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私は隣人に対する愛を諸君には勧めない。私が諸君にすすめるのは遠き者に対する愛である。―「ツァラトゥストラ」―さて、言葉が類的存在そのものだとすれば、、、このインターネットの疎外感は相当なものだ。かつて純粋疎外を、原生的疎外と対比して読み進んだときに原生的という言葉が貯水池にうごめいているプラナリアや、畑のミミズのようなものと思えた。それに比べれば、この「世界が100人の村ならば」の顰にならって言えばさも我々は天上人のようだ。にもかかわらず、この疎外感とは言わないまでもショボさはなんだろう。秋の夜空これはまあ、おにぎはしい、みんなてんでなことをいふそれでもつれぬみやびさよいづれ揃つて夫人たち。 下界は秋の夜といふに上天界のにぎはしさ。すべすべしてゐる床(ゆか)の上、金のカンテラ点(つ)いてゐる。小さな頭、長い裳裾(すそ)、椅子は一つもないのです。 下界は秋の夜といふに上天界のあかるさよ。ほんのりあかるい上天界遐(とほ)き昔の影祭、しづかなしづかな賑はしさ上天界の夜(よる)の宴。 私は下界で見てゐたが、知らないあひだに退散した。中原中也 「初期詩篇」
2006年10月31日
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格差社会と言われるものは階級社会と言う考え方と、一体なにが違うのだろう。自分は、共産主義や社会主義が広く正義だと信じられていた時代に育った。それの影響がまったくなかったか。これは微妙な話題だ。なんらかの影響を受けないことが考えられないというのが昭和という時代だ。あの思想については、ちょっと丁寧に話題にしておく必要がある。一つ、マルクスの思想としての「共産主義」二つ、日本の政党で、公党としてしられる日本共産党が掲げる「共産主義」三つ、歴史的に世界に拡散し終焉をとげた「共産主義」四つ、三つ目の中のひとつであったロシアで広まった「共産主義」五つ、学生叛乱期のなごりに継承されている全共闘運動時代の追慕者。以上の五つの違いが理解できる人は、楽天にはいないだろう。自分は、たまたま学生時代に猪木正道の影響が濃厚ではじめて読んだ共産主義についての手ほどきが「共産主義の系譜」という猪木の大衆向けの啓蒙書であったことで、のちのち大きい影響があったと思う。なにしろ自分の周りは、学校といわず地域といわず、圧倒的に共産主義者というのか、共産党支持者が多くて渦中に生きていた中で、自分はかなりかわったキャラクターだったと思う。共産党支持者の中で、とりわけ父親などを通じて日本共産党の青年組織である、民主青年同盟(民青)にはいれと打診されたこともあった。一時期、家の中に民青だらけ、というような不思議な時期すらあったし、高校時代の同級生は、ほぼ民青か、新左翼という時代である。そんな渦中で、武者小路実篤ばかり読んでいる自分は、変わり者というよりも、「ほぼアホだ」と断定されていたように記憶する。結論から言おう。一つ目の、マルクスの思想としての「共産主義」と呼ばれているものは、いわゆる本質としては、一種のギリシャ古典哲学の変形みたいなもので予想外に価値の高い極めて普遍的な思想だ。一つ目そのものが、かなり危ない境界的な要素にさらされている。なにも知らない普通の生活者の中では、すでに命運つきたものと考えられているだろう。現状では、再生の手を差し伸べなければいよいよ救いがない誤解にまみれたままだろう。二つ目から、五つ目までは消えて行く以外に手のほどこしようが無い。「主体的なものはプロレタリアートであるが、プロレタリアートは形而上学的範疇であることを度外視してもなお個性を没却した集団であり、全体であって、一回生起的な人格の尊厳は 集団としてのプロレタリアートの階級意識の中へと完全に埋没されてしまっている。こうしてマルクスは人間を自己疎外の魔術性から解放しようとしながら、かえって物質的生産力やプロレタリアートという集団の魔術性に呪縛してしまった。ここにマルクス主義が「プロレタリアートの独裁」の名において全体主義的な奴隷制を生み出す危険が潜んでいる」(『共産主義の系譜』,角川文庫、P、70) 解放の神学としての、マルクスの思想はそれほど舐めたものではない。われわれが、人間である限りはマルクスの思想は、よそ事ではないという迫り方をしてくる。ところが、マルクスが 一旦「階級意識」という没人格的な社会装置を、唯一無二の地上的な組織として想定しちまったありから、その解放の神学の成分が希薄になってゆく。歴史的には、似ても似つかない反対極へ触れてしまうことは皮肉なものだ。しかも、地上的な組織に転落してしまったがために、マルクスの思想の形而上学的な骨格、 後背すら希釈され、地上的な権威に跪拝する相対主義に化体する。となれば、「なんでもあり」なのだ。実は、いまや共産主義とは共産主義者の数だけ存在するというような、いってみれば極めて状況的な思想になり果ててしまったようである。だから、「北」の首領さまの指導理念も、ネパールのマオイストも、いまや共産主義として立派に誇示しうる。情けない話だ。そいう風に、捉えている。・話題に窮したとき、自分の友人の秘密を暴露しないものはまれである。―「人間的な、あまりに人間的な」―・多く考える人は党員には向かない。というのは党派などを突き抜けて考えてしまうからである。―「人間的な、あまりに人間的な」―・事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである。―「権力への意志」―・善悪において一個の創造者になろうとするものは、まず破壊者でなければならない。そして、一切の価値を粉砕せねばならない。―「この人を見よ」―・君は言う「善行のためには戦いを犠牲にせよ」と。私は言う「善戦のためには万物を犠牲にする」と。―「ツァラトゥストラ」―・世論と共に考えるような人は、自分で目隠しをし、自分で耳に栓をしているのである。―「反時代的考察」―
2006年10月30日
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なんにしても愛なんや愛や、愛なんや、愛やで。愛や、愛なんや、愛やで。愛や、愛なんや、愛やっちゅうねん!でけへんもんはでけへんねん歌えんもんは歌えへんねん言えへん事を言うんも無理やけどやろおもて努力る事はでけるでそれやったら簡単やろ作れへんもんは作れへんねん救いようのない奴は助けられへんねんそらでけへん事もあるでそやけどいずれそうなるように勉強することは出来まんがなそれやったら簡単やろそれもこれもみんな愛やがな愛やねんて愛が全てや・・・そやろ?やっぱ愛やで愛こそが全てやねぇこれしかないわぁ愛が全てや・・・そやろ?やっぱ愛やで知らんもんは知らんっちゅうねん見えへんもんは見えへんっちゅうねん居場所も無いのにそこにいることはでけへんねん簡単なこっちゃでなんやかんや言うても愛やでやっぱ愛なんやで愛が全てや・・・そやろ?愛やっちゅうねん愛が全てや(一緒に言わんかい!こらぁ!)愛こそが全てや(言わんかいっちゅうねん!)愛が全てや・・・そやろ!?愛やっちゅうねん(わかっとんかぁ?)あー!くそー!あいつはお前を愛しとるんやあいつはお前を愛しとるんや 訳 有紗(アリサ) All You Need Is Love a Love, Love, Love. Love, Love, Love. Love, Love, Love. There's nothing you can do that can't be done. Nothing you can sing that can't be sung. Nothing you can say but you can learn how to play the game. It's easy. Nothing you can make that can't be made. No one you can save that can't be saved. Nothing you can do but you can learn how to be you in time. It's easy. All you need is love. All you need is love. All you need is love, love. Love is all you need. All you need is love. All you need is love. All you need is love, love. Love is all you need. Nothing you can know that isn't known. Nothing you can see that isn't shown. Nowhere you can be that isn't where you're meant to be. It's easy. All you need is love. All you need is love. All you need is love, love. Love is all you need. All you need is love (All together, now!) All you need is love. (Everybody!) All you need is love, love. Love is all you need (love is all you need). Yee-hai! Oh yeah! She loves you, yeah yeah yeah. She loves you, yeah yeah yeah.
2006年10月30日
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きっつい日がずっと続いとる 犬バリにずっと働き回っとる 今日も きっつい日やった 丸太のようにぐっすり眠りたいっちぅねん そやけど、お前のおる家帰ったら... 色々やってくれてるんを見たら... ゴッツええ気持ちになるんや 一日中働いとる お前に貢ぐために 金稼いどる そやけど、お前の一言で報われるねん 「ウチな、あんたのためやったら何でもするで」 いったい何の不満があるっちぅねん お前を独り占めできるんやったら それでええがな 家に帰ったら,根こそぎ満足や お前が抱きしめくれてるっちゅう感じや ゴッツきつくな しんどい日がやっと終わった 犬バリに働きづめや 今日も きっつい日ぃやった ほんま寝たいっちゅうねん そやけど、お前のおる家に帰ったら お前が色々、世話してくれて 気持ちがなごむんや いったい何の不満があるっちゅうねん お前を独り占めできるんやったら それでええがな 家に帰ったら,根こそぎ満足や お前が抱きしめくれてるっちゅう感じや ゴッツきつくな きっつい日がずっと続いとる 犬バリにずっと働いとる 今日も きっつい日ぃやった めっちゃ寝たいっちゅうねん そやけど、お前のおる家に帰ったら... お前が色々してくれて 気持ちがなごむんや ええ感じや ええ感じや 訳 有紗(アリサ) A Hard Days Night It's been a hard day's nigh And I've been working like a dog It's been a hard day's night I should be sleeping like a log But when I get home to you I find the things that you do Will make me feel all right You know I work all day To get you money to buy you things And it's worth it just to hear you say You're gonna give me everything So why on earth should I moa 'cause when I get you alone You know I feel okay When I'm home everything seems to be all right when I'm home feeling you holding me tight, tigh It's been a hard day's night And I've been working like a dog It's been a hard day's night I should be sleeping like a log But when I get home to you I find the things that you d Will make me feel all right, Oh So why on earth should I moan 'cause when I get you alone You know I feel okay When I'm home everything seems to be all right when I'm home feeling you holding me tight, tight Ah,it's been a hard day's night And I've been working like a do It's been a hard day's night I should be sleeping like a log But when I get home to you I find the things that you do Will make me feel all right You know I feel all right You know I feel all right
2006年10月30日
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msk222さんが、なにかにつけて持ち上げるきっこの日記だけれど自分は一貫して判断留保してきた。いまでも、留保姿勢は変わらない。なにか裏があるのだろうが、あのブログはフツーだと思えない。このヒントフォーラムだって、なにか怪しい雰囲気がするらしいけれどひっくりかえしても精々貧相なオヤジのゴタクぐらいしか詰まってなくて、それも過去にバカみたいに不相応な月謝を払ってきた身過ぎ世過ぎで心得た「なけなしの貯え」を楽天の寛容なのをいいことにぶちまけているだけだ。それにくらべて、きっこの日記には「人並みの痛み」が見えなさ過ぎる。たまゆら1/f先生、あんなのに負けたらあかんえ~♪↑ちょっとネタ旧いけれど、これが言いたかった。(笑)なんか、こんなことばっかで、この国、どうなっちゃうのかな‥‥なんて思ってたら、今度は「キコさま」かよ? あたしと名前が似てるから、イヤでも気になっちゃうけど、亀田のバカや安倍のクズと同レベルっていうか、ヘタしたら、坂東眞砂子にも匹敵しちゃうような恐ろしい「出産茶番劇」に、あたしは、開いた口から水子の霊が出てきちゃうよ、まったく。妊娠するたびに、ソッコーで男の子か女の子か調べて、女の子だったら、スマップの殺人鬼、中居正広とおんなじ方法で、闇へと葬り去る。そして、その次も、女の子だったから、またまた闇へと葬り去る。そして、その次も‥‥。こんなことばっかやってるから、体がボロボロになっちゃって、マトモな出産もできなくなっちゃったのに、それでも、やっとこさ待望の男の子だったからって、今度は手のひらを返したように、国をあげてのお祭り騒ぎ。挙句の果てに、「帝王切開します」って発表された時点で、ニポン中、世界中の誰もが、「ああ、やっと男の子ができたのか」ってバレバレなのに、「生まれて来るまでは、男の子か女の子か知りません」なんていう白々しいコメントに、誰ひとりツッコミを入れられない今日この頃、皆さん、茶番劇はお好きですか?‥‥そんなワケで、単なる「出産マシーン」と化しちゃったキコさまは、例の気持ち悪いニヤニヤ笑いで、「よっしゃ!もらった!」とかって心の中で叫びながら、小さくガッツポーズでもしてんだろうか? ま、雲の上のことなんか、あたしにゃ関係無いけど、こんなくだらない茶番劇を全国ネットで朝から晩まで放送するテレビ局のバカさかげんには、心の底から呆れ果てちゃうね。オマケに、皇室関係のニュースのたびに登場する、薄気味悪いオッサンやオバサンたちの歯の浮くようなコメントの数々には、口の中にアルミ箔のカタマリを入れて、カシカシカシカシカシカシって噛み続けるのとおんなじくらい不愉快な気分になる。
2006年10月29日
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2006年10月29日
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あのソフトバンクモバイルを、もしかしてNTTドコモとAUが共同謀議してしめしあわせて「挟撃」したみたいに読める?作為ありありか?最近、国際政治やら自治体やら、民間までも上から下まで謀略だらけで忙しいみたい。フツーな日々は、トウブン戻ってこないのか。騙されないように、お互い努力しましょう。
2006年10月29日
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【増補版】不倫と経済社会1自分が、楽天広場に来て驚いたのは事前に聞いていたとうり小学生が多い事。噂に聞いていたが(耳打ちしてくださったのはtak-shonaiさん)これ程多いとは。あらかじめ申し上げておきますが、自分は小学生を馬鹿にはしていないんですね。これは持論だけれど、小学四年生ぐらいが男の子の一生で一番正義感が強い。あとは棺おけに入るまでその時代に吸収した正義感を消費していくだけだと思っています。自分なんか、いつも寝る前に自分の小学四年生ぐらいの頃の情感や感情生活を一生懸命の思い出してイメージトレーニングしているぐらいです。だから、そんな年齢層の子供が多い楽天広場でいい大人が不倫だ、浮気だ、愛人だなどと話題交歓をしているのが不可解でしかたがない。こういうものを看過しているのが記憶する自分らの小学生時代には考えられないからです。自分は、40年も前のそんな時代の事ばかりをカキコするので嫌がる人もいるのです。でもこちらはジョンFケネディを尊敬していた半ズボンな小学生時代を、いまだに誇りに思っているので単なる懐古趣味という訳ではないつもりなんで、、、まあ、おつきあいの程。自分が小学生時代。マガジンやサンデーの表紙に女の子が出てくるなんて考えられなかったです。それをあやしみもしませんでした。良い悪いではなく激変したのを目撃したわけなんです。激変を目撃した立場から成立する俯瞰(ながめ)というものもありえるでしょう?そういう知見を排除せず耳を傾けるという処が、この世を楽しくする知恵。異質なものと共存する知恵ではないですか。(笑)イタリア映画「アルジェの戦い」なんかをみていると小学生ぐらいでも立派なテロリストですよ。画像のメガフォンを持っておるマルクロダン大佐だったかな、アルジェリアではテロ弾圧に奔走したがのちにフランス本土側から抑圧されてドゴール暗殺に地下組織つくるという役回り。バリバリのコマンドなんだけれど、その敵対するテロリストが実は小学生ぐらいの子だったりする。(笑)そんな壮絶な時代が60年代だったわけ。経済成長期には差し掛かっていたけれども同じ空の下で往時の日本の小学生も知力、胆力にはそれなりに迫力はあったんですって。8歳の時に、山口二矢が繰り返しニュース映画で報道されていたのも眼にこびりついています。ところが、今の時代。大人が小学生を前にあまりにもだらしない。いや、政治的にだらしないだけではなく、不倫だの、賄賂だの、エロ動画だのという性モラルが不在なのか、朦朧としているのか、軸がぶれているのか、、、、支離滅裂じゃないですか。実は、もしかしたら小学生時代にもっともエロティックな存在(扇情的な存在)だったのはあの政権政党も一目おく存在だった浅沼委員長を一閃でしとめた山口二矢だったのかもしれないと、澁澤龍彦氏の「神聖受胎」なんかを読んでいてつくづく思うんですね。ところが、この時代はエロチックな存在が消失してしまって。それどころか宅間守みたいな人があらわれて刃物もって小学生を追いかけるっていうんだから情けないですよね。まるで「逆さま」じゃないですか。性的なエネルギーが弛緩(ゆるむ)する時代は、実は政治の世界でも見映えのするイベントが発生しないのは間違いないわけなんですよ。大人がケチなぐらいズルくて不公正。怯惰が、コンクリート化している。こういう時代っていうのは世間で思われているのとはまったく逆。間違ってもエロティックなものが存在しえない時代なんですね。だから小学生や中学生がヒマをもてあまして自傷したの、リストカットしただのって多発するわけなんですよ。人生がエロティックで満ち満ちている時代ならば、だれも死に急ぎはしませんって。じゃあ、なぜって、、、ここも踏み込んで大の大人もはっきり考えてこないでしょう?仕方ないから、私がやりますよ。ここビジネスヒントフォーラムなんだけれど、このレベルの事をきちんとやる人がいないから貧相なオヤジが政治の話題、性モラルの話題に越境せざるを得ないというのを理解してください。 キリスト教徒とか、ユダヤ教徒っていうのは「汝、姦淫するなかれ」なんですね。だから、ストレートに「姦淫だめ」「不倫だめ」「売春だめ」なわけですよ。これは実行されているのかどうかとは別問題です。実行されているのは悪いけれど、やっちゃっているという事ですよね。我々の社会では、実は法的に売春や不倫が悪いとかいう風に云う弁護士さんがテレビにはでてくるけれど根拠はつまるところ「人権のシステム」なんですよ。つまり他者の所有権を侵害するという、これはいけないよ。債務不履行ですよ、っていう考え方なんですね。(1)所有権の侵害(2)生命身体に対して危害をくわえる(3)他人の自由を束縛することこれらの結果で、他者に危害を加えていなければ犯罪にならないというのが近代 のシステムなわけです。そこで、冷静に日本の社会で売春や不倫を悪いといっている ものを調べると大半が状況的な議論なんですね。付随する現象ばかりを叩いていて、本質的な議論は逃げるといういつものパターンなんです。売春だって、金のカタで縛るなとか、健康に良くないとか、子供ができたらどうするの、お嫁に行けなくなるよ、社会には悪影響があるんだ、というお話が大半です。たとえば、売春防止法という立派そうな法律がありますが戦前は「公娼」といって売春は政府公認だったわけです。いまでも大阪の飛田新地などという旧赤線地帯では堂々と遊郭が復活していますし、地域の入り口には交番まであって実態で政府公認みたいなものなんです。つまり、売春防止法という法律は売春がいけないという法律じゃあないんですね。「えっ」と、思うんだけれどそうなんですよ。実は、売春防止法というのはそのココロ的には管理売春禁止法なんです。(笑)女の人からは、いとも簡単にピンハネできるのですぐに管理売春が発生しやすい。だから女の人を守ろうという法律なんですよ。実態で。つまり、売春は事実上肯定されているに等しいの。だから、1958年4月1日(売春防止法施行日)からこちら倫理的なステージでは売る側も買う側も処罰されていたわけではないんですね。それで、ビジネスのカテゴリーにこの種の「稼ぎ」も俎上にのってしまうわけなんですよ。理由は、ひとつです。最初から・・・売春が悪である、という社会合意を形成していないんだ。これって、まさしく今の小泉がやっている「海外派兵」と同じでしょう?(笑)日本国憲法があるのに、憲法第9条があるけれど、とりあえず自衛隊派兵させて、、、立派な不倫だよね。反対に、「売春は悪い事」だという主張についてどこが弱点なのかを考えないといけません。いや弱点があるに決まっていますよ。これだけ制動かけそこねているんだから、理念として必ず欠陥がある筈なんです。また、これが分ればなぜ不倫が消えないのかも同じ根としてみえるという風に思います。売春が悪い、そして不倫が悪い。その理由は、そのふたつが「多量の罪悪感」を発生するからです。これが真実でしょう。その罪悪感のリソース(あらわれる元)がどこか。これを問い詰める事が課題です。家庭にはいった女性には、「母親」「妻」というパーソナリティがあってこれが際立って強くでてくるために「女」ですよという面を背景に隠すような仕組みになっています。親と子には、有名なタブーがあります。近親相姦のタブーです。親と子のあいだで下手を打つと社会全般から相当手厳しく叩かれます。このタブーは、堅牢に社会的合意を形成できている。ある意味で「売春」や「不倫」以上に合意形成に成功していますね。これが極めて厳格に性的行動をコントロールしているために、家庭では「家庭を含む不特定多数との性行為」という考え方を排除している。これが理念の側のエネルギー源なんです。その証拠に、「家庭を含む不特定多数との性行為」が罪悪感を発生させない社会では売春とか不倫とかが家庭となじんでいる。そんな国もこの世にはあります。これはあります。(明日以後は、なぜ売春や不倫を退けるモラルを家庭で紡ぎだす事態にならずけして排除されないのかを私論的に読み解きします。)不倫と経済社会2へは、こちらをクリックされると近道です。
2006年10月28日
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ミクシィて、財務基盤がメタメタですよね(笑)今回のIPOで得た資金は、どこにいく?大株主の笑い声が、止まらないです。ロックアップなしの大株主がいること自体が怪しいのに。 /kaiser1さん(2006/09/14 09:19:56 PM)パソコン通信でも、きちんと通過している人はあそこがどこへ行くのかのイメージは、案外冷静にみえていると思いますよ。あれは、ニフティーのHPやPATIOの再現という印象が拭えないですね。パソコン通信と侮るなかれ、当時相当リアルなビジネスをあの中で組み立てていた。いまの新興株式市場の母胎は、少なからずパソコン通信人脈から旅立ったわけじゃないですか。そうすると、あの人たちがあの空間でやることって大体読めたりしませんか?財務基盤が、しっかりとしていてさえ危ういと思ってしまいます。 /シャルドネ。(2006/09/14 11:27:44 PM)コミュニティー同士のいがみ合いから発生する妬みが起こったら、ミクシィ最終局面になるでしょうね。インターネットが高速で使える環境では、負の伝播スピードは加速度的に増えますね。(笑)/kaiser1さん (2006/09/15 01:12:52 PM)そうです。儲けたのがあの中にいるだけで大紛糾ですね。もともと陰湿な世界を、しがねえ恋が情けの仇、命の綱の切れたのを、どう取り留めてか木更津からいやさぁ、ベンチャーキャピタルひさしぶりだなぁ。(笑)初値売り切った連中は、こんどは嬉しがって空売りやりかねませんね。 /シャルドネ。(2006/09/15 04:23:50 PM)今度は、テレ朝がいつものようにミクシィを密着取材して、ホリエモンと同じような、提灯報道が暫く続くような感じです。それまでにミクシィのコミュニティが統制不能の状態になって、それが大マスコミであおられるのしょうね。/kaiser1さん (2006/09/15 11:12:05 PM)こういうのは予言的中のうちにははいらない。金魚すくいよりも楽勝の読みだ。亜さんに占ってもらうほどの内容ではない。しかし、この程度のことが読めないのが世の中にウジャウジャいるということが怖い。「中国経済は、いつ破綻するのか?(1) 」は、それを踏まえて3年前にアップしたものだ。これにリンクをはってくれたので、たまゆら1/f氏とはいまだに仲良くさせていただいている。↓クリック三洋電機お粗末社員 女性わいせつ画像流出2006/10/10 三洋電機の社員のパソコン(PC)から個人情報が流出し、ネット上が騒然としている。流出したのは、同じ部署の同僚の名簿のほか、社員の恋人と思われる女性のわいせつ画像を含む写真の数々。ネット上では、わいせつ画像のほかに、この社員と女性の個人情報までもが晒され、まさに「丸裸」にされている。この会社員は2006年10月5日までにファイル交換ソフト「Share(シェア)」を使用した模様で、PCがウィルス感染し、ファイル交換ソフトを通じて、この会社員のPC内の情報が流出。社員名簿のほかに、携帯電話やデジタルカメラをつかって撮影した、集合写真やこの会社員の恋人と思われる女性のわいせつな写真などがネット上にばら撒かれてしまった。↓クリック女性の出身高校、しかも同窓生しかいないトピックに、全裸のM字開脚画像と本名を貼り付けるのは本当にひどいと思いました2006/10/11 07:59 匿名 その酷い最悪の画像がアップされているサイトで以下のようなCMをぶらさげていられる奴らのど鈍い感覚が許せない。ぜひとも24歳の女性は、臆することなく今回の個人情報に対する狼藉を告発して貰いたいものだ。このような時にすかさず名乗りを上げてこその「人権派弁護士」というものだろう。この国に、ひとりでもおらんのか?↓ひまな人だけがクリック
2006年10月27日
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生物としてわれわれとその類は、ざっと大雑把にみてこの地球に500万年ほど過ごしてきた。しかし、この10年ほどの変化はこの500万年の蓄積を一気に再構成するほどの壮絶な運動の始まりだと思われる。その理由は、われわれにとっての500万年がわれわれに付与してくれた思考抽象の力量が一気に情報通信というあらたな編成力と「遭遇」したという事件が静かに進行しているからである。その内部では、現実の歴史的な社会の数百年程度の歴史年限で関係づけられた法規範が人々の求心力であるかのように現象している。これは、これで意味のない事ではない。しかし、いまわれわれが遭遇しているそれらのさまざまな新しい現象にそれまでとは隔絶した新しい意味が生じつつあることはよくよく思い知った方がいい。これらはまた新たにさまざまなシンボルを得て、独自の求心力を持ちわれわれ相互の人間関係にあたらしい内部構造を生じることになるであろう。面白いことに、このような局面を一気に理解できるタイプの人間というものは極めて限られているらしい。早い話、たかだか私のメルマガの読者の多くや、楽天広場でもせいぜい200人程度であろう。大多数は、所詮はどうせ「旧来の思考枠組み」の内部でしか問題を組み立てようとはしないものだ。まさしく不倫と懸賞に血眼になってカキコを行なっている人達にとり私の述べているものはただの雑音に過ぎないだろう。それら「旧来的枠組み」派の特徴は明瞭にある。口から出る言葉は、せいぜい持続的発展。あらたな市場創設。国際金融市場における「勝ち組」をめざせ、などと口走るのが大半で。もしくは、その同伴者に過ぎないと思う。いや、懸賞だの儲け方だので反応する大多数はどうやら些少なものに反応する射幸心で関心の大半が占められており残念ながらネットに参加しているものの多くは、それら同伴者のさらにうしろからゾロゾロと後追いしている人々たちかもしれない。さて、こんな前置きを踏まえて突然のように「中国問題」なのだ。(爆笑)いまわれわれが念頭においているらしい中国問題は、それも同様にこのような「旧来的枠組み」思考で眼のくぐもった視点、論点でしか語られていない。中国が飛躍的に成長する?いつまでそんな事が可能だと信じているのだろう。世界の成長中心として、中国に期待を寄せるのは勝手である。また、只今現在はその中国の経済的な発展に同伴してけっこう懐具合がいいという人達も存在するだろう。「旧来的枠組み」派の特徴は、つねに「坂の上の雲」があるかのように右肩あがりの経済成長がどこか、無意識に想定されているのだから。どうやら、グローバル市場経済では中国にその生産拠点としての役務を果たして貰わないといけないのだという強い「枠組み」思考が現実に対して主張を開始しているという事なのだろう。上海や大連といえば、自分の特許関連事業ではメッカという事になっている。行ってみれば予想外に大都会だ。上海なんて怪しげな貧民窟の寄せ集めだというイメージでいたが、現地につけば東京以上のスケールのデカイ箱ばかりが延々と並んでいる。摩天楼といえばいえるが、数年前ではみな空箱のような気がして仕方がない時もあった。ところが最近は、あの中でうなりをあげて仕事をする人が埋まってきているらしい。そんな街を駆け足でなんどか通過した程度の自分が言うのもおこがましいが、街中で看板をみかけるのが水がらみのもの。ぶさいくな樹脂性の大きなペットボトルを購入して毎日お茶を飲まされるのだけれど中国の物価感覚ではそれほど安いものだという印象はしなかった。いま中国の都市部ではいっせいにスローガンで「水是生命之源」。ようするに水がどうなっているのかを神経質なほどに気遣いしているのがわかる。どにぶい中国人が、この件では異様に焦っているのだ。大連市で夏に堂々と約1週間、丸一日断水したらしい。せっかく儲けて全自動洗濯機を購入してももう一度手洗いに逆戻りして洗濯しなければならない。野菜を洗った後の水でトイレを流す。これじゃあ潜水艦の中と大差ないではないか。 日本人は、むかしから水を無駄遣いする癖がついている。その日本人ですら最近は水をお金で買う習慣が身についてしまった。とはいえ、使える水は世界的にみても恵まれている。ところが中国では、ざっと割り算すればどうも国民一人あたりでも年間2200立米ぐらいの水利用がなされていて中国国内のダム貯水量や河川流量、地下水を合計した「水資源量」は、1人あたり年2200立方米。365で割ると、一日6立方米だから下手にウォシュレットトイレにはいって全自動洗濯機をまわし夏にプールにはいって朝シャンでシャワーを使うという感覚ではない。事実、世界平均の約4分の1だ。特に長江流域以北の地域ではざっと以南の5分の1となるらしい。なんと一日で1立方メーターの水で我慢せねばならないというイメージだ。トイレに入る日と洗濯する日と、風呂にはいる日を分けても厳しい。(笑)まあ、あれだけ何億人も金儲けに狂奔し始めて国土をぐちゃぐちゃに苛めていれば気候変動もおきるし、降雨量も減る。都市部の工業化と人口増加による取水量は当然増大するのは火を見るよりあきらかだ。黄河では上流や支流で水が干上がってきた。さすがにあちらの政府も焦っていて、揚子江の水を資源として北の黄河にルートをつけて流そうという大プロジェクトを考えているらしい。南の水を北へリリースするという事で「南水北調」というらしい。しかし、大事業だな。シールド工法つかうの?水路の総延長は3000キロ。総事業費はざっと中国の年間予算の3分の1ぐらいで日本円換算で約8兆円は消し飛んでしまうらしい。彼らはカッコよく「水の万里の長城」だと豪語しているそうだ。トンネル掘りならば日本のゼネコンの資材とノウハウはきっと役に立つのだろ。 標高4000メートル地帯にある黄河と長江の源流域を結ぶなんて無茶なルートがあるらしい。富士山ほどの高度に直径10メートル、長さでは131キロのトンネルを掘り進める。日本の大手ゼネコンが揉み手して日参しているのじゃないか、と頭によぎる。 揚子江につくっているダムも無茶だな。あの三国志でお馴染みの三峡。湖北省三斗坪だったかで、巨大なコンクリート建造物が出現してきだしたそうだ。 高さ185メートルで眼がくらむ。長さでは、1983メートルのダム。貯水池の全長は約600キロ。新幹線で走ってもJR東海と東日本ぐらいの距離はある。こんなものにカネをつぎこまねばならないのはパワーがあるといえばいえるが、シャルドネから言わせればようするに「水不足」なのだ。建前は、発電と洪水防止という事になっている。(発電能力年間846億キロワット時)移住予定者は113万人。既に40万人程度は移住したとか。 北は水不足で、南は洪水ときたもんだ。現代中国の荒稼ぎは、なんと水がらみで流れてゆく。だが、冷静に考えた方がいい。巨大なダムが完成すると、夏は気温が下がり、冬は上がる。そうすると自分も体験したけれど中国は猛烈な濃霧が発生しやすい。江蘇省の流域では一年中曇天でスモッグだらけ。空がみえないというのが実感だった。蘇州も、無錫も、上海もガスの多いときは前がみえないぐらいで、そこにスモッグが追い討ちしている。加えてこのダムだ。都市部で自動車が走れないという日が激増するだろう。無錫大観音像は雨ざらしにおわしますが、錆び錆びで赤茶気た涙を流しておられるのだが、ごぞんじ酸性雨だ。これはさらに拡大の一途というものだろうね。中国は今電力供給を無理して増やすよりは本来ならば節電するべきだろう。事実、節電もなされている。しかし、掛け声とは裏腹に経済の急速な発展。2002年、中国の工業は12.6%の成長を示し、鉄鋼業の電力使用量は20%も増加しました。皮肉なものだね。経済的な発展が中国の自然環境をおそらく修復できないぐらいに劇的ビフォーアフターすることになるだろう。個人の居宅でも、テレビ、洗濯機、冷蔵庫だけの時代は1家庭1KW程度でことたりていたものがエアコン、パソコン、AV機器など様々な家電類の増加で3KWを突破をしてしまった。北京ではここ3年、住民の電力消費は平均20.6%増加しています。 1997年、当時の電力過剰状況からエネルギ-不足は一応緩和されたと判断、新規建設ペ-スをダウンさせ、電力消費の伸びに対する発電機の増加は2000年からマイナスに転じ、2002年にはマイナス6.5%。なんと舵取りを失敗しているじゃないか。 中国は、エネルギー不足を補うには水力発電がよりクリーンな施策と考えており、政府は 中国南西部の最後の未開発の河川資源に目を留めている。金沙江、怒江に次いで計画 の対象となっているのは、チベットの未開の雅魯蔵布江である。専門家は、中国の水力発電力のまだ4分の1しか利用されていないと推定している。とは言え、コストが便益を上回るおそれがある。メコン、サルウィン、長江の三大河川が流れる中国南西部は世界でもっとも生物多様性の豊かな地域のひとつで、中国の動物種の半分、植物種の4分の1が生息する。 「三江併流」と呼ばれるこの地域は、ユネスコの世界遺産にも登録されている。この生態系の一部がたとえダムによる水没を免れたとしても、崩壊されることは明らかだ。 さらに懸念される喫緊の問題は、域内の人口が密集する低地が貯水池の底に沈む時、膨大な数の住民が移転を余儀なくされることである。1949年に共産党政権が樹立されて以来、ダム建設により強制移住となった住民は1,600万人にのぼり、およそ1,000万人が依然貧困の生活を送る。わずか8万人の移住が求められる虎跳峡では、住民は、険しい山腹を登り、1,800~2,700メートルのところに限界耕作地を開拓するよう命じられるのではと心配している。 FBHINTアーカーブス楽天ブログにやってきた直後の日記ですが、まだ読まれていない人が多いのに気づきました。再録します。第2回目
2006年10月27日
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中国経済は、「いつ」破綻するのか?(1)この時代は、おもしろい。文部科学省が明治以来つくってきた指導で、課題解決ができる人間だけは有象無象でウジャウジャいるのだけれども、「何が問題なのか」と問題を正しく設定できる人間が極めてすくない。かつて「坂の上の雲」がはっきりと万人にみえていた時代には、明治期の文部省がおこなった人間像でよく、大量に社会におくりだされれば多くの問題は解けるかのようだっただろうと想像できる。しかし、今やこの「何が問題なのか」をきちんと万人の前に提示できる人間の数が激減してきている。それを考え、つくるための修練を受けてきている人が少ないという理由もある。(この楽天広場でも、参加者のアクセス数の挙動をながめていればいかに付和雷同でものごとを静かに理解し受け止めることのできる方々が少ないのかが、よくうかがえる)さらに、もう一点。課題を提示する力量をそなえているものがいたとして、その者に求められているものは解くべきほどの問題を「明解な解であり、なおかつそれが隔絶してユニークな解法として求められるような問題として与えられるように」提示できなければならない。力量をもったものに課せられた十字架は重く過酷である。現在、社会には多くの論者が存在するがまことしやかに提示する「われわれが解くべき課題」として提示されているものの大多数が、このような条件下で正しく提示されているのかと言えばけしてそのようではなく、むしろ疑問を感じるものが実に多い。自然、物理の世界でもこのような知的姿勢を維持することは結構難しい。世間的にみて難しいという風に思われるその世界なのだけれども、今の今われわれの社会がかかわっている問題の大半はビジネスの世界、経済の世界、法と秩序の世界、ようするに人間社会の問題であるから、当然のことながら学校教育の想定してきた「分かり方」と合致しないまったく違ったものが圧倒的に多いからだ。宇宙が有限の島宇宙であっても捉えにくいのだが、ましてや宇宙の辺境はいまなお相当な速度で拡大している。同様に我々の世界の課題は、けして「坂の上の雲」のようにあゆみつづけている人々の頭上にふわりと漂っているようなものではなく、遥かに複雑に変化を刻々ととげている存在であることがわかってきている。また、われわれに装備されている脳も実に複雑なネットワークで回路化されており、この情報通信の時代にはその脳同士も相互に刺激をし牽制を受けてさながらカオス的なまでの常時接続が基礎となりつつある。(笑)したがって、単純明快な「因果関係の足し合わせ」のような理解でものごとが出来ていないという事も多数に共通の認識となりつつあるようだ。地球規模の現象が日常、われわれを取り巻いて久しい。まず、ふたつの事柄を考えてみればいい。いずれも今の時代のわれわれが逃れ難く取り込まれている重大な今日的な課題である。ひとつは、地球環境問題。正月に、衛星軌道からの視点を示唆させて貰うためにスペースシャトルからの画像を失敬したのはこの視点を暗示するつもりであったかもしれない。もうひとつは、グローバル市場経済である。よくよく考えて欲しい。そのいずれも地球規模のサイズで生起する課題解決力をいきなり求めてくる大問題である。しかも、その一方は生物反応時間をふくめて百年河清を待つぐらいの度量を必要とし、もう一方は分秒の次元で刻々と変化をとげてゆく。片方は、地球の全重量を読み解きせねばならないリアルな実体のある世界で、もう一方は情報という概念思考ができない人が感覚で論じることができない特殊な商品(貨幣)についての世界である。その双方によこたわっている共通点が、世界規模での「循環」である事と空間スケールが地球的規模であること。それらが瞬時に理解できなければならない。インターネットの登場は、これらの双方に与える影響が甚大である。その視点でものごとをみている人は少ない。おそらくこの楽天広場でも、それほど多数はいないだろう。その恩恵に浴している最先端の利用者にしてもその程度なのだ。人口がふえ、人的文化領野が拡張してゆく途上でこのインターネットによる脳の相互の結合状態というものはきわめて画期的な事態である。それは原生人類が、言語能力を獲得して脳の回路を基礎づける解剖学的な部位の変化をうけて抽象的思考を可能とする進化をとげたその全行程をふたたび質的飛躍を行うというぐらいの大転機である。農耕牧畜で一万年。一万年間かけて形成された人間社会の文化的な水準が一万年のボリュームの総体にきしみを生じて飛躍するという。その象徴劇が静かにインターネットの内部で生じている。いまだ、不倫だの懸賞だのと眼の色をかえている手合いが大多数であるとしてもだ、、、(笑)生物としてわれわれとその類は、ざっと大雑把にみてこの地球に500万年ほど過ごしてきた。しかし、この10年ほどの変化はこの500万年の蓄積を一気に再構成するほどの壮絶な運動の始まりだと思われる。その理由は、われわれにとっての500万年がわれわれに付与してくれた思考抽象の力量が一気に情報通信というあらたな編成力と「遭遇」したという事件が静かに進行しているからである。その内部では、現実の歴史的な社会の数百年程度の歴史年限で関係づけられた法規範が人々の求心力であるかのように現象している。これは、これで意味のない事ではない。しかし、いまわれわれが遭遇しているそれらのさまざまな新しい現象にそれまでとは隔絶した新しい意味が生じつつあることはよくよく思い知った方がいい。これらはまた新たにさまざまなシンボルを得て、独自の求心力を持ちわれわれ相互の人間関係にあたらしい内部構造を生じることになるであろう。面白いことに、このような局面を一気に理解できるタイプの人間というものは極めて限られているらしい。早い話、たかだか私のメルマガの読者の多くや、楽天広場でもせいぜい200人程度であろう。大多数は、所詮はどうせ「旧来の思考枠組み」の内部でしか問題を組み立てようとはしないものだ。まさしく不倫と懸賞に血眼になってカキコを行なっている人達にとり私の述べているものはただの雑音に過ぎないだろう。それら「旧来的枠組み」派の特徴は明瞭にある。口から出る言葉は、せいぜい持続的発展。あらたな市場創設。国際金融市場における「勝ち組」をめざせ、などと口走るのが大半で。もしくは、その同伴者に過ぎないと思う。いや、懸賞だの儲け方だので反応する大多数はどうやら些少なものに反応する射幸心で関心の大半が占められており残念ながらネットに参加しているものの多くは、それら同伴者のさらにうしろからゾロゾロと後追いしている人々たちかもしれない。FBHINTアーカーブス楽天ブログにやってきた直後の日記ですが、まだ読まれていない人が多いのに気づきました。再録します。こちらは第1回目
2006年10月26日
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奈良で、エセ同和だか、ほんものの同和だか分からないがまともに勤務もせず5年9ヶ月に8日間しか勤務しなかった男が、ようやく解雇されるという。よりによって、あの渋ちんの奈良県だ。関東の方は、御存じないかもしれないが大阪では、奈良県人のケチケチモードについては、さんざん陰口が飛び交っている。金があっても、午前の仕事を朝粥だけですますと散々だ。そんな県の人間が、 6年近くも満額で給与を取り、そのために50通もの医療診断書を職場に届けていたという。奈良市の職員といっても、その所属団体があれだ。誰でも関西では知っている。陰口をいうと差別するのか、と怒られるのでズバリいえば、部落解放同盟の職員だったのである。地方公務員として、フェラーリで御出勤される日にはタイムカードを押しに出勤したのではなく親族企業の土建屋の受注に斡旋ででむいていたのだという。斡旋収賄になるのだろうか。職務権限で、利益誘導したわけではないのであれば、難しいのかもしれない。なぜ奈良市は放置してきたのか。それは決まっている。怖かったのだ。国会議員の秘書だって、明言する。関西で、部落問題と、在日と、創価学会広域暴力団をさけていては政治などできないと。なんだ、四位一体じゃないか、といいたくもなるが、これまで部落解放同盟は、語られてこなかった。それが、にわかに話題になる頻度が高くなってきつつあるのは面白い。だが、これにも裏があるはずだ。ああ、最上段のイラストも↑クリックしといてね。↓クリック奈良市環境清美部の男性職員(42)が病気休暇・休職を繰り返し、5年半で8日しか出勤していなかった問題で、新たに4人の職員が病気休暇を頻繁に取っていたことが22日、同市の調査で分かった。いずれも同じ環境清美部所属の男性職員だった。また前述の男性職員について、病気休暇なのに市庁舎に繰り返し出入りし、親族経営の建設業者への口利きを図っていた疑いも浮上してきた。 1人だけでも大問題なのに更に4人の疑惑職員が浮上。奈良市職員の過剰病欠問題は底なし沼の様相を呈してきた。 同市人事課は男性職員の一件を受け、所属の環境清美部を含む職員の第1次調査を実施。その結果、新たに職員4人の過剰病気休暇が判明した。30~50代で、全員が環境清美部の所属だった。 「スポーツ報知」みな、少しづつ気づいていると思う。創価学会は、アメリカが認知したのだろう。アメリカというよりは、共和党といった方がいいのか。安倍も、これには無抵抗なのだ。その一方で、部落解放同盟はその怪力からの認知を 得られずむしろ敵視されてしまった。理由は、なにか。おそらくハゲタカファンドの日本買いに、へたな抵抗を行った。その土地取引、不動産などの占有に彼らのパーティが多数絡んでいたからだと推量する。統一教会、OK。創価、OK。解同、No Good、、、そうアメリカが判断した。ゆえに、一連の雑誌、メディアのへっぴりごしのキャンペーンが今頃になって始まった。そういうことだろう。↓クリック
2006年10月25日
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msk222さんらが檄を飛ばしている。まずは、じっくりご覧ください。それから、我とわが身の問題としてもう一度考え直すことにしましょう。人生は、まだまだ長い。ここいらでじっくり考えてみる価値は、あるかも。↓クリックから藤田東吾氏の主張へ
2006年10月24日
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民主党が、衆議院議員の補欠選挙で負けたらしい。たしかにあの民主党だから、無党派層が引いちまったのはわかるが、そこが政治音痴というものだろう。衆議院補欠選挙といえば事実上の国民投票みたいなもので、きわめて鋭敏に国政へ影響が伝わることは経験的にも分かっていることだ。これに有権者が動かないというのは、まあテポドンが落ちてこようが、大阪城で青テントぐらしを強いられようが、我慢するということだ。民主党の国会議員先生が、でたらめにヌルイのは以前から講演会で姿を直接みて発言を聞いてきた。経験から、呆れたものだ。あまり驚きはない。この国は、いつまでたってもヌルイままだろう。それなりに愉しく暮らしているということではないか。司馬遼太郎も、「平和というのはああいうヌルイ人をたくさん育てることだった」と生前言っていた。まさしく、細野豪志たら山本なんちゃらには石でも投げてやりたい気分の有権者もあるだろうが、アホらしくてその気にもならない。国民は、ああいうヌルイのがお好きなのだ。しかし、小沢一郎はよくよく不運だな。来年の参議院選挙も大敗だろう。「北」の首領さまに謀られたと、テレビで民主党の議員がほざいていたが今から謀られているような、お前らをだれが投票しようと思うものか。足元みてから物をいえというものだ。だが、有権者もどちらか一議席自民党を落とすぐらいの発想があってもいいと思うのだけれどたぶんそれでは「北」に、みょうなメッセージを送ることになると躊躇したのかもしれない。なんとけなげな有権者像だ。泣けてくる。こんな売国政権をまだ、庇っているのだから、、、
2006年10月24日
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↑クリック おお、懐かしのベティーブープちゃん。 おいら、いまでこそ反米やっているけれど、ベティーちゃんには何も恨みはないんだからねぇ。しかし、いつみても可愛いね。実は、ヘッケルとジャッケルというのを探している。大阪、ミナミのアメリカ村でVHS作品をみたんだけれど、すでにアメリカ村の経営者年代では、あんなアニメ知らないんだね。メッチャ面白かったんだけれどね。日本では東芝が提供だったと思う。もう、超暴力体質のアニメ。それと、探しているのはちびっ子ギャング。それと三バカ大将。あれは、ぜったいに死ぬまでにもう一度みたい。 Click Three Times (2000)↑クリック
2006年10月24日
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昨日も滋賀の環境ボランティアで動く。やはり、身体を動かしながら自治体の実務を担っている人たちと作業を通じて目線を共有することは、極めて高い学習効果がある。環境保全も、机やパソコンで発想すると マウスでコピペして悦にいるという状況から進まない。「intimateな」ものとしては、対話の相手を自分の脳のなかに写った世間の影絵のようなものと交わしているに過ぎない。これは対話をしている風でありながら、次第に減衰してゆくだけの儚いものだ。パソコン通信以来、このWEBに至るまで高度に哲学談義をしているのを何度も見かけたが自分には悲愴な試みと映る。人間の脳は、前にも後にも窓が開いてこの世と疎通していなければ、満足には動かない。そんなことに気づかない人は、テキストの中に映る自分の内面の影と営々と対話し続ける。これを平然と実行できる人の集合を都市というのだ。さて、夜だ。杉山巡氏のブログで、少し触れたが植物研究家の倉持仁志氏の仕事を紹介する番組があった。これも凄い。環境保全のボランティア活動も、来年で3年目を迎えるのだが、ただの環境美化運動だと思っていた足元に、予想外の大きなテーマが地続きなのだということがわかってきた。なるほど、ゴミ拾い、地域清掃とはわけが違うのだ。倉持先生は、もともと農薬会社で、除草剤の研究職についていて、草を駆逐するという思想ではこの日本の国土は把握しきれないという風に思い至る。この「体験」は、倉持先生にとっての神の啓示のようなものだという風に思うけれども、その背景には日本人の民族としての手厚い底知れぬ規模の情緒の厚みがあるように思う。数学者の岡潔が、あれほど「情緒」にこだわった理由が、問わず語りにみえかくれしてきたような気がする。伊吹山の話題は、以前にもここで触れた。googleは、またしても黙殺だ。2005/09/10さざれ石の巖となりて すでに、県の活動で2度も登ったが滋賀の最高峰といってもさほどのことのなさそうな山なのだが、近接して耳をひらけば予想もできない特異な山だった。再録したものをアップしてあるので、再読いただきたい。この県の山でも、その植物に渡洋してシンガポールと湖北の伊吹山を往還するという蝶の存在を両目で見てきた昨年の体験は衝撃的だった。倉持先生は、この日本の国土の中にある固有種の雑草のひとつを品種改良して、世界の砂漠緑化の切り口にしようとされている。仰天するような稀有壮大な話だ。閉じた日本という狭い一国文明が、「intimateな」もので凝り固まるという一方、それでも 虐げられずに頑張りぬく雑草の力は、なんと植物や生物の耐えられぬ筈の砂漠を緑化する 橋頭堡となるやもしれない、というのだ。イジメの議論の果てにこのような境地が忽然と生じるのも、この国ならでは。菩薩道の霊験のようである。いつもいつも悲観してばかりではいられない。↓クリック
2006年10月23日
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2005年9月10日アーカイブス以下は、昨年秋の当ブログの再録です。実は、この土曜日。滋賀に住民票を移して3月にならない自分は投票権もなく小泉民営化など何の関わりようもない。終日環境ボランティアで過ごした。滋賀には、伊吹山という山がある。毎日眺めている自分には、神々しい存在ともみえる。実は、滋賀県では最高峰ということになる。県の環境保全課の呼びかけで、頂上付近でのボランティア活動があった。しかしいわゆる労働奉仕というようなものではなく、環境テーマに感度のいい市民が具体的に地域を踏み込んで学び取ろうという学習会に近い。どのような世界にも斯界の権威者、という存在はあるもので日本自然環境保全という全国組織があるらしい。その組織の県支部の役員の方の解説で伊吹頂上まで登り、現地で最高の環境テーマの解説をいただけた。親米ポチの小泉劇場を物欲しそうに眺めているより、余程精神の健常をいただけるというものである。伊吹山は、全国的には知名度が低いかもしれないがこれがトンでもない霊山だという気がする。日本で頂上の風速がもっとも強いのは、いわずと知れた富士山だ。次が、蔵王で、なんと3位はこの伊吹山なのである。たかだか標高1377mの山である。驚く他無い。古生代二畳紀(約2.5億年前)の昔、海底であった。その証拠に頂上付近には海底火山の噴出物特有の岩石がみられる。それが若狭湾から伊勢湾に向かう大気の通り道として、あたかも日本列島に風のノコギリが通る。それが伊吹山なのである。「天下分け目の関が原」は、まさしくこの伊吹山の麓の事件なのである。神話世界でも、この強烈な突風はイノシシに化けてあの宝剣草薙の剣をすでに持ち合わせないでいた日本武尊ヤマトタケルノミコトを瀕死の深手を与えてしとめてしまう。冬季に、関が原で新幹線を止めてしまうなど朝飯前という事にあいなる。そのように講師は述べた。日本の複雑な植物相、木草編を枚挙すれば6000種を超える植物種が存在すると言われる。(牧野富太郎)実は、その2500種は滋賀に存在。伊吹一山で1300種を擁している。一山で、これほど植物種に恵まれているものか。世界には、一カ国でも1300種もの植物に恵まれていない事例には事欠かない。牧野 富太郎(まきの とみたろう、文久2年4月24日(1862年5月22日) - 1957年(昭和32年)1月18日)は、日本の植物学者。高知出身。「日本の植物学の父」と言われ多数の新種を発見し命名も行った、近代植物分類学の権威である。その研究成果は50万点もの標本や観察記録、そして「牧野日本植物図鑑」に代表される多数の著作として残っている。小学校中退でありながら理学博士の学位も得、生まれた日は「植物学の日」と制定された。しかし、人はわたしを含めて無知なもので無造作に来山しては、貴重な高山植物を毟って持ち帰る人があとを絶たないらしい。昭和天皇裕仁は、「この世に雑草などというものは存在しない」と常々述べていたという。県の専門家の諸氏から、解説をいただいて散策してまわったがあの頂上付近のお花畑はなにげに咲いているようでけしてそういうものではない。一木一草、すべて名前を数えるように慈愛にみちた働きかけがなされている。いや、本当にそうなのである。伊吹山の特異な環境が植物生態として南限を辛くも担任できているという種は、相当程度あるらしい。それを地上から土足で歩きまわるというのが大それたことだとよく分かった。カメラマンは、大型の交換レンズを持ち歩くのを嫌がる傾向があるらしい。当然三脚も重い。彼らは、お花畑の柵を越えて高山植物に近寄り近接撮影を試みるらしい。これがゴミを持ち込む観光客以上に困る存在だという。最近は、デジカメを持参してくるがズームがついていない機種は、案の定お花畑に闖入する。それらの花を手折って持ち帰るなど、もう論外なのだ。国土についての犯罪行為というべきかもしれない。かつて庄内拓明氏のサイトで教えられた、さざれ石も実は日本国内で流通しているものはここ伊吹山産のものだという。路傍の石ひとつとて、その奥深さには驚嘆する。ありていにいえば、伊吹山その存在自体が「さざれ石」の巨大な山だといっても良いかもしれない。(わたしが楽天日記に来るきっかけは、庄内拓明氏の紹介である。)実は、困っているのは関係者だけではない。伊吹山には、美しい蝶が生息している。昨日も、何度も目撃した。かつて兵庫県伊丹の住民であったので、市の昆虫館でも館内を飛ぶアサギマダラとは遭遇したものだが、こと伊吹山では雄大な景観のなかをこれが飛び交っている。実は、この蝶は、渡り鳥ならぬ「渡り蝶」である。なんと伊吹山のみならず、遥か台湾やシンガポールと往還しているというから驚きである。同一種が、単に生息域をアジア全域にもっているという意味ではない。それぞれ蝶の個体が、日本とそれらの国を行き来しているのである。彼らがこの伊吹山の頂上を飛来していることは、素人眼にも偶然ではない。この植物生態系における、したたかな任務があるはずである。それが我々に見えない。ただそれだけの事である。ところが、このカメラマンらが踏み込んで押しつぶしている草々の中に、彼ら蝶が出会いを求めて想像を絶するような遠隔地からまるで神話世界のような大遠征行の果てに、ついに果たせぬような重大な機会損を生じるケースが多いらしい。いちど踏みしだいてしまえば、以後十年以上芽が出てこない植物もある。事実、次第に伊吹山で飛び交う蝶のコースまでが変化するらしい。環境の劣化以前に、観光客やウォッチャーの挙動が、それほど大きな変化が生じるとは日常思いもよらないのは仕方がないが、彼らの側では現実なのである。花を毟るという行為が毀損する影響は、地域やこの国土にすら微妙な影響を生じるものだと。そういう風に教えられた。2005年9月10日アーカイブス
2006年10月23日
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intimate 【1-名】 親友{しんゆう}【1-形-1】 親密{しんみつ}な、親しい、懇ろな◆【注意】性的関係を連想させる場合がある。◆米国では通例、性的な関係の婉曲表現として、男女の間柄についてのみ使われる。・ We used to be very intimate. 私たちは以前とても深いお付き合いをしてました。・ He is an intimate friend of mine. 彼は私の親友だ。【1-形-2】 個人的{こじんてき}な、私的{してき}な【1-形-3】 詳しい、詳細{しょうさい}な、奥深い{おくぶかい}【1-形-4】 秘密{ひみつ}の、(個人的{こじんてき}に)秘めた【2-他動】 ~を暗に知らせる、暗示{あんじ}する、ほのめかす【レベル】6、【発音】i'ntэmэt、【@】インティメイト、インティメット、【変化】《動》intimates | intimating | intimated、【分節】in・ti・mate intimate access to a character 登場人物{とうじょう じんぶつ}に親密{しんみつ}に近づく手段{しゅだん} intimate affairs 《one's ~》私事 intimate attachment 密着{みっちゃく} intimate attention 念入りな注意{ちゅうい} intimate bar くつろげる酒場 intimate belief 個人的信条{こじん てき しんじょう}もう、随分前に書いた「intimateな」を読み返す。自分のブログは、案外読み返すことがないものだ。ところが、読み返してみると自分が書いたことながら忘れていた視点が、束になって絡まっていることが分かったりする。イジメを、torment という風に考えてしまうとよく分からない。tormentは、他動詞だから関係だと思ってしまうじゃないか。いかにも、苛める人と苛められる人の関係はある。 しかし、そこにある関係は、tormentの本質を照射してはいない。そこ にある関係は、所詮は結果である。イジメのキツさは、むしろtorment の原因。「intimateな」ものの喪失、排除、もしくは剥離ではないだろうか。柔道部員で、黒帯の高校生が自殺に追いやられたりする。tormentとしても、もっともキツイものを被る。それは、やはりこの世が「intimateな」ものの重層的な複合だということを指摘できない精神には見えてこないような気がする。
2006年10月22日
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実はボクも、あたりまえのように「人権は誰にでも平等に大事」だと刷り込まれて育った一人でして、そこから「人権を制限せねばならない人はいると思うので、誰にでもというのはいかがなものか?」という考えに変わっていった自分に、ちょっと怖さを感じつつもあったのですが、シャルドネ☆さんのこのところの「日記」を読ませていただくことによって、怖さを感じる必要はないのだなと思えてきました。引き続きじっくり考えていきたいなと思っています。被害者の方が悪くなってしまう「権力者のセクハラ犯罪」については、つねづね憤っていました。田中萌子さんの本、ボクも読んでみます。(2005/08/13 08:26:21 PM) lalameansさん 啓発を相互に与える、というこの楽天日記などの交信方法は実に愉しい。余談であるが、茶道家で日本滞在歴20年というマーガレット・プライス女史の著書の中に intimate という語彙についてのこだわりが披瀝されている。反日感情も底深いと思われるオーストラリア出身のこの女性が、茶道を起点にして日本文化を俯瞰している著述が面白い。いくら立派なお屋敷に住んでいても、大きな部屋で一人ぽつねんとしていたら、居心地はよくないでしょうね。だから、平安時代の日本人はお寺の堂のようなあけっらかんとした部屋を小さく区切る工夫をしたんですね。屏風と結界、のちには襖と障子。みなそのための工夫だったと思うんです。人間ってプライバシーを求める時、ほどよく結界に囲まれていた方が、あるいは親しい人間同士で輪を作っていた方が安心できます。茶室はこの人間の気質をよく把握したスペースです。 マーガレット・プライス「ひめやかな空間で」彼女の言うには、茶道の起源はキリスト教宣教師らに遭遇して異国の文明に接した日本人がクリスチャンの儀式である「聖餐式」で執り行われるあの神の血と身体を拝受するというシンボリックな作業で、パン菓子を食べ、ワインを回し飲みする。あれを取り入れたものが、茶道なのだという。あの世で千利休が聞いたら激怒するのか、微苦笑するのかは分からないが、なかなか面白い説だと思う。最近日本の若い世代が、狭い茶室で濃茶を回し飲みするのを忌み嫌うという傾向があると慨嘆していて彼女からすれば、茶道のintimate な醍醐味を「不潔」だと無粋にも撥ねつける時代相に、やんわりと言及しているのだ。こちらの日記にも、アクセスがほどよく減り続け、ひたすら話題に intimate な醍醐味を感じさせて貰えるのは、ご縁あってlalameansさんから与えられたテーマの秀逸さというものだろう。「お前いくつや?」その場の雰囲気を断ち切るように、知事が聞いた。「二十歳です」あと一週間もすれば、二十一歳の誕生日を迎えるけれど。「そりゃ、若いわ。まだ子どもやなあ。子どもにはわからんやろ」知事はコーヒーを飲みながら何かを考えている様子で、しばらく沈黙が続いた。「前の知事は悪いことをいっぱいしたんや。だからわしがその知事を辞めさすために知事になったんや。まあ、子どもにはわからんやろうけれどな」ふーん、ほんまか?心の中ではそう思ったけど、「そうなんですか。すごいですね」口ではそう言っておいた。「そうや、知事はお金のためになさっているのではないんですよ」「知事はすごいエラい方なんですよ」知事へのお追従じみた言葉が続々と出てくる。「知事っていうのはなあ・・・」知事は自慢話を延々と喋りはじめた。聞いているとすごい権力を持っているように思えてくる。「知事って、そんなに権力があるんですか?」私は思わず聞いてしまった。周りは、私の言葉に冷や冷やしている。「そりゃ、すごい権力やで。大阪の公務員は何人おると思う?それすべてがわしの支配下や。警察もそうやし、教職員もわしの思い通りにできるんやぞ」「えっ、警察もですか?すごいですねぇ」 田中萌子(仮名)「知事のセクハラ私の闘い」よりかつて、江戸時代にいまで言えば大阪府知事側近だったぐらいの直参の旗本で,元町奉行所与力という人物が市中で大砲をぶっぱなすという壮絶な事件を引き起こした。大塩平八郎の乱である。のちに文豪森鴎外などが小説「大塩平八郎」として取り上げるほど、大事件の後世に与えたインパクトは激甚だったと思う。二十歳そこそこの田中萌子の行った「告発」は、権力のきわみである大阪府知事が、実態でゴキブリと大差ない人物であることを暴露した。はたして後世の文豪は、この事件を大塩平八郎の蜂起と並ぶほどの義挙として描ききれるのであろうか。冗談のように思われるかもしれないが、大阪府民235万票をからげて圧勝する現職知事を、非力な一介のセクハラ被害者が筆舌に尽くし難い困難をどのようにしてか乗り越え、ついには見事に有罪へ追い込み、しかも執行猶予判決を述べた川合昌幸裁判長に対しても遠慮なく鋭い判決批判を込めた「控訴願い」をしたためている。権力者大阪府知事の卑劣かつ独りよがりな人権侵害行為に、なけなしの胆力でたじろがず異議申し立てをつらぬけた。そんな強靭な生活と意見を抱く個人が存在したことについて。同時代人として深甚の感謝を述べたくなる。「intimate な」ものに、相互の敬意と共感がなければただのSexual harassment であると言う当然の証明を行った。個人的には、この時代の文豪たちに、この事件の意味が斟酌される事を求め訴えたい。残像感という言葉がある。刺激がなくなっても、身体にその感覚が残る現象のことだ。知事の右手が私の身体を離れたあとも、身体はいまだにその嫌な、汚された感覚が残っている。私はパニック状態で呆然としていた。「おまえ、きょうは生理やったんやな。しんどいはずやわ」彼は生理の血のついた人差し指と中指を舐め、左手で私の胸を触り、言った。「おまえになあ、誕生日プレゼントになあ、ヴィトンの鞄を財布買うたったで。十三日あけてあるから取りに来い。メシでも食いに行こう。連絡先はあとで渡すわ」 田中萌子(仮名)「知事のセクハラ私の闘い」より2005年8月15日FBHINTアーカイブ
2006年10月22日
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渡辺千賀シリコンバレーのコンサルティング会社Blueshift Global Partnersのファウンダー・社長として、技術関連事業での日米企業間アライアンスと先端技術に関する戦略立案を行っています。会社設立以前は、東京の三菱商事にて、大規模不動産開発向け情報システム企画開発、ソフトウェア・ハードウェアの事業企画、米国インターネット基盤技術ベンチャーへの投資に関わった後、マッキンゼーで戦略コンサルティングに従事。2000年からシリコンバレーに移り、事業開発と戦略立案両方の経験を生かし、頭も手も足も動くコンサルティング事業を展開しています。また、NPOのJapanese Technology Professionals Associationのファウンディングメンバー・代表として、シリコンバレーの日本人プロフェッショナルの支援も行っています。職歴 * 三菱商事株式会社 * マッキンゼー * ネオテニー学歴 * 東京大学工学部都市工学科学士 * スタンフォード大学MBA趣味 * 読書(脳神経学・動物生態・文化人類学など) * スキューバダイビング * ゴルフ * スキー(クリックで渡部千賀さんのサイトへジャンプします)皆さん、ご存知の渡部千賀さんという社長さんの有名サイト。そこここに凄い英語学習のスキルが全公開されている。なにせ、「英語学習負け組」のわたしが手探りでいま一番旬な英語学習法をと探しに探して、体感上現在流通している英語学習法でもっとも妥当かつ秀逸なものを選ぶとこの方の方法論だと思った。最高である。でも、10年前や20年前にこんな方法を教えられていても今ほど環境は整っていなかったと思う。この時代に、教えられて状況にも恵まれているわけなので、ちょっと頑張ってみようとワクワクする。(クリックでジャンプします)(1)まず最大の鉄則は「読む」「聞く」「読んだことがないものは書けない。聞いたことがないことは話せない」。日本の中学レベルの英語が大体マスターできたら、後は「読む」と「聞く」に注力すべし。感覚的にいうと、必要な時間は「読む」=「書く」の10倍「聞く」=「話す」の10倍(もしかしたら100倍といってもよいかも)はっきりいって「英会話のレッスン」とか「英作文」は殆ど無駄。英語は数学のようにクリエイティブに解を導く学問ではない。聞いたことのある言葉・文章、読んだ言葉・文章から、必要なものを引っ張り出してきて、適当に組み合わせて「話す」「書く」のだ。たくさんの言葉・言い回しを知らないとだめ。さもなければ、Garbage in garbage out(入ってくるものがゴミなら出ていくものもゴミ)だ。というわけで、聞く・読む方がずっと重要。特に日本人では読み書きは何とかなっても、究極的に「話す」「聞く」ができないことが多いので、以降「話す」「聞く」に特化して勉強法を説明する。しかし、この渡辺千賀さんという社長さんはなぜこんなに親切なのだろうか。このプログに公開されている内容だけでも、英語学習の講演会でさんざん稼げるようなレベルの高い内容だと思う。たぶん、たっぷり所得を取れているのでバカな英語教師が失業するような質の高い英語学習法をわれわれの為にダンピングしてくれているのではないか。そんな気がした。(クリックでジャンプします)(1)ヒアリング上達方法会話英語スポーツ論に則り、リスニング力強化トレーニングを筋肉トレーニングと比較する。筋トレを行う際には、どの筋肉を鍛えるのか意識して行うことが肝要だが、リスニングも一緒で、「どの単語・どの音を聞き取っているのか」を意識して聞くことがとても大事。(逆に、意識してリスニングの練習をしないと、中々上達しない。大人になってからアメリカに住み始めると、何年たってもリスニング力が殆ど向上しない人がいる。これなどよい例。よほど耳がいい人でない限り、英語に浸って生活するくらいでは、思うように聞けるようにならない。)では、どうやって「意識して単語を聞き取る」のか。一番よいのは、a. 映画・テレビ・ラジオなどを5分程度、録音・録画する(もしくはDVDなど入手)b. その中で話されていることを全部が文字にしてあるスクリプトを入手(映画だったら、DVDで英語字幕、アメリカのテレビだったらclosed captionなど)c. スクリプトを見ながら、その全ての単語が聞き取れるようになるまで何度も聞く「キャプションを見ながら聞いてはいけません」などという教えもあるようだが、私自身の経験では「聞き取れないものはいつまでたっても聞き取れない」ことが多い。よって、迅速な上達にはスクリプトを見ながらの方がよい。ただし、字幕なしで聞き取れるようになるまで執拗に何度も聞く。これを一週間で一教材(つまり5分のものを一つ)こなしていく。2-3ヶ月で見違えるような成果があると思います。実験してみたのだが、一作目の「マトリックス」のDVDが平易でとっつきが良かった。割合にゆっくりとセリフを言ってくれるシーンが多く、しかも映画のすべてを網羅したスクリプト本が書店で簡単に手にはいる。DVDも相当安く売られているし、ビデオショップでも棚落ちしたものを500円ぐらいで売っている店もあった。DVDは、あのVHSと違い中古でも傷さえなければなんど繰り返して見てもメデアが劣化することはないのでありがたい。スカイプ仲間の輪が広がっています。シャルドネ☆のIDを登録してみてください。愉しく御話してみましょう。スカイプID:chardonnay99_jp2005年 3月25日FBHINTアーカイブ
2006年10月22日
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石原慎太郎 ;アメリカは情報操作のために平気でウソもつくしね。日本海沿岸で時々、迷彩服を着た朝鮮人の死体が上がるけれど、あれも日本の危機感を煽るためにアメリカが仕組んでいるって説があるくらい。まさかこの時代になんて思うけれど、「石原さんアメリカは今でもフローズン(冷凍)の朝鮮人の死体をたくさんもってるよ」・・・なんていうアメリカの情報関係者もいる。アメリカは本当にそういうことを平気でやるから。盗聴だって日常だし、僕なんか間違いなく盗聴されてますよ。まあ、もともと政治っていうのはそういうものなんです。理念だけでやるものじゃあないんだから。もっと根底になきゃいけないものがある。アメリカと日本の大きな違いは、はっきりとした意思があるかどうかですよ。アメリカには明確な意思があって、その達成、特に国家というものに関わる意思の達成のためには、犯罪をやってもかまわないと思っている。日本には意思がないから、目的もない。何もないんですよ。だから稼いでも稼いでも、ちっとも景気はよくならない。啄木の「はたらけど、はたらけど猶わがくらし、楽にならざり、ぢっと手をみる」じゃないけどね。 2000年12月新潮社刊「コマネチ!2」ビートたけしを相手にした肩のこらない対談で、石原慎太郎が好き勝手な放談を行っている。しかし、彼の認識の基礎がこのあたりの息遣いで占められているのは間違いないだろう。戦後一貫してアメリカの謀略史観を吹聴してきたのは日本共産党だと思うが、石原慎太郎とてスタンスが隔絶しているわけではない。アメリカに対して、ほとんど何の緊張感もなしにノンベンだらりんと過ごして来た多くの保守的庶民は、一瞬ギョッとする。が、ほどなく何事もなかったかのように脇目もふらず瞬時に日常に埋没してしまう。それが日本の戦後的風景だ。アスベスト(石綿)の健康被害問題で、建設省が各省庁の庁舎や公務員宿舎など国有建物の「建材の非石綿化を進める」方針を1987年9月に決定していたことが29日わかった。石綿の一般使用が原則全面禁止されたのは昨年10月。同方針は18年前に省庁が石綿の危険性を認識していたことを裏付けており、抜本対策に踏み切らなかった当時の政府の対応に批判が集まりそうだ。建築物全般にあてはまる建設省所管の建築基準法の「告示」では、厚生労働省が石綿使用を全面禁止した昨年10月まで、石綿製品を耐火性建材として認め続けていた。同方針を決めたのは、国有建物全般の発注を所管する旧建設省(現国土交通省)の官庁営繕部。「飛散性石綿は使用を禁止。石綿を含む成型品についても、順次石綿を含まない製品に切り替えていく」との内容だった。[2005年7月30日/日本経済新聞 朝刊]司馬遼太郎は、「北のまほろば」(街道をゆく)において、米作する日本の農本支配が国土を宣撫しつづけ、ついに米作の北限を常軌を逸するまでに拡大したがために、東北の豊かな食糧循環を大きく狂わせ農業生産を米に依存することを無理やり強要させられたためにその後頻発させた飢饉とおびただしい規模の餓死者を為政者のなせる「人災」と慨嘆した。しかし、米作をなりわいとする農民に基礎づけられた社会とその社会を土台として成立する国には右向け右の均質化が進行すると繰り返し耳にしたものである。金太郎飴社会だ、画一化社会だとこれまでのところ我々はなんども聴かされてきた。ところが、どうであろう。「この国」には、大きな例外があるらしい。役人や官僚が察知した安危情報のそれは社会的な規模のリスクであった場合でもいっさい国民には知らしめないものらしい。「朕は、たらふく喰っている汝ら臣民飢えて死ね」と、戦後共産主義者が赤いプロパガンダで吹聴したものだが実態は、どうもそれに近いという気がする。87年以前だって、アスベストの危険は何度も話題になっていた。いや、自分は小学校の教科書で習った記憶がある。これは60年代以前から知られていた事だ。まして80年代後半に至ってその危険さを官僚がようやく知るところとなったという事態にして、お粗末なほど判断力も決意も貧しく、すべてにおいて停滞的であると言わねばならない。人殺し国家の「意思的」なものも困るのであるが、均質化社会と呼ばれながら自分たちの保身を最優先にして国民の健康と福祉については「重層的な非決定」で封殺するなどという非意思的な役人ばかりがはびこり、不気味な情報階級を形成している。世も末だと言うしかない。2005-07-28 FBHINTアーカイブ
2006年10月21日
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この国のポチの寝ぐせは、筋金いりでおそらく幕末からなのだろう。 石橋湛山や、佐藤栄作がどんなにがんばったところで、この国のポチ癖は病膏毛の域だと思わずにいられない。 1849、ペリー提督の娘キャロライン、ベルモントと結婚。 1853、ペリー提督、浦賀来港。この娘婿の勤務先が、フランクフルト・ロスチャイルド商会だったりする。「おお、ええところに勤めているやん」というのは、あまりにも庶民目線であって、このことの意味は日本民族100年の宿痾の始まりだと思わずにいられない。兄オリヴァー・ハザード・ペリーのひ孫アリスは、この一族の対日代表歴の余勢をかって駐日 アメリカ大使ジョセフ・グリューと婚姻している。その従妹であったジェーン・ノートン・グリューは玉の輿なのか当然なのか。あの二代目J・P・モルガンの細君だ。モルガンとの閨閥は、ペリー提督のご一統は拭い難い。駐日アメリカ大使ジョセフ・グリューは、日本の軍上層、財閥に相当根をはっていたそうな。いまにいたる、海軍と陸軍の怪しい応酬の背後に見え隠れ。中国からみのテーマで、日本のその後をロスチャイルドとかなり踏み込んでグランドデザインなさっておられるようで、、、インターネットの無き時代。嫁さんをインターフェースとしてその出自に遡る御一統が、「ひと」、「もの」、「かね」でなるお宝のデータベースにアクセスできる唯一の選択肢だったのではないか。そんなことも留めおかずに知らず色恋だ好いた惚れたで野合するなど、たまの日曜サンデーというものだろう。 戦前の日本人クリスチャンが多数参加した太平洋問題調査会(IPR)という国際的な組織があった。IPRはハワイのYMCA(キリスト教青年会)の汎太平洋YMCA会議の発展組織として1925(大正14)年に設立され、この年ホノルルで行われた第一回会議に始まり、58(昭和33)年の第13回ラホール(パキスタン)会議を最後に消滅している。(中略) 初期日本IPRを背負ったのは日本近代資本主義の父・渋沢栄一(評議委員会会長)、井上準之介(初代理事長)、そして新渡戸稲造(二代目理事長)である。その発祥にYMCAの存在があったこともあり、活動の中心は新渡戸の一高時代に影響を受けた新渡戸人脈の高木八尺(一時クエーカー)、前田多門(聖公会からクエーカー)、鶴見祐輔(晩年クエーカー)、高柳賢三、那須皓らに委ねられることになる。 樺山愛輔も第3回京都会議に参加しており、樺山の弟子とも言える松本重治や牛場友彦、樺山の女婿の白州次郎がIPRに送りこまれた。IPRは新渡戸、渋沢、樺山の弟子達の集会場所のような存在となっていた。 樺山も満州事変直後に険悪となった日米関係の修正を図るべく渡米、訪問先には米国エスタブリッシュメントが一同に集まるボヘミアン・クラブも含まれていた。また、グルーを通じて米国金融史に輝かしい実績を残したモルガン家とつながる。グルー自身がモルガン家と姻戚関係があり、グルーの妻アリスの大叔父は黒船を率いて来航したペリー提督にあたる。しかも、井上準之助亡き後、モルガン家が築いたJ・P・モルガンの社史に残る名会長として知られるトマス・ラモントとの親交を引き継いだのも樺山であり、戦後樺山の長男である丑二はモルガン銀行東京支店顧問に就任している。 樺山の人脈はロックフェラー家にも及ぶ。樺山は薩摩の松方正義の孫にあたる松本が携わった国際文化会館事業を通じてジョン・D・ロックフェラー三世と親密な関係になる。松本とロックフェラー三世はIPRで出会う。そもそもIPRはロックフェラー財団がスポンサーとして名を連ねており、その意味ではロックフェラー家が今なお深く関与するトライラテラル・コミッションやウィリアムズバーグ会議の前身とも言える。このロックフェラー三世人脈は後に吉田茂へも引き継がれることになる。 この日本IPRのメンバーは近衛文麿のブレーンにもなっていたが、近衛自身も新渡戸の講演を聞いて非常に感激し、一高入学を決心したという裏話も残されている。そして近衛の最期に立ち会ったのも彼らだった。
2006年10月21日
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黄長火華 Hwang Jang-yeop の発言に、やはりリアリティを感じる。かつて、北朝鮮のNO.2で、金日成のゴーストライターとして日本の左翼にも「主体思想」を経由して、影響を与えた人物。権力闘争にやぶれて、亡命したとはいえ至近距離から金正日を観察してきた厚みが、読ませるものはやはり傾聴に値すると思われる。実は、杉山巡氏のブログで2006.10.20「 北朝鮮関連ニュースの聞き方 」として取り上げられ ているように、このあいだの辺真一、青山繁晴らのコメントにはきわめて大仕掛けなものが背後で走っているという印象が強い。実は、そのメッセージとパラレルな位相にあるのが黄長火華のメッセージかと思う。これは、杉山巡氏の観測に沿うものであろうか。おおいにガッテン納得を感じるところだ。そもそも、このにわかに生じてきたキューバ危機の再現であるかのような雰囲気。この演出には、日本の残りわずかなあの郵貯資金をアメリカだけの恣しい儘にはさせないという風な バイアスがあるという風に、愛国者は読むべきだろう。丹下左膳は、苔猿の壷を争奪するのだ。まさしく苔猿の壷をわれわれの親ポチ売国吸血鬼が買い上げ尽くした海外国債の果てに辛くも残したわれわれの巨額の郵貯資金にも、まんまと帳口を開かせようとの算段。まずは深読みしておいてもさほど間違いないと思っている。安倍政権下、おろおろするポチらを眺めながら役者やのう、と笑っていられた庶民も、さも核実験をくりかえされて地震カミナリ核実験には勝てぬとばかりに、このあらぶる祟り神を惧れをなして、どこかにおすがりしたいなどと殊勝な心地になる瞬間に、涼しい顔をして巾着切りがやってくる、というのが時代劇並の猿芝居なのだろう。マッチポンプの火付け強盗みたいなのが、前から後から襲ってくる。こまった時代だが、本来頼りにしなければならないこの国の政府首班が、そもそも売国ポチときている。身ぐるみ剥がれるまで、国民は気づかないのだろう。黄長火華は、証言する。最上段の画像をクリックいただければ、いつものように動画へ飛べる。なんと彼が語るには彼の亡命する、90年代以前にすでに北朝鮮は核武装をしていたという。核実験など、実務的にはまったく必要ないのだと。彼自身が、金正日の側近として、実務指揮支配を行っていた過去からすれば、今回の核実験も、はたまた入念なことに失敗してみせたのも、すべて日本国民と忠良なる臣民に靖国神社に首領さまから巡航ミサイルがクロネコ宅急便で届くのではないか、などと中元歳暮の心配のように憂慮させるためのおなじみの演出である可能性が濃厚だ。贈り物がいつ届くやもしれぬとばかりにハラハラさせんがため、あたかも田舎温泉のシロクロショーさながらの思わせぶりなまでの「演出」に過ぎないというこうことではないか。プーチンは、どさくさにまぎれて北方領土は、一切返還するつもりはないなどと口走るし、盧武鉉は、いまだに昼行灯なまでに首領さまの太陽になるつもりでいるらしい。中国は、もうアメリカには本音を見抜かれている。さりとて、ブッシュらとて、このままクリントンの女房に政権をやすやす呉れてやるわけにはゆかない。さんざん、「北」のネタでは日本を脅かしておきつつ中東に気もそぞろということだろう。もともとブッシュは、日本がらみはアーミティジあたりにまかせっぱなし。自分は出身の油屋稼業と陣取りに専念したいというのがこれまでの爆走路線だ。これから、新聞を読むときにはマーカーで評論家、エコノミストを塗りわけして読まねばますます騙されそうだ。ロックフェラー家の番頭たち
2006年10月21日
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自分は、新聞を読まないというとオヤジ連中は驚く。人間じゃないという顔をする。えてしてパソコンが使えず、インターネットすら垣間見たことがないという連中も多い。せいぜい、息子にネットを見せてもらったとか、孫がやっているのを肩越しに眺めたことがある、などといいながら平然と知っていると胸をはる。だからやはりあれよりは新聞がいい、と言いたげだ。アホらしい。いまどき、新聞などいちいち読んでいられるものか。せいぜい、日経産業、日刊工業ぐらい読んでおれば十分だ。そもそも新聞には、騙される。《新聞などというものは、まるっきり習慣を絵に画いたようなものだ。あれは思考力を麻痺させる。 *梅崎春生『天皇制について』(昭和28年) 新聞記者其の本分に於ては衣冠を正して中堂に坐すべきものなり。 *陸羯南『新聞記者』(明治23年)凡そ操觚者は是非と利害を明かにし毀誉と褒貶を判ずるの任なり。 *黒岩涙香『「一年有半」を読む』(明治34年)夫れ新聞紙は事実の報知機にして又実に社会の賞罰者なり。 *黒岩涙香『新聞紙の新聞紙たる所以』(明治26年) 読者の耳目を眩すが如きもの豈に新聞紙の天職ならんや。 *黒岩涙香『停止及び解停』(明治26年)新聞の社会記事というものは言わば宝の山の地図、しかも間違いだらけの粗末な地図以上の価値はないと言ってもよい。 *寺田寅彦『ニュース映画と新聞記事』(昭和8年) ↓クリック世界の空が燃えているようだ。ひとたび炎上すれば、キューバ危機どころではないだろう。その可能性はある。ひたすらWEBに耳目を注ぐべきだと思う。WEBは、でたらめと聞きかじりと、偏見の渦だ。かまうものか。こちらには判断力がある。騙されたときは、自己責任である。国際世論など、あてになるはずがない。ニューヨークタイムズのオーナーは、フィナンシャルタイムズのオーナーと、ご親族だ。有名な話。フィナンシャルタイムズは、ベリー家というのだが、こちらはロスチャイルド家の姻戚で、ロイター通信を創業したのは、これまたライオネル・ロスチャイルドだ。ヘラルド・トリビューンもご同様。どちらもロスチャイルド家ご所有の巨大輪転機で刷られている新聞で有名。そんなものをいつも自分だって、いたしかたなく引用させていただいておりまする。ワシントンポストは、ユージンマイヤーが社主で、こちらもこのファミリーとガチガチの婚姻関係でかためられている。そんな世界で、いい記事を書くとピュリッツアー賞をもらえるらしいが、創業者ピュリッツアーそのものが、この血族のご出身。ようするに国際世論というのは、軍需産業の広報担当者らの腹話術である。世界の新聞の大多数は、つまるところロスチャイルド家の軍需産業の販売促進ビラである。いまイラン、極東、南米でまたまた大儲けの算段が始まる。笑いがとまらないだろう。こんな連中のご都合報道よりも、ネット上のホラ話の方がよほど面白くてためになる。↓クリックすると、同家の子会社、孫会社の一覧へ。ロンドンのネイサン(1777-1836年)とパリのジェームスが成功を収めた。ネイサンはナポレオンが欧州を蹂躙する中で金融取引で活躍し、各国に戦争の資金を融通した。また、ワーテルローの戦いでナポレオン敗退の報をいち早く知ると、株取引で巨額の利益を得た。一方、ジェームスは当時の成長産業だった鉄道に着目し、パリ~ブリュッセル間の北東鉄道を基盤に事業を拡大していった。パリのロスチャイルドは、1870年に資金難にあえぐバチカンに資金援助を行うなどして取り入り、その後ロスチャイルド銀行は、ロスチャイルドの肝いりで設立されたヴァチカン銀行(正式名称は「宗教活動協会」)の投資業務と資金管理を行う主力行となっている。ロンドンのロスチャイルドは、政府にスエズ運河買収の資金を提供したり、第1次世界大戦の際にユダヤ人国家の建国を約束させる(後のイスラエル建国につながる)など、政治にも多大な影響力を持った。1940年当時のロスチャイルド一族は約5000億ドル、アメリカの全資産の2倍、全世界の富の50%を支配していたと推定されている。彼らの富は創業以来230年にわたって確実に増殖している。彼らの勢力範囲は、まずヨーロッパ、ついでアメリカ、アジア、そしてアフリカ、オーストラリアに広がり、戦争と革命、そして経済恐慌、あらゆる動乱のたびごとに膨張して現在に至っているわけだ。
2006年10月20日
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↑クリック一体なんだというのだろう。Why China Wants War With the United States---ぶっそうな内容だ。つまり、中国が日本に近未来戦争を仕掛けてくる。しかし、アメリカの民主党政権に女性大統領が選出されているという前提で、中国の靖国神社に向けられた弾頭が炸裂する。これに同調するように、北朝鮮のミサイルが、大阪に発射され、日本はたちまち動乱を通り越して壊滅。アメリカは動かず、日本は中国へ同盟国であるアメリカから中国に対して生け贄として差し出されるという。荒唐無稽とも思える、話題展開の近未来SFだ。誰も読みたいとは思わないかもしれない。ところが、である。これが、どうも真面目に突き出された正拳打ちらしいから驚く。「ショーダウン」のシナリオ記述はまだまだ先があるのだが、日本にとってはあまりに惨めな仮想をすべて紹介する必要もないだろう。第三者からみればサスペンスに富んだシナリオの結末を明かしてしまうのは著者たちへの非礼かもしれない。 しかし、ここまでの日中戦争の近未来フィクションをどう読むべきか、は日本側にとってはまた別問題である。そうした物騒な設定をセンセーショナルな空想だとか、まったくの根拠のない妄想、劇画の世界、などと一蹴することも見識のうちかもしれない。だがこの書は前述のように国防総省高官までを歴任した専門家二人によって書かれ、レグネリー社という著名な出版社から出されている。レグネリー社は保守系の書物の刊行が多く、この『ショーダウン』も保守系の軍事専門家からリベラル派の親中傾向への警告ともなっている。保守系の思考はいまのブッシュ政権下の米国では主流であり、この書も一般の新聞や雑誌の書評で取り上げられるようになってきた。 この書をまじめに受けとってもよい最大の理由は、著者たちが血なまぐさい戦争のシナリオを「実際に起こしてはならない危険な可能性」として使っている点であろう。 ↑クリック米、元高官 仮想軍事シナリオ共著 「2009年、中国の攻撃で日中開戦」 2006年06月27日 産経新聞 東京朝刊 国際面 ↑クリック↓クリック中国では北京五輪後、貧富の差が拡大、失業が急増し、共産党政権は国内でナショナリズムをあおり、対外的には日本への糾弾を強めて、人民の不満を抑えようとする。「日本の首相の靖国参拝は、中国への戦争行為とみなす」とまで宣言する。 (中国全土で反日デモを組織、日本人の技師らをスパイ容疑として裁判にかけて) 中国はさらに、日本の首相がヤスクニに参拝したことをたてに天皇の謝罪を求める一方、尖閣諸島の放棄を迫る。 2009年8月、中国は巡航ミサイルを靖国神社に撃ち込み、破壊する。尖閣への攻撃も開始する。日本側も自衛隊が応じ、日中間の開戦が始まる。だが、米国の女性大統領は「米国は中国と戦争をしたくない」として日本への支援を拒み、日本の首相に国連の調停を要請せよと説く。実は、数日前から産経新聞がこれを連載するという方針をとりだして、まもなく本格的な連載をはじめるそうだ。だから新聞は信用できないというのだ。なにを狙っているのだろうか?
2006年10月20日
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人口 - 総計(2004年) - 人口密度 世界第48位22,697,553人188人/km² wikipediaより北朝鮮に、いま人口がどれぐらいいるのかふと気になった。ほんとうに、2270万人もいるとは思えない。2004年の推量が正しいとした場合でも、それからの数年でもおそらく、1700万人ぐらいに減っていてもおかしくはない気がする。日本は、これだけ少子化が進んでいても、1億人を越えるわけだから、なかなかのものだ。北朝鮮は、知らぬものもない世界最貧国だが、毎年日本から600億円もの送金を受けて、これほどの餓死者がでるとは信じられない話だ。苛政というものは、虎よりも猛々しい。夫子曰、小子識之、苛政猛於虎也 孔子 「礼記」の檀弓篇20年前、北朝鮮ではほぼ2700万人の人口だったとすると、1000万人以上が餓死、病死で斃れていると考えてよい。しかも、ここで戦争を躊躇しないという独裁者がいるのだから、呆れてものが言えない。この際、隣国中国の介入がほぼ唯一の収拾策なのだろうか。蘇る金狼氏の話から、長谷川慶太郎が中国側の人民解放軍の10個師団が侍しているとの消息を聞いた。現状では、欲も得もなく今後餓死しかねない北朝鮮の人民にとって、人民解放軍の介入が、ほぼ唯一無二の緊急避難になる可能性も高いかもしれないと感じる。日本には、米騒動の歴史がある。もしかしたら、あの叛乱は日本の誇るべき伝統だったのかもしれない。↓クリック
2006年10月19日
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[バグダッド 15日 ロイター] イラクの首都バグダッド南方で14日、道端に仕掛けられていた爆弾が爆発し、米兵3人が死亡した。 米軍が15日に発表した。これ以上の詳細は明らかにされていない。 これで今月に入ってからのイラクでの米兵の死者数は40人を突破した。現在のペースが続くと、10月の死者数は2005年1月以来の最悪となる。イラクでは毎日、平均して2─3人の米兵が死亡している。 (ロイター) - 10月15日20時15分更新ダナット英軍参謀総長が13日付の英大衆紙で、イラク駐留英軍について「我々の存在が現地治安情勢を悪化させている」と述べ、早期撤退の必要性に言及した。ダナット参謀総長はデーリー・メール紙のインタビューでイラク侵攻後の米英の対応を「楽観主義に基づいたお粗末なものだったと歴史は証明するだろう」と批判した。 (毎日新聞) - 10月14日13時59分更新だから、いわんこっちゃない。イラク侵攻を始めたときに、はやばやとアメリカに追従して始めた戦争に、他ならぬイギリスまで下手打ちを認め始めた。アメリカも、早晩負け戦同然に撤退をせざるを得なくなるだろう。また、我々も「北」に専念してもらわないと困るとばかり、イラクからアメリカが引いて欲しい、と本音のところで願い始めたはずだ。油にからんではじめた戦争だ。イラクとイランとアフガニスタンと、油屋の手先である、ブッシュがそうやすやすあちらから「極東」へシフトなどできるはずがない。ポチは、花咲かじいさまについていけばここホレワンワンなのだが、強欲非道なアメリカにポチしているかぎりでは、「北」がなにをしでかしても自助努力で、守りきらなければならないぐらいの覚悟がいると自分は思っている。これは4年も前、こちらのブログにやってきてから何度も繰り返している話題だ。アメリカに守ってもらえるなどという依頼心が、すべてを悪化させる。そう思ったほうが、まともな大人の料簡なのだ。2006年7月10日の日記↑クリックで飛び、さらに赤字でクリックする。なんども繰り返すが、「北」が打ち込んでくるテポドン、ノドンは日本製だと思ってもさほど間違いはないほどのシロモノ。しかも、「北」の軍事予算たるや、日本が年間600億円も一部パチンコ屋を含めてズルズルと送金し続けたツケなのである。こんな怪しい国に、平気で仲良くしようと切り出しかねないオヤジを一度は、内閣総理大臣にもしているではないか。1989年、韓国 盧泰愚大統領に対して送られた「在日韓国人政治犯の釈放に関する要望」に署名した村山富市はその中に拉致実行犯工作員指導者辛光洙の名前を見落として安倍晋三君に罵倒されているが、ようするに拉致実行犯を国民的英雄にしちまった大失敗も、もとはといえば日本の内閣総理大臣以下カカシ閣僚のしわざなのである。ここでまだ、アメリカが同盟国だから「北」をなんとか封殺してくれるのではないかなどとの世間知らずな田舎者が、ゴロゴロいるらしい。それはあの首領さまが大博打で東京へミサイル発射すればアメリカも動くだろう。だが、そのような瞬間が本当に来ちまったらおしまいである。それを未然に阻止できるか、どうかが「政治的な辣腕」というものだろう。そんなもの、長年ポチ暮してすごしてきた日本の政治首班にやれる筈がない。つまり、ここはアメリカなどに期待してもヒョウタンから駒の出てこない。決まりきっているだろう。「北」に、油屋にとっての魅力がどこにあるのだ。あれば、六カ国協議などともちあげて、中国に振ったりはしていない。一旦は中国に、下駄をあずけて放置プレイを行った。行ってみたら、中国とグルでさっさと核開発の日程が進んでしまったというのが、真相ではないか。そこに、橋本派以来の、悪い癖でズルズル巨額の資金を他ならぬ日本が垂れ流ししてきたが、出来上がった核弾頭が日本向けのカードで使われるなど、小学生にも分かる話ではないか。いまごろ、なにを言っているのかと自分は思っている。最後に、アメリカは「北」と本気で軍事的な介入をやるとは思えないもうひとつの理由があった。いや、血まみれジョンソンじゃないが、アメリカだって「北爆」は考えただろう。朝鮮半島の北爆だ。熟考した。それ故に、思わず引いてしまった。なぜだ。それは、こうだ。いま仮に、強気でピョンヤンをアメリカがなにかの拍子に、バクダッド並に空爆に踏み切ったとしよう。畢竟またまた陸上戦を想定しなければならない。これは911の仇打ち同然のように、国民を騙して始めたイラク戦とは同じにはゆかぬ。低く見てもアメリカ軍は5万2千人の死傷規模を覚悟せねばならない。また、韓国軍で、49万人。韓国国民で、ざっと100万人規模の死屍累々となる。こんな真似をすれば、世界経済が持ちこたえられない。東京がミサイル攻撃を喰らうのも半島空爆も、世界経済に与える影響は、ほぼ同じだと国防総省はきっちり計算しちまったのだ。知らなければ、強気のつっぱりもやれるというものだが、一旦試算しちまうと人間は弱いものだ。実は、半島に北爆はない、と読んだあの首領さまが、中国、ロシアに気遣いながらも強気で核実験に踏み込んだというあたりが真相だろう。
2006年10月18日
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偉大な愛国者。正直いって遠山啓には、額面どうりのそれを感じる。自分が、生まれた頃。遠山啓は、数学教育協議会という組織を発足させた。日本の算数嫌いを減らすためには、低学年の教育現場で諳算を強要している事があるからだと早くに見抜いたことが発端らしい。諳算を強要すれば、幼い頭でも不快が生じる。不快が生じることを歓迎する学校が、ごろごろある時代には革命的な考えかただった。文部省は、ここしばらく加熱する大学受験を、回避するためにますます低学年で選別を早期実行しようなどと発想した。結果友人の教師たちは、小学生の怨嗟の的で、朝起きてみたらば雨戸にナイフがささっていたことすらあったと回想する。掛け算の九九をあえて教える時間を意図的に減らしたり、理解につまづく児童を「早期選別」の標的として、高校時代を迎えても掛け算の九九がいえないという人間を大量発生させた。自分が30代、コンビニのレジで計算間違いする学生が一気に増え始めたことで愕然としたものだが、あれは間違いなく当時の文部省が政策的に舵取りを行った結果だったのだ。そこに打刻型レジスターの後退、バーコード読み取り入力型レジスターの登場と普及がますます、初等数学以前の算数力の低下を招いている。↓水道方式の詳細はクリックから実は、遠山啓はこの動きを50年前から危惧し、日本の算数教育の現場を憂慮して、警鐘を鳴らしてこられたということになる。自分は、遠山啓を街中で転がっていた婦人雑誌の記事で知った。あまりに斬新で、合理的な思考方法へ誘導するあざやかなワザからマスコミは、「水道方式」と名づけて絶賛したものである。しかるに、普及は遅々として進まず、義務教育年限で初等算数の現場は、むしろ子供の選別の都合で学力低下を平然と看過する国が、日本の数学力低下をむしろ好んで推進してきたように思う。そこへ、学習塾。たとえば公文式だ。はたまた、脳を鍛えるなどと百マス計算だとやらで流行思想が同伴してくる。経験のない親は、とりあえず手近でよさそうなものを、と飛びつくのではないか。(その違いと差異は、上掲画像のクリックから解説へ)自分は、遠山啓の著作を高校時代に読んで、身が震えるほど興奮した記憶がある。これまで経験したことがないほど、論旨が明晰で分かりやすかった。つねに俯瞰的な視点を与えて、これから始まるトレーニングがどのような意味があるのかを理解させながら、鍛えるというスタイルだ。よく医療の現場で、説明責任を果たさぬという風景があったが、いわば算数教育のインフォームドコンセントを、まっさきに体現された人だと思う。われわれは、これから二桁の九九を暗唱して平然としているインドなどBRICS諸国に猛追される。文部官僚の行政にまかせておいて数学力の基礎の基礎でつまづく児童を平然と足蹴にするなどというふざけた真似をいつまで許しておくつもりなのだろう。ちなみに、日本の義務教育における教科書は、ほぼ遠山啓の指導理論にもとづき編集されるようになった。喜ばしいことだ。
2006年10月17日
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滋賀には平和堂というスーパーが展開している。しかし、ほとんど利用したことがない。どこの店舗もかわりばえしないし、利用者の顔を観察しての話。どうも偏見混じりを承知でいえば、退嬰的な雰囲気だ。世の中から、よほど刺激を得ていないという雰囲気の人が、利用する。それが平和堂だ。そんな印象がある。地域に、他の利便のよい選択肢がない場合は、知らず。近隣にジャスコやベイシアが進出している地域では、まず間違いなく地域の消費者は、平和堂利用を躊躇する。そう思っている。なぜ、平和堂がだめなのかを観察していたが、平和堂はあきらかに間違った消費者像を抱いている。その集約が、平和堂がだしている黄色いカードだ。HOPカードというのだが、これが元凶だと思わずにいられない。日々、買い物をするとポイントがついてそれを買い物や、現金に変えるという仕組みだ。ポイントカードは、あまたあるが主婦のへそくりにポイントを現金で還元するという思想は、少し慎重に考えたほうがいい。平和堂は、よほど消費者を舐めているとしか考えられない。つまり、このような現金還元を実行しようと思えば、店頭の商品がじわりと高値いれを強いられるだろう。これは店舗の商品を眺めていれば、すぐに分かる。大阪や、他府県の流通にくらべて顧客を湖国で囲い込めてきたという恵まれた環境が、この発想を助長したのだろう。類例をいえば近商ストアや、阪急オアシスが、地域独占でふんぞりかえっていた地域を知っている。しかし、このデフレ景況で消費者も、他府県でどれぐらい物価がこなれているのかを知るようになってきた。つまり、平和堂の製品は、概して高くてさほどアベレージを越える抜きん出た製品が多くない。少なくともそのように消費者に感じさせているのだ。だから、本社彦根の平和堂の足元へ群馬県からベイシアが殴りこみをかけてきては消費者は、一斉に歓迎するようにベイシアを利用している。たしかに、ベイシアは価格面で安く感じる。実は、安い高い以前に、平和堂のポイント分が、価格にのっていないのだ。それだけでも大きな違いだ。少なくとも一般の消費者は、ポイント還元で現金を期待する主婦たちのために、わざわざ高値の買い物を強いられる平和堂よりも、彦根ですらベイシアを選択しているのだ。長浜でも、大津でもジャスコ利用者は、多い。眼の前にある平和堂を眺めながら、わざわざ2駅も遠いジャスコへ行く。どうせクルマ社会の滋賀である。つまり、何が言いたいのかといえばこのように消費行動を間抜けたことに現金でつるというふざけた仕組みを平然と実行している食品スーパーなど一消費者ながら自分は、願いさげということだ。ポイント還元は、まだ良い。キャッシュバックがさもしいと思うのだ。かつて、アリス・テッパー・マーリン女史を紹介させていただいたことはご記憶にあるだろうか。googleから黙殺されて、検索してもでてこなかった。自分の書いたものを、検索エンジンにかけないと探せないというシャルドネも凄いが、検索しても500位以下の内容だとgoogleに査定されたようなものだ。笑うしかない。さがすのに大層したのだが、繰ってみると今年4月12日の発言になっている。↓クリック「消費だって投票だい! 」明らかに消費行動はすなわち投票行動と捉えるべきなのだ。以下に、なぜ現金で消費行動を買うような真似をする平和堂が間違っているのかを言及したい。まず、消費者はだてに消費行動を行っているのではない。高度に知的な活動なのだ。自分が、キャベツを選ぶとき。産地、手でもちあげた際の重量、重心、形、鮮度、色合い肌目など、総合的に考えている。間違っても群馬産のキャベツなど購入しない。なければレタスで済ませる。胡瓜は、旨い不味いはすぐに見抜ける。大根、人参、牛蒡のような根菜類ですら、みた瞬間に味を読み解ける。最近のスーパーでは、ロクなものを売ってはいない。バイヤーがサラリーマンで、市場で仲買人まかせ。まともに勉強もしていないからだ。つまり、この高度に知的な活動を平和堂は金で買えると思っているらしい。消費者は、このような消費行動そのものを「自己実現」だという風にも考えている。それ自体が自己実現であり、「内発的動機づけ」を帯びているのだ。ところが、そこに平和堂的なポイントカードが介在するとしたらどうだ。お金という「外的報酬」によって消費行動の趣旨がジワリと曲げられる。内発的動機づけの趣旨は、微妙に阻害されて、本来の消費行動ではありえなかった動機が目的を占有する。へそくりを追求する主婦がいたと仮定すれば、そのような主婦は平和堂におまかせして自分は、靜にその店舗を忌避したい。事実、賢明な滋賀県人はだまって平和堂離れしている。もう、お気づきだろう。ここ数日展開してきた、成果主義人事考課とまったく同じ論理がそこにある。金で成果を買おうというさもしい企業が、あのプラザ合意、BIS規制などという「すがたかたち」で、日本の経済社会を覆ってきている。すべて、アメリカが仕掛けたものだ。日々の、われわれの消費行動にまでもそれは、貫徹しているのだ。自分は、健康で、愉しく、自らの誇り高い考え方を反映した消費行動を実行したいと常に考えている。まちがってもポイントカードで還元されるわずかな金員のためにそれを売り渡そうという考えはない。
2006年10月17日
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海野十三といえば、自分らの遥か年長で仰ぎ見るような作家だ。というのは、聞こえがいいが、実のところあまりにも爺さん過ぎてよく分からないというのが本音である。自分らの、兄貴分でどうしても尊敬を集めていた小松左京の肩越しで、日本のSFの創世記に地ならしをした人たちというぐらいの位置づけだったと思う。しかし、このころの爺さまは、なにかカッコいいのである。当時、知性は、このような爺さまが仕切っていたような気がする。自分らが、爺さまに片足をつっこんでも、まちがっても中学生や小学生が尊敬することはありえない。自分らは、小学生時代、海野十三にかぎらず中谷宇吉郎、寺田寅彦は、すでにどうしようもない爺さまたちだったはずだが、依然スーパースターだったと思う。われわれが、大阪城の青テント暮らしを強いられることがあっても、小学生に尊敬されるような爺さまになれるとは夢にも思えない。隔世の感とはこういうことを言う。海野など、自分のオヤジが生まれる前に早稲田の理学で電気科学を学んでいたらしい。とりわけ、押川春浪原作の『海底軍艦』などが映画化されるなどして海野十三らには追い風になったと思う。なにしろ海軍の残党が、国連の請託で海に潜り龍を退治するなどという、荒唐無稽な映画に観客が、コロっと参ってしまうようなおまぬけな時代が60年代である。海野十三は、ネクラなSF少年たちの間では密かに読まれていたと思う。 いまやWEB上で、青空文庫が147本もリリースしてくれている。↓クリックその海野十三が、友人としてくりかえし話題にもした林髞は、これまた稀代のベストセラー作家だった。慶応の生理学で名を馳せて立派に業績を残しているだけでおさまらず、推理小説作家として直木賞をとっちまうという欲深さだが、このあいまの余技でだされた「頭がよくなる本」が、怒涛のベストセラーになる。実は、いまの脳ブームの震源は、この林髞が位置すると考えて間違いではない。そのブームは、相当なもので中学時代毎週月曜日に直立不動で学校長から延々、林髞の脳についてのコメントを訓辞された。朝飯抜きで聞いていた女子生徒が倒れるぐらい、校長は嬉々として林の御説を垂れまくった。だから後にふたたび脳ブームが起きたときには、朝飯だけは食べておこうと思ったほどだ。そのころ、林髞ら生理学者はもう神々しい存在でなにかにつけてはコメントを求められ、森羅万象芸能ニュースにいたるまで逐一インタビューされていたのではないだろうか。それを考えるといま、生理学は風采があがらない。それに、林髞らが述べていたことはその後の科学の進歩で相当覆ってしまった面もあると思う。そもそも弁当屋や、大衆食堂でいきなり味の素をふりかける旦那が多発したのは、林髞の責任だ。白い粉をふりまくことで味の素の株価を不当に吊り上げた功罪は、しっかりと記してもらわねばならない。第二結婚 林髞博士の唱えた結婚方法。ふつうの夫婦生活は15年くらいで倦怠期がくるが、その時お互い夫婦を変えると再び活力を取り戻すというのが理論的根拠。一種の浮気承認制度。 『1958年版現代用語の基礎知識』。頭がよくなるパンというものが、林髞の論旨から商品化されていたらしい。
2006年10月17日
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あなたや、私が組織代表ならば孫子の兵法も宜しいかと思うのだが、えてして中間管理職、リストラの憂き目にあいつつある多くの団塊の世代以下の傷心のオヤジらには韓非子が良く似合ったりする。孫子も、下半身にハンデのある身の上だが、韓非子も、吃音者。おもしろいことに多少ハンデのある方が、異能感覚が鋭敏になるものらしい。自分も、相当な変わり者だが子供の頃から結構重度の注意欠格が十字架みたいに怯えさせてくれた。なにか強迫的なものがこびりついていないと人間は、努力しないのかもしれない。韓非子は、たぶん口ごもるために女性にも、まともに口が利けなかったりしたのかもしれない。そのために猛烈な文才が研ぎ澄まされたらしい。おかげで彼の声名は自国より他国で喧伝された。その中で、彼の書き物をもっとも高く評価した人物がいた。諱を政。政というのは他ならぬ秦王、のちの始皇帝だ。悪謔非道の人、というイメージが強い始皇帝だが、若き日の皇帝は、なかなか利発で先見性がありインテリを高く評価するという才知もあったらしい。よりによって敵国の、韓から韓非子を呼び寄せるほどのいれこみで招きいれた。もう、思い当たる御仁も多数おられると思うがオヤジが評価されて招かれる時ほど危険なことはない。自分も経験があるが、リストラの憂き目にあったオヤジは、えてして昇進のかたちをとられたり、関係子会社の社長に惚れ込まれたり、業界団体へ出向されたり、それまでの日常にあらざる一種のプロモーション(栄転)風の流れで生じることが多い。韓非子は、ましてや書によって君子の気持ちを魅了したわけだから、そのようなワザのない臣下からは一斉に反目されるのは眼に見えるようだ。なまじっか、韓の国内で評価されずくすぶっていた韓非子は、まんまと招かれて始皇帝のもとへと出向くのだが、これがやっかみの渦に身を投じたも同然で誹謗中傷讒言で貶められて始皇帝に評価される働きの場さえあたえられるべくもなく、毒殺されて世を去るのである。共産党時代の、有田芳生でなくても日本の企業で四十代、五十代ならば胸に手を当ててズキズキ来るような話である。八姦など読んでいると、バブル崩壊後の日本の企業社会にますますリアリティが濃厚に覆いかぶさってくるようだ。多数派工作というが、保身とからんで腐臭を帯びても他を蹴落とすまで貫徹されている。ようするに「成果主義」などといわれるものの本質は、日本社会がとめどなき韓非子世界に突入したということに他ならない。八姦同床:君主と同衾する妻、妾、美女、男色などに謀通する 在旁:芸人、近侍など君主のそばに仕える者に阿諛迎合させ君主の判断力を失わせる 父兄:親戚や信頼する大臣と謀通する 養殃:浪費、遊楽などで君主を満足させ政治を鈍らせる 民萌:人気取りの政策をさせて君主を満足させ判断力を失わせる 流行:弁士を雇い巧みな弁舌で世間知らずの君主をだます 威強:家臣がヤクザや軍人を手なずけてそれを後ろ盾に権勢を振るう 四方:外国と通じて圧力をかける、またはクーデターを起こす 女に対しては伝言や頼みごとは聞き入れない 側近に対しては発言の是非を咎め、余計な口を慎ませる 親族に対しては意見を聴きいれて思わしくなかった場合に必ず処罰し、迂闊な行動がとれないようにする 娯楽に関するものはどうして誰が進上したのか出所を確かめ臣下の一存で取り扱わないようにさせる 穀物を供給するなど恩施に関しては必ず君主の財産から出し臣下が私的に人民を利さないようにする 議論では是と非の両者の言い分を聞き、功罪を判断するようにして口裏を合わせて語らせないようにする 威圧に関しては軍人には功績に見合った褒賞を与え、街でヤクザがはびこらないように処罰し、臣下がこのような者を養わないようにさせる 周囲の国に対しては道理に合わない要求は聞き入れない 八姦 凡人臣之所道成姦者有八術。一曰在同床。何謂同床、曰貴夫人愛孺子、便僻好色、此人主之所惑也。託於燕処之虞、乗醉飽之時而求其所欲、此必聽之術也。為人臣者内事之以金玉、使惑其主、此之謂同床。二曰在旁。何謂在旁、曰優笑侏儒左右近習。此人主未命而唯唯、未使而諾諾、先意承旨、観貌察色以先主心者也。此皆倶進倶退、皆応皆対、一辞同軌以移主心者也。為人臣者内事之以金玉玩好、外為之行不法、使之化其主、此之謂在旁。三曰父兄。何謂父兄、曰側室公子、人主之所親愛也。大臣廷吏、人主之所与度計也。此皆尽力畢議、人主之所必聴也。為人臣者事公子側室以音声子女、收大臣廷吏以辞言、処約言事事成則進爵益禄、以勧其心使犯其主、此之謂父兄。四曰養殃。何謂養殃、曰人主楽美宮室臺池、好飾子女狗馬以娯其心、此人主之殃也。為人臣者盡民力以美宮室臺池、重賦歛以飾子女狗馬、以娯其主而乱其心、従其所欲、而樹私利其間、此謂養殃。五曰民萌。何謂民萌、曰為人臣者散公財以説民人、行小恵以取百姓、使朝廷市井皆勧誉己、以塞其主而成其所欲、此之謂民萌。六曰流行。何謂流行、曰人主者、固壅其言談、希於聴論議、易移以弁説。為人臣者求諸侯之弁士、養国中之能説者、使之以語其私、為巧文之言、流行之辞、示之以利勢、懼之以患害、施属虚辞以壊其主、此之謂流行。七曰威強。何謂威強、曰君人者、以群臣百姓為威強者也。群臣百姓之所善則君善之、非群臣百姓之所善則君不善之。為人臣者、聚帯剣之客、養必死之士以彰其威、明為己者必利、不為己者必死、以恐其群臣百姓而行其私、此之謂威強。八曰四方。何謂四方、曰君人者、国小則事大国、兵弱則畏強兵、大国之所索、小国必聴、強兵之所加、弱兵必服。為人臣者、重賦歛、尽府庫、虚其国以事大国、而用其威求誘其君。甚者挙兵以聚辺境而制歛於内、薄者数内大使以震其君、使之恐懼、此之謂四方。凡此八者、人臣之所以道成姦、世主所以壅劫、失其所有也。不可不察焉。
2006年10月16日
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私が共産党の査問を受けたのは2回。いちどは私が属していた『文化評論』という雑誌の編集者時代。作家の小田実さんと上田耕一郎副委員長の対談を企画し、担当したことがやがて政治問題となり査問。宮本顕治周辺が主導した査問だったことは明らか。その結果、私は「本部勤務員にふさわしくない」と職場を追われた。2人の査問官。「文芸評論家」の肩書きを持った幹部の1人が蛇のような眼をして追及してくれば、もう1人は穏やかに「どうだここで一服」とたばこを差し出してきた。「ぼくも京都にすんでいたことがあるんだよ」と私の故郷を話題にする。まるで刑事の取り調べといっしょだな、という印象が残っている。何年も経ってからのこと、池袋の沖縄料理店で私がカウンターで1人飲んでいたときのことだ。店に入ってきた「文芸評論家」は私がいるとも知らずに、隣に座った。私に気がついた彼は言った。「ぼ、ぼ、ぼくはあなたに編集部にいてもらいたかったんだよ」。 2回目は『日本共産党への手紙』という単行本を政治評論家の松岡英夫さんといっしょに編集したとき。査問官の1人だった東京都委員会副委員長が私の目の前でこっくりこっくりと舟を漕いでいるのが印象的だった。嫌な仕事を押し付けられて悪いなあ、と私は思ったものだ。かくて私は除籍となった。共産党がその基準に従って私を除籍したことをいまさらあれこれ言うつもりはない。共産党組織が抱える普遍的問題に連なっていると思うのは、それ以降の私に対する対応の異様さである。私個人のいくつかの経験と、イタリア共産党最後の大会を取材したときのリポートを紹介する。左翼民主党に姿を変えた共産党はやがて政権に参画する。 有田芳生氏の述懐だ。小田実も、上田耕一郎も、あまり興味がないし、彼が宮本顕治に嫌われた理由も分かるようで分からない。結局、「党」から弾き出されたのは些細な好き嫌いなのだろうと推量する。MSK222さんちのブックマークから飛んだ。さりながら、ときどき彼のサイトは巡回したことがある。共産党というのは、とにかく日本的な風景のたくさんある組織だとかねがね思っていた。この有田氏の描写は、そのまま自分のいつぞやに平行移動できそうなデジャブ感がある。いや、自分は一度も共産党などにかかわっていない。企業社会の中での出来事だ。まるでリストラ風景そのものではないか。いかにもリストラとは、このような風景の連続だ。しかも、昨今加速されていまだに減る勢いはない。まだまだオヤジ狩りは続くだろう。有田は、共産党的にはエリートで関西では立命館大卒は地方自治体や、企業にもしたたかに閥をなしている。同志社が、さほどでもないに比して立命館は、共産党内部でも相当な背骨になるのだろうと推量する。にもかかわらず、ほうりだされる時の呼吸はいつも同じだ。ビッグブラザーMから嫌われた。ただ、それだけの理由だが、その理由がすべてだったりする。また、よくよく考えれば公党とはいっても、ビッグブラザーMただ一人に完璧にオプチマイズされていて、いきなり合理的な理由もそれに沿って機能づけできなければ排除されるものなのである。日本の中小企業の大多数はそういうものだったりする。ちなみに芳生という名前は、おそらくヨシフ・スターリンにちなんだものだろう。誇らしく息子にこぞって名づける親が昔、少なからずいたのだ。
2006年10月15日
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パソコンを買って、パソコン通信をはじめオフ会を周り始めたのは93年頃。実は、昨今インターネットではじまる「出会い」とくらべての話、当時はかなり違った独特の世界だったように思われる。パソコンを使い込むことが、なにか相当の覚悟を要求したし、設定が実行できるまでの根気や集中力は、いまの使いやすいパソコンとは相当違った。そもそもコストが桁違に高かった。昨今ノートパソコンが、4,5万円からあるのと違い、あの頃は20万円台にパソコンが値下がりしたという認識だったぐらい。ケチな外づけハードディスクをかっても600メガで10万円近くしたと思う。通信費に至っては、毎月3万円も支払っているなどという恐ろしい猛者が、オフ会にはごろごろいた。投資に見合った、その後の人生の岐路にあった連中は、なにかの理由でニフティーサーブなどではスタッフメンバーに潜り込んでいた若者が多かったのではないだろうか。(シスオペsystem operatorなどと呼称されていた。)理由は、圧倒的に品質のよい情報のフローを浴びるように活用でき、人脈のコアな部分に囲まれて、しかもニィフティーサーブからその月度課金を免除されていたからだ。彼らの中から、日本アメリカ同時上場を果たした少壮社長らが輩出されてゆく。他ならぬ、新発想ビジネスヒントフォーラムがそうだった。ただ、自分がまじかで眺めていての話。自身は、まともになんら目覚しい成果も示せずに貧しい体験談だけで恐縮なのだけれど、そんな時代の先取りをする人たちの血飛沫あげての疾走を茫然と眺めていたに過ぎない資格ではあるが、時代の変わり目に際しての巨大組織のど鈍さについて。ほかならぬニフティサーブなどからは、相当多くを学ばせて貰ったという気がする。潮目は、どこにあったのだろうか。ふりかえって思うに、自分は当時オフ会に登場する企業内の青年将校たちが一斉に「成果主義」について眼を輝かしていたのを忘れはしない。とりわけあの有名なF社である。宮沢りえにほだされて、もう少しでパソコンを買いそうになったけれども、当時アップルコンピューター利用者の群れに揺られて安逸だった自分は、それ故に冷静な眼でかれらの述べることを耳にできたように思う。オフ会への頻繁な参加を通じて印象したのは、通信利用者の内部での大きな際は、フリーラジカル(つまり、個人の発意での参加者)とシスオペを含む、いわゆるパペットたちの意識の劇的なほどの差だ。たとえば、自分などはとやかく言われようが通信利用の主たる目的はR&Dもしくはその先遣隊的な役務だっただろう。ひらたくいえば偵察行為だと思う。ところが、我々フリーラジカルは少数派で、彼ら大多数の参加者は組織内の刷新を目指さざるを得なかったがゆえに、彼らがもっとも本音を示す場合があったとしてもそれはせいぜい職群管理制度についてのディベートだったのである。↓クリックを強く推奨あれから、10年ほどの時間が過ぎた。いま、なんと彼らの組織ではそのような成果主義への熱い夢も理想をも語るものすら退潮し、もはやこの回復基調と称される景況の下またしてもその人事施策を主導し始めているものは、あの旧帝大系をはじめとする高偏差値ブランド大学の青田買い、そして事前を遥かに越える勢いの「超学歴社会」の再構築なのだという。理由は、さまざまにある。 すでに、社員3000人以上の企業の83%が成果主義による人事制度を導入しているという事態を通過しながら、なぜか定着することなく(2002年労務行政研究所調査)靜に成果主義は、ゴミ箱に追いやられ結果として組織をふたたび蔽ってゆくものが、学閥支配のさらなる徹底だ。実は、小泉や安倍を支持している諸兄らは、完全に見落としている。もしくは、知っていて語らない視点。まさしくアメリカが対日支配の完成を狙いすませて企業社会に向け徹底したアメリカ都合の「国際会計基準」なるものを無理強いのように押し付けてきた流れと到達点こそが、このでたらめで無造作な成果主義の破綻。その後につづく多くの対米ポチでかためた盲従者らの企業支配の深化だったのだ。以下の有名な図をご覧あれ。企業社会では、もはや従業員を育て訓導するなどという費用も支出も急降下。この図から読み解けるものとは、資本の論理というにもお粗末な。もやは太平洋戦争末期のカミカゼ攻撃並の使い捨ての嵐だ。労働費用(現金給与総額を含む)に占める教育訓練費の割合(厚生労働省調査)
2006年10月15日
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ヒャッキンで間違えて買った。いま流行りの重曹だが、しばらく眺めていて勿体無いので使った。調べるとなかなかいいものだ。都市部で流行っているのだろうか。なにしろあの百円均一ショップで間違って買ってしまうぐらいなのだから。もともと、この重曹は海で採取して合成されるものらしい。天然ものの輸入品もあるが、少し高価だ。しばらくは、この間違って買ったものをつかってみよう。とりあえずトイレ掃除と、ガラスコップ磨きにつかったが、なかなかすっきりと落ちる。(ゴミで捨てる1リットルぐらいのペットボトルに、大さじ2杯ぐらいいれてこれをさんざんシェイクする。それを、捨てるつもりだったスプレー洗剤のボトルにいれて吹き付けて使うのだ。とにかく、ケチケチつかっているほど世のため人のためになる。)汚れを落として流しから下水に流れるわけなのだが、ここから重曹水が活躍するらしい。河川を通じて、河口や沿岸部の清逸さを維持するのにも、重曹は機能するという。もしかしたらヘドロが少しづつ減るかもしれない。中性洗剤の使用量が結果として減るわけだから、マイナスがプラスに転じることも大きいだろう。都市部で流行る理由もわかるような気がする。もともと海の潮で合成するぐらいなので、まあ害がないし良質のものは食品に添加するベイキングパウダーなのだから、まあ害があるといってもすでに多少は食べている程度のものに目くじらたててもしかたがない。豪傑は、これで頭を洗っているらしい。自分は、さすがにそこまではつきあう気持ちがないが、洗濯には、洗剤代わりにつかってみた。夏場の汗を流すぐらいの洗濯ならば、洗剤に頼らなくてもいいと思う。大匙二杯ぐらいで洗えたと思う。猫を飼っている人は、多少とも匂いには悩まされるはずだ。猫のトイレに重曹を混ぜると匂いが減るという意見がある。だれか試してレポートして欲しいものだ。流行っている理由は、やはり消臭効果のようだ。じゅうたんにばら撒いて掃除機をかける人もいるらしい。突然のブームの惹起には、いつも驚かされる。しかし、以前から誰かがコツコツ仕掛けているのだろう。試したのは、自動車の中に重曹をばら撒いて翌日掃除機をかけるという奴。これは、結構はまる。うう、、、間違って買い物した100円で思ったより楽しめるものだな、と苦笑いした。予想よりは匂いが取れていた。最近では、この重曹の使いこなしの道具にまでこだわる人がいるらしい。なんだか、ほとんどカルトみたいだ、、、重曹 wikipediaから分解しやすい性質から、食品添加物のふくらし粉として調理に使われる。口中で炭酸ガスを発生させるソーダ飴などには粉末で封入される。ワラビなどの山菜のアク抜き、松の実などの臭み取り、冷凍エビの食感改善などにも使うことができる。脱臭は、酸-アルカリの中和による脱臭ですので、酸性の臭いのみ脱臭します。冷蔵庫、排水口、生ごみ、下駄箱等でご使用いただくと効果がわかると思います。 膨らし粉は、加熱した時の分解によって、炭酸ガスを発生します。この炭酸ガスを生地が取り込むことにより膨らみます。ホットケーキ等で気泡が出るので分かるかと思います。反応式:2NaHCO3 → Na2CO3 + CO2+ H2O 研磨効果に関しては、粒子の硬度が新モース硬度で2.5程度ですので、汚れは落としても、モース硬度の高いステンレスや鉄といった材料などは傷はつけないという特徴があります。ただし、アルミや銅などの柔らかい金属は傷がつきますので注意してご使用ください。 鍋のこびりつき(焦付き)については、使い方として、お鍋に水を張り、重曹を入れて一煮立ちさせ、一晩おくと思うのですが、温度を上げることで上記反応式の反応が起こり、アルカリが強くなります(重曹のpH:8程度、Na2CO3のpH:11程度)。そのため、調理したものの油脂成分と一部鹸化反応が起こり、液の表面張力を低下させて焦付きと鍋の隙間に水が入りやすくなり、また焦げの繊維質を柔らかくしたりすることで取れやすくなります。 通常の汚れ落しの場合は、重曹は水に溶けるとNa+とHCO3- に解離します。HCO3-イオンが+(プラス)に帯電している汚れに付着し、汚れのついている側も-(マイナス)に帯電させ、汚れを引き離します。 煮豆に使用すると早く柔らかくなるのは、お豆のタンパク質を溶解させ、水を吸いやすくします。また、アルカリの作用で繊維を軟化させます。 銀のお手入れに重曹を使うと、くすみがきれいに取れます。銀のくすみは、銀表面が空気中にわずかに存在する硫化水素(H2S)と反応して硫化銀(Ag2S)になったものです。これをとるためにアルミ箔を敷いた容器の中に重曹とお湯(沸騰直前の)を入れ、その中に銀(Ag)製品を浸けます。なぜアルミ(Al)箔を使うかといいますと、AlとAgは起電力の差が大きく、重曹は電解質ですので、一種の電池を形成します。ここで電子がAlからAg2Sへ移動しますので、Ag2SはSを手放して、元のAgへ戻ります。こうして銀表面はAg2Sによるくすみが取れ、もとの奇麗な表面へ戻ります。↓クリックで動画解説へ
2006年10月14日
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ムハマッド・ユヌス Muhammad Yunus を知ったのはNHK教育テレビだった。彼の父親は、宝石商だったが、母親はまずしい人たちに優しく接し幼いユヌス少年は、幼いころから心優しい人だったのだろう。大学を卒業し、大学で経済学講師をつとめながらフルブライト留学生として渡米している。 経済学の博士号を取得し、中央テネシー州立大学経済学部助教授に就任もした。しかし、貧困についての思いは、マルクス経済学への傾倒も少壮学者にもたらしていたようだ。それは、いってみればある種の理想主義という風にも考えられる西欧近代流儀のアプローチを使えば、あらゆる問題に対処できるだろうと考えていた。かつての青年マルクスが、そうであったように。日本では、全共闘やっていた連中が一斉に企業社会へ逃げ隠れしたおなじ時代に、彼はバングラディッシュに戻る。ここで日本の団塊世代のオヤジと決定的に違うのは、自国の貧困を直視せざるを得なかったことだ。日本の新左翼が、猪口才にも爆弾を投げて実現しよう、毛沢東に学んで銃砲を手に入れようなどと短絡したのとは、大違いでユヌス先生は、歩く。いや、文字どうり歩くわけだ。1974年、バングラディッシュでは、大飢饉だ。 あのダッカ日航機ハイジャック事件の舞台となった、バングラディッシュは、日本赤軍が、福田赳夫総理大臣からまんまと16億円をせしめた上に、、赤軍派幹部や連続企業爆破事件の犯人たちをリリースし、世界中から物笑いのタネになった。極左テロに屈しただけではなく、持参金をつけてしまったのだ。これは飢饉の3年後の話。このハイジャック事件の渦中で、クーデターがおきるというぐらいこの国の世情は騒然としていた。これはサラリーマン若葉マークのわたしにもはっきりと記憶がある。 1972年、バングラデシュは烈しい独立運動をへていた。鼓舞されたユヌス先生は母国へ。そして、貧困の現状をみて歩いた。歩いた。ある日、ある村で3人の子持ちの女性とであったという。ユヌス先生は、その女性は、NHK教育でも伝えていたが竹細工で生計を立てていたらしい。しかし、材料費に苦しみ、利回りは悪い。理由を聞けば、現地の貸し金から材料費を調達しているのだという。それでは、稼ぎが手元に残らないだろう。貸し金のために、働いているようなものだ。それでは、貸し金から離脱して、元手にどれぐらい必要なのか、と問いただした。彼女の一日、稼ぎは日本円で3円弱だったらしい。ほとんどが、貸し金へ行ってしまう。ユヌス先生は、呆れた。そこで手配して、調べたところが、その女性と同じ環境にある世帯が、40ほど地域にあって一世帯1ドル未満。総額で30ドル以下の金員を借金して、貧困にあえいでいることに気づいた。赤軍派が、のちに16億円もの規模で日本政府からまきあげたその地で、ユヌス先生はわずか3000円を貸してやれば40世帯が、救われるということに気づいたのである。銃や爆弾に眼が眩んだ日本のマルクスボーイたちとは違い、バングラディッシュのマルクスボーイは、金貸しに大きく路線をとることになる。これがあの世界的に有名な、グラミン銀行の萌芽である。実は、グラミン銀行は儲けている。慈善事業など、とんでもない。バングラディッシュでは、女性だけに携帯電話を貸すという企業を傘下にいれ、高い収益を誇っているらしい。彼は、知ってか知らずか、韓国の頼母子講のような地域の相互監視制度を積極的にオルグして、無担保無保証で小額融資を実行するという高度な資本主義的センスをふくんだビジネスモデルを発明したのだと言われている。お金をあげること、慈善を行うことはむしろ貧困に追いやるという犯罪だという。小額融資を実行すれば、確実に貧困から離脱してゆくし、グラミン銀行は、ますます儲けている。最近では、このビジネスモデルに巨大な投資先も次々に登場するというほどの秀逸さだ。日本からも、第九回日経アジア賞(2004年)に輝いている。そして、本日10月13日、ノルウェーのノーベル賞委員会は13日、2006年のノーベル平和賞をバングラデシュの貧困層への金融支援を実施したグラミン銀行と同行のムハメド・ユヌス総裁の双方に授与すると発表した。やむにやまれぬ思いで貧しい家庭を訪問して歩いた。この中で竹細工の制作、販売で生計を立てていた女性グループに出会い、ポケットマネーで「材料費27ドル(約3000円)」を貸したことが出発点となった。わずかな材料費を高利貸しに頼るため売り上げが手元に残らず、家族で1日一度の食事を取ることもまままらなかった彼女たちは、無担保、無利子の27ドルに「狂喜した」。 「担保がない貧困層に融資はできない」と冷淡な民間銀行に失望したユヌス氏は「身銭を切る覚悟で」貧困層の保証人にもなったが全額が返済された。2年をかけ100村以上で同様の形式を試したが、貸し倒れはなかった。「自分で弱者のための銀行を作る方が早い」と自信を得て83年、グラミン銀行を発足させた。システムは民間銀行とはまるで違った。借り手は数人一組のグループを編成、工芸や畜産など生業の収益を踏まえて作った各自の返済計画をグループ内で話し合う。銀行の各支店は定期的に借り手グループの住む地域を訪ねて集会を開き、借り手はそこで返済事務をし、返済計画の説明もるという仕組みだ。 ユヌス氏は「富める者ほど大きな担保をかけて多くのカネを借り、融資を受けられない貧しい者は永遠に貧しいまま、という論理は金融のアパルトヘイトだ」と力説する。既存の金融機関が避けがちだった女性をあえて融資対象の中心に据えたのも特徴だ。 男性社会の感情的な反発もあり、風当たりは強かった。「『借り手に臓器移植による早期返済を勧めている』という事実無根の中傷や『革命に立ち上がるべき貧困層を無用に支援して骨抜きにした』との非難も受けた」。だがユヌス氏は一切反論をしなかった。行内にも「議論で勝つことに意味はない」と言い続けた。 実績追求の信念通り、グラミン銀行は設立以来9割以上の返済率を維持。現在は借り手320万人、融資総額42億ドル、返済率98%に達した。住環境や衣料などから独自に策定した貧困ラインで判断すると「借り手の46%は貧困層から脱却した」という。このシステムはアーカンソー州知事時代のクリントン前米大統領によってシカゴに導入されたのをはじめ、60カ国以上で採用。「実績」は世界が認めるところとなった。 「趣味と呼べるものはまったくない」。貧困撲滅と、その手段としてのマイクロ・クレジットにすべてをささげてきた人生の最終目標は「世界の貧困人口を2015年までに半減する」ことだ。(アジア部 吉野蔵一)私たちはみなそれぞれ内側に隠されたものを持っている。 それを捜し求める機会が十分にないだけなのだ。 自分の可能性限界まで試すことができる環境を作り上げない限り、私たちが自分の内側にあるべきものに気づくことは決してないだろう。 しかし、どこかへ行くかは1人ひとりの人間が責任をもって決定しなければならないことである。 私たちはこの星の航海士や水先案内人のようなものだ。 その自らの役割を真剣に考えるならば、私たちは前もって決めておいた目的地に向かって進むしかないのだ。 ―ムハマド・ユヌス―
2006年10月13日
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↑クリックなんで三島由紀夫の振る舞いが、遅いの早すぎるのという議論にまみれることなどあろうか。三島で、最初に読んだのは「潮騒」だと思っていた。妙にサービス精神の旺盛な人物で、貸本屋の棚にすらお似合いな「不道徳教育講座」のような週刊誌連載向きのものまで手厚く揃えている不思議な作家だ。彼の周囲は、謎めいている、などと言うともっとも喜ぶのは他ならぬ三島由紀夫その人であって私見ながら彼は、意外なほどシンプルな気がする。いや、そのように極私的に読んでしまうのが自分の流儀なのだけれど、なぜかそのような極私的な読み方をする読者が、ほんとうは彼はもっとも好んだのではないかと自分は思っている。作家の浅田次郎が、三島由紀夫に恋焦がれて生涯でただ一度だけ遭遇した時に悔しい思いをしたと記していた。彼の悔しい思いは、よく分かる。であった瞬間に、なんということだろう。運命の悪戯で、手に山ほど三島由紀夫の著作を持っていたのだそうだ。なんという不運なことだろう。浅田がいうには完全な偶然だったらしい。しかし、最愛の作家三島由紀夫が、浅田と眼線をかわした瞬間に、三島は思い切り顔をしかめたのだという。なんという不幸な、浅田次郎。この一点だけで、自分は浅田を大好きになった。自分ならば、ぜったいにそんな不幸な憂き目にはあいたくない。そんなこんなで、三島の著作にふれたのは15ぐらいだったのだろうか。いまや三島の没年を遥かに通りこして、十年ぐらい自分より若い三島のハラキリを繰り返し眺めなければならなかったりする。これもなかなか面映い気持ちだ。浅田が言うように、あの当時70年代以前、三島は知的な世界のひとつのアイドルだったのだろう。まちがっても、三島由紀夫を政治的なシンボルだなどと思っている奴は、当時の三島由紀夫愛読者の中に、まずいないと確信している。いまの年齢になって、ますます確信するのはあの三島由紀夫が、ど鈍い右翼主義者で完結する筈がない、との思いだ。彼は、必死になってキザを研究する。思いっきりキザを実現できさえするのならどのような努力をも惜しまない。この画像をクリックしてご覧になられればいい。世間では、まったく話題にもならなかったが、彼は世間の耳目に晒されないところで猛烈な努力を重ねていた人なのだ。しかし、間違ってもその努力の片鱗をわずかも人に見せたいなどとは思わなかったに違いない。いかに欠点や、あらを人前で示さずに、演じきろうと作為でかためて気苦労は多かったのではないかといつも思った。彼が、時代に先んじていたとか、時代が後から追いかけたなどという月並みな解釈は、まるで的はずれだ。彼は、生涯極私的で、あって徹底して極私的だったと自分は思う。極私的であることの極限のすがたを突き詰めることに一切躊躇なかったゆえに、多くのファンから偏愛されているのだ。「豊穣の海」とは、三島由紀夫のその極私的イメージの奔流、豊穣さということに尽きるのではないか。
2006年10月13日
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↑クリックこの日記の特徴で、比較的お目玉だと思っていた豊富なリンク提案なのだが、調べるとどうやら滅多にクリックもされておらず読まれてもいないのがわかってきた。先日、たまたま亞さんが3ヶ月も前のリンク先を問いただされるなどという光栄な(迷惑な)事件があったが、このような事例は極めてまれのようだ。こと、この日記については見事に内容ごと持ち去って、好きに晒すという流儀が定着をしているようで、典型が たまゆら1/f氏だ。このあいだのカーティス・ルメイの一頁を丸ごとどこかのWEBでコピペしているらしい。豪快な、パクり屋であるがこれがWEB生活というものなのだ、という流儀らしい。(たまゆら1/f氏にいたっては、ここで表示されていたものと寸分同じ内容でカーティス・ルメイの回のそれを自分のサイトで堂々と たまゆら1/f氏自身のミラーサイトのコンテンツにしてしまっている。たぶん、3年以内にCIAに暗殺されるだろう。)しかし、みつけてきたリンク先をみんなが好き勝手に利用するって、結構愉快だったりする。江戸時代の長屋暮らしで、味噌塩醤油の貸し借りしていたようなものだ。もともと自分がつくったものでなし、さっさと情報なと、絵なと、知恵なともっていっちまえというぐらいのものである。これが自分の娘だったりなどすると、そうは行かない。さて、冗談はともかくたまには読者諸兄に真剣に読んでいただきたいリンク先もある。最上段の画像をクリックし、できればプリンターで刷り精読して欲しいと思う。みな、物忘れがひどいが人類はすでに戦後絶滅の危機を何度も通過している。涼しい顔して忘れているだけだ。もしくは、憶えてもいないのだろう。自分は、おかげさまで肌に粟さすほど記憶力が一部だけ鋭敏なのだ。自分自身が、2歳と5歳で死に掛けたことが前提にあるからだろう。一度死に掛けて、助かってみられよ。わたしと同じようなセンスになると思う。さて、おたちあい。日本政府は、ついこのあいだの9月5日、わが国が昨年2005年末の純日本国産の分離済みプルトニウム保有量を約43.8トンとする新しいデータを発表したんだ。(怖いのは一時保管を海外に託している形式をとっているがブーメランしてくるものが37.852トン。現状日本国内で保有しているものが 国内5.923トン)。どうだ、たまゆら1/f氏のブログをひっくりかえしてもこういう数字は出ては来ないぞ。怖い怖い計算をする人たちがいる。あの有名な国際原子力機関(IAEA)のスポークスマンだ。あの広瀬隆によれば、ユダヤ人の多国籍謀略団体みたいに読めちまうが、とりあえず世界の核燃料の大きな元締めであることは間違いない。日本からも相当役員を送り込んでいる。ここが言うには、ほぼ8キログラムのプルトニウムを在庫表から見失ったら、闇で核兵器が1発つくれるという見解があるそうだ。これを、小学生にもどって無邪気に割り算してみようではないか。43.8トンは、1000かけて43、800キログラムだよな。これを8で割ればどうなる。うん、、、、なんと、日本製核兵器弾頭が、ざざざっと5400から5500発も作れてしまうのだ。腹をくくれば、日本だけでも世界中を皆殺しにするのは朝飯前ぐらいの規模なのだと思い知ろう。↓これが、世界史上最悪の猛毒物質のひとつ プルトニウムのインゴット 不適正に扱われるならば非常に危険であることを否定する者はいない。
2006年10月12日
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8年前、日本長期信用銀行は経営危機が過剰報道され、株価が急落して窮地に陥った。わずか10億円で買い取って経営権を引き継いだのは、米投資会社リップルウッド・ホールディングス。7兆9000億円の国費が投じられる一方、新生銀行として上場を果たし、売却益2300億円を労せずして手にした。「ノーパンしゃぶしゃぶ」に象徴される金融不祥事が話題になった。都市銀行の担当者が旧大蔵省金融証券検査官を接待していたことを問題にしたものである。総額わずか290万円の接待費に目くじらを立てたことが「金融ビッグバン」をもたらし、1200兆円にも及ぶ国民の預金を「はげたかファンド」に開くことになった。 どの新聞も今に至るまで、「年次改革要望書」の文字を一切載せていない。 植草一秀教授は8月、りそな救済に絡む竹中平蔵のインサイダー疑惑を指摘したが、マスコミは完全に無視している。高橋清隆(川崎市在住) スネ夫的ジャーナリズムのまん延 2006.10.3 先日「テレビや新聞に騙される」とふれた。騙されるだけではなく常に仕掛けられていると踏んで間違いはないと思っている。最近、新聞やテレビは、極力見ない読まないよう心掛けている。たまに読むと新鮮な気持ちで読めるというものだ。あのカリスマディトレーダーのBNF氏だって、証券会社の講演会やら株式新聞、雑誌のたぐいは四季報すら一切見ないと断言しているそうだ。なんという衝撃的な発言だろう。書店につんである株式投資入門のたぐいを、まったく読まないというのだ。わずか5年ものあいだに、お年玉とアルバイトで貯めた160万円だかを、120億円もの個人資産に積み上げて、高級車も買ってあるけれどもすべて両親が使うだけで、乗ったこともなく自分はサンダルばきで散歩しかしない、というのも尋常なストイシズムではない。良い悪いではなく、いかにメディアにわれわれがふりまわされ影響され騙されるのか、という証左。生き証人の一人というべきだろう。自分のニッチな、しけた特許だってメーカーが電話口でバカにして、「そんなもの成り立ちません」などとツッパリどころか、罵倒されたものだ。ようやく実施例ができました、と電話したらそんなもの出来るはずがない、と詐欺師扱いだった。加えて、教科書につくれませんと書いてあるのだ、と説教までされた。のちに挨拶に言ったら、実験とはいえ競合会社の材料で実験したと改めて面罵されて、キレた。日本の企業は、概してアホと度し難い保身癖分裂病患者の群れだと思う。日亜化学の元研究員、中村修ニ氏は、背中に自分の会社というどうしようもない敵をかかえまた一方では、正面にも敵をみいだして慨嘆の連続だったという。実験機器ひとつ手にいれるのにも、またまた権威主義的な頑迷固陋な敵ばかりだということに気づいたという。予算があれば、スルスルと実験機器など購入できると思っている人がいればそれは、おめでたい。あの天下の中村修ニ先生が、日本でトップシェアの日亜化学の研究員として実験機器メーカーにカタログを送付依頼したときに、「半導体の開発を徳島でやる?どこのメーカー系列なの?」と、舐めた口を利かれたそうだ。徳島県で、半導体の開発する権利はない、とでも言いそうな勢いだったらしい。徳島県民は、なんちゃら同盟にだけ糾弾闘争を専売させておかず、竹やりをもって東京の実験器具メーカーに殴りこみをかけるべきではないか。地域差別もきわまれりというものだ。いや、大阪にいてさえ感じたものだが、東京で接待受けてノーパンしゃぶしゃぶを啜っていられるのが、そんなに偉いのかといいたくもなる。(これは、本当の話で公的機関に外部委託試験などを行えば、企業のスパイが白衣をきて坐っている。府や県の職員だと思ったら大間違いで、なんと日本の大手企業の忍者だったりする。実は、自治体の職員ですら、企業の研究職と通じている。一方で、このようにハイテク検査機器は、入手すること自体が、ひとつの利権だったりしそうな風景なのだ。)中村修ニ研究員が、「いや、当社で独自に開発しています」と、述べると電話口で無言になるのだという。これも分かる。経験したことのない者には、理解できないだろう。こんなことは天下の中村修ニでなくても、日本の研究開発型ベンチャー事業者は、みな経験済みだ。しかも、2度とカタログなど送られてこない。そう中村先生が、憤懣を著書で述べていた。いつも日本の社会の「横並び意識」を、罵倒しているがこれは尋常ならざる由々しき問題なのだ。東京の中央官庁に巣食っているキャリア官僚には、到底理解できないだろう。非関税障壁などアメリカに対していくらでも積み上げてくれて結構だが、刃を日本の有為な開発者に浴びせかけてくる社会構造は、安倍晋三のようなポチ本家世継ぎお坊ちゃま内閣で改善できる筈がない。「再チャレンジ」以前に、チャレンジできるような経済社会なのか、体感で理解も疎通もしていない安倍晋三の制度いじり。実態に届きもせず、児戯に終わるのは自明だと思う。検査機器の一例をみても、日本の行政ごと根こそぎ引き倒せぬまま、再チャレンジなどありえないと言うことはご理解いただけるだろう。自分は、しゃぶしゃぶでキャリア官僚が接待されようが、はては知らぬ顔で中央官庁の事務次官に登りつめようが一向に気にならない。ストリップ小屋で接待されようが、秋葉原の萌え系のコスプレ喫茶で常連だろうが、こちらは知ったことではない。なぜに、これほど怒りが湧いているのかが、まったく理解ができないらしい。そのような手合いが、中小企業庁や経済産業省にゴロゴロいるというのがつくづく許せない。彼らは、まんまとノーパンしゃぶしゃぶに出歩いて新潮社がフォーカスで暴露すれば平気で国税だのマルサだのを突っ込み平然と叩きまくるという神経を持ち合わせているにもかかわらず、しゃぶしゃぶ接待のリストをCIAがインターネットでばらまいた瞬間には、借りてきた猫のように尻尾をまき、まんまと国民の公共財でもある、大手銀行をユダヤ資本に叩き売るという不甲斐なき徒輩であることが許せないのだ。この連中の頭上にこそ、テポドンでもノドンでもまっさきにぶち込んで貰いたいものだ。
2006年10月12日
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ワープロやパソコンが、登場して以来相当人生のスタイルが変わったと思う。パソコン普及のおかげで、自宅で120億円も稼いでしまったニートもいるのだが、いってみればそれほど大きな変化が個人に生じて不思議はない。自分は、金儲けとはまったく疎遠で生きている。理由は、アホなせいもあるが、金儲けとこの地球破壊に数的な相関があると達観してしまったために、まったく意欲が湧かないということも嘘ではない。個人の内面における事実としてはある。儲けたい理由のある人は、殺人行為を犯してでも金を集めることだろう。自分は、他者の命を啜ってまで長生きしたいとは思わない。それだけの違いだ。↑クリック ついでに最上段の画像もクリックね焦っても仕方がない。人類は、あと2百年も持つかどうか怪しいものだ。この地球の歴史からすれば、ゆで卵を3分ゆでて食べるか、5分かけるかぐらいの違いだろ。ちなみに新鮮な卵は、圧力なべでボイルするとキレイにむける。取れたての卵は、内部に炭酸ガスが充満しているために、沸騰したときに薄皮を卵に圧着してしまうのだ。圧力なべを使えばこのガス圧が平衡して、むけにくい卵が簡単にむけるようになる。パソコンの登場のおかげで人類の、滅亡は早くなるだろう。なんにしても、高い効率というものはやはりライフサイクルを直撃する。われわれが数千年もかけて知った世界と自然の真実は、手足を用いて全身で受け止めるべきだったのだ。これをさも、したり顔で毎日インターフェースで尨大な規模を飽食しているのだから、頭だけがデカくなるのは避け難い。まして、「脳は疲労しない臓器だ」と、生理学者は喝破してしまった。となれば、疲弊するのは天然、自然、地球環境のほうだ。だれが考えてもあと、2百年持てば良いほうだろう。↓クリックしても虚しいかも。
2006年10月11日
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[社会] 中国、東北虎 620頭を中朝国境地帯で放し飼い準備 絶滅危機の東北虎個体数保護のため 中国は現在、絶滅の危機に瀕している '東北虎'の個体数保護のため、人工飼育している 620頭余りを野生の状態で生存するように訓練を経て放し飼いにする計画だ。 東北虎人工飼育団地の関係者は “黒龍江省ハルピン市で飼育されている東北虎は、野生生存訓練を受けた後、 中国と北朝鮮の国境地帯 15haの森林に放し飼いにする計画だ” とし “これに先立ち、 4年前から生存訓練を行った東北虎 12頭が試験的に放し飼いにされ、そのうち 10頭は再び飼育場に帰って来た状況だ”と述べた。 黒龍江省野生動物研究所・孫海義 所長など東北虎の専門家たちは “野生資源の無分別な開発によって虎が棲息できる環境が破壊され、大っぴらに密猟が行われているなど、生息環境が整わない状況で放し飼いにする場合、 現在の計画は水泡に帰すことになりかねない"と警告した。また "放し飼いにされた東北虎は、棲息地での孤立によって個体数の急減はもちろん、絶滅する可能性もあり、虎の繁殖に相応しい環境構築のために政府次元で支援が行われなければならない”と指摘した。 現在、世界全体的に虎の個体数は去る 1990年代の 10万頭に比べて大きく減少した最小 5~7千頭と推定されている。 東北虎は中国東北、ロシア南部、 北朝鮮などで棲息しており、環境破壊と密猟などで現在、絶滅危機の動物に分類されて保護されている。 (オンバオ ハン・ソンフン記者 2006年9月26日) もしかして、長谷川慶太郎がいっていた人民解放軍の10個師団ちゃら、なんちゃらはこの虎の放し飼いのことだったのか?まさか脱北者を、虎のエサがわりにするつもりなのか?なんだか、トンでも本読んでいるみたいな気分だ。
2006年10月11日
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2006年10月11日
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勲一等旭日大綬章を授与されたカーチスルメイCurtis Emerson LeMay勲一等旭日大綬章カーチスルメイに勲一等旭日大綬章を授与した人々第61代第1次佐藤内閣-昭和39年11月9日成立内閣総理大臣 佐藤榮作---------☆法務大臣 高橋 等外務大臣 椎名悦三郎大蔵大臣 田中角榮---------☆文部大臣 愛知揆一*厚生大臣 神田 博農林大臣 赤城宗徳通商産業大臣 櫻内義雄運輸大臣 松浦周太郎郵政大臣 徳安實蔵労働大臣 石田博英建設大臣 小山長規*自治大臣 吉武惠一*内閣官房長官 橋本登美三郎総理府総務長官[昭40.5.19 国務大臣制] 臼井莊一近畿圏整備長官 小山長規*国家公安委員会委員長 吉武惠一*首都圏整備委員会委員長 小山長規*行政管理庁長官 増原惠吉*北海道開発庁長官 増原惠吉*防衛庁長官 小泉純也------------☆経済企画庁長官 高橋 衞科学技術庁長官 愛知揆一*国務大臣 河野一郎------------☆内閣法制局長官 高辻正己内閣官房副長官 竹下 登------------☆内閣官房副長官 石岡 實総理府総務副長官 古屋 亨東京大空襲で殺された人々
2006年10月10日
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やることが凄いが、口もでかいというので知られたあの中村修二カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授である。聞けば、徳島の日亜化学は人の紹介で入社。なんと事前に京セラから内定通知を貰っていたのだそうだ。面接試験で、すでに持論の「日本の大学受験は全廃するべし」と演説してあの稲盛和夫を前に口から泡をふくほど持論をぶったらしい。それを靜に黙って聞いていた稲盛が内定通知をだした。応募しておいて、直前で蹴る。どうも都会ぐらしを不安に思ってのことらしい。師匠に相談したら、師匠の交際には日亜化学しかなかった、ということらしい。そこまで届いておりながら、日本的風景に「最適化」しちまったのは、中村修二の不覚というものだが、当時すでに日本の大学受験を全廃すべきという持論を稲盛和夫に述べていたというもの。日亜化学といえば、協和発酵の元でストレプトマイシンの製造。薬害を社会にばらまき、聴覚障害者を量産したメーカーで、それに反省して診断薬として蛍光に眼をつけたということだ。ユニークな転戦で成功した地方企業だが、やはり地方に「最適化」する流れで日本的風景にはどっぷりつかっているのだろうと推量する。全社的には知らないが、窓口の人間にはロクなものがいないのは、経験的に知っている。「日本は警察官僚の天下り先が電球型信号機の利権を押さえているので、開発国でありながらLEDがなかなか普及しない。その点、市場メカニズムが機能するこちらはやることが本当に早い。官僚機構が独占する利権構造にメスを入れない限り、日本はあらゆる点で後れを取るばかりですよ」と、断言する中村修二教授の述べるところは、実は心ある日本人が、みな思っているところだ。メスをいれるどころか、唯諾々とその機構に従いむしろ補強したのが団塊の世代の本質だ。筒井康隆先生ではないが、団塊の世代が殺し合いでもして日本から消えてくれればさぞアメリカの中村修二教授は大喜びだろう。世界の主流が、セレン化亜鉛の時代。研究の続行を会社代表みずから抑圧しておいて、その記録文書も残っている日亜化学が裁判で勝訴してしまうという国だ。一人孤塁を守り、企業外に一切論文発表を許さないという社内にありながら、窒素ガリウムという難加工材でブレークスルーさせた、中村修二は、日本の人的資産のなかでも第一級だと思われるが、日本の親米ポチでかためられた官僚機構は、まんまとアメリカへ頭脳流出させてしまう。日亜化学というのも、ほんとうに正体が分からない。幸運にも自社に舞い降りた狂気の人を、うまく使いこなすこともできず、終始行動を抑圧し、研究に中止命令まで文書で残すというような真似をしておきながら、中村の手厚い特許で後発の豊田合成に訴訟を連打する。それならそれで、中村を大切にするのかと思いきや、御承知のとうり中村をも提訴して、ついに日本の司法の壁をたてに発明者中村に勝訴したのである。あいもかわらぬ日本的風景だが、これには明治以来かわらぬ「淵源」があるのだ。明治期に、帝国議会に「東京帝国大学に次ぐ第二の大学を創設する」という議案が国会を通された。ひとつは、関西につくる。ふたつは、その規模を東京帝国大学の三分の二とするという二点だ。これは中央集権を確立するという明治新政府の当時の情勢から考慮された議案で、以下この骨格で日本中の国公立大学が組織化されて今に至る。たまゆら1/f氏に、その話をしたがあまりピンとこなかったらしい。これがピンとこなければ、日本の企業社会でまともな営業などできないということも、哀しい現実だ。つねに、予算額と教員数を比較すると、現在に至るまで京大は、東大の三分の二の制約下におき、旧帝大の序列を親米ポチが牛耳れるように機構的配慮がなされているのだ。当然、名古屋大学は、京都大学の三分の二というプロポーションにされてしまう。この陳腐きわまりない「盲腸」がわが国でこっぱ役人と高級官僚主導で自己都合な裁量と利権で埋め尽くされ、政官業のあまねく。企業社会の隅々までに貫徹し、はてはまんまとヤクザが乗り込んで支離滅裂ニッポンを演出しているのである。
2006年10月10日
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「メトロポリタン美術館」大貫妙子作詞・作曲大理石の 台の上で天使の像 ささやいた夜になると ここは冷える君の服を 貸してくれる?タイムトラベルは 楽しメトロポリタン ミュージアム赤い靴下で よければかたっぽあげるエジプトでは ファラオ眠る石の布団に くるまって呼んでみても 五千年の夢を今も 見続けてるタイムトラベルは 楽しメトロポリタン ミュージアム目覚し時計 ここにかけておくからヴァイオリンのケーストランペットのケーストランク代わりにして出発だ!タイムトラベルは 楽しメトロポリタン ミュージアム大好きな絵の中に閉じ込められた↓クリック↑クリック
2006年10月10日
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教えてください 以前にシャルドネさんの日記で軍事用の部品を製造輸出している日本企業の一覧を見たのですが、何時の日記でしたでしょうか?何度も探したのですが、見つからないので教えてください。 【亞】さん (2006/10/09 09:51:20 PM) うええ、、、凄い リクエストがきちゃうな。いや、私の楽天ブログは真剣に読んでいるのは実態でほんとに女性だけなんですよね。情けないけれど、、、(笑)たまゆら1/f氏みたいに、秒速でネタぱくって自分ちのブログで展開するのもリンカーLinker としては面目で(Thinker というわけではないので)痛くも痒くもないしおおいに結構なのですが、熱心に読んでいただいてリンク先を再現て欲しいといわれるのも結構辛かったりいたします。ああ、たぶんテポドンネタでしたよね。でもねえ、 【亞】さん。わたしのこの日記は、どうも思想的変質者風とGoogleからマークされているみたいで、あの勲一等カーティスルメイ将軍を数年もまえから間歇的に話題にしていますが、Googleではなんと500位以下に抹殺されているんです。グーグルキャッチで調べたら、3年間に20回ぐらいはカーティスルメイを罵倒している筈なのに、一切でてこないんですね。これって、検索エンジンから明らかに反米屋として意図してハミゴにされている証拠でしょう。というわけで、自分の書いたブログですがgoogleでお調べすることができない、いや出来るのですが新発想ビジネスヒントフォーラムは検索で妙にひっかからないんですよ。お調べするのが相当大変だということだけはご理解ください。などと、たっぷり恩着せがましく、、、、、以下をご精読いただければ幸いです。最後のコメントは、【亞】さん に向けてのものです。(しかし、3ヶ月も前のネタくりするとは思わなかった。)2006/07/10 滋賀県新知事の裁量だのみ 2005/03/10 勲一等旭日大綬章
2006年10月10日
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2006年10月07日 中国、北鮮占領準備完了 夕べ来た最新の長谷川慶太郎ニュースレターによると、中国は、北朝鮮との国境地帯である鴨緑江北岸に人民解放軍10個師団の配備を完了したという。そして北朝鮮による核実験が行われるや否や、国境を越えて侵攻して金正日政権を打倒して新政府を樹立する腹だという。そのためのお墨付きを、日本を通して米国からもらい、かつ、事後に日本の援護を得ることで、中国に対する国際世論の批判をかわしたいというのが、コキントウの気持ちであり、そのための最終確認が、近々行われる日中日韓首脳会談の議題だという。だから、靖国のやの字も出てきていないという。北朝鮮の核実験で一番追い詰められたのは、中国と韓国なのだ。米国もクリントンの時手ひどく騙されて、軽水炉二基の建設と重油の提供をさせられたのだが、その間も金正日は秘密裏に核開発をしてきたのだ。蘇る金狼氏の楽天ブログによれば、長谷川慶太郎氏が大胆な予測を呈しているらしい。これは、丁半バクチのような近未来予測だが、もう実験が行われてしまったのだから結論はまもなく誰の目にも見えるかたちになるだろう。
2006年10月09日
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『ル・モンド』2006年9月6日 「自由主義的ポピュリストの小泉は、不平等の増大させて消えていく」 フィリップ・ポン(Philippe Pons)/今井義雄訳 小泉純一郎が権力の座にいた5年半の間、人々は、物事の管理に表れる彼の個人的な衝動に注意を集中していたけれど、後任者問題が曖昧な雰囲気の中で始まった。ほとんど確実に、9月20日、水曜日に、衆議院で多数派の自由民主党は、安倍晋三を党首に選び、自動的に総理大臣にするのだろうが、小泉氏は、10年にわたる不況から脱出した国を残して舞台から去っていく。彼が後継者に遺産として残したものは、半世紀続いた国際的な舞台での内気さから抜け出した日本、今までになかったほどアメリカにベッタリな日本だ。 見かけは、収支決算は黒字だが、しかし、小泉氏は、彼自身が言うように、日本のガリレオだったのだろうか。経済においても、外交でも、どうなるか不確かだが、はっきりしていることは社会的不平等が増大したことと中国や韓国との政治関係の悪化したことだ。これらは立て直しが求められている。 小泉氏は、在任期間が3番目に長続きした首相だ。彼のポピュリズムは、日本人の間に政治に対する趣味を目覚めさせ、外国には、その国の政治家の地味な曖昧さとは異なった非典型的な面を見せた。しかし、スタイルの違いを無視すれば、彼は何をもたらしたのだろうか。彼の任期中の仕事を評価することは、人気の高さを考えると不敬だと控えられてきたが、この国の新聞はそんな疑問を出すようになった。経済界の日刊紙、日経新聞は「多くのことを約束したが、守られず、改革は未完済」と書いた。 プレスクラブ (2006年09月27日) 安倍首相の歴史認識は甘い立花隆氏講演(東京・外国特派員協会) ↑クリックから↑クリック↓クリック高橋清隆(川崎市在住) スネ夫的ジャーナリズムのまん延 2006.10.3 テレビのニュースや新聞には、そのときの一番の「悪者」がトップに踊る。これを見て腹を立てる人が多いが、わたしはやりきれない思い出で聞き流す。騒ぎ立てていい結果になった例を知らないし、そもそもマスコミが事態悪化を招いた例が多いからである。 8年前、日本長期信用銀行は経営危機が過剰報道され、株価が急落して窮地に陥った。わずか10億円で買い取って経営権を引き継いだのは、米投資会社リップルウッド・ホールディングス。7兆9000億円の国費が投じられる一方、新生銀行として上場を果たし、売却益2300億円を労せずして手にした。 「ノーパンしゃぶしゃぶ」に象徴される金融不祥事が話題になった。都市銀行の担当者が旧大蔵省金融証券検査官を接待していたことを問題にしたものである。総額わずか290万円の接待費に目くじらを立てたことが「金融ビッグバン」をもたらし、1200兆円にも及ぶ国民の預金を「はげたかファンド」に開くことになった。 鈴木宗男衆議院議員は「ムネオハウス」建設や外務省職員暴行などが報じられ、やまりんから500万円の献金を受けたとして逮捕された。国民から蛇蝎(だかつ)のように扱われたが、今になって北方領土返還の機運があったことが明らかになった。 日本道路公団の藤井治芳前総裁は財務諸表を隠したとして世論の反発を招き解任されたが、同公団は米国の要求どおり民営化した。 耐震偽装は検査の民間委託、エレベーターやプール事故は管理の民間委託で起こったことである。相も変わらずトップニュースにあげられる談合摘発は、「年次改革要望書」に一貫して明記されていることではないか。 小さなスキャンダルが大々的に報じられる一方、まともに扱われない事実がある。地方の医師不足の問題を取り上げるとき、背景にある医局制の廃止や診療報酬のマイナス改定に触れられることはない。商店街の衰退を扱うとき、原因である大店法廃止に言及したのを見たことがない。農業の自由化によって全国で5000の集落が消え、全国の過疎地比率は50%を超えたが、新聞は大規模法人化による成功事例を紹介するばかりである。 皇室滅亡の危機はGHQによる11宮家の廃絶によってもたらされたが、マスコミは皇族復帰を論外な主張として片付けている。どの新聞も今に至るまで、「年次改革要望書」の文字を一切載せていない。 植草一秀教授は8月、りそな救済に絡む竹中平蔵のインサイダー疑惑を指摘したが、マスコミは完全に無視している。
2006年10月09日
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▽衝撃…その時総理は…側近豪腕秘書官が見た孤独と非情と闘争の男▽25枚のスクープ写真が語る電撃訪朝の謎と闇▽密室舞台裏アニメ検証 小泉純一郎と、その秘書官飯島勲の礼賛番組がフジ系列で流れていた。見ていて笑えて来た。描かれていることは、嘘ではないかもしれない。いや、多分真実だろう。手のうちを開示するというのも、なかなかの老獪さだ。しかし、もっと大きな真実を隠すために開示される真実は虚偽に等しい。小泉の「権力」の源泉は、番組ではついに描かれてはいないが日本売りなのだ。アメリカに巨額の国富流出を約束しちまった、鮫の脳みその売国レールを見事に走ってみせた。やってのけた。これを糊塗する、手の内開示。所詮は自画自賛。筒井康隆描く「銀齢の果て」は、書かれた瞬間はいちSF作家の脳裏のファンタジーであった。しかし、これはもはや空想でも、ファンタジーでもない。これから日本の老人は、間違いなく筒井のファンタジーを具現化させられて、諍いと、喉斬りを強いられるのだ。そのような状況に追い込んだ張本人、それが小泉と飯島のコンビだったと早く気づくことだ。小泉秘書官飯島勲氏「感動の美談」に親戚が激怒! 飯島氏のプライベートな部分が出るのは意外と珍しいこと。当の親戚の言い分はともかく、ここで言うように「首相秘書官という立場にありながら、身内の人間を悪く言うのはいかがなものか」ってことなんだろう。飯島氏自らの著書「代議士秘書?」でもその人間性は出ちゃっていはいるが。 姉と妹がいて、両者とも知的障害者施設に居る、といわれる。弟は月給12万円の労働者らしい(これじゃ生活保護をもらった方がまし)さて、これらの情報から伺える人物像はどういったものになるでしょうか。 1)非常に向上心が強く、ある目的のためには、他を犠牲にしても邁進するといった、意志の強い人物である。2)しかし、窮迫している家族を見捨てて、単身上京するなど、冷酷な一面がある。この冷酷さが小泉と共通したのか、飯島の冷酷さが小泉に乗り移ったのか判らない。さて、飯島秘書官に向けられている疑惑は次のようなものです。 1)資産形成過程・・・・世田谷に豪邸をたてたり、2000万もの借金を、一度に返済したと言われる。更に外車を3台も4台も乗り回している。秘書給与だけで、このような資産が得られるのか。2)藤井道路公団元総裁に対し「片桐を転勤させるな」と電話したか。3)石原国交相が藤井元総裁に詰問したときに、藤元総裁がイニシャルで述べたというIとは飯島のことか。藤井元総裁は実名を挙げたともいわれる。 T・・・・竹下 A・・・・青木 I・・・・・飯島 N・・・・中川 K・・・・久間 この情報が週刊誌で流れたため、石原は慌てて、イニシャル発言が無かったとかなんとか、訳の分からない釈明をする羽目になったのだろう。飯島が道路公団疑惑に噛んでおれば(その可能性は極めて高いと考えている)、それは即ち小泉内閣の命取りになるからだ。
2006年10月08日
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おきにいりの脳物理学者でテレビ頻出な、茂木 健一郎先生だがなかなか面白い事を言う。老人になるとボケるものだと、世間では思われていて確かにボケるわけなのだが、自分のように子供の頃からボケているのもいるわけで、老人だけがボケるわけではなさそうだと長年思っていた。先生の言うには、老人が減退するのは「意欲」であって、脳機能ではないのだそうだ。老人は、むしろ記憶も脳のさまざまな集約度も高くなり人生最大の記憶編成力、そして脳そのものが「自発的に活動する臓器」であるという特性についても、若い時代より劣ることはないらしいので、意欲的な老人はむしろ老いてハイパー化すると考えてもいいのかもしれない。そういえば、数年前に読んだ糸井重里と脳生理学者の池谷裕二先生の対談集「海馬」のサブタイトルは、<脳は疲れない>というものだった。これもショッキングなコピーで、糸井の仕事が束になっても、こんな衝撃的なコピーにはなかなか遭遇できない。なんと我々の首の上にあるものは、一切疲労しない臓器なのだというわけだ。これは幼児だの老人だのと問わないものらしい。疲れたと思っているのは、脳ではなく眼なのだというのが池谷先生のご意見だ。なにせ東大理科一類に現役ではいり、その後も興味が湧いたと東大薬学部へトップで転入したという、伝説の秀才がいうのだから、本当なのだろう。長生きはするものだ、と思うわけだが笑えるのは最近病院でご老人が医師に向って、「わしは、長生きしたいと思っていない」と、訴える風景が増えているという風聞だ。虐待され、食べたいものを食べられず、注射づけ、薬づけされてバカらしくて長生きなどしてられるか、という事らしい。まあ、まもなく日本の金融資産は根こそぎアメリカに持って行かれるらしいし、またしても親米ポチの骨頂みたいなのが内閣総理大臣になった。年金は、破綻しているどころか自分らの時代には、出るのかどうかも怪しい。烈しく減額せねば、若い世代がやってられぬという説もある。海外からできるだけ貧困な方に大挙して日本に移民して貰い、競って子供でもつくって貰わないと間に合わない。ならば日本におろうが、海外で暮らそうが大差ない時代がやってくるわけだ。65歳を過ぎて、英語やスペイン語、中国語を学ばないといけないと言われても不思議はない。脳科学者は、大丈夫十分やれますと言っている。ついに70過ぎになった、あの鬼才筒井康隆がまたブッソウな作品を出して売れているそうだ。作品では、「老人相互処刑制度」(70歳以上の老人達に殺し合いをさせ、そのことで増えすぎた老人人口を調整する法律制度)が施行されういに2年も経過した日本。同制度は、ある地区が行政から指定されると地区内対象のすべての老人が、1か月の間に最後の1人になるまで互いに殺し合うことを義務付けている、などという。例によって例のごとくの仰天筒井ワールドの再現である。それが結局は、若者の負担を軽減し、国民年金制度を維持させ、少子化を相対的に解消させるという底抜け脱線な思想でできた法律が、早く死んでくれと囁きかけて日本の老人を揺さぶる。たしかに、脳の高次機能か低級機能かは存じ上げないが他者に向けての殲滅をも躊躇せぬ最大の生物的な徴表は、やはり攻撃性だろう。脳科学者らは「おすすめしませんが脳は相応にご期待に副えることでしょう」と、まあそういう意見らしい。そのように推量した。
2006年10月08日
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子供の頃から、自分の脳みそは少しおかしいと思ってきた。良いほうに「おかしけれ」ばまだしも、かなりレベルが低いという気がしたいくつかの点がある。劣等感が、あまりないので救いだが、ちょっと普通の人ならば落ち込むぐらい、注意欠格なのだ。少し古過ぎるかもしれないが刑事コロンボのボールペン探しを思い出していただきたい。脳だけではなく、生理でも血液検査をすれば極めてアレルギー反応が高いとの指摘がされる。蛋白が暴れた痕跡が血液ででてくるらしい。その値が尋常よりも遥かに逸脱して高い。それ以外に、身体的な特徴に、やはり平均値から抜けて、欠損とまではゆかないが相当ハンデと思われるような負荷がある。小さい時には、謎ばかりだった。ひとつづつ、それらの謎と折り合いをつけてそれぞれの特異性には、疎通がないことがわかった。しかし、これだけ一度にミョウチキリンな体感が押し寄せてくると、それらにはなんらかの疎通でもあるのではないか、と思ったりしたこともある。物忘れが酷いのは、相当小さい頃からで自分でも信じられないほど瞬間に意識が飛んでいる。最近、多重人格の実在することが示されるようになり、ついでにそのメカニズムまで一定解説されたりしてきた。はたまた、共感覚という特筆すべき能力者の存在についても繰り返し紹介がされはじめ、そのメカニズムも次第に解明されてきつつあるようだ。テレビで、味を触覚で感じ、色を聴覚で感じるなどという実在の人物をみて心底驚いた。彼らは、SFに登場するエスパー(超感覚知覚者)のようにも思えた。聞けば、10万人に1人程度の割当で発生するものらしい。ただ、あまりにも周囲の理解を得にくいので沈黙し、社会的に公知になりにくいものだったらしい。技能工や、触診で名をなすぐらいの整骨師とかは、もしかしたらそのような異能の才のかたがたが最適な職業選択した、などという事例なのかもしれない。科学の探求が、実に面白い。実は、彼らの能力は大脳辺縁系が起動した際に一様に眠ってしまう筈の人類固有の能力がなぜか抑圧できずに動いてしまうという症例なのだという。つまり、脳の基礎的な過程ではじつのところ誰もが同じような共感覚的に生きているものらしい。それが、あとで個別の感覚の象限で整理編成されてしまうものを、なぜかオリジナルなままで体感できてしまう人たちなのだという。・・・「共感覚者」すなわち、人の世のスーパーセンス保有者だ。つまり、異能というのはあまねく人間に付与されていた基礎的で原生的な神経インフラの基盤にねざしていたものが脳の高次機能によって編成され損ねたものだったのだ。これは驚いた。実は、先日自分のミスを冷静に観察したのだがなんと単純な直線的に数字を表記している過程でそれは起きた。平気で視覚的な刺激(ノイズ)にまじめに反応して作業の中に折り込んでしまう。平たくいえばアホなのだけれど、このアホをやらかす決定的瞬間を先日自分で目撃してしまった。整数を順番にノートしている流れで、突然自分がとんでもない数字を記入しているのを発見した。これはほんとうに仰天ものだった。朝で、頭もすっきりしているし、体調も悪くなく睡眠もたっぷりとった日の作業で、こんなことが起きるのだ。日常、なぜこんなに物忘れが酷いのかが、分かった気がした。たぶん眼球のどこかに飛び込んだ刺激が、脳の作業中の思惟に躊躇なく折り込まれてしまうのだろう。こんな酷い脳みそが、あって許されるのだろうかと腹がたつわけなのだが、よくよく考えれば原生的な生き物はたぶんみなこんな感じだったのだ。五感と呼ばれているものも、実は脳の高次機能によって編成された作為のエッセンスだということは銘記しておいて損はない。
2006年10月07日
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