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★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------うつっていいのは、笑顔だけ!ウィルスメールによる感染が流行っています。そういうものには、感染(伝染)したくないですね。さて、感染(伝染)したいものって、あるのかな?あるとしたら、何だろう?ふっと、そんなことを思いました。そしたらすぐに、「笑顔!」ということばが浮かんできました。笑うことについては、第13号(2003年11月13日発行)にも書いてます。「意味もなく、笑ってみる」という、アヤしいタイトルです。(笑)そこで、「笑いの伝染」というゲーム?を紹介しています。このところ、新聞やテレビを見ても、気持ちの重くなるようなニュースばかりが流れています。この国の将来はどうなってしまうのだろうと、正直、暗たんたる気持ちになることもあるのです。でも、そんないまだからこそ、笑顔を大切にしたい!笑顔は、ひとのこころをほっとさせます。明るくさせます。笑顔は、ひととひとのこころをつなぎます。笑顔があれば、それだけで、幸せ気分になっちゃいます。100利あって、1害なし! やっぱり笑顔は最高です!風邪対策には、うがい、手洗い、励行しましょう。ネットでは、ウィルスチェックもこまめにしましょう。感染予防対策は、しっかりと!でも、笑顔にだけは…、どんどん感染しちゃいましょう!「でも、どこから感染するわけ?」と、ハテナ顔のあなた!心配はいりません!実は、あなたはすでに、感染してしまっているのです。誰から? もちろん、この私から!ふっふっふ…。パソコン画面を通じて、すでに、あなたには、私の強烈笑顔ウィルスが、とりついてしまっています!逃げようったって、逃げられません。「え? でも、全然笑いたくならないよ」というあなた。ちっ、ちっ、甘い。それは、単に、潜伏期間があるだけなのです。(爆)やがて、ときがたてば、間違いなく発症します。覚悟していてください。(爆)そして、発症したあかつきには、あなた自身が感染源となるのです。あなたのまわりに、笑顔ウィルスを撒き散らす日がやってくるのです。こわいですねえ。おもしろいですねえ。世界じゅうに、笑顔ウィルスが蔓延して、誰もかれもが、にこにこ笑顔になる日。そのときも、私は、最大級の笑顔で笑っていますよ!たとえ、もう、この世からいなくなっていたとしてもね!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第205号(2004年5月23日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.12.20
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★今日のフォーカスチェンジ♪-----------------------------------------未来の自分に、メッセージを書いておきませんか。私が知っている、ある組織の話です。(というより、ごく一般的によくある話です)希望に満ちて、その組織をつくったひとたちがいました。あれもしたい、これもしたいと、精力的に、どんどんあたらしいこころみもおこなっていきます。そのエネルギーに引き寄せられるように、参加者が増えて、組織はおおきくなっていきました。ところが、10年、20年、30年…。組織のトップにいるひとたちは、はじめと同じままです。当然、そのひとたちは、高齢になっています。はじめのころのようなエネルギーは、もはやありません。少しずつ、ひとが離れていきます。「社会がこんな状態だから、参加者が減るんだ」そのひとたちは、そんなふうに考えます。たまに、若くて元気なひとが入ってきても、なぜか、すぐに離れていってしまいます。「最近の若いひとたちには、まかせられない」そのひとたちは、そんなふうに思います。なんだ、よくある話じゃないか、と思うでしょう?そう、ここまでは、ね。今日、提案してみたいことは、「未来の自分に、メッセージを書く」ということです。あなたのまわりにも、上記にかかげたようなタイプのひとたちが、きっと、いるのではないかと思います。(組織でなくても、家庭などでもあるかもしれません)あなたはきっと、いまは、「あんなふうにだけはなりたくない」と思っているはずです。でも、考えてもみてください。あなたが批判的に見ているそのひとたちは、30年前から、「参加者が減るのは、社会が悪いせいだ」「若いものは頼りなくて、まかせられない」と、思っていたでしょうか?いいえ、それどころか、そういうケースを見ると、「社会のせいにしないで、もっと自分たちが動けばいい」「若いひとを参加させることで、力をつけてもらえばいい」と、思っていたにちがいないのです。そう、残念ながら、私たちは、「忘れる」存在なのです。「自分だけは」と思っていても、私たちは、99%、やっぱり忘れてしまうのです。むしろ、そういう存在なのだと、認めるところから出発してみませんか?あなたがまだ、「あんなふうにはならないぞ」と思っているその姿やパターンを、未来のあなたにあてて書いて、保管しておくのです。「○年○月○日に開封する」として、神棚かどこかに飾っておくのもいいでしょう。どこかにあずけて、そのときになったら、送ってもらうようにしてもかまいません。ちょっと気の早い話かもしれませんが、未来のあなたにとって、かけがえのないチャンスを、プレゼントすることになるかもしれませんよ!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第204号(2004年5月22日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.12.20
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★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------------------要は、「あなたがどう生きるか」が肝心なのです。一昨日・昨日の話のつづきになっていると、いいなあ…と思いつつ、書きます。(^^ゞ私の友人の夫さんが、こころの病にかかってしまいました。プライベートなことなので、詳細は書きませんが、彼が起こす、予想不可能な言動のために、文字どおり、家族じゅうが振り回される状態となってしまいました。妻として、母親として、自立した仕事をする人間として、友人は、やれることの限りを尽くしては、失望を繰り返し、そして、疲れ果て、ノイローゼ寸前になりました。病院にも行きました。行政にも相談しましたが、誰も、彼女の助けにはなってくれませんでした。頼みの綱であるはずの病院でさえ、「この病気は、家族の協力なしには治りません。 支えてやってください」と、言うのだそうです。その彼女自身が、責任感と絶望感の板ばさみで、くずれ落ちそうになっているのに。「もう、先のことなど考えられない」そうメールしてくる彼女に、私はあるとき、「離婚していいんだよ」と、返事を書きました。「あなたは、あなたにできるだけのことをした。 夫さんの人生は、夫さんのものだ。 夫さんが、この病になったのは、もしかしたら、 それが、夫さんに必要なことだったのかもしれない。 だとしたら、もう一度、 夫さんの人生を、夫さんにゆだねよう。 あなたは、あなたの人生を生きていい」冷たいと思われるでしょうね。私自身、そんなメッセージを送ってしまった自分に、驚いていたくらいですから。でも、たぶん、結果的に、この言葉が彼女を変えたのです。「離婚して、ゼロからやり直していい」と覚悟したとたんに、何かが吹っ切れたみたいなのです。「私は、いい妻、いい母親であろうとしてきた。 私がいなくては、家族がだめになると思って、 がんばって、がんばって、そして、 がんばりきれない自分を、責めつづけてきた。 でも、その考えをやめる。 夫の人生は夫のもの。私は、私の人生を生きる。 大丈夫。何とかなる。何とかしてみせる」彼女から、そんな返事がもどってきました。そのあと、しばらくして、夫さんが、何度めかの入院をしました。これまでの体験から、確たる成果を期待していなかった彼女ですが、退院してきた夫さんの状態に、驚いたそうです。病であったことがうそに思えるくらい、おだやかな状態になっていたのです。それは、まるで、奇跡のような変化でした。その後、どうなったか、確認はしていません。でも、どのような状況になったとしても、もう大丈夫なのだと、私は思っています。これは、一般的な「裏切り」というケースには当たらないかもしれませんが、ある意味で、彼女は、人生そのものに裏切られたともいえるのです。だとしたら、それを嘆いていても始まりません。誰も、責任をとってはくれないのですから。課題は、夫さんにではなく、自分自身にある。そう気づくことが、彼女にとって必要なことだったのです。「自分がどう生きるか」それを選択できたとき、彼女のひとつの課題は終わり、次なる扉がひらかれたのです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第203号(2004年5月21日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.12.20
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★今日のフォーカスチェンジ♪------------------------------------------------裏切ったのではなく、すれちがってしまっただけなのかも。昨日のつづき…になるかもしれないお話です。(^^ゞ私が一人暮らしをはじめたのは、予備校のときです。家が北海道のうんと田舎だったので、予備校に通うには、下宿する以外になかったのです。(^^ゞそのころ、私は、まじめな子どもだったので、「親に心配をかけてはいけない」と考えました。そこで、考えたのが、親にはがきを出すことです。幸い、異常なまでの筆まめだったので、毎日、はがきに、その日の進捗状況を報告して出しました。両親は、…とくに母は、たしかに安心してくれたようです。しかし、1年後、私は、むなしくも、ふたたび受験に失敗してしまいました。そのときの、母の気持ちです。「(しっかりやっていると)信じていたのに、 がっかりした」その言葉に、私は強いショックを受けました。「ああ、私は母を裏切ってしまったのだ」と。振り返ってみれば、母の気持ちもわかるのです。けっして楽ではない家計のなかから、月々、それなりの出費をしてくれたのですから。自分の楽しみのためにお金を使うことなどなく、家族のために、身を粉にして働いている母でしたから。もちろん、私は、母(の期待)を裏切ろうとして裏切ったわけではありません。私の受験の失敗は、できないと感じた瞬間に、一種のパニック状態におちいってしまうという、精神的な弱さに起因するものだったのです。本当は、その弱さと向き合うことが必要だったのに、表面的に、「親を安心させたい」と考えてしまった。そのことが、結果的には、母を裏切ることになってしまったのです。もしかしたら、世の中で「裏切り」と言われていることのなかには、そんなケースもあるのではないかと思うのです。きちんと、見るべきことを見ていないために、なすべきことをしていないために、ただ、すれちがってしまったのだと…。昨日の、借金を頼んできた友人の話だって、ひょっとしたら、その友人は、こころのなかで、メッセージをほしがっていたのかもしれないのです。「自分ではブレーキがかけられない。助けてほしい!」無責任に「信用」するのはやめて、止めるときには止める、ことわるときにはことわることが、お互いの関係をよくすることだったりもするのです。この話題、やはり、むずかしいですね。(^^ゞ充分に消化しきれていないようです。あすも、つづけて書きます。(たぶん)--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第202号(2004年5月20日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.12.20
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★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------------------------裏切られたのではなく、あなたの期待がはずれただけ。カゲキなタイトルを書いてしまいましたが、どうぞ、最後まで読んでくださいね~。m(__)m「信じていたのに、裏切られた」という言葉を、聞くことがありますよね。私はいつも、「うーん」と、考えこんでしまうのです。なぜなら、私のなかでは、「信じる」と「裏切る」は、両立しないからです。たとえば、友人から借金を頼まれて、貸したけれども、返ってこずに、友情が破綻したなんて話を、聞いたことはありませんか?「信じていたのに」と、もし、そのひとが言ったとしたら、それは、「信じていた」のではなく、その友人のことを、本当にはわかっていなかったか、もっと言うと、人間の弱さというものを、理解していなかったかの、どちらかだと思うのです。厳しい言いかたに聞こえちゃうと思います。でも、けっして、そのひとを、責めるつもりで書いているのではないんです。「信じる」ということは、そのひとのまるごとを受け入れることであり、何があっても、ゆるがない覚悟を必要とすると思うのです。何たって、「信仰」の信であり、「信念」の「信」ですからね。だから、そのひとの言動によって、気持ちが変化するのなら、それは、本当に「信じていた」のではないのですよ。最初から、ある限定条件つきで、ある枠内で、そのひとを「信じたつもり」でいただけなんです。だから、その枠からはずれたことを相手がしたとしても、それは結局、「裏切られた」のではなく、「あなたの期待がはずれただけ」だと思うんです。私たち人間は、もともと弱い生きものなのです。そして、つねに、こころ移ろう存在でもあるのです。そんな不安定な存在を、それでも「信じる」というのなら、何が起きても、すべて受け入れる覚悟をしたほうがいいのです。そうしたら、「ああ、期待とちがったな」と、がっかりすることはあったとしても、「裏切られた」と傷つくことはありません。そして、「そんなふうには信じられない」と思うなら、それはそれで、必要な対応をすればいいだけなんです。法的に有効な契約書を、きちんと交わすとかね。日本人は、人間関係でウェットな部分があって、そのへんがあいまいになりがちですけれども、これからの時代は、とても必要な感覚になってくるのではないでしょうか。それは、けっして、「ひとを信じない」ことではなく、「弱さ」を受け入れあったうえでの信頼関係だと私は思うのです。この話題、たぶん、納得しがたいと思いますので、明日、もう少し、視点を変えて書いてみますね。つづけて読んでいただけると、うれしいです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第201号(2004年5月19日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.12.20
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★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------「すべては学び」という視点「今日のフォーカスチェンジ」を始めて以来、本当にたくさんの読者のかたから、感想をいただくようになりました。こころのこもった、あたたかいメッセージや、いたわりや気づかいに満ちたことばなど、本当に、いつも、うれしく、ありがたく読ませていただいています。また、もちろん、ときには、異論や反論などをいただくこともあります。正直言って、最初のころは、異論や反論は、あまりうれしくありませんでした。それらは、厳しい口調であることが少なくなく、また、お返事を書いても、何も返ってこないことも、ままあったからです。でも、こうして、200号を重ねてきて、いまは、こう、断言することができます。「すべてが、ありがたく、うれしい」と。なぜでしょうか。たとえば、自分が発信した意見にたいして、それを否定するようなメッセージが届いたとします。でも、それは、そのままなら、単に、ひとつのメッセージにすぎません。「あ、これって、私の意見を否定している」実は、そう思った瞬間にこそ、それが、「否定意見」になるのです。同じメッセージを受け取ったときに、「あ、これって、より多角的な視点で、 私に、気づきを与えてくれているんだな」こう思ったら、それは、否定意見になりません。むしろ、より深い学びのチャンスになるのです。このことに気づいた瞬間から、私にとって、「否定意見」は、存在しなくなりました。どんな意見のなかにも、そのひとが生きてきた歴史があり、思いがあり、祈りがあります。私は、ただ、それをまるごと、そのままに、受け止めたいと思うのです。そうすると、私の内面が、そのひとのおかげで、より豊かになります。満たされます。もちろん、いただいた意見をどう生かすかは、それからの、私自身の課題です。大切なのは、まず、受け止めること。そのなかに、私にとっての「学び」をさがすこと。「すべてが学び」という視点に立てば、この世界は、本当に輝きに満ちたものになります。誰もが、お互いを祝福しあうことができるのです。今日は、200号を記念して、この思いを、読者のあなたと、わかちあいたいと思います。ありがとうございます。あなたのおかげで、いま、私がここにいます。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第200号(2004年5月18日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.12.20
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------------------好奇心をもつと、質問のパワーが変わります。さらに、「質問」の話題のつづきです。どんな質問だと、ひとはわくわくするのか?それは、「好奇心」からくる質問です。ちいさな子どもの「なぜ?なに?」攻撃を思い出してみてください。子どもにとっては、世界は不思議に満ちています。既成概念がないぶん、すべてが新鮮に映るんです。だから、質問したくなります。そして、自分のなかみをどんどん豊かにしていきます。子どもの「なぜ?なに?」攻撃には、ともすると、悲鳴をあげたくなるひともいるかもしれませんが、その根っこにある「好奇心」は、大切にしたいです。好奇心とは、対象にたいする、興味・関心です。もし、あなたが、誰かから目をきらきらさせて、あなたのこと(仕事でも趣味でも)について、たずねられたら、いやな気持ちになりますか?あなたがひとこと返すたびに、「うわー、そうなんですか。それで、それから?」と、関心をもって、聞き返されたら、困りますか?もっと、話したくなるでしょう。もっと、教えてあげたくなるでしょう。だって、相手は、あなたのことを知りたいのです。知ることが、相手にとっての喜びなのです。だから、あなたが誰かに質問をするときには、まず、そのひとの、その仕事などにたいして、好奇心を向けてみるといいのです。「へえー、こんなふうに考えているんだ」「そうか、そういう見かたもあるんだな」評価や判断はとりあえず置いておいて、「未知なるもの」について、子どものようにたずねてみる気持ちになってみましょう。すると、質問のパワーが変わります。あなたのなかの純粋な好奇心が、そのまま、プラスのエネルギーとして、相手にも伝わっていくからです。実際、そうすることで、あなた自身が、思いもかけぬ質問(のしかた)を、発見することもあり得るのです。「好奇心」パワー、ぜひ活用してみてくださいね!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第199号(2004年5月17日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.12.20
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★今日のフォーカスチェンジ♪-----------------------------------「質問」に、「提案」をプラスしてみましょう。昨日の話題のつづきです。さて、質問はすべて、マイナスなのか?もちろん、そんなことはありません。どんな質問であれば、相手も自分も元気になれるのか。それは、「提案を含んだ質問」です。「これは、どうやったらいいですか?」ではなくて、「私はこういうふうにしたいと思うのですが、 どうでしょうか(どう思いますか)?」そうすれば、「そうだね、それは…」と、次の話に発展します。元気が出ます。余談ですけど、そのとき、その提案にすんなりイエスと言えない場合の対応が、実は、とっても大切なんです。「それはだめだよ」とこたえてしまっては、すべては、元のもくあみです。「よーし、提案してみよう」という勇気が、しゅるるんとしぼんで、「やっぱり、質問だけにしておこう」と、逆もどりしてしまいかねません。「なるほど、それはどういうところから発想したの?」と、こちらから、逆に質問してあげるんです。こういう質問は有効です。「ああ、自分の提案に関心をもってくれたんだ」と、相手もやっぱり元気が出るからです。そして、その理由が、納得いかないものであっても、むげに否定しては、またまた振り出しに戻り。質問の道は、深いですねえ。(笑)ここで、ふたたび、提案型質問が登場するのです。「なるほど、そういう発想だとすると、 こういう点については、どう考えるのかな?」相手が見えていない部分を、指摘してあげて、もう一度考えてもらう方法があります。あるいは、「なるほど、そういう発想だとすると、 こういう方法も考えられないだろうか?」あなた自身が、アイデアを提供してあげることもできます。いずれにしても、提案型質問は、質問でありながら、実は提案そのものなのです。そして、その提案型質問を支えるものは…。長くなりますので、明日にまわすことにいたします。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第198号(2004年5月16日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.12.20
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------「質問」をやめて、「提案」してみましょう。私がいま、学んでいる、インプロ(即興演劇)のなかに「ノー・クエスチョン」というゲームがあります。文字通り、「質問しない」というゲームです。2人でも、3人でも、即興で会話をしながら、質問をしてしまったら、「ブー」、脱落です。(笑) ちなみに、いくらでもフッカツはできます。(^○^)ためしに、やってみてください。質問をしない会話って、けっこうムズカシイですよー。でも、なぜ、こんなゲームが生まれたのか?私たちは、相手に質問をしているときは、自分では、考えないですむんです。「あれは、どうしたらいいですか?」「これは、どうなっていますか?」質問をしている限り、考えるのもこたえるのも、相手です。自分はつねに、安全圏にいられます。でも、それでは、いつまでたっても、新しい自分の世界に踏みこむことができません。何が生まれるかわからない、どきどきの体験を、いつまでも回避してしまうことになります。自分の言葉で、自分で考えて、自分で発信する。そのための仕掛けが、「ノー・クエスチョン」なんです。さて、質問をしないとすると、何が残るでしょう。そう、「提案」なんです。たとえば、デートの場面を演じていたとして、「ねえ、どこに行きたい?」と質問したくなったとします。もちろん、これは、ブー。(笑)ですから、代わりに提案します。たとえば…「ねえ、ディズニーランドに行こうよ!」(提案)「よし、いますぐに出かけよう!」(提案)「着いた!」(爆)「あの○○に乗ろう!」(提案)提案型の会話は、とてもアクティブです。どんどん前に進むので、とても気持ちがいいです。自分の提案が受け入れられる度合いだけ、相手の提案も、積極的に受け入れられるようになります。次は、何が生まれるか、わくわくして、そのわくわくが、さらにあらたな提案を生んでくれるのです。この「ノー・クエスチョン」、ぜひ、日常のなかでも、ためしてみてください。きっと、パワーアップした会話を楽しめますよ!なお、質問がすべていけないわけではありません。その話は、明日書きます。(たぶん)--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第197号(2004年5月15日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.12.20
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★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------------------ときには、自然からエネルギーをもらいましょう。もともと、北海道の田舎育ちの私は、自然をまぢかに暮らした体験をもっています。だから、余計なのかもしれませんが、自然からもらえるエネルギーというものが、とてもおおきなものであることを、知っています。何年も前になりますが、友人に誘われて、山登りをしました。ふだんは運動らしいこともあまりやっていない私。けっこう、ぜいぜい、ばてばてになってました。(^^ゞそのとき、ふっと、道ばたの木に手をかけてみたんです。そしたら、何かが、返ってくるんですよね。ふれたところから、エネルギーがあがってくるような。木の生命力そのものが伝わってくるというか。思わず、立ち止まって、あたりを見回してみました。見晴らしのいい場所で、あたりがぱーっと見渡せました。すると、まわりじゅうの木々から、草から、そうした生命力が湧き上がっているのがわかったんです。そしたら、急に、私も元気が湧いてきたんです。なんだかうれしくて、うれしくて、木や草にふれながら、どんどん歩いていきました。からだの底から、エネルギーが湧いてくる感じで、ちっとも疲れを感じないのでした。また、長いあいだ、私の究極のストレス解消法は、「長距離フェリーに乗ること」でした。東京-釧路(いまはありませんが)、大阪-別府、小倉-沖縄、舞鶴-小樽、などなど。日本の長距離フェリーは、おそらく7割以上、乗った経験があるのではないかと思います。30時間くらい、船に乗っていると、日常生活は、とっても遠いものに感じられます。朝からゆったりと、船のお風呂につかって、海を見たり、甲板に寝そべって、風を感じたり、夜は夜で、満天の星空を見ながら、お酒を飲んだり…。何より、波のリズムにからだをまかせていると、忘れていた何かを思い出すような、そんな、深いところからの癒しを感じるのです。かたちは、何でもかまいません。別に、長い時間でなくてもいいと思うんです。そんなふうに、ときには、自然からエネルギーをもらってみませんか?私たちは本来、この自然とひとつながりの存在なのです。でも、日々の生活のなかで、ついつい、そのことを見失います。エネルギーとは、つながり(循環)のことです。つながりを取り戻すと、元気が生まれます。自然にふれてみましょう。おおいなる存在のエネルギーを受け取りましょう。そう、忘れてはいけない、感謝の気持ちとともに。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第196号(2004年5月14日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.12.20
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------------------------------言葉が伝わるのは、相手に、受け入れる準備ができたとき。「何度も言ってるのに、どうしてわからないんだ」こんな言葉を、思わず使うことはありませんか?あなたが、そのひとの親であったり、上司であったり、教師であったりしたら、ほんとにうんざりしますよね。でもね、残念ながら、「言えば、伝わる」というのは、幻想なんです。たしかに、あなたの理屈は間違っていないでしょう。「○○歳にもなって、こんなこともわからないのか」「社会人にもなって、こんなこともできないのか」そう言いたくなる気持ちは、よーくわかります。でも、そう思ったからといって、解決しないのも事実です。どなるだけ、腹を立てるだけ、血圧があがって損なのです。ここは、ひとつ、視点を変えてみましょう。あなたの言葉が伝わらないのは、相手に、それを受け入れるだけの準備ができていないからです。そして、そこには、さまざまな理由があります。あなたが親であれば、ひょっとしたら、ちょっとの責任もあるかもしれないし、上司や教師であれば、まあ、めぐりあわせだと思って、とりあえずは受け入れるしかありません。まずは、相手の話をじっくり聴いてみましょうよ。相手には相手なりの、思いも迷いもあるのです。もちろん、甘えもあるかもしれません。逃げもあるかもしれません。でも、じっくりしっかり聴いてあげると、相手はそれだけでとても安心するんです。安心すると、相手のなかにも、あなたの言葉を、素直に受け止める気持ちが生まれてきます。そう、あなたの言葉を受け入れる準備ができるのです。そのうえで、「じゃあ、どうしたらいいと思う?」という話をしても、けっして遅くはないのです。また、その「どうしたら」の部分を、あなたが、一緒になって考えてあげてもいいのです。「まだるっこしい」と思うひともいるかもしれませんね。でも、これは、相手も自分もともに納得できる、HAPPY&HAPPYの方法なんです。少なくとも、同じことを何度も繰り返して嘆いたり、怒ったりしているより、ずっと生産的だと思いますよ!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第195号(2004年5月13日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.12.07
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★今日のフォーカスチェンジ♪-----------------------------------------悪意は受け取らない。気づかなかったふりをする。前からときどき書いていますが、私は、ある意味、超鈍感な子どもでした。空想癖が異常に強くて、自分の世界に入りこむタイプだったせいでしょう。まわりが、自分のことをどう思っているのか、よくわかっていなかったのです。そのために、まわりと自分のギャップに苦しんだ時期も、たしかにありますが、逆に、おトクに作用してくれたこともあります。それは、「悪口を言われていても、気づかない」ということなのです。冗談ではなく、本当です。いま振り返ると、自分でもあきれるくらいです。(^^ゞ「悪口」というのは、もともとの原因はどうあれ、やはり、相手にたいする「悪意」です。言われるがわが、うれしくなることは、まずありません。それどころか、その悪口が相手に伝わってしまったら、感情的にこじれるのが、オチでしょう。でも、悪口を言われても、「気づかずに」生きてきた私は、そうした感情を、ほとんど体験せずに済んだのです。悪意に気づかなければ、こころは平穏でいられます。そして、これは、現実のコミュニケーションのうえでも、応用することができるのです。そう、相手があからさまに悪意を表明してきたときでも、「気づかない」ことにすればいいのです。どんなエネルギーも、受け取らなければ、それが生かされることはありません。これは、「無視する」ということとはちがいます。相手が発信してきたことには、ちゃんと反応するのですが、悪意と感じられる部分については、「気づかずに」通り過ぎることにする、ということです。そうすると、悪意の部分だけが抜け落ちて、必ず、受け取り(受け止め)可能な部分が残ります。そこで初めて、対話をスタートすればいいのです。「気づかなかった」ふりと言うと、もしかしたら、ずるいことのように聞こえるかもしれません。そうではなく、相手とのコミュニケーションの糸口を見つける、方法のひとつと思っていただけるとうれしいです。ただ、正直に書くと、私の場合はやっぱり、「気づかないふり」じゃない気がするんですよね。かなりの度合い、いまも、本当にわからないんです。子どものころから、ちっとも進歩してません。(爆)でも、まあ、それはそれで、いいんじゃないかと思っているのですけども。(^○^)--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第194号(2004年5月12日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.12.07
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★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------------この期に及んでまだ捨てられないの?ちょっと、物騒な?タイトルになっちゃいました。(^^ゞこの言葉、私が友人と話していたときに、出てきたものです。必要があって、新しい方向に進まなければならないのに、不安な材料が、あとからあとから生まれてくると言うのです。「これでいいのかどうか、迷ってしまうんだよね」その友人の言葉を聞いたとき、ふっと、ある映像がひらめきました。「あのね、難破船が沈みかけてるイメージが浮かんだの」そう、船が沈みかけているのです。救命ボートに乗る以外、方法はないのです。(もしくは、海に飛びこむしかないかもしれません)でも、この船に乗るために、たくさんの荷物を持ってきたのです。愛着のある品物ばかりです。手放したくないのです。「でも、持っていくことはできないんだよね」持ったまま、救命ボートに乗れば、救命ボートが沈みます。持ったまま、海に飛びこめば、そのままからだが沈みます。そして、どれを捨てようかと迷っているうちに、船は、どんどん傾いていくのです。私のこのイメージは、友人に、ストレートに伝わったようでした。「まさに、いまが、そういう状態なんだよね…」迷ったまま、沈む船と運命をともにするのも、もちろん、そのひとの選択です。救命ボートに乗り移ったからといって、必ず助けが来るとは限りません。でも、もし、この先も生きつづけたいと願うなら、後者のほうが、その可能性は大きいのです。生きつづけていけば、新しい可能性は、必ず生まれてくるのですから!友人は、「生きつづける」ことを選択していました。だとしたら、選ぶべき道は決まっているのです。その後、紆余曲折はありましたが、友人は、いろいろなことを整理し、新しい道を選びました。いま、友人を見ていると、何か、ある確信をもって生きていることが感じられます。うしなったものも、たしかにあるとは思いますが、それより多くのものを、受け取ったからにちがいありません。もしも、人生の選択に迷ったら、こんなふうに自分に問いかけてみるのも、方法かもしれません。「この期に及んでまだ捨てられないの?」--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第193号(2004年5月11日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.12.07
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★今日のフォーカスチェンジ♪-----------------------------------意識を向けなければ、痛みは感じません。私が小学5年生くらいのときです。そのころの私の「マイブーム」は、「逆立ち」でした。(どういう小学生だったんでしょう)(^^ゞ毎日、家のなかで、逆立ちをやっていました。もちろん、へたくそですから、ころびます。ころんでも、ころんでも、好きでやってたんですね。私の家の居間には、おおきめの水槽がありました。熱帯魚を飼っていたのです。あるとき、ころんだはずみに、私は、その水槽を、勢いよく蹴破ってしまったのです。水槽は割れ、へやじゅうに、水が吹きだしました。いえ、それだけではありません。なかにいた熱帯魚も、いっしょにあふれて飛び出したのです。想像がつくでしょうか。8畳間かそこらの狭い居間じゅうが、水びたしになって、熱帯魚がはねているようす…。(@_@)とにかく、そのときの私は、無我夢中でした。熱帯魚を一匹でも救出しようと、必死になりました。 もちろん、手遅れで、 大半は死なせてしまったのですが…。(T_T)そんなこんなの大騒ぎが、一段落したときです。私は、かかとがずきずきするのを感じました。見ると、そこはざっくり割れて、血がにじみ出ていました。当然ですよね、水槽を蹴破ったのですから。でも、いま、思い出しても不思議なのですが、そのときまで、まったく痛みを感じなかったのです。熱帯魚を救おうと必死になるあまり、そこに、意識を向ける余裕がなかったから…。このとき、私は学んだのだと思います。意識を向けさえしなければ、痛みは感じないのだと。その後、少しずつですが、これを応用できるようになりました。たとえば、胃でも歯でも、痛いときの応急措置として、「意識をどこかに飛ばす」ということをやるのです。具体的には、たとえば、自分が、とても気持ちのいい楽園にいるとイメージして、その楽園の空気を感じ、たっぷりと味わうのです。すると、痛みは、ゼロにこそなりませんが、かなり軽減されます。そのあいだに、治療してもらうなり、薬を飲むなりして、実際に楽になるのを待つのです。「そんなこと、できないよー」という声が聞こえそうですネ。(笑)はい。私が水槽を蹴破ってまで習得した(爆)、「上級ワザ」ですから、多少の修練は必要でしょう。でも、できます。おそらく、武道などをされているかたは、もっと体系的に、それを習得されていることでしょう。そして、これは、からだ以上に、こころにも応用できるのではないかと思っています。痛みを感じるときには、無理して、その痛みを感じつづけることはないのです。上手に意識を飛ばして、緩和することもできるのです。ただし、あくまでもこれは応急措置。きちんとしたお手当てが必要なことはお忘れなく!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第192号(2004年5月10日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.12.07
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★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------テストはクイズだと思いなさい。少し前、親戚のうちに遊びにいったときのことです。中1の娘さんが、私に「勉強を教えてほしい」と言って、国語のドリルブックを差し出しました。教科書に即した練習問題が載っているものです。その問題集には、漢字などの練習問題のほかに、「○○を意味する部分を、○字以内でこたえなさい」といった問題が並んでいます。正直、「えっ」という印象を受けました。私の中学時代と、ほとんど変わっていないからです。何が正解になるかわからない、これからの時代、出題者の意図どおりのこたえをもとめる設問が、どれだけ役に立つのかなあ。そんな疑問を感じてしまったのです。まして、彼女はその問題ができないことで、「私は、勉強ができない」と悩んでいるのですから。「あのね、これはクイズなんだよ」私は思わず、そう言ってしまいました。「○○ちゃんのこたえも、間違っていないんだよ。 (彼女は、内容は似ていても、別の部分をこたえていたのです) でも、この出題者さんは、○字以内でって言ってるよね。 だから、その出題にあわせて、こたえてあげるの」実は、これは、私の子ども時代のテストのやりかたでした。(国語系のみです。理数系はメタメタでしたから)(笑)自分が何を考え、どんな言葉を組み立てるか。そんなことは、とりあえず置いておいて、出題者の意図を考えて、それにあわせていく。それが、高得点をとる方法だったのです。でも、私は、高得点はとれても、国語を好きだと思ったことはありませんでした。私に国語の喜びを教えてくれたのは、たくさんの詩や小説、そして脚本などでした。「あなたは、勉強ができないんじゃない。 クイズのこたえかたを間違っているだけ」私は、彼女にそう言いました。「テストの点数をあげたかったら、クイズだと思いなさい。 でも、忘れないでね。 あなたにとって、もっと大切なことは、 自分の言葉で考えて、自分の言葉で組み立てていく体験だよ」その言葉が、どこまで伝わったかわかりません。でも、そう言わずにはいられませんでした。読解能力を育てることの大切さもわかっています。でも、だとしたら、もっとさまざまな方法で、子どもたちに、国語を(勉強を)好きになれる仕掛けを提供してほしいのです。好きになれば、子どもたちは自然に、自分たちから学びはじめます。本当です。10代という、貴重な時間を、誰かの正解探しのために費やしてほしくない。私の切実な願いのひとつです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第191号(2004年5月9日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.12.07
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★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------評価は評価。あなたはあなた。以前にも書いたことがあると思いますが、私はとても、空想癖の強い子どもでした。授業中だろうが、何だろうか、気がつくと、ふっと、意識がどこかへ飛んでしまうのです。そのとき、私の目は、ぼうっとあらぬ方向を見、外界(私にとっては)の声も耳に入りません。大体、一回の「トリップ」は5分ほどらしいのですが、はたから見ていると、ちょっとブキミですね。(^^ゞそんな私に、対照的な反応をする先生がいました。ひとりの先生は、「ああ、かめおかさんは、またどこかへ行ってしまった。 そのうち、もどってくるだろう」と、放置(笑)しておいてくださいました。(^^ゞその年の通知表には、「のんびりした子ども」と書かれていました。また、ある年の先生は、私のそういう状態がゆるせませんでした。私が、「トリップ」しているのを見つけると、すぐに、「かめおかさん!」と注意をするのです。私は、次第にびくびくして、その先生の顔色をうかがうようになっていました。その年の通知表には、「神経質な子ども」と書かれていました。私は、のんびりした子どもだったのでしょうか。それとも、神経質な子どもだったのでしょうか。いまとなっては、よくわかりません。ただ、そんな「アブない」子どもであっても、とりあえずは、いま、おとなになっていて、なんとか、社会の一員として生きている、ようです。あの体験から、学んだことがあるとすれば、「評価」というのは、結局は、そのひと自身の価値観の反映でしかない、ということでした。言い換えれば、本当に客観的な評価など、存在しないということなのです。そして、もっと言えば、仮に完全に客観的な評価が存在するとしても、そのことと、そのひとがどう生きていくかは、あまり関係ない、ということなのでした。もしも、あなたが、あなたに与えられた評価で、苦しむことがあったときには、このことを、思い出してみてください。評価は評価。あなたはあなたなのだと。あなたが、このメッセージに、「そうだね」と言ってくれたとき、あの、びくびくしていた子どもの私が、救われます。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第190号(2004年5月8日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.12.07
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★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------------「慣れた不幸」より、「未知の幸福」を。私たちは、誰でも、幸福になりたいと思っています。にもかかわらず、幸福になれない方法をしばしば、選択していることがあるようです。たとえば、わかりやすい例でいうと、こんなことです。あなたと、そりの合わないひとがいたとします。そのひとと、あなたはしょっちゅう衝突します。でも、よくよく見てみると、そのひとと衝突するパターンは、いつもいっしょなのです。同じことを繰り返しているのですから、同じ結果がやってくるのは当たり前なのです。これは、自分自身に当てはめてみても同じです。もし、あなたが、かんじんなときに、勇気がもてなくて、チャンスを棒に振っているひとだとします。チャンスを棒に振るときのパターンは、やっぱり同じなのです。「こうはなりたくない」と思っていることを、どうして、ひとは、繰り返してしまうのでしょうか。理由はいろいろあると思いますが、ひとつには、「わかっていることのほうが安心」だからなのだと思います。「こうはなりたくない」ことが「安心」だなんて、なんだか、変な気もしますが、実際そうなのですよね。「ああ、またいつものパターンだな」と思った瞬間に、もう、先が予測できるわけです。そして、それはとてもつらいことだったりもしますが、新しい局面に立たされることはないわけです。私たちは、びっくりするくらい、「先がわからない」ことを怖れるものなのです。だから、「幸福になるかもしれない未知の方法」よりも、「明らかにわかっている不幸」を選んでしまうのです。そのほうが、不幸だけれど、安心だからです。(^^ゞですから、もし、その「慣れ親しんだ不幸」を手放したいと思ったら、やることは、ひとつだけです。あたらしい方法にトライしてみることなんです。たしかに、何が起きてくるかはわかりません。でも、微妙にであっても、何かが確実に変わります。100%幸福になれるかどうかはわかりませんが、少なくとも、同じことを繰り返して得られる「100%の不幸」とは、ちがう結果が生まれます。何よりも、トライすることによって、あたらしい局面に踏み出す勇気を得られるのです。未知の幸福をつかむチャンスは、そのときから、ふくらんでいるのですよね!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第189号(2004年5月7日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.12.07
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★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------------------------覚悟-そこから始まる世界に、無心に身を投じます。早いもので、もう、今年の3分の1が終わりました。みなさんは、今年1年を、自分にとって、どんな年にしたいと決めていましたか?それは、ひとことであらわすと、何になりますか?私の、過去3年の「キャッチコピー」は、以下のとおり。 2001年/変化の年 2002年/変化から飛躍へ 2003年/飛躍から飛翔へそしてそれは、それなりに、達成できてきたと思います。「飛翔」の次は、どこへ行くのだろう。今年に入って、あれこれと、考えていたときです。ふっと、胸にあがってきた言葉がありました。それが、「覚悟」だったのです。正直、どきっとしました。何か、この言葉には、最後通帳をつきつけられるような、どこか、せっぱ詰まった感覚があったからです。でも、そうした先入観念を捨てて、よくよく見ると、「覚悟」は、なんともすてきな言葉です。「覚める」「悟る」…ほとんど、解脱の境地ではありませんか。(笑)そのうち、なぜこの言葉が浮かんできたのか、「これかな」と、思い当たることがありました。昨年後半、私がワークショップのなかで言いつづけたことのひとつに、「リスクを負う」という言葉がありました。自分を安全圏に置くのではなく、まず飛びこんでみる。怖れずに体験することが、次の扉をひらくのだ、と。ワークショップ参加者に言っているようでいて、実は、これは、私自身へのメッセージでもありました。そうか、「覚悟」とは、「リスクを負う覚悟」なんだ。…そう思ったら、すとんと落ちるものがありました。「未知のことにも、怖れずに飛びこんでいきなさい。 もしかしたら、思いもよらぬことが起きるかもしれません。 でも、それは、必要だからやってくるのです。 必要でやってくるものに、まちがいはひとつもありません。 覚悟しなさい。覚悟して踏みこみなさい。 そうすれば、自分が望んだものが手に入れられます」あらためて、自分にそう言い聞かせてみると、背筋がきゅっと伸びて、胎(はら)がすわる感じがしました。ほどよい緊張があって、なかなかいい感じです。決めました、覚悟を。…もとい、「覚悟」に。(^^ゞそんなわけで、今年のキャッチコピーは、「覚悟」です。気負わず、無心に楽しみながら、2004年という、おおきな時代の流れのなかに、身を投じていきたいと思います。さて、あなたは、あなたの2004年に、どんな言葉をつけましたか?3分の1過ぎた時点で、それはどこまで達成されていますか?つけてないってひと、いまからでも遅くないですよ!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第188号(2004年5月6日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.12.07
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------「体験」をうばってはいけません。私たちは、ある程度、年齢を重ねると、自分よりも年下のひとたちを、「育て」たり、指導したりする立場をになうようになります。家庭では、親として、学校では、教師として、あるいは先輩として、会社では、上司として、その他さまざまな場面においても…。私たちは、そのひとたちが知らないことを知っています。ですから、ついつい、知っていることを教えてあげたくなります。「その道は、間違っているよ」「この方法ではうまくいかないよ」「これとこれなら、こっちのほうがいいよ」それが、やがて、エスカレートしていきます。「それはだめ。失敗するに決まっているから!」「こっちを選んじゃいけないって言ったでしょ!」「どうして、言うことがきけないの!」「こころあたりがあるなあ」というかた、どうか、思い出してみてください。私たちは、どうやって、歩くことを覚えたのでしょうか。誰かが、あなたの代わりに歩いてくれたから、あなたは、歩けるようになったのでしょうか。自分の足で、転びながら、転びながら、やがて、少しずつ、からだのバランスをとることを覚え、歩くことを習得していったのではないでしょうか。転んだときは、痛かったと思います。あなたは、何度も泣いたかもしれません。でも、転んで痛かったからといって、あなたは、歩くことを放棄しましたか?あなたが、「体験」から学んできたように、あなたのあとに生まれてきたひとたちにも、「体験」から学ぶことをゆるしてあげてください。あなたが、いま、ちゃんと歩けるように、そのひとたちもまた、必ず歩けるようになるのです。たとえ時間はかかっても、ね。「体験」をうばってはいけません。もし、私たちが、私たちよりあとに生まれてきたひとたちに、何かできることがあるとすれば、それだけではないかと思うのです。それが、最大のプレゼントではないかと思うのです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第187号(2004年5月5日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.12.07
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------事実だけ受け止めれば、傷つきません。私たちが傷つくのは、感情があるからです。とっても当たり前の話なのですが、それだけにやっかいです。感情は切り離せない、あるいは、コントロールできないと思われているからです。でも、実はそんなことはないんですね。たとえば、「○○ちゃんが、私のことを、~~と言った」と、子どもが泣いて(怒って)いたとします。その子は、○○ちゃんが言ったことで傷ついて、泣いて(怒って)いるわけです。これが、感情の対応のパターンです。でも、このとき、こんなふうに考えてみるのです。「○○ちゃんが、私のことを、~~と言った。 でも、それは○○ちゃんが言っただけであって、、 私が実際にそうであるかどうかは、別問題だ」そう。「○○ちゃんが言った」という事実だけを、取り出してみるのです。それは、たとえて言えば、ばちばちはじける火花を、テレビで見ているような感じです。どんなに激しくはじけようと、テレビの前のあなたが、やけどすることはありません。さらに、あなたはその火花にたいして、「きれいだね」とか「勢いがいいね」などと、感想を言うことさえできるはずです。(笑)もちろん、これは、「上級ワザ」です。(^^ゞ最初は、なかなか、事実と分けることができません。でも、結局のところ、スポーツなどと同じように、練習と慣れがあるだけなのです。当然ながら、これは、相手を無視したり、拒否したりするための方法ではありません。あなたが、感情の渦に飲みこまれて、相手と向き合うことができなくならないように、いったん、クッションを置く方法なのです。「○○ちゃんが、私のことを~~と言った」この事実から、いろいろな選択肢が生み出されます。「○○ちゃんは、私のことを誤解しているみたいだから、 会って話して、誤解を解こう」「○○ちゃんが何を言おうと、別に何の影響もないから、 ほうっておこう」「○○ちゃんがそう思うということは、何か、 私のがわにも、そう見える要素があったのかもしれない。 これからは、ちょっと注意してみよう」いったん感情と切り離したあとは、冷静に、建設的に対応できたりして、その結果、○○ちゃんと、よりよい関係が築けるようになったりもするのです。感情に振り回されて終わるより、よっぽど、ポジティブな方法だと思いませんか?--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第186号(2004年5月4日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.12.07
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