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元巨人軍のエース投手だった小林 繁さんが亡くなられました。子供の頃、ずっと少年野球に打ち込んでいた自分は彼の大ファンでした。独特のフォームから繰り出される渾身の投球、何よりその端正なルックスは多くの人を惹きつけていました。..若い方はご存じない方も多いと思いますが30年も前に彼はあるとんでもない事件に巻き込まれます。当時、高校野球、大学野球を通じて「怪物」と呼ばれる投手がいました。現在は野球評論家で活躍されている江川卓さんです。彼からヒット一本打っただけでニュースになるほどの常識を超えた実力を持つピッチャーでした。とうぜん江川氏はドラフト(選手獲得の交渉の権利を得るため、くじを引いて決める会議)の目玉となり全球団が彼を意中の的にします。ところが、くじ運が悪く江川氏の方が望む「巨人入団」は2年連続で叶いませんでした。すると、どうしても江川氏を欲しい巨人は突然として暴挙にでます。野球協約の盲点をついたのです。野球選手との交渉権利の有効期間はドラフト会議から次のドラフト会議までの1年間ですが実際には364日間です。交渉をぎりぎりまで行うと次回のドラフト会議開催に支障がでるとして敢えてドラフト会議の前日を猶予除外していたのですが、ルール上は交渉権がどこにも存在しない(巨人の解釈)その一日に「江川入団」を発表しました。もちろんセリーグの会長は即座に「そんなもん認められないよ」とばっさり。しかし巨人はこれに抗議の意味でドラフト会議をボイコットする。さらに巨人はセリーグを脱退して新リーグを作るとまで言い、この脅しに屈服したコミッショナーは譲歩することに。ドラフト会議で江川との交渉権を得た阪神タイガースにいったん江川を入団させ、当時の巨人のエースだった小林繁さんと交換(契約上は金銭)トレードをする運びとなる。ようするに小林さんは、江川入団によっておおきなとばっちりを受けたのだ。彼は直前まで江川との交換を聞かされておらずしかし記者会見では「同情はいらんです」「野球をやれればどこへ行っても同じです」と男らしく語りました。内情は憤懣やるかたなかったと後に言われていましたが。..結局そうまでして獲った江川氏でしたが活躍したのはわずか数年だった。でも今思えば、江川さんもまだ子供だったのかな。人を犠牲にしてまでエゴを通すような人間ではなかったと思う。周りの大人たちの醜い思惑にふりまわされての結果だろう。交換トレードから30年後に江川氏と小林氏は日本酒のCMで再会する。二人はそれまで一言も交わしたことが無い。なんとなく気まずさが漂う空気の中で江川氏が「あの時はすいませんでした」と頭を下げた。小林氏は「いやぁ、もう昔の話だから・・」「しんどかったね」と言葉をかけた。運命の歯車。それを狂わされた方と狂わせた方。多くの歳月が水に流してくれたのかは知らない。心から和解できたのかは当人にしか知りえない。ただ、江川氏がこれから一生忘れないように僕も忘れない。一言も不平を言わずどんな逆境にも立ち向かっていった小林繁。あの華奢な体から振り絞るように投げ出された魂の一球を。
2010.01.25

新年の初頭に際し、相田みつをさんの言葉を掲載しました。人間だもの 好きな言葉です。☆初詣には行かれましたか?僕は近年は三が日に出かけることはしませんでした。田舎者ですからとにかく人ごみが苦手なもので。でも今年は何か特別な思いで出かけてみました。近所の神社ですけど。..苦しいときだけの神頼み。それもありましたが、ほんの二十秒足らずの祈りの中で、脳裏に昔のことがよみがえりました。それはずっと昔、僕に良くしてくれた人たちのことです。☆最近は年をとったせいもありますがドラマをよくみて涙ぐむことが多々あります。人って自分のためには簡単に泣けたりするもんです。感動しては泣き、喜んでは泣き、悔しくては泣き。でもまれに、他人のために泣いてくれる人もいます。..もう10年も前に、僕がサラリーマンを卒業して起業しようという時。お別れ会の席上で後輩の男の子がすごく泣いてくれました。僕はすごく厳しい先輩だったと思うし、特段その子と仲が良かったわけでもありません。彼は中途入社だったのですが、彼が言うには「僕が入社したときに、先輩だけが笑顔で迎えてくれた」と言うのです。そんなつもりは無かったし、覚えてもいなかったけど彼にとってみれば、不安の中、入社してきて一番最初に安心できた出来事だったのかもしれません。..思わぬ後輩の涙に人のために泣けるっていいなってそう思いました。久しぶりに彼の顔をなぜか思い出しました。今年は誰かのために・・そんな自分をめざしてみたいと思っています。
2010.01.05
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