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3 荒井広瀬遺跡(あらいひろせ遺跡、仙台市若林区)弥生時代中期の遺跡。復興公営住宅や集団移転先の荒井東土地区画整理事業地内の道路建設に伴い発掘調査が行われ、幅20m以上の河川と、幅1m程度の弥生時代の溝を検出した。場所は現在の海岸線から4km内陸。東隣には、津波堆積物に覆われて廃絶した弥生時代中期の水田がみつかった沓形(くつかた)遺跡がある。溝跡の底面で深さ50cm以上の地割れの跡を検出。遺構と河川跡には、沓形遺跡と同じ津波堆積物の砂層が非常に多く見つかっている。地割れ跡の内部からは、弥生時代の石器(長さ7cmの破片。流紋岩製)が出土。地震動で地割れ跡が開閉したため内部に入り込んだとみられる。今回発見の地割れ痕跡から、約2千年前に仙台平野を襲った津波は、東日本大震災と同じく日本海溝周辺で発生した地震とわかった。■基礎資料 文化庁編『発掘された日本列島2014 新発見考古速報』(朝日新聞出版、2014年)■仙台市教育委員会の遺跡見学会(25年6月)の資料(大変わかりやすいです)■関連する記事 復興のための発掘 その1 新井田館跡(南三陸町)(2014年6月29日) 復興のための発掘 その2 波怒棄館遺跡(気仙沼市)(2014年6月29日)
2014.06.29
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2 波怒棄館遺跡(気仙沼市、はぬきだていせき)旧唐桑町にある縄文時代前期後葉(約5500年前)の集落。平成24年から25年に防災集団移転促進事業の予定地として調査が行われた。貝塚3か所などが発見され、土器、石器、石製品(垂飾り、玦状耳飾りなど)、骨角製品(シカや魚の骨)のほか、動物や魚類の骨、特にマグロの骨が140kg以上と、大量に見つかっている。マグロ骨は推定体長2メートル以上の椎骨も見つかった。3から6個程度の椎骨がつながった形で出土しており、漁獲したマグロの胸部を分割していたことがわかる。包丁のような石器で解体しているときに刃先が折れて嵌入した状態の椎骨も見つかった。縄文時代のムラで巨大マグロを解体していたことになるが、いったいどうやって捕獲していたのだろうか。今後、縄文のマグロ漁や村の生活が明らかにされていくことだろう。場所は、陸前高田市境に近いところ。広田湾をのぞむR45沿い。標高24メートルの丘陵だが、縄文時代は今よりずっと海が迫っていた。■基礎資料 文化庁編『発掘された日本列島2014 新発見考古速報』(朝日新聞出版、2014年)■5月の現地説明会の様子(大変すばらしいサイトで引用させていただきました)■奈良文化財研究所のサイトに現地説明の模様が出ている。宮城の復興にご尽力大変ありがとうございます。■宮城県教育委員会サイトの説明■関連する記事 復興のための発掘 その1 新井田館跡(南三陸町)(2014年6月29日) 復興のための発掘 その3 荒井広瀬遺跡(仙台市)(2014年6月29日)
2014.06.29
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いま東北歴史博物館で「発掘された日本列島2014」をやっている(7月9日まで)。全国5か所の博物館で巡回するようだが、その第一弾。発掘調査の成果を多くの方々に伝えるため、平成7年度から行っている展示。20回を迎える記念として、1300点もの出土品展示など過去にない規模のものとなっている上に、一日も早い復興のために、東日本大震災復興事業に伴う発掘調査を紹介し、明らかになった東北の豊かな歴史を、ふるさとの再発見とコミュニティ再構築の支えとするものだ。(後掲書の青柳文化庁長官あいさつ文から。)文化庁編『発掘された日本列島2014 新発見考古速報』(朝日新聞出版、2014年)を読んでいる。思えば十数年前には前期旧石器時代の遺跡ねつ造事件という激震に見舞われた。おなじ東北に今度は津波が襲った。考古学会はねつ造問題を乗り越えるため努力を重ね、また、津波災害に際しては発掘調査が復興の壁にならないよう関係者を集中投入して、再建と文化財保護の両立に奔走した。同書には「復興のための文化力」との特集が組まれ、3県の太平洋岸の7つの遺跡が紹介されている。発掘調査に際しては、調査面積を最小限に計画するとともに、全国の自治体、国、法人調査組織などから多数の職員を被災地に送り、さらに調査費は全額国負担で行うなどの対応を図った。地域のアイデンティティを再発見し、郷土の誇りを取り戻し、真の復興を果たそうとする文化財関係の方々の熱意に、思いを致しながら、説明されている7つの遺跡のうち、まず宮城県内の3つについて、当ジャーナルとしても紹介させていただきたい。------------1 新井田館跡(南三陸町)(にいだたてあと)■南三陸町サイトの解説■同上 平成25年11月の現地説明会について(資料が非常にわかりやすい。)志津川湾にそそぐ3つの川のうち最も北にあるのが新井田川だ。湾にほど近い川沿いの67mの丘陵地。ちょうど気仙沼線がトンネルになるあたり。新井田館について史料は少ないそうだが、志津川には室町から戦国にかけての山城が多い。津波復興拠点整備事業に先行して調査が行われた。築城年代や城主は不明だが、地域を支配した葛西氏の関連武将が城主と考えられる。調査では、平場6か所、堀6条、土塁8条が確認され、複数の建物と柱列が見つかった。堀と土塁で防御機能を果たしている。遺物は、陶器、古銭、砥石、石鉢、羽口、鉄滓など。遺物から築城は15世紀前半、17世紀までには廃棄されたようだ。今回のような山城全体を調査する事例は全国でも珍しく、周辺地域の山城を理解するうえで貴重な調査になった。なお、同書の解説を執筆した南三陸町教育委員会の方は、長野県から派遣の方のようだ。上掲サイトの現地説明会資料には、この方を含めて町と県の担当者名が紹介されているが、ほとんどが他県から派遣された方々。ありがとうございます。■関連する記事(後続) 復興のための発掘 その2 波怒棄館遺跡(気仙沼市)(2014年6月29日) 復興のための発掘 その3 荒井広瀬遺跡(仙台市)(2014年6月29日)
2014.06.29
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決勝リーグがスタート。昨夜(今日の未明)は、初戦のブラジル対チリの試合を見ていた。サッカーのことはあまり判らないのだが、これが世界レベルなのかと素人ながら実感した。とにかく、ボールを取りに行く。相手を読んで球を横取りする。ドリブルする。ゴール前には寸分たがわずパスを供給し、瞬時に決める。日本のサッカーとの違いは、歴然だ。侍ジャパンは、パスワークや体形にこだわっているように思える。しかし、決勝リーグ初戦の両国は違う。当たり前のことなのだろうが、誰かが球を奪って、最後に誰かのシュートに繋げなければ勝ちはない。そのことを、高い個人技と闘志をもって、真剣に実践している。どの瞬間も、選手は常に次の瞬間を求めて走り、こちらは緊張感と期待感を抱いて画面にくぎ付けだった。そんな感想が素人の私の実感だ。画面で見ていると、ボールに人が良く集まっている。動きも早い。チリの攻撃も実に見事だった。120分間走り続けて、PK戦では王者ブラジルの選手さえ祈っていた。文字通り死闘だった。私は、今年の日本代表は史上最強という評は間違っていないと思う。結果は伴わなかったが、いい試合もあったと感じた。しかし、世界レベルのサッカーを堪能してみると、どうも本質的に違う。ボールを奪ってマウスに蹴りこむ。そのことをどれだけ死に物狂いで個人が実践し、チームとして発揮できているか。つまらぬ素人評でした。
2014.06.29
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宮川長二『金属・鉱物地名を解き明かす』(美研インターナショナル発行、星雲社発売、2008年)を読んでみた。仕事の傍ら、写真や金属民俗学の趣味を通じて、地域や地名を深く研究するようになり、古代韓国語も駆使して、各地の鉄や鉱物にまつわる地名の由来を明らかにしていく。そこまで言えるのだろうか、と素人ながらに疑問も感じたが、非常に興味深い論考と思う。また、第一章で、氏が東北大学などで仕事をした経緯、そして写真撮影で訪れた白石市小原で地名に関心を抱き、古老の話を聞きながら地名の謎を解いていくところは、まるで伝説にまつわるミステリーを民俗学者が解いていくTVドラマのようで(例えが悪ければすみません)、大変面白かった。小原の地名と鉱物に関する部分を、要約しつつ引用させていただく。------------昭和45年ころ小原や七ケ宿に、街道筋に残る日本の原風景の写真を撮るために通うようになった。そのうち、村の人とも親しくなり、昔の伝承話も聞かされた。その中に「うなぎとムカデ」の話がある。白石藩の弓矢の名人が、福岡の沼のうなぎの頼みで鎌倉山のムカデを退治した話だが、小原温泉から白石川をはさんで鎌倉山があり、切り立った崖に茶褐色に染まったところがあって、弓矢で目をやられたムカデの血の跡だという。崖下には饅頭岩があって、そのわきに小さな穴があり、ムカデ穴というのだそうだ。小田治の著書『山伏は鉱山の技術者』では、ムカデは鉱脈であるとされる。ムカデ穴も饅頭岩も地下坑道につながっているのではないか。このあたりは明戸(あけど)という地名だが、鎌倉山は鉄・金属を生む山の意味で、明戸は鉄・金属のあるところの意を表記した地名であると、(小田治の著作に基づき)後でわかった。ある時、上戸沢の古老に、近くの熊高山(おだずま注:私の地図では熊鷹山と表記されている。下戸沢と上戸沢の間。450.6m)は金山だったのでしょうと問うたら、地元でも知る人は少ないと驚かれた。これも(小田に基づく)山名の解読である。朝鮮古語で熊(神、金)は金に通じ、高は「田華」で、「田」は油田・炭田の語から「鉱山・鉱区」の意。「華」は亜鉛華などの結晶で、やはり鉱物にかかわる漢字。それで「田華」は鉱脈の鉱物である。以上から、熊高山は、金鉱物の山すなわち金山となったのである。また、あるとき老婦人が近くの百貫山の金山で働いていた体験談を話してくれた。百貫山とは、鉄・金属の鉱(あらがね)のある山。ここでの金属は金だから、金鉱山の意を表記した山名であると後でわかった。古老には近くの銅山の跡も案内してもらった。東京の人が手掛けて鉱脈に当たったときは大盤振る舞いだったが、やがて湧水で廃鉱になった。坑口近くの山神の祠には、掘り出された黄銅鉱が詰め込まれていた。隠し金山の話も聞かされた。戦で相手に渡らぬよう坑口を塞いだため、今では場所はわからないというが、掘り出した金を運んだ牛道があり、福島の半田山銀山(おだずま注:下記の記事を参照ください)にも達しているとも言われた。下戸沢に赤井畑(あかいはた)という地名があり、源平の戦いのとき、源氏ゆかりの者が来たので、「赤い旗」と地名に表記したのが由来という。赤の字は五金のうちの赤金で銅山か。これも後でわかるのだが、赤井畑は鉄・金属を生む土地の意を表した地名である。この奥地には、金、銅、鉛、亜鉛の七里沢鉱山があった。赤井畑に祀られている赤地蔵は、鉱山の犠牲者を供養したのだろうか。------------著者の宮川氏は、果たさなかったが隠し金山を探そうともしたそうだ。小原の地名に関する「聞き書き街道物語」をまとめようとも考えたが、小田氏の地名読解の根拠に割り切れない一面も感じて取りやめたという。しかし、その後、韓国語の観点も活用して研究を進められた。著作の後半で具体的に地名読解が披露されている。それにしても、壮大にして、かつ民俗的で、地域的で、本当に興味深い。(同書には宮城県をはじめ各地の地名を金属・鉱物地名として解説している。後日、また紹介させていただきたい。)■関連する過去の記事 白石湯沢温泉「やくせん」(2007年05月13日) 東北の飲泉地(06年7月18日) ハンダの名の由来 桑折町(2010年8月7日)(半田銀山)
2014.06.16
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またまたこの話題です。ある本で取り上げていたもので。(都市生活研究プロジェクト[仙台チーム]『仙台ルール』中経出版、2013年)■関連する過去の記事 歩行者は左右どちらを通行するか 仙台のエスカレータ再論(2010年12月21日) 仙台のエスカレーター作法を考える(2010年4月9日)同書では、大阪式(右立ち。左側を歩行用に空ける。)と東京式(左立ち)の2大ルールが存在するが、大阪ルールは万博の際に世界的にメジャーな右立ちを定着させた、東京は遅れて1990年代に左立ちが定着した、としている。その上で、仙台では地下鉄は右立ち、JR(特に新幹線)では左立ちが多いが、統一されていない。むしろ、前の人に倣うことが仙台のルールと言えるのかも、との面白い解説だ。仙台がいまだに不統一なのは謎だが、それはさておき、気になったのは前段の部分。大阪の右立ちが、大阪万博の時に世界標準を取り入れたとするのは定説だ。しかし、東京は90年代に左立ちが定着、というのは初めて聞く。一体なぜだろう。俗説に江戸の侍が刀を抜きやすいように、という理由付けはともかくとしても、わが国では、大阪と仙台(地下鉄)ぐらいとされる右立ち以外には、基本的に左立ちの東京方式とされるのだから、それが90年代というのは、ちょっと意外だ。もっとも、混在していたのが徐々に統一されてきた時期が90年代ということなら、なんとなく理解もできる。もともとエスカレータは、静止して立つべきで歩いてはいけないとの教えもあったような気もするし、そうは言っても急ぐ人に道を開けてくださいというマナーも自然発生的に出てきたのだろう。不特定ならぬ特定の多数が毎朝利用するようなターミナル駅の場合は、おのずと左右どちらかに決まっていくだろう。気を利かせた駅員が誘導する場合もあったかもしれない。そうして、ローカルなルールが確立する。すると、いつしか新聞かTVが取り上げて首都圏でもあっちとこっちで違うね、という話題になって、それならヨリ都心のルールにあわせよう、という運動が起きたのではないか。それが90年代だったのではないだろうか。さて、話を本論の仙台に戻そう。私は20年近く朝晩JRを利用しているのだが、朝は確実に左立ち(右空け)になっている。東京式だ。ただし、一説には仙山線のホーム(7番とか8番とか)は右立ちというが、いくら利用集団がことなるとは言ってもそうではないだろう。仙台駅は東京ルールと言っていい。仙台駅でラッチを出て、駅建物内のエスカレータやペデストリアンデッキから地上に降りるエスカレータ(数年前にできたヤツ。ちょっと幅が狭いが。)も、左立ちだ。ロフトあたりは(高校生が並んで立っているのは別として)確かに左右混在、そして、地下鉄仙台駅は右立ち主流というぐあいだ。仙台では、地下鉄南北線開業時(1987年)に右立ちを指導したという説もある。JRが左立ちなのは、東北新幹線の影響が強いという説明も有力だ。いずれにしても、いまだに両ルールが(混在ならぬ)並立併存という、大変興味深い現象を抱える都市であることは間違いない。さて、両派併存状態を統一すべきかどうかも一応気にはなる。昨年4月に、仙台市が立ち位置を統一する条例を制定するなどとエイプリルフール記事を書いてバッシングを受けたA新聞があった。私自身は、現実には上記の書物がもう一つの仙台ルールというように、その場で前の人たちにあわせればいいだけのことで、統一の必要はないと思う。JR派と地下鉄派は、意外と毎日それぞれのルールだけを体験、実践していて、異文化理解をしていない場合が多数だという可能性もある。あるいは、地下鉄とJRを乗り継ぐ人は、すんなりと異文化を受け入れている。どっちにしても、統一の機運やタイミングは生じていないということでないか。(もっとも視覚の不自由な方への配慮の見地はあるかもしれない。ただし、そもそも安全をいうならエスカレータ上は歩くべきでないと思われるし、急ぐ人への配慮をどうすべきかというのは、本来的に、当該環境のもとで無理のない範囲での自然発生的なマナーなのではないだろうか。)東西線開通を来年に控えて、この話題、一層深まるだろうか。
2014.06.14
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今朝の新聞に広告されている。西道路が明日(6月10日)から夜間通行規制に入るという。夜10時から翌朝6時までの規制で、片側一車線にするようだ。来年3月末までと、ずいぶん長いが、安全のためだから止むを得まい。工事状況を知らせるサイトも設けているとのこと。ところで、この広告を眺めていて、いくつかの「謎」を抱いた。1 ひと口に青葉山トンネルと思っていたが、青葉山、川内、立町とそれぞれ固有名詞があったのか2 仲の瀬橋橋梁補修工事は仙台市と表示されているが、どこまで国直轄でどこから仙台市管理なのか3 国道48号とあるが、どの地点までが国道なのか4 仲の瀬橋は「仲ノ瀬」橋でないのか5 広告の発注者に「仙台河川国道事務局」とあるが、そんな組織あるのか最後のどうでもいい「謎の5」については、当然ながら仙台河川国道事務所が正しいのだろう。新聞広告で「・・・事務局」とは単なる誤字で、すべて業者任せだからこうなるのだ。広告では問い合わせ先が業者で、最後に、同事務所と仙台市(建設局道路部北道路建設課)が並列で「発注者」として出ていた。ということで、謎の1から4までを考えていきます。まず、謎の1点目から。青葉山トンネルとは、上記サイトによると一番長いトンネルを指す名称。仙台宮城IC側から市内に走る場合、長いトンネルを抜けると、川内住宅と広瀬川の間で一瞬外に出る(開削部)が、すぐにまた短いトンネルに入る。これが川内トンネル。そういえば、入り口上部に漢字で隧道名を記してたような気もする。川内トンネルは美術館や仙台二高の下を緩くカーブした後、広瀬川の上を仲の瀬橋(二層式の下部分)で越え、西公園(桜ケ岡公園)から(地上にも出られるが)再び地下トンネルに入り広瀬通で地上に出る。この最後のトンネルが立町トンネルということになる。次に、謎の2と3は、国管理と仙台市管理の分かれ目の問題だから、関連している。ちなみに国土交通省の地方組織は、東北地方整備局の下に仙台河川国道事務所がある。その傘下に、河川、国道、公園関係の事務所が38と、空港港湾関係が8事務所ある。宮城県関係の道路では、仙台河川国道事務所があり(あすと長町四丁目)、同事務所の出張所として、河川系、海岸系とならび、道路系では8つが置かれている。8つの出張所とはすなわち、仙台東国道維持出張所、仙台西(以下略)、気仙沼、石巻、岩沼、古川、鳴子、三陸道維持出張所。最後だけが名称がちょっと異なり(エリアではなく供用済みの三陸道の維持管理に特化しているようだ)、石巻に置かれている。(以上、国土交通省および地方組織のウェブサイトから)仙台西国道維持出張所は、宮城IC付近にある。同所の管理区間は、国道4号旧道の仙台市分、国道45号の苦竹ICから勾当台公園の間、国道48号勾当台公園前から山形県境(関山T)まで、仙台西道路が大町から折立まで自動車専用道路の5.4km、とある。このほか、共同溝や青葉通地下道も対象とのことだ。(同出張所のウェブサイトから)仙台市のウェブサイトで市道路線認定網図というので調べてみると、市道として路線番号「青葉1344」、路線名「仲の瀬橋路線」、延長591.1m、がある。これは、起点が西公園通り立町小学校の交差点で、終点が仙台二高・県美術館の交差点だ。他方で、広瀬通の立町小学校から晩翠通までの区間については市道や市管理国道の表示はない。つまり、国道48号で国管理である。以上を区間別で言い直すと、まず、広瀬通のうち晩翠通交差点から西公園・立町小学校交差点までの区間は、トンネル(立町T、仙台西道路)を含めて、R48で国管理。一方、立町小学校交差点から以西の仙台二高交差点までは、地上部分はすべて市道。地下のトンネル(立町T、川内T)と橋梁部分の下部層はR48(仙台西道路)で国管理。となっているようだ。また、仙台市の橋梁長寿命化修繕計画(平成25年度)によると、「仲の瀬橋」は橋長241.6mで37年経過とある。西道路は1983年供用開始とされているので、上層部の現橋はそれより前の昭和50年代前半に完成していたことになる。最後に、謎の4で、橋の名称だ。上記のように、市の橋梁名称も「仲の瀬橋」だ。ただし、橋のたもとに「川内中ノ瀬町」なる町名があるし、なんとなく「仲ノ瀬」だと思っていた。自分だけの感覚だったかもしれないが。意地になって昔の地図を開いてみるが(昭和56年1月昭文社、都市地図仙台)、橋は「中ノ瀬橋」、町は「川内仲ノ瀬町」、バス停は「仲の瀬橋」と三様だ。バス停は今も昔も「仲の瀬橋」のようだ。
2014.06.08
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本当にどうでもいいことだが、先週から今週にかけて、2人の方から話の中で「河北新聞」がスンナリと出てきたので、また気になった。以前にも、ずいぶんとこの理由を考えたのだが。■関連する過去の記事 なぜ人は「河北新聞」と呼ぶのか(2012年1月25日) 再び考える なぜ仙台の人は「河北新聞」というのか(2011年5月20日) 仙台・宮城の人はなぜ「河北新聞」と呼ぶのか(09年7月17日)ところで、固有名詞をどう略称するかについては、地域外の人にはわからないご当地ルールというものがある。たとえば、高校名の通称。学生の頃、栃木県から来た同級生たちは、ウタカ(宇都宮高校)、トチタカ(栃木高校)という当地の通称を教えてくれたが、東北ではあまりない用法ではないか。仙台でいえば、東北高校をナンコウとは、県外人にはわかるまい。マクドとマックの違いも地域差がある。ケンタ、ケンキチ、ドチキンの違いも。■関連する過去の記事 宮城はケンタか(2010年9月11日) そのほか、言語にまつわるくだらないことをあれこれ考えてきました。また、省略の作法には、地域差だけではなく、年代や職域などによっても違いがあるのだろう。言葉というのは、自分が自己表現やコミュニケーションに用いる際には、道具に過ぎないから気に留めないのだが、その道具じたいに光を当ててみると、使い手によって意味やニュアンスが違ったりもする。そこに、話し手の個性が見いだされ、また集団、地域、年代などでの違いをたどっていけば、意識や文化が反映されているのだろう。言葉は生きている。面白いものだ。「河北新聞」のことはすっかり離れてしまった。これはどうでもいいから。
2014.06.04
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