まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2021.03.18
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うわわわわ…


漱石ーーー!!!
漱石ーーー!!!


せつないし、報われな~い!
しかもニューヨークに島流し~!(ToT)/~~~



…まーねー。

サリーという恋人がありながら、
碧のほうへ横恋慕してしまった漱石が悪いのだし、
しかも、その想いは最後まで変わらなかったし、
彼の自業自得といえば自業自得なのだけど、


彼女を愛せなかったことへの贖罪の気持ちだったのかな。

まあ、サリーもサリーで、
漱石にストーカーはしていたものの、
それは愛と呼べる感情ではなかったみたいだし、

結局、
漱石とサリーのあいだには、
ほんとうの愛情はなかったのかもしれません。

ここらへんは、
非常に解釈の難しいところで、
今後、いろいろな考察もされるべきだと思いました。




最終的に、

漱石でもなく、
風雅でもなく、
ゴンちゃんでもなく、

象印を選んだ。

ってことなのだとわたしは思うけれど、



…そして、
報われなかったといえば、

鼻毛先生もまた、
なんだか「物分かりのいい咬ませ犬」的な役どころに終わって、
ちょっと気の毒な感じがしました。



碧は、
風雅や漱石と別れたけど、
かといってゴンちゃんを選んだわけではない。

空も、
鼻毛先生と別れたけど、
かといって光を選んだかどうかは分からない。

つまり、この最終回って、
一見、まったりと穏やか内容ではあったけど、
考えようによっては、
美人母娘のお眼鏡に適わなかった男子たちの死体が、
累々と転がった感じのラストでもあるのです。



その意味でこそ "かぐや姫" 的な物語だったのです。
「月を欲する民」とは、かぐや姫を求める若武者のことだった。







恋とは呼べない気持ち。
名前のつけられない関係。
それを失くしたくないのなら、守らなければならない。
…というのが本作のテーマではあったのだけど、

はたから見れば、
それは女子のご都合主義的なわがままであって、
あくまで女子の側の一方的な意向で、
容赦なく男子の取捨選択がおこなわれたようにも見える。

出産をしたり、堕胎をしたり、
場合によっては一人で子育てしたりする女子には、
みずからの幸せを選ぶ権利があるのだし、
クズ男に対しては復讐する権利だってある。
その権利の行使のドラマだったともいえます。

そして、

なぜか俊一郎ジイサンだけが、
孫ほども若い娘とラブラブに終わるという斬新な結末!(笑)
なんだか分からないけど、めちゃ画期的っ?!

これは、
「恋なき時代」の新しい物語として、
かなり論議を呼ぶものではないでしょうか。

わたしは、ここに、
北川悦吏子の攻撃性さえ感じ取ることができるし、
時代に対してナイフ突きつけてる気もするし、
場合によっては未来を見捨ててる気もしますね。

よくもわるくも問題作ではないかしら?




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最終更新日  2021.07.13 17:12:56


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