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セゴビアのカテドラルで、中世の楽譜を見た。皮にかかれているような感じで、大きなガラスケースに入っていた。教会の聖歌隊が、こんな楽譜を持って歌っていたのかと思ったが、ふつうの人が手に持って歌える大きさや重さではない。五線紙にはなっているけれども、音符の表記が違う。中世の音楽に興味を持ち、自分でもEARLY MUSICで使われた木管のフルートを吹いているミュージシャン(次男の妻)に、写真を送ったら、以下のような説明メールをもらった。This is a vocal music book for the Catholic church. They would chant/sing the notes (you might have heard of Gregorian chant music). The whole book is filled with these chants. The liturgical calendar would dictate which chants would be sung during the church mass. Notice how the square notes sit on lines. This style of notation eventually evolved into our modern notation. The paper it is written on is vellum, animal skin, since paper wasn't yet invented. Today, people use them as artwork. They take the pages and frame them to hang on their wall. Original pages are extremely expensive. You can also get reproductions/prints (copies), but they're not too cheap either. Some of them are quite beautiful and colorful. People still study this style of music. I'm not quite sure if the church still uses these exact Medieval chants. (試訳)これは、カトリック教会のための声楽用楽譜で、当時の人たちは、この楽譜を見て歌っていました。(オカアサンも、グレゴリアン合唱曲で聞いたことがあるのでは?) どのページにも、全部こういう合唱曲が書かれています。教会の儀式用のカレンダーには、どのミサでどの曲が歌われているかが、指定されていています。 四角い音譜のようなものが、線の上に書かれているのがわかるでしょう? これがながい時代を得て、現在の音譜の形に変わってきました。紙はまだ発明されていない時代だったので、羊皮紙などのような動物の皮に書かれています。現代では、このような「楽譜」は、装飾品になっていて、ページを切りはなして、額にいれて、壁にかけたりしています。 オリジナルのページは、とてもとても高価。複製版を入手することもできますが、複製でも、けして安くはありません。中には、とても美しく、色も華やかなものもあります。このスタイルの楽譜は、今でも、研究されていますが、教会で実際に、中世の讃美歌を歌うのに使っているかどうかについては、さだかには知りません。こういう説明をしてもらうと、一段と興味がわくというものだ。もっと、大きく写真をとってきて、プリントしてみたら、楽しかったかもしれない。教会でも、カテドラルでも、アルカサルでも、フラッシュを使わなければ、写真をとってもよいといわれるのが意外だった。
November 30, 2013
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肉屋さんで、大きな牛のハムを、包丁を水平にして手前に引きながら、透き通りそうに切っていく腕前に見とれていた。その間、それはもう珍しくもないらしい夫は他を見ていて、hueva de mujor という包みをガラスケースの中にみつけ、これは何かと聞く。さっそく、ウエストポーチに入れている電子辞書を引くと、ボラの卵とあった。「お、からすみ!」と、さっそく、夫は一つ購入。アパートに戻って、端を切ってたべて、「うまい!」私にも少し試せというので食べてみたら、たしかにおいしい・・・が、コレステロールも、塩分も高そう!! 店の名 Ferpalアドレス Arenal 7, Madridhttp://www.ferpalmadrid.com/・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・とはいえ、おいしいことはおいしいから、お酒の好きな方には、よろこばれそう。12月13日には、高校時代の同級生が集まってやっている料理教室に行くことになっているので、ほんの少しだけれども、買い足して、みなさんにお土産に持っていくことにした。身体に悪いから、ほんの少しずつですよ~。
November 29, 2013
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朝、道路からの音がどことなく違うので、鎧戸を開けてみたら、小雨だった。しばらくぶりの雨らしく、町の空気が落ち着いたような感じがする。とはいえ、いつも雨ばかりのバンクーバーの冬を思えば、気にするほどの雨でもなく、マドリッドよりも少し暖かいほどのマンチャ州なので、予定通り、午前中は町を歩きまわって、午後のバスに乗ることにして、風車のある丘とは反対方向の街に散歩にでかけた。もう一度、風車の丘に行きたいとは思ったのだが、旧市街も見たいし、第一、丘に登るときはともかく、下るときに久々の雨の後の下りは滑りやすいかもしれないので、これからの旅程を考えて控えた・・・ということもある。反対方向に行こうと、午前中であろうと、人通りの少ない町であることには変わりがないけれども、窓の小さい家々が続いている。窓が小さいのは、防寒や防暑のせいもあろうが、イスラム文化の影響が残っているような印象もあり、初めて来たのに、懐かしいような気持がする不思議な雰囲気。もう一つ、見慣れなかったのは、道に面するドアの外側に、それぞれ厚いカーテンをかけてあり、出入りには、そのカーテンをあけて、さらにドアをあけるようになっていること。それと、家の建物自体、道路すれすれに建っていて、どうやら庭はパティオ形式で、建物のまんなかにあるらしいこと。部屋が道路に迫っているから、プライバシーを保つために、窓が小さい必要があるのかもしれないし、また、パティオ式の庭も、くつろいでよいのかもしれない。でも、風遠しは悪そうだから、夏は本当に暑くなりそうな気もするのだが、そういう時は、外へのドアを開け放してカーテンだけにするのだろうか・・・などと、おせっかいな想像をする。・・・と言っても、やはり、ここはスペイン。ジェスイットの教会もしっかりと建っていて、二つの宗教・文化のせめぎあいのうちに育ったスペインの歴史を、改めて感じさせられる。歩いてみると、人がいないように見えても、入り口が小さいだけで、中は広いスーパーなどもあるのがわかった。振り返ると、昨日上った風車の丘が、屋根の向こうの方に、かなり高く見えるので驚く。なんとも思わずに登ってしまったけれども・・・ 興奮状態だったのかもしれない。となるとまた未練がでてきて、もう一度、上らないことに決めていた丘に向かって、階段のあるところだけ上がって、そこから風車をながめ・・・さらに未練がましく、バス停から最後にもう一枚、望遠で風車の写真をとって・・・さようなら、Consuegura!私の年齢から言って、この「さようなら」は Hasta la vista (またね) ではなくて、Adios (本当のさようなら帰宅したら)だと思うが・・・せめて、もう一度、Don Quijote de la Mancha を読もう!
November 28, 2013
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ネットで選んで予約したのは、La Vida de Antes, Hotel Rural という名のホテル。直訳すると「昔の暮らし、ひなびたホテル」というような意味で、二階建ての、ふつうの家のような感じのところ。ホテルの前の道は、人通りもないし、狭いし・・・ これではきっと静かに過ごせることだろうと思った。受付にいた女性は、どうやらオーナーらしく、「ここは、私が住んでいた家」と話してくれた。一歩入ったとたんに、ほっとするような暖かい感じの古い、贅沢な建築である。主人も、「これはアタリだ」と、満足そう。ラウンジは、吹き抜けで、天窓からの光が入るので、「暖かい戸外」の雰囲気。部屋の暖房はなつかしいスチーム式。新婚旅行のときの、白馬東急ホテルも、スチーム暖房だった。残念ながら、白馬東急ホテルは、もうない。スチームだと、洗濯物がいくらでも乾く。お風呂は、ジャグジーとしても使えるし、バスタブのサイズも大きく、体が浮いてしまうほど。洗面台やふろ場の水栓は、最近ではほとんど、熱い方には赤い色、冷たい方には青い色がついているのに、ここは、熱い方にはC(Caliente), 冷たい方にはF(Frio) の字がついている。このCを Cold と思ってはいけないと、誰かかた聞いたのを思い出した。さて、食事だが、「ここのレストランは朝しかあけないけれど、コーヒー・紅茶くらいは私が入れますから、ほしいときは言ってください。」というのであてにしていると、すぐに誰もいなくなってしまった。熱いお湯らい飲みたかったのに・・・と思ったのが、遅かりし。(ホームページでは、夕食もホテルで食べられることになっていたのだが・・・ま、私の知っているスペイン気質で、なんとなくいい加減のところが、気に入った。)教えてもらって入った町のレストランも、一応は開いていて、おつまみ程度は出るが、夕食のメニューは夜9時から・・・ということ。友人・家族 みんな集まった感じで、大騒ぎしてサッカーの中継テレビをみている。たしかに、こうやってみんなで見ると、サッカーはとても楽しい。他の店はまだ開いていなかったし、夜になって外は氷点下の気温だし、あまり遅くまで出ていたくないので、タパス(小皿料理)をいくつか食べて宿に戻ることにする。一歩外に出ると、町は静まり返って、誰も歩いていない。開いていた中国人のコンビニを見つけたので、水を買ってホテルに帰ると、ホテルのフロントドアも鍵がかかっている。もらってあった鍵で開けて、館内にはいると、まだ9時半頃なのに、どこもまっくら。どうも、私たちのほかにとまっている人はいないらしい。しーんと静かな部屋で、ひさびさの熟睡ができた。本当は、寒い夜なので、あついお茶くらい飲みたかったのだが、部屋ではお湯もわかせない。考えてみれば、ホテルの人たちはみんな帰宅してしまい、残っているのは、宿泊客である私たちだけだから、うっかりお湯が湧かせるようになどしておいて、火事でも出されたら困るのだろうし、大部分の人々は、ワインを飲みすぎているから、「寒い」なんて感覚ちはないのだろう。昨日、このホテルを予約しようとしても、どうしても電話が通じなかったのは、こういうわけだったのだ。(この点、booking.comはえらい。)部屋には、内線の電話も、外線の電話もない。ケータイ電話を皆が持っているのを前提としているのだろうと思うのだが、どうだろう。マドリッドのアパートも、最初の二日間とまったホテルも、電話がない。Wi-fi は、パブリックスペースでだけ使えると言われたが、個室が電波を遮蔽した部屋だとも思えなかったので試してみたら、部屋でもつかえた。次の朝は、朝食は9時からだと言われていたので、その頃にラウンジにでたら、横の部屋に「朝食会場」のサインがでていて、「ホームメードよ」とご自慢のパンや、マフィンや、さっぱりした果物などが並んでいて、熱いコーヒーや紅茶のリクエストを聞いてくれた。サービスが悪いといえば悪いが、シーズンオフに二人だけ客が来たのでは、しかたがないのだろう。ちょっと気がねのある、大金持ちの親類の家に泊めてもらったような感じで、とても面白かった。構われすぎるのは、主人も私もあまり好きだはないので。(以前は、だいたいこんな風で、熱い湯がすきな私は、音叉型の湯沸し道具を持って歩いていたものだったが、最近、ホテルでも部屋でお湯をわかせるところが多かったので、持ってこなかったのはこちらのミス。)とにかく、この町には、昔、私が勉強したスペイン、マドリッドにはもうない昔のスペインがあったのがうれしい。私が見たかったのは、こんな風に、ちょっと無愛想で、そのくせ親切で、マイペースな人たちであったような気がした。
November 27, 2013
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コンスエグラの街の中心に、plaza de Espana (スペイン広場)という広場があり、それを囲んで市役所などがある。どうも、この形は、いろいろな町に共通する設計らしい。その中心地の夜9時。 だれも通らなくて寂しいこと!そして、次の朝11時の同じ場所。 少しだけ、ぱらぱらと人のいる感じだが、相変わらず寂しい。その「ばらばらと」も、写真には、誰も人を入れることができないくらいの「ばらばら」しかも、奥の方に見える一台だけの車は、policia(警察)の車。とにかく、オフシーズンの観光地は、寂しいけれども、ゆったりとしたリズムで動いている。余談だが、この日、午後3時過ぎのバスで町を出たのだが、それまで、なんとこの警察の車に、何度も何度もあった。主人は、「これは、絶対に俺たちが、怪しまれているぞ」というのだが・・・。
November 27, 2013
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ラ・マンチャ州のコンスエグラ。ミグエル・セルバンテスが書いた「ドン・キホーテ」が、巨人と間違えたことになっている風車と同じような風車が残っている町として有名である。ふつうの路線バスに乗っていけることがわかったので、一泊で見てくることにした。トレドまではハイウエイで、オートモールがあったり、カルフールがあったり、ま、埼玉か千葉のような景色だったが、それをすぎると、ブドウ畑とオリーブ畑が延々と続く。トンネルを抜けても、橋をわたっても景色はかわらず、整然と列をなして植林されているオリーブとブドウ。時々、町を通り抜けると、道で立ち話をしている人がいたり、ベンチ居眠りしている人がいたり、放し飼いの鶏がいたり、のどやか。やがて、彼方の丘の稜線に、風車がいくつか見えてきて、いよいよコンスエグラ。ネットで予約してあったホテルにとりあえずチェックインしてから、町にでたら、さっきまで開いていたレストランも、店もみんなシエスタでしまっている。マドリッドではもう見られない習慣だったので油断していたら、まあ、なんと! ここには昔ながらの、静かで暢気なスペインがあった。仕方がないので、リュックに入れていたクッキーなどをたべながら、風車の丘に登った。大分のぼって見渡すと、眼下には「いかにもこれがスペイン」というようような、白い漆喰壁と朱色の焼き物の屋根が続く。さらに遠くをみると、現代の風車がたくさんならんでいる丘が見えた。「これはこれ」「あれはあれ」で両立させているところがすごい。上がったところにまずあった一つの風車は、中にはいることができて、風車の仕掛けなどもみられる。無料ではあったが、いろいろと話しかけてくれるオジサンがいて、ただでは離れにくい雰囲気だったので、古いとわかっていた絵葉書を3枚買った。そばに立って、写真を撮ってもらったけれども、出来上がってみると、なんと小さいワタシ。・・・というか、近寄ってみると、風車は「巨人」と間違えられるだけあって、驚くほど大きい。ラ・マンチャの碧空を背景に、白い風車がずっと続く。アルカサル(城)跡が見えてきたので、写真をとったら、一行二名の影が一緒に写った。この旅行で、初めて一緒に写った写真がコレです。古い城跡も、いかにも中世風。季節が季節だったら、ブドウ畑の緑を見下ろすところだろうが・・・ 遠くから来る敵をたちまち見つけることのできそうな感じ、いかめしく立っていた。本当によい天気だったので、ゆっくりと風車をひとつずつ見ながら、ひさびさによい空気を吸って元気回復。とてもよい散歩だった。宿に帰って、窓をあけたら、見てきたばかりの風車のいくつかが、部屋からも見えていた。
November 27, 2013
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73歳になった。夕食は、スペインにいるというのに、タイ(?)の塩焼き。「魔法のお皿」を使って、電子レンジできれいに焼けた。感謝、感謝。この「魔法のお皿」、本当に優れものなので、お世話になりっぱなし。メーカーに、よいコメントでも書いて送ろうか・・と、話し合いながら、まだ果たさないでいる。
November 26, 2013
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プエルタ・デル・ソル(太陽の門)という、いつもお祭り騒ぎのように賑やかな広場のそばのレストランに入ったら、私たちがちょっと日本語をしゃべったせいか、近くの席でタブレットを見ていた日本人(らしい)青年に、話しかけられた。「日本の方を見ると、ほっとしますね。もう、ここの人たちは、油断できないから。日本はいいですよね、電車の中で居眠りまでできるんだから」「まあねえ・・・」みたいなあいまいな返事をしていると、「僕はマラガに来ていたのですが、ちょっと車をとめて、友達をさがしにスーパーに入ったら、たったの三分くらいの間に、フロントグラスを割られて、パスポートをとられてしまって。再発行してもらいに、マドリッドにきて、待っているところです」と、彼が続ける。私の感覚でいうと、いくら短時間でも、スーパーの入り口に車をとめて中にはいるなんて、考えられない。(泥棒に入られなくても、ポリスに駐車違反のチケットをもらうし)しかも、フロントグラスを割ればとれるところに、パスポートのはいったバックを置くなんて!荷物は、持って出るか、見えないところに置くのが常識。本当のことにしては、間が抜けすぎている。しかも、まだ、何か話し続けている彼に、主人がマラガのことを少し聞いたら、答えがかえってこない。私は、ここで、この人は、日本人同士だと心を許させて、何かだまそうとしている人かもしれないと、ちらと思い、相手になるのをやめて、反対側の隣テーブルの、これもまたタブレットで案内を見ていた白人の女性と、雑談を始めた。それでも、彼は、まだ主人に話しかけたい様子。私が二人の様子を、片耳で伺っていたら、主人が、「日本人でも、私なんか、あやしい人ですよ。信用しないでください。」という。オイオイ、相変わらず、口の悪い人だ。ま、主人も相手に、不審を持っているのだろうが。いっぽう、青年の方は、「ハハハ・・・」と微妙な感じで笑っていたが、私たちのところに注文の品が来たのをきっかけに「ではまたどこかで」と立ち去っていった。さて、本当は、この青年が悪い人なのか、主人が悪い人なのか、私が悪い人なのか・・??この場合はともかく、私がカナダでいつも思うことだが、日本人は、日本にいるとお互いに警戒しあうのに、いったん、日本を出ると、「日本人同士」ということで、すぐ心を開いてしまい、だましたり、だまされたりすることが、多々ある。日本人にも悪いことをする人がいるくらい、一日、ワイドショーでもみていれば誰でもわかることだし、第一、日本に立派な警察があることからでも、犯罪はあるのが明らかだ。日本にいれば、日本人というだけで、お互いに話し込んだりはしないのだから、日本の外にいたからといって、あまり親しそうにしてくるのは、やはり不自然だ・・・と思いますけど。
November 26, 2013
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昨日の午前中は、私が体調を崩していて、午後は主人が調子が悪かったので、お互いに反省して、今日は休養日。とはいっても・・・ 市内見学方々、来週行こうかと考えているサラマンカ行の列車が出る駅Charmatin まで行って様子を見て、帰りに日本食品を売っている東京屋によって、3時間くらいで宿に帰ってくるという予定で出かけた。駅は、地下鉄一本なので、簡単に到着。なかなか、きれいに整った清潔な感じのする駅であった。駅中の店もたくさんあり、便利そうだ。サラマンカ行の電車はたくさんあったので、その日に決めればよいということで、今日は何もせずに、辺りを見回したあとは、駅を離れて「東京屋」をさがしてみた。が、それがすぐ近くまでは行っているらしいのだが、なかなか見つからない。人に聞いても、割と言うことが違うみたいな感じだし、店のある通りの名前が地図に出ていないので、あきらめかけたが、たまたま、ユニセフのクリスマスカードを店先に出して売っていた文房具屋さんがあったので、今年のご挨拶用に、少々買って、たずねてみたら、お店の人が、わざわざ店の外まで来て、道路を指さしながら、「ここをまっすぐ行って、道路を二つ横切って、左にまがって、次の角を右にまがると、左側に見えるよ」と教えてくれた。聞いているうちに、片端から忘れそうなので、書き取りながら、「むーちゃす ぐらーしあす」。落語に、関東のものが上方に行って、道を聞くとどうなるかというのがあったなあとか、思い出して、まるで落語の道中だと思いつつ、たどっていくと、「あ、あれだ!」と見つかった。(店のある通りは、ほんの200メートルくらいしかなくて、地図に出ていないのも、もっともであった。)結局、ほんの15分でつくはずのところに、ぐるぐるまわって1時間以上歩いたような気がする。東京屋は、こぎれいな小さな店だった。店員さん二人はスペイン語を話す人で、居合わせた三人のお客さんも、スペイン人で、バックグラウンドミュージックだけが日本の音楽。ある程度の日本食品は、持参していたのだけれども、やはり見ればなにか買ったりして。主人は、重いのに、日本酒を買った。(お酒を禁じられている人です。本当は。)マドリッドの中心部とはいえ、だいぶ北になるこのあたりは、緑も多く、年配者が杖をついて散歩をしていたりして、なかなか雰囲気がよい。治安も、少しはこちらの方がよいのかもしれない。帰り道に、バンクーバーでは見たことのない、黒と白の鳩くらいの大きさの鳥を見かけて、写真をとった。ショッピングセンターも、いくつかあったが、観光客用というより、実用的品物を扱っているところが多く、生活感のある地域だった。はたして、これが休息になったかどうかはわからないが、帰宅して私はだいぶ元気。主人は、シエスタ中。寒いけれども、よい天気なので、向かいの棟の窓の外には、洗濯物を干しているところが多い。昔見た映画の「裏窓」を思い出してしまう。幸い、向いの窓で殺人が起きていそうな様子は、まったくなかったけれども。
November 25, 2013
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ハイウエイをスピードを上げていく自動車、細かい道を器用に、人を分けるようにして走る自動車、甃のデコボコの坂道を、音もなく下りている自動車・・など 実にたくさんの車を見るのだが、日本車をみかけることが稀である。昨日行ったトレドでは、とうとう一台も見なかった。バンクーバーだと、どこも、ここも日本車という感じだし、私もトヨタ車に乗っている。バンクーバーと、マドリッド(しかも、町の中心部)とだけを比較していうのは早計だけれども、日本製品は・・・と周囲を見回したら、アパートの部屋のエアコンがダイキンだった。しかし、これが、入った日には故障していて、最初の番は凍えそうになって寝たので、個人的に印象がよくない。東京のでは、マンションがもともとダイキンのエアコンだったので、他よりも少し高いけれども、付け替えのときもダイキンにしていたるが、いつもよく働いてくれるのに・・・。26日追記この記事は、大嘘だとわかった。よくみると、シトローエンだのフォルクスワーゲンだのBMWが走り回っている中で、タクシーにはトヨタが多いこと!バスで、オートモールの傍を通った時にみたら、トヨタ、日産、マツダなどのお店もあり、私の観察は大間違い。タクシーに使われる車というのは、耐久性を広く認められているということなので、信用があるのだと思う、
November 25, 2013
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アトーチャ駅を降りて、プラド美術館に向かってPasepをあるいていたら、かなり大規模なデモに出会った。大規模とはいえ、なんとなく、のんびりとして平和的。プラカード、シュピレヒコールはおなじみだが、私のデモの概念と違うのは、「自分たちを、、デジカメでとったりしながら、適当に日常的会話を交わしている人々が、大通りいっぱいになって歩いている」ところか?人々の表情からは、それほど深刻なところが見受けられないが、ほんとうに苦しい人は、デモどころではないのかもしれないとも思う。とはいえ、デモなのだから何かのきっかけで、いつ暴徒化するかわからないのだから、近寄るまいと思うのに、夫は、わざわざそこを横切っていくので、はらはらする。スペインは、今、ギリシャほどではないにしても、国の経済が苦しいから、諸方面の予算をカットせねば切り抜けられない段階に来ていて、諸方面で困っているのだろう。プラカードには、"NO CUT”と書いて、Oの中に、はさみの絵が画かれているのが多く目につく。(英語!)「もっと仕事を!」とか「教育のないところに国家の将来はない」とか・・・こちらはスペイン語のプラカードだったけれども、目についた。その後、サンタ・アナ公園を探して、ガルシア・ロルカの像を見た。デモとは無縁の、めずらしく小さな子供たちがたくさん遊んでいる治安もよさそうな公園で、像となったロルカが、意外に優しくて穏やかな表情をしているのも印象的だった。ロルカが犠牲になった市民戦争と、今日見たデモを比較して考えると、時代の流れのせいか、苦しいとはいえ、せっぱつまったものはなく、基本的に人々の暮らしは楽になってきているのではないか・・・と思った。
November 23, 2013
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プラド美術館で、頭と目がくたくたに疲れて外に出て・・・そのまま、裏手の坂を上がってゆくと、大きな教会があった。写真だけでは知っていたSan Jerónimo el Real である。見上げながら登っていくと、いかにもそこには救いが待っていそうな、頼もしさ。プラド美術館にたくさんある宗教画を見たあとには、人々がどんなに救いを必要としていたかが察せられるだけ、このたたずまいに、ことに惹かれるのだろう。でも、中に入ってみると・・・・ たしかに立派だし、美しいし、貫録もあるのだけれども、不遜にも言わせていただけるものなら、あまりにも、装飾が多すぎて、落ち着かないような気がした。私が深い苦しみを負ったとき、救いを求めにくるのは・・・・ 多分、ここではない。とはいえ、16世紀初めに最初の建築がされ、それから改築を繰り返して続いていつローマンカソリックの教会だと書いてあった。きっと多くの人の心を救ってきたことだろう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・礼拝堂の横の修道院を見ていたら、昔、映画で見て、また、本で読んだ「汚れなき悪戯」(Marcelino Pan y Vino)を思い出した。.......Marcelino, Marcelino, con jabon de has de lavar doze frailes cuidan diay guardan tu alma contra el mal.....映画の中で歌われた男声合唱を思い出したら、ひとりでに歌詞も思い出せてきて、なつかしい。(なんと、この歌、you tube にも、たくさんありました! http://www.youtube.com/watch?v=eh26iGs9a_A 他)ただし、映画に出てきたのは、San Jerónimo el Reaのように、立派な修道院ではなく、モノクロの映画の中で、とても神秘的に見えた、修道僧たちのも、いわばDIY。12人の修道僧たちに育てられた孤児、マルセリーノのかわいらしいいたずらがたくさん出てきて・・・ 最後には、キリストに救われて召されていく泪なしではみられない映画。ビデオがない時代だったので、何度も名画座に行った記憶がある。この歌 Il Divo が歌ってくれたら、いいなあ・・・ とか思ったりして。
November 23, 2013
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マドリッドの郵便局。黄色いポストの形状が、私が子供の頃の日本の赤いポストとよく似ている。街中のポスト。黄色のほかに、ブルーが入って、スエーデンの国旗の色。 郵便配達の人は、この黄色と青をしたショッピングカート型のカートを引いて、ガタガタと配達をしていた。バンクーバーの配達さんは、大きなバッグを肩からかけて配達しているし、東京の配達さんは、自転車やオートバイに乗って配達に来るし、それぞれの町の状況で、方法を考えているのだろう。
November 22, 2013
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町になれるために、午前中少し歩いてから、アパートに移る。玄関が工事中なので、ちょっと見栄えはしないけれども、中は設備がととのっていて便利。昔、スペイン語をいっしょに勉強した仲間に教わった店もわかったので、だんだんペースが出てきた。マヨール広場のそばにあった郵便箱。黄色と水色。郵便配達の人が使っているカートもこの色。ガラガラと引きながら、一戸ずつ配達していた。カナダにいても、アメリカにいても、日本にいても、主人の好きなスターバックス。マドリッドでもすぐに見つけたので、マグを集めている息子一家のために、さっそく、一つ購入。この熊とはちみつの絵は、マドリッドの紋章だそうだ。
November 21, 2013
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プラド美術館に行った実は、2006年に、上野でプラド美術館展を見たことがある。名にしおうゴヤのマッハの絵もみたり、ちょっとふとり気味の天使の絵をみたりして、質感がとても気に入り、こんな作品がもっとたくさんあるに違いないプラド美術館に、ぜひ行ってみたいと思っていたので、今回も、「マドリッドではどこにいきたい?」と主人に聞かれたときに、「プラド美術館」とまず言ったのでアル。ところが・・・・ 期待いっぱいで入ってみたはよいが、見進むにしたがって、気持ちが暗くなるし、目がつかれるし、頭の芯が重くなってくる。なんだろう・・・・この重さは!!!ベンチが見つかったので、そこに座って考える。どうも、これは、たくさんの大きい宗教画に囲まれていることによる圧迫感ではないのだろうか。周囲を見回しても、感動している人はいるが、誰も明るい顔はしていない。美術の鑑賞なのだから、重い事実を描いて、見る人に重い気持ちが伝われば、それは良い絵だと思う。ただ、若いときと違って、キリストの磔刑の絵を見ても、それを絵として考えることが難しくなっているのではないだろうか。生きていることの苦しみが、間接的・直接的にだんだんよくわかってくるようになると、絵の背後にあるストーリーが、ストーリーとして受け流せなくなるのかもしれない。そしてその絵からの叫びが頭の中でいっぱいになったものだから、疲れたのではないだろうか。原因の推定ができれば、あとは虚心坦懐に鑑賞するまで・・・と、あまり丁寧に見るのは避けながら、ゴヤとベラスケス中心に見終わって、主人と落ち合う約束の出口に、少し、早めだけれども、行ってみたら、すでに主人は、出口近くのベンチで、疲れ切って待っていた。私の場合、東京に来た作品くらいの数が、気力体力を考えて、ちょうど良い数だったように思える。名作とされている絵画の宝庫だけに、それを肯定的に鑑賞できないことが、情けなかった。本当は、2~3日中に、ピカソのゲルニカも見に行くつもりだったのだが、それはもう少し日数をあけることにしようと、話し合った。
November 21, 2013
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スペイン語を聞いているうちに、おやっと思ったことは、会話の中の語尾のS.たとえば、Buenos Dias (おはよう)のSは、ほとんど聞き取れなくて 「bueno dia」と言っているように、聞こえる。 Buenas Noches, Buenas Tardes でも同じこと。ありがとうの、gracias も gracia と言っているように聞こえる。フランス語、イタリア語、ポルトガル語など、もともと、そこにSがなかった言葉に影響されているのか、語尾の分の拍数はあけてあるが、小さく呑み込んでいるのか・・・早速マネをして、グラシア! を多用。それはそれで抵抗なくことが進んでいたので、夕食に入ったレストランで「グラシア」と言ったら、お店の人から丁寧に「Gracias(グラシアス)」と挨拶された。なにやら、自分がひどくがさつな言葉を使ったような気持ちになった。とにかく、スペイン語圏といったら、これまでメキシコに1週間いっただけなので、何もかも物珍しくて、身に余る。リラックスしようとしても、看板の字が一字一字、目に飛び込み、目はそれをぱっと読めずに、「探究」しとうとするし、耳は耳で、聞こえてくるあらゆる言葉を、ちゃんと聞こうとするので、頭の中は、大混乱。部屋にいても、テレビがそんな風だし、一歩外にでると、また情報の海だし・・・・これでは、まもなく、疲れ切ってしまうから、自分に「リラックス、リラックス」と言い聞かせる。思えば、英語圏や日本語圏にいるときには、必要と思われる情報にだけアンテナが働き、フィルターにかけているのだろう。
November 21, 2013
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本日の課題は、地域の様子を知ること。三十年以上前だとはいえ、何回かスペインに来ている主人には、別にどうということはないのだが、私には、まだまだ、マドリッドの町がキクキクとがって見えるので、そこが、なだらかにならないと、緊張しっぱなしで、具合が悪い。まず、明日から移るアパートを確認に歩いていく。スペイン広場のすぐそば、王宮にも近い割には、ちょっとうらぶれたところだ。工事中で、正面玄関が使えず、ふだんなら守衛さんのいるようなところから出入りするのも、そう見える原因の一つだろう。受付にいた英語もできる女性が、「まだ、前の人が出ていったあとを、掃除がしていないけれど」とことわりながら、部屋を見せてくれた。大きな、大きな、おおおきな冷蔵庫をはじめ、電子レンジ、HIコンロ、オーブン、食器洗機、洗濯機、テレビ、WIFIなど完備。(カナダならかならずつく乾燥機がないが)我が家のものよりも、新式のものばかりだ。では、明日から安泰・・・とばかりに、更なるWALKING開始。★ 王宮前の広場では、何やらデモをやっている様子。Sin educacion, No hay futuroのプラカードの、Oの字の中に、はさみの絵が書いてある。「教育予算を減らさないでくれ」というデモに違いないと、勝手に解釈。中心には、怖い顔をした女性が、フラメンコを踊って人を集めていた。デモに、フラメンコというのも、目新しい組み合わせ。
November 20, 2013
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ホテルは Gran Via に面した部屋なので、窓から通りを見下ろす。夜遅くまで人の通りが絶えないし、朝も早くから活動が始まっているが、別に、そんなに治安が悪そうにも見えず、女性が一人でふつうに歩いているのも見かける。いかにも、「旅行者です」然として、スーツケースをガラガラひっぱっている人もいるし。自分の方は、体がバンクーバー時間なのか、東京時間なのか、マドリッド時間なのかわからなくなっていて、遅寝・早起き。これではダメだと思うが、眠れないので、メールを見ると、友人たち何人かが、行ってみたら楽しそうなところとか、どういうことに用心したらよいかとかを書いて送ってきてくれていた。長男が、ユーロの中で自由に発信できる携帯電話を貸してくれているので、心強い。長男の家との連絡は、無料なのだそうで。いまさら、外国に来て心細いとか、緊張するとかはおかしいのだけれども、家族の声、特に孫の声を聞くと、リラックスできるのだから、私もトシをとったものだ。
November 20, 2013
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なが~~い一日。バンクーバーからマドリッドに行けば、こんな思いをしないでよいのだが、一度、東京で用事をすませてからマドリッドに来たものだから、まあ、東京とからヘルシンキまで10時間、トランジットが2時間あって、それから4時間でマドリッドにつくのだから、私にとっては、これまでの最長の飛行時間。そのわりにくたびれないのは、緊張しているのかもしれない。それと、フィンランド航空(たまたまそういう飛行機に乗ったのかもしれないが)の座席は、エアカナダやJALよりも少し大きめで楽だったのかもしれない。とにかく、マドリッドについて、無事タクシーでホテルにチェックインして・・・ 現地の時間でまだ夜の8時だと思うと、年甲斐もなく、町を歩きたくなった。「夜の町は、なるべく歩かないように」と次男が忠告してくれていたので、安全と思われるところだけ、少し。折しも、十六夜の月が美しく、旧市街を白く照らしていて美しい。友人にメールでそれを書いたら、「以前、グラナダで会議があって行ったときに、アルハンブラで満月をみたことがあります。こんなに幻想的なものを見る幸せがあってよいものかと思いました」という返事が来た。うーん、残念。今回は、南欧はあきらめているので・・・
November 19, 2013
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いよいよ、マドリッドに向け、出発。まだ、半信半疑。初めて乗る、フィンランド航空機ヘルシンキ経由なので、荷物のタグが2つ付く。一つは、NRT to HEL で、よし。でも、二つ目は、HEL to MAD ?! 何ですって? Hell(地獄)から、 Mad(狂気)?? なんて。ヘルシンキの空港では、となかい肉の燻製や、スープの缶詰を売っていた。クリスマスにかけての人気者のとなかいさんも、さんざん!うちの子供たちが育ったころ、日本のテレビでやっていたムーミン一家のぬいぐるみや関連商品もたくさんあり、まだまだ現役らしい。私にもなつかしいキャラクターなので、買いたかったのをぐっとがまん。断捨離の世代だから、消耗品以外は、買いません!ヘルシンキの空港のバー。開き直って、Lをたして HELL にしてある。What a hell !
November 19, 2013
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若いころは、本当に行きたいと思い続けていたスペイン。その後、かなりの人がスペインに行くようになり、スペイン語科の学生も、在学中にほとんど、スペイン留学を経験するような時代になった。以前、バンクーバーの短歌会で一緒に勉強していたYさんも、大学をでてから、スペインで陶芸の勉強をしていたということで、バンクーバーから何度も「里帰り」していたようだった。・・・・とはいうものの、私自身は、スペイン行は不可能と、何時の間にかあきらめて、スペイン語の本を読むことも、スペイン語のテレビを見ることも、スペイン語を話す国からカナダに来ている人たちと話すことも、だんだんになくなって、年に一度の同級会に出るときにふと、その意識が戻る程度になっていた。「フランスにはあまりにもとおし」という詩のようなところか?それが突然、あれよあれよ というまに、主人が19日から連れて行ってくれることになり、それでもまだ半信半疑だったのだが、いつのまにか19日といえば、「あした」。どうやら、本当にスペインに行けることになったらしい。 昨日の同級生の会合でも「あさってから、マドリッに行きます」と言った。みんながびっくりするかと思ったら、「ああ、やっと」「元気なうちにいけてよかったね」という反応。「2週間もスペイン語の海に浮かべれば、あなたも忘れた歌(スペイン語)を思いだすよ」という人もいて、ちょっとした酒の肴になっただけだった。ま、そういうものか。
November 18, 2013
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今年の春、瑞宝章を受けられた原先生がまだ助手だった頃、主任教授だった会田由先生が、セルバンテスのドン・キホーテの和訳を出された。(追い込みに入られたころは、会田先生の講義はほとんど休講で、原先生が代講をしてくださった)私も今でも持っているが、筑摩書房発行の二冊にわたる大作だ。で、その本ができあがった時に、会田先生は原先生に、その上下をくださって、扉に「俺を追い越せ!」と書いてくださったという話を、聞いた。場所は某「飲み屋」。 真面目なくせに照れ屋だった会田先生がお酒の勢いを借りて書いてくださった言葉だそうだ。そうか・・・ 「俺を追い越せ!」か・・・愛のあるいい言葉だ。それだけ、原先生が優秀だったということもあるけれども。そういう言葉を教え子である原先生に送られた会田先生も味があるし、かつての生徒の前でそれを披露して、感動のおすそ分けをしてくださった原先生も・・・ いいなあ。
November 17, 2013
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大学で同じ専攻だった人たちとの集まりに行ったら、社会人一年生だったころの、ケネディー大統領の暗殺、そして、「キャロラインちゃん」が、その葬儀の時に、いかにかわいらしい少女だったかという話になった。その「キャロラインちゃん」が「キャロライン・ケネディー氏」になって来日したのだから、「五十年というのは、なんという長い月日なのであろう。その間、自分は何を達成してきたか・・・」のような話題に落ち着くと、ま、自分も、他の人たちと比べたときに、いろいろな思いはあるのだけれども、第一に、いかに不勉強だったかというのがあって、恥ずかしい。今更、もう一度勉強をしても、社会に還元できないのが情けないが、それでも、こういう席にでて、みんなの話がわかる程度までにはならないと、会の雰囲気を壊すだけだと、つくづく思ってしまった。
November 17, 2013
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中学のクラス会に出席。この写真は、小田急線の梅ヶ丘駅北口から撮った写真だが、この道をまっすぐ行ったつきあたりにある中学だった。当時は、駅にはこの出口もなく、また、正面の道も、両側には畑が広がっている寂しい道だったのに、まあ、この変貌!もっとも、12歳~15歳だった少女が、72歳のオバアチャンになっているのだから、当方の変貌もすさまじい。会場は昨年と同じ「みどり寿司」。あちこちに支店があるけれども、どこも行列ができていて、普段は入る気になれないお店だが、今日ばかりは、気がひけながらも、行列を無視して中にはいって、勝手知ったる階段をのぼって・・・三階の会場に到着。以下、所感。☆ クラス会も、現役のころは、平日の夜か、日曜日だったのに、引退した人が多くなって何時の間にか平日の昼間の会になった。(平日の方が、予約も取りやすいし、足元もいいし、それぞれ住まいが離れてきたので、往復に時間がかかるので、深夜帰宅は避けたいし・・・というところか?)☆昨年までは、集合写真を撮っていたのだが、今年は誰も言い出さず、写真はなし。年とってからの集合写真を撮られたがらないのは、私だけではない。(なので、ごちそうの写真をとった。)☆ 年寄りの集まりでも、同じスペースと時間はとるのだから、会費はある程度高くなるのはやむを得ないが、食べ物はもう少し少なくしないともったいない。たくさん残って下げて行かれるお刺身類を見ると、「あ、もらって帰って、佃煮やら、てんぷらにしたい!」と思ってしまうが、そうもいかない。同じ代金でも、少し少ない料理にしたら、お店の利益もあがるし、無駄もなくなるしで、よいとおもうのだが・・・「料金をとるには、それにふさわしい料理が必要」というのは、わかるけれども、「もったいない」 このほかに、幾種類の魚料理が出たことか!☆ 会場が三階で、しかも階段が結構狭いのは、不親切のようで親切。この階段の昇降が苦にならないというのは、一つのスクリーンになって、あまり無理をして出席する人がいない。☆ 中学生のころ、話の上手だった人はやはり話が上手。話が下手だった人も、ほとんどの人が世間にもまれて話が上手になっているが、あまり上手になっていない私でも、雰囲気で盛り上げてもらうので、楽に話せる・・・から楽しい。(逆に、黙っているのが下手になった傾向あり。私自身も含めて)☆ 海外旅行中で欠席の人や、七五三の付き添いで欠席の人やらいて・・・でも、考えてみたら、私なんか、「海外旅行中で出席」だった。というような次第でアリマシタ。あと一つ・・・・お酒が飲めない私がいうのもナンですが、みなさん、お酒に弱くおなりでしたワ。解散の頃は、眠そうな人ばかり。
November 15, 2013
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東京で住んでいるマンションのエレベーター、いろいろ問題があったので、一か月をかけて取り換え工事が行われていた。おかげで、カナダから到着したときも、スーツケースを階段で持ち上げなくてはならなかったのだけれども、本日、無事、引き渡し期日を守っての開通。ピカピカのドアの前に立って、以前より文字の大きなボタンを押すと、シューッとやってきたエレベーターの扉が開いて・・・ なんと、真正面が全身の写る鏡になっている。一瞬ギョッとしたが、外出前に全身の鏡に身を写せということはよく言われるし、そこで気分がシャキッとするかもしれないから、これはきっとよいことなのだろう。 たとえば、セーターを裏返しに来たまま出かけたりする大恥は避けられるし。でも、これから、毎回、亡くなった母そっくりの自分に対面してから外出することになると思うと、少々萎縮しそう。
November 14, 2013
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日本に帰るとかならず食べたくなるものに、イナゴの佃煮がある。食糧の少ない時代に、静岡県の御殿場に住んでいた私は、姉と一緒に、よくイナゴを取りに行った。たくさんとってきて、料理をしてもらうのが楽しみだったりして、今でも、それが懐かしくて食べるのかもしれない。イナゴ自体に味があるというよりは、調味料の味の方がつよいようなところがあるのだが・・・しかし、これを喜ぶのは、私たちの世代までかもしれない。ちなみに、私がカナダで仲良くしてもらっているジャッキーさん(50代、白人女性。愛犬家)は、ある時、私は人種偏見はしない。KOREANが犬を食べるという理由で、KOREAN を嫌うこともないしJAPANESE がgrass hopperを食べるという理由で、JAPANESEを嫌うこともないと言った。そういうことをとりたてて言うこと自体が、人種偏見があることの証拠ではないかと思う一方、イナゴを食べるのは、犬を食べるのと同じくらい、彼女には変わったことに見えるのだと思うと、ちょっと複雑だった。
November 13, 2013
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食材などの卸売りをしているA-priceが、近所にある。たまたま、前を通りかかったら、「カナダ・フェア」というサインが出ていたので、ふらふらと中に入ってしまった。(普段でも、たまには入るのだけれども)入り口の近くに、ふだんバンクーバーではみたこともないような、ハニーや、飲み物や、マヨネーズや辛子や・・・ がたくさん。多分、東部からくるのだろう・・・とか思いつつ、ブルーベリーのはちみつを買うことにする。ミツバチがせっせと、ブルーベリーの花から採取した蜜のピンハネ・・・で、気は咎めるが、きっとブルーベリーの香りがして、おいしいのだろう、きっと。メープルシロップ和えになったポップコーンのサンプルを、一つたべて、おいしいと思ったけれども、家で買ったら、ついたくさん食べそうなので、棄権。カナダフェアとは関係ない、「寿司はね」の海苔とか、割りばしとか、紙ナプキンとか、いつも買うようなものをバスケットに入れてから、冷凍食品のところに行くと、そこにも、「カナダフェア」のサインが出ていて、ビーフとか、ポークとか、サーモンとか、まあ、カナダの誇るものが並んでいたなかに、生食用馬肉 の冷凍があった。(さすがに、その写真を撮ってくるのは、あやしげでできなかったけれども)生食というと、馬刺しのこと?カナダ人が、馬刺しを食べるとは、聞いたことがなくて、ちょっとびっくり。馬の肉自体は、コンビーフなどの成分を見ると、horse meat とはいっているので、食べるのだろうとは思っていたが・・・。帰宅して、わが知恵袋である主人に、「アルバータ産の生食用馬肉が、A-priceにあったよ。カナダの人は馬刺しを食べるのかしら」と、聞いてみたら、「カナダ人は生では食べないけれども、韓国に輸出するために、製品として出しているから、その流れで、日本にも輸出されたのだろう」と教えてくれた。その後、カナダの友人から、スカイプ電話がかかったので、「カナダ人は、Horse Sashimi を食べるの?」と尋ねたら、”NEVER” と言っていた。牛の生肉は食べるのだから、そんなにムキになって 否定しないでもよいのに。
November 12, 2013
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横浜に行った。従兄と従姉とその配偶者と・・・という組み合わせで、横浜ニューグランドホテルでランチ!親同士が「きょうだい」だと、話の途中のちょっとしたところで、共通点を感じることがあり、面白い。折しも、ひざしの暖かい日で、並木の銀杏が華やか。帰りに、フォーションによって、クロワッサンやデニッシュなどの詰め合わせと食パンを、「おねえさん」に買っていただいた。孫が生まれてみると、「いとこ」を見る目が少し違ってくる。祖母から見ると、「いとこ同士」にあたる孫たちは、「子供の子供」同士だし、本人の感覚とはかなり違うのではないだろうか。
November 11, 2013
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父方の従妹の長女の「まどか」さん。高校時代に、バンクーバーにあるランガラカレッジに留学していたこともあり、なんとなく気ごころがしれている感じ。この夏、父方の「いとこ会」があったときに久しぶりにであったら、40歳をすぎて、すてきな女性になっていた。男子高校の先生をしているのだそうだが「ご両親が大事にそだてたかわいい少年たちと仲良くして、〈いいとこどり〉をさせてもらっています」とにこやかだった。どこやらの厩舎にあずけてある馬があって、休日は夫婦で乗馬をして、茶道で心をみがき・・・と、なにやらブルジョアめいた挨拶もあって、ちょっとびっくりしたのだけれども、たまたま、私の母」が使っていたお茶道具が、母がいなくなってから使わないまましまってあるので、もらってもらおうと、今日、見に来てもらったら・・・なんと、手土産は千疋屋のいちご。さすがの美しさ!きっと高かっただろうなあ・・・。若いのに、そんなに気を使わなくても・・・と思ったが、折角なので、おいしくいただいた。道具に関する知識もなかなかのもので、目もたしかと見たので、この様子なら母も喜ぶだろうと私もひと安心。気に入ったお道具に「うちの子になるかい?」なんて、やさしく声をかけているのも、なんだかうれしかった。世田谷区の自宅に茶室もあるのだというのに感心して、お茶はこのくらいの余裕がある人が、しっとりと精進するものなのだろう。 さりげない気品というのは、こうでないと出てこないのかもしれない。
November 10, 2013
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私のなくなった母は、裏千家の茶道を教えていたので、いろいろなお道具を持っていた。母にしてみれば、娘である私がお茶をたしなんで、そのお道具を使えば、一番うれしかったのだろうが、私も外国暮らしになってしまってチャンスもつかめず、母もある時期からは、古道具屋さんに売ったり、相弟子にわけたりしていたのだが、それでも何かと残ったまま、母は逝き、私も高齢になってしまった。日本にいる娘も、あまり興味はなさそうだし、どうしようかと思っていたところ、従妹の長女のMちゃんが、お茶をたしなむと聞き、「お道具、もらってくれる?」とたずねたら、「うれしいです」という返事だったので、今日、ほしいものがあるかどうか、見に来てもらった。Mちゃん(というには、40歳すぎの奥様だけれども)は、高校生の頃、バンクーバーに短期留学していたことがあって、昔を知っているので、私としても、気がねがない。箱からだして並べておいた道具を前に話が弾んだが、彼女はお茶道具や、香の道具や、花瓶・花籠の名前も、用法もよく知っていて、前置きなしに話が進められるのが頼もしかった。「なんでも、使えるものはもってってね」といったら、お茶碗や菓子器などの一つずつにむかって、「うちの子になる?」とやさしい声で質問している。私も、よく「もの」にむかって話をして、人に笑われたり、面白がられたり、心配されたりするのだが、血縁者の中に同類がいたところをみると、DNAのなせるわざ??夜になってから、「縁あって、うちに来てくれるお道具たちが喜んでくれるように、精進します」というメールが来た。なかなか味のある言葉だ。
November 10, 2013
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隣のマンションの敷地内に、以前、日産の寮だったころから、ユリノキの大樹が三本ある。そのうちの一本の様子がおかしい。他の二本は、まだ緑の葉をつけているのに、黄色くなったというよりも、茶色になった葉が落ち始めている。今年の夏はことさら扱ったというから、枯れ始めたのかもしれない。母が大好きで、たくさん短歌に詠んでいた樹だったのに。近寄ってみると、三本とも、マンションの建物側の枝は、惜し気なく切り落としてあって、ほとんど外側の半分だけに枝の残った姿で立っている。あれだけの大きい木に、そんな剪定をするのは、たいへんだったとは思うが、それでも、半身切られてしまうなんて、木がかわいそう。もっとも、カナダでは、よくそういう伐り方をするのだけれども・・・・。日本人にも、カナダ的おおまかさ(i.e.無神経さ)が伝染してしまったのかな?
November 10, 2013
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いつまでもカナダ時間が日本時間に適応していかない主人と私は、今朝ももう6時には朝食を済ませて、主人は7時ころから「昼寝」。せまい家の中で、せっかく寝ているのに、がたがたしては悪いと思って、私は習字の稽古。・・・をしていたら・・・・ん? かなりの地震・・・目の前の筆架にかけた筆がかなりの幅で一斉にゆらゆらし始めた。あわててテレビを見たら、茨城が震源地だそうで・・・・東京23区も、震度3から4の揺れとテロップがでた。それにしても、筆架の揺れ方は、筆のラインダンスのようだった。 筆架は我が家の震度計???昔は、たいてい、電燈から紐がぶらさがっていて、「地震かな?」と思うと、反射的に紐を見あげたものだったけれども。
November 10, 2013
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「hapa とメスティソ」という見出しの文章にであった。移住関連の文書だったので、多分、メスティソというのは、スペイン語のmestizo(白人と中南米人の混血)のことだろうと思ったが、hapa は、私にはなじみのない言葉だった。同席していた方に、[ハワイの言葉で、ハワイ人と東洋人の混血のこと]だと伺い、帰宅してから辞書で見たがみあたらず、しかし、ネット検索すると、いろいろ解説がでてきた。一例だと、ha•pa (hä’pä) adj. 1. Slang. of mixed racial heritage with partial roots in Asian and/or Pacific Islander ancestry. n. 2. Slang. a person of such ancestry. {der./Hawaiian: hapa haole. (half white)}この解説によれば、ハワイなどの太平洋諸島と東洋のどこかにルーツがある人のこととあるから、私のうけた解説とはちょっと違うが、日本語になったときに、意味が変わってきた言葉なのかもしれないし、スラングとあるので、使われているうちに、意味が少しずつ変わって来ていることも考えられる、ま、幅広く考えて解釈しておきながら、自分では使わないでおいたら無事だろう。ずっと以前だが、ハワイに遊びに行ったときに、「ハオレ」というのは、本土から来た白人のことで、それも、その中で、あまり好かれていない人のことを、「あの人はハオレだから」みたいに使っているのに気付いたが、 hapa haole が文例にあることをみると、かならずしも、ほめ言葉ではなさそうだ。これも以前のことだが、コスモス関係の集まりに行ったときに、「お宅のお孫さんはあいのこなのね」と言われたことがあり、ちょっとびっくりしたことがある。エリザベス・サンダース・ホームの名前が記憶の底から浮かび上がってきたような、不思議な感覚で、「ま、そういえばそうね」と答えつつ、なんとなく、その後、その方と距離をあけるようになっている。ご本人は、ほんとうに何気なくおっしゃったのであろうし、うちの孫自身、「半分はパパさんの日本人だけれども、ママさんの方はルーツをたどると8ケ国の血が入っている」と大自慢。「マイ・ルーツは9ケ国だから」と、オリンピックなどのテレビ観戦には、9ケ国の国旗を持って応援しているくらいなので、結局、私だけがこだわっているようなものなのだが・・・。
November 9, 2013
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バンクーバー短歌会 会員作品 (*印は、現代仮名遣い表記)白き羽根翻しつつ鶺鴒は低く川面に触るるがに飛ぶ (奈津)濁流の氾濫したる桂川ごうごうと迫るは地球の悲鳴か(虹)淵深く淀めるごとくゐるわれの頭上に響く師の言葉あり(のぼる) アリゾナの冬の夜空に子らと見き冷たく光る白き銀河を(のりこ)川底の〈うなぎ仕掛け〉の手応へに祖父は一瞬笑みを浮かべき(ふみ)暮合の白く光れる運河沿ひ村の家並にあかりの灯る(みき)賞状をあげたいやうな秋晴れに川べりゆかん遠出のさんぽ(希)初瀬川の海石榴市(つばいち)ちかき田舎道「仏教伝来」の碑は立つ(粟)川辺へと下る細道寄り添ひてわれの手を取る子の手の太し(幾代)太古より空と溶けあう黄河なり 満州消えて父母兄弟(うから)も逝きぬ(柏原草太)アラスカの原野をくねり一筋の川流れゐて鱒を抱けり(唐)木立よりみそさざい鳴く声のせり甲武信ヶ岳への川沿いの道(*君子)滔々とフレーザー河はながれゆき丸太に止まる白鷺あえか(さだ)巨大なるアナコンダのごとくねりゆけりラプラタ河は大平原を(沙羅)河口に茂れる葦の間をぬひて鴨の親子が列なし進む(すみえ)長旅を終へし原木憩ひをり河口に近き大貯木場(節子)
November 9, 2013
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宮英子先生をかこんでの短歌会、「台の会」におしかけた。「会員」でもないのに、ふつうに出かけてしまう私の図々しさには、若いころの自分が見たら、さぞいやな顔をするだろうという気がするのだが、みなさんに許していただいているのがうれしい。この短歌会は、互選とかはしないので、どれが高点歌ということもなく、作者を伏せることもなく、詠草集は作者名入り。自分の番になると、自分で読み上げて、苦心したところ、気になるところなどは、自分で指摘してから、他の方々や先生の批評を仰ぐ。前身が、英子先生のカルチャー教室だったから、それを踏襲したようなやりかたである。今回は、先生が「もし、イジワルな人がいたら、『そうですか?それがどうかしましたか?』といわれちゃうわよ」と笑いながら発言された歌がいくつもあり、考えさせられた。(バンクーバーの短歌会でも、「これはstatementですね」と批評した人がいたっけ。)出詠歌の中で、私が一番好きだったのは、主なき浜田庄司の登り窯白く乾きて蜥蜴走れり(福島壺春)初句は、「主なき」がよいか、「遺されし」がよいかが話題になったが、「主なき」の方がなくなってしまったことが読者にひびいてくるから、このままでよいことになった。「白く乾きて」が長く使われないで、からからになっている様子をよく表現していて、また、結句の「蜥蜴走れり」がよいと、先生からの評。さらに、これは「蜥蜴の走る」という代案もでて、検討されたが、やはり、原作の「蜥蜴走れり」に落ち着いた。私が提出したのは、右上の最後の点を書き終へしごとく〈心〉がやつと定まる なかなか決心のつかないことを心の中に抱えていて、やっと決心したときに、ちょうど、〈心〉という字の最後の点を打ち終えたような気がした・・・という意味で詠んだ一首だったが、字の「心」か、実際の〈心〉かどちらかにするようにという評をうけた。「ごとく」があいまい という言葉をいただいたのは、そういう意味だろう。添削の結果は右上の点を最後に書き終へて〈心〉の文字がやつと定まるだったが、手書きにすると、右上になる最後の点が、活字になると、かならずしも右上でもないことにも気づいたし、書き順から言って、そこが最後になるのは当然だし・・・〈心〉という文字は、たしかに、最後の点があって定まるものではあるけれども、自分としては字が完成することよりも、何か一つ、決心できたことを詠みたかったので、まだまだこれから推敲をかさねることにする。歌会に出るたびに、「むずかしいものだ」という考えさせられ、それがまた、次の推敲への原動力になるのもうれしい。
November 8, 2013
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10時に家を出て、白山の大円寺で墓参をして・・・(大園寺 山門)(門に近い、ほうろく地蔵さま)(いつ行っても、きれいに掃除されている墓地。)九段下の玉川堂で半紙を買い、そこから、お堀端を通って、半蔵門まで歩き、仕事関係の方と、半蔵門のダイアモンドホテルで遅目のランチをして・・・・そのあとは電車で居眠りをしながらまっすぐ帰宅。たいしたことはないだろうと思ってたてた計画だったのに、実行してみると、なんだかひどく疲れた。疲れたまま、コスモスに出す詠草をまとめていたら、全部が自分の老いをなげく歌ばかりになってしまって、ちらりと目を走らせた主人に「そんなに年をとったと宣伝したいか!」と、いや~~~~な顔をされてしまった。ま、主人にそういわれると、たしかに、年をとるのも、疲れるのも当たり前なのだから、わざわざ雑誌に投稿して、宣伝するほどのこともないと思って、すべて没。やれ、やれ! 明るい歌は、深みがでないとよく言われるのだけれども、私は、プロの歌人にはなれないのだから、そんなに深くて味わいのある歌を目指すよりも、私が死んだあとで、私の歌が子供たちの目に触れたときに、子供たちが「おかあさんは、仕合せだったな」と思って、ほっとできるような歌を、残しておきたいと思っている。
November 7, 2013
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「コスモス」の創立メンバーのおひとり、田谷鋭氏が亡くなられたと聞いた。「コスモス」誌上でお作を見なくなってから、どのくらいたっただろうか?運動靴で、身軽に歩いていらしたのを思い出す。私は直接には、教えを受けたことはないが、大会で講演を聞いたり、京王百花園の探梅短歌会でお話を聞いたり、また、従姉が田谷教室に通っていたので、よく話をきかせてもらったりした。従姉の苗字は、「石割」というのだが、彼女は、その苗字にあまりよい感慨を持っていなかったのだが、田谷先生が「とてもよい苗字」とおっしゃって、石割桜の話などもしてくださったそうで、「自分の苗字が好きになったわ」と楽しそうに言っていたのも思い出す。その後、何かの会で、田谷先生にその話をしたら、「いえ、ほんとうに、希望のあるよい名前だからそういったまでで・・・」と笑っていらした。また、探梅短歌会で、吟行のこつを教えてくださったのも、はっきり覚えている。たとえば、今日は吟行会だという日は、起きたときから、すべて短歌のリズムでものを考えるといいですよ。電車で会場に来る間も、見るもの聞くもの、別に書く必要はありませんが、全部、57577で頭に浮かべる。短歌としてすぐれていなくても、かまいません。とにかく、片端から、定型に当てはめてごらんなさい。そうすれば、会場に入るまでには、すっかり短歌のリズムが身についているので、そこであたりを見回して、歌を詠めば、どんどん湧くように歌ができるはずです。その時は、吟行になれない私が、なにやら、ごく普通のつまらない歌を出してしまったのを、どう批評してくださるかと思ったら、「嫌味のない歌ですね」だった。なかなか社交的で、応用の聞く評言で、時々、使わせていただいている。合掌
November 7, 2013
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夕方、ブルガリアのコスモス会員のお仲間から電話がかかった。「あなたが、東京に行っているころだと思って」とのこと。行動を読まれてしまっているな! と思ったが、考えてみれば、まことに光栄。この方は、ご主人の介護をしていながら、ご自分も、背骨の圧迫骨折のリハビリ中だとは知っていたが、今はその上に、左足がしびれて歩けないことがあるとおっしゃる。さらに加えて加齢性黄斑性で、片目が思うようにならず、コスモスへの投稿も頑張ってはいるけれども、近くに日本語の代筆をしてくれる人もいないから、いつまで投稿できるかわからないし・・・と、私の語彙では、どうお慰めしたらよいのかわからない話だった。国際電話でよかったら、いつでも代筆をするからと言ったのだけれども、なんだか、そういうことを求められている様子でもない。結局、最終的には「お大事に。またおあいしましょう」みたいなことを言って、電話を切ったのだが、それでよかったのだろうか???実に不器用な受け答えしかできなかった自分が、なさけない。
November 6, 2013
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日暮れがだいぶ早くなっている。今日は、南南西くらいの空に、月と金星が並んでいるのが見えた。写真に写そうとするのは、無謀だと知りつつ、ま、記録として一枚。東京の空でも、まだ月も星もよく見えるのがうれしかったもので。それにしても、シャッタースピードが遅いので、細い月も、きらりとする金星も、ただの丸になってしまって・・・・ 写真としては、ちょっとなさけない。ただ、カナダの家にいると、南西の空はまったく見えないものだから、つい・・・「ま、いいか。」とUPした写真デアル。
November 5, 2013
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東京に来て、5日目。来た当初は、文芸祭の行事で夜の外出があったりしたので、時差克服ができたつもりだったが、またここ数日、8時には眠くてたまらなくなり、1時には、すっきり起床・・という日々が続いている。で、その今朝早く、今年の題詠BLOGに100首目までUPし終わり、完走報告も書いて、なんとか今年分も間に合って終了。今年で11年目なので、1100首もUPしたことになり・・・かといって、どうということもないのだが、今年は忙しくて、途中でGIVE UPしそうになっていただけに、ちょっとほっとした。しかし、その11年、ずっと主催しつづけた五十嵐きよみさんは、なんとえらいのだろうかと、つくづく思う。
November 5, 2013
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東京に住んでいる娘に、ひさしぶりに会う。持ってきてくれた、留守中に届いている書類などを拡げながら、今のように、バンクーバーにも東京にも軸足を置きかねているような生活は、成人した長男がバンクーバーに、長女がが東京に居てくれるからなんとか成立しているようなもので、もっとありがたがらねばいけないなあ・・・と、改めて思った。もうトシだから、こういう生活はいつまでもはつづけられないと思いつつ、しかし、若いときは若いときで、定職があったので、こういう生活はできなかったし、今は、人生の「ご褒美タイム」なのだろう、きっと。
November 4, 2013
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長く入院していらした人生の大先輩が、他界された。ご夫君が戦死されてから、美容師になられて、お二人のお子さんを立派に育てあげた方だ。昨年亡くなられたバンクーバー短歌会のSさんの母上も同じようなケースで、農業でお子さんたちを育てられた。短歌の大先輩の等々力亜紀子さんも、新婚四か月で出征された夫君が戦死されてから、会計士の資格をとられたのだが、「私たちの年代の女は、未亡人か社長夫人のどちらか」だと笑っていらしたっけ。私たちの世代では、「女も社会に出て働き、自立するべき」という規範意識があって、それが望みで、一生懸命働いたのだが、大正後半期にうまれたこの先輩たちは、そんな贅沢な動機ではなく、選択の余地なく父親・母親の二役をやってきた方たちだ。このトシになって振り返ると、若いころ突っ張っていた自分が先輩たちに引き比べて、恥ずかしい。カナダでは、故人の一生をたたえて送る会をCelebration Life というのだが、今日亡くなられた方の場合も、〈ご葬儀〉よりも、〈Celebration Life〉 の方が、ふさわしい立派な一生だったと思う。 合掌。
November 3, 2013
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コスモス短歌会の東京歌会に行った。以前は、私が卒業した中学のそばの下北沢で、今年の夏からは、私が卒業して高校のそばの新宿で開かれる東京歌会。何年かのちには、私が卒業した大学のそばの巣鴨か駒込あたりで開かれたりして・・・は、冗談。出席者も多く、みなさん熱心で、楽しかった。人気のあった歌は、だれももう注意などせず轢いて行くチョークで画いた道路の人型つきつめて母を想へば理の勝てる哀しき性(さが)はまたわれのもの犬蓼のはなが好きなり露草のはなが好きなりトシをとりたり月明く木立の影は濃く落ちて木立抜ければわが影に会ふなお、ふつう歌会では、全部の歌について得票を発表するが、ここでは、4首の歌の得点しか発表しない。(ただし、今回は、4首以上は少なかったので、3首まで発表)自分の歌に誰も票を入れていないと知るのはめげるから、バンクーバーでも、この方式にした方がよいのかもしれない。カナダに帰ったら、提案してみよう。
November 3, 2013
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ヘアカットに行ったら、「お久しぶりです」と迎えてもらった。ここには、毎年、二度くらいしか行かず、美容師さんも、私がそのほかの時は、別の美容院でカットしているのは知っているのだが、詮索しないところが、うれしい。バンクーバーの美容師さんは、ゴルフ仲間で友人なのだが、この人も私が日本で他の店に行くのを知っていても、それ以上の余分な詮索はしない。さらに気持ちがよいのは、どちらの美容師さんも、相手の仕事ぶりを尊重して、けして悪口を言わないところだ。わかいのに、「おとな」だ。
November 2, 2013
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書道の先生や仲間との会合。以前、先生が、一度だけだけれども私の「乱」という字を品格があるとほめてくださったことがあり、また、ある歌を書いたときに、「ところどころ、線が俗に落ちる」と指摘してくださったことがある。教育的お世辞の部分は多少さしひかなくてはいけないが、私だって、少なくとも一度は「品格がある」と言っていただける字をかけたのだから、頑張ればこれからも、品格のある字を書くのは、不可能ではないはずだ。だが悲しいかな、どうしたら、品格のある字になるのか、それがわからない。で、本日は、みんなで「品格」の話をした。やはり言葉に表現できることではないが、やっているうちに体得できることもあるかもしれない・・・というような、漠然とした答えしかないようだが・・・短歌にも、やはり、品格をそなえた短歌とか、俗に落ちる短歌とかがあるのだろう。鈴木英夫先生は、よく、野村清先生の短歌を、「品格がある」とおっしゃっていらしたのを思いだすが、私も、それには同意していた。よく考えると、自分の字とか、自分の短歌とかについては、私にはわからないけれども、他の人の作品であれば、多少は「感じ」としてわかっているような気もする。しばらく話をしたあと、「とにかく、筆と墨が好きという気持ちを持って書いていたら、いつか、品格のある字がかけるようになるんじゃないかな?」と、先生は笑っていらした。(「いつか」と言っても、もう、そんなに残年がないのが残念。・・・なんていうダジャレは、品格がないなっ。)
November 1, 2013
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