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本当~~に子供のころに比べて、1年という期間が異常に短く感じられるようになった。なんだか、5か月くらいのスパンで、次の年がやって来るような…(苦笑)。一応、暦の上では大晦日だし、テレビ東京で『年忘れ』もやっていたから、間違いなく大晦日なのだろうが…。ホントにホントにホントにホントに!!実感が湧いてこない。…実を言うと『第52回年忘れ』は、殆ど見ていなかった。だってさ、往年のお歴々が誰も出てこなくて、時間が長いだけなんだもの。だから今、日テレ見ている。しかしながら、平成から令和へ元号が変わり、さまざまなことが数多くあったのを思い返してみると…やっぱしねぇ、1年経ったってぇことなんだわね(笑)。ただいま、時刻は22時50分…あと1時間チョイで今年ともお別れということで…。2020年は一体、どういう年になっていくんだか…。-------------------------------------------------------------てなわけで、今年1年も当ブログをご笑覧いただきまして誠にありがとうございました。来年は落語会を中心に、いろいろ動いていく予定であります。そしてまた『なつかしの歌声』関連で、春先ごろ?に大きな動きをする予定でもあります。正式発表はまだできませんが、3月あたりには、どうにかこうにかなるんじゃないかと。2020年も、当ブログを何とぞよろしくお願いいたします。
2019年12月31日
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竹村健一(政治評論家 7月8日没・享年89)あの1・9分けの独特な髪型に、常にパイプくわえて「大体やねぇ~」と言う口調は、誰もが真似したもの。もうこんな高齢になっていたとは思わず、驚いた。ジャニー喜多川(ジャニーズ事務所創業者 7月9日没・享年87)芸能界に対して功罪ある人だし、賛否両論もある人だと思うが、あれだけの一大帝国を作り上げたという事実は認めざるを得ないと、個人的には思う。明日待子(女優 7月14日没・享年99)「女優」と書いたけれど「新宿ムーランルージュ専属の元祖アイドル」と言ったほうがピッタリくる人だろう。最晩年まで若々しさを保ち続けた、見事な生涯だった。小笠原美都子(歌手 7月25日没・享年99)戦時中『十三夜』『琵琶湖哀歌』などのヒット曲を出し、東海林太郎先生と共に舞台を踏んだ、数少ない存命者のお一人。ただ後年の「某活動」に関して全く評価できず、殆ど「売国的行動」だとも思える。そこだけが残念。栗原玲児(司会者、タレント 8月3日没・享年85)栗原はるみの旦那様…というほうが、しっくりくる方になってしまったか。確かに私世代だと、リアルタイムでその姿を見たことは少なかった。中村典正(作曲家 8月16日没・享年83)松前ひろ子の旦那様で、三山ひろしの義父。元は歌手志望だったと聞いている。義理の息子は歌唱力もあるし、まあタレント力もあるし…そこは安心だったろう。新山ひでや(漫才師 8月23日没・享年73)「えつや・ひでや」はテレビで見ていたが、えつや師が病に倒れたあと、奥様とコンビを組み「新山ひでや・やすこ」になった。「最高!最幸!」という謎のギャグ(笑)を得意にしていたが…あれは何だったのだろう?一度、池袋演芸場で私が(漫才がつまらなくて)2列目で仏頂面で見ていたら、高座から「お願いですから笑ってください!」と懇願されたことがあったっけ(苦笑)。池内紀(ドイツ文学者 8月30日没・享年78)文学者というより、エッセイストという印象がある方だった。こないだ完結したが、小学館から隔週で出ていた「落語CD付マガジン」の冒頭のコラムを執筆されていた。なかなか独特の噺家の見方をしていて「へ~っ!」と思ったものだ。余談だが池内さんが急逝されたあとに代打で冒頭のコラムを書いたのは、我が師の保田武宏先生。安部譲二(作家 9月2日没・享年82)『塀の中の懲りない面々』でお馴染みだった、元極道の小説家。橋本龍太郎元総理と同級生ってことでも有名。タレントとして、クイズ番組の回答者なんかでテレビでもお馴染みだった。三代目山遊亭金太郎(落語家 9月17日没・享年63)今年の落語芸術協会は、相次いで「唯一無二の至宝」を失った。昨日書いた金遊師に続き、先代小南門下で豪快で明るい高座を魅せてくれた金太郎師まで失うとは…。この方の女性に関する伝説は、こないだ夏丸さんから聞いたが、ここには絶っっ対に書けない話ばっかし(苦笑)。佐藤忠志(元予備校講師 9月24日?没・享年68)どう見てもヤクザというルックスで有名だった「金ピカ先生」。なんで、生活保護という末路になってしまったんだろうか…?佐藤しのぶ(声楽家 9月29日没・享年61)オペラを大衆に知らしめた功労者のひとり。それにしても、ひっそりと亡くなられたからなのか、あまりテレビなんかで追悼されてないっぽく感じるのは、私だけだろうか?金田正一(元プロ野球選手 10月6日没・享年86)この人は、私は死なない人だと信じて疑わなかった節がある。だから訃報を聞き、とにかくビックリしたものだ。これだけ数々の記録を打ち立てつつ、キャラクターも大衆に愛された野球選手は、もう出てこないかもしれない。和田誠(イラストレーター 10月7日没・享年83)談志師匠の独演会でよく見かけたものだ、よみうりホールでも国立演芸場の客席でも。あの誰も真似できない独特のタッチ。誰が見ても「和田誠だ!」と判る絵を造り上げたというのは…早い話が天才なんだろう。中山仁(俳優 10月12日没・享年77)『サインはV』のコーチ役で、スターになった二枚目俳優。最近は、BSとかでよく見る「緑効青汁」のCMでしか姿を見なかったが…青汁飲んでても、死ぬときゃ死ぬのか…。緒方貞子(国際政治学者 10月22日没・享年92)あの黒柳徹子が「先生」と呼ぶ、国連で大活躍された偉人。国連難民高等弁務官を長年務められた印象が強い。八千草薫(女優 10月24日没・享年88)可憐な女優の日本代表。この方の訃報が、今年いちばんのショックだったかもしれない。どんなに闘病されていても、一度は戻ってくるもんだと信じていたので…。きよ彦(着物デザイナー、タレント 10月28日没・享年69)90年代初頭、フジテレビのバラエティーでよく見た印象がある方。「ものまね王座」でいちばん下手(左側)にいて、衣装部の保沢さん(だったっけ?)と並んでいたような…。オカマキャラだったが、娘さんがお一人いらっしゃるのね。山谷初男(俳優 10月31日没・享年85)「はっぽん」のアダ名で親しまれた、唯一無二の超名脇役。「やすらぎの刻」出演中の死去は惜しまれる。鴈龍(俳優 11月1日没・享年55)勝新太郎・中村玉緒夫妻の長男。もし「座頭市」撮影中の事故がなかったら、もう少し活躍できたかもしれない。でもね…結局親のスネをかじったままの孤独死というのはなんか「そうなるべくしてなっちゃった」感がある。桂三金(落語家 11月9日没・享年48)文枝門下の巨漢噺家。師匠と同様、新作落語に問答無用の才能を遺憾なく発揮された。脳幹出血での急逝は、本当に痛いし勿体無い。上方落語界の大損失であろう。平川幸男(漫才師 11月11日没・享年78)近年『笑点』への出演が、何故か多かった「Wヤング」。しかし「中田・平川時代」のWヤングの、あの凄さには遠く及ばぬ漫才だった。現Wヤングを、面白いと思ったことは一度もなかった。松本ちえこ(タレント 11月17日没・享年60)「バスボン」のCMでお馴染みだった。こんなに若くして急逝されるとは思わなくて、訃報を聞いたときゃ驚いた。木内みどり(女優 11月18日没・享年69)『天才たけしの元気が出るテレビ!』が懐かしい。近年は反原発活動とかに力を入れていたという。なぜ左翼思想にハマると、大半の人は髪の毛を染めなくなるんだろう?単にたまたまかもしれないけど、近年の写真はコワかった。矢島信男(特撮監督 11月28日没・享年91)東映特撮を支えた大黒柱。特に戦隊ものを作り上げた功績はこれからも語り継がれていくだろう。「ダイナマン」だとか「バイオマン」とかが懐かしい。中曽根康弘(元総理 11月29日没・享年101)物心ついたとき、いちばん最初に知った政治家(総理)がこの先生だった。なんせ「キン肉マン」にも出てきたし、長期間にわたり政権を維持していたため「総理大臣って、この人しかやれないの?」なんて思ったこともあったほど。背も高かったし、世界各国の首脳陣の中に入っても引けを取らなかった最初の総理じゃなかろうか?井上真樹夫(声優、俳優 11月29日没・享年80)何てったって「石川五ェ門」と「花形満」が代表作だろう。ルパンの声優さんの世代交代が、時の流れだから仕方ないとか思うが、寂しい。中村哲(医師 12月4日没・享年73)なんでアフガニスタンのために誠心誠意尽くした医師が、ワケ分からんテロリストの凶弾に倒れなきゃならんのか。「憲法9条が守ってくれる」とおっしゃったらしいけど、これで何の効力も意味もないことが露呈されたと言っていいネ。こういう被害者を今後絶対出さないためにも、1日も早い憲法改正を望む。平和はボーッとしてたって続かないヨ。旗照夫(ジャズ歌手 12月8日没・享年86)「あいつ」「ハッシャ・バイ」などのヒットもある戦後のジャズシンガーの代表選手。声は晩年まで落ちなかった。梅宮辰夫(俳優 12月12日没・享年81)つい先ほど、明後日の「格付けチェック」の番宣を見ててふと「もう辰兄ィは二度と出てこないのか…」と思ったら、物凄く淋しい気持ちになった。役者としての功績は勿論、バラエティでの大活躍も見られないのが、ホント悲しい。小島慶四郎(喜劇俳優 12月23日没・享年88)松竹新喜劇の名脇役。「鼻の六兵衛」における白塗り殿様「有馬玄蕃頭」は、志村けんのバカ殿様の元祖だと聞いたことがあるのだが、本当だろうか?藤山寛美とはまた違うアホ役で、一時代を築き上げた。---------------------------------------------------------------というわけで、2回にわたって書いてきた墓碑銘。本当に今年も数多くの人を見送ることになった。人の世の宿命…と言ってしまえばそれまでだが、やはり辛いもんは辛い。皆さまのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
2019年12月30日
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また、この内容を書く時期がやってきてしまった。「今年は誰も著名人が死ななかった」なんて書きたいが(笑)そういうわけにゃいかないのが人間であり、生き物全般。自分が年を取ってきたということなんだろうが、自分の中で「死ぬカテゴリー」に全く入っていなような方が、たくさんあの世に旅立った1年…という感じがする。ホントに、毎年こればっか書くようになってきた…。---------------------------------------------------------------兼高かおる(旅行ジャーナリスト 1月5日没・享年90)海外の魅力を、初めて日本人に知らしめたパイオニア。最晩年でも、その凛とした佇まいは健在だった。天地総子(歌手、女優、声優 1月6日没・享年78)私が小1のときに始まった、テレ朝の『オバケのQ太郎』3代目声優はこの方。そして童謡歌手・CM歌手としてもお馴染みの声を失ったのは悲しい。市原悦子(女優 1月12日没・享年82)あの淡々とした語り口と、独特のトーン。小さいころからテレビの中にいつもいた女優さんの筆頭という方だった。栗本尊子(声楽家、歌手 1月22日没・享年98)クラシック歌手の大御所だが、終戦直後にはコロムビアで流行歌も吹き込んでおられた。…さすがに、テレビ東京の懐メロ特番には呼べなかったか…。大倉徹也(放送作家 2月4日没・享年86)『8時だョ!全員集合』制作に携わった作家として有名だが、個人的にはNHK『ビッグショー』の構成作家という印象が強い。OPロールで、その名をよく見た。堺屋太一(作家、元通産官僚 2月8日没・享年83)昭和45年の万国博覧会を、大阪に誘致した功績でもお馴染み。2025年の大阪万博を見られなかったのは無念だったろう。佐藤純彌(映画監督 2月9日没・享年86)1970年代の東映を支えた功労者…というイメージがある。1980年代以降は、超大作の監督さんという感じか。北尾光司(元横綱双羽黒 2月10日没・享年55)短命横綱(トラブルで引退だから仕方ないが)という印象で、その後は何をやってもパッとしない印象の人だった。晩年は重い糖尿病との闘いだったと聞く。あまりの若い死に驚いた。山田スミ子(女優 2月12日没・享年73)「吉本新喜劇」は東京人には全く馴染みがないから、この方の活躍ぶりは、普通の女優としての印象。ただ、私が小さいころテレ朝で日曜昼にやっていた”やす・きよ”のコメディ番組で、やっさんの奥さん役で出ていたのは見た覚えがある。内田正人(キングトーンズのリーダー 2月15日没・享年82)大ヒット曲『グッド・ナイト・ベイビー』。日本人離れしたあの曲調は、いま聴いても新鮮だ。闘病期間が長かったのが本当に惜しまれる。佐々木すみ江(女優 2月17日没・享年90)年齢を感じさせない大活躍をしていた最中での急逝。往年の「東芝日曜劇場」世代の女優さんを失った穴は大きい。笑福亭松之助(落語家 2月22日没・享年93)上方落語界の最長老。あの「明石家さんま師」を育てたということでもお馴染みの大師匠。豪快であり繊細な高座は、決して上手いとは思わなかったが、堪らない魅力があった。ドナルド・キーン(日本文学者 2月24日没・享年96)誰よりも日本を愛してくれた、青い目の純粋な日本人。日本に生まれながら日本を貶めることしか言わない人非人の売国奴&ヨボセヨ軍団が多い中、2011年に日本国籍を取得し、日本人になったこの方は、私は日本人以上の日本人だと思う。花柳幻舟(舞踊家、女優 2月28日没・享年78)なんというか…私の中じゃあ「トラブルメーカー」という言葉以外の言葉が出てこない方。ああいう最期もこの人らしい。灘康次(モダンカンカンのリーダー 3月5日没・享年89)「♫地球の上に朝が来る~」の名フレーズ、私はこの師匠でいちばん最初に覚えたヨ。川田(義雄)節の最後の継承者を亡くした損失は大きすぎる。森山加代子(歌手 3月6日没・享年78)坂本九と共に、アメリカンポップス(カヴァーポップス)の一大ブームを巻き起こした偉大な歌手。7年ほど前だったが、「歌謡祭」で生歌を聴けたのは、私の中の大きな財産。川戸貞吉(元TBSアナ、演芸評論家 3月11日没・享年81)あの玉置宏先生を「死に追いやった張本人」ということで、昭和歌謡ファンからは評判が最悪の人であるが、直で会って話すと、ただの演芸好きのおじさんという印象。怒らせたらめんどくさい人だったのかもしれナイ…私と同じか(笑)。七代目蝶花楼馬楽(落語家 3月13日没・享年71)たけ平師匠から聞いたが、この師匠はガンで闘病しており、寄席も長期間休んでいたのだが、今年に入って復活されて…その直後に急逝されたらしい。内田裕也(歌手 3月17日没・享年79)奥さん・樹木希林さんの後を追うように、日本を代表するロッカーが、あっけなく逝ってしまった。こんなに有名なシンガーなのに、代表曲がないというのが不思議な人でもあるわネ。ロックンロール!!織本順吉(俳優 3月18日没・享年92)本当に最晩年まで、その姿をテレビで見ることの多かった役者さんだった。ごく普通のおじいさんから、凄みのある悪役まで、演技の幅も広かった。五代目金原亭馬好(落語家 3月19日没・享年70)落語に出てくる「権助」のような、ゴツくて凄いルックスの噺家さんだったが、なんと生まれが台東区下谷!一度だが、らくごカフェにいらしたことがあって、会釈だけしたことがあったのを思い出した。三代目三遊亭金遊(落語家 3月24日没・享年67)亡くなる前日、岡山で開催された弟子の金の助さんの「二つ目昇進記念落語会」が最後の高座になった。落語芸術協会の中で、本寸法の古典を魅力的に聴かせる「至宝」の急逝は、落語界の大損失といっても過言じゃない。白石冬美(声優、女優 3月26日没・享年82)声優として、ラジオパーソナリティーとして、本当に時代を作った偉人が逝った。今ごろ、あの世で野沢那智とラジオをたっぷり放送していることだろう。萩原健一(俳優、歌手 3月26日没・享年66)まさかショーケンが死ぬとは…。これほどまでに信じられぬ訃報もなかった。確かに「大丈夫か?この人」という言動もあったことはあったが(苦笑)、狂信的なファンがたくさんいるのがよく分かるほど、魅力的な役者だった。相澤英之(政治家 4月4日没・享年99)司葉子の旦那さん。生涯現役を貫かれた方という印象がある。まさに、この方が私の中で「死ぬカテゴリーに入ってない」著名人のひとりだった。ケーシー高峰(漫談家 4月8日没・享年85)今年いちばんショックだった訃報は、この先生かもしれない。ド下ネタ全開の高座でありながら、どこかしら乾いた空気が漂っていたのが見事だった。グラッチェ!小池一夫(漫画原作者、小説家 4月17日没・享年82)『子連れ狼』の生みの親。他にも『御用牙』など、生み出した数多くの作品は、大半がテレビドラマや映画になった。有馬三恵子(作詞家 4月18日没・享年83)昭和40年代の(女性アイドル)ポップスの作詞の女王かネ。その瑞々しい感性で書かれた詞のインパクトは、凄い。福岡翼(芸能レポーター 4月20日没・享年79)訃報は10月に入って知らされたが…こんなに高齢だったと全く知らなくて、本当に驚いた。いつまでも50代みたいな若々しい見た目と、やや女性っぽい口跡が忘れられない。小出義雄(マラソン指導者 4月24日没・享年80)あのQちゃんこと、高橋尚子選手の育ての親。あのヒゲ面で豪放磊落チックな風貌と佇まいのインパクトは凄かった。京マチ子(女優 5月12日没・享年95)私の母方の祖母と、ほぼ同い年の大女優。大映黄金時代を支えた「最後の映画スター女優」とも言えるだろう。『羅生門』の印象も強いが、個人的に『男はつらいよ』の「純情詩集」でのマドンナ役を推したい。杉葉子(女優 5月15日没・享年90)あの『青い山脈』に出演した役者の中で、最後の存命者がこの方だった。昭和49年大晦日『第7回年忘れ大行進』で、奈良光枝と一緒に主題歌を歌ってるVTRが、テレ東には残っている。降旗康男(映画監督 5月20日没・享年84)高倉健と二人三脚で、映画作りに携わってきた人だという言い方ができるだろうか。ただ、この方の映画ばっかりになってしまって、健さんの映画は「ああいう感じだけ」になってしまったのが、惜しいとも言えるかネ。横山たかし(漫才師 6月1日没・享年70)あの横山やすしの弟子としても有名。金ピカのスーツ着て、赤いハンカチぃ咥えて「すまんのぉ~!」と叫ぶギャグを見ると「正月が来たな…」という気になったもんだ。ただ、江戸前の笑いを愛好する私には、どこが面白かったのかがイマイチ理解できなかった…。千家和也(作詞家 6月13日没・享年73)きわどいアイドルソングの作詞から、演歌も歌謡曲の詞も何でもござれというヒットメーカー。昭和40年代後半の歌謡界は、阿久悠とこの先生で保っていたという感じすらしてしまう。石田信之(俳優 6月13日没・享年70)ここ数年間は、ガンとの闘病の日々だったと聞いている。ちょっと70歳は若かった。元気だったなら、BSフジの『脳ベルSHOW』で活躍できただろうに…。それこそ、『ミラーマン』ネタで、岡田が山ほどイジっただろう。高島忠夫(俳優、タレント 6月26日没・享年88)重いうつ病やパーキンソン病などになってしまわれたのが、本当に残念で勿体無いとしか言えない。あれだけテレビで大活躍された人なのに、なんか…フェードアウトで人生が終わってしまったのが、ご本人も無念だったかと。------------------------------------------------------------…というわけで、前半はここまで。それにしても、上半期だけで数多くの方を見送ったんだなと思わずにはいられない。
2019年12月29日
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「歌で綴る昭和&平成の時代・第20回記念大会」開催日…2020年(令和2年)1月9日(木) 会場…お江戸日本橋亭http://www.ntgp.co.jp/engei/nihonbasi/index.html開場…18時 開演…18時30分 終演…20時45分頃(予定) 料金…(予約)2,500円 (当日)2,800円 出演…林家たけ平、桂夏丸、神田真紅、桂しん乃 (歌謡ショー司会&構成)林田雄一 第1部…「落語・講談競演」 第2部…「なつかしの歌声・新春大行進」 予約先(メール)sinkmogumogu@gmail.com (電話《留守電》)090-7222-8704 下記のメールアドレスでもご予約・お問い合わせを承ります。 4890mffs@jcom.zaq.ne.jp 0ps388121401v2y@ezweb.ne.jp…ここ10日ほどは、仕事も忙しいわ、落語関係も忙しいわ…という状況の中で「なつかしの歌声」関係も急に忙しいというワケ分からない状況が続いていた(苦笑)。ハタと気がついたら、今年も残すところ1週間!ということは、『歌で綴る昭和&平成の時代』まで2週間ということ!!構成も出来上がり、歌唱曲目も決まり…本番を待つだけという状況ではあるが、今回は初めて「番組全体で1つのテーマ」があるという初の試み!これは見ものですわよ!!たくさんのご来場、心よりお待ち申し上げます!
2019年12月25日
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決して上手い役者だとは思わない。そして「昭和の映画スター」というカテゴリーに、ギリギリ程度で当てはまるくらいの人だと自分の中では思っている。しかし、私が小さいころから当たり前にテレビの中にいて、ときには渋い演技を魅せ、ときには抜群の料理の腕を見せ、ときにダウンタウンにイジられまくる(苦笑)親しみやすいコワモテ役者。死ぬってことが、私の中で全く想像できないグループに属していた方が、突然天国に旅立った。何というか、知り合いのおじさんが急に逝ってしまった…そんな悲しさと寂しさを、いま猛烈に感じている。一度も会ったことはないけれど。東映黄金時代を支えた最後の1人。俳優としてタレントとして、映画・ドラマ・バラエティーで八面六臂の大活躍をされてきた「辰兄ぃ」梅宮辰夫さんが、12日朝に81歳で亡くなった。ここ数年はガンとの闘病が続いていて、夏頃だったかテレ朝のドラマ『やすらぎの郷』に出演したのを見た際「随分と痩せて顔色が優れないなぁ…」とは思っていたが…。ここ1~2年?ほどは人工透析をされていたようで、昨日の朝奥様が異変に気づき119番をして、病院に緊急搬送されたが、そのまま…ということだったらしい。鶴田浩二・高倉健・菅原文太・松方弘樹・渡瀬恒彦・川谷拓三・山城新伍・室田日出男…東映の70年代後半の任侠物・実録物を支えた方々が、これで殆ど故人になってしまった。金子信雄や成田三樹夫もいないし。『仁義なき戦い』に出られた方で、未だ現役なのは千葉真一・小林旭・北大路欣也・前田吟…くらいか。しかし、千葉ちゃん以外は生粋の東映じゃないもんね…小林旭は日活なんだから。個人的な梅宮辰夫の最初の記憶となると、大量にあるんだが…やっぱりフジの『くいしん坊万才!』のリポーターが最も古い記憶かもしれない。優しい人柄が、地方の漁師町や農村の方の触れ合いに垣間見えていた覚えがある。だから、後に往年の邦画を見るようになったときに、上記の『仁義なき戦い』の眉毛のない顔を見て驚いたのヨ(笑)。そういや『仁義』を撮っていたとき、帰宅すると娘のアンナが必ず怖がって泣いたそうな…そりゃそうだろう(笑)。アンナが羽賀研二と付き合っていた時期のワイドショーでの怒りぶりも覚えてるが…やはり、数々のダウンタウンの番組におけるイジられ具合を忘れることはできない(苦笑)。大晦日の日テレ『笑ってはいけない』シリーズのゲスト出演、そして元日の朝日放送『格付けチェック』における、数多くの珍発言に珍行動に選択ミス(笑)。盟友・松方弘樹と最後の共演になった2016年の正月が、確か最後の出演だったと思う。このときも、確か松方弘樹が(親友だからこそだが)辰兄ぃのことをケチョンケチョンに貶し(笑)、新春早々テレビの前で大爆笑したものだ。釣り番組に料理番組にクイズ番組…当たり前のようにテレビに出ていた人がいなくなるなんて、本当に信じられない。----------------------------------------------------------------そして、つい先ほど知ったのだが、初期の『紅白歌合戦』に何度も出場されたジャズ・シンガーの旗照夫さんが、8日に敗血症で亡くなられていたという。享年86。『ハッシャ・バイ』『あいつ』などのヒット曲で知られるが、あの『おかあさんといっしょ』の放送開始当初のレギュラーだったことは、あんまり知られていないのかもしれない。昭和38年大晦日、第14回紅白の『史上最大の作戦マーチ』は歌唱映像が残っているが、大量の東京混声合唱団を従えて、軽く指揮をしながら歌う姿は、実にカッコよかった。フランク永井とはまた違う魅力のある声で、水谷良重(今の二代目八重子)とか朝丘雪路、ペギー葉山なんかとともに、戦後のジャズ・コンブームを支えたお一人。そういや、7年くらい前の『歌謡祭』に出たのを生で見たな。そのとき、ペギー葉山会長(当時)に「お照!!」と呼ばれて舞台に登場したのを覚えている。「そういうアダ名なんだ…」と驚いたのと同時に、その呼びかけのひと言だけで、戦後の進駐軍のキャンプ回りの空気みたいなものが感じられたのが、すんごく嬉しかったっけ。代表曲『あいつ』、ウチの父親のカラオケの十八番で(笑)小さいころから知っている歌だった。ただ、一体何人の人が出てくる歌なのか、歌詞が複雑でよく分かんなかったのネ。♫「ゆうべあいつに聞いたけど あれから君はひとりきり悪かったのは僕だけど 君のためだとあきらめた」…「あいつ」「君」「僕」…では「あいつ」は誰でしょう?みたいな感じになるじゃない(笑)。こういう読解問題が出る入社試験とか聞いたことあるよ、マスコミ関係で!!それにしても惜しい。どの程度の間、闘病されていたかは分からないけど、もうちょっと歌ってほしかった。だって『歌謡祭』のときも、声の衰えが殆どなかったんだから。--------------------------------------------------------------戦後の熱く激しい日本を、映画界と歌謡界で支えてきた2人が、近い年齢で同じ時期に旅立たれてしまった。梅宮辰夫さん・旗照夫さんのご冥福をお祈りいたします。長い間、本当にお疲れさまでした。
2019年12月13日
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4回に渡り中公新書『古関裕而』を宣伝すべく、久々にガンガン昭和歌謡のブログを書きまくったが…冷静に考えたら、自分の宣伝のほうが重要だった…(笑)。今年の年末で、吉例イベント『年忘れ市馬落語集』が終わると聞いて…「これで、やっと『落語会&歌謡ショー』の主導権がこっちにやって来た!」と物凄く浮かれてたら…年末じゃなく9月に移るだけなんだとさ(苦笑)。あちらは規模的にゃ豪華かもしれませんがネ、内容の楽しさ・充実ぶりは、圧倒的にこちらが上(笑)!ただね、こちらは全員…歌が上手くないだけよ(爆笑)!たくさんのご来場、心よりお待ち申し上げます!「歌で綴る昭和&平成の時代・第20回記念大会」開催日…2020年(令和2年)1月9日(木) 会場…お江戸日本橋亭http://www.ntgp.co.jp/engei/nihonbasi/index.html開場…18時 開演…18時30分 終演…20時45分頃(予定) 料金…(予約)2,500円 (当日)2,800円 出演…林家たけ平、桂夏丸、神田真紅、桂しん乃 (歌謡ショー司会&構成)林田雄一 第1部…「落語・講談競演」 第2部…「なつかしの歌声・新春大行進」 予約先(メール)sinkmogumogu@gmail.com (電話《留守電》)090-7222-8704 下記のメールアドレスでもご予約・お問い合わせを承ります。 4890mffs@jcom.zaq.ne.jp 0ps388121401v2y@ezweb.ne.jp----------------------------------------------------------------そして、個人的にゃ、こちらに必ずお出でいただきたい!!!!落語ファン垂涎の、かゆいところに手が届く(?)超豪華な落語会が2月2日(日)にございます!!「出囃子と物真似で綴る戦後落語黄金時代」開催日…令和2年(2020年)2月2日(日) 開場…18時 開演…18時30分 終演…20時50分(予定) 会場…お江戸日本橋亭http://www.ntgp.co.jp/engei/nihonbasi/index.html料金…(予約)3,000円 (当日)3,500円出演…橘ノ圓満、林家たけ平、春風亭三朝、桂夏丸、 (お囃子)松尾あさ (第2部司会)林田雄一第1部…落語共演第2部…出囃子と物真似で綴る戦後落語黄金時代予約・お問い合わせ先 4890mffs@jcom.zaq.ne.jp 0ps388121401v2y@ezweb.ne.jp 090-4183-2028(土曜18時以降のみ)一昨年の夏に、浅草ことぶ季亭で開催した「出囃子の会」の第2弾!今回は落語のみならず噺家&藝人の珠玉の物真似を魅せてくださる橘ノ圓満師匠をメーンでお迎えして、昭和~ 平成を彩った数多の名人・上手の物真似を、松尾あささんの生のお囃子とともにお楽しみいただく、超豪華落語会!先日、圓満師に夜飯をご馳走になった際、師匠がボソッと「…物真似を練習しなきゃ」とおっしゃってネ(笑)。『かわら版』本社に伺った際、岸川さんと夏丸師匠と私の前で、チョッと演った先代文治師匠の声色。…至近距離で聴いていたにも関わらず「あっ!文治師匠だ!」と思わず呟いてしまうほどの珠玉の芸。落語好きなら、これを必ず聴かなきゃイカン!と私は心底思っております!主催者兼司会者の私が言うんだから、ホント~~~~~に間違いござんせん(笑)!!!!たくさんのご来場、心よりお待ちしております!
2019年12月09日
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昭和歌謡にハマった小学4年から今日まで、テレビの歌番組やSP盤で聴いてきた古関メロディーの筆頭となると、個人的に伊藤久男『イヨマンテの夜』(昭和25年)、そして織井茂子『君の名は』(昭和28年)の2曲になるような気がする。2曲とも、小さいころは、さほど好きな歌じゃなかったけど、年を重ねて聴き続けていくうち、凄さに気づくようになった歌と言えるだろうか。---------------------------------------------------------------『イヨマンテの夜』の初聴き(?)は、私が昭和歌謡にハマるキッカケになった平成元年のNHK「昭和の歌ベスト200」で、昭和50年12月放送の『ビッグショー』の映像だった。目が大きくて恰幅の良い伊藤久男の…その風貌が凄く怖かった(笑)のを覚えている。そうだ!そのとき母親に「この人は生きてる?」と聞いたら「もう死んだ」と言われたんだ(笑)。それで、この歌は歌謡曲じゃなく歌曲だと思い、チャーさんを歌謡曲の歌手じゃなくて、クラシックの歌手だと思ったのね…藤原義江とか奥田良三のような。その1年後、テレ東『日本歌手協会・歌謡祭』で、昭和46年の大晦日の歌舞伎座の大舞台を見て「この歌は、普通の歌謡曲で伊藤久男という人は普通の歌手なんだ」と思ったのを、よ~く覚えている。平成2年の10月だから…小6のときか。あれから何度となく聴いてきた『イヨマンテの夜』。そもそも熊祭は昼間にやる(苦笑)とか、篝火焚かないとか、間違いもあるらしいのだが…。ちょっとでも声に自信がある人とかは必ず「♫アア~~ホイヤァァ~~~!!!!」って、やったことがあるだろうと思う(笑)。そして、SP盤のゆったりしたアレンジより、アップテンポでエネルギッシュなテレ東アレンジでないと歌えなくなったのが「”なつかしの歌声病”患者」の特徴でもある(苦笑)。特に昭和45年大晦日のテンポの速さは酷い…いや凄い(笑)!そのとき指揮をしていた、今は亡き水谷良一先生に「なんでこんなにテンポ速いんですか?」と、直接聞いたことがある。中野坂上の「艶歌」で、そのVTR見ながら。そしたら「…時間がなかったんだろうね」だってさ(苦笑)。--------------------------------------------------------------NHKラジオドラマから松竹映画になり、空前の大当たりを取ったメロドラマ『君の名は』の、一連の主題歌も見事。世間的にゃ織井さんの『君の名は』『黒百合の歌』の2曲がいちばん有名なのは当然だろうが…。私は、これまたチャーさんの『君いとしき人よ』(昭和28年)そして『数寄屋橋エレジー』(昭和29年)を推したい。やはり女性の歌を歌うよりゃ、男性の歌のほうがカラオケで歌いやすいから…ってぇのもあるが、前回書いた藤山先生の『長崎の鐘』と同様、歌ってて気持ちいいのネ、2曲とも。『イヨマンテの夜』も当然だけど…。…とは言っても、やはり織井さんの『君の名は』はスゴイよ。あの大衆歌謡でありながら、歌曲に引けを取らない格調高さと俗っぽさの共存!このバランス感覚が見事だぁね!菊田先生の作詞家としてのド天才ぶりが、遺憾なく発揮されてもいるし。メロディーもそうだけど、イントロの美しさね。司会者としてつい「忘却とは忘れ去ることなり…」と、パブロフの犬状態で口をついて出てしまうもの、名フレーズが(苦笑)。んでもって、このバランス感覚の素晴らしさは『君の名は』の主題歌に共通してあるのね。この歌はつまんない…とかは当然あるのだが、一定の水準は保たれているんだ、これが!----------------------------------------------------------------あとは箇条書きっぽくなってしまうが、岡本敦郎先生の一連の「乗り物シリーズ」。『あこがれの郵便馬車』(昭和26年)と『高原列車は行く』(昭和29年)が二大巨頭という感じか。個人的には『高原列車』のほうが好み。おはまさんの『雨のオランダ坂』(昭和22年)。松竹映画の『地獄の顔』主題歌で、コロムビア2曲・テイチク2曲という変則的な形で主題歌が出て、その4曲全部が大ヒット!テイチクはミネ御大の『夜霧のブルース』『長崎エレジー』、コロムビアが伊藤久男『夜更けの街』と、この歌ね。竹岡信幸ラインと少し違うエキゾチックな歌で、好きなのヨ。二葉あき子先生の『フランチェスカの鐘』(昭和23年)。広島で被爆され、友人知人をたくさん亡くされた二葉先生は、この歌を生涯「鎮魂歌」として歌い続けたことは、以前にもここで書いたかと思う。当初のレコードは高杉妙子の台詞があったが、この歌はセリフ要らんな…と個人的にゃ思う。異色なとこで、コロムビアに1年だけ在籍していた小畑実に『おぼろ駕籠』(昭和25年)という日本調を書いている。ただ、どんな曲だったか…これ書きながらSP盤を探したが無くて、メロディーも歌詞も全く思い出せない(苦笑)!!じゃあ書くな!という話なんだが…。今度SP盤探すかネ。--------------------------------------------------------------…というわけで、4回にわたって書いた古関先生の大特集。これで、ちったぁ刑部さんの本の売り上げに貢献できりゃあいいのだが…とにかく疲れた!ホントに疲れた!ホントはNHK番組のテーマソングも書きたかったのだが…手が腱鞘炎になりそうだから、歌謡曲限定で終わることにしよう。ご笑覧ありがとうござんした!
2019年12月08日
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古関先生の(歌謡曲に関してのみの)作曲生活を振り返ってみてみると、質・量ともに”最強にアブラが乗っていた”のは、昭和21年~30年の間ではないかと思う。特に戦前~戦中には、どういうわけか全くヒットがなかった藤山一郎先生とのタッグで生まれた珠玉のヒット曲の数々は、今も尚、色褪せることなく光り輝いている。-------------------------------------------------------------まず『三日月娘』(昭和21年)だろう。この歌が古関&藤山の初ヒットになる。有名なエピソードだが、南方から引き上げてきた藤山先生が帰国直後、NHKから「これ歌ってくれよ」と譜面と歌詞を渡されたとき、2番の「恋は一目で火花を散らし」という詞を見て「こんなの歌っていいの?」と聞いたら「…戦争は終わったの!頭ァ切り替えなきゃダメ!」と言われたそうな。中近東ムードが漂うエキゾチックなメロディーが私は好きで、カラオケで歌うことが多い。歌詞の適度な艶っぽさもイイネ。そして『夢淡き東京』『愛の星』『白鳥の歌』『バラ咲く小径』という、昭和22年の東宝映画『音楽五人男』の主題歌4曲!どれもこれも、珠玉の名曲ぞろいと言い切っていいだろう。『夢淡き東京』と『白鳥の歌』は、古関先生「生涯の代表曲」に必ず入る傑作。『夢淡き東京』は(私の周りの)懐メロファンで嫌いだという人に会ったことがない(笑)!噺家で言えば、談志家元・市馬会長・志らく師匠・たけ平師匠も全員好きだもの(笑)。『白鳥の歌』は、自己PRの殆どない古関先生が「自分の作った歌の中でいちばん好き」と言い切った歌。あまりに格調高いゆえ、カラオケで歌うと引かれることがあるのだが(苦笑)若山牧水の短歌三首を見事に歌謡化した大傑作ね、これは。ただ!私は『バラ咲く小径』を推したい!ハバネラ・タンゴのこの歌はメチャクチャ難しいのだが、藤山先生の美声を最も良く引き出している、珠玉の1曲ではないかと思っている。音楽評論家の森一也先生が、藤山先生のCD11枚組の大全集で(平成2年発売の)大絶賛していて、私も初めて聴いたときに唸ったのを覚えている。その後に出た『若人の歌』(昭和22年)も好いね。曲を聴きゃ解ると思うが「ザ・藤山!」という青春歌謡(笑)。ただ少し地味な感じは否めない(苦笑)。だから流行らなかったのかも。『イヨマンテの夜』みたいな始まり方をする『幻の笛』というスゴイ歌もある。昭和23年3月発売。----------------------------------------------------------------このあと、NHKラジオ歌謡『みどりの歌』(昭和23年)が出て(これは中ヒットくらいだろうか?)昭和24年になるとトドメの大ヒット『長崎の鐘』が出るわけ。平和への祈りを込めた傑作であり、長崎が主題の歌謡曲の中で最高峰に位置する歌であることに異論はないだろう。『長崎の鐘』の凄いとこは、原爆で奥様を失い、自身もまた原爆症を発症した永井隆博士のことを歌っている…つまり、悲しみのどん底に叩き落とされた日本人を歌っているのに…悲しみの表現が「7割止まり」なのね。不謹慎かつ妙な例えだが…現在、もし日本で戦争が起きて、多くの被害が出て、戦争が終わったとする。そんとき、もしも何らかの歌を作るとなったら単にダラダラ長くて、平和への祈りが込められていたとしても、全体的に鬱々とした歌を「アーティスト」は作りそうな気がする…。つまり「悲しみの表現120%」ってぇこと。その点『長崎の鐘』は、原爆という非人道的な兵器で酷い目に遭わされているのに、その怒り・悲しみの表現が7割くらいで抑えられていて、あとの3割程が「明るい未来」を向いている(向く)ように作られている、と聴いてて勝手に思うのだ。その「3割」ってのは、長調に転調する最後の2行のとこね。だから、悲しい歌なのに「歌っててスカッとする」歌なのヨ。このブログでよく使うフレーズだけど「程がいい」のね。これが古関先生のスゴイとこだと思っちゃう、心底。--------------------------------------------------------------…とまあ、これだけ熱く『長崎の鐘』のことを書いたのだが、私は『ニコライの鐘』(昭和26年)のほうが好きで(爆笑)。戦争への怒り・悲しみがない分、普通の格調高い歌謡曲としてホントに大好きな歌なのよ、これ。どういうわけか、テレビ東京『なつかしの歌声』では1回も歌われることはなかった。ライバル番組の、よみうりテレビ『帰ってきた歌謡曲』では何度も歌われているのだが…。そして、忘れちゃいけない「雨シリーズ」!!第1弾は『東京の雨』(昭和26年2月)で、これは小ヒット。続く6月に出た『長崎の雨』がヒットした。この歌は以前にここで書いたのだが、立川談志師匠に初めて会ったときに一緒に歌った歌として個人的にも思い出深い、好きな1曲。第3弾の『みどりの雨』(昭和28年)は、談志ファンならご存知だろうが、家元が藤山先生の中でいちばん好きだった歌として有名。勿論、私も大好きで、よく歌っている。家元の前で、私が藤山先生の歌真似を『みどりの雨』で演り、人前で演っていい許可貰ったのも、懐かしい思い出…(涙)。あと年代が前後するが、上記の『ニコライの鐘』のB面の『明るい歌声』もいい。長調→短調→長調という転調をする歌で…『夢淡き東京』の真逆だネ(苦笑)。難しい歌だが、この歌もカッコよくて好い。ワーッ!急に思い出した!!『東京ノスタルジア』を忘れちゃいかんわね!昭和27年の東宝映画『息子の花嫁』の主題歌で、4月新譜だったはず。この歌もテンポよくて、いいのよ。「三越ホームソング」として、西条・古関のコンビが作った『美しき高原』(昭和28年)も素晴らしい。『美しき』は「うるわしき」と読むので、お間違えないよう。この歌、イントロから出だしが何となく『丘は花ざかり』に似ている気がするが(笑)途中から見事に古関調になる。--------------------------------------------------------------…藤山一郎先生の歌を取り上げただけで終わっちゃった!やっぱり1回で終わらなかった(苦笑)!ほかの歌手のヒット曲も書かなきゃ、刑部先生だけじゃなく、いろんな方面から張り倒される(苦笑)!というわけで、次回が完結編に…なりゃいいんだけど…。
2019年12月07日
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古関裕而先生2発目の大ヒット曲は、支那事変が勃発して1か月後の昭和12年8月に臨時発売された、お馴染の大傑作『露営の歌』。当時のコロムビア看板男性歌手の伊藤久男・松平晃・霧島昇・中野忠晴・佐々木章の5人が歌った。この曲を最初に聴いたのは、それこそドリフのコントとか漫才とかの中で、替え歌とかネタにして使われたときじゃなかったかと記憶している。オリジナルをいちばん最初に聴いたのは、中学のときの『ラジオ深夜便』だったはずだ。軍歌&戦時歌謡アレルギーのNHKが、よく流したもんだと今になって思うが(嘲笑)古関先生の作曲人生を語るとき、どうしても避けて通れない歌だったのだろう。刑部先生は、後の霧島昇&三鷹淳のステレオ録音盤を聴いて感動したと書いていたが、この歌だけは私ゃSP盤で好きになったクチ。ステレオ盤は、途中「挽歌」みたいなスローのアレンジ(悲壮感5割増!)になるとこが嫌で(苦笑)。だからやっぱSP盤か、テレ東『なつかしの歌声』テークを買うわネ、私は(笑)。まあ何であれ、私の大好きな歌であることに変わりはない。--------------------------------------------------------------古関先生の戦時歌謡、当然のことながら他の追随を許さない傑作・名作のオンパレード!その数がホント~に大量なので、ちょっと箇条書きみたいになるかと思うが、ご理解の程を。誰もが知る傑作で、テレビ東京の夏&大晦日に何度となく聴かれた曲といえば伊藤久男『暁に祈る』(昭和15年)と霧島昇・波平暁男『若鷲の歌』(昭和18年)。両曲とも勇壮で豪快、その中に強い悲しみと寂しさがある名作だろう。何ィ今さら言いやがんでぇ!というレベルの話なんだけどサ(苦笑)。『暁に祈る』『若鷲の歌』は、ともに昭和48年12月9日の『なつかしの歌声』のテークが素晴らしかった!あと『暁に祈る』だと、昭和44年12月の国際劇場の舞台と大晦日の歌舞伎座がベストか。チャーさんの、センターマイクからの距離の離れ具合が凄く、いかに物凄い声量の持ち主だったが伺える!『海の進軍』(昭和16年)も好いネ。何せカップリングが『そうだその意気』なんだから、スゴイ盤だ。オリジナル盤は、藤山・伊藤・二葉の3人で歌っているが、刑部先生の本にも書いてあるとおりで、昭和45年大晦日の歌舞伎座では、藤山・伊藤・霧島の3人が歌っている。この3人が、舞台中央大ゼリで上がってくるんだから凄い!珍しく、霧島御大の衣装が地味なのも珍しい…か??渋いナンバーだと、支那事変当時の歌に戻るが…昭和14年に発売された、松平晃『歌と兵隊』が好い。第1弾の『麦と兵隊』は、東海林先生の同名の大ヒット曲にコテンパンにやられてしまい、第2弾のこの歌も、ヒットはしなかった。この辺りから、松平晃人気に陰りが見えてきたからだろうか。あとおはまさんの『愛国の花』(昭和13年)。死んだ母方の祖母が「女学生のころによく歌った」と言っていたが…。この優雅で格調高いメロディーは、私ゃ趣味じゃない(苦笑)。大東亜戦争開戦時の「ニュース歌謡」もスゴイ。藤山先生の『英国東洋艦隊潰滅』が最も有名で、後に『断じて勝つぞ』というタイトルで歌詞を変えて藤山先生の歌で発売されたが、ヒットには至らなかった。…これは、やっぱりオリジナルの歌詞が良いように思う。「プリンス・オブ・ウェールズ」を3音に収め、それを見事に歌い上げる藤山一郎先生の歌唱がただただ素晴らしいと思ってしまう。戦争末期になってくると内容的にもキツイ、悲壮感だらけの歌が多くなってくるが、そんな中、レコード会社の枠を超え大ヒットしたのが、灰田勝彦『ラバウル海軍航空隊』!昭和19年発売だが、勇壮な中に軽快さと明るさが感じられるメロディーラインが素晴らしい!『雷撃隊出動の歌』『台湾沖の凱歌』『フィリピン沖の決戦』などなど、戦争末期の歌にも素晴らしいのがあるが…内容的にちょっと(上記の通り)辛いものが多くなる。だからここでは割愛させていただく。詳細に書いていくと…いくら書いても終わらないんだもの(苦笑)。というわけで、次回は戦後編!1回で終わるかいな…??
2019年12月06日
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早い話が、刑部先生ヨイショ企画(笑)。私は芯が通っているようで、結構他人に流されやすいとこがあって…。例えばテレビで、春日八郎の顔や声が出てきたら、しばらく春日八郎の歌ばっかり聴いてしまうというような…凝り性という言い方もできるかもしれないけど…そんな癖がある。刑部さんの『古関裕而』を読んで…既に3周目に入ったが、久々にSP盤を棚から出し、古関裕而メロディーばっかしを最近は聴いている。ホントに影響されやすいな、私ゃ(笑)。--------------------------------------------------------------てなわけで、私が好きな古関メロディーを勝手に選ぶ企画。こういう中身がスッカスカな、セコな文章のブログでも、多少は刑部さんの本の売り上げに繋がればいいかと…。そして、刑部さんが将来金持ちになったらば、私ゃタカって生きていこうっと(最低!)。刑部先生、私のやる落語会に全然来てくれないから、これでウィンウィンだぁね(笑)。まあ、冗談はさて置き古関メロディー。冒頭からこんなこと書くのも何なんだが…。古関先生最初の大ヒット曲である、音丸『船頭可愛いや』(昭和10年)に代表されるような民謡調流行歌ってのが、私は比較的苦手で(苦笑)。本にも記述があるとおり、古関メロディー初のヒット曲は、昭和9年の松平晃『利根の舟唄』。この歌は後年、テレ東『なつかしの歌声』では、伊藤久男が歌い継いでいた。*この写真は『利根の舟唄』を歌っているとこではなく、『暁に祈る』の写真(笑)。ただし、この日は1コーラスだけだが『利根の舟唄』も歌っている。ただ!私はB面のミス・コロムビア『河原すゝき』を推す。この歌は非常に完成度が高くて、私ゃ好きだ。そうしたら!古関先生も『河原すゝき』のほうを気に入っていたんだと!これには感動したし、正直驚いた。そして『利根の舟唄』の前に、もう1曲好きな歌がある。それが、昭和8年8月発売の赤坂小梅姐さん『月は宵から』。この歌は昭和歌謡をあまり知らない人・知識がまだ薄い人が聴いたら、たぶん古関裕而作曲だと思わないだろう。どの程度、流行した歌かは分からないが、上記のテレビ東京『なつかしの歌声』で2度歌われている。スイング調とでも言うのだろうか。非常に軽い曲調で、その中にほんの少しだけ哀愁が漂う佳曲だと思う。刑部先生の大好きな松平晃いこう。『利根の舟唄』だとか『沖のかもめ』(『船頭可愛いや』B面)のような民謡風のノンビリ調も味があるが、やはりアップテンポの曲のほうを私も刑部先生も好む節がある。そんな中で珠玉の出来なのは、昭和10年12月に発売された『吹雪峠』だろう。この歌、実は私ゃ刑部先生に推められて初めて聴いて「イイネ!」と思った歌なのヨ。https://www.youtube.com/watch?v=zhylzdtKNiA本文中にも書いてあったが、私もこういう「馬車もの」というか、乗り物系というか…早い話、アップテンポの4分の4に物凄く弱い(苦笑)。それもマイナー。簡単に説明すると『旅の夜風』『愛染草紙』『純情二重奏』『誰か故郷を想わざる』『熱砂の誓い』『相呼ぶ歌』系統。古賀政男&万城目正に多いパターンだろうか。…こうなってくると、古関先生も乗り物も関係ねぇな(笑)。古関先生は戦時歌謡でも、あまりこのリズムでの曲はなく、そういう点でも『吹雪峠』は推したいヤネ。昭和11年『ミス仙台』というご当地ソングとして発表され、歌詞を普遍的なものに替え、翌昭和12年にヒットしたのが、二葉あき子先生の出世作『乙女十九』。この歌も好い。次回は戦中編。ここから古関裕而先生の快進撃が始まるが…すんごく文章が長くなりそう…トホホ(苦笑)。
2019年12月03日
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