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ヤマハリゾートの一日孫達のパパも幼稚園発表会のため有給を消化して休みを取っていた。そこで折角東京から来たのだから孫達といっぱい遊べるようにと関連企業で割り引きのあるヤマハリゾート嬬恋を予約してくれていた。ここは子供から年寄りまで体を動かして楽しめるように設計されている。この家族構成で何度か訪れており、勝手知ったところだ。広いので昼間は余り人を見かけなかったが夜の食事時多くの客にびっくり。翌日は早速孫達は曳き馬に乗った。中々触れないようだ。手はかなり近づくが馬がちょっと顔を動かすと大きく手をひっこめる。 それでも男の子、馬に乗るとお姉ちゃんは恐る恐るだが弟は気取ってみせる 園内循環バスの停留所では貯まったイチョウの落ち葉を掛け合ってふざける。 その後橇を借りて芝の丘へ、この寒いなか誰もいない。去年楽しんだので覚えていて50mくらいの長丁場を一気に滑り降りる去年カナダから買って帰ってあげたフリースの帽子がぴったりだ。お姉ちゃんも負けてはいない。去年は自分で繰り返し引っ張り上げたのに今年は横着して自分は脇の階段を登り、運搬はパパを使う。結局後半はパパと二人乗りで楽しんでいた。 去年は登れなかったロープ製ジャングルジム今年は上手に上まで登った。子供って早く成長することをすぐ実感できる。爺婆は寒風吹きすさぶ丘の下でただズームカメラを抱え微笑するのみ。子供のエネルギーと毒気をたっぷり吸収した老人二人は 掛川駅前でドロップしてもらい、めったに無いことだが二人してまどろみ、富士の麗姿もあまり記憶に無い帰路であった。
2007.12.23
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幼稚園発表会ある日静岡に住んでいる次男から電話があり、孫たちの幼稚園で発表会があるので来ないかと誘ってくれた。上の娘は年長組、弟は早生まれの年中組で二人とも出演するとのこと。自由の身の上、二つ返事で泊りがけの参観となった。いや平和な時代である。前日に山之内一豊が土佐に封じられるまで居城とした掛川城を見物し、夜は浜松駅前ホテルの30階に宿泊して遠州灘に沈む夕日を楽しんだ。発表会とは要するに学芸会である。幼稚園に爺婆まで押しかけて入れるのだろうかと心配していたが、立派な市民会館で300人くらいの見物人で満たされ照明も動きのある見事なものである。考えてみれば息子達の幼稚園の学芸会を見た記憶はまったく無い。60年以上前の学芸会の記憶を手繰り寄せてみると余りの違いに驚くばかり。これはもう戦後の宝塚、日劇、浅草松竹国際劇場のレビューショウを思い起こさせてくれる。年中組の孫は孫悟空を演じていた。如意棒と言って魔法のステッキみたいなものを振りかざしていろいろな場面を演じたらしいことをあとから得意げに話してくれた。 そして次はお姉ちゃんのラインダンス ?なんだかおしゃまですね。 SKDってわかるかな。松竹歌劇団のことです。 そんな感じの踊りでした。 決まってるね こちらはチアガールかな。それにしても元気だね。 今度は男の子の剣舞。強そうだけど顔は間違えまいと必死。 立派な衣装にも感心したが、これは幼稚園の備品だそうで 毎年お母さん達が少しずつ改装して使うそうだ。 これらの歌謡ダンスのほかコーラスなどもあり、一つの舞台が終わるたび 観客席のお母さん達は忙しく楽屋に行って子供の着替えをするため 激しく観客席を出入りする。 何はともあれ数十年ぶりに見る子供達の演芸会であった。 やれやれ3代そろって楽しくも大変な一日であった。
2007.12.22
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シェム・リアップの 高級ホテル 今回のアンコール遺跡探訪にはJTBの二人催行パックツアーを利用した。公共交通機関のない地域での探索には何かと便利と考えてのことである。このような地での老人の旅は何かと疲れるものである。もう一つ個人旅行では抑えなければならないホテル代がパックツアーでは気にならない点である。9月のある日通りかかったJTBで係りのお姉さんいわく、2日以内にソカ・アンコールホテルに申し込めば36mmか63mmの部屋へのグレードアップサービスがあり、帰国日も夕刻まで部屋を利用できると言う。帰って調べるとこのホテルは2005年開業の新しい高級ホテルとある翌日実早速申し込んだ。シェムリアップのソカ・アンコールホテル着いてみると団体客が多いらしくロビーは広く、大きな石像で飾られ内庭には広いプールサイトその周りに配された熱帯樹や遺跡に模した石壁から流れ落ちるカスケードなど、なかなか雰囲気のあるホテルであった。 内庭プールサイト 我々の部屋は上の写真左側最上階バルコニーつきの部屋バルコニーからカスケードとプールの内庭が一望でき、夜はライトアップされて中々のものであった。 部屋には室内着・バスローブなども用意されている。バスルームは5人は入れるタブ、ガラス張りシャワーブース、二つのシンクとこれはもう新婚旅行向きだ。早期割引サービスとは言え我々にはどう考えても贅沢すぎる。遺跡歩きで疲れた足をほぐすマッサージまで付いている。 最後の日のあてがい昼食はもう一つのコロニアルスタイルの4つ星ホテソフィテルで取った。ここは二つのラグーンを持つ広大な庭を持っている。 ラグーンの美しいソフィテルホテルの庭ここの熱帯樹の木陰で読書などしてアイドルな時間をすごすのは至福の時間だろう。これも我々には実現しそうもない。ここでも日本人団体は散見したし、中国人団体の発する雑音(中国語)のボリュームには参った。洋の東西「一人一人は良い人なんだけど、群れ(まさしく軍)を成すと」とは昔からの定言である。 最後の日の午後、カンボジア最大の湖トレンサップへ行くかラッフルズホテルでハイティーするかの選択であったが我々はラッフルズヘノ興味もあって迷わず後者を選んだ。ラッフルズといえば一流中の一流の伝統的ホテルとして知られている。確かにクラシックな家具に囲まれているが利用者の快適度はどんなものだろうか。伝統的ホテルでいつも感じる疑問である。クメール式ハイティー頼んだが飲茶に近いものであった。 クメール式ハイティーしかしお茶を終えて庭に散歩に出ると、やはりこれは一流というべきかヨーロッパの宮殿ホテルとは行かないが中々のトロピカルガーデンである。プールサイトもそれはそれは雰囲気の高いものである。ホテルに帰ると寝てばかり、プールも見るだけの老人にはまったく猫に小判である。もっともこの時期リゾート地は西洋人も含めて圧倒的にプールなど利用しない老人で溢れている。 今回シェリムアップの高級観光ホテルを利用する機会が多く、ここで紹介してみたが、これらのホテルは現地人にとっては異国か租界である。観光業者以外にはまったく縁がないだろう。しかし今の現状を考えるとき、施設を高級にしてより多くの外貨を稼がないと国が成り立たないのも事実である。ただ聞いてみるとこれらのホテルは全て外国資本、旅行社もほぼ100%外国人経営だそうだ。昔の映画でよく見かけた植民地時代に宗主国の観光客が植民地を召使を従えて大名旅行している様子。いまは経済先進国の庶民が現地人を安く使って旅行している。これも持ちつ持たれつと言って良いのかどうか、複雑な気分に陥ることも多かった。
2007.12.12
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バンテアンクディー、タ・プローム遺跡バンテアンクディは前回に記したスラ・スランという王の沐浴池と一体のものらしいが大きな道路を挟んで位置しており四隅の石塔を従えた主塔を持つヒンズー寺院の形式であるが後から持ち込まれたと思われる仏像も祀られている。外壁に這いつくように根の張った大木が目に付き遺跡の壊し屋の予感を漂わせていた。 バンテアイクディの大木 バンテアンクディから徒歩数分でタ・プロームに着くここも12世紀末建立の仏教遺跡が後の時代ヒンズー寺院に改修されたとされている。かなり広大で5千人以上の僧が住んでいたと見られており建築物の密度は非常に高い。ここの現状はジャングルに閉じ込められた遺跡がどのような過程で破壊されていくかを理解するのに役立つ。まずいきなり下の場面である。まるで生きてる大蛇を思わせる。これは何だ! 巨大なカメレオンがでんでん虫を捕まえた瞬間巨石は難なく割られている。 それにしてもこの柔軟な肢体は驚き以外何物でもない。 どこからともなく飛んできて芽を出し、長い年月をかけて大木になる。するとその周りにガジュマルの木が絡みつきだんだん主木を絞め殺す。下の写真はこの過程を示しており中心にはまだ源木が生きている。主客転倒した新しい主は傍若無人、石材だろうが遺跡だろうが知ったことではない。彼らだって生き延びるためには神殿の僅かな空き地を求めて石壁の中を這い回り太い根を下ろす。なかには信心深い木もあり神像の前を通る時ちゃんと窓を開け神の視界を妨げない感心な根もある。タ・プローム遺跡は自然の力と破壊の様子を示すため現状保存されているが多くは瓦礫と化している。いたるところつっかえ棒をしてあるが修復も前途多難である。 現代史としてはこれらの遺跡、とくにタ・プロームは先の内戦の主戦場であり、クメールルージュの基地だった。考えてみれば洋の東西を問わず昔の寺院は常に砦の役目も持っていたのである。反政府軍の拠点としては格好の拠点だ。石壁を穿った多くの弾痕を見たがその多くが不自然にコンクリートで埋められていた。弾痕は歴史の証人としてそのままにして置くべきと思うが。現施政者の微妙な立場があるのではないかと邪推したくなった。
2007.12.11
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プレ・ループ、プリア・カン、東メボン、ニャック・ポアンプレ・ループは10世紀中期のヒンズー教の寺院で大まかに言えばピラミッド型。遺跡めぐりも、もうこの頃になるとみんな同じに見えだした。4隅に石塔を配し、中央に主塔を配したヒンズー寺院の特徴や階段途中からは左右手前に従塔を従えた主塔が見え階段を登りきって主塔の前に立つと従塔を後ろに従えた主塔が見える。考えてみればこの形式はイスラム寺院のミナレットにも共通するコンセプトである。 次に訪れたのは12世紀末建立の仏教寺院プリア・カン。侵略されたチャンパ軍(現ベトナム系)を打ち破った記念に建立とあるが、エジプト・ギリシャの神殿を思わせる列柱後になって仏陀の彫像は剥がされ、またヒンズー教に特徴的な生殖祈願の性器崇拝を象徴するものが多く祭られていたり、なんか複雑な寺院である。下のような2階建ての建築も珍しい。 下の写真は東メボン遺跡、現在涸れているが本来は貯水池の中央に在ったらしい。10世紀中期のヒンヅー寺院この建築にはレンガ、砂岩、赤いラテライトががすべて用いられている。次はニィヤックポアン、これは12世紀末の仏教遺跡で池の中に主神を奉り、病気の療養所として用いられていた。堰堤の四方にライオン、象、馬などの頭部が設けられその口から注がれる聖水を浴びて病気を治したそうだ。これらの遺跡を巡っているといろいろな光景に遭遇する。楽しい光景もあるが避けては通れない心が痛む光景もある。ガイドはほぼすべて男性であり、まだまだ女性の教育が十分にされていないことを物語っている。遺跡見張り人は女性が多く下のような制服を着ている。昼の授乳であろうか子供を抱いたお母さんパークレンジャーを見かけた。ここでは恵まれた人なのだろう。 赤ん坊を抱くパークレンジャー黙々と地面にに絵を描く少年を見た集金箱さえも持っていないがもちろんお金は期待している。小額の紙幣とポケットに在った三色ボールペンを差し出すと少年は満面の笑みを浮かべた。ひつこく付きまとう物売りの子供全てには付き合えないが、物静かな内気な子供を見ると何かしたくなる。それでも何かいい事をしたような、悪いことをしたような複雑な気持ちになるのが常である。 地面に炭で絵を描く少年 遺跡をつなぐ路傍で音楽が演奏されているのをよく見かけた。初めはさすがは遺跡観光で生きているカンボジアだけあってムードを奏でているのだと思っていた。ガイドに聞いてみると、そうではなく地雷で足を無くした人達だとわかった。よく見ると足のしたや背後に義足を置いている。さらに良く見ると楽譜台かと思っていたところにはほとんど空っぽの募金箱がおいてあった。それ以後このようなグループサウンズに出会うたびに思い切って近づき彼らにとっては大金の1ドル紙幣を渡すことにした。それでも写真を撮らせてくれとは言えず、したの写真も20倍ズームで気づかれずにものしたものである。 そんな時、石畳の合間で餌食を待っている蟻地獄を沢山見かけた。初めて目にするものであり、しばらく獲物狩を見ようと待っていたが音楽家の募金箱同様いつまで経っても餌にはありつけていなかった。
2007.12.10
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バンテアンスレイ・スラスラン・プラサットクラバンワット・トムの2大遺跡以外の遺跡めぐりの最初は基地の町シェムリアップから北東40kmと遠く離れたバンテアンスレイ、ここは”女の砦”の異名を持ちシヴァ神とヴィシュヌ神に捧げて10世紀に造営された一辺約100mの濠で護られた赤色砂岩できた遺跡である。 なんと言っても繊細な彫り物が見事に保存されている。 ここでの呼び物はなんといっても東洋のモナリザと称されるヒンズーの女神像である。日本で言えば薬師寺・弥勒菩薩像に匹敵するものだろうか。フランスの作家で後年ドゴール内閣の文化大臣を長く務めたアンドレイ・マルロウはこの彫像に魅せられ、1923年これを盗み出しフランスに持ち帰ろうとして逮捕されたことで有名である。んんー、人ごみの中ではなく静寂の中で見るともっと魅せられるだろう。 濠際の一本の背の高い木、青い空、赤岩に彫られた女神像背後にはピンクの睡蓮、いにしえを偲ぶ舞台としては満点である。 町への帰路、立ち寄ったのはスラ・スランと言う12世紀の”王の沐浴池”. ”王の”とはいっても規模から言って市民そろって利用したものであろう。 午前の遺跡ツアーの最後はプラサット・クラバンと言うレンガでできたもので外部にはほとんど装飾がないしかし室内にはヒンズー神の彫像がある10世紀の遺跡石材のどちらかと言えば荒々しい表面に比べてやはりレンガの滑らかな面が好ましい。そして千年以上の風雪に耐えてきたレンガ造りの技術に感心したしだい。
2007.12.09
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アンコールワット前ブログで記したように多くの旅行社はアンコールワット訪問を午後にセットする。またワットに登る早朝の日の出見物をプランに加えている(我々は体力不足のため辞退)。前記アンコールトムは東大門が正門であり、一方ここワットは参道が西に設営されている。したがって午前中にここを訪れると日陰になった塔屋や多くのレリーフが輝かないということである。そこでほとんどの観光客は午後に集中して混雑することになる。ただやはり位置により姿を変える石塔群を楽しむには仕方がない。 参道からのワット全景接近すると従塔にさえぎられて上の主塔群は一旦見えなくなる 中心部は正方形の4隅に石塔を従えて中心に主塔が 君臨した構造になっており、見る位置によっていろいろな景色を見せてくれる。 参道を外れて右前の点から 少人数のため、われらのガイドさんはポイントを抑えていていろいろな角度から案内してくれる。絵葉書の撮影ポイントではあってもまったくの個人旅行とか大グループではなかなかこうはいかないだろう。 上のポイントもガイドお勧めのビューポイントである風景を損じるあやしげな人影がなければ絵葉書の場面だ。この位置からは中央部の5つの塔がすべて視界に納まっている。修復工事の2つの緑のテントが気になる。最近の工事現場でよく見かけるように修復後の絵を描いたテントにしてくれれば、遠景としては騙されたいと思った。 中心部分の沐浴場からの主塔前ブログで記したアンコールトムのレリーフはアンコール王国の歴史社会を描いたものが多いのに対して、ここのレリーフは古代叙事詩マハバーラタとラーマーヤナの物語を描いたものである。屋内ということもあり見事に保存修復がなされており見ごたえがある。雄大な物語とスケールの大きいレリーフ、そこに彫られた多くの表情豊かなデバター美人像、いや参った、確かにこれは超一級の世界遺産だ 奪われた王女を奪回する王子
2007.12.09
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アンコールトム石造遺跡に多大の興味を持っている我々夫婦は今回カンボジアのアンコール遺跡群を訪ねることにした。よくアンコールワットと称されるが、比較的新しく形状が(修復が?)よく保存されているアンコールワット寺院、アンコールトムの二大遺跡、その周辺に数多く点在する古い遺跡群を総称する場合はアンコール遺跡群ということになる。公共交通手段がないため遺跡探訪は旅行社の主催するもの、タクシー、トクトク、輪タクのチャーターあるいはレンタサイクルということのなる。我々は迷うことなく5名の小グループツアーを採った。トクトクや輪タクであの誇りっぽい道路を動けば我々は一日でのどをやられるだろう。 さて旅行社は1日目の午前はやる観光客を抑えてワットではなくトムに案内する。これには訳がある。兵士が大蛇にまたがり綱引きをしている参道はトムの東門に通じる。ここが正門である。トムは1辺3kmの塀で囲まれた王都であり王宮や寺院からな成り立っている。 兵士の列の参道と東大門 四面仏を頂くトムの東大門アンコールワットの回廊を飾るレリーフが古代叙事詩マハラーバタやラーヤーマナの絵巻物に対してトムのバイヨン寺院の回廊を飾るレリーフはアンコール王国の戦いや社会を描いたものが多い。 美しい女神の舞トムの遺跡のひとつバプーオン寺院への参道は200mにも及ぶ石の列柱に支えられた空中参道である。 直線状列柱を持つパプーオンへの道 ワット寺院がヒンズー教の色彩が強いのに対してトムに寺院は仏教色が強い。 バイヨン寺院の石仏像・美男子におわす観音像 象のテラス:象は兵器・物資の輸送や戦闘に必須。上の象のテラスでは象が回廊を支えている。 ピラミッド型墳墓ーピミアナカスこれらのほか多くの石塔や沐浴のための池を有し、政治儀式、仏教(ヒンズー)儀式のほかサーカスなど民のリクレーションなどの跡も見られる。トムは前にも記したように王宮が中心になる。しかし遺跡は宗教ばかりである。神は石の家に住み、人間である王は木の家に住んでいたのである。これは神は永遠、人の現世は一瞬の世界観のゆえかそれとも只単に木のうちが住み心地が良かったのか。
2007.12.07
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上野公園散歩昨日新日本美術協会会員の友人が定期展で入賞したとの報を受け久しぶりに上野に足を運んだ。毎年何回かは訪れるがここはいつ行っても何らかの特別展、定期展、常設展などあり芸術鑑賞力に乏しい我々も馴染み地だ。コンサートホールや美術館前のイチョウも黄ばみ芸術の秋を演出している。 展覧会を二つばかり見て、路上パフォーマンスを見ながら公園内の東照宮に回った。日光と久能山の東照宮は有名だが上野のも家康、吉宗、慶喜を祀ったものではあるが訪れる人は少ない。本殿玄関は左甚五郎作のかなり大きな昇り竜と下り竜の彫刻で無造作に飾られている。 それでも将軍家の廟所ともなるとさすがに寄進者も多いと見えて参道には多くの石灯篭が並び、五重の塔も立派なものが備わっている。 さらに駅へと歩を進めると”正岡子規記念球場”という日本で始めて野球が行われたグランドがありバックネット裏には下に示した記念碑が建てられている。よく知られているように「野球」は子規の命名である。 グランドに目を移すと2,3塁手はジーンズ姿の女の子ピッチャーはストライクが入らない草野球が行われていた。でも子規の腕前よりは上ではなかろうかなど考えて通り過ぎた。 なんとなく、納得できない気持ちで歩を進めると地味な着物をきりりと着付けた中年のご婦人がイチョウ葉の下で写真撮影をしていた。最初着物写真撮影のモデルかと思わせる身のこなしである。失礼とは思いながらズームでパチリとしてしまった。
2007.12.06
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バルコニーの秋景色一週間のアンコールワットへの旅から帰ってみると周りの景色が変わっていた。我が家(8階)の東側ベランダ下の河畔歩道の桜が半分落葉し、紅葉も峠を過ぎていた。落ち葉がすべるのでお母さんたちの自転車こぎも慎重である。 東側の初冬とも思える景色が南面のルーフバルコニー(60へーべ)の空中庭園に目を移すとがらりと様相が変わる。ここには2基のレンガ造り植え込みを設営してあり、妻の領地である。 居間から眺めた植え込みの景色(1) 居間から眺めた植え込みの景色(2) 散歩中に貰ったものもある パピルス、ランタナ、オキザリス、棕櫚 ミリオンベル 秋咲きオキザリス 種から育てたミズキの紅葉 ガーデンベゴニア アリッサムとカランコエ キンギョソウ ピンクゼラニウム もみじ葉ゼラニウム 黄花オギザリス コックテイル・バラ ジュランタ宝塚 赤花ゼラ二ウム 神代植物園で買ったXXゼラニウム 我が家はマンションの8階にあり、夏は熱風冬は寒風が吹き荒れる。したがって花ひとつでも品種選びが必要だ。このように冬でも花盛りにするためには妻の30年の試行錯誤の努力があることは認めねばなるまい。この時期でも小春日和には屋外のテーブルで花など愛でながらコーヒーをすするのは悪いものではない。このブログをあえて物したのは一週間の留守を元気に過ごしてくれた花達へのねぎらいの念である。
2007.12.02
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