ひまじんさろん
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ぼくの住んでいる処から24キロほど南に車を走らせると「日本一美しい村」のひとつといわれる中川村がある。たしかに景色も、集落としての佇まいも世俗に染まらない雰囲気があって好ましいのではあるが、“日本一美しい”といわれると、景色の美しいところならまだまだどこにでもありそうだ。考えるに、この村が美しいといわれる所以は、身の丈にあった村造りにあるのではないかと思う。たとえば図書館。蔵書が特別多いというわけではない。いや、むしろ少なめかも知れない。雑誌などもかなり絞られているし、ベストセラー的なものも少ない。が、よく選別されていて欠損感はない。また、居心地もよく、ぼくなど雨の日などにでかけて調べ物や書きものなどして小半日過ごすこともある。居心地の良さとして、たとえば箱物などに特徴的にあらわれている。演劇やコンサートなどを行う中川文化センターという建物があるのだが、観客席が300。よく、500とか1000とか規模を誇り、田舎の文化団体が使うには大きすぎる建物を自治体は競いたがるのだが、このくらいだと使いやすい。と、幾つかの特徴はあるのだけれど、最も特徴的なのは曽我村長の存在ではないだろうか、と思えてしまう。今年の、中川村戦没者・戦争犠牲者追悼式での曽我村長の式辞が村のホームページにあるが、それなどを読むとよくわかる。こんな人を日本の首相にしたいなぁ、とぼくは思う。2014年6月6日の村長の式辞中川村戦没者・戦争犠牲者追悼式を挙行いたしましたところ、ご多忙の中、上伊那地方事務所長様はじめ、ご来賓各位、御遺族の方々など、大勢の皆さんのご列席を賜り、真にありがとうございます。さて、昨年の追悼式の後、中川村遺族会の会長と幹部の方々が、抗議文を携えて、役場に来られました。その時の会談は、音声データで村のホームページに挙げてありますので、お聞きになった方もおられるでしょう。頂いた抗議は、大きくは2点です。ひとつは、私の式辞に、遺族の皆さんの悲しみや御苦労に対する言葉がなかったという点。これに関しては、近頃の政治の動きに気をとられ過ぎて、配慮が足りなかったと反省を致しました。私は、母一人、子一人の家庭で、母の苦労を見て育ちましたが、大黒柱を突然奪われた御遺族の方々の悲しみとご労苦は、その比ではなかったと推察申し上げます。抗議の二つ目は、国旗の掲示がなかった、という点です。こちらについては、会談の際に私の考えをお伝えし、村ホームページにも文章を掲載していますが、3月にもう一度遺族会役員の方々とお話をして、遺族の皆さんのお気持ちもお聞きしましたので、本年は、私の考えを聞いて頂きつつ、ご覧のとおり国旗を掲示することに致しました。確かに、戦没者追悼式では、国旗を掲げるのが一般的です。それはなぜかというと、国のためになくなったのだ、と示すためだろうと思います。しかし、日清戦争から先の敗戦に至る一連の戦争・事変は、日本のためになったのでしょうか。戦場となった国々では、多くの人々が犠牲になり、甚だしい迷惑をかけ、被害を与えました。日本は、今に至るまで周辺諸国と良好な関係を築くことができずにいます。日本の側でも、多くの兵士がジャングルなどの過酷な環境に送り込まれ、飢えや病気で次々となくなりました。夢と希望にあふれた膨大な数の若者を失い、日本にとってどれだけの損失となったことでしょうか。そして、愛するお父さんや兄弟を亡くした遺族のみなさんは、悲しみにくれる間もなく、生活のために大変なご苦労を背負いこまねばなりませんでした。沖縄で、東京他大空襲で、また原爆投下によって、大勢の一般庶民も亡くなっています。つまり、戦争は、まったく国家、国民のためにならなかったのです。戦争とは、一部の人たちが、自分達の思惑のために、国民の命と身体と税金を使って始めるものであり、それは、歴史の変わらぬ事実です。しかし、国旗が掲げられることによって、あたかも戦争が国のためであるかのように思わせます。つまり、国旗は戦争の実態に蓋をして、隠してしまうのです。昨今の政治状況について言えば、深い議論を重ねた上で、正式の手続きを踏んで、憲法変更の是非を国民に問うのではなく、安倍政権は、恣意的な憲法解釈の変更によって、日本を、戦争をする、ありふれた、志のない国にしようとしています。その裏には、どういう思惑があるのでしょうか。愛国を掲げることで、その思惑も隠されています。国や国旗を隠れ蓑として利用しているのだと思います。特に今、集団的自衛権の必要が喧伝されています。しかし、戦況の情報を米軍が握り、首都東京の周囲に座間、横田、横須賀、厚木などの米軍基地が居座る状況では、自衛隊は、実質的に米軍の指揮命令下に入るしかありません。つまり、集団的自衛権とは、日本の若者を、日本国民の税金で訓練して、米国から購入した高額の兵器とともに、米軍の戦場に差し出すことです。これでは、愛国どころか、何重にも売国的だと言わざるを得ません。亡くなった日本の兵士たちは、「鬼畜米英」と教え込まれ、「生きて虜囚の辱めを受けず」と叩きこまれました。もし、このような今の日本の状況を見れば、「米国にこれほどまでにおもね追従するのであれば、あの時、なぜ自分達を、あれほどに餓えさせ、あのような意味のないバンザイ突撃をさせる必要があったのか」と、憤りの叫びを挙げることでしょう。今の状況がこのまま進んで、集団的自衛権が現実のものになれば、自衛隊の若者が戦場で亡くなるのも、現実のこととなります。もしそうなれば、自治体でも、かつてのように村葬をすべきだ、という声が上がるでしょう。村長は弔辞で、国のために命を捧げた自己犠牲を讃え、お母さんは、悲しみを押し殺して、感謝の挨拶をすることになります。そして、ひとりの若者の死が、「国のために」死のうとする多くの若者を獲得することに利用されるのです。私は、そんな村葬はぜったいにやりたくありません。戦没者・戦争犠牲者のみなさんも、そんな村葬を見ることは嫌だろうと思います。この式典に、新たな遺族を迎えいれるようなことは、あってはなりません。日本が大きな分かれ道に立っている今、掲げられた国旗はなにに蓋をしているのか、そのむこうにはどんな思惑が隠されているのか、透かし見る努力が必要だと思います。日本を平和な国として保ち、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存できるように全力を挙げて努力する、そういう誇りにできる国にすることによってこそ、戦没者・戦争犠牲者のみなさんに穏やかに安らいで頂くことができると信じます。その努力を村民の皆さんとともにお誓い申し上げ、中川村戦没者・戦争犠牲者追悼式式辞と致します。有難うございました。 中川村長 曽我逸郎
2014.06.10
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