撮影日記 0
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24系寝台客車編:寝台特急「ゆうづる」寝台特急「ゆうづる」は、昭和40年10月1日ダイヤ改正で誕生した、上野~青森を結ぶ寝台特急です。1年早く誕生した「はくつる」とは異なり、常磐線経由となっているのが特徴。また、583系電車寝台との複合体系を持ち、最盛期には7往復が設定されていました。使用寝台客車は20系が最初ですが、その後東海道スジに25形が導入された玉突きで14系や24系24形が使用されるようになり、さらには関西スジの特急の整理によって発生した24系25形の初期車(0番台)も導入され、ブルトレとして誕生した客車のうち14系15形以外は全て使用したことになります。昭和52年頃 上野駅にて カニ24 0番台初期車写真の様子から上野駅19番線でしょうか。20系から24系化されて間もない頃の写真だと思います。カニ240番台の初期車はマイクロスカートと呼ばれる妻面裾の長いタイプで、先行車であるマヤ24(後のカヤ24)の形態を受け継いだスタイルとなっています。昭和53年頃 上野駅にて オハネフ24昭和53年時点においては、2段式B寝台は24系25形のみであり、14系や24系は3段式寝台のままでした。その後改造によりごく一部の車両を除いて2段化されることになりますが、「ゆうづる」では客車3段式、客車2段式、電車3段式と、個室を除く全ての寝台種別を使用していたことになります。(※「北斗星」への移行準備として、最末期にA寝台2人個室が連結されていました。)昭和54年頃 大宮駅にて カニ24 0番台後期車写真は東大宮操への回送列車を大宮駅で捉えたもので、東京では夜しか撮れない電源車を明るい時間に撮ることができる唯一のチャンスでした。それでも上野駅に5時代に到着してしまう客車「ゆうづる」の送り回送も早朝であり、夏場でないと撮影は難しかったと思います。カニ240番代の後期車は前出のマイクロスカートが廃止され、スマートな印象の面構えになっています。昭和54年頃 大宮駅にて カヤ2424系24形用として誕生した白帯の電源車です。登場当初はマヤ24を名乗り「電源車」としての種別となっていましたが、その後、荷物輸送の必要性から業務用室を荷物室に改造され、荷重が増えた分カヤを名乗るようになりました。本来ならばこの時点でカニと変更されてもおかしくないのですが、何故か生涯カヤを名乗ったまま終わっています。昭和57年5月 南浦和~浦和間にて カヤ24を最後尾にした25形の回送この列車も東大宮操へのヒルネ回送ですね。本来であれば既存の24系24形と対を成すべきカヤ24ですが、関西~九州夜行時代から何故か25形と編成を組む機会が多く、青森運転所へ転属されてからもこのような編成が多く見られました。写真の編成も、関西から移動してきた25形0番台で構成された、A寝台を連結しないモノクラスタイプの編成のようです。ちなみにオハネフ250番台ですが、同車は両栓構造となっており、関西時代は6両編成単位で車掌室が外側を向くようにキレイに編成されていましたが、青森へ転属して来た際にオハネフ24と同様に車掌室を青森方へ揃えてしまったようで、最後の写真でもその様子が判ります。
2024.09.14
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189系 M11編成(松本車):特急「あずさ」国鉄時代末期よりグレードアップ化など進化を続けた松本区の189系。長野オリンピックを機にグレードアップ色から長野色へと変化。E351系「スーパーあずさ」誕生後も183系を交えて活躍を続けましたが、E257系による置き換えにより定期運用から撤退しました。定期運用撤退後も波動用としてごく一部の長野色が残存しましたが、平成30年に豊田車の189系全廃により「あずさ」色編成が消滅してしまいました。国鉄時代~平成期においても殆ど中央東線の撮影はしたことがない中で、確か1枚だけ189系長野色の現役時代の写真があったと思って探していたところ、ポジスキャンをしてあった1枚を発見することができました。撮影時期不詳 新宿駅にて 189系M11編成 特急「あずさ」この時代は駅撮り写真をとにかく嫌っており、地方に撮影に行った時くらいしかホームで写真を撮ることはありませんでした。なぜこの写真を撮ったのか全く記憶がなかったのですが、おそらくは初代グレードアップ色が消滅し、新長野色へ移行されて間もない頃だったので珍しくて撮ったものと思われます。当時この辺りに写真を撮りに行った記憶もまるでないので、もしかしたらMAMIYAに修理で出掛けたついでとかかもしれません。遠くから小さめに撮影したようですが、アップにしてみたところ編成札が確認でき、M11編成であることが判りました。調べてみますと、このM11編成はグレードアップ車両が指定席・自由席の割り当てに合っていない唯一の変則編成だそうで、189系定期列車からの撤退後、なんと豊田車M50編成の元となった編成だそうです。これまで写真の存在すら曖昧になっていたものですので、調査によってつながった驚きと喜びを噛みしめました。『183系・189系:特急「あずさ」』189系:臨時特急「あずさ銀嶺」
2024.09.10
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485系:特急「たざわ」「たざわ」は、田沢湖線電化に際して急行列車を格上げして誕生した特急で、盛岡~秋田間のアクセスがメインとなっていました。車両は短編成化された485系が使用されていました。昭和61年9月8日 鷹ノ巣~前山間?にて「たざわ」も一部が青森前で延伸して運転されていまいした。優等列車過疎となる秋田~青森間では、寝台列車の昼間利用すら特急列車として利用される区間でもあり、これらが走らない時間帯は「いなほ」や「白鳥」といった列車を利用するしかありません。さらにこれらをカバーするため、「たざわ」や「むつ」等を設定していたようです。写真は「日本海」待ちの間にちょうど来たため撮影したものです。田沢湖線への撮影は行ったことがありませんので、私としては同列車を捉えた最初で最後のシーンとなります。この後、田沢湖線は新在連絡新幹線に改軌され、新幹線「こまち」となって現在に至るのはご承知のとおりです。
2024.09.09
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185系(157系色):臨時特急「そよかぜ」(その2)平成24年、夏臨で185系の臨時特急「そよかぜ」が2度設定されました。前回、7月に運転された時の『185系(157系色):臨時特急「そよかぜ」(その1)』に続き、今回は、平成24年9月8日(土)に運転されたOM08編成「そよかぜ」ご紹介したいと思います。回9972M 送込み回送 特急「そよかぜ」 9025M前頭は遠過ぎたのでトリミングしてます。後部後追いは草ボーボーで場所の選択ミスでした・・・。185系 特急「そよかぜ」 9026M順光を選んで後部後追いメインで撮ってみました。回9973M 入庫回送やはり7月に比べて暗くなりましたね。陽も雲に遮られ、かなり厳しい条件下となりました。南行ケトにカブられたため、トリミングでカットしています。当時の感想として、東武との協定関係で難しくなければ「日光」とか「なすの」とか、架空ですが「くろいそ」なんかもと思っていたようですが、その後は設定されることなく、平成27年2月の運転を最後に踊り子色に塗り替えられてしまいました。183系幕張車:特急「そよかぜ」489系 :特急「そよかぜ」
2024.09.08
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185系OM03編成:特急「あかぎ」JRになって永らく変化に乏しかったOM車でしたが、平成22年秋に185系いじりが始まります。強化スカートへの変更と同じころ、なんと湘南色に化けて登場します。それも急行塗装ではなく、80系湘南色という意表を突く出で立ちで登場しました。平成22年10月9日の新宿発着「草津」でお披露目デビューを行いましたが、その数日前から一般運用にも充当されるようになりました。平成22年10月17日 「あかぎ4号」平成22年12月12日 「あかぎ6号」平成23年2月6日 「あかぎ4号」平成24年3月3日 「あかぎ4号」平成24年5月27日 「あかぎ6号」平成24年6月2日 「あかぎ4号」特急車両に無理やり施工した80系塗はどうしても無理があるように見えますが、これが165系塗装だったらどうでしょうかね?自分的にポイントだったのはサロのグリーン帯。これはなかなか良いなと思いました。185系OM車:特急「あかぎ」(その1)185系OM車:特急「あかぎ」(その2)
2024.09.04
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485系:東武鉄道直通特急「きぬがわ」以前にご紹介いたしました『485系:東武鉄道直通特急「日光」』と同じく、鬼怒川温泉を結ぶ乗り入れ特急として「きぬがわ」が運転されるようになりました。平成18年のこととなります。東武鉄道100系スペーシアを使用した「スペーシアきぬがわ」も同様に共通となります。平成19年5月4日 東武鉄道日光線 板倉東洋大前~柳生間にて 「きぬがわ4号」乗り入れ1周年記念のステッカーが貼ってありました。平成23年1月30日 「きぬがわ4号」「日光」に比べ、あまり写真を撮っていなかったです。大体は貨物列車撮影のついでが多かったので、時間帯が良くなかったかもしれません。ほかに2コマありましたが、同じ構図なので省略します。平成23年春のダイヤ改正後、同年4月16日に後進253系1000番台に置き換わる予定でしたが、東日本大震災の影響により、6月3日まで同編成が使用されました。189系彩野編成:東武鉄道直通特急「日光」
2024.08.28
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EF641000番台牽引:寝台特急「北陸」昭和50年3月ダイヤ改正において、それまで寝台急行として運転されてきた急行「北陸2号」を特急列車に格上げし、20系寝台特急「北陸」として上野~金沢間の運転を開始しました。運転開始当初は、直流区間を長岡運転所のEF58が牽引していましたが、EF641000番代が誕生し、昭和56年10月頃よりこれを置き換えました。また、寝台客車についても、山陽~九州のブルトレ削減による余剰を受け、20系から14系寝台客車にグレードアップされています。なお、長岡~金沢間については、EF81牽引によるスルー運転を行っていました。平成19年6月17日 EF641052牽引デジカメ購入で地元での写真を25年振りくらいに再開した頃。撮影ポジションもデジカメの性能にも慣れず、非常に厳しいものでした。平成20年5月5日 EF641052牽引平成20年5月17日 EF641051牽引「北陸」の地元通過は5時過ぎ。急行「能登」の続行でした。余りにも早い時間のため、撮影できるのはGW直前くらいから8月いっぱいぐらいでしたかね。平成20年5月18日 EF641032牽引浦和駅高架化工事に伴う貨物線への迂回運転。ろくな写真が撮れなかった中で、ブレずに一番良く撮れたのがこの写真でした。平成20年6月14日 EF641031牽引平成20年7月12日 EF641052牽引駅前のタワーマンションは工事が始まったばかり。まだ基礎工事くらいでしょうか?平成21年4月19日 EF641053牽引平成21年5月3日 EF641052牽引平成21年5月23日 EF641051牽引珍しく地元ではなく赤羽~東十条で。平成21年6月7日 EF641053牽引早切りの構図悪写真。バックのマンションは建設中。平成21年7月20日 EF641051牽引平成21年8月16日 EF641031牽引平成22年2月14日 機番不明平成22年2月19日 機番不明ここ数年のダイヤ改正発表は、前年の12月初旬くらいに発表されることが多くなっていました。昼間の列車ならともかく、早朝着で夏場しか撮影のできないブルトレには酷な情報となります。当時はISO200が限界のコンデジだったため、今のように「なんとかここまで」というような写真は非常に厳しいものでした。最後の改正前2発の写真も、完全な真っ暗闇の中を見送るしかありませんでした。平成29年11月11日 EF6437 尾久車両センターにて平成30年5月26日 EF6437 大宮総合車両センターにて寝台特急「あけぼの」の牽引機が青森のEF81から長岡のEF64に移行された際、長岡には一般型の37号機・38号機が所属していましたが、「北陸」とのマッチングをキャッチすることは最後までありませんでした。
2024.08.27
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185系OM車:特急「あかぎ」(その2)前回の(その1)に続き、185系OM車のスカート交換後からチョイスしてみます。平成22年10月16日 「あかぎ4号」平成22年10月17日 「あかぎ6号」平成22年12月25日 「あかぎ4号」平成23年1月9日 「あかぎ4号」平成22年7月頃?から徐々にスカートがゴツイものに変更され、ちょっと厳つい表情になりました。この頃はまだ14両編成が主流でした。平成23年3月6日 迂回「あかぎ4号」浦和駅の高架化工事により、OM車14連が貨物線を走ることが時としてありました。通常ではこのような設定は無く、極めて異例と言えます。平成24年4月8日 「あかぎ4号」平成24年4月29日 「あかぎ4号」平成24年6月2日 「あかぎ6号」平成25年3月24日 「あかぎ6号」平成25年12月8日 「あかぎ4号」平成24年3月のダイヤ改正において、特急「水上」が廃止となり、これに合わせて1往復を除いて7両の短編成化が実施されてしまいました。平成24年6月15日 「あかぎ4号」平日朝上りの「あかぎ4号」は14連のまま存置しています。しかし、折り返しとなる「草津1号」が7両編成となるため、「あかぎ」14連の入庫回送、7連「草津」の送り込み回送をそれぞれ続行するという、大変非効率な運用が組まれました。※休日は「あかぎ4号」が7連となるため、折り返し「草津1号」にそのまま充当され、回送列車は設定されません。平成25年3月のダイヤ改正において、田町車両センターの廃止によって異動してきた185系も加わり、非常に変化に富んだ「あかぎ」が見られるようになりました。これについては別途アーカイブいたします。
2024.08.16
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185系OM車:特急「あかぎ」(その1)昭和57年11月、上越新幹線の大宮暫定開業に合わせ、それまで急行列車として運転されていた「あかぎ」が特急列車に格上げされます。登場時から185系を使用しており、誕生から既に30年が経過しましたが、車両がリニューアル改造された以外には、あまり変化が見られません。そんな特急「あかぎ」ですが、平成25年3月のダイヤ改正において、常磐線「スーパーひたち」で使用していた651系が使われることになりました。今回は、この30年続いた185系を総括する意味でアーカイブしておきたいと思います。まずは(その1)として、185系OM車のスカート交換前の画像を集めてみました。平成20年1月14日 「あかぎ4号」平成21年1月12日 「あかぎ4号」平成21年1月17日 「あかぎ4号」平成21年5月3日 「あかぎ6号」平成22年2月6日 「あかぎ4号」新宿発着の「あかぎ」以外は、14連という長い編成であったことが特徴でしょうか?今ではちょっと凛々しくなった顔も、オリジナルの形態は大人しめ、柔らかい感じがします。(その2)に続きます。
2024.08.11
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EF80牽引:寝台特急「ゆうづる」寝台特急「ゆうづる」は、昭和40年10月1日ダイヤ改正で誕生した、上野~青森を結ぶ寝台特急です。1年早く誕生した「はくつる」とは異なり、常磐線経由となっているのが特徴。登場当初は20系客車を使用していましたが、その後24系、25形化も行われています。また、583系電車寝台との複合体系を持ち、最盛期には7往復が設定されていました。上野発では取手~藤代間で交直セクションがあり、都心からの距離も近いため、EF80により水戸又は平(現いわき)までを牽引していました。昭和51年 大宮駅にて50・3ダイヤ改正により、客車「ゆうづる」は4往復の設定となりました。そのうち2本は尾久客車区への推進回送後、カマを付け替えて東大宮操車場まで送られました。写真はナハネフ21を次位に連結した回送列車。昭和55年7月23日 蕨~南浦和にて EF8015牽引 回送列車昭和55年7月23日 蕨~南浦和にて EF8034牽引 回送列車尾久客車区の収容能力の限界により、東大宮操車場へ回送される客車「ゆうづる」。この2本は非常に近接した時間に次々と送られました。それだけ緊迫していたと言うことでしょう。客車は「はやぶさ」「富士」「出雲」の25形化により玉突きとなった24系に代わっています。東北線の地元でも見ることが出来たラッキーな存在でしたが、かなり早朝での時間帯であり、ヘッドマークも付いていないことから、あまり執着することはありませんでした。昭和52年 上野~尾久間にて EF801牽引 推進回送「ゆうづる」の客車編成は、全て推進回送が行われていました。ラッキーにも1号機でしたが、突然でしたのでこんなロケーションでした。昭和55年8月13日 上野駅にて EF8033牽引 「ゆうづる7号」お盆輸送の時期なので、夜行急行を待つ帰省客でごった返す上野駅。この時代でも、まだまだ特急列車・寝台列車は高級な乗り物でした。それを物語るシーンですね。昭和56年3月9日 上野駅にて EF8010牽引 24系25形「ゆうづる」北海道へ旅立つ前に撮った写真。私は何故か夜行急行「佐渡」に乗りましたが・・・。「ゆうづる」には、関西における相次ぐ廃止で余剰となった24系25形も使用されるようになりました。20系時代からも通して、ブルートレインらしい編成美を保っていた良き時代です。その後、ヘッドマークが復活し、EF80の最後を飾ることが出来たのですが、残念ながらその時期の写真は撮っていませんでした。そして、交直接続の任をEF81に譲り、EF80は幕を閉じることになりました。オマケ画像平成22年5月22日 大宮総合車両センターにて EF8036公開された保存車には、期待どおり「ゆうづる」のヘッドマークが掲げられました。昭和40年代半ばまでと、EF80牽引の最末期には、このようなヘッドマーク付きのEF80が実際に見られました。保存されるものと思いきや、この36号機もあっけなく解体されてしまいました。[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 3064-1 EF80 1次形KATO Nゲージ EF80 一次形 鉄道模型 3064-198845 国鉄 24系24形特急寝台客車(ゆうづる)基本セット(6両)[TOMIX]【送料無料】《発売済・在庫品》98846 国鉄 24系24形特急寝台客車(ゆうづる)増結セット(6両)[TOMIX]【送料無料】《発売済・在庫品》
2024.08.10
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EF81(展示):寝台特急「ゆうづる」常磐線の交流電化後から特急「ゆうづる」を牽引してきたEF80も早くから老朽化が始まり、後継機への交代が必要となります。国鉄末期の59・2ダイヤ改正で貨物列車の大幅削減が発生し、EF80に余剰が発生すると共に、羽越本線で余剰となったEF81が大量に常磐線へやってきました。ここで、寝台特急「ゆうづる」の牽引もEF81牽引へと移行することになります。しかし、この時代は極端に駅撮り写真を撮らなくなってしまい、リアルタイムに撮影することはありませんでした。平成20年11月22日 尾久車両センターにて EF8186平成22年10月9日 京葉車両センターにて EF8181平成22年11月20日 尾久車両センターにて EF81133平成23年10月15日 大宮総合車両センターにて EF8181平成24年11月10日 尾久車両センターにて EF8181平成27年11月14日 尾久車両センターにて EF8181平成28年5月28日 大宮総合車両センターにて EF8181平成29年11月11日 尾久車両センターにて EF81139EF80からバトンタッチを受けた昭和60年頃から、青函トンネルの開業による「北斗星」化への発展的解消まで見ることが出来ました。こうしたなつかしいブルトレ牽引機の展示は人気でしたが、コロナの影響で展示が中止に。さらに再開と思えば予約制や有料化での実施。見る気も失せました。そしていよいよ、これらのカマも完全引退が迫って来たようです。
2024.08.04
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キハ84形:特急「フラノエクスプレス」フラノエクスプレスは、国鉄が「アルファコンチネンタルエクスプレス」の好評に続いて昭和61年に誕生させたキハ80系改造のジョイフルトレインで、改造車でありながら北海道初のブルーリボン賞を受賞した車両です。登場当初は3両編成でしたが、後に1両が追加改造され4両編成となっています。C623を撮りに行ったついでのものですが、この回は釧路から上陸し、釧網本線~石北本線~深名線と走りこんだ時に撮影したものです。※撮影は、平成3年7月10日、根室本線 富良野~島ノ下間にて。特急「フラノエクスプレス」当時、こういった改造車にはあまり興味が無かったですし、団体運用や提携企画が多かったので、敢えて狙いに行ったこともありませんでした。この頃になると、引退が噂されていて敢えて撮ったのかもしれませんが、残念ながらあまり憶えていません。何とも怪しい空模様ですが、このあと、富良野の街中でワイパーが利かないほどの豪雨に遭い、喫茶店に避難したことを憶えています。街中の道路が濁流の川と化していましたね。それも今となっては「フラノエクスプレス」と共に遠い記憶です。
2024.07.19
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EF65牽引 20系寝台客車:寝台特急「あけぼの」特急「あけぼの」は、昭和45年10月に誕生した奥羽本線初となる寝台特急。実際には毎日運転の臨時特急として前倒しで設定されたそうです。登場当初から20系寝台客車を使用し、1往復による運転で登場しますが、利用好調により昭和48年10月ダイヤ改正で秋田行きが1往復増発されます。さらに、昭和57年11月のダイヤ改正で急行「津軽」1往復を格上げし、3往復体制となりました。軽量客車の宿命で老朽化の激しかった20系客車。昭和50年代になると早くも老朽廃車が多くなり、全国でも最後の20系客車使用の定期寝台特急となった「あけぼの」も、昭和55年10月ダイヤ改正で24系に置き換えられることになりました。直流区間の牽引機は、専ら宇都宮運転所のEF651000番台が担当していました。EF65PFは、東北本線の高速列車における象徴のような存在でした。※臨時特急「あけぼの」には、EF58やEF57が牽引していた記録があるようです。今回は、20系が活躍していた時代の寝台特急「あけぼの」の写真をご紹介したいと思います。昭和51年頃 上野駅にてリコーオートハーフを使用していた時代なので、残念ながらブレブレです。ナンバーの読み取りは厳しいのですが、印象としては1045号機のように見えます。ヘッドマークがないため、撮影の狙いは後部のナハネフ22でした。ホーム端にあるごみ運搬用のカゴも懐かしく、この写真の数年後、バイトでこのカゴを引くようになるとは思ってもいませんでした。昭和52年頃 蕨~西川口間にて マニ20一眼レフの導入により、ある程度走行写真もそれなりに撮れるようになった時期。夏休みくらいでしょうか、早朝から撮影に出ることもあったようです。この頃になると、特徴のある電源車の写真も撮りたくなったみたいで、ヘッドマークのない機関車は重点とせず、2両目に連なる電源車に目標が定まった構図です。この写真では、次位にマニ20が連結されています。登場時のパイオニア形式ですが、荷物室のサイズが仇となり、登場時の3両の製造に留まりました。マニ20は、昭和52年中に廃車・形式消滅となってしまったようなので、この写真も最晩年の活躍のシーンとなってしまったようです。昭和52年頃 蕨~西川口間にて カニ22こちらも同じような構図ですが、次位にはパンタグラフを撤去したカニ22が連結されています。この頃は、既に武骨なスタイルのカニ22が大好きになっていました。当時は荷物車の連結位置が上野寄りと決まっており、上野駅からの回送もすべて推進運転となっていましたので、電源車の顔を撮るには夜の上野駅へ出向くしかありません。しかし、今の世の中と違い、中学生ではそのような行動に限界があったため、このような写真で満足するしかありませんでした。昭和55年7月23日 南浦和~蕨間にてスキャンのモードを間違ったため、見難い写真ですみません。20系客車使用の晩年で、電源車は最もメジャーなカニ21になっています。マニ20は既に廃車され、カニ22も廃車又は24系化による改造で居なくなっていたと思います。この時代は既にヘッドマークが外されているため、機関車の写真を撮ることなど考えられず、走行写真も殆ど撮っていませんでした。そんな中でも、たまたま撮っていた写真に写っていたこれら貴重な電源車。末期の活躍時代のシーンを記録に残すことができましたので、大変ラッキーだったと思います。
2024.07.17
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EF81青森機牽引:寝台特急「あけぼの」上越線経由となった寝台特急「あけぼの」は、機関車交換を省略するために上野~青森間を青森区のEF81が牽引するようになりました。この形態はしばらく続きましたが、本来山岳用ではないEF81は上越線区間で扱いにくかったようで、平成21年3月ダイヤ改正よりEF64による牽引と置き換えられ、EF81は引き続き長岡~青森間を牽引することとなります。地元での撮影はあまり多くなく、さらに性能の良くないデジカメだったので、あまり良い写りのものはありませんでした。平成19年6月17日 EF81137初めて地元で撮った青森機81牽引「あけぼの」。平成19年10月6日 EF81137平成19年10月7日 EF81138平成20年2月10日 EF81136青森機は交流区間における配給回送電車牽引の任に当たるため、双頭連結器に改造された車両が誕生しました。平成20年5月18日 EF81139浦和駅の高架化工事により、貨物線迂回運転となった上り「あけぼの」。平成20年8月2日 EF81138この頃になると、双頭連結器装備のEF81が209系の配給回送に精進することになり、田端機が応援に入るようになりました。そのため、片道ずつの運転となり、青森区のEF81が捉えづらくなりました。平成20年8月17日 EF81138平成21年2月28日 EF81138間もなく上野駅に到着する「あけぼの」と推進回送。この年の3月改正でEF81は長岡以北の運用となりました。平成24年3月11日 EF81138平成24年3月12日 EF81137平成24年3月13日 EF81138もう青森機を撮影することなどないと思っていたのですが、まさかの「日本海」廃止のアナウンスがあったため、急きょ青森へ行くことになりました。ついでとはいえ、普段では撮影できないシチュエーションで撮ることができ、良い記念になりました。
2024.07.12
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EF81青森機牽引:寝台特急「あけぼの」「はくつる」は、上野~青森間を結んでいた寝台特急列車で、昭和39年10月に急行「北上」の格上げにより誕生しています。車両は20系客車を使用し、東海道のブルトレから転属した普通座席車のナハ20とナハフ20も使用されました。昭和43年10月のダイヤ改正では東北本線が全線電化となり、「はくつる」は583系へと転進することになります。しばらくはこの運用が続きましたが、平成6年12月ダイヤ改正において2往復に増設された「はくつる」のうち1往復が季節列車化、残った定期の「はくつる」は「あさかぜ」の減便により余剰となった24系25形のグレードアップ車を使用し、再び客車寝台特急として東北本線を走ることになります。平成14年8月11日 蓮田~東大宮間にて EF81136牽引この早朝の時間、この区間だと逆光になってしまうんですよね。正面がつぶれてしまって残念です。しかもちょっとピン甘?平成14年8月17日 蓮田~東大宮間にて EF81134牽引1週間後にまた出掛けましたが、このときは天気が悪くて露出不足になってしまいました。デジタルではない時代、限界がありました。「はくつる」の廃止がアナウンスされ、慌てて撮影に行ったものですが・・・この客車「はくつる」が運転されていた頃は、結婚→子育てと、撮影からはかなり遠ざかっていましたので、全然撮る機会がなかったんですね。板橋に住んでいたのも理由の一つです。そんなんで、あまり良い写真を記録として残すことは出来ませんでした。寝台特急「はくつる」は、平成14年12月の改正で惜しまれつつも廃止されました。以下、オマケ画像を集めました。平成20年11月22日 尾久車両センター「ふれあい鉄道フェスティバル」にてかつては東北本線も非電化区間が残っており、C60やC61といった蒸気機関車の牽引がありました。無煙化よりDD51重連の運転も実現しましたが、直ぐに電化となってしまい、その期間も非常に短かったようです。平成21年11月14日 尾久車両センター「ふれあい鉄道フェスティバル」にてEF8181の「はくつる」。こんな姿を1度は見てみたかったですね。平成22年10月9日 「京葉車両センターフェア」にて EF651118故障したりすると実現性が無かった訳ではないですが・・・EF65が牽いたという話は聞いたことがありません。平成22年11月20日 尾久車両センター「ふれあい鉄道フェスティバル」にてEF510-510カシガマの「はくつる」。残っていれば可能性が無くもなかった組み合わせです。平成24年11月10日 尾久車両センター「ふれあい鉄道フェスティバル」にて平成26年11月15日 尾久車両センターにてそう言えば客車側って撮ったことがありませんでした。
2024.07.09
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381系:特急「やくも」特急「やくも」で定期の国鉄型特急車両として最後の活躍をしていた381系。令和6年3月のダイヤ改正には間に合わなかったようですが、2024年6月15日(土)、最後の定期運転となったようです。私にとって特急「やくも」と言えばキサシ180食堂車を連結したキハ181系のイメージが今でも色濃く残っており、特に結婚してからはあまり西の地域へ撮影に行くことも無くなってしまったため、381系「やくも」には無縁となっていました。平成22年に人生で初めて四国に上陸した際、瀬戸大橋を渡るついでに高松~岡山を往復し、1枚だけ381系を撮影する機会はあったのですが・・・。平成22年7月25日 岡山駅にて帰路の高松空港からの飛行機の関係で、岡山の滞在時間は1時間半くらいでした。離れたホームから発車して行く「やくも」を偶然捉えましたが、ご覧の構図が精一杯。岡山へ到着して直ぐに出会ったようで、到着ホームから移動を始める前でした。当時の記録を見ると、「この日は伯備線のダイヤが乱れていたらしく、特急「やくも」も狙い撃ちしている余裕はなかった」となっていました。おそらく、次の到着を待つ間もなく、快速「マリンライナー」の座席を確保するため、並んで待つしかなかったのではないかと思います。あれから10年以上の時が過ぎ、やっと置換えとなりましたが、その後は撮影に行きたいと思っていた気持ちとは裏腹に、その機会を作ることは全くできなかったようです。キハ181系:特急「やくも」(その1)
2024.06.15
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183系:特急「あやめ」「あやめ」は、昭和50年3月10日、成田線成田以東の全線電化により誕生した特急列車です。それまで、成田線の優等列車は急行「水郷」が気動車で運転されており、特急「あやめ」の誕生とともに電車化(153系・165系)されています。誕生当初から東京~鹿島神宮を結んでおり、4往復の設定となっていました。昭和57年11月のダイヤ改正からは、ペア設定されていた急行「鹿島」が廃止となり、格上げを合わせて1往復が増発、両国発着・新宿発着の列車が発生しています。昭和51年 錦糸町駅にておそらく、私が初めて撮影した特急「あやめ」。ポケットカメラで画像が悪かったため、モノクロ化しています。当初から「さざなみ」「わかしお」と共通の183系9連を使用していました。昭和52年 東京駅にて東京地下ホームにて、「わかしお」(手前)と並ぶ「あやめ」(奥)。当時はまだストロボが高価な機材であったため、地下駅のような暗いところで写真を撮ることは稀でした。一眼レフに変わり、スローシャッターの知識が付いてきた頃だと思います。昭和55年 佐倉駅にて53・10改正後ですので、ヘッドマークがイラスト化されています。本数が少なかったので、あまり写真を撮る機会がなく、たったコレだけでした。元々それほど需要のある線区ではなく、快速列車も走っており、とにかく乗車率の悪い特急列車でした。これは急行「鹿島」や「水郷」も例外ではありません。その後、鹿島線内の普通列車化、編成の短縮、さらには本数の削減と、衰退の一途です。183系1000番台の導入、E257系導入や派生名称の特急列車もあったりしましたが、定期としては平成27年3月ダイヤ改正により廃止となりました。
2024.06.08
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681系・683系:特急「サンダーバード」(今庄~敦賀間)485系特急「雷鳥」に変わる新形式として登場した681系。平成27年3月改正以前の金沢~富山間で撮影したものについては以前にご紹介済みですが、令和6年3月のダイヤ改正で北陸新幹線が敦賀まで延長されることにより、さらに運転区間が短縮されることになってしまいましたので、今回はこの区間で撮影したものをご紹介しておこうと思います。※撮影は、平成20年4月22日です。南今庄~今庄間にて 681系 「サンダーバード3号」今庄駅にて 683系 「サンダーバード14号」この時は、メインが引退間近の485系「雷鳥」であったため、「サンダーバード」は移動中に撮れなくても問題ありませんでした。しかも、往復が寝台特急「北陸」で、実質は2泊1日の強硬策あり、新しい電車のコマ数はかなり少なく終ってしまいました。681系・683系:特急「サンダーバード」(富山~金沢間)
2024.05.31
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EF66牽引:寝台特急「さくら」寝台特急「さくら」については、既に過去ログ『EF65P型牽引:寝台特急「さくら」』『EF65PF型牽引:寝台特急「さくら」』で牽引機ごとにご紹介済みですが、EF66牽引の写真についてはたった2枚しかありませんでした。昭和62年2月14日 三島~函南間にて EF6647牽引 2レ 昭和62年2月15日 真鶴~根府川間にて 2レ寝台特急「さくら」の最後のパートナーはEF66型。牽引定数の変更は無いものの、「はやぶさ」「富士」との共通運用となり、東京~九州間の特急牽引機はすべてEF66に切り替わりました。ヘッドマークもモモ桜にみどり紋様となり、九州で蒸機が牽引していた頃のイメージとなっています。平成になってからは「さくら」の写真を撮る機会には恵まれず、「さくら・はやぶさ」が併結されていた時代の写真も撮らないうちになくなってしまいました。九州にも2度行ったことがありますが、いずれも昭和50年代でヘッドマークの復活も無く、記録も残っていません。昭和の時代を生きてきた年代としては、ここまでブルトレが衰退することは予測できませんでした。KATOから再生産となった20系「さくら」。カニ22やマヤ20を含むマニアックで魅力的なラインナップです。まだ在庫があるようです。10-1872 20系寝台特急「さくら」長崎編成 8両セット[KATO]【送料無料】《発売済・在庫品》10-1873 20系寝台特急「さくら」佐世保編成 8両セット[KATO]【送料無料】《発売済・在庫品》10-1799 寝台特急「さくら・はやぶさ/富士」 24系9両セット[KATO]【送料無料】《発売済・在庫品》送料無料◆10-1873 KATO カトー 20系寝台特急「さくら」 佐世保編成8両セット Nゲージ 鉄道模型(ZN123334)送料無料◆10-1872 KATO カトー 20系寝台特急「さくら」 長崎編成8両セット Nゲージ 鉄道模型(ZN123331)
2024.05.28
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183系・189系:特急「あずさ」「あずさ」は、昭和41年、新宿~松本間に誕生した特急列車です。登場当初は田町電車区の181系が使用され、特急「とき」と共通運用となっていました。その後、181系は新潟運転所に所管替えとなりましたが、昭和48年から上野~東京間の回送線使用した定期旅客営業が廃止されたため、長野運転所の所管となっています。同時に、特急「あずさ」に幕張電車区所属の183系0番台も投入され、自由席車両付のL特急となります。昭和52年頃 中野駅にて 183系0番台中野駅に居て何故こんな写真を撮ったのか全く記憶の無いシーンです。おそらく28mmの広角レンズですが、ホームにカメラを置いてシャッターを切っていると思われます。この頃は既に189系が誕生しており、181系が撤退した後でした。「あずさ」は、幕張区の183系0番台に出逢う方が多かったように思います。昭和52年頃 新宿駅にて 189系こちらは同じ頃に新宿駅で撮影した新鋭189系。どうやってか、特別改札のあるホームに潜り込んで撮ったようです。当時の新宿駅は結構な規模の操車場があり、貨車の入換が行われていました。右に見える貨車の位置は、埼京線1~4番ホームの新南口~サザンテラス口の旧跨線橋が掛かっていたところですね。上に跨っている道路橋は国道20号線(甲州街道)です。昭和53年2月19日 新宿駅にて 183系0番台こちらは新宿駅で撮影した183系0番台。特別改札の無い中央線快速ホーム発着なので撮ることが出来たのでしょう。左側に1つ目のDD13もチラッと写っています。昭和58年1月12日 川岸~辰野間にて飯田線の旧型国電を撮影に行った際に撮ったもの。上越新幹線の開業により大量の183系1000番台が長野区や幕張区に流れ出したため、0番台は「あずさ」の運用から撤退することになります。この写真も183系0番台が「あずさ」で活躍する末期の頃となるでしょうか。また、特急列車の経路がみどり湖駅経由の新線に切り替わってしまったため、この区間を特急列車が走ることはなくなってしまいました。昭和58年3月26日 西国分寺駅にて 189系「さよならED16」列車を撮るために陣取ったホーム端で待機中に撮影したものです。この頃の「あずさ」は、長野区の189系が12連で運用されていました。在来特急としても最も貫禄のあった頃ですね。そして、183系1000番台の流入、グレードアップ車両やリニューアル車両(あずさ色)が導入されると同時に、オール9連化されることになります。しかし、その変な塗装に影響されてしまってか、これ以降、特急「あずさ」の写真を撮ることは全く無くなってしまいました。平成20年11月11日 189系あさま色 「あずさ81号」20年以上の時が過ぎ、JRになって初めて189系「あずさ」の写真を撮ることができました。「あずさ」は多客期の需要が大きいため、シーズンに何本かは波動用車両を使用した国鉄車が使用されます。この時代になってあさま色の車両が使われると言うのも皮肉ですね。この列車については、JR化後の変遷が非常に複雑なため、記述は省略いたします。189系:臨時特急「あずさ銀嶺」
2024.05.23
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EF5861牽引:臨時特急「サロンエクスプレスそよかぜ」「サロンエクスプレスそよかぜ」は、逗子~軽井沢を結んでいた臨時特急です。客車にサロンエクスプレス東京を使用した全車グリーンの豪華特急列車で、その昔運転されていた臨時急行「軽井沢グリーン」を髣髴させるものでした。高崎~中軽井沢間はEF62が牽引していたと考えられますが、逗子~高崎間はEF62ではない機関車が牽引していました。これは、おそらく横須賀線区間にEF62が入線していなかったため、訓練を省く目的があったのではないかと思われます。過去ログ『EF651108牽引:臨時特急「サロンエクスプレスそよかぜ」』でPF牽引の列車をご紹介しておりますが、結果的に最終運転となった昭和63年度では、折からのEF58最終ブームもあって、お召機EF5861が牽引し、ヘッドマーク付も相俟って注目を集めました。昭和63年5月4日 上尾~宮原間にて 「サロンエクスプレスそよかぜ」お召機である61号機が牽引し、話題沸騰となりました。もちろんヘッドマークを掲出していますので、注目度は凄かったですね。こちらはちゃんと撮影記録が残されており、やはりWikipediaでは昭和62年8月までとなっておりますが、こちらも明らかに記述が間違っております。昭和63年5月5日 北本~桶川間にて 「サロンエクスプレスそよかぜ」テールマークは通常の「サロンエクスプレス東京」が掲出されていたと記憶しており、特に面白みも無かったので後部は撮っていませんでした。下りの特急「あさま」とカブってしまい残念な結果となりましたが、当時はまだこんな時代背景だったという意味では良い記録であることも間違いありません。同列車の記録はここで途切れており、この年度が最後の運転となったようです。
2024.05.04
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583系:臨時特急「ひたち51・52号」※本記事は、2015-06-27に投稿したもので、当時の表現になっています。平成27年6月27日、常磐線に583系を使用した団体列車「ひたち」が運転されました。残念ながら撮影に行けませんでしたが、情報によりますといわき方にイラストマーク、上野方に文字マークがステッカー式により掲出されたようです。現在は情報社会ですから、『過去に臨時「ひたち」で583系が使用されたことがあるようです』『ヘッドマークは臨時だった』というような話題が、当時を知らない若い世代と思われる方から聞かれます。ということで、ここはベテランの出番と自覚し、過去のアーカイブをご紹介しようと思いましたら、数年前に「詳細をご紹介します」と言いながら放置していたことを今改めて知り、資料を探し出しました。全貌まではご紹介できませんが、判明した範囲でまとめたいと思います。臨時特急 「ひたち51号」 上野 11:20 → 日立 13:15臨時特急 「ひたち52号」 日立 14:03 → 上野 16:05運転日 昭和54年3月24・25・31日、4月1・29・30日、5月3・5・6日使用車両 583系 盛アオ 13連日暮里駅にて 「ひたち51号」上野駅にて 「ひたち52号」583系臨時特急「ひたち」は、昭和54年の春休み及びGWに設定されていたようです。春休み期間中の土日及びGW中の土休祝日に設定されています。GWが飛び飛びになっているのは、当時5月4日は国民の祝日になっていませんでしたので、通常の年は飛び石連休となることが多かったという時代背景にあります。撮影日は定かではありませんが、1枚目が常磐線内下りであり、2枚目がお土産等の荷物をたくさん持って下車している様子から、それぞれの号数と想定できます。自身はこの2日間しか撮影していませんので、その他の運転日についての情報は分かりませんが、ほぼ「臨時」マークで営業した模様です。青森車の運用範囲内で使用される583系のヘッドーマークは網羅していましたが、「ひたち」への運用は想定されていませんので、当時としては已む無しの措置と言えるでしょう。追記TOSSYさんから情報提供があり、翌年の同時期にも設定されたそうです。その際、5月5日の上りのみ「ひたち」の手書き張り紙がされたそうです。
2024.05.03
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185系B6編成:臨時特急「あしかが大藤まつり」前記事、令和4年設定の臨時特急「あしかが大藤まつり」に続き、翌令和5年度に設定された同列車をご紹介したいと思います。※撮影は、令和5年4月22日です。185系 B6 特急「あしかが大藤まつり」全然マークしていませんでしたが、185系の設定であることを直前で知りました。しかも1往復のみの設定となっていました。詳しい運転時刻が分からないので調べて見ると、何処にも時間が載っていない。JRが時刻表から落ちてしまったのかと思ったら、今までに無い設定に驚きました。なんと、横浜~浦和間が全通過となっているため、時刻表を見ても道理で分からない訳です。相変わらずヘッドマークのない残念な体裁。いつ運用が終るかも分からない車両なので、この先もサプライズは見込め無さそうです。185系C1編成:臨時特急「あしかが大藤新宿号」E257系500番台:臨時快速「あしかが大藤まつり」185系OM車:臨時快速「あしかが大藤まつり」183系OM車:臨時快速「足利藤まつり」
2024.05.01
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E257系5500番台:臨時特急「あしかが大藤まつり」毎年GWに近くなると運転されるあしかがフラワーパーク臨で、2021年(令和3年)までの運転は快速となっていましたが、2022年(令和4年)からは特急列車に格上げされての設定となりました。先日アップいたしました令和6年度も特急列車としての設定は変わりありませんが、発方向が4か所に分散され、さらに運転日や使用車両もバラバラ感のあるものとなり、従来の上野方向からの2往復体制とは大きく異なる設定となっています。この間も特急格上げとなりながら運転形態が変わらなかったため、個別にはアーカイブしていませんでしたが、今後の運転形態が不透明であるため、過去2年分もこの機会にアーカイブしておこうと思います。今回は、特急格上げ時の設定となった令和4年のご紹介です。※撮影は、令和4年4月24日です。E257系 特急「あしかが大藤まつり1号」E257系 特急「あしかが大藤まつり3号」例年どおり2往復が設定され、いずれもE257系5500番台での運用となりました。せっかくヘッドマークの機能がありながらも使用されない点では、他の臨時列車も同様で、記録以外の面白みがない点で残念です。185系C1編成:臨時特急「あしかが大藤新宿号」E257系500番台:臨時快速「あしかが大藤まつり」185系OM車:臨時快速「あしかが大藤まつり」183系OM車:臨時快速「足利藤まつり」
2024.04.30
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185系C1編成:臨時特急「あしかが大藤新宿号」史上最速でサクラが開花すると予測されたにもかかわらず、その後の気温低下で例年よりも開花が遅れて桜まつりがてんてこ舞いとなってしまった令和6年。あしかがフラワーパークの大藤まつりも例年より1週間早く臨時列車が設定されたようですが、こちらはどのような具合でしょうか?令和6年もあしかがフラワーパーク臨が設定されましたが、例年は上野~足利に1往復又は2往復だったもの(上野東京ライン開業により大船~に延長)が大船以外にも吉川美南や高尾、新宿と言った4方向にも及ぶ多彩な設定となりました。特にこのうちの新宿発着については185系での運転が当初から公表されており、しかもあまり走ってくれないC1編成が充当されました。※撮影は、令和6年4月26日です。185系 C1編成 9524M 特急「あしかが大藤新宿号」特急「あしかが大藤新宿号」は、4月19日及び26日のいずれも金曜日のみの設定であるため、撮ることは諦めていました。しかし、この日の午前中に防災に関する取材が入ってしまったため会社を休まざる得ず、結果としては偶然にも撮影が可能となった次第。もっとも、昼寝してしまって危なく撮り逃してしまうところでした。逆光になるため曇りがちは歓迎だったのですが、思いのほか雲が分厚く、ISO2500まで上げ、シャッタースピードも1/640まで落とさなけれがならないほど暗くて参りました。さらに、定刻になっても一向に現れず。久し振りにお会いした方から白岡辺りで緊急停車し遅れが出ていると情報をいただきました。まあなんとかブレずに撮ることができましたし、貴重なC1編成を捕獲できましたので良かったです。来年はどうなるでしょうか?E257系500番台:臨時快速「あしかが大藤まつり」185系OM車:臨時快速「あしかが大藤まつり」183系OM車:臨時快速「足利藤まつり」
2024.04.27
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373系:特急「東海」「東海」と言えば、東海道の優等列車の中でも由緒ある名称であり、東海道新幹線の開業後も地域の補完優等列車として長らく活躍し、80系から153系急行車両へ、そして165系へと変化していきました。しかし、老朽化に伴う急行形車両の引退を機に、平成3年3月、JR東海の373系を使用した特急列車に格上げとなっています。平成19年1月7日 品川駅にて 373系 特急「東海」運転当時は新型車両に全く興味が無く、特急「東海」の写真を撮ることはありませんでした。しかし、利用客の低迷からとうとう廃止のアナウンスがあり、ついでではありますが撮影したものです。まだデジカメに慣れず、どうにも構図の良くない写真となってしまいましたが、同列車を撮影したのは最初で最後となってしまいました。そして平成19年3月、50年にも及ぶ運転の歴史に幕を下ろすことになりました。153系:急行「東海」(サハ164・サロ163)
2024.04.22
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EF651000番台牽引:寝台特急「さくら」東京~長崎・佐世保を結んでいた寝台特急「さくら」それまで東海道ブルトレを牽く絶対的エースであった500番台P形も酷使により急速に老朽化が始まりました。昭和53年頃、長距離運用による定格アップを目的とした後期PF形が導入され、これを東海道ブルトレに充てるようになりました。今回は、置き換えの始まった頃からのEF651000番台PFが牽引する「さくら」をご紹介いたします。昭和53年8月5日 真鶴~根府川間にて EF651107牽引 2レ東海道形のPFに置換えが始まった頃。来る列車によって500Pだったり1000PFだったりしました。 一方、14系B寝台客車はまだ3段式であり、新幹線博多開業と相次ぐ料金の値上げなどにより、利用に翳りが見え始めたころだったと思います。昭和54年3月 東京駅にて EF651109牽引 1レこの時点では完全にPFに置き換わっています。当時のブルトレは12・13番線発着。9・10番線は横須賀線ホームとなっており、113系の横須賀線も懐かしい。昭和55年 品川駅にて EF651105品川駅で展示会があった様子。何のイベントだったかよく覚えていません。昭和58年12月1日 根府川~早川間にて EF651099牽引 2レ 14系B寝台の2段化改造が行われており、カマの次位は不足するスハネフ電源を確保するために連結された座席車スハフに変更されることもあった。この後、東京発着の24系25型客車を使用するブルトレにロビーカーが連結されることになり、「さくら」もそのあおりを受けてEF66が牽引することになります。EF65500番台牽引:寝台特急「さくら」
2024.04.07
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EF65500番台牽引:寝台特急「さくら」ブルートレインとしては老舗となる寝台特急「さくら」。東京~長崎・佐世保を結んでおり、牽引機は他のブルトレと同様に、EF58→EF60500番台→EF61→EF65500番台→EF651000番台→EF66となっています。非電化区間にあっては、SLやDD51、九州電化区間ではED72・73・75300番台なども活躍していました。今回は、中学生の頃に撮っていたEF65500番台牽引の「さくら」をご紹介いたします。昭和51年 東京駅にて EF65512牽引 1レ昭和52年 田町駅にて EF65530牽引 1レ昭和52年3月30日 名古屋駅にて EF65540牽引 2レ昭和53年 東京駅にて EF65530牽引 1レ昭和53年 田町駅付近にて EF65538牽引 2レ撮り始めの頃は白い花びらにピンク背景ばかりだったので、これが正規のヘッドマークとばかり思っていたのですが、P形最後の頃に撮った写真は2枚ともサクラの花びらと周りの色使いが逆転したヘッドマークになっており、フィルムスキャンするまで30年もの間、まったく気が付きませんでした。最後の頃は、何故かフィルムの真ん中のピントが合わない事象が発生。スキャンした時の悩みの種となっています。貴重な写真なのに・・・。平成20年5月24日 EF65535 JRおおみや鉄道ふれあいフェア2008にて平成22年11月6日 EF65535 隅田川駅構内にて平成26年11月15日 尾久車両センターにて平成27年11月14日 尾久車両センターにてオマケ写真です。P型牽引の時代と言うのは中学2年生くらいまででしたので、あまり良い写真は残っていません。イベントでこのようにきれいな写真が撮れるようになったのはうれしいですが、なんとも複雑な気持ちになります。
2024.03.30
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485系:特急「雷鳥」(貫通型)特急「雷鳥」は、昭和39年10月の改正において、東海道新幹線の開通とともに誕生した特急列車です。特急列車としては初となる、交直両用型の481系が使用された、当時としても画期的な列車でした。ここでの成功は、東北本線への電車特急の誕生、山陽から九州への乗り入れの速達化に貢献しました。登場当初からしばらくは481系初期車が使用されましたが、485系の誕生とともにシフトされ、金沢運転所の特急車両配置とともに489系も使用されるようになります。今回は、485系(489系)から貫通編成のご紹介です。昭和57年8月8日 富山駅にて平成20年4月22日 南今庄駅にて クハ481-228 「雷鳥16号」オリジナルタイプの貫通型です。昭和57年撮影のものは、もしかしたらクハ489かもしれないことはご了承ください。平成20年4月22日 南今庄駅にて クハ481-801 「雷鳥9号」平成20年4月22日 福井駅にて クハ481-801 「雷鳥30号」平成20年4月22日 金沢駅にて クハ481-801 「雷鳥41号」JR化後は、京都車や新潟車、そして金沢車とバラエティに富んだ車両、塗装車が使用されました。写真はそのうちでも異色だった簡易貫通型の車両で、元は「くろしお」電化の際に誕生した改造車です。4連というミニ編成を2編成併結する際、貫通路の連結を簡易にするためにこのようなスタイルとなりました。485系ボンネット型:特急「雷鳥」485系クロ481ー2000番台:特急「雷鳥」485系 クロ481ー2300番台:特急「雷鳥」485系:特急「雷鳥」(非貫通型)581系・583系:特急「雷鳥」
2024.03.26
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489系:特急「はくたか」(昭和53年10月改正後)特急「はくたか」は、昭和40年10月ダイヤ改正において、それまで大阪~上野を結んでいた気動車特急「白鳥」を分離する形で誕生しました。運転経路は「白鳥」と同様に信越本線経由となり、使用車両もキハ82系のままとしています。昭和44年10月の改正において、「はくたか」は電車化により経路が上越線と変わり、信越本線経由の列車は489系の登場により「白山」となっています。昭和53年10月改正まで向町運転所の485系が使用されていましたが、同改正より金沢運転所の489系が使用されることになり、信越本線経由の「白山」と共通運用が組まれるようになります。今回は、昭和53年10月改正後の写真をご紹介いたします。昭和56年頃 クハ489-300番台 非貫通型53・10から特急ヘッドマークがイラスト化されたのですが、ボンネット型の多かった「はくたか」はイラストマークを見る機会が少なかったように思います。この昭和56年頃には既にボンネット車にもイラストマークが導入されていましたので、そういう意味では見慣れてきた頃と思います。金沢運転所の489系に運用が変り「白山」と共通運用でもあったために、非貫通型の遭遇率も高かったような気がします。昭和56年10月 クハ489-704 非貫通型上り「はくたか」で、何故か流し撮りしています。ボンネット型じゃなかったので、どうでも良かったのでしょうか・・・。ピントもバリバリ合っているので、伸ばしても細部までキッチリ見ることが出来る、珍しくもクリーンヒットな作品。昭和57年5月 クハ489-500番台こちらは、EF63連結側の500番台ボンネット車。状況的にはカブりなんですけど(笑)。でも、こんな時代もあったんですな・・・。と思わせる1枚となりました。昭和57年11月6日 上野駅にて クハ489-500番台廃止を1週間後に控えて最期の活躍をする「はくたか」。このショッカーの本部に付いていたようなマークともお別れ。この1週間は、上野口の最期となる列車の写真撮影に翻弄されていました。赤スカート車との衝撃的な出逢いから10年。毎日身近で見ていた筈なのに、意外と撮影枚数が少なかったですね。途中でイラストマーク化されたことにも原因があると思いますが、下りの「はくたか」の時間に上りが通勤の普通列車ばかりという、撮影に非効率的な時間帯に走っていたことも不運だったような気がします。金沢運転所のボンネット車はヘッドマークのイラスト化が早かったため、489系の文字マークの写真がありませんでした。特に連結器むき出しの500番台は特徴があったので、この点の記録が出来ていなかったのは残念です。その後、ほくほく線の開業により、まさかの復活を果たした「はくたか」でしたが、北陸新幹線の金沢延伸開業で2度目の廃止となっています。そして、その名は新幹線の名称として引き継がれました。『485系:特急「はくたか」(昭和53年10月改正前)』『681系・683系:特急「はくたか」』
2024.03.24
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481系・485系:特急「はくたか」(昭和53年10月改正前)特急「はくたか」は、昭和40年10月ダイヤ改正において、それまで大阪~上野を結んでいた気動車特急「白鳥」を分離する形で誕生しました。運転経路は「白鳥」と同様に信越本線経由となり、使用車両もキハ82系のままとしています。昭和44年10月の改正において、「はくたか」は電車化により経路が上越線と変わり、信越本線経由の列車は489系の登場により「白山」となっています。電車化に当たっては、60Hz交流電化の北陸本線を経由することから、向日町運転所の481系・485系が使用されることになりました。電車化当初はまだ489系は誕生しておらず、金沢運転所には485系も配置されていませんでした。このことから、特急「はくたか」に使用される481系は関東で見ることができた唯一の例であり、その運用は関東~九州に及ぶスケールの非常に大きい運用となっていました。今回は、昭和53年10月改正前の写真をご紹介いたします。昭和48年頃 西川口~蕨間にて 481系 赤スカート車昭和53年10月改正まで、「はくたか」は向日町運転所の481系が使用されていたため、このように赤スカート車が上京する機会がありました。上野口で見られる唯一の関西仕様の車両です。ヘッドマークを注視すると、ロール式のようですね。私が撮影できた唯一の例でもありました。それまで583系やキハ181系の憧れが強かったですが、この写真を撮って以来、赤スカート車が非常に好きになりました。昭和51年頃 上野駅にて クハ481ボンネット車 この頃の「はくたか」はボンネット車が圧倒的に多かったような気がします。ですので、それなりに写真に撮る機会も多かったような。まだ向日町運転所の481系時代が続きます。昭和51年頃 赤羽駅にて クハ481ボンネット車高架化前の赤羽駅での写真。リコーオートハーフでの撮影のため、ブレてしまっています。今までアルバムに入ることすらなかった写真でしたが、今となっては懐かしい風景です。昭和52年頃 大宮駅にて クハ481300番台 非貫通型何度かは目にしたことのあった非貫通型の写真。しかし、殆どボンネットが多かったような気がします。基本的には文字マーク時代の特急列車が好きな私ですが、何故かこの非貫通型の「はくたか」文字マークがしっくり来ないんですね。イマイチ格好良くない。それでも遭遇率が低かっただけに、文字マーク時代としては唯一の非貫通型の写真です。昭和53年3月 西川口~蕨間にて クハ481ボンネット車後追いで撮影した下り「はくたか」。こちらが上野方なので、自連むき出しになっていないところからクハ481であることが判ります。昭和53年10月改正からは、使用車両が金沢運転所の489系に変更され、「白山」と共通運用になりました。また、貫通型・非貫通型はヘッドマークがイラスト化されています。『489系:特急「はくたか」(昭和53年10月改正後)』『681系・683系:特急「はくたか」』
2024.03.23
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781系:特急「ライラック」特急「ライラック」は、昭和55年10月1日の改正で誕生した北海道では2番目の電車特急です。それまで運転されていた函館本線札幌~旭川間の「いしかり」を引き継ぎ、さらに千歳線経由の電化で運転が可能となった札幌~室蘭間を直通する特急列車として設定されました。ただし、末端区間の東室蘭~室蘭間は普通列車となっています。※設定にあたっては、気動車急行「ちとせ」を格上げした形としています。車両は北海道用に開発された781系電車が使用されました。昭和56年3月11日 函館本線 白石~厚別間にて雪煙を巻き上げて驀進する781系。加速性能・最高速に優れた電車特急781系は、711系急行列車にもディーゼル特急にも勝り、都市間の速達輸送に貢献した。昭和56年3月??日 滝川駅?にて俊足を誇った「ライラック」。各主要駅に停車しながら北進した。昭和56年3月11日 大麻~厚別間にて昭和56年3月19日 千歳線 恵庭~島松間にて「ライラック」は、それまでの旭川~札幌間の都市間輸送に、さらに千歳線電化により室蘭への輸送も担うようになりました。支線である東室蘭~室蘭は、普通列車として支線へ乗り入れるようになりました。昭和56年3月??日 札幌駅にて 高架化される前の札幌駅に停車中の「ライラック」。旭川~室蘭の直通運転では、札幌で折り返し運転が必要となっています。平成2年9月6日 豊幌~上幌向間にて昭和61年11月1日の改正により、それまで6両編成を通してきた781系は、速達型の「スーパーホワイトアロー」ととも4両編成化された。平成4年7月1日、新千歳空港駅開業に合わせた改正が実施されました。この時点において、「ライラック」は元「いしかり」の運転区間であった札幌~旭川間のみとなり、札幌~室蘭間は「すずらん」と名称が変わってしまいました。この時点において、JR北海道は本州からの連絡は鉄道ではなく、航空機からであることをセオリーとして完全に吹っ切れたようです。民営化されたので、「鉄道一体」という考えから脱却を図ったのでしょう。そして平成19年9月30日、最新型の特急型電車789系の導入による「スーパーカムイ」が誕生、ここに781系電車特急「ライラック」も同時に幕を閉じることとなりました。
2024.03.20
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キハ181系:特急「やくも」(その1)伯備線及び山陰本線の一部が電化し、新幹線岡山開業以来、陰陽連絡の大役を担うことになった特急「やくも」が381系化されることになり、「つばさ」以来のキハ181系ファンであった私は一大決心の末、友人を引き連れて山陰へと旅立ちました。旅費を節約するため、当時165系の「大垣夜行」から普通列車の「山陰」を乗り継ぎ、初めて山陰本線へとやってまいりました。今回は、一連の行程で撮影した特急「やくも」のうち、止まっている写真をご紹介したいと思います。※撮影は、昭和55年8月です。松江駅にて 「やくも10号」駅間撮影が終わった移動中に途中の松江駅で交換したようです。当時、松江駅は既に高架化されていたようですが、ちらっと写るホームを見ても、まだ完成直後のように見えます。旧客の窓から撮った「やくも」。今となっては貴重なシーンです。乗っている列車は、福知山発浜田行の543レのようです。出雲市駅にて 「やくも12号」カラーとモノクロで撮影されておりますが、いずれも同一列車のようです。この列車だけは益田発となっており、電化により出雲市~益田間は廃止されました。出雲市駅にて「やくも5号」列車は5号ですが、今ほど本数のない時代ですので、時刻は17時ちょうどになっています。時刻表によると当時は6往復が設定されていました。グリーン車1両を含む9両編成で、食堂車まで連結された堂々たる編成でした。
2024.03.16
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255系:特急「わかしお」特急「わかしお」は、昭和47年、東京地下駅の開業と同時に「さざなみ」と共に運転が開始されました。老朽化・陳腐化による車両の更新を行うため、当初から使用されて来た183系0番台の一部を新製255系に置き換えることになりました。平成5年7月のことです。255系導入に当たっては、名称を「ビューさざなみ」「ビューわかしお」とし、差別化を図りました。なお、平成17年12月ダイヤ改正において、「ビューわかしお」は「わかしお」に変更されています。「ビューわかしお」のデビューから30年、予てから噂はありましたが、255系がとうとう全面撤退となるそうです。ただ、京葉線の通勤時間帯における快速の廃止で地元自治体と大揉めに揉めた経緯があり、どうも6月くらいまでは255系が暫定的に延長して使用されるようですけど。平成19年8月26日 葛西臨海公園駅にて平成21年10月24日 潮見駅にていずれも京葉線の201系や205系量産先行車の撮影をしていたときに偶然に撮っていたもので、いずれも東京着上り「わかしお」の折り返し入庫回送列車のようです。ヘッドマークがありませんから、まあどうでも良いところ。元々房総特急は乗車率が昔から良くなくて、183系0番台の9連では完全に過剰供給でした。国鉄時代末期から短編成化を実施した中で、鳴り物入りで誕生した255系は再び9連の貫禄ある編成で活躍してきましたが、道路の発達には太刀打ちできなかったようです。いよいよ令和6年3月の改正で全面撤退となり、このまま廃車となってしまう可能性が高いようです。一時代を築いたというにはあまりにも地味な存在だったように思います。183系0番台:特急「わかしお」183・189系:臨時特急「新宿わかしお」189系M51編成:臨時特急「わかしお82号」10-1870 255系 9両セット[KATO]【送料無料】《06月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1870 255系 9両セット
2024.03.15
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255系:特急「しおさい」「しおさい」は、昭和50年3月10日のダイヤ改正で、総武本線の全線電化により誕生した特急列車です。それまで、総武本線の優等列車は急行「犬吠」が気動車で運転されており、特急「しおさい」の誕生とともに電車化(153系・165系)されています。特急化から183系0番台(のちに189系が混入)で運転されてきましたが、E257系500番台の誕生により、平成17年からは255系も運用に入るようになりました。平成27年3月のダイヤ改正において、内房・外房で輸送力を持て余していた255系による運用が主体となり、E257系すら撤退してしまったと思っていたのですが、朝の1本のみ残存していたようです。平成20年5月3日 物井~佐倉間にて 特急「しおさい14号」撮影会でいわゆるモノサクに行き、終焉間近の113系を撮っていました。暗くなってきての撤退途中、偶然にやってきた255系「しおさい」撮っておいたもので、あまり撮影機会のない中、やっと1枚だけ撮っていたという状況。255系メインの列車となった「しおさい」ですが、令和6年3月ダイヤ改正で255系が全面撤退となり、1往復を除いてE259系による運用になってしまうようです。あの塗装では、なんか「しおさい」らしくないですね。183系:特急「しおさい」
2024.03.14
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683系:特急「しらさぎ」平成15年、485系から683系に変わって以来、12年にわたって北陸を走り続けた特急「しらさぎ」ですが、北陸新幹線が開業する平成27年3月改正をもって、681系に車種変更されるという概要が発表されました。あわせて、運転区間も名古屋・米原~金沢間に変更されることになりました。683系登場以来、北陸へ撮影に行ったのは2度のみであり、記録としてはあまりありませんが、683系「しらさぎ」の画像を集めてみました。平成20年4月22日 今庄~南今庄間にて 「しらさぎ4号」平成20年4月22日 南今庄駅にて 「しらさぎ1号」平成20年4月22日 南今庄駅にて EF510-6牽引貨物列車&「しらさぎ3号」平成20年4月22日 敦賀~新疋田間にて 「しらさぎ58号」平成21年8月23日 柏原~近江長岡間にて 「しらさぎ3号」平成21年8月23日 近江長岡~柏原間にて 「しらさぎ4号」 平成27年1月23日 津幡~倶利伽羅間にて 「しらさぎ7号」平成27年1月23日 金沢駅にて 「しらさぎ57号」平成27年1月23日 金沢駅にて 「しらさぎ64号」平成27年1月24日 越中大門~小杉間にて 「しらさぎ17号」「サンダーバード」と「はくたか」は同じ編成構成となっているのに対し、「しらさぎ」は基本編成が5連であるため、5連又は3連増結の8連と、統一性を欠いていました。さらに、「サンダーバード」と「はくたか」のブルーラインは統一されていましたが、「しらさぎ」はJR東海のコーポレートカラーであるオレンジラインが追加されているため、「サンダーバード」と共通運用されることもありませんでした。「しらさぎ」は681系化され、運転区間も北陸新幹線と併行する区間廃止されました。さらに、北陸新幹線が敦賀まで開業すると、北陸本線の走行区間はほんのわずかになってしまうことになります。平成27年1月23日 特急「しらさぎ14号」 倶利伽羅駅にて
2024.03.09
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EF66牽引:寝台特急「みずほ」東京口におけるブルートレインの利用低迷を打開する策として、25系にロビーカーを組み込むことになりました。その際、勾配区間におけるPFの定格がやや低く、ダイヤの定時確保が困難になることから、貨物用の大出力機であるEF66に白羽の矢が立ちます。本来であれば、ロビーカーを持たない14系編成の「さくら」「みずほ」には影響の無かった話ですが、運用の共通化ということでそのまま移行されたようです。『EF65500番台牽引:寝台特急「みずほ」』『EF651000番台牽引:寝台特急「みずほ」』今回も枚数は少しだけですが、EF66化後の寝台特急「みずほ」の写真をご紹介いたします。昭和62年2月14日 三島~函南間にて EF6650牽引一連の撮影で初めて富士山バックの撮影に挑んだものですが、なかなか富士山は現れてくれませんでした。「みずほ」のヘッドマークは全体的に白っぽいので、強い日差しが当たると飛んでしまうのが難点でした。昭和62年2月15日 真鶴~根府川間にて俯瞰による鉄道風景写真を好んで撮るようになった頃です。結果的にヘッドマークすら良く見えない写真になってしまいまいた。対九州の寝台列車の利用率低下に歯止めがかからず、誕生から終始脇役的な列車として存在してきた「みずほ」でしたが、平成6年12月の改正をもって東京発のブルトレとしてはいち早く廃止されてしまいました。
2024.03.07
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789系:特急「白鳥」前記事で789系「スーパー白鳥」をご紹介いたしましたが、今回はスーパーではない789系「白鳥」のご紹介です。「はつかり」から「白鳥」への切替当時より、速達タイプはJR北海道789系による「スーパー白鳥」、停車駅が多いものをJR東日本485系3000番台による「白鳥」としていましたが、運用の調整等により「白鳥」に789系が使用されることがありました。ただ、それほど頻繁には行われていなかったようで、現地においてもこの運用を注目するファンが居たようです。私も現地に行ったときに線路端で知り合った高校生に情報を聞き、偶然に捉えることが出来ました。※撮影は、平成24年3月13日です。789系 「白鳥28号」 油川~青森間にて貨物列車を撮影するために青森車両センター付近うろついていました。ここで1人だけ撮影者と出会い、聞くところによると地元の高校生で、スーパーではない789系「白鳥」が来るという情報を得ました。しかも定期列車への運用変更のようです。この情報を聞かなければ、撮らずに立ち去っていたかもしれませんでした。789系 「白鳥23号」 青森駅にてバスに乗って青森駅に戻ってみると、偶然にも折り返しとなるスーパーではない789系「白鳥」が停まっており、じっくりと撮ることが出来ました。ヘッドマークをアップにしてみると、デザインは「スーパー白鳥」とまったく同じようですが、「super」の文字が表現されておらず、「白鳥」専用のものとなっています。平成24年3月13日 青森駅にて モハ789-200中間に簡易運転台が付いた車両です。いつもこうしたシーンを逃してしまうので気を付けていました。青函トンネルを通過する在来線定期旅客列車は消滅し、こうして青森駅でJR北海道の車両を見ることもなくなってしまうのでしょう。そして、特急「白鳥」は2度目の消滅となってしまいました。
2024.03.05
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キハ82系:特急「北斗」特急「北斗」は、函館~札幌を結ぶ、北海道では「おおぞら」「おおとり」に続く第3の特急列車です。登場から永らくキハ82系が使用され、臨時列車を含めると、最後までキハ82系が使用された列車としても有名です。使用車両はグレードアップが進められ、現在も都市間を結ぶ特急列車として重要な地位にあります。今回はキハ82系時代をご紹介いたします。昭和56年3月 札幌駅にて北海道へは前年の3月同時期にも訪れていますが、「北斗」の写真は函館駅で撮ったものくらいしか見当たりませんでした。本数も道内で一番ありましたので、逆にあまり撮っていなかったようです。その反動か、2回目に訪れた時は、結構駅撮りもしていたようで、特に地平時代の札幌駅で撮った写真は多かったようです。昭和56年3月 札幌駅にてこちらも同じく札幌駅にて。時計があって、17時を回ったところですが、かなり明るいですね。低いホームと相まって、直ぐに線路に降りられるくらい高く根雪が積もっています。昭和56年3月20日 森~東森間にて北海道からの帰途、友人とウマが合わずに別れ、一人でさっさと帰ろうとしたものの何だか惜しくなってしまい、早朝に着いた函館から引き返して走行写真を撮りました。そこそこ長い時間いましたが、通ったのは「北斗」「おおぞら」と貨物列車の3本だけだったみたいです。昭和56年3月20日 函館駅構内にて函館駅の外れに掛かっている跨線橋から、青函連絡船乗り継ぎの合間に撮影していました。札幌駅は氷の中と言った情景でしたが、道南はやはり気温が高いのでしょうか、日陰に雪の残骸がある程度しか見当たりません。上の写真はキハ82の初期型で、運転席直後のクーラーを増設したタイプ。そして、下の写真は後期型で、初めからクーラーが増設されているタイプです。上から見ると、2番目のクーラーとの距離の違いが判ると思います。写真からでは見づらいですが、初期型の行先札はトイレ窓直上に設置され、後期型はドアの直ぐ横上にあるので、サイドから見るとより違いが判ります。そのようなアングルの写真も撮っておけば良かったのですが、この頃はそんな違いがあることさえ知りませんでした。昭和58年9月7日 函館本線 赤井川駅構内にて大沼駅~大沼公園~赤井川と徒歩で踏破した際、赤井川駅に着いて普通列車を待つ間に撮影した写真です。本来であれば駅から外れたポイントで撮りたいところですが、何故かこの安全側線と本線の坂道の雰囲気が非常に気に入って、敢えてこのアングルを選んで撮りました。とにかく、このときは東京を出てから家に帰るまで雨が一切止むことは無かったという悲惨な撮影行でした。晴天だったら、もっと違うさわやかな雰囲気で撮ることが出来たのでしょうが、如何にもローカルなひなびたシーンになってしまいました。当時からでも本数が多く設定されていた「北斗」でしたが、室蘭本線などでの駅間撮影をしなかったこともあり、キハ82系の写真は意外と少なかったです。その分、後の撮影では道南から室蘭本線に掛けて立ち寄ったことが多かったため、キハ183系の「北斗」は随分と撮っています。まあ、高校生レベルで行っただけで興奮モノの北海道でしたから、全体の中でこれだけ撮れていれば仕方なかったと思います。キハ183系:特急「北斗」
2024.03.04
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183系:特急「しおさい」「しおさい」は、昭和50年3月10日のダイヤ改正で、総武本線の全線電化により誕生した特急列車です。それまで、総武本線の優等列車は急行「犬吠」が気動車で運転されており、特急「しおさい」の誕生とともに電車化(153系・165系)されています。誕生当初は東京~銚子間を結んでおり、5往復の設定となっていました。昭和57年11月のダイヤ改正からは、ペア設定されていた急行「犬吠」が廃止となり、増発及び両国発着・新宿発着の列車が発生しています。昭和52年頃 錦糸町駅にて総武本線地下線用のATCを搭載した特急型としてデビュー。スピードは急行列車時代とあまり変わらず、料金値上げだけのような不満が起こりました。53・10改正前の文字マーク時代、撮っていたのはこの1枚だけでした。昭和54年頃 錦糸町駅にて53・10改正からは房総特急もイラストマーク化されました。昭和55年5月5日 佐倉~南酒々井間にて昭和55年冬頃 佐倉駅にて佐倉駅もすっかりキレイになってしまい、この頃とはかなり印象が変わってしまいました。昭和57年8月23日 佐倉~南酒々井間にてマミヤ645を買って写真を撮りに行きました。間もなく急行が全廃になるということで、急行「犬吠」を撮りに行ったときに撮影したものです。この場所は、比較的に南酒々井駅から近いところだと思いました。昭和57年8月23日 佐倉~南酒々井間にて同じ日に撮影したもので、かなり佐倉駅寄りまで歩いたところ。こちらは平らな田園地帯です。少し離れたところには、佐倉駅で分岐した成田線も見えた記憶があります。民営化されてからは房総地区への興味もなくなり、全く撮りに行きませんでした。平成17年12月、183系の撤退により、255系又はE257系での運転が継続されていますが、255系は令和6年3月ダイヤ改正により撤退すると発表されています。
2024.02.26
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183系OM車:特急「新雪」(幕回し)川越センターで撮影したOM車の幕回しですが、臨時特急「新雪」をご紹介いたします。この列車も小学生の頃から知っていましたが、冬場のみの運転で上野駅発が早朝のため、撮影することがままならない列車でした。高校生の頃、ASA400のフィルムも手頃になり、低速撮影のテクニックも身についたので、朝でも夜でも撮影は十分にできた筈ですが、53・10改正以降、イラスト化されたヘッドマークに興味がなく、あまり特急列車の撮影もしなくなってしまいました。まして、当時は「いい大人が駅撮りなんて」という風潮もありましたし。そんな時代背景もあり、183系や185系による臨時特急「新雪」は未撮影となっていました。※撮影は、平成23年10月22日 OM101 川越車セにて。企画列車で運転されたような記憶もあるのですが、おそらくその頃はリバイバル運転に興味がなかったころだと思います。文字マークは新鮮で、実際に走っていた時代を思い起こさせます。181系が撤退した昭和52年初冬以降、翌昭和53年の秋にはイラスト化されている筈ですので、実際には長くても2シーズンしか運転されなかったものと思われます。こちらはイラスト化されて以降のマークになります。昭和54年以降の使用で、昭和62年まで運転されたようです。しかし、昭和57年以降は185系も登場しており、この間も183系0番台や485系・489系などの応援で設定されたことも多くあるため、183系1000番台が使用された日数はそれほど多くなかったかもしれません。この写真を撮った時代に企画列車としての「新雪」が設定されれば間違いなく撮影に行っただろうと思いますが、OM183系はそんな機会もないまま廃車となってしまいました。10-1910 近鉄10100系〈新ビスタカー〉(改装形) C編成 3両セット[KATO]【送料無料】《06月予約》送料無料◆10-1910 KATO カトー 近鉄10100系 (新ビスタカー) (改装形) C編成 3両セット Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1910 近鉄10100系「新ビスタカー」(改装形)C編成 3両セット送料無料◆10-1909 KATO カトー 近鉄10100系 (新ビスタカー) (改装形) A編成+B編成 6両セット Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】10-1909 近鉄10100系〈新ビスタカー〉(改装形) A編成+B編成 6両セット[KATO]【送料無料】《06月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1909 近鉄10100系「新ビスタカー」(改装形)A編成+B編成 6両セット送料無料◆セット販売 10-1909/10-1910 KATO 近鉄10100系 (新ビスタカー) (改装形) A編成+B編成 6両セット+C編成 3両セット Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】送料無料◆10-1911 KATO カトー 近鉄10100系 (新ビスタカー) 三重連 9両セット (特別企画品) Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】10-1911 近鉄10100系〈新ビスタカー〉 三重連 9両セット 特別企画品[KATO]【送料無料】《06月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1911 近鉄10100系「新ビスタカー」 三重連 9両セット
2024.02.18
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789系:特急「スーパー白鳥」平成14年12月1日、東北新幹線八戸開業に当たり、アクセス特急「はつかり」を引き継ぐ形で誕生した特急「白鳥」。JR東日本485系3000番台の「白鳥」及びJR北海道789系の「スーパー白鳥」の2形態で運転が開始され、東北新幹線新青森開業後も同様の運行形態で推移しました。平成28年3月21日、北海道新幹線の開業に当たり、切替工事の関係で早めの廃止となってしまいました。「はつかり」から「白鳥」への移行後、まったく北海道に渡ったことが無く、さらに青森の地でさえ足を踏み入れたことがありませんでしたので、「日本海」の最後を見届けに行った際に出会った789系が最初でした。平成24年3月11日 青森駅にて 789系 「スーパー白鳥25号」平成24年3月11日 青森駅にて 789系 「スーパー白鳥31号」平成24年3月12日 青森~油川間にて 789系 「スーパー白鳥25号」平成24年3月12日 青森~油川間にて 789系 号数不明青森をうろついている間に何本もの「スーパー白鳥」を見ましたが、駅撮りを何本しても同じなのでこれしか撮っていません。また、青森駅内に長い時間滞在していた訳ではないので、485系「白鳥」は1回も逢えませんでしたし、785系300番台は目撃したものの、他の列車を優先したために見送り、翌日からは増結が解除されて結局は撮影することができませんでした。その後も訪れる機会があるかと思っていましたが、月日があっという間に経過してしまい、この時の撮影が最初で最後となってしまいました。青森駅に到着した際、1分差で発車した新青森までの「スーパー白鳥」に思わず飛び乗り、1駅だけでも乗ることが出来たのがせめてもの救いでした。
2024.02.15
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EF5861牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」随分前に『EF5868牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」』にてEF58が牽引する臨時特急「踊り子」をご紹介いたしました。数年後、再度運転の機会を捉え、東海道ブルトレを撮りがてら、撮影に出掛ける機会がありました。既に『EF651116牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」』でご紹介した写真の翌日、伊豆急線内で挑戦した写真があります。結果的に14系客車による臨時「踊り子」を撮影した最後の写真となりました。※撮影は、昭和62年2月14日、撮影場所不詳。EF5861牽引 14系客車 「踊り子55号」前回のEF65牽引「踊り子」の翌日でした。こちらの日は、確か事前にEF5861牽引の情報が公表してあったように記憶しています。やっと来た!という感じでした。今のようにブログでご紹介することが分かっていれば、もっとアップで撮っておけば良かったと思いますが、当時はSLを含む景色重視の写真に拘っていた時代であったため、こんな写真しか撮っていませんでした。今だったら終着まで追い掛けて、これでもかっていうほど記録を残していたことでしょう。
2024.02.14
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681系・683系:特急「はくたか」昭和40年10月ダイヤ改正において誕生した特急「はくたか」は、その姿、経路を変えながら東京と北陸を結んできました。上越新幹線の開業で一旦は姿を消しましたが、北越急行線の開業をもって北陸への新しいアプローチと再び登場し、在来線では異例の狭軌160km/h運転を行うスーパー特急として走り続けてきました。平成27年3月、北陸新幹線の金沢開業に伴い、その役割を終えることになりました。それまであまり遭遇したことは無かったのですが、廃止を目前に多くを記録することができました。平成20年4月22日 金沢駅にて 683系 「はくたか」新性能化されて初めての北陸でしたが、この時は金沢以西に行ってしまったため、「はくたか」はこの1枚だけでした。平成23年5月4日 直江津駅にて583系「きたぐに」を撮影するために信越本線内に行った際、帰路に立ち寄った直江津駅。駐車場で「妙高」の写真を撮っていると、ちょうど上り「はくたか」が到着しました。混結編成に驚いたものですが、日常的に「当たり前」であることは知りませんでした。平成27年1月23日 越後湯沢駅にて 681系 「はくたか4号」北陸新幹線開業前最後の姿を撮るため、初めてほくほく線経由で「はくたか」に乗車しました。乗った車両は自由席車、クモハ681-2501でした。平成27年1月23日 黒部~生地間にて 「はくたか9号」平成27年1月23日 倶利伽羅~津幡間にて 「はくたか10号」平成27年1月23日 倶利伽羅~津幡間にて 「はくたか19号」平成27年1月23日 金沢駅にて 「はくたか23号」平成27年1月24日 小杉~呉羽間にて 681系 「はくたか13号」平成27年1月24日 越中大門~小杉間にて 681系 「はくたか17号」平成27年1月24日 越中大門~小杉間にて 681系 「はくたか10号」 平成27年1月24日 越中大門~小杉間にて 683系 「はくたか12号」今回の撮影ではかなり枚数を撮りましたが、残念ながら統一された編成では運用されていなかったようで、最後の1枚だけ683系のホール赤でした。しかし、アングルの関係から全編成が構図にされていないので、ちょっと残念でした。平成27年1月25日 越後湯沢駅にて 681系 「はくたか15号」一連の撮影で最後に乗って帰ってきたのがクハ681-6を先頭とする編成。長年親しまれてきた「はくたか」の名称は、北陸新幹線の各停タイプとして引き継がれることになりました。在来線「はくたか」の廃止とともに、高規格線路で「はくたか」の俊足を支えてきたほくほく線が、ローカル然とした鉄道になってしったことを非常に勿体無く思います。
2024.02.10
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189系:幻の特急「あさま銀嶺」昭和46年12月から冬期に設定された「あさま銀嶺」は、昭和50年2月頃までに運用を終えていたため、未だ小学生だった私の中には、まったく記憶の隅にも存在していません。181系のほか、489系が使用されたこともあるような記述がありますが、もちろん181系などボンネット型も含め、専用ヘッドマークが用意された事実はありません。しかし、何故か189系には「あさま銀嶺」の字幕がセットされていました。全て昭和52年から53年くらいに掛けて上野駅で撮影したものです。1番目の写真だけは雪の塊が車体に付き、また、線路へ落ちているため、さも実在したかのように写っているのが笑えます。その他の写真は、季節感すらなく、もしかしたら夏休みとかに撮影しているかもしれません(笑)。1番目の写真は、幕送りではなく、確か、このままのマークで停車していたと記憶しています。サボを起動した担当者が、ダイヤルを間違えてセットしてしまったんでしょうね。下の2枚は回転中だったと思います。字幕を「回送」や「そよかぜ」に送るとき、運が良いとこのような場面に出くわすことがありました。189系:臨時特急「あずさ銀嶺」
2024.01.30
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681系・683系:特急「サンダーバード」(富山~金沢間)485系特急「雷鳥」に変わる新形式として登場した681系。平成4年落成から試行錯誤の名称により臨時列車として運転され、平成9年、晴れて「サンダーバード」として定期列車となりました。「スーパー雷鳥」の後進となります。運転区間は大阪~金沢を基本とし、北陸本線では富山まで、さらに、分岐して和倉温泉や富山地鉄への乗り入れも行っていましたが、北陸新幹線の開業に伴い、平成27年3月の改正をもって金沢~富山・魚津間の運転が取り止めとなりましした。改正の直前、「サンダーバード」運転開始以来、初めて金沢~富山間で撮影することができました。平成27年1月23日 津幡~倶利伽羅間にて 683系 「サンダーバード21号」平成27年1月23日 津幡~倶利伽羅間にて 683系 「サンダーバード34号」平成27年1月23日 金沢駅にて 681系 「サンダーバード27号」平成27年1月24日 越中大門~小杉間にて 683系 「サンダーバード15号」?平成27年1月24日 越中大門~小杉間にて 683系 「サンダーバード30号」平成27年1月24日 越中大門~小杉間にて 683系 「サンダーバード38号」かなりコマ数は撮ったような気がしたのですが、「しらさぎ」「はくたか」も走っていますので、思ったより少なかったようです。また、意外と681系が少なく、「スーパー雷鳥」置換えのために誕生した683系ばかりで、特徴のある顔の681系がまったくありませんでした。平成27年3月改正以降、金沢発着以外の「サンダーバード」は和倉温泉発着の1往復のみとなり、津幡より北では乗り入れの臨時を運転する可能性もなくなり、有名な倶利伽羅峠を走る姿も見納めとなってしまいました。
2024.01.29
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185系OM車:臨時特急「草津」平成26年3月15日のダイヤ改正で651系化された特急「草津」でしたが、平成28年初めの冬臨において、久し振りに185系による臨時特急「草津」が設定されました。さらに、翌年にも同様に設定されており、こちらの方を撮影していました。平成29年1月28日 185系OM03編成 「草津83号」平成29年2月18日 185系OM03編成 「草津83号」基本の設定は651系でしたが、一部は車両の回しが利かなかったのか、185系が使用されました。平成29年2月20日 185系OM03編成 「草津93号」このシーズンは平日もほぼ毎日設定され、時間の違いにより列車番号が区別されています。いずれも大宮総合車両センターのOM03編成が使用され、既に廃車が進んでしまっていたため、グリーン車なしの6両編成とグレードダウンとなっていました。その後も185系は細々と運用が残っていたため、運用される機会を期待していましたが、残念ながらこの年度が最期となってしまったようです。それまで、元田町センターのB編成が充てられたこともありましたが、まだ///が登場する前でしたので、「草津」の///はこの時しか見られなかったのではないかと思われます。【参考】JR東日本高崎支社 臨時列車のお知らせより※草津 83 号 1/28 2/4.11.18 は、185 系 6 両で運転致します。※草津 84 号 1/29 2/5.12.19 は、185 系 6 両で運転致します。※草津 93・94 号 2/13-17.20-24 は、185 系 6 両で運転致します
2024.01.27
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キハ82系:特急「にちりん」昭和50年代、日豊本線の特急列車は481系又は485系が主たる使用車両でしたが、南宮崎~鹿児島間が非電化であったため、特急「にちりん」8往復のうち1往復のみがキハ82系で博多~西鹿児島のフル区間を結んでいました。博多から肥薩線・吉都線を経由して宮崎を結んでいた特急「おおよど」と共通運用を組んでいたのも有名な話です。昭和54年3月24日 東別府~西大分間にて 下り「にちりん」この年代にしては珍しくわざわざ駅間での撮影をしています。相当気合が入っていたのでしょうかね。ただし、1枚目のリバーサルで撮った写真がブレてしまっているのが残念です。国道を走るクルマも時代を感じさせます。昭和54年3月24日 別府駅にて 上り「にちりん」この日は別府の温泉宿に泊まったのですが、19時過ぎに西鹿児島から来る上りの「にちりん」を撮るため、再び別府駅に舞い戻って撮影しています。かなり気合が入っていたんですね。この年、昭和54年10月に日豊本線の全線電化営業を開始した際、気動車特急「にちりん」は辛うじて残存したのですが、翌年の昭和55年10月改正において583系「彗星」の間合い使用による「にちりん」が誕生することになり、キハ82系「にちりん」は廃止となっています。また、共通運用で使用されていた気動車特急「おおよど」も、キハ82系の廃車により使用車両がなくなったとして運命を共にしています。485系(国鉄時代):特急「にちりん」
2024.01.20
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カニ24510:寝台特急「北斗星トマムスキー」既に廃止になって久しい寝台特急(ブルートレイン)。寝台特急需要の衰退が顕著になってきた昭和50年代後半。そこに再びブルトレブームを復活させたのが青函トンネルの開業、そして寝台特急「北斗星」の誕生でした。寝台特急「北斗星」に関してはいずれとして・・・ここに1枚のレア写真があります。平成5年11月28日 大宮工場(大宮総合車両センター)にて カニ24510同日、なんの展示だったか忘れましたが、工場の一般公開があったんですよね。そのとき撮った写真のうちの1枚。当時は「北斗星」が3往復に、「エルム」又は臨時の「北斗星」など都合4往復のスジが設定されていましたので、むしろ珍しくないシチュエーションではあったのですが・・・。「北斗星トマムスキー」は平成元年1月に初めて設定された石勝線トマム行の「北斗星」で、当初は上野発着、後に横浜延長や平成3年から夢空間を連結するなど、豪華列車へと発展していったようです。しかし、この「北斗星」が隆盛を極めた時代、ほとんど写真を撮ったことがありません。その時代、各地に復活したSL中心に撮影していましたので、一般の列車はあまり撮っていなかったのです。その後、結婚して写真を撮りに行く機会も激減し、板橋に住んだため「地元での撮影」すらなくなってしまいました。そんなこともあって、実際に走っていたこの時代のブルトレも殆ど記録がなく、特に「北斗星」のなかでもEF65PFが牽引していた同列車を撮影できなかったのは非常に残念です。ちなみにこのカニ24510と言う車両。なかなかの曲者のようで、別に記事にしたいと思います。
2024.01.19
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E653系:特急「フレッシュひたち」本記事は、2013-03-12に投稿したもので、当時の表現になっています。E653系は、常磐線特急「ひたち」に使用されていた485系の老朽化を受け、これを置き換えるために平成9年に誕生した線内線用の特急車両です。「フレッシュひたち」への導入に当たっては、利用の少ないグリーン車は製造されず、485系活躍末期の流れを受け、モノクラス7両編成を基本としました。これに付属4連の併結や、朝夕のラッシュ帯には基本×2の14連も存在します。誕生からまだ20年は経っていませんが、平成25年3月の改正をもって常磐線から引退し、E657系にバトンタッチすることとなりました。新しい物好きではない私として、やはりあまり写真を撮ったことが無く、それも意外なほど撮っていませんでした。平成19年1月1日 藤代~取手間にてデジカメを買って間もない頃、初めて「フレッシュひたち」を撮りました。登場から既に10年が経過しています。平成20年8月9日 佐和~東海 「フレッシュひたち17号」 平成20年8月9日 東海駅にて 「フレッシュひたち36号」常磐線を中心とした撮影会。日焼け、汗、暴風と砂で酷い目に遭いました。平成21年4月25日 勝田駅にて最終電車も近い時間。ホーム脇に静かに横たわる651系とE653系。あまりにも撮影していなかったこともあり、交代直前である3月10日、約5年振りの常磐線撮影会に行きました。平成25年3月10日 日暮里駅付近にて 「フレッシュひたち2号」平成25年3月10日 佐貫駅にて 「フレッシュひたち12号」土休の午前唯一となる14連。改正後はまず見られなくなります。平成25年3月10日 佐貫駅にて足元にあった11号車以降の案内も、臨時列車を除いては不要に。平成25年3月10日 赤塚~内原間にて 「フレッシュひたち24号」 平成25年3月10日 赤塚~内原間にて 「フレッシュひたち17号」平成25年3月10日 赤塚~内原間にて 「フレッシュひたち21号」平成25年3月10日 赤塚~内原間にて 「フレッシュひたち32号」平成25年3月10日 (臨)偕楽園駅にて 「フレッシュひたち29号」この日は気温が高く、3月としては珍しく夏日を記録するほどでした。風はありましたが、上着を着ていては汗ばむほどの陽気。しかし、突然の暴風&砂嵐に襲われ、さらに風向きが変わると一転、気温がぐんぐんと落ち始めます。生まれては初めて偕楽園にも行きましたが、既に遅い時間になってしまいました。風は強く冷たく、そして予報には無かった雨も降り出す始末。梅はまだ4~5分咲きくらい?あまり感動もありませんでした。満開だったら確かにすごかったのでしょうけど・・・ダイヤ改正の日は待ってくれません。E653系自体は常磐線に派動用として残るようで、今年のGWにも臨時「フレッシュひたち」として運転されることが既に発表されています。特急「いなほ」に転用されるようですが、おそらくは半室グリーン車化の改造が行われるでしょうから、今年の秋か、或いは平成26年春のダイヤ改正辺りで、またその活躍を見ることが出来るようになることでしょう。
2024.01.16
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