まいかのあーだこーだ

まいかのあーだこーだ

2024.03.22
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カテゴリ: メディア問題。
TBS「不適切にもほどがある!」第8話。


> 見てないアンチによるSNSの批判投稿と、
> それを拡散させるコタツ記事だ

…という話。



まさにこれを逆に利用したのが、
成田悠輔とキリンの炎上商法なのだろうなと思う。

その「氷結無糖」のウェブ広告を実際に見た人って、
じつは少ないと思います。わたしも見てないし。

大々的なテレビCMでもないし、
ネットのなかでさえ、たいしたCM出稿量ではなかったはず。


そして、実態としては、
最小限の広告費用とCM出稿量で、
最大限の炎上による広告効果をあげた可能性があります。

実際のところ、
キリンへの不買運動などが起こったとは考えにくい。

アルコール好きの人間が、
わざわざ自分の選択肢をせばめて、
アサヒやサッポロの商品だけで我慢するとは思えないし、
集団でのバッシングをためらわない人々が、
自分の生活の質を犠牲にしてまで、
消費行動を倫理的に制限するとも思えない。


炎上して「氷結無糖」の商品名が連呼されたことで、
かえって売り上げが伸びてる可能性もあるのよね。

キリンも、成田悠輔も、
ブランドイメージへの影響もふくめ、
そこらへんをしたたかに検証してるに違いない。



一部では、成田悠輔への攻撃が、
「リベラル派からなされてる」という見方もあるけど、
これも本当のところは疑わしい。

たしかに、
「弱者の側に立つ」のはリベラル派の価値観だけど、
「年寄りを敬う」のは保守派の価値観というべきです。

むしろ実際には、
そうした政治的な信条よりも、
ただの個人的な好悪と憂さ晴らしで攻撃してる人間が、
大多数じゃないかと思います。



成田が口にした「集団自決」とは、
おそらく雇用や社会保障にかんする一つの意見表明であって、
ほんとうの集団自決など、
するわけもなければ、させられるわけもないのだから、

それは本人が弁明するまでもなく、
最初から《比喩》としてしか解釈しようがないし、
その《比喩》の本意を確かめなければ何の議論も始まらない。
本来なら《比喩》そのものを炎上させても意味がありません。

しかし、
成田がわざわざ過激な比喩を用いたのは、
あえて「炎上」を想定してのことだ、ともいえます。

実際のところ、
炎上を誘発させることでしか社会的な議論が活性化しない、
…という面はあるのかもしれません。



成田の主張でもっとも注目すべき点は、
この「炎上」という現象をポジティブに捉えているところ。

賛否が割れることによる社会的な激論は、
むしろ民主主義にとって必要な手続きなのだから、
それ自体はけっして悪いことではありません。

たしかに現状を見ると、
過度に気に病んだり、自殺したりする人がいるので、
どうしても「炎上」はネガティブに捉えられがちだけど、

賛否が割れて社会的な議論が起こることは必要だし、
それを忌避する発想のほうがむしろ間違っている。



炎上にかんして、
「気に病むほうが悪い」とか、
「自殺するほうが悪い」などと言ったら、
これまた炎上するかもしれないけど、

一般に、日本人は、
炎上に対する耐性がなさすぎるのよね。

それは議論に慣れていないからであり、
その反面で「数の力」を信じすぎているからです。

数の力で他人を叩けると信じる人間ほど、
自分自身が数の力で叩かれることにおののきます。



そもそも、
議論のための有効なロジックを構築できない人間ほど、
安易に「数の力」に依存しがちになるのよね。

ネットの世界には、
わざわざ数を偽装して水増しするバカも大勢いる。
ロジックではなく「数の力」で勝とうとするからです。

そして、TwitterやInstagram は、
こうした「数への依存」を逆手に取ったサービスを提供してる。
ユーザーたちは、
その企業戦略にまんまと乗せられて、
フォロワーの数やいいねの数を増やすことに必死になっている。



日本で炎上がネガティブに捉えられるのは、
「和をもって尊しとなす」
みたいな古い価値観が支配してるせいでもあります。

賛否が割れて激論が沸き起こることは、
その「和」が乱れた状態だとして忌避されがちで、
公の場で議論すべき問題点を指摘することも、
その「和」を乱す行為として忌避されてしまう。

賛否の割れるような現実を覆い隠して、
表向きの「和」を装いつづけることが美徳になる。

誰もがうすうす問題点を認識していながら、
それをあえて口にしないことが、
日本人としての賢さなのだと信じられている。

いちいち問題点を指摘する人間のほうが、
かえって空気の読めない邪魔者だと排除されてしまう。

そうやって、
あらゆる現場で改善すべき問題点が先送りされ、
社会はどんどん機能不全に陥っていくのだけど、

それでもなお多くの日本人は、
「和をもって尊しとなす」
という精神性を金科玉条のごとく信じています。



意見が割れるのは当たり前なのだし、
それをぶつけ合わなければ解決策は見えてこないのだから、
炎上に耐えられる人間が一定の割合まで増えなければ、
日本にまともな民主主義は実現しないというべきです。

もちろん、
「見ないで批判するSNS投稿」や、
「コタツ記事」の無責任さの問題はあるけれど、

それは、無責任さというよりも、
たんにリテラシーのなさと言ったほうが正しい。
つまり、
「バカなんだから仕方がない」ってことです。
比喩かどうかを判断するのもリテラシーの問題になる。

一定の割合でバカが存在することを前提に、
社会設計をしていくよりほかに仕方がありません。
基本的に「バカは死んでも治らない」のだから。



炎上に対処する方法は大きく2つです。

ひとつは徹底して無視すること。
炎上させることに自分の存在意義を見出してる人たちは、
無視されることで自分の存在意義が乏しい現実に失望します。



そして、
もうひとつは炎上を逆手に取ることです。

自分たちの攻撃には意義がある…と思わせて、
あたかも攻撃側が勝利したかのごとく錯覚させながら、
実際は攻撃された側にメリットが生まれるように戦略を立てること。

もちろん企業による炎上商法もその一例ですが、

それだけではなく、
民主主義的な議論の活性化など、
炎上現象を社会的な意義のある展開へと仕向けること。

言い換えるなら、
バカどもの炎上エネルギーを社会的に有効活用する発想こそが、
今後はいっそう必要とされていくのだと思います。



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最終更新日  2024.06.17 20:38:25


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