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ローマ・カトリック教会を批判しているプロテスタント教会の中で、ローマ・カトリック教会の教理を知らずに批判をしている方々がいらっしゃいますよね。例えば聖餐論ですが、「ローマ・カトリック教会ではパンと葡萄酒が実際の肉や血になると考えているんです。『実体』という言葉を使っているんですから」という方がいらっしゃいます。大変な誤解です。ローマ・カトリック教会は、実際の肉や血に、つまり食べたらなくなってしまうようなもの、置いておいたら腐ってしまうようなものとしての肉や血になるのではないということを言うために「実体・スブスタンティア」という言葉を使ったのです。そして、実際に肉や血になるのではないということを会衆に教え続けてきたのです。ある意味では、カルヴァンも同じことを「キリスト教綱要」の中で言っています。あるいは、カルヴィニズムを標榜している教会で「聖餐式のパンと葡萄酒は象徴だ」とおっしゃっている方もいます。私が知っている限りでは、カルヴァンは「象徴」という言葉を使っていません。また、M.ルターも「象徴」とは言っていません。 私がこのブログに書いたのでは信じられないという方は、大学の先生とか、教会の牧師さんにお尋ね下さい。 また、ローマ・カトリック教会は毎週聖餐式をして、プロテスタントは毎月一回か、年に4回くらいとお考えの方は、他の教会のことを調べてみて下さい。毎週聖餐式をしているプロテスタント教会もあります。 最近は、こうしたことが少しは知られているのかと思っていたら、あまり知られていないようですね。カルヴァンの教会では、なぜ月に1回とか、年に4回だったか、あるいは年に4回というその4回はいつといつだったのかを調べてみて下さい。たぶん、多くのプロテスタント教会の方はびっくりされると思います。年に4回、クリスマス・イースター・ペンテコステ、もう1回は? あるいは「ローマ・カトリック教会では洗礼の時に水をかけるだけだが、バプテストは本来の『バプティゾー』(ギリシア語)という言葉の意味から全身を水に浸すと信じ込んでいらっしゃいますが、一度ローマ・カトリック教会の神父さんにお伺いしてみて下さい。本当にローマ・カトリック教会では全身礼を授けてないかどうかを。 日本だけではないようですが、自分の教派が一番正しいと思い込んでしまっている方が多いようです。それでいて、他教派のことをあまりにも知らなさすぎます。典型的なのは、使徒信経とかニケア・コンスタンチノポリス信経の中にある「公同」とか訳されてる言葉ですが、原語のラテン語では「カトリック」という言葉が使われているということをご存知ない方がいらっしゃいます。 日本聖公会の聖職の多くは、「自分たちはアポストリック・サクセッション=使徒継承を保持し続けている」と信じ切っている方が多いように思えます。そして、アポストリック・サクセッションが史的事実であると考えていらっしゃいます。困ったものです。ペテロがローマで殉教したということは、聖書には書かれていないことで、あくまでも教会の伝承=信仰の中で語られていることだということをご存知ないようです。仕方がないのかもしれません。古代教会史のその部分はほとんど神学教育でなされていないようですから。それで、高地主教のような人が出てきてしまったのかもしれません。アポストリック・サクセッションによって、自分は神に近いとか、自分が権威であると思い込んでいらっしゃるのかもしれません。だから、原田司祭が女子児童に性的虐待をしたことも、自分の権威で隠すこともできるし、なかったことにすることもできると考えたのかもしれません。おぞましいことです。 こうした考え方をカルトというのではないでしょうか。 自らの権威を、自らが所属する宗教教団の中だけに留めておくことが出来ず、国家という社会の法的枠組みをも越えたものとして考えているとしたら、それはカルトと言うよりは、犯罪者でしかありません。宗教団体といえども、法的規制の中にあり、そこで人権の侵害があれば当然ペナルティーを受け、慰謝料を支払わなければならないのですが、日本聖公会の多くの主教や司祭はそれをお認めにならないようです。 私の知りあいは、両肩の手術を受けたときに何人かの司祭や主教に話をしたり手紙を書いたそうです。しかし、事実を確認することもなく、その後彼らの方からは何の音沙汰もなかったそうです。彼は先日電話で、「原田司祭の犯罪に対する京都教区の対応の犯罪性を主教や司祭たちが真剣に考えなければ、自分は日本聖公会を教会であるとは考えないことにするし、主教や司祭をキリスト教の聖職として認めない」と言っていました。そして、独自のブログを作って、仕事が一段落したら実名入りですべてを明らかにしたいとも言っていました。 関心のある方は、彼のブログが左の Favorite Blog にありますから読んでみて下さい。日本聖公会の関係学校の研究室を中心に、多くの人々が書かれたキリシタン研究書に転切支丹類族について書かれていないことに、ものすごく疑問を持っているようです。「知らないはずはないし、キリシタン研究の中でここが一番大きな問題なんです。現在もこれが生きているところがあるのですから」と話していました。そう言えば、日本聖公会の関連学校では、1960年代の学生運動は「御法度」だったのを思い出しました。思想の自由も日本聖公会はお認めにならないようです。まさか、聖公会の主教や司祭は、「共産主義は無神論だ」とはおっしゃらないですよね。「共産主義=無神論」という幻想は作られたものではないのですか?「宗教は阿片」とマルクスが言ったその内容を無視して考えていらっしゃらないですよね。せめて「経済学・哲学草稿」や「ヘーゲル法哲学批判序説」くらいはお読みになっていらっしゃいますよね。 マルクスが民衆の敵だと考えたのは、宗教一般ではなく、権力者の側に立ってその権威を笠に着て、民衆を圧迫するキリスト教を批判していたのではないですか?そう、正に現在の日本聖公会のような教会をです。「アングリカン・コミュニオン」という言葉を誇らしげに口にしながら、しかし都合が悪くなると、「各国の聖公会は独立した教会です」とおっしゃいますよね。私も嫌というほどそれを体験しました。 そうそう、マルクスのお墓、日本聖公会の主教や司祭方はどこにあるかご存知ですよね。それとも、ウエストミンスターとランベス以外はご存知ないでしょうか。 キリスト教会がカルトになるということはこうしたことにも言えるのではないでしょうか。そもそも宗教集団は21世紀にあっては常にカルト化する危険性があるのではないでしょうか。キリスト教も例外ではありません。勿論、神道や仏教にもカルトになる危険性は十分にあると思いますが、キリスト教はそれぞれの教派はその歴史の中で自分たちの正統性を主張して分離したわけですから、カルトになる危険性が高いのではないでしょうか。日本聖公会にはもう一本の蜘蛛の糸しか残されていないようです。 京都教区の悲惨な情況を他の教区が沈黙しているのですから。 これが "church & ecumenical organizations" のサイトです。 様々な教派のサイトがリンクされています。 http://wcc-coe.org/wcc/links/church.html これが イギリス聖公会(国教会)のサイトです。 http://www.cofe.anglican.org/ これが 日本聖公会の管区のサイトです。 http://www.nskk.org/ これが アメリカ聖公会のサイトです。 http://www.dfms.org/ これが 全聖公会のオフィシャルサイトです。 http://www.anglicancommunion.org/index.cfm 英語のお出来になる方は、是非、こうしたサイトに日本聖公会の惨状を知らせてあげて下さい。それは日本聖公会のためではなく、原田司祭による女子児童への性的虐待の被害者とそのご家族のためにです。
2007.02.28
先程、「京都教区FH司祭事件を考える会」の方からメールがありました。 そこには、私が昨夜書いた年表に、大切なことが付加されていました。心から感謝しつつ、皆様にも知っていただきたく、再掲することに致しました。その後で、もう一度私なりの意見を書き記したいと思っております。日本聖公会の主教さんや司祭さんだけでなく、信徒の方も是非この年表をお読みいただきたいと思います。そして、原田司祭が何をしたのか、そしてそのことに対して、ことに被害者とその家族に対して、日本聖公会京都教区の主教や常置委員は何をしたのかを知っていただきたいと思います。 また、このブログの左端にあります<Bookmark>というところにある「京都教区FH司祭事件を考える会」の所をクリックすると、「京都教区FH司祭事件を考える会」のホームページに直接アクセスできます。是非お時間をお取り下さり、事件の全体を知って、この事件が途轍もなく陰惨で卑劣なものであるかをお知りいただきたいと思います。 因みに、「考える会」のアドレスは下記の通りですが、ここをクリックしても「考える会」のホームページに移動できません。ホームページへ行かれる方は、<Bookmark>というところにある「京都教区FH司祭事件を考える会」のところをクリックして下さい。 http://www.geocities.jp/asshor15/seikoukai.html ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆1983 58 小4 原田司祭による女子児童への性的虐待開始 1988 63 中2 原田司祭、T教会在籍1980~1988年3月 この頃から被害者PTSD発症か (83年~88年までの性的虐待で) 1998 平10 26才 被害者、奈良県警性的虐待窓口で相談、 紹介された大阪府警の専門病院で受診 1999 11 27才 被害者、奈良県立病院他にて診断書(PTSD) 2000 12 28才 1月6日、原田夫人に訴え、牧師を辞めるよう強調 原田司祭がわいせつ行為を認め、本人と父親に謝罪手紙を送る2001 13 29才 4月4日 父親が武藤主教を呼び出し、橿原会館で被害手記渡す。 読後、原田を退職さす以外ないと主教は判断 4月5日 PTSDが高じて搬送された救急病院で原田が土下座 4月6日 主教は本人に辞表を書かせ、 午後病院を訪れ、父親に原田司祭を退職させます と伝えた。 4月7日 1回目の臨時常置委員会で結論出せず 4月8日 2回目の常置委員会で退職決定 しかし翌日手記を読んだ後事実無根に転換、 古賀司祭が奈良の信徒弁護士に相談した後 主教と常置委員で協議し、事実無根路線を決定 4月17日 主教が辞表を返還し、常置委員会で復職が決定さる 7月9日 被害者が奈良地方裁判所葛城支部へ 損害賠償慰謝料(500万円)請求提訴 2003 15 31才 公判中に原田が主教選挙で第一位候補に (2003年9月6日 高地敬主教按手) 2004 16 32才 9月30日 奈良地裁で判決 原告(被害者)敗訴 10月14日 原告(被害者)が大阪高裁に控訴 2005 17 33才 3月30日 大阪高裁判決 原告(被害者)勝訴 4月15日 被告(司祭)が最高裁へ控訴 (裁判中も原田司祭は常置委員長のまま) 7月19日 最高裁が大阪高裁の判決を支持、被告敗訴確定、 それでも原田司祭は解職されず 、 ウイリアムス神学館教授も続けさせた 8月27日 テレビ・新聞が一斉に報道する 新聞報道をみて別の女性二人が性的虐待受けたと教区に訴え 9月5日 教区がやっと対応の誤りに気づき原告被害者と 他の被害者に謝罪。 原田司祭、金沢聖ヨハネ教会を自主退職、 だが本人は事実無根を主張 12月9日 高地主教奈良県庁で謝罪の記者会見をする、 さらに4女性の被害者があったこと、 原田を陪餐停止の処置を取ったと発表。 同日21時45分 NHKテレビで報道、 翌日に 新聞が一斉に報道 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 是非、「考える会」のホームページをご覧下さい。 ことに新聞記事を読んでいただきたいのです。裁判の結果が記されています。日本の他のキリスト教会に対する責任さえあると思っています。特に、最高裁判決を「冤罪だ」と嘯いて、原田司祭を審判廷にかけることもせず、教会の牧師としてサクラメントを執行させ、ウイリアムス神学館の教授も続けさせた高地主教の責任は重大だと思っています。 最近、このページにアクセスして下さる方が増えています。 お読みになられた方々は、クリスチャンであろうがなかろうが、是非この問題を声に出して下さい。原田司祭の犯した罪は、途轍もない犯罪なのです。それを隠しておこうとすること自体にも大きな過ちがあるとお思いになりませんか? キリスト教に限らず、現代においても、自己絶対化を教典によって主張している宗教が多いように思えます。最高裁判決が出た後、被害者に謝罪していないこの日本聖公会京都教区の高地主教や聖職常置委員たちは、明らかにカルトであると言わざるを得ません。一つ一つの出来事の正当性を検証することなく、自分たちのしていることは間違っていないという前提のもとに発言し行動しているように見えます。そして、それを主教=アポストロスの権威だと誤解してしまっています。これではまるで、イギリス国教会成立以前の主教や司祭の考え方と同じではありませんか?信者さんが神様にお捧げしている献金を、自分たちが当然取り立てることが出来る教会税だと思っていらっしゃいませんか? 1988年以降の京都教区の主教や常置委員会の対応を見ていると、黒を白とさえ言わしめてしまうほどの権威を主教や司祭は持っていると、主教や司祭自身が考えているようにしか見えません。 実は、知りあいのブログのお気に入りに私のこのブログを入れてもらっているのですが、本文での説明をしてもらおうかと思っています。彼のブログは多い日には1日に500人以上の来訪者があります。そのうちの2割でも100人になります。最早、日本聖公会を健全にしようとするのは無駄かもしれませんが、被害者とそのご家族の傷は少しでも癒されなければなりません。京都教区の主教や司祭は、未だに、被害者の傷に塩を塗り続けています。 まさかとは思うのですが、「考える会」や「考える会」を支持している人々の数が減ったら、原田司祭を復職させようと思っているのではないでしょうか。何しろ原田司祭は、教会の牧師を自主退職したに過ぎず、司祭としての職務執行停止を受けていないのですから、教区主教の一存で復職させることが出来ます。日本聖公会法憲法規の規定ではそうなると私は思っているのですが、如何でしょうか。
2007.02.26
考える会の事件に関するデータベースから西暦 和暦 被害者1983 58 11才 原田司祭による女子児童への性的虐待開始 1988 63 16才 原田司祭、T教会在籍1980~1988年3月 この頃から被害者PTSD発症か (83年~88年までの性的虐待で) 1998 平10 26才 被害者、奈良県警性的虐待窓口で相談、 紹介された大阪府警の専門病院で受診 1999 11 27才 被害者、奈良県立病院他にて診断書(PTSD) 2000 12 28才 原田夫人に訴え、牧師を辞めるよう強調 原田司祭が認め、本人と父親に謝罪手紙を送付(3月) 2001 13 29才 4月4日 父親が武藤主教に連絡、橿原会館で被害手記渡す。 読後、原田を退職さす以外ないと主教は判断 4月6日 主教は本人に辞表を書かせ、 午後病院を訪れ、父親に原田司祭を退職させます と伝えた。 4月7日 臨時常置委員会結論でず、 翌日の常置委員会で退職決定、 4月17日 しかし手記を読んだ後事実無根に転換、 古賀司祭が奈良の弁護士に相談した後 主教が退職を撤回し、常置委員会でも決定 7月9日 被害者が奈良地方裁判所葛城支部へ 損害賠償慰謝料請求提訴 2003 15 31才 公判中に原田が主教選挙で第一位候補に (2003年9月6日 高地敬主教按手) 2004 16 32才 9月30日 奈良地裁で判決 原告(被害者)敗訴 10月14日 原告(被害者)が大阪高裁に控訴 2005 17 33才 3月30日 大阪高裁判決 原告(被害者)勝訴 4月15日 被告(司祭)が最高裁へ控訴 (裁判中も原田司祭は常置委員長のまま) 7月19日 最高裁が大阪高裁の判決を支持、被告敗訴確定、 それでも原田司祭は解職されず 9月3日 新聞報道をみて別の女性が性的虐待受けたと 教区に訴え 9月5日 原田司祭、金沢聖ヨハネ教会を自主退職、 だが事実無根を主張 さらに3人の女性が原田司祭から 性的いたずらを受けたと訴え 教区がやっと対応の誤りに気づき原告被害者と 他の4女性に謝罪 12月9日 教区が謝罪記者会見 (さらに4女性の被害者があったことを・・・) 同日21時45分NHKテレビで報道 高地主教記者会見教区が陪餐停止(9月5日) の処置を取ったと発表 お判り頂けますか? 事件が発生してから、22年後に高地主教は謝罪の記者会見を開いたのですが、それに至るまでの経過に、日本聖公会京都教区の対応に大きな過ちがあったと私は考えています。 1.まず第一に、原田司祭を何故審判廷にかけることなく自主退職させたのかと言うことです。現在の日本聖公会法憲法規の第16章は1994年第46総会決議第39号で第16章の全部が改正されたものですから、この時には現在の審判廷の規定があったわけです。 2.とすると、原田司祭の女子児童に対する長年に渡る性的虐待は第198条の(聖職の懲戒事由)(3)その他著しく不道徳または不正であることに抵触しないと武藤主教はお考えになったのでしょうか。それとも、第210条に規定されている時効が成立していると判断されたのでしょうか。 3.2000年に本人が性的虐待を認め、本人と父親に謝罪文書を送付しているにもかかわらず、武藤主教は何の判断もしていないということは、原田司祭は女子児童へのに関して性的虐待を主教に報告していなかったということなのでしょうか。それとも、報告を受けていながら、謝罪文書を出したということで事件は落着したと考えたのでしょうか。 4.2001年4月2日に武藤主教は父親から連絡を受け、被害手記を渡された段階で原田司祭を退職させる以外にないと判断されているようですが、私が考えるには、武藤主教はこの時になって初めて事実を知ったとしか思えません。ということは、原田司祭は自らが犯した過ちを主教に報告することなく、処罰を回避しているように見えます。 5.同年4月6日、武藤主教は原田司祭に辞表を書かせ、午後には被害者が入院している病院を訪れ、原田司祭を退職させる旨を伝えました。ここにも大きな過ちがあります。この時の武藤主教の言葉について正確にはわかりませんが、「退職させる」という言葉がいみしていることと、自主退職とでは雲泥の差です。同時に、審判廷以外に退職勧告をすることが出来ないことは、日本聖公会法規第197条で明らかに規定されていることで留にもかかわらず、武藤主教は教会の決議を無視する形で「退職させる」という言葉をお使いになったということになります。 6.そして、4月7日の臨時常置委員会で結論が出せずに、翌日の常置委員会で退職が決定されたようですが、「自主退職」として、日本聖公会法規第25条によって常置委員会にはかったと思われます。その時、一日では結論が出なかったので翌日また継続審議をしたとのことですが、一体何を審議したのでしょうか。 また、この自主退職というのは日本聖公会法規第25条の規定によれば、教会の牧師を退職すると言うことであって、司祭の職務執行停止ではありません。このところは、常置委員会も日本聖公会法規通りにしているのですが、退職願を受理するかどうかの問題でこれほど時間が必要だったのでしょうか。何を審議していたのか不思議でなりません。日本聖公会京都教区は、この時の議事録を公開すべきです。 7.そして、常置委員会は「自主退職」を受理するという仕方で、原田司祭の教会の牧師退職を認めました。この時点では、司祭としてサクラメントを執行できる立場にあります。 その後、原田司祭は被害者の手記を読み、事実無根を主張し始めました。しかし、2001年4月5日に、原田司祭は被害者が入院している病院で父親に土下座して謝っているのです。にもかかわらず、2001年4月17日、常置委員会は、原田司祭の「事実無根」という主張を一方的に認め、退職撤回を決定しています。教会の牧師を一旦自主退職した司祭が、その退職願を取り下げたからといって、その司祭を復職させるにはそれ相応の理由がなければならないと思えるのですが、京都教区常置委員会はこの時の議事録も公開すべきであると私は思っています。日本聖公会の司祭の中には、国民の「知る権利」を主張していた司祭さん方がいらっしゃいましたよね。現職司祭による女子児童に対する性的虐待に関する事柄ですから被害者の氏名は伏せなければなりませんが、それ以外の部分に関しては、全聖公会の前に明らかにすべきなのではないでしょうか。 8.そして、2005年7月19日に最高裁判所による上告棄却が言い渡された後も、日本聖公会京都教区は「大阪高裁と最高裁に抗議する」という声明を出されているようですが、何を根拠に「抗議」されたのでしょうか。原田司祭の「事実無根」を全面的に信じていたのですか? 9.その後、4名の女性が同じような被害を受けたと京都教区に申し出たことによって、原田司祭を「処分」し、自分たちも「処分」するという記者会見を開かれましたが、明らかにこれも日本聖公会法憲法規に抵触していますから無効です。聖職に対して陪餐停止だけを宣告することは、審判廷であってもで出来ませんし、「減給処分」日本聖公会は法憲法規にはまったく記されていません。 こうして考えると、原田司祭は日本聖公会の司祭としてサクラメントを執行できる立場にいますし、御ミサのお恵みに与ることが出来ます。原田司祭は、教会の牧師を辞しても、ご自分のところで御ミサを上げていらっしゃるのではないでしょうか。原田司祭が、ご自分は司祭であるということを強く認識していればそうしているだろうと私は考えています。そのことを日本聖公会京都教区主教である高地主教はどうお考えなのでしょうか。 「自主退職」撤回を決定した時の聖職常置委員だった古賀司祭や文屋司祭は、このことをご存知だったはずです。教区常置委員が日本聖公会法憲法規を理解していないとは考えられません。 今日来たメールには、私がよく知っている司祭のご苗字と同じご苗字の司祭の名前が出ていました。15年も経てばひとは変わってしまうのでしょうか。本当に残念なことです。日本聖公会は、徹底的に懺悔して、一から出直すべきです。この問題を知って苦しんでいる信者さんが大勢いらっしゃると思っています。あるいは、知らされていない信者さんも多いかもしれませんが、そうした方々がこの事件とそれに対する教区の対応を知ったら本当に苦しまれると思います。 退職された主教や司祭にも責任はないのですか? 私がこれだけの情報を得ているのですから、他教区であっても、主教や司祭はこの事件をご存知だと思っています。祈って下さい。祈り続けて下さい。自分の命を賭けて祈って下さい。今目の前でPTSDに苦しんでいる姉妹とそのお父様がいらっしゃるのですから。
2007.02.25
もう春だというのに、日本聖公会京都教区の主教さんたちは何を考えていらっしゃるのでしょうね。どこまでご自分たちを正当化すれば気がすむのでしょうか。ある意味では、プロテスタント教会のクリスチャンには非常に多いことなのですが、自分たちの論理を「神さま」という言葉で正当化してしまうのです。ですから、裁判の判決をさえ客観的に見られなくなってしまいます。 被害者の方のPTSDを認めたから、原田司祭は病院で土下座したのではないのですか? それを見ていた武藤主教の発言を「事実無根」で封じてしまったのではないのですか? そもそも、土下座して謝った原田司祭自身がそれを一番よく判っているはずです。 目の前で起こったこと、そして自分たちがそれをどう解釈してきたかをはっきりとさせるべきです。考える会の方々の文書を読むなとか、考える会が騒ぎ立ててるから問題が複雑になるとか、謝罪してもいないのに謝罪したとか、流言飛語を流してまでご自分たちの正当性を主張されているのは何故なのでしょうか。他にも明らかになったら困ることがあるのですか?大阪高等裁判所での裁判の原告(被害者)以外の被害者たちのことを考えていらっしゃるのですか?「静かにしていて欲しい」とでも言われているのですか?それで問題を回避しようと奔走されているとしたら、あなた方ご自身が神の御前で大いなる罪を犯していることになるのではないでしょうか。高等裁判所は原田司祭による児童への性的虐待は長期間にわたって確実に行われていると判断されたのですよ。そして、最高裁のもそれを支持したからこそ、上告棄却を言い渡したのではないのですか? 日本聖公会のお二人の司祭を除いて、あとの「沈黙は金」とばかりに黙り込んでいる聖職の方々は、ご自分たちが大いなる過ちを犯していることに気が付くべきです。 私の知りあいを「右翼だ」とか「社会問題に関心がない」とか言い、彼が真剣に研究していたことを「自慰だ」と非難された方もいらっしゃいましたよね。彼は自分がしている研究のために、収入も家族も失いました。そして、それでも彼は書き続けてきたのです。研究し続けてきたのです。女性司祭問題に関しては「勉学中の一年は沈黙する」という彼の立場を徹底的に非難していたそうですね。そうした方々の中には、いま主教になっている方もらっしゃるとか。何故、原田司祭の児童に対する性的虐待とそれに対する京都教区の対処がデタラメだったことに口を閉ざすのですか。彼は山野司祭さんを今でも尊敬していらっしゃいますよ。 原発に反対されていた方々がいらっしゃいましたよね。私はあるところでそれをお伺いしたことがあります。人間の命を大事にするから反対されていたのではないのですか?今目の前に、瀕死の状態にある被害者の方がいらっしゃるのに、何故黙っていらっしゃるのですか? 先程、知人に電話してみました。夏まではかなり忙しそうです。今朝も朝からパソコン2台の前で座り続けているそうです。「そんなもんだろうと思いますよ。あの教派の研究者は、キリシタンに関する出来事の中で、現在でも大きな問題になっていることをまったくお書きになっていらっしゃいませんから。キリスト教の正当性とそれを弾圧した幕府という構図しか見ていないのです。」と言っていました。「数年前に出た本を読んでがっかりしました。パードレたちがどんな船に乗ってきたかということは、ある意味では大きな問題ではないのですが、それをかいていながら、一番大事な民衆の現実を無視しているのですから。研究室の中でだけ歴史を見たら、支配者・権力者が自分たちを正当化するための歴史しか見えてきません。」 日本聖公会の司祭や主教の中には、かつては社会問題に積極的に目を向けていた方々がいらっしゃったはずなのに、何故この問題では沈黙されるのですか?理由がまったく判りません。教会の外に対しては何でも言えるのに、教会の内側のことになると口を閉ざすのは何故ですか? それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで商売をしていた人々を追い出し始めて、彼らに言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家でなければならない。』ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にした。」(ルカ福音書19:45~46) (日本聖書協会・新共同訳聖書) 日本聖公会の司祭や主教は、この出来事をご存知ですか? 目の前で行われている不正に対して主イエス・キリストはなんとおっしゃっていますか? それとも、現職の司祭による女子児童への性的虐待が長期間行われていたことは、不正なこと、不道徳なことを越えた、明らかな犯罪であるということを否定されるのですか?
2007.02.24
日本聖公会京都教区の主教や一部の司祭は、どん底まで堕落したのですね。 朧気ながら事件の真相が見えてきました。 原田司祭の犯罪を、それを犯罪と知りながら主教や司祭は隠そうとしたのですね。その為に、自分たちが考えられる手段で事件を隠蔽しようとしたり、被害者の資質までも問題にしたのですが、すべては確定した大阪高裁の判決が明らかにしているのだと思います。大阪高裁の判決は、慰謝料請求額の満額の500万円を認めています。つまり、完璧なまでの原告(被害者)側の勝訴ということになるにもかかわらず、原田司祭は「事実無根」を主張し続けてきています。「冤罪だ」と言った聖職もいるそうです。もしかしたら、「それでも僕はしていない」という話題の映画を例にして話をしているかもしれません。私の友人が面白いことを言っていました。「証人がいないだろう!」と言ってるのではないかということです。女子児童に対する性的虐待の目撃者がいたら、大変なことです。底で犯罪が行われているにもかかわらず、制止することもなく、警察に通報することもなかったんですから。目の前で起きている犯罪を看過したら、ある意味では共犯者であるかもしれません。証人や目撃者がいるはずのない事件です。 そして、大阪高裁の判決内容は、事件は間違いなく起こっていたということを明らかにしているにもかかわらず、これだけの犯罪性のあるものを日本聖公会は未だに問題にしていません。刑事訴訟法で時効になったものは、神学的にも時効が成立するかということを私は日本聖公会の全聖職に質問したいと思っています。 それは正に、教会と国家の現実的な問題でもあります。 この問いに答えられない、言い換えればご自分の神学を明確に論じられない主教は、主教である資格があるでしょうか。主教は教会の「司牧」者であると、日本聖公会法憲第一条がはっきりと宣言しているのですから、日本にある他教派の教会に対してこのことを明確に告げるべきです。 日本聖公会の法憲法規には、日本国憲法下における法律、ことに民事訴訟法や刑事訴訟法では時効になっている問題や犯罪を、審判廷で裁くことは出来ないとは書かれていません。ですから、教会の法憲法規を法律よりも後退させて考えていない限り、日本聖公会はこの犯罪を審判廷で裁かなければならないのではないでしょうか。刑事訴訟法が教会法よりも先行するのであれば、教会は教会でなくなるのではありませんか。初代教会や古代教会は、ローマ帝国の認可を受け、その秩序の中で御ミサを守り続けてきたのでしょうか。ペテロは何故死んだのですか?聖公会の聖人の中でこの時にローマ帝国によって殺された方々は何人いらっしゃいますか? 女子児童に対する性的虐待は、教会法でも大変な罪です。 「懲戒を求める申立は、第198条から第200条までに規定する行為または行為をしないことが終わったときから3年を経過した後は、することが出来ない」と法規第210条で時効が定められていますが、この事項期間には大きな問題があります。刑事訴訟法上はまだ時効が成立していない重大な犯罪であっても、日本聖公会は犯罪者を審判廷で裁けないことになってしまいます。 そして、私が法憲法規を読んだ限りでは、日本聖公会法憲法規及び日本聖公会審判廷規則には見当たりません。もし、「主教ないし主教会が決めることが出来る」とすれば、それは正に絶対王政であって、日本聖公会は日本国憲法が日本人に求めている近代民主主義社会そのものを否定しているということになります。 そしてなによりも、この事件は終わっているでしょうか。 被害者はPTSDで苦しみ、その家族はそのことによって途轍もなく大きな重荷を背負っています。これを「終わっている」とお考えになる主教や司祭の神学的所見をお伺いしたいと思っています。「日本聖公会には神学はない」ということをお伺いしたことがありますが、まさか主教や司祭に神学がないとは思えません。 また、神学がなければ何故祈祷書を制定できるのでしょうか。あるいは、綱憲をはじめ、法憲法規で様々な規定を設けることが出来るのでしょうか。何故、洗礼と聖餐が聖奠(サクラメント)なのですか?神学がなければ、これを決定することは出来ないはずです。 そして日本の社会の中でかなり異なった教理体系を持っている仏教諸宗派を、「仏教」という枠組みですべて同じもののように考えている日本人は、「キリスト教」という枠組みで、無数にあるキリスト教の教派を同じもののように見ています。つまり、聖公会の中での犯罪とその隠蔽工作が公表された(主教等の記者会見)時点で、多くの他教派の教会にも何らかの影響を与えたことは否めないと思います。 何故、そうした事態に日本聖公会は目を向けないのでしょうか。 主教会は何を話し合っていらっしゃるのでしょうか。 そして心配しているのは、ご自分なりの決断をされた武藤主教にあちこちから電話をしていないでしょうか。掛ける側は一人ですが、受ける側は掛けてきた電話にすべて出なければなりません。 確かに問題は、武藤退職主教が何故、現在の勤務先を辞職するのかとうことだと思います。理由です。辞職する理由です。そして、その理由があの女子児童に対する性的虐待事件の取り扱いと、加害者である原田司祭の取り扱いに関する過ちをお認めになり、一連の経過をはっきりと文書で証しし、被害者とその家族、及び事件現場である教会の信徒に謝罪しなければ、辞職は何の意味も持ちません。 「主のために生きて下さい。」 僭越ながら、私も武藤主教にそう申し上げたいと思っています。 「たとえ日本聖公会が痛んでも、主のご栄光が現れることを決断して下さい。」
2007.02.21
【投稿】 いつもメール通信ありがとうございます。 最近多くの力が結集しているようです。 私も昨年ある司祭からHPを紹介され、初めて事の真相を知ることができました。 だから話せる人には話題にするようにしてきました。 私の母にもです。母は京都教区の信徒なのですが、やはり何がなんだかわからなかったようです。さっき母から連絡がありました。武藤主教に抗議の電話をかけたそうです。聞くと相当強い口調で話したようで、ハラハラするほどの内容でした。武藤主教はもう大学をお辞めになるとはっきりおっしゃったようで、母はそれは任期満了ですかとたたみかけたそうです。あと一年残してだと言っていたと話していました。そして、じゃあ京都に泊まりこんでみんなが納得できる解決をしてください、それが責任を取るということですよと話したと言っていました。 まだまだきついことを言っていましたが、ここでは長くなるので省略します。 それぞれの立場でできる行動を取っていると実感できる出来事でした。 今後も手を取りあい、力を合わせ、祈り、行動しましょう。 よろしくお願いいたします。 (2007.2.17 受信者より) ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 上記のようなメールが「考える会」あてに送られてきたそうです。 そして、「考える会」はご自身たちの考えを添えて、一斉メールを出して下さいました。私がこれを読んだのが遅くて、ここに書き込むのが遅れて申し訳ございません。その後、このメールに関する意見が送られてきています。 武藤主教さんは任期を「あと一年残して」「もう大学をお辞めになるとはっきりおっしゃったようで」すが、これを信じられないという方もいらっしゃいます。ある意味では当然かもしれません。H司祭を審判廷にかけずに自主退職させてしまい、その後「事実無根」を主張するH司祭の言葉を信じ、退職撤回を認めてしまわれたのですから、当然そこには大きな責任があると思います。 2001年4月7日の常置委員会では結論を出すことが出来ず、翌日にまた開かれた常置委員会で退職が決定したそうですが、私には不思議でなりません。女子児童に対する性的虐待を認め、土下座して謝ったH司祭を退職させるだけで、何故そんなに時間が掛かったのでしょうか。審判廷でなければ懲戒できないし、退職という懲戒規定はないという日本聖公会法憲法規の条文が理由であれば、翌日まで継続審議になることはなかったはずです。 武藤主教や他の常置委員は、前述した法憲法規の条文のことは、まったく意識の中になかったのだろうと思います。あるいは、審判廷を開くことなく「穏便に」ことを集結させようとしたのかもしれませんが、だとしても二日間もかけることはなかったであろうと私には思えます。考えられることは、この時に既にH司祭を退職させることに反対の人々がいたのではないでしょうか。 当時の常置委員が法憲法規のことを意識していなかったことは、2005年12月9日の謝罪記者会見の内容を見れば誰にでもすぐに判ります。H司祭は陪餐停止、当時の聖職常置委員は有期減給ということでした。この二つのことも、明らかに法憲法規違反です。司祭の陪餐停止はありません。司祭と執事に対する懲戒は、日本聖公会法憲法規第201条によれば、戒告・1月以上3年以下の職務の一部執行停止・1月以上3年以下の有期停職、終身停職の4つしかありません。そして、同条のたぶん第五項(「5」とだけ記されているので)には、「職務の一部執行停止または停職の懲戒を受けた聖職の陪餐は、停止する。」と記されています。つまり、陪餐停止という処分は、前記の四項目うちの「職務の一部執行停止または停職の懲戒を受けた」時にのみ付随していることであって、陪餐停止という処分自身だけを執行することは出来ないものです。 高地主教も日本聖公会法憲法規をよくお読みになっていなかった証拠だと思います。ここにも重大なミスがありました。H司祭は職務執行停止になっていません。また、法憲法規に反する形で行われた懲戒は無効ですから、陪餐停止も効力を持っていません。法憲法規を知らずにこの「処分」をしたのだとしたら、あまりにもお粗末すぎます。知っていて、この「処分」をし、奈良県庁で記者会見をしたのだとしたら、各新聞社を通して人々を欺いたことにしかなりません。 一日も早く審判廷が開かれることを祈っています。
2007.02.18
考える会からのメールが来て、それに5項目のことが記されていました。日本聖公会京都教区の聖職が犯した過ちに関してです。今夜はそれらの一つ一つについて私の意見を書きたいと思います。日本聖公会は他教派と相互陪餐をしている教会もあるというのに、他教派の聖職位をお認めにならず、他教派には信徒の転籍状をお出しにならないので、私は一人の人間として日本聖公会に対して「もの申す」ことにしたいと思います。1.法規に則らず独断で懲罰した。(陪餐停止)(K主教) 法憲法規に例外規定がないことをK主教はご存知なかったのでしょうね。あるいは、主教は何でも出来るとお考えだったのだと思います。もしかすると、大幅に改正された新しい法憲法規をお読みになっていらっしゃらなかったのかもしれません。 法憲法規が定める審判廷によらなければ、誰も裁くことは出来ないということをご存知なかったのだと思います。裏を返せば、「主教は全能」という誤解をお持ちだったように思えます。 そして、社会主義国家であるならいざ知らず、近代民主主義国家における自由と人権を守るための罪刑法定主義ということをご存知なかったのではないでしょうか。つまり、規則として定められていないことは自由であるということであり、法に抵触することはその法の範囲の中でしか裁くことが出来ないということです。日本聖公会の懲罰は、審判廷でしか決定することは出来ません。にもかかわらず、K主教は独断で、もしくはまったく非公式な形での司祭たちとの話し合いで、法憲法規にないH司祭の陪餐停止を決定し、それを対外的にも表明されてしまいました。 (気になっているのですが、日本聖公会の他教区に文書でそのことを通知していたのでしょうか。もししていなければ、何のための懲戒か判らなくなってしまいます。2.被害者父親との和解を遅らせている。(K主教) 私には「遅らせている」のではなく、するつもりがないように見えます。 考える会からのメールや考える会のホームページ(ブックマークにあります)を拝見させていただくと、K主教をはじめ常置委員の司祭たちに問題を解決するつもりがあるのかとの疑問を持たざるを得ません。そもそも、被害者の父親に謝罪するつもりがあれば、疾うに謝罪しているはずではないでしょうか。もちろん謝罪するということは自らの過ちを認め、それを告白することが含まれていることは当然のことです。 日本の教会はこれが本当に苦手なのかもしれません。日本聖公会に限ったことではなく、日本のプロテスタント教会の宿命かもしれません。日本のプロテスタンティズムのなかに、武士道の精神が流れていることは事実です。罪を認めたら腹を切らなければならないと思っているのかもしれません。あるいは、罪を認めることによって引き起こされる責任をとるのが恐ろしいのでしょうか。3.わいせつ行為(不道徳行為)を本人が認めたのに法規にある審判廷にかけなかった。(M主教) M主教は、審判廷を開く前に自ら潔く辞表を書かせたかったのだと思います。 しかし、日本聖公会という組織の中では、それは通用しないことです。法憲法規を逸脱して主教が判断できないことです。ここにも「主教は全能」という発想が見え隠れしているように思えます。これは、日本聖公会だけに限ったことではありません。宗教法人法に基づいた教会規則や、それぞれの教派が持っている規則を越えて、聖職が判断するということは、ある意味でよく見受けられてきました。けれども、先に述べた罪刑法定主義ということは、そこで起こっていることをその宗教教団の規則を越えて恣意的に判断しないということでもあるのではないでしょうか。 「牧会的配慮」という言葉がありますが、それは被害者を守るために行われることであれば、多くの人はそれが規則に反していても眼を瞑ることがあるかもしれませんが、加害者を守るために超法規的措置をするということが「牧会的配慮」であるとは考えられません。それとも、K主教や関係司祭は、210条の時効が成立するのを待っているのでしょうか。4.わいせつ行為を認めていたのに復職させた。(M主教) 自ら土下座して父親に謝罪したH司祭を目の前で見ているに、H司祭の「事実無根」という言葉をM主教は受け容れてしまいました。私には信じがたいことです。何故このような判断をされてしまったのでしょうか。10日の間に何があったのでしょうか。被害者や被害者の家族の痛みよりも、H司祭や他の常置委員の意見に押しつぶされてしまったのでしょうか。 考える会の「事件経過時系列」によれば、2001年4月6日にM主教はH司祭に辞表を書かせ、午後には被害者が入院している病院を訪れ、被害者の父親にH司祭を退職させますと伝えました。ここにも問題がないわけではありません。何故、法憲法規にない自主退職をH司祭に求めたのか。ことが公になることを防ぐためにだったのでしょうか。「穏便に」事態を収拾させようと思ったのでしょうか。それとも、自主退職をさせておいて、適当な時が来たら復職させようと思っていたのでしょうか。5.復職させる為に積極的に弁護士と打ち合わせ主教に働きかけた。(K司祭) その結果、同年4月17日、H司祭は「事実無根」を主張し、それを根拠に常置委員会とM主教は退職撤回に同意したのです。この時に、H司祭とM主教との間で激しいやりとりがあったかのように聞いていますが、もしそれが事実であれば、何を議論されたのでしょうか。退職撤回を主張し退職願の変換を求めるH司祭と、それを拒もうとしたH主教との間に激論でもあったのでしょうか。そして、多数決で常置委員会の意思が決定され、M主教はそれを受け容れざるを得なかったのでしょうか。 最高裁の上告棄却によってH司祭の児童に対する性的虐待は、明らかに行われたということが裁判上は確定しています。私もそれを受け容れざるを得ません。しかし、あの2001年4月17日の段階で、主教や常置委員はH司祭の「事実無根」を受け容れてしまっているのです。そして、最高裁の上告棄却のあとも、教区総務局長名で「大阪高裁と最高裁に強く抗議する」声明を出しています。 この常置委員会の前に弁護士さんを交えて話し合いが持たれたようですが、弁護士さんを始め全員がH司祭の「事実無根」を信じてしまったのでしょうか。困ったものです。人間を信じることは信仰ではありません。教会の信仰は主イエス・キリストの父なる神を信じ、その御手の中に自らを委ねることではないでしょうか。 主教の権威によってでもなく、その主教の委託を受けて主の祭壇に仕える司祭の権威によってでもなく、ただただ、神の言葉によって事柄が判断され、裁断が下されるべきだったのではないでしょうか。教会がこの視点を見失ったら、教会はキリストの教会ではなくなってしまいます。 そして、一番大事なことがあります。 日本聖公会の信徒である一人の姉妹が、現職の司祭による性的虐待によってPTSDを発症し、いまもそれに苦しんでいるということなのです。一人の人間の心をずたずたにして、一生涯それに苦しまなければならない状態にしたということの認識が、日本聖公会の主教やほとんどの司祭の中にないということです。 そして、K主教や司祭たちは、この事態を静観できずに真っ正面から誠実に取り組んでいる「考える会」の方々の悪口をまき散らしているようですが、見苦しいです。 いま流行の言葉でいえば、卑怯です。
2007.02.16
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ロリータ・コンプレックス (英語:Lolita complex、短縮形:ロリコン) とは、 幼女・少女に対する(主に成人)男性の性的または恋愛的関心・性嗜好をいう。 社会一般では多くの場合、正常ではない性嗜好とみなされている。類義語に小児 性愛(ペドフィリア)がある。短縮形「ロリコン」の場合は、そのような性的嗜 好を持つ人も指す。和製英語ではないが、英語圏ではあまり使用されず、主に日 本で用いられて来た。近年は、日本語での rorikon を英語化した 「lolicon」の 形で、逆に輸出され海外でも使われている(実際に、英語版 Wikipediaにおいて は、項目名が「Lolicon」となっている)。語源は、中年の男性が年の離れた少女 を愛する、ウラジーミル・ナボコフの小説『ロリータ (Lolita)』に由来する。 ネット上のフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』にこうかかれていました。 現在問題になっているH司祭による児童への性的虐待は、ここに端を発していることは火を見るよりも明らかなことです。しかも、宗教的言語を持って女子児童を精神的に拘束し、性的虐待を加えたことは、『児童虐待の防止等に関する法律』や『児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律』が規制していることを遙かに越えた性犯罪です。 もちろん、この二つの法律はH司祭が女子児童に対して性的虐待をした時にはまだ出来ていませんから、この法律に抵触することはありませんが、しかし、次の法律にはどうでしょうか。 刑法176条 十三歳以上の男女に対し、暴行又は脅迫を用いてわいせつな行為をした者は、 六月以上七年以下の懲役に処する。十三歳未満の男女に対し、わいせつな行為 をした者も、同様とする。 刑法177条 暴行又は脅迫を用いて十三歳以上の女子を姦淫した者は、強姦の罪とし、二 年以上の有期懲役に処する。十三歳未満の女子を姦淫した者も、同様とする。 刑法178条 人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒 不能にさせて、わいせつな行為をし、又は姦淫した者は、前二条の例による。 皆さん、如何でしょうか。 H司祭の行為があったかなかったかの議論はもうする必要はないと思っています。H司祭自身が二回も土下座して御父様に謝っているのですから、これだけで証拠は十分ではないでしょうか。裁判では、自白だけでは証拠になりませんが、一般的な常識からすれば、「事実無根」ということはあり得ないと思います。 「刑法177条 暴行又は脅迫を用いて十三歳以上の女子を姦淫した者は、強姦の罪とし、二年以上の有期懲役に処する。十三歳未満の女子を姦淫した者も、同様とする。」「刑法178条 人の心神喪失若しくは抗拒不能に乗じ、又は心神を喪失させ、若しくは抗拒不能にさせて、わいせつな行為をし、又は姦淫した者は、前二条の例による。」とありますが、H司祭の行為は刑事時効が成立しているため、刑事告発をすることが出来ませんでした。 しかし、皆さん、考えて下さい。 被害者や御父様は、「事実無根」だったから刑事告発をされなかったのでしょうか。被害者は、「事実無根」だったから誰にも話さずにいたのでしょうか。 H司祭未だに「事実無根」を主張し、被害者とその家族に謝罪していません。 一旦は土下座して謝っておきながら、しかしある時から一転して「事実無根」を主張されたのです。そして、M主教は土下座して謝ったH司祭を見て、「辞表を書くように」とおっしゃったそうです。一見、当然のことだと思いますが、この時に何故審判廷のことをお考えにならなかったのでしょう。「自主退職」と「停職」では意味が全く異なっているのではないでしょうか。加害者にも人権はあります。しかし、罪は罪なのです。すぐにでも教区審判廷を開いていらっしゃれば、現在の問題は起こらなかったはずです。 そして、「事実無根」を主張しはじめたH司祭をM主教と常置委員会はそれを受け容れてしまいました。H司祭の「辞表の返還」要求を受け容れてしまわれたのです。何故ですか?何故受け容れてしまわれたのですか?「辞表の返還」をして、審判廷を開くというのであれば判りますが、加害者の申し立てだけで何故「事実無根」を受け容れてしまわれたのですか。 犯罪を隠そうとすることは、犯人隠匿になるのではないですか? そして、高地主教をはじめその後の常置委員は、問題を解決したかのように振る舞われているようですね。それも、ウソの発言までして‥‥‥。何故ですか?被害者ではなく、日本聖公会京都教区を守ろうとされたのですか?それとも、主教や常置委員という立場や肩書きを失いたくなかったからなのですか? 日本聖公会の他の主教や司祭は、何を考えていらっしゃるのですか? 他教区で起こったことには関わってはならないからですか? 主教や常置委員会が犯した過ちを、主教や常置委員会が客観的に裁けるとでもお思いなのでしょうか。 先日、電車に飛び込んで自殺しようとした女性を助けるために、警察官の方が亡くなられてしまいましたよね。主教さんや司祭さんには、あの勇気がおありですか? そして、ホームにいた人々も警報機のボタンを押さなかったそうです。ボタンを押していれば、警察官の方は亡くならなくて済んだかもしれません。何故、主教さんや司祭さんは警報機のボタンさえ押そうとされないのですか? 今夜も被害者の方はPTSDに苦しんでいらっしゃるかもしれないのですよ。
2007.02.14
教会の中でセクハラがあったようですね。それを皆さんで守ったようですが、教会を去ってしまわれた方のためにもお祈りしました。私は、H司祭だけでなく高地主教や京都教区の常置委員の司祭たちのために祈っています。ひとの心に罪を悔いる心を起こさせて下さるのも神様であるとしたら、私たちの執り成しの祈りを神様が聞き入れて下さるはずです。神様の御心であれば、神様は何でも出来るお方です。 「いいたい放題」というブログを読みました。 私もあの判決は、H司祭に対する大阪高裁のものだと思っていました。本当によく似ていますから。いたいけない5人の児童に対する性的虐待をしていたH司祭の行為は、高等裁判所が損害賠償・慰謝料請求額の満額を支払うように判決し、その判決に対する上告を最高裁が棄却したということによって、「事実無根」のことではないということがはっきりしているにもかかわらず、京都教区の高地主教をはじめ常置委員の司祭までもが、いまだに被害者やその家族に謝罪していないということは、教会の信仰からしても如何におかしいものであるかは、皆さんにもお判り頂けるのではないかと思っています。 日本聖公会法憲法規の中で審判廷に関する部分を読み返していたのですが、聖書の御言葉や教会の伝統が判断基準になることが記されていないのは何故でしょうか。確かに、聖書の解釈は様々なものがあります。しかし、教会の信仰は聖書と明文化された信仰告白によって確定されていなければならないのではないでしょうか。 懲戒するときの一番の基準は聖書だと思っている私には、そのことが懲戒規定の中で明言されている必要があると思えます。あるいは、聖公会はニケヤ信経と使徒信経を基としていることが綱憲の第2に明記されていますが、その信経に違反する発言をした場合には懲戒されることはないのでしょうか。 あるいは、聖職・伝道師・信徒が懲戒される事由として、「その他著しく不道徳まはた不正であること」が上げられてますが、「不道徳」「不正」の定義がなされていません。ある意味では、いくらでも恣意的にこれを解釈できると思えるのですが。罪刑法定主義の観点からすれば、「不道徳」「不正」という表現はあまりにも曖昧すぎると思っています。 「ゲイ」の司祭がいますが、それは不道徳ではないのですね。 「使途不明金」は不正ではないのですね。 とすると、この「不道徳」「不正」は聖書に記されていることには規制されていないわけですよね。審判廷が「不道徳」だと認定すれば、聖書では許されていることでも不道徳ということになり、聖書が不正ではないと言っていても、審判廷が「不正」だと判断すれば不正だということになってしまいます。逆に、聖書では不道徳だとされていることでも、審判廷が「不道徳ではない」と決定すれば不道徳ではなくなってしまい、聖書では不正であるとされていても、審判廷が「不正ではない」と決定すれば不正ではないということになります。 だとすると、聖書の御言葉よりも審判廷の決定が上位になってしまわないでしょうか。法規第171条(聖書)にはこうあります。「公祷、聖奠およびその他の諸式の執行において用いる聖書は、総会の認許した別表2に掲げるものとする。」とあり、別表2には、4種の聖書が上げられています。にもかかわらず、懲戒に関しては、その基準には聖書があるということが明記されていなければ、第197条以下の条文は聖書に拘束されていないことになるのではないでしょうか。 確かに、綱憲の第1には聖書は「神の啓示にして救を得る要道を悉くのせたものと信ずる」とありますが、私が読んだ範囲内では、この綱憲が法憲法規を拘束しているという条文がないように思えます。法憲法規の序文には「聖公会の伝承に基いて、法憲法規を定め」としか記されていません。 それとも日本聖公会には公開されていない不文律があるのでしょうか。 組織論が前面に出るときには、内実が崩壊しはじめているとよくいわれますが、組織の秩序を無視すると、その組織は無秩序による混乱に襲われるのではないでしょうか。 (綱憲および法憲法規からの引用の送り仮名は原文のまま)
2007.02.11
「いいたい放題」というブログがあります。 http://blog.goo.ne.jp/myocor_319/ アドレスのところにこれをコピーしてリターンキーを押すと「いいたい放題」というブログを読むことが出来ます。 「考える会」に次のような投稿メールが来たそうです。 メールの発信者は本名で書かれていますが、ここでは「某」と記させていただきます。ご本人様の勇気に感動すると共に、これからのお働きのためにも祈り続けております。 以下、投稿メールの原文です。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆> ○○の某です。一斉メールに投稿いたします。> (堀江氏と高地主教の電話内容に関して)> (堀江氏が高地主教に話す)> 「審判廷に申し立てる以外道がひらけませんよと勧めたので、1週 > 間ほど考えられ、内輪で審判しても期待できないという結論で申し> 立て書を返してこられたのです。そのような話を聞いて、あなたは> 父親が考える会と離れたと早合点して、あのような文書の発送を> 思いつかれたのでしょう!」>>> 高地主教が早合点した、というのは非常に好意的な受け止め方でしょう。> 今回の京都の文書は堀江氏攻撃が主なる目的であって、被害者支援の会> (「考える会」)と、被害者を引き離す工作であると理解するのが普通> です。> 実際、堀江さんは非常にショックを受けたのだし、情報発信をした人、> 私、某も含めて、被害者の周囲の人たちが「余計なことをしたな」> という印象を植え付けようとした、そういう文書です。>> 古賀司祭は1月に私、某に、「堀江はウソをついており、和解もほぼ> 完了した」という電話をかけてきました。> それで私は、実際の状況がどうなっているのか、被害者側の意思の確認> をいたした訳ですが、和解の進行状況の隠蔽と、被害者支援の会の分離> 工作は、この事件の関係者が今までずっとしてきたことなのです。> 昨年の聖公会の総会でも、高地主教は議場で、議員に対してアピールし、> 堀江メールを真に受けず、堀江氏に連絡したりせず、自分に質問してく> るように、発言しました。> 高地主教は堀江氏を嘘つき呼ばわりして、疑問に感じた人たちを自分の> 言葉で言いくるめるために、このような発言をしてきたのです。> 今回の京都の文書は、その総決算と言っていいと思います。> 引責辞任を避けるため、また堀江氏の言う「謀議」疑惑を知られたくな> いため、このような事をしているのです。>> ○○○○○○教会> 司祭○○○○○○○> ---------------> --------@---------jp ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 「高地主教が早合点した、というのは非常に好意的な受け止め方でしょう。」ということに、私も全面的に賛成します。前回引用した電話での会話の中で、高地主教は「お相子でしょ」と言っていますが、平気で文書を改竄される方なのですね。被害者の御父様にファックスで送って、その送った文書に訂正がなされて送られてきた時に、訂正されてきた文書の訂正されていないところを改竄して、「関係者の了解を頂いた」と言っていましたよね。 こう言うのは、犯罪にはならないのでしょうか? この某司祭の投稿メールには「昨年の聖公会の総会でも、高地主教は議場で、議員に対してアピールし、堀江メールを真に受けず、堀江氏に連絡したりせず、自分に質問してくるように、発言しました。」とありますが、実に愚かなことをしているのですね。そして、日本聖公会の他の主教や司祭がこれに対して沈黙しているようですが、本当に悲しいことです。 あれだけ「人権」ということを主張していた方がいらっしゃるでしょ。最近もキリスト教関連の新聞に載っていらっしゃいましたよね。WCCのお仕事をされていらっしゃるようですが、何故黙っているのですか?WCCは女性の人権に関する活動をしているんじゃないのですか?事件は、複数の女子児童が、一人の司祭によって性的虐待を受けたのですよ。この被害者の方々には、人権はないのですか? 和解してもいないのに「和解した」と発言されています。それを黙って見過ごしにされるのですか? 私の知りあいの友人の方は、大阪高裁の判決文にある【事実認定の補足説明の概要】をテキストファイルにするそうです。そして、それを出来るだけ広い範囲に送るとおっしゃってました。新聞の記事からの引用ですから、新聞の名前を入れて引用する分には問題ないはずです。 今朝、やっと気が付きました。 M主教さんの本心が見えたような気がします。私が知っているM主教さんは、児童への性的虐待を看過されるような方ではありません。H司祭は、一度提出した退職願を、大声を上げて「返せ」とおっしゃったのでしょうか。そして、他の常置委員もそれに同調したのでしょうか。「多勢に無勢」ですよね。あのおとなしいM主教さん、しかし、しっかりとした信仰をお持ちのM主教さんから辞職願いを返してもらうことは大変だったのでしょうね。 H司祭とそれを匿おうとした常置委員は何を考えていたのですか。 そして、この問題が水面下から水面に出てきたら、今度は裏工作ですか。 私の知っている司祭さんのお名前が出てこないことは、ある意味でホッとすると同時に、ある意味では「何故?」と問い返したくなります。何故立ち上がって下さらないのですか? 京都教区の問題だけではないと思います。日本聖公会がキリストの教会であり続けることが出来るかどうかの問題ではないのですか?もしこのまま、この問題が迷宮入りしたら、日本聖公会は二度と人権について語ることは出来ないでしょう。もし人権を語るようなことをすれば、多くの人が「黙れば、石が叫びだ」しますよ。「なぜ、のどが渇いていたときに水をくれなかったのか」と‥‥‥ 皆さんのお仕事は、主が命じられたサクラメントを行うことではないのですか? 皆さんのお仕事は、99匹の羊を残して、失われた1匹の羊を探し出すことではないのですか? 皆さんのお仕事は、父と子と聖霊なる神にお仕えすることではないのですか? 某司祭さんは次のようにおっしゃっています。> 高地主教は堀江氏を嘘つき呼ばわりして、疑問に感じた人たちを自分の> 言葉で言いくるめるために、このような発言をしてきたのです。 昨日のメールを読んで、私にもかなり見えてきました。 日本聖公会の主教さんや司祭さん、もちろん退職された方々も含めて、立ち上がって下さい。叫んで下さい。主なる神にご栄光を帰すために。
2007.02.10
「考える会」の堀江氏と日本聖公会京都教区主教・高地氏との、電話での会話を起こしたものが送られてきました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 堀江 「高地さん!全国の教会に出されたあなたの1・29文書に 疑問を抱き、父親に会いに行って確認しましたが、『騒ぎ立 てると言うような表現を使った内容の文書を全国の教会に送 る了解をした覚えはない!』とはっきり言われていますが、 いかかですか?高地 「原稿はFAXで父親に見ていただき、2,3箇所訂正されて 送られてきました。だから了解を頂いています。」堀江 「話が食い違っていますね? 父親は裁判で4年間も教区と戦い、結審後も武藤主教や古 賀司 祭が平然としているし、要望を出しても誠意が感じ られない、もうこれ以上耐えられない、教会を離れたい、と 言うような 心境で昨年末から苦悩の極みの状態だったです ね。そこへ私が審判廷に申し立てる以外道がひらけませんよ と勧めたので、1週間ほど考えられ、内輪で審判しても期待 できないという結論で申し立て書を返してこられたのです。 そのような話を聞いて、あなたは父親が考える会と離れた と早合点して、あのような文書の発送を思いつかれたのでしょ う! ところで、父親とFAXしたということが真実であればどうし て父親が全国に送られた文書を見ていない、騒ぎ立てるの言 葉も使ったことないと言われているのですか?ドラフトにな かったものを付け加えたり、表現を変えたものを最終稿にし て全国に送られたのでしょう」 どうなんですか?高地 「騒ぎ立てるはこちらでそういう表現にしました。」堀江 「しますを致しますとか昨日をきのうと変えるようなもので はないでしょう。重大なことですよ。父親を騙したことにな るじゃありませんか!」高地 「堀江さんもよく使う手法ですよ!これでお相子じゃないで すか。」堀江 「高地さん!なんということを言うのですか、 全国の教会に送られたのでしょう、回収しなさい!最後に ”この文書は被害者の関係者の方の了解のもとに出しております” と書かれているでしょう。全国の教会を騙したことになるで しょう。 訂正の文書を発送しなさい!ここまでよくやりますね! また、私が事実でない内容を書いていると言うような印象を 植えつけているが、どことどこなのか、こんな重大なことで正 確に羅列してください。」高地 「・・・・・・」 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 「これでお相子じゃないですか。」 高地主教は認められてしまったのですね、ご自分が恣意的に相手が使ってもいない言葉を書き込んだものを全国に送ってしまったことを。堀江氏が意図的に表現を変えていないことは、メールの文面からも判ります。おそらく高地主教は「謀議」という言葉に固執しているのだろうと思います。自分たちの都合のいいように仕向けることを相談することを「謀議」という日本語で表現してどこがおかしいのでしょう。「自分たちは謀議などしていない」と言っても、本人の「事実無根」という言葉だけで退職を取り消したことが、どうして謀議ではないのでしょうか。最高裁判所の上告棄却によって、H司祭による幼児への性的虐待は確実に行われていると裁判所は判断したのです。刑事事項が過ぎてしまっているので、刑事裁判にならなかっただけです。まさか、「民事裁判と、刑事裁判で判決が異なることもある」とはおっしゃらないでしょうが、H司祭は父親の前で土下座して謝ったことがあるのです。そうした一連のことも大阪高裁は判決の判断材料にしたのではないでしょうか。 誰に話しても、皆さん裏が見えていらっしゃいますよ。 そして、京都教区の古賀司祭は、ある司祭に「堀江はウソをついており、和解もほぼ完了した」と電話をされたそうです。呆れました。ご自分たちの過ちをいつまでお認めにならないのか。しかし、日本聖公会はそういうことを過去にいくつもし続けてきたという話も耳にしています。沖縄教区のことも、京都教区のことも、北関東教区のこともそうです。表面的にはうまく取り繕ったかのように見えますが、主教による不明瞭な土地の売買といい、主教による教区の使途不明金問題といい、一般社会であればとうに刑事訴追を受けているであろうことです。東京教区の財務主事による使途不明金問題は、財務主事を刑事告発なさいましたよね。 しかし、他の司祭は何故黙っていらっしゃるのですか。 被害者はPTSDに襲われ続けているのですよ。何故、問題にしないのですか? 横浜教区と東京教区の司祭さん方、それぞれお一人ずつは、ご自分のお名前を出してこの問題を告発されていらっしゃいます。人権問題を盛んに論じていた司祭さんもいらっしゃるのではないですか?皆さんの真摯な祈りと叫びが、PTSDに苦しむ被害者の方を救えるのではないですか?御ミサの時に何を説教されているのでしょう。 祈って下さい。真剣に祈って下さい。 自分と家族が路頭に迷うことがあっても、主の福音に生きると決心されたのではないのですか?司祭按手を受けた時に。私も、存じ上げている司祭さん方のために毎日祈っています。祈り続けています。聖公会の司祭さんが叫ばなければ、誰が叫んだらいいのですか?私は聖公会の信者ではありませんし、教役者でもありません。聖公会の主教さんや司祭さんが、内側から叫んで下さらなければ、日本の他教派の教会も困ります。他宗教の方々はこうした事件を布教の材料にしますから。 いま日本聖公会は、日本の他教派の教会に対しても責任を感じなければならないのではないでしょうか。 高地主教は「騒ぎ立てるはこちらでそういう表現にしました」と明言されたようですね。これで、「原稿はFAXで父親に見ていただき、2,3箇所訂正されて送られてきました。だから了解を頂いています」と説明したことが嘘になっています。父親の了解を得たという文書に手を加えてしまったら、了解を取ったことを無にすることになることは明らかなことです。交換した契約書を勝手に書き換えることではないですか? こうした事実に目を瞑って、福音を語れるのですか?
2007.02.09
「いいたい放題」というブログがあります。 http://blog.goo.ne.jp/myocor_319/ アドレスのところにこれをコピーしてリターンキーを押すと「いいたい放題」というブログを読むことが出来ます。 私もK司祭とM司祭の電話でのやりとりを起こしたものを読みました。 開いた口がふさがりません。 M司祭は京都教区の常置委員なのでしょうか。それにしてもお粗末です。「考える会」からのメールをすべて印字したものを教区事務所に置いてあるそうですが、それでお仕事が出来るのですか?丹念に内容を検証して、それに反論をするのであれば、そのメールの言葉を正確に引用して書かなければ意味がないと思います。まして、パソコンをお使いでしょうから、引用文はコピーすれば一字一句正確に引用することが出来ます。 この問題に対する誠実さがまったく見受けられません。 被害者はPTSDに苦しんでいらっしゃるのですよ。それをお忘れになっていらっしゃるなんて、まるでエリコへの道で盗賊に襲われた人を無視して通り過ぎていってしまった祭司のようですね。本当に困ったものです。それとも、司祭は祭司と同じように生きていいと聖書に書かれているのでしょうか。主教も同じです。 それともM司祭はインターネットどころか、パソコンもお使いになっていらっしゃらないのでしょうか。説教の原稿を手でお書きになっていらっしゃるのでしょうか。もしそうだとしたら驚きです。原典や注解書は本を見なければならないかと思いますが(ギリシア語新約本文のCDはあります)、インターネット上にある他の情報量は、完全に書籍を越えてしまいました。 本が売れなくなっているのはそのためです。 優秀な検索サイトが増えていますから、かなりのデータを無料で手に入れることが出来ます。条約や法令に関しても、基本的なものはすべて手に入りますし、審議中の法案さえ載っています。教育基本法の改正にも人権に関わる一連の条約や法律にも関心をお持ちでないのでしょうか。 そして、「考える会」のメールにあった「謀議」という言葉に、異常なまでに執着していらっしゃるのは何故でしょうか。「謀議」という言葉は悪い言葉ですか?広辞苑には「計画し相談すること。計画の相談。」と記されています。小学館の「大字典」という漢和辞典には「はかり論じること。また、はかりごと。」と説明されています。 「一つだけ言えることは”H司祭さん”の退職が一旦受理されて、その後で また退職が撤回されたところの事実が堀江さんは当時の聖職常置委員が主教 と組んで、実際に原田司祭がやった事実を知りながら、それを謀議して原田 司祭を守って、復職をさせた。その謀議をしてというそのあたりが事実と違 んです。そこが一番大きなポイントなのです」 とおっしゃっていますが、しかし、H司祭から話を聞いて、K主教や常置委員が問題への対処を話し合って、「事実無根」というH司祭の供述を一方的に信じ込んで、復職を決定したことを、どうして「謀議」と表現してはいけないのでしょう。そもそも、日本聖公会の法憲法規では、審判廷を開くことなく懲戒できないにもかかわらず、常置委員と主教がH司祭の処遇について話し合うことは「謀議」ではないのでしょうか。 正規の常置委員会であれば、記録が残っているはずですよね。その記録を公開されたらどうですか?それとも、「謀議」だから公開できませんか?いいえ、公開しなければ「謀議」であることを自ら認めていることになると思いますよ。被害者やそのご家族の名前は匿名にして公開すれば、なんの問題もないはずなのですが。 作文はされない方がいいですよ。私の知りあいの友人の方とその職場の方々は、作文かどうかをすぐに見抜ける方々ですから。 電話での会話を読んでいると、何とか取り繕うとしているのが私にも判ります。 何故ご自分たちの過ちをお認めにならないのですか?被害者の方々の痛みをまったく理解されていらっしゃらないようですね。被害者は5人もいらっしゃることをお忘れになっていらっしゃるようです。それとも、他の4人の方々とは蔭で示談でもされたのでしょうか?だとしたら大問題です。 知りあいから私にも送られてきたテキストファイルを、そのままここに載せます。 風来坊さんのブログにも出ています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆件名:K司祭がM司祭にK主教文書について電話で問いただした件です。 (忠実に再現しました)K司祭「三浦司祭さん!1月29日付けで教区が全国の教会に送られた文書の中で 『Eメール等の文書で情報を流している人がある』と書かれていますが、 それは堀江さんのことですか?」M司祭「そうです。そうです。堀江さんです。」K司祭「その中で、事実でないことも多く含まれており、とあるんですが、それは 具体的にどういうことを言っているのか、自分は堀江さんの情報から判断し ていることが多いので、具体的にどこが違うのか教えて頂きたいのですが。」M司祭「堀江さんは随分多くのメールを送られており、今、あの、ちょっとあの、 ええ教務所に全部印刷しておいているのですが、それを見ながら説明しない と言いにくいのですが、言葉ですから電話ではちょっと、 また間違ってとられると困りますので、正確にお答えしなければ、電話で は ちょっと、どこかでお会いして・・・」K司祭「でも、たくさんある と事実でないところが多く含まれており、とある訳 でこれが重大な事実誤認があるという風な印象がかなり強い文章だと思うん ですが、細かい話ではないようですが、具体的にそのポイントはどこなので すか、和解交渉の部分なのか、事件の事実の部分なのか、どこなんですか。」M司祭「やはり具体的にと言われても、文章を見ながらでないと・・、ただ、ええ、 一つだけ言えることは”原田司祭さん”の退職が一旦受理されて、その後で また退職が撤回されたところの事実が堀江さんは当時の聖職常置委員が主教 と組んで、実際に原田司祭がやった事実を知りながら、それを謀議して原田 司祭を守って、復職をさせた。その謀議をしてというそのあたりが事実と違 うんです。そこが一番大きなポイントなのです。K司祭「確かに大きな違いですね・・・」M司祭「そうなんです。そこが一番の大きな違いなのです。私どもは現在の常置委 員が当時の常置委員から聴聞し、謀議をしたというのは違うという判断で現 在に至っているのです。堀江さんはそれをはっきりと謀議をしてと言ってい るのですね」K司祭「すごい不信感があると、そこまで疑っているのですね。」M司祭「当時の常置委員全部の方にお会いして、その状況を聞きながらそういうこ とはなかったということで対処しています。」K司祭「教区としてはこれだけは認められないと言うことですね」M司祭「堀江さんはある程度想像を交えながら書いておられる。それは堀江さんの 一つの想像であり、そういうこともあるだろうと言う前提に立ってあたかも それが事実であるかのように、堀江さんはそこに立って問いただしています ので、そこがポイントです。」 K司祭「被害者の方にその辺の説明を送ったという話を聞いているのですが。」M司祭「むしろ被害者父親がその疑いを特に持っている訳なのですね。でもそれは そうじゃないと言うことを父親に何回も何回もお会いして説明しています。 それで今に至っているのです。」K司祭「教区から父親に報告しても納得されないということ。先日の電話で三浦司 祭が詳細な調査をして教区会でも報告をしたといっておられましたが、もう 何回か 文書で父親の方に・・・」M司祭「事件が発覚して教区が原田司祭側に立っていて、それはまだ充分に黒だと いう はっきりとした証拠が教区としてもつかめなかったと言うことがあり ましたが、第2,3の被害者があらわれて、初めて黒だということが分かっ たわけで・・・・」 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ M司祭は裁判記録を閲覧されているのでしょうか。 聖公会の司祭はもう少し勉強して下さい。
2007.02.08
「いいたい放題」というブログがあります。 http://blog.goo.ne.jp/myocor_319/ アドレスのところにこれをコピーしてリターンキーを押すと「いいたい放題」というブログを読むことが出来ます。 風来坊さんが引用されている条文からすると、日本聖公会っていう宗派はデタラメなことを意図も平然とされるところなんですね。日本の法律を守るといいながら、人権をまったく無視しているんですね。おまけに、司祭や主教は別格扱いで。 日本で同性婚が認められたら、日本聖公会はその結婚式をすることが出来るそうです。呆れてしまいました。それとも、フェミニズムに気を遣っているのでしょうか。そして、信者の離婚に関してははっきりした規定があるにもかかわらず、主教や司祭にはその規定がないのですね。私の知りあいが離婚したことに関して、その事情をまったく理解していないにも関わらず、ある主教はとんでもない発言をしていたそうです。この主教もあの幼児に対する性的虐待事件に関しては、もちろん沈黙を貫き通しているそうです。ご自分は離婚しても裁かれないので安心しているのでしょうか。 是非、http://blog.goo.ne.jp/myocor_319/ を読んでみて下さい。 日本聖公会の「法憲法規」というのを引用して書いていらっしゃいます。 風来坊さんは、私の知りあいのお友達のようです。詳しいことは判りません。 思想的には保守的な方のようです。私の知りあいで「右翼」と呼ばれているグループとお付き合いのある方が、風来坊さんのブログを知っていらっしゃいました。かなりの方が読んでいらっしゃるそうです。 私も、日本聖公会の「法憲法規」を買ってこようかと思っています。銀座の本屋さんへ行けば売っているそうなので。私の知りあいはもちろん読んでました。それも、古いのと新しいのを比較対照してです。「法律の素人だけで作り、法律の専門家に読んで貰っていないだろう」と言ってました。矛盾した規定がいくつかあるようです。 主教按手を受けると、神様のように全知全能になれるようですから、法律に関しても間違いを犯すことはないだろうとでも考えているのでしょうか。 H司祭の陪餐停止を決定したことは、明らかに法憲法規違反のようです。 審判廷を開かなければ、何があっても裁くことは出来ないと法憲法規に書かれているそうです。そして、一昨日知りあいに会って話を聞いたら、「法規の第一条で規定されている主教の司牧権は、権利としてではなく、義務として科せられていると考えなければ、聖書学的にも、組織神学的にも奇妙なものになってしまう」と言ってました。私も当然のことだと思います。主イエス・キリストから託された業を行うのが司牧ですから、権利であるはずがありません。もしあのK主教が「権利」賭して考えていらっしゃるとすれば、主教会にはそれをたしなめる義務があると思います。 私のところに送られてくるメールを読んでいると、本当に悲しくなります。 最高裁が上告棄却という仕方で認めた児童に対する性的虐待を、平然と隠し通そうとしているのですから。そして、H司祭は未だに被害者と家族に謝罪していません。 知りあいは面白いことを言っていました。 日本聖公会では、聖書は総会で認許されたもの以外は使えないそうですが、四つ目に「日本聖書協会発行の1987年版聖書新共同訳(旧約聖書続編付)」と記されているそうです。これでは初版本しか使えないということになってしまいます。「新共同訳聖書」は、版が変わる毎に訂正がなされています。どこをどう直したかは公表されていませんが、私も相異を確認しているところがあります。初版本は、プレミアムが付いているようです。新しく教会に来られた方は可哀想ですね。プレミアムの付いた高い聖書を買わなければなりません。 総会で決められた法憲法規を安易に考えている結果かもしれません。それとも、その時その時に、主教が認可しているのでしょうか。いま、「新共同訳聖書」は何版が出ているのでしょうか。新しい版が出る度に、主教はすべてを精読して認可していらっしゃるのでしょうね。大変なお仕事に感動しています。ヒブル語もアラム語もギリシア語もバリバリなのでしょうね。うらやましいです。
2007.02.06
「聖公会京都教区FH司祭事件を考える会」からメールがありました。 以下に引用する部分をこのブログに載せて欲しいとのことでした。 実名をアルファベットになおして掲載します。 なお、私が今まで「T主教」と表現してきたのは「K主教」の誤りでした。お詫びして訂正いたします。なお、「K主教」と「K司祭」は別人です。 詳しいことをお知りになりたい方は、「聖公会京都教区FH司祭事件を考える会」のホームページをご覧下さい。 http://www.geocities.jp/asshor15/seikoukai.html 以下、メールからの引用です。実名はアルファベットに書き直してあります。2001年4月8日(日)2回目の臨時常置委員会で退職決定 S教会の主日のミサ聖祭には浦地司祭が派遣された。夜6時30分から2回目の臨時常置委員会が開かれた。M主教から報告があり、当人は「同意します」と退席した。そのあとM主教が被害手記を読み上げはじめた。聞くに堪えられない表現に満ち、途中でB司祭がさえぎった。そして最後に混乱のうちに退職が決定された。(裁判記録) 委員会終了後K司祭、B司祭がH牧師を訪ね、その内容の事実を確認したが、M主教があまりの過激な内容故H牧師には被害手記を見せていなかったことが判明した。 2001年4月9日(月)事実無根 K司祭は「どうしても心に残るひっかかりを禁じえない」(裁判記録原文)とM主教に被害手記を読ませるよう要求、H牧師は被害手記を読んで自己の犯した罪の全容を仲間全員の知るところとなり、(あまりの恥ずかしさに耐えかねて)そこで事実無根だ!180度、心と態度を転換した。助言した弁護士も「事実無根で否認すれば裁判での実証は難しい」と強調したのであろう。 M主教は「Hが土下座をして謝罪したこと」を父親から告げられ当然知っている。本人が「退職に同意します」と常置委員会で明言した、自責の念で辞表を書いた。しかし手記の内容を同僚のまえでは、恥ずかしくて認められない。事実無根だ! そしてその言葉を待っていました、との態度でまわりの友人、親友は同調してくれた。そんなことは自己と教区の名誉にかけても認める事はできない。 土下座、謝罪手紙、辞表、教会明け渡し、移転先契約、このどれ一つ強制されたのではなく、加害を認め、自発的に自ら決定したのに、それを唇も乾かぬうちに全否定である事実無根とは? その事実無根をすんなりと主教ともあろうものが認めるとは信じられない! M主教、H牧師、K司祭、B司祭は教区での仲良し4人組だった(他の司祭の話) 「親友達の前」であったから恥ずかしくて、土下座したことも謝罪文を書いたことも忘れてしまったのか? 2001年4月12日(聖木曜日)共同謀議 午後、M主教とK司祭がH牧師を訪ね協議を重ねる。教会行事ではこの日は聖金曜日(主の受難日)の前日であった。「民の長老会、祭司長達や律法学者が集まった」 H牧師はM主教に辞表の返還と退職取り消しを迫る。 M主教「一旦出した辞表は受理されているのだから願い下げは本人から・・」 (辞表は自分が出したのだから、自分からもらい下げに来なさい。) H牧師「主教と教区が事実無根を認定してM主教から私に返すべきです!」 (“教区が事実無根を認定して、退職を取り消した”という記録を残して、主教から返すべきだ。) 二人のあいだに大きな声で押し問答があったと裁判記録にある。 M主教はH牧師の大きな声に萎縮してしまった。 困ったことに4月6日午後M主教がKJ会館ホテルで父親に、謝罪した。父親に「退職させます」とはっきり言い切っている。H牧師本人もそのことをM主教から聞かされている。 次は京都教区が釈明すべき事実無根の事情ですが当事者は誰も沈黙したままです。 推測に誤りがあればすぐ連絡ください。 事前の協議は推測になるが「すべて相手の言うとおり認めて退職すると聖公会の名誉にも傷が付く、ここは事実無根で戦うべきだ!どうせ13年も18年も前のことだ、裁判になっても子供時代の記憶より聖職者の証言の方が有利だ」と弁護士もいっていると話し合ったのであろう。そう推測することにより上の“教区が事実無根を認定した”というくだりが生きてくる。 「記録にはK司祭の所属する奈良教会の法律に詳しい信徒に相談したと書かれている」この信徒も2次、3次加害者の一人になります。 「この信徒は裁判を担当した加害者側、S弁護士と同一人物である」 父親の話では「この謀議、合作はK司祭が中心となってなされ、K司祭がS弁護士と相談し事実無根で突っぱねるという結論をひきだした」 S弁護士の助言を得て、H牧師、M主教、K司祭、B司祭の態度が一変した。 それ以後父親との電話では「つぎつぎと出してきますね」と言ったりして「へらへらと笑い、人を小馬鹿にするような対応に変った」と父親は憤っておられます。 S弁護士はこの時点でH牧師が病院で土下座謝罪をし、認める謝罪手紙を出していた事実を知っていながら、「性暴力行為を全面否定しても相手は立証が難しいので大丈夫」と助言したとしたら、この信徒、S弁護士の責任は誠に重大なものと言える。(弁護士会による懲戒処分になるぐらいの重大な判断ミスを犯したことになるのではないか)非公式の場であっても被害者からの話も聞いて助言すべきではないのか? この奈良教会の助言した信徒はこの時の事情を明らかにする責任があります。 2001年4月15日〔日〕は復活祭〔キリストの復活の主日〕 こんな重要な祝日前後に恐ろしい退職撤回の謀議が謀られていたのか? 復活と復職とを重ね合わせて大きな勘違いをしていた。真に神を恐れぬ行為である 2001年4月17日(火)退職撤回と復職 定例常置委員会でM主教から経緯を説明し、退職を撤回しH牧師を復職させることに決定されてしまった。(復活の祝日二日後の出来事)S教会からは「退職させろ!」の複数の声が主教に届けられたと記録にある。しかし、M主教は押し切って退職を取り消した。司祭職、S学園理事長、ウイリアムス神学館教授、常置委員長、宗教法人聖公会役員理事に戻してしまったのである。ここでM主教の最大の責任が発生するのだ!年を経て深刻な事態に成っていく。 常置委員会の委員、K司祭、B司祭の責任も大きいが誰からも謝罪は無く、女学院のチャプレンとして、又幼稚園の園長として罪の認識さえ無い様である! 後日2006年4月M主教(現在、某大学チャプレン)に電話したとき「この決定は常置委員会(役員会)で決定したことなので・・・」と言い逃れをされた。 ヨハネは自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「世の罪を取り除く神の小羊。・・以上すべてを証しする方が言われる「然り、わたしはすぐに来る」マラナタ 「光が世に来たのに、人々はその行いが悪いので、光よりも闇の方を好んだ。」「悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ない」 兄弟姉妹の皆さん、今は祈りだけで解決出来る時ではありません!この最大の誤判断をしたM主教が被害者、信徒、関係者等々に謝罪手紙を送らず、大学で霊的指導の立場にいる事に対して、被害者の父親は納得がいかないと言われています。皆さんの真実追及と抗議の手紙こそ必要と思います。 H牧師は引越し先からS教会牧師館に再び戻り引越しを完了した。 5月2日(水)父親は人生で最大のショックを受ける! M主教とH牧師がKJ会館で父親と面会する。 M主教「退職させますと申し上げましたが、その後本人が事実無根を主張しているので退職を取り消し、復職させます。要職も一切今まで通り続けさせます」 父親 「何を言っておられるのですか!4月6日にKJ会館ホテルに謝罪にこられた時、原田牧師を退職させますと言われたのでやっと心が落ち着いたのに・・」 M主教「本人が事実無根と言っているので・・・」 「本人はそんなにたいしたことはしていないと言っています。退職を決定したのはセクハラ行為があったからということで 今、その行為が事実無根であると本人が否定しており、退職理由が無くなったのだから、復職させます。要職もすべて元に戻します。これまで通りに戻します。」 ここで被害者父親の怒り、驚きは頂点に達した。 退職させると約束したので何とかこれで示談による収拾と考えていたのに・・・ 父親は耳を疑った。これでは加害者本人は勿論だが、戦う相手はM主教であり、京都教区との戦争であると・・・・・。 父親は「M主教さん!私は絶対許しませんよ!」(最後まで戦う決意をする)」 「加害者は聖職者でしょう!女児に何年も何年も『○○○○』行為をしても許さるのですか!牧師だったら女児に何をしても許されるのですか」 こんなに辛い状況の父娘を黙って見過ごせますか!司祭や信徒には真実は覆い隠されたのでしょうか?誰かが知っていたら全員の問題として早期解決できなかったのか? あなたは今までどの程度まで抗議行動をされましたか? 「神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。彼は証をするために来た。彼は光ではなく、光について証をするために来た」 父娘にはヨハネの福音書の意味が良く解った。父は「わたしは解決するまで戦う」と決意された。
2007.02.04
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