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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------------------その質問は、興味から来ていますか? それとも…?ある掲示板でのことです。そこに掲げられてあったテーマに興味があったので、私は、投稿をしてみました。すると、知らないかたからレスがあって、私の書いた内容についての質問がありました。そこで、私は、その質問にたいして、資料も調べ、できるだけていねいにお返事を書きました。ところが、そのかたからのレスは、思いがけないものでした。私の返事が長すぎて、読むのが苦痛だということと、私の最初の投稿についての、批判的な文章がつづられていたのです。正直、私としては残念でした。一所懸命書いたことを、無視されたように感じたからです。それで、私は、私がこたえたことについて、どのように感じられたのか。それを教えてくださいと書きこみをしました。すると、今度は、「チェックをするような質問は失礼だ」としかられてしまいました。(^^ゞ鈍感な私も、ここにきてようやく気がつきました。ああ、このひとは、質問をしたかったのではなくて、はじめから、批判をしたかったのだなと。私の投稿にたいして、共感できないでいることは、その文面から、感じてはいました。やりとりをするなかで、わかりあえるといいなと思って、私は、できるだけのお返事をしたのですが、そのひとは、最初からそんなつもりはなかったようです。質問は、私の投稿への興味からきたものではなく、反論の糸口をひきだすためのものだったのでしょう。正直、とてもがっかりしました。でも、あらためて、いい勉強になったとも思いました。インターネットという、顔の見えない場でのやりとりは、対面以上に、相手の呼吸を感じる必要があるのかもしれません。質問をされたときは、その質問が、興味からきているのか、そうでないものか、感じてみよう。…そう思いました。それは、けっして、相手をうたがうということではなく、その場で必要な対応をするためなのです。二度目の反論をいただいたあと、私は、「あなたの考えを尊重します」と書いて、書きこみをやめました。それ以上つづけても、パワーゲームになってしまい、相手のかたにも、私にも、何のメリットもないと感じられたからです。ちょっぴり苦い、ネットでの体験でした。●追記インターネットは、今回の件のように、本当にむずかしい面も含んでいると思います。でも、プラスの側面もたくさんあります。たとえば、わたしのメインサイトの掲示板には、中学生や高校生たちの「劇づくりに関する質問」がよく飛び込んできます。http://homepage3.nifty.com/kaishin-juku/gekizukuri/hotlinetop.htm見知らぬ誰かの助けになれるチャンスなんて、日常ではそうそうないと思うのです。だから、いろいろあっても、手探りで、前向きにかかわっていきたいと思うのです。というわけで、今回の件についても、全然こりてません。(笑)--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第105号(2004年2月13日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------------「心配」という字を、「心配り」と書き換えてみる。第66号の「フォーカスチェンジ」のタイトルは、「心配より、信頼を」でした。(2004年1月5日配信)くよくよ心配するより、まずは信頼してみましょう、というメッセージです。さて、その「心配」という字なのですが、あらためて、見直していて、ふっと気づきました。「心配」を和語にしてみると、「心配り」になるんだな、って。「心配」と「心配り」。同じ漢字を使っているのに、和語にしただけで、ずいぶんイメージが変わります。「心配」というと、不安になったり、よけいなことまで考えてしまったりと、落ち着かない気持ちになってきます。でも、「心配り」というと、何かきめこまやかな、配慮のいきとどいたおだやかさを感じます。「心配より、信頼を」。これは、私自身、とても好きなメッセージではあるのですが、そんなふうに、一気に気持ちを転換するのはむずかしい、というかたも、なかにはいます。そういうかたは、まずは、「心配」を「心配り」に変えてみてはいかがでしょう。あわてず、あせらず、ゆっくりと、気にかかるところに、心を置いていってみましょう。まるで、ライトでその部分を照らし出すように、一つひとつ、心を向けていってみることにしましょう。そうしたら、不安だったところも、ちゃんと大丈夫、ということが、見えてくるかもしれません。「心配」を「心配り」に変えてみる。ほんのちょっとのことですが、けっこうパワフルなフォーカスチェンジかもしれません。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第104号(2004年2月12日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------------「プライドなんて、なんぼのもんじゃい」もうずいぶん前のことですが…。あるひとから、用事があって、電話がかかってきました。以前に、仕事上のゆきちがいから、なんとなく、気まずくなってしまっていたひとでした。そんな感情が残っているせいか、どうも、お互いに、相手の言葉を素直に受け取れません。そのときも、そうでした。そのひとの物言いに、私はカチンときてしまいました。私の仕事を、頭から否定するような表現だったのです。しかも、それは明らかにそのひとの思いちがいから生じた発言なのです。私は、そのひとの思いちがいの部分を辛らつに指摘しました。しかし、そのひとはそれを認めません。結果、お互い、歩み寄れないまま、電話を切ることになったのです。その日、たまたま、仲のよい友人と話をしました。上記のひととの、過去のいきさつを知っている友人です。私の話を聞いて、友人は、さらりと言いました。「(そのひとの)挑発に乗っちゃったわけね」私は、はっとしました。「そうだね。くだらないプライドに振り回されたね」言ってみて、本当にそのとおりだなと思いました。ああ、私のなかには、そんなつまらないプライドがまだ残っていたんだなあと。自分の仕事にたいして、プライドをもつのは大切なことです。でもそれは、あくまでも、自分自身の問題です。他人が何を言おうが、自分は自分の納得のいくことをすればいいだけなんです。批判や中傷を受けて、いちいち腹を立てるのは、結局は、その程度のプライドの人間なんだと、自分で認めることと同じです。しかも、腹を立てて、言い返しても、何の得にもなりません。実際、お互いに不快な思いをしただけでしたしね。「そうだよね。こんなことで傷つくプライドなんて、 なんぼのもんじゃい」 (なぜ、突然、方言になるのかという ツッコミはおいといて)(笑)友人にそう言ったとたん、霧が晴れたように、さっぱりした気持ちになりました。なんだかおかしくなって、笑えてきてしまいました。もしこの先、同じことが起こっても、「なんぼのもんじゃい」と、かわしていけると思いました。その意味では、そのひとが与えてくれた不快なメッセージも、いい気づきのチャンスであったということなのかもしれませんね。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第103号(2004年2月11日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------------------あなたが見ている、それは、「まるごと」ですか?こんなたとえ話を聞いたことがありますか? あるひとが、畑で、トマトを見つけました。 それはまだ、青いトマトでした。 そのひとは、それをかじって食べてみました。 そして、「苦い」と言って、吐き出しました。 それ以来、そのひとは、会う人ごとに、 「トマトは苦いものだ」と言ってまわったそうです。このたとえ話を聞いたとき、感心してしまいました。なんて、わかりやすい話なんだろうって。自分のなかで、もやもやしていたものに、ぴたっとこたえを与えられたような気がしたのです。私たちはどれだけたくさんの「青いトマト」を、「トマトそのもの」だと思いこんで、生きているでしょうか。トマトにも、固く青いときから、やわらかに甘く赤く熟成するときまで、あるというのに。その、やわらかに甘く赤いトマトこそが、トマト本来の一番輝くすがたであるかもしれないのに。「トマトは苦いものだ」そう言うひとを、私たちはけっして笑えないと思います。私たち自身の生活のなかでも、同じようなことが、あふれているように思うからです。そのひとの一部にだけ目を向けて、それがそのひとそのものであるかのように思いこむ…。それも、ポジティブな面を見て思うならまだしも、たいていの場合はネガティブな面を見て、判断しているように思います。今日のメッセージは、とてもシンプルです。「あなたが見ている、それは、『まるごと』ですか?」さまざまな場面で、ひと・こと・ものと出会うたび、この言葉を、思い出してみてほしいと思うのです。青く固いトマトも、トマトなのです。やわらかに甘く赤く熟成するトマトも、トマトなのです。なぜなら、青く固い時期を経ないでは、トマトはけっして、熟成することができないからです。その両方を受け入れてこそ、トマトはトマトとして、存在することができるのです。トマトがそうであるように、人間もまた、「まるごと」で見ていかなければ、その本当のすがたに気づくことはできません。そして、それが見えてくるためには、必要な「とき」というものがあるのです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第102号(2004年2月10日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------------------------------------やり直しをしたいときは、同じだけの時間をかけてみるつもりになろう。ああ、失敗したなあと思うことって、よくありますよね。 実は、私自身は、もう、「失敗」という言葉を使うのは やめているのですが、今回は、わかりやすくするために、 あえて使うことにします。(この話はまたいずれ…)失敗には、日常のなかのちいさなこともあるし、人生のなかの、おおきなこともあります。日常のなかの失敗は、それなりに回復できるけれど、人生のなかの失敗って、ときどき、何か、取り返しがつかないことのように感じますよね。9年前、私が、会社を辞めたことをきっかけに、自分の人生をつくづくと振り返ってみたとき、まさに、そう感じたんです。「どうして、 こういう生きかたをしてきちゃったんだろうなあ」って。もちろん、生きてきた道を全否定するわけではありません。それでも、自分のかたくななところとか、深いところで、ひとに気持ちをゆるせないところとか、落ちこむと、なかなか立ち上がれないところとか、…とにかく、このままじゃだめだって思うようなことが、はっきり見えてきたんです。正直、ますます落ちこみました。私と同世代のひとたちは、もう、どんどん社会的に、いろいろなことを実現させていっていましたから。なのに、私は、職もなく、お金もなく、本当に無力。はるかに置いてけぼりをくらったような、そんな気分…。それでも、いろいろな本を読んだり、セミナーに出たり、自分というものを模索しつづけるなかで、ようやく、「もう一度、自分なりにやり直してみよう」と思えるようになりました。けれども、一体、どれだけの時間をかければ、私は、その「やり直し」ができるのだろうか。そのときに思ったんです。「私は、自分のこういう性格や生きかたを、 ○○年かけてつちかってきた。 だったら、 同じだけの時間をかけて、やり直してみよう」そう思ったら、ふっと肩の力が抜けました。あせらなくていいんだ…。そんな気になったんです。「えーっ、そんなに時間が残ってないよー」とか、(^^ゞ「気が遠くなりそう」なんて声が聞こえてきそうですね。でも、大丈夫なんです。安心してください。「そう思ってみる」というところが、ポイントなんです。時間をかける覚悟をしてみると、びっくりするくらい、前に進めることがわかるんです。私の場合が、そうでした。そう思って、自分なりの新しいスタートを切ってから、4年になります。今も、まだまだ学びの途中ではあります。、でも、ずいぶん、自分のことが好きになれる自分になってきたなあと思えるこのごろなんですよ。(^○^)●こんな視点もあります♪●今日のメッセージは、もしよかったら、第5号(2003年11月5日発行)に書いた「星の光になぞらえてみる」とあわせて読んでみてくださいね。なかなか、自分の目標に近づけなくてあせるときには、第16号(2003年11月16日発行)の「先を見るのが苦しくなったら、今の、この一歩だけ見て歩いてみる」も、参考になるかもしれません。http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000119721(バックナンバー)私自身、そんなふうに、いくつもの視点を使って、自分をフォローしています。自分をフォローする方法は、いくつあってもいいですよね。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第101号(2004年2月9日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪------------------------------------------「からだ」が伝えてくれるメッセージに耳を傾けよう。第96号のこのメルマガに、「大切なのは、自分にうそをつかないこと」と書きました。読み返していて、ふっと、おもしろいことに気がつきました。「自分にうそをつかない」と書いてはいるのですが、「自分の心にうそをつかない」とは、書いていないのですね。なぜあえて、「心」という言葉をはずして書いたのか。それは、人間の心というものが、とても微妙なものだからです。自分の本当の気持ちがわからない、なんて声もよく聞きますよね。そう、心をとらえるのは、本当にむずかしいのです。「自分が何をしたいのか」「何をしたくないのか」実は、そのことを、もっとはっきり教えてくれる存在があります。それが、「からだ」です。もうずいぶん前の話になりますが、プライベートなことで、とても悩んでいた時期がありました。あることをいったん決めたのですが、どうしても、心にひっかかるものがあったのです。「決めたことなのだし、やりたかったことなのだし」私は、自分に言い聞かせ、そのように思いこもうとしていました。そのころからです。別に、悪いものを食べたわけでもないのに、毎日、おなかの調子がおかしいのです。何を食べても、くだしてしまうのです。(食事中のかたがいらっしゃったら、ごめんなさい)m(__)mそんなことが、半月以上つづきました。それで、私は、とうとう認めざるを得ませんでした。「本当は、それを受け入れたくないのだ。やりたくないのだ」私は決心して、「いったんは決めたけれども、できない」ことを告げました。すると、おなかの調子は、ぴたっともとにもどりました。迷いつづける私の「心」に代わって、「からだ」が、先にこたえを出してくれていたのだと、そのとき、はっきりわかりました。「からだ」は、いつでも、メッセージを発信しています。「からだ」の声に、「からだ」が発するシグナルに、耳を傾けてみてください。心を寄せてみてください。あなたの、深いところからのこたえが、そこにはあります。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第100号(2004年2月8日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------------------アドバイスより大切なのは、まず、相手の話を聴くこと。あるとき、友人から、電話がかかってきました。「娘が、話をしたいと言っている」娘さん(あきこちゃん=仮名)は、小学3年生。話というのは、友だちとうまくいかない、という悩み相談でした。○○ちゃんの、こんなところがきらい…。□□ちゃんたちが、自分の悪口を言っている…。おとなから見たら、他愛ない悩みかもしれません。でも、本人にとっては切実です。お母さん情報によれば、落ちこんで、夜もなかなか寝つけないそうです。(このお母さんは、ちゃんとケアのできるひとなのですが、 それほど、落ちこみが深かった、ということなのでしょうね)聴いていると、ついつい「アドバイス」をしたくなります。「こうしたら、ああしたら」と口をはさみたくなります。それを、じっとがまんしました。だって、今は、自分の心の痛みで、いっばいなんです。話をしているうちに、泣きそうになるくらい、つらいんです。ほしいのは、アドバイスじゃない。まず、心にたまっている思いを吐き出したいんだよね。そう感じたので、黙って、あいづちだけ打って聴いていました。そうやって、ひとしきり話を聴いたあと、私は、「いろいろな気持ちのひとがいるねえ」と言いました。そして、こんな質問をしてみました。「あきこちゃんは、あきこちゃんがきらいな ○○ちゃんのこと、いつも全部きらいなの?」すると、「そうじゃない」という返事がもどってきました。○○ちゃんのいいところも、ちゃんと知っているのです。それから、自分の悪口を言った□□ちゃんにたいしても、「私も、□□ちゃんの悪口を言ったことがある」と言うのです。本当は、ちゃんと全部わかっていたんですね。「そうだね。ひとの気持ちは、変わるものなんだよ。 あきこちゃんがそうであるように、 今日がそうだからといって、明日もあさっても、 必ずそうとはかぎらないんだよね。 だから、いまはたまたまこうなんだって、 思ってみたらどうかな。 先のことをあれこれ考えて、不安になるより、 あしたのことは、あした、 ○○ちゃんや□□ちゃんに会ってから考えよう って、思ってみたらいいと思うんだ」最後は、やっぱり、アドバイスになってしまいましたが。(^^ゞそれでも、あとからかかってきた、お母さんからの電話によれば、あきこちゃんは、とてもすっきりした顔をしていたそうです。ずっと眠れなくて夜更かししていたのに、「今日は、もう眠る」と言ってくれたそうです。不充分ながら、私にできたことは何だったのかと考えてみました。それは、まず、はじめに、相手の話をしっかり聴いたことじゃないかなあと。実際、それだけで、あきこちゃんは、自分のなかで、こたえを探しはじめていたのです。自分の力不足と、それでも、やれることは何かを、考えさせてもらったひとこまでした。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第99号(2004年2月7日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------かみしめて、味わってみましょう。このところ、心の問題についてばかり語ってましたので、ちょっと視点を変えます。「かみしめて、味わう」これ、心の問題として読んでいただいてもいいのですが、今日、書きたかったのは、「食べる」ということです。私たちは日常のなかで、ついつい、「食べる」ということを、おろそかにしがちです。私自身も、会社でばりばり仕事をしていたときは、昼食なんて、近くでパンか何かを買ってきて、原稿に目を通しながら、5分ですませてたりしていました。当然、味なんかどうでもいいことになってしまいます。でも、私たち自身の「からだ」をつくってくれる「食」。それではやっぱりいけないな、と思うのです。もちろん、食事の中身に気を使うことも大切ですが、まずは、もう少し、かみしめて味わってみてはどうでしょう。具体的には、1口30回以上かんでみること。毎回は無理でも、思い出したときだけでもかまいません。30回以上かむと、食べ物の味が本当によくわかりますよ。ごはんなんか、じんわりと甘味が出てきて、おかずがいらなくなっちゃうくらいです。(笑)私の友人は、あるセミナーで、玄米のごはんを、一口200回かむ、という体験をしたそうです。すごいですね。一口200回ですよ。でも、想像してみて、なるほどなあと思いました。きちんとかむと、食べものって、それだけでおいしいんです。「おいしい」という感覚は、脳にとっても、いい情報です。それだけで、幸せな感覚をふくらませることができます。当然ながら、胃にもいいです。ふだん、自分がどれだけ、胃に負担をかけていたか、かみしめて、こなれていく感覚とともに味わってみましょう。胃が、「ああ、今日は楽だぞ」なんて言っているのを、想像できちゃうかもしれませんね。かみしめているあいだは、あれこれと、ほかのことは、考えないほうがいいですね。かむ。味わう。そのことに、気持ちを集中させていると、これだけで、一種の瞑想みたいになりそうです。(^^ゞ200回とは言いません。30回で充分です。(もちろん、やれるよというひとは、好きなだけ!)いつもいつもとは言いません。やれるときに、その一口だけでもいいからやってみましょう。それを、少しずつふやしていけばいいんです。今日一日、私も、意識してやってみます。かみしめて味わう。その感覚を大切にしてみます。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第98号(2004年2月6日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------------------------細部にこだわりだしたら、本質からずれていると考える。ちょっと堅苦しい話になってしまうかもしれませんが、よかったら、おつきあいください。「細部にこだわりだしたら、本質からずれていると考える」これは、私が、ひとと意見交換(議論)するときに、基本原則としている考えかたです。「それって、当たり前のことじゃない?」はい、そうです。でも、実際に、これを実行に移すのは、なかなかむずかしいのです。なぜならば、細部にこだわりだしているときは、すでに、視野がせまくなってきている…言い換えれば、全体を見渡すことができない状態になっています。全体を見渡すことができないので、その落とし穴にはまっていることに気づかないのです。こんなことがありました。ある団体の催しものについて、やや辛口の質問を、送ったときのことです。その団体の主催者のかたとは知りあいだったので、率直に伝えても大丈夫だと思ったのです。ところが、たまたま主催者のかたが不在だったのか、お返事は、なぜか、同じ団体の、別のかたからでした。私とは面識もなく、しかも、そのかたは、直接、その催しものにかかわっていないというのです。そして、その団体の仕事の、理念や方向性から、私のメールにたいする、反論や疑問を述べられました。正直、そのかたの、やや決めつけるような物言いは、あまり快いものではありませんでした。まして、当事者ではないわけですから、私の最初の疑問には、こたえてくれないわけです。2度、3度、やりとりするうちに、話が、どんどん、相手の言葉尻をとらえるような展開になっていきました。(相手だけではなく、私のほうもです)「あっ、これは、ちがう。細部にはまっている」何度目かの返事を書きかけていたときに、私はようやく、そのことに気づきました。そこで、書きかけていたメールを全部消して、私はそのかたにお返事を書きました。「あなたの書かれていることに、基本的に反論はない。 ただ、私は、 私が最初に投げかけた質問の答えが知りたいので、 その件について、わかるひとに、伝えてほしい」…ここで、ようやく、主催者からお返事がきて、私の疑問も晴れて、一件落着。(^^ゞ私はすぐに、やりとりをしたそのかたに、「伝えていただき、ありがとうございました」と、メールを出しました。そのかたからも、すぐにお返事がきました。「引っ込みがつかなくなってしまって、つい…。 すみませんでした」議論がヒートアップしているときに、冷静になることは、なかなかむずかしいことです。でも、「あれ、これはちょっとちがうぞ」と気づく回路をつくっておくと、けっこう、早めに引き返すことができるように思います。私の場合、それが、「細部にこだわりだしたら…」なのです。もちろん、議論がかみあって、話が進んで、細部に話が及んだときには、どうぞ、どんどん進めてくださいね。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第97号(2004年2月5日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------------大切なのは、自分にうそをつかないこと。ある勉強会に参加したときのことです。2人組になって、「自分が大切にしていることは何か」を話す、というワークがありました。自分が大切にしていること…。私にとって、それは、「自分にうそをつかないこと」でした。なぜならば、「自分のこころにうそをついて、 やりたくないことをやっていると、 自分が本当に何がやりたいのか、 わからなくなってしまうから」だから、「自分にうそをつかないこと」は、私にとって、とても大切な感覚なのです。さて、そのとき、ちょっとおもしろいことがありました。いっしょに組んでいた、相手のかたが、「それって、『自分に正直になる』という 肯定形のほうがいいと思うんですが」と言うのです。言われて、はたと考えました。たしかに、「自分にうそをつかない」は否定形です。昨日のこのメルマガでも、「肯定形で考えよう」と書いている私です。「自分に正直になる」たしかにそれでもかまわないのですが、何かがちがうのです。しばし考えたのち、私は、こうこたえていました。「自分にうそをつかない、と言うとき、 私のなかで、何か決意みたいなものを感じるんです」かつて、ずいぶん長いこと、私は、自分にうそをついて、「いいひと」を演じつづけてきました。「いいひと」を演じるのは、ある意味、とても気持ちがいいのです。みんなが評価してくれるし、実際、ひとの役にも立っているし。でも、心のなかでは、「本当の私はこんなんじゃない」と叫んでいる自分がいました。「誰も、私の本当の気持ちをわかってくれない」と、どんどん、孤独におちいっていく自分がいました。「いいひと」をやめ、「自分にうそをつかない」ことを選択するには、それなりの勇気とエネルギーがいりました。それは、「自分に正直になる」という肯定形よりも、はるかに強く、自分自身を押し出す言葉だったのです。言いかえれば、「自分にうそをつかない」という言葉は、「自分にうそをつかない生きかたを選択する」という、決意をこめた肯定形なのかもしれません。もちろん、言葉にたいする感覚は、一人ひとりちがいますから、「自分に正直になる」ほうが、しっくりくるひともいるでしょう。それはそれで、いいのだと思います。自分が大切にしていることは何かを考えたとき、ふつふつと、内がわからエネルギーがあがってくるのを感じました。それは、深いところで自分を支える、おだやかだけれど、とても強いエネルギーでした。あなたにとって、あなたにエネルギーを与えてくれる、「大切なこと」は何ですか?--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第96号(2004年2月4日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------肯定形で考えよう、受け止めよう。「肯定形で考える」これ自体は、よく聞く言葉だと思います。あらためてここに書きたいと思ったのは、「なるほどなあ」という事例に出会えたからです。私が参加している、あるメーリング・リストでのことです。ひとつの話題をめぐって、意見がさかんにかわされていました。そのなかで、ちょっときついなあと思える表現をされるかたがいらっしゃいました。当然、反発を感じられるかたもいらっしゃいます。顔が見えないメールでのやりとり。一歩間違えば、感情的なもつれにもなってしまいがちです。ところが、そのとき、ほかのかたから、その言いかたを、頭から否定するのではなく、「肯定的に受け止めつつ、 より深いところで語ろう、考えよう」という提案がなされたのです。提案は、受け入れられ、その後の議論は、お互いの意見のちがいを認め、止揚しながら、より、話題の本質的なところに向かうかたちで進んでいきました。お互いに、肯定形で考える、受け止める。それができたから、成り立った議論なのだと思います。具体的に、どんなところが、肯定形だったのか。ひとつには、相手の言葉の表面的な部分に振りまわされず、そのひとが言いたいことの「本質」に目を向けたこと。議論が白熱してきたり、反対意見があったりすると、ときとして、私たちは、つい、強い刺激を与える表現を使ってしまったりします。でも、それは、伝えたいことの「本質」ではないのです。むしろ、そういう言葉は、しばしば、感情にふれて、話を混乱させてしまうあやうさをもっています。そのあやうさに気づいて、そこにはまらず、お互いが、本当に伝えたいであろうことを受け止める対応がなされたことで、場は混乱せずにすみました。実際、表現のしかたについて指摘するときも、「~~しないようにしよう」 ではなく、「~~していきましょう」、と、まさに肯定形となっていて、とても気持ちのいいものでした。相手を否定するのは簡単です。でもそこで、話が終わりになってしまうのではつまりません。肯定的に考え、受け止めることで、次なる展開が見えてきます。よりよい関係も築きやすくなっていきます。私たちは、理解しあうために議論をしているのです。けっして、勝ち負けのためではないのです。だからこそ、肯定形で考え、受け止める必要があるのです。それって、日常においても、同じことですよね。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第95号(2004年2月3日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.22
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★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------------------------「変わってるね」と言われたら、「これでOK」と思おう。あらためて振り返ってみると、(みなくても?)私は、けっこう「変わった」子どもだったように思います。空想癖が強くて、ときどき「トリップ」していたりとか、通信簿の「協調性」のところだけ、「悪い」だったりとか。(笑)だから、当たりまえの結果ですが、ひとからはよく、「変わってるね」といわれてきました。そして、この「変わってるね」は、しばしば、「人生の正規のルートに乗っていない」とでもいうような、ちょっとマイナスのニュアンスを含んだものであったりしました。昔からの知り合いのひとのなかに、若いときから、いわゆるエリートコースを進んだひとがいました。そのひとも、ときどき、私にたいして、「変わってるなあ」「そんなにふらふらしていて大丈夫なのか」という、言いかたをしていました。(早い話が、ちょっとあきれていたみたいです)ところが、とんとん拍子のそのひとの人生に、あるとき、影が差すできごとが起きてしまいました。そのひとが担当している事業が、関係者からの反対を受け、暗礁に乗り上げてしまったのです。会社からはその事業を早く進めるように言われ、反対する相手を説得しなければ、前に進めず…。そのひとは、本当につらかったのでしょう。とうとう、からだに変調をきたしてしまいました。そのころでした。珍しく、私に電話がかかってきたのは。(そのひとから電話が来ること自体が珍しいのです)電話の向こうで、そのひとは言いました。「相変わらず、風来坊の人生をやっているのか。 いいよなあ、自分の好きなように生きられて」とりたてて用件もない電話はすぐに切れ、不思議な気持ちがして、私は受話器を置きました。「自分の好きなように…」と、いばって言えるほど、そのころの私の暮らしは、楽ではありませんでした。(今も、ですけど)(^^ゞそれでも、たしかに、私は自由でした。誰に敷いてもらったのでもない、私自身が選んで決めた自分の道を歩こうとしていました。相変わらず、「変わってるね」と言われつづけながら。「これでいいんだ。OKなんだ」と思いました。まだまだ先は見えませんでしたけど、「変わってる」自分の、そのままを生きようと思いました。そんなふうに考えてみると、「変わってるね」という言葉は、「自分の道を歩いているね」という意味なのかもしれません。「変わってるね」と言われて、気になるひとは、「これでOK」と、自分に言ってあげるといいのだと思います。一人ひとりが、そのひとなりの「変わった」生きかたをすれば、「変わってるね」という言葉も、なくなるのかもしれません。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第94号(2004年2月2日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.22
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------心が動くと、感情の言葉が出てきます。これ、ときどき、演劇部の生徒に言う言葉です。生徒たちは、よく、「お客さんが感動する舞台をつくりたい」と、言います。それは、もちろん、当然の気持ちでしょう。「じゃあ、どんな舞台だと、お客さんが感動するの?」すると、今度は少し首をかしげながら、答えます。「全力を尽くした舞台」「完成度の高い舞台」「感動する中身のある舞台」…。どれも間違いではないでしょう。でも、私はこんなふうにつけたします。「お客さんが、感情の言葉を言いたくなる舞台だよ」って。公演のときって、よく、アンケートをお願いします。そこには、観客のさまざまな感想が書かれています。「声が大きくてよかった」「動作がハッキリしていて、うまいと思った」「みんな、上手にできていた」こういう感想も、もちろんうれしいのですが、もっとうれしいのは、実はこちらの感想です。「○○(登場人物)がどうなるか、はらはらした」「◇◇の場面のところで、泣けてきた」「ラスト、よかったーってうれしくなった」このちがい、わかりますか?前者の観客は、自分は自分、舞台は舞台。、つまり、第三者的に、外がわから見た印象を語っています。でも、後者の観客は、まるで、自分も、舞台(物語)の一員であるかのように感じています。そのとき、そこには、「感情の言葉」があるのです。感情の言葉とは、心の揺れ動きをあらわす言葉。ここでは、「はらはらした」「泣けた」「うれしくなった」が、その言葉に当たりますね。さて、今日の話題を、日常に応用してみると、どうなるでしょう。相手に投げかけたことが、どう受け取られているか、それを知る、ひとつの手がかりになりますよね。相手の返事のなかに、感情の言葉が含まれていたら、それは、それなりのてごたえがあったということです。逆に、意識的にこの感情の言葉を使って、相手の心を、揺り動かすこともできるように思います。「○○してください」というよりも、「○○してもらえると、うれしいです」というふうに。感情の言葉。ちょっと意識してみると、おもしろいと思いますよ。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第93号(2004年2月1日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.22
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★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------------器のおおきなほうが、包んであげなさい。ちょっと、苦い思い出があります。ある中学校演劇部に、指導に行っていたときのことです。部員のひとりが、泣いているのです。聞くと、ある先生に言われた言葉で傷ついたというのです。たしかに、その言いかたは、それだけ聞いても、ずいぶん、思いやりのない言葉に感じるものでした。ほかの部員の話と照らし合わせてみても、傷つくのは無理もないなあという話で、内心、私も、その先生にたいして、腹が立ってきました。ただ、残念ながら、外部指導員という私の立場では、こんなとき、どうすることもできないのです。顧問の先生にも相談してみましたが、どうにも、らちがあかないようすです。でも、目の前の部員は泣いている。どうしたらいい?悩んだすえに、私はその部員に言いました。「私は、その先生のことを、よく知らないけれど、 生徒であるあなたに、 そんなことを言ってしまうというのは、 よほど、心にゆとりがないのかもしれないね。 先生としては、 それは正しい態度ではないかもしれないけれど、 人間なら、そういうときもあることはわかるよね」彼女はうなずいて、言いました。「○○先生は、 今、部活で(全国レベルの)大会を控えていて、 それで余計にいらいらしていたのかもしれない。 先生も、かわいそうなんだと思う」正直、この言葉に、私は涙が出そうになりました。「あなたには、 そのことがちゃんとわかっているんだよね。 あなたのほうが、 いま起きていることが何か、見えているんだよね。 だったらね、つらいかもしれないけれど、 器のおおきいほうが、相手をつつんであげなさい。 これは、年齢が上とか下の問題じゃないの。 人間としての、魂の器の問題なの。 つらいときや悲しいときには、いつでも話を聞くから、 いまは、あなたのほうが、おおきくなって包んであげて」彼女はじっと考えていました。そして、静かに言いました。「わかりました。やってみます」私自身は、中学・高校時代、高圧的な態度の先生にたいして、黙って、泣き寝入りするタイプではありませんでした。何せ、ばりばりの演劇部でしたからね。(^^ゞ徹底的に理論武装して、相手を口ごもらせるまで追求する方法さえ知っていました。でも、私はそれを彼女には、すすめませんでした。私と彼女は、あきらかに、タイプがちがうからです。繊細で、いつも、ひとの気持ちをおしはかってものを言う、彼女は、そんな性格の生徒だったのです。私の出したこたえが、最良のものであったとは、いま振り返ってみても、とても「イエス」とは言えません。ただ、その状況をすぐには変えられないことがわかったとき、私にできたのは、そういうことだった、ということなのです。ただ、このことは、彼女が、人間の心について、深く考えるきっかけにはなったようです。あとになって、顧問の先生から、彼女の卒業文集を読ませてもらったとき、それがわかりました。彼女が、本当におおきな器になって受けとめようとした、その心の軌跡を、私は感じとることができましたから。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第92号(2004年1月31日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.22
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★今日のフォーカスチェンジ♪------------------------------------------------------「一所懸命」は大切。でも、何に一所懸命になるかが、もっと大切。「一生懸命」「一所懸命」似てるけど、少しちがいますね。あなたはどちらを使ってますか?私は、「一所懸命」のほうです。理由は、一生、ずっと「懸命」だったら、疲れるから。(爆)…なんて、言葉の遊びはおいといて。(実は、どちらでもいいんです)(^○^)「一所懸命」(一生懸命)という言葉が好きなひとは、けっこう多いと思います。私もそうでした。でも、あるとき、ふっと思ったんです。「一所懸命ならそれでいい、ってわけじゃないよなあ」直接のきっかけは、高校生のときです。英語の文法が苦手で、それこそ一所懸命に勉強したんです。ところが、テストの結果はまるでだめ。泣きたい気持ちで、「私、一所懸命、勉強したのに」と愚痴ると、英語の得意な友人が、あっさり言ってのけました。「勉強の方法が間違っていたんだね」そのときは、「ぐっさー」でしたよ。正直、「ひどーい」と思いました。でもね、時間がたってみると、なるほどと思えてきたんです。たしかに私は、一所懸命、勉強はしていたけれど、やるべきこと(勉強の内容・方法)を間違っていた。つまり、本当に必要ではないことにたいして、一所懸命になってしまっていたんですね。それ以来、ときどき、意識してみるようになったんです。「いま、私がやっていることは、 本当に必要な『一所懸命』なのかな」って。効率的かどうか、ということだけじゃないですよ。自分の人生にとって、必要な『一所懸命』かどうか、なんです。そういう視点で見てみると、一所懸命にならなくてもいいことが、けっこうあるように思います。たとえば、世間体を気にして、自分のやりたいことを抑えること。やりたいことよりも、義務や義理を優先すること。上司(親・先生)に言われたことを、鵜呑みにしてがんばること。こんなことに、一所懸命になってたって、しかたありません。(と、私は思います)何にたいして、一所懸命になるのか。自分が、生き生き・わくわく・楽しくなれることにたいして。やればやるほど、エネルギーがわいてくるものにたいして。そして、できれば、それによって、喜びや幸福感を、まわりのひととわかちあえるものにたいして。今の私なら、そんなふうに思います。そして、たぶん、そういうものであれば、わざわざ「一所懸命」なんていわなくても、自然に、パワー全開になれるじゃないかなあって、思うんです。あなたが、「一所懸命」になりたいものは、何ですか?--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第91号(2004年1月30日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.22
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------------言葉の裏がわにある思いに、耳を傾けてみる。演劇の世界には、「せりふの裏を読む」という表現があります。書かれたせりふの表面ではなく、その裏にある感情や思いを読みとって、演じなさい、ということです。たとえば、 「あんたなんか大きらい」という言葉があったとして、それがそのままの意味なら、そのあと、たぶん、けんかのシーンに突入します。(^^ゞでも、そうではなくて、 「ほんとは好き」と言いたいのに言えない…という場面なら、さまざまな表現のしかたが考えられそうですね。言葉は、表の意味だけではない、ということは、本当は、誰でもが知っているはずなんです。でも、私たちは、なぜかそのことをすぐに忘れます。言葉の表面に振り回されて、苦しみます。「どうして、そんなことを言うの?」「あなたの言うことって、まるでわからない」そんなふうに、相手を責めてしまったりもします。もっと、素直になればいいのに…というハナシは、ここではちょっと置いておきましょう。(それは、いずれ取り上げることにしますから)(^^ゞその言葉を使って、相手が表現したいことは何なのか。そこに、耳を傾けてみませんか?子どもがおもちゃをほしがってぐずるとき、本当にほしいのは、おもちゃではないかもしれません。お父さんやお母さんがこのところ忙しくて、自分のことを見てくれるのは、わがままを言うときだけ。(たとえ、叱られるというおまけがついていてもね)だから、わざとそんな態度をとってみせることだってあるのです。そうすると、「おもちゃ買って」の、言葉の裏は、「ぼく(わたし)のことを見て」ということになりますよね。「おもちゃ買って」「また、そんなわがままを言って! だめ!」と、いつもの会話(?)になってしまう代わりに、ぎゅっと抱きしめて、「大好き」って言ってあげたら、ひょっとしたら、わがままを、言わなくなってしまうかもしれません。「でも、相手が何を考えているのか、わからないし…」たしかに、そんなときもありますよね。そんなときは、けっしてあせらないでください。こたえを急がないでください。ただ、じっと、そのひとの言葉に耳を傾けながら、言葉の裏にあるものを、感じようとしてください。わからなくてもいいんです。感じるだけでいいんです。「言葉の表面に見えないものが、きっとある」と信じて、それを感じとろうとするだけでいいんです。その気持ちが、きっと相手に伝わります。そして、そこから、おたがいの関係が、少しずつ変わりはじめます。トライしてみる価値は、充分にありますよ!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第90号(2004年1月29日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.22
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★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------------------ときには、自分に「ありがとう」と言ってあげよう。「ありがとう」という言葉の大切さに気づくひとが、最近、どんどん増えてきたなあと思います。もちろん、私も、よく使います。「ありがとう」って言うと、とても気持ちがいいですものね。その「ありがとう」を、ひとにたいしてだけでなく、自分にたいしても言おうと思った、直接のきっかけは、数年前、あまちゆうとさんのセミナーに出たときです。自分の「からだ」に感謝してください、というのです。最初はちょっとびっくりしました。でも…。年中無休、ボーナスどころか給料もなしで、不満も言わず働いてくれる社員なんて、どこにもいません。でも、「からだ」だけは、ちがいます。心臓が、ある日突然、「もう、○○年働いたから、ちょっと休暇くれ」って言いますか?どんなに乱暴に食べものを放りこんでも、胃は、毎日、黙々と消化しつづけてくれています。どんなにむちゃくちゃにアルコールを流しこんでも、肝臓は、せっせと浄化してくれています。(すみません…)(^^ゞその話を聞いたとき、本当に、視点が変わる気がしました。たくさんのひとに、あるいは、モノに、感謝の気持ちを表現できるようになってはいたけれど、「自分」のことは、置き去りにしていたなあって。それから、折にふれて、意識的に、自分にたいする「ありがとう」を言うようにしてみました。たくさん歩いた日には、足に「ありがとう」。目が疲れたなあと思ったときには、目に「いつもありがとう」。飲みすぎたときには、肝臓に…。(そればっかりかっ)不思議ですね。なんだか、自分が、いとおしくなってくるんです。「そうかあ、毎日よくやってくれてるよねえ」って。「こんな自分って、なんてすごいんだろう」って。(笑)あまちさんの話では、本当は、いっこいっこのからだの部分に、「ありがとう」と言ってあげるといいみたいなんですが、こんな方法もあるんだそうです。「私のすべての細胞さん、ありがとう」(爆)あまちさん、それって、手抜きって言いませんか?…っていうツッコミはやめましょう。何せ、私の心(と酒)の師匠ですから。(^^ゞなんだか、今日は、受け売りの話になってしまいましたが、あなたも、ときには、自分に「ありがとう」と言ってあげませんか?あなたの一番みぢかな、一番大切な存在。それが「自分」なんです。そのひとなしには、あなたは存在しないのです。(当たりまえですけど)その大切なひとと、「ありがとう」を分かち合ってほしいのです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第89号(2004年1月28日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.22
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★今日のフォーカスチェンジ♪-----------------------------------------ひとの話を聞くときは、比較・判断・批評をやめる。ひとの話を聞いているときって、いろいろな思いが浮かんでくるものですよね。賛成のときは、それでもかまわないのですが、そうではないときだって、けっこうあります。「このひとの考えかたって、どうも好きじゃないなあ」「おかしいよ。それ、絶対にまちがってる!」「自分の考えと比べると、この意見は…」などなど…。でも、そういうときって、実は、相手の話を、もう、本当には聞いていないんですよね。頭のなかは、自分の考えでいっぱいなんですから。極端に言えば、聞いているふりをしているだけ。ある時期まで、私はそのほうが、いいやりかただと思っていました。相手の話を聞きながら、判断・批評、ときには比較して、すぐに、自分の意見を言えるように準備することが、です。でもね、だんだん、あることに気づいたんです。即座に自分の意見を言い返すときって、しばしば、対立的な状況になっちゃうんですよね。なにせ、たいていは、意見が異なる場合ですからね。そんなときは、議論に勝っても負けても、おたがい、あまり気持ちのいい結果になりません。ふだんの関係まで、悪くなってしまうことさえあります。あるときから、まず、相手の話は最後まできちんと聞こう、と決めました。そして、相手が話しているあいだは、比較・判断・批評はやめよう、と決めました。けっこうむずかしかったですよー。決めていても、ついつい、浮かんできちゃうんです。(^^ゞ「いけない、また考えちゃった。無心で聞こう」って、思い直すことの繰り返しでした。それでも、そういう聞きかたに少しずつなれてくると、とてもおもしろいことがわかってきたんです。まず、自分の意見を考えるのは、相手の話がすべて終わってからでも間に合うということ。あせる必要はなかったんですね。それに、対立していると思っていた相手の意見のなかに、一致できる部分もあることが、見えてきたんです。全面賛成とまでいえなくても、全否定しなくてすむ要素がちゃんとある場合が多いんですね。そして、そういう少し異なる意見をとりいれたほうが、全体として、もっと話がふくらむことが、わかってきたんです。相手の話の途中で、自分の考えをめぐらしているあいだは、見えてこなかったことのような気がします。実は、最近では、一歩すすめて(?)、「相手の話は全部OK」と思って、聞くことにしています。(笑)もちろん、「話を聞いているあいだは」、だけですよ。いつでもそうなっちゃったら、アブないですからね。(^^ゞで、そういうふうに聞いてみると、よりいっそう、相手の話のなかの、すてきな部分が見えるようになってきたんです。そして、相手の話が終わって、自分の意見を言うときは、そのすてきな部分をまず伝えて、それから、「自分はこう思う」と言うようにしています。不思議と、というか、当然というべきか、無用な対立が、とても少なくなったと感じています。相手の話を聞いているときだけでいいんです。比較・判断・批評をやめる。…ためしに、やってみませんか?--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第88号(2004年1月27日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.22
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★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------------------もっとおおきなことにたいして、怒りませんか?私は、もともと、怒りっぽいたちではないので、日常のなかでも、感情を波立たせることはあまりありません。でも、世のなかには、自分のまわりの家族や、部下や、生徒などにたいして、すぐに腹を立てて、どなったりするひともいます。それって、すごいエネルギーだなあと、いつも、感心してしまうのです。(ほんとです)感情を、表に出せるというのは、これはとてもいいことです。感情を出せないと、人間は病気になってしまいますから。ただ、ときどき、見ていて、考えてしまうことがあります。「それって、本当に怒る必要のあることなの?」と、感じることが、しばしばあるからです。怒らなくても、話せばわかることだってあるのに。怒らないほうが、相手は素直に聞けるような気がするのに。怒りの感情は、気をつけて使わないと、発するがわにしても、受けるがわにしても、あまり気持ちのいい結果をもたらしません。、おたがいの気持ちのなかに、しこりを残してしまったり、ストレートな気持ちが、伝えにくくなってしまったりします。だとしたら、それって、感情の無駄づかいのような気がするのです。そして、不思議なことに、ちいさなことで怒る一方で、もっとおおきなことには、知らんぷりのひとが多いのです。たとえば、政治家など、ひとのうえに立つべきひとたちが、私利私欲で、勝手なことをやっているとき。たとえば、社会的に弱い立場のひとたちが、不当な扱いを受けたとき。そうしたものを見聞きしたときに、どうして、いつもの怒りのエネルギーを向けようとしないのでしょう。不思議です。相当に怒りがいのある材料のように思うのに。(^^ゞ本当に怒るべきことにたいして、きちんと怒れるならば、それを見ている、あなたのまわりのひとたちは、--家族でも、部下でも、生徒でも--あなたのその姿勢に、尊敬の念を抱くでしょう。そして、そんなあなたにふさわしい、家族や、部下や、生徒になりたいと思うのではないでしょうか。それって、とってもオトクなことのように思うのですが。怒りっぽいみなさん、いかがでしょう?(^^ゞ--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第87号(2004年1月26日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.22
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★今日のフォーカスチェンジ♪-----------------------------「泣く」時間を、自分にあげましょう。いま、日本では、自殺するひとが年間3万人を超えています。なかでも、中高年の男のひとの数が、思いのほか、多いのだそうです。不況の世のなかで、社会的な責任を負って生きることは、確かに、大変なことではあるでしょう。でも、どうして、だからといって、死ぬところまで、自分を追いつめてしまうのでしょうか。「泣くことができないから」ふっと、そんな言葉が心のなかにあがってきました。「泣くなんて、男らしくない」今の中高年のほとんどのかたは、おそらくそうした言葉を、子ども時代から聞かされて、育ってきたはずです。だから、「泣く」ことを受け入れられないのです。「泣く」自分なんて、とてもゆるせないのです。でも、近年の研究で、「泣く」ことは、ストレスを緩和し、回復力を高める働きにつながることがわかってきました。私自身、とても泣きむしの子どもだったので、それはよくわかります。とにかく、ちょっとしたことで、よく泣いたものです。でも、さんざん泣くと、あとがすっきりするのです。実は、いまだによく泣きます。しかも、ときどき、意図的に泣くことにしています。(笑)自分のなかで、もやもやがたまってきたなあと思ったら、「泣く」時間をつくって、「泣く」ために泣くんです。(爆)ばかばかしい、って笑うひともいるでしょうね。でも、よかったら、ぜひためしてみてください。「泣く」時間を、自分のためにつくってあげてください。「泣く」自分をゆるす時間を、つくってあげてください。どんな時代でも、どんな環境でも、生きていくってことは、それだけで、大変なことなんです。生きている自分っていうのは、それだけで、すごいなあって思うんです。だから、それ以上、自分を責めたり、無理に励ましたりしなくていいんです。つらい、苦しい、悲しい、寂しい、せつない。そんな感情を全部受け入れて、泣きましょう。泣いていいんです。そんな時間を、自分のためにつくってあげてください。そして、もしまわりに、泣かずにがんばっているひとを見たら、言ってあげてくださいね。(言えなければ、心のなかだけでも)「泣いていいんだよ」って。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第86号(2004年1月25日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.22
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------「私に聞くな!」いきなり、乱暴な言いかたですみません。(^^ゞ実は、これ、中学生たちに劇の指導をしているとき、私が、しばしば使う言葉なんです。 私は、中学校演劇部の外部指導員をやっています。なぜ、こんな言いかたを私がするのか?「かめさん、この場面、どこに立ったらいいですか?」「ここって、私も○○したほうがいいんでしょうか」そうなんです。生徒たちは、たえず、私に質問してくるのです。「私に聞くな。それはあなたの役がやることだろうが」そうこたえると、生徒たちは、まず一様にきょとんとします。彼ら彼女らは、びっくりするくらい、おとなに「指示」されることに慣れているのです。だから、いつもと同じ感覚で、私に「指示」を求めにきただけなのです。「私に聞くな。あなたが考えて決めなさい」私がそう言うと、生徒たちは、最初は、とても不安そうな表情を見せます。そこで、こうつけ加えます。「まず、自分のやりたいようにやってみようよ。 そこから、いっしょに考えよう」実際に、そこからすべてがはじまるのです。けっして、無責任にほうりだしているわけではないのです。でも、最初から「指示」をしてしまったら、生徒たちは、もう、「自分で考える」ことをやめてしまいます。何であれ、まず、自分で考えて自分で選択する。その体験を、私は保障したいし、大切にしたいのです。もちろん、やってみたこと=OKとは、いかないかもしれません。でも、「自分で決めてやってみる」という体験をした生徒たちは、びっくりするくらい、タフになっていきます。先日も、「この役、どういうふうに演じたらいいんですか」と、聞きにきた生徒がいました。おいおい、もう2年生だろう。何度同じことを言わせるんだ。「私に聞くな。あなたがやりたいようにやってみて」さすがに、何度も聞いてますから、彼女もわかったようです。「はい」と答えて、あれこれ試行錯誤しはじめました。その結果、見つけ出してきたのが、おそらくは、従来の解釈とは全然ちがう演じかたでした。「ありゃりゃ、これで大丈夫なのかな」と一瞬思いましたが、これがどうして、実におもしろいのです。何より、彼女自身がハマってしまったようです。ふだんはおとなしくて、控えめな彼女が、その演じかたを見つけてからというもの、日常の雰囲気まで変わってきました。役を演じるということをとおして、もう一人の自分(本当はちゃんと内がわにあったのですが)を発見したのかもしれません。本番は、彼女が登場する場面は、爆笑につぐ爆笑。まさに、エネルギー全開の舞台となったのでした。「私に聞くな」ある意味、突き放すことは、勇気のいることです。生徒たちを、とことん信頼しなくては、できないからです。でも、そういう関係をつくっていくこともまた、中学生たちと関わる、私たちの仕事であるとも思うのです。おとなの仕事は、おとなの言いなりになる子どもを育てることではありません。おとなの押しつけにたいしても、自分の感性でしっかりと対峙できる、そんな子どもを育てることではないかと、私は思っています。だから、彼ら彼女らと関わりながら、思わず、「やられた!」と思うような瞬間こそを、私は、待っていると言えるかもしれないのです。実際、そんな瞬間に、ときどき出会います。最高に幸せです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第85号(2004年1月24日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.14
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★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------サイアクの事態を、覚悟してみる。サイアクの事態…といっても、私の場合、たかが、パソコンがこわれただけの体験ですが。(爆)そのとき、運の悪いことに、たまたま、バックアップしていたデータを、うっかりミスで、消してしまった直後だったのです。(つまり、控えがない状態!)パソコンが立ちあがらない、とわかった瞬間に、脳裏をよぎったのは、「もしかして、データが全部、なくなった?」(@_@)自慢ですが(笑)、私のパソ内のデータは、個人パソとは思えないくらい、ものすごいのです。アドレス帳には、300人以上のアドレスが。それよりも、未発表もしくは書きかけの原稿。何百枚あるんだか、わかりません。もう一度書き直せといったら、…しっ、死ぬっ。(>_
2007.08.14
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------------視点を低くすれば、見えないものが見えてくる。よく、教育現場では、「子どもの視点に立って」といわれます。こんなことを聞いたことがあります。ある校長先生のお話です。小学校低学年の子どもたちが、とにかく、やたらあちこちにぶつかったりするので、「まわりをよく見なさい」と注意をしていたそうです。ところが、低学年くらいの子どもたちというのは、視野がまだ、おとなほど開けていないそうなのです。精神的な意味の「視野」じゃないですよ。ほんとに、物理的に、目で見える範囲、って意味です。おとなは、普通にまっすぐ前を向いていれば、まあ、ほぼ180度近く、視野に入れることができますね。ちいさな子どもたちの場合は、それが、150度とか、120度とか、とにかく、せまいのです。脇に行くほど見えないのです。「そうか」と思った校長先生は、その子どもの100何十度かの視野に合わせて、「箱めがね」をつくってみたそうです。(もちろん手製ですよ)そしたら、本当によくわかったんだそうです。「そうか、この視野なら、ぶつかるのも無理はない」それからは、注意のしかたを変えるようにしたそうです。こういうことって、頭で考えただけではなかなかわかりません。その校長先生の柔軟性、とても素晴らしいと思います。さて、ここからは、おまけの話。拡張高い話のあとにナンですが、私も、子どもよりもっと低い視点に、チャレンジしたことがあります。猫です。そのころ、私はとーっても田舎に住んでいたのですが、飼っていた猫が、夜、散歩に行きたがるんです。で、あるとき、ふっと、ついていってみようと思いました。猫が外に出るのといっしょに出て、アスファルトの道路に、四つんばいになりました。(笑)見つかったら、かなりアヤしいかっこうなんですけど、田舎ですからね。夜、外を歩いている人間なんていません。(^^ゞ猫は、ちょっと変な顔をして、私を見ましたけど(笑)、そのまま、すたすたと歩き始めました。私は、姿勢を低くしたまま、猫と、ちょうど同じ位置に視線が来るようにして、進みました。おもしろかったですよー。道ばたの草が、とても高く見えるんです。世界がとても大きくなって、実に不思議な体験でした。しかし、猫は、このうさんくさい飼い主を振り切りたいと思ったのか、そのまま、草むらに入っていってしまいました。そのままあとをついて…行きたかったのですが、いくらなんでも、アヤしすぎるので、そこで断念しました。それでも、充分にわくわくする体験でした。視点を変える。言葉だけでなくて、あなたも実際にトライしてみませんか?世界が変わることを実感できます。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第83号(2004年1月22日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.14
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------相手と、静かに息をあわせてみましょう。ワークショップのウォーミングアップで、ときどき使う方法です。二人組になって、背中と背中をあわせて座ります。お互いが心地よいと感じる場所(状態)を見つけたら、あとはただじっと、しずかに呼吸している。それだけのワークです。こんなふうに、誰かと、じっと背中をあわせるなんて、ふだんは、ありえないことですよね。温かかったり、少し骨っぽかったり…。一人ひとりの背中は、当たりまえですが、それぞれにちがいます。その、相手の背中をじっと感じながら、吐いて…吸って…。自然に、息があってきます。息があうままに、また、自然に相手を感じつづけます。ゆっくりと、心が落ち着いてくるのを感じます。私たちは、日常のなかで、「あのひととは、息があう」とか、「どうも、彼とは息があわないんだなあ」という言葉を発することが、しばしばあります。それは、比喩ではなくて、まさに、そういう状態なのです。心とからだは、ひとつながりのものですから。息があえば、自然に、そのひととのつながり感が生まれます。逆に、息があわないと、どうしてもぎくしゃくしてしまいます。このことがわかったら、誰かとコミュニケーションするときに、呼吸を意識してみるとおもしろいかもしれません。相手の呼吸を感じながら、ゆっくりとそれにあわせていくのです。二人の呼吸(リズムや深さなど)が一致したとき、おそらく、二人の親和感も、いっそう増していることでしょう。子どもたちが不安定な状態にあるときも、私はこの方法を使います。不安定なときは、息が浅くなっていることが多いのです。ですから、ゆっくりと深く呼吸をしながら、話しかけます。からだのどこか(肩など)にふれていると、なおいいでしょう。深い呼吸で、ゆっくりと話をしていると、子どもの呼吸も、自然にそれに近くなっていきます。実は、子どもたちが騒がしくしているときなど、「静かにしなさい」と、何度もいわなくても、この「呼吸をあわせる」方法を使うだけで、自然に静かになってくれることが多いんですよ。ときには、おだやかで深い呼吸を、日常のなかで、誰かと共有してみませんか?--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第82号(2004年1月21日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.14
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------------「人のため」は、「偽」って書くんです。私たちは、よく、「人のため」って言いたがります。「それは、あなたのためになるんだから」「あなたのために、言ってるのよ」「あなたのため」って、一見、とてもきれいに響く言葉です。言われると、なんだか、ことわりづらい気分になります。でも、ちょっと待ってくださいね。本当に、それはあなたのためになるんでしょうか?ときどき、中学生や高校生から、進路についての相談を受けることがあります。よくいわれることが、「親(先生)のすすめが、自分のやりたいこととちがう」私は、そのひとが、本当に何をやりたいかを確認したうえで、たいてい、こんなお返事をします。「もし、あなたが親(先生)のすすめにしたがって生きて、 30年後、それがうまくいかなかったとして、 親(先生)は、責任をとってくれますか?」くれません。断言していいです。(笑)大体、先行きのまるで読めないこの時代に、本当に、「それがあなたのため」なんて断言できるひとは、ほとんどいないはずなんです。なのに、なぜ、そんな言葉を使うのか?「あなたのため」と言っていることは、本当は、 「あなたがそうしてくれると、今、私が安心」 「そうしてくれないと、私の立場が心配」ということでしかなかったりするんです。本当に「人のため」って思ったら、やるべきことは、そのひとが、そのひと自身で選んでいけるかたちを探してあげることなんです。だって、そのひとの人生はそのひと自身のものなんですから!結局、自分のことは自分にしかわからないのです。私たちは、自分で選んだことしか、受け取れないのです。だから、「あなたのため」「○○のため」といわれたら、立ち止まって、「本当かな?」と考えてみましょう。あなたがあなたのためにどう生きるかは、あなた自身のなかに、こたえがあるはずなんですから。ついでに、もしもあなた自身が、誰かにたいして、「あなたのため」と言っているとしたら、その言葉に、最後まで責任をもてるか、考えてみてください。もしも、もてそうにないなら、誰かにたいして、「あなたのため」なんて言うのを、やめてみましょうよ。そして、そのひとのことは、そのひとが考えるにまかせて、あなた自身のことこそを、しっかり考えていきましょうよ。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第81号(2004年1月20日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.14
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------------------前例はなくていい。あなたが最初のひとになればいい。よく、お役所言葉として揶揄される言葉のひとつに、「前例がありません」というのがあります。でも、ひとごとじゃないですね、私たちも。ふだん、ついつい口にしていることはありませんか?「そんなの、聞いたことがないから、やめよう」「やったことがないから、無理だ」…それって、結局、同じことだと思うんですね。私は北海道の出身です。北海道って、先住民族のかたはいますが、いわゆる「和人」が入ったのは、100年ちょっと前の話です。何をするにも、「はじめて」の連続でした。「前例がない」のが、当たりまえだったんです。逆にいうと、言ったもんがち、みたいなところがありました。思いついたら、あとは実行するだけだったんです。単純でしょう?(笑)でもね。「思いついたら、実行するだけ」これが当たりまえにできると、どうなると思いますか?エネルギーが、どんどんわいてくるんです。前をさえぎるものがないから、元気よく進めるんです。もちろん、うまくいかないことだって、ときには起きます。でも、前例がないんですからね。それらは、一つひとつが貴重な体験となるだけなんです。実際、私自身、いろいろなことをやってきたわけですが、思い返すと、ぜーんぶ、楽しい記憶ばかりです。何しろ、比較するもの(前例)がないのですからね。ただただ、楽しんでやってみればいいだけなんです。前例のないことに、行きあったら。それこそチャンスだと思って喜びましょう。あなたが、それにトライする、最初のひとになるんです。あなたの体験は、それがどんなものであれ、あとのひとたちのための、大切な蓄積なんです。前例がないから、だめなのではなく、前例がないから、やってみる価値があるんです。あなたの残す「前例」が、次に進むひとたちを、より自由にするものになりますように!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第80号(2004年1月19日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.14
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------------------------それは、「底」ではなくて、本当は「ふた」なんですよ。私がおこなっている、ワークショップのなかには、アイデアを出しあっていくゲームが、いくつもあります。たとえば、椅子があります。椅子に座っているひとがいます。別のひとが、そのひとに働きかけて、椅子からよけてもらいます。方法は何でもかまいません。 椅子に座っているひとは、 決して、相手の働きかけを拒否しないこと。たとえば、「その椅子、ペンキ塗りたてですよ」「えっ、ほんと?」(立ち上がる)「奥さん、今、そこでパーゲンセールやってるわよ」「どこどこ。いっしょに行くわ」(立ち上がる)「お客さん、終点ですよ」「あ、はい、どうもありがとう」(立ち上がる)こんな感じで、参加者はどんどん交代しながら、アイデアを出していくのです。最初は、とても楽しんでアイデアを出していきます。ところが、当然、ネタが尽きていきます。自分の番がまわってきても、もう思いつかないのです。「困った」と、とたんに頭をかかえ出します。私たちは、いつも、自分が「できる」「わかる」範囲で暮らしています。そのほうが、効率的だし、不安にならないからです。ところが、このゲームでは、「できる」「わかる」ネタはすぐになくなってしまいます。ここが、実は「チャンス」なのです。「できる」「わかる」ネタでまわしているときには、「底」は、そのネタに覆い隠されて、見えていません。ところが、ネタを洗いざらい放出してしまうと、「底」が、見えてきます。その「底」をよくよく見ると、もちあげられる取っ手がついています。そう、「底」だと思っていたそれは、実は、「ふた」だったのです。「できる」「わかる」範囲から一歩踏み出したとき、あたらしい世界が、そこにひらかれるのです。あふれるように、あれもこれもとアイデアが出始めます。言っている本人が、びっくりするくらいです。これって、「底」までさらって、「ふた」であることに気づいたからこそ、出てくるアイデアたちなのです。私たちは、無限の可能性をもっています。ちいさなゲームが、そのことを教えてくれます。あなたも、あなた自身の「ふた」を開けてみませんか?--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第79号(2004年1月18日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.14
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★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------------ただ、ひたすら、ゆるしつづけてください。私の大好きな本のひとつに、ジャンポルスキーの『ゆるすということ』(サンマーク出版)があります。今日のメッセージは、本当は、この本を一冊まるごと読んでいただくほうが、より深く伝わるのですが、いつものように、私なりの言葉でなんとか表現してみようと思います。「そのひとのなかに『光』を見よう」「人間関係は『鏡』です」こんな言葉を、繰り返し使って確認しなければならないほど、私たちは、ひとを、そして、自分をゆるせない思いで生きています。どんなに抑えても、怒りは湧き上がってくるし、また、そんな自分がいやで、ますます落ちこんでしまったりします。どうして、ひとは、こんなにも未熟な生きものなのでしょう。どうして、自分は、こんなにも感情に左右されてしまうのでしょう。どうにもならない現実に直面したとき、私は、ただ、「ゆるそう」「ゆるしていいのだ」と自分に言い聞かせます。何をゆるすのか?ありとあらゆる、すべてのことを、です。そして、何よりも、自分自身を。感情に振り回されてしまう、自分を。--ゆるします。言わなくてもいいひとことを言ってしまった自分を。--ゆるします。心のなかで、おもてとは裏腹なことを考えていた自分を。--ゆるします。そんなわがままはとてもゆるせないと思う、自分を。--ゆるします。ゆるします。ただ、ひたすら、ゆるしつづけます。ゆるしは、理屈ではないのです。また、特定の宗教にとらわれるものでもありません。ゆるしは、自分の内なる「愛」に向かう行為なのです。「愛」という言葉の定義はとてもむずかしいのですが、私には、今は、これ以上の言葉を見つけることができません。ゆるしつづけることは、とても怖いことです。こんな、ダメな自分をゆるしていいのだろうか。ゆるしてしまったら、もっとダメになってしまうのでは…。そんな恐怖が、たえず襲ってくるのです。でも、その怖れを超えて、ゆるしつづけていくと、やがて、ちがう地平が見えてくるのです。私たちは、自分をゆるせない度合いだけ、他者をゆるさないでいた、ということに気づくのです。ゆるしは、「受容」ということばに、置き換えることができるかもしれない、と思います。自分を受け入れ、受け入れ、受け入れていったとき、受け入れられるだけの愛をもった自分に気づきます。自分をまるごと受け入れることができるなら、他者を、受け入れることは、実に簡単なことなのです。理屈で考えるのをやめにして、ためしに、この100%のゆるしを実践してみてください。ゆるせないと、じたばたしている自分に、「そんな自分をゆるす」と言ってやってください。どこまでも、どこまでも、ゆるしていってください。行動でゆるせなくてもかまいません。まずは、ことばで。ことばでしかゆるせない自分を、ゆるしながら。私もまた、この道の途上にいます。まだまだ途上です。でも、この道の先にあるものを感じていられるので、ゆるしつづけていけると思っています。そして、よりおおくのひとと、このゆるしの体験をともにできたらいいなあと、願っています。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第78号(2004年1月17日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.14
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------人間関係は「鏡」です。昨日の、「そのひとのなかの『光』を見よう」には、さまざまなメッセージが寄せられました。光を見るのは、正直、簡単な話ではありません。さまざまな葛藤も生まれます。その、苦しいせつない気持ちも、よくわかるのです。私自身、最初からすぐにできたわけではありません。さまざまなまわり道をしたあげくに、ようやく、たどり着いたのが、この視点なのです。そして、この視点を自分のものにするために、繰り返し使ってきたのが、「人間関係は鏡」という言葉です。実際の鏡が、目の前のものをそのままに映し出すように、心の鏡も、目の前のひととの関係を、映し出しているのです。誰かとの人間関係を見ていくと、それを鏡として、自分の姿を、見つめ直すことができます。私自身の体験で、一番印象深いことを書きたいと思います。何度か書いてきましたが、私は、8年前に会社を辞めました。(年が明けましたから、足かけもう9年目になります)、辞める前、仕事関係のひと(上司みたいな関係のひと)と、なかなかうまくいかないようになってしまっていました。私がどんなに残業して、苦労して仕事をしても、いたわりの言葉ひとつ、かけてくれないのです。それどころか、さらに冷たい言葉をかけたり、私の仕事を無視するような態度さえとるのです。本当に、絶対に許せないと、私は、辞めたあとも怒りつづけていました。でも、今はその気持ちはありません。あのときの「上司」の姿は、私にとって、まさに「鏡」だったと気づいたからです。私は、「上司」にたいして、「上司はかくあるべし」という理想を要求していました。私の要求は、かたちのうえでは、正当でしたが、「上司」の得意とするかたちではありませんでした。私はそれを無視して、私の理想を、「上司」に押しつけていたのです。ですから、「上司」は、私と向き合うと、自分にはできない要求を押しつけられるようで、いたたまれなかったのだと思います。 そのように感じることが、 「上司」の資質としてどうかは抜きにして、 人間として…の視点で書いています。「自分はそういうやりかたはできない」という思いが、私にたいして、いたわりのない言葉になりました。できるだけ、接触を避けようとする態度が、「無視している」と、私の目には映りました。どちらが悪いのでもないのです。ただ、お互いが、自分だけを見ていたために、そこに何が起きているか、気づくことができなかったのです。まるで、全力でつなひきをしながら、相手に、「こっちに来て」と言っているようなものです。人間関係を、「鏡」として見ることができるようになって、そういうことが、少しずつ見えてくるようになりました。人間関係で、うまくいかないことがあると、この「鏡」は、何を映してみせてくれているのだろうと、自然に考える習慣がつきました。相手にたいして、波立つ感情があがってくると、「相手のなかの光を見よう」と、自然と気持ちを切り替えることができるようになってきました。でもまだまだ、「修行」の途上ですよ。ときどき、思いがけない「噴火」も起こします。(^^ゞこの話題は、けっこう奥が深いので、明日、もう一回、とりあげてみたいと思います。忌憚のないご意見やご感想をいただけると、うれしいです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第77号(2004年1月16日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.14
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------そのひとのなかの「光」を見よう。私たちは、しばしば、何かにたいして怒りを感じます。誰かを非難したくなります。それは、たいていの場合、相手の問題というよりは、自分自身のなかに、痛みのもととなるものがあって、それを刺激されてしまうために起こる感情なのです。でも、怒りに包まれたとき、私たちは、自分の内がわの痛みを見ることができません。外がわの、他者を責める(攻撃する)ことで、自分をまもろうとしてしまうのです。その結果は、たいていうまくいきません。自分か相手か、ときには両方傷ついて、それで終わりです。しかも、根っこのところは何も変化していませんから、私たちは、いずれまた同じ問題に直面しなければならなくなります。どうしたら、この循環を、終わらせることができるでしょうか。怒りがあがってきたとき、あるいは、誰かを非難したい気持ちになったとき、とりあえず、いっさいの判断を停止して、私は、相手のなかに「光」を見ようとします。具体的には、そのひとの「いいところ」を思い出すのです。どんなに共感できない相手であっても、ひとつくらいは、「いいな」と思える部分があるはずです。(思えないとしたら、それはあなたが、 相手を「まるごと」見ていないことになります)そのたったひとつが、おおきな手がかりなのです。ひとつだけでいいから、見つけたら、それを「光」のイメージで、じっとじっと見つめつづけるのです。「光」は、見つめられるほどに、おおきくなってきます。やがて、そのひと全体が「光」に包まれていきます。そうなったとき、もう一度、怒りの発端となった、できごとを見てみましょう。きっと気づくはずです。怒りの原因は、相手ではなく、自分自身の内がわにあると。相手の言葉(行動・態度)が、たまたま、その、自分の内なる原因を刺激したにすぎないのだと。おそらく、そのとき、あなたの波立っていた感情は、すでにおさまっていることでしょう。相手のなかに「光」を見る。それは、とりもなおさず、その「光」を使って、自分の内がわを照らす作業でもあったのです。ひとを非難したくなったとき、怒りがあがってきたとき、私はいつも、心に言い聞かせます。「相手の光を見よう。光とつながろう」そうすれば、少なくとも、表面的なところで、相手や自分を傷つけることを回避することができます。そして、そのあとどうするかは、あなた自身(私自身)の選択なのです。※このテーマ、ちょっとおおきいので、 明日も、関連の話題でつづけてみたいと思います。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第76号(2004年1月15日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.14
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------自分の言葉で語ってみよう。話し合いの席で、ときどき、こんな発言に遭遇します。「○○さんの意見と同じです」急ぎのときや、意見を集約しているときなら、それでかまわないと思います。でも、そうでないとき、私はこうお願いすることにしています。「同じでもいいですから、 自分の言葉でしゃべってみてください」そうすると、絶対に、ちがうんです。わずかな言葉の言い回しのちがいであったとしても、とにかく、まったく同じにはならないんです。(当然ですね)ときには、微妙にニュアンスが変わってくることさえあります。語っている本人が、語りながら、「あれ、同じだと思ってたけど、少しちがうかも」と気づくこともあります。あなたが、誰かとまったく同じ人間ではありえないように、あなたの言葉も、誰かとまったく同じということは、ありえません。あなたが、あなたの言葉で語るということは、あなたが、あなたでありつづけることの、確認でもあるのです。この、私の「フォーカスチェンジ」もそうです。ときには、「それ、どこかで読んだことある」と感じる内容の日もあるかもしれません。もしかしたら、もっと上手な書きかたをするひとがいて、それを引用しちゃうほうが、早いこともあるかもしれません。でも、私は、毎回、考えるのです。そして、自分の言葉で、それをとらえ直すのです。できるだけ、自分の体験をとおして。できるだけ、自分の実感が伝わるように意識して。そうすることで、言葉が自分のなかに入ってきます。借り物ではない、自分の言葉を私は発見します。借り物ではない、自分の言葉と、借り物ではない、あなたの言葉が出会うとき、そこに、コミュニケーションが生まれます。そのとき、言葉は、言葉本来のエネルギーを取り戻すのです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第75号(2004年1月14日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.09
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★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------------------「個性」がないのじゃなくて、見えてないだけ!こんな声を聞いたことはありませんか?「いまどきの子どもたちは、個性がない」でも、本当に、いまどきの子どもは個性がないんでしょうか?養老孟司さんの『バカの壁』(新潮新書)のなかに、こんな一節がありました。 「本当に存分に『個性』を発揮している人が出てきたら、 そんな人は精神病院に入れられてしまうこと必至」 「要するに、もとめられる『個性』を発揮しろという、 矛盾した要求が出されているのです」まさにそのとおりと、拍手してしまいました。(^^ゞたとえば、おそろしく残虐な性格であっても、それも、ある意味では、「個性」なわけです。「その個性はよくて、その個性はだめ」となったら、「個性マニュアル」でもつくらなくては対応できません。マニュアルって、「個性」の対極にあるものじゃないですか?ほとんど、ブラックユーモアの世界ですネ。(^^ゞワークショップをやっていると、最初はとてもおとなしそうに見えた子が、生き生きした表現をするようになることが、よくあります。では、その子は、変わったのでしょうか?その子の「個性」が、わずかの時間に育ったのでしょうか?そんなに簡単に変わるものを、個性というのでしょうか?そうではない、と私は思っています。それは、もともとその子のなかに、あったのです。ワークというきっかけを使って、隠されていたものが、おもてに出てきただけなのです。そう、「個性」は、誰だってもっているのです。その子がその子として存在するということが、そのまま、「個性」なのですから。表現のワークでは、まずそのことを、認めます。もじもじしていても、斜めにかまえていても、それはそれで、OKというところから出発します。(少なくとも、私はそうしています)だってそれが、その子の「個性」なのですから。そして、あとは、その子がその子のさまざまな「個性」を、楽しんで使うことができるように、いろいろな仕掛けをつくっておくだけでいいのです。もしも、あなたのまわりに、「個性がない」ひとが集まっているとしたら、まずは、あなた自身の感覚をちょっぴり,うたがってみる必要があります。「個性」はあるのです、はじめから誰にでも。ただ、あなたが、「かくあるべき」という「個性にたいする固定観念」を持つ度合いだけ、それは、見えにくくなっていくのです。残念なことに。どうぞ、ありのままの、一人ひとりに、まなざしを向けてみてくださいね。それだけで、一人ひとりの輝きが見えてくるはずですから!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第74号(2004年1月13日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.09
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★今日のフォーカスチェンジ♪-----------------------------「教える」ことで、わかることもある。演劇部ネタがつづいていますが、よろしくおつきあいください。(^^ゞ演劇部外部指導員になって、早いもので9年目。このところ、あちこちからワークショップを頼まれる機会も増え、こうした場のひろがりを、とても喜んでいます。ところが、反面、そんな感じで多用になっていくものですから、以前ほど、演劇部の稽古に出ることができなくなりました。新しく入ってくるメンバーに、基礎レッスンをきちんと指導する時間もなかなかとれません。そこで思いついたのが、「指導方法伝授のためのワークショップ」。長期休みに、3日ほどとって、集中練習をしました。部員たちが、私の代わりに、新しく入ってくるメンバーに、基礎レッスンを指導できるように、どういうふうに指導したらいいかを、指導したわけです。一つひとつのレッスンを、指名して、実際に「教える」役になって、やってもらいます。導入の声かけから、注意すべきポイントなど、一つひとつ、おさらいしていきます。これが、とてもよかったのです。今まで、受け身で体験していたレッスンを、みんな、がぜん、真剣に取り組むようになりました。「教える」内容は同じでも、その子によって、表現の個性はさまざまです。「教える」という体験をとおして、そのレッスンを自分のものにしていっていることが、はたから見ていてもよくわかりました。「教える」って、一番の勉強方法ともいいますものね。あらためて、実感してしまいました。余談ですが、おもしろいこともわかりました。子どもたちが、そのときに使う言葉が、私がいつも使っている言葉そのままなのです。いつのまにか、自然に覚えてしまっているのですね。うっかりしたことは言えないなあと、冷や汗をかいた次第です。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第73号(2004年1月12日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.09
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★今日のフォーカスチェンジ♪-------------------------変わっていくから、おもしろい。中学校演劇部の外部指導員をやっています。私の指導のしかたは実にいい加減で、「毎回変わっていい」というのが基本なのです。たとえば、ある場面で、Aさんと、Bさんという役者さんが、舞台のうえにいたとします。一回目の稽古でも、二回目の稽古でも、三回目の稽古でも、AさんもBさんも、同じ立ち位置で、演技しています。そんなとき、私は言います。「立ち位置、自由に変わっていいんだよ」そして、立ち位置が変わると、今度はこんなふうに言います。「立ち位置が変わったら、せりふの言い方も変わるよね」むずかしいと思われるでしょうか?でも、私たちの生活のなかでだって、いつも同じ位置で、まったく同じ言葉を言うことなんて、本来、とても特殊なことなのです。変化するのです。常に、微妙に。その変化を受け入れて、対応することを、「関わる」というのです。人間関係というのです。私のアドバイスを聞き入れて、子どもたちの演技が変わっていきます。でも、私はまだ満足しません。私が本当に楽しみにしているのは、このあとです。今日、私が関わってつくった、新しい表現が、どこまで変化していくかを見たいのです。私の指導は、子どもたちの内面にあるものを引き出すための、あくまでもひとつの触媒に過ぎません。そこから、子どもたち自身が、あらたに生み出していく。それこそが、「創造する」という作業なのです。ときには、私の指導したかたちがこわされることもあります。でも、それでいいのです。というよりも、そうでなくてはいけないのです。「変わっていくから、おもしろい」これって、舞台のうえのことだけではありませんよね?--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第72号(2004年1月11日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.09
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★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------------------満たされているひとは、けっして人を攻撃しない。これは、人間関係のトラブルに直面したとき、私が使う、究極の「魔法の言葉」です。誰かに、ひどい仕打ちをされたとき、私たちは、ついつい、そのひとを非難したくなります。実際、信じられないような、許せない行為をするひとも、この世の中にはいるものです。とりわけ、犯罪まで発展してしまったようなときの、被害者のかたの痛みは、とうていはかりしれません。ただ、それがおおきなトラブルであれ、小さな場合であれ、(そして、罪をどのようにつぐなうかは別の問題として)ひとつだけ、忘れてはならないことがあります。それが、「満たされているひとは、けっして人を攻撃しない」ということなのです。単純に言ってしまえば、「ああ、今日は気分爽快だから、 いっちょ、隣のやつを殴ってやろうか」と考えるひとは、いない、ということなのです。「私はなんて幸せなんでしょう。 今から、外にでかけて、放火をしてくるわ」と思うひとは、いない、ということなのです。私たちは、誰かから痛みを与えられると、その相手の、何もかもを否定したくなるものです。でも、どんな人間だって、生まれ落ちた瞬間から、悪人であるということは、絶対にないのです。そのひとの生きてきたプロセスのなかで、どうしようもなく傷ついてきた部分があるのです。それが、満たされない気持ちとなって、他者にたいする攻撃へと転化してしまうのです。もちろん、だからといって、ひとを傷つける行為が、許されるわけではありません。ただ、何か、そういう場面に遭遇したとき、そのことを思い出すことができれば、私たちは、そのひとを、まるごと否定しなくてもすむようになります。まして、ことが、日常レベルの問題であれば、そのひとの満たされなさに気づくことによって、問題解決への心のゆとりをもつことができます。子どもたちとの対話のなかでも、私は、よくこの言葉を使います。「○○ちゃんが、こんなことをした。あんなことをした」「そう。それはつらかったね。悲しかったね。 どうして、○○ちゃんは、そんなことをしたんだろう」「わからない。○○ちゃんはいつもそう」「もし、○○ちゃんが、毎日楽しくてうれしくて幸せだったら、 やっぱり、そういうことをしたかなあ」「…しないと思う」「○○ちゃんは、どんな気持ちなんだろう」「~~かもしれない」こんな会話をかわしたあとでは、同じトラブルでも、解決のプロセスが変わってくることが多いのです。少なくとも、怒りなどの激情にまかせたままにして、問題をさらにややこしくすることを避けることができます。心の痛み(満たされなさ)という、誰でもがかかえている心を共有していくことから、私たちは、ふたたびつながっていくことができるのです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第71号(2004年1月10日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.09
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★今日のフォーカスチェンジ♪------------------------------「わからない」ことを楽しんでみよう。昨日の、「わからない」お話のつづきです。(^^ゞ「 自分の前に越えられない壁が立ち現れたとき、 越えられない自分を嘆くのではなく、 そんな自分を受け入れ、たんたんとし続けていると、 気がつくと、必ず、その壁を乗り越えているのです。」 (平井雷太さん「わからないままでやってみる」 /毎日新聞/2003年8月4日付)厳密には私が書いた内容とは少し異なるのですが、「わからない」=「拒絶」、ではない、というスタンスはいっしょです。わからないものについて、それを急いで判断することは保留して、目の前のことをやっていくという点も、共通しているかも?さて、私は、ここ数年、インプロ(即興演劇)を学びつづけています。ですが、あるとき、前に進めない思いで、足踏みしていた時期がありました。ワークが終わるたびに、不完全燃焼の思いが残ります。なぜ、うまくいかないのか、わからないのです。でも、くよくよ考えてもしかたがないので、とにかく、目の前のワークを、100%やっていこうとこころみていました。すると、ある日、ふっと、何かすとんと落ちる気がしました。わからないけれど、わかった気がするのです。(笑)今まで、うまくいかないと思っていたことが、何も考えずにやっているうちに、できてしまったみたいなのです。それは、頭で無理やり「わかった」のではなく、自然に、心とからだで、「わかった」もののような気がします。「わからない」ことは、「保留」しながら楽しんでいいのだなとあらためて思ったのでした。「わかる」「わからない」にこだわってしまったら、「できる」「できない」にこだわってしまったら、この感覚を、手にすることはできなかったような気がします。ただ、その瞬間瞬間を、楽しんでいくこと。平井さんの言葉を借りれば、「たんたんとつづけていくこと」道は、いつでもそこからひらけるのかもしれませんね。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第70号(2004年1月9日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.09
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★今日のフォーカスチェンジ♪------------------------------------わからないなら、わからないままにしておく。「わからない」ことに出会ったとき、私たちは、「わかりたい」と思います。それはとても自然だし、大切なことです。ただ、「わかりたい」という気持ちが強すぎると、ときどき、急ぎすぎてしまうことがあるようです。とりわけ、ひとの気持ちにたいして。あのひとの気持ちがわからない。あのひとが言っていることが、理解できない。そんなとき、私たちはとても不安になります。「わからない」と拒否したくなったり、「わかったつもり」になってしまいたくなります。ところで、「わかる」とは、「分かる」です。この字は、刀で二つに切り分けるかたちをしています。すっぱり、右と左に分かれるのです。(文字どおり)二つに分けるということは、「わからない」と「わかる」ことのあいだに、あいまいな境界線はないのです。だから、厳密に言えば、「大体わかった」という表現は、ないはずなのです。本当に、二つに切り分けられない限り、「わかった」ことにはならないとしたら「わかる」というのは、そんなに簡単なことではないのかもしれません。むしろ、「わからない」という状態のほうが、自然なのかもしれません。そんなことを考えていたとき、ふっと、「わからなければ、わからないままでいいんだ」と思ったのです。そして、それからは、「わからない」という状態を、自分のこころのなかに、保留しておくことにしました。わからない。わからないなあ。わかるふりはしなくていいや。わからないけど、とりあえず見えるところに置いとこう。…そんな感じでしょうか。そうすると、おもしろいもので、ふっと、「わかる」瞬間がやってくるのです。ときには、忘れるくらい先のこともありますけれど。でも、その「わかる」という感覚は、「わからない」と拒絶してしまったら、手に入らなかったものでした。「わかったつもり」になってしまっていても、手に入りにくかったかもしれません。わからないことがわかる、というのは、とても大切な体験なのです。わからないことに出会ったら、あせらずに、わからないままにしておきましょう。わかろうと努力したいときには、そうしていいのですが、抵抗があったり、うまくいかないときは、無理をしないで、そっと保留しておきましょう。保留ですよ。放棄じゃないですよ。(^^ゞそして、「わかる」瞬間を楽しみに待っていてくださいね。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第69号(2004年1月8日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.09
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------------心のフロッピィを、書き換えてみませんか?よく、「過去は変えられない」と言いますよね。本当にそうなのでしょうか?たしかに、起きてしまった「事実」は変えられません。でも、それを見る心が変わると、その事実さえも、またちがったものに見えてくるんです。以前、何かの本で読んだ話ですが、ひとの心は、フロッピィのようなものだと。私たちは、過去の記憶を思い出すたびに、その記憶を、あらたに「保存」しているのです。たとえば、何かとてもいやな記憶があったとします。それを思い出して、「いやだなあ」と思うと、それは、フロッピィにあらためて、「いやだなあ」と書きこみしているのと同じことになるわけです。だから、同じ「いやだなあ」と思い出したときでも、別の何かをつけ加えて保存しなおせば、記憶は、少しずつ変化していくのです。ちょっとわかりにくいですね。例を出しましょう。たとえば、子どもに頼んだ用事が、できていなかったとします。あなたは、「言うことをきかなかった」と怒るかもしれません。ところが、あとになって、実は、その子は、その日、ひどい腹痛を起こしていたと知ったとします。「それは無理のないことだな」と、あなたの怒りは、おそらくトーンダウンするでしょう。あらたな情報によって、書きこみがされるからです。用事をやっていないという事実は事実だけれど、それにたいする、あなたの心(見かた)が変わるのです。今の例は、外からの要因による書きこみですけれど、これを活用すれば、内からの書きこみも可能になります。上記の例でいえば、「言うことをきかない」と思った瞬間に、「でも、いつもはちゃんとやってるよね」などと思い直せば、たちまち、記憶は書き直されるのです。長期にわたる記憶についても、同じやりかたができます。あなたが、もし、過去の痛みや怒りにとらわれていたなら、その記憶を、少しずつ書き換えていけばいいのです。しばらく前のこと、私は、ある催しもので、以前、とても苦手だったひとと会いました。直接、会話をする位置にはいなかったので、そのひとのことを、ゆっくり見ることができました。不思議と、過去の感情はわいてきませんでした。私は、時間をかけて、自分の心のフロッピィを書き換えてきたんだなと気づきました。それは、とても安らかな気持ちでした。そのあと、たまたま別の場所で、そのひとのことが話題にのぼったときに、そのひとを、評価する言葉さえ、言うことができました。心のフロッピィは、書き換えられるのです。あなたが、そう決意さえすれば。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第68号(2004年1月7日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.09
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------------いつでも出せる、すぐに出せる、3行メッセージ。最近はすっかりメールに頼っていますが、以前、私は、いつも、かばんのなかに、絵はがきを入れていました。ちょっとしたお礼の返事とか、電話するほどでもない急がない用件などは、いつも、絵はがきで出すことにしていたのです。絵はがきの長所は、書くスペースが少ないことです。(笑)何かをいただいたりして、お礼をするときって、いろいろ、考えてしまうものでしょう?季節のあいさつとか、具体的な感想とか。それを考えているうちに、ますます遅くなって。そうすると、ますます簡単にはいかなくなって、サイアクの場合は?出さずじまいになってしまったり…。何度かそんな失敗をしていたものですから、それをなくすために、考えたのが、絵はがきだったのです。ふだんから、旅先などで絵はがきを購入しておいて、何枚か、切手を貼り、自分の住所印も押した状態で、かばんのなかに入れておきます。そして、ちょっとした空き時間などに、取り出して、ささっと書くのです。「○○いただきました。 ありがとうございます! これから、ゆっくり味見します」こんな文面でも、絵はがきの場合は充分なんですね。私の場合は、少し太めのサインペンを使って、スペースいっぱいに、大きく書いたりして。(笑)何枚か用意しておくと、相手の好みに合わせて、雰囲気に合う、絵はがきを使うこともできます。メールの便利さにかまけて、しばらくさぼっていたのですが、最近、また、やってみようかなと思うようになりました。旅先で、絵はがきを探す楽しみも復活しそうです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第67号(2004年1月6日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.09
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★今日のフォーカスチェンジ♪--------------------------「心配」より「信頼」を。これをはじめて聞いたのは、神戸メンタルサービスを主宰する平準司さんの講座に参加したときでした。http://www.healing.ac/ (神戸メンタルサービス)はじめて聞いたとき、「すごいっ」と思いました。「しんぱい」 と 「しんらい」一字ちがいなのに、意味がまるで反対になってしまうのです。そう、私たちは、しょっちゅう「心配」をしています。とりわけ、おとなが子どもにたいするときは、なおさらです。「心配」をすると、どういうことが起きるのか。たいていは、子どもの行動を、制限しようとします。「そんなこと、あなたには無理なんじゃない?」「失敗したらどうするの」その結果、子どもは、行動することをやめてしまいます。「自分にはできないんだ」と思いこむことさえあります。本当は、やってみなければわからないはずなのです。もっといえば、やることによって、ひらかれていくのです。そう、「心配」ではなく、「信頼」をすればいいのです。信頼してまかせるほうが、心配をしてストップをかけるほうの何倍も勇気がいります。でも、その成果ははかりしれないほど大きいのです。信頼された子どもは、そのことに深い喜びを感じます。そして、精一杯その信頼にこたえようとするでしょう。すると、いつも以上のパワーがそこに生まれます。昨日までは、できなかったことも、できてしまうかもしれません。かりにうまくいかなかったとしても、チャレンジしたという満足感は、けして消えることがありません。次なる挑戦へのエネルギーとして、変換されていきます。「心配」より、「信頼」を。それは、同時に、そんなふうに子どもを信頼できる自分を信頼することでもあります。その言葉を発した瞬間に、自分もまた、真正面から、取り組まなければいけないことに気づきます。心配をして、制限をかけていたときは、実は、自分自身の可能性さえも、抑えていたことに気づくのです。「心配」より、「信頼」を。この言葉を、ぜひ、口ぐせにしてみてください。私自身、この言葉に、ずいぶん、力をもらってきました。何かのプロジェクトをいっしょにやっているとき、相手にたいして、不安な気持ちになったとき、「心配より信頼を」と、心のなかで繰り返します。その結果は、必ずひらけてきたと断言できます。あなたも、今日からトライしてみてください。子どもたちと、あなた自身の可能性をひらくためにも、ぜひ!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第66号(2004年1月5日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.09
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★今日のフォーカスチェンジ♪----------------------------------「煩悩」は、拾っては捨てる、落ち穂拾い。ハイ。「なんのこっちゃ」と思われるタイトルです。(笑)「落ち穂拾い」とは、あの、有名な、ミレーの「落ち穂拾い」。 http://home.att.ne.jp/sky/jiyuukan/Y20-119.htm(参照例)このことを、ちょっとイメージに残して、お読みくださいね。(^^ゞ私は、ずっと長いこと、「煩悩」っていうのは、もってはいけないものだと思っていました。もちろん、煩悩のない人間なんているはずがなく、私だって、当然そうです。でも、煩悩ほど、自分を悩ませるものはありません。(だからこそ、煩悩なんですよね)もってはいけない、もってはいけないと思うほど、苦しくなる。煩悩とは、言い換えれば、執着のことだと思います。あれがほしい、これを手放したくない、これはこうでなくてはだめだ…などなど。「どうして、私は煩悩(執着)を捨てられない人間なんだ」と、自分を責めて、またまた苦しくなる。そんなことの繰り返しでした。もっとも、見かたを変えれば、煩悩(執着)とは、生きていくかぎり、ついてくる、グリコのおまけのようなものかもしれません。(ちがうかな?)実際、それがあるからこそ、手に入れようとして、ひとは、成長しつづけるということもあるかもしれません。ただ、その煩悩(執着)が、自分を苦しめ、追いつめてしまうとき、どうしたらいいのか。ふっと、ミレーの、あの絵を思い出したのです。(ミレー・ファンのかた、怒らずに読み進めてくださいませー)煩悩(執着)は、どこから来るのでしょう?誰かから、押しつけられるものなのでしょうか?いいえ、ちがいます。私たちは、自分から拾っているんです、煩悩(執着)を。わざわざ腰をかがめて。「拾ったっていいじゃないか」そのとき、ふっと思いました。人間は、拾わずにはいられないから、拾うのです。それを否定するから、ますます苦しくなるのです。「拾おう。落ち穂拾いのように、どんどん拾おう」そう思ったら、すっと何かが抜けていく気がしました。ただし、ミレーの絵とちがうところは、拾った煩悩(執着)を、ふたたび捨てることです。「拾う」と「捨てる」を、セットで受け入れるのです。どんどん拾って、どんどん捨てるのです。「ぎゃー、またまた煩悩だあ。拾おうっと♪」(拾う)「もう~、しょうがない煩悩ねえ。よしよし」(味わう)「ほいじゃ、またいつ来てもいいから。さいなら」(捨てる)こんな感じです。(爆)これをやるようになってから、私は、「悩みつづける」ということがなくなりました。いつ拾ってもいいと思うから、安心して拾えるのです。安心して捨てられるのです。ただし、このやりかたには、おまけがつきました。拾うときに、ついつい、あのミレーの絵が頭に浮かんでくるのです。そして、あんなふうに、腰をかがめて拾う自分のすがたを、連想するようになってしまったのです。チャンチャン。ミレー?ファンのかた、やっぱり何の関係もない話でした。すみませーん。m(__)m--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第65号(2004年1月4日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.04
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------------------もう少しだけ、お互いの心を、感じあってみませんか?その日、私はたまたま、バスに乗っていました。駅前始発の定期バスです。混雑した通りを、抜けかけたあたりです。不意に、バスが止まり、前のドアが開きました。「乗り遅れそうになったお客さんでもいたのかな」なんて思ったときでした。バスの運転手さんが、ドアの脇を行きすぎようとした小学生数人に向かって、言いました。「私らだってね、精一杯、気を使って運転してるんだよ。 そういう気持ちを、わかってほしいんだよね」小学生たちは、けげんな顔で、運転手さんを見ています。運転手さんが、いらだちを抑えた声で言いました。「何も、バスを蹴ることはないでしょう!」一人の小学生が、抑揚のない声でこたえました。「蹴ってません」「蹴ったよ。ちゃんと見てたんだよ」「……」小学生たちは、そのまま、無言で離れていき、運転手さんも、それ以上は言うことなく、バスを発車させました。想像するに、混雑したせまい駅前の通りを、その小学生たちが歩いていたのでしょう。その脇をバスが通り抜けるとき、すれすれにせまる車体を、うとましく思った子がいたのでしょう。おそらく、本当には蹴ってはいない、と思います。蹴るふりをした、あるいは、軽くはふれたかもしれません。でも、これも想像ですけれど、運転手さんは、どうしても見過ごせなかったのだと思います。もしかしたら、何度か、同じような体験をして、がまんを重ねていたのかもしれません。私は、その運転手さんを批判する気持ちにはなれませんでした。けっして、感情のままに怒鳴ったのではないことは、抑えに抑えた、その声の感じからわかりましたから。バスを発車させたあとは、何ごともなかったかのように、明るく、ていねいに、アナウンスをしていましたから。そして、小学生たちを責める気持ちにもなれませんでした。バスを蹴るまねをするような子は、ほかにもいるのに、なぜ今、自分たちが…と、ひょっとして思ったかもしれません。いきなり投げかけられた、マイク越しの拡大された声に、素直にうなずけなかったのかもしれません。ほんの少しずつ、すれちがってしまっただけなのだと思います。お互いが、ほんの少しずつ、相手の気持ちに寄り添えば、もう少し、歩みよることができるのではないでしょうか。たとえば、あんなにせまい道を通過する、運転手さんの気苦労を、小学生たちが、もっと感じることができていたら…。たとえば、バスを蹴ったように見えた小学生に、どうしてそんなことをしたのか、ひとこと聞くゆとりがあれば…。お互いが、生きた心をもった人間であり、ていねいに感じあうことで、わかりあえる可能性があるのだと。このごろ、まわりを見るにつけ、いらいらした表情や態度のひとたちが増えているようで、そのことで、たくさんのいざこざが生まれているようで、思わず、書いてみたくなった、ひとこまだったのでした。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第64号(2004年1月3日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.04
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------------------悩みごとを、風船を使って解決してみませんか。これは、以前、あまちゆうとさんのセミナーで教えてもらった方法です。あなたが、いま、何か、悩んでいることがあったとします。あるいは、不満や怒りをためこんでいたとします。まず、目の前に、風船があるとイメージしてみてください。そして、それをふくらますのですが、息を吐くときに、心のなかの、悩みや不満や怒りを、息に乗せて、風船のなかに、吐き出してしまってください。悩みモコモコ風船のできあがりです。(^^ゞその風船を、てのひらのうえで、ポンポンと、はずませてみましょう。あなたの悩み(不満・怒り)は、思ったより、軽いものであったことに気づくでしょう。さらに、その風船を、誰かにわたして、同じように、そのひとのてのひらのうえで、はずませてもらいます。あなたの手を離れた悩み(不満・怒り)は、ますます、軽いものに見えてきませんか?次に、その風船を、そのひとに、思いきり、割ってもらってしまいましょう。ポイントは、にっこり、きっぱり、いさぎよく割ること!(笑)もし一回だけでは足りないと感じたら、これを、何度か繰り返してみます。不思議なくらいすっきりして、軽い気持ちになっている自分を発見します。「えーっ、イメージだけで、本当に悩みがなくなるの?」と、思うひともいるかもしれませんね。私は実際に体験しましたが、とても楽しかったです。もちろん、悩みそのものがなくなるわけではありません。でも、私たちが悩みに振り回され、苦しむのは、実は、悩みの原因そのものではなく、その悩みにとらわれる、私たち自身の心の問題なのです。もしも、原因そのものに問題があるなら、すべてのひとに、その影響がおよぶはずです。たとえば、酸素のないところに行ったら、生きていられる人間がいないように。でも、同じ悩みでも、まるで平気なひともいるのです。だから、やっぱり、悩みそのものに問題を見るのではなく、私たちの心のありように、注目したほうがいいのです。風船を割るのに抵抗がある、というひとは、空に飛ばす、という手もあるかもしれません。イメージの世界に制限はありません。どんどん飛ばして、宇宙まで行かせてしまってください。さあ、悩みは手もとからなくなってしまいました。あなたがなすべきことは、もう、悩むことではありません。ただそこにある「問題」を、解決する方法を探すことだけなのです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第63号(2004年1月2日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.04
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------自分の呼び名は、自分で決める。私は、中学校演劇部の外部指導員やワークショップの講師などをやっている関係から、しばしば、「先生」と呼ばれることがあります。そのたびに、「できたら、『先生』と呼ばないでいただけますか?」と、お願いすることにしています。「先生」と呼ばれたとたんに、なんだか、自分ではない気がしてしまうからです。「では、なんとお呼びしたらいいのですか?」「『かめさん』で、お願いします」昔からの友だちは、みんな、私のことを「かめさん」と呼んでいるのです。「かめさん」と呼ばれるときが、一番、自分らしい感じがするのです。おもしろいもので、そういうふうに言うと、(とくに)子どもたちは、とてもほっとした顔をします。目の前にいるおとなが、「先生」ではなく、「かめさん」になったとたんに、ぐっと距離が近くなったように感じるみたいなのです。あなたは、自分が呼ばれたい名前で、呼ばれていますか?「ママ(あるいは、パパ)」「奥さん(だんなさん)」「○○課長」…などなど。もし、あなたが、そういうふうに呼ばれているとして、それが、本当は、あなたが呼ばれたい名前でなかったら、ためしに、相手にこう言ってみませんか?「私は、○○というふうに呼んでもらいたいです」と。うまく聞き入れてもらえるかもしれません。ときと場合によっては、無理なこともあるかもしれません。でも、あなたが、あなたの呼ばれたい名前を言うたびに、あなたは、あなた自身であることを、思い出すのです。肩書きにくくられない、代名詞にしばられない、あなた自身に、還ることができるのです。あなたは、あなた自身の名前を、自分で決めていいのです。あなたが、あなた自身の生きかたを、自分で決めていいのと同じように。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第62号(2004年1月1日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.04
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★今日のフォーカスチェンジ♪---------------------------「時間制限」つきで、怒ってみる。私は、あまり要領のいい子どもではありませんでした。下の妹は、その場に必要なことを、ぱっと判断して動けます。とくに、母が怒ったときは、みごとでした。するっと、上手に、その場をかわして逃げてしまうのです。(^○^)ところが、私は、母が怒り出すと、その場にいて、話を聞かなくてはいけないような気がして、じっとしているものですから、延々と怒られてしまうのです。一度など、母に、「あんたがいつまでもそこにいるから、 私も怒らなきゃならないじゃないの」なんて、怒られてしまったことさえあります。(笑) 母の名誉のために言いますが、 本来は、そんなには怒らないひとなんですヨ。それにしても、たしかに、好んで、怒っていたいひとなんて、いませんよね。でも、怒りの感情って、いったん噴きだすと、あとからあとから、湧いてくることが多いようです。目の前の、怒りたかったことだけではなくて、過去の、蓄積した怒りがくっついて出てくるのですね。でも、そういう怒りかたって、生産的ではないし、怒られている本人も納得がいきません。怒るべきことだけを怒る。そのために、ためしに「時間制限」をもうける、なんてアイデアを思いついてしまいました。もちろん、タイマー(キッチンタイマーで充分)で計ります。ひとは、どのくらい、怒っているひとの話を聞いていられるでしょうか。あるいは、怒っているひとつのことを伝えるのに、どのくらいの時間がかかるのでしょうか。たとえば、30秒? たとえば、1分?いずれにしても、ためしに、やってみませんか。「怒るときに、タイマーで計る余裕なんかあるもんか」と、またまた怒られてしまいそうですが、ちょっと待って。時間制限つきで怒る、と考えてみたとたんに、本当は、怒らないでもすむケースもあるんじゃないかなあって、そんな気がしてきませんか?怒らないでも伝えられるのに、怒ってしまって、かえって相手に伝わりにくくなってしまうケースのことです。そう思えてきたなら、怒ることそのものをやめて、おだやかに話をしてみましょうよ。きっと通じます。調子に乗って、もうひとつ、提案です。「予告つき」で、怒るっていうのはどうですか?「時間制限つき」と組みあせると、なおいいです。腹がたったときに、「今から10数えたら怒る。30秒怒る」と宣言してから怒るのです。(笑)怒られるほうも、準備(覚悟?)ができるし、怒るほうも、ちゃんと整理をつけてから怒れます。「だから、怒るときに予告なんかできないって!」と、またまた、そんな声が聞こえてきそうです。(^^ゞこうやってみたらどうかなあ、って考えてみるだけでいいんですよ。それだけで、なんだか楽しくなってきて、怒る回数が、少しは減ると思いませんか?え? 逆に、ますます腹がたってきた? そんなあ…。(爆)大晦日の、あわただしいときに、のんきな話で失礼しました。(^^ゞどうぞ、よいお年をお迎えください。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第61号(2003年12月31日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2007.08.04
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