すぐれた文学と通俗文学との差異はどこにあるか?
もちろん両者の中間にある文学もあるが、両極において、その差異を考えてみれば、一言でいって、前者が人生において一つの新しい経験を形成しているのに対して、後者は新しい経験を形成していない、ということである。
以上のことを山登りにたとえてみれば、すぐれた文学は 初登攀 であり、通俗文学は ハイキング である。
真にすぐれた文学は題材の新しさのほかに、 発見 をもっている。
つまり、その作品が現われるまでは何人にも、その作品によって示されたものの存在、むしろ価値が全く気づかれずにいたのが、一たびその作品に接した後では、いままでそれに気づかなかったことがむしろ不思議とさえ感じられる、そうした気持を読者に抱かしめるものをもっている。
すぐれた文学とは、われわれを感動させ、その感動を経験したあとでは、われわれが自分を何か変革されたものとして感ぜすにはおられないような文学作品だ、といってよい。
人生はあくまで合理的に生きられねばならないが、人生を充実した、よりよきものとするためには、理性と知識のみでは足りず、さらに人生に感動しうる心が不可欠である。
ところで文学こそ、そうしたものを養成するのに最も力のあるものである。
文学以上に人生に必要なものはないといえる。
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