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2009.12.31
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2009.12.31
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こんばんわ、みなさんん、大晦日であります、クルスマスイブより大好きな大晦日であります。通常営業は本日最終、しかし、どこの弁当屋もひまそうです。毎年会社の大掃除をしていたお得意さんは、数年前までは上の幕の内750円(当時)をたくさん社員にだし、そのうち、上から普通の幕の内になり、最近は弁当もでなくなり、きびしいっ!世ノ中であります。余波が下部の私のところへ怒号のごとくおしよせてきます。さて、ありんこさんにお祝いのお言葉を頂戴しいったい、僕はいくつになったのか、超時空感覚でわからない、気にならない。ああ、49か!40代もあとすこしか、早いな、30代や20代の人々がすごく若くこどものようにみえる、誕生日会というのは必然的に僕には不可能。前にも書いたけど、世の中で同じ誕生日はあの山本潤子さん、そして、祇園くんというおさななじみ、そして、京都祇園で飲んでいた学生のとき、横に座ったかわいい女の子が同じ誕生日だった。「うそでしょ!」という彼女にメンキョウを見せた、驚いたね互いに、母がよくいったのは、三位一体の祝い。クリスマスと誕生日を正月はおんなじ。がっくり、そういえば、ケーキの話を昨年したね。抗議する子供のぼくに一回だけ誕生日会をいえでしてくれるという母、ごちそうやおかしやたくさんよういして、誕生日の数日前に・・。 しかし!誰もこない、一人だけしかこない、小学三年のぼくは??・母いわく、「あんた、みんなにいったのかい?招待したのかい?」ぼくは、すっかり招待するのを忘れていた。呆然とする僕に母は「今から、みんな呼んできなさい」それから、一軒一軒、クラスメイトをたずね、来てくれるようにたのんだ。しかし、みんな忙しいからと、いろいろいって、こない、あきれた母はしょげた僕に、ごちそうをふたりでたべなさいと笑った、あれから二度と僕の誕生会はなかった、そう言う母も死んで三年、よくよく考えれば誕生日とは母に感謝すべき日であるのだ、4500グラムで生まれたぼくは、そうおもう、ああ、後数時間で仕事です。それでは、
2009.12.30
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かまぼこ、はごいたふう。 そして、僕の誕生日にケーキをいただきました。今年は通常の営業が余裕だったのでスムーズにいきましたが・・。それも寂しい限りです・明日は組んでお渡しです。
2009.12.30
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昨日はカットしたり、漬け込んだり。本日は味付け、煮焚き、焼いたり二晩たれにつけます・ つづく・・。
2009.12.30
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こんばんわ、みなさん、本日は夕刻過ぎ、ブログ仲間の方が盛岡からわざわざ来ていただき、感謝。おせちも準備のさなか、お店はごちゃごちゃで、テーブル席ひとつしかないなかお食事し、お帰りになりました。本日は年末とはいえ、この10年間で一番暇でした、やはりこの景気に悪さを実感します、お正月を迎えるスタイルが変貌しつつあるし、商売人や自営業が多い町なのでいろんなダメージを受けているのを実感したのだ。布施明が紅白を卒業するという、しかし、なぜ、NHKは布施さんを25回もだし、さださんなどを落としたりするのか?理解に苦しむ。まあ、見たり見なかったり、民放の裏バンもあんまりよくないが、とうとう来年は地デジになるそうだ、いまだにうちはアナログだ、最後の日までアナログでいてやろうと思う、なんで、アナログが消されるのか?昔は白黒もカラーも共存し、ステレオもモノラルの音声も共存してきた、この機にテレビ離れは進むのだろう、ネット時代はより進むとおもうし、広告CMの収入も減少するだろう、前々から言っていた、テレビでのアルコール飲料の宣伝も時間帯規制を自主的に行うだろう、パチンコメーカーもたたかれる前に自制すべきだと思う、残るCMはろくなものが残らないだろう、
2009.12.29
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みなさん、こんばんわ、今夜もブログにおいでいただきありがとうございます。もう、店の年末大掃除もおわり、しかし、おせちの準備でごった返し、店の中はごった返しています。南海も難解も何回もみていた、小田さんのクリ約2009のあの長いやつ、どうも見ていてカメラワークと編集している人の意図のような好みのようなものが見えてきて、ああ、こいつは、彩りもあるんだろうけど、いきものががりのきよえちゃんにえらい反応している、と、思った。ぜんぜん、写っていない人が実におおいのか、その策略に僕もはまり、きよえちゃんの姿や行動が目に付き始め、気がつくと、80年代によくいた女の子ではないかと思い始めた。あの、髪型もそうだ。あの時代は決して、「おでこ」をみせない。顔の輪郭を髪型で変えようとしている。実に懐かしい、実にかわいいのである。いきものがたりのあの合唱のYELLは実にぼくもはまり、CDまで購入した。若いアーチストのCDを買うのは最近ない、エキザなんとかとか、浜先なんとかとか、そういうのさえも、まったく興味がない。ない、というか、受け付けないんだ。 なかなか、受け付けない。よくその感受を推察するに、僕の頭のなかの大脳変質部分の音楽部野のホルダーのHDは容量がもうかなりいっぱいになり、受け付けないんだとおもう。前にも述べましたが、音楽のそのイメージの頭の中のホルダーは10歳前後までに大枠ができ、音符や音感や音程が完成し、大きな影響を受ける歌をどんどん聞いていき、12歳から19歳ぐらいの世代が、より新しい音楽を受け付けるんだとおもう、だいたい、7年前後で入れ替わる流行はそういう部分でもあるのだ。この数年、僕は自分が聞いてきた12歳ぐらいから24歳ぐらい前の音楽を全部聴きなおしている。最近は洋楽を聞いていて、70年代のイーグルスから80年代にヒットした、YESのかっこいい歌を聞いていた、洋楽も好きだし、中島みゆきもいいし、谷山浩子も好きだし、ずっとあとだが、大江千里も渡辺美里もすきだ。大江千里の歌も大好きだった、彼は日本にいなく、今ままでの「音楽」とは違うものを求めNYで暮らしているという。彼もまた、苦悩や挫折やいろいろなものを抱えてこその創作ができるのだろう。今年はいろいろな人が亡くなった、清志郎が亡くなった、これは哀しかった、加藤和彦さんが自殺した、これは実に悲しかった、彼の心の苦悩は僕はぜんぜん知らなかった。あの笑顔と明るい音楽からは心の内面は想像できない。二面性があるものである。表面の商業ベースでしかしらないんだ。世の中がどんどん悪い方向へ行くような気がする、若い人たちには本当にひどい世の中であるとおもう、ぼくたちが子供のころとはまったく異質な価値観やひどい事件とか、政治のぶざまさとか、そういう時代を作ってしまった、そういうのを反省すべきなのである、当事者意識が薄い人間ほど批判し吼える。話がそれてしまった。あと、三日で今年も終わる、00年代はどういう時代だったのか、相変わらず戦争だけはいつの時代でもある。
2009.12.28
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こんばんわ、みなさん、本日もおいでくださりありがとうございます。 1981年12月26日の夕刻。ぼくは福井の足羽山のいた。そこには火葬場があり、下宿の友人の葬儀のあと、そこにいった。夕暮れ近い火葬場からとぼとぼ山をおりた。友人のF君が一緒にいた。煙突から煙が出てきて、「ああ、あいつ、もう、灰になってゆくわ」とつぶやいた。彼の言葉で見上げると、冬の空に昇るように煙がたなびいていた、先週の土曜日には下宿のメンバーで忘年会をしたばかり、二次会でカラオケへゆき。万里の河を二人でうたったのが、大昔のようであった。1981年の12月の暮れにやっと、僕は20歳になった。目の当たりに人が死んで理解など出来るわけもなく、消化できない事実に呆然とするだけであった。富山の先輩はそのまま富山に帰り、僕と後輩のO君と京都の下宿にもどった。何事もないように、静かな下宿はそのままであった、彼の部屋をのぞいてみた、靴下はそのまま、O君と二人で呆然とコタツにはいり、何もはなさず、そのまま、夜明けを迎えて、二人とも実家に帰り、下宿は無人の年末年始を迎えた。ぼくは神戸の家に帰ると、もう28日になっていて、予約していたオフコースのLPを三宮のAOIレコードまで買いにいった。オフコースのそのLPは、僕の心情にぴったりとあい、何度も何度も聞いた。誕生日になり、なんもすることがなく、何を思ったのか、ぼくが生きていることの不思議な「罪悪感」を払拭するように、頭を坊主にした。大学二年生はろくに勉強もせず、遊びまわり、単位も落として、最後に友人が死んで相当参った、今でも参っている。きっとこれはPTSDであると最近になりおもうのだが、しかし、誰しも乗り越えて生きていかなければ、ゴールに到達できない。死生観というものが人生観の裏打ちされてものであると思う。どう、生きるかがどうしぬか。幕末の尊王の志士たちは、死に場所をさがし、生き残り明治までいた人は権力や富をもつ、しかし、彼らもまた死にぞこない意識があったのだろう、戦争の特攻隊の生き残りたちも戦後の日本の中で死に場所を探し懸命にきたんだとおもう。 1982年二月、友人のお父さんがトラックできて、荷物を全部ひきあげていった。家賃を全部払おうとしたが大家さんはとろうとせず、泣いてわびていて、誰のせいでもない悲劇を感じた。下宿の冬は寒い。ガスストーブは禁止でコタツしかない、どてらを着てコタツにもぐるしかない。下宿の話、つづく。
2009.12.27
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こんばんわ、みなさん。今夜も深夜ブログビンのお時間となりました。もう今年も残すところ後数日。なんとか、今日の営業も無事におわりました、予約もスムーズにおわりました、まあ通常のお客さんがすくなかったのですが・・。10年前ぐらいまでは年末といえば朝からどんどん忙しくてんてこ舞いでしたが、イツしか12月が普通になり、年末もひまになるというのはどういうことだろうか。正月の買出しや、大掃除や忘年会やと、気ぜわしく、市場もすごいひとなのだが・・。年末といえば、もちをたくさん買いにゆき、もちを切るのが父の仕事、蜜柑をひとはこかったり、おせちのものを買いにいったり、大掃除したり、家族が一丸となるのが年末のわくわくするたのしい日々であった。なにしろ、正月はどの店も必ず休み、食べるものがない。そういうことであったから、ある種の危機感というものがあった。年末年始の様相も変貌している、正月はかるたあそび、百人一集とか親戚のこどもをあつめてやるのが恒例であった、たこあげもよくしたし、べったんもした。テレビゲームなどなくても、十分あそべるものがたくさんあった。遊ぶにも創意工夫というものがあったのだ、不思議なもので西暦の元日はイエスの誕生日を基準としていながらも、日本では皇居の参賀などあり、神社に初詣にいったり、太陰暦でいわことを太陽暦でやるという不思議な習慣を明治以降きずいてきたのだ。 江戸時代などは太陰暦でずれまくる暦で、閏月等あり、よくもまあ、暦をあわせられたと思う。
2009.12.26
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こんばんわ、みなさん。小田さんの番組を二回も繰り返してみてしまい、どーぱ民ですぎです。 今年も残すところあとわずか、おせちの予定販売数がああ!あとわずかで、止まる、今年は140を目標に、昨年は大きな仕事があったのでその分の労力がいるので100におさえ、一昨年は130と、10年前に20個ではじまったのがここまできたのかとおもいます。もう、7年間連続で注文いただいているおうちがなかなか注文されない。ああ、なんかあったのか、と思いきや、今日電話で「忘れていた」とのこと。四セット注文で、ほっとした。あと、残すところ7個になった。残すところ7個でありながら、もうおかみさんはこんにゃくをカットし結びボイルをはじめた。こんにゃくかずは、100本以上。クリスマスの夜は、たいてい暇だ。いつも入るお母さんが忙しくて大変そうな家も今夜こそはお母さんのごはんをたべることができたのか、そういう意味ではいつも複雑なおもいをする。ご飯の用意ができないひとがいて、そういうのをフォローできているのだと社会的意義もあるのだとおもいつつも、この不況とデフレ攻撃に参るのであった。民主党の連中も、でかいことをいいよって、最初から金の計算しておけば出来ることと出来ないことはわかるはず、未来におおいに「失望」。亡命しますか?明日は予約が入って忙しいんですが、無事にこなせますように、僕の店のページも見てください。ここ
2009.12.25
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いやあ、参った。すごかった、感動しました。クリスマスの約束2009、もう二回も見たのでこの時間になりました。小田さんの歌がたくさん聞けるとおもいきや、少しだったので残念でしたが、新しい若いアーチストたちの曲が、すごくいいので、勉強になったね、小田さんがオフコースをはじめたころ、財津さんが山本潤子さんがそれぞれ、1970年のはじめ、音楽というものが芸能の興行の扱いでアーチストというもの扱いでなかった、その時代を切り開いてきた小田さんたち、そういう人々がいて、今のアーチストがいる。しかし、売れて何ぼの世界、商業の世界。君は二位で僕一位という、互いにライバルで難しい関係であるのだけれど常々、小田さんは互いに尊重し、敬意を持つことが大事、それこそが芸術というものである、そういう意味合いでは本当の音を楽しむ、「音楽」であったのだろう。それにしても、財津さんが老眼をはずし、歌う姿はなんか、時の流れをかんじてしまったが、後ろからほほえましく小田さんがみているのをテレビの隅でみれたのでよかったです。すごい拍手でしたが、それほどの感動を与えたのでしょう。山本潤子さんのブログでも、竹善さんのブログでも感動とありました。キマグレンとかアクアなんとかとか、清水なんとかとかいい歌ですね、それにいい顔している。それぞれ売れる支持される歌にはなにかしらのエッセンスとしてメッセージが入っていて、小田さんの言う「物語」は聞く人の人生のいろんな物語のなかでのスパイスであったり漢方のようであったり、するんだ、だから、そういう塊の歌だから余計に感動するのだろう。しかしだ、これはまったく別次元の話だがどうしても、この番組のCMがあんまり売れていないのを心配する。関西ではパチンコメーカーのCMが入り、なんで、そういうのがはいるのか、営業の苦労を垣間見た。
2009.12.25
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いよいよ、深夜0時から始まります。オフコースの再結成はないんだな。来年はCDを出すんだ。で、ツアーでますよ、小田さんきっと、無茶しないでね、ついでに、今日のランチ。スペアリブのトマト煮込み。カルボナーラ、そして、ケーキまでついて540円でした。。僕の店のページも見てください・ここ
2009.12.25
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こんばんわ、みなさん、人間には潜在的に「罪悪感」というものがあります、誰しも持つ不快感であるといえます。これが要因となり精神的なダメージを喰らう苦しむ人は数多くいます、この感覚がない人間はほとんどいない。しかしながら、罪を犯す人間はほとんどが「罪悪」の感覚がくるっています。その自分の意思とは別に起きてしまった事柄で「罪悪感」を持つ場合。全体的に、ブルーなしずんだきもちになるのです。イエスがゴルゴタの丘で磔になり処刑された、新約聖書を僕は殆ど知らないがこの2000年あまり、イエスが人々の犠牲になり、処刑されたことが人類の多くのひとびとの「罪悪感」の根底になるのではないかと、思う。日本においてのその罪のいろんな意識は「太平洋戦争」および「大陸半島の侵略」が根底としてあり、日本の国家像を揺るがす感情になりえている。僕にも君にはどっか、生きていればどうしようもないことに遭遇するし行動の結果に悪いものを起こしてしまう場合もある、常にそういうことが自分の感情を抑える。しかしながら、そういうものを支えてくれるものが宗教であり思想であるのだ。神はお許しになる、というのはある意味、セラピーの役割でもあるし、精神的においこまない、そういうために必要であると思う。僕が思う、キリストの誕生日の意味はそういうものであるか考えながら、罪悪感の開放の心理であるのではないかと思ったのだ。だから、遊び感覚やそういうもんものが主流となりえたのではないかと思う・。
2009.12.24
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NHKは24日、大みそかの紅白歌合戦に英国の人気歌手スーザン・ボイルさん(48)がゲストとして出演すると発表した。来日は初めて。 ボイルさんは4月、イギリスのオーディション番組に出演、その歌唱力が高く評価された。映像は動画投稿サイトを通じて世界に発信され、話題を集めた。11月に発売したデビューアルバム「夢やぶれて」は英国や米国、日本でもヒットチャート1位を記録。NHKは「歌の力で夢をつかみとった方で、紅白のコンセプトである『歌力』に通じる」などと述べた。12月24日20時1分配信 毎日新聞すごいことだとおもいます、本当の歌を歌う姿はすばらしい、みてくれではない。
2009.12.24
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こんばんわ、みなさん。今日は祭日。いや祝日。そう、平成天皇陛下のご生誕の日日本という国は、天皇抜きではかたれない。と、いいながら、このイブの前にある日はかなり、中途半端。仕事してるひともおおかった。いよいよ、小田さんのクリスマスの約束2009が近づいてきた。たのしみですね、そういうことがありながら、今年も残すところあとわずか早い、忙しすぎて時間の流れを感じることができない。明日は友人の命日。1981年のことだ。時計の針はそのときのまま、彼の時間はない。数日前に、下宿のメンバーと忘年会をした、そのあと、カラオケにゆくあのころのカラオケは、いまのではなく。みんなで、歌声喫茶店のように、みんなが聞いている前にうたう。歌詞カードがあって、舞台があって歌う。先輩は、「もしもピアノが弾けたなら」西田敏行の歌であった。ぼくは友人と、チャゲアスの「万里の河」を歌う。19歳の最後のクリスマスは、神戸駅の前でクリスマスケーキを売るバイトであった、しかし、ぼくはなぜか休んで家にいた。突然、京都の下宿の先輩から電話があり。友人が夕刻に事故で死んだと、いったきた。ぼくは電車にとびのり、鴨川のそばの病院にかけつけた。そこには痛ましい彼のなきがらがあった、鼻の穴や耳の穴には脱脂綿がつめられ血のついたシャツをきていた。もう、田舎の福井へ帰る寸前であった。なぜか、遠くで、加害者とその母親がうずくまっていた。僕はそちらを見ないようにした、彼は夕刻、バイトへ向かう道で右折する車と正面衝突し、頭をぶつけ脳挫傷で亡くなった。みんなで下宿にかえる、みんなで、彼の部屋をのぞいてみた、そのままであった。いままさに、脱いだ靴下がその足の形を残し、そこにあった。彼はその部屋に戻ることなく、ぼくがクリスマスイブが嫌いな原因はここにあるのだ。下宿にいると、夜中バイクにのって、彼がバイトから帰ってくるような気がした。悪い夢を見ているのか、しかし、また、バイクの音が聞こえ、その音は下宿の前を通過し消えていったのを繰りかえし聞いていたのを覚えている。死んだ彼の友人が、その夜、死んだことを知らずにたずねてきて、そのことを残酷にも告げると、彼も再び夢であるとおもい、吸っていたタバコを自分の手に押し付けた、火のついたまま、ぼくは悲しくて、友人の手を見た、黒く焼けどしていて、彼はあわてて、電話をしにいった、丁度、オフコースのLP overが出た冬で、その冬は繰り返しテープを聴いていた。ぼくにとっては、「言葉にできない」を聞くとあの寒い夜を思い出すんだ。あのときから、ぼくは彼の分まで生きようとおもった。
2009.12.23
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毎年、毎年、ここで述べてきていますが僕の嫌いなクリスマスがやってきます。どんなに楽しいわけでもないんだが、おそらく、アーチストたちも、クリスマスの歌を歌いながら、心の中では「うんざり、やすみたいな」と思うものでしょう。ぼくはおもうクリスマスの悪は、散々述べてきましたが一番のクリスマスの真髄は、「孤独感」の再認識であります。はたして、すべての人間が恋人がいて、あったかい家庭が持てておるのか?すさんだひとのほうがおおいのではないだろうか、クリスマス商戦はテレビを中心に行われ、購買意欲や消費運動促進のために米国主導で日本人を洗脳してきた「戦後日本人骨抜き作戦」の一環であると、かなり、もう以外妄想的なオピニオンであります。思い返せば、あなたのクリスマスのよるはすべて、幸福感で満ち溢れていましたか?フランダースの犬でネロが大聖堂の前で、凍死するのは実は日本人だけの物語、実に日本人はお涙頂戴物語、を愛しつつも、ネロが死のうが、怒りに満ちて抗議しないのです。日本人は、そのときだけの「悲しみ」を対岸で見学しながら、自分だけは「幸福」でありたいと、実現とうなのです。あ?なんで、日本人を批判しているのだローかクリスマスを批判しなけらばならないんだが、きっと君はこない、ひとりだけのクリスマスイブ。あの歌の真髄は、もてない男の歌なんですが、なぜか、遠距離恋愛の歌みたいに日本人に愛されてきた、まあ、いい歌ですが。心打つものには、単に幸福マンプクの歌ではヒットしない、別れの歌のほうが、心を打つ、それは、誰しもが持つ感情であるからクリスマスが待ちどうしくて、たのしみ、なんて日本人は自民党の支持率なみかも。あのとき、さみしいおもいをした、分かれた、振られた。そういう人のほうが多いのです、もてもての振り放題の金持ちボンボンは議員ぐらいしかいないだろう。ああ、なんか、今日は支離滅裂。え?いつも、支離滅裂。ああ、疲れてるんですよ。で、何の話だった?そう、伊東の群発地震が収まると、次になにか、でかいのがおこらないか、怖いのです。ああ、話がソ連、寝ます・
2009.12.22
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ことしも残すところ10DAYSになってしまいました。こんばんわ、あいかわらず、街は景気がわるいようです。ラーメンブームも過ぎ去り、あちこちにできていたラーメン店はことごとく閉店。ブームは過ぎ差知り街角。タクシーは少し忙しそうに忘年会の人を運ぶ。しかし、二次会で終わる様子。近距離でかせぐようだ、寒い夜はたいへん、何でこんな仕事してるのか情けなくなることもあるさどんな仕事でもそういうことあるだろうな、そういう中でも必死にやるかどうかだな。すかいらーくにいたころも、よく社員と話したが、「辞めたくなったとき、疑問におもうとき」がよくあるものだ、理不尽な苦情や、馬鹿なバイトの欠員や、無茶を言う本部やまあ、ぐちぐちいってもしかたない。「そう、思うなら、辞めればいいさ」といっていたもの批判めいていても結局、しがみついているならばやらないといけないんだな。御節の販売があと少しで売り切れなんですが、ここにきて売れなくなってきている、しかし、リピート率は92を超えてすさまじい昨年の出来はよかったようだ、それに、正月は家にいるのがおおいみたい。
2009.12.21
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こんばんわ。みなさん。1982年のアドレスを数年前から再びつかっている、もう、28年前になるだな、これが、もう、みんなアドレスがかわってるだろうけど、出してみることにした。昨年はあのみゆきちゃんの実家にだしてみたんだがやっぱり、宛名になし。と返送されてきた。そういえば、彼女はかわいそうなひとで、お父さんが銀行員で転勤ばかり、僕がいた学校に転校生としてきたのが、小学6年の春だった。それから、転校生というのはなかなか友人ができにくいもので、それはどこかで、「よそ者」であるという無意識が働くからであるのだとおもう、天真爛漫であったぼくは、きにせずどんどん話をしたらしい。。小学校を卒業し、同じ中学へゆくんだが、このころから意識し始めた。思春期というやつの、「初恋」とかいうやつ、このテーマはあれです。まさしく、村下孝蔵の歌詞どうり、校庭を走る君がいた。陸上部にはいるんですね、足がはやくて、ながくてすらっとしている。それに風になびく長い黒髪。冬はマフラーをまいて、また、それが僕のハートをずきんとくるんですね。小学も中学も最終学年がおんなじクラスです。年賀をだしたいんですが、だせないんですね。くるわけもない。そういう校庭を走る君は、ぼくのことなど眼中になく学校一番のかっこいい。野球部のエースにくぎづけなんです、ぼくはある瞬間を見てしまったんです、目撃というか、偶然、みゆきちゃんは、学校一の池面のそのエースに「交換日記独占」権を獲得していて、毎朝、待ちうけしていたのです。参りました。しかし、うわさによると、先輩はさほど学力がないので進学のために、日記程度の交際しか出来ないという事実。殆ど、蚊帳の外のぼく、しかも、放送部の部屋から外をみていたぼく、それも、二年になると放送部はつぶれ、しかたなくバレー部にはいる、バレー部は中庭。運動場からは見えない。また、そこにはエースアタッカーが二人もいて、人気者の男が3人もいましてバレー部の練習にきゃーきゃー、いいながら見ている女子がいて、再びぼくは、蚊帳の外。「うるさいんだよ!」と文句を言う僕に「あんたじゃあ、ないんだよ!」という女子。実に暗いぼくは、とうとう練習もさぼり。もちろんレギュラーにもなれずバレー部も三年になるとやめてしまった。何をやっても、根性のないぼく、家に帰ると、オフコースのレコードを聴きながらため息をつく。楽しみといえば深夜放送。はがきをたくさんかい、あることないこと投稿。勉強の成績はいいわけがない。読書の友は「時刻表」数字の羅列した国鉄の大判時刻表をみながら、空想のたびへ、1982年のアドレスにはみゆきちゃんの引越し先が載っていて、彼女は再び、高校を出て就職し、この街を出て行った。そして、その先の家も引っ越していない。その住所はある店の近くでなんどもそこへは仕事でいっていたのだが、あうこともなかった、といっても彼女はすぐに結婚するのだが、なぜに、こんなに昔のことを最近思い出すのかというとブログの自分語りで自分自身を「内見」することにより、精神的な変遷で自分がどういう風に今にいたり、こうなるのかがわかるのである。人と人がすれ違うなかで、何かの出会いや縁というものは大切であると思うのです。
2009.12.20
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こんばんわ、みなさん、昨日はさぼりまして、年賀などぉつくっていました文字を書こうと思いきや、字など書くのはあんまりない。汚い字でイヤになる。字を書くという行為は、脳をかなり使うみたいで、キーボードのなれてくるとキーボード的に文字を構成し思考しうるようで、脳の機能している部分が変質しておるのを感じだしだいです。その字を書くというのは、漢字など思い出したり、字の大きさなど、いろんなことを微妙に調整しているのだから、やはり、すごいことなんだとおもうんだ。全部、年賀手でかくとなると、もう、たいへん、到底無理を認識した。目の前になるのは20数年のわたりもらった年賀。どんどん捨てないとだめ、たまる一方、でも写真とかは捨てれないし、友人が結婚し、子供で来て、大きくなりいの。の歴史をみるのです。あのとき、赤ちゃんだったのに、と思うのに成人式になるとはね、と、いうわけで、本日はかなり寒く、つらい一日。伊東の群発地震が心配ですが、伊東伊豆はよく群発地震が過去になり、あの火山帯もあることながら、幕末の地震では、津波が発生し関東大震災では汽車ごと海に落ちることもあったんだな。地震はほんと、こわいよ。
2009.12.19
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こんばんわ。12月にはいり、加速度がつくように日々がすぎてゆく。「はやい!」もう、みんな正月の準備、おおそうじとか、買出しで動いている様子。もう、ルミナリエは終わり、ルミナリエ不況も収束。クリスマスのケーキが予約におわれ、人気のケーキ屋さんは一年で一番の忙しさ、忘年会のシーズン。といっても、僕は忘年会というものは、会社を辞めてからいっていない。会社のころは二回三回と飲みにいったもので、タクシーもなかなかなく、たいへんであった。極めつけが東京での「基本方針発表会」もう、12月それでなくても自分の休みがなくなるんだが、全国から集まる。知り合いの社員などは、阪神大震災のとき、最初の思ったことが不謹慎ながら「やっと、休める!」と思ったという、しかし、それどころではないのだが、伊豆で再び群発地震のようなかんじで起きているな、高知でも地震があった、プレートの動きに関連するものだろうか、富士山からずっとくだって、伊豆諸島は南国の島々が何万年もかけて移動してきてぶつかったものだという、上の部分だけスライドし、下の陸はもぐる。トラフという盆地状のプレートの境目で大きな震源地となるのだが、駿河湾から起点し太平洋の土佐沖、南海トラフをいうものまでが、いままでの大きな地震を起こした地帯、連続しておきる。三太郎地震、東海地震と東南海地震、南海地震と、さん連発で幕末の日本はえらいことのなったそうだ。常々僕の心配は、東海地震のとき、浜岡原発が、耐震できるかどうか、炉心の制御棒が抜け落ち、原子炉の暴走が始まり、融解した炉心ドームが破壊し汚染された煙があがり、放射能の雲は冬の風にのり、関東方面に達すると1500万人の人々が被害にあうかもしれない。阪神大震災6000人の命どころではない、1000兆円以上の関東圏の資産も破壊され家事がおきて、この家事もとんでもない火事で関東大震災のときの火災旋風はすさまじい人々を焼き殺した。昼間に起きたならば、東海新幹線が停止できるかどうかの不安もある、ユレダスという画期的な初震の感知を電波で自動的に新幹線司令室に送付し電源を即座に落とし、脱線のような停止をすることだろうけど、うまく、高架橋からの転落や脱線転覆をおこさず、止まれるかどうか、ここが心配、移動は逆に、飛行機のほうが安心。しかし、東北で起きた地震では、新幹線は脱線し、電源をおとし、停車。誰も怪我がなかった、あれはあんまり語られていないが、成功したのである。ただ、今度の地震は揺れ方は大きく長く、重力加速度が増すことが考えられ高架橋や河川上の鉄橋などで、どうなるか、予想しがたい。鉄道や道路が寸断され、関東区域の人々がどう避難するかが問題。そこに、放射能の雲が数時間後にくるとなればパニックになることだろう、都庁や国会などの主要なところは地下シェルターをひそかに作っていて食べ物もおいてあるらしい、これらも、そういう最悪のシナリオを想定してのこと、不思議なことに、世の中が大きく変わろうとしているときに大地震は起きている、歴史の転換はやはり、大地のサイクルと微妙に関連している。秀吉の時代に、慶長伏見の大地震が起きている、これは有馬高槻断層と琵琶湖周辺の地震の断層帯がうごいたんだとおもうんだけど、それから、秀吉がなくなる、関が原の戦いのあと、江戸幕府の時代になる。安政の大地震でも幕末の時代で、徳川時代がおわり、と、いうわけで、地震の話は来年の阪神大震災の1/17前あたりでします。
2009.12.17
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風がきつく冬の雲がゆく
2009.12.17
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こんばんわ、昨日はパソコンとプリンターと格闘し、なおかつひどいことになりプリンター、三台あるのですが、メニューを印刷したり仕事で使うのでそれが、次々と故障。インクを買ったんですが、もう、動かない。でたよ、またあの「廃ナントかがいっぱいになった・・。」とか、しかたなく、コジマで購入。これで4台、ついでに一台修理にだす。ああ、年賀状も山の用に仕事の印刷もあるんだがパソコンも二台つかっていて、どちらもぼろいんですが、メインが10年も使っている、なんと、98のOS,しかし、新しいパソコンのOSはそんなもん対応してない。殆どドキュメントは古いパソコンでXPには、音楽データーばかりいれてるのでXPに印刷したイのだが書類がない、パソコン同士のOSも違うのでデーター交換もできない。そこで考えたのが、メールで自分のアドレスの送り、それを受け取りデーターを移行。ほとんど原始的な行為で、気がつけば、朝の五時。3時間睡眠でも、仕事ができるのがすかいらーくで鍛えられた精神。体が疲れていても、意識はしんどいとはおもわない、時差ぼけも絶対しない。しかし、体はつかれているので、四肢の動きが散漫、で、今も2時だけで、起きている、どういうことやねんと、自分で思う。人の脳は基本的に24時間営業。で、なければ呼吸も止まるし、夢も見ない。すかいらーくのときは、自分でシフトを作成し、バイトのシフトやいろんなものを加味してつくり、朝7時から翌朝5時までの営業時間で、その中で欠員などの時間などを考えて作るのですが、どうしても無茶な勤務が生じる、次の勤務まで、3時間とか、睡眠一時間とか、で、それが終わり寝ないで東京に会議でゆく、意識混濁しながら疲労困憊。精度の高い仕事なんぞ、できるわけないさ、過労死して当然、しかしだ、いくら激務で時間がなくても若いからできる、し、いい加減な性格だからできる、ぼくはそういうアバウトでなけらばならないと、常々、後輩社員にいっていたのだ、自分で自分を追い込むな。一番、いけないのが、肉体的疲労を超越する、精神的な疲労だ。ほとんどが、パワハラである。僕もかなりのパワハラを浴びされらたが、パワハラをするやつは、あほな上司が多い、必ずどこか、隙をみせる。「こんな馬鹿な上司にはまけない」けんか腰で戦う。しかし、数名、会社に殺されてしまいました。ぼくは、常々、社員たちに言いました。「家族を大事にしなさいよ、時間を作りなさい」もし、あなたが、体を壊し、仕事できなくなって、看病してくれるのは家族です。いつか、会社も辞めるのです。家族を大事に出来ないような人間が、夢のあるしごとができるか?といいつつ、業績の上がらないぼくは、業務評価制度導入で、退職。まあ、リストラです。ぼくが入社した、1983年はまだまだ創業の匂いというのが残っていて、モラルの高いものであった。しかし、バイトの管理はずさんで、ヤンキーみたいなのが深夜の時間帯で残っていた。僕が入社した研修店舗では4人いて、そのなかでも法政大学の賢いやつがいた、松山の生まれで、いつか松山の店に帰る夢をもち入社。バイトの経験もない彼は、フロアーデろくな研修も受けれず、ワーカーとしてラインにはいる。仕事は自分で汗を流しながら会得するいうやつ。しかし、そこにはヤンキーのバイトがのさばり、研修生をあごで使う。「洗礼」というやつ、まずは、バイトとの戦いに勝ちのし上がるのですが、彼は些細なことで会社そのものに疑問を持つ。テーブルナフキンの悲劇。ぼくは、そう呼ぶ。深夜ともなると、テーブルの上にある砂糖や塩、ナフキンが切れる、マニュアルでは、お客様が取りやすいように、指ひとつ入るぐらいで補充する。まじめに、ゆるゆると、深夜、法政の彼はマニュアルで教えられたとおりにやる、しかし、ヤンキーの質の悪いバイトは「めいっぱい、いれなあかなん、いつまで、やっているんや、これやから大学出の研修生はいやになる」と暴言を吐く。彼は無視して適当にできないし、これからこの会社でやっていこうという自信が消え退職を決意。それも二ヶ月も経たぬうちに、あわてた会社は人事部のえらいさんまで出てきて、説得。説得むなしく。退職。いくじがないやつだ!というスーパーバイザーの言葉にぼくは半分納得。しかしだ、それから10数年、ばったりと、彼に会う。外資系のコンピュター関連の会社にはいり、でかい家を立て、ベンツにのっていた。ぼくは、あいた口がふさがらなかった。僕も何度もやめようとおもい、仕事をかわろうとした、つまらないことばかりで我慢して、店長になって、15年働いて。いま、独立という言葉はいいが、べんとうやのおっさんになってしまった。あのとき、やめた彼のほうが、よかったんだ、「あのとき、辞めて正解だったね」ぼくは、彼にそういった。彼は首を横に振った。「もう、次の会社では辞めずにふんばって、がんばった、 あの時辞めたのは心のどこかに常にひっかかっていて、いい生きはしない」といった、そうか、そういう葛藤と苦悩の上に彼の成功はあったのだ。まあ、僕は自由で楽しく生きているので、これでも、いいのだ。なんにしろ、岐路というのはそのときにどういうわけか、判断というものがある。同志社の友人は、あのとき、JALに入社、パーサーとかいうやつになった、あのときは、うらやましいとおもったよ、あっちは、スチューワデスとお仕事。ぼくは、パートのおばさんと、ランチ営業。この差はなんだ!と、いったものですが、今、JALはえらいことになっている。
2009.12.16
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から揚げが人気です。本日はこの一品と・・えびかつのとくせいです。
2009.12.16
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オフコースのことを熱心に取材し、残したひとがGBのフリーのライターの藤沢映子さんというかたが文章を、無許可で、紹介。GBというのはギターブックの略で、当時のアーチストたちが載っていた、オフコースもよく載っていて、ミニブックという付録みたいなのでツアーの紹介などをしている。松山、ということろはオフコースにとってなかなか、客が入らないところで何度いっても、満員にならない、高知は、盛り上がらない、音で観客がびっくりしているのが舞台からわかるそうだ、高松では、over ツアーでは、アンコール一曲しかしない、なぜ、しなかったのか、高松市民を冒?しているのだが松山のホテルにその日の間に移動し、CKインしないとだめだという理由でバスイ飛び乗るためだそうだ。どこにいっても、スタッフとかと、ゴルフにゆくのが小田さん、じっとしておれないのが性格、疲れていても、ゴルフにゆく。会場入りしても、じっとしておれないのが小田さん、仁を誘い、外で、「キャッチボールしよう!」と市民会館の横にでて、キャッチボール。びっくりするのは会場でコンサートに来ていたファンたち、50人ぐらいがそこでたむろしていた。みんな目をサラのようにして、小田さんと仁のキャッチボールを見ている。どんどん人が集まり始め、見かねたスタッフか、中止を懇願した。「おいおい、キャッチボールぐらいさせてくれよ・・」と、事態を理解しない、小田さんであった。一月から始まった、5人最後のツアー over6月までのフィナーレは長いたびであった、その間にもレコーディングもあり、そのあとにもNEXTのテレビ収録もあり、忙しい日々が続く。
2009.12.14
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こんばんわ、みなさん、本当に政局が混迷し、停滞しております。ましてや、宮内庁のばたばたは、恐れ多くも天皇陛下を政治利用のためにひきずりだし挙句の果てに、長官やめい!とかもうす始末。まさに、天狗になりにけりミンスの馬鹿ども。まさに、これはシナリオどうりかも。小沢といえば、あの田中角栄の番頭といわれた、一番弟子。田中角栄といえば、総理大臣でありながら、東京高検に逮捕された「ロッキード事件」あの事件は黒幕として、米国の政治が絡み、田中のおっさんが、中国と国交を回復し中国への支援などを行い、日本が中国と仲良くなるのをけん制すること意味合いもあった、といううわさ。あの小沢が、修学旅行のように中国にいき、なんとかという、次のエンペラーのために、帝をひっぱりだす約束に、米国の黒幕はマスコミやCIAや工作員を使い、小沢アンドはとぽっぽー撃墜作戦を立てているだろう。だいたい、郵政民営化したのは国益であるためだったのだが、株を売って株価市場を刺激すれば景気の支えになるはずだし、株売却すれば赤字国債の発行枚数を減らせるのではないか。亀井のおっさんのご機嫌とりのほうが、大事なのか?日本が中国と組めば、米国は脅威に感じる。朝鮮半島が統一されて北が消滅すれば、東アジアは平穏になり、米国基地は役目がなくなる、ロシアへの監視もあるけれど、基地はその時点でいらなくなる、普天間どうのこうの、いっている間に解決したりする、どうみても、小沢の胡散臭さは角栄ウォークにもある、歩き方から体型までにてきている。ここで一番、攻撃すべき政敵にある、自民ぼんぼん党がよわいんだな、小沢よ、おごる平家久しからずだ、連某のビキニ写真でもみておけばいいよ。
2009.12.14
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1979年10月、練習スタジオの中で、小田さんはつぶやく。「 あの歌詞、間違えた・・。」採り終えたばかりのシングル用の歌詞を間違えたことをくやむ。オフコースカンパニーのスタッフがシングルレコードのジャケットを選定していた。沖縄で撮った、5人でならんでるの、あれがいいよ。タムジンの写真はアーチストたちに人気で数多くのアーチストたちがLPのジャケに使用していた。スタッフが聞く?「こんどのシングル、どうですか?満足ゆくものでしたか?」満足ゆくもの そのワードは禁止。小田さんはテレながらも「こんなに、売れせんを意識してつくったことがないよ・・。」と、誰ともなく、つぶやく。ぼくは、その意味を考えているのだが、多分、おそらく、推測であるが、小田さんが「さよなら」を作るときに出てきたのは映画のような情景。映画館で、監督が映画の出来を観客と見るように第三者の目で、歌詞を選んだのだ、貪欲な売れせんでなく。まあ、ここでヒットを出したい、という社長の願望もあった。そう小田さんは常に経営もしなけらばならないのだ。「もう、終わりだね、君が小さく見える 僕は 思わず 君をだきしめそうになる 」もともとはこれが、歌詞だった。僕は 思わず 君をだきしめたくなる と、歌った、後のほうが印象的で 「たくなる」という言葉が心の伝わるものとなる。意識的にそうしたのか、いつもの迷いがおきたのか、定かではない。さよなら さよなら さよならこのさびは音が広がりクライマックス感をだすために絶妙な 三回目のさよならのあとに、ああ がはいる、その ああ も鈴木康博の声が一番高くひびき、ひとし、松尾がはもり音を支える、さよなら さよなら さよならの盛り上がりを見せるために、その前の間奏が実に、泣いて、溜めている、オフコースの音楽はイーグルスに影響を受けている、ギターが泣く。この間奏はたとえば、バンバンの「いちご白書をもう一度」のにも影響を受けている、この歌をヒットしてから、オフコースのアコギさを好きなコアなファンは去り、若い中学生などの女の子が熱をあげ始めた、ファンが入れ替わりつつありより、ロック色が強まり、電子的な音楽へと力がはいる。、といっても、スリーアンドツーのツアーでは、古い歌も入れていたが、「この歌がオフコースにとって、思い出深い歌」と、小田さんが言うのはいろんなことが周りで起きて変化して、自分たちも知らずにかわってゆき1982年6月の 活動停止にたどり着くのである。さよなら愛を止めないでオフコース
2009.12.13
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1982年の武道館「さよなら」の演奏の前には小田さんのMCがはいる。「どうも、ありがとう」で終わる日もあれば、長々と話す日もある。「僕たちにとって、思い出深い歌です。オフコースというバンドを作って、三人だったり、四人だったりそういうことを経て、二人になって、ようやく二人だけの「僕の贈り物」というオリジナルのアルバムをつくり、二人で何年か、やってアルバムを作ってきました、そのあと、三人が入ってきて、出したアルバムもどんどん増えて、僕は、5人になってから、ほんのすこししか、経っていないような気がする、いつの間にか二人のときより5人のときのほうがアルバムの数も増えて、信じられないような感じですが・・。特にこの二、三年というのは一ヶ月や二ヶ月のような感覚で過ぎていった。一年はこんなに早いものか、つくづく最近思いますが、どんなことでも、最近は懐かしく思い出されるこのごろです。こんな曲も僕等にとって、ずいぶん懐かしくなってしまいました。」ピンスポットが小田さんのキーボードの上に、松尾さんの12弦ギターがなり音がかさなりはじめ、小田さんのイントロのあの切ないフレーズが始まる。「さよなら」の楽曲は1979年12月。僕が高校三年のときでた、あの瞬間を覚えている、ヤングタウンの月曜日、つるべの番組で23時過ぎだったと思う、中村ゆきのぶが、すごいいい歌がでました、オフコースの歌です。と、発売前の東芝EMIから送られた試聴盤を流したのである。僕はいまだにその瞬間を覚えている、この歌がすばらしいことはもちろん、オフコースがブレークするのは間違えないと思い、反面さみしくもあり、よくぞ、ここまで9年も苦労したんだと思う反面、彼らの運命もそれで左右されてゆくのであった。歌詞のすばらしさも、アレンジも、さびの印象ぶかさも、小田さんのシャウトもさよならさよならさよなら のさびのひとしのべースのきざみかたもすばらしくいいのだ、しかし、この歌のピッチは小田さんの調子で若干変動したような気がする。「さよなら」が出て、年を超えて80年代に入る、そのときのヒットしていたのが「贈る言葉」であった、オフコース時代はベストワンは一度も取れなかったし、シングルでミリオンはなかったと思う。しかし、同時期に出た「スリーアンドツー」は何週も一位を保持し、彼らの音楽に対する姿勢を感じるのである。「さよなら」がでて、ファン層が広がり、テレビにもでない、ラジオでも語らない、おしゃべりなほかのまっさんや千春、こうせつなどとは違い、謎が謎を呼び、オフコースの作品はどんどんさかのぼり購入され、チケットの入手は困難を極めた、はがきによる応募もそのせいだろう、女の子たちが徹夜で並ぶ姿は危険であったのだ。そのはがきも武道館のライブで53万通もきたのだ。まさに、絶頂であったが、その中で一人、疑問を抱くのがヤスであった。彼は最後まで真相を話していないのだが、オフコースのバンドのメンバーでありながらソロである、という、スタンスは、当時、なかった、けじめをつけるのである。親の反対を押し切り、内定までけって、音楽の道にゆき、一人でいろんな音楽をやってみたい、オフコースの枠で捕らえられるのがイヤであったのだろうと、思う。しかしながら、オフコースは小田さんのボーカルがメインと思われがちだがヤスの役割は大きく、そもそも、ヤスが小田さんを引き込んで音楽を始めたのだから小田さんが、ヤスのギターを聴くときも、コーラスを聴くときもその寂しげな顔の表情を見ればわかる。一番哀しいのは小田さんがヤスの気持ちを汲めなかったことなのかもしれない。ここ
2009.12.12
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こんばんわ、みなさん、大学の下宿の話を考えて思い出してするんだけど構想というか、話の筋ができないというか、挫折している。深夜ラジオの話もそのあたり、リンクしていて、話が進まない、で、思い出されるのはファミレスの話ばかりだ、今日、ウエンデイーズというハンバーガー屋が全店閉店のニュースが出た、ゼンショーが資本を撤退するということが理由だろう、ハンバーガーではマックが一人勝ちである、何で、日本はこうなるのか、と思った、もっと、いろんな店があっていいのではないか、と思うのです、70年代から80年代にかけて、外食は将来性のある業態であった。その理由は市場がまだ成熟しておらず、ほとんどが新規新興の会社で、チェーン展開もまだまだえあったから、僕の家の近くにはA&Wというハンバーガー屋があった。実においしかったのである、確か米国のチェーンであったとおもうが、なぜか、ぽつんと、一軒だけあった。そのお店もいまはない。マックにやられたのである。ぼくのいたすかいらーくも広島岡山四国などの地域に出店攻撃をかけたときにその地域には、どこかでみたようなファミレスがたくさんあった。広島にはカダングループというローカルチェーンがあり、九州のロイヤルが店を出していた、ぜんぜん知らない土地で僕らはその土地の競合たちに負けないように、店を切り盛りする。しかし、相手は昔からある店、なかなか勝てない。最初は新店ラッシュで死ぬほどお客さんが入り、回しきれない、料理は出ない、ろくな商品がでない、バイトやパートを使い教えながら料理をだすのだが、これたいへんで、厳しく関西弁で教えるので、どんどんやめてゆく、教えても教えてもやめてゆく、100人採用して訓練しても9割はやめてゆく。参るのであった。今思うに、なんであんなにきつく、切れて怒ったのか?とおもうのであった。丁度、昭和61年ごろか、全店に、ストコンがはいり、ストコンというのはストアーコントロラーというもので、要するに発注など全部が電子化されたのです。その導入研修の間、引越しや新店の準備で受けることが出来ず、なんと店のものだれもしらないまま、商品管理計画も知らずに店があいた。それに、ぼくはキッチンのリーダーであったのだが、店長と馬が合わず、意思の疎通が出来にくいヒトデ、数々の失敗やハプニングに巻き込まれていった。「君が作った店は失敗だった」こう、言われてへこむ。いろんな思い出が詰まった店は、遠い昔の昭和のおわりごろ、その話も数多くありますのでまたの機会に、食材の発注ができない、適当に工場から送られてくるものを使いながらランチをおこない、こまったのはポタージュスープだった。広島のほかの店は、貸してくれない、隣の岡山までゆくか?という話になって、じゃあ、つくろうか、ということで、コーン缶を何缶もつぶしてシノアでこしてつくったおもいでがある、
2009.12.11
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こんばんわ、みなさん、日本の街が急速に変化し街は元気がない。見渡す限りの老人で遊びまわる子供たちもみかけない。店店のシャッターは閉じられ、閉店の張り紙がおおい。消費のありかたが変貌しデフレがそれを余計に推進し、スーパーは安売りを重ね、値段の感覚が狂い、安いものを無意識に目でおうようになる。投資家や資本家たちは汗を流さす労働もさほどせず、出来るだけ楽をして儲けようとする、自分が動いては損をするという考え。損得勘定が敏感。円高になり、輸入品は恩恵を受けるが、輸出するものは損になる。日本が輸出大国で経済を支えてきたことが、余計に悪循環にデフレを推進する。中東のドバイでバブルが崩壊し、韓国では今住宅バブルが起きているという、いろんな国の余波が円を買うという行為になり、円相場が反応している。この現象もグローバル経済の流れであり、影響を受けやすい国であるということ。福祉大国になる未来には、間接税の大幅な上げで、労働意欲生産意欲が低下するのではないかとおもう。自由資本主義は貧富の差が発生る様な構造である、おきて当然のようにおもうのが金持ちぼんぼんの議員である。彼らにこの危機を乗り越えられるか?そこが問題、普天間のことを解決できないのだし、自分の金も汚れている総理にだんだんと不信感が出てきて当然であろう。
2009.12.10
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1978年四月に出たシングル。メンバーは五人でも、正式メンバーでない、珍しい音源をみつけたんです。ここ中野サンプラザです、秋行くまちでですかねFMのようなのノイズ
2009.12.10
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NHK「坂之上の雲」が人気があるという、西郷隆盛の西南戦争の「跳ぶが如く」に続く明治の日本人を描く長編作品。ながいのである、とにかく、両方とも長い。学生のときに司馬先生の歴史の物語にはまり、すべての作品を読んだ、もちろん、竜馬がゆく も読んで、土佐にいって、石造を拝んできた。日本が今、昔の偉大なる日本を再認識し、今のどうしようもない時代を払拭しようと心の根底にあるのだとおもう、とにかく、司馬先生の本は面白い、そこにその人物が実在しているのだが「余談だが・・。」といつもはなしがずれて、いろんなことを教えてくれる。「菜の花の沖」も好きで、うちの先祖の関係もあり、司馬先生が昔の書物で、うちの先祖を批判されていたことを面白く読んだ。と、話がずれる。余談ですが、その話は、灘の酒を江戸に下る「樽廻船」という話になり、もともと江戸時代には秀吉が築いていた、流通ルートがあり、菱垣廻船という千石舟が日本の各地を産物をのせて回遊していた。その樽廻船というのは発想としては今のコンテナ船の今元であり、いかにできたての酒をすばやく載せて、江戸の送るかということで樽廻船が発明されていた。その樽を作っていたのが、うちの先祖で、その屋号が「長七」ということです。樽というものは吉野杉で作られていて、釘などを一本もつかわず、竹で絞めてできるのですが、その杉を買い付けに奈良の山奥までいったそうです。そして、杉を乾燥させて、円形に整形する作業が、丸かんなという道具の発明によりできたのです、司馬先生によると、不確かであるが、灘のどこかで発明されて桶にふたをし、頑丈にさせ、詮をし、上からわる、鏡わりや下の詮からだし、陶器の徳利をかして、販売するという方法がとられた、丸かんなというしろものが今どうなっているかしらないがおそらく、三木や西脇あたりで作られてかんな職人がいたんだとおもう、で、司馬さん話によると、樽屋ふぜいが、江戸での灘酒の販売好況で売り上げをのばしえらそうに、していた。ということを書いていた。昔は、ビンもなく、紙パックもなく、樽という輸送手段が重宝され醤油もすべて、それでおこなわれていた。江戸の昔の店で、酒と食べ物を安くうりさばき、大繁盛したという瓦版をみたことがある、その秘密は、酒をたくさんうって、そのあいた樽を再び、売って利益をとる、という秘密があったという、樽の話にもどるが、偶然に、その容器で江戸まで太平洋の粗なみでもまれると「透明感のある、すんだ、辛口の酒」が、杉のある物質のより化学変化をもたらすという。その杉も樹齢80年を超えたものでないといけなく、なかの木も赤みと白イ部分があるとこを厳選するらしい、その杉の成分は欧州のバーボンがオーク材をつかうという原理と同じもので、モルトの熟成もその樽での役目が大きい。その化学成分が、実はおもいだせない、なんとかべんぜんだったか、お酒のおいしさは、お水で決まり、宮水という、西宮の水で六甲のおいしいみずではなく、その場所でしか採取できない、国道43号線と171の合流地点の近くに今もある。硬度のたかい、要するに六甲の花崗岩と地下にある「貝殻の化石」のような部分があるところを通過して水がおいしい、酒にあうという、それを発見した人が桜正宗の創業者であったと、司馬氏は述べている、その水と、樽と、米である、ああ、話がながすきました、あと、人と、いろんなものがあって、素晴らしい商品が成り立つ。ということを言いたかった、坂之上の雲 の話も実にその後の、ポーツマス条約で小村寿太郎が苦労した話よりも203高地での悲惨な戦いが印象深い、あのあたりに日本陸軍のおろかさを小説で書きたかったんだと思うですが、司馬遼太郎『坂の上の雲』
2009.12.10
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こんばんわ、みなさん、僕の店のHPを作り直していますがもう、つかれてしまいました。どうも、ぼくはセンスがないようで、ここ考えてみると、僕らの大学の時にはまだ、パソコンもない、PC9800というのが出てきたぐらいで、ワープロもない時代だったな、だから、パソコンも自分で覚えて、ワードも、表計算のやつも本当に苦難の道であった。年賀ジョウをだすために、最初、買ったようなもの、あれは93年にマックを購入。30マンはしたとおもう、年賀以外はろくにつかいもせず、だめになり、3年でおわる、年賀ジョウ一枚のコストは相当高いものとなった。パソコンがわからない初心者、「ょ」とかの小文字の打ち方で一晩悩んだこともアル。やはり、画期的なことはあのウインドウズ95の発売だろう、ネットサーフィンやりまくり、チャットにはまり。いろいろな友人が増えて今は一人も残っていないが、何名かとあって話した、「オフ会」とかいうやつ、僕は仕事柄参加できない、僕も店にどんどん、チャット友人が来てしげしげとぼくをみる、あれは本当に実は、変な体験であった。東京に会議でいったときに、その宿泊した街の近くにチャットの友人がいておどろいて、彼が飛んであいにきたこともあった。しかし、あれも変なやつが紛れてきて、崩壊、もう誰もそこにいかなくなり消滅。年賀状で思い出すのは、早く出しすぎて郵便のおっさんも気が利かなくて早くつきすぎたことがあった。年内について、どうすんねん。年毎に年賀は減少しているらしい、お正月を家族で迎えるの減少。おせちを作る人も減少。風物詩が消えてゆく、たこあげもこままわしもべったんも、ぼくはよくしたもんだ、いま、そういうの、まったくない。そういう僕も、ファミレ巣時代は紅白なんか、見たことないし、年越しは冷凍庫の棚卸であった。店長になり、カウントダウンを店でやり、従業員と乾杯!をしだした、お客さんもびっくり。よくもまあ、バイトの子たちも正月から仕事してくれたとおもう。おせちの販売か新記録の目標を達成するだろう、ちらしもかなりいれて、宣伝して9月から動いているんだ。なんと、昨年の注文者の90%がリピートした、ありがたいことです。食ざいの選定発注もすでにおわり、容器の発注と、おかざりの選定。これも早くやらなけらば、リピーターは、容器(おせちおじゅう)を持参してもらう。これが、どんどん店に来て、店の棚と言う棚が、おじゅうだらけになる。すでに50人以上の人が持参、なかには、どこにいったんか、わからん、とか、一年間、中を洗わずに、さわらがでてきた、とか、もう、いろんなことがあります。一番大変はおくさんの「舌」です、味見で、もうしたが麻痺してくるらしい。弁当を買わないが、御節を買うというひとがたくさんいて、弁当もかってねといいたいところ。
2009.12.09
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こんばんわ、みなさん、さむくなってきたねカキフライがよく出るようになってきましたカキフライDX弁当 750円です。本日は三木の知り合いの人がくれたいもで煮物が一品つきますよ。ポン酢おろしとんかつ定です。540円でした、本日はいっきにいそがしくなりランチは大変な賑わいでありやんした。みなさん、お元気ですか?僕は少々お疲れモードであります。忙しくなってきたんですが、いまいち。先日は消費者物価指数の定点CKがこられた、しかし、9月のデーターをくれたのだが、うちの店はあんまり変動していないが弁当はデフレ戦争状態で、400円の幕の内が相場となっておる、思いかえすと、昨年のトレンドとま逆の動きであり、あの毒餃子事件で石油高騰などによりインフレの動きであった、グラフの動きは物価指数は下落。うちの弁当は幕の内500円。値段でなくて、品質であるといいたいが、民はもうすでに、毒餃子事件を忘却の彼方、円高還元で輸入のヤス売を求めさまよう。デフレで動くのはとくに高齢者年金家族。もしくは、生活困窮者いたしかたない、しかし、それらが余計に、日本の経済をグローバル戦争に落としいれ日本の生産者が泣いているのがわからない、まちまちの「酒屋」さんたちはどんどん閉店している。商店街は閑古鳥、夕暮れになると、弁当をその前に通過するときに中をみると、店のひとたちは、呆然と、来ない通過する人々をみている。あの気持ちは痛いほどわかるさ、僕もそうだから。しかし、ここで生き残るかどうか、運命の別れみち。暇であると、しなければならないことは山のようにあるはずだ、ありがとうございます。というお客さんに心から言えるだろう大きな会社にいたころは、そういう気持ちはわからなかったよ、
2009.12.08
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小田和正とTBS、9回目のクリスマス…。『クリスマスの約束』は、アーティスト・小田和正が持つ卓越した表現力を余すことなくお伝えする番組。過去8回の放送で、常に「最良のライブ番組」として数多くの賛辞を得、7年連続で同時間帯占拠率トップの視聴率を獲得している。そして2009年…。62歳を迎えた小田和正は、今もなお、ミュージックシーンの第一線を走り続け、同世代だけでなく音楽業界全体を牽引する存在である。その小田和正が今回前代未聞の企画を行う!それは、小田和正が「前からずっとやってみたかった企画」。総勢21組34名に及ぶアーティストたちが一堂に会し、それぞれの代表曲を全員で支え合い、歌い継いで行く、ノンストップの大メドレーだ。小田和正の想いに、キャリアや年齢に関係なく賛同したアーティストたちは、多忙なスケジュールを調整しあい、数ヶ月に及ぶ企画会議を重ねた。苦悩と不安の 4ヶ月…そして「奇跡の瞬間」を信じて行ってきたリハーサル。辿り着いたのは楽譜13枚に及ぶ大メドレーだった。タイトルは《22分50秒》。TBSさんのページから・・ゲスト: AIAqua TimezいきものがかりキマグレンCrystal Kay財津和夫佐藤竹善清水翔太JUJUスキマスイッチ鈴木雅之STARDUST REVUE中村 中夏川りみ一青 窈平原綾香広瀬香美藤井フミヤ松たか子山本潤子(50音順)2009年12月25日(金)深夜23:59からお見逃しなく!!
2009.12.07
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こんばんわ。ピタゴラスの定理をおもいだしているぼくです中学の算数のあれです。紀元前のひと、ピタゴラス。彼は数学を起こしたひとであったとおもうが、床のタイルを見て考えたとわれる。天才は普通の風景を見ても、何らかのヒントを得ることができる、しかし、それは常に疑問と真実を求める姿勢があるからであろう。今日はおわり、
2009.12.06
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オフコースの残した作品で個人的に一番思い入れがあり、すきなのはoverこの作品はオフコースの創立以来のメンバーである鈴木康博が脱退し、オフコースが休止するという時期に、オフコースがオフコースへのレクイエム的なものであったようなきがする。全体的なトーンとしてそういうものを感じるんだ、こんばんわ、みなさん、12月に出たこのアルバムは予約していながらなかなか聞くことだ出来なかった。19歳のときに出た、1981年12月24日午後4時45分、友人が死んだ、そのときの感情と、そのLPから落としたカセットを何回も何回も下宿でヘッドホーンで大音量で聞きながらラジカセのレベルメーターの針をみていると、、寝ていた。友人が死んだよく一週間で僕は20歳になり、20歳の原点を模索したが、何もみつからない。オフコースが好きでもオフコースの詳しいことはぜんぜん知らない、ただただ、音楽が好きだった、オフコースは人気が出ず、やっとブレークすると休止、皮肉な世の中だ、まったく、勉強もする気起こらない、その勉強をする目的はなんだろうか、と思うとだめだ、さっぱりな後期試験、授業もサボっていて、必修のテストさえ受けないのがあった、何するものでなく漂うようなもの。なぜか、暗いといわれる歌が大好きだった、自分自身の不可思議の答えが混じっていてそうで、
2009.12.05
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それでは、チケットをお渡しします。あれ?武道館でない、武道館の前には長い長い行列。ツアートラックの文字「over」の上に数多くのラクガキ。入場。二階席までびっしり。ざわめき、緊張にもかんじられる、やっと、きたという感慨をあなたは感じた、ビートルズナンバーが会場に流れ、微妙な雰囲気。招待客が時間差で入場。岩崎宏美、坂本龍一、矢野顕子、八神純子、TUILP、こうせつ、もんた、ハウンドドッグ、そして、中島みゆきの姿もあった。数多くのアーチストがオフコースの終焉を見ていたのだ。午後6時40分。ビートルのナンバー、「ハードストナイト・・」がフェイドアウトしてゆく。アリーナ席の明かりがゆっくりと消え、ステージ、一階客席、二階席と順番に明かりが落とされ、緊張の空気がながれる。はじまる。誰の声もせきも聞こえない、静寂と暗転がひろがる。禁煙の文字がひかり、沈黙の中、ステージを見つめる一万の観衆、ステージの中央に、一筋のレーザー光線が流れ、「心はなれて」のインストが流れる、LP over に入る曲、テーマ曲である。管弦が流れ、静 をか持ち出す。オフコースは「静」「動」に使い分けがとてもうまく、聞き手にその音楽にのめりこまセル技術があった。ざわめきが歓声にかわり、暗闇をメンバーが所定につく。あちこちから歓声がでる。「小田さーーん!」一斉に照明がはじかれる。真っ白なステージが、もっと真っ白に。その浮かびあげる光景は先ほどの暗転になれた目がまばゆく、ステージがスモークが立ちこめ異次元のような「白」を輝かせる。大音響とともに「愛の中へ」が始まる。メンバーは気持ちよく演奏を始める、小田さんはヤスのギターの音を記憶にのこそうとしているようだ。小田さんはこの日が来ることを一番、○○であったろう。ヤスのコーラスやシンコペーションを聴くたびに小田さんは微妙な動揺で半音揺れるように歌う。
2009.12.05
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こんばんわ、みなさん、小田さんのクリスマスの約束がどっかのページでネタばれしていた。あれはルール違反です。すごいメドレーをするらしいです。街にはイルミネーションの光があふれ、すごいうちなんか、ラブホ?とおもうぐらい、ぎんぎらしている。弁当を配達している夜に、毎年、クリスマスのイルミネーションを家に飾るんだけど、いやうちでなく、いろんな家がね、ひとつの家がはじめると競い合うんだ。見栄を張るように、おそらく、子供が叫ぶんだろうね「なんで、うちはしないの?えーん」とね。そういえば、僕の家もこいのぼりのないし、ツリーもないし。まあ、あのころはなかったよ、最近はLEDのランプになり、一段と電気代が安くなり、よく光るという。しかし、日本人は他人に影響を受けるというか、だれがはじめたのか、知らないがもう、飽きている家もあるだろうよ。神戸ルミナリエが始まると、またもやひまになるんだね、みんなが見に行くとほかの場所にひとがいなくなる、それで、店店が文句を神戸市に言って、クリスマスの前に神戸ルミナリエは終わるんです。矛盾しているのですが。大丸から市役所にかけての人が多く、人が流れて、即座に家にかえり。なかなか、お金を使わない。カップルもお金ないので、けちけちしてます。そういえば、カップルとアベックの単語の語彙の違いはなんですかね。アベックという言葉も死語になりつつあるらしいですが。
2009.12.04
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こんばんわ、みなさん、年賀状の宛名書きはほとんどパソコン。これが楽しかったのが数年、後は味気のないものに、印刷した文字はきれいであっても心が見えない、私の恩師の小学6年のときの先生に、ずっと年賀状をだしているが、もう11歳のときからだから37年も、先生は必ず、木版づりをおこなう、宛名は自分で書く、このスタンスを変えない、すごいことだ。友人のだんなのお父さんがなくなり、あの喪中がきた、これからもどんどんくるだろう、遠く、一宮の友人なので、卒業後あったことがない、しかし、いろんなことがあったんだろうと、どういう経緯で亡くなられたのか、自分の母のとき死んだときの衝撃を思い出し、たいへんだったのか、とおもう、しかし、声のかけようもない。大学の時に、クラスの友人たちの働き盛りの父親がどんどんなくなった。あのときは友人たちは大変な経験していたとおもう、学費はどうして工面したのか?など、そういえば、僕の妻も大学のときに父親を食道がんでなくしている、あれから彼女の人生観は変貌したという。喪中であっても、文言を変えて、手紙はだそうかとおもう、さみしいから、年賀状は手書きのほうがいいと、最近思うようになったが、字を書く習慣は減る一方、キーボードはたたけるのがはやくなった、誤字脱字当て字おかまいなしですが。95歳を超えるひとがいっていたが、年賀状は出す相手が鬼籍になり、もう出すことが年々苦痛になったと、言っていた。長生きも大変な覚悟がいるのかもしれない。「不毛地帯」今夜もみたね、しかし、面白いドラマ、昭和というのをよく描いていて、東京市電を走らせていたのですが、CGだとおもうのですが、よく出来ているなとおもいました、都会には市電というすばらしいエコなものがあって、便利であったんですね、それにしても会社ということろが、よく描けていると思います、机の上にはパソコンなんてじゃまなものがない、あれに今は殆ど独占されて、モニターが壁を作り、どうも、あの風景はよくないとおもう、社員同士の関係も個人主義的で冷めていて、あの時代と今はぜんぜん違う。オールウェイズ、三丁目のなんとか、というDVDを以前みたけど、あれはノスタルジーすぎて、ストリー展開もつまらなくて、すぐに見るのやめた、あれは面白くない、上野駅に入線するSLもよくCGで描けていたが、だめ、あれは本当の蒸気を知らないやつが作ったとおもった、機関士の描き方がだめすぎ、会社の話ですが、ぼくのいたとこも、95年ごろだったか評価には「絶対評価」「相対評価」みたいなものがあり、ボーナスの原資を考察すると相対評価でないといけないのですが、それまでは「等級別評価システム」を採用し、一からどんどんきざんで上に上がるというもので、その等級ランクないでの仕事制度の評価が賞与に反映されていた。それを全部まとめて等級の枠をこえて、毎月評価をし、順位をだすとか言い出した。御用組合は文句もいわず、もちろんやる気を起こさせるべきものが、なくすものへと変貌していった。加点方式から原点方式になり、モラルがダウンしていった、人事評価制度の精度を上げて正当な評価をしないと会社全体は崩壊してゆく。いい社員たちは去ってゆき、自分のことだけを尊重する風土になり協力したり教育したりというものが薄れつつあったのだ。専門職の評価が一番の難点であるのだけれど、レストランの場合は専門のスキルを要求しつつも正当な評価というものはなかなか困難、評価制度がかわり、年間100人を超える店長が退職した、ぼくもそのひとり。数多くの経験を積んだ財産を喪失させていたのだ、それも意図的に退職を誘導し、そういう経緯があり、複合的にだめになっていったんだとおもう、日本全般の会社もそうだ、あのころの会社には団結力があって、弱いものもできないものも、助け合いながら業績をあげていた、団結力を増すために、社員旅行模したり、忘年会をしたり、そういうのが今は減りつつある。海外に負けることを悔しいと思う人々は何人いるのだろうか、と思う。
2009.12.03
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今日は雨。雨にむせぶ港
2009.12.03
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ばんわ、みなさん、もう朝ですが不眠症の僕です。さっきまで自分の店のページを作成していました。金があれば外注するのですが、金もないので、もうグ茶口あの自分のお店のページをつぶしてしまい。まあ、見てください、未完成ですが、ここ本日もランチ、妻がんばる、野菜スープ、ベーコンきゃべつ。ポテトサラダ、これはまた手作りでおいしい。そひて、トマトとピーマンと牛肉のオイスター味特製やきそば、(長い)やきそばなんです。スパではないんです。今日もあんまり売れなかったです、しかし、競合他店をみてもどこもかしこもお客さんがいない。うちの兵庫区は、弁当屋が多すぎ、デリバーの店もおおすぎ。ほっかは二店、かまどやも三軒、ほかに6店もある、参る、競争おおすぎ。本日は某大手hkがのり弁当200円で販売。デフレスパイラルストライクだ!「もう、このさい、ただにすればいいいのでは?」と思うのだ。というもののその店もローカルチェーンのしんてんが至近距離にできて、戦争をしているのだ。そこは390円で販売。幕の内。持久戦ですな、これじゃ疲労して倒れたほうが負け、大手のFC店舗もやり方は実に汚い。売れている店があると必ずもうひとつ店を出す、自社競合。配達をしてない店があれば、その近くの店はわざわざ、バイクのシールを張らず、ノーマークにして自社店舗の客をとる。汚い、そういう戦いを見ていると、中国の戦国三国志を思い出すのである。戦いの勝利するものは強者ではなく、弱者であっても「大義名分」があるものである、歴史は常に弱者が強者を倒す、価格破壊の掟破りは誰がしたのか?実は1994年のガストではないかと思う。あれで完全にFRは崩壊した、僕自身も崩壊し、1983年から築き上げてきたものがいっきにくずれて、へコンでいたのを思い出す。ぼくはいつか、懐かしいファミレスの店を出したい。子供たちが笑顔で、若いカップルがデートを楽しめる、落ち着いた、静かな、時間を楽しめる、ファミレスの話も山のように記憶していますので、ここで書いてゆきます、金があれば自費デ本も出したい。下宿の話もおわっていませんが、これも構想がつまっていまして、書いてゆく。誰しもが持つ思い出の場所というものがある。来年んおGWにみせで下宿の同窓会をしたいと思う、そこには、20歳で死んだ友人の両親も招待したいと計画。しかし、夢は山のようにありながら、いまだに空転アイドリングです。とりあえず、おやすみ。ここ
2009.12.02
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スパサラダカレーー風味 今日スープがつきます。メインはベーコンととりにくとぶろっこりーの・・。
2009.12.01
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