『ラ・フィネス』『ミチノ・ル・トゥールビヨン』勉強会議事録 48
ジェームズオオクボ的視点で選んだ心に残るあの店のあの料理(名物料理百選) 21
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【宝探しの術】 初回来店のお客様を多く掴むには日常生活で喫食頻度が高い前述しました「売れちゃう商品」や価格の低いフロント商品を看板にうたい来店きっかけにすると効果があります。 しかし、何度も来店しているうちにマンネリ化し、長期的にみると客離れを起こします。その時にお客様に新鮮な話題を提供できればお客様のマンネリは解消します。 お客様の初回来店時はとても視界が狭い(見えるものが限られている)のですが、来店のたびに店の細かいことがわかるようになり、探しものを始めます。探し物がないとなると新しい店に旅立ってしまうのです。 これをお客の“卒業”と言いますが、そのために気づかれないメニューを仕込むのです。このやりとりを“宝探しの術”と言います。 金沢にある「広坂ハイボール」というバーで加賀野菜である五郎島金時の時期に、五郎島金時使ったカクテルを開発して、「五郎島金時のカクテル」とそっとメニューにしのばせてみました。すると、常連客は次々と発見して、このメニューを注文しました。微妙だというお客、ハマルお客いろいろいますが、少なくとも言えるのは、新しい発見を与え、お客に刺激を与え、来店が楽しみなるということです。常連客は常連客としての居場所を求めているのです。その居場所を作るメニューが常連しかわからないメニューなのです。 宝を探すようにメニューの中からの発掘作業させるので、私は「宝探しの術」と言っています。
2011.05.07
【裏メニュー】 裏メニューとはメニューに書いていないメニューを差し、市場が成熟期に入り、新規客の取り込みが難しくなった日常利用においてなくてはならない要素です。 繰り返し来店していると店のことがよくわかり、お客様は店との付き合い方にパターンができます。人にはそれぞれ、趣味や志向、そして、考え方があり、ある程度柔軟に対応できないと利用シーンを限定します。多くのお客様は店にあわせてくれるのですが、このごく少数のファン層の顧客に対応することが、店の評判を高めます。ご要望は利用頻度の高いファン層の限られた顧客に生まれるからです。 多くのお客様が必要としないことからメニュー上の表記は必要なく、メニューに載っていないメニューをお客様のご要望に応じて品揃えしておくのです。インアンドアウトバーガー アメリカのインアンドアウトバーガーは典型的な店です。 インアンドアウトバーガーのメニューボードには三つしかメニューは書いてありません。ハンバーガー、チーズバーガー、ダブルバーガーです。 そして、その他のご要望を裏メニューとして対応するのです。 例えば、ミートが3枚、チーズが3枚の3×3(スリー・バイ・スリー)同じくミートが4枚、チーズが4枚の4×4(フォー・バイ・フォー)です。このように相性をつけて、常連さんへの秘密の暗号を作ってあるのです。
2011.05.06
健康になりたい人への30の教えということで荒氏より寄稿いただいたのご紹介。一回目は「疲れたら休みなさい」です。 「あなたの魂はイキイキしていますか?」そう聞かれて即座に「YES!」と答えられない人は、健康に黄色信号が点いているといったら脅し文句に聞こえるでしょうか? しかし、健康溌剌な人の魂は、イキイキしています。魂という言葉がピンと来なければ、精神でも構いません。心でも良いし、気持ちでも良いです。つまり、イキイキした心持ちで、イキイキとした精神でいるかどうかということです。 これが健康の基本です。そして、イキイキした人は、普通、毎日が充実しています。楽しいです。嬉しいことがよくあります。また当然のように、気持ちだけではなく、体もイキイキしています。そのためには、心も体も、キュウキュウしていたのではイキイキできません。だから、健康な人は、疲れを溜めません。いつも、体が万全な状態を保つように心がけているものです。だから、健康なのです。 そこで一番大切なことの一つは、「睡眠を十分にとること」です。睡眠は、単なる休息ではありません。睡眠は、心身のメンテナンスをするために体に備わっているリカバリーのメカニズムです。心も体も、メンテナンスがしっかりされないと、ボロボロになっていきます。早く老います。病気にかかる可能性も高くなります。 自然界に目を向けると、睡眠を削る動物はいません。そして、疲れを翌日に持ち越す動物もいません。それが命取りになることがわかっているからです。 考えてみれば当たり前のことなのですが、忘れられがちです。 また、メンテナンスには、エネルギーの補充が必要です。そのために私たちは、食事をとります。しかし、食事だけでは足りません。体に栄養が必要なように、心にも栄養が必要です。食事にも心の栄養になる要素はありますが、食事以外にもあり得ます。それは、「嬉しい!」「楽しい!」「気持ち良い!」(大久保氏の言葉で言えば「感動」)と感じられる体験や経験です。こういうものに接する機会が多い人は、自然とイキイキします。 でも、こういうものから遠ざかっている人は、自然とイキイキしなくなります。不安を抱えて寝るのと、充実感や安心感を抱えて寝るのとでは、睡眠の質が違うことは明らかですからね。これも、当たり前のことなのですが、忘れられがちです。 十分な睡眠をとるように心がけ、休みに日には、感動を求めて出かけて見ましょう。もちろん、感動はどこにでも見つけることができますから、遠出することやお金をかけることだけが能ではありません。身近なところを観察してみることも良いでしょう。そういう毎日を送っている人が、イキイキしていきます。それが健康の有様です。つまり、健康はイキイキした結果、自然に身に付くものなのです。 「健康になりたい」と思えば、この忘れがちなことに、改めて目を向けましょう。
2011.05.04
1950年代、米国農務省が食品の消費状況を調査した結果、「栄養所要量」(RDA)を満たしていないことが分かり食生活の指針を作成した。4グループに分けられた食品からなる。グループは「牛乳」、「肉のグループ、魚、豆、ナッツ、2サービング以上(6オンス以上)」、「野菜と果物」、「パン・シリアル(全粒粉、栄養強化されたもの)」の4つである。1968年7月、低所得層の飢えが社会問題になり、「栄養と所要量に関する上院特別委員会」 (Select Committee on Nutrition and Human Needs) の議長にジョージ・マクガバンが任命される。これはマクガバン委員会とも呼ばれる。1969年、マクガバン委員会は病気と食生活に関する調査を開始し「食品、栄養と健康についてのホワイトハウス会議」(White House Conference on Food, Nutrition and Health)を開く。1970年代 アメリカ心臓協会は、脂質を(全カロリーの)35%以下、飽和脂肪酸を10%以下に、コレステロールを300mg以下にすることを推奨した。1977年2月、マクガバン委員会はこの年までに何度も公聴会を開き、そのまとめを「米国の食事目標[16]」(Dietary Goals for the United States)として報告する。これはマクガバン報告、マクガバンレポートとも呼ばれる。報告にはハーバード大学公衆衛生大学院の栄養学の教授であるマーク・ヘグステッドも関わっている。(ヘグステッドは全国栄養協会(National Nutrition Consortium)の会長[17]でもあった)10大死因のうち6つの病気が食生活に大きく関連することがわかり、栄養の問題は栄養不足だけではなくなった。そして、病気にならないための食生活の目標が6つ設定された。1炭水化物の比率を(全カロリーの)55-60%に増やす。 2現在40%の脂質を30%に減らす 3飽和脂肪酸を10%に減らす。多価不飽和脂肪酸、一価不飽和脂肪酸を10%にする。 4コレステロールを1日300mgに減らす。 5砂糖を15%に減らす。 6塩分を3gに減らす。 そのために、全粒穀物、果物、野菜、鶏肉、魚、低脂肪乳を増やし、肉類、バター、卵、脂肪、砂糖、塩分を減らすことも報告した。報告は議論を巻き起こし、畜産業界と砂糖業界は抗議し[18][19]、全国家畜食肉委員会は特別委員会に24人の専門家の意見を送った[20]。研究が十分でないものがあるという意見が多かった。「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」転載
2011.05.04
食生活指針(しょくせいかつししん:Dietary guidelines)とは、どのように食生活を組み立てればいいのかを示した指針である。食生活指針は、栄養士のような専門家でなくても活用できるように策定されている。 1980年ごろから、糖尿病などの生活習慣病や、がんや心臓病などの主要な死因に関係する病気と食生活とのつながりが科学的にはっきりしてきたため、そのような病気を予防することも主な目的である。 非でんぷん多糖類を含む、食物繊維は毎日25g以上で、そのいい摂取源は全粒穀物、野菜、果物となる。食物繊維の摂取は肥満、2型糖尿病、心臓病のリスクを下げると考えられている。遊離糖類は、砂糖などの二糖類、単糖類、はちみつ、シロップ、および果汁を含む。 ファーストフードやジャンクフードや砂糖の多いソフトドリンクは肥満に関連し、脂肪や砂糖の多い加工食品の傾向がある。 ビタミンDとカルシウムが骨粗鬆症のリスクを下げる。1997年に4500以上の研究を研究を元に、「食べもの、栄養とがん予防」 (Food, Nutrition, and the Prevention of Cancer: A Global Perspective) が報告された。日本では、がん予防14か条、タバコの制限を加えてがん予防15か条として紹介された。2007年11月1日、世界がん研究基金とアメリカがん研究協会によって7000以上の研究を根拠に「食べもの、栄養、運動とがん予防[15]」が報告されている。世界がん研究基金によるがん予防の勧告 肥満 ゴール:BMIは21-23の範囲に。推薦:標準体重の維持。 運動 推薦:毎日少なくとも30分の運動。 体重を増やす飲食物 推薦:高エネルギーの食べものや砂糖入り飲料やフルーツジュース、 ファーストフードの摂取を制限する。 飲料として水や茶や無糖コーヒーが推奨される。 植物性食品 ゴール:毎日少なくとも600gの野菜や果物と、 少なくとも25グラムの食物繊維を摂取するための 精白されていない穀物である全粒穀物と豆を食べる。 推奨:毎日400g以上の野菜や果物と、全粒穀物と豆を食べる。 精白された穀物などを制限する。 トランス脂肪酸は心臓病のリスクとなるが、 がんへの関与は知られていない。 動物性食品 赤肉(牛・豚・羊)を制限し、加工肉(ハム、ベーコン、 サラミ、燻製肉、熟成肉、塩蔵肉)は避ける。 赤肉より、鶏肉や魚が推奨される。 ゴール:赤肉は週300g以下に。 推奨:赤肉は週500g以下に。 乳製品は議論があるため推奨していない。 アルコール 男性は1日2杯、女性は1日1杯まで。 保存、調理 ゴール:塩分摂取量を1日に5g以下に。 推奨:塩辛い食べものを避ける。 塩分摂取量を1日に6g以下に。 カビのある穀物や豆を避ける。 サプリメント ゴール:サプリメントなしで栄養が満たせる。 推奨:がん予防のためにサプリメントに頼らない。 母乳哺育 6か月、母乳哺育をする。 これは母親を主に乳がんから、子供を肥満や病気から守る。 がん治療後 がん治療を行ったなら、栄養、体重、運動について 専門家の指導を受ける。 「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」転載
2011.05.04
震災によって被災地の人たちの行動は諸外国に賞賛を受けました。非常事態にもかかわらず被災地における助け合い、譲り合いが、外国の人にはとても素晴らしく見えたのでしょう。 私は「この根底にあるものは何かな?」とずっと考えてきました。 それで、その反対に都会で買占めに走る人たちのことも考えてみました。そして、この行動は、「東北地方、北関東が村としてのつながりがあるエリアだからじゃないかな」と思うようになったのです。 そもそも東京は地方出身者がとても多く、その人たちは仕事など都会に何かを求めてやってきた人達です。逆に地方に残った人たち。このもともとのマインドの違いは大きいように思うのです。 確かに都会に出てきて物理的には豊かになりましたが、人間として幸せはどうだったのか?もしかしたら、満たされなかったのではないでしょうか? その心の乾きに、売り手がバブル崩壊から2005年までにとった、消費者至上主義がはまったように思います。 そして、多くの都会の消費者は暴走し、自分の枠をめいっぱい使うようになりました。 連絡もなくドタキャンする忘年会予約客、ありえないクレームなどなど・・都会の状況はなるべくしてなったのではないでしょうか! それが、昨今、地方にも見られるようになっていました。しかし、根は毒されていなかった! そして、都会の生活者も原子力発電所の問題や計画停電などをみて、今までの生活がおかしな何かの上にのって成り立っていた便利さだと気づきました。 国が言う安全もいい加減で、行程表が出た原子力発電所の行く末がどうなるか専門家すらわからないということもわかりました。 「原子力発電所の推進もマスメディアも役所の天下りのためにあったのか」「東電の電気料金が高いのは天下りの経済産業省の報酬やマスコミの甘い汁ものっかていたのか?」そう気づかされました。 そして、今まで、このような事実を知る由もなかったんですが、ツィッターやネットなど情報の大衆化で誰でも知ることが可能になってしまった。不都合なことも隠蔽できなくなってしまったのです。 戦後から続いた人口増加による消費が右肩あがりで上がる恩恵(人口ボーナス)は終わり、既得権も崩壊しようとしているのです。この状況で、多くの国民は「国はたよりにできない」ということを痛感したでしょう。「自分のことは自分で守る」という原点が見えてきたのです。 そして、信頼のおける仲間の大切さを多くの人が痛感したでしょう。今までの、希薄な関係の職場や希薄な関係の売り手と買い手という枠組みは確実に終わろうとしていることを痛感したはずです。 この続きはプレミアムメルマガにて
2011.05.01
【看板商品】 看板商品とは店の看板やチラシなどに表記して、新規客となる見込み客やや久々の見込み客を取り込む商品です。不特定多数の人がやってくる繁華街や通信販売においてはこの看板商品は来店のきっかけになります。
2011.04.24
【広告商品】 広告商品は看板商品とだぶる場合がありますが、お客様を獲得するためのチラシやCMなどの広告での目玉商品(割引商品)です。割引率は高いほうがいいのですが、最低ライン30%引きは必要です。 一般的に広告商品は規模の大きい会社が大々的に行うと効果があります。基本的に店を良く知っていて、商品などの価値観がわかっていないと効果が薄いわけです。
2011.04.23
【フロント商品、バックエンド商品】 見込み客が初回購買をするときの入り口になるきっかけとなるように考えられたアイテムをフロント商品といいます。 フロント商品は、お客様をひっぱるために行いますので、お客様をあまり絞り込まない商品がよいです。 代表的なのが餃子の王将の餃子で、王将が本当に売りたいのは麺類や定食や居酒屋需要の唐揚げやビールです。しかし、それられを個別的に訴求しても初回来店のお客様にとってはどんな店かがわかりづらいです。そのために、利用動機と連動性のある餃子というサイドメニューを顔となる商品として、本来の店の目的に誘導するのです。餃子は多くの人が好きな大衆的なアイテムで見込み客を絞り込みませんので、フロント商品としては優れたアイテムだと言えます。 ブランドショップでは、多くの人が手を出しやすい小物を扱い、誰にでも利用しやすい雰囲気を作っています。そして、この低めの価格帯の小物を買っていただくことで、次回来店につなげ、最終的な高額商品に誘導します。たとえば、グッチに入って、「いいな」思ったカバンがあったとしましょう。でも、値札を見たら予想外に高かったとしましょう。もし、このお客がこの商品はおろか、何も買わずに帰った場合、あの店は高いということで足は遠のき、二度と来店しないかもしれません。しかし、店に似たようなデザインの財布があり、それはちょっと高めだけれど手の届く価格なら、試しに購入するということもあるでしょう。もし、このお客がその財布を使い、気に入り、その価値に慣れたとすると、次回はカバンを買うことになるかもしれません。新規客を無尽蔵に取り込めない時代、今すぐ売りたい商品が売れる「今すぐ客」だけでなく、これから本当のお客になってくれる「将来の見込み客」をしっかり、捉まえておかなければ息の長い商売はできないのです。ブランドショップが小物を置く理由がここにあります。 さて、このように、本来の目的でないかもしれませんが、将来の見込み客の入り口になるような商品を置いておくことはとても大切です。人口減少で新規客が減る時代、店に慣れてもらう、価値に慣れてもらう、店とお客様の信頼関係を構築することが非常に重要なのです。そうずれは本当に売りたい商品に将来、誘導できるからです。 “フロント商品”に対して、本当に売りたい商品を“バックエンド商品”といいます。 高級レストランや高級料亭が百貨店に惣菜売場を設けますが、これは、将来店で食事をしてくれる将来の見込み客に向けて種を巻いています。したがって、店作りとしては、単に商品を売るのではなく、雰囲気を一緒に売ることが大切です。惣菜を買ったお客のうちの何パーセントが、店まで出向いて食事をしていただけるよう、フロント商品として機能しないといけないのです。 ただ、注意しないといけないのはフロント商品を本来の目的の商品にしてはいけないということです。そうしないと将来の伸びしろが無くなります。
2011.04.22
売れちゃう商品 あなたが仕事を忘れて、いきつけの居酒屋に行ったとしましょう。その時に注文するメニューは、「鶏の唐揚げ」とか「玉子焼き」とか「お茶漬け」のような決まった商品ではありませんか?実は、何気ない日常使いでは、無意識のうちに頼んでしまうアイテムがあるのです。 無意識に注文するということがミソで、これを、「売れちゃう商品」と私は言っています。 例えば、ファミリーレストランに入り、メニューを広げるとどこのチェーンでも似たようなメニューが目立ちます。ABC分析というマネージメント手法をみんなが繰り返し実施したときにおこる現象ですが、売れちゃう商品が自然に売れてしまうことが原因であります。メニューチームのスタッフはこの部分を「よくないこと」と考え、なんとか特徴ある商品へ誘導しようとします。かつての私もそうでした。しかし、これはいいことなのでしょうか? 1990年後半までの外食産業が右肩上がりにあがっていた時代だったら、良かったでしょう。しかし、外食の大衆化が完全に終了し、成長局面が終了した今日、このやりかたがどうもおかしいという結論に私はいたりました。私は、二、三年前くらいから、この特徴のあるメニューへ誘導することがお客様を減らす原因ではないかと仮説を立てました。そして、10年くらいのスパンで安定した経営をしている店の多くがこの何気ない商品に特徴があるということを発見しました。
2011.04.19
メニュー改訂は、利用客層と単品の販売状況を考慮に入れてリニューアルを行いますが、その時に活用されるのがABC分析です。ABC分析は、商品アイテムの売上構成比を計算して、売上貢献度が高いアイテムをAランク(売れ筋)、低いものCランク(死に筋)と分類し、メニューの改廃に役立てるという考え方です。Aランク商品とは売上構成比累積が70~80%までのアイテム、Bランク商品とは80~90%までのアイテム、Cランク商品とは90~100%までのすべてのアイテムを指します。理屈の上では、Cランクの商品をやめればオペレーションや食材のロスが減り、利益が上昇するという考えかたです。
2011.04.18
恒例の用語解説。「スポンサー降りるぞ」は、マスコミに圧力をかけるときに広報から伝える言葉。大口の広告主だからできる行動。これにより、不都合な報道はなされなくなり、利権は確保できる。多くのタレントやキャスターは不本意ながらも黙り込む。もちろん干されないためである。まれに、勝間和代氏のようにそのことがあまりにもおかしいことに気づくと反省文を出すこともある。しかし、これはマスコミ出演を諦めるようなものであり、生き方の変更を意味する。最近、政府が公表する情報を信用してくれないというようなことが言われる。このような広告が収入源のマスコミという媒体から伝達していることも大きいと私は思う。若者の多くは新聞を取らなくなり、ネットやツイッターで情報を得る人が多い。そして、テレビの情報はあてにならないのかもと思われる・・いずれにせよ言えるのは、情報の大衆化や人口減少による経済破綻により、戦後から築かれた既得権は崩壊しようとしている。今まさにパラダイムシフトのとき。これからの時代は【送料無料】善の循環経営
2011.04.17
前回の続き【フロント商品、バックエンド商品】 見込み客が初回購買をするときの入り口になるきっかけとなるように考えられたアイテムをフロント商品といいます。 フロント商品は、お客様をひっぱるために行いますので、お客様をあまり絞り込まない商品がよいです。 代表的なのが餃子の王将の餃子で、王将が本当に売りたいのは麺類や定食や居酒屋需要の唐揚げやビールです。しかし、それられを個別的に訴求しても初回来店のお客様にとってはどんな店かがわかりづらいです。そのために、利用動機と連動性のある餃子というサイドメニューを顔となる商品として、本来の店の目的に誘導するのです。餃子は多くの人が好きな大衆的なアイテムで見込み客を絞り込みませんので、フロント商品としては優れたアイテムだと言えます。 ブランドショップでは、多くの人が手を出しやすい小物を扱い、誰にでも利用しやすい雰囲気を作っています。そして、この低めの価格帯の小物を買っていただくことで、次回来店につなげ、最終的な高額商品に誘導します。 たとえば、グッチに入って、「いいな」思ったカバンがあったとしましょう。でも、値札を見たら予想外に高かったとしましょう。もし、このお客がこの商品はおろか、何も買わずに帰った場合、あの店は高いということで足は遠のき、二度と来店しないかもしれません。 しかし、店に似たようなデザインの財布があり、それはちょっと高めだけれど手の届く価格なら、試しに購入するということもあるでしょう。もし、このお客がその財布を使い、気に入り、その価値に慣れたとすると、次回はカバンを買うことになるかもしれません。 新規客を無尽蔵に取り込めない時代、今すぐ売りたい商品が売れる「今すぐ客」だけでなく、これから本当のお客になってくれる「将来の見込み客」をしっかり、捉まえておかなければ息の長い商売はできないのです。ブランドショップが小物を置く理由がここにあります。 さて、このように、本来の目的でないかもしれませんが、将来の見込み客の入り口になるような商品を置いておくことはとても大切です。人口減少で新規客が減る時代、店に慣れてもらう、価値に慣れてもらう、店とお客様の信頼関係を構築することが非常に重要なのです。そうずれは本当に売りたい商品に将来、誘導できるからです。“フロント商品”に対して、本当に売りたい商品を“バックエンド商品”といいます。 高級レストランや高級料亭が百貨店に惣菜売場を設けますが、これは、将来店で食事をしてくれる将来の見込み客に向けて種を巻いています。したがって、店作りとしては、単に商品を売るのではなく、雰囲気を一緒に売ることが大切です。惣菜を買ったお客のうちの何パーセントが、店まで出向いて食事をしていただけるよう、フロント商品として機能しないといけないのです。 ただ、注意しないといけないのはフロント商品を本来の目的の商品にしてはいけないということです。そうしないと将来の伸びしろが無くなります。
2011.04.16
【売れちゃうメニュー】 あなたが仕事を忘れて、いきつけの居酒屋に行ったとしましょう。その時に注文するメニューは、「鶏の唐揚げ」とか「玉子焼き」とか「お茶漬け」のような決まった商品ではありませんか?実は、何気ない日常使いでは、無意識のうちに頼んでしまうアイテムがあるのです。無意識に注文するということがミソで、これを、「売れちゃう商品」と私は言っています。 例えば、ファミリーレストランに入り、メニューを広げるとどこのチェーンでも似たようなメニューが目立ちます。ABC分析というマネージメント手法をみんなが繰り返し実施したときにおこる現象ですが、売れちゃう商品が自然に売れてしまうことが原因であります。 メニューチームのスタッフはこの部分を「よくないこと」と考え、なんとか特徴ある商品へ誘導しようとします。かつての私もそうでした。 しかし、これはいいことなのでしょうか? 1990年後半までの外食産業が右肩上がりにあがっていた時代だったら、良かったでしょう。しかし、外食の大衆化が完全に終了し、成長局面が終了した今日、このやりかたがどうもおかしいという結論に私はいたりました。 私は、二、三年前くらいから、この特徴のあるメニューへ誘導することがお客様を減らす原因ではないかと仮説を立てました。そして、10年くらいのスパンで安定した経営をしている店の多くがこの何気ない商品に特徴があるということを発見しました。 お客様の利用動機がさりげない日常的な利用で、頻繁に利用する店である場合、お客様はあまりメニューブックを意識せず見て、おもいつきで注文します。その結果、自ずと売れ筋は決まってしまうのです。 逆に言うと、日常使いの店を目指す場合、なんでもないふつうに売れる商品が必要なのです。「売れちゃう商品」があることで、意識はされませんが安心感を与えています。 たとえば、お気に入りの創作ダイニングのような個性ある店の場合、だんだん足が遠のくことが多いですよね。最初は面白い発見があるからその店に行くのですが、だんだん面白さも感じなくなり、嫌いじゃないんだけど、何となく足が遠のいてしまう――これは、メニュー自体に「売れちゃう商品」がないので、日常使いする安心感がないのです。次回に続く
2011.04.14
著書「善の循環経営」より前回の続き そんな植松さんのお客様との関係づくりにおいて、“無・礼・謝・感”という指針があります。 “礼”とはは、お客が満足すればお礼を言って帰る様を表します。“無”とは黙って帰るお客のことです。この無の態度には「二度と来ない」という意思表示があります。「上から読み”無礼”となる店は、0点以下だ」と植松さんは言います。“謝”は「レジでお客様に謝ってもらう」という意味です。「ありがとう」というのはお金をいただくサービス業では当たり前、普通のことです。 だから、サービス業たるもの「ありがとう」で終わるようではいけません。店あまりの時代、「今日はごめんね。こんなに忙しいのに無理に席を取ってもらって・・」「今日はごめんね。コップを落としたけど、従業員がおしぼりを五本くれて助かった」こんな具合に、「ごめんね・・」から始まる言葉をお客様からいただけないようでは、お客様が増えないと植松さんは言います。 逆に、「ごめんね」から始まる言葉を言ってもらえるところまで到達すれば、お客様と長い関係を築けられるのだそうです。それは、常連客に引き込む入り口です。そうなれば、感謝される店となり、お客様がお客様を連れてきたり、お土産を持ってきてくれたりする店になるのです。しかし、そうなるためには常にお客様を思いやる心が必要です。次回に続く
2011.04.14
著書「善の循環経営」より前回の続き 地ウィスキーを扱い始めると、お客の反応が良くなりました。さらに、料理も工夫しました。例えば、出し巻き玉子です。和風でなく洋風のホワイトソースを添えて提供したら喜ばれました。ほうれん草のサラダも受けました。生のほうれん草にポテトチップスがのった斬新なサラダです。ポテトチップをのせたのは当時ベーコンが高く、その代替品でした。 また、韓国料理が一般的ではなかった当時、韓国の友人からキムチ鍋を教わり提供し始めました。これも人気になりました。これらのメニューは今の居酒屋では普通ですが、植松さんの店では30年も前に発信していたのです。まさに、創作居酒屋の走りです。 ある日、お客様からこのようなアドバイスをいただきました。「そのメニューをコピーして、周辺の会社に営業してみたら」 売上げを上げるいいアイデアだと思いましたが、職人意識の植松さんにとって、営業活動は慣れないことで、いざ会社に訪問しても挨拶できずメニューのコピーを置いてくるだけで精一杯だったそうです。 しかし、配った中から、あるお客が来店し、そこからは口コミでお客が来店するようになりました。 植松さんは「お客様を営業マンになってくれると、お金がかからなくてありがたい」と言います。植松さんは、自分が好まない客層を排除するために、自分の好きな商品を取り入れ、お客様のアドバイスから、自分の店をどんどん宣伝してくれる人たちがやってくるようになりました。ここに、善の心が循環していることを感じます。次回に続く
2011.04.13
桜のさは神様を意味する。神様の鞍だから、さくら。神様の食事(け)ということで、さけ(酒)神様との境にあるものさかき(榊)
2011.04.13
日本国憲法第22条1何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。2何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。 日本国憲法第22条では居住、移転、職業選択の自由を保障している。自由の背景には必ず自己責任が伴う。選択する限りリスクは必ず伴う。無作為も選択だ。知らなかったことも自由だ。私は常々言ってきたが、経営のリスク管理の本質はこの憲法第22条にあるように思う。そして、このリスク管理をすれば、人間としての義を守れる。不義理も少なくてすむのだ。
2011.04.12
不測の事態はとても大切 順調な時というのは気づきませんが、不測の事態が起こると何が大切かを気づかせてくれます。信頼していた関係も、不測の事態によって分断されます。 でも良いんです。だからこそ、あるべき方向に進むことができるんですから。
2011.04.11
著書「善の循環経営」より JR博多駅から徒歩で15分程、人通りが少ない通りのビルの一角に「地球屋本店」という居酒屋があります。店の看板は分かりづらく、詳しい説明がなければなかなか行き着くことが難しい、まさに隠れ家的な店です。 その店を切り盛りする大将が植松伸吉さんです。 1949年生まれの植松さんは和食の調理職人を経験後、1975年に義理の両親が営む「王将」という店を引き継ぎました。 しかし、3年間は全く売上げが上がらない状態が続きました。この店は現在と異なる場所で営業していましたが、全く売上が上がらない理由を考えると、客層にあることがわかりました。本来自分が好きになれない客層だったのです。一時は店を閉めることも考えましたが、「自分が好きなことをしよう」と考え方を切り変えました。 好きなことをすると、自ずと工夫をするようになります。 植松さんは、植松さんが好まない客層が来る原因となっていた、当時の居酒屋にとって定番だったカラオケと焼き鳥メニューを止めました。しかし、主力商品を止めたことにより、売るものがなくなってしまい、植松さんは困りました。それから、植松さんは替わりになるものを一生懸命探しました。そして、行き着いた商品が、全国の地ウィスキーでした。次回に続く【送料無料】善の循環経営
2011.04.11
著書「善の循環経営」より前回の続き 山根さんは「スタッフを仲間だ」といいます。そしてスタッフは「まりちゃん」「ふにゃおか」「ジゲン」のように愛称で呼び合います。 そんないっとくに10年ほど前、岡野賢吾さんが仲間に加わりました。岡野さんは今、会社のナンバー2となっています。 岡野さんは山根さんと地元の高校で同級生でした。学校を出てから洋食の料理人をしていましたが、「オレ、料理人辞めようと思う」と山根さんに相談を持ち掛けたそうです。「それならうちでやらんか」ということになり岡野さんはいっとくグループに加わりました。岡野さんは、持ち前の洋食の技術が、いっとくで思い通りにできることからブラッシュアップされ、そのことがいっとくにとっては転換点になります。いっとくグループには、福山市松永町に「あかぼし」という店がありますが、同店で“ママ”という愛称の宮澤智子さんは、同店の近くで飲食店を経営していました。しかし、宮澤さん店を閉店することになり、山根さんに「雇ってよ」と相談を持ち掛けました。そして、いっとくグループの仲間に加わりました。 2000年2月にオープンのあかぼし10周年を迎えましたが、宮澤さんが加わったことにより、料理が繊細になりました。それによってあかぼしの魅力は増しました。宮澤さんの料理は丁寧で、商品が引き締まっている感じがします。私はままかりの土佐酢をいただきましたが、高級料理店のような内容でした。 「よっさん」と呼ばれるナンバースリーの小林善治さんも、いきいきしています 小林さんは元気というより、こつこつと行うタイプです。いっとくグループが市民菜園で野菜を作りはじめたとき、最初はみんなが盛り上がりました。しかし、野菜作りは地味な仕事です。コツコツやっていかないといけません。熱しやすく醒めやすい若ものの集団ででは続きません。 小林さんは野菜作り熱の醒めた仲間が来なくなった市民菜園にひとり通い続けました。休みの日も、雨の日も通いました。そして、野菜の収穫にこぎつけたのです。「小林さんがいなかったら収穫できなかった」と山根さんは振り返ります。 山根さんを支える店長たちの多くは、もともとプライベートでの知り合いです。山根さんは「これだけ数ある人の中で知り合ったのは偶然じゃない」と言います 縁というのは、ときとして悪い縁もあります。むしろ関わらないほうがいい場合もあります。 良い縁とは、その人同士が好きなこと、得意なことでつながることです。こういう縁は、さらに同好の良い縁を呼び寄せます。これらがお互いを活かし合い、補い合い、組織とし、チームとしてのパワーを増幅させます。もちろん、お客様もその中に自然に溶け込むことができます。 「何かいいな」と店とのつながりを感じさせます。山根さんが大切する縁の結びつきは、まさに善の循環経営です。 いっとくグループのスタッフは平均年齢28歳と若く、店内には元気がみなぎっています。しかし、どの店に行ってもカウンターで一人呑みをしている50代くらいのお客様がたくさんいます。女性の一人客の姿も結構見かけます。このような光景にも、縁の結びつきを感じます。【送料無料】善の循環経営
2011.04.09
著書「善の循環経営」より前回の続き 自宅で古着屋をやって、それを繁盛店にしてしまうわけですから山根さんは良いセンスの持ち主です。自分のセンスがいいという自負があると、すべて自分で仕切りたくなるものです。 しかし、スタッフの力を生かすのも山根さんの得意技です。それによって、自分のセンスの領域を広げています。いっとくグループの中に、女性から絶大な人気を得ている「やまねこカフェ」があります。尾道の商工会議所の正面にあり、海沿いの観光スポットにある店で、ランチはゆっくり食事をしたい人、夜はお酒を楽しみながら食事をしたい人に支持されていて、尾道の人には欠かせない店です。この店を開業するきっかけは、居酒屋で働いていた女性スタッフがきっかけでした。ある日、居酒屋で戦力になっていた女性スタッフが「辞めたい」と言い出しました。山根さんが理由を聞くと、「カフェで働きたいんです」といいます。驚いた山根氏は「カフェってどんな店だ」と聞きました。その女性スタッフは、ともかくどうしてもカフェで働きたいという。その思いに押されて山根さんはカフェを開店することを決断しました。 そして山根さんは、その女性スタッフとカフェの研究を重ねました。物件も一緒に探し求め、花屋の跡地をうまく使って、素人とは思えない完璧なコーディネートを施したカフェをつくりました。それが今日、尾道の人にとって欠かせないカフェとして定着しています。 山根さんは、いつもスタッフにこのように言っています。「自分の得意なことを伸ばしていけばいいんじゃないの。国語算数理科社会体育・・ぜ~んぶできんやろ。必殺技を持てばいいじゃん」 だから、いっとくグループにはやりたいことがある人の分だけ商売が必要になります。 人口が増加した時代は、需要が多い仕事に人を割り当ててきました。人口が減少する時代は、そのような発想を続けていると仕事がなくなります。ですから、やりたいことの数だけ仕事があるという発想が必要です。次回に続く【送料無料】善の循環経営
2011.04.08
最近、宇井先生とコンサル、学校で一緒にしごとをすることが多いです。印象に残った言葉を書いてみます。 よく、コンサルティングをしていると「やりましたが効果がありませんでした」という返答がかえってくることがあります。 やってみることは大切ですが、やり遂げることはもっと大切です。多くの人はちょっとやってあきらめてしまいます。 ちょっとやってうまくいくのは天才。そこであきらめてしてまう人は「自分は仕事ができる」と思い込んでいるのです。そしてできない理由を考え批評家になる。これが多くの人が陥るパターン。 やり遂げるために大切なことは、「自分は無能だ。だからできるまでやりかたを変えてチャレンジしないといけない」と思うこと。 コンサルタントに言われたことを一発で理解してうまく行く人はよっぽどの人。それを忘れはいけないのです。
2011.04.07
諸行無常(しょぎょうむじょう)とは、仏教用語で、この世の現実存在はすべて、すがたも本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。この場合、諸行とは一切のつくられたもの、有為法をいう。三法印、四法印のひとつ。涅槃経に「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅爲樂」とあり、これを諸行無常偈と呼ぶ。釈迦が前世における雪山童子であった時、この中の後半偈を聞く為に身を羅刹に捨てしなり。これより雪山偈とも言われる。「諸行は無常であってこれは生滅の法であり、生滅の法は苦である。」この半偈は流転門。「この生と滅とを滅しおわって、生なく滅なきを寂滅とす。寂滅は即ち涅槃、是れ楽なり。」「為楽」というのは、涅槃楽を受けるというのではない。有為の苦に対して寂滅を楽といっているだけである。後半偈は還滅門。生滅の法は苦であるとされているが、生滅するから苦なのではない。生滅する存在であるにもかかわらず、それを常住なものであると観るから苦が生じるのである。この点を忘れてはならないとするのが仏教の基本的立場である。 引用「ウィキペディア (Wikipedia): フリー百科事典」私は今回の東北関東大震災の後のビジネスの影響を見ながら、この諸行無常という言葉の意味を考えている。雑誌でも引っ張りだこの経営者の飲食店が30%引きを強いられている。
2011.04.06
震災にあわれたかたに心よりお見舞い申し上げます。皆様が一日も早く普段の生活に戻れるように心よりお祈り申し上げます。また福島原子力発電所の一日も早い解決を祈ります。大久保一彦は「多くのかたに元気を与えたい」という気持ちからブログを発行し続けています。前回の続き ニューカマーにアピールするために重要なことは、文字で説得するのではなく、メディアのコーディネートによって見た目の印象を変え、「好きだな」と「いいな」ということを感じさせることが重要です。 それはなぜかというと、市場が成熟すると店や商品選びは、その人の趣味趣向や好き嫌いで峻別されるようになるからです。 売上げが悪いと、普通「なんとしても見込み客に伝えたい」と思い、文字を使ってアピールしようとします。この心を抑えることが店舗商売では大切なのです。通販のような商圏がない商売でしたら、売れるための仕組みが重要ですが、飲食店のように店舗を構えると商圏が限られているために、再来店してもらうことが重要になるのです。これは、人口減少の時代に絶対条件になります。 再来店につなげるポイントは、初来店時に抱く「いいな」とか「好きだ」といった感情です。そこで、細部の演出やコーディネートが重要となります。細部の演出をしっかりと作り込むためには、その商品と演出することが好きでなければならなりません。 好きでない人が選んだ商品の寄せ集めは、なぜか直ぐにわかります。いかにも作り物でコントのためのセットのようです。 その商品が好きではなくても、その商品がブームの渦中にあれば売れて行きますが、その商品を心から愛している人が演出していなければ、まず入り口に立ってみて「何かいいな」とは思ってもらえません。 いっとくグループの店には、店の前に立つと「何かいいな」という演出があります。通り過ぎても思わず後ずさりして店を見てしまうほどです。 商品が好きな人が店を演出している、というだけではなく、いっとくグループの妥協のないこだわりが大きいです。必要があれば宮大工さんを呼んで教えてもらったり、最もふさわしいと考えるアンティークの材料を探し求めたりします。 そして、中に入って店舗の隅々を見渡すと「なつかしいな」という気持ちは増すばかりです。「古着屋をはじめるくらいですから、古いものが好きなんです」と山根さんは言いますが、好きであるからこそ細部へのこだわりは生半可ではありません。古いものが好きだからこそ、尾道にたくさんある空き古民家への引越しを手伝うボランティアに参加しています。損得発想でなく、まず「好き」で取り組んでいるからこそ長続きするのです。それが善の心の経営です。次回に続く【送料無料】善の循環経営より
2011.04.04
震災にあわれたかたに心よりお見舞い申し上げます。皆様が一日も早く普段の生活に戻れるように心よりお祈り申し上げます。また福島原子力発電所の一日も早い解決を祈ります。大久保一彦は「多くのかたに元気を与えたい」という気持ちからブログを発行し続けています。著書「善の循環経営」より前回の続き しかし、商売に行き詰りそうな山根さんを近所の珈琲屋のご主人が勉強会に誘ってくれました。これが、山根さんが人とのかかわりを大切にするきっかけとなりました。 山根さんはこのご主人とのかかわり合う過程で、商売人だった人情の厚かった亡き父を思い出していました。いつしか、珈琲屋のご主人師と仰ぐようになっていました。そして、いっとくは変わり始めました。そのときの思いがいっとくグループの経営理念にこめられています。「人情味の絶えない店創りで、日本をぶち元気にしよう!」次回に続く
2011.04.01
震災にあわれたかたに心よりお見舞い申し上げます。皆様が一日も早く普段の生活に戻れるように心よりお祈り申し上げます。また福島原子力発電所の一日も早い解決を祈ります。大久保一彦は「多くのかたに元気を与えたい」という気持ちからブログを発行し続けています。著書「善の循環経営」より 広島県尾道市の飲食店の経営者、山根浩揮さんの場合もユニークな経歴を持っています。1974年生まれの山根さんは、居酒屋や定食屋、さらにおしゃれなカフェを展開しており、現在年商5億円。広島の業界仲間からは 「いっとくグループ」と呼ばれています。 尾道市は因島市などの周辺の市町村合併をして15万人くらいの人口になりましたが、実際に街を訪ねると、あらためて小さな街であることを実感します。尾道市は島や山の多い地域で構成され、広域からの集客が難しい立地です。従って、商圏が小さく、一度縁があったお客様を確実にリピーターにしていかなければ商売が成立しません。 山根さんの父は山根さんが中学校2年生の時に他界しましたが、飲食店を10店舗経営していました。母は今でも尾道市内では名の知れた飲食店を経営し店に立ち続けています。 山根さんは高校を卒業後、親と同じ道を歩むべく大阪の調理専門学校に進みました。専門学校卒業後、山根さんは母親の経営する会社の和食店の厨房に入りました。若かった山根さんはそこで働く職人の洗礼に合いました。失恋したことも重なり「料理人の仕事は自分に向いていない」と考え、半年で母親の会社を辞め、ニートとなりました。 何もしないニートの生活をしばらくしていましたが、お金が尽きました。何かアルバイトでもしなくてはと思い、自分の好きな古着屋のアルバイトを探しました。そうは言っても、田舎町の尾道で古着屋という店はそう簡単には見つかりません。そこで、自分の実家の2階で古着屋を始めることにしました。 当時の山根さんの出で立ちは、金髪でダボダボのジーンズに腰にはジャラジャラ。商店街をスケボーで駆け抜ける山根さんの姿は、尾道ではとても型破りの人間だと周囲の人は受け止めていたようです。 そんな山根さんですが、古着ブームが追い風となって、同店の噂を聞いた人が次々と来店し、着実に商売は大きくなっていきました。 実家で家賃がない環境なので、増えた売上げを仕入れに充て、かなりの商売ができるようになっていました。 しかし、ある日、祖父母から「なんとかならんか」と言われるようになりました。それもそのはず、自宅に見ず知らずの若者が出入りするようになって、節操のない雰囲気になっていたのです。 1997年、今のいっとくの店で古着屋を始めることになり、店舗を構えました。借りた店舗の2階が空いていたので、母が飲食店をやることを勧めました。母が強く薦めるので山根さんは飲食店をすることにしました。山根さんは、最初「バーでもやろうかな」と考えていましたが、母から「和食は飽きが来ない。 だから和食をしなさい」としきりに言います。いろいろ考えたあげく、「鉄板焼きなら自分でもできそうだ」と思い鉄板焼きの飲食店を開業しました。これがいっとくの始まりです。 しかし、当時の山根さんは「自由に生きたい」とか「儲けたい」とか自分のことしか考えていませんでした。そんな心の状況でお客様に喜んでもらえるはずもなく「ランチの売上げが坊主(売上が0円)」(山根さん談)を繰り返していました。悪いことはかなるものです。そんな低空飛行をしているときに、期待していた調理のスタッフに辞められてしまいます。次回に続く
2011.03.31
震災にあわれたかたに心よりお見舞い申し上げます。皆様が一日も早く普段の生活に戻れるように心よりお祈り申し上げます。また福島原子力発電所の一日も早い解決を祈ります。大久保一彦は「多くのかたに元気を与えたい」という気持ちからブログを発行し続けています。著書「善の循環経営」より前回の続き 振り返ると、1990年代までの日本は、人口増加に支えられた成長の時代、どこの企業も売上至上主義をとってきました。ニューカマーに合わせることが重要だと考えていた時代ですから、お客様至上主義が重要だと考えられていました。極端な場合、お客様の奴隷となり、従業員が幸せとは言えないケースも多く発生しました。 しかし、人口減少が始まった今日、実態のない拡大という幻想を夢見て、人口が増加していた時代と同じ経営手法を取っていると、長くは続かないことを理解すべきです。 人口減少のこれからは、今までの経営者や労働者という枠組みを撤廃し、関わりあった者同士が助け合い、お互いにとって正しいことを行う時代なのです。 会社の中や取引先との関係は、思いやりや愛情のある家族のような感覚です。これが善の心による経営なのです。 サービス業という仕事は、自分が幸せでなければ、周りの人を幸せにできません。従業員が幸せでなければ、お客様を幸せにできないのです。だからこそ、単に経済的な利害の合致した“仕事仲間”という割り切った関係ではなく、家族のような関係が求められるのです。それが強いつながりを作って行きます。 小野さんは、自分が病気で不在の間にスタッフの奮闘ぶりを見て、自分の役割を見つめ直しました。そして、病に伏す前の業績不振が自分の傲慢さにあったことに気付きました。それによって、こう考えるようになりました。「スタッフ自らが、充実した人生を送りたいと考えているならば、お客様に感動してもらいと考えるはずだし、そういう感情を共有できる仲間を欲するようになるはずだ」こういう考え方がベースとなって、小野さんは従業員第一主義を取るようになったのです。 「舞鶴の街を元気にするぞ」小野さんとスタッフは一丸となり、新しいステップを歩みだしました。【送料無料】善の循環経営
2011.03.30
震災にあわれたかたに心よりお見舞い申し上げます。皆様が一日も早く普段の生活に戻れるように心よりお祈り申し上げます。また福島原子力発電所の一日も早い解決を祈ります。大久保一彦は「多くのかたに元気を与えたい」という気持ちからブログを発行し続けています。著書「善の循環経営」より前回の続き 小野さんは、一度、お客様満足は二の次にして、従業員がわくわくして飲食業のすばらしさを感じてもらうかを考えるようにしました。そのために従業員とのコミュニケーションを一日の60%の時間を従業員との面談にするようにしました。多くのスタッフには理想と現実のギャップがあり、面談に時間を費やすことによって、そのギャップを埋めようとしたのです。 小野さんはせっかく人に喜ばれることを仕事とする飲食業を通じて、成長して生きていくことの素晴らしさを実感することができるのだから、まずその素晴らしさを感じてもらおうと考えました。小野さんは、お客様に喜ばれることをするのが飲食業ではなく、飲食業という仕事をする過程で、結果としてお客様に喜ばれるということが真のあるべき姿だと気付いていました。病から回復した小野さんは、従業員第一主義に取り組み始めました。次回に続く
2011.03.29
震災にあわれたかたに心よりお見舞い申し上げます。皆様が一日も早く普段の生活に戻れるように心よりお祈り申し上げます。また福島原子力発電所の一日も早い解決を祈ります。大久保一彦は「多くのかたに元気を与えたい」という気持ちからブログを発行し続けています。著書「善の循環経営」より前回の続き そのころ、1号店の売上は250万円まで落ちでいました。しかし、小野さんの口から「売上げ! 売上げ!」という言葉は忘れ去られていました。「売上げといのはお客様がどれだけ喜んだかのバロメーターだ」とか、「売上げは嘘をつかない」とよく言いますが、これは、ある意味真実であり、ある意味嘘でもあります。小野さんが「売上げ! 売上げ!」と言わなくなったのは、毎日いろいろなことを着実に行って、お客様に喜ばれ続けなければ、売上は上がらないことに気付きました。病気を経験してからの小野さんは、このように考えるようになります。「お客様を増やそうと思ったら、店で行っているサービスなどが劣化するようではいけない。店を劣化させないためには蓄積が大事。さらにはお店が進化して常にお客様の一歩先にいないといけない」そのような店の状態をつくるためには、従業員がころころと変わるようではだめだということに気付きました。そのためには従業員が満足して、従業員が辞めない環境を作らないといけないことに小野さんは気付いたのです。 「お客様に喜んでもらう」という心は、いわば善の心の片側の車輪です。これだけと、一輪車のような状態です。多くの会社や店はここで止まってしまいます。次に「関わるスタッフに喜んでもらう」という車輪がくっつけば、会社や店は安定して走り出します。小野グループはまさに、小野さんの病気をきっかけに安定走行が始まり、大きな発展が始まったのです。次回へ続く
2011.03.28
震災にあわれたかたに心よりお見舞い申し上げます。皆様が一日も早く普段の生活に戻れるように心よりお祈り申し上げます。また福島原子力発電所の一日も早い解決を祈ります。大久保一彦は「多くのかたに元気を与えたい」という気持ちからブログを発行し続けています。著書「善の循環経営」より前回の続き 小野さんが入院してから2カ月ほどが経ち、担当医師は小野さんに「家族を呼ぶように」と指示しました。小野さんは「自分はやっぱり癌なんだ」と思い込んでいきます。 そして運命の日、実家のある奈良から両親もかけつけ、家族が揃いました。担当医師が病名を告げました。「重い心臓病です。身体障害者認定を受けるような重病です。」駄目押しをするかのように、担当医師は続けます。「10~15年生きることができる確率は30%くらいです。選択肢はそのまま余生を生きるか、心臓移植という大手術にふみきるかの2つです。仮に心臓移植ができたとしてもうまくいく確率が100%ではありません」 普通なら、絶望の崖っぷち。叫びたくなる気分でしょう。 しかし、小野さんは違っていました。この告知を受けたときに「不思議と嬉しかった」そうです。その理由は、小野さんが、自分は癌だと思い込んでいたことにあります。「癌で死が近い」そう思い込んでいたのです。しかし、担当医師の宣告は予想していたこととは全く違っていました。小野さんは担当医師の宣告を聞いて、「癌じゃないの? 心臓病? ラッキー」と思ったそうです。 この病気をきっかけに、小野さんはいろいろな気付きを得ます。「自分は飲食業界で食のすばらしさを伝える天職についている」ことを心から実感するようになりました。 小野さんは病気をして、善の心が息を吹き返したのです。そして小野さんは、さらに人生の大きな転機を迎えました。2004年の夏、小野グループは新たな一歩を歩み始めたのです。次回に続く【送料無料】善の循環経営
2011.03.28
震災にあわれたかたに心よりお見舞い申し上げます。皆様が一日も早く普段の生活に戻れるように心よりお祈り申し上げます。また福島原子力発電所の一日も早い解決を祈ります。大久保一彦は「多くのかたに元気を与えたい」という気持ちからブログを発行し続けています。著書「善の循環経営」より前回の続き 「いつ死んでも後悔のないいい人生にしろ!」これが、小野さんの口癖でした。 当時のONOグループは「風邪をひくのは禁止」にしていました。その理由は、風邪をひくのはプロの自覚がないからだということです。小野さん自身風邪をひいてもこっそり病院に行き、注射を打って治していたそうです。 しかし、最初は風邪だと思っていたのが、1カ月以上経っても回復することはなく、なんとなく調子の悪さが増していく事態になりました。 「これはおかしい」と病院に行くと、レントゲンを撮った後、お医者さんから「心臓肥大のために即刻入院」と告げられました。小野さんは集中治療室に入りましたが、店長を毎日、集中治療室に呼び出しては「売上げを挙げろ!」と檄を飛ばしていました。 そんな威勢のいい日々が続きましたが、1週間経っても、2週間経っても退院できそうな気配がありません。「疲労が原因です」と担当医師は言っていたのですが、何かが起こっていることを小野さんは感じていました。「もしかしたら癌なのか・・」次回に続く
2011.03.28
震災にあわれたかたに心よりお見舞い申し上げます。皆様が一日も早く普段の生活に戻れるように心よりお祈り申し上げます。また福島原子力発電所の一日も早い解決を祈ります。大久保一彦は「多くのかたに元気を与えたい」という気持ちからブログを発行し続けています。著書「善の循環経営」より前回の続き 小野さんは、売上が下がり続ける1号店の売上不振の理由を従業員に押しつけ、「俺がいないと何もできないのか」と従業員を叱責するようになりました。 従業員を責め、罵倒する日々。こんなことの繰り返しで、小野さんとスタッフの心の溝は深まっていきました。そして、2号店ができて1年足らずのうちにスタッフの90%のスタッフが辞めるという事態に陥っていました。 しかし、小野さんは辞めていく従業員は弱い人間で、「やる気や根性がない」とすら思っていました。お客様に喜んでいただくことを一生懸命時間を掛けて取り組んで、1号店の売上げを飛躍的に伸ばしたころの小野さんではありません。このころの小野さんは「金と権力を手にしてメジャーになること」が唯一の拠り所でした。善の心と悪の心は表裏一体でありますが、このころの小野さんは悪の心に支配されはじめていました。小野さんに面と向かって意見を言えないスタッフの中には置手紙をして辞めていく人もいました。 そんな小野さんは憧れの河原成美さんを目指し、ラーメン店を開業することを考えました。「折角ラーメン店をやるなら、繁盛店で勉強をしよう」と考え、福島の人気ラーメン店「とら食堂」でオーナーの手ほどきを受け、2004年1月に3号店となるラーメン店をオープンしました。ラーメンファンにとってはとても有名なとら食堂で勉強したということで、小野さんの店は話題となり、たちまち大繁盛となりました。小野さんは寝る時間もないくらい、多忙な日々が続きました。小野さんは野望に向かって、寝る間も惜しんで頑張っていました。次回に続く
2011.03.27
震災にあわれたかたに心よりお見舞い申し上げます。皆様が一日も早く普段の生活に戻れるように心よりお祈り申し上げます。また福島原子力発電所の一日も早い解決を祈ります。大久保一彦は「多くのかたに元気を与えたい」という気持ちからブログを発行し続けています。著書「善の循環経営」より前回の続き 1号店が成功すると、多くの経営者が複数店舗の経営に乗り出しますが、多くの人は挫折します。その理由は、オーナーは1人しかいないからです。同じ時間に営業していると1つの店舗しか目が行き届きません。それによって、お客様が離れていくのです。それを防止するには、自分以上によくやってくれる経営者の執行代行者が必要となるのですが、そういう人は簡単に見つかったり、育つわけではありません。一見すると順調に思える小野さんでしたが、実は2号店が繁盛するのを尻目に、1号店の売上は月商500万円まで急降下していました。 しかし、小野さんはその事実をそれほど重大なこととは思っていませんでした。次回に続く
2011.03.26
震災にあわれたかたに心よりお見舞い申し上げます。皆様が一日も早く普段の生活に戻れるように心よりお祈り申し上げます。また福島原子力発電所の一日も早い解決を祈ります。大久保一彦は「多くのかたに元気を与えたい」という気持ちからブログを発行し続けています。著書「善の循環経営」より前回の続き 「顧客カルテを単に売上げを挙げるための手段と考えていたら、お客様から評判を得るようになるのは難しかったでしょう」と小野さんは振り返ります。 多くの店は売上げのことを考えて、いろいろなことを試みてみます。小野さんが取り組んだ顧客カルテもそうです。 しかし、顧客カルテが機能しはじめるは2~3年以上たってからです。効果が出てくるまでには非常に時間が掛るのです。どのようなことに取り組んでも、売上げにすぐに直結しないわけですから、試みていることが“損か得か”という発想をしがちになります。ここから悪の心が隙間をついていきます。売上がすぐに伸びないと、お客様に喜んでもらうための努力が無駄に感じてきます。お客様からの見返りをもとめるというのは悪の心の代表です。そうなると「顧客カルテは売上げには効果がない」と1年もしないうちに諦めることになるのです。 「お客様に喜んでもらうために手間暇かける」これは信念で取り組むことです。その信念を曲げないことが善の心の始まりです。これが商売の第一関門なんだと思います。ある日、小野さんはお客様に確実に喜んでもらえることをしていることを実感できるようになったそうです。「ああ、これでやっていける」小野さんは涙を流して、これまでの努力を振り返りました。次回に続く
2011.03.26
震災にあわれたかたに心よりお見舞い申し上げます。皆様が一日も早く普段の生活に戻れるように心よりお祈り申し上げます。また福島原子力発電所の一日も早い解決を祈ります。大久保一彦は「多くのかたに元気を与えたい」という気持ちからブログを発行し続けています。 私は10年ほどの夜前に高島平インターチェンジの下でタクシーに激突されました。 実は、追突されていることに気づかず、「(前の車に)ぶつかる~何で自分の車止まらないんだろぅ?」とさえ思いました。 前の車に追突すると、前の車が怒ってこちらに向かってきました。しかし、素通りです。後ろを振り返ると車の後ろ側はありません。 車は全損でした。 しかし、私の怪我は幸いにも軽症で済みました。そのころ、海外の飛行機でトラブルがあったり、911テロにあわずに済んだりといろいろなことがありました。それから、「いつ死んでも悔いのない人生をしよう!」と決意しました。そして、それまでの人生をリセットし、東京に移ることにしました。 「いつ死んでもいいように、今やれることをしよう!」それまでお金を稼ぐために仕事に生きてきた自分でしたが、結婚したり、子供を持ったり、人生で経験したことがないことをやってみようと思うようになったのです。
2011.03.25
震災にあわれたかたに心よりお見舞い申し上げます。皆様が一日も早く普段の生活に戻れるように心よりお祈り申し上げます。また福島原子力発電所の一日も早い解決を祈ります。大久保一彦は「多くのかたに元気を与えたい」という気持ちからブログを発行し続けています。日経レストラン連載“非常識”2005年12月号より Garagara~(沈黙)・・・ 店の扉を開けると、そこには誰もお客さんがいない。「しまった・・・」 店に入った瞬間、あなたはこんな思いをしたことはないだろうか? その反面、お客様が誰もいないのに、何か良い店を選んだような気がした経験はないだろうか? 同じノーゲスト状態にも関わらず、この差はどこから生まれるのだろうか? あなたの店にノーゲストの時間があるとするならば、前者だろうか?それとも後者だろうか?店に漂うよどんだ空気、引き込まれる空気 多くの国内外の繁盛店や不振店に足を運んだこともあり、店が繁盛しているかどうかは、扉を開けた瞬間にどんな空気が漂うかでわかるようになった。 繁盛している店にはオーラがある。このオーラは扉が閉じた状態でも、外まであふれ出ている。 逆に、繁盛していない店には、扉を開けた瞬間に来店を思いとどまらせるほどのいやな、寒々しい空気が漂う。(ヒュ~) でも、この違い、実は原因はいたってシンプルだ。このシンプルな違いこそが、繁盛店とそうでない店を作るのだ。売上=ノルマになるな! 先日オーナーから私の携帯に電話が入った。「今日は売上最悪です!金曜日なのに、二組しか(、、)入ってないんです!」この「二組しか」という言葉を発する深層心理が店の雰囲気を作ってしまう。そして、オーナーはこの事実を自覚していない。 売上が落ちたり、資金繰りが悪くなったりすると誰しも、目先の売上を上げたい。繁盛している店とそうでない店の違いは、ここでどう動くかで決まる。繁盛しない店は、売上=資金繰りあるいはノルマになってしまう。 繁盛している店には活気がある。活気があれば、店の悪いところは目立たない。しかし、繁盛していない店には活気がない。活気がないと、店の悪いところをあぶり出す。店が何を考えて営業しているのか、あぶり出す。従業員が何に焦点をあてているかあぶり出す。 もし、「二組しか」と思っているなら、「二組に感謝していない」ことをあぶり出す。 もし、あなたが、二組しかいないような状況下で「今、二組だからお客様が過去体験したことがないようなサービスをして、絶対に喜んでもらおう!」という気持ちになれば、その心もあぶり出す。そう、心のスイッチを切り替えられれば、あなたの店には無限の可能性が広がる。 どんな、場面でも全力投球する潔さには、すかすかな店の状態にありがたみすら感じる。でも、そうでなかったなら、その居心地はすこぶる悪い。いたたまれない。早く出て行きたい。そして、店にまた静寂が訪れる。 売上=ノルマになってしまうと、お客様がいないことが悪になる。でも、本当にそうなのだろうか? 最近、繁華街を夕方七時過ぎくらい歩いているチラシ配りをしている光景を見かける。確かに、チラシを巻いて、一人でも多くのお客様を入れて売上を上げることであなたの頭はいっぱいなのかも知れない。スーパーの店頭販売やファーストフードのような衝動来店の店なら効果があるだろう。 しかし、あなたの店が問題なのはお客様が減っているということではないだろうか? お客様が減るのは、暇になって繁盛していないので、活気が無くなったからに他ならない。チラシを配るより、活気がある店を作るそれこそが大切なのではないだろうか? チラシで、集客すればするほど、将来のお客様を減らしているようなものなのだ。入った瞬間に凄い店を作れ! お客様が減ったあなたの店で、まずすべきことは、必ずリピートする仕組み作り。飲食店の拡大期は新規客が流出客を補った。しかし、今はそういう時代ではない。「お客様は二度と来ない」この精神こそ重要になった。 「二度と来ない」ことが前提の時代、大切なのは、第一印象だ。また来ようと思うか思わないかは、店に入った瞬間に決まっていると言っても過言ではない!店に入った瞬間、「しまったな・・・」と思ってしまったなら、この状況をいかに早く免れるかに終始してしまい、感動する余裕など無い。 店に入った瞬間、「なんだろう?お客さんがいないのに、不思議なオーラが漂っている」と思ったなら、お客様は店のしかけに引きずり込まれていくのだ。 この不思議なオーラを漂わせるには、入り口への集中が必要になる。 商売は釣りに似ている。せっかく魚が食いついていても、集中していないと餌だけ取られてしまう。店も同じだ、たった、一瞬の心の緩みがお客様をしらけさせてしまうのだ。 入り口へ集中には入り口に目が向くしかけを作ると良い。例えば、店舗入り口や店前の清掃などがそうだ。入り口付近を清掃していれば、お客様への注意力も増すだろう。あるいは、お客様を驚かせようといういたずら心が大切なのかも知れない。 私は、現場にいたときに、入り口の扉で、来店あてゲームを行った。 こんなゲームが従業員をパントリーから救出する。どんなゲームかというと、入り口に立っていて、お客様の足音や人気を感じとり、タイミング良く扉を開け挨拶をするというものだ。最初は、わからないアルバイトが、段々、タイミングがわかるようになるから不思議だ。「なんでわかったの?」という常連さんも多かった。 そして何よりも大切なのは、「なぜ、入った瞬間に全身全霊を傾けるか」、朝礼、中礼、終礼で全スタッフに伝え、マインド浸透しないといけない。そして「繁盛店だったらどうするか?」を考えて繁盛店を演じること! 売上は結果であって、目的ではない。あなたの店が、なぜ、商売を始めたのか原点に立って、お客様を出迎えて欲しい。「他にだれもいないけど、なんか、この店にして良かったね!」という声が聞こえるように。
2011.03.25
震災にあわれたかたに心よりお見舞い申し上げます。皆様が一日も早く普段の生活に戻れるように心よりお祈り申し上げます。また福島原子力発電所の一日も早い解決を祈ります。大久保一彦は「多くのかたに元気を与えたい」という気持ちからブログを発行し続けています。著書「善の循環経営」より前回からの続き 小野さんが、原価をかける経営を続けて行くうちに、見えてきたことがあります。それは、「お客様に喜んでもらえば、結果は後からついてくる」ということです。だからこそ、寝ても醒めても、お客様に喜んでいただくことを一生懸命に考えるようになります。 そのうちに、お客様に喜んでいただくためには、それ相当の準備が必要なことに気付きます。 お客様は、前回の来店と同じことをしても驚きませんから、お客様それぞれに喜んで頂くための準備をするためには、お客様それぞれの情報が重要だということになります。店にとっては、1人のお客様は100人のお客様の中の1人ですが、1人のお客様にとっては何カ月に1度の来店。誕生日であれば1年に1度しかない大切な日です。 お客様が少ない最初のころは予約台帳などにメモ書きをしておく程度でいいのですが、お客様が増え、さらに喜んでもらおうとすると、そのようなやり方では不備が多いことに気付きます。 そして、小野さんは、顧客情報をカルテのようにして蓄積する「顧客カルテ」を導入しました。お客様の志向やいただいたリクエストの内容、どなたのご紹介なのかなど、お客様の情報を個別に書き込んで行きました。そして、その蓄積した情報を元に、お客様に喜んでもらうために何ができるかを考え、考え付くことは何でもやってみました。このきめ細かなお客様の情報収集とそれをベースとした演出のおかげで、特に誕生日の演出は日を追うごとに評判になりました。 「誕生会をやるならDINER’S ONO 」こういうキャッチフレーズが、福岡の20代後半の女性の間で定着するようになりました。次回に続く
2011.03.25
震災にあわれたかたに心よりお見舞い申し上げます。皆様が一日も早く普段の生活に戻れるように心よりお祈り申し上げます。また福島原子力発電所の一日も早い解決を祈ります。大久保一彦は「多くのかたに元気を与えたい」という気持ちからブログを発行し続けています。著書「善の循環経営」より前回の続き ついに預金残高が底をつく日がやってきました。今にも潰れそうな店の中にいて、小野さんはさらに必死になって働きました。 このときの心境をこのように振り返ります。「なぜお客様が来ないのか。それは、自分は何か本質的なことで間違っているのではないか、来ていただいているお客様に感謝の気持ちが足りないのではないかと思いました。そして、来ていただいているお客様に満足いただけるように寝る間も惜しんでお客様に喜んでもらえることは何でもしようと決意しました。」 ともかく、お客様に何をしたら喜ばれるかを考えるようにしました。ミーティングの場で出てきたアイデアの中で、できることを一つ一つ実行して行きました。 あるとき、小野さんの店の売上げが下降傾向にあった状況を見て税理士さんは、「一般的な飲食店は原価(食材の材料費)と人件費は60~65%で、この人件費だと原価は30%くらいが適正で、そうじゃないと潰れますよ」と指摘しました。 ところが小野さんは、「『300円のものを仕入れたら、1000円で売りなさい』という考えは、理屈の上では正しいですが、それは直感で違うと思った」そうです。 「300円で仕入れたものを500円で売れば、お客様に確実に響くはずです。原価をかけていることはお客様は必ずわかってくださいます。そして、必ず喜んでもらえる!」 税理士さんがアドバイスする「損しないための店作り」の道もありましたが、「まず、お客様に喜んでいただくこと」を前提に経営していく道を選んだのです。 預金残高が底をついていたわけですから、経営的には本当に苦しい状態です。しかしながら、その状態の中で、善の心が芽生えたのです。 小野さんの考え方は、すぐにお客様に響きました。お客様の喜ぶ表情から 「お値打ち感」を創造することに、とても敏感になりました。そして、「3500円握りしめてきたら、絶対満足できる店」という、小野さんの店ならではの揺るぎないコンセプトが誕生しました。ここから、小野さんの飛躍が始まりました。次回に続く
2011.03.25
震災にあわれたかたに心よりお見舞い申し上げます。皆様の無事をお祈りするとともに、一日も早く普段の生活に戻れるように心よりお祈り申し上げます。また福島原子力発電所の現場で危険を顧みずがんばっていらっしゃる方々に感謝と敬意を表します。大久保一彦は「多くのかたに元気を与えたい」という気持ちからブログを発行し続けています。 不安に思うとどうも度を過ぎてしまう。だから、人の枠まで使い尽くしてしまう。 確かに、今までの時代の多くの商売は不安をあおり、売る商売が横行した。「老後はどうする?」「これからどうする?」 今、水道水の放射能汚染を前にして不安になりすぎていないだろうか?自分だけ生き延びても、世の中は成立しないのに・・ そして、無事な人も震災の被害をたまたま受けなかっただけだ。命なんていつどうなるかは分からない。 だから、無事生きていることに感謝しようじゃないか!人の枠を使いつくさないことはもちろん、自分の枠を残しておこう!自分がまずできることをやることが、こういう状況を切り抜けるの大切なことなんだから!大久保一彦の心の著書【送料無料】小さな飲食店が成功するための30の教え【送料無料】善の循環経営
2011.03.24
震災にあわれたかたに心よりお見舞い申し上げます。皆様の無事をお祈りするとともに、一日も早く普段の生活に戻れるように心よりお祈り申し上げます。また福島原子力発電所の現場で危険を顧みずがんばっていらっしゃる方々に感謝と敬意を表します。大久保一彦は「多くのかたに元気を与えたい」という気持ちからブログを発行し続けています。前回の続き 「夜の営業が駄目なら」と、ランチの営業もはじめました。日替わりランチやオムライスを700円で売ったりしましたが、売上げは一向に浮上する気配はありませんでした。開店して半年を経過したころ、売上げは月商100万円を切るような状態になりました。「このままでは店がつぶれてもう」預金通帳の残高もどんどん減っていきました。6桁と5桁を往復する日々が続き、小野さんは焦るようになりました。 小野さんは、最初から税理士さんを雇っていました。そして、お金のやりくりについていろいろとアドバイスを受けていました。小野さんは、そのアドバイスに従って、いろいろな経費節減を実践しました。水道、電気量など、想定される無駄遣いを注意して行きました。 無駄遣いに注意を払っているうちに、店の中のあらゆる部分が無駄に見え、いろいろなことに口うるさくケチをつけるようになりました。部下の料理人が賄いに使う食材にもいろいろ注文をつけました。 このような、狭隘な人格に豹変した小野さんを見て、小野さんが独立する前の店からついてきた後輩のスタッフが、次々と店を去っていきました。 この当時のことを、小野さんはこのように振り返ります。「自分は修業先や先輩の店にいたときに人望がありました。でも、それは形だけの人望でした。例えば、賄いで和牛を使ったりしていましたから、部下が喜びついてきました。でも、独立する前は気前のよかった自分も、自分で店を経営するようになると、苦しくなって、自分の都合ばかりをスタッフに押し付けていたわけです。スタッフが去っていくのは当たり前です」次回へ続く大久保一彦の心の著書【送料無料】善の循環経営
2011.03.24
震災にあわれたかたに心よりお見舞い申し上げます。皆様の無事をお祈りするとともに、一日も早く普段の生活に戻れるように心よりお祈り申し上げます。また福島原子力発電所の現場で危険を顧みずがんばっていらっしゃる方々に感謝と敬意を表します。大久保一彦は「多くのかたに元気を与えたい」という気持ちからブログを発行し続けています。前回の続き 舞鶴という場所は福岡を象徴する繁華街・天神のはずれの大きな道路を渡ったところにある地域です。小野さんは、本当は天神に店を借りたかったのですが、予算の関係でこの地域を選びました。 小野さんが出店したころの舞鶴は、天神に比べたら人通りは格段に少なく、飲食店はほとんどないエリアでした。開店した当初は、あまり店のない立地ということや、営業内容の話題性も功を奏してお客様で賑わいました。 開店1カ月が経過した4月くらいには、開店景気がパタリと終わりました。それ以降、売上が急降下してしまいました。下がり始めた売上はどうしても止まりません。小野さんが自信を持って、コンセプトを練りに練り込んで始めた店だけに、小野さんの自信やプライドは日増しに打ちひしがれていきます。 このころ、小野さんの心の隙間に悪の心が忍び寄っていました。次回へ続く大久保一彦の心の本【送料無料】善の循環経営
2011.03.24
震災にあわれたかたに心よりお見舞い申し上げます。皆様の無事をお祈りするとともに、一日も早く普段の生活に戻れるように心よりお祈り申し上げます。また福島原子力発電所の現場で危険を顧みずがんばっていらっしゃる方々に感謝と敬意を表します。大久保一彦は「多くのかたに元気を与えたい」という気持ちからブログを発行し続けています。著書「善の循環経営」より 今、福岡で注目されている飲食業の経営者が小野孝さんです。 1972年生まれの小野さんは、ダイニング業態を福岡市の舞鶴を基点に10店舗ほど経営しています。その一連のダイニング業態は、福岡で”ONOグループ”と呼ばれていて人気を博しています。 このように数々の繁盛店を率いる小野さんですが、2004年のころに病気で倒れ、お医者さんから「10~15年生きられる可能性は30%」と宣告を受けたそうです。この宣告が小野さんの経営へののぞみ方をガラリと変えました。 病気で倒れる前までは、熱心に経営に取り組んでいましたが、ややもすると自分の欲望のまま経営していました。それが、従業員第一主義に変わりました。かつては、離職率90%以上だったのが人が辞めない職場になり、人間力で急成長するようになりました。若い女性をターゲットに1号店オープン 小野さんが自分の店を持ったのが25歳のとき、1998年3月2日です。福岡市の舞鶴という場所に、17坪の店を出しました。1990年代後半は、女性の社会進出が当たり前のようになり、ニューカマーとして増加していた時期です。小野さんは、新しい店のコンセプトを考えるに当たり、このような社会情勢を鑑み、若い女性を狙うことにしました。 当時、人気番組だった「料理の鉄人」をお手本にしながら、「自分が料理の鉄人に挑戦者として挑み、番組に出て、テーマ食材が鶏だったらどんな料理を作るだろう」こんなことを想像してメニュー作りをしました。名古屋コーチンなど厳選した地鶏や銘柄鶏、産直の野菜を仕入れるなど素材にこだわり、何度も何度も試作重ね、料理を完璧なものにしていきました。店内ではエンターテインメント性にもこだわりました。例えば、コック帽の代わりにトサカのかぶり物を使用するなど、ユニークな雰囲気を演出しました。メニューブックも工夫して、女性客が気軽にカクテルを注文できるようにしました。次回へ続く大久保一彦の心の本【送料無料】善の循環経営
2011.03.24
震災にあわれたかたに心よりお見舞い申し上げます。皆様の無事をお祈りするとともに、一日も早く普段の生活に戻れるように心よりお祈り申し上げます。また福島原子力発電所の現場で危険を顧みずがんばっていらっしゃる方々に感謝と敬意を表します。大久保一彦は「多くのかたに元気を与えたい」という気持ちからブログを発行し続けています。今日も私の著書「善の循環経営」より 友人中島セイジさんが主催するαクラブというセミナーで、京都のお麩専門店の老舗「半兵衛麩」の玉置半兵衛さんが講師に招かれました。 半兵衛麩は料亭などに麩を下ろしている店で、五条大橋にある半兵衛麩の「麩の会席」はとても人気で、土日ともなるといつも予約でいっぱいです。半兵衛麩には「先義後利」という家訓があり、戦後もヤミの商売に手を染めず、清貧を義のために清貧を貫いたお麩屋さんです。 私はセミナー後の懇親会で、偶然にもご本人が私の正面におられ、ゆっくりお酒を呑みながらお話しをさせていただく機会に恵まれました。玉置さんのお話を伺いながら、 リーマンショックのときに「100年に一度の不況」という言葉がマスコミでよく使われましたが、戦後の日本の混乱に比べたら、大したことではないように私は思いました。 なにせ戦後の日本は配給制で食糧統制をしていましたから、半兵衛麩では商売をやりたくてもやれる状況に無かったのです。 先代の当主は、闇の原料を扱わなかったために商売自体ができず、鍋釜などの商売道具や、掛け軸などの先祖から受け継がれた品々、そして果ては衣類などを売ってかろうじて生きてきたそうです。これらを想像すると凄まじいものがあります。 さらには、着物を売って「これでしばらく食べ物を買うことができる」と思ってもハイパーインフレで、ものによっては3日後には価格が倍になっているなんていうことが当たり前のようにあったそうです。 そんな日本も奇跡的に復活し、さらには人口増加に支えられてとてもいい環境が続きました。そして、私たちはその恵まれた環境を当たり前のように思うようになり、ちょっと厳しくなると「不況でものが売れない」などと言うようになってしまいました。【送料無料】善の循環経営
2011.03.24
震災にあわれたかたに心よりお見舞い申し上げます。皆様の無事をお祈りするとともに、一日も早く普段の生活に戻れるように心よりお祈り申し上げます。また福島原子力発電所の現場で危険を顧みずがんばっていらっしゃる方々に感謝と敬意を表します。大久保一彦は「多くのかたに元気を与えたい」という気持ちからブログを発行し続けています。日経レストラン連載コラム“非常識”2005年4月より フランス料理界の重鎮ポール・ボキューズさんが来日した。ボキューズさんの店が三ツ星に昇格して早30年間が経つ。 こんなに長い間、三ツ星レストランであり続けることは凄いことだが、30年間たってもお客様を魅了する仕事のきめの細かさを感じた。そして、実に繊細で塩加減や酸味、旨み、食材の食感などバランスのとれた料理であった。 このボキューズさんの人柄を知り、料理を堪能しようと思い、またボキューズさんの著書の訳書である「」を読んで食事に臨んだ。 この本に書かれていたのはボキューズさんという偉大なシェフとは違う、気さくでおいしいものにこだわるリヨン人というキャラクターだった。当日、差し出したその本の写真の横にさりげなくしてくれたボキューズさんのサインがボキューズさんの人柄を物語る。 ボキューズさんの著書には、便利さや快適さを追求した普及の時代に失われた大切なことが書いてあった。人間が便利さや快適さを求めることで、かえって時間に追われ、日々の暮らしにバタバタするようになるのは、日本もフランスも同じようなのである。フランスにおいても、第二次大戦後からの30年の間で女性の一日に料理に費やす時間が3時間から30分に減少したそうだ。 最近、私の事務所でDVDプレーヤーの普及率の話が出た。冷蔵庫普及率、ビデオ普及率、自動車普及率・・・この「普及率」という言葉、私にとっては、実に懐かしい響きに聞こえた。確かに、私が子供の頃、自動車にエアコンなど標準で装備されていなかったように記憶している。しかし、今、日本の国内だけに目をむけてみると、この普及率は必ずしも「豊かさ」を示す尺度にはならないのではないだろうか。 便利さや快適さを求めた時代、豊かさを謳歌するかのように多くの人間が都会へ集まった。「都会には何かがある」家電製品などの耐久消費財などが順調に普及しているころ、みんなビジネスチャンスに起業家も投資家も群がった。時代は流れ、世の中でものの普及が落ち着いたころ、遅れて飲食店の普及が始まった。当然のごとく投資や起業の対象となった。右肩上がりのこの市場に多くの輩が意味もなく群がった。しかし、みんなが群がれば、取り分けるものは少なくなる。そして寿命も同じように・・多くの店が産声をあげ、そして多くの店が逝去するか瀕死の状態である。 今、フランチャイズとして拡大後、急成長した多くのチェーンが既存店の売上の維持に必死だ。 拡大のスキームに乗ったものには店のパッケージという偶然の産物の普及自体がすべてであるのだから、目的を失えば、右往左往しているのももっともな話である。その半面、「都会にはビジネスチャンスがある」と地方都市で躍進した企業が、かつてシーザーがローマに進軍した時のように都を陥落せんと攻め込んでいるのも面白い。 都会は競争社会だ。強いものが残り、弱いものが消える。当然、多くのものが、都会の豊かさに憧れたが夢破れている。 しかし、料理人諸君、あなたは富を得んと都会に向かったのだろうか?あるいはどこへ向かうのか?あなたはなんのために人間の命を預かる食を作る仕事についたのだろうか?そして、料理人という役割の大切なことを忘れてはいないだろうか? 市場が拡大していた時、売上を上げて、儲けることがみんなの目標だった。財を成すことが美徳と信じてきた。だから売れそうなものから発想した。しかし、圧倒的多数が求めた便利さや快適さは、豊かな国になることを命題としてきた高度成長期の日本の社会の大義名分だったんだ。それは、料理人とまったく関係のないものだ。いまこそ、このみんなが信じてやまなかった嘘に目を向ける時代なのではないだろうか?人間はその与えられた宿命や価値観により、人生において求めるものはいろいろあっていいはずだ。財を成すことだけが人間の幸せではない。 それに、私たちは十分豊かであることを忘れてはいけない。世界を見渡せば、生活習慣病なんていうのは異常なことで、十分な食にありつけすらできない人のほうがが多いのだ。 欲望は飽くことがない。例え、どんなに商売で成功したとしても、欲望は飽くことがない。そして、自分の欲を追及することからは、心の豊かさを得ることはない。先般も申し上げたこのフレーズをもう一度思い出して欲しい。「生きる糧になるものは、心の糧にならない」 自分の宿命を理解し、自分の与えられた縁を大切にし、その役割を果たすことは、きっとあなたの幸せにつながるだろう。そして、料理人はもっとも可能性のある職業なのだ。 「料理人よ、故郷へ帰れ!」これは、故フェルナン・ポワンさんが言った言葉だ。ポワンさんは第二次大戦前後の偉人を結ぶ料理人の神様的存在で、フランスのヴィエンヌにあるレストラン「ル・ピラミッド」で腕を振るったオーナーシェフだ。ボキューズさんはそのポワンさんの一番弟子だそうだ。レストランには、強い信念さえあれば故郷の人を十分に幸せにできる能力と資格がある。大切なのはあなたがあなたの与えられた役割をどうとらえるかだけなのだ。 あなたさえ、自愛を捨て謙虚になり、あなたをここまで育て上げてくれた故郷やそこに住む人に感謝し、その人々のために料理を作り、労を尽くせば、あなたは偉大なる一歩を歩みだせる。 その重要な一歩を歩みだすのに必要なこと・・それはあなたの血であり、肉であり、そして、あなたの信念や哲学である。 あなたが、これまで学び、触れ合い、たどり着いた確固たる悟り、それを基点にすべきだ。世の中の流行など関係ない。あなたがあなたの信じる価値観で現在のあなたに育て上げた地域の人のために料理を作るんだ。そして、あなたの故郷への思い、人生観、哲学やこだわりを店のすべてにこめよう。そして、力強く、あなたの故郷へ人を呼び、故郷を豊かにするのだ。あなたの故郷をあなたのレストランで知ってもらうのだ!普及が終わった今、レストランは力強い存在になれるのだ!「料理人よ、(今こそ)故郷へ帰れ!」
2011.03.23
震災にあわれたかたに心よりお見舞い申し上げます。皆様の無事をお祈りするとともに、一日も早く普段の生活に戻れるように心よりお祈り申し上げます。また福島原子力発電所の現場で危険を顧みずがんばっていらっしゃる方々に感謝と敬意を表します。大久保一彦は「多くのかたに元気を与えたい」という気持ちからブログを発行し続けています。私たちの便利さの依存は電力不足でもろくも崩れ去りました。ですから、新しい商売のやりかたと、日々の生き方を考えないといけません。ものが不足しているのは、みんなが便利さに飼いならされ、家庭に備蓄した食材などがないから。急に、みんなが備蓄し始めればものが無くなるのはあたりまえ。そして、売上が自粛ムードで売上が半減して、そろばんをはじくと大変なのはわかる。しかし、無事に店があることは忘れてはいけない。停電しようが、自粛ムードで予約がキャンセルがあろうがあなたは無事だ。だから、感謝をこめて自粛ムードをふきとばしてどうだろう!大丈夫!長く商売やっていれば、こういうことはある。生き残ればなんとかなる!大切なのは感謝して、笑顔で、世の中を元気にすること。飲食店のあなたならできる!
2011.03.23
震災にあわれたかたに心よりお見舞い申し上げます。皆様の無事をお祈りするとともに、一日も早く普段の生活に戻れるように心よりお祈り申し上げます。また福島原子力発電所の現場で危険を顧みずがんばっていらっしゃる方々に感謝と敬意を表します。大久保一彦は「多くのかたに元気を与えたい」という気持ちからブログを発行し続けています。次の図表を見てください。 これは、「善の循環経営」第二章で述べてきた善の心と悪の心をわかりやすく示したものです。 人に対しての接し方を大きく分けると、2つのタイプに分けられるはずです。それがこの図です。そして、その起点が、善の心と悪の心に分けられます。何度も言いますが、人は誰でもこの2つの心を持っています。ただ、相手との関係をその1回ぽっきりで終わらせるのか、あるいはずっとつきあって行きたいと考えるのか、その根底にある思いの違いだけなのです。 しかし、悪の心を起点にして行動する人に囲まれた環境に慣れると、悪の心に慣れてきます。そして、その心が深層にはびこり価値観となります。そして、その価値観が判断材料になり、いつも悪の心が作用してしまいます。 例えば、後継者がいない商店の親は、家に帰ると「いやー、疲れた」とか「商売は大変だ」と何気なく言い続けてきた場合が多いものです。自分の仕事に満足できず転職を続ける人は、家に帰ると「給料が少ない」と愚痴ることしかできない親に育てられた場合が多いといいます。悪の心の循環は、知らず知らずのうちに大きく巻き込んでいるのです。 もちろん逆も真なりです。親切で愛にあふれる環境で育った子供は、人に優しくすることが自然にできます。 つまり「いいお客様がこない」「いいスタッフが来ない」という環境は、あなた自身に潜んでいる悪の心が作っているのです。そうではなく、あなたが善の心を心掛けて行動を実践することによって、「いいお客様がたくさんやってくる」「いいスタッフがたくさん集まってくる」環境が生まれて行くのです。これが善の循環経営なのです。
2011.03.23
震災にあわれたかたに心よりお見舞い申し上げます。皆様の無事をお祈りするとともに、一日も早く普段の生活に戻れるように心よりお祈り申し上げます。また福島原子力発電所の現場で危険を顧みずがんばっていらっしゃる方々に感謝と敬意を表します。大久保一彦は「多くのかたに元気を与えたい」という気持ちからブログを発行し続けています。 長野にある酒造メーカーも、困っているときこそ人を雇います。ですので、地域の人に愛されています。「人が仕事がなくて困っているとき、この会社は助けてくれた」と地域に人に思われているからです。 不景気なときに、人を雇うということは大変なことですが、この酒造メーカーは「困っているときはお互い様、無いものを出し合って」という考え方で対応していました。つまり、人手不足の状態に陥るところは、買い手市場のときに「採用には絶好のタイミングだ! 安い給料でいい人を雇えるぞ」という考え方をとっている会社だということです。「人が困っているからこそ、自分ができることをして差し上げる」ということが善の心です。これから、人口減少で労働者不足に陥るでしょう。そのときに善の心を持っていない企業は真っ先に退場することになるでしょう。 ちなみに、この酒造メーカーがレストランを開業しましたが、人を多く雇いたいという理由から、できあいのものは一切使わないことにしたそうです。
2011.03.23
震災にあわれたかたに心よりお見舞い申し上げます。皆様の無事をお祈りするとともに、一日も早く普段の生活に戻れるように心よりお祈り申し上げます。また福島原子力発電所の現場で危険を顧みずがんばっていらっしゃる方々に感謝と敬意を表します。大久保一彦は「多くのかたに元気を与えたい」という気持ちからブログを発行し続けています。今日も私の著書「善の循環経営」(商業界)より 実は、善の心の循環はお客様だけに留まりません。スタッフや取引先にも言えるのです。 労働市場は景気と相関関係があります。数年前の債権バブルのときに多くのサービス業は深刻な人手不足に陥りました。 しかし、そんな時代でも人手不足に悩まない企業が私の周りには多くありました。ところで、人手不足に悩んでいた会社の社長はことごとく似たようにことを言っていました。「売上げが上がって利益が出たら、ボーナスを出します」 この「売上げが上がって利益が出たら」という考えの奥に悪の心が潜んでいます。 善の心の根幹は人を信じることです。人を信じることで善の循環が始まります。「上がったら」の背景には「どうせほとんどの人間は売上げを上げたことがない」という悪の心が潜んでいます。そして、このような悪の心から「どうせ売上げがあがっても上がるのなんて微々たるものじゃないか」という、悪の心の陰口が闊歩するようになります。とても怖いことです。これはまさに悪の心の循環なのです。 では、人手不足にならない会社はどうなのでしょうか? 金沢に1日に餃子を1万個売る餃子専門店「第七餃子の店」という店があります。この店のオーナーの元雄久直社長は、アルバイトのスタッフに毎日現金で給料を支払っています。それも出勤時(勤務する前)に! 毎日、アルバイト代を現金で支払うのは大変なことです。この店の場合、餃子を1日に1万個製造販売するので、アルバイトの数は半端ではありません。私は元雄さんに、以前「大変じゃないですか?」と質問したことがあります。すると、元雄さんは「私はお金のもめごとがきらいです。その場で支払えば、お互い納得できるし、気持ちがよいでしょう」と答えてくださいました。 私も一人暮らしをしていた学生の時代、急にお金が必要になることがありました。その時には義母に用立ててもらったことがあり、とてもありがたかったものです。 元雄さんは「アルバイトで苦労したことがない」とおっしゃっていました。それは、元雄さんが相手を思いやって長い付き合いをしようという善の心の持ち主だからなのです。相手に見返りを求めず、相手を信頼し、自分の今できるかぎりことをしている。それが元雄さんの秘密なのです。
2011.03.23
震災にあわれたかたに心よりお見舞い申し上げます。皆様の無事をお祈りするとともに、一日も早く普段の生活に戻れるように心よりお祈り申し上げます。また福島原子力発電所の現場で危険を顧みずがんばっていらっしゃる方々に感謝と敬意を表します。大久保一彦は「多くのかたに元気を与えたい」という気持ちからブログを発行し続けています。商売をやっていれば耐えないといけないことはある。逃げたいときもある。京都に平八茶屋という400百年(記録では1000年)商売している料亭がある。御世話になっている日本経営合理化協会の園部さんのご実家だ。この家に「当主たるもの料理人たれ」と言う言葉がある。長く続いていれば、戦争や災害で商売できないときもある。そういときに、全員を解雇して店を守らねばならいない。しかし、当主が料理ができなければ、自分だけで店をやりくりできない。私はこの家訓を聞いたときに、「歴史というのはなんと過酷なものだ」と思った。戦後から今まで、高度成長期が続き、歴史的に見ればいい時代が続いた。しかし、これからは、「その時代はありがたい時代だった」とあきらめて、新しい生き方をかたを考えないといけない。そして、すべてをゼロにして考える必要がある。ただ、いえることは人間は支えあった生きていることだ。だから、信用はどんなときも一番に考えないといけない。信用を維持するとは自分に負けないことが大切だ。今回の災害や災害の余波を言い訳にしてはいけない。お金は一時的だが、信用は末代まで続く。だから、自分に負けずにがんばって欲しい。
2011.03.22
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