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ある日、ナバホの若者がDead Man’s キャニオンに、猟にでかけました。敵に出会い、どこか隠れるところはないかと逃げだしました。大きな先の尖った岩・スパイダーロックをみつけましたが、その岩には登れそうもありませんし、彼はとても疲れきっていました。ところが突然、そのとがった岩から絹のような糸がおりてきました。若者はその糸をつかむと自分の腰にしっかりと縛りつけました。すると糸が引き上げられ、その岩の天辺につきました。そこはとても心地のよいところで、イーグルのたまごと夜露を飲みました。敵はあきらめて退散しました。若者はスパイダーウーマンに助けたれたのです。スパイダーウーマンは、ずっと彼のことをみていたこと、そして彼が追われていたのも知っていたこと、彼女の糸で彼を上まで引き上げたことなど話しました。若者は、糸で下に下ろしてもらうと急いで帰り、そのことを皆に話しました。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年06月30日
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スパイダーロックには、スパイダーウーマンが住んでいるといいわれている。ナバホの創世記では、第3の世界から第4の世界に移ってきた時、そこにはたくさんの怪獣がいてナバホを殺していた。スパーダーウーマンは、Monster-Slayer とChild-Born-Of-Waterのふたりに特別な力を与え、父親のSun-Godを探す旅に出し、Sun-God はふたりにモンスターを退治する方法を教えた。そしてスパイーダーウーマンは、ナバホの人達から尊敬され、スパイダーロックの天辺に住んでいる。スパイダーウーマンに関しては、ふたつのことが語り継がれている。ひとつは、ナバホ織りを教えたということ。もひとつは、いい子にしていないとスパイダーウーマンに食べられてしまうよと、子供たちへの教訓として語り継がれていること。スパーダーロックが日の光のかげんで白く見えるのは、言うことを聞かない子達の骨の色だといわれているのだそうだ。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年06月29日
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とうとうやって来たぞ~、スパイダーロックよかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年06月28日
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朝食はスパムが乗ったトルティーヤとコーヒーをいただき、今日もまたハリスの車でこちらのキャニオンを出る。いまひとつ自分のいるのがどこなのかわからない・・・・ノースリムのような、どこか別のところなのか・・・「僕のおばあちゃんのサマーハウスだよ。おばあちゃんは97歳で、ラグも織っているんだ」サマーハウスという言葉をよく聞いたから、夏専用の家があるのが普通のようだ。夏になると草を食べさせるようにと、ひつじを連れて移動するのかなと思って聞いていた。つくりはホーガンとは違って木を組んだものだから、涼しいのだろうけれど、サマーハウスに関してはまだ知りたいことがたくさんある。ハリスもこのキャニオンに住んでいて、どうもガイドはこのキャニオンの住民がなるものらしい。会うガイド、会うガイド、皆いとこ。「今すれ違った人もカズン?」「どうして知っているの?」だって、みんなカズンじゃない・・・・・関係するクランの同年齢の人は、みんなカズンなのかな・・・クランとは「氏」のようなものだけれど同じではなく、なおかつナバホの人にはとても大切なもののようで、なかなか理解できない。キャンプサイトよりもっと奥に住んでいるというハリスに聞いてみた。「子供の頃、学校はどうやって行ってたの?」「キャニオンの上の方にスクールバスが来て、そこからバスに乗っていったよ。バスの停まるところまでは、ずっと歩いていったけどね」生真面目にキャニオンの説明をしてくれるハリスにあれこれ話しかけながら、いったんビジターセンターに出てハリスとはそこでお別れ。そこからまた白いバンに乗り換え、サウスリムへと向かった。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年06月27日
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キャンプサイトには、ふわふわと白い綿毛が舞っている。あっちにも、こっちにも、まるで大きな雪が舞っているようだ。このキャンプ場にある大きな木の綿毛だ。 ここの家族が作ったネックレスやブレスレットを売っていた。ジュニパーという木の実とビーズで作った素朴なネックレス。家族みんなで手伝っている。小さな男の子が、これは弟が作ったんだよといって売っていたものもあった。キャニオン・デ・シェイでのこの日の思い出に、自分のためにひとつ買った。ジュニパーは岩の上にも生えていて、岩にあるトレイルを登って取りに行くそうだ。そして、ジュニパーは「ゴースト・ビーズ」とも呼ばれ、魔除けとして身につけたりするのだそうだ。 ゴースト・ビーズのお話: 昔むかし、男の子が一人で歩いていると、後ろから悪霊(ゴースト)がついて来ます。男の子は一生懸命逃げたけれど、逃げても逃げても悪霊はついて来ます。男の子が持っているのはパチンコだけ。他に武器になるものは何も持っていません。その子は必死に逃げ、ある木の下に行くと、そこにはたくさんの木の実が落ちていました。そこでその実を持っていたパチンコで、ゴースト目掛けて打ちました。するとその実はとても小さいのに、あっという間にゴーストは消え、男の子は助かりました。村に帰ってその話をすると、村人はその木の実を身につけるようになり、それから村は悪霊から守られるようになりました。こうしてジュニパーの実は、“ゴースト・ビーズ”といわれるようになりました。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年06月26日
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テントを張って、さて眠ろうかという時、チャーリーからの注意があった。「ここはサソリが出るかもしれないし、動物もやってくるかもしれない。テントの入り口のチャックは、こうやって角までキチンとしめるように。出入りする時も、開けっ放しにしないで、必ずキチンとしめるように」ほうほう、学生を連れてキャンプをしながらいろんなところを回っていたというチャーリー、こういうのを聞くと、「やっぱり先生なんだわ・・」と思う。「でも、でも、チャーリー、私達テントの外で寝るんですけど・・・・」「ああ、そこは岩から離れているから大丈夫」「そういうもん・・・・?」まあいいか、近くには大イビキをかくから・・・と心配しているIちゃんもいるし。この際、熊除けになるかもしれない。真面目なYoさんは寝袋の中にもぐって、頭の上でしっかりチャックを閉めて、すっぽり寝袋の中に納まっていた。あんまり暑いので、お隣さんに声をかけ顔を出したら、なんのことはない、みんな顔を出して寝ていた。Yoさん、さぞ息苦しかったことだろう。ここには電気はない。当然トイレも電気がない。その上、ドアもない!ドアがないのは中国の田舎だけじゃなかったんだ・・・そして再び戻った寝袋。熊除けIちゃんの健康的ないびきが聞こえる。が、それをかき消すような、岩に響くような大きないびきがどこからか聞こえる。これなら、熊だってコヨーテだって、怖がってやってこないだろう。そんなこんなでロマンチックな夜空の下、私達の旅の一行の夜は更けていった。でもこれも、旅が終わってもまだつながっている出会いの最初の夜だったのだから、それもまた一興というものだ。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年06月25日
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ストーリーテリングが終わり、私達も眠りにつく時間がきた。テントに眠る人、寝袋でそのまま大地に眠る人。私はもちろん、大地に寝袋で眠る人。ホッカイロも持ってきたし、銀色のシャカシャカ音のするシートに包まっていれば寒くない。かえって暑いくらいだ。ぐっすり眠って目を覚ます。焚き火の火も消え、あたりは真っ暗だ。夜中の1時を過ぎた頃だろうか。しばらくじっとしていると、まわりでゴソゴソ動く音がする。眠れない人達が数人。「ねえ、起きてる?」「うん」小さな懐中電灯の灯りをたよりに、何人かで少し離れたトイレへ。戻って寝袋に入っても、なかなか眠れない。見上げれば満天の星。チャコキャニオンのアナサジの人達は天文学にすぐれていて、驚くような設計で建物を建てていたというけれど、同じ時代をすごしたこのキャニオン・デ・シェイの人達は、どんなふうにこの星たちをみていたのだろう・・・眠れない夜は羊を数える。このキャニオンには、夜を明かすのに十分な数のひつじがあちこちにいる。コヨーテが星をぶちまけたおかげで、見上げた空を埋め尽くすようにたくさんの星が瞬いている。その星の間を、スー、スーと流れ星が流れていく。そうだ、今夜は流れ星を数えてみよう。ひとつ、ふたつ、みっつ・・・・・数もわからなくなった頃、あたりは明るくなり始め、あんなにたくさんだった星たちも消え、大きな星がひとつ光っていた。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年06月24日
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ジム・テラーさんのハスキーな声で、ストーリーテリングは始まった。太鼓をたたきながら詩を聴かせてもらう。続いて息子のアダム・テラーさんが語り始める。いろんなところで語っているというアダムさん、声がいい、抑揚がいい、うっとりと引き込まれるように語り始める。クランの紹介から始まり、おじいさんがこう言った、おばあさんがこう言ったといいながら、ナバホの文化や歴史について語っていく。ナバホでは、いいこともよくないことも、両方がバランスをとって調和していることを「ホッジョー・美」という。その美の中、調和をとって生きていくこと、それが"Walk in Beauty"。子供の頃には、寝坊をしていると「アダムおきなさい」とおばあさんに起こされた。日の出前に起き、朝日に向かってトウモロコの花粉をまく。東に向かって“ホッジョー○○”、南にむかって“ホーッジョー○○”・・・・、と朝の祈りをささげるのだ。そんなふうに、時折ナバホ語を交えて語っていく。 影がその人の人生をずっと見ているという話もしてくれた。ナバホ語はとても大切な言葉、英語は私達にとって第二言語であるともいっていた。コヨーテのこと(コヨーテの歌音の響きがおもしろかった!)、スパイダーウーマンのこと、成人の儀式、そしてロングウォークなどの歴史も、流れるように語っていく。穏やかな声と押さえた抑揚が心地いい。 周りは満天の星と焚き火の明かりだけ。大きな岩と緑の木々の中、アダムさんの声だけが静かに流れていく。このキャニオン・デ・シェイの大自然の中に、アダムさんの語るナバホのストーリーが溶けていくようだ。写真には、たくさんのオーヴが写っていた。ナバホの文化や歴史、ナバホの人々の思いがたくさんつまったストーリーテリングだった。ここでは、自分たちが大切にしている文化や歴史を、おじいちゃんから孫へ、人から人へと語り継いでいくことを、“ストーリーテリング”というのだということを学んだ。1時間ほどのアダムさんの語りで、ナバホのストーリーに参加させてもらった。おじいちゃんやおばあさんから語り継がれた大切な話を、こうしてプレゼントしていただいた。アダムさんがいうように、このキャニオン・デ・シェイでの、この夜のことを、私のストーリーのひとつとして、私も伝えさせていただくことにしよう。アッヒャッヘ。この場にいられたことに感謝せずにいられない。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年06月23日
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ヤッター!ツアー初日の宿泊は、キャニオンでのキャンピング。どんなキャンプ場かと、あれこれ思ってきたけれど、こんなところだなんて想像もできなかった!ど、ど~んと大きな岩の下に空いた空間。その下にテントを張り、今夜は眠る。下の方のチッコイのが人夕食には、ナバホタコとコーヒーをいただき、火を焚いてストーリーテリングが始まるのを待つ。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年06月21日
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キャニオンの壁のあちこちに遺跡が残っている。アナサジと呼ばれた人々が住んでいた跡だ。 アナサジは、紀元前100年から紀元1300年の人々だといわれ、このキャニオンには1100年から7~800年前まで住んでいた。その後忽然と消えたとされ、疫病が流行ったのではないかとか、旱魃などで食べ物がなくなったのではないかとか、中には宇宙に帰ったなんて説もあるけれど、何らかの理由でこの場所を離れ、その子孫はプエブロ族とMogollonになったというのが定説のようだ。キャニオン・デ・シェイのアナサジは、ホピやズニに、そしてまたチャコキャニオンなどのアナサジはまた別のプエブロに・・・と、プエブロ族でも先祖の住んでいた場所はそれぞれに違うようだ。今は岩壁に張り付いているように見えるけれど、当時はその位置が大地の位置で、それが侵食されて今では壁の途中に家が張り付いていつように見えるのだそうだ。アナサジの人々は身長役120cmくらいと、小柄だったようだ。祭事などを行うキバは、丸く石を積み上げた形になっているそうだ。そんな遺跡を見ながら到着したキャンプサイトのすぐそばにも遺跡が残っていて、キャンプサイトを運営している家族が、ずっとそれを守り続けているのだそうだ。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年06月20日
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さてこれから大きな街を離れキャニオンへと向かっていく。Chinleのビジターセンターで、キャニオンのガイドに会い、4WDの車に乗り換える。私が乗ったのは、ハリスの車。このキャニオンに住んでいるという。大きな道をはずれキャニオンに入り、大きな岩や木の間にある水浸しの道を車は走っていく。まるでTVの旅番組のレポーターになったみたいだ!この道を馬に乗っていく旅人もいる。もちろんガイド付き。ここはガイドと一緒でないと入れない。このキャニオンは二股に分かれているから、私達は今“キャニオン・デ・ムエルト”って方に向かっているのかな・・・・水しぶきを上げ、時折ガクンガクンと大きく揺れながら、車は走っていく。両端には大きな岩がそそり立っている。岩肌に黒い墨を流したように模様が見えるが、これはマンガンっていったかな。。。。。その時はわかったように思って聞いていたが、時間がたつと○○と言ったような気がするような、気がする・・・・ということが多いのは英語で聞いているせいだろうか。そしてここには、大きな木が茂っている。そして壁のあちこちに、遺跡が残っている。昔の生活を想像できるようなリアルな形でたくさんの遺跡が、あちこち残っている。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年06月19日
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ウインドウロックの町には、ナバホの会議場や首長の官邸などがある。そのすぐ近くには、ナバホ警察もある。連邦警察とは別に、ナバホにはナバホの警察がある。高さ約65mの大きな岩にポッカリと空いた穴。穴の向こうには、青い空が見える。それにしても、あの大きな岩の前に立っている“ナバホコードトーカー”の銅像はいったいどうしたのだろう?2004年に来た時にはなかったような。こんな大きな銅像が、ウィンドウロックの岩の前にあれば、いくら記憶力が弱くなっている私だって覚えているはずだし。なにやら回りに新しい囲いがあるから、これはきっと最近立ったに違いない。第二次世界大戦中に暗号の作成などにあたったという、ナバホのコードトカー。英語の文字にナバホ語を当てはめ、難解な暗号を作成していた人達だが、戦争中にはサイパン島、グアム島、硫黄島、沖縄などに400人の人々が従軍していたそうだ。でも、なぜ今ナバホコードトーカーなのだろう・・・2004年にはなかった銅像が、それもかなり大きくて立派な銅像が、なぜ今ナバホの首都であるウィンドウロックの街のこの場所に立っているのだろう。こんなふうに公園になっていたのか、私の記憶では大きな岩のまわりはこんなふうに整備されていなかったのに、記憶はあてにならないな・・・と思っていたが、帰ってきて5年前の写真をみると、やっぱりこんなふうにいろんなものは建っていなかった。あとでわかったことだが、この大きな岩の前にあるのは軍隊のメモリアルパークだったんだ。私達が訪れた日は、メモリアルデーの翌々日。それで花輪がたくさん飾ってあったのだ。そして、なぜ今なのかはわからないけれど、戦争中の功績をたたえてコードトーカーの大きな銅像が立てられていたのだろう。「ウインドトーカーズ」という映画があったけれど、これもそのうち観なくては・・ナバホの人々がどんなふうに描かれているのか、知りたい。ナバホの人達がどんな思いで戦争に参加したのか、描かれているだろうか。 ☆ ナバホのウラン採掘に関して修正をいれましたので、こちらをご覧下さいよかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年06月18日
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食事の後は、すぐ近くのNavajo Nation Museum へ。ロビーでは、ナバホ織りの実演をしているようだったが、あいにくウィーバーさん不在で織機だけが置いてあった。「写真を撮ってもいいですか?」と受付の人に聞いてみる。「フラッシュをたかなければ、いいですよ」ここナバホは、写真撮影など「どうぞ、そうぞ!」という感じだ。なんと運のいいことに、ちょうどナバホ織りの展示がたくさんしてあり、たくさんのラグを見ることができた。ファミリーごとにラグをまとめて展示し、ファミリーツリーのようなものが示してあった。 いきなりたくさんのナバホ織りに出会えて大喜びで、弓矢などを見せていたイケメンお兄さんがいたことにも全く気づかず、後でそれを聞いて、ナバホのイケメンにもお会いしておけばよかった・・・・とちょっと後悔。みんなが、「すごくカッコよかったあ!」というから、さぞ素敵だったことだろうに・・・工芸や大自然だけでなく、生きてる「美」にも出会うべきたっだ・・・ナバホ織り、バスケット、昔使っていた道具や衣類、そしてボーディングスクールで使っていた教科書なども展示されていて、ナバホの文化や歴史を視覚を通して知ることができる場所だ。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年06月17日
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ウィンドウロックは雨だった。雨が激しいので、先に食事をすることにした。立ち寄ったのは、ディネ・レストラン♪ ナバホ特有の料理みたいなのが紹介されていたので、その中から“ベジタブル・ナバホ・タコ”を選ぶ。スープとトルティーヤの組み合わせもこちらは、フライドブレッドにはさまれたダブルバーガー。ボリュームたっぷり。この旅の間に何枚もフライドブレッドを食べたし、私はフライドブレッドが大好きだけれど、これには案外悲しい歴史があるようだ。1863年に始まったナバホのロングフォーク。ナバホの人々が追いやられたサムナー砦にいた間、配給されたのは、ラード・小麦粉・塩・砂糖・ベーキングパウダー・イーースト、それにパウダーミルク。先の6つを使って作ったのがフライドブレッドで、それ以来ナバホの人々の間でよく食べられるようになったと聞いたことがある。本やインターネットでみていた世界に実際に触れることができ、とっても嬉しい反面、そこここで悲しい歴史や現実をみることにもなる。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年06月16日
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アルバカーキからウィンドウロックへ向かう道は、大地の上を真っ直ぐに伸びている。その道から見える小高い丘の斜面には、大地と同じ赤茶色のお椀のような形をした兵器庫や弾薬庫が点在している。まーーーーすぐな道ナバホでは、長崎や広島に落とされた原子爆弾に使われたウランが採掘された。修正→(当時ベルギー領だったコンゴで採掘されたモノ。ナバホのウランは実用に供されたことはなく、実験でのみ使用されました。)そしてアルバカーキには国立原子力博物館があるし、原爆の実験が行われたのもインディアンの人々の居留地であったという。最初に原爆の実験を行ったのは、アパッチの居留地だそうだ。修正→(初めての原爆実験が行われたトリニティサイトはメスカレロアパッチの居留地の南西20kmほどのところにあるアラモゴロド近郊のホワイトサンズ爆撃演習所。)そんな風景を見ながら、一路ナバホの首都ウィンドウロックへと向かった。ナバホは砂漠地帯であるけれど、ここ3年くらい雨が多く、沿道の土地も緑の草に覆われているが、普段このあたりは草も生えていない茶色い土がむき出しになっているそうだ。私が参加したワークキャンプの場所・ハーファノのメッサの周辺も、例年より雨が多いので今年は花盛りだというから、どんなふうになっているのか見てみたいと思う。(注)6月15日に記入した記事に関して、Walk in Beautyさんから正しい情報をお知らせいただきましたので、修正しました。詳しくは、下記に本に書かれているようですので、私も読んでみようと思います。「風の民」は私の大切な本の一冊なのに、この部分は見落としていたようです。本多勝一氏の「新・アメリカ合衆国」(朝日文庫)猪熊博行氏の「風の民」(社会評論社} よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年06月15日
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5月27日ようやく公式ツアーは始まった。このツアーの最大の特徴は、インディアンの視点で旅が進んでいくことではないかと思う。ツアーのガイド・チャーリーはナバホ族の民俗学・考古学博士であり、またそれぞれのポイントで私達をガイドしてくれたり受け入れてくれた方々は皆、そこの部族の人達だったから。アルバカーキのベストウェスタンホテルの朝食では、自分で鉄板でワッフルを焼くことができる。ホテルの人が頃合を見計らって声をかけてくれるので、クルッと回転させ、熱々のワッフルを取り出してシロップなどかけ、おかずを添えておいしい朝食をいただいく。さていよいよツアースタート、ウィンドウロックに向けて出発!確か出発は朝7時頃だったような・・・・車に乗り込む前に、「正しいジュエリーの見分け方」を学ぶ。ターコイズは鉱山によって模様が異なる。本物は傷やゆがみが入っていて、つるつると光っているものは、フェイクである場合が多いそうだ。スタビライズされているものもあるので、一概には言えないが、とにかく本物は重い。ずっしりと重く、そして値段も高い。こっちは本物の銀。色はミルキーホワイト。ドイツ産のジャーマンシルバーも入ってきているけれど、地元産はミルキーホワイト。銀の値段は最近、ぐんと上がってきているのだそうだ。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年06月14日
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カジノを出たら一路ホテルに直行かと思いきや、アルバカーキのオールドタウンにまで連れてくれることになった。時間も遅かったので閉まっているお店がほとんどだったが、開いているお店を発見!ジュエリー・ラグ・カチーナ・バスケットなど等の洗礼を受ける。アルバカーキはニューメキシコ最大の都市であり、1706年にできたオールドタウンは、プエブロ・スパニシュ・スタイルの街。150のショップや画廊、7つの博物館がある街で、石畳の歩道ではお店が開かれているそうだ。昼間はきっと活気があって、エキゾチックな街なんだろう。閉店の合図に押し出され、ホテルに戻る。こうして私達の長い一日はようやく終わった。これはまだ、公式ツアースタート前の一日だ。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年06月13日
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ホテルに荷物を置き、いざカジノへ出発!サンディアは、ニューメキシコにある19のプエブロ族のうちのひとつだ。カジノを作ることへの賛否はあるけれど、とりあえずカジノがどんなものか皆で見に行くことにした。その前にちょっと寄ったのが、”BIEN MUR"(サンディアのカルチャーセンターのようなところだけれど、もう閉館していた)の隣にあるバッファローを飼っているところ。バッファローは、インディアンの人々にとってとても大切なもの。肉をいただき、皮は洋服やモカシンや太鼓などに、平原インディアンの人々はティピを作るときにもバッファローを皮を用いていた。もともとは平原インディアンの住んでいる地域にいたのを、交易によってこのあたりにやってきたと何かで読んだことがある。今ここでは、バッファローダンスの時に使うために飼っているとのこと。毛皮や角を身にまといセレモニーをするそうだ。 カジノの建物はプエブロ形式の建物だ。初期の頃は四角く切った石を積み上げて家を作っていたが、スペイン文化が入ってきてからはそれに泥を塗るアドベになっていったそうだ。左は石造り、右はアドベ造りさていよいよカジノの中へ入る。5年前に入ったコロラドの田舎にあるカジノと違って、来ている人々も若い人が多いように感じた。田舎のカジノは伝統的な洋服に身を包んだおばあさんがいたりしたけれど、今回は残念ながらそういう姿は見かけなった。ビュッフェでお腹を満たした後は、さあカジノ!チャーリーに機械の動かし方を教えてもらって、皆でカジノ経験。1ドルで6ドル儲けた!チャーリーが入れた4ドルの機械で34ドル儲けた!と小さな儲けを楽しみ、「これがカジノだ!」と満足し、サンディアを後にした。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年06月12日
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5月26日午後4時に成田を飛び立ったユナイテッドは、同日午前11時にサンフランシスコに到着した。そこで小さな飛行機に乗り換え、アルバカーキへと向かった。雪に覆われたロッキー山脈を超え、茶色の地肌にポチポチと緑の木が見えてくる。2時間20分のフライでアルバカーキに到着した。待っていてくれるはずのチャーリーを探して空港内を歩く。長い髪をしばったチャーリの姿が見えた。5年ぶりの再会だ。そして一緒にツアーをしてくれるデイヴも待っていてくれた。このツアーを企画するために、何通のメールが行き交ったことだろう。100通なんてもんじゃない、去年の夏から数えきれないほどのメールでこの旅を計画してきた。そのプランナーのデイヴとは、初めてアルバカーキの空港で出会った。ホテルに送り届けてもらい、長旅の疲れもなんのその、翌日からの公式イーグルフェザーツアー開始の前に、サンディアカジノに連れていってもらうことになった。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年06月11日
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七泊八日のナバホ・ホピツアーから帰って来ました。毎日がそれぞれに特別で、ひとつひとつが夢のような瞬間の積み重ねで、14人のメンバーの織り成す空間もとても心地よく、今はこの旅の様子をどう言葉で表したらいいのかわかりません。頭の中に響く、ホピのカチーナダンスの音。寝袋から顔だけを出して見上げたキャニオン・デ・シェイの、満天の星空を流れていくたくさんの流れ星・・・・・「夢が叶う」というのは、きっとこういうことをいうに違いない。成田からサンフランシスコに向かう飛行機から見た日没よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年06月05日
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