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11月です!はやいです。早いもので今年もあと二ヶ月、永遠というものは時の中にあるものだろうか、僕が1985年の8月某日、そう、あの日からちょうど2年、朝っぱらから公衆電話をにぎりしめていた。「もう、あかんは、フェリー乗り場までいかれへん、しんどいわ・・。」自分からいいだしたけど、もう深夜勤務が続き、疲れていた、家の裏にはビル工事、同時に前の家が鉄筋新築工事がはじまり、昼間うるさくて眠れないのだ。しかも、深夜8時5時の勤務、大阪の店はひどいみせだった。彼女が田舎に帰るというので、寮からくるまで中突堤まで送る約束を寸前で反古にしてしまい、たぶん、大きなかばんを持ち呆然としていただろう、すれ違い、その付き合いはそれでおわった。あれ?こんばんわ。いきなり結末です。おいおい、それはないだろう・・声が全国から聞こえてきます。長い長いたびはそこで終わったようなかんじです、どうも悪い僕です。1983年8月16日この写真を記念にとったんだが、偶然、その女子がうつっていました。きっかけはバス停を間違えて降りた、そのとき100円を落とし、運転手さんにいいよ、といわれた、そういうことも思い出した。1983年8月17急行ニセコにのる。乗るなりそのこは、こういったのをおぼえてる。「下宿にとめてよ。」ぼくは、いいよ、といった、でも違う部屋にしようとぼくきめていた。「お風呂あるの?」ぼくは、そんなもんあるか、といった、銭湯だよ。加茂湯というお風呂屋さんにゆくんだ、「あ、いいな、カタカタできるね」僕は、何のことかわからなかった。函館でラーメンをたべ、市電にのって、立待岬へいった、ちょうど台風が本土にきて、津軽海峡は雲が立ち込めていて、幻想的であった。夜7時過ぎ、青函連絡船「石狩丸」にのり、北海道を離れた、そのこは、つぶやく。「ああ、今ごろ、桃岩、いわおべつ、ミィーテイングがはじまっているんだろうな、来年三回生になったら、また、きたいね」ぼくはとてもやばい四回生で五回戦は間違えないといわれちたから、沈黙の艦隊、石狩丸であった。船は23時に青森につく、朝4時50分の特急白鳥に乗るため列にならぶ。14時間かけて京都まで先頭車両に二人で乗る。車掌が何度も僕たちを見ていたのを覚えている。つづく、また明日。この先は続く・
2008.10.31
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慶応の学生が大麻を売買して中毒になっていたそうだ、あさがおさんの嘆きを感じるし、学生であれば、せっかくそこまでいかせてもらいながら本当になせ計内、聞けば航行からのストレートらしい。本当にばかなやつ、そういう意味では僕は貧乏が癖デよかったとおもうし、精神性は高いものだった。、さっきの変換訂正はしない。思い出を僕はよく覚えている、友人にもおどらかされるといわれる、8/15の朝日ツアーに参加した午前三時におきて、光琳が見えるすばらしい朝日。 これで、僕のたびもおわるなあ、と夜、缶ビールを片手に余別川の橋の上で飲んでいたらさっきの女の子がきた、ビールをのむか?そういうと「バス停で間違えておりたの。」といっていた、もうこれで本土にかえるといっていた、しかも、九州のえびのの大きな薬局の娘、ぼくは、「一緒に帰るか?」と聞くとうんという。僕はユースまでかえるつもりが京都まで行きたいという、次の日、ユースをあとに一人旅が二人旅になり長い長い帰り道になった、つづく、あすへ
2008.10.30
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毎晩毎晩、よくもまあ、きますねあなたこんばんわ、今夜もよろしく、哀愁。最近よく聞くのが稲垣潤一、学生終わりのころ1982年に登場し1989年ごろまでよく、聞いた、最近の彼はめっきり昔ほどのセールスがでない。しかし、彼は姿勢を替えず歌うんである。で、昔を思い出す設定の歌がまたなけるんですね、「黄昏が目にしみる振り返れば若さは勝手なもの♪懐かしい場所というのが誰にでもあると思う、ぼくもたくさんある、しかし、もう何年もそこにいかないと風景は変わっていて、少し寂しくもあり、その中で昔の面影をさがしたりする、そこにいた、人々はもいない。過ぎ去った時を思う。学生最後の夏休み、JIの「夏のクラクション」がヒット、僕も最後の夏をその歌を聞くたびに思い出すんだね、一人旅で北海道を流浪しているときに最後の宿は積丹ユースにしようときめていた。バスでしかいけないその岬までは、もうすぐ、つくバス、しかし、そのひとつ手前のバス停ででかいバックを抱え女の子が降りていった、ぼくは、地元のひとかな、とおもいつつ、次のバス停でユースまであるいていき、宿で荷物を降ろし、有名な落陽を見に行った、きれいな落葉であった、たくろうの「落陽」のイメージはあの日本海に沈む夕日。 もう26年前の変色したネガだけど、本当はきれいな夕焼けだった、 夕焼けをみていると、さっき、ひとつ手前のバス停で降りた女の子がきた、つづく。
2008.10.30
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おはようございます、日本が米国の金融不安のあおりで、選挙がのびのびになり、公明党が麻生さんにどなりちらしたといううわさ、なんたる、ことだ。そうあなたの街の選挙カーが休止したでしょう。僕は麻生さんの国策を優先したことを大いに評価するよ、しかし選挙の達人の公明党にすれば、あのチャンスをのがし、準備しておるのに、自民のためにやってやるのに、どういうこと!と、まるで、奥さんが日曜日の家族のお出かけをだんなが上司のゴルフを優先したかのごとく、怒るのだ。思い出します、「地域振興券」あの施策は無駄でした、今回も選挙のための経済政策といわれてもしかたないが、ひそかに期待する。迷うね、あの小沢君も体調悪そうで顔つきも狸の下痢のような顔をしておる、裏を見てみると、真実はひとつしかない、マスコミにおどらされてもいけない。
2008.10.29
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こんばんわ、株価暴落し、多大な被害が予想外ででるとき、株の投資組みは損失し、新たなひとびとがでてくる、いわばこれは選手交代の場面でもあるわけだ、最近、高級車れくさすがよく走っていた、若造がおおい、おそらく彼らも株で一儲けした口か、そいつらの高級車もやがて中古車市場にながれてゆき、再び時代は変貌してゆくのである、あぶく銭というか、信用取引で株を動かしていたひとびとはバブル二の舞。汗水流して本業に腰をいれ、しっかりと商売していればいいものを、まあ、僕のような貧乏ものに関係ありません、円高でブラジルからの鳥の値段が落ちてくれればいい。 おやすみ。
2008.10.28
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はい、こんばんわ、どこまで暑い日がつづくねん。とおもいきやぐんぐんきましたね季節風というやつで、急に寒くなりました。かぜ!「うつされないように」もうすぐ11月ですが、11月となると学園祭ですね、僕はもういつものパターンでろくなおもいでがない。(またかよ)そう、思い出すのは、これでやっと彼女ができるか、と思いつつ友人の知り合いの棒国立女子大の超!お嬢様が学園祭にこないかと、いうんだね。ぼくはひとりでその女子大前で行くと、その子がまっていたんだ。ご挨拶校内を案内してもらい、すこしすると、「わたし、展示会のほうでいかないといけませんのであとはおひとりで・・。」といって、すたすたいってしまったん。おもわずこけそうになり池にはまりそうになりながら、「これはかえれ、ということじゃ」とわかった。まあ、三畳一間6000円の部屋に住む、ぼくが480円の時給のバイトまでやすんではるばるきたんですが、鹿にえさをやり、再び帰ることにした。下宿にかえると、先輩後輩が待ち受けており、結果報告をすると、コタツでみんな倒れこんだ。「まあ、しょうがないな!」といいながら、ぼくはもてない人生をうらやんだね、それではみなさん、谷山さんの歌でお休みです。
2008.10.27
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たばこもぱちんこもやめれない。そういう人がおおい、まして貧困な人や労働者がおおい。こんばんわ、なんでも、ほどほどのでいいんだが、みんなどっか、亜スペルがーのようなところがあります、家族もいるのにファミリーかもかったのに、一人で朝から晩までぱちんこ。その負けたお金は地下組織からミサイルになって、フィーバーするんだね。楽しむことはいい。でも:ギャンブルです。国家銀たちもぎちゃんブルすきが多い、麻生さんもそうらしい、カジノでもつくればいいとか前いってたな。今日はいそがしかった、予約二連発、昨日もへろへろです。深夜風呂具便やってる場合でないのです。82年になった、円高布教。いや、円高不況。ドルが売られ円が高い。円の通貨量をふやせばいいのだ。インフレになるか、刷って刷ってばらまけばいいのだ。途上国に円借款をおこなうのは日本のものを買わせるのだ、物は売れるし、いずれ返してもらう、こうなれば、いつまでたっても発展途上からぬけだせない、そういう論理なのだ。日本の敗戦の賠償金問題も僕はよく知らないがかなりのものをしているはず、これも情報操作であんまりながれらないし、語らない。しかし経済評論家の森永さん、おもしろいな、あのひとは、最近おしゃれをしだしたし、ほんま、僕と似てる部分を感じる。同類項括弧で結べそうだ、明日は株価がバブル崩壊よりもひどい状況になるか、とよそくされてる。しかし、相場は作用半作用で、反発もくる、落ちたら買おうというやつと、損するやつと、いずれあがればかつやつと。おいおい、なんか、さ、パチンコとおんなじやん。大体、汗水流さず株で投資してもうけようとする甘い考えは、いつかややけどする。・・・・ぐーぐー寝てました、天国に行きます。ばーーい(寝るのよ)ここ
2008.10.26
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パーラー」、「パチンコ店」または「パチンコ屋」と呼ばれる。このような遊技施設は、1930年に最初の店舗が開店し、その後第二次世界大戦により一時は全面禁止となったが、終戦後に復活した。海外においては、かつては韓国でも多くのパチンコ店が存在した。韓国におけるパチンコは2006年末に法律によって禁止され、店舗も全て閉鎖されている,2008年現在、日本以外ではアメリカのグアムなどにパチンコ店が存在している。また中華民国(台湾)では、法律上は禁止されているものの、実際には台北市を除く多くの都市に非合法のパチンコ店がある。2004年7月に改正された遊技規則の影響を受け、2004年6月以前に保安電子通信技術協会(保通協)の検定を通過したパチンコ遊技機やその他の遊技機は、遅くとも2007年9月末までに全て撤去することが義務付けられた。また大当たりの連チャンが人気だった4号機パチスロ機も同時に撤去対象となっており、これに伴いパチンコホールは入替のために多額の費用負担を強いられた上、射幸心を煽る遊技機の規制により大幅な客離れが見込まれたため、金融機関もパチンコ業界へのファイナンスに対し非常に慎重になった。そうしたあおりを受け、2007年4月27日には業界第6位のダイエー(本社・会津若松市)が東京地方裁判所に民事再生法の適用を申請したことを代表に、2007年度のパチンコ店倒産件数は前年比37.1%増の大幅増加となった精神医学においては「病的賭博(pathological gambling)」という精神障害のことである。一般的には「ギャンブル依存症」とも呼ばれる。パチンコの大当たり時には脳から大量のβ-エンドルフィン、ドーパミンなどの神経伝達物質(脳内麻薬とも呼ばれる)が分泌される。このため一種の薬物依存に近い状態に陥り、パチンコに依存する恐れがある。このパチンコ依存症により若年世代でも依存症により勉学意欲や勤労意欲を喪失し、ニート化する例や、借金をしてまでパチンコにのめり込むあまり多重債務に陥る例や、自殺にまで陥る例があり、消費者金融の在り様と併せて社会問題視(クレサラ問題)されたことから、2005年頃から東京都遊技業協同組合などの業界団体でもパチンコ依存症に対する注意の呼び掛けや問題解消のためのカウンセリングの紹介といった事業が始められている元臨床心理士で作家の松岡圭祐は、著書の催眠や千里眼の教室といった複数の作品中で、パチンコ依存症を、パチンコ台が「大音量の音楽」、「点滅するネオン」、「回転するデジタルスロット」、そして「“大当りが出たら儲かる”という欲求」などの複数の要素を巧みに用いることで、交感神経系優位で被催眠性の高い(熱中しやすい)人間をトランス状態、一種のリラックス状態に導くことが出来る。これにより理性が弱まり大金を浪費してしまったり、遊技中の快楽感が癖になり依存症や中毒になってしまうと分析している。またそれらの特性からパチンコそのものを強く批判している。パチンコに熱中した保護者がパチンコ店の駐車場に止めた自動車内に子供を放置して、子供が熱中症や脱水症状などで死亡する事件(→ネグレクト)が発生し、社会問題になっている。そのため全日本遊技事業協同組合連合会は子どもの車内放置は児童虐待の防止等に関する法律の児童虐待にあたるとして車内放置根絶を目指し注意を喚起するキャンペーンを行っている警察庁は、パチンコ業界の監督官庁として、その外郭団体である保安電子通信技術協会で遊技機の仕様が適正であるかどうかを調べる試験を行ったり、さらに、試験に通過した機種を実際に営業に供して良いかどうかの検定を各都道府県の公安委員会で行ったり、あるいは店舗営業の許可を与えたりするなど、業界の生殺与奪の権を握る立場にあるため、癒着が発生し易い関係にある。例えば、遊技機の型式試験を行う保安電子通信技術協会の前会長は前警察庁長官であった山本鎮彦であり、職員の1/3を警察出身者が占めることや、パチンコメーカー・アルゼでは前警視総監である前田健治を常勤顧問として迎え入れていたなど、関連団体や企業への天下りとも解釈できる例が見られる自営業が可能なパチンコ産業では、国籍・出自による就職差別が影響する他産業に比べ、就業者に占める在日韓国・朝鮮人の割合が高いとみられ、日本に約1万6000~7000店ほど存在するパチンコ店の経営者に占める割合は7割から9割とも言われている。民団傘下の「在日韓国商工会議所」では所属する1万社のうち、約7割がパチンコ業に係わっており、日本の公安当局はパチンコが民団、及び朝鮮総連の資金網と見ている[39]。また、各メディアにおいても北朝鮮送金問題に関して北朝鮮の資金源として、朝鮮総連に関係するパチンコ業界があるのではないかと言われ、AP通信ではパチンコで負けた損失が核開発に流用されているのではないかと危惧するパチンコファンの声や、パチンコの収益が北朝鮮政府や軍に渡っているという専門家の声を伝えている2008年には、在日本大韓民国民団の代表たちが、韓国の李明博次期大統領当選を祝うために訪韓し、「パチンコ産業への規制による経営の苦しさ」を訴えた。李明博はこれを受け、小沢一郎民主党代表との会談の際に、民団から聞いたこととして小沢へこれに関心を持って欲しいと注文し、小沢は後日に民団から聞くと応じた1930年、風俗営業第1号店が名古屋で許可されパチンコ店が開店。やっぱなごやだほんと、裏話はきりがない、アジア人はなぜぱちんこにはまるんだろうか
2008.10.26
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はいこんばんわ、お元気でしょうか、こういう時期は風邪を引きやすい、移されない様にしてください、手を洗い、うがいする、スパーフリークにはちかずかない。※「菌」をせきとともに放出されているひと。今夜眠い、きのうもねむい、なんで、こんなにおきてるのそうおもいつつ、さっきのテレビのCMをみておどろきました。加山雄三がでてきて、昔のうたをうたい、で、最後にパチンコの宣伝。ああ、青春も金にまけたのか、情けないな、とおもいました、パチンコはやっぱ、賭け事です、しかも、あのフィーバーを快感とする、依存症です。ドーパミンが放出、その快感を得たいがためにまたするのです。みんな、それでお金を使い。仕事もせずにパチンコスロットをします。駅前に多いのは戦後のどさくさに、その筋の人が占拠し、日本国民だけです、駅前にこんなにギャンブルがおおいのがそういう人たちも自分たちの産業のためにひそかに政治献金をしています。夜中に売れない芸人がテレビでぱちんこしたりスロットしたりしている番組はどうかなーーとおもうのです。もっと有効な時間をつくるのがいいとおもうのですが、おやすみ
2008.10.25
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シーボルトの研究は最近になってさかんになりつつあるらしい、僕が小説で読んだときよりも、史実は変わっていた。シーボルトの娘イネは、後に東京で皇后様のご出産に立ち会うほどの名医になる。こんばんわ、みなさん、天下の東京で妊婦がERに拒否され死亡し、天下の大阪では、何キロも引きずられた若いサラリーマンが肉片になり死亡した。せちがない!とおもいませんか。まあ、それぞれいろんなことが含んでいるようですが、できれば僕が弁当ややめて医者になりたい。といっても現実、お金と時間がないし、それよりも大事なお客さんを見捨てるわけにいかない。シーボルトがドイツ公爵であり、ドイツが医学での世界的な権威であるということもありその後日本は、ドイツの厄介になることになるわけだ。一方、日本で一番治安が悪い「おおさか」の事件ですが、この事件を契機に監視カメラによる交通取締りがより強力になり、その監視カメラはほかの犯罪にもやくだつであろう、おそらく、警察の取締りでは有効無効を別として武器のようなもの非常手段を用いても治安を維持するという方向に世の中はなるだろう、今日も銀行の前にたつ、警官。お弁当を配達した、昼過ぎた、ちらしをもち振り込め詐欺防止喚起のものをもち、昼の暑いとき、夏服でなく、合服でもなく、いかにもという冬服でたちだまされないように指導、という県警本部の追ったしで。。出されたお金、千円札はびっしょりであった。その警官は何時間も銀行の前に立ち汗をかいてもぬぐわず、弁当のお金に出したお金は汗で濡れたお金であった。ぼくは、ありがたく頂戴し、おつりを渡した。全国の警官たちが汗をながし治安をまもるために働く、その汗、その千円は価値があるものだ。一方、官僚大臣の資産の公表があった、のきなみ一億円のし資産である。世の中のざわめきをよそに先祖代々の財産、まあ、麻生太郎の先祖は炭鉱近くにいた庄屋らしいが石炭の利権、南満州鉄道の利権、島の割譲(ちようせん)などで資産をたくわえたようだ。金持ちしかなれないようだ議員になるには、医者もそうだろう、だから、しんどいERみたいなとこにはいかないんだろう。振り込め詐欺がどんどんエスカレートしている、こういうやつらは捕まえてみせしめにしないとだめだ。捜査の問題があるんだと思う、銀行に警官をたたせても振り込むひとがいたそうだ、だから、結果、無駄な行為なんだろう。盗聴はすべきだ、家宅捜査ももっとできるようすべき、アジトをみつけるにはりーくがいちばん早い、大家さんや隣のひとの関心など、そういうのあれば発見できる。どんな対策も無効になるので、もうこうなれば法律を変えてでも厳罰にし、違法に近い裏操作でもどういう方法でも逮捕するべきだ。そういう、情熱が日本には今、ない。怒れ!日本といいたい。なんで、同じアジア人なのに、半島大陸の人々はおこったりないたりしてお日本人は、さめている。そうおもう。おやすみここ
2008.10.24
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はいこんばんわ、ありんこさんが記事にしていた花の名前がシーボルティという学名がついていて話、その話で、シーボルト事件を思い出し、歴史は全部、どっかでつながるんですね、シーボルトが日本のこないと、医学の発展も違う形であったし、音吉がふるさとの知多半島に帰る船で遭難していたから、あの高野長英は逃亡生活を送るし、いろんな人がいろんな人生を必死に生きて織り成すものが、歴史。あの時代は実に劇的であり、必死である。幕末の扉を開けたのが、大塩平八郎で最後の幕引きが西郷隆盛が西南戦争で自滅したのかもしれない。明治を迎え、大正に昭和、今の平成となり、僕たちは今生きている、ご先祖さんはその時代、何とか生きてくれていたからここにこうしてる。憶測と空想の中、歴史をおもうと、そのロマンに惹かれるのだ。どこかで、あなたの先祖と僕の先祖がかかわりがあったのかもしれない。「縁」というものがそういう根底で存在するはずだ。というわけで、おやすみ
2008.10.23
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渡辺 崋山(わたなべ かざん、寛政5年9月16日(1793年10月20日) - 天保12年10月11日(1841年11月23日))は、江戸時代後期の政治家・画家。40歳の時、三河国田原藩(現在の愛知県田原市域にほぼ当たる)家老。通称は登(のぼり・ただし一部の絵には「のぼる」と揮毫)、諱は定静(さだやす)。号ははじめ華山で、35歳ころに崋山と改めた。田原藩士である父・渡辺定通と母・栄の長男として生まれる。渡辺家は田原藩の中でも上士の家格を持ち、代々100石の禄を与えられていたが、父定通は養子であったために15人扶持(石に直すと田原藩では27石)に削られ、加えて折からの藩の財政難による減俸で実収入はわずか12石足らずであった。さらに父定通が病気がちであったために医薬に多くの費用がかかったこともあり、幼少期は極端な貧窮の中に送った。日々の食事にも事欠き、弟や妹は次々に奉公に出されていった。このありさまは、崋山が壮年期に書いた『退役願書之稿』に詳しい。この悲劇が、のちの勉学に励む姿とあわせて太平洋戦争以前の修身の教科書に掲載されていた。こうした中、まだ少年の崋山は生計を助けるために得意であった絵を売って、生計を支えるようになった。のちに谷文晁(たにぶんちょう)に入門し、絵の才能は大きく花開くこととなり、20代半ばには画家として著名となり、生活にも苦労せずにすむようになった。一方で学問にも励み、鷹見星皐、後に松崎慊堂から儒学(朱子学)を学び、昌平坂学問所に通い佐藤一斎からも学んでいる。また、佐藤信淵からは農学を学んだ。藩士としては、8歳で時の藩主三宅康友の嫡男・亀吉の伽役を命じられ、亀吉の夭折後もその弟・元吉(後の藩主・三宅康明)の伽役となり、藩主康友からも目をかけられるなど、幼少時から藩主一家にごく近い位置にあった。こういった生い立ちが崋山の藩主一家への親近感や一層の忠誠心につながっていった。16歳で正式に藩の江戸屋敷に出仕するが、納戸役・使番等など、藩主にごく近い役目であった。文政6年(1823年)、田原藩の和田氏の娘・たかと結婚し、同8年(1825年)には父の病死のため32歳で家督を相続し、80石の家禄を引き継いだ(父の藩内の出世に合わせて、禄は復帰していた)。同9年には取次役となったところが、翌10年に藩主康明は28歳の若さで病死。藩首脳部は貧窮する藩財政を打開するため、当時比較的裕福であった姫路藩から持参金つき養子を迎えようとした。崋山はこれに強く反発し、用人の真木定前らとともに康明の異母弟・友信の擁立運動を行った。結局藩上層部の意思がとおって養子・康直が藩主となり、崋山は一時自暴自棄となって酒浸りの生活を送っている。しかし、一方で藩首脳部と姫路藩と交渉して後日に三宅友信の男子と康直の娘を結婚させ、生まれた男子(のちの三宅康保)を次の藩主とすることを承諾させている。また藩首脳部は、崋山ら反対派の慰撫の目的もあって、友信に前藩主の格式を与え、巣鴨に別邸を与えて優遇した。崋山は側用人として親しく友信と接することとなり、こののちに崋山が多くの蘭学書の購入を希望する際には友信が快く資金を出すこともあった。友信は崋山の死後の明治14年(1881年)に「崋山先生略伝」として崋山の伝記を書き残している。天保3年(1832年)5月、崋山は田原藩の年寄役末席(家老職)に就任する。20代半ばから絵画ですでに名を挙げていた崋山は、藩政の中枢にはできるだけ近よらずに画業に専念したかったようだが、その希望はかなわなかった。こうして崋山は、藩政改革に尽力する。優秀な藩士の登用と士気向上のため、格高制を導入し、家格よりも役職を反映した俸禄形式とし、合わせて支出の引き締めを図った。さらに農学者大蔵永常を田原に招聘して殖産興業を行おうとした。永常はまず田原で稲作の技術改良を行い、特に鯨油によるイネの害虫駆除法の導入は大きな成果につながったといわれている。さらに当時諸藩の有力な財源となりつつあった商品作物の栽培を行い、特に温暖な渥美半島に着目してサトウキビ栽培を同地に定着させようとしたが、これはあまりうまくいかなかった。このほか、ハゼ・コウゾの栽培や絞りの技術や、藩士の内職として土焼人形の製造法なども伝えている。天保7年(1836年)から翌年にかけての天保の大飢饉の際には、あらかじめ食料備蓄庫(報民倉と命名)を築いておいたことや『凶荒心得書』という対応手引きを著して家中に綱紀粛正と倹約の徹底、領民救済の優先を徹底させることなどで、貧しい藩内で誰も餓死者を出さず、そのために全国で唯一幕府から表彰を受けている。また、紀州藩儒官遠藤勝助が設立した尚歯会に参加し、高野長英などと飢饉の対策について話し合った。この成果として長英はジャガイモ(馬鈴薯)とソバ(早ソバ)を飢饉対策に提案した『救荒二物考』を上梓するが、絵心のある崋山がその挿絵を担当している。その後この学問サークルはモリソン号事件とともにさらに広がりを見せ、蘭学者の長英や小関三英、幡崎鼎、幕臣の川路聖謨、羽倉簡堂、江川英龍(太郎左衛門)などが加わり、海防問題などで深く議論するようになった。特に江川は崋山に深く師事するようになり、幕府の海防政策などの助言を受けている。こうした崋山の姿を、この会合に顔を出したこともある藤田東湖は、「蘭学にて大施主」と呼んでいる。崋山自身は蘭学者ではないものの、時の蘭学者たちのリーダー的存在であるとみなしての呼び名である。しかし幕府の保守派、特に幕府目付鳥居耀蔵らはこれらの動きを嫌っていた。鳥居は元々幕府の儒学(朱子学)を担う林家の出であり、蘭学者が幕府の政治に介入することを好まなかったし、加えてそもそも崋山や江川も林家(昌平坂学問所)で儒学を学んだこともあり、鳥居からすれば彼らを裏切り者と感じていたともいわれる。天保10年(1839年)5月、鳥居はついにでっちあげの罪を設けて江川や崋山を罪に落とそうとした。江川は老中水野忠邦にかばわれて無事だったが、崋山は家宅捜索の際に幕府の保守的海防方針を批判し、そのために発表を控えていた『慎機論』が発見されてしまい、幕政批判で有罪となり、国元田原で蟄居することとなった。翌々年、生活のために絵を売っていたことが幕府で問題視されたとの風聞が立ち、藩に迷惑が及ぶことを恐れた崋山は「不忠不孝渡辺登」の絶筆の書を遺して切腹した。著書に『西洋事情書』など1835年(天保6)、画家友達であった滝沢琴嶺が没し、崋山は葬儀の場で琴嶺の父・滝沢馬琴にその肖像画の作成を依頼された。当時、肖像画は当人の没後に描かれることが多く、画家はしばしば実際に実物を見ることなく、やむを得ず死者を思い出しながら描くことがしばしばあり、崋山の琴嶺像執筆もそうなる予定だった。ところが崋山はそれを受け入れず、棺桶のふたを開けて琴嶺を覗き込んでスケッチし、さらに顔に直接触れたという(馬琴『後の為の記』)。これらは当時の価値観や風習から大きく外れた行動であった。
2008.10.23
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高野 長英(たかの ちょうえい、文化元年5月5日(1804年6月12日) - 嘉永3年10月30日(1850年12月3日))は、江戸時代後期の医者・蘭学者である。通称は悦三郎、諱は譲(ゆずる)。号は瑞皐(ずいこう)。父は後藤実慶。養父は叔父・高野玄斎。江戸幕府の異国船打払令を批判し開国を説くが、弾圧を受け、それを見ることなく亡くなった。しかし、開国が実現した後(1898年(明治31年)7月4日)、その功績により正四位を追贈された。陸奥仙台藩水沢留守家の藩医出身。養父玄斎は江戸で杉田玄白に蘭法医術を学んだことから家には蘭書が多く、長英も幼いころから新しい学問に強い関心を持つようになった。文政3年(1820年)、江戸に赴き杉田伯元や吉田長淑に師事。この江戸生活で吉田長淑に才能を認められ、師の長の文字を貰い受けて「長英」を名乗った。 その後長崎に留学してシーボルトの鳴滝塾で医学・蘭学を学び、その抜きん出た学力から塾頭となっている。文政11年(1828年)、シーボルト事件が起き、二宮敬作や高良斎など主だった弟子も捕らえられて厳しい詮議を受けたが、長英はこのとき巧みに逃れている。まもなく豊後国日田(現在の大分県日田市)の広瀬淡窓に弟子入りしたという(異説もある)。この間、義父玄斎が亡くなっており、長英は故郷から盛んに帰郷を求められるが、逡巡したもののついに拒絶。家督を捨て、同時に武士の身分を失っている。天保元年(1830年)江戸に戻り、町医者と蘭学塾を開業した。まもなく三河田原藩重役渡辺崋山と知り合い、その能力を買われて田原藩のお雇い蘭学者として小関三英や鈴木春山とともに蘭学書の翻訳に当たった。天保3年(1832年)、紀州藩儒官遠藤勝助らによって天保の大飢饉の対策会として作られた学問サークルである尚歯会に入り、崋山らとともに中心的役割を担った。長英の『救荒二物考』などの著作はこの成果である。天保8年(1837年)、異国船打払令に基づいてアメリカ船籍の商船モリソン号が打ち払われるモリソン号事件が起きた。この際長英は「無茶なことだ、やめておけ」と述べており、崋山らとともに幕府の対応を批判している。長英はそうした意見をまとめた『戊戌夢物語』を著し、内輪で回覧に供した(ただし、長英の想像を超えてこの本は多くの学者の間で出回っている)。天保10年(1839年)、蛮社の獄が勃発。長英も幕政批判のかどで捕らえられ、永牢の判決が下って伝馬町牢屋敷に収監。牢内では服役者の医療に努め、また劣悪な牢内環境の改善なども訴えた。これらの行動と親分肌の気性から牢名主として祭り上げられるようになった。弘化元年(1844年)6月30日、牢屋敷の火災に乗じて脱獄。この火災は、長英が牢で働いていた非人栄蔵をそそのかして放火させたとの説が有力である。その後の経路は詳しくは不明ながらも(江戸では人相書きが出回っていたためと言われている)薬品で顔を変えて逃亡生活を送り、一時江戸に入って鈴木春山に匿われて兵学書の翻訳を行うも春山が急死。その後、鳴滝塾時代の同門・二宮敬作の案内で伊予宇和島藩主伊達宗城に庇護され、宗城の下で兵法書など蘭学書の翻訳や、宇和島藩の兵備の洋式化に従事した。主な半翻訳本に砲家必読11冊がある。このとき彼が築いた久良砲台(愛南町久良)は当時としては最高の技術を結集したものとされる。しかし、この生活も長く続かず、しばらくして江戸に戻り、沢三伯の偽名を使って町医者を開業した。医者になれば人と対面する機会が多くなるため、その中の誰かに見破られる事も十分に考えられた。そのため硝酸で顔を焼いて人相を変えていたとされている嘉永3年(1850年)10月30日、江戸の青山百人町(現在の東京・南青山)に潜伏していたところを町奉行所に踏み込まれて捕縛された。何人もの捕方に十手で殴打され、縄をかけられたときは既に半死半生だった為、やむを得ず駕籠で護送する最中に絶命(現場にいたある捕手役人の覚書。奉行所に提出された報告書では、奮戦した後、喉を突いて自害したとある)。すさまじい人生です、この物語も吉村先生の「長英逃亡」という本で知った。有能な人間がこういう時代では生きてゆくのが難しい、江戸時代はそういう時代
2008.10.23
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蛮社の獄(ばんしゃのごく)とは、1839年(天保10)5月に起きた言論弾圧事件。蛮社とは、田原藩士渡辺崋山、高野長英、小関三英ら洋学者を中心に町医者・藩士・幕臣等有志の者が海防目的で蘭学や内外の情勢を研究していた尚歯会(しょうしかい)を、「蘭学という野蛮な結社」と国学者の側が蔑んだことによる。ただし、尚歯会自体への弾圧ではなく、尚歯会の関係者の一部が処罰された事件である(尚歯会主宰の遠藤勝助は処罰されていない)。モリソン号事件を知った高野長英が「戊戌夢物語」で幕府の異国船打払令に反対したことを、大塩の乱で神経を尖らせていた幕府目付鳥居耀蔵が敵視し尚歯会に目をつけていた。また、鳥居が、尚歯会員である幕臣江川英龍と江戸湾岸の測量手法を巡って争った際に、渡辺崋山の人脈と洋学による知識を借りた江川に敗れ、老中水野忠邦に叱責されたこともあって、鳥居は政敵としても警戒していた。発端は「海外渡航をたくらんでいる者がいる」という尚歯会員による内部告発があったことによる。内容に信憑性が薄かったにもかかわらず事件化したことから、この告発そのものが鳥居による謀略と言われている。 渡辺崋山は逮捕、高野長英は自首した。小関三英は逮捕をまたず自殺した。同志の町人3人は取調中病死した。 「慎機論」などによる幕政批判の罪で渡辺崋山は伝馬町入牢ののち、国元蟄居(その後自殺)、高野長英は入牢となった。なお、「慎機論」は出版されてはおらず、家宅捜査時に草稿が発見されたものである。鎖国というばかげて法が崩壊するまえであった。この事件もその幕末への序章となるわけだ。
2008.10.23
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1819年(文政2年)尾張国知多郡小野浦(現愛知県知多郡美浜町)に生まれる。 天保3年(1832年)10月、宝順丸(船頭樋口重右衛門)が江戸に向けて鳥羽に出航(乗組員船頭以下13名)したが、途中遠州沖で暴風に遭い難破・漂流。14ヶ月の間、太平洋を彷徨った末、ようやく陸地に漂着したときには、生存者は音吉を含め岩吉(旧姓岩・松尾張国熱田出身)、久吉の3名のみであった。アメリカ太平洋岸のオリンピック半島・フラッタリー岬付近にたどり着いた彼らは現地のアメリカ・インディアン(マカー族)に救助される。インディアンは彼らをイギリス船に売り飛ばし、代わりに金物を得た。このイギリス船はハドソン湾会社の持船で、3人を救助した情報はただちにロンドンへ届けられる。会社は費用を負担して3人をマカオ行きのゼネラル・パーマー号に乗せることにした。途中、ロンドンに着いた彼らはテムズ川で10日間の船上にとどまっていたが、許されて1日ロンドン見学を行っている。彼らがロンドンの地に最初に上陸した日本人であった(ただし、日本人として最初に世界一周をした若宮丸の津太夫ら4人がロンドンに寄航しているが上陸は許されていなかったので、音吉ら3人が最初にイギリスへ上陸した日本人となる)。1835年12月、パーマー号はマカオにつき、彼らはドイツ人宣教師チャールズ・ギュッラフに預けられる。そして音吉ら3人はチャールズ・ギュッラフと協力し世界で最初の邦訳聖書を完成させる。1837年3月、薩摩の漂流民である庄蔵、寿三郎、熊太郎、力松ら4人がマカオに届けられ異国で同胞たちと対面した。同年6月、7人を乗せたイギリス船ローリー号は、マカオを出発し那覇まで来る。ここで彼らはモリソン号に移乗し、あらためて日本へ向かう。7月30日、同船が三浦半島の御崎の南方に達したとき予期せぬ砲撃にさらされる。これがモリソン号事件である。この事件に触発されて渡辺崋山、高野長英らが幕府の政策を批判する著書を記す。結局モリソン号は通商はもとより、漂流民たちの返還もできずマカオに戻った。彼らは再びチャールズ・ギュッラフの元に預けられる。1838年(天保9年)アメリカ合衆国へ行く。その後、音吉は上海に渡り、デント商会に勤めた。その後1849年(嘉永2年)イギリスの軍艦マリナー号で浦賀へ行く。また、1854年9月にイギリス極東艦隊司令長官スターリングが長崎で日英交渉を開始したとき、再度来日し通訳を務めた。この頃にはジョン・マシュー・オトソンと名乗っていた。その後マレー人と結婚。1862年(文久2年)はじめ音吉は上海を離れ、シンガポールへ移住し、その地で幕府の遣欧使節団の森山栄之助らに会っている。1867年(慶応3年)、息子に自分の代わりに日本へ帰って欲しいとの遺言を残し、シンガポールにて病死。享年49。ちなみに、息子のジョン・W・オトソンは1879年(明治12年)に日本に帰り、横浜で入籍許可を得て名前は「山本音吉」となった。すごいですね、音吉さん、これも映画にすればいいとおもうんですが、脚本でできるのか現実のところすごい予算がかかりそうです。
2008.10.23
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モリソン号事件(もりそんごうじけん、英: Morrison Incident)とは、1837年(天保8年)、日本人漂流民(音吉ら7人)を乗せたアメリカ合衆国の商船を日本側砲台が砲撃した事件。鹿児島湾、浦賀沖に現れたアメリカの商船「モリソン号(Morrison)」に対し薩摩藩及び浦賀奉行は異国船打払令に基づき砲撃を行った。しかし、このモリソン号にはマカオで保護されていた日本人漂流漁民の音吉ら7人が乗っており、モリソン号はこの日本人漂流民の送還と通商・布教のために来航していた事が1年後に分かり、異国船打払令に対する批判が強まった。またモリソン号は非武装であり、当時はイギリス軍艦と勘違いされていた。のちに、『慎機論』を著した蘭学者渡辺崋山、『戊戌夢物語』を著した高野長英の尚歯会2人らが幕府の対外政策を批判したため逮捕されるという事件(蛮社の獄)が起こる。幕末の歴史はすごい興味深い。まだつづくよ
2008.10.23
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文政11年(1828年)、オランダ商館付の医師であるシーボルトが帰国する直前、所持品の中に国外に持ち出すことが禁じられていた日本地図などが見つかり、それを贈った幕府天文方・書物奉行の高橋景保ほか十数名が処分され、景保は獄死した(その後死罪判決を受けている)。シーボルトは文政12年(1829年)に国外追放のうえ再渡航禁止の処分を受けた。当時、この事件は間宮林蔵の密告によるものと信じられた。吉村さんの小説では船が強風で座礁し、偶然発覚したとある。シーボルトが持ち出そうとした日本地図は、樺太東岸の資料を求めていた景保にシーボルトがクルーゼンシュテルンの『世界周航記』などを贈り、その代わりに景保が伊能忠敬の『大日本沿海輿地全図』の縮図を贈ったものである。江戸で幕府天文方高橋景保のもとに保管されていた伊能図をシーボルトは見せられた。地図は禁制品扱いであったが、高橋は学者らしい単純さでシーボルトのために写しを同意した。後のシーボルト事件はこの禁制の地図の写しを持ち出したことにあった。欧州ではこの大陸の端が陸続きかどうか関心が深く、この間宮海峡の名前を広めたのも結果シーボルトであった。シーボルトらが1826年7月に江戸参府から出島に帰還し、この旅行で1,000点以上の日本名や漢字名植物標本を種集できたが、彼は日本の北方の植物にも興味をもち、間宮林蔵が蝦夷地で採取した押し葉標本を手にいれたく、シーボルトは間宮宛に丁重な手紙と布地を送ったが、間宮は外国人との私的な贈答は国禁に触れると考え、開封せずに上司に提出した。高橋景保と間宮林蔵には確執があったといわれ、この手紙の内容が発端となり、多くの日本人と高橋景保は捕らえられ取調べを受けることになり、シーボルト自身も処分の決定を待つことになってしまった。鳴滝にあるシーボルト記念館の研究報告書である「鳴滝紀要」第六号(1996年)発表の梶輝行の論文『蘭船コルネリウス・ハウトマン号とシーボルト事件』で、これまで通説だった暴風雨で座礁した船中から地図等のご禁制の品々が発見されたという説が後日の創作であることが判明した。「コルネリウス・ハウトマン号」は1828年10月に出航を予定していたが、同年9月17日夜半から18日未明に西南地方を襲った台風で座礁し、その同年の12月まで離礁できなかったのである。従来の説は壊滅的な被害を受けて座礁した船の中から、禁制品の地図類や三つ葉葵の紋付帷子などが見つかっていたことになっていたが、座礁した船の臨検もなくそのままにされ、船に積み込まれていたのは船体の安定を保つためのバラスト用の銅500ピコルだけだった。葵のご紋の紋付はかなり幕府の威信を汚すことになる、その紋付も幕府から拝領されたもんであり、高橋に対しての扱いはこれでひどくなったのだろう。しかし、この話もぜひとも映画化してほしいもの、シーボルト没後の100年を記念し。
2008.10.23
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フィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold, 1796年2月17日 - 1866年10月18日)はドイツの医師・博物学者。名前は高地ドイツ語(標準ドイツ語)読みではジーボルトである。本人は現在の南ドイツの人であるため、自らの名を「シーボルト」と発音していた当時神聖ローマ帝国と呼ばれたドイツの司教領ヴュルツブルクに生まれる.シーボルト家はドイツ医学界の名門だった。父はヨハン・ゲオルク・クリストーフ・フォン・シーボルト、母はマリア・アポロニア・ヨゼファ。シーボルトという姓の前にvonと言う文字が添えられており貴族階級を意味した。祖父の代から貴族階級に登録された。シーボルト姓を名乗る親類の多くも中部ドイツの貴族階級で、学才に秀で、医者や医学教授を多数輩出している大学在学中のシーボルトは、自分が名門の出身という誇りと自尊心が高かった。またメナニア団という一種の同郷会に属し議長に選ばれ、乗馬の奨励をしたり、当時決闘は常識だったとはいえ、33回の決闘をやって顔に傷も作った。江戸参府のときに商館長ステューレルが学術調査に非協力的だとの理由で彼に決闘を申し入れているロッテルダムから出航し、喜望峰を経由して1823年4月にはジャワ島へ至り、6月に来日、鎖国時代の日本の対外貿易窓であった長崎の出島のオランダ商館医となる。「江戸幕府」の長崎奉行にはオランダ語に怪しいところがあったのを「山地オランダ人」と偽る(本来はドイツ人である為。オランダに山地はない)。出島内において開業。1824年には出島外に鳴滝塾を開設し、西洋医学(蘭学)教育を行う。日本各地から集まってきた多くの医者や学者に講義した。代表として高野長英・二宮敬作・伊東玄朴・小関三英・伊藤圭介らがいる。塾生は、後に医者や学者として活躍している。そしてシーボルトは、日本と文化を探索・研究した。また特別に長崎の町で診察することを唯一許され感謝された1823年4月には162回目にあたるオランダ商館長(カピタン)の江戸参府に随行。道中を利用して日本の自然を研究することに没頭する。地理や植生、気候や天文などを調査する。江戸においても学者らと交友し、蝦夷や樺太など北方探査を行った最上徳内や高橋景保(作左衛門)らと交友した。徳内からは北方の地図を贈られる。景保には、クルーゼンシュテルンによる最新の世界地図を与える見返りとして、最新の日本地図を与えられたが、スパイ活動の一環であったとする説もある。1828年に帰国する際、収集品の中に幕府禁制の日本地図があったことから問題になり、国外追放処分となる(シーボルト事件)。当初の予定では帰国3年後に再来日する予定だった。後に日本の近代化やヨーロッパでの日本文化の紹介に貢献する。日本と日本の文化を愛した人物として知られる。オランダ政府の後援で日本研究をまとめ、集大成として全7巻の『日本(日本、日本とその隣国及び保護国蝦夷南千島樺太、朝鮮琉球諸島記述記録集)』を随時刊行する。同書の中で間宮海峡を「マミヤ・ノ・セト」と表記し、その名を世界に知らしめた。日本学の祖として名声が高まり、故国ドイツのボン大学にヨーロッパ最初の日本学教授として招かれるが、固辞してライデンに留まった。一方で日本の開国を促すために運動し、1844年にはオランダ国王ヴィレム2世の親書を起草し、1853年にはアメリカ東インド艦隊を率いて来日するマシュー・ペリーに日本資料を提供し、早急な対処(軍事)を行わない様に要請する。1857年にはロシア皇帝ニコライ1世に招かれ、書簡を起草するが、クリミア戦争により日露交渉は中断する。48歳にあたる1845年には、ドイツ貴族出身(爵位は持っていない、日本の感覚では華族ではなく士族相当の層)の女性、ヘレーネ・フォン・ガーゲルンと結婚。3男2女をもうける。1854年に日本は開国し、1858年には日蘭通商条約が結ばれ、シーボルトに対する追放令も解除される。1859年、オランダ貿易会社顧問として再来日し、1861年には対外交渉のための幕府顧問となる。1862年に官職を辞して帰国。1866年10月18日、ミュンヘンで死去、70歳。植物の押し葉標本は12,000点、それを基にヨーゼフ・ゲアハルト・ツッカリーニと共著で『日本植物誌』を刊行した。その中で記載した種は2300種になる。植物の学名で命名者がSieb.et Zucc.とあるのは、彼らが命名し現在も名前が使われている種である。アジサイなどヨーロッパの園芸界に広まったものもある。花の男シーボルトシーボルト日本植物図譜コレクションシーボルト波乱万丈の人生です、スパイといわれても彼の日本への愛は本物であった、再来日の失意のにほんからさる映画になるね、僕は吉村昭先生のフォン・シーボルトの娘で読みました。
2008.10.23
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来年11月、平成20年の祝賀のため休日となるらしい。平成も20年か、はやいもんだ。昭和の男としては常に違和感を感じる平成。天皇陛下万歳!とか、皇居でいうんですかね。それにしても、昭和という時代がどんどんとおざかり、うちの店のバイトもずっと平成生まれ、平成世代というか、この時代はいったいどういうものなんですかね。思い出すよ、僕は昭和最後の日。キッチンでレタスを切っていた、おばさんがさけびながらあさ、「たいへんだ!天皇陛下がなくなった!」お叫びながらはいってきた。ぼくはなんおことなわからず、ひたすら香川県の片田舎の新規店舗で人が採用できないので大変な毎日をおくっていた、その夜からテレビでは昭和さようなら特集をやりはじめ、一切のCMがなくなり、レンタルビデオのお店ではほとんどのつまらないビデオまで貸し出され、営業を自省する店がほんとんど、そういうなかでもすかいらーくは営業をし、右翼の宣伝かに占拠され「営業やめんか!」とどなられるしまつ、スルーすることは大変な勇気であったは、それ以前に、誰もこなかった。平成という時代に違和感を感じるのは、どうしてだろうか。明治大正昭和平成、時代が移り変わる、しかし、幕末の年号は誰も記憶してない。4年とかすぐに変わる年号で人々は暦になやんでいてにちがいない。天保通宝の時代、大塩の乱ぐらいから嘉永安政万エイ慶だったか、あの時代の変貌や事件の多さあれよあれよと、幕府か倒れるまでに数十年もいらないのだ。今の時代も変貌の速度が速い。伝達も早い、ルーズソックスも紺ソックスに天皇陛下のお家もたいへんであろうな、それでは、今日はここまで、昭和なひとびとおやすみ。
2008.10.22
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大分で今日、教員試験合格発表があったそうだ、8年10年受けてごうっかくしたひとがいたそうだ、しかし、あの話はひどいもんだったな。コネがないと教師になれない、そうなれば当然、やる気のない教師がいるわけだ。国会議員もおんなじじゃあないか!という深夜のおたけびもむなしく、不眠と睡眠の間。アドレナリンをだしてはねむれません。親と子の関係。これが最大の超えるべき問題なんですね。よくよくみると、親の性格と子の性格に似ているようでにていない、どこか反発するんだね、僕の多い親戚のなか、すごいビルを持ち演歌の歌にまでなったような金持ちの家がある、僕と同じ年の子供がいて、親と反発しまくる。親の苦労を肯定せず、裏の部分をみて、否定する。どこの御曹司でもそうだが、文句言いながら金持ち生活を続け、奥さんは誰もが知る宝図化スター(あえて誤字今にじ)。僕は毎日弁当デリバリー。そういうことでなく、なんで、親と子はいがみ合うのだろうか、僕も相違時期があったかもしれないが、神様は人間を作るとき多種多様なものができるようにDNAも二重螺旋状態にし、できるかぎり、違うようなものができるようにしたにちがいない。そうでネイと、とっくの昔に人類は滅亡していた、同じ発想で同じ性格なら、そうなるだろう。EPOはいつも自分の中の異質なものについて悩んでいたそうだ、満たされないおもい、自分の中の仮面。それらのソースが母親であることに気がついた、カウンセラーの資格をとるまでになり、乗り越えたらしい。僕の友人も親の言いなりで結婚し子供までできたのに、離婚した。離婚の理由もはっきりといわない。彼女の意思がはじめてNO!といった瞬間が離婚であったそうだ。親のコネで教師になったひとびとは今回辞めてよかったんだとおもう。自らの意思で自らの人生を歩む、その一歩であるから。オーバー・ザ・ぺアレンツ精神医学上、「心の中の親の否定」が行われる、それが人生を歩む巣立ちであるとおもう、本当に殺すやつもいるが、それは別で、それは甘え。なかがいいんです、友達のような親子。これは虚像。これはいけないとおもう、それよりもけんかしながらも本音でぶつかり合うほうが正直な生き方だとおもうよ。二世三世の議員の親たちはなりあがりで苦労し、地盤を築き、資産も形成してそれを保持したいがために応援者の丸め込まれるように地盤を継ぐ。おそらく、江戸時代の大名も世襲で大いに悩んだ、実を言うと、その世襲も養子縁組がほとんど、他家から血を入れることのほうがいいのだ、家老たちは馬鹿殿でありながら子種のみを継続させ、長男であろう当も継がせないこともあった、そうでないとお家はつぶされ浪人になるからである。国会議員のこれからも馬鹿どのさまが大臣の椅子を、いすとりゲームしてる間に高級官僚が主導で国家運営されているからよくならないんです。尾張。
2008.10.21
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はい、こんばんわ、地球温暖化の影響であるのか、10月半ばでも25度を超える日々。思えば1994年の夏、非常に暑かった、若かりし僕は彼女とともに海へいったものだ、しかし、やけど状態になったことをおもいだす、なんで、若いころは海へ行きたがるのか。なぞ。翌年の1995年は阪神淡路大震災。すでに時は13年も過ぎ、震災で死んだ友人の子供は成人になり、ふるさとの町は見る影もなく、選挙がまだなんですが、選挙カーがもう走る。みんなだな、もうすでに名前を控えめに連呼している。選挙になると、あのガソリン代は税金がはらわれるという、選挙カーでのおたけびは、あんまり批判とかしたらいけないらしい、本当に、無駄なことをするね、国民の生活をばかにしてます。僕はよく夜勤とかあったので、昼間しか、寝れないのに、たまったもんではりません、サブルリミカル効果で名前を記憶させようとする。選挙のときだけそういう姿でしたがんばりをつたえられないかんじえない。生徒会長の選挙のほうがまとも。テレビのCMをさんざん、僕は文句いってきましたが、あの「ナンセンスCM]だけはかなり減ってきた。一番の例が、サカイ引越センターです。あのまったく引越しと関係ないコントをし続け出意味があるのか、もっと、品質とかを宣伝すべきでないかという意見であったが、そのとおりにしてくれたようで、安心した。あのわけのわからないことで、見ている人を釘付けにし、関心を喚起させ商品を暗記させるやりかたは、見ている人が猿状態であることをものががたるものである。だから、そういうCMは見ないよう不買であるようにすべきである。僕が今、一番いいと思われる宣伝は、箱にこう書く、「一切のマスコミの宣伝をしていません、それだけ自信があります。その広告費だけお安くします。」こうすれば、売れるのまちがいない。えいちゃんのCMは、相場一億円、あのテレビがいったい何台売れるかと予想すれば、10万台うれれば、いいとこかな。1000円ずつテレビ売れるたびに彼の財布に入る計算。そんな、川残業はさておき、(誤字)みんな、麻生も小沢もいやらしい。どっちもどっち、それに僕が出している仮想妄想法案「二世三世議員禁止法案」も半分の人が支持し、ほかの人はまあ、選挙するからいいんではという。しかし、その選挙で有利ということを認識すべきであろう。70年80年代までは、実は戦争をはさんで、そういう議員はほとんどいなかったのだ。しかし、そのころの活躍した連中が地盤を息子娘にわたしていったのでいまのような、幼稚園状態になったのだ。今度の選挙でもそうなるのか、もうそのうち公家のような世界になるんだろうね。米国もだめであるから、資本主義というのは競争という発展ではいいかもしれないが、常にインフレ不景気を起こし続け、不安定であり、どうもよくないようだ、北欧のように消費税50%以上にするか、中国におけるへんな全体主義崩壊共産一部資本主義というものがいいのか、未来の国家運営はごりさんでなく、五里霧中である。おわり。
2008.10.20
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こんばんわ、昨日です、スーパーで買出しをしていると、貧乏子沢山のような一家がいて、(僕も貧乏だが)子供たちにがんがんあたっている、おこっているのだ。その起こり方も尋常でなくいわゆる、「ヒステリー状態」であった、ひさびさみた、昔はそういう光景をよく見たものだが最近みなくなった。それは、なぜだろう。秀吉が作った大阪城は決して落城しないように設計され要塞都市のようであったらしいしかし、秀吉亡き後、あっけなく、家康がぶちこわした。家康の心理戦が淀君のヒステリーを刺激したのだ、彼女は浅井の城の落城。柴田勝家の福井のしろの落城を経験し、それらのストレスを深くもったんだとおもう。癇癪持ち、といわれる、ひどいときはその抑制の効かない感情で失神するほどであったという淀君、結果、最後も城で命を散らす。あれ?歴史のはなしでなかった。そう僕が感じるのは最近ヒステリーという言葉を聞かなくなった、それよりも女性が鬱をかかえ、ひきもりのような人が増え、家の掃除から食事の用意までできない人がかなり増えている。なぜ、そうなったのだろうか、そして、女性特有の癇癪は、いかれた男たちが無差別殺人を起こすような暴走してしまう人格へと変遷したのではないか、と思う。ひどい飛躍した仮説だが、どうもどこかおかしな図式である用の感じる。一方、ひきこもり、これも日本がだんとつ、しかし、世界でもたくさんあるらしい。これも、実になぞ、フィンランドで乱射事件が数ヶ月前にあったが日本とにたような社会現象がおきている、なんらかの外的要因があるのか、体のどこかの異常があるのか とも思えるわけだ。「第六の絶滅」への進行のシナリオのプロローグか、単なる思い過ごしか。それにしても、人を攻撃する力はどこからくるのか、人間は15万のたびとそれまでのアフリカ大陸での生存競争で、闘争本脳が強いものが生き残ってきたに違いない。闘争本能は男性特有のホルモンの分泌からおこなわれる。ヒステリーを起してどなり散らす母が闘争本能でなく生存本能の苛立ちをあらわしたいていの場合がローレル指数の高い家に起こる場合がおおいのではにだろうか、男尊女卑はそういうものを封じ込める役目もあったんだとおもう。(やばいな、話が見えなくなった)仮説が消えそうだ。 この話はまたいずれするのだ!(わからない)おやすみなのだ。これでいいのだ。
2008.10.19
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2005年度のひきこもりは160万人以上。稀に外出する程度のケースまで含めると300万人以上存在する。全国引きこもりKHJ親の会の推計でも同様である。男女比は調査によって区々で、NHKのネットアンケートによると54:46、「社会的ひきこもり」に関する相談・援助状況実態調査報告によると男性が76.4%、ひきこもりを多く担当する精神科医の斎藤環の診療データでは86%が男性である。(殆どの調査報告において男性は6~8割の割合で女性より多く存在する。)その内インターネットを利用しているのは10%程度で、「テレビゲームをしたり、部屋の中を歩き回ったり、ビールや焼酎を飲んだり、中には何週間もの間ずっと何もしない者もいる」という例が挙げられている。BBC が、日本の引きこもりについての番組を放映した時に、多くのイギリスの視聴者から同様の経験を持つコメントが寄せられた。同様の現象は、韓国、台湾、香港、アメリカ合衆国、オーストラリア、イギリスなど、多くの先進国で存在すると見られる。発達障害:広汎性発達障害(PDD)、神経発達障害(neurodevelopmental disorder )、社会不安障害(SAD)、全般性不安障害(GAD)、注意欠陥・多動性障害(ADHD)、注意欠陥障害(ADD)、学習障害(LD)との関連性が指摘される。 ジャーナリストの浅利圭一郎は、引きこもりの約8割がPDDやADHDなど何らかの障害を持っているであろうと発言している。[6]日本は広汎性発達障害の発生率が西欧諸国より高い
2008.10.19
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ヒステリーは神経症の1型で、器質的なものではなく、機能的な疾病である。本症は心因性反応型で、外的の事情や刺激に対する不快感動の反応として精神的あるいは身体的反応が起こるのであるが、いわゆる神経衰弱様反応型のように抑制的でも内向的でもなく、感情が強調されていて理知的色彩が乏しく、神経衰弱型よりも症状が一般に粗大で激しいものが多い。ヒステリーの語は、女性に特有の疾患との誤解から子宮に原因があると誤って信じられていたため、古典ギリシア語で「子宮」を意味するまた、社会集団に対して、社会的緊張状態のもとで通常の状態では論理的・倫理的に説明のつかないような行動を人々がとる集団パニック状態がみられることがあり、しばしば集団ヒステリー (mass hysteria) とよばれる
2008.10.19
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こんばんわ、昼間は暑いんですよねしかし、マルチ商法騒動、えらいことになってますね、週あけはおそらく、石井恥じめくんと、野田聖子大臣の問題がとり座出されるだろう、もう、ほとんど、みんなアムウェイずけのようで、麻生さんの議員の部屋の空調機もそうらしいぞ、やればやり返す、泥沼のなり、要するに同穴であり、2世三世の議員のやることはしれたことですぞ、もう、どれもこれも信じていけない、とりあえず、自分の目を信じてゆくしかない、ネット情報はリーク情報の新聞よりも2.3日は早く、後追いの状態です、もう2CHなんてのはおそろしいものまであります、神戸も市議会の議員が起こした不祥事も実はそこからリークされ、そこでは正義の味方の匿名であるが、あばき、本人が名誉毀損で訴える前に特捜部が捜査し身柄を抑え告発したということがあった、こいつも石井君の弟子であった。そのネットでの情報は真偽が明らかになっていないが、真実もまぎれており、やから議員はびくびくしていることである、その告発する人々は新聞やであったり、市職員であったり、さまざまな人々が情報を出し合い、掲示板の公表していった、しかしながら、行過ぎた部分もあり、野田聖子議員などのひどい罵声のようなものがおおく、本人が追い詰められないか心配である。でも、ここで自民が野田議員をどう処分させるか、みんすがはじめくんをどうするかで、国民の感情を変質してしまいます。ある調査では、自民には失望した人が70%もあり、しかし、みんすにまかせるかどうかは半数を前後している。どちらもどちらのイメージである。 たしかに、マルチは嫌いだし、自分のことをさておきの野田聖子が焼死者庁まちがえた、消費者庁に大臣なんてのは、おかしな選定。どうすれば明るい未来を任せる政治ができる日がくるんだろうね こんにゃくゼリーが悪くて、何で中国には強くいえないのか、話し変わるが、こんにゃくゼリーという名前があかんとおもうのよ、ゼリーという形状はイメージではすぐにつぶれるということであるが、しかし、それは弾力のあるこんにゃくの固形であり、こんにゃくをまるのみしたり、もちをまるのみするということはしない、イメージであるのだ。しかし、あれはどう見てもお菓子のイメージであり、パッケージもそうであり、食べさせた保護者にも責任はあるが、よくよく考えると事故起こしてもおかしくないとおもわないといけない。事故米、毒餃子、毒イメージインゲン。これらもすべて未解決。日本の腰抜け政治のせであろう。
2008.10.18
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はい、こんばんわ、みなさん、お元気ですか?いよいよ選挙らしいですが、どうなることやら、不穏な動きもあるし、野田聖子のアムウェイの問題もあがっており、ほんと選挙はイメージとかそういう表面のことを体面のことが重要視されている、しかし、マルチ商法というのは所詮、「ねずみ講」と同じ論理、親だけが儲かる仕組み。どうあがいても消費者のためでなく、資本家のための仕組みですね。僕もマルチ商法さんとはひたすら戦いました。いやいや、そういう買わされたとかどうのこうのでなく、ファミレスの店長時代に何度も店を占領されてしまい、店の雰囲気をぶち壊すんですね。まあ、相手が客を装い、かもさんをつれてきて、同じテーブル囲んで、夢を実現させるとかどうのこうの、言い出す。30人ほどの大群でお店にきて、ほかのお客さんが迷惑して、みんな帰るんですね。しかも、コーヒー^だけ、しかも、全部30人個別でお会計。一度、四国の店のとき、何とかアムウェイ四国大会が近くの会館であり、100名のアムウェイが襲来。もう、蒙古襲来です。最悪でした、数時間店を占拠し、まあ、もう、それはパニックでした。もう、お断りしかない。それからはそういうのは全部断る、しかし、彼らは饒舌。なんでだめなんのか、とねじ込むやつもいて。曜日時間限定で区域限定でOKし、数年は客数の貢献のみしてもらった、苦い苦い、マルチなやつらのおもいでです。どう考えても、無店舗という都合のいい経営で、人の店で商売してるんだから、未来ない、そうおもつつ、今夜は、終わります。野田さん、墓穴を生めてね
2008.10.17
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10月17日18時56分配信 時事通信 京都産業大の男子学生3人がイタリア・フィレンツェの大聖堂に落書きをしていた問題で、同大は17日、3人が大聖堂に計1000ユーロ(約15万円)を寄付したと発表した。大聖堂側は落書きをすでに消去しており、寄付に「心遣いは素晴らしい」と応じたという。 京産大によると、3人は当初、消去作業に参加したいと大聖堂に申し出た。しかし「素人が消せるものではない」として断られたため、代わりに夏休みのアルバイト代を寄付した。 もうすんなよ、
2008.10.17
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はい、こんばんわ、昨日20万アクセスし、しかも200100という数字でした。どうも、お付き合いくださいまして、みなさん、ありがとうございます。思えば元はといえば、行方不明の吉川ゆりちゃんのことからはじまりまして。それから、オフコースの話や、世間のことなどを書いていいましたが、ほとんどありんこさんのかきこのおかげであります、ありがとう。しかし昨日のアクセス400のうち、わけのわからない攻撃のアクセスがありまして、これで通常の倍になったもよう、あいかわらず、広告のものが多いし買い物に誘導するだけの意味のないひとだったり、実際、150人ぐらいですかね。思えば、大学のときにラジオしていたときは数十人しか聞いてない、めけずに放送していたが、女の子たちはそういうのが「自己満足」に思えてやめてゆく人が多かった、佐藤ちくぜんさんなんか、すごいアクセスで有名だからだけど、きちんと記事にしているのですごいです、一度だけ来て頂きました、また、いつか、神戸公演でもあれば弁当もってゆきます。この深夜風呂具便も毎晩飽きずにやってますが、この間世の中の移り変わりははげしく、ひどい事件のその犯人に肉薄したいと思い、いろいろ考えました。いつも、昔はこういうのを書こうとおもいつつ、寸前で変える、思いつきでありますので文脈も筋立ても日本語もぐちゃぐちゃであります。これからは、音楽の話をメインに戻してゆきたいと思いますがリクエストがあればどんどんぶつけてください、ぼくなりにお答えしたい。はやり廃れの芸能界の音楽でなく、文化として芸術としての音楽、このためには音楽家に尊敬の念をもつことと、以前からいう、フォークロック殿堂のようなものができ、歴史としての認識をもち、たとえば、音楽史的な編纂の用のことがこれから必要に思います。そういうことも、少しずつやれればとも思います、これからもどうぞ、よろしくおねがいします、できれば、コメントや私書箱にでもメッセいれてくれれば、やるきがもりあがります、これからも、よろしく。おやすみ。ここ
2008.10.16
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忘れ雪は、1974年10月20日に発売されたオフコース(当時の表記はオフ・コース)通算6枚目のシングル 。このシングルはレコード会社からのヒットを要請されていたプロデューサーの橋場正敏が用意した楽曲で、小田和正と鈴木康博ともアレンジおよび演奏には参加させてもらえず、ボーカルのみの参加。リードボーカルは「忘れ雪」を小田、「水いらずの午後」を鈴木がそれぞれ担当。「水いらずの午後」はALFIE(後のTHE ALFEE)にも取り上げられている。1974年6月末、新しいシングルの打ち合わせがあり、レコード会社から、詞と曲とをそれぞれ専門家に依頼するという提案が出された。話し合いの結果、小田・鈴木の曲と合わせて3曲録音し、その上で検討すると決まった。完成した曲は、小田「キリストは来ないだろう」、鈴木「白い帽子」、そして松本隆作詞、筒美京平作曲「忘れ雪」。グレープの「精霊流し」が大ヒットした直後で、「忘れ雪」は似た二匹目のどじょう作戦の曲だった。結局レコード会社は「忘れ雪」を強く推し、メンバーが納得しないまま発売となった。メンバーは当初から「自分達の望んだ曲ではない」として嫌がった。結局橋場の説得を受けレコーディングはしたものの、発売直後の10月26日中野サンプラザで行われたリサイタル“秋ゆく街で”をはじめ、以後のコンサートでも演奏されることはなかった。長らく廃盤だったが、その後両曲とも3枚組ベストアルバム『OFF COURSE Singles』この歌がヒットしていれば、ガロのようになっていて、すぐに解散したかもしれない。反発し自己主張するには、やはり音楽家でありたくて、単なる歌手になるのを嫌がったのか、近年、小田さんはなんであのころ、あんなにつっぱっていたのか、といわれるが、今日の小田さん鈴木さんがいるのは、あの反抗の産物であつといいたい。ここ
2008.10.16
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僕のお店のちかくに路地で、二週間前、ひったくりがあった、かなり悪質でたまたまかそうでないか、わからないが、ひったくろうとしとしたかばんに引きずられ40メートルもバイクに引きずられ腰の骨をおり、頭もわれ、血がたくさんでて、いまだにアスファルトにはうっすらと血痕が残る。もうそうなれば、強盗傷害にランクアップし、刑事さんたちが出てくるのです。本当にどの町もひったくり、すり、万引きが横行、こないだも41個のものを万引きしたひとがいて、それはもう窃盗軍団です、ほんと、悪い、治安がよくない、警察のせい?時代のせい?よくわかないが、俺俺の振込詐欺も、ええかげん、ばんばんつかまえればいいのに、と思う。「なんで、つかまらないのか!」という疑問をもつことで、そこからでてくる捜査上の解決策を出さないとだめだ、いわば、目には目をでいかないと、悪いやつはつかまらない、盗聴でも進入でもおとり捜査でもやるべきである。限定すればいいのだ、警察は能力を超える事案と新聞などの攻撃に頭を悩ましているのではにかとおもう、あの、交通違反の外部委託でいいことばかりいっているが、あれは実は交通課日勤婦人警官のリストラである、ほかの部署における警察官は増加させるといっていたが、あれはどうだかな、と思うのである、ここも県単位の債務のしわ寄せであるはずだ、効率のいい捜査、とか言っているに違いない。(妄想はいっています) 議員さんたちが選挙のことばかり考えて本末転倒の行動をしている結果、こうなったのですよ、いいですか、みなさん。おわり。
2008.10.15
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みなさま、こんばんわ、おはようこんちには20万アクセスは気が早いようでした、本日のようです、どうぞご意見のメッセージをのこしてください。毒餃子問題のつぎは毒インゲンだそうです。まあ、おおげさのようですが、福田元総理も解決できない外交問題でうやむやにされまして、さすがの中国製品のイメージも大打撃でしょう、この事件のことで僕も散々、このブログでほざきましたが、デフレ低価格大食いのくい門を大事にしない日本へ警告ですよね、ギャル曽根はもうしっかり、記憶のかなたにいっているし、どこの国でも正義もあるし悪もある、自民でもみんすでもおんなじで、君子もいればとんでもないやつがいる。公明党攻撃が続くなか、みんすも爆撃をくらう、マルチ商法擁護の前田議員が問題の企業団体から献金を受けていたということ、いつものせりふで、問題ないです!、と言い切るわけだ、まあ、法律では問題ないとしても、マルチを擁護するなんて!もう、どこに投票すればいいか、わからない。マルチ商法、催眠商法、本当に世のひとびとは知恵を悪時絵ばかりにつかい、法もおいつかないし、警察も時代のついてゆくのが必死。迷惑メール、この不思議なメール。いつしか、メールホルダーを見るのも実をとしてしまうことがあるんだ。昨日はある商品で半年後ノキャシュバックのメールを見をとし、三万円が!(大文字にしない)失うとこだった。危ない!世のなかが、われもわれも問いう具合になり、法律ぎりぎりなら人を欺いても誘導してもかまわない世の中、会社も以下に人件費を下げ生産性をあがるが、テーマである、そのなか、ぼくのいたすかいらーくも1998年に成果主義人事制度を導入し、僕はその年の暮れに辞めた。その導入前後に10%以上の店長がやめてゆき、まあ、そういうふうにしむけたんだけど、店が荒れて会社がだめになったひとつの原因になった。しかし、店をするようになって、人件費の多さにまいるんだね、逆にわかるんだ、でもね、あのとき、社長が業績が悪いからこうしてくれと、一言いってくれればいいんだが、入社以来15年間、会って話したのは二度だけ、雲のうえのひと、そういう会社はやがて、「ブラック企業」となっていった。社員を何人も過労死させて、何のために働き、何のために生きている?そう、空き缶拾って野宿するじいさんのほうが、よっぽど自由で幸福かもしれない、そう思う。資本主義の世界は周期的に景気の上潮と不景気がきて、持つものはもち貧乏は底辺にいてなかなかうえにあがれない。中学生の時代における弁当の中身と同じだ。いま、議員をしているひとたちはほとんど勝ち組み。橋下知事と東国はる知事ぐらいではないだろうか、しかし彼らも大学はいかせてもらっている、ほとんど貧困やつらさを経験してないのではないか、そういうやつらにこの難局を乗り越えられるかは、大いに疑問であるのだ。所詮、自民党の70年代の派閥抗争の延長戦のようなものではないか、(また、ぼやきがはじまった)まじめに働いても、まったく意味のない、そういわれても仕方ない世の中、年功序列を否定し、窓際族を窓から突き落とし、(あれ、また、ぼやいている)そうだ、結局資本主義は経営者株主が儲かるシステムなんです。だから、どうのこうのというわけでない、でも、共産主義にするか社会主義にするか、独裁主義にするかといえば、全部矢種。というわけで、前半はぼやきおさめ、後半に
2008.10.15
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成果主義(せいかしゅぎ)とは、ある一定の課題の評価について、最終的にその課題がどうなったかという点を重視する考え方のことである。企業の人事考課方針などに使用される。個人に成果を求めすぎると、部署の実績よりも個々が自身の成果達成のみを優先させる様になり、かえって組織の利益を著しく損ねる場合がある。他人の作業に非協力的になったり、ひどくなると部署内で足を引っ張り合ったりするのが典型的問題である。成果を追求し過ぎた結果、上司の命令が蔑ろにされるなどして内部統制に支障をきたす場合もある。 また、部下や後輩の育成が評価の対象にならず、むしろ後続のライバルを伸ばすだけになるため、その様な事がおざなりになる。さらに進むと、「自分が先輩に育てられなかったので、後輩の育て方がわからない」という管理職まで現れる様になり、企業の人材育成能力にも多大な悪影響を及ぼす様になる。 これらの問題を解消する手段として、個人の評価を部署の業績評価と連動させる、部内の協力を成果項目の一つにするなどの工夫が行われているが、その場合個人への成果配分をどうするかも問題である。 上記の様な問題点にくわえ、労働者派遣等の不安定な職の拡大や中流層の崩壊を目の当たりにした、就職氷河期より後の世代は、年功序列・終身雇用を求める風潮にある人件費削減の方策として、「年功序列の撤廃」により、30代前半の社員をほとんど全員「部下のほとんど居ない管理職」に昇進させることで、労働組合が介入できない状態(残業手当が付かない裁量労働制・労組が賃金交渉に参加できない月俸制)に置いた後、「成果主義」により査定を大幅に落とし、平社員より低い給料とする会社も存在する。 このような場合、会社は「管理職への昇進は本人の同意を示す同意書が必要である」と主張することが多いが、実際は、収入が下がると解っていても、管理職昇進を拒むと同期社員の支配下に置かれるため、実質的には同意書を提出せざるを得ない状況であることが大半である。
2008.10.15
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経済産業省は19日、改正特定商取引法(特商法)のうち、パソコンや携帯電話に一方的に送り付けられる迷惑広告メールの規制強化を12月1日から施行する省令案をまとめた。一般からの意見を受け付けたうえで、10月1日にも公布する。悪質な訪問販売の取り締まりは第2次施行日として別途定める。(2008/09/19-20:47)ざる法でないことを祈る、それにしても遅い前田議員はどうすんだろうね。
2008.10.15
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民主・前田氏、議員辞職を否定=民主・小沢氏が事実関係聴取10月15日17時3分配信 時事通信 民主党の前田雄吉衆院議員は15日午後、衆院議員会館で記者団に対し、自身が代表を務める政治団体がマルチ商法業者から講演料などを受け取っていた問題について「後ろめたいことはない。胸を張ってこのまま生きていく」と述べ、議員辞職や離党の考えはないことを明らかにした。 前田氏によると、同党の小沢一郎代表は14日夜、都内の個人事務所に前田氏を呼び、約2時間にわたって直接、事実関係を聴取。前田氏の出処進退に関しては「自分で決めることだ。まず自分で考えるように」と語ったという ひどいよな、マルチ商法を認めるやつがいるなんてなどれだけの人が苦しんでだまされてめいわくしているかわからんのやな、小沢君、あかんよ、みんすもじみんもおんなじやん。あかんよ、これもホウフクリークだろうな。石井始が紹介したらしいというからおどろき、
2008.10.15
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10月15日18時27分配信 時事通信 千葉県柏市保健所は15日、市内の男女2人から、中国製冷凍インゲンを食べた後、吐き気や舌のしびれを感じたと届け出があったと発表した。いずれも体調不良を訴えた東京都八王子市の主婦が購入し、殺虫剤ジクロルボスが検出された製品と同じ賞味期限で、製造日や工場を示す番号も同一だった。同保健所と県警は食べ残しを回収、殺虫剤混入の有無などについて分析を始めた。 同保健所によると、2人のうち30代の男性は15日午前6時、ゆでてサラダに入れたインゲンを数本食べて吐き、舌のしびれを感じたという。その後、症状は治まったので病院の診察は受けなかった。 もう1人は30代女性で、12日夕に煮物にして10-20本を食べた際、舌がぴりっとした。一緒に食べた10代のめいは、同日も13日夕に1人で食べた際も異常は感じなかったという。 男性は「イトーヨーカドー」系列の「ヨークマート新柏店」、女性は8日に「ヨークマート花野井店」で購入していた。製品は既に店頭から撤去されている。 柏市保健所の担当者は、2人から回収した際には、特に異臭やべとつき、袋の異常などには気付かなかったという。回収分の検査は県衛生研究所が委託した。 またかよ、とおいうかんじ。ほんと、根本の問題は置き去りにしているし中国製品への不信感はつのるばかり、うちの倉庫にものあるではないか冷凍インゲン、どうすんの!
2008.10.15
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はい、こんばんわ、いよいよ明日いや今日20万アクセス達成!です。20万目のひとには、金の延棒をプレゼント(うそ)そう、うそはいけません、うそはどろぼーのはじまりです、いろいろなさまざまな事件事故が起きている今、僕はあるひとつのことがすごくきになる、「境界性人格障害」である、僕は精神医学者でもカウンセラーでもないが、この今の社会の変質のきっかけに、この障害があるのではないかとおもう、自己の感情の抑制が効かなくなり、他者への過激な暴力、もしくはひきこもりと、他のものとの交流ができなくなる、先天的な脳の脆弱性、とあわせて、幼児期の虐待、少年のときにいじめをうけたり親が干渉しすぎるか、無関心か、親子関係がいびつでかつ、家族の人間関係の不完全などが考えられるらしい。社会を震撼させるような事件をおこしてしまう、ジャンキーはほとんどそれであるのかもしれない。その犯罪が与える社会的な悪影響を考えると、根本的な問題解決をすべきだとおもうのです。殺人をするひとは自殺をするひととおなじ、それは命の尊厳を冒涜するということ、自分が死ねないから驚愕事件を起こす、これは「通り魔殺人者」の発想であり、あさがおさんのいっていた、昭和の時代にはすくなかったというもの、では、なぜ平成になっておきたのか。1980年代にもひどい事件はたくさんある、そこにはつまらくてもなんとか理解できようとする動機がみられた。動機すらも理解できない。17人めの死亡者が出た放火男、記憶がないとかほざく、しかし、彼は、一応ひとなみに会社につとめ、結婚もし、普通に見える人生がそこにはあった。どこから外れたのか、どこへ行くつもりであったのか。 まったく、理解できない。秋葉原の加藤とは違い、殺意があったかどうかといえばわからない、しかし、「生きるのがいやになった」といっていたのは同じ。生きるのがいやになったら、静かに山奥で死ねばいい、一人寂しく、しかし、その勇気がない、LOOK AT ME!なんだろう、子供が親の関心を引くために泣くのと同じなのだろうか、世間に対して無力な自分を、反社会的な行動で自分の存在を示そうとする。次元が低い発想であり、テレビなどのマスコミの影響もあるのだとおもう。しかしだ、思いだす、ぼくは、ぼくの中学では、山手の金持ちと浜手の貧乏が合流する学校であった、僕が今日思い出したのは母の弁当である。弁当やになった理由がそのへんにもあるんだけど、ある日の弁当の時間、ふたを上げると、高野豆腐一枚しか、入ってなかった、ぼくは、おどろいた、昨日、なにかしたのか?おこらしたのか?とおもい、おもわず、弁当を隠した、山手の人たちは、松茸のたきこみや、ローストビーフなどが入る弁当、これ見よがしにきれいなマットをひろげ、食べる。もぅすでに格差社会は始まっていた、しかし、僕は社会がわるいとか、資本者が横暴だとか思うはずもない、中学生だから、それよりもどこかにコンプレックスをもつのだ、弁当を豪勢にしたい願望がそこにあるのだ。話を戻すと、いろんなことがあって人々が子供から大人になる、その間にその境界性人格障害に罹患してしまう。それも万人にひとりかどうか、しかし、人口が増え続けると、発生する人もふえ、連続殺人予備軍は日本全国で数百人潜在するわけで抑制、抑圧、防御できる社会を形成しないといけないのだ、(弁当の話とクロスオーバーした、??)ぼくは、母が父がきちんと働き背中を見せて教えてくれたから、脳機能不全になることもな区今にいたる、尾崎豊もそうであったのかもしれないという話がある。彼のライブは命を削るようなもので、また、興奮をし会場の屋根まで登り歌い叫ぶ、その抑制が効かないものはすさまじいものであった、そこがまた、いいのでもある。しかし、問題は普通の日々のとき、普通の感情でいれなくなるのだ。この先は、またいずれ、今夜はおわり。おやすみ。
2008.10.14
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人間というものは本当に複雑でありながらもろくもあり、はかなくもある。「峰岸氏の病死」「三浦氏の自殺」「緒方拳氏の死」立て続けにきたニュースを見ていろんなことを考えたね。こんばんわ、人間はなんだ!真相や事実は闇のまま、岡田ゆっこの自殺。この自殺は社会現象をよび、全然関係ないファンたちが後追い自殺した、これらの現象はぼくなりに思うんだが、「伝染性自殺病」ではないかと新しいカテゴリーであるが、推測する。はかなくも散ったトップスターの真相は伏せられ、峰岸さんはおおいにたたかれ、陰口を言われ、耐えた、最後まで真相はかたらぬまま、ゆっこがビルから飛び降りた日、くしくも沢尻エリカが誕生し、その後、芸能界を反発するようにあの事件を起こし、仕事をだめにした、アナウンサーとか、ワイドショウーのインタビューアに反発したのは前世の記憶ではないだろうか、三浦和義氏も因縁のサイパンで逮捕され、またもや因縁のロスで自殺した。この不可思議な男の真相も闇に葬られた。彼の生い立ちもその最後の自殺の運命をたどるように、ほとんどの人生の時間を「世間からの注目」ですごした。そういうなか、最後まで病を公表せず、仕事をされた緒方拳氏はすごうひとだとおもう、1970年1980年の前半、「鬼畜」「ならやまぶし考」「復習するはわれにあり」などは有名な映画。人生のほとんどを芝居ですごし、仕事をし続けた、やはり、死ぬまで仕事は続けるのが男の美学のように感じる、この世の中で生を受け、あがくようにいき、死んでゆく、その時間は実に短い。大地の時間の流れに比べたらひとつの夢のようだろう。竜馬がいった、「世に生を得るは、事を成すにあり」薩長同盟、大政奉還などの実現で彼の人生は33年のみじかさでおわったが、その名声は慶応から平成までとどろく、
2008.10.13
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個室ビデオ店放火、小川容疑者 大阪市浪速区の個室ビデオ店「試写室キャッツなんば店」で15人が死亡した放火事件で、殺人容疑などで逮捕された無職、小川和弘容疑者(46)が平成16年秋、母親の死亡に伴い、遺産や実家の売却などで現金計約5000万円を得たにもかかわらず、わずか2年間でギャンブルなどに使い果たしていたことが12日、分かった。小川容疑者は消費者金融で借金を重ね、今年4月からは生活保護を受給していた。13日から大阪地裁は、小川容疑者の10日間の勾留(こうりゅう)延長を認めた。浪速署捜査本部は、小川容疑者が収入のあてがなくなったことなどから絶望感を抱いたとみて、これまでの生活状況を詳細に調べ、放火に至った心理状況の解明を急ぐ。 調べでは、小川容疑者は2年、公務員だった母親の退職金を頼りに大阪府門真市に3階建て住宅を購入した。6年に妻と離婚してから生活が荒れ始め、競馬やパチンコにのめり込むようになったという。 13年には大手電機メーカーの希望退職に応じ、約1000万円の退職金を受け取ったが、1年後には消費者金融から借金を重ねており、わずか1年で退職金を使い果たしたとみられる。 16年には母親が病死し、一人っ子だったため遺産をすべて相続。生命保険金や実家と門真市の自宅の売却で、総額約5000万円を手にしたという。 小川容疑者はこの金で100万円余りの借金を返済するとともに、約1300万円で大阪府東大阪市の中古マンションを購入した。手元には約3500万円が残った計算だが、2年も持たずに使い果たしたとみられ、18年夏ごろには再び消費者金融から借り入れを始めていた。狂った人生は、ギャンブル依存症であり、いかれたのは幼少期の教育のせいであるとおもう。むだづかいのうえに15人も殺して、こいつの人生はすごい悪のパワーで満ちている。
2008.10.13
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父は会社員、母は料亭の娘。幼い時期を北海道で過ごしたのち千葉県市川市で育つ。父方の叔母に元女優の水の江瀧子がいる。小学生当時、水の江の家へ遊びに行くと俳優たちから多額のお年玉を貰い、その額が30万~40万円に達していたという。このことについて三浦自身は「嬉しかったけど、大人を見くびることにはなったよね。どうしても歪むだろうね」と語っている。水の江は石原裕次郎を育てた日活のプロデューサーでもあり、三浦自身も石原宛の何万枚という年賀状のお年玉くじの整理を頼まれ、当選品を石原からプレゼントされるなど、石原とは当時接触があった。水の江から俳優になることを勧められ、水の江のプロデュースする映画で石原裕次郎の少年時代を演じる子役として出演したことがある。子役時代、撮影所のスチール担当者から「水の江さんの子供なんだから、やっぱり大きくなったら役者になるんだろう」と話しかけられたことがあり、三浦自身もこの実子説を信じていた時期があったが、1985年には「水の江滝子の実子説というのはなんの根拠もありませんよ」とはっきり否定するようになった。日立市へロケに行ったとき、芸能界の嫌らしさに愛想が尽きて勝手に帰宅、そのまま芸能界から引退した。神奈川県大和市立渋谷中学校在学中、複数回の家出を経験。教師と喧嘩して窓から飛び出し、そのまま家から数十万円を持ち出して大阪に行ったこともある。このころ、精神病院に入れられたこともあるという。ミッキー安川の『ふうらい坊留学記』に影響されて海外に出ることを志し、中学卒業後は技術を身につけるために陸上自衛隊少年工科学校を受験するも失敗し、整備工となる。左利きであるため、整備工としては重宝されていたという。やがて学歴の必要性を感じ、横浜市立戸塚高等学校に進学。しかし1966年、放火などの容疑で逮捕され水戸少年刑務所で7年間服役した。この間、横浜少年鑑別所からの脱走歴がある。過剰報道騒動の最中の1985年、三浦夫人銃撃事件の4ヶ月前に起こった三浦夫人殴打事件での殺人未遂容疑で逮捕され、後に銃撃事件での殺人罪と詐欺罪で再逮捕された。殴打事件では懲役6年の有罪が確定したが、銃撃事件の裁判では検察側は実行犯を特定できないことがネックとなり三浦の関与の事実を立証する事ができず、1998年の東京高裁で無罪判決を受け、2003年には最高裁でも無罪判決となった。この事件に絡み三浦が拘置所や刑務所にいたのは13年間にものぼる。この事件を機に報道被害の問題などでも積極的に発言を行っていた。2008年2月22日、旅行中の三浦がサイパン島(米国自治領)で米当局に殺人容疑で逮捕された(「ロス疑惑」)。弁護側は一事不再理を主張して三浦の釈放を求めて争っている。放浪癖や家出、放火などの前科などはあまりしられていない、正直に生きていたら違った人生をいきていただろうよ、
2008.10.12
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ああ。またきえた 岡田監督が辞任!残念。阪神ファンでもないけど、阪神がいつも最後いいとこで負けるのはつらいんだろう。13ゲーム差で余裕の優勝だったけど、監督もしんどいんだね、監督も社長もおなじでどうのこうの、偽装問題のtこととか関連付けてというはなしがきえました、明日またします、めげた根ムール側のスイミングです。ばい。
2008.10.12
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さっきニュースを見ていると北朝鮮テロ国家指定解除!ああ、またやりおったね、ブッシュは、どうもこのいかれた大統領は未来の世界史に残る悪政。イラク戦争も9.11も今回の世界恐慌も、親子ともども戦争大好きで。なんで、この時期にタイミングで解除するのか、黄海では韓国軍がにらみを利かし、軍事衛星が監視し、横須賀の原子力空母はいつでもOKで、戦闘機は常にスタンバイ。おいおい、べんとうやのくせになんで、おまえそんなにしっているのだ、実は僕は、秘密組織のメンバーなんです、はい、こんばんわ、北朝鮮ではビールかけしているのか、らちしたひとをかえしてください。われわれのほとんどがあの半島を通過し、陸続きであったのかおぼえていないが、同じDNAの共通点をもつはずの彼らたち、子供のおけつには蒙古斑。蒙古といえば、朝商流、どうしているのか(あえて誤字)話がつながりません、日本の人々の多くが大陸系で南方系がすこし、桜島の近くの薩摩ドンはあれは南方系かな桜島の大爆発でその以前にあった王国は絶滅したらしいが、沖縄やその島々の人々はどう見ても日本とはかなり違う、言葉も違う、日本語はアルタイゴ系といわれ、今の学説では南方の言葉と混合して形成されたといわれ、その中でも高句麗の言葉の中で共通項もあり、天皇系もそのあたりがルーツの要素があり、複雑な液性のような混合が今の言葉をつくりえたのではないかとおもう。大昔の人々と今の人が会話しようとしてもできない、それほどかなり変遷している。「げきあつ!」この言葉をあなたは理解できるか?半島の情勢と日本語の起源おわり、選挙のびのびで、公明党の皆様がお怒りの今日この頃選挙カー、はやすぎますよ、ポスターも色あせる秋の風、どない寸念総理大臣!選挙してるばあいでない!「あっそう!」親父ぎゃぐ、おわり、
2008.10.11
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右ひざがいたいんです。なぜか、それはもう二年前。突然道の真ん中にとびでてきた、老人の自転車、それを避けるべくして、バイクは転倒、お爺さんは無事。一番怖いのは老人暴走自転車なんです!もう、こわいのなんの、信号無視、道の真ん中、ひどいもんです。信号待ちをしていると、子供たちがきちんと赤信号でまっているよこを、どうどうと、信号無視。いつの時代からか、モラルがない老人が増えてきている思う。立小便、つばをはく、ごみをすてる、大声で携帯電話、こんばんわ、北の緊張がおこり、米国からの金融不安が明日の破綻を招く、非常に混乱している世界をよそそに、六番絞りビール(朝が参上法)で無駄な事をしやがって、君らの投資は明日にはかみけれになるかもよ、と思う今日この頃、いかにお暮らしでしょうか思えば、暴走族はなんて親切か、というのも爆音を立ててくるから、わかる、どこからくるか、しかし、暴走自転車は真っ暗闇でも無灯火ではげ頭もひからないじじいがすさまじく、たまには、オイルささないきーきーブレーキを鳴らしながら走る。いつの時代から、おまえらそんなになったんだ、おじいさんは、いつも僕をしかってくれたよ、知らない爺にいつもこどもころ、なんだかんだ、いっておこられたもんだ、町の番人みいたいなもんだ。逃げたもんだよ、こら!という怖い声を思い出すよ。家族という形態の崩壊がおこしたのかな、そう思った、さっき、寅さんの映画を通じて日本の家族というものの大切さを述べていた番組があった、僕も納得した、一人暮らしのワンルームマンションが増え、独身が増え、核家族が定番で、子供が出てゆけばゴーストタウンのようなニュータウン。家族の役割、家族のあったかさ、そういうものがあったよな、昭和の時代。いつも、みんな、テレビの前コタツに入り、みかんを食べる、紅白歌合戦を見て、除夜の鐘にしーん、とする。ああ、ああいう時代はもうこないんだな、さみしいな、そう思う。こんな世なんか、どっか、おかしいぞともおもうし、殺人の無差別のようなことも家族がきちんとしていれば、いいことだ、一家心中というのもあんまりよくないが、あれもひとつの形でもある。じいさんの暴走自転車に、じいさんの生きる道や役割家族の変遷などを推測するぼくも、かなり、変。北朝鮮もあれも金というやつのでかい家族なんだろうね、でかすぎるけど、おまえだめだぞ!という人がいなくなれば暴走するんだね。人類がアフリカの森で誕生し、或る日、数人の家族が移動をはじめた、その長いたびが15万年、その移動はおそらく、生きるため、食うため、そのための冒険のたびを続けた、ミトコンドリアやなんとか染色体の調査でその道筋があきらかになり、日本人の祖先も多様であることらしい。人々が生きてきた歴史の中に、あるチーム「家族」。その家族が崩壊し、社会が揺らぎ、混沌とした情勢になる。?何の話だった?とにかく、ビールかけはやめるべきだ、その分、施設にでも寄付しろよ、*
2008.10.10
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10月9日11時12分配信 YONHAP NEWS【ワシントン8日聯合】在韓米軍のシャープ司令官は8日、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記の健康悪化説と関連し「これまで特異動向はない」としながら、韓米は全面戦であれ北朝鮮の不安定化であれ、あらゆる非常事態に備え万全の準備をしていると伝えた。米国防総省での会見で述べたもので、北朝鮮軍部にも異常の兆しはみられないとしている。 一方、前日の北朝鮮による短距離ミサイル発射実験については、北朝鮮の状況を注視しているとし「北朝鮮が大量破壊兵器を拡散するならば必要な措置を取り、事態の最小化に努める」と述べた。 北朝鮮の軍事能力に対しては、世界4位の軍事力を持ち、軍隊の7割を休戦ラインから90マイル(約50キロメートル)に配置しており、1万3000門の大砲と韓日を打撃できる800基の短距離・中距離弾道ミサイルを保有していると指摘した。北朝鮮が核兵器能力を備えたと主張していることは大きな懸念事項だとし、北朝鮮は「真の脅威」であるだけに、いかなる非常事態にも備えていると重ねて強調した。 シャープさん、おそろしいことをいうね
2008.10.10
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10月10日23時7分配信 時事通信 【ソウル10日時事】北朝鮮の金正日労働党総書記の重病説が伝えられる中、労働党は10日、創建63周年を迎えた。北朝鮮メディアは金総書記が9月5日に党機関紙・労働新聞などに寄せた自国を称賛する談話を予告放送付きで発表したものの、総書記自身は姿を見せず、健康や後継者問題への言及はなかった。重病説は依然としてくすぶっており、今後総書記の統治能力への疑問が国内外で強まる可能性がある。 談話発表は、重病説が北朝鮮国内でも流布されていることを意識し、総書記の健在をアピールする狙いがありそうだ。ただ、本人は現れず、逆に病状が深刻ではないかとの観測を強めている。 金総書記をめぐっては今月4日、サッカー観戦したと51日ぶりに動静が報じられたが、映像や写真では確認されなかった。朝鮮中央通信は10日、党創建記念日に合わせて党や国家の幹部らが故金日成主席の遺体が安置されている平壌市内の錦繍山記念宮殿を訪問したと伝えたが、金総書記についての言及はなかった。ただ今年は「節目の年」ではなく、金総書記が行事に出席しなくても、異例とは言えない。 きてるね、そろそろ
2008.10.10
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1959年(昭和34年)、南海ホークスが日本シリーズで読売ジャイアンツを破って日本一になったとき、その祝勝会の会場でカールトン半田(日本名・半田春夫)内野手が、当時南海のエース投手であった杉浦忠(後の監督)にビールをかけたことがその起源であるとされる。アメリカでは、メジャーリーグを始めとして多くのスポーツにおいて、古くから優勝者や優勝したチームがシャンパンをかけ合って喜ぶ習慣(シャンパンファイト)があったが、日本にはもちろんこのようなものは存在せず、優勝が決定しても、選手や監督はビールで乾杯をする程度であった。ハワイ生まれの日系二世でマイナーリーグでプレーした経験もあり、アメリカのシャンパンかけの風習を知っていた半田は、せっかく優勝したのにビールの乾杯だけで済ませてしまうのは寂しいと思い、「アメリカでは、優勝したらこうするんだぜ」と言いながら突然杉浦の頭にビールをかけた。一瞬、周囲の選手たちは何をするのかとあっけにとられたが、やられたほうの杉浦がすかさず反撃したところ、「面白そうだ」とその場にいた人間があっという間に真似をし始めた。厳格な指導法で知られた監督の鶴岡一人は、最初は何が始まったのか理解できない様子だったが、そのうち自分の顔にもかけられて喜んでいたという。ただ、その時の会場は畳部屋だったため、祝勝会の終了後は部屋が使用できなくなってしまい、球団には旅館から厳重な抗議が寄せられた。1984年(昭和59年)に広島が優勝した折には、「ビールかけは資源を浪費する無益な行為」という投書が直前に新聞に掲載されたため、報道陣をシャットアウトしてビールかけを行った例がある。一打席数百万もらう人が世の中の不景気も、世界金乳不安もどこ吹く風。水でええやろ。
2008.10.10
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原さん、おめでとう、 でもな、もったいないからいいかげんビールかけは やめなはれ!もう、やめなはれ
2008.10.10
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北朝鮮、核実験の兆候…米メディアが報道10月10日13時50分配信 読売新聞 【ワシントン=宮崎健雄】米ABCテレビ(電子版)は9日、複数の米政府当局者の話として、北朝鮮が2006年10月以来となる核実験を準備している兆候を米情報当局が把握したと報じた。 過去2週間に撮影した人工衛星の画像で、核実験場と疑われる施設にトンネルの掘削や大型ケーブルの移動が映っているという。 挑発、威嚇、だれか、教えてやれ無駄なことせず、人民を救えおかしなことばかりするね正直な外交をしないと信用がない。戦前の日本のように追い込まれている、やっぱ、彼らは戦争するな。
2008.10.10
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ストーンヘンジ、実はもっと古い?=専門家チームが新説-英10月10日6時20分配信 時事通信 【ロンドン9日時事】謎に包まれた英南西部の巨大環状列石「ストーンヘンジ」の建立時期が、当初考えられていたより数百年も前である可能性があることが、新たな発掘調査で明らかになった。英BBC放送が9日伝えた。 ストーンヘンジは紀元前2500~2000年に造られたとされてきたが、複数の英大学で構成される専門家チームがこのほど、石の周囲に残っている支柱用とみられる穴の一つを分析した結果、建立は紀元前3000年前後と判定された すごいな、どういういきさつでできたのだろうか、病院のようなところであったのか、規模が違い少し形態も違うが東北にもそういう石がある、英国と日本は、よく似ているところがおおい。
2008.10.10
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こんんばんわみなさん、昨日の僕にきたメールは70通、どうですか、多いでしょう、しかし!100%広告なんですが!友人のメールは行方不明ですし、迷惑メエールホルダにあったりする。もう、ほとんど見る気もしないんですが、インターネットでものを買いますとばんばんくるのですよ。これは、もう無脳メールなったものです。 日本の火山がやばいらしいです。しかし、火山性微動地震はいつもおこったいるようで、地球が生きているということです、しかし、それにあわせてやっぱりみんな大地震に不安をもつんですね、東海大地震がくるくるといわれて30年、ええ加減に待つひとは疲れ果ててしまうのだ。どうぞ、浜岡が停止できますように。火山とか地震が作り上げた日本列島、そもそも、大陸プレートの産物のような日本列島、だから、昔から山をあがめ、川を海を岬をそれぞれ拝み、神様を感じたのだろう。仁徳天皇陵が大阪の南部にあるが、その端には断層がとおる、遺跡などは決定するときに場所を、卑弥呼のような巫女が場所を選定したのだろう、地磁気や大地の力を感じたのだろう、不思議なものだ。大昔からある神社はそういう力をもつとこがおおい。杉田ジローさんは神主でもあるのだろうか、やっぱり、彼のやさしい声は神秘的なものを感じる。潔さとかきれいなものを感じる。「戦争をしならない子供たちに」この歌は戦後敗戦から立ち直り時代が変貌するときにヒットした。戦争を知らない、戦争が終わって生まれた、そのフレーズがひとびとの心のアンテナに受けたのだろう、しかし、経済的には復興できても、精神的には敗戦をひきずる。その平和も冷戦の産物であり、ソ連のスパイや北のらちや、むごたらしいことが影でおこっていたのだ。平和ボケという錯覚であったのだ。権利や自由を謳歌し、労働運動がさかんになり、サボタージュが行われ、いわゆるいまの無責任な年金問題がそのあたりを起源としている。よくもわるくも、団塊の世代が起こした戦後の社会、このままではいけないとおもいます、核家族もいけないし、自由恋愛もいいとは限らない、戦後、経済で日本を復興させた人々は実は戦前や戦中のひとびとであり、皮肉ながら戦争の技術などが生かされた部分もあるわけだ、彼らの仕事振りはすごかったんだとおもう、団塊の世代を批判するつもりはないし、その世代の役割はおおきいもの、評価される部分もかなりある。戦争がおわって、僕らは生まれた、しかし、その戦争がどういうものであったのか学校では教えてくれない、 日光祖批判が(あえて誤字)あったが、戦争をタブー化し天皇制を冒涜するのはよくない、しかし、彼らの中には戦争への反省があった反動であり、本当にすべてのものを否定できるのか、ということである。 日本はこれからどうあるべきか、米国に依存し、言われるがままに米国国債を買わされて、たとえば、郵貯のお金50兆円を米国国債にしたような政治では今回のような恐慌がおきてしまうと、なすすべもない、ということで、お休み、ここ
2008.10.09
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所属事務所はアップフロントエージェンシー。京都府京都市出身。立命館高等学校を経て、1969年立命館大学文学部日本文学科卒業。実家は金光教島原教会で、他の宗教における僧侶にあたる教師の資格を持っている。1967年、アマチュアバンド「ジローズ(第1次)」(メンバーは杉田二郎(リーダー)、塩見大治郎、細原徹次郎)を結成。ラジオ「ヤングタウン」の今月の歌に取り上げられたオリジナル曲『あなただけに』が大ヒットし、東芝EMIからラジオ放送用のテープがシングルレコードとして発売されるが、その2ヵ月後に第1次ジローズは解散。その後、はしだのりひこ(端田宣彦)、おちゆうじ(越智友嗣)、井上博と共に「はしだのりひことシューベルツ」を結成、リードギターとボーカルを担当。1970年には森下次郎とともに「ジローズ(第2次)」を結成し、『戦争を知らない子供たち』が大ヒットした。1972年からはソロ活動を開始。ソロ作品のヒット曲には『男どうし』、『ANAK (息子)』(1978年)11月1日(土) 市民芸術劇場 杉田二郎 Autumn Concert in みと会場:ふれあいホールみと(益田市美都町都茂1692番地甲)開場:18:00 / 開演:19:00料金:全席自由 2,000円(当日2,500円)チケット発売開始 9月6日(土) ふれあいホールみと TEL:0856-52-2295お問い合わせ ふれあいホールみと TEL:0856-52-2295 2008年11月9日(日) 座・ジローズ スペシャルライブ 決定!出演:座・ジローズ (杉田二郎 細坪基佳) 会場:神戸 チキンジョージ (兵庫県神戸市) 開場:15:30 開演:16:00\6,500-(ドリンク代別・入場順整理番号付) 2008年11月15日・16日 Forever青春ポップス2008in御園座 に出演します。あなたにとって思い出の名曲とはどんな曲ですか。あの頃、僕も若かった、君も輝いていた・・・。さあ、もう一度、輝くためにあの名曲が今、御園座で蘇る。会場:御園座(愛知県名古屋市)●11月15日(土) 18:00~<STAGE1 想い出 ~未来に遺したいおもいで> 出演:ばんばひろふみ・因幡晃・ビリーバンバン・ マイペース・杉田二郎・沢田知可子(順不同)●11月16日(日) 13:00~ <STAGE2 絆 ~心に残るいのちのきずな> 出演:西城秀樹・尾崎亜美・庄野真代・大野真澄(ガロ)・ 河口恭吾・因幡晃・杉田二郎(順不同) ●11月16日(日) 18:00~ <STAGE3 魂 ~勇気をもらった歌だましい> 出演:西城秀樹・鮎川誠 シーナ&ロケッツ・つのだ☆ひろ・ 辛島美登里・南佳孝・河口恭吾(順不同) 料金(税込):S席 7,000円 ・ A席 5,000円 9月10日(水)より電話・御園座ホームページにて予約受付開始! 御園座ホームページ:http://www.misonoza.co.jp/ 電話予約 : 052-222-1481 (午前10時~午後5時) 2008年12月6日(土) フォーク・ジャンボリー・スペシャル2008出演::ばんばひろふみ / 杉田二郎 / 因幡晃会場::北とぴあ さくらホール(東京都北区)開場:14:30 開演:15:00料金::全席指定:5,000円(税込)※未就学児の入場は出来ません。チケット発売日:9月2日(火)10:00~チケットぴあ (Pコード 301-626) http://t.pia.jp/index.htmlお問い合わせ:北区文化振興財団:03-5390-1221 2008年12月7日(日) 茶の都 フォークフェスティバル2008出演:因幡晃/イルカ/杉田二郎/ビリーバンバン (五十音順)会場:入間市市民会館(埼玉県入間市)開場:17:00 開演:17:30料金:全席指定:前売り6,500円/当日7,000円(税込)チケット発売日:10月1日(水)チケット取り扱い・お問い合わせ:エフエム茶笛 TEL 04-2963-6663入間市市民会館 TEL 04-2964-2411主催:(財)入間市振興公社/株式会社 エフエム茶笛制作:入間ケーブルテレビ株式会社 協力:NPO法人入間市文化創造ネットワークイベントHP:http://www.fmchappy.jp/kobo_new/shonomayolive.html杉田二郎/千鳥足(CD)
2008.10.09
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