まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2023.08.11
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順序が逆になりますが、
あらためて第18週の内容について。



祖母の代まで、
長きにわたって栄えつづけた峰屋は、
なぜ綾が当主に代わった途端に、
腐造を出して潰れてしまったのでしょうか?

竹雄や、従業員や、分家の人々は、
けっして「綾のせいじゃない」と言ってくれたので、




…けれど、実際には、
「綾のせいだ」と言う人もいただろうし、
長田育恵の脚本も、そんなに甘くないのよね。

むしろ長田育恵は、
あえて「綾の責任」を疑わせるような伏線を、
いくえにも張り巡らしていた、というほうが正しい。
ある意味で、綾への厳しい仕打ちともいえる脚本でした。



綾の責任を疑わせる伏線は、次の2点に集約される。


2.火入れのタイミングをずらしたこと。


実際、

「女が入ると酒の神が怒って腐造を出す」
と叱られてましたし、

綾が組合の設立を呼び掛けたときも、
他の蔵元の男たちから同じことを言われていました。

竹雄はそれに対して、

「綾さんこそが酒蔵の女神じゃ!」
「あなたの言葉は呪いじゃなくて言祝ぎじゃ!」
と言ってみせたのだけれど…

結果的には、
子供のころから浴びつづけた呪いのほうが、
予言のように当たってしまったわけです。




もちろん、
前代の当主も祖母だったのだから、
女性が当主になることに問題はなかったはずです。

とはいえ、
「女が酒蔵に入ると腐造を出す」というのは、
あながち迷信と言い切れないところもあって…

当時の女性は、
糠床を作ることが多かったため、
異質な乳酸菌をもちこむリスクはあったらしい。
https://jp.sake-times.com/think/study/sake_g_no-woman-admitted

もっとも、綾の場合は、
子供のころに叱られて以来、
酒蔵には足を踏み入れなかったはずなので、
それが腐造の原因になった可能性は低いのですが。



むしろ、
それ以上に疑わしいのは「火入れ」の問題です。

綾は、新しい酒を造るために、
「火入れ」のタイミングをずらしていました。
しかも、試験作だけでなく、
主力商品の「峰の月」まで火入れを遅らせていた。

もちろん、
それが原因かどうかは分からないけれど、
結果的には「峰の月」が火落ちして、
いっきに廃業へと追い込まれてしまったのです。



この脚本は、おそらく意図的だと思います。

史実ははっきり分かりませんが、
一般的に、実家の廃業の原因は、
牧野富太郎への金銭的支援といわれてるはず。

にもかかわらず、長田育恵は、
そのエピソードをあえて作り変え、
「女の当主が腐造を出した」 という話にしたのです。

それは、ひとつには、
「主人公の万太郎を悪者にしないため」でもあろうけれど、
たんにそれだけだとは思えません。

そもそも実家で酒蔵の当主になったのは、
綾のモデルにあたる牧野猶ではなく、
竹雄のモデルの井上和之助だったわけだから、
その史実に沿っていれば、
「新しい当主が腐造を出した話」として、
ただの不運なエピソードで済んでいたはずです。



しかし、長田育恵は、
あえて綾を当主にすることで、
彼女に対する"仕打ち"を与えたといえる。

それは綾の人格に対する仕打ちではなく、
近代性への安易な信仰を戒めるための仕打ちです。



もちろん綾には何の悪意もありません。

彼女の中にあったのは、
酒への純粋な愛情であり、
家業を支える人々への善意であり、
新しい時代へ立ち向かう勇敢な冒険心でした。

しかし、残念ながら、
たんに愛情と善意と冒険心だけでは、
伝統や因習を打ち破ることは出来ません。



科学的な根拠もないのに、
迷信じみた因習を信じることはできません。

しかし、だからといって、
それをむやみには捨てられないのですよね。
なぜなら、そこには、
経験値や統計的な必然性があるかもしれないから。

むしろ、
伝統や因習を乗り越えるためにこそ、
はっきりとした科学的根拠が必要になる。

たしかに現在では、
女性の杜氏もたくさん存在していますが、
それは科学的な裏付けがあってこそです。
むやみやたらに伝統を否定した結果ではありません。

伝統や因習を打ち破ることや、
男女差別やジェンダーの観念を打ち破ることが、
ただちに近代性に結びつくわけではない。
それを打ち破るためには、
やっぱり 科学的な根拠が必要なのだ ということ。

あるいは、
伝統や因習を乗り越えるためには、
そのための多くの失敗も要するのであって、
その失敗を乗り越えることこそが近代性への一歩だ、
…という教訓を示した脚本にも見えます。



余談ですが…

仙石屋の桜を枯らしたのは天狗巣病菌。
峰の月を火落ちさせたのは火落ち菌。
長女の園子を死なせたのは麻疹ウィルス。

いずれも微生物でした。

藤丸くんは菌類の研究を志してますが、
万太郎は菌類には関心をもたなかったし、
彼の植物分類学は微生物の脅威には無力でした。

おそらく、
長田育恵がこういう物語にしたのは、
現代人がいまだ微生物の脅威に勝利しきれず、
コロナウイルスにも抗体保有率で上回るしかない、
…という現実を意識したからでもあるのでしょう。

科学はまだ万全ではないし、その限界を知ることも必要です。
場合によっては、伝統的な経験値を尊重しなければならない。



なお、
朝井まかてと大森美香の話は明日以降にしますw


尾瀬あきら「夏子の酒」石川雅之「もやしもん」


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最終更新日  2023.12.31 13:53:10


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