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僕も参加しているグループで、半藤 一利さんの『昭和史』という本を読んで、その感想を語り合うということをやっています。今、戦後扁で、自分たちの生きた時代ですが知らなかったことも多く、とても新鮮に読めます。昭和という時代は語り尽きない面白さをもっています。著者は、昭和史より得た教訓として5つのことを挙げています。第1に、国民的熱狂をつくってはいけない。第2に、危機において、日本人は抽象的な観念論を好み、具体的な方法論に目をつぶる。第3に、官僚的秀才による小集団エリート主義の弊害。第4に、国際社会のなかの日本の位置を客観的に把握しない。第5に、事が起こったとき、すぐに成果を求める対症療法的な発想を取る。これらが、現在の日本に生かされているかというと、柳沢厚生労働相の「女性は産む機械」発言のみならず、為政者の本音に見え隠れする意識は、過去現在とお寒い現実があるといわざるを得ません。『昭和史』の感想で、「ああ、なるほど…」と、目から鱗的な発言をした人がありました。戦争が終わって、間違ったことのひとつは「一億総懺悔」をしてしまったことではないか、というものでした。当時、「朝日」を初めとするマスコミも「聖戦」あおり立てました。国民も貧苦の打開を大陸に求め、戦争へ駆り立てられてゆく熱狂に、荷担し、巻き込まれてゆきました。これはごく一部の人の策略だけで導かれた粗筋ではなく、「王道楽土」「五族協和」構想を立て満州事変を起こした石原完爾にしても、後には戦線不拡大を主張しています。しかし、東条英機と対立し隅に追いやられました。当然ながら、反戦を唱えた社会主義者のみならず自由主義者たちも、一旦流れ出した熱狂の波に翻弄され、弾圧され、一部の冷静な国民もこの波をとどめることができなかったわけです。これを「一億総懺悔」で相済みとしたところに、今日までつづく日本の不幸が存在するのではないか、というものです。個々のどこに問題があって、その責任は誰にあったのかを細かく分析せずに、「国民みんなが馬鹿でした」と曖昧な解決をしてしまったわけです。たとえば戦争を煽った新聞や雑誌。当時、厭戦・反戦を柱にしたマスコミは売れませんでした。ときには、右翼の襲撃さえ受けました。戦争を煽れば売れる、商業紙としての堕落に堕ちて、政治を今日のスポーツ紙化していったわけです。そして真に責任をとるべき人々の多くも、一部戦犯の首を差し出し、裏取引やアメリカの思惑、当時の世情のゴタゴタに紛れ逃げ延びてしまったわけです。例えば、生きた人体実験に明け暮れた731部隊の石井四郎や東條内閣の商工大臣として戦争を主導した岸信介らはその代表でしょう。逃げた者勝ち、またそれらを曖昧模糊のなかに許してきた衆愚的大衆。当時、きっちりとしたけじめがつけられていたら、現在の日本の政治や社会状況もずいぶんすっきりしたものになっていた可能性はあります。柳沢のみならず、前近代的本音を潜在させた方々が要職にいる情況もなかったことでしょう。ちなみに、岸信介がA級戦犯のまま処刑されていたら、孫だった今の総理大臣もなかったわけです。岸は80歳過ぎまで別宅に愛人を囲っていた艶福家ですが、このへんにも彼の方々の、人権感覚が伺われます。
2007.01.30
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昨今、柳沢厚生労働相の「女性は産む機械発言」が顰蹙を買っていますが、日本の統治機構は、延々と女性を「モノ」として捉えていることがわかります。戦国時代の、政略結婚。大奥に代表される子作りシステム。天皇家の男系制度。そして、終戦が決まり進駐軍が日本本土に来るにあたって、当時の日本政府がまずやったことは何だと思いますか。日本全国から「接待婦」平たくいえば娼婦を募集したのです。そして、進駐軍用の公営の慰安所をわずか数日間で完備しています。この目的は、(なんたって鬼畜の)進駐軍が来ると手当たり次第に良家の子女たちに狼藉を働くに違いない、としてその防波堤となるべき「モノ」として女性たちを待機させたわけです。いまこの頃になって、従軍慰安婦は居なかったという発言も出ていますが、外国の軍隊にさえこんな配慮をして、自国の兵隊にはしなかったといっても、果てしなく???が付きます。人間も動物の一種であるから、ことに男は本質的に性欲に対しては能動的です。しかし、霊長類を語る以上、相手の人格を無視したコミュニケーションなき性は、ただの獣と同じ(と、いったら獣に失礼か)で、自らの人間性を否定する行為でしかありません。頭で仕事をする官僚的秀才の方々は、とかく「こうなるの違いない」という、独りよがりの思考に陥ってしまうのではないでしょうか。終戦直後、当時の政府官僚たちが自国婦女を守ろうと考え行動したことも「女はモノ」とする思考水準でした。柳沢厚生労働相の発言も、延々とつづいてきた地下水脈が吹き出したと考えるのが妥当ではないでしょうか。世のなかの、平凡なお父さんたちは、妻を「機械」だなんて考えてはいませんよ。機械がグチをはいたり、子どもと結託してお父さんを粗大ゴミ扱いなどするものですか。
2007.01.29
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田舎者たちと話しをしていてうんざりすることがあります。この道は○×先生が造りましたから○×道路って呼ばれています。この橋は、××先生、このトンネルは△△先生などと言ってしまうことですね。政治家が、自分の後援会報に地元の工事実績などを、さも自分の口利きで出来たかのように宣伝するから、軽薄な人たちはそれを受け売りで発言しているわけです。もしそれを言いたいなら、ナニナニ建設に勤める何のたろべえ橋とかつけるべきですよ。厚かましいといおうかしらじらしいと言おうか、国民の税金を使ったことをさも自分の手柄のように言うという習慣が、偏狭地域にはまだあります。必用なところに適切な税金を使う。それにしっかり目配りをする、不足があれば要求する。これは行政の職務であって、その手助けやチェックも政治家の職務であるわけです。それは、土建屋のオヤジの職務も、街のパトロールをする警官の職務も、政治家の職務も与えられたポジションのやるべきひとつであって、自分から手柄といったらチャンチャラおかしいのですよ。そういうセンセイの腰巾着になって分け前にあずかろうとゴマスリに明け暮れるなんてのは、職務とはいえませんぜ、まったく。
2007.01.28
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娘からストーカー相談の長電話。相手は、70歳にもなるという男だ。オイオイ、まだ枯れてないのかい。ただのストーカーなら警察に相談するか、手強く応対して退散してもらうか、その家族に知らせて注意して貰うか、それでもダメなら僕が出かけて行って凄んでくるか、…だがまだ決めあぐねている。娘は中部圏に支店をもつ大型店系の宝飾売り場の店長をしている。店長といっても、店員はほかに4人しかいない店で、しかも正社員は娘だけなので、いつでも店に張り付いているわけだ。その男は店にとって、そこそこ売り上げに貢献してくれている客なのであまり無碍にもできない。それをいいことに毎日のように店に来て、・食事を付き合ってくれたら、これを買う。・(商品)これを君に買ってあげるから、休みにつきあえ。などとのたまうそうだ。そのうえ、1日に十回以上も電話がかかってきて、やんわりと断ると、本部の上司のところに店の応対が悪いの、電話に誰も出ないなどとご注進に及ぶという。上司たちも、度の過ぎた客だと知ってはいるが、長いあいだ店の上得意だった手前、なるべく当たり障りのない対応を求めるのだという。娘はそれへの対応にほとほとストレスに苛まれ、他の店への転勤願いを出した。どうやら叶えられそうだが、調べたら、男はその店にも出入りしているらしい。過去に、ノルマをあげるために男の要求に応えたことのある店長がいたことがあって、味を占めて、娘の勤務する店にとりついてしまったらしいのだ。男も初めは新人にちかい若い店員に、しつこくフライベートな誘いをしていたものだから、店長として自分がバトンタッチして応対してあげたら今度は自分が標的になってしまったのだという。男のクセに(こういう言い方は偏見だろうか)、アクセサリーなんか買うなよ、と僕は思うのだが、こんなストーカー野郎に毅然とした対応をしない会社にも問題がある、と僕は思う。こんな客が減ったら、店は明るくなって売り上げだってあがるだろうに…。娘は、転勤願いを出した以上、上司の指示に従うべきか会社を辞めるべきか悩んでいる。僕としては、こんな理不尽なことで職場を辞めさるのは娘のために良くないと思っている。さりとて、ガマンしろとも言いたくない。なのに、直ちに有効な手がすぐには思いつかない。こういうのは、女の男の腐ったヤツという典型なんだろう。僕は嫌われてまで女性にまとわりつくという志向がまったくないので、このようなねちっこい男への対応が、もうひとつ湧いてこないのだ。まさかとは思うけれど、娘にあまり過激な対処を求め事件にでもなったら、よりコトだし…。僕と話すうちに、娘の声は少し涙ぐんでいる。ストーカージジイ、許せん!これは、おせっかいでも出かけていって僕がお灸を据えてあげるべきなんだろうか。う~ん、悩みはつきない。
2007.01.27
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以前、友人の持っているアパートでうさぎを飼っていた。♂は一羽、♀を6羽くらいゲージに入れて飼っていたのだが、夜中にゲージの上から抜け出して、乱交パーティーをしていたことがある。うさぎはそれだけで、妊娠してしまうのである。皇室に献上したいような…。1ヵ月もすると、コロコロと赤ちゃんが産まれ、もう手に負えなくなるわけでとうとううさぎ飼育農家に引き取ってもらった。いや、今日はうさぎのことを言いたいのではない。そのアパートに住む中国人女性のことで、これも以前にアダルトなお仕事で書いた。いつしか職場で育児をしていた初代の母子はどこかに移り、現在は2代目の若い中国人女性が住んでいる。ちなみにその部屋の向かいには60代後半の独り暮らしのお父さんが住んでいた。その女性が、めでたくも天涯孤独な日本人青年と結婚して、所帯をもったのは1年ほど前、ラーメン屋の二階の6畳間での結婚式に友人夫妻がただ一組みの来賓として参列した。日本で働く中国人女性は、日本人と結婚したがる。戸籍が入ることで日本国籍を得て、安心して日本で働くことができるからだ。今日、所用があってアパートを訪れたら、なんと新婚夫婦に赤ちゃんが産まれているではないか。うさぎを飼っているときにも、こんなにも生命が簡単にできていいものかと思ったが、これではうさぎ並みのスピードではないか。そして驚いたことに、向かいの部屋のお父さんの部屋に30歳くらいの若い女性がいるではないか。えっ、あのお父さんどうしたの?と聞いたら、結婚したという。おい、おい、このアパートは多国籍キューピットでも住み着いているんじゃないか、と呆れてみても、親子ほどにも年の違うカップルは仲むつまじそうにうらやましい暮らしている。まさか、こちらにも二世誕生などとは…。わが長男夫婦は、結婚してもう8年にもなるのにまだ子どもがいない。いったい何をしているのか、していないのか。このままでは血統書付き日本人はますます減ってしまうのではないか、彼らの動物的習性を息子にも見習わせるべきか。
2007.01.26
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昨年、11月に受精させてわき水を引き込んだ容器に沈めてあったのが、12月末に孵化しました。理屈では100パーセント孵化してもいい計算ですが、7,80パーセントの孵化率でした。それでも10000尾ほどのオタマジャクシのような岩魚の稚魚・アマゴが元気に泳いでいます。今は栄養源となる卵のうを腹部にもっていますが、それが無くなってきたら餌付けをして、2月~3月始め、池に放流してやればいいのです。その餌付けが上手にできるかどうかが、ひとつの鍵になりそうです。失敗すると釣りの対象になりにくいし、あまり人慣れしすぎても面白くない。さて、どのような子育てをしたものか、悩んでいます…と言いながら、実は楽しんでいるのですが…。 今日は山荘に、シンガソングライターのえびはらよしえさんが午前中から来ています。春先にコンサートをしようかと話し合ったところです。ゲスト参加しようという方はおりませんか。今のところ、3月31日がいいかなと思っています。
2007.01.25
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正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい 正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと 気付いているほうがいい 吉野弘「祝婚歌」より 正しいことも、声高に主張してばかりいては伝わらない。野球でも、直球だけ投げていては、どんなに速い球でも打たれる。緩急の差をつけることで、直球も生きてくるものである。「正しいことは蒸留水にもたとえることができるかもしれない。純水はまさに味がない。地下や岩石の間をくぐってミネラルや不純物が適度に混じったものから味が出てくる。というのを、僕は常日頃から意識しているつもりであるが、それでも他人からはそう見えないようである。正しいことを言い出すのは勇気がいる。だから、そういう人がいれば応援してあげたい。自分を棚にあげてもだ…。今日は、ひかえめにしておこう。
2007.01.24
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納豆事件?がとりあげられていますね。Dr.悠々さんの八つ当たり的日記も面白い。しかし、お医者さんだから、書いてあることはすべてもっともだし説得力があります。わの字さんは騒動も落ち着いたから、そろそろ納豆食べようといっています。マイペースがいい。そしてつる姫さんの「納豆がないているのでは・・」です。自分も踊らされた一人だけれど、これを機会に納豆を食べようと思っている。ということですが、こういう率直な日記に出会うとホッとします。そう、こんなことで納豆を捨てたらバチが当たります。皆さん、納豆を食べて太りましょ健康になりましょう。ということで、僕も信州大学農学部のある先生に聞いた「あるある大事件」をひとつ。納豆は、大豆を納豆菌で発酵させてできるということはご存じですね。納豆を食べると、納豆菌が腸内に住みつきます。納豆菌を腸内で飼っておくと、他の善玉菌も増えて安定化するといいます。ヨーグルト菌なども同じような効果があるといいます。この善玉といわれる腸内細菌は、食物として食べた栄養やブドウ糖を食べて生きているので、一応ダイエットの役割もするということです。しかし、同じ腸内で行われている出来事ですから、どれほど効果があるかは数値としては何とも言えないということです。納豆などの発酵菌は腸内を整えたり、通じが良くなったりする効果がありますから、食べて損はありません。テレビ局のねつ造のみちづれで、一緒に悪役にしてしまっては納豆が可哀想です。というより、消費者である自分が損しますよ。もうひとついいことを教えましょう。納豆菌は、気温など温度の変化に強いのです。台所の配水管が油などで動脈硬化していませんか。納豆を水を加えて細かく潰してから、配水管に流してしばらく(1日以上)置くのです。納豆菌が、配水管のヘドロを食べて配水管の通じも良くなります。化学薬品でムリに溶かすより効果があり、当然環境への負荷も少ないのです。お試しください。冤罪にかけられている納豆も、上手に使えばとても役に立つ伝統食品なんですよ。ところで、僕は発言に責任をもちませんから、あしからず。
2007.01.23
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「納豆」で痩せると聞いて、店頭から納豆が消えてしまったそうな。そういえば、2年ほど前には「寒天」で痩せると放送したものだから、当市にある日本一の寒天メーカーの商品は売り切れ続出でウハウハだったそうです。この手のマユツバ情報は本当に多いですね。「酢」で痩せる。「にがり」で痩せる。「豆乳」で…。サギ的番組といえば、「あるある…」だけでなく、昼の人気健康番組も同類、健康雑誌もその類だな。放送されなくてもわが家では納豆はいつでも買ってあり(なんたって安くて栄養がある)、よく食べます。僕は一昨年から昨年の夏までしっかり身体を動かしたので一時は7キロほど減量しました。体力をつけるために納豆をしっかり食べた結果、今は5キロほど元の“太さ”に回復しました。カミサンにいたってはブタ…。どうせ僕が言っても信用しないでしょうが、この手の情報はせいいぜい5パーセント程度の信憑性と心得たほうがよいでしょう。努力しないで痩せたかったら「何も食べないこと」か「食べたものは確実に出す」ことでしょうがこれでは身体がもちません、せいぜい身体を動かして新陳代謝を活発にすることでしょうね。もの知りによれば、脂肪1gを消費するのに必要なカロリーは9Kcalだそうです。だから約5キロ痩せるには5000X9=45000Kcalを消費しなくてはなりません。1ヶ月で減らすには、1日あたりにしてなんと約1500Kcal今より少なくするか燃やせばいい計算になりますから、納豆でも寒天でも食べないに超したことがないわけです。ただし、寒天はKcalがゼロに近いわけですから、下から出してしまえばそのぶん痩せるのは当たり前で、しかし偏食ということになりますから逆に体調を崩しかねません。しかし、こういう情報がでると短期間で痩せようと大量に食べて、後からしっかりリバンイド太りするおバカさんが必ずいるんですね。以前にも「ダイエットもほどほどに」で書きましたが、ムリなダイエットは絶対に身体に良くない。幸いなことに、「納豆」はいくら食べてもダイエットにはなりませんが、立派な健康食品であることは確かです。食べ物は好き嫌いなく、なんでも良く食べる、飲むことが僕のようにほどほどに太るコツ。みんなで渡ればコワクない、いかがです。
2007.01.22
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この歳になっても教えを請うた先生の幾人かとのつきあいがつづいている。その先生と、日本語について話し合っていたときのことだ。「……それにしても、日本語は難しいとよく言われますが、漢字など良くできた文字ですね。二字とか四字の熟語の組み合わせはもちろん、一文字のなかにも、簡潔に沢山のメッセージが含まれている。これが、他の言語にない最大の特長ではないでしょうか―」「そうだ、だから旧漢字にも、本当は省略したり、変えてしまってはいけない文字が沢山あった。簡略化しすぎて、文字のもっているすぐれた文化を断ち切ってしまったものも少なくないんだな…。」と言いながら、若い日の回想を語ってくれた。「もう何十年になるかな―、信州を訪れた朝鮮人の小説家と汽車で束京まで同行したときのことがある。各国の言葉について語り合っていたとき、僕が、国語教師として日本語教育の煩雑な部分での欠点を述べたときー。突然、大声を上げ、あなた、何を言っているんですか! 日本語ほど優れた言葉はありません。国語の先生たる人がそんなことでは日本語に失礼ですよ。あなたは勉強不足です。そんな意識で、子どもたちの教育をするべきではありません。と、強く怒られたことがあるんだよ。いゃあ、あのときは雷に打たれた気持ちで、本当に恥ずかしかった。」その、小説家は、朝鮮半島と日本との歴史的かかわりなどを書いて、韓国や日本で発表している人だということだった。それにしても、とかく日本文化への対抗意識が強い朝鮮半島の専門家に、ここまで言わせたのだから日本語もたいしたものだ。その小説家の見識と度量にも感心する…。漢字が、中国―朝鮮半島―日本と伝わり、そのうしろには太平洋が拡がっているだけという、文化のどん詰まりだったから、見事にふくらみ花開いた言葉が日本語なのかも知れない。そして、日本語が文化という血液の動脈だとすれば、その血管の先にあるものは方言という地方文化をいきいきと活性化させている毛細血管であろう。僕が確信的に感じているのは、社会的には不便な、その先は袋小路になっているような場所に本物の文化が根付きやすいのではないだろうか、という気持ちだ。この信州でも、過疎地や僻地にはそれぞれ独特の文化が根付き育っている。雑学の部類だが、漢字が発明された漢の国では「漢」とは「男」のことで、優れた成人という意昧だったようだ。ナイスガイを熱血漢とか好漢という。同じ漢でも、痴漢は馬鹿な男という意味だ。僕の少年時代、子どもをもった母親たちが平気で人前で胸をはだけて乳児に乳房を与えていた。畑の隅で小水をする農婦の光景も珍しくはなかった。ときには、昼寝どきに草タケのある木陰で愛しあう若い夫婦もいた。僕は、夫婦なのに夫がいじめていると思って父親に告げ口したことがある。父親がどのように答えたのか記憶にのこっていない。何となくはぐらかされたのだ思う。こんな光景を見ても、見せても痴漢とはならなかった時代のことだ。といってもそれから数十年にしかならない。文化とは、その時代時代によって価値観が移ってゆく。恥の文化も、日本語も変化してゆくのはしかたがないことだ。しかし、何でも一括りにしてしてしまうのはどうかと思う。女の子が「すげえ……」「チョー、ダサー」というような流行の男ことばを使うのも、20歳くらいまでに卒業して、多用な日本語を使い分けて欲しいと思うが…。
2007.01.21
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愛犬のハナに初潮が訪れました(^^;)。まだ生後6ヶ月だから、ちょっと早いような気がしますが、もう成犬ほどに育っているので順調な生育といっていいでしょう。これから暫く♂犬を寄せ付けないようにしなければならない。♂犬は発情中の♀犬を見つけただけで、種の継続という崇高な使命のために、スタンバイOKになってしまうといいます。犬など、殆どの動物の性は種を存続させるために、個々の種にふさわしい進化をとげてきました。いまさらながら、動物のなかで特異なのは人間でしょう。性が単に種の存続としてだけでなく、恋愛や愛情表現のコミュニケーションの手段となり、さらには自ら商品として使うことまで覚えてしまったわけです。生存のために備えた機能を、さまざまな工夫を加えて文化(?)にまでしてしまったのですから、これには天地創造の神様もさぞかしビックリされたことでしょう。言葉や文字も自分の意志を相手に伝えるための機能として発明され、発展してきたわけです。それがさらに発展して、愛情を伝えるコミュニケーションの一方法として、日本語で言えば、和歌・相聞歌へと発展し、現在ではコミュニケーションという枠を超えた表現手段として、広く拡張性をもってきています。文字も単なる伝達だけでなく、様々な書体となり、その形を芸術までに高めてたのが書道となったわけです。単なる伝達としての機能だけであれば、形の美にまで固執する必要はなかったはずです。常日頃から思うに、文化とは人間が動物としての本能的機能をつかさどる古い脳から、本能以外の感情を取得したところから発生しています。単に“種の継続”“生きる”というだけが目的であったら不要なものです。音楽や美術などの芸術も、無くても生存するだけであったら無用な長物です。グローバルな社会ということで、いたるところで激しい競争社会にさらされています。他社より1円でも安いものを、自社の競争力を高めようと考えたら、究極まで効率化に向かわざるを得ません。困ったことに、野放図な箱物行政に明け暮れてきた自治体にまで、効率化せざるを得ないという波が押し寄せてきて、その矛先は直接の利益を生みにくい福祉につきつけられています。僕は、福祉は何が何でも大きくすればよいものだとは思っていません。しかし、絶対に削ってはならない部分はあるのです。それは、憲法に謳われる基本的人権にある「生存権」です。たぶんこれを読んでいる人たちはまだそんな深刻な状態を経験したことがないので実感がわかないでしょう。しかし、特別養護老人ホームなどホスピス的役割に近いところも、公営から切り離されて民営化の足が強まっています。当市でも、ただひとつ公営だった施設の民営化移設が検討されています。ムダなものにこそ文化がある。お年寄りがムダだと言っているのではありません。ある種の人々がムダだと思っているものにこそ、文化が宿っているといいたいのです。と、何を言いたかったのでしょう。そう、皆さんはコミュニケーションを大事にしましょうね。えっ、何の? それはそれぞれ勝手に考えてください。
2007.01.19
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飲食店で隣の席に可愛い赤ちゃんが転がっていた。昔は他人の子どもを見てもあまり可愛いと感じたことがなかったが、最近はどの子どもを見ても可愛いと感じることが多くなった。そういえば道を歩いている中・高生の女の子も、街で見かける若い女性も容姿端麗な人が多くなったような気がする。僕が住んでいたのが田舎だったせいか、少年時代は美人といえば母親ぐらいで(笑)数えるほどしか見かけなかったような気がする。もっとも最近の女性は美形ではあるが、おしなべてノッペリ感がして美味しそうな人は少ない。(なんて、偏見?)ある人にいわせると、これも食品に含まれるホルモンの影響だという。最近は女の子の初潮年齢が早くなって、小学校低学年からみられるそうだ。僕の小学生の頃は、男女一緒に裸で身体測定をした。しかし、胸のふっくらした女子がいた記憶はない。中学生になって、プールでボール投げなどに興ずる女子の脇にうっすらと萌え始めた若毛を盗み見て興奮したぐらいだ。小魚より、ハンバーガーや肉を好む現代っ子たちは、早く色気づいてしまう、いわゆる発情も早く、大人びるのも早いという説がある。先日書いた鶏や豚などでも餌にホルモンが混入されていて、早く卵を産ませたり成長を早めたりしているというのだ。それを食べる子どもたちが、肉体的に早く成熟をはじめている、という。すでに成長の止まった大人には効果はないが、成人病を早めることに繋がっているという。いや、成人病は子供世代にまで降り始めているらしい。野菜をしっかり食べましょう、と言いたいが野菜も農薬浸けの中国野菜が問題になったように、安全とばかりにはいかない。しかし、食べないわけにはいかない。まあ、今年は家庭菜園でもやって有機栽培野菜でも作ってみようか。それにしても、最近は金肥を使う畑はあまり見たことがないね。使ってみるべきか、否か。
2007.01.16
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宮崎県の養鶏場での高病原性鳥インフルエンザウイルスに感染した鶏、1万2千羽を処分し焼却するという問題は、養鶏業者も鶏も誰を恨めばいいのだろう。宮崎県には200万羽も飼われているという。もし、他に飛散感染したらそれこそ悲惨なことになる。二〇世紀からの人間は、ペスト、コレラ、チフス、結核など、それまで怖れていた病気をつぎつぎに凌駕してきた。しかし、それをあざ笑うかのように、昨今、エイズ、エボラ出血熱、狂牛病、鶏インフルエンザなどなど、新たな病気が次々と現れている。自然界の動植物は一つの種が増えすぎると、天敵が現れたり自らの変異などで一気に抑制する方向にむかう。これは天のルールともいえるものだ。これまで人間のみが、その天のルールから逃れ増殖してきたのだが、ここにきてどうやら人間にも天のルールが発動しようとしているのだろうか。養鶏は究極の効率飼育となっている。人間はこれまでとどめなく効率を目指して突き進んできた。昨今の平成の大合併もそうだし、大型のガス溶融炉式ゴミ焼却場、終末下水道処理場等も原発などもそうだ。確かにその場では効率がいいかも知れないが、効率が巨大化するに比例して人間生活の危険性は高まってゆく。その危険性は大震災のときのビルを思い出してみればわかる。水・電気の途絶えたビルのいかに不便なことか。広域化した効率主義の施設は、そこに何らかのトラブルが発生しただけで地域全体が機能不全に陥るということだ。そんなわかり切った危険性をかえりみずに、拡大社会を野放しにしていくことは、いずれ鶏ならぬ人間の大量処分さえ招きかねぬ、と思う。身の丈にあった施設、とりあえず今を生きてゆくだけの生活、そんなつつましい社会を目指そうという考えにしてゆくべきではないだろうか。
2007.01.15
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僕の青春、20代頃は写真を趣味としていた。どこにでもカメラを持ち歩き、撮影した写真はフィルム現像から焼き付けまで、ぜんぶ自分で処理していた。カメラ雑誌に投稿した写真は、稀に入選したことも気をよくして、いっぱしのカメラマンを気取っていた。同時期にカメラ雑誌の月例会で顔を合わせ、憧れと、ライバル心を抱いた人に後にプロとして活躍した女性カメラマン沼田早苗さんがいた。僕は25歳で信州に帰り現在の仕事を始め、写真を休んだが、そのまま写真への道に復帰できないまま写真はカラー全盛時代となり、他人任せの現像などに興味が薄れ、写真家への道は頓挫した。カメラは、シャッターを押せば誰でもファインダー内の映像が写る。しかし、これはという映像をモノにするのは意外と難しいものだ。どのようなチャンスで、どのようにフレームを切り取るかのセンスが瞬間的に試されるからだ。良い写真を撮れときには、シャッターを押した瞬間にその手ごたえを感じた。撮影したネガをもって、暗室に寵るときは至福の時間だった。ひたすら、現像液の中に浮かびあがる画像に思いを重ねた。トリミングは、思いきりムダな部分を削り、また焼き込み、ポイント部分を強調すべく工夫する。ここが腕のみせどころだった。しかし、これが現在のデジタルカメラだと、画像ソフトで簡単にできてしまう。僕の青春時代。ご多分に洩れずシャイで、人見知りした。美しい女性と擦れ違っただけで、顔面が紅潮し、胸がドキドキと弾けた。ところが、カメラというものは不思議な力をもっていた。カメラを通すと、モデルであれ、女優であれ、平気で話しかけられた。「目線をこちらに、もっとイロっぽく微笑んで!」などと、ファインダーを覗きながら、もう恋人気分であった。伝説の写真家、東松照明氏がカメラを手にするようになったきっかけは、恋だという。私が、初めてカメラを手にしたのは、ハタチを過ぎてからである。死ぬほど好きなオンナのコがいた。彼女の名をK子としておこう。K子は私が親しくしていた学友の妹である。当時の私は、まことに気弱な青年であった。なにかの口実をもうけては学友の家を訪ねるのであるが、K子と向き合うと、体が硬直してしまい、頭に血がのぼって、口がきけなくなるのであった。いま振り帰って思うに、デートひとつ申し込めず、いじいじしていた自分自身が、別人のようである。ラブレターを書こう、と決意して机に向ったことも何度かあった。あれこれ書いては破り捨て、思い直してはまた書いた。ある日私はカメラに興味をもった。どのような弾みでカメラに着目したのか覚えていないが、直感的にイケルと思った。ファインダーを通してならK子と面と向き会えそうに思えたのである。 (月刊「朝日ソノラマ」76年6月)そして、東松照明氏は写真の魔力にひかれてゆき、伝説的とも言える写真家になっていったのである。カメラを手にしただけで、誰とでも平気で向い合えるという神通力はもはや失せたが、代りに川柳というファインダーを手に入れた。川柳を通して相手をみると、どんな美人でも、おエライさんでも素っ裸に見える。僕は、川柳で世の中を覗き見しているエロオヤジ、かも知れない。 過去エッセーより採録しました
2007.01.13
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次男がもんじゃ焼きを食べに行こうという。妻と三人で近くの店に出かけた。自慢じゃないけれど僕は「もんじゃ焼き」なるものを食べるのは初めてだ。メニューから幾つかの種類を注文して、息子と妻が手際よく焼いている。彼女と行動することが多い息子はともかく、妻がどうして…、と不思議だったがまあいい。お好み焼きは昔よく食べたが、殆ど似た発想だな。何となく頼りない食べ物だが、見かけより旨かった。「……それで…」、と切り出したのが息子。「えっ、」よく聞こえない。「結婚式のことだけど…」「えっ、誰の…」「オレと彼女とのさー」どうも、息子から食事に行こうなんて誘われたからには何か魂胆があるとは思ったが…。ちょっといじめてやろう。「好きにしたら」「そう、じゃあ結婚式場決めてくるけれど」「結婚なんて、市役所に届けをだせばそれだけでできるんだぞ。何なら駆け落ちして、孫でもできたら連れてきて、結婚を許してくださいって、言ってくれないかなー。そしたら、しかたない許す、で一件落着!」「オレはそれでもいいんだけれどさー、彼女が…」などと、すったもんだがありまして。もんじゃ焼きって、意外に腹持ちがいいんだなー。ということで、いま帰ってきたところです。
2007.01.13
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次男が転職した。今まで6年ほど勤めていた会社は、全国殆どの都市に支店もあり、テレビでも毎日コマーシャルが流れているレンタルサービスの会社だった。その会社の労働条件はなかなか厳しかった。募集条件では、8時30分~17時、それ以降は残業ということになっていたが、実際には7時30分には出社して、昼も営業車の中で30分ほど。飲食店のお得意様も多かったので、夜は10時頃まで戻れないという毎日だった。土日だけは休めたが、欠勤した部下や同僚がいると、その休日も穴埋め出勤して働いていた。そのうえ、一定時間以上の残業代は僅かばかりの手当をつけてカットという、言うなればサービス残業を強いられた。最近のすき家のようにユニオンを作って、会社と闘うという手もあるがその旗振りをするには多大な自己犠牲が必要だ。ということで、熟慮の結果昨年の11月に退職願いをだした。次男の開拓した得意先の数が多かったので、会社は引き留めにかかったが、決意が固いとみると11月末付けで辞めるようにと辞令が下りた。積み立てた退職金は降りたが、ボーナスは出なかった。まあ、近頃の大企業の実態は多かれ少なかれ、このような使い捨ての体制をとっているのだろう。むしろ正社員を雇わず、いつでも解雇できる派遣に頼っている企業のほうが多いのかも知れない。次男のことは、この際どうでもいい。こんな企業形態をますます先鋭化させていって、本当に日本の将来は大丈夫なんだろうか。今は、デスクの上のPC操作で億という金を稼ぐ人がいる一方、大多数の若者・中年は2、300万円台、いつリストラにあっても不思議ではないという、厳しい環境に置かれている。こんな生活のなかで、少子化とか、政治離れとか、社会的無関心とか、ひきこもりとか上のほうで心配してみても、当人たちは自分と直接関わりのもてないことにまで関心を向ける余力はないのではないだろうか。最近は新聞を読まない若者が増えているが、ネットニュースあるいは活字だけの週刊誌なども読まなくなっているという。本当に大丈夫なんだろうか。これらを改善してゆくためには、せめて意識をもつ人々の手で、社会の仕組みそのものを、緩やかな社会に変えてゆかなければならないだろう。そのためには、今のアメリカ追従の政治・経済体制を否定する議員や政党をひきだすための努力が不可欠だ。単に自分が一票を投じるというだけでなく、身近な人にも、なぜ、政府与党ではダメなのかを今から語りかけるべきだ。それが歯がゆくても、われわれに現在できる道だろう。次男のことに戻るが、学生時代から興味をもっていたバイオテクノロジーの会社に、自分の推薦状を書いて出したら、先々日に社長直々の呼び出しがあり、数時間にわたって話し合った結果、今日採用が決まった。医薬品と関わるバイオ研究で伸びている会社だが、3ヶ月ほど主任としての研修を受けて、その後は正社員として課長待遇だそうだ。いきなり十人程の部下をもつことになるという空恐ろしい処遇だが、馬鹿なのかノーテンキなのか次男は引き受けてしまったという。後から気づいたのだが、その社長の子どもは息子と中・高と同級生で親友だった。実は次男には黙っているが、その社長は高校時代に僕がキャップテンだったクラブの後輩で、何度かお説教というイジメもしたことがある彼だ。彼は、僕の息子だと気づいて採用したのだろうか?何か、その帰趨しだいで責任が廻り回ってきそうな、一抹の不安が…。
2007.01.11
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最近は忙しくて、訪問者どころか相互リンクしてくれている人の日記もおざなりにしか読めずにきた。それでもと、この正月にぐるっと回ってみた。やはり時間の経過とともに、人の印象も少しずつ変わってくるものだ。どんな人がアクセスしているのかクリックしてみた。営業とはいえこれほど淫乱系の方々がお越しとは、いやはや…。やはりリンクでつながってくれている方々の日記はほっとする。さて、久しぶりに紹介するお気に入りだが、まず皆さんにもお薦めしたいのはみらい0614さんの日記だ。大上段に書くでもなく、日頃ご自分が感じたり思ったりしていることを淡々と記しているのだが、誠実で上品な知性と行間から溢れる人柄の温かさ、そして曖昧のなさ…。たぶんこのように書くとご本人は「とんでもない」と否定されるかも知れないが、僕がまだ会ったことのない楽天友達(と勝手に決めている)のなかで、お会いしたい人のなかのトップに位置する。ちなみに、ときおり自分のことを「ブスだった」というような記述をしているが、知的・精神的という意味では絶対美人だと確信している。僕とそれほど変わらない年代だと拝察しているが、人の生き方というものは年を経るごとに表情に刻まれてゆくものだ。いや、僕など最近鏡をみるのが恐くなるよ。知性派という意味では、みらいさんとはタイプがまったく違うが ぼちぼち7203さん。独特な文体、気取りのない日記だが本音に溢れている。読んでいてスカッとさせられることが多い。自分のことを背伸びして書いていないというか、実際のご本人の水準より低めに見せようと書いているフシもみえる。人によっては好き嫌いもあるかも知れないが、頭の回転の速い女性という面と、フレンドリーな人柄が渾然一体となって、興味は尽きないのである。この人も会ってみたい、と言いたいところだが実はもう何度もお会いしている。家族ぐるみであったり、ボーイフレンドという芸大の教授とであったり、楽天ともだちとであったり…、さまざまなシチュエーションだが、最大のやはり魅力は人間性だろう。さる大事な人に贈られたという、江戸時代の刀鍛冶製の自在鉤が僕の山荘に下がっているが、そんな太っ腹な人でもある。といっても、ご本人は僕と同年代にもかかわらず由美かおるの5年後のスタイルを維持しているからエライ(!?)。と、女性ばかりを紹介するようだが、これは僕の好みだからしかたがない。もちろん、この年代になると異性だからという意識はまったく無くなる。まったく人間として信頼できるかどうか、だけなのだ。ホントだよ。
2007.01.09
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シャルドネさんが売国奴2人佐藤」として紹介しているこの映像は、政府の体質を知る上でとても参考になります。(ここをクリック)皆さんもぜひ、目を通しておいてください。しかし、国家権力が積極的にえん罪をつくり出し、一人のジャーナリストとしての命を断つことも平気で行うということに慄然とせざるを得ません。本当に大事なことが下世話なスキャンダルにすり替えられて、国民はその下世話なスキャンダルに反応してしまったのです。このことが恐いのです。例えば、阪神淡路大震災の後、復興や被害者救済に向け報道すべきことが山積していたにもかかわらずオーム事件が起きると一斉にオーム一辺倒の報道体制にシフトされてしまったことがあります。オーム事件は大きな事件ではありましたが、別件逮捕や軽犯罪で信者が捕まることを細々と報道することが、大震災の報道より大切なことだったでしょうか。これは古い事件ではなく現在も続いている、権力・マスコミ・国民のいっこうにかわらない体質であり、マスコミも国民も権力の操作にまことに弱いということをしっかり胸に刻んでおかなければなりません。
2007.01.08
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病気などで具合の悪い患部に手を添えて治療(?)したり、気や念力を伝えたりすることを“手かざし”といって、最近は新興宗教などでよく使われているようです。この“手”を近づけたり、添えたりすることで本当に気や念力が伝わるのかは疑問ですが、一定の効果はあるようです。そして、これ自体は目新しいことではなく昔から「手のひら療法」として使われてきましたね。子どもがお腹が痛い、頭が痛いというときに母親から患部に手を添えられると不思議に痛みが軽減されるということはよく経験することです。父親ではないんですね、これが。これは気のせいではなく、科学的に証明されていることのようなのです。手のひらは、湿気や熱を発散するので、患部に当てると血行を盛んにするなど、軽い温湿布の役割を果たしているのです。また、体内にこもっている静電気が発散して、鍼灸で言う経路を刺激して血行の流れを促すといわれています。それと何よりも、手をかざす人が真剣に直してあげたいと願う気持ちが相手に伝わることで、患者が気持ちの面で前向きになれるという効用もあることでしょう。これから「手当て」と言う言葉が発生したわけです。病院に行って、お医者さんに触診されると、なんとなく安心できるのも、手かざしの一種かも知れませんね。もちろん、こうした簡単で素朴な治療法が何にでも効くわけではありません。よく、癌など病人の家に宗教関係者が訪れて、“手かざし”や何らかの神秘的な力で直してあげるというのは、相手の弱みにつけ込んでの宗教勧誘と疑ったほうがいいでしょう。むしろ、家族や友人の中で一番信頼できる人に手を添えて貰うのが一番なのです。えっ、信頼できるのは恋人!? 恋人は患部以外のところにも手が行ってしまうからダメなんです、経験上。 外はまだ吹雪いています。こんな時には、コタツで…。
2007.01.07
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暖冬傾向だった当地も、今日は今冬一番の大雪となっています。今日は朝から除雪作業で、もう筋肉マンになりそうです。雪かきは、どんなに一所懸命にしても溶けてしまえばそれまでというむなしい作業です。しかし、溶けないとなるとこれがやっかいだから大変なんですね。ニュースを見ていると、われわれには信じられないほど都会は少しの雪でも交通マヒをしていますね。今日は、雪道の運転について若干の蘊蓄を語ってみましょう。といっても、雪国に住む人にとってはごく当たり前のことを書くだけですが…。凍結路・積雪路では、あたり前ですが通常の運転と違いタイヤのグリップ力が格段に落ちています。スタッドレスタイヤのコマーシャルを信じすぎないこと。あんなにきっちりと止まらないよ。4WDでも、急ブレーキを踏んでいったん滑り始めたらコントロール不可になります。とくに急ハンドルはスピン、急ブレーキはスリップ、急加速はホイールスピンの原因となります。冬道では特に「急」のつく運転は避けることです。ことに注意した方がいいのは、雪や氷が溶けていても、日陰や橋の上が氷結している場合がよくあります。一見しただけでは橋だとわからない道もありますが、橋の上は地熱がないため一般道路よりかなり温度が下がっていますから、深夜や朝方は凍ってしまうことがよくあります。雪道の場合、マニュアル車はローで通常通りの発進をしようとすると、ホイールスピンを起こすことがあります。クラッチをゆっくりとつなぎ、回転をあげすぎないように注意するか、2速での発進をするとスムーズに発進できます。また、AT車はクリープ現象を利用し、ゆっくりと発進するようにするといいでしょう。坂を上る場合は、坂の上りに入る前にあらかじめ坂の勾配に合わせて適切なギア(少し高めのギア)で上ります。前に下手そうな運転手がいると巻き添えをくいますから、坂道に入る前に車間を十分にとっておくこと。坂道に入ったら、アクセルの踏み込みを一定に保って気長に上ることがコツです。新雪路では雪にハンドルを取られたり、タイヤが空回りした場合、さらにタイヤを回し続けるとどんどん深みにはまっていきます。まず車を降りて、余分な雪を取り除き、ゴムマットやチェーン等を敷いてグリップ力を回復させると良いでしょう。古新聞等をトランクに積んでおくと、このようなときに活用できます。 ■雪道走行する場合、用意しておきたい装備・タイヤチェーン・除雪用ブラシ・スコップ・軍手・長靴など・けん引用ロープ・ブースターケーブル・針金・ペンチ・古毛布・古新聞など・ガムテープなどでは、安全運転を! と、おまえから言われたくないという人もいるかもね。 シャルドネさんそのとおり勘違いしていました。ラジアルではなくスタッドレスでした。(汗)
2007.01.06
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牡蠣が安くなっていますが、煮たり焼いたりすれば大丈夫、おいしいよ。初詣といえば“おみくじ”他人任せの運勢を信じるわけではないが、初詣ではお遊びでひくことにしている。実はこの2、3年僕は「大吉」ばかり引いていた。だから、おみくじには「大吉」しか入っていないのかと思っていたら、なんと昨年は僕が「大吉」だったのに対して、妻は「凶」だった。やっばり…! わが家にウンがないのは、くじ運の悪い妻のせいだったのだ。たかが“おみくじ”くじ運なんて偶然に違いないのだが、どうやらこのような“ウン”にも確率というものがあるようだ。妻は祭や商店街の「ふくびき」でも、使い切れないほどのテッシュペーパーや洗剤をもらってくる。つまり、等外景品である。思えば妻は、僕と出会った時点でウンを使い果たしてしまったのだろう。…と言いたいのだが、では僕はどうなんだ、ということになる。等外景品なのか、と卑下してみても遠からずか…。十数年前のある時、妻はどうせ引いても当たらないからと、子どもにふくびき券をもたせた。そしたらなんと自転車を引き当てたことがある。妻がもっているふくびき券が悪いのではなく、やはり引き方が悪いのだ。そんなわけで、今年もおみくじを引いた。どうせ「大吉」だろうとたかを括って開いてみたら、「末吉」とある。おお、「末吉」とは、後半に幸運が訪れるということで、裏付けのない「大吉」より絶対にいい。何々、「恋愛は慎重に…」「商売はねばり強く…」ピッタリではないか。冬から初夏にかけてじっくり粘れば、きっといいことがあるだろう。幸か不幸か、いや幸せをいっぱい抱えて、旧知の友だちやまだ見ぬ友人たちが大勢訪ねてくるかも知れない。ところで、妻は? のぞき込むと「中吉」とある。僕のことをぞんざいにしだしたことで、運が戻ってきたのかも知れない。なに!「待ち人現れる」って何だ。まあ、いいではないか、茶飲み友だちなら多いほうがいい。それにしても、年齢を経るにしたがって、夫と妻は攻守ところをかえるということは良く聞くが、もしかしたらわが家も…。いや、わが家はずっと昔からそうではないか。などと、他愛もない100円の“おみくじ”でもけっこう楽しめるものである。
2007.01.05
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若い友人たちが訪ねてくれます。幼児をみても昔はそれほど可愛いと感じなかったのに、最近は他人の子でもとても可愛いく感じます。今日は写真家の中山秀幸ご一統さまたちが山荘に遊びにきてくれました。凜太郎クンが大きな声でおめでとうございます と言ってくれました。 あっ、お年玉あげるのを忘れてしまった。 もう、すっかりジイサン気分です。貰ったのに出してなかった年賀状の返事を書いています。ようやく書き終えました。といっても、プリンターだからあんちょこです。数えてみたら、えー35枚…。毎年、こんなことで正月の1日がつぶれてしまうのです。さあ、本だ、酒だ。
2007.01.03
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正月休みは読みたかった本を読むことにしている。今年は半藤一利の『昭和史 〈戦後篇〉 』。実は、これは僕も参加している読書グループの今回のテーマなのだ。戦前篇はすでに終わっている。分厚い本なので時間がかかるが、内容は読みやすく概ね頷ける力作だ。昭和天皇が、戦争終結に大きな役割を果たしたかに書かれているが、これはどうなんだろう。昭和という時代はどことなく鬱陶しい重い空気を感ずるが、著者はその、昭和史の教訓としてつぎの5つを挙げている。 第1に、「国民的熱狂をつくってはいけない」。 第2に、「危機において、日本人は抽象的な観念論を好み、具体的な方法論に目をつぶる」。 第3に、「官僚的秀才による小集団エリート主義の弊害」。 第4に、「国際社会のなかの日本の位置を客観的に把握しない」。 第5に、「事が起こったとき、すぐに成果を求める対症療法的な発想を取る」。ついても、歴史の読み方は難しいものだ。いま、映画「硫黄島からの手紙」で、栗林忠道中将の名将ぶりが異常に注目されている。個人としても軍人としても栗林忠道は優れた人であったろうけれど、硫黄島での戦いが日本にとって良い規範とばかりするのはどうかと思う。日本軍は守備兵力20,933名のうち20,129名(軍属82名を含む)が戦死したわけだが、それだけの死者をだしても粘った結果、敗戦への決断が遅れ、広島・長崎、そして東京をはじめ多くの都市で非戦闘員の膨大な命が失われることになった。これは硫黄島での戦いがねばりづよく見事であったという喧伝が、あるいは当時の軍部で美化され、本土での徹底抗戦の口実につかわれた結果ともとれるのではないだろうか。歴史は、どのような角度から光をあててみるかによって、その評価は変わってくるものと思う。いたずらに、美化も卑下も過ぎたるは及ばずがごとし、と…。さて、戦後篇だ…。
2007.01.02
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明けましておめでとうございますお世話になった方は、今年もよろしく。 お世話になる方は、今年はよろしく。お世話にならなかった方は、 今年こそよろしく。ということで、約250枚の年賀状を書き終えたのが31日。そして、出してなかった人からの賀状への返事が毎年約20枚。虚礼的な年賀状の数を減らしたいと思って、少しずつ削るのだが削った分だけ新規分が増えてしまうのが年賀状。250枚のうち、70枚くらいは仕事などのつきあい、80枚くらいは文芸関係者からの年賀状、だから個人的付きあいは100枚くらいか。それにしても、年に一度も会ってないのに「今年もよろしく」はないだろう。つまり「会いたくないから」今年もよろしく、と読めるな。といいつつ、僕も同じように書いてあるからおあいこか…。なお、僕に出してないのに届いた人、返事は不要です。気にしませんからぜひ出さないでください。大晦日から、今日まで愛知県にいる娘のところに行っておりました。娘の勤める某大型店が元旦から営業ということで、その中にある店も当然営業と言うことになるのです。昔は、警察官や消防署などやむおえない場合以外は正月三が日は休むというのが恒例だったのに、いつからだろう、デパートなどが元旦から営業することになったのは…。こんなにせわしない世の中にしてどうするんだ、とボヤキつつ娘が勤めているあいだに、妻と初詣や海辺、温泉へとドライブに出かけました。以前にも書いたが、僕は妻とのドライブが大々苦手なのです。運転するたびにああだこうだと煩くてしかたない。しかし今年は、犬のハナが一緒なので少しは注意がそちらに向いて、おかげさんなのですが…。
2007.01.02
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