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国境問題がかまびすしくなってきた。そのタイミングで大島渚氏が亡くなった。彼の初期の体を張ったドキュメンタリーが「忘れられた皇軍」である。グローバル化ということで、日本の企業も国内海外を問わない活動が展開する様になったが、戦争と国家という点では今の平均的な企業よりももっと幼稚な扱いしかできなかったのが日本であった。勇ましい話は一杯述べてアジアに侵攻したものの、徴用した兵隊や捕虜の扱いでも十分な処遇はできなかった。それでも一般市民は大政翼賛の風に乗って勇ましいアジテーションに乗ってしまうのが日本人であり、証拠も残さず時間とともに忘却の彼方へという国民性を持っていることの自覚が必要なのだろう。自身の目の黒いうちには間違いは起こさせないという気持ちで一杯である。しかし、若い世代がこのような風に吹かれてしまわないか、よくよく意識して関わっていきたいと思う。
2014.01.31
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頭の良い人が医者になる。医者になると病人を上手に引っ張って医院を拡張する。慢性病はお客の宝庫であり、検査と処方で売り上げを上げてゆく。予約を間違ってしまうと予約の取直しなどで、薬の分割処方になり、処方料・調剤料・服用指導料などがダブルにかかり、ミスは支払い増につながるようになっている。実に精密に仕組みが組まれているのに感心する。この頭を国民の福祉や連携の合理化などに向けてほしいものだ。縦割り診療で、診療科が変わると変わるごとに血液検査が必要になったり、断層写真が必要になるが、それぞれが調整して血液検査は統合するというようなわけにはいかないものなのか。縦割りに手間をかけることには何の問題意識もないようだが、患者本位に統合することには分担化などの仕組みが必要になるが、折角のよい頭もそちらには働かないのが不思議なのだが。
2014.01.30
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NPO団体の新年会の2次会を北新地で行った。会長の旧知の共栄会社の会長がその店に来店しておられ、3年ぶりの再会になった。共栄会社は、会長の勤めておられた会社への納入で高度成長をされたが、その後の生産海外シフトとその成否で3年前に苦境に立たされておられたが、真似するのが難しい技術を使った商品展開で自動車業界への納入を実現されたり、3年間集大成の取り組みをされて見事V字回復を遂げられたことを祝っての祝宴に同席されたような形になった。V字回復にヒントとなるわが団体の会長が述べておられたことを感謝し、祝宴に加えていただいたばかりか、帰途、手土産まで持たせていただいた。土産を持ち帰ると、家内も感心していた。人生の集大成の時期に入ったものとしては、本当にお世話になった人には、このように適切な謝意の示し方をするものだと強く感じた。
2014.01.29
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海外留学生交流団体では、ボランティアによる運営がなされているが、最近は学生のボランてティアの参加が低下してきている。大学の出席率の把握がカードで行われるので、さぼれなくなったことや、バイトが忙しいということである。バイトでしっかりとフィールド学習してくれればよいのだが、バイト先ではほとんどフィールド学習という視点が欠けていることが多い。マクドナルドあたりが一生懸命になっているようだが。その点、海外留学生団体なら大人も少し時間の余裕のあるOBも多く、いろいろな局面をしっかりと組織論、会計論、人材育成・開発論、マーケティング論、品質管理論などに沿って解説してくれる。今大学でもフィールド学習を取り入れるところもあるようだが、さらに多くの社会人がそれぞれの経験を活かしたボランティア活動に参加してきているので、これらの行動や討議に参加し、自身の特徴にさらに目覚め、能力開発の方向を考えるのには最適と思えるのだが、実際には時間の制約といいわけしてゲームの時間に流れてしまうのは惜しいことである。
2014.01.28
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なかなか長寿社会を生きるというのも大変である。欲張り爺さんやばあさんのおとぎ話が目の前に表れて、投資話に乗せられたり、遺産相続で骨肉の争いになる。少し冷静になれば遺産相続争いなどは起こらないと思っていたが、高齢になると今までの執念が凝り固まり、ちょっとやそっとで好き嫌いの気持ちは変わらず、それが執念に変化するようだ。冥途に先立つ前にわだかまりは解しておきたいと思うのだが、体力と気力に徳が備わっていないとほどけないのが解った。亡き祖父が、「人生死ぬまで勉強ぞ」と言っていたそうだが、これは相続するものが皆自戒する必要があると思った。それも、先の大戦で被災したことが一つの原因になっている。まさか、あれだけの人格者の子孫が醜い争いを起こしたくない。なんとか、子孫が前向きに物事を捉えられるように願いたい。また、戦争による被害を味わうことのないように海外の友人との友情を深めたいと思った。
2014.01.27
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幼児や学童が多い多言語交流研究所の活動に参加している。これは父母が多言語の習得を目指しながら、それよりもそのような環境に置いておけば子供の多言語の習得の基礎ができる上がるだろうという効果を狙っている。この活動も30年を超え、赤ちゃんのころから参加しているという子供が青年になり、留学なども軽々とこなし、社会人・主婦として活動を支え始めるようになってきている。ネイティブの発音を最初に身に着けようというもので、下手な発音が構文を頭に入れると後々苦労するのは、日本人の英語の大きな課題であったことの反省によるものだ。親が真剣に取り組んでいると、不思議なもので子供がヤンチャばかりしていたのが、しっかりと意図を理解した活動を始め、小学生というのに、ロシア・韓国・台湾・マレーシア・タイなどに赴いて多言語で交流しようとする意欲をもち実行するようになる。親が適切な行動をしていることが子育てには大事だということが、OBの年になってより深く感じられるようになり、娘のお手伝いで孫を活動に参加させるようにしている。
2014.01.26
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最近、今日は何曜日だったか目覚めの時に解らない日が起こるようになってきた。規則的に追われる活動がなくなったからだろう。そこで対策として、週報として先週の記録と翌週の計画を作るようにしてスケジュール帳に張り付けるようにした。しかし、それをつけながら、株価が急落したりすると対応に追われてスケジュール帳を見落としてしまったりすることも出てきた。昔から多くの事案をバランスとって行う仕事は不得意だったが、それが顕著になってきているようだ。これは、ビジネス時代に仕組みで習慣化していたスケジュール帳に従順に動くということを思い起こさねばならないのだろう。体力低下には運動、記憶力低下にはスケジュール帳・週報作成、管理力低下には日曜日の掃除の徹底を図らねばならないと思った。
2014.01.26
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50歳のグループがメキシコのホームステイから帰国した。お互いにマスターした言語の限りをつくし、大いに楽しいひと時を過ごしてきたようだ。正月に親父が、おふくろが不在になるという珍しいイベントである。大いに元気をもらって帰ってきている。グループのメンバーからいろいろなミッションをもらって多彩な経験を積んで帰ってきている。生まれたばかりの子ヤギの丸焼きを食べたり、種々のおつまみ的なものにビールを注いで飲んだりするメキシコではポピュラーで日本人にはびっくりするような経験を多くして、現地で中国人の作曲したデキシーランドでのダンスを楽しみ覚えて帰るなど、今までの人生をシャッフルして帰ってきている。ビジネスマンなら危険地域と呼ばれるようなところでも、ホストのグループがきっちりアテンドするので心配はない。平和の有難さを忘れないで広げてゆく活動である。一方で、日本国内に目を向けると、平和な活動を広げてゆくより、平和ボケしてはならない戦闘力の強化のほうに重点がおかれているような感じさえする。両方のバランスが必要なのだろうが、どちらかというと平和の拡大活動の輪を着実に広げてゆきたいものである。
2014.01.25
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高校のクラブメンバーが70歳に向けてのステージを目標に誘いがかかり、連絡役を仰せつかった。昔懐かしい名前と古い連絡先から現在の連絡先を探し出し、呼びかけを行って驚いたのが、プロ裸足の活動を展開している人が多いことだ。80歳になろうとする兄も同じような活動をして4つ5つの団体で年間何ステージもこなしているのに感心していたが、70歳ならステージの数もステージのレベルもびっくりするほど高い。高齢化社会というけれどこれほど豊かな文化性を誇れるのかと心動かされた。さて、このような活動を通じて何が生み出され、何を伝えることができるのか。老々介護以上のものが生まれてくることは間違いないと思う。
2014.01.24
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安重根を韓国民が讃えることに関して日本国民が云々することは内政干渉である。当時の日本国法によれば違法行為だったから日本政府はテロリストとして処分したことについては筋道が立っている。しかし、当時の弾圧の在り方が合法的に行われていたかどうかは課題が残る。これは国際法で重罪と裁かれたものを国内の論理で名誉回復する動きと不合理性は似通っている。自由・民主主義・独立というのは根源的なもので、他国のものにとっては不都合な事実も多く生まれる。お互い不都合な事実があったことを認め合いながら、もう一段高い見地で世界共存平和構築という視点で見なければ解決はあり得ない。他国の独立運動を支援するというのは非常に難しい活動であり、そこに微塵の私心が交じってはならないものなのである。日本が戦前の歴史に学ばねばならないことはこの点であり、福沢諭吉・大隈重信・伊藤博文・犬養毅などが当時頭を悩ませた史実を大いに学ぶべきであろう。
2014.01.23
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中世のお金持ちは立派な庭園や屋敷などを残せるが、近世・現代の日本では歴史に残るような邸宅や庭園は残せそうにない。特に日本のような中間層の分厚い民主主義社会では富の集中は難しい。しかし、米国型の資本主義社会ではアメリカンドリームを当てたものが立派な邸宅や庭園を残せそうだし、プール付き家が成功の目標になっていたりする。国富を経済的な成功者に集中させる国、中間層までに広く薄く持たせる国、国家に福祉財源として持たせる国など様々である。それぞれの違いはあっても、最終的に人生を終える時にそのシステムに応じた恩恵に感謝し、恩返しできる社会であることが一番だろう。その意味で、中間層以上に分散して資産を持たせる日本のしくみは幸せを感じる人を多く生みやすいしくみだと感謝するべきだろう。恩返しをどのような形で行うか、心して生きたいと思う。また、新興国に一つのパターンを示してゆけるよう努力してゆきたいものだ。
2014.01.22
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家内の友人が韓国から訪ねてきた。ご主人も一緒で、東寺の初弘法で茶器や香炉を仕入れるためらしい。京都の酵素浴や自然食を味わってもらいながら話していると、ご主人とは同年代であることが解った。これまでも同年代ということで国際的な関係ができたことがあるが、今回も同時代を生きてきたということで不思議な感慨が生まれてくる。終身雇用で38年会社に勤めていたことを言うと、立派な退職金に預かったのだろうとうらやましそうに言われたが、同じ時代を生きて、妻に全額の管理を受けているとはいえ、それなりの生活を保障してもらっているというのは、世界の中でも幸せな部類の属しているという感謝の想いを新たにしてもらえた。いろいろ安くて値打ちのある掘り出し物やストーリーを求めて夫婦で努力している同期生を見ながら、負けずに社会貢献をしてゆかねばならないとの思いを新たにした。
2014.01.21
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高齢化してくると人生の様々な振り返りが起こってくる。青春の一番輝いていた時のメンバーによるコンサートを行うべく練習会を行う。胸をときめかせた懐かしい連中が集まって若返ろうと。一方で、遺産相続などでいがみ合う。死んだ親の真意を忖度しながら世話と幸福を分かち合おうといろいろ考える。特に苦労をした人が関わってくると面倒である。よい配分を受けた人が、すべて故人の遺志と合法的な手続きを経ていると言思うものなら、ギャップは永遠のものになってしまう。いろいろあるが皆幸せでみんなの協力で今日を迎えられていることを感謝していると、真意を伝えれば、もっと仲良く過ごせると思うのだが。これは一国レベルでもいえることで、幸せなトキメキと残念な不幸とその克服への協力を讃えあうことでもっと幸せな明日が訪れるものだと思う。
2014.01.20
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科学者の兄は、核エネルギーは自然界の根本であり、これを極めるのが科学者の役目だと主張する。若い科学者がこの研究から尻込みすることを嘆かわしく感じている。私は、核エネルギーはほとんど神の領域にも近いエネルギーであり、人為の及ぶ実用までには至っていない途方もなく大きな存在である。まだ、破壊力にしかならず、制御不能のエネルギーであると感じている。研究対象であっても実用に供するのは時期尚早という立場だ。兄も80歳に近くなり、考えを変えることは難しく一方的に論点を展開するだけである。エネルギーは基本であり、これは少子化をどう捉えるかなど、次世代に対する責任など、すべての論議の基礎になることだけに、その隔たりは大きい。私は足るを知る平和共存で貪らず慎ましやかに発展をすることを望むのだが、荒々しい現実の世界の流れの中で蹂躙されると言われるのだが・・・。
2014.01.19
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祖父の代からの遺産相続について整理する役割を兄が担っている。父は病弱で入退院を繰り返していたせいで、祖父の遺産を売り食いする生活をしていた凄まじい遺産の動きであり、なんとかギリギリで大学を卒業させてもらったようである。父も、私の卒業直前に逝去した。後は、姉一家が家に入り事実上は父の生活の整理を行った形である。兄弟はおかげで結婚を添い遂げる形で、複雑にならずにすんだ。遺産とは、家族が孫の世代が自立するぐらいまで目が行き届くようにというのが限界だろう。その意味では、なんとか孫も自立しているので父の仕事としては一段落と思うのだが。自身で振り返ってみると孫の自立までの目配りはまだまだだと思う。最近は共稼ぎ世代になるので、孫育てに関しては、爺婆の出番が増えてくるように思える。孫の話題についてゆこうとするなら、幅広い視野が必要になるし、ITなどのスキルも磨き続けねばならない。家庭生活も事業であり、この事業継承もなかなかのものである。爺婆も気の休まるときがないし、勉強を続けねばならない。
2014.01.18
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かば’HIPPO’というグループは、言葉の習得を基本に忠実にやろうという団体である。音から入って言葉を習得しようというのである。文字から入って勉強する日本人がいつまでたっても英語が上達しないことの逆をいくわけだ。ネイティブスピーカーは話すスピードにも外国人に容赦はしない。我々世代はすぐにギブアップしてしまうが、この団体は易しい話をネイティブのスピードでそのまま歌のように飲み込んで話す。理論的にはよくわかるが、実際にやってみると唇や舌、音程がついてゆかずに苦労する。言葉を歌えと言われるが、日常会話というのは、実にデリケートで多彩な音楽であり、個人差もありそうそう口移しとはいかない。それでも聞き込んでゆくと少しずつ引っかかってくる。そうだ、小さい時にこのやり方を基本にしていたらもっと自然な英語が話せるようになっていただろうと想像に難くない。日本の今の常識からすると、ひっくり返った学習法だ。しかし、これこそが正攻法なのだ。それゆえ「カバ」といい、絶対に文字から勉強するというやり方の戻っては後悔するぞ、ひっくり返って「バカ」になるなというのである。もちろん会話というのは相手があってのことなので、英語のネイティブスピーカー尊重かと思ったら、そこも違って、すべての国の言葉も習得しようというのだ。今、日本で騒がれ始めたダイバーシティーを実践し、外国人とその国の言葉で交流しようということを目指している。大きなビジョンがあり、それが正しいなら、どこまで行けるか知らないが、行けるとこまで行くしかなかろう。66歳の手習いで、思い切り楽しみたいと思っている。
2014.01.17
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留学生の受け入れでは、白人系の英語圏・フランスからの留学生の受け入れ人気が高い。オーストラリア人と中華系マレーシア人の二人のどちらを受け入れるかという選択を学校に与えると、オーストラリア人ということだった。一方、言語交流研究所という団体のホームステイで選ばせたら、マレーシア人を選んだ。言語交流団体では、中華系マレー人なら、英語・マレー語・中国語ができる学生なので、広がりが大きいという。今、日本に求められているのは、英語はベースであり、中国語・マレー語を習得しているような人材が求められているのだから、英語圏などというのは周回遅れの発想である。福沢諭吉の「脱亜入欧」の時代は卒業しないといけないのに、まだ呪縛は解けていない。今、福沢諭吉が存命なら、入亜入欧と言われるのではないか。
2014.01.16
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稲盛記念財団の京都賞展示を見てきた。世界の叡智を表彰し続けておられる。そのスピーチのさわりを映像で見ることができるが、非常に示唆に富んでいる。日経新聞の私の履歴書が人気があるが、これの国際版である。科学者・技術者・社会事業家の優れた人々の生い立ちと心の軌跡を知ることができるすばらしい展示である。このような展示を私一人で独り占めにできる時間を持てた。その中で感じたことは、人間はそれぞれが違う特徴や使命を秘めて生まれ育つ。それぞれが人まねではなく、自然に力いっぱいに生きることが大切だということ。その上で、稲盛氏は、「世のため、人のため」になることが最も尊いと自身で実践しておられる。これは、少し世の中に目覚めてきた子供や若者に是非訪れてほしい施設である。就活・入試で京都の会社・学校の訪問時には、立ち寄ってほしいものである。
2014.01.15
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国際交流を進めている団体は、外から見るとお人よしの集まりである。留学生達が引っ越しをると言えば、車を出してやり、各調度品の拠出を募ってやる。やはり留学や異文化の中でのサポートをしてもらった経験者が多いからだろう。若い時の苦労は買ってでもせよというのはこういうことなんだとも思う。このような留学生が、将来どのようにこの活動を評価するのだろうと思うこともある。多くの学生のステイをさせて来たが、わが子が留学してお世話になったお返しであり、2倍3倍くらいのお返しをしてバランスがとれるのだろうと思う。というのも、ステイした子で、引き続きSNSなどでコンタクトを続けてくれる子は2-3割しかいないからである。交流団体には、そのような経験がなくとも積極的にかかわり、交流団体のメンバーが2-3倍あってもおかしくないという妄想に近い想いで頑張っている人もあり、実際に受け入れまで買ってでてくれるのを見ると頼もしくなる。きっとこの親の背中を見て、視野の広い子が育つのだろうと楽しみにしている。
2014.01.14
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ボランティア活動をやると給料をもらっているわけではないので、中々指示が行き渡りにくい。人間としてのクセで、始めたら成長発展を願うのだが、その思いは参加者によってさまざまである。思いの強い人は、どんどん突き詰めて考えてしまうが、殆どのメンバーはそんなにまで詰めて考えていない。どうせボランティアなのだから、自然体で楽しかったら続くだろうが、重荷になったらやめる人も出てくるだろうから。続けているうちにメリットをとれればよいだろうというのが大方の平均値のようである。それでも国際交流団体ということになれば、お相手の国のこともあり、そんなにいい加減なことではすまないと思うが、メリットを受けた張本人の幹部がそういう姿勢だから、こちらも目くじらを立てないようにしたいが。国際交流のボランティア活動では、幹部や参加者に熱意が感じられないのは残念である。
2014.01.13
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児童から国際交流を考える集まりでのことである。新年早々の抱負についてマイクが回ってきた。私は「ベトナム出張があるので、テキストテープにあるベトナム語による自己紹介を暗唱することを目標にします」というと、6歳になる孫は、「スペイン語のテキストを全部暗唱します」と続けた。前にみんなは、「できるだけ集まりに参加します」などと言っていたみんなはびっくりした。やはり前向きな発言は大事で、爺さんそこまでやるならボクはもっとやるぞという心意気がうれしい。6歳ともなれば、しっかりと見ているものだと感心した。爺さんとしてもぼやぼやしてはいられない。孫だけではなく、家内も娘も集まりのメンバーもみんな注目しているんだと強く感じたし、期待にこたえたいと思った。
2014.01.12
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世界的に高校の段階で海外留学させるのが盛んになってきている。学生は海外留学したいという希望を親に伝える。お金の工面をして留学せるのだが、受け入れ側があっての留学である。もちろん同じように交換で高校生の受け入れを求められる。問題は、この団体が受け入れの義務はないということで留学生を募集していることである。1980年代ぐらいまでは、受入れするホストは何とか確保できていたが、最近はホスト探しに大きな努力も必要になってきている。それは、大学生なので留学生をホームステイさせる人員が多くなっていていることもある。同じ留学生を受けるなら、大学生の方が大人であり、留学動機もよりクリアであることや、学校の方から謝礼が出ることもある。その上に高校生留学にはお弁当を持たせることをホストに義務付けていることも障害になっている。今や、専業主婦は減り、弁当がコミュニケーションであると実践できる家庭は大きく減少している。しかし、この団体はこのような変化に気付かず、旧態依然の方針を維持し、幹部が交流団体の老舗だというブランド意識ばかりで動いている。変化を受容して、自らの方針や体制を見直す意識改革は非常に難しい。危機である。この危機をどれだけ幹部が理解しているのだろうか。日本のグローバル化、国際化は「いいとこどり」しようとする人々ばかりで、壁に当たっているようである。国際交流を支える縁の下の努力に目覚めてほしい。
2014.01.11
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今年の新年をメキシコでホームステイしてきたグループがいる。50歳を前にして、一歩前に進んだという。英語ではない、スペイン語で過ごしてきた。物語テープを聞きこんで訪問したようだが、現地に入ればそんなに簡単に通じるわけがなかっようだ。それでもいろんなミッションをお相手に伝えてたくさんの経験を積んで帰ってきたようだ。幸い英語ができる人々ではなかったので、本人もスペイン語を磨くのに大いに良い環境だったようだ。ホームステイといっても普通の日にステイすると普通の人は昼間は働いて外出しているので、その間はおばあさんがいろいろ話し相手になってくれたようである。そこで、メキシコシティーの主要なところを案内してもらったようで、大いに楽しんできたようだ。ビジネスというと英語で通用する様に思えるが、一般人のコミュニケーションではその土地の言葉で話すのが基本であり、その地の言葉に敬意を払うというのがコミュニケーションの基本となる。そして、料理や案内にも力が入ってくるようだ。この春、ベトナムに出張する予定だが、ベトナム語の会話テープを聞きこんで、自己紹介ぐらいはできるようにしてゆこうと思っている。
2014.01.10
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安倍首相の靖国参拝で国内外が揺れている。世論調査では、支持が高いというのが気になる。「自分の身は自分で守る」という黄金律の延長線で考えるという点が説得力になっている。その自分を守る延長線が国のために命を賭したという英霊につながるという論点である。自分の身を守るという延長線は家庭のため、チームのため、会社のため、そして、所属する地元のため、省庁のため、国のためということで、少しずつ広がりを持って具体的な終着駅が国になるというのが20世紀までの構図だった。しかし、この守る対象は、理不尽から守ろうということで、国家だったら盲目的に相手と戦うというものではないはずだ。そこで21世紀の目で見て、本当に国家のために準じた人かどうかを国民投票で選別する見識が求められていると思う。多くの賢人たちが、このような見識のことを徳というような言葉で表したりしている。徳のない人まで英霊として神格化するのは疑問がある。そろそろ日本人も頑なな想いから解放されて、素直な心で英霊を見直してみる時が来ていると思う。最も恐ろしいのは、「自分の身は、自分で守らなかったら誰が助けてくれるというのだ」という空気が充満して、ヒステリックな流れが起こることである。世界にはもっと冷静に見てくれている人がたくさんいることが国際交流・草の根交流で実感することである。
2014.01.09
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一所懸命に働いて、貯めたお金で散財することを、ドカタの女郎買いという。高度経済成長時代に貯めた貿易黒字を、エネルギー輸入にはたいているのが、近年の日本だ。 団塊の世代は、海外旅行に消費しているので、あながちエネルギー輸入にのみ吸い取られているとは言い難いが、若い世代からはそう見えるだろう。 エコで上手な消費スタイルを先端成熟国としては示したいところである。将来を睨んで、アフリカ諸国が目標にしてくれるような国にしたいものだ。 今ある貯蓄を単なる女郎買いでなく、有益に使いたいものである。 iPhoneから送信 2014/01/08 9:34、 のメッセージ:
2014.01.08
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式年遷宮で、伊勢・出雲や古事記で日本の古代史が小さなブームらしい。特に、歴女が熱心なようで、近くのお母さん読書会で古事記を読み込んでおられる。歴史書というと、後の権力者が自分の権力の正統性を訴えるために眉唾しながら読むものと見られているが、学舎でない人々の観察は面白い。そこにユニークな発見も生まれてきているようだ。それは、水をテーマに探られたようで、雨・川・海・泉などは多く述べられている。出雲が多く語られているのに雪の記述がないのは、かなり恣意的な記述だというのである。出雲の現場に基づかない表現ではないかというのである。古事記は埋もれていた歴史書で、本居宣長がこれを国学のベースとしたのちに広く知られるようになったようで、日本書紀よりも史実に忠実ではないかと言われていたようだが、お母さんがたの目には、やっぱり現場に遠い人による編纂だと見られたようだ。歴史認識に遠い古代を持ち出す人もあるが、あまり遠すぎるのも説得力に欠けることが多いのは注意すべきだろう。
2014.01.07
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向こう三軒両隣とは、仲良くしなさい。遠い親戚よりも近くの友人。などと小さなころから教えられてきた。また、隣国を越しての世界はないとも言われてきた。これまでの日本の国の成り立ちにも朝鮮・中国は決定的な役割を果たしてきた。一方で、国境を分かつということは、一致してきたわけではないことを意味してもいる。放っておけば、仲悪くなるのが道理である。しかし、その中の悪さを増幅する必要はなく、仲がよいことはよきことである。これはお隣の国からも同じことが言える。戦争は、不測の事態から発生する。過激な考えを持つ人の暴発から始まり、収まりのつかない状況が戦争への展開につながるのは歴史が示すところであり、戦争当事者は深い悲しみと相手国への憎しみや恨みを積もらせることになる。隣国の情勢をよく理解し、善隣に勤めるようにしたいものである。隣国からの年末年始の挨拶を受けながら、しみじみと思うところが多かった。
2014.01.06
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初詣でおみくじを引く。今年は「大吉」、早速財布に大事にしまい込む。息子は「末吉」でおみくじを神社の境内に結び付けていた。おみくじで一喜一憂するのも、この年になると滑稽に思えるが、しかし気になるものだ。大吉が出て、なんとなく今やっていることの背中を押される感じがある。「凶」と出れば、いろいろ考え直したり、さらに改善工夫や改革を考えるだろう。弱気になったときには大吉で勇気をもらって決断するだろう。吉や半吉なら、いろいろ良い面、悪い面を勘案するだろう。年の初めの決断のときに熟考させてもらうおみくじはありがたいものである。さて、今年は進行中のプロジェクトに一層力を込めて取り組むようにしよう。
2014.01.05
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昨年妻の母が亡くなったので、今年は年賀に変えて、年始の墓参りになった。実家の近くの墓参りを済ませたところで、実家の庭にある八朔とキウィを収穫した。義母はなけなしの体力で八朔とキウィを作ってくれていたのだ。このような墓参りにささやかな収穫の楽しみを準備していた想いをかみしめながら刈り取った。これらをご近所や心やすい人に配った。供養である。考えてみれば、好きなことをしている子供に何にも言わずに見守り続け、死後でさえも子供に想いをかけてくれている生き方に、子供への接し方を教えられた。
2014.01.04
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中米メキシコ。治安は決してよくないという国で、その中でも米国との国境近くのチワワに多くの仲間が正月には大挙してホームステイにゆく。経済関係で同地を訪問する人は、身の安全に十分注意する必要があると言われている。その火中に多くの中年の日本人が丸裸状態でホームステイえうるというから、常識から考えると信じられない光景である。しかし、ここ10年近く何の問題も起こっていない。この人たちの愛称は「カバ」である。決してひっくり返ってはならない。「バカ」になるから。考えてみれば、経済活動で訪問すると、各種の利権を求めて勢力争いが起こり危険に身を晒すのではなかろうか。それがこの「カバ」の皆さんは、全く経済活動とは無縁の友好・親善かつどうだからなのだろう。海外で安全に暮らすためには、経済活動とは無縁で、友情を深めることに専念することなのだろう。うらみも買わず、楽しさを大いに増幅させるお付き合いを広げることは、危険が入り込む余地がないのだろう。相手国の言葉を覚え、世界に友人も輪を広げてゆこうとする「カバ」たちを見守ってゆきたい。決してひっくり返ってはならないのだろう。
2014.01.03
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子供は親から独立して次代を生み出してゆく。東京に出て勝負する。その気概は時間が経つにつれ、東京こそ日本の中心であり、地方は東京の効率化に見習うべきだという論点に変化してきている。地方に東京と同じ便利さと豊かさを求めるところに日本の非効率を生み出しているというのだ。外交に関しても、中国や韓国から極論で迫られるとそれなりの対応で返す考え方を持っているように見える。東京から帰省した子供たちから東京人のホンネを聞けたように思う。地方が権利と財源を求める動きをするから、東京側としてはこのような極論に傾くのだろう。親の世代としては、できるだけ子供の厄介にならない生活の仕方を考えている。また、日本全体を見渡してそれぞれの地方が特色ある工夫や努力をして面白いバラエティーを生み出していることを東京人に認識させる必要も感じた。また、民間レベルでの草の根の平和交流の動きも見せる必要があるように思った。子供たちの世代も必死に努力しているが、親の世代も日本を効率よく美しく穏やかに守り続ける努力を続けることが必要なのだろう。
2014.01.02
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年末年始に息子や娘が入れ替わり立ち代り帰省してくる。息子や娘も気づかないかもしれないがどんどん社会的な重責を担うようになってきて、ヘトヘトで帰省するので、家内も食事や生活の世話で大変である。それにもまして、孫たちがドンドン成長してきていろんな可能性を見せてくれるのには目を見張る。今年小学校に入学するのが一番上なので、まだかわいい盛りであるが、これが小学校高学年になるといろいろ憎まれ口も利くようになるのだろうと末恐ろしいが。子供たちにすればかわいいだけではなく、いろんな精神的・身体的な発達に向けての心配も尽きないようである。また、海外の市場に向けてもより危険地に足を踏み入れるようになるようで、一概にめでたいとばかりはいかないようである。今まで、初詣などには真剣でなかった子供たちも、近所の大きな神社にお参りして、神妙に手を合わせるさまには、親心がこもっているように見えた。成長は将来展開など神頼みも多くなるのだと時間の流れを強く感じさせる元旦である。
2014.01.01
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