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いま手元に3枚の画像ファイルがあります。知人が韓国・平安にある独立記念館で許可を得て撮影した写真です。テレビの画面をデジカメで写したものなので、画面しか見えませんが、画像処理するとテレビ画面の上に「日本軍 慰安婦 實状」と書かれている札のようなものがあり、その下には“Military sexual slavery by Japan”と書かれています。おそらく、現在も問題になっている「従軍慰安婦」のことを言っているのだろうと思います。 そして、その下の画面には、8mmか16mmのフィルムで写したものをビデオ化したものであろうかと思われる映像が映されてます。知人はこのビデオを3回見て来たそうです。そして、平和記念館の案内人の方の許可を頂いて撮影してきました。3枚ありますが、それをメールで送ってもらいました。 1枚目の写真は比較的幅の広い未舗装の道路をジープがこちらに向かってきているシーンです。道の両側には20数名の人が立っています。左手前には足首の少し上までのブーツを履いて、軍服のようなものを着ている人が立っています。そして、正面にジープが写っていますが、左ハンドルのジープです。助手席に1名、後部座席に2名の人が乗っていますが、この写真では聖別を断定することは難しいと思います。 2枚目の写真は、このジープが撮影場所の手前で左折したシーンを撮ったものです。この写真で後部座席に3名の人がいたことが判ります。1枚目のしゃしんでは後部座席の人々がよく写っていなかったようです。これは動画ですから、1枚目から2枚目までは繋がっていたそうです。要するに、車が走ってくるところから、左折していくところまでが写されていたものだそうです。助手席の人物は女性です。頭に飾り物を着けています。後部座席の3名のうち、左端の人は頭をタオルのようなもので覆っています。右端の人は俯いていますが髪を後ろで結わえていることが判ります。真ん中の人は助手席の人の蔭になっていて、はっきり口元が見えませんが、髪の毛が長髪です。この4名が「従軍慰安婦」であると主張しているように見えます。ただし、左ハンドルの運転手は東洋人ではありません。明らかに西洋人的な顔立ちでアメリカ軍の軍服を着ています。 3枚目の写真は、鉄条網が手前に写っています。おそらく有刺鉄線であろうかと思われます。そして、左端にはアメリカ陸軍のヘルメットを被った人が横向きに座っています。右端にはワンピースのようなものを着た髪の長い女性が写っています。そして、この二人の間、つまり真ん中の少し後ろに下がったところに、日本軍の軍服らしきものを着た人がいます。この人と女性は、左端のアメリカ軍のヘルメットを被った人物の方を向いています。ただし、この真ん中の人が着ている日本軍の軍服のようなものには、肩章もなにもついていません。 1枚目と2枚目は明らかにユギオ(朝鮮戦争)の時のものであろうと思われます。3枚目は、1枚目と2枚目とはシーンが異なっていますが、もしかすると日本のどこかで撮影されたフィルムかもしれません。戦争直後、復員された方々は着るものがなくて、軍服の肩章などを外して着ていらっしゃったそうですね。私の知り合いの牧師さんで、元は陸軍の士官だった方々がいらっしゃいます。その中のお一人からお伺いしたのですが、神学校の入学式に着ていく服がないので、仕方なく軍服の肩章などを外して入学式に行かれたそうです。そして、学校の門を挟んで通りの向こうの方から同じような服を着ている人がいるので誰かと思ったら、陸軍士官学校時代の同期生だったそうです。同じように召命を感じて、神学校の門を潜ったそうです。 3枚目の写真の真ん中の人物は日本人の通訳であろうかと思います。 とすると、これらの3枚のうち2枚は朝鮮戦争の時のもので、3枚目は第二次世界大戦が終わった後で米軍が日本に上陸した後のものであろうと思われます。知人もほぼ同じことを考えていました。 戦後生まれの日本人でも、映画などで軍服を見ています。第二次世界大戦の時に韓半島をアメリカ軍のジープが女性を乗せて走っていたとは、どう考えてもおかしいです。 日本聖公会は韓国聖公会と宣教協力をなさっているそうですが、こうした韓国の現実をご存知なのでしょうか。この独立記念館には、小学生も団体で訪れていたそうです。子供たちはこのビデオを見て気が付いたでしょうか。 「従軍慰安婦」の問題をどう考えていらっしゃるのでしょうか。あるいは「南京問題」をどう考えていらっしゃるのでしょうか。南京で本当に30万人の中国人が殺されたのでしょうか。確かに市街戦はあったようですが、中国兵はジュネーブ条約に違反する行為をしていなかったでしょうか。目の前にいる大勢の人間に対して、当時の日本軍の重機関銃を連射したら、どういうことになるかということをお考えになったことがあるでしょうか。そもそも、当時の日本軍にそれだけ多くの重機関銃の銃弾があったのでしょうか。私は「ウヨク」でも「サヨク」でもありません。残された証言や証拠を、社会科学的に、人文科学的にあるいは自然科学的に検証してみたいのです。当時の重機関銃の弾は、2km先の人間に対する殺傷能力があったという証言も読んだことがあります。これを至近距離で発射することがあり得るでしょうか。人間を貫通した弾丸は、間違いなくその向こう側にいる日本兵の体をも貫通してしまいます。 神学は常に、現実をしっかりと捉えていなければならないと思っています。重機関銃の弾が至近距離から人間の皮膚も近くをかすったとしたら、人間の皮膚はどうなるでしょう。証言を鵜呑みにすることは出来ません。だからこそ、裁判所は長い時間をかけてあの準強制わいせつ事件を検証したのではないでしょうか。 「地獄のDECEMBER] 私にとっては腑に落ちないところが多すぎます。 ※申し訳ありませんが、知人から送られてきた写真は公開できません。 メールを頂戴しても、お送りできませんのであしからずご了承下さい。
2007.10.23
「糾す会」からのメールに次のように記されていました。>続いて三浦恵子執事が表に出てこられ>少しの会話を交わしました。そのあと吉田雅人司祭が出てきて>私の許諾も取らず私の眼の前で携帯のカメラで写真をとり出しました。 驚きました。司祭でありながら肖像権ということをご存知ないようです。本当に困ったものです。こういう方は、平気で著作権の侵害になるようなことをされるのですよね。特に、キリスト教会では多いのです。教会の活動のためなら、どんなものでも自由に使えると思っていらっしゃるようです。それでいて、自分たちの権利は主張されるのです。 ある教区の司祭さんが日本聖公会を離脱されて、単立教会として御ミサや結婚式を始められたそうなのですが、「式文が少しでも日本聖公会のものに似ていたら、著作権の侵害になる」と息巻いていらっしゃいました。離脱された司祭さんがどのような式文を使っていらっしゃるのか判りませんが、例えば、クランマー大主教の陪餐直後の祈りを自分で翻訳したら、日本聖公会の祈祷書に似てしまうのですが、それをもって著作権の侵害だと主張されたら、物笑いです。クランマー大主教の祈りの著作権あるいは翻訳権を日本聖公会が持っているのでしょうか。あるいは、クランマー大主教の祈りの著作権をイギリス聖公会は主張されているのでしょうか。クランマー大主教の祈りは、他教派の式文にもその訳文が載っていることをご存知ないようです。 日本聖公会に、人権などということを考えることを求めること自体が無駄なのでしょうか。ご自分たちの権利は何がなんでも主張し、他人の権利を認めないということなのですから、これから先、日本聖公会は人権に関する発言は出来ませんよね。狭山事件に積極的に関与している司祭さんがいらっしゃるそうですが、どういうおつもりでされているのでしょうか。ご自分の教派の中で人権が無視されている現実を、どうお考えなのでしょうか。 かなり以前のことだそうですが、北海道でアイヌの人々の中にキリストの福音を伝えるために、アイヌの人々の中に入っていった執事さんがいらっしゃったそうですね。そして、それを北海道教区は認めることなく、その執事さんのお墓さえ北海道にお建てにならなかったので、なんと東北教区の主教座聖堂である教会の墓地にお墓を建てられたそうです。そして、その執事さんの復権については、未だに議論さえ起こっていませんし、そのことを知らない司祭さんもいらっしゃるようです。 京都教区の某司祭さん、他人の写真を撮ることは、相手の許可がなければ撮れないのですよ。風景写真の中に、遠くにいる人が写ってしまっていることは問題ないのですが、意識して個人を撮影することは、犯罪を犯していることが明らかな場合を除いて、肖像権の侵害です。これは、オービスという制限速度をオーバーしている車両の運転者の写真を撮る機器で撮影することが、肖像権の侵害になるかどうかという裁判で、最高裁判所の判決として確定しています。 もしここをお読みになっていらっしゃったら、被写体になられた方にお詫びをして、目の前で携帯のメモリーから画像データを削除された方がいいと思います。まして、他者にこの画像を送信することは、間違いなく肖像権の侵害になります。この司祭さん、私よりも2つもお若い方だと知って驚いています。司祭さんでも、日本国憲法や日本国の法律で禁じられていることや、確定した最高裁の判決で違法とされていることは出来ないのですよ。もう少し、勉強なさって下さい。でないと、日本聖公会はもっともっとカルト化してしまいます。
2007.10.21
「日本聖公会では、子供の時に片親になった人は司祭になれなかった。」 風来坊さんがご自分のブログに書かれてしまいましたので、私も少し書かせていただきます。風来坊さんが書かれていることは事実です。私の知人が、あの言葉を東京で言われた時、彼は私に連絡してきました。相当にショックだったようでした。女性の人権ということを積極的に発言していらっしゃりながら、しかし蔭でとんでもないことをおっしゃっていたのですね。 この発言は彼の個室で為されたのだそうです。ですから何の記録も残っていないはずです。ただ、知人は携帯用の録音機を持っていますから、もしかしたら録音していたかもしれません。しかし、録音していようがいまいが、これが日本聖公会の現実なのですね。過去の過ちをまったくそのままにしておいて、「人権」という言葉を使っていらっしゃったようです。 「過去の事実を語ったまでだ」とその主教さんはおっしゃるかもしれませんが、否定すべき事実を引用する時は、はっきりとそれを否定しなければならないのではないでしょうか。もちろんそれが否定される理由についてもです。日本聖公会の主教さんが皆さん、こうした不用意な発言をされるとは思いません。しかし、そうした発言が聞き流されてしまうところに、京都教区の原田文雄司祭事件に対する教区の対応の問題性が隠れているように思えます。 被害者の女性は、子供の時にお母様がお亡くなりになっているそうですね。知人に対する発言を以前から知っていましたから、それが一番気になっていたところです。日本聖公会は、過去の過ちに関して何も反省していらっしゃらないのだとしたら、事件の対応のどこかで、とんでもないことが脳裏を過ぎっていたのではないでしょうか。 知人の履歴書を読んだ聖職で、彼のお母様が、彼が小学生の時に亡くなっていることを問題にした方がいらっしゃるのかもしれません。何しろ、「常置委員の中に、何故カリスを必ず右手で持つのか、その理由を知らない司祭がいる」そうですから。そうした意味では、日本聖公会は中世封建制度の根本にあった宗教(religion)を脱しきれていないと言えるかもしれません。ですから、準強制わいせつという行為をしたと最高裁が認定した原田文雄司祭を審判廷にかけず、被害者とその家族が教会を離れてしまっても、問題は解決されているという誤った認識を、教区内の信徒が、持たされてしまったように思えます。 日本聖公会の中には、いまだに「日本聖公会では、子供の時に片親になった人は司祭になれなかった。」ということが、「なれななった」ではなく「なれない」というように考えている人々がいるように思えて仕方がありません。 日本聖公会の司祭が「人権」という言葉を口にすると、本当に空しくなります。かれらは、自らの教団の中で、いまだに人権を無視した言葉が語られていることをご存知なのでしょうか。教会墓地に墓域を持っているかどうかで、信者の格式が異なると考えている方もいらっしゃると聞いています。やってることは、まるで中国共産党と同じです。そうした意味では、日本聖公会は「教会社会主義」とでも言えるかもしれません。一歩間違えば、ナチズムに陥ります。いえ、もう陥っているとお考えになっている方もいらっしゃいます。彼らは他教派なので発言を控えているだけで、日本聖公会が保っている社会主義的体質をしっかりと見抜いていらっしゃいます。 京都教区の原田文雄司祭事件が、真実の意味での解決を見るまで、聖公会はひたすら、中世的封建社会を支えている考え方(あえて神学とは言いません)を徹底的に排除し、、世界人権宣言で明確にされている人権を擁護出来るようになるために、問題に対して、日本聖公会の聖職者は真摯に対応されるべきです。
2007.10.18
時事通信社のサイトに次のように書かれていました。 「【北京15日時事】中国共産党の胡錦濤総書記(国家主席)が15日、第17回党大会で読み上げた中央委員会報告(政治報告)は、「国民を主人公」とする政治体制の確立を主眼に置いている。これを実現するために『民主』と『民生』(民衆生活)をキーワードとして提示。成長至上主義の下、特権やコネを持つ者だけが私腹を肥やし、民衆の不満が爆発することを懸念し、こうした不透明かつ不公正な社会構造を改革しないことには、真の『調和社会』は到来しないとする胡氏の危機感は強い。」 「20年には「国内市場の全般的規模が世界の上位に並び、人民がより民主的権利を享有する国になる」との見通しを示した。」 「民主」と「民生」という言葉を聞いて、またまた唖然としてしまいました。現在の中国に「民主」という言葉があると思っていませんでした。事実、読売新聞のサイトには、中国の胡錦濤総書記(国家主席)の政治報告として次にようなことが記されています。 「戦略思想『科学的発展観」を党の路線として全面的に推進することを宣言」し、「報告は「科学的発展観」を『マルクス・レーニン主義』『毛沢東思想』、改革・開放政策を打ち出した『トウ小平理論』、民間経済の党内への取り込みを盛り込んだ江沢民前総書記の指導思想『三つの代表』と併記。『貫徹しなければならない重要な戦略思想』と位置付けた。」とも記されています。 胡錦濤総書記が口にする「民主」とは何なのでしょう。ウイグル自治区で民主化運動を進めた大学生が消えたことは、「民主」なのでしょうか。チベットの僧侶たちが、チベットから逃げ出し(相当数の僧侶は殺された)インドでチベット政府の樹立を宣言した理由は何だったのでしょうか。海沿いの大都会には巨大なビルが並び、大通りには華やかなデパートや商店、あるいはレストランやファーストフードのお店が建ち並んでいても、その蔭には住む家もない移動労働者が大勢います。 ビルマ(私はミャンマーとは呼びません)の軍事政権に対する国連決議が、ネットで情報を得る度にその語意が弱まっていってしまっているのは、中国が原因なことは明らかにされていますが、中国は何故、ビルマの軍事政権を否定しないのでしょうか。理由は簡単です。ごく一部の共産党員の中で選ばれた人々が集まっている「第17回党大会」なのですから、クーデターで実権を握ったビルマの軍事政権を批判したら、自分たちの政権をも批判することになりかねないからです。同時に、ビルマの鉱産資源を一番手に入れたいのは中国です。既にパイプライン工事も始まっているようです。 そして何よりも、こうした中国政府を批判した意見を中国人自身が発言することは、ものすごく危険なことのようです。次の日には、その人は蒸発しているという情報もあります。日本のキリスト教界の重要なポストにいらっしゃる方は、中国から帰国してすぐの会見で「中国には信教の自由もあります」と発言されていたのを、キリスト教関係の新聞で読んだことがありますが、私の所に入ってきている情報は、まったく正反対のものです。ローマ・カトリック教会の神父様や修道女様が消えていらっしゃいませんか?現在の中国で、伝統的な仏教の僧侶が自由に活動できていますか?ダライラマ師は、何故アメリカにいらっしゃるのですか? 文化大革命の時に墓地まで破壊した共産党は、最近になって、北京の近くに墓地を造り、共産党の幹部の墓は一般民衆(造れる人はお金持ちに限られているという情報あり)の墓域の数倍も広い所に大きな墓石を立てていないでしょうか。 本当に恐ろしい国です。地球の裏側まで確実に届くミサイルを保ち、中性子爆弾まで完成させています。雲南省やウイグル自治区の周辺部では、鉛筆もノートも手に入れることが出来ない子供たちがいるというニュースがテレビで流れていたことがありました。 日本聖公会京都教区では、同じようなことが起きていませんか?日本聖公会は大丈夫ですか?それとも主教制というのは、中国共産党と同じで、犯罪に対しても「指揮権発動」が出来るのでしょうか。逆に、真実の自由と平等を求めると、いつの間にか消されてしまうのでしょうか。あの事件で、京都教区を去った司祭さんは何人いらっしゃるのでしょう。消えた信者さんは何人いらっしゃるのでしょうか。
2007.10.15
詩篇第98編 日本聖書協会新共同訳 【賛歌。】 新しい歌を主に向かって歌え。 主は驚くべき御業を成し遂げられた。 右の御手、聖なる御腕によって 主は救いの御業を果たされた。 主は救いを示し 恵みの御業を諸国の民の目に現し イスラエルの家に対する 慈しみとまことを御心に留められた。 地の果てまですべての人は わたしたちの神の救いの御業を見た。 全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。 歓声をあげ、喜び歌い、ほめ歌え。 琴に合わせてほめ歌え 琴に合わせ、楽の音に合わせて。 ラッパを吹き、角笛を響かせて 王なる主の御前に喜びの叫びをあげよ。 とどろけ、海とそこに満ちるもの 世界とそこに住むものよ。 潮よ、手を打ち鳴らし 山々よ、共に喜び歌え 主を迎えて。主は来られる、地を裁くために。 主は世界を正しく裁き 諸国の民を公平に裁かれる。 詩篇98篇1節 「新しい歌を主に歌え。 神は不思議なみ業を行なわれた」 ひとは、ともするとその平和に見える生活の中で、あるいは日々の平穏な暮らしの中で、昔から、遠い昔からその平穏さが続き、同じ人々が同じように暮らしてきたと思い込んでしまうことがあります。昔から何も変わっていないと思ってしまう。 春が過ぎ、梅雨の長雨が続き、そして雷の音とともに、暑い夏がやって来る。「アツイ、アツイ」と言いながら、しばらくその暑さの中で耐えるていると、いつの間にか木の葉が色付き始め、枯れ葉が舞い下りる。そして雪に包まれる。 けれども、その冬の向こう側には、また春がやって来るのだということを知っているがゆえに、凍てつくような寒さを耐えることが出来る。去年と同じように春が来ると知っているから、ある意味で安心していられるのかもしれません。そして、人間の生活そのものもまた、同じように、今までと同じように、変わりなく続いていくと思い込んでしまう。同じように‥‥‥。 誰にとっても同じように続いていくように見えるかもしれません。 自分が食べているものは、他の人も食べている。自分が着ているものと同じものを他の人も着ている。自分に起こったことは、必ずほかの人にも起こっている。そして、自分が解決出来たことは、他の人も同じように解決出来る。実際には判らないことを、自分と同じだと思い込んでしまう。自分が越えることの出来た峠は、誰にでも越えられる。そう思い込んでしまう。 イスラエルの歴史は、旧約聖書の歴史は、そうした想いとは全く反対のものでご座いました。 朝になって目が覚めると、隣に知らない国の人々が住んでいる。何事もなく始まった一日の終わりに、見ず知らずの人々によって自分たちの街が破壊され、奴隷にされてしまっている。一刻々々が変化し続けているということを、そして時の流れとは変化の連続であることを、旧約聖書の時代の人々は、日々の暮らしの中で徹底的に体験して居りました。 一瞬のうちに街が廃墟と化してしまう。 彼らにとっては、同じことが続くというのが生活ではなく、生活とは、暮らしとは、人生とは、変化することであったのでご座います。 人間の世界の中に、永遠に変わらないものなどはありえない。人間が人間の力によってなにかを永遠に変わることのないようにするなどということは、到底考えられない。それが、イスラエルの現実理解でもありました。 彼らは、幼い子供の時から、日々変わり続けてきたイスラエルの歴史をトーラーと呼ばれる律法によって教えられてまいりました。人間の変わり行く世界について、口伝えに、あるいは礼拝の中で教えられてきたのでご座います。 旧約聖書は、イスラエルという国がいかに変化してきたかを示して居ります。天地創造の初めから今まで、変わることのない生活が続いてきたとは考えて居りません。様々な人々との出会いと、様々な変化と、そして周囲の様々な文化との触れ合いの中で、自分たち自身も変化し続けてきたことを知っています。自分たちに与えられた「カナン」の地は、あのエデンの園でもなく、ノアの箱船が漂着したアララト山の周辺でもない。バベルの塔が建てられたところでもなく、エジプトでもない。 彼らは、そうしたイスラエルの歴史を知って居りました。 日々変化する生活全体を知って居りました。隣に住んでいる人が、自分たちとは異なった食べものを食べ、異なったものを着、異なった生活をしているということを知っていたのでご座います。そして、そうした現実によって、すべてが変化し続けているのだということも知って居りました。 私ども日本人にとりましても、時代と共に様々なことが変化してまいりました。そして今も、変化し続けて居ります。その流れの速さはますます速くなっています。ほとんどの人々は、裸足で歩き、あるいは藁草履を履き、一部の人々だけが下駄を履いていた時代は、たった百年前のことです。 「新しい歌を主に歌え」 捕えられていたバビロニアから帰ってきたユダの人々にとって、エルサレムの町は、50年の間にすっかり様変わりしていました。知らない人々が移り住んでいる。見たことも聞いたこともない異教の神々の礼拝が行なわれている。自分たちの神殿はもうない。 何もかもが変わっている。 そうした中で、自分たち自身も変わらなければならないのか。詩人はそうした苦しみを背負って生きています。詩人だけでなく、バビロンから帰ってきた人々一人一人が、その苦しみを背負っています。 しかし、詩人はすべてが変わってきた中で、変わらない御方が誰であり、移り行く時代の中で、何が変わらないのかを見ています。言い換えれば、人間は誰もが変わっていき、そして変わらなければならない、それが人間の歴史であるということを詩人は知っています。 2節「主は救いを示し 恵みの御業を諸国の民の目に現し」 この98篇の詩人は歌います。そう歌います。 主が救いを示して下さった。主が本当に正しいことを示して下さった。それゆえに、新しい歌を歌えと歌います。新しい!歌を。 時代の変化を受け容れています。同時に、自らのうちにある判断の一切をそこで放棄しています。自分が自分で判断することを捨て去っています。 9節 「主は世界を正しく裁き 諸国の民を公平に裁かれる」 「諸国の民を裁かれる」 詩人はそう告げるのです。 詩人自身をも含めたイスラエルの民の想いによって、あるいはイスラエルの民が考えているのと同じように主が裁かれるとは歌いません。ただただ、神が、主なる神御自身が、その自由な御決断をもって裁かれると歌うのでご座います。 ひとは、日々変化する中で、その中に生きていながら、その変化する人間の歴史を、人間の営みを、もはやどうすることも出来ない。 バビロニアの首都バビロンから帰って来た人々の中には、様々な人々がいました。勿論バビロンから帰って来なかった、帰れるにも拘らず帰って来なかったイスラエルの民も居りました。つまりバビロンに残った人々もいたのでご座います。そうした、人間の様々な想いを越えて、いま神が裁き給う。 この詩篇98篇はおそらく、たとえ小さくても再建された神殿の礼拝の中で歌われた歌であろうと思われます。一人一人が、神への想いを、様々な想いを人々のあいだで語ることを放棄し、日々変わり行く時の流れの中で、神を賛美しよう、喜びの声をあげよう、そう歌っています。 バビロンから帰った人々、50年の間バビロンに住んで居た人々。 政治的にも経済的にも巨大な都市であったバビロンには、様々な人種・民族の人々が住んで居りました。人々は、そうしたバビロンで暮らしてきたことによって、食べるもの着るものが変化して居りました。生活の仕方・暮らしが変わってしまって居りました。 詩人は、歌いません。 一つの生き方、一つの考えによって一つになれとは歌わないのです。 バビロンへ行く前に戻れとは歌わない。 「新しい歌を主に歌え」 「新しい歌を主に歌え」 神に与えられたこの町で、もういちど新しく、様々な人々と共に主を賛美しようと歌うのでご座います。時の流れが、目まぐるしく変化する中で、主なる神のみを賛美しようと歌うことは、言い換えれば、もはや、自らの内側にある、そして自分の人生の中で築き上げてきたものや、勝ち取ってきたものの一切を放棄しようということを意味するのでご座います。 神が前面にでる時、人の想いは背後に退きます。 目まぐるしく変化するこの時代の中で、私共もまた、この詩篇の詩人の信仰を持ち続けたいものでご座います。自分の経験を主張することでもなく、過去を甦らせようとすることでもなく、ただただ、今この時、主がお示し下さる道を歩み、そのためにまず、主を賛美し、そして、自分とは異なった人々と共に生きていく。しかしそれは、彼らにとって、礼拝を捨てることではご座いませんでした。 6節「ラッパを吹き、角笛を響かせて 王なる主の御前に喜びの叫びをあげよ。」 まるで異邦の町のようになってしまったエルサレムの町で、詩人はそこで生きていこうとしているのです。主を賛美しながら生きていこうとしています。 いまこの時代にあって、クリスチャンでない多くの人と共に、主のお導きによって、新しい歌を主に歌える日が来る時まで、ただただ主にすべてをお委ねして、私共も、主を賛美し、主の御言葉のうちを歩み続けたいものでご座います。 【祈り】 主イエス・キリストの父なる神さま、 あなたの御言葉を感謝します。今もあなたは私共を導いていて下さいます。どうか、一切の人間の想いを越えて、この世を支配してい給うあなたへの賛美を歌いつつ、目まぐるしく変化するこの時代の中にあって、すべての人々と共に生きていくことが出来ますように。自分の中にある想いを捨てて、ただただ喜ぶ人と共に喜び、悲しむ人と共に悲しむことが出来ますように。 主イエス・キリストの御名によってお願い致します。 アーメン。
2007.10.14
風来坊さんの<いいたい放題>を読んで、「正論」11月号を私も買ってきました。そして、驚きました。T司教さんを批判していらっしゃるのですが、この「正論」自体が政治的色彩の強い雑誌ですよね。これでは、おっしゃっていることと、なさっていることが、自己矛盾されていないでしょうか。 「キリスト教は規範意識の高い宗教です。その規範はヒエラルキーとしての所与の規範です。人間の世界を越えた天上の世界に連なるヒエラルキーがキリスト教の規範です。キリスト教の信仰は人間の思想的営為の末にたどり着いたのではなく、神与・神定のものであって、人間が信仰の根幹たるヒエラルキーに手を加えることは出来ません。 もしその禁を犯せば、相対主義・世俗主義・人間中心主義への坂を転がり落ちることになります。」 「ヒエラルキー」は「ヒエラルヒー」のことだろうと思うのですが、困ったものです。ご自分の神学を「キリスト教」だとお考えになっていらっしゃいます。しかし、日本聖公会は、というかアングリカン・コミュニオンは聖職按手をサクラメントとしてお考えになっていらっしゃらないはずなのですが。この方は教会のオルドー(聖職者制度)は神定のものだとおっしゃるのであれば、なぜ日本聖公会に止まっていらっしゃるのでしょう。そして、「この禁を犯せば、相対主義・世俗主義・人間中心主義への坂を転がり落ちることになります。」と書かれていらっしゃいますが、なにをもって「相対主義」「世俗主義」「人間中心主義」とおっしゃっているのかまったく判りません。ご自分の神学以外は「相対主義」で「世俗主義」で「人間中心主義」なのでしょうか。 もしかすると、イスラムは悪魔だから、どのような手段を持ってしても排除しなければならないとお考えになっていらっしゃるのでしょうか。ご自分の神学以外は世俗的で人間中心主義だとお考えなのでしょうか。 「しかし宗教改革の時、国王ヘンリー八世の離婚問題を機に成立した聖公会は、これらを捨て去ってしまいました。そのツケがいま、信仰を押しつぶす世俗化の荒波となって教会に襲いかかっています」とも書かれていますが、「世俗主義secularism」と「世俗化secularization」の神学的社会学的意味を混同されていないでしょうか。それとも、この方はトリエント公会議以前のローマ・カトリック教会の神学に立ち帰れということをおっしゃっているのでしょうか。 私は、呆れ果てています。 また、「それでも社会変化の少ない時代や、イングランド教会のように均質性の高い社会の教会では、大きな問題は起きなかったのですが、現代のような激動期に、社会の均質性が破られ、なおかつ多様性や包括性では許容仕切れなくなったとき、教会の一致が揺らぎ、あるきっかけからコミュニオンに亀裂や内紛が生じる危険性があります。アングリカン・コミュニオンはまさにそのような危機に直面し、前述したようなカルト化の可能性さえ指摘されるほどに苦悩しているのです。」とも記されています。 産業革命以前のイギリス国教会が一定の秩序を持っていられたのは、農村部では農村共同体の内部でしっかりとした共同性が確保されていたからであり、中世都市部では貴族や富裕層による教会の占有が起こっていたからではないでしょうか。ですから、産業革命が都市部への人口流入をもたらした時に、移住してきた人々は国教会ではなく、メソジスト教会に行かなければならないという情況が生起していたのではないでしょうか。そもそも、アメリカのメソジスト教会を教会的意味から成立させたのは、イングランドに批判的なスコットランド聖公会の退職主教たちだったのではないでしょうか。これをも、このかたはアングリカン・コミュニオンの危機だとお考えになるのだとすれば、アングリカン・コミュニオンが継承している「綱憲」に反することを主張されていることになるように思えます。 そして、小泉純一郎氏を「靖国参拝で一部の宗教者たちに極めて不人気な小泉首相」と表現されていますが、どこが一部なのでしょう。あの方と竹中平蔵氏が、勝ち組と負け組という格差社会を生みだし、規制緩和が原因の一つになっている耐震偽装工作を生みだしたのではないでしょうか。私の知人がいうには、テレビのデジタル化を進めている理由がどこにあるか判らないといっていました。確かに、画像は綺麗に見えるそうです。しかし、強力なデジタル波を大都会で複数のテレビ局が一斉に発射した時の実験をしていないということは恐ろしいことだといってました。相互に干渉し合うことによって、別の周波数のデジタル波が生まれ、そこで発生したデジタル波が医療機器に干渉しないという保証はあるのだろうかと心配していました。そして、介護制度は悪い方に向かっています。介護制度で不当な利潤を上げる企業も出てきました。 こうした時代にあっても、この方はキリスト教会は「信仰」を語っていればいいのであって、政治に口を挟むなとおっしゃるのですが、この方のお持ちになっている聖書と私の所にある聖書は、どうも内容が異なっているようです。キリストは時代に目を背けていましたか?弱い人々、貧しい人々、病に苦しんでいる人々の所へ自らお出かけになっていらっしゃいませんか?取税人ザアカイの所へご自分から訪ねようとされたのではないですか? 「呆れてものが言えません」と題しておきながら、いろいろと書いてしまいました。皆さんはどう思われますか?
2007.10.13
2007年の暮れに「謝罪の記者会見」をして、原田文雄司祭による女子児童への準強制わいせつをお認めになったはずの京都教区主教や常置委員は、それでもなお、原田文雄司祭に対して、被害者に対する謝罪をするように勧めていらっしゃらないのですね。原田文雄司祭を「陪餐停止」にされたわけですが、司祭籍は京都教区にあるのでしょうから、教区主教が率先して謝罪と和解を勧めなければならないのではないでしょうか。「司祭は主教の分身だ」ということを、日本聖公会の司祭さんからお伺いしたことがあります。相手が年上でいらっしゃるから、難しいのでしょうか。だとしたら、日本聖公会の教会論というか聖職論そのものが現実と異なっているということにならないでしょうか。また、綱憲や法憲法規とも異なってしまっているのではないでしょうか。 事件があった現場の教会で、高地主教は創立120周年の記念式を強引に開こうとされているようですが、その意図はどこにあるのでしょうか。教会委員の方のご要望も無視されているようですね。これだけの権威をお示しになられるのでしたら、その権威をもって事件を一日も早く解決させるべきではないでしょうか。ここで私が解決と申し上げているのは、加害者による謝罪が行われ、きちんとした教区審判廷において事件が裁かれるということです。それをせずに、この問題を解決する道はないにもかかわらず、高地主教や常置委員は問題を隠蔽しようとすることしかしていらっしゃらないのではないでしょうか。信徒の方々には、事件がまったく解決されていないにもかかわらず、すべて解決しているように見せかけていらっしゃらないでしょうか。 最高裁判所が上告棄却・不受理を決定した段階で、その判決を受け容れ、そして日本聖公会の法憲法規に則って審判廷を開き、そこで問題をはっきりさせて、裁くべきことはきちんと裁かなければいけなかったのではないでしょうか。この事件を聞いた私の周囲の方々は、クリスチャンの方々でも、そうでない方々でも、同じようにそうおっしゃっています。ただ、それが出来なかった大きな理由は何であったのかということが、もう一つの大きな問題なのではないでしょうか。何故審判廷を開くことが出来なかったのでしょうか。そして、法憲法規にはない仕方で、現職の司祭を「陪餐停止」になさったのでしょうか。 「先日知人のジャーナリスト(新聞社の編集長)からメールが来て、事件のことで京都教区の聖職者数人と接触、取材したが、みんなそろって『主教が悪い!』と答えましたとメールに書いていました。」と記されているメールが「糾す会」から来ました。事件の解決が遅れている原因が見えてきているように思えるのは私だけでしょうか。最近の一連の動きを耳にすると、何が事件の解決を送らせているかということがはっきりとしてきたように思えます。それも、信仰とか神学というレベルのことではないような気がしています。このブログも、私が書いた日は、100名以上の方がアクセスして下さるようになりました。是非、皆さんもお祈り下さい。被害者のため、被害者のご家族のため、そして日本聖公会京都教区のためにお祈り下さい。そして、声をあげて下さい。よろしくお願いいたします。
2007.10.09
昨日、仕事で出掛けたついでに、近所の本屋さんで「正論」の11月号を買ってまいりました。風来坊さんがブログに書かれていたからです。そして、私も驚いてしまいました。 「司教たちの政治的暴走より深刻なものはほかならぬ信仰の衰微で、これこそが暴走の原因です。」と記されていますが、T司教様が御ミサの中で「平和について」というテーマでお話になるために、日本カトリック教会司教協議会がまとめた文書のコピーを用意するように依頼されたことを、信者さんの多くが驚きをもってそれを耳にしたかのように書かれています。そして「『公私混同』『職権乱用』『神への冒涜』との批判が県外からも寄せられました」とも記されています。 この方は、何が言いたいのでしょうか。私にはよく判りません。 自由民主党の『新憲法草案』をきちんとお読みになられたのでしょうか。この草案の前文の最後の部分にこう書かれています。 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に願い、他国とともにその実現のため、協力し合う。国際社会において、価値観の多様性を認めつつ、圧政や人権侵害を根絶するため、不断の努力を行う。」 危険ではありませんか。「他国とともにその実現のため、協力し合う」という表現の横から、集団的自衛権がチラチラ見え隠れしているように思えるのは私だけでしょうか。世界は二度の世界大戦を経験してきました。互いの利害を考えて、正に世界が二つに分かれて戦ったのではないでしょうか。「二つに分かれて」ということは、明らかに軍事同盟がそこにあったということではないでしょうか。集団的自衛権という言葉は極めて難解な言葉ですが、要するに同盟関係にある国が軍事侵略を受けた場合、同盟関係にある他国がその国を守ることを意味しています。極めて危険な国際関係の在り方の一つだと思うのですが、こうしたことをT司教様が見抜かれていらっしゃるとしたら、教会のメッセージとして語ることは当然のことではないでしょうか。戦争が起きる前に、戦争が起きないように語ることは、キリスト教の聖職者にとっては当たり前のことだと思うのです。 この裏には、前述した軍事同盟への可能性が十分にありますし、戦争が自衛のものであろうが、侵略であろうが、それを区別している言辞は私には見えません。そして、「国際社会において、価値観の多様性を認めつつ、圧政や人権侵害を根絶させるため、不断の努力を行う。」と続けられていますが、圧政や人権の侵害は、国際社会だけの問題でしょうか。何故ここを「国際社会において」ではなく、「あらゆるの社会において」としていないのでしょうか。前文では既に「国民主権と民主主義、自由主義と基本的人権の尊重及び平和主義と国際協調主義の基本原則は、不変の価値として継承する。」としているのですから、圧政や人権の侵害は、グローバルな価値観であるということを何故ここで強調しないのでしょうか。 新憲法草案第9条では「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」だけになっています。つまり、現行憲法の第2項が削除されています。そして、「第九条の二」として次のように記されています。第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を 確保するため、内閣総理大臣を最高指揮者とする 自衛軍を保持する。 自衛軍は、前項の規定による任務を遂行するた めの活動を行うにつき、法律の定めるところによ り、国会の承認その他の統制に服する。 自衛軍は、第一項の規定による任務を遂行する ための活動のほか、法律の定めるところにより、 国際社会の平和と安全を確保するために国際的に 強調して行われる活動及び緊急事態における公の 秩序を維持し、または国民の生命若しくは自由を 守るための活動を行うことができる。 前二項に定めるもののほか、自衛軍の組織及び 統制に関する事項は法律で定める。 『正論』11月号の「信仰を忘れた聖職者たち」の著者はこうも記されています。「この日も司教はミサ開始直前にジーパン姿で現れました。説教の事前準備も、肝心の宗教的基礎知識も不十分で、十字架の前を横切るときに頭を下げもしない。説教のあとは駐車場で喫煙。それでいて政治に走る。キリストの弟子の後継者と位置づけられ、教皇と直結する司教のこの現実は、信仰を求める信徒にかえって失望感を与えています。」 この著者は、何がおっしゃりたいのかよく判りません。司教はジーパンを穿いてはいけないという教会規則があるのでしょうか。「宗教的基礎知識が不十分」であるとどうして断定できるのでしょうか。相手を批判するのであれば、どこがどう間違っているのか、知識がどのように不十分なのかを指摘することなく、こうした表現をお用いになることが私には理解できません。これでは、批判ではなく、誹謗中傷でしかないとしか私には思えません。 そして何よりも、冒頭にお名前が記されている司祭様のことを私はまったく存じ上げませんが、「政治に走る」という表現がもし憲法改正に関わることを語ることであるとしたら、まったく非聖書的な発言でしかないと思えます。宗教は政治には関わらないとお考えだとしたら、宗教学や宗教史をもう一度読み返されたらいいと思いますし、少なくとも聖書ははっきりと政治的社会的発言を繰り返しています。ザアカイはどこの町に住んでいましたか?ザアカイは何人でしたか?ザアカイの職業は何でしたか?ザアカイは人々からどのように思われていましたか?ザアカイは主イエスに招かれたときに、何と言いましたか?そして、主イエスはザアカイに何とおっしゃられたのでしょうか。 こうした物語を、単なる人生訓として読むことは、福音書が書かれた時代の政治的社会的背景を無視していることになってしまうのではないでしょうか。だとすれば、聖書が現代に語りかけているメッセージを矮小化してしまわないでしょうか。 そして、こうも記されています。 「第二バチカン公会議(一九六二~六五年)以降、『開かれた教会』が世界的に標榜されました。しかし実際は社会的抑圧者の視点で神学する『解放の神学』の妖気に当てられ、会議の精神をかたって冒険主義に走り、改革ではなく革命的変革を試みる勢力が世界に広まりました。これが諸悪の根元で、カトリックの神髄である典礼、礼拝が非神聖化され、俗化され、秘跡の意義は見失われ、それらへの畏敬の念が失われた、と澤田氏は指摘します。」 ここにも気になって仕方がない表現があります。「妖気に当てられ」「冒険主義」「革命的変革」そして、これらを「諸悪の根元」とおっしゃっているところです。鍵括弧が付いていませんから、澤田昭夫氏の著書を要約されているのでしょうが、こうした表現は議論の進展を妨げるだけにしかならないように思えます。 私も少しですが、「解放の神学」を読んだことがあります。アメリカのアフリカン・アメリカンの方々のことやネイティブの方々のこと、南アメリカのネイティブの方々、あるいはアングロ・アフリカニズムという運動が何故起こってきているのかを考えると、教会は誠実にこの問題を聖書から考えなければならないと思っています。それも、難しい神学議論ではなく、極めて単純な、日々の生活の中での共生をどう考えるかという視点からです。あの日、ペルーの日本大使公邸にいた日本企業の方々は何故あそこにいらっしゃったのでしょうか。「ゲリラ」と呼ばれている人々はそれを知っていたのでしょうか。 この『信仰を忘れた聖職者たち』という題の横に、「性犯罪、献金、横領、政治的暴走…」と記されていますが、この三つをどうして結びつけられるのか判りません。「宗教は心の問題だから政治には口を出すな」ということなのでしょうか。 しかし、「いいたい放題」というブログで風来坊さんもおっしゃっていますが、「正論」という一般雑誌にこれが書かれたということは、「他教派の人間は口を出すな」ということが言えなくなったことは事実だと思います。日本聖公会京都教区における現職司祭の女子児童に対する準強制わいせつ事件を、ここまで公にしたのですから。 管区や教区がそれを否定するのであれば、この『正論』に書かれていることに対する何らかの対応があるはずです。
2007.10.06
【 詩 篇 第118篇 】 恵み深い主に感謝せよ。 慈しみはとこしえに。 イスラエルは言え。 慈しみはとこしえに。 アロンの家は言え。 慈しみはとこしえに。 主を畏れる人は言え。 慈しみはとこしえに。 苦難のはざまから主を呼び求めると 主は答えてわたしを解き放たれた。 主はわたしの味方、わたしは誰を恐れよう。 人間がわたしに何をなしえよう。 主はわたしの味方、助けとなって わたしを憎む者らを支配させてくださる。 人間に頼らず、主を避けどころとしよう。 君侯に頼らず、主を避けどころとしよう。 国々はこぞってわたしを包囲するが 主の御名によってわたしは必ず彼らを滅ぼす。 彼らは幾重にも包囲するが 主の御名によってわたしは必ず彼らを滅ぼす。 蜂のようにわたしを包囲するが 茨が燃えるように彼らは燃え尽きる。 主の御名によってわたしは必ず彼らを滅ぼす。 激しく攻められて倒れそうになったわたしを 主は助けてくださった。 主はわたしの砦、わたしの歌。 主はわたしの救いとなってくださった。 御救いを喜び歌う声が主に従う人の天幕に響く。 主の右の手は御力を示す。 主の右の手は高く上がり 主の右の手は御力を示す。 死ぬことなく、生き長らえて 主の御業を語り伝えよう。 主はわたしを厳しく懲らしめられたが 死に渡すことはなさらなかった。 正義の城門を開け わたしは入って主に感謝しよう。 これは主の城門 主に従う人々はここを入る。 わたしはあなたに感謝をささげる あなたは答え、救いを与えてくださった。 家を建てる者の退けた石が 隅の親石となった。 これは主の御業 わたしたちの目には驚くべきこと。 今日こそ主の御業の日。 今日を喜び祝い、喜び躍ろう。 どうか主よ、わたしたちに救いを。 どうか主よ、わたしたちに栄えを。 祝福あれ、主の御名によって来る人に。 わたしたちは主の家からあなたたちを祝福する。 主こそ神、わたしたちに光をお与えになる方。 祭壇の角のところまで 祭りのいけにえを綱でひいて行け。 あなたはわたしの神、あなたに感謝をささげる。 わたしの神よ、あなたをあがめる。 恵み深い主に感謝せよ。 慈しみはとこしえに。 (日本聖書協会『新共同訳聖書』) クリスチャンでない方々、あるいはキリスト教の教会へは一度もお見えになったことのない方々から、時々、ドキッとするというかハッとさせられるような質問をされることがご座います。 「旧約聖書はユダヤ教の経典で、新約聖書がキリスト教の経典なんですよね」と言われまして、面食らったことがご座います。確かに、そう言われても仕方のないところがあるのですが、しかしきちんと説明しなければなりません。ユダヤ教の方、つまりユダヤ人が「旧約聖書」を読むのと(勿論私たちが「旧約聖書」と呼んでいるものを「旧約聖書」とは言いませんが)、私共キリスト教を信じているものたちが読むのでは、根本的に意味が異なって居ります。書かれている内容は同じなのですが、ユダヤ人に取りましては「旧約聖書」だけが神の言葉ですから、旧約・旧い契約とは言いません。新約聖書は、参考にも致しませんし、むしろまったく否定します。しかし、キリスト教では新約聖書に書かれている事柄、つまり十字架に死に、御復活され、そして天にお昇りになり給うたあの主イエス・キリストを通して旧約聖書を読み理解します。言い換えれば、キリスト教にとりましては、新約聖書がなければ、旧約聖書は存在しないということが出来るかと思います。 先程の方にはこうしたご説明を致しました。ある意味で、こうした質問は比較的答えやすいのですが、時として、質問というよりは、ある種の誹謗を込めてキリスト教についての質問を受けることがご座います。 こんな質問もご座いました。 「毎週日曜日に礼拝をするのですか。お休みの日に礼拝をするというのは都合が良くていいですね」と言われたことがご座います。皆様も同じような経験がおありになるかもしれません。日曜日が休みなのは、キリスト教会が日曜日に礼拝をすることから始まったということを、この方はご存知なかったようでご座いました。 主イエスのご復活を記念して、日曜日に礼拝が守られるようになったのは、かなり古い時代からでご座いました。 「殺された人を拝むのは、どうかと思いますよ。」 これは手厳しい質問というよりはご意見です。とある新興宗教に入っていらっしゃる方からのものでした。 「キリストは『平和の君』と呼ばれているそうですが、平和の君が何で殺されるのですか。何で、殺された人が『平和の君』なのですか」ともおっしゃいました。これは、ある意味においては、本当に素晴らしい質問でご座います。殺された人がなぜ「平和」なのか。 しかし、主イエスが十字架にお掛りになったことの意味を私共が知らされる時、だからこそ主イエスは『平和の君』だということを知ります。神と人間の間にあって、人間の罪によって引き起こされていた断絶を、十字架が執り成していて下さるのですから。その罪を十字架の死によって、帳消しにされているのですから、まさに、主イエスの死は神と人間の間の平和なのです。 いろいろな方から、様々な質問を受けます。 「神様は何でもお出来になる方なのに、なぜ戦争や事故や病気で人間が死んでいくのですか。」「何で、苦しむ人がこんなにいるのですか。」「何で、私の苦しみは解決されないのですか。」 そうした質問を受ける時、私共は、どのようにお答えするでしょうか。相手を言い負かすだけの、論法を持ちたいと願うでしょうか。相手をなんとか説得しようと躍起になるのでしょうか。それとも、わけもなく悲しみに包まれ、何も答えられず、ただただ一人祈り続けることしか出来ないのでしょうか。 ある時には、相手の方のことを考え、また相手の方の苦しみを知っていればいるほど、そうした質問を無視することも出来ず、かと言って、あの主イエスにおすがりをする心を失うことも出来ない。そんな複雑な思いにとらわれることもあるのではないでしょうか。 今日の詩篇、118篇5節6節 「苦難のはざまから主を呼び求めると 主は答えてわたしを解き放たれた。 主はわたしの味方、わたしは誰を恐れよう。」 この詩篇が歌われた時代、それは、バビロンからイスラエルの民がエルサレムに帰って来た時でご座います。当時のエルサレムの町には、主なる神の神殿だけがあったわけではご座いませんでした。様々な民族が入って来て居りました。ですから、様々な習慣や宗教が入り込んでいたのでご座います。エルサレムの町に住み、主なる神を礼拝するイスラエルの人々は、その礼拝するということの故に、他の人々から特別な目で見られ、ある時には質問を受け、ある時には誹謗中傷されていたのでご座います。 そしてエルサレムの町に入ってきていた他国の人々、他の宗教の神々を信じる人々は、主なる神を礼拝することを非難し、あるいは妨害していたのでご座いますが、一方では、エルサレムの神殿で礼拝している人々よりもはるかに進んだ、そして豊かな文化をもって居りました。それ故に、主なる神を礼拝する人々は、そのことの故に、本当に大きな重荷を負わねばなりませんでした。 118篇22節 「家を建てる者の退けた石が 隅の親石となった。」 石で家を造るのにはまったく使いものにならない、柔らかくあるいは脆い石が、隅の頭石となる。この「隅のかしら石」というのは、二種類のものがご座います。一つは「ピナーと記されているもので、石を並べるその最初に置くもので、土台の礎石になるものでご座います。もう一つは、「ローシュ・ピナー」と記されているもので、これは、建築の最後に全体を締め付けるために置く石でご座います。アーチになっている一番真中の石などもこれに相当します。この石を取り除くと全部が崩れてしまう石です。つまり、最後にこの石を叩きこむことによって、石全体が相互に締め付けあい、ぴったりと隙間なく、安定するのだそうです。この22節の「隅の頭石」という言葉は、後者、つまり、体を安定させるために最後に置く石を示す言葉が用いられて居ります。 人間の目には、柔らかくて脆く、家を建てる時に積み上げることも出来ないと思われた石が、にも拘らず隅の頭石として、しっかりと建物全体を支えている。正に、「人間の目には不思議なこと」として写らざるを得ません。 ところで、主イエスは、御自身のことをこの詩篇の個所を引用されて、「家造りの捨てた石が、隅のかしら石となる」と言いあらわされました。 マルコ福音書12章10節にこう記されて居ります。 「家を建てるものの捨てた石、 これが隅の親石となった。 これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える」 エルサレムの町の人々が、その苦難の真っ直中にあって、主なる神に信頼しようとする人々の歌を、キリストを信じることの出来ない人々の中で、主イエスはその歌を引用され給うたのでご座います。 この詩篇の言葉の引用の前には、こんな譬えが記されて居ります。 ある時、葡萄園の主人が自分の僕を農園に遣わして収穫を受け取ろうとしました。しかし、その農園の農夫たちはその僕を袋だたきにし、何も持たぜずに送り返してしまいました。そこで主人は自分の息子を遣わしました。農夫たちは、今度は、相続財産目当てにその息子を殺してしまった。 最初の教会の人々も、あの時のエルサレムの町の人々と同じような苦しみの中で、信仰を守って居りました。 十字架で殺された人間を、なぜ拝むのか。 あるいは、そのことによって迫害を受けることがあることを知りながら、なぜ信じているのか。なぜ、命を投げ出し、時間を捧げ、持ち物を捧げて信じていようとするのか。新約聖書が記された時代の人々も、同じ苦しみの中で苦しんでいたのです。人々からは嘲笑され、憎まれ、軽蔑されていました。誤解され、蔑まれ、悪口を言われ、仲間はずれにもあいました。 時として、命を失うことがありながらも、しかし、彼らは信じていました。 神様の不思議な御業に、目を留めていたのでご座います。 人間の想いをはるかに越えた、この世のすべてを造り今も支配して居給う主なる神の御働きに、すべてをお委ねしていたのでご座います。 人間が、人間の言葉で、神の出来事をすべて説明することは出来ません。 それ故に、詩篇118篇の作者はこう歌います。 25節 「どうか主よ、わたしたちに救いを。 どうか主よ、わたしたちに栄えを」 27節 「祭壇の角のところまで 祭りのいけにえを綱でひいて行け。」 人間の言葉で言い尽くせない、人間の想いでは計り知ることの出来ない御方だからこそ、一切をお委ねして、その主なる神の御元に馳せ参じようとするのでご座います。 そして、こう締め括ります。 29節 「恵み深い主に感謝せよ。 慈しみはとこしえに。」 この時代の中で、多くの人々から、様々な問いかけを受ける中で、主の御言葉と御業を信じ、そして、主に信頼し、日々主の証し人として生かされていたいものでご座います。 【祈り】 主よ、御子イエス・キリストの十字架の贖いを感謝致します。 どうか主よ、私共一人一人に、あなたのもとへ立ち帰り、あなたへの感謝を捧げることの出来る信仰を持ち続けさせていて下さい。苦難の時にも、喜びの時にも、悲しみの時にも、主よ、あなたを見失うことがありませんように。そして、主を証しする勇気を与えていて下さい。 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
2007.10.06
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