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先週末から仕事3分遊び7分で大阪に出かけた。四国出身の私は数え切れないほど大阪は訪れているがあまり観光をした記憶が無い。google earth で写真を見ると堺地域に教科書でみた前方後円墳が大小沢山目に飛び込んできた。そうだ最大の仁徳天皇稜に行って見ようと思い立った。後円部にあたる三国ヶ丘駅の前から左回りで正面前方部へと歩を進めたが道路に沿って汚いどぶ堀があり内部の森の様子は窺い知ることが出来なかった。 (仁徳天皇稜正面) 正面に回ってみると墳部の高い丘と深い森が印象的であったが、前方後円部は三重の堀によって囲まれていることが分かった。宮内庁に物申す。せめて二重の堀に囲まれた外部分くらいは公園とし、臣下たる(?)あるいは主権者たる国民に開放すべきである。本来神としての天皇の御霊は死後地下なんかに居るはずは無い。地下にいるのは人間と同じく抜け殻である。去年はやった歌のとうりである。正面から見入っていたとき森の奥から一羽の鷹(鳶)が高くまいい上がりこちらに飛んできて私の上を飛び去った。それに比べて周囲に散在するマイナーな古墳は外堀も埋め立てられており、前方後円形がはっきりと認識できる。宮内庁に一考を促したい。 仁徳天皇稜の前は”ご稜通り”でまっすぐ堺市内まで伸びている。市中の千利休の遺跡には井戸が残されているが質素なものだ。 (千利休旧跡・椿井・飛び石の先)
2007.03.31
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いつもいつも旅行の話題ばかりなので”気まぐれ日記”にはふさわしくない。今日は環境問題への私見を述べることにする。現在の社会問題はレジ袋配布問題だ。レジ袋はポリエチレンかポリプロピレンだ。ご承知のように石油から合成される自然に破壊されない材質で川や山林に残留して害をなす。しかし、こんな便利なものがあるだろうか。物事には全て多面性が有る、高い山のなだらかな南面と雪崩でガレた険しい北面がある。レジ袋の便利さの反面は環境への負荷だ。しかし一枚のレジ袋を10回使うと話は違ってくる。覚えているだろうか20年位前デパートの買い物袋が丈夫で使いやすいビニール製から、イメージの良い紙製に変わった。このことを当時70歳のイギリス人婦人に話すと、彼女曰く、「そんなことをしてはいけない。人間は石油が無くても生きいけるが、紙を浪費して森林をなくすると保水、二酸化炭素欠乏で人類は滅んでしまう」。要するに「すぐ駄目になる紙の袋を使うより、ビニール袋を繰り返し使うことが地球環境の維持のためにより有効な手段だ」との主張である。そこで私の主張は、プラスチック買いもの袋、ペットボトルの使用を義務ずける。その際内容物と同価格のデポジットを取る。要するにリサイクルを促進するのである。私は少年時代、よく空きビンを持って酒、醤油、酢を買いに行かされたが不便は感じなかった。要は慣れである。プラスチックという軽くて丈夫で再利用できる素材を駆逐するような風潮に危惧を感じる。要は使い方だ。私はプラスチックを悪者にするだけで満足している社会風潮に危機感を感じている。プラスチックは地球環境保持の有力な手段になりえる可能性を持つことを自覚すべきだ。知恵とハサミは使いよう - 古いかな
2007.03.15
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しばらく体調が優れずあまり外出できなかったが、3月はじめ恒例のJRシルバーパスが発売され、毎年このパスで雪見に行くので暖冬の今年も強行することにした。一日目は山形・銀山温泉を目指した。吉永小百合さんのジパングクラブPRで賑わってはいたが肝心の雪景色は完全に空振り (奥のほうに見えるのが5層の楼閣の文化財旅館)それでも「おしん」や「千と千尋」のお陰で小さな温泉街の夜は雰囲気があった。 (等身大の狸が迎える宿) 狸の宿昭和館に投宿するとお向かいの宿はアメリカ人女将で有名な宿だった。時折シャキッと和服を着込んだ女将さんが客を送っている光景が見え、小学生低学年とみられる青い目の次期女将が友達と出入りしていた。次の日横堀にある小野小町堂へ行って見た。一階部分はすっかり雪囲いがあって雪が無い最悪状態、小町もだい無しだ。雪の無い横手で冷凍された「かまくら」をみて秋田に投宿し、人影のまばらな美術館で藤田嗣治の数々の作品や壁画を見て盛岡に向かった。雪の無い、ただひたすらに寒い盛岡城の石垣も良かったが、なんと言っても石割り桜が良かった。巨大な花崗岩の割れ目から生えている樹齢400年くらいのものらしい。これだけで立派なオブジェだ。桜が咲いたらこの木にどの位の人が群がるのだろうか。創造するだけでぞっとする。子供の頃姉に連れられてみた池部良・杉葉子の映画青い山脈を60年ぶりに思い出した。戦中のモンペ姿から開放されてセーラー服の杉葉子が自転車上で歌う 《古い上着よさよううなら ‐‐ 石割桜‐‐ 》伊豆肇の男子学生が書いたラブレターで《恋しい恋しい》を《変しい変しい》と書いて回し読みされる場面が思い出される。10歳そこそこの少年がこんな場面を60年間も覚えているのは異状だが、多分それは私が始めてみた大劇場での映画だったせいかも知れない。散策中に花崗岩のギリシャ風建物に出会った。 日銀盛岡支店かと思ったがこれがなんと地元の信用金庫なのだ。立派なギリシャ風エンタシスを持ったファサード飾りの有る高い天井の下では銀行業務が行われていた。
2007.03.11
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