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もうすぐ、モニュメントバレーのあの風景の中に立つ。グールディングスのベランダから、早起きしてビュートやメッサの間から昇る朝日がみられるだろうか。キャニオン・デ・シェイのあのスパイダーロックは、どれくらい高いんだろう。寝袋から出した顔から見上げる星空は、どんなふうに見えるのだろう。幻想的なアンテロープの光と岩肌の美しさもこの眼で見られる。ホーガンに泊まり、火を囲んでナバホの家庭料理を楽しみ、ナバホの言葉でストーリーテリングを聴かせてもらう。ホピの村を訪ね、ホピの言葉でお話を聞かせてもらう。たくさんのナバホ織りを見、ウィーバーさんが織っているところも、インディアンジュエリーつくりも間近に見せていただいてくる。ペテログリフ国定公園のたくさんの岩絵にも会える。そしてとうとう、コマスカイシティも行けることになった。私がずっと行きたかったところ全部に行ける。アメリカでは車の運転ができないから、きっともう行くことはできないだろうと思っていた全部のところに行くことができる。一緒に行ってくれる人達がいてくれたから、こうして旅ができる。もしかしたら夢かもしれない。夢でもいいか。こんな夢なら、夢でもいいな。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年05月24日
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週末は山の中にある自然の家で、6人の留学生と地元高校生の交流会をした。いつもお題をだして国の紹介をしてもらっているのだけれど、今年は自分の国の言葉で“こんにちは”と“ありがとう”を、そして1から10までの言い方を指を使って数えてみてもらった。日本人高校生も一緒に挨拶の言葉を言ってみたり、アジアでは国が違っても挨拶の言葉が似ていて留学生同士が驚いていたり、楽しくすごした。面白いことに、指を使っての数え方が微妙に違うのだ。3はOKマークのようにする国や、6は小指の方から立てていく国、そして日本人が時々するようなパーの状態から指を折っていく数え方は、参加6カ国では「しない~!」とのことだった。ついでに、日本人はよく鼻をさす「私」「私の」という表現も教えてもらった。男女で違う国が多かったが、グーかパーで胸の上の方を押さえるものが多かった。ジェスチャーについていろいろ教えてもらった後だったので、ちょっと取り入れてみたのだけれど、結構おもしろいなと思った。さてナバホでは、1,2、3は、どんな数え方をするのだろう。これも聞いてこよよかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年05月20日
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ニューメキシコ州には、19のプエブロ・インディアン。プエブロとはスペイン語で「村」という意味があり、農耕定住型民族。日干しれんがで造られたアドビと呼ばれる集合的住居に住む。ニューメキシコには、世界遺産に住むタオス族。標高2134mのメサの上の「空中都市」に住むアコマ族。繊細なインディアンジュエリーのズニ族。羽をかたどったインディアンジュエリーを作っているマイケル・カークさんのイスレタ族。そのほかにも、サント・ドミンゴ族、ラグナ族、サンタアナ族、サンディア族、ヘメス族、ジィア族、サンフェリペ族、コチティ族、テスキ族、ポワキ族、ナンベ族、サン・イルディフォンソ族、サンタ・クララ族、サンワン族、ピキュリス族のプエブロがある。アリゾナのホピもまた、プエブロインディアン。プエブロインディアンのお話;Arrow to the Sun.よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年05月19日
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ホピ語でイエスは、“ウイ”何?は、“ハ?”(男性)、“ハイ?”(女性)ありがとうは、“クワクワイ”(男性)、“アスクワリ”(女性)よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年05月10日
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インディアンジュエリー大好きだから今度の旅ではナバホ・ホピそしてズニも近いので、本物をたくさん見られると、それも旅の楽しみにしています。中でもピアスは大好き。見ているだけでウキウキする。で、ピアスの起源を調べてみました。古代ヨーロッパの人々が、美しい飾りを着けることによって、耳から入ろうとする悪魔を撃退するのが目的だったようです。そこから悪口や皮肉などが耳に入っても『毅然とした態度で受け流す』という気持ちを表わす手段でもあったそうです。アフリカあたりで装飾品として始まったのかと思っていましたが、実は古代エジプトでは、20歳になったらピアスをするのが王族や貴族を中心とした権力者の間では普通だったようです。若くして亡くなったツタンカーメンは、亡くなったのが18歳だったためピアスはしていなかったようですが、お墓から副葬品としてピアスが出土しているそうです。溢れる情報が耳に入ろうとする時、いったんそこでフィルターに通す。そんな風に考えて着けると、ピアスやイヤリングをする時の楽しみもまた倍増!よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年05月09日
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第二次世界大戦時、アメリカでは信仰を理由に徴兵を拒否することが許されたようだ。そんな中でわずか数千人のホピの中から、徴兵拒否をした人が6人いた。「先祖以来文字どおり“ホピ”(平和)の掟を守り続けてきた部族の一員として、たとえどんな状況下にあろうと武器をもって人を殺すことはできない」というのが彼らの主張であった。当時良心に基づく徴兵拒否は認められたいたそうだが、彼らは全員有罪とされ獄につながれたという。また、大戦後の1949年 “ホピ・インディアン帝国”からアメリカ合衆国大統領に宛てた土地問題での公式文書の中に、こんな一説があるそうだ。「・・・われわれはわれわれ自身のやり方でみずからの運命を決定しようと欲している。現在われわれは、われらの弓と矢をだれにも向けようと思わない。われらの伝統と宗教的訓練は、いかなるものをも、傷つけ、殺し、苦しめることを禁じている。われわれはわれらの師弟が、戦争のための殺人者となり破壊者となる訓練を強制されることに抗議する・・・・この国土における生命の聖なる計画は、偉大なる霊マサウウによってわれらのためにととのえられたものである、この計画は変更することができない。・・・・」「ホピの国へ」(青木やよひ著)より。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年05月08日
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一般にインディアンの人々はかつて文字を持っていなかったとされているが、メキシコのアステカ族やマヤ族は、現在では読解不明ではあるが、かつて文字を持っていたらしい。アメリカインディアンの人々の中には、言語を文字化していた部族はいないとされているが、その言語を文字をした人がいたアパラチア山脈の南端にあるチェロキー族で、白人の父とチェロキーの母を持つセコイヤは、チェロキーの言葉を文字化しようと12年間、皆に「狂っている」とののしられながらも仕事を続け、1821年とうとうチェロキー語の完全な文字化に成功した。その結果チェロキーには文盲はほとんどいなくなり、1828年には英語=チェロキー語併載の週間新聞をも発行したそうだ。インディアンが自分たちの言語で発行した最初の新聞になるようだ。数千年の樹齢を持つ巨木セコイヤは、チェロキーの人々が、彼らの文字の発明者セコイヤの偉業にちなんで命名したものだといわれているそうだ。また近隣の部族もその後、彼の表音記号を利用して、それぞれ自語の文字化に成功したという。「ホピの国へ」(青木やよひ著)参照。セコイヤという樹の名前は知っていたし、なんとなく日本語の「セコイ」が浮かんでしまったけれど、セコイヤにはそういう意味があったのね・・・ちなみに、トーテムポールの原材料にもなっているそうだ。漢字では「世界爺」と書くそうな。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年05月07日
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ルース・ベネディクトといえば「菊と刀」の著者である文化人類学者だけれど、そのベネディクトは、移動型と定住型のインディアンの特性を「ディオニュソス型」と「アポロ型」と表現しているそうだ。移動型「ディオニュソス型」インディアンは、万事につけ激情型であり、祭りにおいては忘我の状態を求め、日常生活も個人の能力と自尊心によって支えられている。定住型「アポロ型」は、万時につけ中庸を好み、祭りは創造主への親しい呼びかけであり、日常生活では個人は集団の成員として調和的に生きることが求められているという。「ホピの国へ」(青木やよひ著)より日本人も「アポロ型」かな。。。。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年05月06日
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ホピのカチーナのひとつ。ホピでは、人間は大地(グランドキャニオン)の割れ目から生じたとされる。誕生のときに頭に泥をつけて出てきた精霊、英語ではMad Headとも呼ばれるコエムシ(泥頭)。まあるい顔にまん丸の目に口、愛嬌のある顔をしている。人間が扮するカチーナはどうして口が丸い筒状になっているのかな・・・と思っていたけれど、どこかに(忘れた・・・・)歌う声が外に聞こえるようにと書いてあった。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年05月05日
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ナバホに関してはいろんな本を読んできたけれど、ホピについて漠然とした知識しかないので、手に入る本を読んでみることにした。「ホピの国へ」(青木やよひ著)は、著者の青木やよひさんがご主人の北沢方邦さんと一緒に1971年にナバホ・ホピを訪ねた時のことを書かれている。1970年代の初めの頃に日本人がみたナバホが、どう書かれているかを知ることができる。またホピの子供たちとの出会いなども書かれていて、面白い。ホピに関しては、好戦的なナバホの攻撃を避けるために、ホピの集落は砂漠にそびえる台地に住んだ。ホピやズニは攻撃性が少ない。ホピには戦士集団がなく、古来武器を持たないことを部族の信条にしてきたーーー彼らが「善良」または「平和」を意味する「ホピ」という名称を持っているのはそこからきている。という記述がある。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年05月05日
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「ナバホのことを知りたいんだけど、どんな本を読んで行ったらいい?」「一冊だけって言われたら、猪熊博行さんが書かれた「風の民」かな・・・」そんなふうに答えているし、自分でももう一度読み返している。その猪熊さん、「風の民」を書かれた時には、ニューメキシコのファーミントンにいらしたけれど、その後何をされているのかな・・・と思っていた。「あるナバホ・インディアンの回想―オールド・マン・ハットの息子」を手にとって、びっくり!その猪熊さんが翻訳をされている。猪熊さんは帰国される時に、訳してみたいと思われた本を何冊か持ち帰られたと書かれているから、まだまだこれから翻訳本がでるかもしれない、とまた楽しみが増えた。この「オールド・マン・ハットの息子」は、普通のナバホの人の日常生活が、子供の頃から成人になるまで回想の形で書かれている。ごく普通の日常の描写だけれど、一般の人の暮らしぶりがとてもよくわかる。猪熊さんも書かれているが、ナバホでは離婚は夫の荷物をホーガンの外に置くだけで成立するとよく言われているが、やっぱり日常の中では普通に喧嘩があったり、夫が出て行ったり、妻が出て行ったり、いろんな形で暮らしが営まれている。一般の本では出てこないような細かな日常の描写があり、人の呼び方、場所の名前、人間関係が複雑でこんがらかることが多いけれど、それだけにナバホの日常の様子がよくわかる。そしてひとつ気になっているのは後記で書かれている、「シアトル酋長の言葉」として現代に残っているものの信憑性。シアトル酋長は、この言葉をドワミッシュ語で語っており、当時その場でメモを取ったスミスなる人は、それは逐語訳ではないといっているとか。こちらは安部珠里さんの「アメリカ先住民―民族再生にむけて」に書かれているそうなので、これもまた読んでみなくちゃ・・・ よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年05月01日
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