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ボルヘス には笑いがあるということを、訳者は近頃しばしば思うようになった。さきに四苦八苦しながら 「幻獣辞典」 を翻訳した過程でも、ときおり笑いにすくわれるようなことがあった。そういえば、たとえば カーター・ホィーロック もその精緻なボルヘス論 「神話創造者」 の冒頭で、 「驚くべき、深遠な、ユーモラスな、幻惑的なボルヘスの幻想の世界」 と記していて、 《humorous》 の一語を忘れていない。本書はいわば 《おかしみ》 のアンソロジーとして読むことができる。 というわけで、ぼくがいうことはなにもありません。でも、それでは、あんまりなので、ぼくの頭でも面白いと思ったところを引用します。 柳瀬氏 がおっしゃるところの反復の反復ですが、まあ、文学というのはそういうものだということですね(笑)。
とはいっても本書はたんにさまざまの 《おかしみ》 のアンソロジーではなく、 反復 されるおかしみのアンソロジーである。本書のおかしみに出会って弛緩する我々の知的な筋肉がふとこわばるとすれば、それはここにおさめられた短い話(テイル)の背後に、いや前後に、あるいは過去と未来に 《反復》 というおぞましい影を何重にも見るからだ。現に、 ボルヘス のおかしみを語る訳者自身、 カーター・ホィーロック を反復しているではないか。
アントニー・カーリガン は、 「われわれが反復しないなら、それは臆病だ」 といい、 ルイス・マクニース を引用する(英語版序文)。
新しいものが何ひとつないことを
知っているがゆえに何ごとをもはじめないのは
衒学的な詭弁―
原罪だ。
囚われ者の誓い
黄金の銅の壺から外へ出してくれた漁師に妖霊はいった。
「わしは異端の妖霊のひとりで、ダヴィデの子ソロモン(ふたりとも安らかならんことを!)に背いたのだ。わしは負けた。ダヴィデの子ソロモンは神のいだけとわしに命じ、自分の命令に従えといった。わしは断った。王はこの銅の器にわしを閉じ込め、蓋に至高の御名を押し、服従した妖霊に命じてわしを大海の真只中へ投げ込ませた。わしは心の中でいったのだ、『わしを救い出してくれるものがあれば、そいつを永久に金持ちにしてやろう』とな。ところがまる百年たっても、わしを助け出してくれる者がいない。そこで心のなかでいったのだ、『わしを救い出してくれる者があれば、そいつに大地の魔法を残らず明かしてやろう。』しかし四百年たっても、わしは海の底だった。それからわしはいった、『救い出してくれる者があれば、そいつに三つの願いをかなえてやろう。』しかし九百年たった。そこでやけっぱちになって、わしは至高の御名のもとに誓ったのだ。『わしを助け出してくれる者があれば、そいつを殺してやろう。おお、わが救い主よ、死ぬ覚悟をせい!』」
「千夜一夜物語」第三夜(P48~49)
物語
王はクシオスを完全に別な国に連れ去れと命じた(「余は汝を死に処するが、しかしクシオスとして死ぬのであって、汝として死ぬのではないぞ!」)。彼は名前を変えられ、顔立ちの特徴も巧みに削り取られることになった。その新しい国の人々は彼に新しい過去をつくり、新しい家族を用意し、彼自身の才能とは似ても似つかない才能を準備しておくことになった。
たまたま彼が昔の生活の何かを思い出すと、彼らはそれを打ち消して、彼が狂っているとか何とかいいきかせるのだった・・・・。
彼のために家族が用意されていて、妻も子供たちも彼の妻であり子であるといった。
要するに、一切が一切、皆が皆、彼におまえはおまえではない人間だと告げるのだった。
ポール・ヴァレリー『未完の物語』(1950)(P124)
おそらくは幻惑的な いかがでしょう。 河出文庫 で読めるそうです。バスとか電車とかでスマホとか覗いていないで、こういうので首を傾げるというのもアリではないでしょうか。
仮面の男は階段を登っていた。彼の足音が夜の闇にこだました。チク、タク、チク、タク。
アグゥイル・アセベド『幻影』(1927)(P127)
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