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つつがなく手術を終えて二、三日修験者如く酒色を断てりいや、色ごとはずーっと絶っていたのだが、酒についてもこの数日は清く正しく美しく過ごしていた。私ごとだが、ものごころついて半世紀以上、骨折も入院したという経験もない。唯一あるのは、子供の頃、大きな桑の木に登りグミ採りに夢中になっていて頭から墜ちたことだけだ。そのときに病院で十数針縫ったが、それ以来大きな怪我も病気もしたことがなかった。親たちは、ぼくが他の兄弟に比べて著しく知育が遅れたのは、木から落ちたのが原因ではないかと気に病んでいたが、それは違う。興味のあるもの以外学ぼうとしなかったからだ。ところで正月が明けたので、生まれて初めて手術というものを経験しようと思った。首に5年ほど前からできていた腫瘍が最近動き始めて、大きく球状に膨らんでいた。ふくらみが目立ってきたのと内部を圧迫して、少し痛みを感じだしたので、そろそろ取っておくべきかなと思った。女性の胸のふくらみあたりなら可愛くもあるが、男の首ではこぶとりジジイにしかならない。以前に、親しい医師から良性の腫瘍といわれていたので、それほど緊急性は感じていなかった。訪れた市営病院で診断してもらったら「よく大事に育てましたね、5センチ以上あります。もっと小さいうちなら安産で済んたのですが…」という。個人雑誌の編集も終わり、作業所の工事が本格化する前で時間に少しゆとりのあるのは今しかない。「なるべく早く済ませたいので帝王切開でお願いします」とK外科医にいったら「じゃあ、私の空いている明後日にしましょう」とトントン拍子に手術が決まった。家族の同意書も用意しろという。「責任は問いませんから、好きなようにやってください」といったが、ダメだという。メンドウなものだ。手術日の当日、病院で受付を済ませ、手術室に案内されると、K担当医師のほかに若い女医が「手術を担当させていただくOです」と挨拶をした。まだ20歳代中頃という感じの人だ。「えっ、K先生じゃあないの」と聞くと、「K先生も同席します」という。少し安心して、準備にとりかかった。これまた若い看護師に更衣室に案内され手術衣を渡される。「ハイ、イトウミ……さんですね。全部脱いでこれに着替えてください」「下着もですか?」「そうです」「パンツも脱ぐんですか?」「手術は首ですから、下はいいです」などと冗談さながらの手続きを終えて、手術台の前に向かった。「ここに横になって戴きますが、今日は大丈夫ですか。気分は悪くないですか? どこも痛いところはないですか? 夕べはよく眠られましたか」心配させまいとしてさかんに声をかけてくる。こちらとしては始めから何も心配していないし、なるべく痛みが少なく終えてさっさと早く帰りたいと思っていたから、過剰な声かけは無用だ。「大丈夫です。まな板のうえの鯉ですから、どうぞご心配なくとりかかってください」と励ましてみたが、考えてみたらなんだかヘンだなと可笑しくなった。「ハイ、部分麻酔をします。何カ所か注射をしますから少しチクリとしますが我慢してください。いきますよ」もう、そんなこと言わずにさっさと注射してくれればいいのに、「ウッ!ほんとうに痛い」と思いながら待つこと5分か10分。ヒマだが川柳は難しそうだ、短歌ならできるかと考えはじめる。「では始めます。クランケはイトウミ……さん。○○の腫瘍摘出手術。執刀医○○、補佐K医師」(正確なセリフは忘れた)などと、テレビでも恒例の儀式を合図に手術が始まった。「ここを一文字に切りましょう。そして、ターゲットを……」などとK医師がテキパキと指示している。K医師の指示の元、若いO医師が執刀するのか。ぼくはうつぶせ状になっていて、顔にガーゼらしきものがかけられていて、誰が何をしているのかわからない。ほとんど痛くはないが、肌を切り裂いたらしい感覚がある。電気メス? ところどころでピリピリと感電するような痛みが走る。もうこうなったら、短歌はあきらめて終わるまで眠っていよう。自慢ではないが、ぼくは手持ちぶさたのときにはどこでも眠ってしまう特技がある。床屋はもちろん歯医者でも、口を開けたままイビキをかいて気まずい思いをしたことだってある。ところが、すこしウトウトッとすると耳元で「イトウさ~ん、痛くはないですか。大丈夫ですかー」と声をかけてくる。どうやら眠らせない作戦らしい。そんな繰り返しをしていて30分ほど経った(と思う)頃、ピリピリッとしていた痛みが、キリキリっに変わってきた。どうやら一番奥のほうを切っているようだ。「おや、こちらも腫れています。これは○○でしょうか…」などと若い医師がK医師に聞いている。「そうねー、どちらかわからないけれど、とりあえず切っておきましょう。きれいにしておけば(後から)心配いらないし…」などと指示している。O医師が、「イトウさん、ちょっと深いところだけれど痛くないですか。」といいながら、遠慮無く切っている(ようだ)。若い看護師も「大丈夫ですか、痛くないですか。もう少しですから頑張りましょうね」と励ましてくれる。そう言われれば、痛くても「ええ、大丈夫です」といわざるを得ない。僕はそのとき、声を出さなくてもいいから、この看護師さんが手を握っていてくれればどんなに心強いか、この痛みも我慢できるか知れないのに…。でも、向こうのオバサン看護師だったらどうしよう。などとバカなことを思ったが、やっぱり最後まで声援だけだった。そのうちにベッドの端を掴んでいた掌に誰かの身体があたった。オッ、執刀しているO先生の太ももあたりか……、と思って布の隙間から覗いたらザンネン、K先生だった。(/_;)「イトウさん、ここまで麻酔が届いていないでしょう。追加の注射をしますから痛いのがまんしてくださいね」も~う、わざわざ断ってくれなくてもいいのに、と思ったときにブスリときた。なんだかんだを楽しんでいるうちに、ピリリッとひときわ鋭い痛みがあり、ほぼ静かになった。首のあたり全体がどんよりと重痛い。「ハイ、全部とりましたからきれいになりましたよ。後は縫合して終わりますからね」と、これはK医師がやっているらしい。ピリピリチクッと肉を縫っている感覚がする。これは腫瘍を取り出した後の空洞を埋めているようだ。そのうちに、表面のほうを縫っている感覚を探っているうちに、「ハイ終わりました。ちょっと手こずりましたね」とK医師。「ちょっと大事に育てすぎたでしょうか?」と聞くと、「そのようですね。親だけでなく、子や孫たちまでできていましたよ。すっかり退治しておきましたから…」とおっしゃる。時計を見たら、手術室に入って1時間半を経過していた。自分では小1時間ほどだと思っていたのだが、やはりどこかで眠っていたのかも知れない。起きたら、頭があったあたりのシーツに大きな血液のあとがあった。テレビ番組の犯罪現場を小規模にした感じだ。自分の意識ではゴニョゴニョといじり回していただけのように感じていたが、本当に切っていたんだなと、あらためて自覚した。首にしっかりガーゼと絆創膏を貼られ、「念のため、今日は風呂と酒は休んでください。次週の金曜日に、皮膚のほうの抜糸をします。中は自然に溶けてしまいます」などと説明をうける。O先生の美しい眼も、ほっとしたのかマスクの中で微笑んでいる。この先生は切る役目より、手を握って励ます役目のほうがゼッタイ患者さんから喜ばれるのに…、と内心思ったがもちろん口にはできない。そんなかんだで、ぼくの手術初体験の報告でした。実は、手術室を出たその足で、障がい者の支援会議に滑り込んだり、仕事の手配をしたりと、やっぱりゆっくりはしておられなかった。とりあえず、初体験報告はしますが、コメントをいただいても返事はすぐには難しいようです…。もししばらくコメントに返事を書かなくても、亡くなっているわけではありませんから、くれぐれもご心配なく。いたって元気です。
2012.01.15
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一日の仕事を終えると、今後の作業計画や事業所としての企画を練る。ネットでそれらの情報収集。軽く夕食を摂りながらニュースの確認。そして文芸誌の編集を始める。退屈するとブログのお気に入りページを流し読みする。そんなふうに過ごして、夜の11時頃は居間に戻ってテレビの前、日本酒か焼酎ときには安いワインを飲みながら、雑誌や読みかけの本などをペラペラ捲っていると眠くなる、12時頃バタンキューとなる。しかしときには、夕食が早すぎると小腹が空いて夜食をとりたくなる。妻はとっくに寝ている。そこで始めるのが、握り飯。これはひそかに自慢できる。実際には握り飯は炊きたてのご飯を握るに越したことはない。だからといって、深夜に炊きたての飯など望むほうがムリ。冷や飯を蓋つきドンブリによそって電子レンジに入れ、2分間ほどチンする。握り飯の形は三角でも円形でもいいが、あまり厚くしてはいけない。力をこめて固めに握り、周りに薄く味噌をまぶしつける。味噌は田舎味噌だったが、今は手作りの自家製。これは多めの麹でつくった、わがメンバーたちの手前味噌。荒ごし粒味噌は、ほんのりと自然の甘みがあって、握り飯にはよく合う。味噌をまぶした握り飯は、オーブントースターで両面を直火でコンガリと焼く。このとき注意しなければいけないのが、金網の上に直接のせると握り飯が焼きついてしまい、次の日に妻にこっぴどく叱られる。そこでそれを避ける方法だが、金網にとってあった割り箸を敷いて、その上に握り飯をのせて焼く。こうすれば握り飯が金網に焼き付くことなく簡単にとれる。オーブントースターの長所は、上下から加熱できる点で、握り飯を裏返す必要もなく、およそ五分間でほどよく焼き上がる。こんがりと焼けた握り飯から味噌の香ばしい匂いが立ち、なんともいえないうまさ。これだけは、品ぞろいを誇るコンビニも手が出せまい。ときには、味噌にパック入りの細かい鰹節をまぜたり、ネギを細かく刻み込んで、それを握り飯にまぶして焼いてもいい。もし、焼いた握り飯が冷めたら、2つか4つに割って大ぶりの飯茶碗に入れて、たっぷりと熱い番茶を注ぎかけ、ざくざくと崩しながら食べるとまた別趣のうまさ。これはひとりにかぎる。(^_^)v新潟あたりでは、この味噌をつけて焼いた握り飯のことを献残(けんざん)焼きと呼ぶそうだ。たぶん、神仏に供えた飯のお下がりを、こうして食べたことに由来するのだろう。さあ、やってみますか。メタボ? みんなで太れば怖くない。PC そんなわけで文芸誌の編集は遅れているのだが、その合間に読んだたまたん^^さんの日記、僕はこの日記の大ファンである。[Ctrl]を押しながら、左右クリックしてください。
2012.01.07
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穏やかな新年を迎えました。このまま今年は何ごともない穏やかな年であって欲しいと願いながらお屠蘇を嗜んだ。実は文芸仲間やブログ友だちにも、この新年にも深刻な病を抱えている人がいるため、正月といっても浮ついた気持ちになれないでいる。早く回復して、憎まれ口を叩いて欲しい。ということで、以前にも紹介したことがあるが、新年に相応しい好きな詩があるので贈りたい。 あなたはだれのものでもない あなたは ただ あなたのもの はるのひかりが あなたにふれて あなたをのばすこれは『からゆきさん』の著者で知られる森崎和江さんのエッセイ「光の海のなかを」の一節。森崎さんが思春期を迎えた娘さんへ送ったメッセージだ。日本人にとって、歳末・元旦とつづくこの時間はとてもよい習慣だと思う。もちろん、どの国の人々にもNew Year's Dayで、喜ばしい日として祝う習慣があるだろう。しかし、僕が日本人としていいなと思うのは、この時間を期してさまざまなこころの更新をする習慣だ。「今年は」「今年こそは…」と新年を迎える。初日の出を拝む。そうやって、二年参りで新しい年への決意表明をする。どうか「今年は健康を取り戻すぞ」と誓って欲しい。ちなみに「元旦」の「旦」の字の下線は地平線を表わす。つまり、「地平線から昇りつつある太陽」を意味する。過去をリセットして、新しい未来が始まる、というのが元旦だ。上記の詩は森崎さんが、初潮を迎えた娘さんに対して、こころを込めてつづった詩だという。初潮もまた、女の子から女性としての階段をのぼる“日の出”という意味と、とれなくもない。昔は(今でも?)、女の子の初潮には、母親は赤飯を炊いて一人前の女になったことを祝ったようだ。今は何で祝うのだろうか。清浄しい元旦という日も、社会にとっての、家族にとっての、一人ひとりにとっての初潮のようなものだと思う。初日の出に、一年大人となった自分を自覚し、新年の決意を固めるわけだ。森崎さんの詩はつきのようにつづく。 わたしはだれのものでもない わたしは ただ わたしのもの はるのひかりが わたしにふれて わたしをのばすあなたはあなただけのもの、わたしはわたしだけのもの、新しい年のひかりがふれることで、あなたもわたしも、もう一段おとなとなり、おとなとしての自覚を固める。今年こそ、みなさんとともによい年に!
2012.01.01
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