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次は第925首で、山部赤人が作った歌です。「ぬばたまの夜のふけゆけば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く」※_(ぬばたまの)夜が更けて行くと、久木の生える清い川原に千鳥がしきりに鳴いている。と歌っています。「ぬばたまの」は夜にかかる枕詞で、ヒオウギの実の黒いことから暗い夜の意になります。久木(ひさぎ;楸)はキササゲ又はアカメガシワと云われるノウゼンカズラ科の落葉高木で夏に花をつけます。
2022.04.30
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今日は午前11時頃から雨が降り出しました。その雨が降る中で「ツバメ」達は飛び回って餌とりをしていましたが、疲れたのか電線でひと休みしていました。ツバメ;スズメ目、ツバメ科、L=17cm、夏鳥
2022.04.29
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次は第923首で、山部赤人が作った歌です。第36首と第38首の柿本人麻呂が作った長歌(吉野賛歌)の表現を多く摂取しています。「やすみしし わが大君の 高知らす 吉野の宮は たたなづく 青垣ごもり 川なみの 清き河内そ 春へには 花咲きををり 秋へには 霧立ち渡る その山の いやますますに この川の 絶ゆることなく ももしきの 大宮人の 常に通はむ」※_(やすみしし)我が大君が高々とお造りになった吉野の宮は、幾重にも続く青垣の山並に包まれ、水の流れの清い河内だ。春には沢山の花が咲きたわみ、秋には霧が立ち渡る。その山々が重なり続くように、この川の絶えることがないように、(ももしきの)大宮人はいつの代までもこも宮に通うことだろう。と歌っています。「やすみしし(安見知し)」は大君にかかる枕詞で「安く平らやかに治める」意です。「ももしきの(百敷の)」は大宮にかかる枕詞で「多くの石を畳み築いた大宮」の意です。
2022.04.29
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次は第912首で、笠金村が作った歌です。「泊瀬女の造る木綿花み吉野の滝の水沫に咲きにけらずや」※_泊瀬女の造る木綿花よ、み吉野の急流の水泡として今ここに咲いているではないか」と歌っています。「泊瀬女(はつせめ)」は奈良県桜井市の初瀬の女の意です。「木綿花(ゆふはな)」は木綿の白さを花に譬えたものです。
2022.04.28
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次は第909首で、笠金村(かさのかなむら;奈良時代の歌人)が養老七年(723年)夏五月に元正天皇が吉野離宮に行幸された時に作った歌です。「山高み白木綿花に落ちたぎつ滝の河内は見れど飽かぬかも」※_山が高いので、白木綿花のように白く泡だって川が激しく流れる河内の地は、いくら見飽きることがない。と歌っています。「白木綿花(しらゆふはな)」は楮(こうぞ)の繊維を細かく裂き、神事の幣帛(へいはく)などに用いたもので、それを花に譬えて詠まれています。
2022.04.27
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次は第864首で、吉田宣(奈良時代の医官、百済系の帰化渡来人)が宴での諸人の梅花の歌に和して作った歌です。「後れゐて長恋せずはみ園生の梅の花にもならましものを」※_その宴に加わらず都に残っていて、いつまでも恋い慕っているぐらいなら、あなたのお庭の梅の花になりたいものだ。と歌っています。「み園生」は大伴旅人の庭園のことです。
2022.04.26
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堤防道路の土手を飛ぶ「ヒメウラナミジャノメ」を見つけました。どこかにとまるのを待って、草むらにとまったところを撮りました。タテハチョウ科ですがジャノメチョウ亜科とも分類されています。ヒメウラナミジャノメ;チョウ目、タテハチョウ科、L=20mm
2022.04.25
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大伴旅人主催の宴会で梅の花を詠んだ32首は終わって、その後に旅人が梅の花を詠んだ第849首から第852首の4首です。849;「残りたる雪に交じれる梅の花早くな散りそ雪は消ぬとも」※_残った雪に混じって開く梅の花よ、早々と散らないで。雪は消えてしまっても。と歌っています。850;「雪の色を奪ひて咲ける梅の花今盛りなり見む人もがも」※_雪の色を奪って白く咲いている梅の花は、今が盛りだ。見てくれる人がいたらなあ。と歌っています。851;「我がやどに盛りに咲ける梅の花散るべくなりぬ見む人もがも」※_私の家に今真っ盛りに咲いている梅の花も、散り際になった。見てくれる人がいたらなあ。と歌っています。852;「梅の花夢に語らくみやびたる花と我思ふ酒に浮かべこそ」※_梅の花が夢の中で語りかけるには、「みやびなる花だと自分でも思います。お酒に浮かべて下さいな。」と歌っています。梅の花が語り掛けたとは面白いですね。
2022.04.25
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次も宴会で梅の花を詠んだ第543首から第546首の歌4首です。543;土師氏御道が作った歌です。「梅の花折りかざしつつ諸人の遊ぶを見れば都しぞ思ふ。※_梅の花を手折って髪に挿しながら人々が遊ぶ様子を見ると、都が思い出される。と歌っています。544;小野氏国堅が作った歌です。「妹が家に雪かも降ると見るまでにここだも紛ふ梅の花かも」※_妻の家に雪が降るのかと見間違えるほどに、こんなにも散り乱れる梅の花だよ。と歌っています。545;門部石足が作った歌です。「うぐひすの待ちかてにせし梅が花散らずありこそ思ふ児がため」※_ウグイスが待ちかねていた梅の花よ、散らずにいてくれ。愛する人のために。と歌っています。546;小野田守(後の太宰少弐)が作った歌です。「霞立つ長き春日をかざせれどいやなつかしき梅の花かも」※_霞の立つ長い春の一日、梅の花を髪に挿しているが、いよいよ心惹かれる梅の花であるよ。と歌っています。
2022.04.24
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次も宴会で梅の花を詠んだ第839首から第842首の歌4首です。839;田辺真上(国司四等官)が作った歌です。「春の野に霧立ちわたり降る雪と人の見るまで梅の花散る」※_春の野に霧が立ちわたって降る雪かと、人が見間違えるほどに、梅に花が散る。と歌っています。840;村氏彼方が作った歌です。「春柳縵に折りし梅の花誰か浮かべし酒杯に植えに」※_春柳をかずらに挿すために折った梅の花を、いったい誰が浮かべたのだろう。酒盃の上に。と歌っています。841;高向老が作った歌です。「うぐひすの音聞くなへに梅の花我家の園に咲きて散る見ゆ」※_ウグイスの鳴き声が聞こえる折しも、梅の花が我が家の庭に咲いて散るのが見える。と歌っています。842;高氏海人が作った歌です。「我がやどの梅の下枝に遊びつつうぐひす鳴くも散らまく惜しみ」※_私の庭の梅の下枝に遊びながらウグイスが鳴くよ。花が散るのを惜しんで。と歌っています。
2022.04.23
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次も梅の花を詠んだ第835首から第838首の歌4首です。835;高氏義道(医者)が作った歌です。「春されば逢はむと思ひし梅の花今日の遊びに相見つるかも」※_春になったら逢おうと思っていた梅の花に、今日の宴会で逢うことができたよ。と歌っています。836;磯氏法麻呂(陰陽師)が作った歌です。「梅の花手折りかざして遊べども飽き足らぬ日は今日にしありけり」※_梅の花を手折って髪の挿して遊んでも、遊び足りない日とは今日のこの一日だった。と歌っています。837;志紀大道(算師;計算の専門家)が作った歌です。「春の野に鳴くやうぐひす馴けむと我が家の園に梅が花咲く」※_春の野に鳴くウグイスを誘い寄せて手なずけようと、我が家の庭に梅の花が咲く。と歌っています。838;榎氏鉢麻呂が作った歌です。「梅の花散り紛ひらる岡びにはうぐひす鳴くも春かたまけて」※_梅の花の散り乱れている岡の辺りには、ウグイスが鳴くよ、春になって。と歌っています。
2022.04.22
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次も宴会で梅の花を詠んだ第831首から第834首の歌4首です。831;坂茂安麻呂が作った歌です。「春なればうべも咲きたる梅の花君を思ふと夜眠も寝なくに」※_春なので、なるほど咲いた梅の花よ。君を思うと夜も眠れなかったものだが。と歌っています。832;荒氏稲布(神司)が作った歌です。「梅の花折りてかざせる諸人は今日の間は楽しくあるべし」※_梅の花を折って髪に挿している皆さんは、今日の一日きっと楽しく過ごすことでしょう。と歌っています。833;小野淑奈麻呂が作った歌です。「年のはに春の来たらばかくしこそ梅をかざして楽しくあるべし」※_年ごとに春が来たら、こうして、梅を髪に挿して楽しもう飲もう。と歌っています。834;少令史田氏肥人が作った歌です。「梅の花今盛りなり百鳥の声の恋しき春来たるらし」※_梅の花は今が盛りだ。いろいろな鳥の声の恋しい春が来たらしい。と歌っています。
2022.04.21
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次も梅の花を詠んだ第827首から第830首の歌4首です。827;山口若麻呂が作った歌です。「春されば木末隠りてうぐひすそ鳴きて去ぬなる梅が下枝に」※_春になったので、梢に隠れてウグイスは、鳴きながら梅の下枝の方へ移っていったようです。と歌っています。828;丹比氏が作った歌です。「人ごとに折りかざしつつ遊べどもいやめづらしき梅の花かも」※_人は皆、手折って髪に挿して遊んでいるけれども、いよいよ見飽きない梅の花よ。と歌っています。829;張福子(医師)が作った歌です。「梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべくなりにてあらづや」※_梅の花が咲いて散ったら、桜の花が続いて咲くようになっているではないか。と歌っています。830;佐伯子首(筑前国府次官)が作った歌です。「万代に年は来経とも梅の花絶ゆることなく咲きわたるべし」※_万代に年は過ぎて行くとも、梅の花は絶えることなく咲き続けることだろう。と歌っています。
2022.04.20
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次も梅の花を詠んだ第823首から第826首の4首です。823;大伴百代が作った歌です。「梅の花散らくはいづくしかすがにこの城の山に雪は降りつつ」※_梅の花が散るとは何処のことだろう。そういえば、この城の山に降り続いています。と歌っています。824;阿部氏が作った歌です。「梅の花散らまく惜しみ我が園の竹の林にうぐひす鳴くも」※_梅の花が散るのを惜しんで、私の園の竹の林に鶯が鳴くことよ。と歌っています。825;土師百村が作った歌です。「梅の花咲きたる園の青柳を縵にしつつ遊び暮らさな」※_梅の花の咲いている園の青柳を、かずらにしながら遊び暮らそう。と歌っています。826;大原氏が作った歌です。「うちなびく春の柳と我がやどの梅の花とをいかにか別れむ」※_うちなびく春の柳と、我が庭の梅の花と、どちらが良いなどと、どうして決められようか。と歌っています。
2022.04.19
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次も旅人主催の宴会で梅の花を詠んだ第819首から第822首の4首です。819;大伴大夫(豊後守)が作った歌です。「世の中は恋繁しゑやかくしあらば梅の花にもならましものを」※_人の世の中は恋する思いが多過ぎます。こんなことなら、梅の花にでもなったら良かったのに。820;葛井大成(筑後守)が作った歌です。「梅の花今盛りなり思ふどちかざしにしてな今盛りなり」※_梅の花は今が満開です。仲良し同士で髪に挿して飾りましょう。今がまっ盛りです。821;満誓沙弥が作った歌です。「青柳梅との花を折りかざし飲みての後は散りぬともよし」※_青柳の枝と、梅の花とを折って髪に挿し、酒宴が終わった後は、花は散ってしまっても構わない。822;大伴旅人(宴会の主人)が作った歌です。「わが園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも」※_私の庭に梅の花が散る。天から雪が流れて来るのだろうか。
2022.04.18
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次の第815首からの32首は梅の花を詠んだ歌が続きます。そこで日に4首づつ纏めて載せていきます。なお、これら32首は天平2年(730年)正月13日に大伴旅人の家で宴会が開かれて園梅を詠んだと万葉集に書かれています。815;来男人(主賓;大宰府首席次官)の作「正月立ち春の来たらばかくしこそ梅を招きつつ楽しき終へめ」※_正月になり春がきたら、こうして梅を招きながら歓楽を尽くそう。816;小野老(大宰府次官)の作「梅の花今咲けるごと散り過ぎず我が家の園にありこせぬかも」※_梅の花、今咲いているように散らないで、私の庭でこのまま咲いていてくれないだろうか。817;粟田大夫(大宰府次官)の作「梅の花咲きたる園の青柳は縵にすべくなりにけらずや」※_梅の花が咲いている庭の青柳は、かずらにできるほど枝を伸ばしている。818;山上憶良(筑前守)の作「春さればまづ咲くやどの梅の花ひとり見つつや春日暮らさむ」※_春になると最初に咲く庭の梅の花を、ひとりで見ながら春の日を過ごすものだろうか」
2022.04.17
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次は第798首で、山上憶良(やまのうえおくら;奈良時代初期の貴族、歌人)が作った歌です。「妹が見し楝の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干なくに」※_妻が、見た楝の花は散ってしまうだろう。私の流す涙はまだ乾かないのに。と歌っています。「楝(あふち)」は、「センダン」と称されるセンダン科の落葉高木で5月~6月に紫色の花を付けます。別名としてアフチ・オウチ・オオチなどと称されています。
2022.04.16
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次は第792首で、藤原久須磨呂が、大伴家持から贈られてきた第786首に答えて作った歌です。「春雨を待つとにしあらし我がやどの若木の梅もいまだ含めり」※_春雨を待っているらしい。我が家の庭の若木の梅もまだ蕾のままです。と歌っています。自分の娘はまだ「つぼみ」だと言っているのですね。
2022.04.15
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次は第786首と第788首で、大伴家持が自分の娘を「梅の花」に譬えて、藤原久須麻呂(ふじわらのくすまろ;奈良時代の貴族、藤原仲麻呂の三男)に報増した歌です。786;「春の雨はいやしき降るに梅の花いまだ咲かなくいと若みかも」※_春雨は益々しきりに降っているのに、梅の花はまだ咲かない。木が若すぎるからだろうか。と歌っています。788;「うら若み花咲きがたき梅を植ゑて人の言しみ思ひそ我がする」※_まだ若くて花を咲かせるに至らない梅の木を植えて、人の噂がうるさいので思い悩んでいます。と歌っています。
2022.04.14
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今日もいつものように10時頃に散歩に出かけました。先日「ウグイス」を撮ったところから少し離れた所で鳴いている「ウグイス」を見つけて、鳴いているところを撮ることが出来ました。後で気がついたのですが、こんなに大きく口を開けて鳴いていたとはビックリでした。
2022.04.13
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次は第727首で、大伴家持が坂上大嬢に贈った歌です。「忘れ草わが下紐に着けたれど醜の醜草言にしありけり」※_忘れ草を下着の紐に付けたけれど、馬鹿な馬鹿草め、忘れ草とは名ばかりだ。と歌っています。「忘れ草を身に着けていても貴方を忘れられなかった」との気持ちを詠んだものです。「忘れ草」はヤブカンゾウで、第334首で説明済です。
2022.04.13
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今日も良い天気で日中は気温が上がって夏のようでした。10時頃に散歩に出かけ、堤防の土手のタンポポの花の蜜を吸う「キアゲハ」を見つけました。この春に羽化したばかりの春型の翅でキズが無い綺麗な蝶でした。キアゲハ;アゲハチョウ科、L=80mm
2022.04.12
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次は第675首です。中臣女郎が作って、大伴家持に贈った歌です「をみなへし佐紀沢に生ふる花かつみかつても知らぬ恋もするかも」※_(をみなへし)佐紀沢に生える花かつみ、かつて全く思いもしなかった恋をしているのです。と歌っています。「をみなへし」は女郎花の花が咲きの意で、地名の佐紀沢の枕詞です。「花かつみ」は未詳ですが、花菖蒲とする説があります。「女郎花(オミナエシ)」はオミナエシ科の多年生植物で6月から10月の間に花を付けます。また秋の七草でもあります。
2022.04.12
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次は第669首です。春日王(かすがのおほきみ;奈良時代の皇族、志貴皇子の子、母は多紀皇女)が作った歌です。「あしひきの山橘の色に出でよ語らひ継ぎて逢ふこともあらむ」※_(あしひきの)山橘の実のようにはっきり色に出しなさい。人々が語り伝えて、会う機会もあるでしょうから。と歌っています。「あしひきの」は山にかかる枕詞で、「足引きの」と書いて「足を引きずるような険しい山」と解釈する説があります。「山橘」はヤブコウジの古称。サクラソウ科の常緑小低木で、7月から8月ピンクの小さな花が咲き、冬に赤い実を付けます。「十両」と称されて盆栽としても楽しまれています。
2022.04.11
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次は第649首で、大伴坂上郎女が使者の来ない不安を詠んだ歌です。「夏葛の絶えぬ使ひのよどめれば事しもあるごと思ひつるかも」※_(夏葛の)絶えず来ていたお使いがとぎれたので、きっと何か事が起こったのかと思いました。と歌っています。「夏葛の」は夏の葛の蔓(つる)が伸び広がっているさまから「絶えぬ」にかかる枕詞です。「夏葛」はマメ科の落葉つる性植物のクズの別名で、8月から9月に紫色の花が咲きます。万葉の時代から秋の七草の一つになっています。
2022.04.10
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今日も朝から快晴で暖かの日和です。10時半頃から散歩に出かけ、いつもウグイスの鳴き声が聞こえる河原を通りかかった時、木の枝にとまって鳴く「ウグイス」を見つけ、急いでシャッターを押しました。久し振りに姿を見ることが出来ましたが、やっぱり「ウグイス」は鳴き声が素敵だけれど、姿は地味で綺麗さはないですね。
2022.04.09
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次は第630首で、佐伯赤麻呂(さえきのあかまろ;奈良時代の歌人、佐伯男とも称される)が作った歌です。「初花の散るべきものを人言の繁きによりてよどむころかも」※_初花のように散りやすいものなのに、人の口がうるさいので、通うのをためらっているこの頃です。と歌っています。上二句の「初花の散るべきものを」は「うら若い少女を人に娶られてしまう」とする意があるようです。
2022.04.09
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次は第564首です。大伴坂上郎女が作った歌です。「山菅の実成らぬことを我に寄そり言はれし君はたれとか寝らむ」※_山菅の実の成らないことを、私といわくありげに噂された貴方は、今は誰と寝ているのでしょうか。と歌っています。私と良い仲だと噂されたが結局結ばれなかったことを詠んだようです。「山菅(やますげ)」はユリ科の多年草のヤブランで、8月から10月に紫色の花が咲きます。
2022.04.08
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次は第500首で、碁檀越(ごのだんおつ;碁師とも)が伊勢の国に旅した時に、その妻が家で作った歌です。「神風の伊勢の浜萩折り伏せて旅寝やすらむ荒き浜辺に」※_(神風の)伊勢の浜萩を折り伏せて、いまごろ私の夫は旅の仮寝をしているでしょうか。荒れた寂しい浜辺で。と歌っています。「浜萩」は浜に生える萩です。「神風の」は伊勢の海にかかる枕詞です。
2022.04.07
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次は第496首で、柿本人麻呂が作った歌です。「み熊野の浦の浜木綿百重なす心は思へどただに逢はぬかも」熊野の浦の浜木綿(はまゆう)の葉のように、幾重にも逢いたくて心では思うけれど、直接は逢えないはことだ。と歌っています。「浜木綿」はヒガンバナ科の多年草で夏に六弁の白い花を付けます。
2022.04.06
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実がなる草木として、以前に取り上げた「アオキ」ですが、どんな花を付けるのか、これまで知らずにいました。今朝、藪の中に生える「アオキ」を見ると紫色の花を沢山付けていました。アオキの花参考;アオキの実
2022.04.05
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次は第478首で、第476首(2月3日作)と同様に大伴家持が安積皇子が亡くなった後(3月24日作)で作った歌です。「かけまくも あやに恐し わが大君 皇子の命 もののふの 八十伴の男を 召し集へ あどもひたまひ 朝狩に 鹿猪踏み起こし 夕狩に 鶉雉踏み立て 大御馬の 口抑へとめ 御心を 見し明らめし活道山 木立の茂に 咲く花も 移ろひにけり 世の中は かくのみならし ますらをの 心振り起こし 剣大刀 腰に取り佩き 梓弓 靫取り負ひて 天地と いや遠長に 万代に かくしもがもと 頼めりし 皇子の御門の 五月蠅なす 騒ぐ舎人は 白たへに 衣取り着て 常なりし 笑まひ振舞 いや日異に 変はらふ見れば 悲しきろかも」※_この歌は「万葉集の野鳥たち」と「万葉集の昆虫たち」で取り上げています。ここでの花は「咲く花は散ってしまった」と、無常のこととしてと詠んでいます。
2022.04.05
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今日は雨も上げって日差しもあり、午前中は畑で草取り作業をしました。畑の水桶は一杯に水が溜まっていて、水の上に1匹のアメンボが浮かんでいました。図鑑で調べると「コセアカアメンボ」と判りました。アメンボはいつも水辺で生活していると思っていましたが、図鑑によると、普通に陸上でも活動すると判り驚きました。コセアカアメンボ;カメムシ目、アメンボ科、L=14mm
2022.04.04
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次は第475首です。天平16年(744年)2月に安積皇子が亡くなった時に、大伴家持が作った歌です。「かけまくも あやに恐し 言はまくも ゆゆしきかも わが大君 皇子の命 万代に めしたまはまし 大日本 久迩の都は うちなびく 春さりぬれば 山辺には 花咲きををし 川瀬には 鮎子さ走り いや日異に 栄ゆる時に およづれの たはこととかも 白たへに 舎人よそひて 和東山 神輿立たして ひさかたの 天知らしぬれ こいまろび ひづち泣けども せむすべもなし」※_言葉にかけて言うことも、誠に恐れ多い。口に出して言うことも、憚り多いことよ。わが大君、安積皇子が、万代までもお治めになるはずであった。大日本の久迩の都は、春が来ると、山には花がいっぱい咲き、川瀬には小鮎が勢いよく泳ぎ、日増しに栄えている時に、人を惑わすでたらめの話とでも言うのだろうか、白い喪服に舎人たちは身を包み、和東山に、皇子の御輿がご出発になって、天を治めに行かれたので、転び回り、涙まみれに泣くけれども、もうどうにもしようがない。と歌っています。「久迩の都」は聖武天皇が天平12年(740年)に現木津川市加茂町に作った僅か5年の都です。
2022.04.04
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次は第464首、第466首、第469首の3首で、大伴家持が亡き妻を思って作った歌です。464;「秋さらば見つつ偲へと妹が植ゑしやどのなでしこ咲きにけるかも」※_秋が来たら見て愛でて下さいと、妻が植えた、庭のなでしこが咲いたよ。と歌っています。「なでしこ(撫子)」はナデシコ科の多年草で、秋の七草の一つです。466;「わがやどに 花そ咲きたる そを見れど 心もゆかず はしきやし 妹がありせば 水鴨なす 二人並び居 手折りても 見せましものを うつせみの 借れる身なれば 露霜の 消ゆくがごとく あしひきの 山道をさして 入日なす 隠りにしかば そこ思ふに 胸こそ痛き 言ひも得ず 名付けも知らず 跡もなき 世の中なれば せむすべもなし」※_「万葉集の野鳥たち」でも取り上げた長歌です。469;「妹が見しやどに花咲き時は経ぬ我が泣く涙いまだ干なくに」※_妻が見た我が家の庭に、なでしこの花が咲いた。日は経ったが、私の涙はまだ乾かない。と歌っています。
2022.04.03
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次は第455首で、天平3年(731)秋に亡くなった大伴旅人を嘆き悲しんで余明軍(旅人の従者)が作った歌です。「かくのみにありけるものを萩の花咲きてありやと問ひし君はも」※_こうしてお別れするだけだったのに、萩の花は咲いているかと尋ねられた貴方は、ああ!。と「萩の花」はマメ科ハギ属の落葉低木で秋に花を付けます。秋の七草としてもよく知られています。
2022.04.02
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次は第453首で、大伴旅人が亡き妻を思って作った歌です。「我妹子が植ゑし梅の木見るごとに心むせつつ涙し流る」※_我が妻が植えた梅の木を見るたびに、悲しみに心はむせび、涙が流れる。と歌っています。庭園の梅の花が咲き始めていたのを見て詠まれたのだろうと考えます。
2022.04.01
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