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こういう一見お堅い内容はステレオになりそうなので書くまいと思ったが、どうにも解せないので本日限定ということで書く。NHKニュースを観ていたら『資本主義はなぜ自壊したのか~「日本」再生への提言』という中谷巌という経済学者の本と著者を紹介していた。「新自由主義経済学」は悪魔の思想だとして、歴代内閣でその「新自由主義経済学」を提言し、推進させてきたご本人が真っ向から自分のこれまでの実績(?)を否定する本を出版した。不本意ながら入手し、彼の言い分を検証紹介してみよう。まず本の帯、これはこの本がなにを主張したいのかのキャッチフレーズのようなものだ。 リーマンショック、格差社会、無差別殺人、医療の崩壊、食品偽装。すべての元凶は「市場原理」だった。「新自由主義経済学」は悪魔の思想だ!!広がる格差、止めどない環境破壊、迫り来る資源不足、そして金融危機―すべての元凶は、資本主義にあった!「構造改革」の急先鋒と言われていた著者が、いま、悔恨を込めて書く警告の書。という内容は、これまでも中谷氏や竹中平蔵氏の路線を批判してきた経済学者や週刊誌などがずいぶん前から主張してきた内容だ。しかし、その元凶の牽引車だった中谷巌がこういってしまったら、あれほど熱狂させた小泉改革はいったいなんだったのということになる。本の前書きで、かつては筆者もその「改革」の一翼を担った経歴を持つ。その意味で本書は自戒の念を込めて書かれた「懺悔の書」である。まだ十分な懺悔はできていないかもしれないが、世界の情勢が情勢だけに、黙っていることができなくなった。そして序章、後で詳しく述べるつもりだが、細川内閣、そして小渕内閣において、筆者は規制緩和や市場開放などを積極的に主張し、当時の政府与党の政策の枠組みを作る手伝いをした。中でも、小渕内閣で筆者も参加した「経済戦略会議」の諸提言のいくつかが、後の小泉構造改革にそのまま盛り込まれている。そのことは筆者のうぬぼれではなく、小泉政権の中枢にあった竹中平蔵氏もしばしば言及されている事実である。つまり、私は間接的な形ではあっても、いわゆる小泉構造改革の「片棒を担いだ男」の一人であるのだ。と述べているとおり、まさに90年代から始まった市場原理主義のイデオローグの中心的存在で、それまでの終身雇用制度や資本主義のなかの社会主義的経済とまでいわれていた日本の経済システムをことごとく否定し破壊してきたリーダーが中谷巌氏であった。その当人が、新自由主義に基づく単純な「構造改革」路線で我々が幸せになれるなどというのは妄想に過ぎないということを痛感させられる。新自由主義の思想は、私たちが暮らす社会を個人単位に細分化し、その「アトム」化された一人一人の自由を最大限尊重するという思想だから、安心・安全、信頼、平等、連帯などの共同体価値には何の重きもおかない。つまりは人間同士の社会的つながりなど、利益追求という大義の前には解体されてもしょうがないという「危険思想」なのである。とまで断言するに至っては、ではその結果起きている現在の社会問題に対してどう責任をとろうとしているのか、と問いたい気分になる。中谷巌氏はかつて市場原理主義を標榜し、小渕内閣時代の首相諮問機関である「経済戦略会議」の議長代理を務めたほか、政府の委員を多く務め、諸々の規制緩和を行なうにおいて学者・有識者として政府にお墨付きを与える役割を果たし、大きな影響力を持った人物である。1994年に『経済改革のビジョン「平岩レポート」を超えて』を大田弘子氏(当時大阪経済大学助教授・元経済財政政策担当大臣)とともに著し、市場原理主義を徹底的に推進することを謳ったのである。(Wikipedia)これは、小泉改革という熱病のような時期を経て総仕上げがなされ、その結果として押さえどころがないほど噴出している諸問題。大企業をはじめとする雇用不安、これから雪崩のように始まろうとしている中・零細企業の破綻、たぶん経済的自殺者の増大によって、今年の自死者はこれまでの記録をはるかに越えるだろう。年間3万人以上の自殺者と簡単にいうが、3万人といえば、ひとつの市を構成できる人口、大きな戦争でもなければ出ない死者数だがその記録はまたまた超えるだろう。問題に、この事態に当の張本人たちがなんの責任もとらずにのうのうと生きている。中谷巌は本の印税が入るが、やはり自分の懐に入れるのだろうか…。小泉、竹中、太田らは、切腹もせずに頬被りをしたまま、これからものうのうと人生をまっとうするのだろうか…。彼らを、熱病のように応援してきた方々は、どんな悲惨が待っていようといままでの浮かれポンチョをつづけるのだろうか。先の戦争の後もそうだったが、こうした国賊たちがロクな反省もせずに生きながらえさせてしまったから、ダメな歴史を繰り返すのだ。と、ちょっと憂さ晴らしをしたが、零細業者としては今それどころではないんですよ。ホント。蝶クリックを!皆さん、補足していいコメントをくれています。誰やねんっ20号-1さん著書も読まずに著者の人格を否定するなど卑劣も甚だしいと確信しつつ。。。。ワタシはこんなクソの様な本は何があっても絶対読まんっ。手に取るのも忌々しい。出版人の軽薄さがその帯に炸裂している。スタートしてしまった小泉改革を否定していたボンクラ連中は未だに赤ん坊の様な改革の芽を踵でぐりぐりと踏み潰し、うつ伏せに倒れた幼児の様な改革の奔りを見ない振りしている。もはや他人事の様な小泉純一郎、違う事を言い出した竹中平蔵、件の大田弘子、そして中谷巌。諸行無常を知らず、選挙と季節と世界経済に迎合して適当なことをホザき、幼稚なビジョンで物をいい、情勢が変われば懺悔の書だと。下らな過ぎて反吐が出る。夜道で俺の前を歩くなよ。俺を通り魔にさせないでもらいたい。町へ出てタオルの1本も売って来い。工場へ行ってボルトの1本も切ってみろ。雨を待って種を蒔き、芽が出るのを待ってみろ。今更金を稼いでメシを食うという根本を実践していないなどと言う気はないが、今から一度やってみろ。地にまみれろ、恐怖と飢えと寂寥を知れ。それが嫌なら、自己否定の懺悔本を出版すればよい。きっと1冊も売れないだろう。所詮そんな輩でしかない。二度と目の前に姿を見せるな。(2009.01.30 21:03:51)Rinnさんそれで結局この人は、この本の中で何を言いたいのでしょう?自分の主張がまちがっていた反省なら、お詫び行脚でもすればいい。そのおかげでひどい目にあっている人たちの罵声を直接浴びればいい。肝心なのは、だからその失敗をふまえて手当ての仕方でも提言するくらいしかないだろう。ただの懺悔の本など誰が読むのだろう。出版社も計算高い。立派に自由主義経済の恩恵うけてるじゃない。(2009.01.30 22:38:42)エムツーさん 混乱しています。。。小泉さんには、みんなあんな熱狂的に応援してたし竹中さんの本も読みましたが、「自分たちがどれだけ日本のために頑張ったか・・」的な本でしたが最近出てくる論調は、小泉さんなんかがアメリカの言いなりで日本をダメにしたとか・・ばかり。はっきり言って、政治がわからない私は、翻弄されてます。(≧▽≦)ひよこ7444さん痛みだけを残してしまった小泉改革。『後期高齢者』の保険も、小泉改革のひとつらしいですね。うちも零細企業で、ホントに先の見えない景気の落ち込みに皆がびびっています。ローンを抱えている従業員、子供が生まれたばかりの従業員も、不安がってます。憂さも晴らしたくなりますよ!(2009.01.31 20:51:44)まんまんぶりぶりさんいつも岬さんに興味を持つ皆さんのコメントを拝見しますと、さすがに頭脳にくもりが無いというか、自然体というか、詩的に見ているところが心地良いです。確かに、こういう輩(インテリゲンヂャと呼ばれているメディア良く登場する)は、知識はあるが、深い知恵のある人が少ないですね。上っ面だけで世の中を渡っている・・しかし、こういう人も淘汰されますよ、されかかってるので、こういう本を出すんでしょう。浅墓な知識では論じられない世の中になっていることすら自覚が無いのですから。私も読んでいませんが、なんとなくこの手の種族の魂胆は判ります。というか、遅ればせながら、そういう事が判る常識眼が芽生え始めた年頃です(爆)(2009.02.01 13:57:04)蝶クリックを!
2009.01.30
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小説やエッセイなど文章を書くときよく「起承転結」と言います。しかし「起承転結」を意識して書いている人ってどれほどいるのでしょう。それにしたがって書いた文章って大方おもしろくないものです。「起承転結」が文章作法の基礎だなんて、いったいだれが言い出したのでしょう。あれは文章の一つのパターンにすぎません。あえて言えば、安全な、わざとらしいパターン。実際、おもしろい文章にこれを当てはめてみるとなかなかみつからない。面白かったといえる文章を調べてみると、承から始まっている、あるいは大胆に結から始める、またあるいはずっと起のまんま、なんていういろんなパターンが数多くあります。ようするに、起承転結など考えて組み立てるより、そのとき頭に浮かぶ勢いのある言葉から始めるのが一番ではないかと、僕は思っています。そのぶん、勇み足も多くはなりますが…。文芸の中にこれだけいろんなパターンがあるのに、「起承転結」からなどと言う人は、あまり本を読んだことがないのでしょうか。学校ではそれを作文の時間に子どもたちに教える。これはかなりつまらない、ちょっと有害なことだと思いませんか。作法に縛られて、面白い文章が書けない。発想が縮こまってしまう。これは、作法を知らないからとお茶を飲むのを諦める、といったことにも通じるのではないでしょうか。おいしく、気持ちよく飲める、あるいは楽しく豊かな時間を過ごせる形はそれぞれが工夫すればいいのであって、結果としてお手前ができたということでしょう。いつものことですが、ほかのことにあてはめてみることができます。ふたりの呼吸がだんだん高まってゆきここぞとばかりに裸で抱き合って、もの好きにも後から分析してみたら48手に分類できた、ということでしょう。ええ、もちろんこれは相撲の場合ですが…。蝶クリックを!
2009.01.30
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だいぶ前に、武者小路実篤の「友情」をここでとりあげたことがあります。最近、ある友人が想いを寄せていた女性が友人の友人の元に走ったという話をきき、その『友情』を思いだしました。この物語を最初に読んだのはまだ中学か高校の頃だったと思います。その頃と、現在の自分では、登場人物への共感が移っていることがわかります。作者の武者小路は、この作品をフィクションだと言っていましたが、じつはモデルがあったとされています。粗筋を紹介したあと、その種明かしをしましょう。 *脚本家の卵である野島は、帝劇で初めて杉子に出会います。杉子は野島の友人、仲田の妹で野島は16歳の杉子の美しさに一目惚れします。野島は女性を見ると、すぐに結婚相手としてのことを考える人間でした。野島は、杉子のことをその場で自分の理想の妻として考えていました。その思いは、時とともに野島の中で大きくなり、彼の心の中は杉子でいっぱいになりました。ただ、今の自分はまだ文壇からも注目される立場ではなく、杉子と結婚する資格はないと思っていました。そんな時、野島は「あなたでなければ出来ない使命を持っていらっしゃいます」と杉子から言われることを想像するのでした。それが自分の仕事に、何よりもの励みとなっていました。一方的な思い込みですが、野島の愛は純粋そのものでした。野島の杉子への気持ちは、親友である大宮に打ち明けていました。大宮は、文壇で活躍を始めて野島よりも評判もよかったのです。野島は大宮の才能に対して嫉妬を感じることもありましたが、大宮は野島に尊敬と信頼を寄せてくれるので、感謝もしていました。夏になり、仲田家は鎌倉の別荘で過ごします。大宮の別荘も鎌倉にあり、杉子への想いを知っている大宮は野島を自分の別荘へ誘い、野島と大宮はともに夏を過ごします。ある夜、野島と大宮が砂丘を散歩していると、仲田や杉子らと出会います。仲田はみんなで一緒に散歩しようと誘います。しかし大宮は野島に気遣って、自分だけ先に帰るといいます。野島は大宮に感謝するも、気がひけて結局は大宮と一緒にその場を離れます。そのとき大宮は「恋はあつかましくなければ出来ないものだよ」と笑いながら言うのでした。ところが、野島の恋心とは裏腹に、杉子はしだいに男らしい大宮に惹かれていくのでした。そして、それに気づく大宮。彼は親友である野島のことを思い、夏が終わると前から考えていたヨーロッパ留学を決心するのでした。出発の日、東京駅で大勢の見送りの中で、杉子が誰とも話をせずにひとり淋しく立っていることに野島は気づくのでした。そして、野島は一生忘れられない光景を目にします。東京駅で杉子は誰にも気がつかれないところに立って、大宮をじっと見つめていました。そのとき野島は、杉子の心がすっかりわかったように思うのでした。野島は、杉子が大宮に恋していることを直感しました。それでも心が落ち着かない野島は1年後、杉子に自分の思いを打ち明けますが、丁重に断られてしまいます。そして1年がたちました。杉子は大宮の従妹夫妻のヨーロッパ行きに同行します。もちろん、大宮を追うためでした。数カ月後、野島は大宮から奇妙なはがきを受け取ります。そこには、自分の謝罪の気持ちを某同人雑誌に告白したとあったのです。その同人誌には、大宮と杉子との書簡のやりとりが掲載されていました。杉子は大宮への激しい恋心を告白しますが、大宮は野島を気遣って拒否します。親友を裏切ることはできません。しかし葛藤の末、大宮は杉子の愛を受け入れ、自分のもとに来ることを許すのでした。すべてを知り、親友と恋人を一度に失った野島。怒り、わめき、泣いた野島。彼は大宮に手紙を書きます。これからは仕事の上で決闘しよう。君には死んでも同情してもらいたくない。僕は力強く立ち上がるだろう……、と。 この野島とは武者小路実篤自身のことでしょう。そして大宮は、志賀直哉だと言われています。杉子は日吉タカという女性。武者小路はこの小説を執筆した頃、宮崎県に農業を中心にした理想社会「新しき村」を建設しましたが、農業に疎い人たちばかりで理想郷つくりは難航しました。前回とりあげたときは、やはり中学生のとき読んだとばあチャルさんがコメントをくれています。蝶クリックを!
2009.01.29
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僕たち文芸人は、各地で大会や集いのようなものが開かれていて、気に入ったものがあれば出かけることがある。多い人は月に何度も出かけるようだ。僕は出不精で、あまり出ることはないが、それでも気に入ったものがあれば、年に1、2度旅気分ででかける。どちらかというと大会などより、現地の文芸人たちと歓談したり、ついでに付近の美術館や文学館などに寄ってくるのを楽しみにしている。純粋な遊びではなし、さりとて仕事というわけでもない、こういう旅も思わぬ文化と触れあうことができていいものである。いまは文芸人は女性のほうが比率としては高く、それも妙齢な方が多い。ところで文芸で妙齢といっても、60±20歳前後というところだから…、皆さんが心配なさるようなことは、ない(僕だけかも知れないが…)。もう出ることも無くなったが近隣の川柳大会に行くと、敬老会に紛れ込んだ気分になるので、最近は若手の詩や俳句の会に顔をだすようにしている。もう数年近く前の、あるエピソード。泊まりでの大会となり、二次会か三次会のあと、たまたまある女性川柳人と、まだ早いからと大会宿舎近くのスナックにつきあった。もちろん、特別なつきあいもない人だ。少しアルコールも入っていたし、文芸論から恋愛論のようなものに移っていた。話題は、文芸のなかで男女関係を書くときに、経験がどのくらい必要かと言うような、たわいもないものだった。「つまり男と女たとしたら、何度も川を越えてみなければ何にもわかんないよ」「それは男の感情でしょ? いちがいには言えないわよ」「いやそういうもんだって」「実際に体を交えなくても、読んだり映画を観たりでわかるってことだってあるわよ」僕たちはカウンターの隅に並んで腰を下ろし、そんなくだらない話をしていたが、男と女の組み合わせ……というのは、やっぱり勘ぐられるものである。やがてその店のママが近づいて来て、尋ねた。「あなたたち、旅行できたの?」「いや、旅行というか、まあそんなものかなぁ」「だって恋人同士なんでしょ?」「まさかー、文芸友だちなんですよ。たまたまこちらに来たんです」「へえ~、文芸ってそういうものなんですか?」(オイオイ、そういうものって何だ)「いや、たまたま泊まるホテルが一緒だから…」「ふ~ん。ホテル、ということは朝まで一緒にいるの?」「まあ、そういわれればそうだ。朝飯は一緒で、寝るだけが別々って感じですね」「ちょっとさ、そんなふうにして、変になっちやったりしないの?」「は?」「だからさ、ホテルでふたりで一緒で、寝るのだけ別々って、不自然でしょ」「いや、大勢一緒に泊まっているんですよ。僕は戻れば男友だちたちと同じ部屋」「ほんとかしらね。男と女ってのはわからないからねぇ」疑わしそうな目でニヤリと笑って、そのママは僕たちの顔を見くらべていた。こういうふうに誤解されたり怪しまれたりすることは、まあ、ありえることではあるが…、その後がいけない。連れの詩女性が妙に意識してしまって、「いや、困ったな。そんなふうに見られちゃうのかな。どうしましょう」なんて頬を染めて、そわそわされるから、こちらも困ってしまう。皆さんほんとなんです。文芸世界では、しょっちょうそんな機会があるけれど、いつも清く正しく美しく…(僕だけかも知れないけれど)。僕たちの日常は、文章で書くほど面白いこはないし、たまたま夜の街でふたりがはぐれたとしても心配をする必要はサラサラないのである。(妻よ)蝶クリックを!
2009.01.26
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日本ではいろいろな場面で、拍手を強要されることがある。僕が腹立たしく思うのは、カラオケのあるスナックで、見ず知らずの人の唄う歌に拍手をしなければならないことだ。空いている店で、せっかくママといい話になりかけているときに、後からドヤドヤと入ってきた集団が、つぎつぎと唄いだし、ついにはこちらにまでマイクを回す。お金を払ってまで、なんで騒音を聞かなければならないんだと不愉快になるのだが、聴きたくない権利にはみんな無頓着だ。おまけに、それとなく拍手まで催促してくる。逆に、拍手をしてはいけないときにしてしまうことがある。たとえばクラシックのコソサート。交響曲の演奏が始まり、まずは第一楽章、続いて第二楽章、そして第三楽章と進んで行く。楽章と楽章の間では、誰も拍手をしない。民謡も、ジャズやニューミュージック、ロックなどでは、最初から手拍子をすることもあるのになぜだろう。僕はピアノ演奏を聴きに行って、一楽章が終わった時に思わず手を叩いてしまったことがある。演奏が良かったからなのだが、周囲からの冷たい視線を感じた。どうして叩いちゃいけないのかなあと、ふっと考える。葬儀の時、故人の関係者などが弔辞を読むことがある。その時も拍手はしない。おめでたい席ではないのだから当然といえば当然だが、時としてその弔辞がとても感動的で、その言葉に賛意を贈りたいこともある。実は、一度だけだがそんな経験があった。尊敬していた知人の葬式でのことだ。知人の数十年来だという親友が、別れの言葉を述べた。心をこめて故人への惜別をのべたとき、参列者のひとりから力強く、拍手が聞こえてきた。なかには批判的な目で、その拍手の主に視線を投げる人もいた。しかし、弔辞を読んだ人と同じように故人とながい友情を重ねたのだろうと見うけられるその人は、頬に伝わる涙をぬぐおうともせず毅然として手を叩きつづけた。その姿をみて、僕もおもわずこみ上げるものがあり、つられて手を叩いた。拍手は所詮しきたりとしてのルールからできたものだが、僕は自然の感情から湧き起こる拍手は大事にしたいと思う。自分の感情にしたがい手を叩きたい。蝶クリックを!
2009.01.24
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僕らのつくる川柳は、皆さんが面白がって読んでいるサラリーマン川柳などと少し違うのは、意味がそのまま伝わるということはあまりありません。むしろ、回りくどく暗喩で表現するので想像しないことには面白くもなんともありません。この“想像力”というのは、当然ながらその人の生きてきた経験や思想によって違ってきます。だから、僕らが面白いとおもう川柳は、何かを感じさせられたり想像力をくすぐられる作品ということになります。昨日も紹介したHNさんの川柳は、よほどの文芸的オンチでないかぎり誰が読んでも何らかを感じさせる力があると思います。作品の後に僕なりの解釈をしてみましたが、まずは自分なりの想像力で読んでみてください。 施錠する母を盗まれないように家の鍵を掛けるのは、惚けた母が徘徊しては困るからではないのです。惚けても大切な母、その母が盗まれたら困ると作者は言っているのです。 妻子ある人の車の後部席運転席の隣では、誰に見られるかわかりません。後部席ならいいわけもたちそうです。後部席に彼女を乗せて、車はどこに向かうのでしょうか…。 眠ったらおしまい君の腕枕冬山で遭難し、凍死する前には甘美な眠りに誘われるといいます。「寝てはいけない!」お互いの頬を叩きあいながら救助をまつのです。ところが、この眠りは冬山ではなく、どなたかが言うところの「小さな死」というものでしょうね。眠ったら男も眠ってしまうからおしまい、なのか、眠ったらすきに男が逃げてしまうかも…なのか、もっともっと!ということなのか、どうなんでしょう。 私の前科を知っている男もちろん私は、男の前科も知っている。だって、ふたりは共犯者…。お互いの罪を知っているから、今でも互いを縛りあっている。 気持ちいい匂いをさせて眠る雪おもわぬ雪に閉じこめられてしまった宿。お互いの体温を確かめながら、官能の匂いのなかでまどろんでいます。窓の外にはしんしんと降りつもる雪…。というように、僕らは川柳を楽しんでいるのです。ところで、タイトルの「おっぱいが二つ証拠は動かない」を皆さんはどのように読みますか?蝶クリックを!
2009.01.23
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HNさんという女性の川柳作品です。この川柳からどのようなイメージを膨らませるでしょうか。お断りしておきますが、この川柳には1+1=2というような回答はないのです。読者が受けるイメージが、作者と共同でつくりあげる作品としての答えなのです。 そこにいるのは、いままさに男に抱かれようとしている少女。 覚悟を決めていたとはいえ、愛撫に反応するすべも知らない。 やさしくさとすような言葉が、熱く黒い幻に変わるその瞬間、 少女は人形になりすますしかなかった。などと僕の妄想で勝手に読むわけですが、川柳は読者によってどのようにでも膨らんでしまう困った文芸でもあります。福祉関係の仕事をしている彼女は絵にも才能をみせ、上野の美術館で行われる作品展に何度か呼んでいただいたことがあります。少し心を病むことがあって今は、絵も川柳も描いていませんが、彼女から貰った5号の自画像が、わが家の壁に飾られています。その自画像は、晴れた日にようやく姿らしきものが見えるという暗い絵ですが、気に入っています。この人の書いた作品をもう少し紹介してみましょう。 カーテンを閉める憎しみを増すように 首に手を巻いて寂しくないと言う しっかりと抱いてもらうと治る傷 置き去りにされて人形ほくそ笑む カーテンを開けて生者の側にいる作者が連作したものではありません。僕が勝手に拾いあげ並べてみただけなのに、これから一遍のドラマが浮かぶ人もあることでしょう。蝶クリック
2009.01.22
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ブログ友だちの○○さん、最近恋をしたりフラレたり、仕事にも、ちょっとお悩みでしたね。手紙ではちょっと書きにくいので、参考になるかどうかここに書きます。コメント欄への返事は不要です。といってはみたけれど、教えるってことで難しいのは、恋愛じゃあないでしょうか。このように書くと、「なに言ってやがる、そんなこと教わらなくたってやってるよ」と、大概の人はいうかも知れません。しかし、まあここでの大方のブログ友だちは、もうベテランといおうかテクニシャンばかりですが、それ相当に時間というか歳といおうか、費やしているからですね。それにしても、僕の若い頃も今もそうですが、世の中には本当に恋愛下手な人って多いものです。はじめから相手がいない、されないという人は、むしろ原因がわかりやすいから対処しやすい。「あんたねぇ、80歳でしょう。それで20代の後妻をなんていっても…」という具合です。問題は、“自分は恋愛しているつもり”という人です。恋愛しているつもりで、彼氏が5人とか、彼女が1ダースとか、これは正式には恋愛とは呼ばないんじゃないかなぁ。恋愛の原則や基本は、やはり1対1だと思う。少し譲って、1対2とか、2対3でも、最後に折り合えばいい。アバンチュールでの恋愛はここでは置くとして、恋愛は普通は結婚までの試用期間であったり、人生をより豊かにするための深耕作業のようなものだと思う。だから、学業よりもっと真剣に学ばなければならないことだけれど、これを上手に教えてくれる人はホント少ない。最近書店に行くと、恋愛のマニュアル本なんてものもチラホラみかけるけれど、あんなものはアテになるはずがない。100人がいれば100の感情があって、それがマッチングするかどうかなんて、マニュアル化(数値化)できるはずがないもの。そもそも恋愛という感情そのものがモヤモヤとしたものだから、わけのわかんない感情をどう数式化したって、犬が高次方程式を書くようなものでしょう。男女でいえば、もう3回会ったから、もういいだろうと思って、ガバッとやってしまった、なんてことを公式化できるはずもないよね。人によっては、1度だけでという人も100回あってもお手つきなし、なんて人も(もしかしたら)いるわけですから。昔風の正しい恋愛というと、仲人が互いを導いてくれるのもありましたが、これもどのあたりで、ガバッがいいかは教えてくれません。そろそろ、機が熟したかとおもって迫ったら、蹴飛ばされたとか、引っ掻かれたとか、「やめてください、こんなところで」とか「結婚してからにして」なんて言われたり(-_-;)、ほんとうに難しいものです。学校の教育も、職場での教育も、恋愛も、本来は触れたり失敗したり、蹴飛ばされたりして、体験を経験に変えながら学んでいくべきものだと思う。「わかった」人間が「わからない」人間に教えていくという、既成の教育の構造が、まちがってるんだと思います。たとえば、文学をやってきた人間が「わたしはもう文学のことがわかった」、絵を描いてきた人間が「絵がわかった」っていうなら、その人、もう「アガリ」の人で、本当は行き止まりの人なんです。あるのは、「わかりたい」子供なりが「わかっていそうな」大人に聞く、という構造です。それなら、恋愛教育もなんとか成り立つのではないかと思います。たとえば、女の子を見てドキッとする、あの男の子が横を通っただけでドキッとする、これはいったいなんだろう、四六時中あいつのこと考えてるこの気分、なんかおかしいのかなあ、って。で、そのことに耐え切れなくなって、大人に問いたときに、「そういうことって、わたしも昔ありました」という、そのひと言で少し前進できる。そういう苦しさとか不思議さとか、わけのわからない感じというのも、一般的にあるということを知るのは、それなりにありがたいことです。その子は、その心のもやもやや、体のもやもやについて意識している。「わかりたい」と思っている。そういう学びたい、知りたいという、その子にとっての必然ができてきたときに、はじめて「教育」というものが、現象として成り立つのだろうと思います。そのときに、いちばん必要なのは「わかっている」人ではなくて、現役でやっている人、つまり今でも恋のことを「わかろうとして苦しんでいる人」です。「恋も人生も、そこらあたりが難しいんだよね」と、問題を世代を超えて共有できる人。そのことを、音楽やってる人間、絵やってる人間、文芸やってる人間、そして恋愛や人生やってる人間が、学びたいと思った人には教材になると思います。あらかじめ用意されている教材に、ロクなものはないと思う。僕だって、何年も学校に通ったのに覚えてきたことは、放課後や帰り道にすれ違って、ドキドキしたことばかりです。と、誰もがわかる「恋」にたとえて書いてみたけれど、本当は仕事のことにも、それ以外のことについてもあてはまる。今の苦しみや、つまづきは学んでいるってことなのです。蝶クリック
2009.01.21
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最近まで、インターネットに手を出すことがなかった友人たちも尻に火がついたようにブログを始めたり、グーグルを使い出した。どうやら、このブログもこっそり覗いているようなので手ほどきをするが、もちろん僕としての失敗例だから、反面教師として聞いて欲しい。ブログもリンクで、グーグルも検索された候補が、縦糸横糸とあみだくじのように繋がっていて、うっかり興味本位だけで追ってゆくと、とんでもない迷宮にたどり着いて、そこで何時間も人生を浪費するということがある。僕も、ついアダ…、いや仇討ちを追いかけて夜中までということが、幾度となくあったからご用心、ご用心。ネットはまことに便利で、図書館に出かけなくても、百科事典や専門書を開かなくても大概のものは瞬時に得られる。しかし、得られる知識というものは浅く不確実なものが多い。新幹線で窓の外を眺めていれば、それこそさまざまな景色が目の前を過ぎてゆくが、殆ど記憶に残らない。しかし、鈍行各駅電車に乗ったり、足で歩くと、新幹線よりよほど沢山のふれあいがある。ネットでもなるべく鈍行をお薦めしたい。ひまじんさろんで降りてみることも…(^_^)vネットサーフィンでたくさんの知識と出会ったつもりが、ただ通り過ぎたというだけでは、何の役にもたたないのと同じだ。(…と、自分に向かって書いているようなものだな)僕はもともと脳内メモリー量が少ないため、最近はネットも必要な部分を絞って読み、あとは気分転換のため眺めている状態だ。僕らは、「学ぶ」というと、ネットや本を読んだり、先輩や先生から教えを受けることを連想するが、本来は体験から学ぶことが基本だと思う。生まれたばかりの赤ちゃんは、母親から受け継いだ遺伝子のメモリーだけでも、ごく基本的な動作は事足りるようになっているという。それから幼児期にかけては、生きてゆくための動作をつぎつぎに身近なものから体験してゆき、それを吸収して、記憶のなかに蓄積させていくわけだ。最初の悪事を覚えるのもその頃。「三つ子の魂…」という言葉があるが、3歳までに体験したことは一生ついてまわるといわれる。たいがいの男は、女性の胸に触れたいという願望があるが(^^;)、これは母親の乳房に触れて育った記憶が潜在的にあるからだという。だから、胸に触るただけでエッチなどといわれるのは心外だ。しかし、ミルクだけで育ったのに触れたがるのは、やはりエッチだろう。最近はこの3歳までの幼児教育ということで、受験対策とか才能教育とか、小さい頃から大人と同じような訓練をすることも多くなっているようだ。音楽家やプロ棋士などは幼児期から始めたという人が多い。才能を特化するということでは効果があるのだろう。T大を目指すための英才教育なるものもあるようだ。しかし、特化教育は、かならず欠けた部分ができるという弊害も自覚しなければならない。T大にはいるのも才能の特化なのだろうが、人間に必要なものは知識だけではない。先日も書いたが、身体で学ぶ、体感と、自然やものごとから感じるこころが大切だ。有名な話だが、ヘレン・ケラーがはじめて言葉を覚えたときのエピソードがある。ヘレン・ケラーの先生となったサリバン女史は、ヘレンの手を水のところにもってゆき、その冷たい感覚にあわせて、もう一方のてのひらに w、a、t、e、r、と字をつづってみせた。ヘレンは皮膚で感じた体験によって、ことばを覚えた。このようにして覚えたことばは、どんなことがあっても忘れない。また、喋れなかったヘレンが発声を覚えたきっかけを「ヘレン・ケラーの自伝」に書いている。『私は校長先生が一言を発するごとに、彼女の顔の上に手をあて、そのくちびるの運動や舌の位置をさぐって、そのまねをして、一心に学んだ結果、1時間後には6つの音の要素(M.P.A.S.T.I)を覚えました。ついに私は最初に「It is warm today.(イット イズ ウォーム トゥデイ:今日はあたたかです)」と、自分には聞こえないながらも、声だけは出すことができた時の驚きと喜びは、一生わすれることはできません。それは聞きとりにくい言葉でした。しかし正しく人間の言葉でありました。ながい間の夢が実現しました』このように体験によって覚えたことばは、まさに血肉化することばなのである。これは、ことばについての一例だが、幼児期から大人になるまでのあいだに我々はさまざま体験を積み、それを経験に変えながら成長している。この体験から経験に変える過程では、ネットや本に書かれた知識だけでは得ることができないものがたくさんある。ネットは、生きるためには道具の一つであって、それをいかに道具として使いこなすかが重要で、本質は経験の蓄積なのだ。アイシュタインはこのようなことを呟いている。 想像力は、知識よりずっと重要なのです。こんな退屈なことばかり書くと、読んでもらえなくなるかな…。明日からは、もっとつまらないことでも…。蝶クリックを!
2009.01.20
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僕たちは、最近では毎日のように肉や魚を口にするようになった。しかし、半世紀ちかく前の信州では、肉など動物性タンパク質は簡単に庶民の口に入らなかった。淡水魚は食べたが、海からの魚は輸送の関係で、すべて塩辛いものだった。肉を食べるのは特別な理由があるときに限られていた。特別な日、盆暮れや葬祭、そして田植えや稲刈りのあとの慰労であったり、家畜の更新であったりした。家畜の更新とは、農耕用の牛馬が死んだり、山羊が乳を出さなくなったり、鶏が卵を産まなくなったとき、それまでの働きに感謝しつつ亡骸を食するということだ。毎日餌を与え、可愛がっていた鶏を料理するときなどに、殺すところを見るのは子どもごころに辛かったが、たべるときにはいかに大きい肉をとるか、兄弟で争って食べたものだ。長い間、家族とともに暮らした家畜だから、骨の髄まで煮込んでしゃぶった。また、稲の取り入れが済んだ田んぼで落ち穂拾いをしたこともある。落ち穂を拾いながら、田の畔にいるイナゴやバッタ、ときにはカマキリまでも捕まえて持ち帰った。子どもたちは集団で遊ぶことが多かった。川遊びでは、橋から下の水たまりに飛び込んだり、深みに潜って魚をヤス(モリ)で突いたり、雪の山で野ウサギや小鳥たちの罠をしかけたり、ずいぶん危険なこともした。捕まえた獲物は、大人が料理をしてくれ一緒に食べた。誰が決めたというわけではないが、高学年の子どもは威張ってはいたが、低学年の面倒をみて、幼い子どもたちは年長者のしぐさをまねて大きくなった。僕も、川に流され、池に落ちて死ぬかも知れないと思った経験があるそのつど誰かに助けられて今に至る。山に入って食べられる木の実を探したり、蜂や兎を追ったり、怪我をしたときには血止めの草で応急処置をしたり、子どもたちは自然のなかで生きるすべを学び、危険からの対処や社会的ルールを覚えていった。年上の者が先生であり兄貴分でもあったから、自然に年長者を敬う気持がついていった。山に入って、熊や猪と出会う確率は今よりずっと少なかった。動物も人間を危険な存在として認識していたし、子どもたちも、どこが危ないか知っていて、お互いにテリトリーを守りあっていたということだろう。信州人は蜂の子が好物で、地蜂はもちろん、すずめ蜂でも巣を見つけると小躍りして採取した。巣をとるときには蜂に刺されることもあったが、それほど慌てることもなく振り払って手際よく採ってきた。怖がって逃げると追ってきて、よけいに刺されることも知っていた。こんな経験や体験は、いまでは何の役にもたたないかも知れないが、ほんの半世紀ほど前までは人間が生きるということが、すべてリアリティーだった時代だ。自然のなかで出会う生き物や、植物のひとつひとつに役割や意味があって、かかわって生きているという実感を人々はもっていたのではないだろうか。僕たちが、ゴルフ場やダムの建設に反対したのも、権力への反発などという情緒的なものではなく、動植物のひとつひとつ繋がって、関わり合って成り立っているいのちの連鎖を、大開発行為は乱暴に断ち切るということにほかならないという思いがあったからだ。少年から青年期に、日本全体が高度成長からつづくバブル経済に踊るなかで、日本人の体内に蓄積していた自然と共存し合う暮らしが忘れられていった。人間もいのちの連鎖のひとつなのだという、生き物としての原体験をズタズタに切り刻まれて、団塊世代の子どもたちの子どもたちの現在では、生きるということのリアリティーとバーチャルの境目が、まことに見えにくくなってしまっているのではないだろうか。ステーキとして出される肉が、切り身として出される魚が、その何日か前まで命をもっていた動物の死骸の一部であるということを、理屈では理解できても、実感として考える子どもが幾人いるだろう。戦争が悲惨なものであるということは、戦乱に明け暮れた戦国時代の武士たちでさえ自覚していた。戦った相手の敗軍の将の首をはねても、手厚く葬って敬意を示した。過ちをおかせば責任者は腹を切って責任をとった。死は身近にあっても、命の意識はくっきりとしていたことであろう。ところが現在の戦争行為では、手作りのロケット弾を放つテロリストのいるあたりにレーダーで照準を合わせて、モニターで確認してミサイルを撃ち込むのである。後日に戦果を確かめに行って、ようやく肉片や血の塊から命が存在したことを確認するというのが、このところの戦争ということだ。まるでテレビゲームのバーチャルが、現実に行われるようになったわけだ。テロというレジスタンスによって、抵抗する彼らと、それを掃討するという犠牲者数の差は、何百分の1といったところであろう。いつでも命の価値の差は厳然としてある。机上でしか学ばない人間は、命に対してのリアリティーに欠け、この地球という星の上での命の連鎖にも無神経になってしまう。命の連鎖に無頓着の人たちが国や世界を動かす中枢に置くという間違いを、我々は犯してしまっているのではないだろうか。そんな社会や環境をわざわざつくって、そのなかに子どもたちを置くという過ちを犯してはいないだろうか。人として、子どもから大人までの成長する過程で、ペットであれ、家畜であれ、植物であれ、自然のなかにあるいのちと関わることなく過ごしてしまうことは、生命を司るものとしての必須科目ともいえる大切な学習を欠くことになっている。狩りはともかく、釣りをして魚の命を殺める体験も、生きた姿からの料理をしてみる体験も、野山で怖い経験をすることも、ときには大けがをしてしまうことも、大切な経験として蓄積されていくはずだ。机とモニターだけを見つめて育つ子どもたちが、はたして、未来をどのように実感して関わってゆくことができるのだろうか。蝶クリック
2009.01.19
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2敗したら引退かといわれ、何かと物議を醸している横綱朝青龍は、結局は強い。まだ半分残っているから断定はできないが、これだけ白星を重ねては横綱審議会も文句を言えない。もうひとりの横綱も連勝を重ねている。大相撲は一時ハワイ勢が強く大相撲の黒船といわれたが、現在は蒙古襲来といったところか。モンゴル出身力士の強さは、モンゴル相撲の伝統をひきつぐ足腰の強さがあるのではないかといわれているが、やはりハングリーなチャレンジ精神と、格闘技に向いた性格があるのかも知れない。日本でぬくぬく育った肥満児とは所詮土台が違うということなのか…。モンゴルから信州大学農学部に留学していたムンフバト君という学生が帰国して、モンゴルの国立大学の学長になっている。まだ30代だが、人材不足の国ということはおいても大抜擢だ。学生時代はこの町に住んでいたので、つい君つけで呼んでしまうが、彼の貧乏学生時代ににおごってやったこともある。僕の友人は報道カメラマンをしているが、学長になった彼の要請でたびたびモンゴルに行っている。その友人から聞くモンゴル事情は興味深いものだ。モンゴルは、日本の4倍ほどの国土に230万人、ほぼ長野県の人口ほどが住んでいるだけだ。今でこそ世界の最貧国のひとつだが、その昔はチンギスハーン(幼名はテムジン)が建国したモンゴル帝国は一時は世界を制覇する勢いだった。第五代のフビライ・ハーンは東は朝鮮半島から西は中部ヨーロッパ、北はシベリア、南はインドという広大な地域を治め、中国の南宋をも制圧し、元朝を確立した。向かうところ敵なしで、日本への蒙古襲来をかけたのもこの頃だ。 ところが台風を計算に入れずに日本にきたため、日本制服どころか船と兵を失い、ほうほうのていで引き上げることになった。栄華を誇った元朝も、中国の明朝に破れモンゴル高原に撤退することになったのだが、国も大きくなりすぎると脆さを露呈してしまうものだ。日本攻略に二度までも失敗して、軍を消耗させすぎてしまったのかも知れない。明朝に破れたのが13世紀半ばで、それから18世紀まで戦乱がつづいたというから、さすがに強固だった国も、戦乱で疲弊しきってしまったのだろう。戦争で長い栄華を勝ち取った国はいない。18世紀には、全モンゴルが中国の清朝に支配され、19世紀に入るとロシアの支援で独立し、社会主義国としてロシア→ソ連の影響を受けていたが、ソ連の崩壊によって、ようやく独立できたのだから、何世紀もの歴史を経てようやく普通の国に戻ったわけだ。しかし、何世紀にもわたって堕ちるところまで堕ちてしまった国だから、建て直すのは容易ではないだろうが、経済はやや上向いてきたという。と、簡単に歴史的背景を書いてきたが、遊牧人の血をひくモンゴル人たちは元は世界に君臨したというプライドも高く、一旦火をつけると闘争心も激しいものをもっている。また、貧しい食生活だが精力は抜群だという。そうとうな老人たちであっても、若者に負けないほどSEXも強いという。(どのように検証したんだろう?)モンゴルでは(全部とは言わないが)不倫という概念がないそうだ。気が合えば、隣の夫婦同士であれ、旅人とであれ、馬で草原のかなたまで駆って愛し合ってくるという。だから騎乗位というかどうかは知~らない。その結果生まれた子供の父親が誰か、などという詮索はしないそうだ。同じゲルの中で生まれた子供は、みんなひとつ家族だという思想。なんともおおらかなものだが、人口密度が極端に薄い土地柄、これも近親勾配を避ける知恵なのかも知れない。国土は4000mを越える山脈を抱える高地にあり、馬以外にあまり交通機関が発達していないから、モンゴルの人々は常に高地トレーニングをしているようなものだ。こんな国から来た男たちが、日本の肥満児たちに負けるはずがないのである。蒙古以来悲願だった日本征服は、日本の国技である相撲で果たされることになったわけだ。もっとも、日本人の多くに生まながらにある尻のモンゴル斑は、蒙古襲来のときに日本にひそかにとり残された末裔の置きみやげかも知れない。抜群の精力だというから、あながち…。それにしてもモンゴル勢は強い。このさい日本の肥満児たちをモンゴルに送り出して鍛えたらどうだろう。ということで、彼は最近は小・中学生たちをつれてモンゴルを訪れている。蝶クリック
2009.01.18
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寺山修司を一躍世間に知らしめたのは『書を捨てよ、町へ出よう』を発表したときでした。当時の日本は高度成長社会に向かって突っ走っていた時代で、若者は一流大学、一流企業をめざすのが何よりのトレンドだったため、「捨てる」というネガティブな言葉は、体制志向への抵抗の証として受け取られていました。しかし、「捨てる」ことから見えてくるもの、捨てるからこそ未来が開かれる、「捨てる」からこそ開かれるものがあるという、むしろ、ポジティブな思考として使ったのではないかと、後になって思ったりました。聖母とさえ喩えられたマザーテレサも「人間は持てば持つほど不自由になる」と言いました。物質文明の中にどっぷりとつかり、恵まれた飽食の時代の行き着く先を彼女は看破していました。僕たちの子ども時代、まだ戦後といわれた貧しさがありました。僕などは、衣類は兄の着古したお下がりがあたりまえで、接ぎのあたってないズボンを履いて学校に行くと、よそ行きのような気恥ずかしかったことさえあります。両親は戦争体験者でしたから、子どもたちには何かにつけて、ものの大切さ、物質ばかりを追いかけることのさもしさなどを話してくれましたが、そうせざるを得ない時代でもあったわけです。そのおかけで頭の中では、お金ではない何か、という意味を理解しているつもりでしたが、やはり高度成長期を過ぎてきた人間ですから、流れにまかせてしまった反省も少なからずあります。ムダなものにお金をつかったことも数知れず、海外旅行、読まない全集…。頭ではくだらないと思っても、やはり欲望をおさえきれませんでした。マザーテレサの言葉は、的確でした。車を持てば、次にはそれ以上のものが欲しくなるし、その車に合う服装もしたくなる。出かける店も吟味したいし、助手席に乗る人もゴージャスになる。つまり、持てば持つほど、そういうものにがんじがらめになり、自由を失ってしまうということです。しかし、自分の子どもたちなどに、真の豊かさとか幸せというものを感じさせるのは、とても難しいことです。だいぶ前になりますが、ある老婦人がこんなことを言っていました。「今の女の人は欲ばりよね。一応、大学とか行って、OLとかして、結婚して、子供を生んで、でも仕事はつづけたいし、きたない仕事はいやだ、休暇は欲しい、親の面倒は見たくない…。そんなに欲張っていたら、そのうちにすべてを無くすわよ。これからは、欲をひとつづつ捨ててゆく勇気をもたなくては…」聞いていて、これは僕にとっても耳の痛いことばです。そんなことをつらつら考えていたら、身近にも初老近くになって、伴侶に捨てられた知人がでました。元妻は、すでに「捨てる」ことによって、未来への展望をつかむことを実践しているのでしょう。おお寒…!蝶クリック
2009.01.17
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大チャンは腕のいいコックだった。街では有名な中華料理店で家族と一緒に働いていた。ちょっと石倉三郎似で、気の好い性格だったため仲間達には人気があった。しかし、40歳をだいぶ過ぎても嫁さんがいなかった。見合いも数十回したが、なかなか良い伴侶が得られなかった。たまたまつきあってもいいという女もあったが、財産ねらいのすれっからしだったりして、そのたびに大チャンは手もふれず傷つき別れた。大チャンは郊外の林のなかにしゃれた家を持っていて、横浜中華街の有名店での修行時代に覚えた中国語は達者で、信州大学に中国人の留学生がくると頼まれて、生活の世話もしていた。ひとりの留学生を面倒をみたのが縁で、その親戚だという娘と見合いをすることになった。中国の大学を卒業していて、わずかながら日本語もできるという。中国で見合いをして帰った大ちゃんはご機嫌だった。その相手はとても美人で、日本には憧れていたといって結婚をOKしてくれたというのだ。中国の親戚は、日本に嫁に出す条件として相当な額の支度金を要求した。また、半年に一度は里帰りをさせるという条件もついた(里帰りのたびに土産として数十万円の電化製品などを日本から送っていた)。すっかり彼女を気に入った大ちゃんは家族を説き伏せ、数百万円をつくり迎えにいった。ある日、僕は大チャンとバッタリと市役所で会った。連れてきた女性と入籍しに来たというのだ。「この人、こんどぼくのワイフになるSさん。よろしくね」連れの女性は小さく会釈をした。スタイルもよく、なるほど大チャンが惚れるのもムリがないと思えるほどスラリとした美人だった。大ちゃんの家は一軒家で、隣接する家はなく静かな場所だった。結婚した中国からのお嫁さんは、そこで大ちゃんの帰りを待つという生活になった。大チャンの店は夜までやっているから、帰りは10時過ぎになる。住み慣れない土地にきた心細さと、帰宅の遅い大チャンを待つ淋しさからか、はじめは明るかったお嫁さんはだんだんふさぎ込むようになってしまった。いっそ、店の手伝いをしてもらったらどうだ、という周囲のすすめで、フロアーで料理を運ぶウエイトレスをすることになった。美人ではあったが難しいところがあった。些細なことですぐに落ち込んだり、客が触れたといってはそっぽを向いたり、体調が悪いと言って職場放棄をすることがたびたびとなった。一緒に働いていた兄嫁等が、辛抱強く接客態度を教えようとしたが「私はホステスをするために日本に来たのではない」といって、素直に言葉を受け入れなかった。そのうちに、たびたび中国に里帰りをし、2ヶ月3ヶ月と帰ってこなかった。当然、家族からは鼻つまみものになっていった。大チャンといえば、「いまに良くなるから、日本に慣れるまでだから、それまで我慢してくれ」と庇いつづけていた。ある日事件が起きた。フロアーで客と彼女がやり合ったのだ。身体に触れた、触れないといったようなことで揉めた。狭い店内で通るときに身体が触れたようだ。兄嫁が取りなしに入ったが、こんどは客の味方ばかりするといって激昂し、テーブルの料理をフロアーにぶちまけてしまった。兄たちもさすがに怒りだして大チャンに「あの女と離縁しろ、それが嫌ならこの店を出て行ってもらう」と告げた。それまでも、さんざん揉めてきたすえのことであるから、大チャンは決意した。「わかった、俺たちがでてゆくよ。」大チャンは、森の中の一軒家を売り、中国の嫁さんを連れて東北のある温泉町の旅館に職をみつけて住んだ。大チャンがこの街を離れてから1年ほどして、街角で偶然であった。たまたま里帰りしていたという。「今、どうしているの? 彼女は元気…」という僕の問いに、「あぁ、何とかやっているよ」と一言だけつぶやいたが、あとは黙して語らなかった。大チャンを思うにつけ、幸せな結婚ってなんだろうと考える。蝶クリック
2009.01.16
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脳に関する本を読んでいたら、ドーパミン、セロトニンなど、人間は脳のなかに麻薬の何千倍もの快楽感覚をひきおこす物質をかくしているそうです。なんでそんなに強烈なアブナイものをじっと持っているのか、まだよく解っていないようです。そのうえ、人間の脳は85%以上が眠ったままの手つかずだというのです。僕の使っているPCのHDより空いているんですね。予備というには多すぎる気がしますが、優秀な皆さんはこの空いた部分を有効に使っているんでしょう。僕の頭の倉庫はねずみが走り回っています。しかも、その隅っこには致死量をはるかにこえる快楽物質が無造作に転がっている、アブナイなー。皆さんもですよ。これらがなんらかの拍子に、ほどよい刺激をうけて動き出すのと“春のめざめ”ということになるのですね。人間における初恋というのは、快楽物質のお目ざめということなんだそうです。オリジンとか、子供という名のクローンだとか、お父さんとかお母さんとか、ふるさととか、記憶とか、春とか死とか、そういう何らかの刺激を受けて快楽物質が流れ出す。そんなときに恋心とか、自分をコントロールしずらい予期せぬ衝動が湧き起こるといいます。そしてそれらは、ひとつには文化です。恋というのは、相手の文化に自分の文化をかさねたい、添わせたいという願望であり、本当にだいじな仕事なんですね。もちろん、それには肉体も伴ってのことでしょう。すてきな人たちにいくども逢いながら、愚かにも幾度となくやり過ごしてゆきました。悔いはないけれど、切ない気分は消えません。そんなわけで、自分の文化を伝えあえる相手に初めて出会ったときが、“初恋”と呼ぶんだそうです。今年もあるのかな、初恋。蝶クリック
2009.01.15
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聴くたびに少し胸キュンとなる歌をだれでもひとつやふたつもっているのではないだろうか。僕にとっても南こうせつの「神田川」や、さだまさしの「檸檬」が思いつく。青春時代、東京・本郷に住んでいた僕はどこに行くにも、お茶の水駅が起点になった。お茶の水駅へは神田川にかかる橋をわたった。 「檸檬」 さだまさし あの日湯島聖堂の白い石の階段に腰掛けて 君は陽だまりの中へ盗んだ檸檬細い手でかざす それをしばらく見つめたあとで きれいねと言ったあとでかじる 指のすきまから青い空に カナリヤ色の風が舞う 食べかけの檸檬ひじり橋から放る 快速列車の赤い色がそれとすれ違う 川面に波紋の広がり数えたあと 小さなため息まじりに振り返り 捨て去る時にはこうしてできるだけ 遠くへ投げ上げるものよと、つづくのだが、この歌から梶井基次郎の「檸檬」を思い起こす人もいることだろう。梶井の「檸檬」は、お茶の水駅裏通りの画材店丸善の画集のうえに“得体の知れない塊「檸檬」”を置いてくるという、心象世界を書いている。さだの「檸檬」は、まるでその画集の上から檸檬を持ってきたかのように書かれている。その場にいたわけでもないのに、さだが檸檬を聖橋から神田川に向かって放り投げるという情景が鮮やかに脳裏に映える。本郷の国電の最寄り駅はお茶の水。普通は、スクランブル交差点のあるお茶の水橋を渡って、順天堂病院の前を通って本郷通りへと歩くのだが、事情があって遠回りしたいときには聖橋を渡った。いつもの道を歩くと、バッタリと知っている人に出会う確率が高かったからだ。聖橋付近は都会にしては静かで、近くには小公園や「湯島聖堂」など格好の散歩コースがあった。もちろん、ひとりで歩くわけではないから、人目に触れにくい場所が欲しかった。夕暮れの“湯島聖堂の白い石の階段”。はじめて、やわらかい異性のくちびるを感じた遠い記憶もその付近に微かに残っている。さだまさしの「檸檬」を川に放るという今でいえば顰蹙行為が、まるであの頃がタイムスリップしたようにリアルにのこる。たぶん、さだまさし自身の体験が下敷きになって書かれた詞なんだろうが、梶井の小説もどこかにかすめたのかもしれない。芥川龍之介の掌編「蜜柑」も、投げるという行為がひとつの情景を描いているが、さだまさしはこの物語も読んでいたのだろうか。やや記憶があいまいだが、そのほのぼのとした情景の一節を紹介してみよう。ある冬の夕暮れ、知識人風の「私」が疲労と倦怠感を抱いて列車に座っていると、同じ車両に赤い頬をした田舎娘が乗りこんできた。娘は何を思ったか列車がトンネルを通過している最中に窓を開ける。途端に煤煙がなだれこんできて「私」はむせかえった。トンネルを抜けると踏切の柵の向こうに三人の男の子供が声をはりあげていた。娘はそれに向かって懐に持っていた蜜柑を五、六個放り投げた。奉公に出る姉を見送りにきた弟たちなのである。「私」はそのときの蜜柑の色の鮮やかさをはっきり覚えている。それまでの疲労と倦怠も一時的に忘れ朗らかな気持ちになった。というようなものだ。投げた蜜柑、そして檸檬。この短い文や詞のなかに、放たれた物体の放物線の先にある未来をも予感させられる。蝶クリック
2009.01.13
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今朝目覚めたら雪が降っていました。雪も、昼前にはあがり、雪をかぶっった木々はゆっくりと白くやわらかな光を吐き出していました。僕は四方八方を山に囲まれた場所に生まれ育ちました。南アルプスの山麓ですから半端ではありません。渓谷の村の空は細長いものでした。小学校の修学旅行で、江ノ島の海岸で、海と空とがつながっているのをみたときになんとも不思議な感動を覚えたものです。今は街場に住んでいますから、空もだいぶ広くなりました。少年時代とは、日照時間が1時間も違うことでしょう。普段は二つのアルプスに挟まれた地に暮らしていますから、山が見えないと、なんとも落ち着かない気ぶんになるものです。しかし、小学生のとき江ノ島の海岸ではじめて海をみて以来、海を見るとなぜか胸が騒ぎます。海岸にでて潮の香りを嗅ぐと、何かおこる予感がするのです。たとえば、動乱とか。たとえば、恋とか。フフっ…海と海岸に押し寄せる波を目の当たりにしたときに恐怖とともに、吸い寄せられるような懐かしさも感じたものです。海を母に喩える人がいますが、海は、たしかに女ですね。波打ち際に立っていると、そのまま呑み込まれてみたい願望におそわれる。それはもしかしたら、羊水に戻りたいという潜在意識なのかも知れない。身籠もって、羊水をもったときに女は海をもったということになるのでしょうか。では、身籠もるまえの女は湖、とでも…。子どもの頃、夢の中でであった湖あ、あれは、おねしょでした。蝶クリック
2009.01.12
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日本人のきれい好きにつけこんで、さまざまな商品が開発されている。わが家も建てたときからウオッシュレットをつけていたので、ウオッシュレットのないトイレはどうも使いにくくなってしまった。しかし、これは本来はおかしなことで、尻を洗うどころか拭くことだって普通の動物はしない。昔、トイレといわずに便所と言っていた頃は新聞紙や雑誌が適当な大きさに切っておいてあり、読みながら用を足したものだ。時代がかわり日本は、キレイキレイな衛生国になり、少し異質なものを食べただけで体調を壊したりする人が増えた。その日本人団体が海外旅行に行くとこんな会話がよくされるそうだ。「うわ、クサイ、やだこんなの」「おえ、マズイ、早く和食が食べたいわ」「どへ、キタナイ、参った参った」ひんぱんに聞かれるのが、上記の言葉。そのほかにも、「おそい」とか「ルーズだ」という言葉も聞かれるようだ。僕もだいぶ前に団体旅行でヨーロッパを回ったことがあるが、こんな言葉を連発する人間がそばにいるとだんだん不愉快になってくる。すばらしい古城を見上げて感動している時に、道ばたの小さな溝をめざとくみつけて、「何か覆せておけばいいのに、こんな汚い溝があってはせっかくのお城もねえ」などといい出す。せっかくの景観を台なしにしているのは、溝に皆の注意を引きつけた自分だと気づかないのは始末が悪いが、一方、この手の人はかわいそうだとも思う。溝に気を取られて、城がろくろく見えないだろうからだ(ふだんでもこんな視点からしか物の見えない奴とつき合うのはしんどい)。これらの言葉を海外で連発する人のどこかに、無意識的な優越感があるのかもしれない。これは「成金的おのぼりさん」そのものだと思う。たしかにわれわれニッポン人は幸いにも、あまりくさくもなく、まずくもなく、きたなくもない所に住んでいる。が、これもここ何年かのことであって、少し前までは、くさく、まずく、きたない所に住んでいた。夏など食べ物にハエがとまるのはあたり前だった。その過去を省りみずに、自分らの生活環境が少しばかり良くなったからといって、海外で不快な言葉を吐き散らすな、といいたいのではない。発展途上国と先進国の違いや、社会整備の段階の差ではなく、いくらその国の経済が成長し社会資本が充実しても、この「不快語」は残るだろう、こちらが「成金的おのぼりさん」である限り。これは「異文化」との遭遇なのだ。この時、自国の価値観をそのまま相手国に持ち込んで、相手を計ってしまっていいのだろうか。「くさい、まずい、きたない」はわれわれ日本人がそのように感じるということであり、現地の人には「いいにおい、うまい、きたなくない」かもしれないのだ。ひと昔前、タイ米が「まずい、くさい、ボソボソだ」という騒ぎがあり、それを常食しているタイ国民に失礼をした。あれも世間知らずの島国の言い草だった。これをいうなら「国産米とは味が違う」というべきであった。「昧が違う、粘り気が違う、匂いが違う」である。これなら失礼にあたることはない。さる国では土足で部屋に入る。さる国では空港に降り立つとニンニクの匂いがする。さる国では手づかみでなんでも食べる。さる国では孵化しかかったヒナを卵からすする。むろんそれらの国では普通のことだ。それ以上のところだってある。さる国でははらわたを塗りつけてた臭い干魚や、腐って糸を引く豆を食い、また他人の人った風呂の水を替えずにあとの人が人って平気だという。また青臭くてシブイ飲物を一つの器で次々に口をつけ呑み回す。その国に清潔という概念があるのかどうか疑ってしまうが、これも異文化である。そしてこんな異文化も、尊重すべき文化なのだ。蝶クリック
2009.01.11
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国際医療支援団体「世界の医療団」の一員としてエチオピア活動中に昨年9月に誘拐された医師の赤羽桂子さんが、この7日にソマリアで解放された。この赤羽さんは、僕の住む伊那市の山荘のある地区の出身だったため知人も多く、心配していたが無事に解放されてとりあえずはほっとしている。解放には身代金が支払われたようだが、こうした事件の再発を防ぐためには(犠牲を覚悟で)あくまで支払いを突っぱねるのがいいのか、(軟弱でも)あくまで人命尊重を貫いて交渉してゆくべきなのか、国際的な立場としては意見が分かれるのであろう。ことに、西欧諸国と日本では解決法に差が生じてくるような気がする。赤羽さんは長崎大大学院生でもあるが、その長崎大学の医科歯科総合研究科では、発展途上国で活躍する医師の養成に積極的で、現在も赤羽さん以外に、大学院生2人が海外で活動しているという。このような活動は崇高なものではあるが、派遣される地域は危険と隣り合わせている場合が多く、これからも同じようなケースがおきないとはいえないだろう。先に中村哲医師の率いるペシャワール会の伊藤和也氏が殺害されたことが記憶に新しい。このケースの場合も、パキスタンに拠点を置いていたがパキスタン政府からの圧力もあり、アフガニスタン内に移して活動しているという。彼らが活動することによって、身に危険が及ぶことはあり得るかも知れない。少なくとも、日本にいるよりははるかに危険ではあろう。しかし、政府のいう国際貢献より、彼らの活動によって親日的な人々が増えているのではないかとも思う。自衛隊派遣前のイラクでは、日本人はどこに言っても歓迎されることが多かったというが、自衛隊が活動してからはそういう声は聞こえない。韓国では、危険地域に自国民が行くことを法律で禁止している。日本も、それにならって禁止すべきだろうか。それとも、自らの危険を顧みずに海外で活動することを支援すべきであろうか。僕は、こうした活動をすることによって日本全体の安全にも寄与しているのではないかと想像はしているが、この日本で考えていることなので、それを確信するものはない。当市のすぐ隣の町に青年海外協力隊の訓練所があって、大勢の若者たちが訓練を受けている。屈託なく訓練に励む彼らの姿を見ていると、日本の若者も捨てたものではないなぁと思うのだが、それにしても世界が殺伐とする速度が早すぎる。彼らの意志が純粋に報われる世界に近づいて欲しいと、願うばかりだ。蝶クリック
2009.01.10
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元始女性は太陽であった と宣言したのは、平塚らいてう(らいちょう・本名は明はる)でした。女偏の字は、出世魚のようにバライティーがあって面白いですね。女の子が「好」き。良い女が「娘」。女の末が「妹」はよくわかるが、女と市でなぜ「姉」なんでしょう。女の家が「嫁」。女の古いのが「姑」。波のできた女は「婆」。己(おのれ)の女が「妃」。おんなが三人寄ると「姦」しいのは正解。これに対して、男で思いつくのは「嬲」(なぶ)るくらいでしょうか。男を分解すると「田」と「カ」だから、タカが男ということでしょう、と誰かがいっていましたが、なんとなく納得。ラジオで谷村新司が、こんなことを言っていました。「女は神が地上に落とした天使だ」それだけ言っておいておけばいいのに、「ただし、足から落ちた人と、顔から落ちた人がいる…」などと、失礼なことをいっていたけれど、なんとなく納得(笑)。これは僕が思ったのですが「お尻から落ちた人と、胸から落ちた人もいる」とも…。落ちたところが腫れた。平塚らいてうといえば、ウーマンリブの走りのようなイメージですが、こんなエピソードがありました。裕福な家庭育ちで女子大を出た才媛といわれた平塚明(雷鳥)23歳の3月21日、遺書を残して家を出た。かねて男嫌いで哲学、禅に凝っていたということで、家族は厭世の自殺を心配した。ところが数日後、雪の塩原尾花峠で、平塚と文学士・森田米松(草平、28歳)が一緒に保護された。2人の心中未遂だった。事件は当時スキャンダルとして世上をにぎわした。このことで世間の指弾を浴びた森田だったが、夏目漱石のアドバイスを受け、この心中未遂事件を素材に小説「煤煙」を発表。作家の仲間入りした。 「読む年表・20世紀と昭和天皇」より 平塚明は、塩原事件を機に、性差別や男尊女卑の社会で抑圧された女性の自我の解放に興味を持つようになってゆきました。そして、日本で最初の女性による女性のための文芸誌『青鞜』を立ち上げました。資金は母親からの援助で、明の結婚資金を切り崩したものです。女性解放運動・婦人運動の指導者として名をはせた平塚らいてうも、死に損ねて強くなったのですね。女が強いくらいで、世の中ちょうどいい。と、言っては見たが…。蝶クリック
2009.01.09
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ミミズひとりでもつれることが できますひとりでもつれてくることが ありますひとりでもつれてみることが ありますあんまりかんたんな ものですからじぶんが…で ちきゅうまでが… まど・みちおこの詩に関連して、中村桂子さんが興味深いことを述べています。中村桂子さんは、東京大学の大学院を出て、国立予防衛生研究所を皮切りに早稲田などの教授やさまざまな研究所を歴任して、「JT生命誌研究館」の館長をしている人です。JTというのが僕には少しひっかかりますが、それはともかくとして、科学者はつきつめると科学の発展に疑問をもつようになるようです。 ***生きていることのふしぎに興味を持って研究を続けているうちに、科学および科学技術のありようがどこかおかしいと疑問を技つようになりました。科学研究は人好きです。ふしぎが少しづつ解きほぐされるのが楽しいのです。地球上のあらゆる生きものがDNAを基本物資としている仲間だということがわかった時には興奮しました。イヌも友だち、アリだってタンポポだって仲間だという気分ではいましたけれど、それはあくまでも気分です。調べてみたら本当にそうだということがわかってきたのですから、やっぱりそうだったんだと納得しました。その後の研究で、体の形づくりにはたらく遺伝子がムシでもトリでもヒトでも同じだということもわかり、ますます楽しくなってきました。ところが、研究はだんだんに、生きものを機械のように捉え、それを分解して構造やはたらきを徹底的に調べよう、そうすれば生きもののことはわかるという方向へ進んで行ったのです。しかも、機械ですから調子が悪くなった時には部品を取り替えればいいじやないかということで、医療もそちらに向かっています。なんだかおかしい。生きものは自然の一つであり、もちろん私たち人間もその中にいます。そこで、私はどうしてここにいるのかと問うて見たら、あたりまえのことですが、両親あってのものだということに思いあたりました。生きものは、長い長い時間が産み出したものだ、しかも皆がお互いに関係し合いながら生き続けてきたのだという、日常感覚でみればすぐわかることを改めて思い出したというだけのことです。そこで、「生命誌」という新しい考え方で仕事を始めたのです。生きものが語ってくれる歴史物語に耳を傾けよう。その物語は、宇宙誕生から始まる長い長い物語です。生きものを産み出した地球は宇宙の中で生まれたのですから。生きものを機械として分析していく場合に必要なのは、数式や法則です。けれども生きものが語る物語を読もうとしたら、必要なのは「言葉」。生命誌は言葉を求める研究でもあります。まどさんは、自然の中のさまざまなものを見つめます。カもノミもアリもオオバコも……その一つ一つをいとおしみ、その特徴を表わすことばを並べていくと、そこからはいつも「いのち」「自然」「宇宙」が見えてきます。「大むかしの水に自然に生きものたちが生まれでたように、生きものたちのいのちに自然にゆめが生まれでて、ゆめには自然にこえが生まれでて、こえには自然に言葉が生まれでて……」という気持ちがあるので、まどさんの言葉は、「しぜんに」いのちや自然や宇宙につながるのでしょう。蝶クリック
2009.01.08
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テレビでときどきNG番組というのがある。たびたびみかけるのは、視聴率をとれるのだろう。NGということは、要するに収録に失敗した場面を寄せ集めたものだから、余りギレで服を作るようなもので、テレビ局としては安上がりなんだろうと思う。失敗ばかりを寄せ集めて番組にするなど、一種の開き直りといおうか、視聴者をなめているとしか思えないが、しかしたしかにNG番組は面白い。まじめなアナウンサーがトチッたり、芸達者なはずの動物が芸もせずに逃げ出してしまったり、台風の中でカメラが倒れたり、ドラマの中で女優が長いセリフをとちって、スッとふだんの顔に戻り「スイマセーン」などといったり、しっとりとしたキスシーンのはずが笑い出してしまったりと、面白い。NG番組の面白さは「本来の本人」が失敗によって表に出てくる点にあるだろう。そして謹厳そうな人がくだけていたり、悪役が人がよかったり、気品溢れる美女が下品だったり、NGに表われてくる素顔はきわめてふつうの人間で、何かホッとする感じがする。まさにNGは装飾を剥ぎとった「真の人間」なのだ。だからイージーで安上がりだと思いつつも面白く観てしまう。政治家もキャスターもスターも、お笑いもインタビューされる一般人でさえも、その人の真の姿をブラウン管にさらすことは全くないといっていいだろう。つねにカメラを意識し、「ひとかわ」かぶっている。その中で一瞬でも真の人間が垣間見える、これを貴重な「真実の瞬間」として、視聴者はみているのだろう。考えてみると、わが人生においても、ちょっと思い返しただけで続々とNG場面が思い浮かぶ。小学生のとき、学芸会で主役なのに役を投げ出したこと、高校時代のあの夏の秘密、また社会に出て酔っぱらったあげくの失敗、そんなに昔でなくともつい最近も……。ふだん反省などとは縁遠い人間だが、NGが出てやり直せれば、と思う出来事を探すと押しつぶされそうにもなる。しかし、もし人生でNG撮り直しがきくとしたら、僕の人生など撮り直しばかりでいっこうに先に進まなかっただろう。ようするに、今は「撮り直しのきかない生番組」のなかで過ごしている、この緊張感が大切なのだ、と思うことしている。(んっ、そのわりに抜けているって?)蝶クリック
2009.01.07
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正月は天気も良く、熱気球が飛来しました僕の言葉について「意味不明言語不明瞭」などとよく言われる。ことに電話は苦手で、顔の見えない相手と話をしていて、自分でもしどろもどろになっていることがある。「伝える」ということがニガテということは、言ってしまえば頭の回転が悪いということなのだろう、とは思う。これを読んでいる人は「またまた、そんなことを言って頭が悪くては文章だって書けないよ」と慰められるかも知れないが、文章能力と話す能力は違う。文章は、好きなだけ時間をかければ誰だって書けるはずだ(と思う)。しかし、言葉は相手に合わせなければならないので、瞬時に判断して言葉を出さなければならない。これがニガテなので、時々思わぬ失敗をするときがある。人から誘いごとを受け、心では「嫌だ」と思っても、つい「ウン」などと頷いてしまったりするのだ。とくに女性から誘われたりするときとか…。体がひとつしかないのに同じ日にふたつの約束をして、後からあたふたしたりする。こういう性格を「曖昧なヤツ」と人はいう。何かを主張をしていても、どこかに矛盾を抱えているような発言をしているらしい(という自覚があまりないのだが…)。しかしである。あるシンポジウムで僕の発言した言葉がレジメになってきたら、言っているときにはよくわからなかったのに、活字になったらいちばん筋が通っていると褒められたこともある。そこで、若干の開き直りでもあるのだが、僕は「曖昧」という言葉が好きだ。字をみても曖昧だし(昧が味とまぎらわしいところも曖昧だ)、「あいまい」という音も何とも曖昧でかわいらしい。上等なクリームが口の中にとろけるような音だ。ノーベル賞の文学賞で川端康成は「美しい日本の私」、大江健三郎は「曖昧な日本の私」が受賞講演のテーマだったが、「曖昧」も「美しい」も、最近は「もったいない」も、東洋の良き言葉として世界に発信され認識された。大江健三郎の講演は英語だったらしいが、「曖昧な私」というのは「アイ・マイ・ミー」というのだろうか……。コンピュータの発達とともに、曖昧の大切が認識され「ファジー理論」ともなり、現在ではなくてならない世界の技術にもなった。とにかくわれらニッポン人の曖昧な笑い、曖昧な表情、曖昧な言葉、曖昧な表現が自虐的顰蹙の代名詞だった時代は終わり、これは日本文化の粋、社会全体をマッタリとしたクズ湯のように、不透明に味わい深くしているのだ。直情的な外国人や、その系統の人からみればキモチ悪くイライラする民族性なのだろうが、こちらからみれば単刀直入・直截・直接的・直線的な、遊びのないつきあいは殺伐としていてギスギスすることこのうえない。ある韓国系のの人と長くつきあったことがあるが、いろいろな場面で、YES、NOを即答しないとけんか腰で迫られるということがあり、いささか疲れた。「直」がつくものはあまり品のいいものではない。―むろん例外もあるだろうが…。日本語の中にも曖昧な言葉はたくさんあり、曖昧文化のためには沢山あってもいいのだが、なかにはキッチリとしなくてはいけないのもある。たとえば「以」の意味。「以上」、「以下」はそれを含むというのは学校で習った。「5以上」「5以下」なら「5」を含み、「5未満」は5を含まない。とにかく「以」は「それを含んで」という意味である。ところが「関係者以外立入禁止」、はどうか? 含むとすれば、関係者も立人禁止になってしまう。「あたし以外は全部男よ」の私は男か女か、それともはるな愛か?同じ「以」の字が「それを含む」と「それを含まず」の両義に使われているのだ。算数で○○以上や○○以下という問題がよく出るが、この「関係者以外」を思い出した子どもは混乱してしまうのではないか。必ず数字がからむ事例で曖昧なのは「台」だ。「円が1ドル80円台になった」というと、この80円台は80円から89円99銭まで、と受け取れる場合もあり、80円から80.99銭までと受け取れることもある。同じ「80円台」でも、受け取り方で9円もの差を生じてしまうわけだ。日本人的行動学としては、ファジーの良さをもっと深めてもいいと思うが、用語についてはもっときっちり意味づけする必要がありそうだ。蝶クリック
2009.01.06
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いま日本は、アメリカに征服・占領されている状態かも知れない、と言ってみる。しかし、こんなに自由にものを書いたり言ったりしているじゃあないかとも考える。この町の郊外で友人が牧畜をやっている。そこに行ってみると、牛は青空の下でのんびりと餌を食べている。牛の気持ちになってみる。このアルプスの見える景色のいい空気のいい場所で、何不自由なく好きなことを考え、食べている。これが何で不幸なんだ。時々隣の国から忍び込み、ワシたちの餌場でワルサをする狐や狸を見るがいい、痩せこけて日々を生きていくのに精一杯ではないか。ワシたちは人間がせっせと餌を運んで、輸入した飼料まで食べさせてくれる。なんで不満があるんだ。もちろんこれを読んだ人たちは、牛になりたいと羨んだりしないだろう。それは、牛の行く末を知っているからだ。ところが、牛は自分の未来を知らないから自分を不幸とは思わず、モリモリ餌をはむことができる。景気悪化を受けて、雇用の調整弁としての派遣切りが社会問題となっている。これも、つい半年前には彼らもこんな状態になることをあまり意識していなかったのではないだろうか。しかし、よりグローバルな新自由主義市場経済を求めるアメリカの意向なのか圧力なのかを真っ正直に受けた、日本の政府が推し進めた規制緩和政策を源にして発生した状況なのだ。小泉・竹中路線はかぎりなくアメリカの傀儡(操り人形)だったと思う。昔の家畜のように使役などに酷使されはしないが、もしかしたら僕らは日本という牧場のなかで言ったり書いたりしているかも知れない。などとも思う。と、話が急転するが、岡真理さんという中東問題の専門家が、パレスチナ問題を講演している。やや古い話だが、今の状況にもあてはまるので、一部を紹介したい。たぶん見えてくるものがあるはずだ。「平和とは何か ~パレスチナの現実から~」「ユダヤ対イスラーム」という対立も、まさに近代にパレスチナ問題というものが発生するまでは、イスラーム世界のなかでユダヤ教徒もアラブ人として共存していたのです。今、パレスチナあるいはイスラエルと呼ばれる土地が、アラブのものなのかユダヤ人のものなのかというような争いがあります。あるいはエルサレムという都市をめぐって、それはパレスチナ国家のものなのか、イスラエル国家のものなのかという争いがあります。そのとき、このユダヤ人とアラブ人との対立というのは、数千年の歴史がある、旧約聖書の時代にまでさかのぼる非常に複雑な問題だから、我々日本人には馴染みがなく理解しずらいですよねと、ニュースキャスターなどがしたり顔で言ったりするわけですけれども、実は全くそうではない。つまり、歴史的にはパレスチナと呼ばれる土地には、アラブ人が住んでいて、そのアラブ人というのはユダヤ教徒でもあり、キリスト教徒でもあり、イスラーム教徒でもあったということです。私自身は「分有」という言葉を使っているんですが、パレスチナにせよエルサレムという都市にせよ、そういう異なった信仰をいだく者たちによってそれぞれにひとつの都市が分かち持たれていました。これが歴史的なイスラーム世界の姿であった。ところが、1948年に、パレスチナ人にとっては非常に暴力的な形で、イスラエルという国がこのパレスチナに建設されます。それに先立って47年に、国際連合がパレスチナをアラブ人国家とユダヤ人国家に分割するという決議を出している。それはヨーロッパで犠牲になったユダヤ人に、ニ度とこのようなことが起こらないようにユダヤ人のための国を作るためです。しかし、ヨーロッパにおけるユダヤ人の悲劇というのは、歴史的なヨーロッパ=キリスト教社会の反ユダヤ主義と、近代におけるヨーロッパの人種差別の結果起きたものであるとすれば、ユダヤ人にその罪を購うのはヨーロッパのクリスチャン、ヨーロッパ人であるべきですよね。ところがその悲劇の代償を支払わされたのかパレスチナ人でした。言ってみれば、何にも関係がないニューヨークで起きた出来事のつけを、何でアフガンの民衆が払わされるのか、というのと少し似ている事態です。ユダヤ人に同情する国際社会は、パレスチナの分割決裁をする。そして48年、イスラエルという国が暴力的に出来て、その結果として何十万ものパレスチナ人が故郷を追われて難民となり、またある者たちは自分たちの故郷にとどまるのだけれども、そこは突然ユダヤ人の国になってしまったので、自分たちが先祖代々、何十年、何百年、あるいは千年以上に渡って住んできたその町、その故郷において自分たちは突然異邦人にされてしまった。それがパレスチナ問題なんです。つまり、数千年の歴史どころか、言ってみれば48年に起きている出来事なんです。あるいはさかのぼってもナチスまでの歴史、大英帝国の植民地政策といった第一次世界大戦までの、まさに近現代の問題です。でもそれが数千年の歴史をさかのぼる問題なんだと語られることで、それこそどういう政治的効果があるでしょうか。実際には新書一冊読めば、パレスチテ問題がどういうものかということが分かるわけですが、旧約聖書まで読まなければいけないような、しかも「ユダヤとアラブの数千年の」みたいな話になると、ああ、もうそれを私が理解できなくてもいいのね、という話になってしまいます。それは専門家がやってることで、私たちは知らなくても仕方がないんだということにはならないでしょうか。(後略) 岡 真理(おかまり)氏1960年生まれ。東京外国語大学大学院修士課程修了。現代アラブ文学、第三世界フェミニズム思想専攻。エジプト・カイロ大学に留学。在モロッコ日本大使館専門調査員、大阪女子大学人文社会学部講師等を経て、現職。京都大学大学院人間・環境学研究科助教授。著書に、『記憶/物語』(岩波書店、2000年)。『彼女の「正しい」名前とは何か』(青土社、2000年)共著に、『ナショナリズムと「慰安婦」問題』(日本の戦争責任資料センター編、青木書店、1998年)『性・暴力・ネーション』(江原由美子編、勁草書房、1998年)『〈南〉から見た世界04中東』(栗田禎子編大月書店、1999年)など。蝶クリック
2009.01.05
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正月は飼育豚のような生活になりやすく、胃がもたれる。こんなときに活躍してくれるのが大根おろし。僕は、長いもとか大根おろしのようなおろしものがなぜか好きだ。大根おろしというのは、おろし金で大根を摺おろすだけだから、極めて簡単。こればかりは料理の上手下手にあまり関係ない。ただし、おろし方にも、ちょっとしたコツがある。大根は皮つきのままおろし、目の細かいザルか漉し器に取り、水分を流れるまま自然に漉し、決して搾ったりしないこと。もちろん、流れ出た水分は、容器などで受け止めて捨てずに醤油をポトリと落とし、そのまま飲んでもおいしいが、それをのみながら芋系の焼酎を舐めるのもまたよし。おろし金は、なるべく大きくて目の粗い銅製のものがいいが、手持ちのものでかまわない。平にして俎板の上にピッタリと固定して摺りおろすと、手早くおろすことができる。大根によって辛味が強過ぎるときは、ホンの少し時間をおくと、いくぶん辛味がやわらぐ。しかし、長時間おくと風味が飛んでしまうので台なし。その、大根おろしの利用法。大根おろしに適量の濃口醤油を加えてまぜたものを染めおろしという。その中に薄く細かく削った鰹節を加えると、これだけで立派な一品となる。とりわけご飯によろしいが、わが家では納豆と混ぜて、そこに柔らかくした餅を入れる。これは、妻の実家がある東北・山形に行ったときによく食べさせてもらったのだが、つるりと喉ごしがよく、すっかり僕の好物になってしまった。大根にはジアスターゼが含まれているから、秋刀魚などの塩焼き、鰤の照り焼きなどには大根おろしが添えられるが、これは染めおろしでもよい。こうすることによって、魚脂のくどさが消え、淡泊な味わいになる。魚の刺し身は、たいていワサビ醤油をつけて食べるが、これに大根おろしを多めにまぜる場合もある。たとえば、カツオやメジの平造りなども、大根おろしに摺りおろしたワサビをまぜ、多めに濃口醤油を加えておき、それを平造りの刺身の上にタップリのせて食べる。これほどうまい刺し身はない。などと、大根おろしから料理の話にまでなってしまったが、今夜はなにを作ってくれるのだろう。まさか、インスタントラーメンなんてこと…。蝶クリック
2009.01.04
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正月早々に書きたくない話題だが、ガザ空爆について…。ひと昔前、西武劇がはやっていた時代があった。ライフルを抱えたジョン・ウェインやピストル片手のゲーリー・クーパーが牧場に立て龍った悪党どもや酒場にたむろする悪漢たちを撃ちまくって、退治する。あるいは、馬に乗り弓矢で攻撃してくるインディアンたちに駅馬車の陰から撃ちまくる。こんなシーンをよく観たものだ。アメリカ人たちは、こうやって銃で(自分たちにとっての)正義が保たれていることに小躍りしたものだろう。ところが考えてみると、彼らのこのカッコいい姿も、銃をもっていたからできたことなのだ。銃なしで、悪漢たちの前に出たりインディアンに囲まれたら、その場で袋叩きに合うか、弓で射貫かれていただろう。銃の威力を借りての威勢のいい態度なら、僕のような小心者でもできるような気がする。あのシュワルツェネッカーのモリモリの胸板であろうと、10歳の女の子が銃を向ければ、彼だって何もできなくなるのではないか。となると、ジョン・ウェイン以下の銃を持つアメリカン・ヒーローたちはこの10歳の女の子と同等ではないか。日本の昔の時代劇では、相手が懐から短筒など出すと「とびだうぐとはひけふなり」とののしったものだ。刀による勝負は胆力や技術や修練がモノいうが、「とびだうぐ」では誰だって引き金さえ引けば殺傷できるのだから、マトモな勝負ではない。ところがアメリカ人たちはまだ銃によるヒーローに夢中で、あの騒々しいものでドンパチするのがカッコいいと思っているらしい。それが現在にまで昂じて、弓矢同然の火器で侵略に抵抗するインディアン(?)たちをテロリストと呼び、ミサイルや近代兵器の粋を駆使して撃ちまくる。なに、その周辺にいる一般人に当たろうが、女子供や老人に被害が及ぼうが、テロ退治のためなら容赦はしない。それを、これまでも繰り返してきた。今度は、かつてホローコーストで虐殺の憂き目にあったユダヤ人のために、その意趣返しをパレスチナ人たちにするようにと耳元で囁き、さまざまな仕掛けを仕組んでやらせている。いま、イスラエルがガザ地区で行っているジェノサイトも、もともとはアメリカの後押しによって強行されている。パレスチナは西岸のファタハは親米派だが、ガザ地区を押さえている反米勢力のハマスの勢力が増大していることから、これを弾圧すべくさまざまな圧力を加えてきた。これにロケット弾で応えたハマスも、アメリカの描いたシナリオにはまってしまったといえる。戦争は困窮時アメリカのいつもの切り札なのだ。ネオコン、市場経済主義の破綻によって大失速に陥ったブッシュ政権の置き土産として、オバマに贈られる中東大戦争という筋書きなのだと、国際ジャーナリストの田中宇氏は述べている。アメリカ西部劇では、銃は「男らしさ」や「勇気」などと結びつけてきたのだろう。しかし飛び道具をもつものは、おびえきったチキン・ハート(臆病)か、単なるバカか殺人狂が持つものだというイメージに変えたほうがいい。「飛び道具とは卑怯なり」の言葉を、現代の米国とイスラエルに贈ろうではないか。ここをクリックして>スライドショーを押すとガザ空爆の断片がわかります。蝶クリック
2009.01.03
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明けましておめでとうございます。元旦はワインを舐めながら年賀状を点検確認見るのが恒例になっているのだが、いつもながらこれが結構億劫。例年、250枚前後の年賀交換をしている。毎年のことだが、その年のつきあいが殆どなかった人や儀礼的に交わすだけの年賀状はやめようと思って名簿から削除する。今年は思い切って50人ほど削った。しかし、20人位は新しいつきあいが増えるから230枚にした。そうして案の定といおうか、出していない人からの賀状が40通余り。結局、正月の半日ほどはこの賀状つくりに費やすことになるのでる。出しに行くと郵便局の周辺は混雑している。同じように、何となく出しそびれた気まずさをもちながら皆さんも礼状を出しに訪れているのだろうか。子供たちが小さかった頃はお年玉をあげることあったが、それぞれ独立してしまうと主客逆転する。息子二人の嫁が、衣類などをプレゼントしてくれた。こうして年をとったことを実感してゆくのだな。といいながら、もう袖を通しているが…。普段はあまりテレビをまともに観ないのだが、昨晩は水谷豊の「相棒」が正月特番として放映されたので、酔眼ながら最後まで観てしまった。実は僕の文芸個人誌に相棒(?)として参加してくれているご夫妻のご子息徳永富彦さんがこの脚本を書いるからだ。この徳永さんも僕の長男と同年だが、こうして若い世代が親を乗り越えて羽ばたいてゆくのは、楽しきこと。ということで、今日は正月の報告まで。暮れのギリギリに賀状を出したが、今日になって追加の賀状を出して、ようやくほっとしたところ。皆さん、どうか今年も宜しくお願い致します。蝶クリック
2009.01.02
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