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私は物心ついて以来長らく近鉄のファンでして、仙台にイーグルスできるとなれば、すなわち当然に楽天ファンな訳です。そんな訳で岩隈や山村はもちろんですが、これから安定した実績を出して行けるかどうかの段階で楽天に移籍した有銘選手、藤崎選手、朝井選手たちも応援しています。明日は藤崎の先発。鹿島コーチが選んで登用するのだから、期待しています。愛敬に次いで、楽天での初勝~利! 仙台市民の夢は、藤崎が先発に定着して某有名デパートの宣伝キャラになること、なのです。仙台に来て良かったと思ってもらいたいのよ。何とか5回持ってくれれば、あとは味方が打ってくるよ。そうでしょ。打線もタノンマスよ、お願いですよ。全力で集中したプレーをね。それから鉄平大丈夫かな。
2006.04.30
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宮城県民としては、県北に新たに生まれた大崎市長の初代市長に誰が選ばれるか注目せざるを得ない。元知事でゼネコン汚職の本間候補が結構浸透しているようだ。このような経歴の候補者がいることは特筆されるだろうが、問題は大同合併による新しい地域づくりをどう引っ張っていくか、だ。地域の利害を超克した政治力が期待される。更に理想を言えば、栗原、登米の新しい2市を射程に入れて、県北の力を結集できるといい。経歴どうのではない。とはいえ、どうしてもそこに目がいく。かつて本間知事を支えた古川の有力者も、現在は伊藤候補の側だ。表面的には、体制的には前県会議長の伊藤候補が整えている。本間候補は草の根、という奇妙に面白い構図だ。本間候補のHPを見ると改めて感じるが、文化論など思想性が核になっている。支持者も大物、やっぱり特異だ。伊藤候補のサイトは、具体論やビジョンのとりまとめというより「志」を全面に出すという、青年団出身の地域政治家らしい。HPはどうでも良い。大崎の有権者は生の声を聞いているだろう。争点は、市立病院の位置とか。個人的には財政面などでどう合併効果を活かせるのか、もっと具体論があっても良いように思う。大物同士だけに、施策面で噛み合った論戦ではないようにも見える。いずれにしても新市長には、旧町単位の力学を乗り越えられるリーダーシップを発揮して欲しい。明日、いや今日だが、結果を見守っている。
2006.04.30
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理論的には可能だが成功した試しがないのがコレ。子供の頃ヒマな時によく庭でやった記憶がある。あのころは、ロープを結わえた短い薪を立てて、そこにカゴを掛けておいた。陽気の土曜日午前に、何故か思い出して子供たちをけしかけたら、案の定嬉々として乗ってきた。捕まえてどうするの? そういう問題じゃないのだ。単に仕掛けを作って待つのが楽しいのだが、そうも言えない。こうやってね、じっと待っているとスズメが来るんだよ、そしたら息を潜めて、サッとこうヒモを引く... と説明すると下の子もワクワクしている。食器洗い用の古い赤いボールと、薪の替わりにペットボトル。ちょっと気分が出ないが、まあいい。パンくずなどを撒いて。私の楽しみが出る幕はなく、全面的に子供たちの遊びになってしまった。祖母が来て、捕まるはずがないという顔で見ていた。そばに人間がいては来るはずもない。手持ち無沙汰になってしまった私はカメラでその風景を写す。
2006.04.30
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きのう(28日)から使用開始。東五番丁通りと名掛丁の交差点のところを撮影しました。実際に見てみると、高さが低い(85センチ)ためか、意外と歩行者の通行には気にならない感じです。昨年の4月と12月の事故を受けての対処。時速50キロの進入車まで止められるとか。■仙台百景画像散歩 以前の記事です。 ○仙台百景画像散歩(その4 オロナミンC)(06年4月4日) ○仙台百景画像散歩(その3 東仙台案内踏切)(06年3月22日) ○仙台百景画像散歩(その2 はんだや)(06年3月18日) ○仙台ミステリー?風景(06年3月4日)
2006.04.29
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不勉強で知らなかったのだが、「日本三大名桜」というのがあるそうだ。昨日本を読んでいて知った。三春の滝桜(福島)、山高の神代桜(山梨)、根尾谷の淡墨桜(岐阜)。編集長は、三春以外の2者は実は知らないが、由緒があるのだろう。三春や、福島県内の桜のことで、ちょっと書きたいと思っているのだが、時間がないのです。後ほど。写真は家の庭のツツジです。名称は正式には何というのでしょう。1本だけあるのですが、毎日花の開く数が増えています。
2006.04.28
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仙台市が新設した「子供未来局」の表記を巡り、一部で議論が起きているのだそうだ。 ■毎日新聞のコラム確かに名称は大事だ。しかし、大事なのは中身だ。皆わかっているのだろうけれど、名称や漢字にこだわる意見があると、そのような本末転倒の論議にコストを費やさざるを得ない。無用。もったいない。このコラムに同意する。
2006.04.27
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43年前の遊覧飛行が今によみがえり、子供たちが空の旅を楽しんだ。■毎日新聞記事(4月22日) 全日空の故麻田正機長を記念、生徒26人が遊覧飛行経緯がある。1958年、仙台空港近くの学校(現在の県立西多賀養護学校)に伝書鳩が迷い込み、学校が東京の飼主に届けるよう全日空に依頼。麻田正機長操縦の飛行機で無事に送り届けられた。これを契機に子供たちの交流が始まり、麻田機長が遊覧飛行を約束。機長が会社を説得して1963年4月、自ら操縦する飛行機に生徒50人を乗せ、東北の遊覧飛行が実現した。今回、学校側が創立50周年記念誌編集の過程で、43年前の新聞記事を見つけ、全日空に問い合わせたところ、麻田機長は遊覧飛行の4年後、病気のため46歳の若さで亡くなっており全日空の社史にも残っていない。そこで全日空の社員が機長の御遺族に聞くなどして当時の様子が判明し社内HPで紹介。麻田機長の遊覧飛行を再現しようと社員のボランティアグループが作られ、会社も全面的に協力することにした、というのだ。麻田機長記念メモリアルフライトは4月21日行われ、同校の生徒26人を乗せたジェット機が東北上空を飛んだ。離陸前、緊張した表情を浮かべていた生徒たちは約1時間の空の旅を終え、笑顔で仙台空港に帰ってきた。子供たちの声。「家族と友達に見せたい。車がすごく小さかった」。「海と雲と山が見えた。また乗りたい」。「雲と雪山がきれいだった。写真を宝物にしたい。」同乗した麻田機長の奥さん(82)は「今日だけは天気になってほしいと仏壇にお願いしてきた。無事飛んでよかった」と笑顔で語った。毎日の記事では、宮城交通が廃止予定となっていた車椅子用リフト付きバスを提供。仙台空港ビルも全面協力したという。何でもそうだが、できないと言うのは簡単。そこまで言わないとしても、日頃の仕事や役割に没頭していると、余計なことはしたがらないものだ。そんなルーティンを突き動かすのは、いつの時代も「こころ」だと思う。麻田機長の43年前の行動という事実が、今の時代の関係者を動かした。このような関係者がいることを、誇りに思う。
2006.04.26
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今朝の河北新報トップ記事は、楽天に東北10銀行が23億5千万のシンジケートローン。よく見ると、地元七十七銀が幹事行で10億円はわかるが、次いで2億5千万円を融資するのが、仙台、荘内、岩手の3行。他は1億円だという。返済期間は8年6ヶ月。詳細はわからないが、2軍本拠地(泉デンスタとの関係もあるけど)の山形の資本が、山形銀の1億円より荘内銀が高いことが注目される。貸出実績では2倍ほどの開きがあると思ったが。ある意味逆転である。荘内銀は、もともと(第一)地銀で庄内地方には根付いているが、最近は山形市方面を飛び越えて仙台市場をねらっているのかも知れない。個人向け融資の窓口開設などに意欲的のようだ。地方金融機関の実情、山形県の齋藤知事にでも解説していただきたい。さて画像は昨日の県民の森。宮城県のです、もちろん。桜の季節ですが月曜日とあって人出はまばら。子どもたちの大好きなアスレチックは、一部新しくなっています。ああ疲れた。
2006.04.25
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という程でもないが、すこし不思議なことが最近ある。まずは、土曜深夜の地震。福島で震度4だったとか。私は自分のベッドで寝ていたがなぜか上の娘がもぐりこんで来ていた。あの時、揺れる前に、地鳴りのような物を感じて目が覚め、そして南側の窓の外に、何か閃光を見た気がする。その1秒か2秒後に揺れたのだった。阪神の震災の前にも空に異様な光や雲が出ていた、ともいうし。何か関係あるのだろうか。次いで、下の子のオネショ。昨夜(日付は今日)は夜の3時前に漏らしてしまい、お着替えして、安心してまた一緒に寝てしまったら、明け方6時に、第2号。どうも不調です。雨と関係があるのかも知れないが、それより相関が強いのが、楽天の勝敗。朝井の粘りのピッチングのときは、こちらも快調だった。リン様のリズムの悪い投球が、こちらにも影響か。楽天が連勝してくれるようになれば。これが第2のミステリー。第3は、上の子の音感。昨夜TVでまるちゃんがタマちゃんのピアノを弾く場面。画面ではCの音を叩いているのに、ミ(E)の音が出ているよ、と娘が言う。そう言えば、昨日の朝、私が何気なく、「ラの音出してみて」と娘に言って、部屋に置いている音叉で試していたら、合っていた。私が高校の頃は、このA=440の音叉を800円で買って毎日持ち歩いていた。また自分の声域の最低音(だいたいD)を基準に音階を組み立てたり、いろいろやったけど、絶対音感には身に付かない。子どもの感性は無限大、なのだろうか。さて画像は日曜日に行った近所の公園。桜が美しい。
2006.04.24
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県民会館でのコンサート。上の子と父娘2人で行ってきました。きらめくようなハネケンのピアノは、本当に素晴らしい。でも、もっと凄かったのは、あのトーク。軽妙、というよりダジャレ連発。ちさ子さんは音楽会の綾小路きみまろと評していたが、よく見ると会場は8割がご婦人方。まあそれも良い。事前に判っていたら来なかったかも知れないけれど、音楽の楽しみ方が色々あっていい。私も幅が広がった。メニューもよく考えられていて、一般の方(おまえは何だ、と言われそうですが)に広くいろんな音楽を楽しめるようになっている。ゲストの高嶋さんのバイオリンも楽しかった。安宅薫さん(pf)(やすみかおるさん)との3曲は美しく楽しい。その後ハネケンと2曲。ピアノが出過ぎのように思ったが(仕方ないだろう)、ハネケンは歌わせ方が上手だ、と高嶋さんは言っていた。チャルダッシュが印象に残った。アンコールには、やはり2人で「誰も寝てはならぬ」を演奏する心憎さ。このように、楽しいひととき。2時間以上にわたったが、娘も熱心に聴いていたようだった。ハネケンの本領を余すところなく発揮したと思われる、最後の映画音楽メドレーは、圧巻だった。娘も、すごいと感じたそうだ。実は楽天が勝利、朝井が粘りのピッチングで今季初勝利を挙げたのを確認した直後に出発、一番町でハンバーガーを食べていたら、あれもう5時半だ、2人であやしい外国人の「歩き飲み」マネをしながら(妻がいると絶対できない)、急いで県民会館へ。帰宅は9時半頃になったが、子どもの心に、何かが残ればいい。
2006.04.23
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小学生の子ども2人が学校からもらってきたパンフレット。色違いなのは、低学年用と高学年用です。知らない人について「いか」ない。車に「の」らない。「お」お声を出す。「す」ぐ逃げる。「し」らせる... というので、「いかのおすし」です。最初は、何でイカなの、と思ったりしましたが、今は私もすっかり気に入りました。これは宮城県だけのものでしょうか。県教委の先生か警察の人が考えたゴロあわせか。私は、家でも子どもに、イカノオスシだよね~、などと言っています。ことばの力って、意外とある。私の住んでいる学区でも不審者情報が出回る。このような取り組みを真剣にしなければならない社会なのだ。
2006.04.22
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陸軍兵としてサハリンに滞在した後に行方不明となっていた上野さんが、63年ぶりに岩手県に戻るとの記事がここ数日出ていた。サハリン(樺太)で終戦を迎え、当地で製材業に従事。結婚もされ、やがて奥さんの実家のあるウクライナに移住、現在は同国籍を持ち3人の子供さんがいるという。サハリンで消息が分からなくなり、日本では戦時死亡宣告の手続が完了していた。息子の消息を知りたがっていたはずの岩手のご両親は既に他界された。上野さんは83歳。20日は息子さんと一緒に岩手県庁を訪れ、その後、生家のある旧大野村を訪ねたという。20日午後に帰郷された状況を知りたくて、今朝各紙のネット版を探した。読売に出ていた。インタビューも載っている。 ■読売記事長い年月。何故今の帰国ですか、との問いに、話したくはない、運命だ、とお答えになっている。私などには、ご本人の思いを察するべくもない。ただただ、今ご本人が確かに故郷にいるということを、そのことを受け止めるだけだ。お帰りなさい。
2006.04.21
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福島県教委が18日にアンケート調査結果を発表したという。 ■ 毎日新聞記事(4月19日) ■ 河北新報記事(同)朝食抜きの子、ゲーム機で遊ぶ時間の長い子は、学力も劣るのだそうだ。なるべく朝食は欠かさないようにしたい。納豆ご飯とみそ汁だけでもいいから。そのためには、単純なことだが、早起きだ。我が家は6時に起きるのが基本だ。私はもうちょっと早いが。最近は下の娘(1年生)が、就寝が早いだけに、5時過ぎに目覚めることもある。早起きのためには、やはり早く寝ることだ。子供の体は正直で、早く寝せれば朝も早い。我が家は9時前に就寝としている。上の子(4年生)は、小さい頃から就寝のテンポがゆっくりで、最近でも30分くらいはウツラウツラするようだ。朝も苦手。親が揺すり起こさないと、ギリギリまで寝ているタイプだ。無理してでも朝食のテーブル脇まで連行してくる。10分くらいすると、ノッソリ立ち上がって、トイレに行った後、食べ始める。両方一緒に寝て、同時に起きてくれればと思うこともあるが、生身の人間だから仕方ない。育て方に大して違いがないのに、どうしてこうも違うのか。理想を言えば、朝5時半から30分間家族で散歩でもすればいいのだろう。やったことはないが。私は庭の雑草取りをすることはある。ゲーム機は、DSもパソコンも1日30分以内。ただ、テレビをダラダラ見る傾向がある。もちろんTVが全て悪いのじゃないが、時間つぶしに惰性で見るのだけは止めたい。機械に人間が使われているようで。この辺は、大人の生活態度が手本となるのだと思う。子供にとっても、一方的情報を受容するより、自分のペースで手足や頭を使う方が楽しい。記事でちょっと気になることを言わせてもらえば、河北新報が書いているように(県教委がそう言ったのか)、「朝食→低学力」とか、「ゲーム→低学力」との因果関係が明らか、とまでは言えないように思う。向学意識(動機付け)の薄さや生活の乱れが、一方で朝食の不規則という現象となって現れ、他方で試験結果も悪くなっている、という方が実態に近いと思う。この辺は、統計学の教科書に出そうな話だ。いずれにせよ、大人のしつけが学力に影響するとの点は、その通りだ。学力というより、人間形成そのもの、というべきだろう。成績が良いに越したことはないが、生活の基本は理屈でなく体に覚えさせること、なのだろう。親として将来の成果に自信はないが、もう少しの間、口うるさくしていきたい。
2006.04.20
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仙台市で最近話題に。伝統を重んじる梅原市長が提唱し、河北新報が冷静な論調で報じるパターン。最近(4月17日)の記事もそうだ。当の仙台市役所が住所が3通りになる不合理さを指摘して、単純な藩政時代の町割りに戻す発想を、必要性がないと批判する。私は、個人の感想としては、町名に復活する必要はないと思う。コストがかかるという批判、煩雑になるという批判、これらもそれぞれその通りだが、私としては、もっと単純に、必要はないという考えだ。つまり、「表小路」や「勾当台通り」の名を懐かしいとか、ああ良いなあと顕彰する気持ちは市民として良いことだと思うけれど、別にそれを行政区画や住居表示としての町名に結びつける必然性はないからだ。公園の名前や、店の名前や、いろんなところに残っていれば、それでいい。仙台開府400年記念の「歴史的町名等活用推進事業」というのがある(平成12年度から14年度。なお過去の日記「上杉山通小学校と上杉山中学校について」(05年9月17日)をよろしければ参照下さい)。これも、町名として復活できないことは当然の前提だったろう。 どうすべきかという観点で言えば、われわれ市民の総意として、どれだけ執着するか。農林中金のビルの保存問題があったが、そもそも仙台市民の総意だろうか。「仙台市は伝統的建物を尊重しない」とかいう知ったかぶりの批判を言う人がいるが、現代の市民生活を快適なものにしてきた着実な歩みを忘れてはいけない。じゃあ、明治の生活に戻るのですか。もっと言えば、400年前という時点になぜ執着するのか。敢えて言う。その「特定」の時点になぜ執着するの。確かに政宗の城下割りは特筆すべき歴史の一大事業で仙台の生みの親。だけど、宮城野にも生出にも人は昔から住んでいた。そして、維新、戦後と、一生懸命生きてきたでしょう。その過程で古い物を壊し、壊され、新しい物を創ってきた。敦煌じゃないが、都市はそういうものでしょう。政治的に言えば、どうだろう。選挙の争点だったとも言えないと思うし、関係団体の声もあったのか。あまり記憶がない。申し訳ないが、論じる深みのさほどない問題だ。自己主張をする場面として固執したい、という程度なのだろうか。それなら、別の実利あるところで、大いに奮闘してほしいのだけれど。そう言えば今日(もう昨日)の昼のNHKニュースも、梅原市長の海外出張はもう何回目、前の藤井さんと比較してどうか... などと言われている。報道も品がないが、そんなことで貴重な放送枠が割かれてしまう市政は、市民として残念。
2006.04.19
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新一年生の子は、先ほど2時頃に、オシッコ漏らしちゃった、と起きてきた。最近連続している。小学校生活も2週間目。表面的には新入生で学校も楽しいようだが、内面的には結構いろいろあるのかも知れない。昨夜も7時過ぎに家に帰ると、この子はもう寝ている。9時前に一旦おこしてトイレに行かせたが、眠気が抜けずにオシッコが残っちゃったのか。寝付きが良く、朝もすぱっと起きるタイプの子だが、それにしても夜に眠くなるのが早まっているようだ。やっぱり、学校生活で、案外と緊張しているのだろう。上の子(4年生)は、TVでちびまる子ちゃんの実写版を見ていた。私も少し付き合ったが、小学生の心理が出ていて面白いなと思った。アニメ版と違って、心もようが出るようだ。9時前に下の子を一旦トイレに行かせた後に、今度は上の子を寝かし付ける。こっちは、小さい頃から寝入るまで時間がかかるタイプ。もう突き放してもいいとは思うのだが、たまにこのように話をしながら寝るまで一緒に横になっている。すると、こっちが先に寝てしまう。そんなこんなで、親の生活リズムも変調気味。もう3時ですね。体内時計も歪んできた。今から寝るか、起きているか、判断に迷うところ。人生岐路に迷わばすべからく難をとれ、というので、起きていようか。全然関係ないが、昨夜の8時頃だったか、外で花火の音がした。フルスタ宮城の楽天戦の花火だったようだ。頑張れ楽天、頑張れ子どもたち。
2006.04.19
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きのう仙台駅で「アジアと韓国フェアー」という物産展をやっていた。タイトルに論理的な不思議さを覚えたが、それはともかく、中国のビールを買ってみた。写真がそれです。まだ飲んでいません。
2006.04.18
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最近庭をぼーっと眺めています。昨日の午前中に来たスズメ君です。ところで、何かの縁で我が庭に来た鳥たちを、公開アルバムにしてみました。まだ4種類くらいしかないのですが。(子どものシャレで、「鳥のオリンピック」です。おもしろい?)そのうち1つは、去年の写真ですが、まだ鳥の名前を調べていないという不勉強さ。
2006.04.17
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我が家のあたりは、雨。結構本格的に降っている。昨日はあんなに天気が良く、暖かかったのに。写真は昨日の午前中のものです。ちょっとサイズが大きくて、見にくいかも知れません。(記事を書くのを面倒くさがって、写真でスペースを稼いでオリマス... 宮城の言葉で、カバネヤミ、ですね。)庭の雑草を抜いていたら、背中にあたるお日様がポカポカ。気持ちよい春だった。立ち上がったら腰が痛かった。今日は友人の父が亡くなった告別式に、仙台の中心部へ出かける予定です。雨は気になるが仕方がない。晴れる日もあれば、雨の日もある。
2006.04.16
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私の大学(学部)時代の教授だった方が亡くなった。河北新報の訃報の記事で2、3日前に見た。今月3日に逝去されたという。81歳。 先生は西洋政治史講座を担当されていた。3年生の時に聴講したと思うが、多数の学生は同じコマの別の法律系科目を受講しており、先生の講義に入る学生は少数派だった。マイクも使わず朗々と話す。時折メガネをはずして一際強い声で話すのは、ポイントとなる箇所だ。終わり時間に近づくにつれトーンは上がってくる。 戦間期のヨーロッパ、特に英国を中心として解説されたと思う。中身はすっかり忘れた。確か、ネビル・チェンバレンがヒースロー空港に降り立った時に、傘をどうしたとかいうエピソードを取り上げた記憶が、かすかに残る。何が歴史の転換点だったのか、また、歴史をどう見るべきか、を考えさせる講義だったように思う。 当時の私は、政治学と歴史とジャーナリズムの違いもよく弁えず、それでも政治系科目は好きだったので、漫然と場当たり的にレポート書いたりしていた。そんな私だったから、西洋政治史の講義も歴史を知る感覚で聞いていたのだろう。(後に大学院で政治過程論や行政学のモデルを勉強して、政治学のサイエンスたるゆえんがやっと分かった気になった。単純に嬉しくて、政治学って歴史と違うのがわかりました、なんて某教授に言ったら「君、歴史学だってサイエンスだよ」と一喝されたこともある。) でも、亡くなった先生の講義を選んだのは、別の事情もあった。先生とは、講義以外にもお世話になったからだ。学外のサークル組織の関係で、先生と接することがあった。学生にとっては豪華な食事に誘っていただいたり、セミナーハウスで夜遅くまで他の学校の学生たちと話し合ったこともある。普段は夜8時には就寝するという先生が、「久しぶりに楽しく夜更かししたよ」と言ってくれた。 階段教室の講義の後、決して多くない学生の中に私をみつけてくれて、最近はどうだ、とか声をかけていただいた。 その西洋政治史の私の答案は79点だった。後でサークル関係の人から聞いた話だが、先生が一通り採点をした後に何故か私の答案が気になって読み返し、一度つけた80点を考え直したのだという。当時は80点以上を「優」とか「A」と呼んで、その個数が学業の出来不出来の1つのバロメーターだった。私にとって数少ない貴重な「優」が1個減ったわけで、先生なんで読み返すんですか...と思ったものだ。 大学4年の秋、先生にエレベーター前でばったり会って、進路を問われた。政府系の国際協力関係のJに就職しますと話したら、「そうか。君は英語も得意だし。」と先生が言ったのを、よく覚えている。私は決して外国語が得意ではないが、学外の活動を覚えていてくれて、私の選択と進路を祝福してくれたのだ。これがお会いした最後だったのではないか。 その実、私は進路についてクヨクヨ悩んでいて、いやむしろよく考えていなかったのか、結局Jには、外交官試験を受けるからと真っ赤なウソをついて内定を辞退した。 私が卒業した何年か後に退官され、青山に移ったのは知っていた。我が国の国際関係研究の一大拠点で、またクリスチャンでもある先生の、学究生活や学生との対話は、充実したものだったろうと勝手に推察する。 また、最近の書評で見て知ったのだが(→たしか、この本です。)、先生は巡洋艦に乗り組み海戦に参加し、撃沈救助された経験をお持ちの海軍軍人だった。推察するに、若かりし時代の体験も踏まえて、戦争と社会を学問の立場から明らかにしていこうと、お考えになったのではないか。そして、日本の若い世代に歴史を見る正しい眼を伝えようと考えたのではないだろうか。 毅然とした雰囲気の中にも、学生のことを温かく見てくれた、すばらしい先生だった。もっと、外交史のこと、戦争のこと、そして日本の社会をどう見るか、我々はどうすべきなのか、聞きたかった。 恵まれた環境にあるその時に、凡人はその有り難さに気づかないものだ。 池田清先生、ありがとうございました。
2006.04.15
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と表現するべきか、何と言うべきか。モノを考えるときに、集中できず、眼で見ている対象物もまったく違う物にずれてしまったりする。思考が機能しない。ここ数日そういう状態。夜中の1時半という、最近ではあり得ない時間に冷や汗で目が覚めて、風呂に入ったりした。おかしい。1つの原因はあるのだが、いわゆる「悩み」に属することだ。ただ、それは自分のことではなく、根本的には考えてもどうしようもないことなので、それだけで、これほど頭が回らない理由になるはずはない。若い頃はもっと「悩み」が多かったけれど(小さいことを悩んだもの)、それでも割り切りができて、理論的思考は回転できたように思う。精神的に安定したラクチン生活をしてきていると、情の部分がガバッと広がってしまって、冷静な論理が害されているのか。ちょっとした情のふらつきで、脳全体がダメになるのか。川島先生に聞いてみるか。今日の朝も暖かい朝。宮城県内でも、あちこちで桜も咲き始めたそうだ。楽天も初の連勝! 外に出たら、ウグイスの声がした。家では、子どもがホーホケキョと言っている。口笛ができないから。
2006.04.14
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仙台は雨上がりの朝。昨夜もそうですが、あまり気温が下がらないためか、雨も冷たさよりむしろ温かさを感じるくらいです。外に出たら、ヒバリがピーチクとさえずりをしていた。良い季節です。niftyのお花見情報では、県内の桜はつぼみ。白石の益岡公園だけが咲き始め。例年より少し遅めでしょうか。私自身は、いろいろあって頭が重いのですが、今日も頑張りますか。もう子どもたちも起きています。新1年生、小学校は楽しそうです。写真は昨日の朝の登校シーン。4年生になった姉といっしょに初出勤、じゃなく初登校、でした。
2006.04.13
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山村を変えたのが裏目に出ないかハラハラでしたが、河本も福盛もキッチリ仕事。これで「形」ができた。山村も白星という結果で自信をもって次もやってくれるでしょう。明日は一場vsダルビッシュ。去年は悪童対決(とダルビッシュが言ったとか)はダルビッシュに軍配でした。今年は、両者ともここまで好調。生きの良い投手戦が期待できそう。有君にも頑張って欲しいが、もちろん楽天に連勝を期待!
2006.04.12
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県政だより(県の広報誌)は何億円もかけて全世帯に配布されているが、不要だろうと主張したことがある。市町村の広報誌は必要と思うが、県がどうしても全世帯に直接伝えたい情報は、それに載せてもらえばいい。PRなら各種媒体でやっているし、そもそもこのような広報誌とした体裁でゆっくり作製する前に、各担当課で迅速にやるだろう。広報誌の存在意義が「読み物」になるようなら、不要だ、という考えだ。ところで、4月号の「みやぎ古道点景総集編」(10-11ページ)は、良かった。こんな特集やっていたのか。いい企画じゃないか。そう言えば松島高校脇の旧石巻街道の記事は読んだ記憶があるが。(実は、「みやぎ県政だより」ほとんど読んだことがないのです。)きれいな写真で見せられると、やっぱり、いい。最近関心を持っている「最上街道」(中羽前街道、加美町)が第6回にあったというので、早速HPでみた。田代越えのルートが紹介されている。監修は高倉淳先生のようで。全21回、写真の専門家が撮ったろうから、いずれも美しい写真がついているはず。あとでゆっくり巡回してみます。もっとも県政だよりについての考えは変わらないが。
2006.04.12
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山形県の齋藤知事のブログ日記を時々読んでいます。子育て日記というタイトルどおり、家族のことが多いようだが、たまに、さすがだと思うこともある。金融マンご出身らしく、経済の目で地域づくりを語る場合だ。4月7日(金)には、「年金と資金循環」との題の日記。内容は次の通り(当ジャーナル要約)。------------ 資金の首都圏偏在が今後顕著になってくると地方金融機関の資金繰りに大きな影響が出るという。 従来から、産業集積の度合いが生産労働の対価たる所得等により資金循環の大きな要素となるが、高齢化社会の進展で、これに加えて高齢者数の多さ(比率ではない)に比例して年金等の振込み・滞留が発生する。そしてその資金は現金化される傾向があり、主として、(1)消費、(2)タンス預金、(3)送金、に回り、投資には回らない。 特に、送金は、高齢者が子供や孫などへの仕送りの色彩が強い。とすると、高齢者の絶対数が多い首都圏、また仕送り先たる働き手や学生の多い首都圏に、これまで以上に集中・還流が見られるようになる。 これを金融サイドからみると、従来は投資需要を主要因に、恒常的に都銀は資金不足、地銀は資金余剰、の構図にあった。しかし今後は、(1)政府民間とも投資の最少化・効率化により、これまで以上に投資が抑制的になること、(2)年金受給者は首都圏が圧倒的に多く、また地方で受給された年金も首都圏に還流する傾向が強いこと、等の事情から、従来と正反対の、都銀等が資金余剰、地銀等が資金不足という事態に直面することも現実味を帯びてくることとなろう。 そうなると地方公共団体の資金繰りにも大きな影響を及ぼすこととなる。そもそも指定金融機関の意義付けを再考しなければならないであろうし、指定金融機関としての地銀等の役割も今一度考える必要が生じよう。果たしてどうか。------------なるほど。明快だ。 ところで、冒頭の「産業集積と所得水準の関係」だが、学生時代から関心を持っていながら、踏み込めないでいる分野だ。 特にわが宮城県は、人口規模、経済規模などでは一般に全国10位台なのに、所得水準(1人あたり)では全国30位台である。(ちなみに、県民所得、進学率、投票率の3つが顕著に低い。これが当ジャーナルの指摘する宮城の3大特徴だ。→過去の日記「今回の総選挙、宮城県の投票率の低さを考える」(05年9月13日)など 産業集積や域内自給、付加価値の滞留などを、モノの側面、人(労働力、知力)の側面、カネ(金融・資本市場)の側面から理解でき論ずることができれば、すばらしいだろうな、と個人的な願望でもある。特に最近は所得格差が色んな意味でクローズアップされている。そういえば村井知事も、所得の増加を、富県戦略の具体的目標値とするようだ。 山形は、イメージとしては製造業の集積や商品作物の付加価値の高さがありそうだが、腰を入れて研究したいところだ。 ということで、日記のタイトルの「を考える」までは行きませんでした。
2006.04.11
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宮城県民の常識クイズ。次の各紙の違いは何ぞや? (1)河北ウイークリー (2)アルファ (3)ウイークリー・オーレ商都仙台とあって、もともと折り込み広告が多く、新聞付き広告と呼ばれる?河北新報ですが、いろいろあって混乱します。実は私もよく答えられないので、以下に整理します(当ジャーナル編集部整理。間違いや不適正あれば後でコメント付けます)。(1)河北ウイークリー 旅行・レジャー、グルメ、ショッピング、美容、ペットなどの生活の話題を、独自記事と広告で構成して提供する仙台圏のタウン情報的なメディア。河北新報は朝刊50万部読者160万人(同社HPによる)だが、このうち仙台圏の読者26万部には折り込みで配布。ほかに、駅・ホテルなどにスタンド設置で約5万部。合計31万部、50万世帯に配布という。細かいことだが、「イ」は小文字ではないようだ。 週刊で、木曜日発行。仙台圏を3地域に分割(地図)した三版制。毎週金曜日原稿締め切り。 ややこしいのは、毎月第2第4土曜日に、「土曜版」もあること。 他のご家庭でもそうでしょうが、編集長宅でも、床屋さんや食べ物屋さんの割引券を切り取って活用しています。(2)アルファ 女性にターゲットを絞った月刊誌。月初めの5日頃に朝刊30万部に折り込まれ、また、仙台都市圏の職域や店舗で2万部配布。(3)ウイークリー・オーレ(週刊オーレ) 毎週金曜日発行。TV欄を設けて保存性を高めて広告効果を挙げている。ヤングやミセス層が主たる対象か。 発行は河北新報社広告局とされているが、企画制作は第一エージェンシーで、広告の受付の同社のようだ。第一エージェンシーは有名な仙台の広告代理店で、本町の新電力ビル近くに茶色っぽいビルがありますね。オーレの企画編集が、同社の広告主の維持拡大の1つの柱になっているように思われる。 宮城県内48万部というので(同社HPから)、全県域に配布しているのだろうか。 それから、たまに見かける「マイタウン河北」が、よくわからない。河北新報社のHPの広告料金表を見たが、マイタウンは特に表示していないようだ。そこで、一度よく見ると、発行は河北新報社広告局、毎月第一水曜日に発行する月刊紙で「河北新報地域広告板」という位置づけだが、連絡先電話番号は塩釜の局番。ちょっと調べたら、編集局は塩釜商工会議所の中にあるようだ。住宅地図でも商工会議所の所に並記してある。 塩釜と周辺市町に3万7千部配布、とのこと。従って、塩釜地域以外にはないようだ。おそらく、塩釜・多賀城の地元の広告需要を、河北折り込みの幅広い宣伝力を活用しているのだろう。編集に河北の情報を活用している面もあるかも知れない。 以上、河北新報の力はすごいですね。
2006.04.10
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今日の訪問者(庭にきた鳥)です。楽天の朝井の投球をヒヤヒヤしながら見ては、時折外の庭に目をやります。スズメ君がきた後に、この小鳥。ホオジロ君でしょうか。もうちょっと大きいような気もするのですが。小鳥に無知の私、先月もブログに載せたらある方に教えて頂いた。ジョウビタキでしたね。■その時の日記です(06年3月21日)。ありがとうございました。どなたかご教示頂けると助かります。
2006.04.09
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昨日の敗戦、私は超ショックでした。サヨナラ負けは良くあることとして、小山が出た瞬間から、小山さんには悪いが、もう負けだった。今朝の新聞には、抑え投手のいない構造的欠陥、と説明されていたが、終盤で負け試合をみることしかできない構造なの? それって辛すぎる。切なすぎる。一体クローザー小山にどこまでこだわるのか? クローザー固定で方程式確立、にこだわるべきではないと私は思う。とても見ていられないもの。(見てるけど)じゃあどうすりゃいいのって? そうだよね... でも何人かの方のブログ読んで、すこし元気を回復した。明日があるさ。いや今日ですね。朝井君、強気でどんどん行け。それから、打線、打線だよ。打力で朝井を救援してくれ。
2006.04.09
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ここ数日のこと、9歳になった上の娘が、夜眠るときに泣いてしまいます。昨夜(土曜日)はそうでもなかったが。春から子どもたちは自分たちの部屋で寝ているのですが、夜9時の寝る時間に、親が付いてやるのが定着しつつあります。下の子は平気なのですが、上の娘がどうも気になるようだ。よくあるパターンでしょう。なぜ泣くかというと、夜のシジマに心身が包まれて、どうしても気になるようです。たしか木曜日の夜ですが、シクシク、やがて本格的に泣き出し、次のようなことを言います。「寝たら死んでしまうのじゃないか、とか、なんで自分がここにいるのかとか、考えると怖くなる。いつも言おうと思っていたが、言うのが怖くて言えなかった。」職場の友人の息子が3年生位の頃、同じようなことを寝るときに友人に語ったというのを、聞いたことがあります。子どもも、自我の目覚めというか、思春期前夜というか、いろいろ深いことを考え出すようです。なるほど、サルトルの「存在と無」でも読ませようか。ありますよ、その手の本はいっぱい。何しろ親の私も読まずに本棚に眠っていますから。実家の蔵には、岩波の赤茶けた本、ルソーもデカルトも西田幾多郎も、タンマリありますぜ。高校の頃に買い込んだ。変な自慢だが。それはともかく、私は言った。「気になることはしゃべって良いんだよ。」「お父さんも小さい頃に気になったよ。なんで自分の意識は他人じゃなくて自分の中にしかないのだろうか、とか。あと、宇宙の果てもだけど、時間の始まりっていつからなのかな、とかね...」噛み合わない話です。とりあえず子どもには安心して寝てもらう。ヤマンバが来ると泣いていた幼児期は着実に卒業したようです。この「深い悩み」は最近ママや祖母にも話している模様。さて、今日の画像は子どもが何かの紙に書いていた4コママンガ。ササッと書いて妹にでも見せたのでしょう。新1年生に小学生の心得を伝授...か。もうすぐ「かいけつゾロリ」の時間。さて、今日は天気が良いようなので、久しぶりに「県民の森」にでも行ってみます。あそこのアスレチックは、子供らのストレス発散に最高ですから。
2006.04.09
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掃除もおわり、ふっと一息。子どもたちは小雨の中、習字の先生のところへ出かけました。外出した妻が台所に置いたのが、写真の信州そば。私がお昼に作ることになります。 ところで、この包装に書いてあること。「産地の違う2種類のそば粉(カナダ産50%、中国産50%)をブレンドし、長野県で製造しました...」まあ、産地偽装や地域ブランドの問題もあって、流通トップ企業としては、説明に意を用いていますということでしょう。それはいいとしても、「信州そば」の名にこだわらなくても、と思うのですが。説明は丁寧にするとしても、やっぱりタイトルはこうしないと売れ行きに違いがでるのでしょうか。私は、基本は、腹一杯食えればいいという感覚で(はんだや系)、また反面で、本当のブランドは当地で食わないと味わえないと思っています。ちょっと極端ですが。あと1時間後には、この国際色豊かな乾麺が、わが家族の胃袋に入ります。胃袋にとっては、産地も製麺地も関係ありません。
2006.04.08
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奥羽越列藩同盟の盟主として朝廷に反旗を翻した皇族がいた。戦いに敗れ朝敵の苦汁を喫し苦悩の日々を送りながらも、その戦死は多くの国民が悼んだ。その皇族は、輪王寺宮能久(よしひさ)法親王である。輪王寺宮は、伏見宮の第九子として生まれ、仁孝天皇の猶子(養子)となる。後の明治天皇の叔父にあたる。安政五年に宮は勅命で輪王寺宮の後継者に任ぜられた。輪王寺宮とは、後水尾天皇の皇子が賜った称号で、輪王寺は日光と上野にある天台宗の寺。歴代の山主は、徳川菩提寺の寛永寺(上野)に常住し法親王が務めている。能久法親王がその最後の輪王寺宮となったわけである。さて将軍慶喜は朝廷に恭順の意を示して、寛永寺で謹慎していたが、官軍の進撃はやまず江戸も戦禍の危機にさらされていた。そこで、輪王寺宮は、幕臣の願いをうけて、慶喜への寛大な処置を求めるため朝廷に赴こうとし、駿府まで進攻していた東征大総督の有栖川宮と面談する。有栖川宮といえば、ニセ宮家事件で有名になってしまったが、明治期までの政治に勲功のある由緒ある宮家だ。有栖川宮第九代熾仁(たるひと)親王は、維新の軍人として活躍し、元老院議長も務めた人だ。このとき徳川には強い私怨を抱いていた。後に徳川家に降嫁した和宮との婚約が内定したのに、幕府の強引な要請で破談とされたことに由来している。京に上って天皇に直訴しようという輪王寺宮に対し、有栖川宮は激しい口調でその愚を罵り、江戸に戻るよう迫った。強大な軍力を背景にした有栖川宮の姿勢に、輪王寺宮は江戸に戻る。やがて朝廷内部にも、和宮や輪王寺宮の動きを認め、慶喜の恭順を受け容れる意見も増えていった。そして、江戸城無血開城が実現する。慶喜は寛永寺を去り、水戸に謹慎される。輪王寺宮と側近が抱いた、有栖川宮と官軍の傲慢で非礼な態度に対する憤りはおさまらず、ついに、官軍との戦に至る。慶喜の警護から輪王寺宮の守護の役割に変質した「彰義隊」が、ここで登場するのである。しかし善戦するも、近代装備の官軍に半日で壊滅。輪王寺宮は山を下り、根岸、三河島、尾久、浅草などを逃避行し、奥羽に入る。東北は、幕府に忠誠を尽くし官軍に対抗しようとしていた。宮は会津、米沢、仙台を転々とするが、各藩から盟主就任を強く要請され、宮は「薩長両賊追討の令旨」を発する。はじめは象徴的意味での盟主を受け入れる考えだったが、やがて白石城での列藩会議では、軍事を総括する決意も抱くようになっていた。「朝敵」となる一大決心である。列藩は官軍の猛攻に降伏し、宮のその後の運命も過酷だった。やがて謹慎を解かれるが、皇族で朝敵となった苦悩は消えず、有栖川宮家での生活という屈辱も強いられる。その後、北白川宮を継ぎ北白川宮能久となる。ドイツ留学を許され、帰国後は陸軍中将など軍の要職を務めるが、日清への従軍を嘆願しても許されなかった。大本営参謀総長にあった有栖川宮が認めなかったのだ。有栖川宮の死後は、やっと従軍がゆるされる。そして台湾の戦場で病死するのである。以上は、吉村昭『義彰隊』(朝日新聞社)で描かれた輪王寺宮の過酷な人生である。東北の側からすれば、朝廷に対峙する奥羽政権の主権者(東武皇帝)とも擬せられた宮だ。歴史の大きな流れに巻き込まれた東北の運命と、短い一時期において同調していたわけだが、列藩同盟の位置づけと意義を、東北内在の視点ではなく、また官軍だけの視点でもなく、非常に面白い視点から考えさせられる。(住友生命のスミセイベストブック2006年4月号を参考。なお、このブックレットは「自己変革を応援する住友生命の本の情報誌」なのだという。私、この保険会社に20年近く契約しているけど、初めて見た。他の人が外交員からもらって捨てそうになったのを、面白そうなので読んだ、というわけ。)
2006.04.08
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福島県庁で、職員が冷や汗をかいた体験を「ヒヤリ・ハット事例集」としてまとめ、LANで全職員に紹介するという。昨年7月県発注の測量事業で請負業者との連絡不足により標識が山林に放置された問題などを受けて、危険体験を全庁的な教訓として共有し、事務改善と安全管理に役立てる、との取組みだ。(河北新報6日朝刊の記事による)大変良いことだと思う。また、小さいことだが、「安全管理」という言い方も面白い。ここ数年、危機管理という crisis management の直訳語に違和感を感じていたので、うまいと思った。事故発生の際の対応ではなく平常時からの体制が、自治体の場合特に重要であることからも、この言葉はピッタリくるように感じる。ところで、山形県庁では、ある事件が発生した。(以下、4月5日山形新聞朝刊から引用・要約)------------4日午前8時頃、統計企画課に先月まで所属していた女性職員が山形市内の自宅前で乗用車に乗り込む際、車の屋根に封筒を置いたまま出発し、走行中に紛失。県庁の駐車場で書類をなくしたことに気付き、山形署に遺失物届を出した。紛失したのは「2005年度小売物価統計調査価格報告者報償金支出伺」で、調査対象となった事業所に報償金を支払うため、担当者が出納局に提出する公文書。紛失した書類の全体の枚数は不明。企業・団体名と住所、代表者名が記載されたものが152件、加えて金融機関名や名義人、口座番号、電話番号などが記されているものが30件。公文書の持出しは服務規定で禁止されているが、人事異動期と重なり残務処理のため自宅に持ち帰ったようだ。同課の職員15人も捜索に当たり、夕方までに市内国道13号沿線で、書類59枚が点在して落ちているのを見つけた。口座番号などが書かれた書類の回収は5件。書類を入れた茶封筒は開封口をヒモでとめていたが、書類が広範囲にわたって国道沿線上で見つかっていることから「ひもがほどけたのではなく、拾った誰かが(封筒から取り出して)車から捨てた可能性がある」と推測している。(同日夕刊では、封筒も13号沿線で見つかったそうだ。)------------この山形の記事で思い出した。あれは12年くらい前のこと。夜に妻の実家から車で自宅に戻る時に、アイリスオーヤマ製のアタッシェケース(商品名リジェロ)を車の屋根に乗せて、そのまま発進した。多分、カバン以外の手荷物を車中に搬入するのに気を取られて、屋根に乗せたカバンは忘れてしまったのだと思う。義母はよく外まで見送ってくれるが、当時の私の車は、屋根が布製で全面的に開くタイプのやつで、その前後に風よけのような部品が出っ張っているから、夜の屋外では、薄いカバンを置いたのが見えにくかったのだろう。このカバンは、たしか平成4年の初売で、中央通りのアイリスプラザで1万円で買った。確か今はダイソーになっている。ハードケースでないから体にぶつかっても苦にならず、多少膨らむのもメリット。着替えのYシャツなども入るから、1泊の出張もOK。得意になって持ち歩いていたら、ある人に、「そのカバンいいでしょ。私の姉がデザインしたんだよ」と言われたこともある。結構ヒットしたと思うが、最近はあまり見ない。さて、あの夜の事に戻るが、泉区の自宅に帰って、車から降りたときに、アレッ。車の屋根に、何とそのカバンがある。ヒヤリとした。交差点やカーブで、よくズリ落ちなかったものだ。おそらく、スーツケースの素材と布製の車の屋根とが適度に摩擦を生じたのと、私の安全運転のお陰?か。何が入っていたかは、忘れたが、もし落としていたらそれなりに困ったはず。また後続の車が事故になった可能性もある。写真は、そのカバンです。だいぶくたびれて汚れています。最近使っていませんが、便利なので、一軍再登板を考えてみます。
2006.04.07
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手元に、山と渓谷社の『カラー 続 城と城下町』(昭和49年)という古本フェアで買った本を開いています。角館のページを見て、机上で、町を散歩したつもりになっています。上の子が1歳になった春に、家族3人で田沢湖に泊まった後、角館を訪れたことがあります。役場の入り口に置いてあった交通安全のタスキを子どもに掛けて写真を撮った思い出があります。そばで打合せか何かしている役場の方々に断りもせず、勝手に借りてスミマセンでしたが、「交通安全運動」という黄色いタスキを掛けた我が子と、黄色い帽子をかぶった父親(私)の良い写真が撮れました。そのまま交通安全キャンペーンのポスターになりそうな画像です。記念です。町の地図をみると、武家屋敷の通りの風情を思い出します。あの役場も、今は仙北市となったのですな。読みは「せんぼく」、英語表記はSembokuだそうです。bの前はやっぱりmですか。市名も、まだ合併後の地図が頭に入っていないので、旧大曲市の大仙市と間違えそうですが、気を付けます。昔のお礼にHPを紹介させて頂きます。■仙北市HP
2006.04.06
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むかし新婚旅行(実は結婚2年目でしたが)で、岩手の奥州市、じゃなくて欧州旅行をした際のこと。ギリシャの島で、ふと見つけたバイクに、どういう訳か宮城県白石市の自転車屋のステッカーが貼ってあった。早速写真に撮っておいて、帰国したら自転車屋に送ろうと思っていたのですが、そのまま忘れて、もう12年。なぜか昨日になって、このことを思い出しました。例の写真を引っ張り出して、よくみると、ヤマハMate50で、ちゃんと「オートバイ・自転車 ○○輪店 白石市 電話○○」とあります。思い出したのも何かの縁。さっそくこの店を探してみたら、市内に今も営業されているようです。いつか白石に行ったときに、この写真差し上げたい。良い迷惑かも知れませんが。
2006.04.05
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この看板が、いい。広瀬通で1階にサンクスの入っている大久保ビル。看板がいつからあるのか自信はありませんが、私が仙台に来た80年代からあったように思います。両隣は変わったはずです。西はモロビルと瀟洒なドーミーインに変貌。東は市バスの広瀬通車庫だったのが、今はガス局のショールームと子育てふれあいプラザ「のびすく仙台」。そう言えば私が学生の頃は、江陽は二番丁の西側にあったと思う。友人H君がトイレに行こうとロビーを横切ったら、社長(と思われる人)に止められて私も一緒に説教された。怒っているわけではなく、一言断る礼儀があるべき、とか、ヨーロッパのホテルというのはどうとか、諄々と諭されたように思う。暑い夏だった。オロナミンCといえば、徳島ヴォルティス、じゃなかった、小さな巨人のCMで、子供の頃は余り飲むこともないのに、子供の間は知名度抜群。たまに何かでもらったりすると、とても贅沢な気分に浸れたものでした。編集長にとっては、そんな「昭和」の象徴です。がんばれオロナミンC!■仙台百景画像散歩 以前の記事です。 ○仙台百景画像散歩(その3 東仙台案内踏切)(06年3月22日) ○仙台百景画像散歩(その2 はんだや)(06年3月18日) ○仙台ミステリー?風景(06年3月4日)
2006.04.04
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上の娘は週に1度先生に教えてもらうほか、毎日自主練習しているはずが、最近伸び悩みのよう。どうも自主練習に問題有り。学校から帰るなり、「DSやテレビの前に宿題とピアノやれよ」と言われるので、一応やっているようですが、形だけこなしている、宮城の言葉で「ワッパガ」というヤツです。それが証拠には、ここ5週間くらい、1つの曲がなかなか先に進まない。確かに難度も上がってきているのだろうが、どうも身を入れて練習していないようだ。もともとスロースターターというか、他に気を取られるのか、集中するまで時間がかかるようだ(小さいときの私も実は同じ)。ピアノの先生の評も、「やれば結構できるんですよ」という言葉から、「練習が大事ですよ」という感じに変わってきたそうだ。そろそろ、自主的に興味や達成感をもって進むか、頼まれて義務的にやるだけに堕するか、の「分かれ目」なのか。妻からも、見てやって欲しい、と言われる。よし、お父さんの登場だ。土曜日曜などに、お父さんが見て(聞いて)やる。例えば、娘が、音を拾い間違って手を休めては、何度も繰り返す時がある。お父さんは言う。「音を間違ったのが何だ。いいか、楽譜に並んだ音符を順番に拾うのだけが音楽じゃないぞ。いちいち止まるな。メトロにあわせて、音が違っても良いから最後までやれ。音の高さだけ守ったら音楽になるというんなら、音の長さやスタッカートは全然できていないのだから、おかしいだろう。」これは相当キツく繰り返して言ったので、娘も呆れているのだろう、最近は反論しない。私としては、音を順番に拾ったらハイできました、などという意識でいて欲しくないというつもりで、クドクド言っている。お父さんのレッスンは厳しいらしく、娘の嫌な気持ちが、一定の限界を超えると、ガチンコ状態になってしまう。だいたい2回に1度はこうなる。「やだ」「もう1回やれ」「やだ」「いいから、やれ」「できない」「できないんだから、練習しろ」の繰り返し。涙目の我が子は、席から逃げようとする。押さえつけて、「逃げるな!」とやる。昨日(日曜日)の朝もそうだった。泣く我が子に、「できないから練習しろ。毎日毎日ただ時間や回数だけこなして、ただ先生にこんにちわ、さようなら、して、いいと思っているのか。自分で今日はこれをやるとか考えて、昨日よりこれができるようになるとか、何でできないのか。とにかく、やれ!」と大声で叱りつける。短気な私が感情にまかせて怒ってしまう面も強いのだが、今日は絶対に退かないぞ、という姿勢を示したかった。見かねた妻が中に入り、娘も泣く泣く鍵盤に向かって無事今日の練習は終了。娘の心中は、こうだろう。「お父さんは、あと1回で終わりと言ったのに、終わらせてくれない。もう、いつもこうだ。そもそもピアノ好きでないのに、なんで怒られて練習しなければならないのか。もう、こんなのイヤだ...」それでも、曲の雰囲気や作曲家の話をしてあげると、自分なりに工夫して弾いたり、リズム感を出してみたりする時もある。私がクドクド言っている、音を拾う作業でないこととか、毎日の練習で徐々に達成できることなども、たぶん理解しているのだろう。考えようで、ガチンコになるだけ、まだ素直に親子が向き合っているとも言える。ちょっと都合が良い解釈だが。これだけ怒っている父のピアノレッスンでも、娘の方から「今日はやらないよ」と言うことはないから、ひょっとすると、父親よりウワ手かも。「押しつけ」にしかならないのなら、いつまでも続けさせない。ただ、娘には、もう少し続けて欲しい。自分でやればできる、昨日より今日、という達成感をつかみかけていると思うから。そして、そのための他律的なペースメークも、多少は必要だ。今日の日記は、実は、妻がブログに書けというので、書きました。怒ってばかりいる父のピアノレッスン、子のトラウマになってしまうと半分本気で心配しているようで。最後に、今日の写真も庭の隅の巣箱デス。家の中から見た図。毎朝カーテンを開けて、小鳥が来ていないか見るのが、1つの楽しみです。「鳥がきてるよ、早く起きて見なさい」というのが、下の子には、まだ通じます。
2006.04.03
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仙台藩は大藩で、小大名のような大家臣をいくつも抱えていた。この体質から、藩論統一に難しさもあり、伊達騒動が生じ、維新期には佐幕か勤王か日和見的態度を示した。奥羽越列藩同盟の盟主となるも、主体性はなかった。 この幕末の「大藩」仙台藩の空虚なる民情を、見事に見抜いたのが、維新の原動力となった薩摩藩士の肝付兼武だ。 彼は、薩摩藩士で安政年間に東北を歴訪し、見聞をもとに『東北風談』(風譚とする写本もあり)を著し、東北諸藩の藩政と海防について的確な批評をした。ただ、彼のことは、これ以上ほとんどわかっていないのだそうだ。 なお、長州藩士の吉田松陰も嘉永年間に、新日本の兵学の方針を立てるべく、東北を歴訪し、『東北遊日記』を著した。仙台では藩校養賢堂、医学館などを訪れている。 さて、兼武は仙台について、広い平野に水田が広がり、諸藩に冠たる米の大産地だが、米以外にみるべき産物がなく、およそ衣服器材はみな他国に求めている、と産業の実情を述べている。 これ自体、現在にも通じる宮城の産業構造を的確に捉えているが、もっとビックリするのは、次の民情の批評だ。 而大臣の人小外城を構えて、人々自ら高とし、主君の為に主宰するもの無きように見えたり 故に国政弛廃してしまらなるざり。 然も士民共に狡猾、自ら便宜を択(えら)んで労を他に施すの風あり。 人々怠懈を以て得(とく)たりとす。是其貧なる所以なり。もう少し現代語的に表現すれば、 ○ 一門の人は要害に住み尊大だが主君のため自らとりまとめようとはしない ○ だから、国全体、下の者も気がゆるんで、締まりがない。 ○ 武士も民も悪賢くて、楽や得を選択し、仕事は人におしつける。 ○ 何もしない、積極的に動かないのを、ヨシとする。 ○ だから、貧困を脱することもできないのだ。ということだろう(この部分、佐々先生の説明を編集長多少アレンジ)。 これは、現在の県民性にも通じるのではないか。的確であり、ショックでもある。 果たして、兼武の表現通り、戊辰戦争では仙台藩は優柔不断に終始した。ペリー来航後に幕府が各藩に意見を求めた際、苦しい藩財政や凶作もあり、仙台藩は藩内に尊王攘夷派もあったが、積極的に政局に関与できるどころではなかった。 肝心の海防に関しては、「海防の事は誰も主になりて唱える者なし」。「天下戦争の勢いに至れば、我が輩は直ちに仙台を襲はん」と米沢人から聞いた、とも記している。 そして、兼武の次の表現だ。編集長の胸の奥にグサリと来る。 嗚呼余輩をして仙台を治めしめば国を富ますこと3年の内にあらん。(略)惜しい哉、富饒の地に居て常に貧に苦しむこと。 五代吉村の米価高騰の一時期を除いて、仙台藩は、政宗以来の借金体質。実高百万石とは言え、地方知行制のため藩財政は政宗以来の借金体質。しかし、豊かな土地と気高い大藩意識が、逆に、進取の改革の気風や、ライバルがしのぎを削るような競争の気質、また米以外の新たな殖産の意欲を生まなかった、とも言えるだろう。 兼武が、「3年で国を富ます」という具体的戦略はわからないが、たしかに他藩に見るようないわゆる産業戦略は薄かった。上記のように兼武も米以外の産物がないと指摘したが、林子平も「土産物や細工物も大したものが無い」旨を記している。仙台平や埋もれ木細工などは有名だったようだが、他に商業作物もなし。紅花生産もあったが、田畑がおろそかになると藩が禁令を出したという。商品作物、手工業、土産物、何にしても、農村にまで裾野の広がる産業の展開が他に比べて薄かったといえるだろう。 以前「仙台名物は大した物がない」とか言って県議会で陳謝した知事がいたが、本人の認識はともかく、客観的には正しい指摘といえるのかも知れない。 思い出したが、この知事も、3年で宮城の産業再生を果たすとの「戦略」を打ち出した。しかしその内容は、給料(昔なら武士俸禄)の削減だけが斬新で、中身は人任せ、民心もついてこない、何のための改革だったのだろうか。兼武はどう見るだろうか。 兼武以来の150年間、産業に関する仙台・宮城の基本戦略は、いかがだったのだろうか。この点は、別の機会に譲る。(参考:佐々久編『郷土史事典宮城県』、昌平社出版、1977年 ほか)■仙台・宮城の県民性に関して過去の日記 2006年2月17日の日記「仙台文化を理論的に解明?」が仙台文化について編集長の考えの一つの整理。←よろしければ読んでください。また押し売りですが。 もうちょっと、歴史や他地域の勉強をして、県民性の整理をしてみたいです。単なる性格比較ではなく、考え方や気質が産業や教育の重要な判断にどう表れたか、今後の政策判断の環境をどうみるか、結構重要に思うからです。県民性というより、地政学的状況、産業構成、歴史などをふまえたいわばカントリースタディです。言葉はどうでもいいのですが。 画像は、最近よく登場させている我が家の庭の巣箱。土曜日(1日)天気が良かったので、家の脇の畑(猫の額ですが)から撮影したのが、画像です。見えにくいですが真ん中やや右上に、巣箱。その奥は保育所。これも日記によく登場しましたが、今月からは、利用者ではなく、普通のお隣さんになりました。
2006.04.02
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日本では年度は4月1日に始まり3月31日に終わる。なぜか、と中学の時先生に聞いたら、先生は「ウン、君それはいい問題意識だぞ」と言って握手してくれたが、肝心の答えはなかった。うまい対応だと思ったので、大人になってからは、私がこの手をよく使う。 さて、問題の方だが、年度にもいろいろある。国や自治体の会計年度は4月スタートと法律が決めている(財政法11条、地方自治法208条1項)。学校教育の分野では「学年」なる概念だが、学校教育法施行規則44条ほかで、4月スタートと定めており、大学だけは学年の途中でも「学期」の区分で入退学可能(同規則72条)。 このように年度と言えば4月が主流だが、他にも、たとえば米穀年度は新米の出回る11月が始期。また企業も3月期決算が主流だが、例えばビール業界は1月スタート(12月決算)。会社四季報めくってみると、象印マホービンは、なぜか11月20日決算。ベガルタ仙台の東北ハンドレッドは、Jリーグシーズンに合わせてでしょう、2月1日から1月31日。楽天野球団は、楽天グループ全体がそうですが、12月決算のようです。 そして、中学生時代の私の質問、学校の年度はなぜ4月スタートか。俗説には日本の桜の季節に合わせたというのもあるが、そうでもなく、経緯(なりゆき)で4月になったのが長い間に定着した以上には、さほど深い意味もないようだ。 すなわち、明治新政府が西欧にならって9月新学期や4月新学期が混在したあと、会計年度に合わせて4月入学が定着。その会計年度も何度か変転したが、地租改正に合わせて徴税の都合上一番おさまりやすかったのが4月始期だったようだ。 ところで、何を書きたかったかというと、昨日31日は、下の子の最後の保育所登所の日。家のすぐ隣なのだが、上の子から通算して6年間通ったから、もう4月からは行かないというのがピンと来ない。季節の折々の行事、朝晩の保護者たちの慌ただしさ、冬の雪かき、切り離せない生活の一部だったので。 我が家の歴史の1つの時代の終わり、です。 写真は、3月31日、うっすら雪の積もった朝7時。2階の窓から庭の片隅を写しました。巣箱をこんな風に設置したのですが、やっぱり変ですね。 このあと、登所する妻と娘の写真を撮ってあげました。最後の保育所の朝、娘が選んだのは... 母でした。いつもはお父さんだったのに。これも時代の終わり、か。
2006.04.01
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