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今日も暑くなりそうだ。朝、駅まで家人を送り出しての帰り道に信号で停車した時のこと。左のレーンに黒い軽貨物車が停まって、運転手が煙草を持った右手を窓の外に出している。運転席側のドアには、「私たちは品質向上のため社内禁煙を宣言します」とかいうステッカーが貼られていた。運送関係の車なのだろう。たまに見かけるが、煙草の灰を社外にトントン落とす人。火が残っていれば危険だと思うが、吸い殻をポイ捨てするよりはまだ良いか。いや、そういう人は吸い殻も捨てるのか、などと下らないことも想像したが、それよりも問題は、あのステッカーとの関係だ。当人は自分の運転する車が「禁煙宣言」の車と知らないはずはない。なのに堂々、窓全開でトントンしているということは、「宣言」とはそんなものだと高を括っているに違いない。このスモーカーにはどうでも良いことなのだ。会社側はおそらく、大衆に向けて宣言することで、我が社の運送は荷物を大事に扱います、ドライバーのマナーも徹底しています、さらには、ドライバーの健康も気遣っています... どこまでか知らないが、とにかく社としての取り組みを社会にアピールしたいのだろう。なのに、だ。社にとっては残念なことだが、徹底していない。私がキマジメ人間でこれも御社のためと思えば、通報でもしてやるのが社会人としての努めか。しかし、だいだい「宣言」なんてそんなものだと御社の関係者みずから示しているのだから、まったく無駄だろう。考えようによっては、コッソリ密閉した社内で喫煙されるより、「健全」かもしれない。そうなのだ。コンプライアンスといっても裸の王様で、底が浅い。体制側がスパイでも張り巡らして監察たり一般市民に報奨金を出して発見されたら減給処分で臨むとかでもなければ、各人がその気になっていない以上、薄っぺらい「宣言」だけに終わるだろう。最近、大手教育関連会社の個人情報流出とか、何かで過激な点があると、たまにジャーナリスティックに取り上げられるが、古今東西、似た話ならいくらでもあるだろう。根っこが深い。住所や電話番号などいくらでも流通していると考えて、それで当たり前だ。太陽光から大阪のマンションまで、おそらく毎日のように電話が来るようだし、子供たちには本当に丁寧にあちらこちらから「情報」をいただく。私自身の感覚では、世の中に生きて世の中の人との関係で生かしてもらっている以上、どこに住んでいる誰々ですとか、どこの何のポストの私です、と外に明示される形であって構わないと思っている。一匹狼で生きる自信はないのだから。もっとも、自分から積極的に不特定多数に個人情報を発信する気はないが(ブログも匿名です)、かといって、知り合いではない誰かに、Aさんに聞きましたけどあなた仙台のオダズマさんですね、といわれたら、いいえ私は個性のない一人間でありまして氏名年齢その他私の属性に関する情報については貴方様に開示すべきいわれはありません、一匹狼ですワオー、などと言い放つ勇気はない。それでも個人情報保護や流出の問題は複相的だと感じる。一つの側面は、本当に徹底されるべき分野について。ベネッセの事件ではその規模と相手が子供だけに、世の中のバッシングを期待してマスコミが叩いているが、おそらくこれでも個人情報には配慮していた企業の部類ではないだろうか。さきほどの町で出会った人に素性を確認されるケースと違うのは、企業が組織的に収集した情報を垂れ流す行為だから(個人情報保護法が最も規制する趣旨だろう)、ぜひできる限りのことはお願いしたい。個人的には子供たちにさかんに郵便物がきても、まあ仕方ないねと思うだけだが、立法が国民の意思を反映しているのだとすれば、やはり企業の努力はしてもらいたい。何か暗部があると思われるだけでも、企業にとってマイナスだろう。だから、当社はこうやっているという予防策の具体的なところを開示し合うのも、社会の発展には有効かもしれない。この側面は、底が浅いコンプライアンスでは困る。関係者全員がその意識を持つことが最高の防壁だろうが、そのための仕組みと体制づくりを示していくべきだろう。もう一つの側面は、最近では学校、町内会でもお決まりのようだが、「一切目的外利用しません」の虚構性だ。目的外の概念も曖昧だが、学校や町内会なら関係者に利用されても何の問題もないだろう。風潮を気にして言わざるを得ないのだろうが、「目的外利用しません」なんて言う必要はそもそもないと私は思う。もっとも、名簿業者にそっくり売り渡すことはしませんよ、という意味では書いた方が良いのかもしれないが、それはモラルの問題。そう書かないと役員が売り渡してしまうので、ということでは困る。さて、はじめの禁煙宣言ステッカーの話だ。別に法的義務でもないから、社員や関係者にさえ無視される薄っぺらい「宣言」でも、一般市民には何の問題もないことだ。だが、多少の残念さは残る。まずは、企業にとってもそうだろう。企業側も、もともと破られても良い軽いものだと思っているのではないだろう(もしそうならいい加減な企業だというべきだ)。また、一般人からみて悲しいのは、世の中そんなものだな、と思ってしまうことだ。底の浅いコンプライアンス。やがて、コンプライアンスはみんなそんなものだと思われたら、本当に悲しい世の中になるだろう。最後に、全く偶然だが、思わぬオチがきた。ちょうど書き終えた頃に、呼び鈴があった。宅配便が来て家人の購入した荷物を届けてくれた。思い立って、アレを確認しようと外に出てみた。今日も暑いですね、ご苦労様でした。ハイどうも!と出発したその青い車のドアには、あった。あのステッカーが貼ってあった。ついさっきのこと。暑い夏の朝の堂々巡りの思考回路を打ち切る時が来た。ドライバーに感謝。
2014.07.27
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高校野球の決勝戦は見応えがあった。TVでみていたのだが、両者とも浮つくことなく実力を発揮したように思う。かつて県大会で優勝しながら隣県との代表争いに敗れたという、県北の伝統校佐沼は、すごい数の応援団だった。なんとしても甲子園にという力のこもった応援だ。佐々木投手は連戦の影響はあるはずだが、落ち着いて好投をみせた。対する利府。選抜の21世紀枠はあったが、初めての夏の甲子園をめざす。スポーツ科学科擁する県立高の面目躍如となるか。何となく利府優位かと勝手に予想したが、どっちが勝ってもおかしくない試合だった。ただ、利府は惜しげもなくスパッと4投手のリレーを見せ、これが結果としてハマった。守備も堅実だった。佐沼もあと一つ好機をものにしていれば、という感じだった。2点差を追いついたのは見事。誇れる準優勝だ。さて、他県を勝ち抜いた代表校との対戦になる。初めての夏を戦う利府には、とにかく自分たちの野球を思う存分やってほしい。「負けた佐沼のためにも...」そんな月並みな言葉が、素直に浮かんでしまうような素晴らしい決勝戦だった。
2014.07.21
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俳人小林輝子さんは『句集 木地師妻』などのほか、昔話の聞き集めや、それを元にした絵本も発表されている。句集名にあるように、小林さんの夫は岩手県西和賀町で湯田こけしを作る職人として知られている方だ。須藤宏明監修『ふるさと文学さんぽ 岩手』(大和書房、2012年)に小林さんの句が収められている。そして、解説に湯田こけしや木地師の話が載っている。いまの西和賀町は、和賀郡内の湯田町と沢内村が合併したものだが、湯田は古くからの湯治場。奥羽山脈山麓にはこのような温泉が数多く、かつては近在の農民が湯治に訪れた。湯治客相手にこけしなどを作って売ったのが、木地師と呼ばれる職人。こけしや木椀などを作るには轆轤を使って加工するが、かつては特殊技能と考えられ、その技能をもつ職人集団が木地師と呼ばれる人々であった。伝説には、木地師の祖は惟喬親王に遡る。文徳天皇の皇子である惟喬親王が近江国小椋谷(おぐらだに)に隠棲していた際に、その木工技術を伝授したのが創始という。これが史実かは別として、木地師と呼ばれる職人集団がこの伝説を携えて各地を渡り歩いていたことは事実であり、近江にいた木地師たちは、その後北陸から、四国、九州、そして関東、東北に広がったとされる。もともと木地師は良質の木材を求めて移動するため定住することはない漂泊の山の民であった。しかし明治を迎えると国はその暮らし方を認めず、木地師たちは放浪をやめて定住するようになった。奥羽山脈にいた木地師たちも、やがてこけし職人として山麓の集落に居を定めたのだろう。湯田こけしは遠刈田系に分類される伝統こけし。概ね、こんな内容の解説だ。宮城県公式サイトによると、宮城伝統こけし(伝統的工芸品として指定された名称)には、鳴子、遠刈田、弥治郎、作並、肘折の5系統がある。それぞれに共同組織を設けているようで、下記の通り。○ 鳴子木地玩具協同組合(大崎市鳴子温泉、日本こけし館)○ 遠刈田伝統こけし木地玩具業協同組合(みやぎ蔵王こけし館)○ 弥治郎こけし業協同組合(白石市弥治郎こけし村)○ 仙台地区伝統こけし工人組合これらの上部組織だろうか、宮城伝統こけし組合連合会のサイトがあり、参考になる。各系統の特徴や沿革が興味深い。こけし工人の一覧もあって、数えてみたら工人の方は、鳴子で30人以上、遠刈田20人以上、肘折20人弱となっていた。仙台の組合だけは様相が異なっており、仙台市を中心として活躍される工人の集まりで、それぞれの系統をくむ工人が、仙台市内や秋保温泉、作並温泉にいるようだ。工人紹介では、「肘折系・遠刈田系」が数人、また「作並系その他」の数人の中に、弥治郎系と蔵王系とされる工人がいる。また上記サイトの中には 東北のこけし の解説があり、10の系統が紹介されている。地域の風土や習俗にあう形で独自に発達し、師弟関係で伝承されてきたのだろう。岩手県の湯田が遠刈田系とされるのは、大正8年遠刈田の工人佐藤丑蔵氏を講師として湯本に小林工場を開き、丑蔵、小林善作、小林定雄と受けついで今日に至っているためのようだ。(岩手県サイト いわての文化情報大辞典 による)
2014.07.12
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