが判然としてくる。そうすれば、自衛隊は飛躍的に軍事力強化されるだろう。次に、統合軍化への期待を述べたい。
2006年12月28日
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陸・海・空の統合による「合理化」について考えてみよう。誰でも考えつくことは、管理部門ではまず弾薬部門や通信部門など、陸・海・空軍に共通している機能の統合による合理化だ。弾薬や通信は技術的な面が大きいから、統合化しやすいと考えられがちだ。 だが、実際にはそうは問屋が卸さなかったのだ。陸軍が使う弾薬と海軍が使う弾薬では、種類も性能も数量も違うし、根本的には「使う場所」が違うから「補給ルート」も違う。 陸軍では多種多様な弾薬を、野越え山越え第一線部隊がいる場所まで届けなければならない。それに反して、海軍では、弾薬を使い切れば艦艇そのものが港へ帰ってきて、海辺の弾薬庫から再補給したり、洋上で補給艦から移しかえる。 空軍の弾薬となると爆弾やミサイルなどが主で弾の種類が全く違うし、航空機は必ず基地へ帰ってくるのだから、弾薬はその基地まで大型輸送機で運んでおけばよい。 弾薬と言う点では同じなのだが、全く違う取り扱いをするものを無理矢理に統合してもメリットは少なく、かえって煩わしさだけが残る。おまけに「陸ですか、海ですか、空ですか」などと、毎回余分な挨拶を交わすのは堪(たま)らないということになり、一九八六年になって制服などを元に戻したのだった。 統合するメリットが大きく期待できるのは、弾薬分野では研究開発の部門、情報分野では、収集・処理・分析の部門、軍事医療の部門、隊員募集の部門であった。 わが国でも、技術研究本部や情報本部、自衛隊病院や地方連絡部が事実上統合されていることを見れば、この辺の事情を容易に理解できる。志方俊之(しかた としゆき)1936年生まれ。防衛大学校卒業。京都大学大学院修了。工学博士。陸上自衛隊で陸上幕僚監部人事部長、第二師団長、北部方面総監を歴任。現在、帝京大学教授。あの2ちゃんねるでも自衛隊の「統合軍化」については、まったく話題になっていないようだ。どうも、空、海、陸の3軍構成を、これからも延々日本の安全保障の楯に使い分けたいという発想が、暗黙の前提のようで国民も疑うことを知らずに置かれたままだと思う。日本は、政治も行政も経済も巨大な「不良設定問題」を解き続けなければならないという事態にある。となれば、当然自衛隊においても同様で、かの南方熊楠の研究した粘菌のように縦横無尽に編成しうる組織装備でなくてどうするのだ。「多種多様な弾薬を、野越え山越え第一線部隊がいる場所まで届けなければならない」ような軍隊は、日本では不要である。日本の国土で、このようなバトルラインが発生したならば、負け戦だ。これからの、国家安全保障は日本にとっては「無理矢理に統合」して「メリットは少なく、かえって煩わしさだけが残る」兵器体系を、メリットが発生し、煩わしくないという抜きん出た体系に置き換えるという不良設定問題を解きつくすことに依存している。さもなくば、借金大国日本が巨額の防衛費に疲弊して斜陽な弱小国に低徊するのは必至だ。
2006年12月28日
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なぜ、人だけが追い求めることによって「不良設定問題」を解けるのか。それは、人間が体験と学習に統合感覚を再構成できる生物だからである。われわれが既視感と常時遭遇するのは、それだ。デジャヴとは、学び取られるべきものが、学んだものと体験感覚で、単なる偶然だった「遭遇」が運命的な「必然」に転化するからだ。早い話、好いた惚れたの大多数はこれだ。『少年はボールを投げる』『少年はボールを食べる』この二つの文を比べると どちらも文法的には間違っていませんが後者は意味的にヘンです。 例えば皆さんは連想ゲームをご存知かと思いますが、正解の言葉が出てくるまで その言葉を連想させる言葉を次から次へと言って参ります。 その次から次へと出される言葉群こそが正解の言葉の近傍に群がる言葉群です。 そしてある言葉の意味というのはその言葉の近傍に群がる言葉群が収束した時に 発生し決定されます。 ただし収束にはある重大な条件が必要です。 その条件を満たさない限り収束は起こりません。 従って意味も発生しません。 いい歳したオヤジが、いまだにロッカーに尨大なポルノを抱えて減る気配がないのもこの収束をもとめて延々とイメージが群がってくることを禁じえないからなのだろう。好色家(漁色家)が、お気に入りの一品に遭遇するまでのさまは殆ど「仇討ち」のようでもある。さて、この「意識と意味の物理空間」の著者は、収束の可能性をどこに求めているのだろうか。
2006年12月27日
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勉強嫌いだったわたしが、痛切に「勉強したい」と思ったのは、会社勤めを始めて2~3年たったときだ。広告代理店でコピーライターをしていたのだが、いい広告だと思ってもあまり商品は売れなかったり、逆に、あまりいいと思わない広告でも商品は売れることがしばしばあった。売れる広告と売れない広告。その違いがわたしにはよくわからなかった。いろんな本も読んでみたが、それらしい説明はしてあるものの、いまひとつ自分には納得いかない。そのうち、広告に限らず、人間のおこなうコミュニケーションそのものが不思議なものに思えてきた。 でも、しごとは猛烈に忙しく、じっくり勉強する暇も、考える余裕もない。わたしは悩んだあげく、会社を辞めて、大学院に入って勉強しなおすことにした。大学院ですごした5年あまりはかなり経済的には苦しかったが、勉強するのはおもしろくてしかたなかった。もちろん勉強は大変だったけれども、受験生だったころとはちがう楽しさがそこにはあった。同じ勉強なのに、何が変わったんだろう? それは今でもよくわからない。ただひとつ言えるのは、問題を他人に与えられるだけの勉強はつまらないけれども、問題を自分で見つけだすと、勉強はものすごくおもしろくなる、ということだ。答えが知りたい、でもわからない。だから、答えの手がかりになりそうなことを、勉強していくしかない。関係なさそうな本や論文であっても、何かのヒントになればと読んでいく。それを繰り返していくうちに、バラバラの断片でしかなかった知識がだんだん自分のなかでまとまっていく(体系化していく)のだ。すると、バラバラだったときには見えなかったものが、見えてくる。新しい世界が、見えてくる。そのことが、どうにもおもしろいのだ。 それからというもの、わたしは大学生のときに熱心に勉強しなかったことを、つくづく後悔するようになった。なぜ、もっと勉強しておかなかったのか。あのころに、他人から与えられる問題でなく、「自分の問題」を手に入れていれば、もっとおもしろく勉強できたのに。もっと早く新しい世界が開けていたのに。たとえ研究者にならなかったとしても、おもしろく勉強できること、新しい世界が開けることは、それだけで人生を豊かにしてくれるものではないか、と今のわたしは思っている。 受験生のみなさん、そして大学生のみなさんのなかにも、かつてのわたしと同じ疑問をもっている人がいるのではないかと思う。「受験勉強は何の役に立つのか?」「大学での勉強は何の役に立つのか?」と。それは、少しこむずかしい言い方をすれば、不良設定問題というやつだ。「5は何色か?」と問うても、永遠に答えはでない。数字は色をもたないのだから。問い方がまちがっている(不良設定)なのである。どうして勉強しなきゃいけないんだろう?関西大学社会学部 マス・コミュニケーション学専攻 辻 大介ここで辻が、語っていることは普遍的な話題だ。あまりこのような発言が、取り上げられない理由は現下の「経済社会」が、辻のような発想の人格を優遇しないという現実があるからで、発言の中味に価値がないのではない。昨晩、「脳は老化しない」という衝撃的な事実を伝えた。おかげさまで、このブログを熱心に読んでくださっている有意の方々から一斉に声があがった。世間で、けして話題にならずとも、またマスコミが騒がずとも真に語るべきこと、真に伝えざるをえないことは、自ずと語られ自ずと伝わって行く。永遠に答えが出ない設問を解いているとき、人はもっとも快適になる。そのように脳は設定されている。あまりにそれが自然に、繰り替えず湯水のように実行されるので、それがトンでもない能力なのだという自覚がない。たとえば、不良設定問題ではコンピューターなどでは絶対に解けない。「5は、何色か?」などというトンマな問いがそれだ。そんなトンマな問いにすら、真剣な問いであると思う人はなんとか答えをだしちまったりする。これは相当人間の高次機能にかかわっている。バラバラの断片でしかなかった知識がだんだん自分のなかでまとまっていく(体系化していく)のだ。すると、バラバラだったときには見えなかったものが、見えてくる。新しい世界が、見えてくる。そのことが、どうにもおもしろいのだ。杉山巡氏が、いまヘーゲル「精神現象学」を読んでいるという。自分ならば、自分の精神現象学を書くことへの興味はあるが、過去の偉大な哲学者とはいえすでに陳腐な前提、歴史的制約の下にある「知見」を踏まえて展開された、いわば過去の不良設定問題への「アプローチ事例」に過ぎないものを、今いかに精緻に再現できえたとしてもそれを真顔で背負うなどということに多大な意味を感じない。というのか、そういうものを感じたくないのである。現代人の知覚には、現代人の知覚に固有の「不良設定問題」が存在する。それを解くことが、我々の歴史的な使命であって、我々の生きがいなのだ。我々は、我々個々人にとっての指揮者である。すみだトリフォニーホールで開かれた小澤征爾指揮、新日本フィルのブラームス交響曲第2番のリハーサルを見に行った。日本マーケティング協会の研究会である。 指揮者は、基本的に不良設定問題である。 音のかかわること全てをコントロールできるはずがない。それでも、指揮が成立しているというところが面白い。 小澤さんは、しきりに、「母音をもっと響かせて!」などと言っていた。 自分が感じている音のクオリアを言語化する能力が必要なのだろう。 しかも、それを、能動的にactionできるように的確に伝える。 茂木健一郎 クオリア日記
2006年12月26日
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「海馬/脳は疲れない」は、衝撃的な本だった。人間の脳は、24時間どころか365日疲労しない臓器なのだという。対談相手の糸井重里が、仰天していた。大脳生理学者、池谷裕ニとの対談である。自分も、この本は夢中になって読んだ。疲れるのは、眼であって脳ではないという。脳が、疲労すると我々の生命に直結する。従って、脳は疲労することができない臓器だったのだ。しかるに、日本の政府はどうだ。制度疲労どころではない。もはや、日本という生理にふさわしいスタミナが存在している司令塔だとは到底思えない。さて、余談はともかく。脳は、疲労せぬどころか老化しない臓器だという。これも仰天だ。脳細胞は、減るばかりで増えることがない。だから、生まれた時から減衰しっぱなしだと習った。つまり、20代ぐらいから脳は老化しっぱなしで、衰える一方だと世間常識になっている。社会制度も、この知見を前提にして組み立てられている。企業では、45歳以上の採用は手控えているし、できれば社内の中でもいじめて早期退職を促進しようとまでしている。そんな企業が、大企業を始め中小企業まで日本の企業社会では徹底しているわけなのである。疑う人は、いるまい。なぜならば、インターネットで日夜ブログ多産している大多数の人たちは、日常45歳以上の諸先輩へのいじめ実行者だし、まず間違いなく敵視している。さもなければ黙殺している。譲っても、概して彼等を軽侮し、仲良くしたいなどとは心底思ってはいない。この言明は、撤回する必要はないだろう。これが日本の社会の現実だ。ところがである。最新の脳科学の知見では、脳は老化しないというのである。たしかに脳細胞は、一旦死んでしまうと再生しない。にもかかわらず、脳の老化はきわめて個人差が激しい。糖尿、血圧、老人性疾患の危険因子が何もない人は、実は脳はまったく萎縮しない。80歳を過ぎてさえ5%程度だという。すでに示した「海馬/脳は疲れない」を読まれればこの5%がどれほど黙殺しえる数字かが分かる。なぜならばわれわれは生涯自身の脳を(あの湯川、朝永級の天才ですら)5%未満しか使用しないからだ。使用したければ自由で、努力すればいいのだけれども到底6%以上活用できるような超級天才は、登場しようもない。それほど、脳は人類には量的にも質的にも過剰装備なのだという。われわれが、いまだにwindowsXPの機能の10%も使いこなしていない、というのと良く似ている。また脳のエネルギー消費、すなわち脳の糖代謝は20歳から70歳まで同じ。まったく同じだというのである。嘘だと思うならば、脳生理学者に噛み付いてみればいい。科学的真実にはすべて根拠資料というものが存在するのだ。なにびともその根拠には、抵抗できないのである。脳の細胞の死滅した数を、ネクラに数えてみたまえ。あなた自身が、生涯を棒にふる覚悟があっても数え切れないほどの数だろう。だが、その数も最大で5%未満。つまり、使いこなしていない脳の細胞数減少など議論する必要もないほど、瑣末な話題だというのである。実は、脳の機能は細胞数ではなく、細胞の樹状突起と、その長さやシナプス、脳細胞の「編み上げ」に依存するものだったのだ。日本の厚生労働省は、猛省しろ。アメリカの介入で、日本の雇用動態は明らかに日本人の能力に対する蔑見で塗り固められている。すべて日本の経済活力を、削ごうという謀略に過ぎない。
2006年12月25日
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たまゆら1/f氏が、お気に入りの「オーラの泉」をまとめてgoogle や YouTubeで一気に見た。これは、以前から深夜放送で流れていたが次第に放送枠が伸張しているところをみると視聴率が上がっているのだろう。あの宜保愛子以来この手の人は一向に減らないところをみると、よほど視聴者の好みに合うのだろう。江原啓之は、これまでテレビに登場したさまざまな霊能力者にないパターンなのでこのパーソナリティが視聴者の身構えを減殺しているのだろうという気がする。霊を引き合いにしているが、一種のメンタルクリニックのようなお話が多い。前田日明では、そうとう大芝居(あれが、霊視でないのならば)を演じているが、なぜそれほど大道具を出さなければならなかったのかが良く理解できなかった。他のゲストでは、穏やかなものが多い。ゲストは、どこか心の琴線を刺激されて涙腺を緩めるというパターンが多い。パッシブな心療内科にくらべて、アクティブな霊能者という対比が面白い構図で現代的だと思う。しかし、当事者同士は大真面目なので、どこかに強力な「共感能力」があることだけは間違いなさそうだ。これを霊能と呼ぶのは勝手だが、霊魂がそんなに易々と存在して貰っても困るという現実も我々にはある。さて、自分は墓の上で寝ていても熟睡するほど霊的感受性とは疎遠だ。霊的な存在については特段否定はしないが、霊的な感受性と霊的な存在とのあいだには千里の隔たりがあると思っている。一方、霊的な感受性に近似で、酷似するほど感覚が鋭敏になるということを否定しない。これは、五感と呼ばれるものの外に、まだ既知外な(未知の)感受性が存在することが、科学的に少しづつ証明されてきているので、これを否定する立場は、むしろ非科学的だからである。第六番目の感受性として、たとえば体温についての鋭敏さを考えてみよう。サーモグラフという広く知られたセンサー映像があるが、あれだってセンサーにひっかかるぐらいだから、人間の感覚で把握できない筈がない。個人差は、当然あるのでその感覚が、「共感能力」と結合すると予想以上に、相手の内面に踏み込んで読めたりするものだ。喩として、霊魂などを持ち出せばより一層効率良く自論を伝えやすかったりしないだろうか。また、人間には温度や音を視覚で感受する力もあるそうだ。発言や、体温の微妙な変化を普通は耳や肌でしか感じ取れない筈が視覚刺激で感じられる人たちがいる。実は、これも超能力のようで、そうではないと最近証明されてきている。こういう能力にかかると、平均的な人間には理解できないような分析が可能になるそうだ。科学的に証明された、共感覚者はすでにマスコミにも登場してきているので、御存じの方も多いと思う。このような、異才を持ち合わせていさえすれば、テレビの「オーラの泉」ぐらいのファンタージーを開陳することは、それほど困難ではないだろうとわたしは思う。実は、この「共感覚」は、大脳生理学者などが人間の原生的な能力だったことに言及を始めている。つまり、健常だと思われている多くの人々は社会の形成都合で、それらの感覚や能力を社会的なルールとか、コードにあわせて感覚を形成しているのだ。おそらく我々が思っているよりも遥かに感覚は、反自然的であって属人的だと思われている規模や範囲よりも、遥かに「共同性」を持っているということなのだろう。
2006年12月24日
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スカートを激写してかどうか知らないが植草先生が今年逮捕されたのはショックを覚えた2006年。ネットニュースで鎌倉警察署の巡査長が逮捕される。ドボジてスカートの中が気になるのか理解に苦しむ。スカートの中を写真で取ることの出来る風俗があったら当たるのだろうか??教えて ムーミン!教えて オジイさん!! たまゆら1/fさん昔から、スカートの中とかパンティーの中とかにまるで興味が無かった。やはり、女性が見せたいと思っているものの範囲で満足するようにと 怖いおカアがきつくきつく躾けたせいだろうか。いや、そんな筈はない。躾を受けた記憶がまったく無いからだ。週刊誌で、体操選手やテニス選手のローアングルで撮影されている写真をみて本当に驚いた。最初は、眼にはいらなかったが、くりかえし連載されているので、世の中にはあれに興味がある男がたくさんいて、商業的に採算があうので売り物になっているのだと気づいた。気づいて愕然としたのは、自分はどうも取り残されているらしいという事だ。手鏡も、凄いけれど週刊誌がいつもあれを連載して誰も抗議しないという日本の現実が情けない。 シャルドネ。たまの旦那も、自分も、やはり少し変わっているらしい。あまり、女性のスカートの中とかに興味が湧かない。女性の穿いているものを失敬して、集める奴は気の毒な気がする。たぶんあれは憑かれているようなものだ。社会が、いたわってやるしかない病的なものじゃないだろうか。まわりのオヤジの中にも、ついつい干してある女性下着に手が出ると正直に言うのは稀で、やはり病的なものだと自覚があるらしい。しかし、小学館の週刊ポストとか週刊プレイボーイとかには、60年代頃からかならず定期的なほどあの種の写真が載っている。これがもう不思議でならなかった。嘘だろと思われるかもしれないが、それがまた驚きになる。よほど偏差値から外れているのだろう。もっと、正直に言うと女性から自分の穿いている下着をあげると言われたら断るだろう。貰っても、どうしていいのか分からないからだ。うっかり持っていると、酷い眼にあう可能性もある。お金を貰っても、下着をくれるのは困る。たぶん、お金だけ貰って、最寄のコンビニの燃えるゴミにほりこむ事になるかもしれない。つまり、貰うことなど到底迷惑なのである。これを金を出して買う奴がいると、聞けば眼が点になるのである。その種のやからを、同じ「性」だといわれると困惑する。それは、アップルコンピューターにウィンドウズを積んだようなものなのだ。自分は、幼女が好きだが間違っても性的な対象などとしてではない。子供は、自分を瞬時に子供にしてくれる存在である。これが快適だから大人は、大概子供好きである。極悪非道で冷血な奴は、大抵子煩悩だ。ヤクザで人殺しも平気という奴は、子供と家庭は命懸けで守る。それが守れないと覚悟した山口組四代目はついに愛人を女房にはせず吹田市で殺害された。本当の極道は、そこまで徹底していると思う。ウラジーミル・ナボコフが、小説「ロリータ」を発表したのは昭和30年だ。中年の大学教授が、自分の幼少期の失恋に固着して現実の少女にかさねあわせて追いかけるという余人には窺い知れない境地を描いて衝撃を与えたのだが、これにはどうも別途原作があったらしい。つまりoriginal なものというよりも anthology のようなものらしい。同好の士が、いかに多いのかという事だが、これも運不運と言うしかない。人間、他者から拒絶されるほど辛いことはないもので、幼少期に異性から拒まれるといかんともしがたいトラウマを生じることが多いのかもしれない。文学が、こういう癒しの営為から生じることは避け難いにせよ、幼児性愛的な嗜好が、公知されて市民権を得られるなどという事態は、当初の作家たちにも想像裡には、なかったことだろう。
2006年12月24日
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いつの時代でも、そうなのかもしれないが周囲にいる女性たちには予想外に影響を受けてしまうものだ。推理小説の起源になる、「シャーロックホームズの冒険」シリーズを読み出したのは、中学生ぐらいになって教室の賢そうな女の子が、夢中になって読んでいるのをみてとりあえず押さえておこう、というぐらいの気分だったと思う。なにせ本を買うとか、読むとかいうことは、特別難しい家だから昨今のように立派な書店がそこここにある時代は本当に羨ましい。そう、そう。思い出したが、ついに親に図書館につれて行かれたことは一度も無かった。彼等が図書館に出向く姿をみたことは、これまでも一度もなかったし、終生ないだろう。致し方なく、隣町の小さな書店に行って買ったのは集英社版のシャーロックホームズシリーズだ。よりによって集英社だというところが、屈辱である。初めて読んだシリーズの作品は「赤毛連盟」だったように記憶する。とにかく、探偵などという存在は、それまで明智小五郎だとか、祝十郎だとかいうみょうちきりんな存在しか、知らなかったがシャーロックホームズは、さらに一層不思議な人物に思えた。あの時代の少年や少女は、探偵などという職業についてどのように考えていたのだろう。なにかにつけてコケにされている、ワトソンという人物造形に気の毒な思いがわいて、シャーロックホームズは、やけに優秀だけれどその性狷介で、あまり仲良くしたい人物とは思えずにいた。あの大瀬康一演じる祝十郎のように、少年に近づいて頭を撫ぜてくれるような優しい伯父さんとは思えなかった。だが、クラスの少女たちは、眼を輝かせて読みふけっている。謎は深まるばかりだ。大体、シャーロックホームズは、変な奴である。確か記憶では、アィリーンアドラーとかいう偉才の体現者のような女と、ロマンスめいた気分になったこともあるらしいが、概して女嫌いのようである。ワトソンは、いつもシャーロックにはしてやられているが概してルームメイトという怪しい関係だ。麻薬はやるし、ボクシングとか、格闘技とかも好みらしい。あの時代ゆえなのだろうか、相当物騒なオヤジである。そもそも中学生には、こういう人物は勿体ぶってやけに大仰過ぎる。そんなわけで、クラスの女の子がシャーロックホームズに関心をなくして受験勉強に励むころにはこちらも探偵小説などよりは、SF小説の方がよほど面白く読めるような気がしてきた。当時、ラジオで桂米朝と組んでいた小松左京の華々しさに、気持ちを奪われてシャーロックホームズへの関心は遠のいた。のちに、80年代になってテレビでJeremy Brettが人気シリーズで登場したときに驚いた。小説で読んだシャーロックホームズよりも、遥かに人間臭さが感じられた。原作に忠実だとされたドラマ化だが、やはり子供が、小説では読みきれなかった情報が盛られているせいだろう。いま、シャロックホームズのシリーズは、著作権フリーで全作品が原作オリジナルで読める。また、邦訳も青空文庫のおかげで大半の代表作が無償で読める。いい時代になったものだ。
2006年12月23日
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地域の教育委員会の関連で、某ゼネコンが関与している遺跡発掘現場を近接で眺めることができたのだけれど、現場でなければ分からないことが多いものだと思う。遺跡発掘の現場は、えてして土方作業よりも遥かに過酷だ。土方は、土を掘り運んで埋めておしまいだから重機もばかばか投入してサッサと済ますことが可能だが、発掘は重機は御法度で人間が重機の世話をするぐらいだ。掘ればいいというわけではないので、重い粘土層をひっかくような真似をして精査してゆく。雨が降れば土は重くなる上、捌きにくい。土木作業員も、現場に廻されると顎をだす。「知る」という行為は、尨大な労務の果てに訪れるものだ。Gogito ergo sumなどと、片腹痛い。それら圧倒的な量の生活や作業を払底して思想だ、思索だなどと勿体つけているが、ほんとうに存在するのはこの息絶え絶えの労務を支える意欲の方なのである。この労務を支える意欲に対応する精神こそDescarto先生などが、直視しなかった「存在」の本来占めるべき所在である。Marxは、それをギリシャ思想経由で「識る」ことになる。(世間で思われているよりも、Marxは普遍的な思想家でここ100年以内に没落した社会思想や体制とは、直接なんの関係もないと言っていいぐらいだ。ただ、彼は現実の著述ではチンピラ陰謀家と大差ないケチな真似をなんどもやった。しかし、彼のおかげで古典哲学が途轍もなく深いことに理解の手立てを貰えたように思う。)逆に、いえばわれわれの尨大な意欲の歴史と共感こそが、われわれに精神の健常を付与するものなのである。家庭や学校が崩壊している、などと近視眼なことを報道しているが、我々にとっての「それら」は、せいぜい数百年の歴史しかない。勝手に現代人が、普遍的な生活であるかのように、錯誤しているだけだ。そんなものは、なんどでも崩壊すればいいのだ。「歴史」から、「世界史」へ抜け出すべき時が近づいている。分かり難ければ、こう言い改めよう。「有史」から、「普遍史」へ心の視点を転じるべきだ。学校で、そんなことを教えてはいないだろう。だから、教育の現場で教師が思いつめて自殺したりなどするのである。制度としての学校は、学習塾が隆盛だから崩壊しつつあるのではない。Descarto先生以来の近世の流儀を、さも科学的近代として普遍史の陸続だと完璧に錯誤した体系だからだ。偏差値信仰とは、つまりはその集約である。
2006年12月23日
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I think、therefore I am.Cogito ergo sum.我レ 思惟ス シカシテ我レアリわたしは考える、故に私は存在する。本当だろうか。実は、デカルトの「方法叙説」を読んできて一度も得心した記憶がない。あれは、デカルトの言うとうりだと一旦主張を懐に収めて納得したという前提で西洋近世思想史を理解してみよう、という態度の訓練でしかないと思っている。すなわち、方法というのはその態度のことなのだ。皆さんの中にも、極めてわずかな人だけが、あるいは選ばれた人だけがわたしと同じ疑問を感じるらしい。大多数は、本気で教科書に載っていたというだけの理由だけで、なんの迷いも躊躇もなく、こんなたわごとを自分の存在証明だと信じきっている奴がゴロゴロいるということに呆れかえった。もっと、呆れたのはマルクス主義者だと自称するぐらいの奴の中に、このデカルトを丸かじりして信じて疑わない手合いがいることだ。狂気の沙汰だ。マルクスが、デカルトと構造が似ているというのを百歩譲って認めたとして、なんでスターリンだとか、毛沢東に傾斜しちまうヤカラを許せるのだろうか。デカルトの思弁から導き出せば、間違っても党中央だとか、民主集中だとか一党独裁だとか、ぜったい許容できるはずがないと思う。方法的懐疑とはもっと徹底的なものだという気がしている。まあ、方法的懐疑というのは一種の思想的流行現象のようなものだから、自分は、それの通史的な興味はあるわけだけれども、だからといって本家デカルトの論は、一旦カギ括弧におさめてそれ自体を疑ってみたいと思う。その方が、遥かにデカルトのおぼえがめでたいだろう。正しくは、というのか自分のセンスでは私が存在するという一種の確信の成立には、「意欲するわれ」がなくてはありえない。そうだ。そうに決まっている。我れ 意欲する。だから私は存在する。これしかない、とは言わないが少なくとも意欲なき思惟などありえる筈がない。デカルトは、意欲にもとづかない思惟も、排除せずに存在すると思ったのだろうか。いや、そんなことはない。彼の「情念論」を読んでいると、「意欲するわれ」に近い構想を持っていたのではないかと思われるフシがある。「高邁の心」という精神のありかたに言及している。これは自分流儀で申し上げれば、デカルトは、意欲的な思惟だけが、本当は存在に結合するパスだと考えていたのではないか、と思った。
2006年12月22日
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うちの子供たちは人見知りしすぎるから旅行に連れてゆくのはちょっと問題ね。My children are so bashful that it's a porblem going on trips with them. (松本道弘「日米口語辞典」)
2006年12月21日
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岸田今日子の件、もう一度とりあげようと思っていなかった。ところが、あの「きっこの日記」をひさしぶりにみたら 岸田今日子の事を話題にしている。やはり、ムーミンだの眠女が俳号だのと眠いことを言っている。この女史も、結局自分の視野で知るかぎりのことを述べるばかりの人だと思う。政治ネタだけが、いつも突出している。これで現代史証言がやれるつもりでいるのだろうか。少しは謙虚に。知らぬことは調べてものを言えだ。岸田今日子は、やはりテレビドラマ「男嫌い」での注目が突出していたと思う。共演の越路吹雪や、淡路恵子は、もう当時押しも押されもしない存在だった。自分は、越路吹雪も、淡路恵子も大好きで、華やかさはよく分かるが彼女らは、日本の過去の女性像を体現していたに過ぎない。男嫌いというのはドラマの建前で、実は中途半端でだらしない男ではなく、ほんとうの男を探し出すまで選りに選ってやろうという動機の姉弟で、その弟役の坂本九が狂言回しということになっていた。戦後、ようやくおやじたちが自信をつけてあいもかわらず男尊女卑の感覚のまま経済社会でうなりだした時代に、なんと男を選ぶのは女だと派手に犠牲者となる男を姉妹が「毟ってゆく」。ムシルという言葉を覚えた瞬間だ。毎週撃墜される自信家の男たちの滑稽さに、都市部の視聴者は拍手喝采したのである。当時、岸田今日子の旦那だった仲谷昇は、取材にこたえて「男嫌いのはずがないでしょう」と答えていた。自分は、亭主の仲谷昇も好きな俳優だったが、岸田はてこずるだろうな、と直感したものだ。仲谷は自分と同じ庶民的な感覚のある人。岸田今日子は、やはり超絶的なお嬢様だ。これは上手くゆくはずがない。小学生の直感は、的中した。
2006年12月21日
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君が、言いだしっぺなのだから、君が手配してくれたまえ。You were the once to bring it up so you make the arrangements. (松本道弘「日米口語辞典」)
2006年12月20日
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----単行本は豪華本としてで、廉価の文庫本も同時に出すということですね。そうそう、昨日、『週刊朝日』を見ていたら、南伸坊という人が、はじめに「小説は読まない」と書いてあるんですが、「例外がある」って。その例外が山田風太郎の明治ものだったって書いていてね。その尊敬している作家の装丁を、今度は普及版と愛蔵版とどちらもやってくれといわれて、興奮しているとあったが。-----装丁家がそのファンであるほうが、いい本ができますね。『コレデオシマイ。』の装丁をお願いした鈴木一誌さんも先生の大変なファンです。あ、そうですか。 (山田風太郎)南伸坊が、山田風太郎のファンだというのは知らなかった。たしかに、山田風太郎にはマニアニックなファンを入れ込ませてしまう「何か」がある。二十歳の年に、読んだ「戦中派不戦日記」は素晴らしいと思う。思想やイデオロギーに偏らない、市井の健常な個人にとって、あの戦争がどういうものなのかを告げ知らせてくれた。以来、山田風太郎は、心の師だと思っている。「あ、そうですか」一度で良いから、口走ってみたい。
2006年12月20日
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岸田今日子さん死去 好きな女優さんだっただけにちょっと淋しい。ああいう風に飄々とした雰囲気が好きだった。もうあの人の朗読を聞くことが出来ないのは残念。ご冥福をお祈りいたします。 たまゆら1/fあれえ、、、死んじゃったかぁ。惜しいとか、そういうのはうそ臭いので言わないけれど好きな女優さんだったです。彼女は、やはり前にも後にもない個性を演じてくれたんですね。ああ言う人だったはずはないと推理して、周辺の人のものを凝視して読んだけれどやはりあれは彼女の造型だったんだね。彼女の演じた特異な女性は、彼女の作品だったという意味で凄いと思う。ほんとうに男の子が喜ぶ女を「ほら、これでしょう」って指し示したという稀有な例ですね。冥福を祈ります。 シャルドネ。(2006年12月20日 18時52分04秒) 彼女をはじめてみて、打ちのめされたのは小学五年生の時だ。友達だったO君のおかあさんが、素敵な人で映画をみにつれていてくれるというのでついていった。映画は「シャレード」という御洒落な映画だった。O君は、絶対に嫌だといって怒っていたがお目当ての映画が上映されていなかったのだ。自分的には「シャレード」は、すばらしく愉しかったがO君は、おかんむりだった。その映画の予告編に「砂の女」がはいって、これにも小学生の自分には脳天が撃ちのめされるぐらいの衝撃だった。映画館をでた時には、頭の中がへろへろで。このショックは、いまだに誰にも説明できないでいる。もし可能ならば、いま70代ぐらいになられている筈のO君のおかあさんにお会いして当時の自分の事をどうしても説明したい気持ちが湧く。成人になってから映画「砂の女」をみた。これは小学生には無理だと思った。安部公房の小説も読んだ。この小説そのものも、戦後日本文学を代表する水準の文藝作品だと思う。映画の当時、岸田今日子はまさしく絶好調の日本に舞い降りた「女神たち」のひとりだった。ウルトラマンで有名な実相寺昭雄監督夫人の原千佐子、浜美枝。このとりわけお気に入りの「女神たち」を目撃できたことが記憶の中の60年代を大変華やいだものにしてくれる。
2006年12月20日
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じらさないでくれ。私を雇うつもりがあるのか、どうかを言ってくれ。Don't keep me hanging. Tell me if you're going to hire me or not. (松本道弘「日米口語辞典」)
2006年12月19日
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いまどき「赤頭巾ちゃん気をつけて」などと言われても困惑するばかりだろう。かつて、芥川賞作家庄司薫作品にそんなタイトルの本があった。映画化もされた。 作家、庄司薫とは本名福田章ニといいあの三省堂専務の息子。当時全国有数の進学校だった日比谷高校から、東大へ進む。そんな青春期を描いた小説は、芥川賞を受賞し映画化にもなる。映画化で、小説の主人公を演じたのは岡田裕介。昨今、俳優だなどと思っている人はいなくて、あの「極道の妻たち」などの映画で有名な東映の代表取締役、岡田裕介その人である。 おかしなもので、競演した森和代という女優まで記憶している人はいないと思うがにわかに注目されてきた。 女優、森和代。 ほかならぬ17歳の赤頭巾ちゃんをごちそうさましちまった森本レオ氏の奥さまだ。今は昔、演技指導などといいながら狼になって石原真理絵を食べた人ですなどと暴露された森本レオは、そういえば先年も水沢アキという女優に告発されて話題になったが、それも法的には時効とはいえ強姦だったとの水沢アキ側の主張だった。業界の人間が職権をよきことにして、女に手をだすのはどこの世界でも「品物に手をつける」と忌み嫌われるものだが、芸能界では結構ポピュラーなものらしい。しかし、いくら虚飾の芸能界でも家族はいたたまれないだろう。 往年の女優森和代は、狼だ、狼だといわれっぱなしの還暦過ぎた亭主をどんな思いで眺めているのだろうか。
2006年12月19日
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外野席からガタガタ言うのはやめろ。Don't be a backseat driver. (松本道弘「日米口語辞典」)
2006年12月18日
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みなさん方の中に 自衛隊に入りたい人はいませんかひとはたあげたい人はいませんか 自衛隊じゃ人材求めてます*自衛隊に入ろう入ろう入ろう 自衛隊に入ればこの世は天国 男の中の男はみんな 自衛隊に入って花と散るスポーツやりたい人いたら いつでも自衛隊におこし下さい槍でも鉄砲でも何でもありますよ とにかく体が基本です*リフレイン鉄砲や戦車や飛行機に興味を持っている方はいつでも自衛隊にお越しください 手とり足とり教えます*リフレイン日本の平和を守るためにゃ 鉄砲やロケットがいりますよアメリカさんにも手伝ってもらい 悪いソ連や中国をやっつけましょう*リフレイン自衛隊じゃ人材求めてます 年令学歴は問いません祖国のためならどこまでも 素直な人を求めます*リフレイン自衛隊に入ろう/高田 渡69年 詞:高田渡 曲:M・レイノルズ 高田渡は、他界した。添田亜蝉坊の継承者を目指したものか、TVにはでたがらなかったらしい。晩年、NHKの番組に登場したころには、アルコール中毒だったのかべろべろだったように記憶する。高校時代、この「自衛隊に入ろう」を歌っている高田渡を知り、自衛隊にムードで敵意を広める流儀に斬新なものを感じたが、彼の他のクリティカルな歌唱にくらべ強い印象が湧かなかった。当時、密かに読まれた大江健三郎の問題小説で「セブンティーン」というのがあった。自分らよりも、ひと世代上の山口一矢をモデルにした小説だ。その小説の中で、主人公が姉から自衛隊についての曖昧な感慨をたしなめられる描写がある。姉というような存在がない自分には、小説の主人公の打ちのめされ方には、納得しながら不思議な気分があった。自衛隊は、現実の存在として市井の市民のそこここで次第に認知をされていて、そこにも根拠らしきものはあり、歌で揶揄して退場するような事態ではすでにないのだと、そう小説が教えているようだった。日本の平和を守るためにゃ 鉄砲やロケットがいりますよアイロニーとして、高田渡がこれを歌うのだとすると(事実、彼はつねにそのように確認をしながらステージで歌っていた)鉄砲やロケットなしで築きあげる「日本の平和」の道筋を具体的にわれわれに指し示す必要がある。しかし、かれはそれには沈黙する。日本の「憲法九条」すら、その自衛隊という巨大なアメリカ沿岸警備隊の手先のような存在が担保しているのだという事は、夢にも思い至らないらしい。平和憲法を護れは、結構だが、いつまで日本人が、アメリカの軍事防衛構想のシモベで生きてゆくつもりなのだろう。アメリカさんにも手伝ってもらい 悪いソ連や中国をやっつけましょうここで歌われているソ連は、すでに消失し中国は、間違っても現在の人民中国を直接指しているわけではない。毛沢東とその取り巻きのかつての赤色王朝は、一旦は崩壊をしている。特段やっつけたわけではないが、自前で崩れ落ちた。結果として「やっつけた」のと大差ない。彼、高田渡は、アイロニーのつもりだろうが「悪いソ連」や「中国」が崩壊をしたことで、成り立った平和も享受し、彼は立派にアルコール依存して身過ぎ世過ぎもできた。歴史的役割を終えた、その歌は現代史の歴史資料でしかない。彼は、ついにそのことを歌うまでに到らず、酩酊した精神のまま他界した。
2006年12月18日
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単なる食わず嫌いでしょう。一度味わってみなければわかりません。That's a silly prejudice.How do you know if you haven't tried it? (松本道弘「日米口語辞典」)
2006年12月17日
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↑クリックかつて、日経新聞ではインターネット利用者の90%近くが30代以下だとの報道があった記憶がある。当時、ネット利用者の中で自分などのオヤジは5%未満だとされていた。Yahooで、石原裕次郎にこだわったスレッドの旦那が「人が来ない」と嘆いているのでそれは枯れ井戸を掘っているようなものなのだから、いまあるリピーターに丁寧にレスをつけるようになさいませ、とアドバイスをした記憶がある。しかし、間違いなく構成が変化してきているようだ。男女利用比も、大きな差異がなくなって来たらしい。つまり、WEBも世間並みに礼儀を問われる世界になってきたのだろう。
2006年12月17日
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お呼びじゃないよ。おまえさんのあずかり知らぬことを話しているんだ。Who asked your advice? We're talking about something you don't know anything about. (松本道弘「日米口語辞典」)
2006年12月16日
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「中小企業創造活動促進法」は、正式には「中小企業の創造的事業活動の促進に関する臨時措置法」(平成7年法律第47号)といい、創造的事業活動を行う中小企業の方を支援するための法律です。「創造的事業活動」とは、創業や研究開発・事業化を通じて、新製品・新サービス等 を生み出そうとする取り組みのことを言います。 中小企業庁では、都道府県との連携の下に、このような中小企業による創造的事業活動を支援するため、平成7年4月に中小企業創造活動促進法を施行し、これを柱に、税制、金融をはじめとした幅広い施策を準備しています。また、本法は平成8年4月に一部改正が行われ、ベンチャー財団を通じた直接金融の促進のために再保険制度の創設等を行い、さらに、平成9年5月にも一部を改正し、創造的事業活動を行う中小企業の方に対する株式投資による資金供給の一層の円滑化等のために、いわゆるエンジェル税制を創設するなどの施策の充実を図っています。 有名な「中小企業創造法」なのだけれど、歴史的役割を終えて臨時措置法として記憶から消えてゆくことになる。93年に、パソコン通信を始めた。御存知、ニフティーサーブである。中小企業庁とは、話がデカい。事実上、この省令をぶっぱなしたのは当時二十代の若手キャリアたちだ。当時の自分からすれば、パソコン通信であつまってくる兄ちゃんに過ぎない。ニフティーのBBSで、やけにこの省令を自画自賛しているので、噛み付いた記憶がある。95年春に国会を通過したこの行政都合とも思えぬ兄ちゃんたちのクーデターのような行政方針は、いまkaiser1さんとわたしのあいだにあるような「深刻な齟齬」を前提にはしていない。実に、無邪気な動機でぶっぱなされたという気がしてならない。高知工科大へ行かれた水野博之教授が京都で教鞭を取っておられたときに、この件話題にしたのだが「役人のすることはそんなものですよ」で、オシマイだった。つまり、第三次ベンチャーブームとは「そんなものだった」のである。しかし、その成果物はこの行政方針を上層とかけあって無理やり国会に通した二十代のキャリアたちの至近でその「功労」を眺めていた連中に甘受された。つまり以下の人物たちだ。みな、あのニフティーサーブのお仲間たちである。この連中のいったいどこに「研究開発」R&Dの実態があるというのだ。
2006年12月16日
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身体の中に、少し日の光をいれてあげるぜ。I'll let a little daylight into you. (松本道弘「日米口語辞典」)
2006年12月15日
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>アメリカに擦り寄りできなければ「起業しない方が>得策である」という国になり果てているのだという>ことについて、もっと多数国民の共通認識になって>欲しいものです。(シャルドネ)-----アメリカ流という経営方法を、日本の学者先生達は、受け付けない風習をもっていると思います。技術者出身の社長は、自分の会社の経営を他人にゆだねることを決断できないと思います。とんでもない額の研究費をかけて、やっと物になったら、VCから資金を回収される根本は、よく言えば「お人よし」悪くいえば、「研究馬鹿」です。日本の出資者(銀行系列)はお金の管理だけしか見ていないので非常に危険です。アメリカのVCから送り込まれる経営者は、自ら会社を興した人が圧倒的に多いこととの違いです。彼らは、会社の売り時(exit戦略)をも常に考えています。シリコンバレーには日本人のVCも存在しています。(kaiser1さん)(2006/12/15 08:42:37 PM) この程度の話題に、眼をシロクロさせるというぐらいであればいいのですが眼が点になって判断停止するというサラリーマンが圧倒的多数でしょう。日本では、普通に息を吸うように評価できる人が少なすぎますね。そのアメリカに根城をかまえる日本人のVCに融合しなければ、何事も進まないという日本がもう没落そのものの現在形だと思うわけです。(笑)(シャルドネ)(2006/12/15 10:26:00 PM)それは、研究開発型ベンチャーで成功した人たちがいなくなったのだと思います。ソニー、ホンダなどは、研究開発型の企業ですが、、、>そのアメリカに根城をかまえる日本人のVCに融合>しなければ、何事も進まないという日本がもう没落>そのものの現在形だと思うわけです。(笑)現在の日本のマーケットで考えた場合、新規上場してくる会社で且つ研究開発型のベンチャーで成功したといえる企業が見当たらないことに原因があると思いますよ。ライブドア、楽天などは、技術力ではなく買収で大きくなった会社ですが、今後もgoogle並に成長できるビジネスが見えてきませんから(笑)(kaiser1さん)(2006/12/15 11:49:28 PM)研究開発型ベンチャー事業者の弁護をする人が皆無なので私があえて致しますが、、、、(笑)おっしゃっているのは、それは金融やVCの論法でして、現実には「成功したといえる企業が見当たらない」のは当然なのですよ。研究開発型事業者を潰すための装置は十重二十重で、その声を聞きただす者など皆無です。その至近距離でみてきましたが、文字どうり「芽むしり仔撃ち」の連続なんです。「成功させないための装置」はますます増えておりますし、その研究開発型ベンチャーつぶしの数え切れない地雷を除去せずに、地雷で足を飛ばせた人たちを酷評する、差別するという国なんです。これを事業者側の責任のように語っておられること自体が、もう芽をつぶす側の論理ですから。中企庁は、95年時点以前ではkaiser1さんのような突き放した認識はありませんでした。むしろ当時はベンチャー事業は、研究開発型であるべきだとの認識で、ニュービジネス派と激しい縄張り争いが存在していたのは御存じでしょう?現実には、ニュービジネス派に袋叩きにあったようなものなんです。この辺の呼吸は、むしろ杉山巡氏が御理解いただけると思います。多くの研究開発型ベンチャーは、世界市場と伍するほどの急成長を示す前に、後から撃たれたという認識です。後だしジャンケンが好きな日本人ばかりになってしまい、昨今NHKなどに頻出の大学の先生方も、口をぬぐいいまや研究開発型ベンチャーなど見当たらないという話題の切り出し方ですが、彼等はニュービジネス派と野合した裏切りもの達ばかりだと私は思っています。日本にはそのような成功事例がないかのようにおっしゃるのですけれど、当時通産や大蔵の内部に巣食っていたポチが、研究開発型事業をアメリカを刺激する挙動とばかりに叩き潰したというのが実態ですよ。
2006年12月15日
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御存知、映画「ブレードランナー」の怪演で一躍名を馳せたダリルハンナである。Daryl Christine HannahDVDで英語字幕を見ていて彼女が・・・I think、Sebastian・・・therefore I am.と、口にするところで息を呑んだ。なんだ、Cogito ergo sum じゃないか。「キルビル2」などで、妙な役回りして登場する彼女。彼女はそのイメージがどうも不思議な雰囲気で奇怪だが、恐怖感とは違った存在論的な不安を暗喩していると思われた。愛玩用のアンドロイドだというのに、妙に「知」が勝ちすぎているぐらいだ。「ブレードランナー」での、PRIS役は鮮烈だが彼女ダリルハンナはUCLAの哲学科専攻という実に、妙な経歴の女優だった。この映画の、存在論的な不安感はまさしく彼女の主知的に機能づけられた演技で際立ってくるように思えたのは「それゆえ」だったのかもしれない。
2006年12月15日
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「ジョーンズが、一番貧乏クジを引いた。われわれは給料をカットされただけだったが、彼はクビになってしまった。Jones was the most unlucky of all. We all had our salaries cut but he was fired. (松本道弘「日米口語辞典」)
2006年12月14日
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kaiser1さんが、先日のNHK報道番組を取り上げている。2006.12.13ワーキングプアという囲い??? 楽天ブログの常連さんがたには、疎遠なあの世の話と響くかもしれないが、都市部を構成するこの新貧困層の問題は拡大の一途で、すでに治安の問題としてその脅威は広範な社会問題として足元に広がっている。快楽殺人で、縁もゆかりもない人を殺し、死刑判決を被っても反省のない人格は登場している。罪を悔いるどころか、反社会的な動機を生きる甲斐のように語る魂をいまこの国は、未曾有の規模で体験しようとしている。ひとくちに社会などと容易く口にするが、このような精神を国土の上で発生させてしまえば、彼等を国は排除し、隔離するしかあるまい。つまり早晩行き着くのは収容所のようなもので、格差社会の勝利者は国土の上の人々にはなんら関心も抱かず自らの恵まれた現状だけを防衛しようと腐心するだけだろう。あの中島みゆきが、覆面をして周囲を憚りながら数億円もの金員を投じて入居する高満足度の高級老人ホームを密かに探している写真週刊誌の報道を眺めていて失笑を禁じえなかった。午後も偶然見かけた「徹子の部屋」で、往年の大女優池内淳子が、45年暮らした大邸宅を見事に精算して都心の堅牢な重層防御をほどこした厚いドアのマンションに移り住むという話題を披瀝しているのを見かけて彼等もすでに精神のうえでおのおの脱社会化している、その無意識のさもしさに暗澹とする思いで眺めた。女優池内淳子は、過去の写真も持ち物も、記念品も、思い出の品々もすべてシュレッターで切り刻み生活の変化にそなえたという。つまりは、彼等はすでに死出の旅準備を行っているに等しい。いま滋賀の東側の教育委員会がらみで、遺跡発掘現場があるというので観察している。某ゼネコンの再開発で関連した整理作業を下請けしている企業がある。環境ボランティアと、コミットしている顔ぶれが一部重なるところが面白い。遺跡発掘作業にかかわって、自分も現場を拝見した。その現場に立ち至って痛感した。まさしくkaiser1さん御懸念のワーキングプアーの具体例、その目撃だと思った。遺跡発掘などとは聞こえがいいが、古代の生活を辿る現場を占めているものは都市部の日雇い労務者である。その個別の顔ぶれは、30代から60代までの、日当労働で動員される人たちで、間違っても大学の考古学研究者とか大学のゼミナールの学生ではない。交通費の支給もなく、駅から何キロも離れた現場集合で集められた高齢者が、日当数千円程度で手作業で広大な敷地を整理する。雨が続けば、現地解散もあるという。少ない日当も、さらに減額される。つまり、実態でボランティア活動並みの処遇なのだ。何千年か前の我々の祖先の生活のよすがを辿るという不思議な目的のために、現実にはいかなる雇用の機会も与えられることがなかった新貧困層が大量動員されて、手作業で泥とまみれて幻の歴史資料の収集に当たる。自分は、その現場のこの奇怪な作業そのものこそむしろ積極的なる「歴史的な資料性」を感じるものだ。実は、以前から繰り返し述べているところだが母親が殺されかけた滋賀県守山の空襲。まったくその事実すらどこを探してもでてこない。種々検索しても、虚しい。出てくるのは、驚くことに他ならぬこの自分の記述だけだ。つまり、殺された人たちの記憶も、殺されかけた事実の記録を求める作業も虚ろとなるほど、この社会は歴史を好んで抹消してきている。自分が、まのあたりにした遺跡発掘現場でみたこの時代の「様相」など、わたしがブログに記したこと自体が奇跡のようなもので、実はすでに現代人の意識の表層に浮かぶこともなく、生きながら瞬時に無意識に追いやっている。そう思った。まさしくこの空の下遺跡発掘現場の地上部で、母親は50年前殺されかけた。それは、いまも同じことなのだ。死者の声は、そう語りかけているような気がした。「人は、戦争で死ぬために生まれてはこない」2004年5月5日 「捜せるのだろうか? 」2005年7月04日
2006年12月13日
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ブラジルからの日系移民たちに、日本語の入り口でつまづかないようにと幼児向けカルタをさがしていて目に付いた。これは、凄い。滋賀県の日本語教室に、どんぴしゃりという程の内容だ。どうも、真珠まりこさんが息子さんから「もったいない」の意味が理解できないと言われたことがきっかけだという。そのあたりの応酬が面白いと思う。「もったいないって どういうイミ?」ごはんをたべながら 息子にきかれたのが はじまりでした。「え……」つまる私。「もったいないっていうのはぁ のこさないで たべようねってこと」「どうして のこしちゃ だめなの?」「だって もったいないからよ。」「だから もったいないって どういうイミ?!」もったいないって 他になんていえばいいんだろ。英語にはないことばってよくきくけど 日本語でも説明できないみたい。これはなんとかしないとね。そう思ってつくりはじめたのが 絵本『もったいないばあさん』でした。どういうイミか? たのしいこたえ みつかるかな?残念ながら、周囲の母親で真珠まりこさんのようなタイプは絶えて果てて皆無だった。これでは、教育的指導が必要なのは子供ではなく、いまの時代の大多数の母親の方ではないか。常々そう思っていた。世の中には、真珠まりこさんのような人がいてカルタでも絵本でもじゃんじゃん売りまくりどんどの儲けてもらっていいと思う。溜飲がさがる思いのする人も多いのではないか。本屋で立ち読みをしたかぎりでは、このカルタも愉しい出来栄えだ。来年の正月には、御家族御一緒にいかがだろうか。勿体無いの感覚が希薄になってしまった理由も、ぜったいあのオジサンのせいだ。子供に、「もったいない」を伝えられない母親の頭の中は星条旗で染まっているに決まっている。江蘇省の都市風景だって、飲茶よりもマクドナルドで家族サービスというパパ、ママでそこここに長蛇の列だった。あぶない、あぶない。「もったいない」は、いまやLOHASのシンボリックなフレーズのひとつだろう。Lifestyles of Health and Sustainability
2006年12月13日
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西大津のジャスコに出向いた。野菜も、くだものもいまイチで感心しない店なのだが平和堂よりマシという要素が多いのでメインにつかっている。大阪では考えられないほど、手抜き傾向のある店で切れ味がない。品揃えにインテリジェンスが感じられないのだ。さすがに野菜が値ごろ感があるので仕方なく白菜を半切購入した。これは私が選んだのだから、巻きのしっかりした重量感のあるもの。だが、いかんせんここの生鮮バイヤーは間違いなくサラリーマンだ。同じ生鮮でも大阪の関西スーパーならば目から鼻に抜けるような品揃えだろう。とりあえず、冷蔵庫に残っている生姜を使うつもりで、豚ロースを100グラムほど買った。これだけで煮物を一品しあげる。まず、このあいだ仕入れたばかりの底の深いフライパンに、ごま油を敷き一味唐辛子をふりラー油状態にしてロース肉を軽く火を通す。そこに生姜のスライス2、3枚ぐらいのみじん切りをほりこんで、好みで炒めてやる。ロース肉を買うぐらいは平気だが、金がないときは冷蔵庫の定番、朝食御用達のスライスベーコンでごまかすこともある。そこで、好みにばっかばっかと切りそろえた白菜のカット辺を反タマ分ほりこむ。こんなものは好みなのだから、直感まかせ。葉は大きめでいいし、白いところは食べるときのイメージで短冊ぐらいにしておけばいい。ざっと火がとおったら、蓋をしちまう。だいたい、調理は、どかどかと強火でいじめてあとは弱火でしごいてやるとタラタラと白菜が汗をかく。ここですかさず白ワイン、みりん、醤油、カツオだし系をほりこむ。貧乏人は、カツオ風味の合成顆粒をつかうのもいいけれど、せめて鰹節削りぐらいは突っ込んでやると旨みが違う。5分も蓋をしてながめていると、かってに煮物に化けている。水など足す必要はない。煮立ってきたら、出汁を匙ですくって味見して、好みで砂糖とか、醤油をたすひくする。もう一度強火にして、味を濃くしておしまい。水とき片栗をほりこんだらもう明日の弁当の一品に。ついでに、モルトウイスキーで晩酌してもいい。割と辛口だから、酒にもあう。
2006年12月12日
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映画は、映画館でみる主義だけれど英語学習教材と割り切っていくつかの映画はDVDで繰り返し見ている。82年に偶然に大阪の映画館でみて「ブレードランナー」も、そのひとつだ。当時生まれた子供たちは、もう映画マニアとして古典に接するような気分なのだろうか。すでに十分なほど評価を勝ち取ったあの「攻殻機動隊」だって、この「ブレードランナー」の登場と密接な関係があるという印象が湧く。それは増殖、散開というものだろう。サイバーパンクという用語も、この映画の世に与えたインパクトの一つだと聞いた。 この映画のハリソンフォード演じるデッカード刑事の「情けなさ」の描写というものは、特筆すべき斬新さを帯びていた。そして、それはいまもそれほど越える作品がないというほどのものだ。酸性雨が沁みるようなダウンタウンに、素うどんを四玉も頼むような愚かなリストラ刑事に次々と殺されてゆくアンドロイドの一体、一体。彼ら彼女らのそれぞれが飛び切りの哀愁を帯びていまなお胸を掻き立てる。 LEONOkay if I talk?Holden doesn't answer. He's centering Leon's eye on the machine.LEONI kinda get nervous when I take tests.HOLDENDon't move.LEONSorry.He tries not to move, but finally his lips can't help a sheepish smile.LEONI already had an I.Q. test this year ... but I don't thin I ever had a ...HOLDENReaction time is a factor in this so please pay attention. Answer as quickly as you can.LEONUh ... sure ...HOLDENOne one eight seven at Hunterwasser ...LEONOh ... that's the hotel.HOLDENWhat?LEONWhere I live.HOLDENNice place?LEONHuh? Sure. Yeah. I guess. Is that ... part of the test?Holden smiles a patronizing smile.HOLDENWarming you up, that's all.LEONOh. It's not fancy or anything.HOLDENYou're in a desert, walking along in the sand when ...LEONIs this the test now?HOLDENYes, You're in a desert, walking along in the sand when all of a sudden you look down and see a ...LEONWhat desert?HOLDENDoesn't make any difference what desert ... it's completely hypothetical.LEONBut how come I'd be there?HOLDENMaybe you're fed up, maybe you want to be by yourself ... who knows. So you look down and see a tortoise. It's crawling toward you ...LEONA tortoise. What's that?HOLDENKnow what a turtle is?LEONOf course.HOLDENSame thing.LEONI never seen a turtle.He sees Holden's patience is wearing thin.LEONBut I understand what you mean.HOLDENYou reach down and flip the tortoise over on its back, Leon.Keeping an eye on his subject, Holden notes the dials in the Voight-Kampff. One of the needles quivers slightly.LEONYou make up these questions, Mr. Holden, or they write 'em down for you?Disregarding the question, Holden continues, picking up the pace.HOLDENThe tortoise lays on its back, its belly baking in the hot sun, beating its legs trying to turn itself over. But it can't. Not without your help. But you're not helping.Leon's upper lip is quivering.LEONWhatya mean, I'm not helping?HOLDENI mean you're not helping! Why is that, Leon?Holden looks hard at Leon, piercing look.Leon is flushed with anger, breathing hard, it's a bad moment, he might erupt.Suddenly Holden grins disarmingly.HOLDENThey're just questions, Leon. In answer to your query, they're written down for me. It's a test, designed to provoke an emotional response.Leon is glaring now, the blush subsides, his anger slightly diffused.Holden smiles cheerfully, very smooth.HOLDENShall we continue?Leon nods, still frowning, suspiciously.HOLDENDescribe in single words. Only the good things that come into your mind. About your mother.LEONMy mother, ... I'll tell you about my mother.
2006年12月12日
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日本「寿司」国際認証へ...韓国人運営食堂打撃憂慮日本政府が海外の寿司食堂を相手に「監察組(shshi police)」の運営に出た。 外国の寿司食堂のうち品質やサービスがまともにできた所を選び「認証」するというのだ。寿司監察組は今夏フランスに初めて登場した。日本貿易振興機構(JETRO)パリ支部が「真の日本の味とサービスが何かが分からなければならない」と料理専門家12人で構成された「日本食堂価値向上委員会」を作ったのだ。彼らは客を装って、大きくて有名だという寿司店80カ所を訪問した。 そして▽日本産の材料を使っているのか▽食べ物の質はどうか▽食べ物を盛るスタイルやサービスが日本的なのか--などを採点した。評価結果3分の1は基準を満たすことができなかった。 JETROは合格した食堂には箸を手に持ったデザインの「真の日本料理」マークを店につけることにした。日本政府は合格した食堂のみ政府運営サイトなどに勧める日本食堂名簿に入れる方針だ。 海外の寿司店の中には韓国人の運営する所が多いが、この基準をパスできない場合、営業に打撃を被るものとみられる。日本政府は監察組の活動領域を米国などほかの国にも広げる計画だ。 この記事を扱った米国のワシントンポストはしかし「いくら全世界的に寿司ブームが起こっているとはいうが、このような日本の動きは『食べ物の国粋主義』に映る」と指摘した。 この指摘に対して日本政府側は「何の問題もない」という立場だ。和食ブームに便乗し、全世界に「類似の日本食堂」が雨後の竹の子のようにでき、日本固有の飲食文化に歪曲現象が起こっているという主張だ。 日本政府のある関係者は「もし間違って作った寿司を食べて腹痛でも起こせば『和食は危ない』というイメージが広がることがありえる」とし「イタリアとタイも類似の制度を運営している」と強調した。 東京=金玄基(キム・ヒョンギ)特派員 2006.12.01 09:04:18 中央日報 ジェトロ。パリ支部が頑張ってるらしい。主に韓国勢が、猛烈に反発とか。ワシントンポストも、日本に「食べ物の国粋主義」に映ると、ど鈍いコメントをだしているとか。日本人は、かろうじて食べ物の件だけはアメリカに譲らないぐらいの姿勢はあるらしい。しかし、このジェトロ・パリ支部の殊勲賞ものの「「日本食堂価値向上委員会」なのだけれど、もっとも痛撃するのは韓国系経営者らしい。中央日報まで連れ立ってこの件を報道している。考えれば中国が平気でキムチをつくって世界市場で売っているのを黙っているばかりではなく、いかに似て非なるものであるのかを論証してみてはどうだろうか。味の国粋主義があってもいいのでは。その反動で、無国籍料理が旨くなればいいだけのことだから。アメリカも、フランスワインを有難がるのほどの趣味ならば当然純和風江戸前寿司に少しは敬意を払え!Putting the Bite On Pseudo Sushi And Other InsultsJapan Plans to Scrutinize Restaurant Offerings AbroadBy Anthony FaiolaWashington Post Foreign ServiceFriday, November 24, 2006; Page A01TOKYO -- On a recent business trip to Colorado, Japan's agriculture minister popped into an inviting Japanese restaurant with a hankering for a taste of back home. What Toshikatsu Matsuoka found instead was something he considered a high culinary crime -- sushi served on the same menu as Korean-style barbecued beef."Such a thing is unthinkable," he said. "Call it what you will, but it is not a Japanese restaurant." Most Blogged About Articles On washingtonpost.com | On the webSave & Share Article What's This? DiggGoogledel.icio.usYahoo!RedditFacebook A fast-growing list of gastronomic indignities -- from sham sake in Paris to shoddy sashimi in Bangkok -- has prompted Japanese authorities to launch a counterattack in defense of this nation's celebrated food culture. With restaurants around the globe describing themselves as Japanese while actually serving food that is Asian fusion, or just plain bad, the government here announced a plan this month to offer official seals of approval to overseas eateries deemed to be "pure Japanese."Some observers here have suggested that the government's new push for food purity overseas is yet another expression of resurgent Japanese nationalism. But the mentality in Japan also echoes a similar movement by several nations -- including Italy and Thailand -- now offering guidelines and reward programs to restaurants abroad to regain a measure of control over their increasingly internationalized cuisines.So beware, America, home of the California roll. The Sushi Police are on their way.A trial run of sorts was launched this summer in France, where secret inspectors selected by a panel of food specialists were dispatched to 80 restaurants in Paris that claimed to serve Japanese cuisine. Some establishments invited the scrutiny, while others were targeted with surprise checks. About one-third fell short of standards -- making them ineligible to display an official seal emblazoned with cherry blossoms in their windows or to be listed on a government-sponsored Web site of Japanese restaurants in Paris.Matsuoka, who took over Japan's top agricultural job in September, is the mastermind of the new "Japanese restaurant authentication plan." He said it does not always take a culinary sleuth to spot an impostor. "Sometimes you can tell just by looking at their signs that these places are phony," he said."What people need to understand is that real Japanese food is a highly developed art. It involves all the senses; it should be beautifully presented, use genuine ingredients and be made by a trained chef," he continued. "What we are seeing now are restaurants that pretend to offer Japanese cooking but are really Korean, Chinese or Filipino. We must protect our food culture."In recent years, few culinary traditions have witnessed the kind of global boom, and distortion, of Japanese food.In the United States alone, the number of restaurants claiming to serve Japanese food soared to 9,000 in 2005, or double the number a decade ago, according to Japanese government statistics. The government projects that the number of Japanese restaurants worldwide will leap to 48,000 by 2009, more than double the current level.Some have gone all-out to ensure authenticity. Masa in New York City imports its fish from Tokyo's Tsukiji Fish Market while Umu in London regularly flies in the soft water of Kyoto, Japan's old capital, to make its bonito fish broths. But they are largely exceptions in a world where the Japanese fear their food is being lost in translation.In the United States, the proliferation of counterfeit Japanese foods now includes seaweed rolls stuffed with smoked salmon and cream cheese. In Canada, Vera's Burger Shack in Vancouver is offering tempura-battered onion rings. As the recent test in Paris showed, even such gastronomic bastions as France can be guilty of sushi sacrilege.
2006年12月11日
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昨日で、今年のボランティア活動も終りだ。日本語教室で、ブラジル人の青年とおやじが2人来てくれていた。青年は、兄弟なのだが兄の方が体調不良で残念がってくれていたそうだ。この三人は、大変日本語学習意欲が高くて熱心だ。熱心な生徒がいると、こちらも手を抜けない。自分が英語学習していて、つかんだスキルというのか、方法論はさっそく日本語教室で、咀嚼しなおして見せている。いまはまっているフラッシュカードを、いくつか使ってて教科書は全然使わない。本当は教科書を買わせろという空気もあるが、金額に比べて内容がたいしたことがない。手作りの教材の方が、弾力的で相手の成長速度にあわせて自在な分、役に立っているように思う。おやじは、仕事が多忙で復習をする余裕がないのだろうと思う。実は、自分より1歳下の年輩なので記憶の補助になるように工夫してあげないといけない。本よりもフラッシュカードを何枚か渡すほうが日常の利便にも近いと思う。若い兄弟は、教室を紹介した人が配置の都合で遠方へ行ったのだけれどよほど丁寧にオリエンテーションされているのか、かかさず参加してきている。日本にいるあいだに日本語が日常会話レベルで習得できるほうが絶対に生涯賃金にも影響すると真剣味を帯びて学んでいるのだと思う。日本語だって、文法よりもまずメッセージの単位の道具化が優先すると思う。むろん文法は大事だが、文法は学ぶよりも悟る(覚る)ほうが大切だと思う。使っている表現の、内部にある文法構造は使うことで体感されているものを法として自覚することのほうが遥かに大切で、普遍性があると思う。だから、文法の時間などを割いたことは一度もない。わずが5分の解説もしていない。練習の反復のなかで、体感されたものがそれが文法だ、という気分は彼等に伝わっている。自分が願望する、英語教師のイメージを自分が演じているという風に思っていただければ間違いない。最近、はまっているフラッシュカードの論理はスティーブ・ソレィシーの一連の図書から理解したものだ。実に興味深いことを彼は言っている。 スティーブソレィシー談 「時制は間違っても通じます。時制にはメジャーなものとマイナーなものがあって、文法を勉強すればするほど、マイナーな時制に走ってしまいます。気にすれば気にするほど、会話の量は減ってしまいます。 メジャーな時制とは、現在形、過去形、未来形、この3つだけです。この3つの時制を使ってフリートークできる人は英語のレベルが高い人です。 完了形で、Have you… ? という形はよく使われますが、答えるときは、単純過去形でかまいません。 例えば、 Have you been to Italy? (イタリアに行ったことありますか?) Yes, I love Italy. I went there for my 20th birthday.I met a lot of nice people. (はい、イタリア大好きです。20歳の誕生日のとき、イタリアに行ってね、やさしい人たちに会いました。) このとき、あれ、have met にすべきかな?今はもう会ってないから、had met にするのかな?なんてことは、もう忘れてかまいません。 先にも述べたように英語は、語順です。とっさに語順がうまく言えることを目標にすると文法のことはそんなに気にしなくても大丈夫です。前置詞、冠詞、動詞の変形、時制などは、そんなに深刻になることはありません。」 「会話で一番いけないのは、言葉につまって無言になってしまうこと。沈黙が何よりもいけないんです。 とにかく発話の「量」で勝負すること それと、英語を話すときの「量」、これが足りないと、なかなかコミュニケーションは取りにくいんですよね。せっかく話すチャンスがあっても、うぅーん、と考え込んでしまって、無音状態になってしまうのは、非常に残念なことですね。」 スティーブソレィシー談 実は、私がこれから何年間もかけて運動しようとしていることは、文法の規制緩和です。本を読めば読むほど、英語番組を見れば見るほど、教室へ行けば行くほど、「規制大好き」が伝わってきますよね。TOEICの試験を見れば見るほど、規制ばっかり!無駄な規制が多過ぎます。これは、本当に英語を話したい人にとっては、じゃまになってしまいます。 「文法が完璧だから通じるはず」と思っていると、実際の会話では通じなかったりすることってあるんですよ。「あれ?完璧に言ったつもりなのに通じないじゃない。」というような経験をした人も多いでしょう。 「すいません、次に私が言う文章の空欄をうめてください」と言う外国人は誰もいませんよ。(爆笑)
2006年12月10日
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「あの男の難点は、人のやることにいちいちケチをつけることだよ」The trouble with him is that he finds fault with everything you do. (松本道弘「日米口語辞典」)
2006年12月10日
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「放送禁止歌」という本が書店に並んでいた。何年前だったのだろうか。大阪の旭屋書店は、結構信頼している。こうい本が並ぶ速度が極めて早い。立ち読みしたのだけれど、そのすべてをAM放送時代に聞いていたので驚いた。むかしから自分は、結構高感度人間だったのだと改めて思った。つまり、放送禁止になる前にラジオでさんざん聞いていたり、当時市場にリリースされた直後の、最新鋭のメデアだったカセットレコードで収録していたりする。いや、今でこそ笑う人もいるが当時カセットの登場は画期的だった。オープンリールでラジオ講座を録音した時代を考えれば、あのカセットという方式は夢のような未来性を感じたものだった。それは、ともかく自分は個人的にそれらの放送禁止歌を、ラジオで、はたまた直接高田渡や、岡林信康、なぎらけんいち、などのライブで直に聞いている。しかし、知っている悲哀というものもあって、その後だれも放送禁止されて聞いている人間がいなくなり、知っているということが孤立感につながるという不思議な事態に陥る。日本は、いつだってそうだ。知ってる人間がそれを知るために投じた、血の滲むような努力はすべて精算されぬまま孤立しているゆえに、その知を無償供与せねばならないというお馴染みのパターンがある。「放送禁止歌」は、実はテレビの深夜放送でこっそりと流されていた番組の再録という面がある。なんと、この深夜の放映をその当日偶然に冒頭から見ていた。これも強運というべきだ。しかし、いまやあのyouTubeの時代である。あの幻の秀作ドキュメントがみれるようになった。ぜひとも、このドキュメントを冒頭から通して最後まで見ておいて欲しい。まもなく、このコンテンツが消し去られる可能性も高いからだ、、、、知ることには、つねに何らかの負荷へ向う覚悟がいる。これが原則だ。※最上段の画像を↑クリックする。
2006年12月10日
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「問題が大きくなって手に負えなくなるまえに善後策を講じなければならない」We must take corrective measures before the problem becomes too big to handle. (松本道弘「日米口語辞典」)
2006年12月09日
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2006年12月09日
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「高利貸しは、あこぎな商売だ」Loan sharking is a cruel and heartless business. (松本道弘「日米口語辞典」)
2006年12月08日
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自衛隊が、防衛庁から防衛省になり多少よろしくなるポイントがあるという。不思議な意見に接した。あのアメリカ追従で「ポチの牙城」のような外務省の好き勝手が出来なくなるというものだ。あまり良く分からない議論には、距離を置くべきだと思うのだけれど、それならばそれで強行してやるのだから堂々とこの際、あの陸、海、空などという自衛隊三軍を一気に統合軍として大規模リストラを実行して欲しいものだと思う。経費が圧縮できるなどという話題ではない、おそらく今の日本の自衛隊は、大幅なリストラで飛躍的に戦力は向上することだろう。そして、シビリアンコントロールを言うのならば、これなしには絶対に軍事の論理として、どこかで不本意な活動に巻き込まれることは避け難い。ぜひ統幕議長指揮下で整然と動ける統合軍に一日も早く編成して欲しいものだ。
2006年12月08日
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憲法改正の歌 1956年 中曽根 康弘作詞 一 鳴呼(ああ)戦(たたか)いに打ち破れ 敵の軍隊進駐す平和民主の名の下に 占領憲法強制し祖国の解体計りたり 時は終戦6ヶ月 二 占領軍は命令す 若(も)しこの憲法用いずば天皇の地位請け合わず 涙をのんで国民は国の前途を憂(うれ)いつつ マック憲法迎えたり 三 10年の時は永くして 自由は今や還りたり我が憲法を打ち立てて 国の礎(いしずえ)築くべき歴史の責を果たさんと 決意は胸に満ち満てり 四 国を愛す真心を 自らたてて守るべき自由と平和民主をば 我が憲法に刻むべき原子時代に遅れざる 国の理想を刻まばや 五 この憲法のある限り 無条件降伏つづくなりマック憲法守れるは マ元帥の下僕(げぼく)なり祖国の運命拓(ひら)く者 興国(こうこく)の意気挙(あ)げなばや
2006年12月07日
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「息子が自殺したと聞いて、彼女の顔から血の気が退いた」When she heard her son had just committed suicide, she turenedwhite as a ghost. (松本道弘「日米口語辞典」)
2006年12月07日
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30年末における就業助産婦の総数は,5万8,166人で,そのうち病院,診療所に勤務する者は6,837人,開業助産婦は5万0,699人,その他630人であつた。39年末では,総数4万6,714人,うち病院,診療所勤務者は9,141人,開業助産婦は,3万7,120人,その他453人となつている。これでみると10年間に病院,診療所勤務者は,施設分娩の増加を反映して2,300人ほどふえているが,開業助産婦は逆に1万3,500人も激減している。これは自宅分娩の減少,開業助産婦の平均年齢が50歳をかなりこえていること及び新規開業者がきわめて少ないことなどの理由によるものと考えられ,今後とも減少傾向をたどることが予想されるが,地域における母子保健対策の推進に開業助産婦の積極的な参加が期待されるおりから,なんらかの対策が望まれている。 第4章 病気やけがをなおす対策はどうなつているか第4節 医療関係者3 看護職員(2) 助産婦これは、昨日今日の「厚生白書」じゃあないんです。なんと、昭和40年。つまり1965年の白書なんです。その中に、すでに助産婦が10年間に1万3500人も減りました、大変だと指摘しているわけですが、大変だといっているだけで実はなにも手をつけなかったというのが、そのあとの40年なんです。つまり、厚生労働省に到るまで、日本は本気で少子高齢化へ怒涛のように舵取りをしてきたのです。こんなことを厚生労働省は、なんで手をつけなかったのか、、、きまっているじゃありませんか。あの人が引いた定規の線の上を爆走しているのですよ。実は、日本の助産婦が激減した理由は、GHQなんです。彼等が赤ちゃんは、病院で産めとタガをはめた。これに抵抗できるような人間は、厚生労働におらんでしょう。こんなお産風景日本の産婆長い歴史ではなかったんです。けれどGHQは少子高齢どころか人口構成で日本をガタガタにしてしまうつもりでいたわけで、助産婦などとんでもないという発想なんですよ。これをまたポチだらけの厚生省は、まじめに遵守してきたのですよ。あの安部英とか、覚えてますよね。ああいうのに手をつけられない厚生省。どうしてGHQの基本方針に抵抗できるわけがないじゃないですか。防衛庁が、防衛省になる。ばかばかしい、あんな軍隊。所詮は、アメリカのための傭兵部隊みたいなものですよ。日本民族は、国民皆兵で統合軍を作るしかもはや選択肢はないんです。防衛省なんて、日本国民の健康と安全保障には絶対になりません。これは、いつか私が言っていることが正しかったと皆気づく時が来ますよ。↓下の図をクリックここでクイズです。この唄を歌っておられる方は、どなたでしょうか?ヒント、エイズ研究班班長に安部英を選んだのは、ほかならぬその人です。
2006年12月07日
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普通セックスをすると男と女は急接近して他人ではなくなる。ひめようこさん連載小説 ラストダンス(2)16 ↑クリック自分は、パソコン通信をはじめた93年から今年で13年ものあいだBBSで好き勝手な話題でゴミを多産してきたがいまだに一度も自分のセクスのことを話題にしたことがない。この通信というメデアが、もっともその種の話題に向いていないと確信をしているからだ。ひめちゃん7777さんこと、ひめようこさんのようにはっきりと作品を設定している場合には、 コミットせざるをえないと思うのだけれど、自分は作品としてのセクスはまるで関心が湧かない。宇能鴻一郎と川上宗薫の話題をこのあいだもとりあげたのだけれど、その作品分析をやればもっとアクセスがふえて、固定読者に喜ばれると思っても、ぜったいにしないつもりだ。理由は、簡単でこの13年も毎日のようにアップしている「ログそのもの」が自分のヰタセクスアリスの中心だと思っているからである。大体、ああいうものは昔からミソかごとと言って、人と話さないから面白いのである。こそこそとやらかすから面白くなる。その理由は、このブログでは繰り返し説明をしている。誰も読む人がいないので時々アーカイブスにして、アップしている。そのたびにアクセスが落ちるので余程歓迎をされていないのだろうれど、なぜセクスを他人と語ると面白くないのかは以下の論旨をあたってもらえれば分かると思う。つまり、自分にいわせればビジネスマンがビジネスをやらかしている、という行為そのものが立派にセクスの化体したものだと論証されているのだ。これを、相当早い時期に達観して体系化した思想家は、いま杉山巡先生が関心を抱いている、思想家ヘーゲルだろう。「不倫と経済社会」シリーズ↑クリック普通にセクスをすると、他人でなくなるのかどうかは知らないが、だれもが家族になれるわけではないからして、間違いなく他人よりも「隔たった」関係になる可能性も濃厚にある。これは、なんどか経験した人にはすぐに理解できると思うのだけれども、セクスは、往々にして人と人を親和させずに、切り裂く可能性も高いのだ。ハリウッド映画をみていてもますます、それを感じるわけである。酷い場合には、ベッドシーンの次に45口径の撃ち合いをしている殺し屋の映画まであるぐらいだ。自分の御贔屓の怪優ジャック・ニコルソン とこれまたお気に入りのキャスリーン・ターナーが。まさしく無理目のストーリーでそれをやらかす。「女と男の名誉」がそれ。アホな話だが、この映画は、荒唐無稽なものではなく、人間社会の中で所有、非所有に引き裂かれる男と女、すなわちセクスの無効ぶりさ加減。その本質を露出させてみせている。バカバカしい話と思えるけれど、実は類人猿の中で、人間だけはやってしまいそうな業の深さだ。そう考えると、セクスをしないでいつまでも惚けっと憧れているほうが事と次第では穏便で殺し合いをしないですむという場合もありそうだ。そういう発想転換は、なかなか理解されない。
2006年12月07日
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「ビルは、まったく腰が重い。なにを始めるにも一週間はかかる」Bill has so much lead in his pants that it takes him a week to start anything.※lead は、鉛 パンツに鉛が入って「腰が重い」 (松本道弘「日米口語辞典」)
2006年12月06日
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「今日の」というには、理由がある。実は、毎日どころが時間ごとに自分のホームページを刻々カスタマイズできるようになった。仕事の迫度から、パソコンのホームページがYahooとか、@niftyのポータルサイトで便利な筈がない。いま、google提供のこの新システムは強烈だ。YouTubuも、Yahooも、なにもかもWEB上のコンテンツというコンテンツ。ポータルサイトというポータルサイトを着脱自在の装備品と化した。これは凄い。これに勝るポータルサイトがある筈がないというスゴいさだ。秒速で、たまゆら1/f氏に連絡した。なんでも詳しく、WEB世界のコンテンツについて鬼のような彼が知らなかった。よほど新しい趣向なのだろうか。しかし、カトマンズで検索したらすでに9つ以上もこのコンテンツにガジェット化されていた。眼から鼻に抜ける奴は、どこにでもいるものだ。恐るべし。あの西村ひろゆきや切り込み隊長の野郎のコンテンツまであった。これは便利。
2006年12月06日
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仮面ライダーの死神博士が、東大法学部中退の無政府主義者だというのは知らなかった。いまでこそ、無政府主義などというと、正体が分からない爆弾マニアのように思われているが、戦前は共産主義政党と並び立つほどの世界的な政治党派だった時代もある。日本の全共闘運動といわれるものも、実は無政府主義系労働運動(アナルコサンジカリズム)の亜流だという風にわたしは捉えた。世間でいわれている共産主義運動だとすれば、雪崩をうって企業社会に紛れ込み平然としているあの感覚は理解しにくい。さて、杉山巡先生のブログでスペイン叛乱の話題がでていた。あまり、興味を抱かれないのかもしれないが、あの時代スペイン叛乱は世界的な関心時で、60年代のベトナム戦争よりももっと世界的にインテリがこぞって支援に向った。日本からさえ内戦に参加して戦死している若者がいたのである。当時政権側が左派的であるが、スペイン共産党がスターリンの尖兵となり左翼反対派と国際的にはいわれている政権の攻撃をするわ、フランコというファシズム政権を目指して叛乱軍が立つやその後押しにヒトラーやらローマカトリック教会がつくわ、すでにピカソで有名になったゲルニカの虐殺まで引き起こされる。日本でも、スペイン動乱には血が騒ぐというインテリが相当多かったのだろう。五木寛之が「わが心のスペイン」という評伝を書いていた。天本英世は、スペインについての憧れを抱いていたと生前語っている。スペインの土になりたいとまで思ったらしい。岡本喜八映画作品「日本の一番長い日」での、天本英世のファナチックな国粋主義者の演技は鬼気迫るものがあった。鮮烈な思い出だ。よほど昭和天皇を嫌っていたのだろう。――以前、「笑っていいとも」に出演されたとき、「健康の秘訣は」とたずねられて「スペイン人になること」と話されていました。スペインの何に魅せられているんですか? 10年くらい前から「こんなボケた国に調子をあわせていたらボケた日本人みたいになってしまうぞ」と思った。スペイン人と日本人の違いはなんだと思う? それはスペイン人は明日も生きているとは思っていないところだよ。――スペインという国は苦しみを味わう中で生を楽しむ国なんですね そう。比べて、日本人は自分はなぜ生きるのかという問いかけをしない。それは哲学がないからだ。個性はないのに、自己の存在は認めている。けれど他人の存在を認めていない。だから最近では簡単に人を殺す。スペイン人は個性が強いが、同時に人も認めていて非常に寛容だ。日本人にはそうした寛容さもなければ、人間に対して無関心だ。電車に乗っている人を見てご覧なさい。異様ですよ。半分は居眠りしている。スペインのフラメンコの名だたる連中が日本に来たとき、「日本人はなぜ居眠りするのか」と不思議がっていた。平和ボケしているんだな。それに比べれば、戦争中の日本人は生き生きしていましたね。今日しかないと必死で生きていた。
2006年12月05日
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