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武藤主教が退職するそうですが、それで何か変わりますか?武藤主教の過ちは過ちですが、武藤主教一人に罪を擦り付けて、京都教区の他の主教や司祭は安穏として、これまで通りの生き方をするのですか?それでは、被害者やそのご家族の傷は癒されませんよ。 慰謝料と裁判費用を支払ったら、それでご自分たちの罪が帳消しになるとでも思っていらっしゃるのでしょうか。恐ろしい話です。まず最初に、ご自分たちが犯してきた過ちを素直に認めて、被害者とそのご家族にお詫びし、ご自分たちが何故そのようなことをしてしまったのかを、被害者とそのご家族の前に明らかにすべきであるのに、一切それをしていらっしゃらないのですよね。これでは、慰謝料と裁判費用を支払った意味がありません。 あの記者会見で「自らに減給処分を科す」とおっしゃっていましたが、その程度ですむことでしょうか。最高裁判所で上告棄却になった後も、ただひたすらご自分たちの正当性を主張されていたのですよね。そして、他にも被害者が名乗りを上げたので、原田司祭の犯罪を認めざるを得なくなったわけですよね。これは記者会見で、高地主教ご自身がおっしゃったことだそうですが、だとしたら、それ以後の過ちも自ら認めて、すべてを明らかにすべきではないでしょうか。 1.原田司祭の復職に反対したのは誰と誰か。 2.原田司祭の復職に賛成したのは誰と誰か。 3.そして、反対と賛成のそれぞれの理由は何だったのか。 4.最高裁判所の上告棄却が言い渡された後も原田司祭の無実を主張した根拠は何か。 5.裁判を起こした被害者以外に被害者に対して、謝罪は為されているのか。 6.裁判を起こした被害者以外の被害者に対しても慰謝料は支払われたのか。 7.もし支払われたとすれば、その金額はいくらだったのか。 8.また、この一連の裁判に関して支払われた教区側の費用はどこから支出したのか。 9.高等裁判所の判決に従って支払われた慰謝料と裁判費用はどこから支出されたのか。10.原田司祭に「陪餐停止」という法規にない処分を決定した根拠は何か。11.「陪餐停止」は「司祭としての職務執行停止」を含んでいるのか。12.「被害者との和解が認められるまで陪餐停止」とのことだが、原田司祭に謝罪の意思 はあるのか。もしないないのだとしたら、この処分は「終身」ということになるが、 それに関して京都教区はどのように理解しているか。 以上のことを有耶無耶にしたまま審判廷を開いても、聖職が犯した性犯罪とそれを隠蔽しようとしたことに対する懺悔にはほど遠いものになるのではないでしょうか。審判廷でこれらのことが聴聞され、明らかにされることは当然のことだと思っていますが、その後で自らの罪を認めるよりは、審判廷が始まる前にすべてを明らかにした方が、被害者にとっても、加害者(原田司祭と主教や他の司祭たち)にとっても望ましいことではないでしょうか。それとも、裁判記録に載っている証言は作り話だったとでもいうのでしょうか。 審判廷は、当然のこととして地方裁判所の裁判記録及び高等裁判所の裁判記録をお読みになるでしょうから、常識的には、その内容に関して間違いないかどうかを審判廷で正すことになると思います。その時に、高地主教や常置委員をしていた司祭たちは、何と答えるのでしょう。 審判廷を一日も早く開くように運動を進めなければならないと思っています。 日本聖公会の法規には「時効」の規定があります。 また、時が経てば経つほど、人々の問題意識が希薄になりかねません。 そして、こうした事態を引き起こした日本聖公会の体質そのものを根底から変えていかない限り、第二第三の被害者がどこかで生まれてくることを否めないのではないでしょうか。日本聖公会における、ことに主教や司祭の教会法に対する意識や教理に関する意識が餘にも低すぎたのが原因であるかのように思えます。単刀直入に言わせていただくと、神学的営為が欠如しているということです。日本的な「和の精神」がいつの間にか日本聖公会を蝕んでいたのではないでしょうか。そして、外国からの援助によってまかれた種が、多きく実を結んだことによって、巨大な富を得た日本聖公会は、教会が教会として持っていなければならない神の宣教(伝道ではありません)に仕えるという信仰を見失っているのではないでしょうか。ごく一部の司祭だけが真剣に神学をしていれば、それによって自分たちもその恩恵を受けられると思っているようにさえ見えます。 主日の御ミサでの説教の準備に、原典や注解書をお読みになっていらっしゃるのでしょうか。聞くところによると、日本聖公会の主教や司祭たちの多くは、かなりお酒を飲むそうですが、酒に酔っている時間が無駄だとはお思いになりませんか?まさか、お酒を飲みながら説教の準備をしていないでしょうね。アルコールが体内にあるときには、正常な判断が出来ないことは、既に医学によって明らかにされています。主の御言葉を解き明かす者が、酒に酔っていていいはずがありません。 主はいまも生きてこの世で働いて居給うお方です。
2007.03.29
ある聖公会の友人からメールが来ました。 それを見て本当に驚きました。なんということでしょう。3年前に、教師のパワー・ハラスメントで神学生がお一人、自殺されていたのですね。知りませんでした。新聞でもテレビでも報道されなかったみたいですね。理由は何だったのでしょう。というよりは、そのパワー・ハラスメントは、具体的にはどのようなものだったのでしょう。 そして、その神学生をそこまで追い込んだ責任が、まったく明らかにされていないということが書かれていました。京都教区と同じですね。主教は何をしても間違わないとお考えなのでしょうか。あるいは、司祭が犯した過ちは、たとえ国家の法律に触れていても、その責任を問われることはないとお考えのようです。 その自殺した方のご遺族は、訴訟を起こされるそうですね。被告がどなたかは判りませんが、日本聖公会は誠実に対応していただきたいと思います。私の知りあいの時も、教区主教や司祭はほとんど話を聞くこともなかったようです。彼のケースはパワー・ハラスメントというよりは、僻みやっかみから出たイジメだと私は思っています。彼を追い出して、新しく建った伝道所の住宅部分に住みたかった人がいたそうです。先日それを耳にしたとき、私は自分の耳を疑いました。噂ではなさそうです。 日本聖公会の聖職たちは、真剣にこうした問題を考える必要があると思います。そして、まだ浮上してきていない問題がかなりあるのではないかと思います。それをそれぞれの教区は誠実に、かつ真剣に対応し直さなければ、日本聖公会は教会ではなくなってしまうと思います。日本聖公会は、その系列のミッションスクールをたくさんお持ちですし、また大きな病院もお持ちです。そうしたところで仕事をされていらっしゃる方の足を引っ張るようなことをなさらない方がいいのではないでしょうか。また、問題がこれだけ出てきたら、ジャーナリズムが取り上げたくなるかもしれませんよ。心配なのは、正義と平和のために戦っていらっしゃる方々の邪魔をするようなことになってしまうことです。 それだけではありません。日本のごく少数派のクリスチャンの方々も嫌な思いをされなければならないことがあるかもしれません。いや、すでに嫌な思いをされている方がいると思います。それが、キリスト教をよく思っていらっしゃらない方々からの攻撃であるとすれば、正に福音の根幹に関わることではないでしょうか。 他教派の教会の邪魔をするということを越えて、他教派の祈りを踏みにじることにはならないでしょうか。それでも日本聖公会はご自分たちの伝統を笠に、自己正当化を続けられるのでしょうか。キリストの十字架の前に、私たちには何も怖れるものはないはずです。たとえ死の蔭の谷を歩むことがあっても、禍を怖れない信仰を持っているのですから。それとも、日本聖公会という組織を守ることが至上命令なのでしょうか。自分が所属する教区や教会を守ることだけをお考えなのでしょうか。 だとしたら、それこそ聖公会の中で起こった様々な問題をもう一度真剣に問い返すべきなのではないでしょうか。そのためには十分な神学的営為がなされなければならないと思っています。同じ教区の中で、他教派と合同礼拝を行い、相互陪餐をしているにもかかわらず、私の知りあいの牧師は執事試験から、それも実にアンフェアな執事試験から受けさせられるところでした。彼がそれをアンフェアであるが故に拒否して、日本聖公会を離脱したときに、私はホッとしました。それとも、日本聖公会には他教派に対し「相互陪餐をしてやっているのだ」という意識がおありなのでしょうか。だとしたら、それはゆゆしき問題です。神学を無視しています。 ここを読んで下さっている皆さんにお願いがあります。 日本聖公会のために祈ってあげて下さい。私が知る範囲では、もはや彼らの中にいる「残りの10人」の力ではどうにもならないところまで来てしまっているようです。そして、様々な事件の被害者の方々のために祈って下さい。沈黙を続けている主教や司祭があまりにも多すぎます。福音のために命を捧げることが出来ないでいらっしゃるのです。神様のお励ましとお導きがありますように、祈って下さい。 私も祈り続けております。
2007.03.25
原田司祭が女子児童に対して性的虐待をしていたことは間違いなく犯罪なのですが、日本聖公会京都教区の一番の問題性は、その犯罪行為を「事実無根」だとした原田司祭の発言を鵜呑みにしてしまったことです。これは誰が見ても同じことを考えると思います。被害者がPTSDで自殺未遂しかつぎ込まれた病院で、原田司祭は土下座して謝っているにもかかわらず、「事実無根」を無批判に受け容れてしまっています。どこかのプロ野球の監督じゃないですが、「信じられなぁ~い!」と叫びたくなりませんか。 そして、一旦提出された退職願を返還し、それまでと同じように復職させてしまいました。これも信じられません。民事事件ではありますが、女子児童に対する性的虐待の裁判係争中の司祭が、京都教区の常置委員長をしていたということ自体、信じられない話です。そして、最高裁の上告棄却が出てもなお、「事実無根」を主張し、最高裁に対して抗議する声明を出しています。恐ろしいことです。 しかし、問題はそれだけではありません。こうした主張や抗議声明が如何に被害者を苦しめたかということに関して、高地主教も常置委員の司祭もまったく認識がないということです。謝罪会見を県庁で開いても、被害者への謝罪に入っていないし、原田司祭を復職させたときの常置委員会の記録の開示を拒み続けているようです。これでは、謝罪したことにはならないのではないでしょうか。あまりにも悲惨です。自分たちが犯した過ちを悔悛することが出来ない主教や司祭は、すぐにでも退職すべきです。そして、この事件に対して沈黙している他の主教や司祭も同じです。 今日は、久しぶりに知りあいに会いました。 あの両肩を手術しなければならなくなるまで、過酷な肉体労働を強制された知りあいです。彼は話をしている時に二度、スプーンを落としました。何かを持っている時に他のことを考えると、持っているものを落としてしまうことがあるようです。重いものを持つのは辛いとも言ってました。そうだろうと思いますよ。6本の筋肉のうち4本を切除してしまったのですから。切除しなければ両腕が壊死する可能性があったからです。動脈が止まってしまうことがあったのです。その後の歴代の主教は問題を回避し続けています。もちろん謝罪もありません。 これが日本聖公会の主教制度なのでしょうが、日本聖公会をキリスト教会と言えるでしょうか。彼らは「使徒継承=アポストリック・サクセッション」を歴史的事実として考えているようですが、しかしそれを理由に、主教や司祭の犯罪行為を正当化できるものではありません。それをしたとすれば正に、カルト集団です。 今日の彼は少し沈んでいたようです。何かあったのかと問い質したのですが、沈黙していました。何かあったのでしょうが、彼は何も言いませんでした。 日本聖公会は身内には甘く、部外者には厳しいところのようです。 彼に執事試験から受け直すことを強制しました。面白い教派です。「問題を馬鹿にしないで下さいね」と真面目に話しかけた聖職試験委員もいたそうです。それはそうだと思いますよ。彼がまだ私たちの教団にいた時に正教師試験を受けて正教師(牧師)になったのですが、彼は一番で合格していたのです。「全部の課目で山が当たっただけ」と彼は言っていましたが、山をかけて当てられるだけの能力を持っているのだろうと思います。最近の彼のブログを読んでいて本当に感心させられます。 あの教区の聖職試験委員長は何を考えていたんでしょうね。「君が読んだことのある本を全部リストアップして提出しなさい。それ以外の本から問題を出すから」とまで試験委員長は言ったそうですが、呆れた話です。聖職試験を受験者に応じて変化させようというのですから。日本聖公会にはフェアなどという言葉はないのでしょうね。だから、京都教区であのような事態を招いてしまったのだと思います。沖縄にしても、京都にしても同じようにフェアでないことが起こっているのだと思います。以上に高額な土地売買があったり、主教による使途不明金があったり。脱税行為はしていないでしょうね。心配です。 彼は疲れきっていました。 今やっている研究に集中しているからかもしれません。一日に数時間しか寝ないことがあるようです。きっと今夜も実家でパソコンに向かっていると思います。東京へ来た時くらいのんびりするように話しておいたのですが‥‥‥ここをお読みの教会の聖職の方で、お近くにお住まいの方は、ちゃんと夜は寝るように忠告してあげて下さいませんか?
2007.03.20
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