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日本ではとても高くて手がでないナバホラグを、一枚欲しいと思っていた。でもやっぱり、ここナバホでも高いものは高い。私の予算で買えるのは、残念だけどクッションくらいの大きさのちょっとこぶりのものだろう・・・と探していた。ストームパターンかテクノスポスか、赤が利いたガナドゥーもいいな・・と、柄を探していた。柄は織られている場所によって名前がついている。が中にはストームパターンのように、そのパターンにストーリーのあるものもある。ラグの四方に、聖なる4つの山が配置されている図柄。その中にホーガン・稲妻などが織り込まれ、デザインは異なるけれど、それらは必ず入っていて基本のパターンは決まっている。ジュニパーの実に虫がついて、辺りがてんやわんやになった時に、大切なものをホーガンの中に入れ、稲妻でその虫を撃退したというようなことを聞いた。が、記憶が少しはっきりしないので、これもまた確認しておきたい。お店の人に、あれこれ相談してみたのだけれど、見せてくれるのは値段が高いものばかりであきらめかけていた時、積み上げられたラグの山の中から、「これはどうですか?」と持ってきてくれたのが、このラグ。古いものなのか値段も割引になっていて、色もデザインも気に入り、その上大きさも1m近くある。トゥーグレイヒルズに住むルーシーさんの作品買うならこれだと思ったけれど、やっぱりラグに詳しいGさんに見てもらってからにしようとあたりを探したが、見つからない。「ええい、自分の感覚を信じてこれにしよう。きっと私が来るのを待っていてくれたラグに違いない」と、この旅一番の大英断。スピリットラインも入っているし、最近よく使われているコマーシャルヤーンではなく羊の毛それも糸がかなり細い、そしてなんといっても手触りが「ほんもの~♪」という感じでとてもいい買い物だったということが、後でわかってちょっと安心。右に向かって出ているのがスピリットラインスピリットの力を借りて織るので、織ったラグからスピリットが出入りできるように織り込まれているよかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月31日
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ハッベル・トレーディングポストは、ナバホにある交易所の中で一番古く、なおかつ今も営業していて国立史跡になっている。建物も昔のままで、ナバホの工芸品から日用品まで扱っている。ナバホ織りの実演も行われており、書籍はもとより、織物に関するCDやナバホ語学習用CDなども売られている。「ナバホのことを知るにはどの本がいい?あんまり難しくないものがいいんだけど」と言って紹介してもらったのが、これ。店内は、昔の人はジュエリーやラグを持ってきて、ここで日常品と交換したのかな・・・、と想像することができるようなたたずまいだ。非常に良心的なトレーディングポストだともきいた。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月30日
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ナバホでは飲酒が大きな問題になっている。昼間からお酒を飲んで働かず、挙句の果てに暴力を振るったり、自分の身体を壊したり、車を運転して交通事故を起こしたり、とても大きな問題になっている。その上、最近はドラッグの問題も増えてきているそうで、環境としてはとてもいいものとはいえない部分もある。前回ナバホを訪れた時、Tにあった。Tはいつもお酒を飲んでいて、なにやら分けのわからないことを口にしていた。危害を加えるわけでもなく、人は良さそうだったが、お酒に溺れてしまっているようだった。とても素晴らしい砂絵の技術を持っていて、これがTの作品だとみせてもらった白馬の砂絵はとても素晴らしく、お店でもあんな素敵な作品をみたことはまだない。せっかくの技術を持っていて、うまくやればいっぱしのアーティストなのに、もったいないな・・・と思っていた。「Tはどうしてるの?元気にしている?」と訪ねた時には、お酒が災いして病気にでもなっていなければいいけど・・・という思いがあった。ところが、なんと「Tはお酒をやめたんだよ」「止めた?!」英語の聞き間違えかな・・・と聞きなおした。「そう、止めたんだよ。みんなすっごくビックリしてるけど、そう止めたんだ」しっかりしてたのにお酒に溺れてしまってという話は聞くけれど、あれだけヘロヘロにはまっていた人がお酒から抜け出すなんて、思ってもいなかったので、とてもビックリした。つらかっただろうなと思うけれど、ほんとうにヨクヤッタ!と思う。「何が彼をそうさせたの?」「理由はわからないけれど、禁酒のプログラムを受けて、長いことかかったけれど、とうとう止めたんだ。今は砂絵を描いているよ」そういうこともあるのだ、ほんとうによかった・・・。キャメロンからギャラップへ向かう道2よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月30日
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「メディスンマンもいるし病院もあるし、ナバホの人は病気になった時にはどうするの?」と以前ナバホを訪れた時に聞いたことがある。その時には、公民館のようなチャプターハウスでは、白人のお医者さんが医療相談に来ている場に居合わせたり、診療所にも寄ったことがある。メディスンマンは病気に関しては、精神的というのか、精霊的というのか、そういう方面から頼りにしている部分もあるし、医療は医療として受け、その両方をそれぞれの役割において受け入れているという話だったように思う。キャメロンからギャラップへ向かう道1今回の旅では、西洋医療よりはメディスンマンの方が大きな存在であるような感じもしたけれど、糖尿病などの成人病が蔓延している中では、生活習慣病の改善には西洋医療の存在は大きいものがあるのだろうとも思う。そんな西洋式の病院が沿道に建っていたが、そうやって病院をひとつ建てるのにもお金がとてもかかるのだそうだ。単に建物を作ればそれで済むというわけではなく、医者などの医療関係者を招聘し、その人達が住む近代的な家を建て、と周りの環境も整えなくてはいけないので、それだけお金も必要なのだそうだ。それでも居留地に住んでの仕事となると、命令ひとつでやってくるアメリカ軍の軍医などが多いとのことだった。なかなか一般のお医者さんが、居留地に赴任してくることはないのだそうだ。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月29日
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子供達は強制的に寄宿生活をさせられ、ナバホ語を使うこと、伝統的な文化継承を禁じられた過去を持つナバホだけれど、最近は独自の文化を伝えていくことをとても大切にしようと、学校でもナバホ語やナバホ織りを教えているということを聞いていたので、実際にどんなふうに教えているのか聞いてみた。ナバホの学校ではどこでもナバホ語を教え、織物やかご作りを教えているのかと思ったけれどそうでもなく、学校の選択に任されているようだ。アメリカ連邦政府で、これだけは教えなくてはいけないというガイドラインがあって、その上に州ごとにまた決まりがあって、さらにナバホネーションでは学校ごとに、うちの学校ではナバホ語を教えましょう、ラグの織り方を教えましょう、とうもろこしの育て方を学びましょう・・・、いやうちの学校はバスケットボールの方に力を入れよう・・・などいろんな選択があって、かつては禁止されていたナバホ語や文化の教育も、今は選択肢のひとつとして公教育の場でナバホ語を教えてもいい、伝統工芸の作り方を教えてもいいということになっているようだ。キャメロン・トレーディングポストのレストランナバホから海外の学校に留学するケースはごく稀で、大学進学率も白人よりも少なく、またいったん進学しても半分くらい(?)が脱落してしまうそうだ。その理由は、経済的なものと、もうひとつはナバホの外の大学に行った場合、白人社会になじめずホームシックになって帰ってくるというのも大きな原因なのだそうだ。今少しずつ、居留地の外で学んだ子達が先生になってナバホに戻ってき始めているようだが、まだまだ先生や医療関係者など高学歴が必要な職業は部族以外の人を招聘しなければならいようだ。「小学校から大学まで学校の先生はたくさん知っているから、ナバホの教育に関して学ぶ場を設定することもできるよ」とチャーリーは言う。これもまた興味深いと思う。キャメロン・トレーディングポストの庭(showちゃん撮影)よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月29日
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宿泊するのは、キャメロン・トレーディングポスト。ギャラリーにあるアンティークのナバホラグを見たいと、わざわざここに宿泊の予定をたてたのだけれど、ホピでだいぶ時間がたってしまったので、到着したのはもうお店も閉店に近く、ギャラリーは閉まっていた。とても残念だったけれど、ホピで貴重な時間をすごさせてもらったので、これはこれでいいかな・・・と思う。レストランの中だけでも素敵なラグがたくさん飾ってあったし、何人かの人で並んで織るんだろうか・・・と思うような大きなラグもあった。宿泊棟は、アパッチ、ナバホなど部族の名前で、私が泊まったのは「ホピ」。ベッドもフカフカで気持ちがよかったので、翌朝はすっかり寝坊をした。「起きてますか~?」と、外から聞こえるMちゃんの声で時計に目を向けると、出発予定時間まであと15分。隣のTさんも、まだベッドの中。「やっちゃった~!」と飛び起き、着替えて荷物をまとめて、荷物をゴロゴロと引いて集合場所まで走る。停まっている車を見つけて猛ダッシュ。が、車は空っぽ。誰もいない。まだみんな食事をしているかもしれないからと、荷物番はTさんにお願いしてみんながいるはずのレストランに走る。謝るやら、「私達は食事はいらないから、もう出発しても大丈夫」と言うやら、焦っていたのは私だけで、実はこの日、メンバーの半分が寝坊をした。出発時間を変更してもらったけれど、結局いろんなものが置いてあったトレーディングポストを覗く時間もなく、キャメロン・トレーディングポストを後にした。今日はふたたびホピを通って、ギャラップに向かう。長いドライブになりそうだ。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月28日
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再びトミィさんのお宅にうかがい、今度は私達のために焼いておいてくれたパンプキンクッキーとホピティをいただく。「ホピティは、何から作るんですか?」と聞いてみた。「その辺にある草だよ」「ほう・・・」「だから、チャーリーが作ればナバホティ、トミィが作ればホピティってわけさ」と笑う。ホピティ・ホホイシーでもでも、アンテロープのホーガンでいただいたナバホティとは、色も味も違うような気がするのは、その場の景色が違うからだろうか。いずれにしも、ここホピで飲んだのは紛れもなくホピティだ。トミィさんの作品丸い宇宙の中で赤人・白人・黄人・黒人4つの民族が調和して暮らすのを意味している宿泊予定のキャメロンに向かう途中、「私達一行までセレモニーに招待してくれる人がいたり、いくら顔つきが似ているとはいえ、小さな村の中に見ず知らずの者がたくさん入ってくれば目立つだろうに、それを案内してくれるトミィさんがいて・・・・、今まで気づかなかったけれど、もしかしたらチャーリーってすごい人なんじゃないかなあ・・・」と、隣で運転している横顔をチラッと見てみたが、やっぱりチャーリーはチャーリーで、今のところ特別なオーラは感じない。が、もしかしたら秘めた光を持っているのかもしれない・・・・。ホピからキャメロンに向かう道2よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月28日
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ダンスが一旦終わり、踊り手が引き上げたので、屋根に上った。今回のダンスは、地面の上でみせていただいていた。そこからは、道化がおもしろおかしくボール遊びに興じているのが見える。まわりの人は笑いながら、それを見ている。この白黒に塗られ、二本の角のようなものを頭につけた道化はスイカが好物らしい。屋根の上には、イーグルが紐で足をつながれてとまっている。山にイーグルを取りに行き、卵だったか、ちいさな赤ちゃんの時だったか定かではないけれど連れ帰り、こうして家の屋根で育てるのだそうだ。家のお守り、そしてセレモニーの時の羽飾りにその羽を使うためとのこと。屋根の上の50cmくらいの高さの台の上にいたイーグルが羽をバタバタさせ、飛び降りた瞬間、足に縛り付けた紐が絡まってコケた。一生懸命はずそうとバタバタしていたので、かわいそうだな・・・と思ったけれど、そこはやっぱりイーグルはイーグル、口ばしもするどく近づくのはちょっと怖い。帰り道、車まで歩いていると、ホピ警察が来ていた。屋根の上から落ちた人がいて、そこにやってきたらしい。男の人が倒れていて、心配そうに、何人かの人が囲んでいる。こういうこともあるのだ。車に戻った私達、気分は高揚しているし、この思いを忘れたくないし、自然にさっきのカチーナダンスの歌が口をついてでてくる。バンの中は、大合唱。歌を歌いながら、再びトミィさんのお宅に向かう。ホピからキャメロンに向かう道よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月27日
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ビショビショになって車に戻ると、もうひとつのカチーナダンスに連れて行ってもらえるという!次に向かったのはセカンドメッサだったろうか、行ったり来たりしていたので、記憶の中で場所が定かではなくなっている。ホピへ向かう道4訪れた広場では、白黒に身体に色を塗った道化が、なにやら競争をしている。ふたりで走り出すが、男役女役を演じているのだろうか、男役が女役の道化を押し倒して上に乗ったりしている。すぐに普通の服装の女性が出てきて、ふたりを引き剥がす。そのユーモラスな動きに周りの人々の笑い声が上がる。いつのまにか雨は止んでいた。そんな道化が引っ込むと、箱に入ったたくさんの食べ物を持って、さまざまな格好をしたカチーナダンサーが広場に入ってくる。次から次へと食べ物は運び込まれ、それを周りの人々に配ったり投げたりする。私達のところにも投げてくれたので、りんごやオレンジ・プラムをキャッチ。貴重なこの振る舞いの品は、後でみんなで分け合っていただいた。最初に見たカチーナのお面は、鼻と目があるくらいで、あとは顔の凹凸はなかったように思うが、今度のカチーナのお面は細かく細工がされ、さまざまは表情をしているように感じた。頭の羽飾りや着ているものもさまざまで、豪華な感じだ。鹿皮を腰に巻き、そこには自分で編んだそれぞれに模様の違う籠をつけている。靴は長めのモカシンで、馬蹄(?)がついてジャラジャラと音がなるようになっている。踊り手の数はこちらも50人はいたように思う。左手には弓矢などと一緒に、エバーグリーンを持っている。狩猟のダンスのようだ。広場の真ん中にあるのは、キバだろうか・・・食べ物などを配り終わると、たくさんのダンサーは輪になってダンスが始まるのを待っている。時折お腹に響くような低い声で「ホー、ホー」と声を掛け合っている。太鼓の音にあわせて、低い声で歌を歌い、左足はつま先をつけ、右足でリズムを刻んで進んでいく。同じダンスを4回。間には、たくさんの人が列になって出てきて、トウモロコシの花粉を輪の外側からダンサーの背中につけていく。こちらもワイシャツとターコイズのネックレスをした人が、ダンスを取り仕切っている。10歳から12歳くらいだろうか男の子ふたりを前に、ダンスを教えているダンサーもいる。おじさんが、甥達にダンスを教えているようだ。目の前に座っている女の子は、耳の横で蝶々のように髪を結ぶホピのヘアースタイルをしていて、とってもかわいらしい。ダンサーはどちらのカチーナダンスも皆、男性だ。村のほとんどの人は踊っているんじゃないか・・・と思うほどたくさんの人が踊っている。男の人にとって、セレモニーに費やす時間やエネルギーは、きっととても大きなものなのだろう。目の前で繰り広げられているハンティングのダンス。このセレモニーがあるとわかっていてこの日をホピ訪問日に予定したわけでもなく、旅のほんの数日前に、訪問予定日にセレモニーがあり、それに参加させていただけるかもしれないという情報が入り、訪れたホピの村。そしてこんな貴重な体験をさせていただいけた偶然や、私達を招いたりガイドしてくれたホピの方々、この場にいあわせられた幸運にただただ感謝し、一回のダンスを終え広場から去っていくカチーナダンサーを見送る。カチーナドール・多分ナバホのカチーナドール?よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月26日
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ダンスが行われる広場は、家が囲むような形になっている。広場の周りのいすには、たくさんの人が座っている。私達のような部外者は、屋根の上から見せていただくことになるので、箱型の家に立てかけられた梯子を上って、平らな屋根の上に出る。初めは屋根の上の方が全体が良く見えるし、人の住んでいるところの上に上るなんていいのかな・・・・と思ったけれど、精霊は地下からやってくるので、神聖な土に近い場所には地元の人たちが座り、部外者は土から遠い屋根の上から見せていただくのだと知り、ようやく屋根の上に上った理由がわかった。私達は帽子をとって屋根の端に座った。ホピへ向かう道3いよいよカチーナダンサーの登場だ。たくさんいる踊り手は皆同じように、木でつくったようなカチーナのお面をかぶり、同じ衣装に身を包んでいる。左手に緑の木の枝(エバーグリーン)を、右手のラトルを持っている。腰に巻いているベルトは人によって模様が異なり、それぞれ自分で織ったものをつけているそうだ。ダンスが始まるまえに、たくさんのお菓子や果物を周りの人に投げる。受け取った人はそれを持ってかえることができる。屋根の上にも投げてくれたので、Kさんは飛んできたパンをキャッチ!で、そのパン、隣にいたホピの人にあげた。お振る舞いが終わると、いよいよダンスが始まる。雨乞いのダンスのようだ。50人はいたろうか、たくさんのダンサーは輪になって、太鼓の音に合わせ静かに低く歌いながらラトルを振り、少しずつ前に進んでいく。これまた音楽に詳しいMiさんの話では、太鼓のリズムは裏打ちなのだそうだ。同じダンスが全部で4回行われたが、1回ごとにトウモロコシの花粉をもった普通の服装の人達が、踊り手の周りを回り、肩に花粉をつけて行く。一方で、身体を白黒に塗った道化が、家の中に入り込み、食べ物をくわえて出てきたり、おどけている。中央では、リーダーのような人が、ワイシャツとズボン、そしてネクタイのようにみえる真っ青なターコイズのネックレスを付けて、ダンスを取り仕切っている。そんな雨乞いのダンスが始まった頃だろうか、ホピの人達の願いが届いたのか、ほんとうに雨が降ってきた!それも、“おしめり”だとか“にわかあめ”だとかいう降り方ではなく、雨はだんだん激しくなっていく。誰が持ってきてくれたのかキャンプ用のカッパを着たので、なんとかその場にいられたが、次第に“暴風雨”になり、目をあけていられないほどになってしまった。この場にずっと居たいし、でももう前が見えない。風に吹き飛ばされて、下に落っこちても大変だ。ということで、梯子を使って下に下りることにした。「中に入りなさい」と言ってくれる人もいたが、私達はその場を離れることにした。ホピの人達の願いが通じ降ってきた雨。頭の中に鳴り続ける音楽。この場にいさせていただいたことに感謝。車に乗っても、私達の高揚した気分は続く。カチーナドール後姿・多分ナバホのカチーナドール?よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月25日
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家の中はたくさんの人でいっぱいだった。床は土のままで、靴の土を払ったりなどしないまま、中に入れていただいた。お土産のスイカを渡し、空いている席に着く。「聞きたいことは、なんでもトミィに聞きなさい」とチャーリーに言われたので、食事の間に少し話を聞かせてもらった。どうも緊張するとポツリポツリとしか会話ができなくって、今にして思えば、もっといろいろ聞かせてもらっておけばよかったなと思う。このセレモニーは2週おきに3回行われ、一回目は2週間前にキバで行われた。これは神聖なものなので、外部の人は参加ができない。そして今日は2回めで、広場でカチーナダンスが行われる。そして2週間後にもう一度セレモニーが行われると、トミィさんから聞いた。今日のカチーナダンスは、同じダンスが4回ずつ行われるが、単調なものなので西洋の人達はすぐ飽きてしまうけれど、あなた方は大丈夫だろうか・・・と心配されていたので、日本の伝統儀式もずいぶん単調だから、大丈夫だと思います・・・と答えた。ダンスは途中で休みが入り、また違うダンスが行われるそうなので、ワンサイクル見せていただくことになったようだ。ホピへ向かう道2食事は、とってもおいしかった。通りがかりの人にも「食べにおいで~」と声をかけていたりしていて、日本のお祭りにもある、お振る舞いの食事のようだ。辛めの味のトマトスープ(ひよこ豆&マトン)、塩味のセロリスープ、じゃがいも・にんじん・牛肉が入ったスープや、チキン、菓子パン、そしてお土産に抱えていったスイカも出していただいた。スープはほんとうにおいしかったのだけど、私だけだと「おいしかった」で終わってしまうことも、食に関心の深いshow ちゃんは、中身まで全部覚えていてくれるからありがたい。ゆっくりいただいていたが、周りに人が立っているのに気づく。サッといただいて、次の人に席を譲るのが道。周りの人は席が空くのを待っている人だと聞き、あわてて席を立つ。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月24日
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トミィさんは、トーマス・バニヤッカ・ジュニアといい、ホピの平和運動家トーマス・バニヤッカさんの息子さんだった。映画「ホピの予言」の中のお父さんとは雰囲気も違うが、クルクルっとした目が印象的な、とても穏やかな、感じのいい方だった。銀細工のアーティストで、ホピの予言にもでてくる岩絵をモチーフにペンダントなどを作っている。作品の作り方を教えていただいたり、ホピティーをいただいたりして、しばらくゆっくりさせていただいた。銀は最近、値段が高騰しているのだそうだ。トミィさんの作品私達を招待してくださった方の家に一緒に行ってくれるということなので、トミィさんも車に乗って出発。ホピのカルチャーセンターに寄って、それからファーストメッサに向かう。高台のわきに張り付いたようなクネクネした道を上って、メッサの上にでた。幅の狭い台地に家が建っていて、台地から見下ろす平地はずいぶん下の方に見える。急斜面なので、転げ落ちそうで、下を見下ろすのは少し怖い。舗装された道路ではなく、家と家の間が道になっていて、そこを車は走るのだけれど、今日はあちこちに車が停まっている上に、私達が乗っているバンが大きいので、対向してくる車とすれ違うのが大変だ。普段はメッサから離れて暮らしている親族が、セレモニーの時には集まってくるのだろう。私達のような部外者は、他にあまりいなかったように思う。「ちょっと降りて、脇をみてくれない?」と言われ、ホピのメッサに足を下ろす。「ひゃ~、こんなところで接触事故でも起こしたら、えらいこっちゃ・・・」と、記念すべき一歩に感動する間もなく、後ろを見、横を見、掌でオーライサインを出しながら、ホピの村を後ろ向きで歩く。ようやく駐車スペースをみつけ、お昼ご飯までいただけるということで、お土産のスイカを抱え、招待していただいたお宅に向かった。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月23日
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ホピでは、写真撮影・スケッチ・メモなど、全ての記録行為が禁止されている。もちろん私達もそれに従った。カチーナダンスの場に参加させていただけるということなので、神聖な場にそぐわないものは避けたいと、服装チェックもしてもらった。フォーマルなシャツも持ってきたけれど、みんな今着ているもので大丈夫だということなので、それでやって来た。ホピは手の指のようになった3つの連なったメッサからなっているが、ひとつだけ飛び地(モエンコビという村のことかな)があり、その周辺はナバホなので、ナバホにいる間は写真撮影OKで、ホピに入った時は「写真撮影中止」。チャーリーに「ここはどこ?」「今は写真を撮ってもいい?」と聞きながら、ナバホリザベーションでのみ写真も撮った。ペイジからホピに向かう道1サードメッサに入ると、古い時代の中心地であるオイラビが見える。石造りの家はだいぶ古くなっている。建てた教会は追い出され、牧師さん(スペイン人だったように思う)は、崖から突き落とされたと言っていたのは、このオイラビの村のことだったろうか。少し走るとニューオイラビという村がある。とても近代的な家が建っている。ここはオイラビの人達が引っ越してきていたり、子供たちが新しく住んだりしているそうで、ふたつの村は関係が深いらしい。ニューオイラビに住む人々も、儀式の時には古いオイラビに帰って儀式をするともきいた。さて私達が目指すは、チャーリーの友達で、私達と一緒に回ってくれるトミィさんのうち。到着すると、「待っていたよ!」というように、トミィさんは私達を家の中に招きいれてくれた。「こんなにたくさん、家の中に入っちゃっていいのかな・・・」と思いながらも、チャーリーに続いて家の中に入れていただく。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月23日
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ホピへの道もまた、荒漠とした大地の中にある。ここ3年ばかりは雨が多いので草が生えているが、いつもはもっと土がむき出しになっているそうだ。そんな雨の少ないところでの主食は、トウモロコシ。雨の少ないところでどうやって、そのトウモロコシは大きくなるのだろう。ホピのコーンの種はアナサジシードといい、種は普通のものより大きく、その根は普通のコーンより長い。雨が少なくても育つようにできているそうだ。コーンには、イエローコーン、ホワイトコーン、ブルーコーンのほか、ミックスのものなどカラフルなコーンがたくさんある。Tさんがウォルマートで買ったブルーコーン(Tさん撮影)ナバホでは、ファーファノ山でたくさんのスピリットの前でコーンイヤーから最初の人間が生まれたと言われているが、ホワイトコーンから最初の女が、イエローコーンからは最初の男が生まれたのだそうだ。コーンは食用だけでなく、儀式にも使われる。食用としては、パンなどにはブルーコーンを、スープなどにはホワイトコーンやイエローコーンがよく使われているそうだ。畑自体は、これは食用、これは儀式用と別れているわけではなく、どちらも同じ畑で作られているとのこと。また儀式のお供え物には、ホワイトコーンやイエローコーンが使われ、普段の食用のものよりは、挽きかたが粗いのだそうだ。そして祈るときには、コーンの花粉が用いられる。花粉を採集している絵(Navajo Nation Museum)ホピもアコマも高台に住んでいるけれど、トウモロコシ畑は下の平地にあって、そこまででかけていくのだそうだ。沿道でみた畑は長方形で、草の中に突然畑があるって感じで、畑を何かで囲ったりはしていなかった。アコマカルチャーセンター前のトウモロコシ・普通の畑はこういうふうに囲ったりはしていなかった現在は世界のあちこちで、遺伝子組み換えで種も作られているが、ホピやナバホでは自然の種を代々使っているそうだ。収穫したものの中から次の年の種まきのために、種を取りおき、翌年また撒く、ということを繰り返している。遺伝子組み換えのものは、翌年撒く種にすることはできないそうだ。またいくつかの大きな会社が、その製品を扱っているのだそうだ。だから遺伝子組み換えをしている会社が倒産したりして、その影響で種がなくなるというような心配はなく、先祖から受け継いだ種を着実に伝えていけるのだそうだ。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月22日
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アンテロープを後にして、私達はホピに向かった。ホピでは今日セレモニーが行われ、そこに私達を招いてくださる方がいるという。途中のウォルマートでスイカを4つ、お土産に買った。後で気づいたのだけれど、そう、スイカは“4つ”買ったのだ♪日本では避ける4の数字が、ここでは神聖な数字で、いろんな形で出てくる。旅の間に一番出会った数字、それが“4”。まず目指すのは、案内をしてくれるというホピのトミィさんち。道中長いので、いろんな話をしながらホピへと向かう。ナバホの最初の人間が生まれたのが、ファーファノ山の前。人間はトウモロコシの粒から生まれた。「大地に敷物を敷き、その上にコーンを置き、その上にまた敷物を被せる。そこに一陣の風が吹き込み、コーンは人間になった。だから人間の指には、風が通った跡があるんだよ。」それが指紋。人間のからだの中を、空や大地を駆け廻った風が通り抜ける。なんだか人間が大自然とつながっているようで、私はこのお話もとても好きだ。「ところで、日本人はいつ人間になったの?」「え?いつ人間になったかって?!」古事記の中の"国生み“の話は、イザナギとイザナミが島や神様を作っていく。天皇が神格化を否定したのは、どの天皇だっけ?昭和天皇かな。天皇はそれまで神だったかもしれないけど、その頃庶民は神様じゃないし・・・。あれ日本人はいったい、いつ“人間”になったのだろう・・・よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月21日
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首が日焼けしないように、帽子にヒラヒラがついている麦わら帽子がある。農作業や園芸用に使われているものだ。アリゾナの日差しは強いと聞いたYoさんは、その帽子を被っていった。キャロルが被ってみると、これがまたとっても似合う。キャロルに大うけで、Yoさんは気前良くプレゼントしてきた。これは後日談だけれど、あんまり帽子が気にいったので、友達にもあげたいというキャロルに、ヒラヒラ付の麦わら帽子やらサンバイザーを送った。アンテロープキャニオンは、その美しさにひかれ、日本からも観光に行く人がたくさんいる。この夏アンテロープに行った人は、なにやらどこかの畑で見た麦わら帽子のヒラヒラが、ナバホではためいていて、びっくり仰天するかもしれない・・・・「ナバホの人も、あの帽子被ってた!」って。それをナバホに広めたのは、私達のツアーメンバーYoさんです。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月20日
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ホーガンからは大きな発電所が見える。3本の煙突からモクモクと煙が立ち上っている。周りには背の高い鉄塔が立ち並び、大地と空の真ん中に、送電線が走っている。ナバホは鉱物資源が豊富で、あちこちに掘り起こした炭鉱があり、爆破で丘を吹き飛ばし石炭を採掘している炭鉱もあった。この発電所も石炭を利用して電力を発電しているそうだ。そしてここで作った電力は、長い送電線を通してネバダなどの都市に運ばれる。すぐそばにあるナバホの人々のところには、電気はきていない。「ナバホの人の生活が楽になるには、何が必要なの?」と聞いた時のチャーリーの答えは、「電気」だった。石炭も石油もたくさん採れるのに、それらは大きな工場に集められ、作られた電力は他の都市へ運ばれる。それって、どういうことなんだろう?「他の国・例えば日本などの協力を得て、ナバホの家庭に電気を供給することができれば、ナバホの暮らしは楽になる」そういえば10年くらい前になるのだろうか、チャーリーはコロラド大学にソーラーホーガンを作っていたっけ。この強い日差しを利用して、太陽光発電はできないのかな?日本は太陽光発電では先進国だというけど、なにか共同プロジェクトみたいなのはできないのかな?莫大な費用がかかるんだろうな、きっと・・・。青い空に向かって、もくもくと煙をはく3本の煙突を思い出すたびに、そんなことを考える。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月20日
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朝食には、ブルーコーンのトルティーヤとコーンミール、そしてナバホティをいただく。「外で朝日を浴びて食べたいね」と、ホーガンの前にシートをひいていると、みんな出てきて、結局み~んなで外で朝食をとった。朝の日差しも結構まぶしい。 食事が終わるとパウェルさんが、友達が作ったというジュニパーとビーズのネックレスを持ってやってきた。ジュエリーは見えるところにするものだと思っていたけれど、パウェルさんは「ターコイズは身体を温めるのよ」と、洋服の下、直接肌に触れるように大きなターコイズをつけていた。ナバホの人が身につけているジュエリーは、親から子へ引き継がれたり、誕生日などの大切な日にプレゼントされたりするそうだ。どれも大きくて重そうな、そして本物のターコイズで、フェイクをしている人はいないように思う。石の持つ意味が大切であって、単に綺麗だということは、この場合意味を持たないのだと思う。ナバホのジュエリーは、ターコイズの素材を活かしたものや銀を使ったものが有名だ。鉱山によってターコイズの模様も異なり、大きなもの、模様の美しいもの、閉山などの理由で希少価値になったもの、そしてターコイズは脆いのでスタビライズドなどの加工をしていないナチュラルターコイズは、値段も高い。そんなターコイズは溜息がでるほど素敵だけれど、そういうジュエリーを作るのは一部の人達だ。そしてそんなジュエリーがつくれる人達は、名が知れて、有名なアーティストになり、その作品には高値がつく。でも多くのナバホの女性達が作っているのは、こまごましたビーズやジュニパーの実で作ったネックレスやブレスレットなど。それを屋台のようなところで売っている。モニュメントバレーの屋台で買ったピアス今回の旅で持ってきたお金は、わずかな金額だけれど、できるだけ地元の人のところに落としていこうと思っていた。インディアンの人々が作ったものには、”Indian hand made”と書いたものを付けることができる。メキシコやアジアなどから入ってきたもの、インディアンでない人が作ったものには、それをつけることはできない。だからお店でもできるだけ、そう書かれたものや、屋台で自分の作ったものを売っている人から買おうと思っていた。パウェルさんから買ったのは、ジュニパーがたくさんついたネックレス。でも、そうして本当によかったと思う。パウェルさんから買ったジュニパーのネックレスは、アンテロープやホーガンの思い出が、キャニオン・デ・シェイで買ったジュニパーには、あのキャンピングの思い出が、屋台で買ったものには、そこでの作った人達の表情ややり取りの思い出が、ビーズやジュニパーの数と同じくらいたくさん、たくさんつながっているから。そして、ほんの少しばかりだけれど、そうやって頑張っている女性達を応援したいと思うから。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月19日
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残念ながら夢は見なかった。。。ほんとうに、どんな夢を見るのか楽しみに眠ったのに、何ひとつ覚えていない。どうしてこういう時に、後世に語るような夢でなくてもいいから、せめて記念になるような夢を、私は見ておかないのだろう・・・。ほんとうに見たかったのに・・・・・。大地からの啓示が与えられなかったのなら、自分で作った小さな夢に向かってトボトボと歩いていくことにするか・・・。あ~あ、ほんとに見たかったな、ホーガンでの夢・・・・。ホーガンの中で夢のことなど考え、そっと外にでてみる。外は薄明るくなってきていた。日の出には間に合ったようだ。しばらくすると、メッサの向こうからゆっくり日が昇る。新しく生まれ変わった私を、ゆっくりと照らしてくれる。とうもろこしの花粉の入ったメディスンバッグはないけれど、キャニオン・デ・シェイのアダムさんが語ってくれたように、朝を迎えることにした。ホッジョー、・・・・・・・!東に向かって、I will walk in beauty today.南に向かってI will speak in beauty today.西に向かってAll will be beauty around・・・ today.??北に向かってAll this beauty…… ??西と北はよく覚えていない。でも北に関してはあまり語ることはしないけれど、精霊のいる大切な場所だと語っていたように思う。毎朝毎晩、この4つの方向に向かって、ホッジョー○○と祈るのがNavajo way.日の出と共に、大地になが~い影が伸びていった。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月19日
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時折「クランはあるか?」と尋ねられる。やっぱりクランというのは、ナバホの人にとってほんとうに大切なものなのだ。どこのクランにも属さないということが、腑に落ちないのだろう。パウェルさん対私達という形ではなく、もっとザワザワといろんなことを尋ねながらお茶会の雰囲気でお話を聴けばよかったかな・・・と、今になるとそう思う。夜も更けてきて、そろそろお開きにしようとお礼を言うと、パウェルさんが静かに語り始める。「ホーガンは女性の子宮をかたどっている。今晩、ここで見る夢を大切にしなさい。母の子宮で一晩眠り、あなたたちは明日の朝再び生まれ変わるのだから。今晩見る夢を大切にしなさい」。神聖な儀式も行うこの場所で、母なる大地を感じて眠る。“reborn”。そして、新たな自分に生まれ変わる。こうして私達は、また新しい朝を迎えるため眠りについた。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月18日
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ホーガンに戻ると、残った人達がお話を聴けるようにホーガンの中を整え、きちんと座って待っていてくれた。いよいよ、コーンのお話が聴ける・・・・後で「こんなことを言ってたよね。あんな話もしてくれたよね」とみんなで記憶のビーズを寄せ集め、つなげたのがこれから先の話。「ホピがコーンを伝えた。ナバホは羊とそれを交換したのよ。だからホピとナバホのコーンは同じなの。アパッチとナバホの言葉もコーンも同じよ」「結婚式の時には5ガロンの粉でケーキをつくり大地にまくの。 自分で作ったケーキは食べちゃいけない、歯が抜けるからね。 キャロルは、そのケーキを食べちゃったから歯が抜けてるのよ♪」パウェルさんのウェディングバスケットを見せてくれるキャロルメディスンマンにみてもらってガンが治った身内の人々の話や、臨死体験をして生き返った人の話。またメディスンマンに「病気になったのは家族を忘れているからだ。家族の元へ帰りなさい」といわれ、この地へ戻2年後ガンが消えてしまった人の話など、病気とメディスンマンに係る話もしてくれた。パウェルさんは英語を話さない。話していることはかなりわかっているような気がしたので、きっと英語は“話さない”のではないかと思う。パウェルさんがナバホ語で少し話すと、たぶん説明を加えてくれているのだろう、キャロルがたくさん話してくれる。その中でコヨーテの話もしてくれた。「世界は初めひとつだった。それなのに、そこにコヨーテがやってきて、そのドアを開けたので、世界はバラバラになってしまった」「言葉もまた元は一つだったのに、コヨーテがドアを開け、言葉がバラバラになって広がってしまった」「あなた達は、自分の国の言葉を大切にしなさい。英語は世界の多くの国の言葉を奪ってしまった。母国で、母国語を話せる幸せを忘れないで」強制的に言葉を奪われた時代を生きてきた人の言葉として、大切に受け止めようと思う。私は、自分の意思で英語を話している。もっと話せるようになりたいとも思う。でも、私達には日本語という美しい言葉があることもまた大切にしたいと思う。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月18日
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「私の準備はできている」彼女のお話を聴きたいが、そうは言ってももう夜も遅いし、87歳というお年を考えると無理は言えない。そんな心配していると、パウェルさんはそう答えてくれた。「どんな話が聴きたいの?」「どんなお話でも、好きなお話をしてくだされば・・・」「どんなお話がいいの?」どんなお話と言われても、ナバホのお話で知っているのはあまりないし、「コヨーテの話はどうでしょう?」「それは冬のお話だから今はできない」「そうですか。じゃ私達は、あまりナバホのお話を知らないから、どんなお話でも結構です」「あなたの国にはクランはある?」「クランはないです・・・」「どんな話を聴きたいの?」他に知っているのは・・・・、え~と・・・・「スパーダーウーマンとか、ターコイズボーイとか・・・・・」「それは星の位置がよくないから、今はできない・・・・」「じゃ、今の星の位置ではどのお話がいいでしょう?種まきとか・・・」「種を撒く時の星の位置は決まっている。今は星の位置が違うから種まきの話はできない」「とうもろこしおばあさんとか・・・」「とうもろこし、コーンの話なら・・・」「じゃ、それ、それでお願いします!!」(ああ、これで一件落着。ストーリーテリングを楽しみにしている人達にお話を聴いてもらえる・・・)と、“計画や予定”を気にしている私は、胸をなでおろした。「あなたたちのクランは何?」「クランはないですけど、氏とかそういうのなら・・・」と、こんな感じで車の中の会話は続いていった。ホーガンの周辺・朝の風景しかし、この辺りで気づくべきだったのだ。ナバホのストーリーテリングというのは、“ももたろう”とか“かさこじぞう”といったお話を語ることではなく、自分あるいは先祖が通って来た歴史を語り継ぐこと、“自分たちのstoryをtell すること”であったのに、私はそれに全く気づかず無理なお願いをしていたのだ。私達のことを知らなければ、私達が何を聞きたいのか知りたいのかがわからなければ、話はできない。私達が何者であるのかを理解しなければ、話はできないのだ。それには、私達がどんなクランに属しているのか、クランがあるのかどうか・・とても大切なことだったのだ。ほんとにトンチンカンな遠来の客。今にして思えば、申しわけなかったな・・・と思う。でもホーガンに戻って、きちんと座って待っていてくれた人達の前で、パウェルさんとキャロルはいろんなことを話してくれた。ちなみに、真っ暗な中、車のヘッドライトに照らされたホーガン、男性陣が泊まったのは、近代的で床張りのとってもきれいな新築ホーガンで、何もないところにポツンと建っていた。私達はそれを、密かに“ヒルトン・ホーガン”と呼んでいる。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月17日
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キャロルのお母さんパウェルさんは、ナバホ語しか話さない。そのおばあちゃんと会話をするために、孫たちもそのまた子供たちも、皆ナバホ語を話すのだそうだ。私達には、キャロルが全部通訳してくれる。パウェルさんは、織物を織る。ナバホ織りをしているツアーメンバーは、パウェルさんの手元に目が釘付け。織物に使うバタンは、縦糸と同じ間隔で切込みが入っている。長い間使い込んでいるうちに、縦糸がバタンを削っていったのだ。パウェルさんの織物の歴史が刻み込まれたバタンだ。「織ったラグは、売ってらっしゃいますか?」「昔は売っていたけれど、今はもう、家族ひとりひとりのために織っているのよ」子供や孫たちのことを思ってデザインを考え、いや、「デザインは降りてくる」と言っていたから、その人にふさわしい、降りてきたデザインを一段一段、いろんなことを思い出したり、願ったりしながら大切に織っているのだろう。ひとしきり織物を見せていただき、パウェルさん手作りのジュニパーのネックレスをひとりずついただいた。さて次はいよいよ、パウェルさんのストーリーテリングだとわくわくしていると、男性陣は別のホーガンに泊まるので移動するという。キャロルとパウェルさんも一緒に、そちらのホーガンに案内にでかけるって!え?!!!!これからストーリーテリングが始まるんじゃないの?まさかもう「おやすみなさい?!!!!!」キャロルが「一緒に行く?」と尋ねるので、「行くか?」と聞かれたら何はともあれ「行く」と答える私と、これまた「行く」と答えて一緒にナバホまで来てしまった人達とでキャロルの車に乗り込み、パウェルさんと一緒に男性陣の車を先導することとなった。再び、このホーガンにパウェルさんもキャロルも戻ってきたので、この時どうしてパウェルさんも一緒に車に乗ったのかよくわからない。ナバホ語がわからない日本人のところにひとりでいるのが、心細かったのかな・・・この車の中で、「今日はナバホのお話を聴けると楽しみにしてきたので、是非お話を聞かせて欲しい」とお願いをしてみた。車は暗闇の中を走っていく。外は真っ暗、街灯なんかもちろん無い。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月16日
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夕食は、83歳になるキャロルのお母さん手作りのナバホタコとナバホティー。ナバホラグを染めるのにも使うナバホティー、一度味わってみたかったキャロルの娘さんも手伝いに駆けつけてくれていたし、そして87歳のお母さん、パウェルさんも。それから、ひとり、ふたり、さんにん、よにん、ごにん、ろくにん、しにちん、・・・・・・と子供・孫・ボーイフレンドなどなど、どんどん家族がやってきて、私達お客より多くの家族が歓待してくれた。フォトツアーやホーガンB&Bの仕事も、こうやって経験を通して息子や娘たちに教えているのだろうか。キャニオン・デ・シェイでもそうだったけれど、先祖から譲り受けた守るべき場所を持っている人達は、それを大切に子供たちに引き継いでいく。仕事がなかなかない荒野にいて、こうして引き継いでいけるものがある人達は、それを親から子へと教え守っていくのかな・・・と思う。「写真を撮ってもいいですか?」と言い出すまでにずいぶん時間がかった。その場にいた誰もが、今までのように写真を撮っていない。やっぱり、いきなりカメラを向けるというわけにはいかない。かわいい子供たちがたくさんいたのだけれど、残念ながらその写真は一枚もない。ヨチヨチ歩きの子がいたり、一緒に折り紙を楽しんでくれる子もいたり、ほんとにかわいかったんだけど。写真に助けられて思い出すこともたくさんあるけれど、今回のようにみんなで行くと、後で話が盛り上がることも多く、いろんな人の記憶に助けられて呼び起こされる記憶があったり、きれいにイラスト付でまとめてくれるMoroさまがいたりして、ほんとうにグループ旅行はいいもんだと思う。ホーガンの周りではたくさんの動物が飼われていて、馬も走っていたよかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月15日
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広~い荒野にホーガンが立っていた。ここが、私達が今晩泊めてもらう場所。真ん中の奥にあるのがホーガン・右の青いのはトイレネイティブアメリカンと一言で言っても、アメリカには500以上の部族があって、それぞれに文化も言葉も異なっている。住居もまた同じではなく、平原インディアンの人々は三角のテントのようなティピに、プエブロの人達はアドベや石で組んだ四角い家に住んでいる。他にもいろんな家があるけれど、ここナバホの人達はホーガンに住んでいた。今は多くの人が現代的な家に住み、儀式などをホーガンで行うそうだ。ホーガンには男ホーガンと女ホーガンがあるが、女性用男性用というわけではなく、お椀のような形をしているものを女ホーガン、とんがっているものを男ホーガンという。これも、善と悪、男と女といように相対するもの存在し調和していることが美しいとするところから、このようなふたつの異なる形のホーガンが存在するようだ。私達が泊めていただくのは、女ホーガン。柱は9本。妊娠周期と同じ数の柱が立っていて、屋根は12本の棒が組み合わされている。ホーガンの形が丸いのは、風の流れが良くなるように。四角いと角に悪いものが溜まるからとのこと。 朝日を浴びるホーガンとホーガンの壁入り口は全て東を向いているが、この入り口は、ホーガンを建てた日にお日様がその入り口から真っ直ぐ入ってくるように建てられているので、毎年まっすぐ光が入ってくる日が、そのホーガンを建てた日、つまりホーガンの誕生日ということになるらしい。儀式の時には東の入り口から入り、時計回りで自分の位置に座るという。私も、その入り方で中に入ってみる。下はしっかりと踏み固められた赤土。母なる大地のパワーを直接受けるよう、何も敷かない。そして土で身が清められるのだそうだ。また赤い大地から生まれてきたので、インディアンの人達の肌は土と同じ色をしているといわれているそうだ。その真ん中にストーブがおいてあり、西側の奥は祭事の時にメディスンマンが座るところ。南にラグを織る織機が置いてあり、北半分が男の人が眠るところで、南半分が女性の眠る場所。メディスンマンが座るあたり織機と毛糸とホーガンについて話を聞き終わった頃、ナバホの伝統的衣装を身にまとったおばあちゃんが、ピックアップトラックを運転してやってきた。87歳のお義母さんとのこと。Oh, Cool!!よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月14日
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アンテロープを案内してくれたキャロルは、早口でよくしゃべる。ナバホの人はゆっくり話すのだと思い込んでいた私は、こんなに早口で話す人もいるのかと驚いた。「ここが写真を撮るのに、一番いい場所よ」とカメラを構えて撮ってもくれる。アンテロープキャニオンの中はフラッシュ撮影禁止なので、フラッシュが光らないように設定しないといけないのだけれど、どうやったら設定が変わるのかよくわからない。。。。「貸してみなさい」と、キャロルは私達のカメラをササっと操作して設定してくれる。「え?!!それ日本語の表示なんですけど・・・」カメラの持ち主より、カメラの扱いがうまい・・・そういえば、このツアーは“フォトツアー”だったっけ・・・。一緒に回っているふたりの息子に、「はい、ここに立って」と自分の前に立たせ、その背中にカメラを乗っけてバシャっと撮影。これなら手はぶれない。「あっちゃ、こっちゃ」(たぶんナバホ語でもアッチコッチの意味だろう)と日本語で笑わせながら、写真も撮って、説明もして、キャロルは進んでいく。これは砂の滝滝の向こうでは砂の滝をつくるべく、息子君が一生懸命砂を飛ばしてくれているアンテロープのツアーが終わると、携帯電話を取り出し「もう準備はできている?」「4時までに準備をしておきなさいよ」と,うちに電話を入れているようだ。そう、私達はこれからキャロルのうちのホーガンに泊めてもらうのだよかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月13日
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こちらもアッパーキャニオンだと思うけれど、少し離れたところにあるもうひとつの場所に、はしごを登って入った。こちらは、岩の間がかなり狭い。ちょっとメタボだと、ひっかかってしまって通過不能になってしまうかも。自分も無事通れるか心配だったけど、中でもみんなの心配はDさんのお腹。途中でひっかかっちゃうんじゃないか・・・と思ったけど、全員無事通過。最後の地点で記念撮影をして、アンテロープキャニオンをでる。第一関門第二関門こんなふうにして通ったところもよかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月12日
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長い年月、鉄砲水や風にさらされて削られたナバホサンドストーン。そこに天井に空いた穴から光が射し、岩壁の模様が美しく見える。だからいつ来てもこの幻想的な姿が見られるというわけではなく、太陽が真上にくる夏の季節の昼間の時間帯でないと見られないのだ。下はサラサラの砂地だ。一度強い風や水が流れると、地面の位置が高くなったり低くなったりする。30cm、50cm、そして時には1mくらいあっという間に、床の高さが変わってしまうのだそうだ。岩にはそれぞれ、その形から、コヨーテとか、熊とかいろんな名前がついていた。その数があまりにたくさんだったので、すでに記憶からこぼれておちている。人の顔に見えますか?もうひとつこぼれ落ちてしまったのが、「アンテロープというのは動物の名前よ。その名がこのキャニオンについたわけは、アンテロープがいつもここに立ってみていたから」という、キャロルが話してくれたその時のことは覚えているのだけれど、そこがどこだったのか・・・ということ。どれがそこから見た写真だったのか、膨大な写真に埋もれてわからなくなってしまった・・・ガイドのキャロルは、ふたりの息子と一緒に回ってくれていたが、帰り道ではもうひとりの息子さんがインディアンフルートを吹いて私達を迎えてくれた。入った時には私達だけだったのが、帰る頃にはキャニオンの中はたくさんの観光客でちょっと渋滞気味になっていた。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月11日
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光と岩が織り成す幻想的・神秘的な空間だといわれているアンテロープキャニオンに、やってきた!その美しさを写真でみては、ずっとこの目で観てみたいと思っていた。キャニオンの入り口で車を乗り換え、ツアーに出発。私は、黒いピックアップトラックに乗る。あれ、写真でみた風景とはちょっと違うなあ・・・舗装をしていない赤土の道を、ピックアップトラックは走っていく。 斜面には動物の足跡が残っている赤土の道をしばらく走っていくと、ぐっと開けたところにあのアンテロープのアッパーキャニオンの入り口が!ガイドのキャロルについて、キャニオンの中に入っていく。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月11日
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「なんて呼ばれるのが一番いいですか?」旅の途中でこんな質問をしてみた。ぶしつけな質問にならないか、下手な英語で誤解を招かないか、そんなことを気にしながら、でも聞いておきたかった。「ディネ(ナバホ)と部族の名前で呼ばれるのがいいね」「ネイティブなのは木や草や、周りの自然全部だ。僕たちはネイティブじゃない。インディアンの方がまだいいね」「インディアンというと、ずっと昔アジアの国からやってきた歴史も感じられるしね」ほんのわずかな人に聞いただけなので、これが平均的答えかどうかはわからない。アジアから移動してきたという説を否定する人達もいる。神話の中にあるように、この土地で生まれたのだということを強調する人もいる。2004年にナバホを訪れた時も同じことを尋ねた。「誰も自分たちのことを、ネイティブアメリカンなんて言わないよ」「インディアンの方がいいね」「アジアにも日本があって、韓国、中国などいろんな国があって、それぞれ皆異なっているでしょ?それと同じように、インディアンも部族によって文化も言葉も違う。体型だって全然違うよ」それが答えだった。だからいろんな感じ方があり、きっとたくさんの人に聞けば聞くほど、いろんな答えが返ってくることと思う。ただ今回も感じたのは、“ネイティブアメリカン”っていう呼び方は、なんかシックリこないということ。そして、部族の名前がちゃんとわかれば、その名で呼ぶのがよさそうだということ。アリゾナ・アメリカ・ナバホの旗よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月10日
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グレンキャニオンダムの近くのデニーズでお食事。 ナチョコロラド川を堰きとめて造ったグレンキャニオンダムは、建設に10年、満水になるまでに17年の歳月がかかったというとてつもなく大きなもの。ダムでできた人造湖レイクパウエルは、アメリカ合衆国2番目の規模の人造湖で、全長186マイルもあり、クルージングなどのツアーもでている。グレンキャニオンダム・この向こうにレイクパウェルが広がっている街には、船を売っているお店が並んでいた。船の大きさもちょっとしたボートなんてものじゃなくて、日本でいえば湖の遊覧船くらいの大きさのものがたくさん並んでいた。プライベート用に売られているそうだ。広いレイクパウェルのあちこちのビューポイントに寄港しながら、船で暮らしている人もいるそうだ。コロラド川は、グランドキャニオンに続いている。ここでは、エレベーターでダムの中まで見学することができる。旅の初めの計画では、ダム見学が盛り込まれていたが、人口的なダムや湖などの近代技術を見るよりは、もっとナバホやホピの文化や風景にふれたいと、ちょっと眺めるだけに変更してもらった。結果的に、アンテロープやホピの滞在時間がゆっくりとれてよかったなと思う。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月10日
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グールディングスのトレーディングポストは小さいけれど、ジュエリーもカチーナもラグもセンスのいいものがたくさん置いてあって、なかなかよかった。朝ゆっくりモミュメントバレーを出発し、Pageへ向かう。その道すがら、何がきっかけだったか、お葬式の話になった。ナバホの人は死を嫌うので、例えばホーガンで亡くなると、聖なる東の入り口からではなく、西側に穴を開けてそこから遺体を出すのだそうだ。そしてその人が亡くなったホーガンは燃やしてしまう。だから死が近づくと、小屋を作ってホーガンから病人をそこに移し、その人が亡くなると小屋を燃やすということもよくあったそうだ。そしてその遺体は土に埋め、そこに人を埋めたのがわからないよう、しっかりと土をならす。それは悪いメディスンマンがやってきて遺体を掘り返し、骨を悪い呪術に使うのを避けるためだそうだ。「ナバホの人はそんなに死を嫌うのなら、亡くなった人のことを思い出したりもしてはいけないの?」と聞いてみた。ナバホでは、相対するものが存在し、それが調和をとっていることを良しとする。それが「美」であると考える。だからいいメディスンマンもいれば悪いメディスンマンも存在する。死を嫌いながらも、死の存在も認める。亡くなった人の写真などを飾り、思い出したりすることは、そういった調和をとるので悪いことではない。ただし、亡くなった人への思いが強くなりすぎ、いつまでも嘆き悲しみ、調和がとれないような状態でいること、それは良しとしない。ナバホの人達の死に対する考え方を、そんなふうに私は理解した。ページへ向かう道よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月09日
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夜明け前に、グールディングスのベランダに出て日の出を待つ。モニュメントバレーがうっすら明るくなっていく。モニュメントバレーの夜明けだよかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月08日
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グールディングスロッジに戻って夕食。グールディングス名物は“ナバホタコ”らしいけれど、夕食はフライドブレッドとスープにした。なかなかおいしかった隣のお皿には、巨大な唐辛子が・・・・ハラペーニョかな・・・ロッジの映画館では、ジョンフォードの映画が上映されているようだけれど、夜も遅くなったのでそのまま部屋へ。グールディングスロッジは、白人が経営する唯一のホテル。グールディングス夫妻が、1921年に交易をすることを条件にナバホの人達から土地をわけてもらい、1928年にはロッジが完成し、1930年代アメリカ大恐慌の時に、夫妻が映画のロケ地としてハリウッドに紹介し、その後さまざまな映画が撮られるようになったそうだ。映画は必ずしても、インディアンの人々にとって歓迎される内容ではないような気がする。なのにどうして、そんなにジョンフォードは大切にされているのだろう・・・と聞いてみた。映画を撮る時ジョンフォードは、周辺に住むインディアンの人達をみんな雇って、その人達に食事を三食出したのだそうだ。そんな撮影の仕方から、地元の人達は、ジョンフォードを受け入れているということを聞いた。一階はジョン・フォードの博物館・二階はグールディング夫妻の家を再現したものまた、モニュメントバレーにビュートやメッサには、それぞれ名前がつけられている。“スリーシスターズ”の“シスターズ”というのは、ベールを被った修道女のことだそうだ。またカナダや西海岸の部族によくみられる“トーテムポール”というような名前もあるから、こういうナバホの文化とはかけ離れた名前は、西洋の人がつけた比較的新しいものかな・・・と思う。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月07日
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バンに乗ってモニュメントバレーの中をドライブ。正式な名前は、モニュメントバレーナバホ部族公園。台形になっているメッサと細長くなっているビュートが点在している中を、車は走っていく。左ミトンと右ミトン。トーテムポール馬で見学している人達もいる。馬でのツアーをしているお店もう時間が遅いので、数は少なかったけれど、公園の中には地元の人が開いているお店もあるモニュメントバレーにはビュートやメッサという私にとって非日常的な景色が広がり、その抜けるような青い空の下に広がる風景は、だたそれだけでとてもきれいなのだけれど、そこに光が加わると、その美しさは際立ったものとなる。沈んでいく日の光と影が作り出す色が刻々と変わっていき、日が沈んでしまうまでの短い時間は、なんともいえない美しさだ。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月06日
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ずっと写真の中に観ていたモニュメントバレーに、とうとうやってきた。もしかしたら、あの写真でみているのは、風景の中から切り取った一部で、周りには違う風景が広がっているんじゃないかな・・・なんて思ったりもしていたけれど、ほんとうによく観る、あの風景が一面に広がっている。ホテルに落ち着き、一時間後にモニュメントバレー見学へ。ホテルはやっぱり、グールディングス。ベランダからモニュメントバレーが観える!出発の何日か前に、モニュメントバレーで泊まるのはグールディングスだと聞いて、この値段のツアーで泊まれるなんて、おんなじ名前の、実は違うホテルかな・・・なんても思ったけれど(実はいろいろと心配症・・・・)、正真正銘のグールディングスだった!やったね♪電気のないキャニオン・デ・シェイで一晩すごし、あっちの景色もこっちの景色も撮りたいと思っていたので、みんなのデジカメのバッテリーが切れてしまい、ここで充電タイムを取ってもらったのだ。充電もしてシャワーもあびて、さてモニュメントバレーツアーへ!真っ青な空と、もくもくと泡のようにわきたつ雲。アリゾナの雲は、どうしてこんなに立体的に見えるのだろう。グールディングスがモニュメントバレーにある唯一のホテルと書いてあるものが多いけれど、実は新しいホテルがもっと近くに建っている。半分は完成し(去年のクリスマス頃っていったかな・・)、あと半分はまだ建設中だ。お値段もとっても高いとのこと。そこのお土産さんを覗き、展望スペースから景色を望む。絶景だ。あんまりここでのんびりしているので、もしかしてこれで私達のモニュメントバレーツアーはおしまい?(なにかと心配症・・・)と、恐る恐るチャーリーに聞いてみる。「あっちの方には行かないの?」(あの道を走ってみたい・・・) 「いや、これから行くよ。車で」「みなさ~ん、これからあの景色の中をドライブしま~す!」「よかった~、これで終わりかと思った・・・・」やっぱり心配していたのは、私一人じゃなかったようだ。ホッ!!!!よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月05日
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周りがだんだん岩の多い景色に変わっていく。長い年月をかけて、風や雨に侵食されて残った岩。いつも写真で見ていたモニュメントバレーの風景に近づいていく。長い道のりの最中、運転しながらチャーリーはいろんな質問に答えてくれる。モニュメントバレーが近づいてきた「ナバホの学校でナバホ語を教えているって聞いたけど、どうやって先生を探してくるの?」「ナバホの20%の人はナバホ語を話すから、先生を探すのはそれほど難しいことではないよ」「え?そんなにたくさんの人が、ナバホ語を話すの?」「でも、同じ言葉でも、意味が変わって伝わってきているものもあるけどね。日本でもそういう言葉があるんじゃないかな」「例えば、どんな言葉?」「そうだね、例えば“チリビケ”という言葉があるけれど、昔は移動に使うもの、汽車だとか車なんかを"チリビケ"と言ったけれど、今の若者にとって“チリビケ”といえば、タイヤのことだ」「チリビケ?」「そう、汽車の出す音に似ているだろ」「チリビケ、チリビケ・・・」「そう、今ではタイヤのことをチリビケというんだ。チリビケという言葉自体はずっと残っているけれど、意味はだんだん変わってきている。そういう言葉もあるんだよ」キャニオン・デ・シェイのアダムさんからも、「今でも○○人の人達がナバホ語を話す、ナバホ語は私達ナバホにとって、とても大切なものだ」ということを聞いていたっけ。言葉を話すことを禁じられた人達、言葉を一時期的に奪われた人達の話だと思うと、とても重い言葉だったんだな・・・とあらためて思う。そうやって一時期禁止された言葉でもあるに係らず、時代の流れに沿って意味が少しずつ変わっていたとしても、今もそのナバホ語を話す人がたくさんいるというのは、また驚きでもあった。おお~、モニュメントバレーだあよかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月04日
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地元のウィーバーさんからラグを買ったといっても、そんな幸運な出来事があったのは私ではなく、一緒にツアーにでかけたAさんのこと。キャニオン・デ・シェイの近くのそのお店には、ラグを織る糸が売られていた。たくさんの色とりどりの糸が壁に掛かっていて、そこに縦糸を買いにきていた人がいた。きっとこの人はラグを織るに違いない。ナバホ織りを習っているKさんは、そう思ってレジに並んでいた時に話しかけたそうだ。その後駐車場で再びこのナバホの女性に出会ったAさんとKさんは、彼女に話しかけ、なんとラッキーなことに彼女の持っていたラグを譲ってもらったのだそうだ!値段を尋ねられたナバホのウィーバーさん、口をついて出たのが、40ドルとか400ドルという値段だったというから、やっぱりナバホでは4という数字がとても大切な数字なんだろう。それにしても、ラグをお店に売りにきていたウィーバーさんから直接買ったなんて、なんて素敵なんだろう!こうして、ラッキーさんと素敵なラグを乗せたバンは、一路モニュメントバレーへと向かった。チンリーからモニュメントバレーへよかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月03日
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アナサジの遺跡。キャニオン・デ・シェイのキャンプ場に行く道でたくさん見た遺跡。キャニオン・デ・シェイにはたくさんのアナサジ遺跡が残っている。その中でも有名なのが、このホワイトハウス。「どうしてホワイトハウスというの?」「家が白く見えるから」「え?そうなんだ・・」私の中では大統領が住んでいるホワイトハウスと重なっていたから、なんかえらい人が住んでいたのかと思っていたけれど、アメリカ政府のホワイトハウスとは全く縁のないネーミングだった。スパイダーロックの天辺も白く見えるし、ホワイトハウスも白く見える(た?)というから、何か白い地質が入っているのかもしれない。旅には地質学に詳しいデイブが一緒にいたのだから、もっと詳しく、この地層のことなど聞いておけばよかった・・・と後になって思う。いつもひとり冗談を言って、「ウホホホホ・・・・」と笑っているデイブが、地質学に詳しいと知ったのは旅も半分過ぎた頃だったから。こんな不思議な地層のところに何日もいたのに、何も質問しなかったのは、かなりもったいなかったなあ・・・・ここは歩いていけるので、人が歩いているのが見える。そして木のあいだに、白と黒のひつじが見える。このキャニオンに住んでいる人のひつじ達だ。よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月02日
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スパイダーロックを上から見下ろせるような展望台へ行く道の周りには、いろんな植物が生えている。これは、ユッカ。 ユッカについて説明を聞くユッカの根っこは、シャンプーとして髪を洗うこともできるし、葉は干して太いものはロープに、細いものはバスケットを編んだりする。ずっと昔には、そのとがった先端部分を針のように使ったりもしたようだ。他にも、ジュニパー・ピニョンなどが手の届くところにあり、サボテンはかわいい花を咲かせていた。 ジュニパー ピニョン? サボテン いかにもイーグルがとまっていそうな真っ黒な木、まるで燃えてしまったような真っ黒な木があり、その名前を“イーグルトゥリー”というのだそうだが、写真を撮り忘れてしまった・・・・よかったら、クリックしてくださいね! ↓ ↓ Thanks!!
2009年07月01日
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