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★今日のフォーカスチェンジ♪「私の2000日宣言」このメールマガジン「今日のフォーカスチェンジ」が、2009年4月20日で、2000号になります。(※2009年時点)ちょっと不思議な気持ちです。だって、もしも、いま、「これから2000日のあいだ、 1日も休まず、○○しろ」なんて言われたら、きっと、ものすごいプレッシャーになるでしょうから!気負わず、楽しんでつづけていたら、いつのまにか、習慣になっていました。完全を目指さず、ときには駄作もあっていいやと、ちょっぴりのひらきなおりも、功を奏したのかも。半分は、読んでくれる読者さんのために、半分は、だれよりも自分自身のために。だから、ここまで書きつづけることができました。(あと19号ありますが)(笑)(※2009年時点)そして、たぶん、これからも、淡々とつづけていくだろうと思います。さて。今日は、あなたに提案です。この機会に、こんな企画をやってみたいと思うのです。題して、「私の2000日宣言」あなたは、これから2000日後に、どんな自分になっていたいですか?あるいは、何を達成していたいですか?2000日後は、はるかに遠い先の気がします。でも、考えてみたら、5年半なんです。あなたが、いま、仮に5歳半であったなら、(たぶん、このメルマガは 読んでいないと思いますが)(^^ゞすでに、2000日生きるという偉業を成し遂げたのです。もしも、2倍の11歳であったなら、水泳で25メートル泳げていたりするかもしれません。あるいは、初恋を経験しているかもしれません。(ついでに、失恋も?!)そんなふうに考えてみたら、2000日って、とってもすてきな時間ですね。だから、考えてみましょう。これからの2000日を、何のために過ごしてみるかを。どんな自分を生きるかを。そして、それを、みんなで、宣言しあいませんか?そう、だから、「2000日宣言」。あなたのために、宣言をアップする場を提供しましょう。ひとりだけではこころもとないですから、お互いの宣言を見合える場にしましょう。そこに、応援のコメントを書きこめるようにするというのはどうでしょう?ひとりではできないことも、互いにはげましあえば、つづけられるかもしれません。ひとりぼっちの夢だと思っていたら、同じ思いの仲間と出会えてしまうかもしれません。だから、宣言するんです。2000日後。このメールマガジンはつづいているでしょうか? つづいていたら、 11年になります。(@_@)つづいていても、つづいていなくても、(笑)私は、変わらず、あなたを応援しています。2000日後のあなたにここからエールを贈ります。ずっとずっと、贈りつづけます。だ・か・ら!あなたの「2000日宣言」お待ちしています!●追記この「2000日宣言」の結果は、かめわざ快心塾のホームページにて、公開されています。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1980号(2009年3月31日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2012.11.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪脱皮のワークふと気がつくと、あたりは真っ暗でした。自分は、手足をちぢめて、身動きひとつできず、うんときゅうくつな場所にいるらしいのです。いつから、ここにいるのかわかりません。ここがどこであるのかさえ、わかりません。真っ暗闇のなかで、じっとしていると、自分がだれなのかさえ、わからなくなってきます。そう…。自分は一体なにものだったのか。いつさっきまでは、覚えていたように思うのですが、闇のなかに熔けていくように、記憶がだんだんあいまいになっていくのです。とてつもなく重い何かをもっていたような気もするのですが、それさえももはや、ぼんやりとした霧の向こうのできごとのようなのです。慣れてくると、暗闇は、案外ここちよく、ちぢこまっている姿勢も、自分で自分を抱きしめているような感じで、次第に落ち着いてくるのでした。記憶だけでなく、自分自身が闇のなかに溶けていくような感じがしてきます。うとうとと、心地よい眠りがやってきます…。どのくらい経ったでしょう。ふと気がつくと、自分を取り囲んでいた空間が、少しゆるんでいるような気がします。おそるおそる、手足を伸ばしてみます。たしかに、さっきよりも自由に動きます。それだけでなく、自分のからだが、ずいぶん軽くなったような気がします。いえ、もはや、以前の自分がどうであったかも、思い出せないのです。ただ、いま、こうして、ここにいるということ。それだけがすべてでした。やがて、あたりが、うっすらと明るくなってきました。光はどこからやってくるのか。それは、自分を取り巻く壁の、向こうからやってきていました。むしょうに、外に行きたい気持ちが湧いてきました。思わず、光の方向に手を伸ばしました。どこか、出られる場所がないか、探ってみます。一か所だけ、壁が薄くなっているところを見つけました。そこは、もっとも光が強く透けてくる場所でした。そこに、手をふれてみます。でもまだ、壁は充分なかたさをもっています。どうしよう? あきらめようか?そもそも、外に何があるかさえ、わからないのに。このなかにいるほうが、安全かもしれないのに…。こころがゆれます。そのとき、壁をとおして差しこむ光が、強さを増した気がしました。それは、たしかに、こう告げているのでした。「ときは来た。おいで」と。ふいに、胸のなかに強い衝動が湧き起こりました。光にみちびかれるように、壁に手をかけました。全身を使って、すきまをこじ開けようとしました。もう、迷いませんでした。ただ、光だけを見つめます。光に向かう気持ちが強くなるほど、光もまた、自分をまねき寄せるのです。そして、ついに…。壁は、ひらきました。ひらいた瞬間に、壁は、扉に変わりました。世界は、光に満ちていました。ただただ、明るい光に満ちていました。一歩、また一歩と、前に踏み出します。生まれたてのからだは、少したよりなく、でも、新しいエネルギーに満ち満ちています。一歩歩くごとに、足もとから、またあらたなエネルギーがのぼってくるのがわかります。このからだを、このいのちを、どう使っていくのも、自分次第だということが、わかりました。あふれるエネルギーを、増やすことも減らすことも、あるいはわかちあうことも、自分が選べることを知りました。ゆっくりと、ゆっくりと、深呼吸をします。いま、ここからはじまる。その予感を、こころとからだ、そして魂全体で感じながら…。…これは、今朝、私のもとにとどけられたメッセージです。「脱皮のワーク」というのだそうです。必要と感じたかたは、どうぞお使いください。そして、もしよかったら、どうぞ、感想をお聴かせくださいね。これをとどけてくれただれかさん(だれ?)にも、お知らせしたいと思いますから♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1979号(2009年3月30日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2012.11.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪祝祭を生きる公演が終わり…、何もなくなった舞台と、だれもいなくなった客席を観るとき。いつも、ひたひたと胸の底からこみあげてくるものがある。不思議なさびしさと、やすらぎ…。その胸の底で、ちいさなつぶやきが聴こえる。終わったのだ…。すべて終わったのだ…。もう二度と、この舞台が繰り返されることはない。仮に再演したとしても、それは、あらたな舞台。この舞台と、まったく同じになることはない。だから、もう終わりなのだ。永遠に終わったのだ。するとそのとき…。--ああ、それは、祝祭だ。そんな声が、不意に聴こえる。自分の声のようであり、まるで知らないだれかの声のようでもある。私も知らず、問い返す。「祝祭? 終わることが?」声は、こたえる。--いいや、生きることだ。 生きていなければ、 終わることはできない。 終わることがなければ、 はじまることもできない。 それゆえに、 生きるということは、 祝祭そのものなのだ。 そして、舞台は、 その写し絵なのだ。たしかに。まさに、舞台とは、人生そのものだ。生きることのすべてが、そこにあり、終わることのすべても、そこにある。--われわれは、そこから 学ばなければならない。 あらゆること・もの・ ひとは、そうして、 終わってゆくということ。 どんなに愛していても、 どんなに憎んでいても、 どんなにもとめようと、 どんなに背を向けようと、 終わったものは、 ただ消え去っていくだけ。 二度ともどることはない。 だからこそ、祝うのだ。「祝う…」--そうだ。いのちの なりわいをたたえるのだ。 おおいに、興じるがよい。 おおいに、愉しむがよい。 それが、祝祭を生きると いうことなのだ。 いのちにできることは、 ただそれだけである。声は、そこで沈黙した。そして、それ以上のことばは、もはや必要ではなかった。「祝祭を生きるのだ」「生きるとはいうことは、 祝祭そのものなのだ」そのことばだけが、耳のなかに残り、こだましつづけている。だから、私も、あなたに、そのまま手渡そうと思う。生きるということは、祝祭そのもの。どうぞあなた自身の祝祭を生きてくださいと。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1978号(2009年3月29日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2012.11.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪共鳴するのでしょうか。私は、長いこと、中学校演劇部の外部指導員をやっていました。子どもたちに、少しでもたくさんの表現体験をしてもらいたくて、年間、5本以上も、校内公演をやりました。 おもに、手軽に取り組める 教室公演でしたが。公演を企画すれば、当然、お客さまに来ていただきたいと考えます。ですから、集客のためにあれこれやることになります。廊下にポスターを貼ったり、お昼の放送でアナウンスをさせてもらったり。ときには、玄関でちらしを配ったりしました。でも、なかなかうまくはいきません。平日の放課後は、ほかの部活もありますし、演劇そのものが、ちょっとマイナーな存在だったりもするからです。ある年のことです。それは、なんともにぎやかな学年でした。もめごともたくさん起きましたが、つながりもひと一倍強いのでした。そんな彼らが、公演当日、「呼びこみをやろう」と、いきなり言い出しました。(^^ゞ衣装を着たまま、放課後の教室を練り歩き(笑)、残っている生徒に、「劇、観に来て!」と、呼びかけたのです。劇の内容によっては、かなり突飛な衣装だったりするわけですから、声をかけられるほうも、びっくりしたでしょう。そんなことはものともせず、校内をひとまわりして、実際に、何人もの観客を連れてきてくれました。(笑)そして、そのあと、エネルギー全開で、自分たちの舞台をつとめたのです。ああ、この子たちは、まるごとすべてを楽しんでいるのだな。そんなふうに思いました。そして、そんな気持ちに共鳴するのでしょうか。お客さまは、少しずつ増えていき、やがて過去最高の人数にまで達したのでした。いま、私は、年間に講座やセミナーなど、さまざまな企画を立て、呼びかけをします。もちろん、内容には、自負をもってはいますが、お客さまが集まってくださるときというのは、必ずしも、内容の問題だけではないのかもしれないなと、ふと思いました。本気の私の気持ちが伝わっているかどうか。共鳴してもらえるものになっているかどうか。ともにつくりあげたい空間になっているかどうか。そのことをあらためて問われているのかもしれないなと思うのです。そして、それが成り立ったとき、一番必要なひとたちが、一番いいタイミングで集まってくるのだろうなと思うのです。その一つひとつの出会いを、大切にしたいなと思いました。そこから、はぐくまれ、実っていくものを、大切にしたいなと思いました。一期一会。ふっと、このことばが頭をよぎりました。二度と繰り返せない、かけがえのない時間をわかちあってくれた子どもたちが、教えてくれたことでした。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1977号(2009年3月28日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2012.11.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪神さま、遊んでますね♪最近、思う通りにいかないときに、よく使うことばです。「神さま、遊んでますね♪」「運命にもてあそばれる」なんてことばがありますが、運命をつかさどるのが神さまだとしたら、トラブルは、人間を使って、神さまが遊んでいるということなのかもしれません。まあ、例によって、本当に神さまがいるかどうかはどちらでもいいのですが。これを口ぐせにしてから、いらいらする気持ちが、ずいぶん減りました。(^^ゞどんなふうに使うかというと…。たとえば、これは今朝の実話♪今日持っていかなくてはならない書類が、まだできていませんでした。集合時間が決まっていて、その前に、作成し、しかも必要部数を印刷しなければなりません。データはそろっています。さくさくと入力し、用意してあったイラストを入れようとしました。ところが、これがうまく入りません。もともとこういう作業はあまり得意ではないのです。うーん、できない。乏しい知識を総動員して、あれこれやってみましたが、どうもうまくいきません。ちょっと、いらっとしそうになったので、思わず、ひとこと。「もう~、神さまったら、 私を使って遊んでるでしょ」ふっと、肩の力が抜けました。そしてそのあとふと思いついた方法で、やってみたら、なんと、何の抵抗もなく、すっと入るではありませんか!やったっ!「もおおお、神さまったら、 お茶目なんだからあ」でもって、急いで保存をかけようとしたら、あろうことか、エラーです!きっ、消えました。いまつくったばかりの書類が。「オーマイガー!」(爆)でも、途中までは保存されていましたし、やりかたはもうわかっているので、さほどあわてず、再作成。そして、印刷!…と、30部ほど印刷して、ふっと気がつきました。データが一部抜けてるう!!(@_@)さっきのさわぎで、移動やらコピーやらをやっているうちに、うっかり消してしまったもようです。汗!あわててプリンタを止めて、作成しなおしです。時間は刻々と過ぎていきます。でも、データのミスがあっては、意味がありません。あせるこころを抑えて、もう一度チェック。よし!というわけで、なんとか印刷にこぎつけました。「神さまあ、このくらいに しておいてよね~。 今日の遊びは、 そろそろおしまいよ♪」はい。他愛ない話です。そんなことくらいで、自分はいらいらしないよ、というひとも、当然いるでしょう。そういうひとは、あまり得意ではないことをやっていると想定して読んでみてくださいね。あせってもしかたのないとき。「何やってんだあ」と、自分を責めたくなるとき。そんなときには、気軽に、神さまに登場していただくのです。私は(あなたは)神さまの観るテレビの出演者なのです。同じ番組の繰り返しでは、神さまも飽きてしまいます。だから、ときどき、いたずらをします。ええ、できちゃうのです。神さまですからね。それが、思いがけないハプニングだったり、困難なことだったり、トラブルだったりする、というわけです。…と、考えてみるわけです。相手が神さまでは、怒ってみてもしかたありません。それに、このくらいのトラブルで、神さまを楽しませてあげられるなんて、いいチャンスじゃありませんか。「もう、神さまったらあ。 つきあってあげるから、 今度、借りを返してねっ」タメ口ききながら、(^^ゞ、お芝居をつづけるわけです。いらいらするどころか、くすくす笑えてきちゃいます。おかげで、なんとか、間にあいそうです。部数はちょっと足りないかもしれないけど、これはあとからおぎなえます。 はい。ただいま、 まさに印刷中なのです。(^^ゞおまけに、小ネタで、「フォーカスチェンジ」が、1本書けちゃいました。「神さま、ありがと♪」いかがですか?神さまとの、こんなつきあいかた、案外、悪くないでしょう?●追記そういえば、昔、「立ってるものは親でも使え」なんてことばがありましたが、私の場合は、「神さまでも使え」っていうところですね。(^○^)--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1976号(2009年3月27日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2012.11.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪相手の呼吸を感じていますか?10年以上、フリーで編集者をやりましたが、私の得意ワザのひとつは、リライトでした。ごくごく普通のひとの書く原稿をあつかう機会がおおかったこともあり、どうしても、リライトが必要な場合があったのです。はじめのころ、リライトをした結果、執筆者のかたに喜ばれる場合と、不満に思われる場合がありました。「こちらのほうが、 まとまっているのに、 なぜだろう」最初はそんなふうに思ったのですが、だんだん、こつがわかってきました。ひとは、無意識のうちに、自分の「呼吸」にあわせて原稿を書いています。すると、自然に、その文章独特のリズムやテンポが生まれます。このリズムやテンポがくずされると、どんなに内容的にきちんと整理されていても、自分の文章ではないような気がしてしまうのです。また、私たちは、同じく無意識に、そのときどきで、自分にとって一番しっくりくることば(単語・文体)を選んで使っています。同じような意味をもつことばであっても、言い換えられると、どうも居心地が悪い気がしてしまうことがあります。それがわかってきてからは、リライトのしかたが、自然に変化してきました。どうするかというと…。まず、さくっと、できるだけ客観的に、文章全体を読みます。わかりにくいところ、疑問に感じるところなどを、おおまかにチェックします。次に、自分をからっぽにして、もう一度、文章を読みます。 この「からっぽ」という ところがポイントです。読みながら、そのひとの呼吸を感じます。その呼吸に乗って、そのひとが、それを書いていた瞬間に寄り添うような気持ちで、読みます。すると、ふっと、引っかかるところに行き当たります。どうもスムーズに流れないところだったり、何かが足りないと感じるところだったりします。たいていの場合は、ことばが足りません。もしくは、複数の情報がごちゃまぜになっているために、わかりにくくなっています。なので、その状態に応じて、そのひとが、そこで一番伝えたいことを感じながら、足すか削るかします。そのときのポイントは、そのひとが大事にしていることばや文体を、できるだけ生かすことです。必要な場合は、補足資料にあたったり、直接、本人に問い合わせることもあります。そうしてできあがってくるリライトの文章は、おおむね、書いたひとに喜んでもらえます。「これ、これ! これが言いたかった!」「書きたかったことが すっきりわかりやすく 伝わるようになっている」そんなことばをいただくことも、多くなりました。今日のメッセージは、何も過去の自慢話をしたいわけではありません。いま振り返って思うと、私は、リライトをしながら、書き手のかたと、無意識のコミュニケーションをとっていたのだと思うのです。その結果、自然に、自分を押しつけるのではなく、相手の感覚(リズム・テンポ)を、尊重するようになっていたのだと思うのです。リライトというと、何か特別なことに感じますが、この感覚は、あらゆる場で使えるように思います。実際に顔を合わせて対話しているとき。顔の見えない相手と電話をしているとき。メールで、やりとりをしているときさえも。相手の呼吸を感じていますか?相手の呼吸を尊重していますか?リライトではできていたことが、日常のなかでは、しばしば見落としがちになっていることに、私自身が気づきます。ですから、これは、自戒をこめてのメッセージ。あなたも、よかったら、ちょっぴり意識して使ってみてくださいね。コミュニケーションのレベルが変わりますよ♪●追記そしてもうおわかりと思いますが、「聴く」ときこそが、まさにこの状態なんです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1975号(2009年3月26日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2012.11.30
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★今日のフォーカスチェンジ♪「できない」からこそかたくなに、「できない」と、言いつづけるひとに久しぶりに会いました。(^^ゞ「できません」「できないです」「無理です」どうはたらきかけても、そのように言いつづけます。まるで、頭のなかを「できない」という呪文で満たしているかのように、だれのことばも、一切受けつけないのです。みごとと言いたくなるほど、それは徹底していました。聴いていると、不思議だなあという思いが湧いてきました。たしかに、そのひとは、その、指摘されたことはできていません。でも、ほかに、できていることは、たくさんあるんです。そこから考えれば、できるようになる可能性も、たくさんあるんです。その可能性が見えるから、みんなは、「できるよ」と、言いつづけているのです。ああ、怖いんだなあ…という思いが、湧き起こってきました。そう。その一歩を踏み出すのは、とても怖いことです。だって、「できない」と、思っているのですからね。そして、言いかたは辛口になるけれども、「できない」ところにいるかぎり、リスクはおかさないですみますから。ええ。そのひとは、その方法で、これまで、自分を守ってきたのです。「できない」と言えば、まわりは、それ以上、そのひとにもとめません。「どうせできないんだ」と、レッテルを貼って。そうしているうちに、いつのまにか、そのひとは、そこから出られなくなってしまったのです。まるで、動かさずにいた筋肉が、気がつかないうちに、かたまってしまっみたいに。自分を守るつもりが、逆に、自分を閉じこめてしまったのです。そのことにも気づかないで、かたくなに、その一歩を、こばみつづけているのです。ああ、あなたに、どうしたら、伝えることができるのだろう。その一歩を踏み出すことが、あなたを、光のなかに連れ出してくれるということを。みんなが、光のなかにいるあなたを、見たがっているということを。伝えるだけのことは、伝えました。あとはあなた次第です。ここから先は、あなたが、自分で歩むしかありません。だから、あとはただ、祈りたいと思います。あなたは、自分で、ここまで来たのだものね。本当にやりたくないことであれば、あなたは、ここにはいないはずだもの。あなたのなかで、外に出たがっている、もうひとりのあなたがいる。あなたをここにみちびいたのは、その、もうひとりのあなた。どうぞ、こころをひらいて。耳をかたむけて。そうして、ふるえている自分自身を抱きしめて。「もう大丈夫だよ」って言ってあげて。「できない」からこそ、「できる」喜びを体験することができます。あなたの長いあいだの苦しみは、その「できる」へ踏み出す勇気をはぐくむためなのです。「できない」を体験してきた、あなただからこそ、踏み出せる一歩なのです。あなたを信頼します。あなたの魂のちからを信頼します。信じて、祈ります…。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1974号(2009年3月25日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2012.11.28
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★今日のフォーカスチェンジ♪「ない」生活をしてみるんです。今朝、電子レンジがこわれました。ヴィーンと、いつものように音がして、ランプもつくし、テーブルもまわります。が…、あたたまりません。(爆)何の前ぶれもなく。まさに、いきなりです。驚くとか、困るというより、不思議な感動を覚えました。「使えない」と思った瞬間に、なんだか、突然、時代が逆もどりしたような気がしたからです。スイッチ一つで、食べものがあたたまる。人類の歴史から見れば、そんな生活そのものが、普通のことではないのです。いえ、そこまで話を飛躍させなくても(笑)、私が子どものころには、電子レンジなるものは、存在していませんでした。我が家は、よそのうちより電化製品を使わないほうで、ごはんだって、長いこと、おかまで炊いていました。エアコンは、いまだに使っていません。 まあ、北海道で、ほとんど 冷房はいらないという こともあるのですけどね。それでも、ゆっくりと、電化製品を使う生活に慣れていったのです。それが当たり前の生活をいつのまにかしていたのです。実は、昨年、保温ポットを落として割ってしまっていました。もともと、湯沸かしポットが好きではなくて、いつも、やかんでお湯を沸かしては、保温ポットに入れていたのです。その後、買いに行く時間がないまま、ポットのない生活をつづけていました。そうしたら、いつのまにか、それに慣れてしまいました。困ることはありません。必要なとき、必要なぶんだけ、お湯を沸かせばいいのです。そんなのは、ものの数分、待つだけでいいことです。そうすると、そのときどきに必要な量が、意識できるようになりました。冷めてしまったお湯を捨てることもなくなりました。とはいえ、おそらく、今回、私は、電子レンジを買い直すでしょう。(笑)あまりにも、あることに、慣れすぎていますから。それでも、一瞬でも、「ないことが当たり前だった」ことを思い出せたことは、自分にとって、収穫だったと思うのです。あることによって、しなくてもいいことまで、している場合があるかもしれないということに、思いを至れたからです。余談になりますが、先日、劇の稽古のなかで、気がついたことがあります。過去の時代の子どもたちが、夕方になって、家の手伝いのために、遊びをやめて家にもどる場面があります。「私も、子どものころは、 こんなふうに、手伝いを していたんだよ」そう言うと、子どもたちは、びっくりした顔をしたのです。晩ご飯のしたくを手伝ったり、そうじや洗濯を手伝ったり、お風呂のストーブにくべるための、まきを割ったり。(↑これ、私、 本当にやってました)(^^ゞそんなことが、当たり前ではない時代になっているのです。便利になることが悪いことだとは思いません。でも、やっぱり、それと引き換えに、うしなわれていくもの、忘れられていくこともあるのだと、思いました。本当に、そのままうしなってしまっていいのか、忘れてしまっていいのかを、ときどきは、考えてみる必要があるかなと思いました。あるいは、ときどきは、それがない生活をしてみるのも、いいかなと思いました。もしも、あなたのおうちで、電化製品がこわれたら…。それって、ひとつのチャンスかもしれませんよ。1日でも2日でも、「ない」生活をしてみるんです。不便だと不平を言うのではなく、「ない」ことで見えてくる、「ある」を体験してみるんです。あ、もちろん、無理にこわす必要はありませんよ。(笑)そんなチャンスがあったときに、どうぞおためしくださいな♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1973号(2009年3月24日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2012.11.28
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★今日のフォーカスチェンジ♪夢までの距離。うんとちいさなころ、私たちは、自分の描いた夢は、すべて実現すると信じていました。だから、いつだって、途方もない夢を語り、語ることを怖れることもありませんでした。そのとき、夢は、すぐそぱ、手の届くところにありました。成長するにしたがって、私たちは、否応なしに、自分のちからのなさを、思い知らされます。自信に満ち、何もかもが完全であった世界は、もろくもくずれ去り、自分という存在が、ちっぽけなとるにたらないもののように思えてきます。そのとき、夢ははるか遠くに遠のきます。ときには、夢のありかさえ忘れてしまいます。夢なんか見てもしかたない。そんなふうに思いこんでしまうひとさえいます。でもね。そんなときに思うのです。夢が遠のくことは、悪いことなのかな、って。たしかに、おさないころの、無限の夢はすてきです。でも、それはやはり、まだ、本当の距離がわかっていなかった時代。距離には単位があることさえ、知らなかった時代。いま、私たちは、自分のちからを知り、その限界を感じるとともに、世界のおおきさを知りました。それゆえに、夢が遠ざかったかのように、感じてしまうこともあります。でもね。うれしいことに、変わらないことが、ひとつだけあるんです。私たちのこころは、いつでも、夢をやどすことができる場所なのだということ。その場所が閉ざされることは、けっしてないのだということ。だからね。子どものころの途方のない夢を、もう一度、このこころに呼び戻してみませんか。もちろん、そのまま再現する必要はありません。おおきくなったあなたには、その夢の意味するところを、読み解くことができるはずです。空を飛びたいと願ったあなたは、自由な生きかたをすることを、望んでいたのかもしれません。レーサーになりたいと思ったあなたは、どきどきする冒険的な毎日を生きたいと、望んでいたのかもしれません。世界を支配する王様になりたいと願ったあなたは、ひとを指導する仕事をしてみたいと、思っていたのかもしれません。夢のエキスをとりだして、見つめ直してみるんです。本当にほしいものは何ですか?本当にやってみたいことは、何ですか?夢までの距離が見えてきます。それがどんなに遠くても、見えるということは、たどり着けるということです。たとえ、それが地平線のかなたにあるとしても、地平線が見えているということは、そこを超えていけばいいだけのことですからね。そしてね。せっかくですから、遠ければ遠いほど、楽しんでみてほしいのです。夢に近づくプロセスをね。遠ざかった夢は、あなたを拒否しているのではないんです。まるで、かくれんぼをする友だちのように、あなたの目の前からすがたを消して、あなたが見つけてくれるのを、待っているのです。たとえ、それが、地平線のかなたであろうとも。(笑)さあ。夢までの距離を見つめてみてください。遠ければ遠いほど、それはあなたには、そこにたどり着けるちからがあるというしるし。だから、勇気を出して、一歩、踏み出してみましょう。それが、困難な道であればあるほど、たどり着いたときのよろこびも高まりますよ。乗り越えるべきものがおおければおおいほど、あとで思い出を語れる楽しみも増えますね。夢までの距離。見定めたら、どうぞ、進んでみてくださいね。あとは近づくだけですから!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1972号(2009年3月23日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2012.11.28
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★今日のフォーカスチェンジ♪ただ、信頼してあげたらいい。横浜市青葉区小中高生ミュージカルの活動にかかわって、9年目になります。(※2009年現在)ここから巣立っていった子どもたちは、一体、何人ほどになるでしょう。先日、稽古をしていると、一人の男の子がたずねてきてくれました。2時間近い稽古のあいだ、へやのすみに座って、見学をしていきました。小学2年生から6年生までのあいだ、ずっと、参加してくれていた子でした。中学校に入って、体育系の部活に入り、両立がむずかしいことから、ミュージカルへの参加を断念したのです。この春、卒業して、晴れて高校生になります。帰りがけに、ぼそっと。「差し入れもってきました」差し出されたものを見ると、アメの袋が二つ。「お金、ないもんで」と、照れ笑いをしました。高校生になったら、復帰してくれる気かな。こころのなかで思いながら、うしろ姿を見送りました。いろいろな子どもたちがいます。最初は、蚊の泣くような声しか出せなかった子が、次第に、声も出し、動けるようになっていきます。意見をもとめても、はにかんで、うしろに隠れてしまったような子が、少しずつ、自分の意見を言えるようになっていきます。元気でにこにこしている子が、実は、学校では、ひとこともしゃべらないんですよと、あとで聴かされて、びっくりすることもあります。さまざまな事情や気持ちをかかえた子どもたちが、放課後の時間を、ここに過ごしにやってきます。ミュージカルをやるために。一つのお芝居のなかで、自分の責任を果たすために。どんなにゆるやかな変化であっても、子どもたちは、確実に変化していきます。その子なりの一歩を、ちゃんと歩んでいきます。だから、こちらもゆっくりと待とうと思うのです。ときには、じれったく感じることがあっても。だって、こうやって振り返ってみれば、おおきく成長した姿に出会うことができるのですから。ひさしぶりにたずねてきてくれた男の子の成長が、それを教えてくれました。その笑顔を見ていると、あせらなくていいよ、ちゃんと育っているよと、そんなメッセージが伝わってくる気がするのです。生きるということは、変化するということ。それは、子どもたちだけでなく、おとなも同じはずです。生きているかぎり、それは、ずっとつづくのです。そのことを、ただ、信頼してあげたらいい。信頼して、そっと応援してあげたらいい。今日のメッセージは、とってもシンプル。でも、ついつい忘れてしまいがちな気がするので、こうしてことばに書き留めておくことにしました。この信頼と応援の気持ち。共感していただけたら、とてもうれしいです。そして、この輪をあなたのまわりにつないでいっていただけたら、もっともっとうれしいです。●追記2011年をもって、私は、この子どもたちのミュージカルの活動から離れることになりました。貴重な10年間の体験でした。 --かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1971号(2009年3月22日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2012.11.27
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★今日のフォーカスチェンジ♪「おとな」の定義子どものころ、とてもおおきな謎だったことがあります。それは、子どもは、いつ「おとな」になるのか、ということでした。20歳? ちがいますよね。あれは、社会が便宜的に決めたものにすぎません。それでいけば、昔は15歳で元服していたわけですから。なぜそんなことを考えたかというと、子どもでいると、きゅうくつに感じることが、たくさんあったのです。「子どもだから、まだ~~」「おとなになってから」そんなことばで、行動をセーブされることが、何度もありましたから。かといって、早くおとなになりたかったかといえば、そうでもありません。私は、口だけは達者な子どもだったので、おとなのひとと、平気で論争をしました。 中学時代から哲学書を読む ような子どもだったので ことばだけは長けてました。 すると、私のことばに、きちんとこたえてくれるおとなは、ほとんどいないのです。たいていは、どこかで、するりと逃げてしまうのです。私のなかで、おとなにたいするあこがれが育つ機会は、あまり多くはありませんでした。おとなって、一体、何なんだろう。子どもは、いつおとなになるんだろう。ずっと考えつづけても、こたえは出ません。それで、自分で勝手に定義をつくることにしました。自分の生きかたを、自分で決めて、自分で選んで、自分の意思で行動できるのが、おとなだ、と。ところが、この定義でいくと、なかなか、おとなにはなれないようなのです。(笑)それどころか、まわりの、「自分はおとなですよ」という顔でふるまっているひとたちを見ていても、どうもこの定義に合致しない自称「おとな」のひとたちが、たくさんいるようです。 まあ、私が勝手に決めた 定義なので、しかたないと いえば、ないのですが。それでも、がんこに意地を張り、「私はおとなじゃないもん」と、うそぶいていたのですが…。20歳はおろか、30歳を過ぎても、まるで、おとなになれないのでした。そのうち、子どもとかかわる仕事をするようになり、いくらなんでも、「おとなじゃない」とは、公言できなくなりました。(^^ゞそこで、しかたなく、「おとな」であるふりをし…、それでは居心地が悪いので、ついに、「おとな」の定義を変えることにしました。(爆)「本気で生きる」これが、私にとってのあらたな「おとな」の定義です。子どものお手本になるようなことは、何一つできないけれど、これだけなら、絶対にOKと言えるからです。おとなの定義を見きわめようと思ったら、本気で生きる以外、方法はなかったのです。子どもにとって、おとなは、まちがいなく、自分よりも先に生きている存在です。子どもは、おとなの背中を見て育つようにできています。だから、本気で生きる。本気で生きているおとなの背中を見せる。それが、自分にできる唯一のことなのだと。本気であればいいのですから、別に、かっこよくなくてもいいのです。こけたっていいのです。こけてもまた立ち上がる姿のほうが、子どもにとって励みになりますからね。泣いたっていいのです。怒ったっていいのです。そのときどきの自分の気持ちを、ごまかさずに感じきればいいのです。そしてどうするかを決めていけばいいのです。自分のこころに正直に生きるおとなを見ると、子どもたちは、ほっとしますからね。それ以来、私は堂々と、自分はおとなです、と言えるようになりました。ええ。自分で決めた定義ですからね。ひとがなんといおうと、かまわないのです。あら。…ということは、いつのまにか、自分で考えて、自分で選んで、自分の意思で人生を生きているようです。子ども時代に想像していたおとなとは、かなりちがってはいますけど。(爆)あなたにとって、おとなの定義は、何ですか?私たちおとなが、子どもにできることは、何もありません。あるとすれば、ただ、背中を見せることだけ。いま、あなたは、子どもに、どんな背中を見せていますか?かっこ悪くたっていいんです。どうぞ、本気の背中を見せてあげてくださいね。そうすれば、子どもは、自分で学んでいけるのです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1970号(2009年3月21日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2012.11.09
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★今日のフォーカスチェンジ♪離婚のための必須アイテム離婚ということばが、あまり抵抗なく受け入れられる時代になりつつあるようです。 もちろん、地域差や ケースバイケースは ありますが…。バツ1だけでなく、バツ2、バツ3というひとも、珍しくなくなってきました。結婚歴、どころか、恋愛体験さえ、かぎりなくゼロに近い私としては、「はは~っ」と、感服するばかりです。(本心!)でも、やはり、離婚は、そう簡単なことではありません。感情のもつればかりでなく、その後のさまざまな問題を引きずることになりかねません。そこで、そんな相談を受けたとき、こんなふうにお返事することにしています。 あ、女性に対するお返事です。 男性のかた、すみません。「まず、期限を決めてください」何があっても、この日には、離婚を切り出す、または、離婚届を出す、という日を決めるのです。できたら、スケジュール長に書きこむといいです。 その際は、適当に暗号で わかるようにしておくと いいでしょう。(笑) そして、その日までに、離婚後にどうやって生きていくのかを、準備するのです。月単位、日単位で、目標を決めるといいでしょう。これがクリアできたら、離婚しても大丈夫!そのためにできることを、どんなちいさなことでもいいから、ひそかに、一つひとつ、積み重ねていくのです。たとえ、夫さんから巨額の慰謝料をもらえるようになったとしても、まずは、自分自身が自立することが大切です。自分磨きは、離婚のための必須アイテムです♪そして、そのうえで、ぜひやってみてほしいこと。その、自分で決めた日限まで、毎日、夫さんに感謝できるところを見つけてください。はい? うらみに思うところのまちがいじゃないかって?ちっ、ちっ。それは、まだまだ修行が足りません。いいですか?あなたは離婚を決めたのです。あたらしい人生に向かって、再出発をするのです。そんなとき、過去のうらみつらみをかかえていたら、重くてしょうがないですよ。まちがいなく、それは、あなたの足を引っ張ります。事実はどうあれ、過去を感謝で満たすのです。それこそあらたな出会いがあったときに、過去をぐちる女よりも、「感謝できることも たくさんあったけど、 あなたに出会うために 新しい出発をしたの」と、さらりといえる女のほうが、かっこいいと思いませんか? きゃー、書いてて照れるぜ。(爆)できたら、何かに書き留めておくといいでしょう。これは、おそらく、離婚調停になったときにも役立ちますよ。妻への文句を、ボロカスに言いまくる夫にたいして、夫に対する感謝の気持ちを語りながらも、(書いておくと思い出せます)「それでも、もう、終わりに したいのです」と、涙にぬれた瞳で告げる妻。裁判官の心証は、どちらがいいでしょうか?(笑)さらに効果的なのは、その感謝のことばを、あなたの決めた期日まで、ことあるごとに、夫さんにも告げておくことです。そうすれば、調停の場で、「そんなこころにもないことを」などと、いらぬ反論をされずにすみますからね。別れようと思っている夫の、いいところなんか、見つけられない!感謝なんかできっこない!そう言いたくなるひとも、いるかもしれません。でも、ここが、実は、最大の修行の場なのです。いえ、修行と言いましたが、実はこれをクリアできると、あなたのこれからの人生が、劇的に変わるのです。別れたいと思うほど、いやけのさした相手にたいして、感謝できるところを見つけること。それって、砂漠に落とした塩の粒を見つけるくらい、困難なことでしょう。でもね。それが本当にできるようになったら、あなたは、これからの人生、どんな困難だって、乗り越えていけるのですよ。だって、そのときには、どんなちいさなことにたいしても、よろこびを見いだせる自分になっているはずですから!一歩間違えば、思い出したくもない不幸な記憶になってしまうものを、幸福の源泉にできるのです。サイアクの過去から、最高の未来を、生み出すことができるのです!そしたら、生きることは、すべてがよろこびに変わります。あなたのかがやく第2(第3? 第4?)の人生のために!感謝ではぐくむ自分磨き。熱烈応援してますよ!(^o^)丿--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1969号(2009年3月20日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2012.11.09
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★今日のフォーカスチェンジ♪ぜんぶ、ぜんぶ、抱きしめる。自分の性格や考えかたで、好きになれないところってありませんか?ここは見たくないなあ、避けて通りたいなあって、感じる部分はありませんか?はい。私にもあります。(^^ゞめちゃんこ、あります。ひとと接しているとき、本を読んでいるとき、あるいは、ふとした折に、ふっと、いやな感覚が、湧いてくることがあります。反発だったり、ねたみだったり、ちいさな怒りだったり。そういうときって、その対象そのものに、何か問題があるのではなく、それに反応する自分のなかに、「何か」があるということなんですね。その「何か」が、実は、自分の避けて通りたい部分、好きになれない部分だったりすることが、圧倒的におおいんです。もしも、何かに不快な思いを感じるようなときは、ひと呼吸置いてみてください。そして、静かに、考えてみるんです。「自分に『何』が、これに 反応しているんだろう」って。つい、最近もありました。それは、ちいさな嫌悪感でした。本当にちいさなものだったので、やり過ごすこともできました。でも、立ち止まってみたんです。そして、聴いてみたんです。「それは、どこから来るの?」沈黙がありました。そのまま静かに待ちました。そしたら、ふっと、こたえがかえってきたのです。「自分だってがんばってるのに」おずおずと、ちいさな声でした。その声が、ちょっぴりいじけっぽくて、あんまりかわいらしかったので、思わず笑ってしまいました。それは、とてもなじみ深い感覚でしたから。そうか、まだいたんだね。ずっと、そこにいたんだね。ああ、いいから、そのまま、そのままでいて。否定しているんじゃないのよ。だって、あなたは私だものね。私のなかの、影の部分をちゃんと引き受けてくれているのが、あなただものね。あなたが、それを感じてくれるたびに、私は、何度でも、自分のなかを見つめなおせる。私は、ちいさく語りかけます。「私は、あなたがほしいことばを ちゃんと知っているよ」すると、影が反応します。ふるふると、揺れるように。ちいさな鈴を、鳴らすように。「そうだよね。 よくがんばってるよね」私は、そっとささやきました。そして、私のなかの、ちいさな影を、そのまま、ぎゅっと、抱きしめました。そう。ぜんぶ、ぜんぶ、抱きしめてあげたらいい。抱きしめて、味わい尽くしてあげたらいい。闇も光も、ぜんぶ、ぜんぶ。だって、それらすべてをひっくるめて、いまの自分があるのだもの。ひとつとして、欠けていいものなど、ないのだもの。私の胸のなかで、それは、静かに溶けて消えました。あとは、ただまっしろで、何もありません。でもね。なくなったんじゃないんです。いつでもそこにいるんです。そして、それでいいんです。出てきたくなったら、いつだって、出ておいで。何度でも、何度でも、抱きしめてあげる。私の胸のなかで、私は、私自身を抱きしめる。あなたと私で、まるごとひとつ。何もかも、抱きしめて生きていく。何もかも、手ばなして生きていく。すべて、ひとつ。まるごと、ひとつ。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1968号(2009年3月19日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2012.11.09
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★今日のフォーカスチェンジ♪たったひとつだけ、必要なこと。「ワンワード」という、インプロ(即興演劇)のゲームがあります。みんなで円になって、ひとつのお話をつくっていくのですが、一人ひとことしか話してはいけません。「昔むかし」「あるところに」「おじいさんと」「おばあさんが」「住んでいました」というふうにね。だから、前のひとが何を話すか、直前までわかりませんし、自分の予想とちがったときには、思わずパニックになります。なんといってこたえていいのか、わからなくなるのですね。だって、それによって、お話が、ずれていってしまうかもしれないのですから!「えーと、えーと」こたえられずに、悶絶!するひとがいます。本気で困って、頭をかかえてしまうひとさえいます。でもね。このときに、よく考えてみてください。あなたの責任は、たったのひとことなのです。なんたって、「ワンワード」というきまりなのですから。あなたは、あなたにできることを、最大限すればいい。そして、その先のことは、あきらめて、次のひとに、おまかせするのです。あなたが、何もかも抱えこもうとすると、それがどんなに善意からであっても、残念ながら、場は停滞してしまうのです。このゲームの目的は、お話をつないでいくこと。だったら、思いついたことばを、ふっと言ってしまって、次のひとに、すっきりバトンタッチすればいいのです。それは、ともにいるひとが、支えてくれることを信頼することです。信頼しておまかせできる自分を、受け入れることです。おもしろいもので、悩んでひねりだしたこたえより、ふっと、思いついたままに放り出したことばのほうが、相手にとって、つなぎやすいことばであったりするのです。そして、ひとことひとこと、つないでいけば、いつのまにか、脱線したお話も、無事にもどってくるものなのです。それからね。もうひとつ。実は、「次にどんなことばが来るかを、 予想している」からこそ、ことばに詰まることに気づいてほしいのです。ともにいるひとたちがつなぐことばを、風のように、呼吸をひとつにして聴くのです。その風の一部になって、そのまま流れればいいのです。自分ひとりが何とかしようとするから、苦しいのです。自分ひとりだけで責任をとろうとするから、詰まってしまうのです。その結果、お話が止まってしまうのですから、本末転倒ではありませんか。だから、私はあえて言います。「無責任になりましょう」ひとりで責任をもつ必要などないのです。だって、すべての責任は、同じだけあるのですから。同じだけあるということは、比較ができないわけですから、ないことと同じなのです。責任が(存在し)ない=無・責任。ね? すっきりするでしょう♪そして。そのかわり、たったひとつだけ、必要なこと。ともに、ゴールにたどり着こうとする気持ち(意思)です。思いをひとつにすること。それがないと、このゲームは成り立たないんですね。さて。このゲーム。どこか、人生と似ていませんか?あなたは、もたないでいい責任をもちすぎていることはありませんか?ともにあり、ともにたどり着こうとする意思を忘れてはいませんか?今日は、そのことを、ちょっとだけ考えてみてください。生きることが、すこし楽になるかもしれません。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1967号(2009年3月18日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2012.11.09
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★今日のフォーカスチェンジ♪「いちごちゃん♪」先日の宮崎でのかめわざワークショップ。(※2009年3月当時)こんなワークをやりました。誘導ゲームと呼ばれるものの、ひとつです。2人組で、片方が目を閉じ、片方が、そのひとの名前を呼んで、誘導します。これを、全員いっせいにおこないます。部屋じゅうが、ひとの名前を呼ぶ声であふれます。誘導されるがわは、ちょっとどきどきしますが、自分の名前を呼んでくれる声を頼りに、進みます。(終わったら交代します)次に、誘導されるがわのひとたち全員に、部屋のまんなかに集まってもらいます。誘導するがわのひとたちには、その周囲に散らばってもらい、そこから、いっせいに自分のペアのひとの名前を呼んでもらいます。これも、大騒ぎになりますが、自分の名前を便りに、なんとかたどり着けます。さて。その次です。同じく、中心に集まって、声の誘導で、自分のペアのひとのところにたどり着いてもらうのですが、今度は、呼ぶことばを全員、同じにします。ええ、全員が、同じことばを、それぞれ、自分のペアのひとに投げかけて、たどり着いてもらうのです。この日、みんなで決めたことばは、なぜか「いちごちゃん♪」(笑)「せえの! どうぞ!」へやじゅうに、「いちごちゃん」の声がひびきます。10人近いひとが、自分のペアのひとに向かって叫びつづけるのですから、なかなかすごい光景です♪そして、早い遅いはありますが、最後には全員が、ちゃんと自分のペアのひとのところにたどり着くのです。到達したとたんのお互いの喜びようといったら、まるで、旧友との三十年ぶりの再会のごとしです。(笑)あるひとが、感想を言ってくれました。「最初に説明されたとき、 私には、そんなこと、 絶対にできないと、 思っていました。 でも、わかったんです。 声のエネルギーというか、 私を呼ぼうとする思いが、 伝わってくるんです。 たどり着けました!」このワーク、私も体験してみました。最初は、声を聴き分けて、たどり着こうとしましたが、騒音!のなかで、たちまちわからなくなります。一瞬バニックにおちいりかけます!(^^ゞでも、あせらずに、こころを落ち着けて聴いていると…自分に向かって、まっすぐに届く声があるのです。それはたしかなエネルギーをもって、自分を引き寄せてくれるのです。二つのことが、ためされていました。相手をまねき寄せるために、本当に、こころとからだをまるごと使ってはたらきかけているか。相手の声を、耳だけでなく、本当に、こころとからだをまるごと使って聴いているか。わずか数分の短いゲームなのに、そこにふくまれている意味の深さを、感じました。私自身が、実際にやってみて、あらためて感じました。本当に、はたらきかけるということ。本当に、聴くということ。大声を出す出さないにかかわらず、ときどき、自分に問いかけ直してみるのもいいかもしれません。人間関係が、変わります。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1966号(2009年3月17日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2012.11.09
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★今日のフォーカスチェンジ♪「自分はどうありたいのか」あるとき、社会的な問題で、あるひとに、非難が集中したことがありました。マスコミはもちろんのこと、ふだんは、そうした社会問題的なことについて発言しないようなひとまで、「とんでもない」というような表現で語ったのです。その光景を見ていて、ふっと思ったのです。「このひとは、 まわりのひとが、みんな 自分とちがう意見で あっても、この発言を するのだろうか」、「あるいは、目の前に 反論するひとが あらわれたとして、 きちんと、自分の論拠で こたえられるのだろうか」そのひとを非難するためではなく、自分自身を振り返って思ったのです。本当に、自分のことばで、自分のこころで、考えているだろうか。自分ではないところに基準をもうけて、それが、正義・正論であるかのように錯覚してはいないだろうか。いま当たり前のように思われていることが、少し前には、当たり前ではなかったことがたくさんあります。ほんの10世紀前には、太陽は、地球のまわりをまわっていると信じられていたのです。ほんの100年前には、日本では、女のひとは、選挙に参加することなど考えられなかったのです。 ちなみに、そもそも 日本で普通選挙が実現 したのが、1925年。 100年経ってません。(^^ゞ話がかたくなりそうなので、極論で考えてみましょう。私たちは、ふだん、お箸を、手で持って食事をします。しかし、あるパーティーに行ったとき、あなた以外のすべてのひとが、足で箸を使っていたとしたら。(!)そこにいる、100人、1000人、全員が、足で箸を使って、自然に食事をしていたら。(笑)あなたは、そこで、堂々と、手で箸を持つことができますか?ひょっとしたら、自分がまちがっているのではないかという気さえしてくるのではないでしょうか。私たちが、これは正しい、こうあるべきだと、ふだん思っていることの大半は、たいていは、ただの習慣に過ぎません。あるいは、特定の地域や、特定のケース(それが場合によっては国家単位、民族単位であったとしても)に過ぎません。自分ではないものを基準にしてしまうと、それが変わると、私たちも、それにあわせて、自分を変えなければなりません。そんなことを繰り返しているうちに、いつか、自分には自分の考えがあるということさえ忘れてしまいます。それは、やっぱり怖いことです。もちろん、社会をいとなむうえでは、基本的に共通の考えかたは必要です。でも、それでも、ときどき、思い出してほしいと思うのです。「自分はどうありたいのか?」「自分の考えかたは こうだけれども、 いまは、社会的に一般と されるルールにあわせる ことを自分が選んでいる」と、決められるならば、それはそれでいいのです。けれども、自分でそれを選べないと感じたときには、「自分はどうありたいのか」あらためて、そこに立ち返ってほしいのです。その結果、選んだこたえが、一般的なルールとはことなるものであったとき。そのように考える自分を否定する必要はありません。ただ、その結果として、どう選び、どう生きるかがあるだけなのです。あたらしい時代には、あたらしい考えかたが生まれてきます。ほんのちょっと前には当たり前だったことが、当たり前ではなくなる。そんなことが起きてきます。そのときには、あなた自身が問われるのです。だからこそ、大切にしてほしいと思います。「自分はどうありたいのか」これは、自戒をこめて、自分自身に贈るメッセージです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1965号(2009年3月16日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2012.11.09
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★今日のフォーカスチェンジ♪すべては、「まるごと」なのです。意識ひとつで、生きかたが変わるなあと、最近、つくづく感じています。そんな私が、あらためて意識していること。それが、「まるごと」であること。4月開講の連続講座「『聴く』を磨く」に先だって、説明会をひらきました。そこで、何人ものかたがこんな感想をくださいました。「『聴く』講座だというから、 ○○のようなものだと 思っていたら、全然ちがった」○○というなかには、そのかたがこれまで受講されてきた、いわゆる「傾聴」の講座の内容にふれたものであったり、あるいは、「聴く」ということばから連想されるイメージであったりします。そして、そのどれにも、おさまらない内容だったというわけです。これは、私が、インプロ(即興演劇)を、何年かやってきたことと、つながるのかもしれません。あらかじめプログラムを決めても、その内容は、参加者とのやりとりのなかで、変わっていきます。出される感想や問いに応じるかたちで、ときに、それは、「聴く」を超えて、深入りもしていきます。それでは、話が散逸してしまうでしょうか?そもそものねらいから、ずれてしまうでしょうか?私はそうは思いません。なぜなら、すべては、つながっているからです。たとえば、「聴く」をテーマにした場合、それは、「話す」こととセットになっています。「話す」相手がいなければ、「聴く」という状況は、発生しないからです。「聴く」「話す」が成立する場では、当然、「コミュニケーション」が問題になってきます。「コミュニケーション」が問題になるということは、「人間関係」が問われるということです。「人間関係」が問われるということは、自分の生きかたが問われるということです。そう。こうしてすべては、つながっていくのです。そして、これは、「聴く」にとどまらず、どのようなテーマを設定したとしても、ここに行き着くのです。すべては、つながっている。つまり、すべては、「まるごと」なのです。もっと言うと、私が、「すべてはまるごとである」と「意識」するから、まるごとになるのです。ところで。おもしろいことに、「まるごとである」と、考えた瞬間に、「自分は欠けていていい」と、思いが、湧いてきました。だって、もともと「まるごと」であるならば、欠けている(と感じる)部分は、いつでも、この世界のどこかから補充すればいいだけだからです。もっといえば、自分に「欠けている」部分がある、ということは、「まるごとである」全体があるからこその結果なのです。「まるごと」がなければ、「部分」も存在しないのです。 意味、伝わってますか?(^^ゞだから、どこからはじめてもいいのです。どこで終わってもいいのです。すべては、つながりのなかにあります。つながっていると感じる、意識のなかにあります。私たちは、いつでも「全体」であり、「部分」を生きている存在なのです。それをただ、楽しめばいいだけなのです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1964号(2009年3月15日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2012.11.09
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★今日のフォーカスチェンジ♪私にできること。2007年4月から、月例の勉強会「学び舎21」を、スタートさせました。(※2012年現在は終了しています)最初の目的は、これまで自分がやってきた「からだワーク」のことを、きちんと、ことばにしていきたかったから。それは、ある程度、きちんとした成果として残すことができました。 「今日のフォーカスチェンジ」 4周年のときには、 「かめわざ語録てんこもり」 も、作成することができました。次に、私が深く共感するひとをゲストにまねいて、語ってもらいたいと考えるようになりました。これまでにも、何人かのひとをおまねきしています。気質について深い造詣をもつ「森の声」こと、篠秀夫さん。http://plaza.rakuten.co.jp/moriheikou/対談が、なぜかツッコミ漫才になっちゃう、心屋仁之助さん。http://www.kokoro-ya.jp/そして、もはや、精神的双子?としか思えない、すみちゃんこと、星寿美さん。http://little.de-blog.jp/grow/私のワークや勉強会に参加してくれるひとたちと、私が共感するひとたちとが出会う場をつくるとき。そこから、またあらたなエネルギーが生まれていくと、私は思っています。私は、それを、いつか、「本気のエネルギー」と呼ぶようになりました。あらわれかたは、さまざまですが、そこにはかならず、「本気」があります。本気のエネルギーだけが、ひとを変えることができると、私は思っているのです。ひとを変えるということは(ひとが、変わるとは)、そのひとが、そのひと本来のありかたに、気づくということです。社会や常識や一般論など、「自分ではないもの」を脱ぎ捨てて、本来の自分に還っていくということです。平本あきおさんhttp://teamflow.jp/のことは、実はかなり前から、話だけは聴いていました。友人の宇都出雅巳さんhttp://www.utsude.com/が、「このひとはすごい」と、絶賛していたからです。 宇都出さんも、実は すごいひとです。(^^ゞ2007年3月、ようやくチャンスがめぐってきて、平本さんのライブ・セッションを、体験しにいきました。しびれました。(笑)すぐに、5月の合宿ワークを申し込みました。さらに深い感動がありました。ああ、これは、もっとたくさんのひとに伝えたい。そう思いました。「これ」とは、直接的には、平本さんがやっている仕事のことではありますが、同時に、「平本さん」という「人間」そのものなのです。そして、私がゲストをおまねきするということは、単に、有意義な話を聴くとか、技術を学ぶとか、そういうことにとどまらず…その「人間」そのものと出会ってもらいたい。そこに尽きるのです。「人間」だけが、ひとを変えるエネルギーをもっているからです。言い換えれば、「人間」は、「人間」によってしかみがかれないのです。生きて、たかだか100年です。どんなに美しく生きても、どんなに自堕落に生きても、 あ、「自堕落」ってけっこう 好きなひびきなんですが…。(殴)この地球の、宇宙の歴史に比べたら、私たちの一生なんて、塵(ちり)みたいなものです。でもね。塵みたいな、そんなわずかな時間のなかでさえ、私たちは、自分をみがくことができるのです。影響しあい、刺激しあい、変化しあうことができるのです。これって、すごいことだと思いませんか?生きている時間は有限です。私にできることはかぎられています。出会えるひともかぎられています。だからこそ、毎回、毎回、全力で思いをそそぎます。そのときどきにやりたいことと、やれることを、精一杯やっていきます。私にできることは、本気のエネルギーを伝え、つなぐこと。本気のエネルギーをつなぐことで、あなたに、あなたがもっている可能性に気づいてもらうこと。あなたに、あなた本来を生きるちからを呼び覚ましてもらうこと。だから、今回も企画しました。そのための導火線になってくれるひとをまねくこと。ひとりでもおおくのひとと、この思いを共有したい。このメッセージが、あなたのこころに、届くことを願いながら…。あなたの本気と出会えることを願いながら…。今日も、ここから発信します。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1963号(2009年3月14日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2012.11.09
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★今日のフォーカスチェンジ♪本当に、生きていますか?あるとき、ふと気がついたのですが、どうも、私のなかでは、いろいろなこと・ものの、境界線があいまいなようです。たとえば、子どもは、現実と空想の境界線があいまいです。ときどき、おとなから見て、うそつきに感じることも、子どものなかでは、矛盾なく、成立していたりします。あの感覚が、私の場合、おとなになっても、残ってしまっているらしいのです。さて、そんな私のなかで、あいまいなもののひとつ。それが、「死」です。ひとは、死んでしまえば、もう二度と、そのかたちで会うことはできなくなります。話をすることも、抱きしめることもできなくなります。だからこそ、ひとは、「死」を、かなしみます。けれども、そのような関係のひとは、たくさんいるのです。学生時代、友だちだったひと。昔、近所に住んでいたひと。前の会社につとめていたひと。離れてしまえば、それこそ、一生会わずに終わったりします。会わないどころか、思い出すことさえありません。すると、そのひとは、私のなかでは、死んでいるひとと、あまり変わらないことになります。 あくまでも、私自身の 内がわの感覚として、です。また、離れて住んでいるせいか、私の両親は、私を、親類縁者の冠婚葬祭にあまり呼んでくれません。冠婚ならまだしも、葬祭を知らせてくれないと、ちょっと困ります。私のなかで、そのひとは、いつまでも生きていることになるわけですから。(笑)そうでなくても、もともと、現実と空想の境目があやしい人間なので、そうこうするうちに、「あのひとは生きているのか、 死んでいるのか」よくわからなくなってきます。そんなふうに考えてみると、ひとの死をかなしむのは、死んだことそのものにたいしてというよりも、その事実を、自分が受け入れることを、かなしんでいるだけなのかもしれません。 ややこしいですか?生きているひとでも、接することがなければ、そのひとは、生きていないひとと、あまり変わりありません。 あくまでも内がわの 感覚として。そして、死んでしまったひとであっても、ひんぱんに思い出したり、こころのなかで話しかけていたりすれば、それは、ある意味、生きているひとと、同じだけの密度の濃い関係になれるのです。そうすると、私にとって大切なことは、事実がどうであるかよりも、そのひととの関係を、私がどう受け止めているか、ということになってきます。 …ああ、ようやく 結論が見えてきました。だからこそ、その関係を、どうつくっていくかが、大切になるのだと思います。生きて、どういう関係をつくりあげていくのか。、死んで、どういう関係をこころに残していくのか。それが、すべてなのです。あなたは、あなたのまわりのひとと、いま、どんな関係をつくりあげていますか?そのひとは、あなたのなかで、本当に、生きていますか?あるいは、あなた自身は、だれかのなかで、どんなふうに、生きていると思いますか?どんなふうに、生きていたいと思いますか?今日は、そんなことを、ちょっとイメージしてみましょう。そして、そんな自分として、今日一日を生きてみましょう。「私、本当に生きている?」そんなふうに問いかけながら。…あ、ただし、ひとまえで、口に出しては言わないほうがいいです。ちょっと、アブナイひとになっちゃいますから!(^^ゞ--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1962号(2009年3月13日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2012.11.09
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★今日のフォーカスチェンジ♪すべては、ギフトなのです。どうしても、自分にゆるしていないものがあるような気がして、過去の自分をたずねる瞑想をしてみました。うんと、子どものころに、さかのぼりました。すると、そこには、受けとれないわたしが、いました。重度の脳性まひだった妹。精一杯、子どもを平等に愛してくれた両親。でも、ひと一倍、感受性がつよかったわたしは、、感じてしまったのです。両親のこころのなかの、苦しみ。そして、無力感。それは若いふたりにとって、けっしてちいさくない試練だったでしょうから。そのとき、わたしは、ほしいものを、ほしいと言ってはいけないと、勝手に自分で決めたのです。そのときの、家族のなかで、自分にできることはそれしかないと、勝手に自分で決めたのです。保育園では、帰りの時間に、いつも、お菓子をいっこだけ、くれました。みんなは、列にならびます。そのときも、わたしは、いつも最後尾にいるのでした。みんなで、何かを選ぶときも、ほかのひとが、選び終わるまでは、けっして、自分から手を出しませんでした。だれに言われたわけでもないのに。子ども時代を振り返ると、わたしのなかには、いつも、説明のつかないさびしさと、かなしみが詰まっていました。でも、いま、自分のこころのなかを振り返って気がつきました。それは、わたしが選んだ、自分の役割だったのです。こんなことがありました。わが家で飼っていたねこは、それぞれが、別のときにひろってきたねこでした。だから、血のつながりなどないのに、食事のとき、なぜだか一匹のほうは、もう一匹が食べ終わるまで、まるで、母ねこのような表情で、そばでじっと見守っているのでした。まさしく、それが、自分の役割であるかのように。この世に生まれてきて、わたしにできること。ただ、そばにいること。ただ、見守っていること。本当は、それだけでよかったのかもしれません。自分で自分を封印する必要など、なかったのかもしれません。もう一度、いまにもどってきて、感じなおしてみました。いまもなお、受けとれないでいる、いくつかのもの。自分にゆるしていないもの。それをイメージしてみました。そして…わたしは、受けとってもいいのだ…。と、しずかに、自分に許可をあたえてみました。まるで、自分自身が神さまかだれかのようにね。すると、しずかに、声がリフレインしました。わたしは、もう、受けとってもいいのだ…。胸のあたりが、ぴりぴりと、ふるえました。ふっと、ひとつの光景が見えました。ちいさな女の子が、あかるいひざしのなかで、おとなのわたしに、何か手渡しているのです。光がつよすぎて、それが何であるかは、見えません。わたしは、自分をゆるします。わたしは、自分にあたえます。そんなことばが、しずかに、浮かんできました。今日のメッセージは、なんだか、ひとりごとのようになってしまいました。ぴんとこないかたは、どうぞ読み流してくださいね。ただ、おしまいに言えること。わたしたちは、すべてを選んで生きてくるということ。そして、いつでも、選びなおしをしていいこと。ゆるさないできたから、ゆるす体験ができるのです。愛さないできたから、愛する体験ができるのです。むだなことも、意味のないことも、何ひとつ、なかったのです。すべては、ギフトなのです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1961号(2009年3月12日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2012.11.09
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★今日のフォーカスチェンジ♪あなたにできること「私には何もできませんから」「何もとりえがないし…」「自信もないし…」そんなふうに言うひとに、ときどき出会います。今日は、そんなひとにプレゼントしたいことばがあります。「無財施」「無財の七施」と呼ばれることもあります。仏教のことばです。七つの財とは、これです。眼施(がんせ)和顔悦色施(わがんえつしきせ)言辞施(ごんじせ)身施(しんせ)心施(しんせ)床座施(しょうざせ)房舎施(ぼうしゃせ)「ああ、知ってるよ」というひとは、ここでスルーしてかまいません。でも、もし、「知ってるけど、やってるかな」と、思ったなら、この先もおつきあいくださいね。私たちは、だれでも、だれかの役に立ちたい、ちからになりたいと、願っています。人間は、自分だけでは生きていけません。だれかを支え、だれかに支えられることで、生きている実感を得るのです。けれども、それが嵩じると、だれかの役に立つためには、何か特別なことをしなければならないような気持ちになってきます。特別なことができない自分は、人間として、おとっているような思いにとらわれます。本当はね。だれかのちからになりたい。そう思うだけで、すでに、あなたのまわりの空気は変わっているんです。あたたかく変化しているんです。そのくらいのところから、はじめたらいいと思うんです。そのための手がかりが、今日のことば。「無財施」。眼施(がんせ)文字どおり、まなざしです。あたたかなまなざし、やさしいまなざし。意識してそそいでみませんか?和顔悦色施(わがんえつしきせ)なごやかな笑顔は、それだけで、ひとのこころをなごませます。言辞施(ごんじせ)あなたのことばは、ひとのこころにどんなふうにひびいているでしょうか。どんなことばを使うと、あなたも、あなたのまわりのひとも、うれしくなるでしょうか。身施(しんせ)道を歩いているときに、ごみを見つけたらひろう。困っているひとを見かけたら、手助けをしてあげる。ちょっとしたことのなかに、できることはかくされています。心施(しんせ)そのおこないは、思いやりのこころから発せられているだろうか。まごころをもって、ひとと接しているだろうか。ちょっとだけ、振り返ってみてくださいね。床座施(しょうざせ)床に座ることではありません。席をゆずることです。(^^ゞまた、あなたがゆずられる立場になったときには、こころよく、受け入れることも、大切なことかもしれません。房舎施(ぼうしゃせ)風や雨露をしのぐところを与えること。私が子どものころは、突然の雨のときなど、そばにいたひとに声をかけ、かさに半分ずつ入って帰るすがたを、よく見かけました。相手が知らないひとでも、「どちらまで行かれますか?」「じゃあ、○○まで いっしょに行きましょう」そんな会話があったのです。あなたが、自分のことを無力に思えてしまうとき。だれともつながっていないように感じるとき。どうぞ、思い出してください。この「無財施」ということばを。私たちは、何ももたなくても、必ず、何かしら、できることをもっています。そのちいさなひとつの「施」が、だれかのこころに、きっと、あかりをともします。そこに、意味がないなんて、そんなことは、絶対ありません。あなたは、いつだって、だれかを支え、だれかとつながれる存在なのです。「無財施」これが、キーワードです。あなたにできること、どうぞ、探してみてください。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1960号(2009年3月11日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2012.11.09
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★今日のフォーカスチェンジ♪杭を引っこ抜く先日、検索をしていたら、たまたま、悩み相談のコーナーに行き当たりました。だれかが、自分の悩みを書きこむと、他のひとがレスをつけるというかたち。あるひとが、人間関係の悩みを書きこんでいました。「○○ならば、こうあるべき」「~~でないと、納得できない」「私は、◇◇な人間なんです」そのひとの書きこみには、何度も、そんな表現が出てきました。ほかのひとがどんな書きこみをしても、自分が受け入れられないと思うことについては、いつもそうしたことばが返されるのです。それはまるで、そのひとが、自分のまわりに何本もの杭を打ち、「ここからは入ってきては いけない」と、拒否をしているようにも見えました。そのひとにとって、ほしいこたえが先にあり、それ以外のものは、最初から受けつけようとはしていないようにも見えました。その杭の多さだけ、寄せられる応援もお手伝いも、はねのけられ、すごすごと、もどっていくしかないのです。自分のこだわりをもつことは、悪いことではありません。自分で考え、自分で選び、自分で決めることの大切さは、私自身、ブログやメルマガをとおして伝えてきたことです。でも、それと同時に、とても大切なことがあります。ひとの考え、見かたもいったんは、受け止めてみる、ということです。受け止めるときに、自分の価値判断を、脇に置いてみるということです。それは、先に書いた、自分の杭をはずしてみるということかもしれません。「○○するべき」を「○○もありかもしれない」と、言い替えてみることかもしれません。「~~でないと、本当に 納得できないのだろうか」と、自分の思いこみをうたがってみることかもしれません。「私はこういう人間なの」と決めつけている、それが、本当に、真実、絶対普遍に変わらないものかを、想像してみることかもしれません。ここまで書いてきて、気がつきました。かたくななまでに、自分のこだわりにしがみついているそのひとのすがたは、かつての私自身のすがたそのままでありました。そうして生きることが、どれだけ苦しかったことか。どれだけきゅうくつであったことか。私は、長い時間をかけて、杭を引っこ抜く作業をやってきたのかもしれません。引っこ抜くたびに、楽になる自分がいました。「かくあらねば」と決めつけることが、実は、相手(まわり)のみならず、自分自身をもしばりつけていたことに気づいたのです。そこまでしても、ゆずれないものや、守らなければならないことなど、ほとんどなかった、ということに気づいたのです。その結果、ゆるし、受け入れたものは、自分にとってのパワーに変わってくれました。そうです。てばなしたぶんだけ、せきとめられていたエネルギーが、流れこんでくるようになったのです。もしよかったら、今日は、いつもうたがっていたこと、拒否していたことを、ほんのちょっとだけ、受け入れてみるということを、やってみましょうか。ちからを抜いて。リラックスして。そのとき、思いもかけないパワーが、あなたにもたらされるかもしれませんよ♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1959号(2009年3月10日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2012.11.09
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★今日のフォーカスチェンジ♪前に進むためのしかけ。自分は、どう生きていけばいいのかとか、自分に何ができるのかといった思いは、ずいぶん早くからもっていたように思います。でも、見つからずに苦しんでいた時期もまた、長かったように思います。自分をみとめられず、自分を受け入れられず、自分を否定しつづけていたように思います。本もたくさん読みました。こころを揺さぶられることもおおかったけれど、なかなか変われない自分を、もどかしく思ったこともしばしばです。そんな私が、変化していくきっかけは、結局のところ、ひととの出会いだったような気がします。とくに、ワークショップという、ある意味、濃縮された空間での、ひととの出会いは、かつてなかったほどの刺激を私にあたえました。ワークショップの場では、見知らぬひと同士が出会い、ときには、ペアやグループを組んで、レッスンをおこないます。そして、そこで起きたことが、みんなのなかでシェアされます。自分ひとりが感じたこと、気づいたと思ったことが、全体のなかで、あらためて光を浴びることになるわけです。それは、ある意味、ひとがひとの鏡になりあう体験であり、ひとをとおして、自分を磨く場であるともいえるかもしれません。そのときはじめて、書物で得た知識が、腑に落ちるのかもしれません。少なくとも、私自身、ワークショップをとおして、何度も、それまで漠として見えなかったものが見えてくる体験をしました。また、そのときに、書物で学んだ知識が、それらを読み解く助けになってもくれたのです。だから、もしも、たくさんの知識を得ても、何か突き抜けられないもどかしさを感じているひとがいるとしたら。そのひとには、行動することがもとめられているのかもしれないのです。セミナーやワークショップで、いろいろと体験しても、どうしても、気持ちの整理のつかないひとは。いったん、書物などによって、自分の内に起きていることを、整理しなおしてみるのも方法ではないかと思うのです。こうして、ブログやメルマガをとおして、あなたに、何かを伝えることができたらいいなと、いつも思います。そして、その気づきをもっとパワフルに、日常で活かしたいと思ったら、そこでは、ワークショップが意味をもつのだと思います。その両方を、大切に提供していけたらいいなと、あらためて思いました。どうぞ、あなたのいまの立ち位置を、確認してみてくださいね。自分はどのへんにいそうな気がしますか?次の自分へのステップは、どこにありそうですか?体験してみてください。ワークショップやセミナーが、その飛躍のお手伝いをします。振り返ってみてください。あなたが積み重ねてきた学びが、役に立ちます。どちらにしても、あなたが、前に進むためのしかけ。楽しんでトライしてください。あたらしいあなたと出会いつづけるために。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1958号(2009年3月9日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2012.11.09
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★今日のフォーカスチェンジ♪ひとつにつないでください。しばしば使われるたとえですが、魚は、水のなかにいるとき、水を知ることができません。ひとは、魂だけの状態では、存在することの意味を知ることができません。魚は、水を飛び出したとき、はじめて、水の存在を知ります。ひとは、あえて不自由な肉体をまとって生まれてきて、はじめて、生きることの意味を学びます。いずれにしても、私たちは、相反するものがあってはじめて、その意味や価値を、体験することができます。だから、すべてのものには、対になるものが存在します。相反することに見えるものは、相反するかたちとしてあらわれることによって、そのものの本質を照らします。ただ、その状態があまりに長くつづいてしまうと、私たちは、しばしば、その原点をみうしないます。あたかも、はじめから、相反するものがあって、それらが、まじりあうことはできないと、かん違いします。そして、目先の、あるいは自分の利害のために、そのことなるものを排除しようとしたりします。どうぞ思いだしてください。私たちは、知るために、あえて、二つに分かれてきたのです。少なくとも、そう考えてみたら、本当は、あらそうべきことは何もないことがわかるのです。学びが終わったら、手ばなせばいいだけなのです。もう、そろそろ、そのことに、気づく時期がきたと思いませんか?世界は、数千年にわたって、(いえ、もしかしたら、人類が 誕生したとき以来)あらそいを繰り返してきました。けれども、ひとは、なぜあらそうのでしょう。それは、先のたとえを借りるなら、つながる存在であることを知るためだったのではないのですか?そのことを忘れてしまったために、あらそうことを、目的にしてしまっているのだとしたら…。それはとても、おろかしいことです。かなしく、さびしいことです。もう一度、私たちが、ここに生まれてきた目的を思い出してみましょうよ。私たちは、すべて、つながりあった存在でした。それは、ワンネスとも呼ばれるひとつですべての状態でした。でも、すべてがつながった状態では、個としての自分を体験することができません。個としての体験をすることができなければ、変化を生み出すことができません。だから、あえて、ちがいをつくりだしたのです。それだけのことだったのです。分離を終わらせましょう。もう一度、ひとつにつなぎ直しましょう。あなた自身の分離を終わらせ、自分自身の内がわを、ひとつにつないでください。あなたとあなたにつながるひとびとの分離を終わらせ、ひとつにつないでください。さらにそこから広がる世界の分離を終わらせ、すべてを、ひとつにつないでください。そのとき、進むべき、次のステップが見えてくるはずです。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1957号(2009年3月8日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2012.11.09
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★今日のフォーカスチェンジ♪「無表情」のことを、「ブス」と呼んだのです。「ブス」ということばがあります。女性を、あまりほめてはいない表現です。(^^ゞでも、なぜ、それを「ブス」というのだろうと、疑問に思ったひとも、おおいのではありませんか?そして、「ブス 語源」で、検索してみたひとも。はい。私も調べてみました♪簡単に言うと、もとは、「附子」と書き、トリカブトの塊根をさすのです。この毒にやられると、神経系の機能が麻痺して、無表情になることから、その無表情のことを「附子」というようになり、転じて、美しくない女性の意味に使われるようになった…というのです。 --参考「語源由来辞典」 おもしろいと思いませんか?本来は「無表情」のことを、「ブス」と呼んだのです。無表情であることを、かつてのひとは、美しくないと感じていたのです。長く、演劇にかかわってきた私にとって、これは、ある意味「わが意を得たり!」なぜかというと、まさに、演劇の世界では、「無表情」こそ、役者として、一番魅力のない状態だからです。 もちろん、そういう役で あれば別ですけどね。私たちは、おさない子どものころは、だれもが、くったくなく、自分の気持ちを表情にあらわします。泣いたり笑ったり怒ったり、子どもの表情は、まさに、くるくると変わりますね♪ずっと見ていても、まったく飽きません。ところが、おおくのひとが、次第に、この表情をなくしていってしまいます。自分の気持ちを、おもてに出さないようになるのです。 最近では、子どもにさえ、 増えているように感じます。気持ちを表現しませんから、無表情になります。すると、そのひとの魅力は、その仮面の下にかくされてしまいます。もとの造形がどんなにととのったひとでも、ちっとも魅力的に感じられなくなるのです。けれども、そんなひとが、お芝居にかかわりながら、少しずつ、自分の気持ちを表現するようになると…。そのひとの内面に秘められたかがやきが、おもてににじみ出てくるようになります。表情をゆたかに使いこなせるようになると、その魅力は、二倍にも三倍にもふくらみます。そしてそれは、舞台を降りたあともつづくのです。これは、単なる技術の問題ではありません。表情がうごくとき、こころもいっしょに動いているのです。顔の筋肉がゆるむと、こころもゆるむのです。だから、本当に美しいと感じるひとは、こころがやわらかく動くひとなのです。こころがやわらかく動くということは、いつも、いま、この一瞬を生きているということです。いま、この一瞬を生きているということは、いつでも変化しつづけているということなのです。そしてね。ひとは、いま、この一瞬を変化しつづけて生きるとき、けっして、自分を否定しません。どんな自分にもOKをあげるのです。そのOKという土台の上に、次の自分を乗せるのです。OKにOKを重ねて、また変化しつづけるのです。蛇足ですが。もう一度、語源にもどって考えなおしてみました。ひとの神経系を麻痺させて、無表情にさせてしまうという猛毒の「附子」。でも、私たちは、もしかしたら、日々、ちがうかたちでの「附子」を飲みこんでしまっているかもしれません。そのために、こころが麻痺して、気づかぬうちに、「ブス」になってしまっているかもしれません。あなたがあなたらしく、生き生きと生きていくために。ポイントは、表情ですよ。ときどき鏡を見て、チェックしてみることをおすすめてします♪--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1956号(2009年3月7日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2012.11.09
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★今日のフォーカスチェンジ♪「自分を遊ぶ」長く演劇にかかわってきているせいか、「人間ウォッチング」が好きです♪街を歩いていても、電車に乗っていても、いろいろなひとが目に飛びこんできます。本当に、いろいろなひとがいます。年齢もさまざま、外見もさまざま、かもしだす雰囲気もさまざま。見ていると、実に楽しく、見飽きません♪そして、つくづく「人間っておもしろいなあ」って、思うんです。ところで、なぜ、こんなちがいを出すことができるのか。たとえば、私たちは、たいていの場合は、はだかんぽでは暮らせません。だから、服を着ます。どんな服を着るかで、同じひとでも、外見がまるでちがって見えます。また、女の人は、メイクをしているひとがおおいです。 最近は、男のひとでも 珍しくなくなりましたが♪すると、このメイクひとつで、またまた、雰囲気ががらっと変わってしまいます。こんなふうに、「自分を遊ぶ」ことができるのは、人間だけなんですね。人間って、最初から、「遊ぶ」楽しみをもらって、この世に生まれてくるんです。その意味では、「演劇」って、この、「遊び」の最たるものだといえるんです。だって、ほら、「演劇」って、英語では「PLAY」って書くでしょう。「PLAY」って、まさに「遊び」のことですからね♪そして、演劇の場合、「役」を演じることで、その「遊び」は完成します。同じAという役であっても、演じるひとが変われば、その表現はまるでことなります。そのひとごとの、魅力がそこにあらわれます。これ、人生でも同じでしょ?もともと、どんな自分にもなれるのが、人間なんです。どんな自分になるかを選べるのも、人間なんです。だとしたら、思いっきり楽しまなきゃ、損ですよね!あなたは、どんな自分になりたいですか?あなたの人生という劇場で、どんな役を、どんなふうに演じるか、すべてあなた次第なんです。そして、演劇のおもしろさは、すべてがととのった劇場で演じられるお芝居だけが、最高ではない、ということ。設備もろくにない劇場で、その役者さんの存在感が、舞台の決め手になったりします。乏しい設備だからこそ、その工夫が、思いがけない演出をかもしだしたりします。せまい空間しかないからこそ、お客さんと、親密な一体感を生み出している舞台を、私は何度も見ています。これも、人生と同じですね。「○○がないから、だめ」なんてことは、ないんです。どう「遊ぶ」か、どう「楽しむ」かが、あるだけなんですよ♪あなたのからだも、ことばも、考えかたや感じかたさえも、人生をゆたかにする素材です。あなたの人生のどんな場面も、すべて、あなたのドラマを生かすために、あるのです。あなたの魅力が最大限に生きる脚本を書いてみてください。演出を、してみてください。もう一度、書きますね♪あなた次第なんですよ!--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1955号(2009年3月6日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2012.11.09
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★今日のフォーカスチェンジ♪より深く聴けるようになりたいのなら若くして逝った劇作家・演出家の如月小春さんが、言っていたことば。「子どものからだを見てください。 からだの声を聴いてください。 そこに、こたえがあります」いまでも、ときどき思い出します。子どもが、反抗的に見える態度をとっているとき。好ましくないと感じることばを発しているとき。あるいは、何も反応しないとき。そのあらわれた表面だけにとらわれると、子どもとつながることはできません。言うことをきかせることはできても、こころのつながりは断ち切られます。ますます距離が生まれます。ますます、子どものことが、わからなくなります。そんなときは、もう一度、まっさらな気持ちになって、子どものからだを見るのです。ちぢこまっていないか。かたくなっていないか。どんなまなざしをしているか。呼吸はどんなふうか?見るんです。そこにこたえがあります。ことばで語れないぶん、子どもは、からだまるごとで表現しています。それが、子どもの本当の「ことば」なのです。からだの「ことば」なのです。からだまるごと、存在まるごとを、受け止めること。受け止めて感じること。「聴く」というのは、本当は、そういうことなのです。辞書の定義はともかく、そのように聴かないかぎり、私たちは、真の人間関係をつくっていくことはできないのです。そして、これは、子どもにかぎりません。おとなだってそうなのです。もちろん、おとなにはおとなの責任があります。「怖くてうそをついた」それを、からだから感じとることができたからといって、「はい、そうですか」とは言えないのも、たしかです。でも、それを感じつつ、かかわってみると、やっぱり、反応が変わってくるのです。あるいは、こちらの対応も、より柔軟になるのです。相手が、自分を受け入れてくれていることがわかれば、ひとは、だれでも安心します。安心できる相手には、自然にこころをひらきます。そしたら、無理して、虚勢を張る必要もなくなるし、前向きにかかわる意欲も湧いてくるのです。それでも、どうしても、「おとななのに」とゆるせない気持ちになるとき。私は、「魂年齢」というものを考えてみることにしています。いま、こうして外がわにあらわれる年齢は、このからだが重ねた年齢にすぎません。もしも、魂というものがあるとして、その魂が、どこかから(どこ?)(笑)やってくるとして…。このからだに降りてきたときには、すでに年齢差があるのです。その年齢差は、魂の年齢差ですから、目に見えません。だから、子どもなのに、不思議と、すべてをわかっているひともいます。おとななのに、まるで成熟していないひともいます。 …はい。私のことです。(^^ゞ目の前にいるおっさんのことを、「しょーもない!」と思ったら、その魂年齢をイメージしてみるんです。その魂年齢がおさないと感じたなら、おさない子どもの話を聴くように、相手のことばに耳をかたむけてみるんです。そんなふうにね。やりかたはいくらでもあるんです。どれが正しい・間違いではなく、自分がそれを使いたいかどうか、です。あなたが、より深く聴けるようになりたいのなら、固定概念を捨てて、まっさらになってみるんです。あなたの感覚を信頼して、まるごとのあなたで、全身全霊で聴いてみるんです。変わりますよ。どんなふうに変わるかは、どうぞ、体験してみてください。体験したひとだけが、わかります。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1954号(2009年3月5日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2012.11.09
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★今日のフォーカスチェンジ♪「聴く」をうたがう私の演劇の先生のひとりである、竹内敏晴さんは、名著『ことばが劈(ひら)かれるとき』のなかで、自分自身の「聴こえない」体験と、「聴く」ことへの深い洞察を語っています。それは、かめわざ流に言うと、いかに、「聴く」をうたがうかということ。それは、単に、ことばの意味を聴くにとどまりません。そのことばを発する主体、そのまるごとの存在としての他者が、何を、自分に伝えようとしているか。あるいは、本人が意識するとしないとにかかわらず、何が伝わっているのか。そして、それを聴く自分が、何をどう受け止めているのか。もしも、私たちにとって「聴く」ことが、単に「ことばの意味を理解する」ことだけだとしたら、精巧なロボットのほうが、はるかに優秀なはずです。私たちが「聴く」ということは、本来、その語る主体である相手の、ことばも含めた、存在まるごとを聴くということなのです。でなければ、仮に聴覚というものがうしなわれた瞬間に、私たちは「聴けない」存在になってしまうはずですから。それは、誤解です。私は、これまで、聴覚にハンデのある、さまざまなひとたちと出会ってきました。彼らのなかには、太鼓をたたくものあり、ダンスをするものあり、もちろん、演劇をするものたちもいます。そこにおいて、彼らは、まさに、まるごとの「聴く」を体現しています。また、私は、しばしば、手話をあやつる彼らの表情や動きの美しさに感動をおぼえます。そのとき、「聴く」は、生きる表現そのものです。そこでは、まさに、全身全霊をつかい、相手に伝え、受け取る関係が成り立っているのですから。そんなこんなを思うとき、あらためて感じるのです。ああ、私たちは、「聴く」を誤解していると。せまいことばの意味を受け取ることだけが「聴く」ことだ、などと。その誤解が、どれだけ人間関係を、とぼしいものにしているのかと。「聴く」にこだわりはじめ、自分なりのワークを模索するなかで、実感したことは、私たちが、まずすべきことは、この誤解をとくこと。言い換えれば、「いかに聴けていないか」を知ることが、「聴く」ことの出発点なのだと。だから、かめわざ流「聴く」講座では、「聴く」ことにたいして、三つの定義をあたえています。・五感で聴く・からだで聴く・(存在)まるごとで聴く「聴く」ことの誤解に気づき、「真に聴く」ことへの一歩を踏み出すとき、私たちの前に、あたらしいコミュニケーションの地平が広がるでしょう。いえ、もっと言えば、あたらしい人間関係が、そこに生まれるはずです。まるごとの相手を「聴く」とき、それは、そのまま、まるごとの相手を受け止める関係になります。まるごとの他者を受け止めあうとき、私たちは、もう、あらそいあう必要がないことを知るでしょう。そのための、一歩であり、同時に、すべての出発点が、「聴く」ということ。ひとりでもおおくのひとが、この一歩をともに踏み出してくれるなら、世界は変わります。平和に向けて、変わります…。--かめおかゆみこ発行 「今日のフォーカスチェンジ」 第1953号(2009年3月4日発行)より★日刊携帯メルマガ 「フォーカスチェンジ・フラッシュ」の登録・解除 パソコンでご覧の方はこちらから♪ 携帯でご覧の方はhttp://mini.mag2.com/にアクセスして 68733 を検索して登録・解除してください。
2012.11.09
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