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― あなたは人間よりも樹木が見たいのでしょう?とドイツ系のアメリカ人女性がいって、パーティーの人びとで埋まっている客間をつれ出し、広い渡り廊下からポーチを突っきって、広大な闇の前にみちびいた。笑い声とざわめきを背なかにまといつかせて、僕は水の匂いの暗闇を見つめていた。その暗闇の大半が、巨きい樹木ひとつで埋められていること、それは暗闇の裾に、これはわずかながら光を反映するかたちとして、幾重にもかさなった放射状の板根がこちらへ拡がっていることで了解される。その黒い板囲いのようなものが、灰青色の艶をかすかにあらわしてくるのをも、しだいに僕は見てとった。 セミナー の開催されている期間中、毎晩のように開かれるパーティーの場面ですが、これは、この夜、地元の精神病者のための施設で開かれたパーティーの場面で、主催者の一人である アガーテ というドイツ系だとわざわざ断って描写されている女性が 「僕」 に、施設の庭にある 「雨の木」 を見せるシーンです。
板根のよく発達した樹齢幾百年もの樹木が、その暗闇に、空と斜面のはるか下方の海をとざして立っているのだ。ニュー・イングランド風の大きい木造建築の、われわれの立っているポーチの庇から、昼間でもこの樹木は、人間でいえばおよそ脛のあたりまでしか眺めることはできぬだろう。建物の古風さ、むしろ古さそれ自体にふさわしく、いかにもひそやかに限られた照明のみのこの家で、庭の樹木はまったく黒い壁だ。
― あなたが知りたいといった、この土地なりの呼び方で、この樹木は「雨の木(レイン・ツリー)」、それも私たちのこの木は、とくに頭のいい「雨の木(レイン・ツリー)」。
そのようにこのアメリカ人女性は、われわれがサーネームのことははっきり意識せぬまま、アガーテと呼んでいた中年女性はいった。(P333~P334)
『雨の木』というのは、夜なかに驟雨があると、翌日は昼すぎまでその茂りの全体から滴をしたたらせて、雨を降らせるようだから。他の木はすぐ乾いてしまうのに、指の腹くらいの小さな葉をびっしりとつけているので、その葉に水滴をためこんでいられるのよ。頭がいい木でしょう。(P340) アガーテ による 「雨の木」 の紹介です。実は、この作品は、発表されると、ほぼ同時に、 武満徹 という作曲家によって 「雨の木」 という楽曲に作曲されていて、ユー・チューブでも聞くことができますが、その冒頭でこのセリフがナレーションされていて、まあ、今では、知る人ぞ知るというか、それなりにというか、まあ、有名な一節です。
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