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欧州からの高校留学生が留学期間の途中で帰国した。よく、欧州人と国際結婚した女性から聞いていたのが、欧州で日本語を勉強している子はほとんどがオタクだということである。日本人女性でも欧州系白人と国際結婚し、欧州に住むという願望は強いようで、その願望者との間の話で小耳にはさんだからである。高校留学生では、留学動機を尋ねると、「日本語を学びたい」「日本文化を理解したい」などと紋切り型で言うが、アニメや漫画にある、ムネキュンとなるような個性的で包容力のある友人に囲まれて、自己中心的でエゴ剥き出しの環境から逃れて、救いを求めている学生も多いようだ。しかしながら、高校で留学生を受け入れてくれるような高校は意識も高く、学力レベルも高いし、同級生も進学にスポーツでの強化に必死で、留学生のお世話にまで手が回らないのは、欧米だけでなく日本も同じである。私の経験からすると欧州の社会の方が、海外から留学生のお世話をしてやろうという学生が多いように思う。親が扱いきれない経験を子供に積ませようとするのが海外留学であり、親が扱いきれないポイントがどこなのかを親もはっきりさせれば、受け入れ側にもそれなりの対応があるように思う。最近は、情報機器の発達で、人間同士のコミュニケーションが難しい時代を迎え、日本からの留学生も歓迎されないことも多いと聞く。コミュニケーションの難しい子供に異文化の中でショック療法で活路を見出そうというのは、それなりに送り出し側、受け入れ側での覚悟と計画が必要なことを示唆しているように思った。
2013.09.30
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言語交流研究所の地域の小さな講演会に参加した。赤ちゃんからの多言語習得を目指す団体の活動である。35年前に始まった活動だが、昨日の講師は初めて8年の和歌山県の大阪寄りにある市で活動を進めているフェローの話だった。小さな保育園児が外国人を保育園見学に連れて行ったときに、珍しいものだから「外人や」と言って少し引き下がりながらはやすような動きをする園児たちに、「外人も人間や」続いて「お前らも外国へ行ったら外人や」と叫んだという。そこで園児たちの雰囲気が変わったことに、親として子供の成長に驚いた。また、これは日頃から様々な国からの研修生や留学生の交換に触れさせていたからだと思うと同時に、このような実感は人それぞれに自然に備わっているもので、日本人だけの環境に長く放置すると異文化に壁が生まれてしまう。外国語を学ぶ前に、本来備わっている開けた子供の心を開花させられる環境と活動を進めることがグローバルに活動できる人づくりの基本だという論点であった。若いお母さんが、しっかりとした考えで言語交流研究所の活動を進めておられるのに大いに勇気づけられた講演会であった。講演会には、アジアから日本の来られた家族連れの参加者もあったが、すぐに入会されるまでには至らなかったようだが、このような活動が粘り強く続けられていることを知ってもらっただけでも効果があったと思う。
2013.09.29
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ちょっと声が裏返っただけで、起こっていると部下の女性から言われたショックは忘れられない。今ならパワハラと呼ばれてしまうらしい。現役人生では、このようないやな想いをさせてろくなことはなかった。さて、法人や国家というレベルでも同じようなことが起こる。特に戦争となると、否が応でも命を懸けた感情剥き出しの活動が繰り広げられる。そして、志高い高潔な人間が戦後PTSDにさいなまされたり、犠牲や被害を被った人々に消せない憤懣を残してしまい、その憤懣を歴史に刻み博物館に残す事態に至る。集団的自衛権の名のもとに、自国を守るのではない戦争行為の拡大で、果たして感情をコントロールし、自己犠牲でとどめる行為に押しとどめる能力が人にはあるのだろうか。高らかに積極的な平和主義でPKOへの参加をさらに推し進めてゆくというが、送られるほうにそれだけの覚悟があるのだろうか。中東・アフリカでは、欧米諸国のように植民地主義に関わりがなかった日本ゆえに役割は大きいと思うが、難民保護・女性保護などの活動は非常に結構だが、軍事介入というのは本当に難しい話だと思う。ミイラ取りがミイラになりかねないばかりか、ゾンビにさいなまされることは戦前の歴史が語るところではないだろうか。極限状態で感情をコントロールする力とは、大変深い志に支えられるものだと思う。
2013.09.28
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今年春のベトナム交流に参加した11名の学生も、その中からこの経験を基盤に活躍をし始めている人たちがいる。4回生として参加し、すでに就職した2名のうち一人は会社の将来にアジア展開が大いに関係しており、つねに世界の業界の動向に目を向けている。もう一人は中小企業の2世であり、ベトナムに限らず、インドネシアをはじめとして新興市場を旅行したうえで入社している。また、1回生で参加した東北出身の女子学生は交流で現地で友達や共同作業をする醍醐味を覚え、今年はオーストラリアに短期留学しており、海外で活躍したい希望を持っているようだ。いずれの学生もベトナム交流がきっかけになってくれているなら望外の幸せである。一方で、交流の早い段階からお腹ををこわして体調もすぐれず、苦労した学生もあった。アメリカではスパニッシュリベンジといわれる食あたりで、主に水に含まれる雑菌によるもののようだ。交流でアジアには向かないのではと拒絶反応に悩んでいるかもしれない。しかし、2回目となると免疫も鍛えられ、問題なく生活できる場合が多い。一昨日、中川翔子の香港体験で話していたが、彼女も1回目の香港滞在はさんざんな経験だったが、2回目以降では全く問題なく、香港との出会いを大いに深めていったようだ。いずれにせよ、内向きの学生が海の向こうへ思いを馳せて、力強く羽ばたき始めているのを見ると、大いに支援してゆかねばと強く思うのだ。
2013.09.27
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学生の国際交流、内向きの学生を外向きに。国際交流で日本の国際競争力を高めよう。趣旨はよく、総論賛成である。しかし、実際に運営するとなると交流期間中に事故が起こったらどうするか。会計報告はどうするか。同窓会などの支援があった場合に報告書をどう作成するか。(特に序文で趣旨と成果と将来的な課題と支援への強い感謝文が求められているのだが)学生にこれらの社会常識を指導することまでが期待されているようだ。円安で旅行費用が上昇する中で、スポンサーがいるなら支援は欠かせない。しかし、実際に渦中の中の栗を拾うとなると、受けてはいない。事故が起こったらどうしようか。報告書に値する経験を積んでくれるだろうか。決算報告書は作れるだろうか。交流会に学生は出てきてくれて、討議ができるだろうか。などなど、リスクは負いたくないが、趣旨には興味はある人ばかりが周囲を取り巻く。指導・引率に関しては、周囲は皆脱落し、お鉢が回ってきた。しかし、熟年になって若い学生と国際交流の場に同席できるというのは、この上ないチャンスである。おいしい話である。よろこんで受けることにしたが、果たして学生が集まるかどうか。
2013.09.26
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OBが集まれば、得意が表に出てくるし、苦手も表に出てくる。偉くなった人間ほど、金集めはうまい。しかし、金の出所になったところにサービスでお返しするのは苦手である。そこで、サービスごとに適任と思う人に委託してゆくのだが、OB同士なら結果が出てからでよいのでと鷹揚に構えてくれる人もあるが、若い人は投資の決断を迫ってくる。収入に見合った支出をと考えれば、みみっちい話になり、若い人は痺れを切らす。現役のころなら、「結果を出せばいいじゃないか。」「やってみなければわからないじゃないの。」と言っていたのが、いるを図って出るを制するなどと委縮する。しかし、若い人を巻き込む限りは、じじむさい話ではなく、やる・やらないの決断をはっきりして潔い進退を図るべきだろうとしみじみ感じる今日この頃である。自分の私財にまで及ぶわけではないのだから、潔さを重要である。じじむさい彼も、若いころは結構ギャンブラーだったのだが。
2013.09.25
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今週の日経ビジネスのイスラム特集は読みごたえがあった。とくに、ユダヤ教に対してキリスト教、それに対してイスラム教というのは、日頃国際交流を通じて感じていたことを言い当ててもらった感じである。思想面では、市場経済に対して共産主義・社会主義が起こったが、どちらも社会に定着するには至っていない。自由に自分の権益が最大になるように社会や市場に働きかけ、同志を組織し、あたれば思惑通りの利益を享受する。その才覚のないものは社会福祉に甘んずるか、受動的に労働力を売り渡す立場で、労働報酬は才覚のある者の裁量にゆだねられる。そこに格差が生じるし、才覚あるものの人間性に対する憤懣が社会に蓄積され、宗教改革やイデオロギー改革につながるのだろう。つねにこのような憤懣は社会に鬱積するのが歴史の流れではないかと思う。それを補完するのが、ボランティアであり、NPOであり、喜捨なのだろう。しかし、グローバル化してゆくビジネスの広がりの中で、このボランティア・NPO・喜捨などの対象をどう考えかは大きく変化している。どの国においても国民の間の格差に意識は集中するようだが、ビジネス活動に参加するものの貢献度はドンドン国境を越えつつある。企業活動で企業業績に貢献するのは日本人ばかりではない。日本人以外の従業員が住む国においての格差問題まで思いを致さなければならなくなってきている。このような課題の広がりを上手に把握して行動を求められている若いリーダーたちのご苦労には頭が下がる。理解者を大いに増やす努力として国際交流を進めてゆかねばならない。
2013.09.24
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若い人たちはやさしい。昨年度の国際交流の結果を見て、良かったと感心している。我々も同様に楽しんできたいという。そこには楽しむことが前面に出て、先輩に物足りなさを感じるというガッツが見られない。もっとできる。もっと楽しめるというハングリーさが欲しい。今年は昨年のレポートに基づき、もっと突っ込んでみたいことを探してみる。すでに知られているような楽しさは驚きや手ごたえが薄いので、報道されているようなものはしっかりと押さえて、オリジナルな発見や挑戦をしようと呼びかけたいと思っている。やさしすぎる若者に、先輩を乗り越える気概を持たせたいと思っているがどうなることか。
2013.09.23
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建国・独立には血なまぐさい暴力が関わっていることが多い。したがって、多くの国の国家はこのような血なまぐささが織り込まれている。そして、暴力や拳銃の所持が憲法で保障されていることさえある。しかし、20世紀を経て、自由と民主主義が民衆の願いであることは、情報技術の普及により共有されつつある。しかし、その過程で、アラブの春のように後戻りする事例も出てきているが、大筋での流れに相違はないように思える。暴力をできるだけ制約してゆくのは、自由と民主主義に加えた、一歩進んだ民衆の願いであることは、少しずつ共有されることが広がってきていると思う。しかし、いずれの国家でも国境問題を武力で解決すべきと考えているかどうかを意識調査したことはない。これほど重要な課題だが民意を問われることはない。国境は暴力で奪取・防衛するというのが当たり前なのだろうか。国際常識なのだろうか。21世紀はこれも問われているのではないだろうか。理想として向かうべき方向を定め、子供たちの教育啓発を開始するときではないのだろうか。
2013.09.22
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中国・韓国・台湾などに技術が流れ、苦戦したメーカーでは、技術を秘密にする傾向がさらに強まっている。極秘の開発などと言われるプロジェクトが進行する。他社の見学などは受け入れず、ひたすらに独自路線を自前で展開する。しかし、独自で展開できることはこの世の中に多くはない。そこで、守秘義務協定などの契約でガチガチにしばりつけてゆく。それより、リストラなどで解き放った技術者などの持つ技術技能のほうがはるかに競争力に影響力を持つ。一方で、ブラック企業のそしりを逃れるために開発スケジュールなども無理のないものにせざるを得ない。中国・韓国をはじめとした若さと馬力で開発してくるスピードについてゆくのは相当なものである。そのような制約を課すならば、秘密開発が必要な開発(レッドオーシャン)を行うより、もっと社会正義と利便に訴えるようなオープンな開発に向かうべきだろう。そこで、切磋琢磨するなら、喜ばれこそすれ、単なる勝ち負けだけにはならないように思う。そのためには、グローバルな人々が集まる中で、心を込めた主張ができるコミュニケーション能力が問われるのだろう。
2013.09.21
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朝ドラは、日本の先の大戦前後の姿を描いて多少なりとも国民の歴史認識を呼び起こした。また、現在放映中の「あまちゃん」は震災復興を全知全能を使って製作されているのが痛々しいほど伝わってくる名作である。じいちゃんばあちゃんから小さな子供まで巻き込んで、時代のブームを巻き起こしている。今、日本が直面する課題を重くならないように軽やかに取り組んでいるのがすがすがしい。そこで、この朝ドラパワーを日本のグローバル化の取り組みに向けた番組をトライしてみてはどうかと思う。すでに海外実習生などは、日本経済にはなくてはならない存在になっているし、これからもっと活躍してもらうことが期待されていると思う。高度専門人材の世界での取りあい競争になっているが、日本では高度技能人材を育成してゆくのがふさわしいだろう。モノづくりでも販売でもおもてなしの心でわざと心を磨き上げ、育て上げてゆくドラマはどうだろう。グローバル化を身近にしてゆくのに朝ドラのパワーをお借りしたいものである。
2013.09.20
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グローバル時代にスピードラーニングなど業者も入り乱れている。そんな中で、地道な活動を続けているのが多言語交流研究所であろう。この創始者は、「耳から学ぶ」「話したい意欲を持って自然に付き合う・・・引力をもつ」「その環境に身を置く」ということを実践してこられている。「人間には言葉を身に着ける機能が備わっている」「言葉は教えられるものではない」「人間はいくつでも言葉を話すことができる」「伝わらないと思ったとたんに言葉の習得を止める」など人間の特性を掴みながら30年に亘る実践をしてこられた。国際交流に携わっていると、なるほどと納得することが多い。さきごろも留学していて壁にぶつかり故国の母親に相談して帰国を決めた学生が、決めた途端に日本語が出てこなくなったのを目の当たりにすると逆の意味でそうなんだと思ったりする。話したい人たちに囲まれていないと言葉は上達しない。留学生を包み込もうとする教室の雰囲気もなかったという感じもする。多くの高校生留学では、よく経験することである。周りの学生も受験に忙しく、留学生の日本語のお世話をする時間はないということである。一方で語学習得を意識しながら、外国人の日本語習得に目を向けられないのも、日本の国際化の遅れの一面かと思う。自分の子供たちの外国語習得でも、留学生の日本語上達でも、それを囲む人々のこころの広さがグローバル化への環境づくりのベースだと思う。
2013.09.19
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台風18号の襲った淀川で、鉄キチの小学生が濁流に落ちて溺れていたのを、勇気ある中国人青年が飛び込み、それを見守っていた人たちの協力で小学生が救われた。「生命の危機というのは、何も考える時間の余裕はない。即行動。」とのその中国人青年のコメントだったが、さわやかだったことと、その作業が困難を極め、周囲の人々との縄をつないでの共同作業に心打たれた。国家や国境とは何か。人間性というのは国境というものを越えている。国境問題で諍いを起こすというのは愚である。もちろん、国境・土地が国家と治安のベースであることは認識するが、お隣さんとでも境界線論争程、不毛な諍いであることは同じである。命も土地もすべて、天からの預かりものであって、命も土地も上手に使って人々を幸せにするためにあると教えてもらった感がある。柳条湖事件の記念日に、爽やかな行動に感謝したい。
2013.09.18
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家内に奨められて大阪国立国際美術館へいった。多くのエレガントな女性に交じって、かなりの男性も鑑賞していたのが興味深かった。五感と第六感がテーマであり、貴婦人の年輪を重ねて洗練されてゆく五感と第六感の謎に夢中にさせられる1時間半であった。さらっと通り過ぎれば4-50分の話だが、あれこれ想像して元に戻って見直す作業を3回重ねた。音声ガイドを借りて解説を聞いたのが災いしたのかもしれない。第6枚目のタペストリーでは、「空間がかすかに持ち上がっている」という表現にひっかかりを覚えて、どこがもちあがっているのかと戻って確認し、いろいろ矯めつ眇めつ確認したがわからず、6枚目のタペストリーは一番大きく、ゆったりとしているということしか理解できなかった。しかし、一般的には中世は封建主義の暗い時代というように捉えられているのが、実際には職人にとっては集中して技を磨きあげて、こんなに精緻なタピストリーを織り上げる喜びと誇りを持っていたことに思いを致した。自由と民主主義は素晴らしいが、職人技や自己実現というのは体制に関わりなしに繰り広げられていたのと思い知らされた。いくら封建主義とは言えども、人の根源的な美の追求という執念の前には手を緩めたり、権力がその虜になったことを思い知らされた。
2013.09.17
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高校留学生をホームステイで受け入れる難しさが表面化してきている。多くの高校生は自分の目的もあるので、それを理解しながら受け入れると、充実した高校生活を送ってくれる。しかし、グローバル化の進展とともに、日本では漫画やアニメのような破天荒な生活があるものと誤解していたり、ホストがあちこちに旅行させてくれるものだという幻想をいだいて来るものもあり、ホストファミリーが手を焼くような事態が散見されるようになってきている。これは、送り出し側にも問題があり、留学動機をきっちりと理解させないで、先輩が安易に「ホストファミリーが楽しいところにいろいろ連れて行ってくれたよ」というような動機づけをしたりしているから起こるようだ。前回紹介した多言語交流研究所の高校生交流は、多言語のコミュニケーションをマスターするというグローバルな団体内の交流であり、目的を共有する中なので、留学生が生き生きとして活動し、帰国後ものびのびと活動しているように思える。留学生機関といえどもそれぞれであり、ホストファミリーに負担がかかるような機関については、ホストのなり手がなくなる危機が迫ってきている。
2013.09.16
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多言語交流研究所の講演会に参加した。講師は、35年にわたって実践してきた同期生である。本当に7か国語の一度に覚えるの? という疑問が先に走りながら、家内が子供たちを連れて活動に参加していたのだが、久しぶりの再会であった。講演会には、タイ人や韓国人とのハーフの参加もあり、その人たちにたじろぐことなく、いや積極的に話しかけて、7か国語のマスター、21か国語への挑戦を話してくれた。インドなどは公用語が18種類あり、ルクセンブルグでは4か国語が話されている。ルクセンブルグでは小学校の1年がドイツ語、3年がフランス語、4年生から英語になるなど驚きの話が満載で、多くの言葉が文法や語彙が確立しないことが多い言われた。言われてみれば方言といわれるもの辞書があって伝承されるのではなく、世代を超えて口頭伝承されるのが基本である。近くはアイヌ語、政治的な理由から台湾語、バルセロナのあるカタラン語なども口頭継承語であり、その場に飛び込んで、強い気持ちで語り合うことが言葉の習得の基本だということだ。ヒマラヤの上るような夢の話だと思っていたことが、35年の時間を一つに書けた同窓生が手ごたえのある講演を聞かせてくれた。もちろん、小学生・中学生・高校生がこのような多言語を楽しみながらマスターしている様には驚かせられたし、すでに韓国人とのハーフの小学生は近所の中国人から中国語をマスターしていて、頼もしい21世紀を間近に見せてくれた。
2013.09.15
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年輩の一人暮らしの方が狙われているという。しかし、この年代は太平洋戦争後の厳しい時代を生き抜いてこられ、このようないかがわしい経験をいやというほど積まれてきたはずなのにと不思議に思う。同窓会を開いても怪しげな話が飛び交うこともあり、警戒をするが、全くの第三者なら立件されてしまうという話でも、気心が知れた人たちの間で収まるなら、そこまででとどめておいてくれよと祈る気持ちで見守ることも多い。実際、早くなくなり小さな奥様や小さなお子様が残されるようなこともあるが、幸い立派な会社勤めで保険もかけておられたので、経済的な面で支援する必要がないのが救いに感じることもある。人生も後半を迎えて、様々な生き様であるが、無事ゴールにたどり着きたいものだし、つまらないことに騙されないように、これまでの経験と人脈をフルに生かしたいものである。
2013.09.14
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大学生の交流のコーディネーターを仰せつかった。チームの中では、現地に派遣されるというのは華やかな仕事である。もちろんNPOなので報酬はないが、言質に行けるお座敷がかかるというのは花形である。このNPO立ち上げにあたっては、事務全般を仰せつかったが3年を経た今、自身のグローバルな人材育成というテーマに絞って、事務全般の仕事は手を放した。そして仰せつかったのが現地派遣の仕事である。周囲から見れば「いいとこどり」に見えるかもしれないが、結果が求められる仕事だけに適任として選ばれたのだからしょうがない。熟年になって、自分の器用なところを生かす仕事もこなしつつ、グローバルな人材の育成というテーマに専念するようになってきた。自分の器用なところを活かすのは貢献部分と考えて、メインのテーマに関わるためのちょっぴりの貢献と考えて、器用貧乏にならないように心がけている。それでも、周囲のみんなからは「いいとこどり」とみられるかもしれないが、よくよく見回せば、みんな「いいとこどりとちょっぴりの貢献」のスタンスでやっているのだおもうのだが。
2013.09.13
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国際交流のお手伝いをしている大学では、OB会から援助が出ているが、援助が減額され、かつ、報告書を手ごたえのあるものしてほしいという要望を寄せられた。付添の講師を1名につるなどして、コストの合理化を図ることにした。しかし、それ以上の課題は報告書を手ごたえのあるものにするということである。前回は第1回目ということで、参加者も全力を尽くしてくれたが、それ以上に魅力ある報告書にするという課題である。国際交流なのだから、訪問国のお宝を発見して持ち帰る必要があり、目も耳も舌も肥えたOBの皆さんをうならせるのは容易なことではない。このチャレンジに挑もうとする現役学生が現れるかどうか。企画中の今からドキドキしている。しかし、オリンピックで見た若者の力がある。参加してくれようとする学生があるのを信じて、かれらの力を五感をフルに生かして訪問国のお宝を探しとってくる支援ができればと思う。OBが驚くようなことは、すでに日本で知られているようなことではダメなので、そのためにはすでに知られていることは何かも探りながら、現地側でパートナーとなってくれる学生を巻き込んで成功に導かねばならない。成功すれば、熟年の冥利に尽きるのだが。挑戦は始まった。
2013.09.12
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近年、情報技術の進展で、産業界と学生の行動がどんどん近づいてきている。米国もそうだが、韓国では財閥の人選基準が高校生レベルでも把握されており、それが大学入試をさらに難関にしているようだ。日本の場合は、ファーストリテイリングぐらいしか学生と企業が接点をもつようになっていない。学生には内向きだとぼやくだけで、具体的な期待を明確にしていないのは産業界の怠慢のように映る。そこで、産業界から大学宛に国際的な調査テーマを投げかけて、小さな奨学金を出すようにすればどうかと思う。たとえ1万円だとしても学生にとっては非常に魅力ある金額である。単なる海外観光旅行ではなく、旅行先で日系企業やJETROなどの政府機関を尋ね、実際にマーケットに赴いて自分の感性をフルに発揮させた観察をスポンサー企業にフィードバックするというのはどうだろう。複数の観察が欲しい時には、複数人に奨学金を出せばよい。学生も複数企業のテーマにチャレンジすれば、それなりのアルバイトになるし、実業界のレポートとはどういうものかを身に着けられる。その中から就活に結びつくものも現れるのではないだろうか。企業にとっても採用経費としては非常に安上がりであり、中小企業にとってもチャンスであると思われる。学生の外向きの活動に産業界からの支援が望まれる。
2013.09.11
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寛元総理に向けた原発自己責任訴訟では、首相の責任は問われなかった。柔道連盟の理事長にしてもプロ野球のコミッショナーにしても、トップの責任を問うことは非常に難しい。太平洋戦争の責任問題も同様である。原発設置の時期にも、住民や国民は潤うという決断で結果的には設置がされた。民主主義の難しい側面である。ただ、被害を被った人々は歴史認識で迫ってくる。歴史は単純なものではないが、多角的に捉えてゆく必要がある。太平洋戦争における日本の場合、天皇の責任をどう考えるかが避けて通れない問題になってくる。一億国民が国論として責任があるのであって、天皇は象徴として処分をGHQにゆだねたということなのだろう。単身、丸裸でGHQを訪問したのだから、その場で拘束されることも覚悟の上だったといえよう。各国とも国家とは独立の経緯をベースに国家のバックボーンが築き上げられており、その意味でアジアにおいては日本からの独立を勝ち取るという形をとるので、その過程で起こった悲惨な事件の責任をすべて負いかぶせられる形になるので日本はつらい立場にある。多少は思い上がったところも合ったり、植民地主義の排除と対等な関係でアジアを確立させようという意志が背景にあったと思われる。世界、アジアの中の日本を語ろうとするときに、日本だけを述べるのではなく、アジアとの関係でどのように考え、揺れに揺れて太平洋戦争にいたったのか、その後、どのような貢献をしてきたのかをできるだけ現代に近いところまでを展示するアジア歴史博物館を建設するときに来ているのではないだろうか。そして、どのような世界への貢献を目指すのかというメッセージまで主張できれば、中韓の独立博物館と補完関係にある展示ができると思うのだが。
2013.09.10
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50代の後輩と食事をした。今、会社では丁度、中期計画のまとめに入っている時で、当然担当事業の行方が課題となり、事業整理ということになればリストラの対象になるようである。そこで、自分の定年退職後の生き方を率直に話してやった。定年退職後と言っても、悠々自適が待っているわけではなく、日本を囲む情勢は刻々と変わってきている。私は、日韓・日越関係を中心とした戦前の日本の行動と課題を勉強をしていること、小中学生、高校生、大学生の国際交流の支援をテーマに活動していることなどを話してやると、緊張していた表情に、少し明るさと安心が伺えた。それぞれの交流に関わる人たちが直面する課題について取り組み方を示せるような活動をしてゆくのが私のテーマである。小さな取り組みだが、小さなロールモデルだと思っている。多様なロールモデルの中から、後輩たちが幾分なりとも選び取るときの参考になれば望外の幸せである。選ばれなかったとしても、そのような生き方があるということで、迷っている中年の元気を誘えたら、これまた望外の幸せである。
2013.09.09
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内向きになっている日本が、国民一丸となって東京オリンピック招致に成功した。安倍首相も猪瀬知事も英語でそれなりになめらかなスピーチを行い、佐藤パラリンピアンの心打つスピーチも世界中のひとの心に訴えかけるものは何かを教えてくれた。それだけではなく、世界の多様な国々の信頼を勝ち取るために皇室の登場を願い、安倍首相が福島原発の収束のビジョンを明確に述べ、記者会見では核の依存を極小化するエネルギー政策にも言及した。オリンピックの日程には広島原爆記念日が含まれている。IOC委員との折衝の中で、当然日本の核政策の理念も問われたことだろう。また、中南米諸国のマドリッド票が日本に向いたことも大きいだろう。若い世代が、小さな子供たちにいたるまで、オリンピックとはこういうものだと見れたことが五輪招致の意義である。7年後までに、各種の課題をできるだけ明確にしてゆきたいものである。何にもまして、若い世代が子供たちが、内向きから世界に視線を向け、世界の心を打つ主張に目覚めたことが大きいと思う。人生経験を積んできた熟年世代も、子供たちの世界に向けた視線を主張に導けるように努力しなければならない。
2013.09.08
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短期訪問、長期留学など様々な学生が訪問してくる。今は、娘の家にトルコから学生が3泊4日で訪問している。日本語がよくできる大学3年生で、1年生の折にも1か月の留学をした経験者である。日本語が上達するかどうかは、本人の意識の持ち方によるところが大きい。今度のトルコ人学生の場合は、日本に滞在した期間は、通算で1か月半ぐらいだが、日頃からDVDや雑誌などで、正確な日本語を掴む努力をしているので、TPOにあった表現が使い分けられるようになっている。ここ1-2年で日本語能力試験1級を目指しているそうだが、是非合格してほしいと思わせるキャラクターを持っているのも素晴らしい。どんな就職をするのかが楽しみである。日本人とトルコ人の心の交流のカギになる仕事についてくれるだろう。今から楽しみなことである。
2013.09.07
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偉くなった人は「いいとこどり」がうまい。国際交流には、海外に訪問して交流する華々しい側面があるが、受け入れして地道な作業を行ったり、準備をしたりする地味な膨大な作業がある。留学にしても、ホームステイしてきたと留学生は鼻を高くし、楽しんできたというが、ホストファミリーの受け入れの気遣いは大変なものである。多くの偉い人はこの交流の華々しい側面だけを掬い取って、受け入れや準備などの下積みの作業に関わろうとしない。そして、交流した人や留学生にもっと掴み取ってきてほしかったというような論評が多い。しかし、発言が出てきたときがチャンスであり、このような偉い人に地道な作業への参画を上手に進めるような取り組みをしてゆきたいと思っている。世の中、いいとこどりだけではすまない。その地道な作業あってのいいとこであり、そこにこそ楽しい収穫がまっていることを知ってもらおう。
2013.09.06
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親子で国際交流を進めるファミリークラブに参加している。そこでは、子供たちが小学校のうちからロシア・韓国・台湾・タイなどホームステイして、国際的な環境の体感と自立心を養っている。もちろん、お母さんやお父さんもそれぞれに交流に向かう。そこで驚くのは、シングルの存在である。やはり、一人暮らしでも子供の国際交流などを通じて成長してゆく姿は楽しく励まされるものだからであろう。また、残念ながら子宝に恵まれない方の参加もあり、受け入れやホームステイに参加して、大いに自分磨きを図っている。次世代がどのように育っているのかをガラス張りにして子育てを考えるのは、社会の現実の展開を体感するのに欠かせないのだろう。そういう私も、この年になりながら、孫だけでなく、子供たちの成長を目の当たりにしてゆくのは楽しいし、いろいろな活動に忙しいお母さん方の手が回りにくいところをお手伝いしていることに手ごたえを感じている。シングルも子宝に恵まれない夫婦もシニアも次世代の育つ姿は心のよりどころなのだと強く感じる。
2013.09.05
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3台目のPCを買い換え、セキュリティーソフトの設置をした。ソフト会社の担当者に遠隔操作でインストールしてもらったが、自分のPCの画面が遠隔で操作されてゆくさまをみて、出際の良さに感心した。一方で、担当者が中国人の名前で、見事な日本語を使って操作された。優秀な人材が合理的な給与で雇えるからなのだろうが、セキュリティーのど真ん中に外国人社員がいることに多少の違和感を感じながらも、グローバル化の進展がここまできているとも思った。日本だ中国だと言いながらも、もう日本国内のセキュリティー部門でさえも、純国産人材では賄えない状況は、ハード面で防衛線のことばかりに目を吊り上げている国民の多くは何を言っているのかと静かに主張しているように思えた。しかし、国境線・財産・人命に関することには譲れないのだろうと思うが、このような情報やサービスの側面がグローバルな協力関係で出来上がってくると、ハード面での国境を守ることが難しくなるのではないかと思われる。奈良時代以前にも、多くの朝鮮半島からの人々が日本という土地で、かなり高度な技術・技能職として活躍していたころに思いを馳せさせてくれた出来事だった。
2013.09.04
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中韓をはじめとしたアジア諸国から歴史認識を迫られ、日本人も随分戦前の歴史を勉強する様になってきている。その中で、日本人の小さなことへのこだわりの深さや職人気質というような特性もはっきりと自覚されるようになってきた。併せて周囲との調和や空気に流されやすい体質も明らかになってきた。さて、戦前の歴史に関しては、欧米諸国がアフリカ諸国に対して持つのと同様の植民地支配における暗い側面を日本も持っている。日本だけがこのような歴史問題を持つのではないと考える必要がある。その中で、欧米諸国もそうであったように、日本の国際貢献に向けた発信が求められる。これがないと歴史認識に出口が見つからない。その意味で、日本人の気質や特色が共有される始めてきているのは結構なことである。歴史認識においては、相手国は自国の都合の良い事実だけを述べるにとどまるが、日本の歴史認識では日本の行動の背景と相手国の混乱も述べねばなるまい。お相手国にとっては都合の悪い事実も含まれるかもしれない。しかし、そのような事実をうけいれながら、日本の国際貢献、アジア諸国への貢献を訴え続けてゆくことしかないのではないだろうか。過去・現在・未来の3段階を訴えかける記念館を創設するしかないと思う。
2013.09.03
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大阪で開かれたグローバル人材の活用シンポジウムで、座長の経営者がグローバル化した会社を支えてくれるのは日本人にはこだわらないと述べられた。関西では一番大きな勉強会だったので、やはりここまで来ているとの感慨がしきりであった。液晶パネルでも、必ずしもシャープではなく、サムソンからパネルを購入したソニー。もうすでに国籍を同じくする企業といえどもビジネスのロジックに合わなければパートナーとしては選ばれることはない。また、日本に立地しているからといって経営者が日本人であるとは限らない。そうすると国家とは何かということになる。結局は、立地を提供し、雇用を生み出す環境を作り、そこに住む人々が終生安心して生活し、次世代を生み続けられる場所のことを意味するのだろう。もともと日本は痰一民族国家であるなどと20世紀中盤まで言われていたし、農耕民族であるなどと言われていたが、今やだれもそんな単純な図式を信用するものはいない。終生といえども、老後・冬場は南国の楽園で、夏場はオーストラリアの避暑地で過ごすような人々が生まれてきたら、いよいよ国家そのものがはっきりしないものになってくる。どうやら、私のような凡庸な平均的な市民が生活してゆくレベルを提供してくれるところが国家なのかと思ったりもする。国際結婚した若い人が国籍は絶対日本を貫くなどという話を聞いたりすると、なぜ国家と人を切り離して考えているし、自身のルーツとして日本ブランドは手放せないようだ。国家というのは意外に複雑で解りにくいものである。
2013.09.02
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はだしのゲンが松江の教育委員会で小学校の図書閲覧禁止になった問題から、中沢啓治氏の死去と重なって大変な関心を呼んでいるのは、良かったと思う。この程度の残虐・性的表現を問題にするのなら、子供は社会に出られないと思う。小学生が適切かどうかは専門家に任せるとしても、小学校でも高学年になるといじめや暴力があり、はだしのゲンばりの怖い思いをしたことが思い起こされる。いじめの問題などをみれば、これぐらいの表現でひるんでいては、現実社会に立ち向かえないと思う。一方で、ファミレスにいけばお母さん方がおしゃべりに夢中になっているあいだ、小学生の低学年と思しき子供たちがゲームに夢中になって、技の見せあいをしている。子供がおとなしくゲームに夢中になっていれば助かるといった風情である。もちろん、ファミリークラブのバーベキューに行ったら、子供たちだけを国際交流キャンプに約10日間ほど入れた写真を見せてくれて、小学生の高学年たちだけでも大いにコミュニケーションを図って友達作りをして帰ってきた話もある。要は母親が社会や世界の現実をしっかりととらえて、子供たちにたくましい経験を積ませる必要があると思われる。しっかりと主張しないと目をそむけているだけでは、厳しい国際社会を生き抜けないのではないかと思った。
2013.09.01
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