仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル
2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
2005
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
全1件 (1件中 1-1件目)
1
隣の岩手県では県営競馬の処理が問題となっている。我が仙台は公営ギャンブルとは縁のない都市という定評もあったが、実は昔は仙台にも市営競馬があったという。明治12年(1789年)に宮城産牛馬組合が結成され、馬種の改良や共進会を開いていた。馬は軍事や農耕上で重要な時代だ。一方、我が国の近代競馬は外国人によって横浜で始まったが、日本産馬の能力は低かったため、競馬を通じて馬の改良を図ろうと東京競馬会も発足。仙台でも、この中央の動きと関係していたのだろうが、仙台競馬会社が明治22年(1889年)に作った。青葉神社の手前の北田町というところ(現在の通町二丁目付近)に競馬場が誕生した。仙臺市測量全図(明治26年)にもちゃんと乗っている。通町は奥州街道に面した商店街だが、その裏はまだ田畑であり、農閑期を利用して競馬が行われていたのを、仙台競馬会社が土地を借りるなどして造成したのだろう。この場所は、昭和になると仙台軽便鉄道(通町-中新田)の始発駅となった。昭和には他に2つの競馬場が誕生して消えた。1つは、上愛子字上原。昭和4年から3年間。もう1つは、長町郡山字新々田に昭和6年に誕生。五城土地建物会社が造成。戦時中の中断を挟んで昭和26年まで開催されたという。「長町競馬」と呼ばれた市営競馬も昭和24年から開催。ここで賃貸料を払って開催した。場所は、4号バイパス千代大橋の南東の広瀬側堤防近く、現在は住宅地。市営競馬が開催されたのは、岡崎松栄市長の時代に、戦後の復興資金調達のためだそうだ。馬券売り場では女子高校生やパートの主婦が働いたという。昭和35年競馬は廃止。走路の一部がバイパス建設予定地となり、さらに地権者の一部が宅地にしたいと返還要求があった。時の島野武市長が公営ギャンブルを廃止した、と思っている人もいるが、仙台市は移転も考えたが主に財政面で断念したようだ。○ 石澤友隆「流行歌『ミス・仙台』郷土・仙台の近現代史散歩」河北新報社出版センター、2005年 を参考にしました。
2006.10.01
コメント(2)