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♪ 天上へ抜けゆく山の頂は白日返す熊笹の原 好天の今日、中津川の友人のパッチワークの似顔絵展を見に行くついでに紅葉の始まった岐阜の山の紅葉狩りへ。 ターゲットは恵那山の隣に位置する富士見台高原。ヘブンス園原へロープウェー経由で行く方法もあるが、それでは余りにも情趣がない。 いろいろ調べると車で林道を使って裏側から登れることが分かった。上坂峠まで車で行き、そこから歩いて富士見台高原まで40分ほど。呆気ないほど簡単に行けてしまうことに多少不満はあったが、あまり時間的余裕がないのでOKとする。 また、この神坂峠というのは1300年前に整備された由緒ある古道で、滋賀県から東北へと続く重要なルートであり、当時は最大の難所だったらしいこと。そして、古事記や日本書紀をはじめ多くの古文学に地名や歌枕として取り上げられているということを知り、大いにに興味をそそられたのも選定の理由になった。眼下に中津川の街を見下ろす 富士見台高原頂上(1739m) 登ってみれば、そこは一面熊笹の生い茂る遮るものの何もない360度パノラマの別天地だった。クマザサの生い茂る風景というのは、ヒッチハイクで訪れた北海道の帯広平野の牧場のある片田舎で目に焼きつている風景がある。 それ以来のクマザサの原で、昼前の強い日差しに照らされて、順光側は陽を照り返し、逆光側はその密集の影が圧倒的なスケールで広がっていた。 ♪ 熊注意の林道抜けて至りたる頂上一面熊笹の原 昼近くなり、雲が出てきて風も冷たくなってきた。早々に下山して、目的地の中電ギャラリーへ。 DM写真では分からない、微妙なミシン使いや顔のディティールが想いのほか手が込んでいるのを知り、そのセンスとテクニックに感動。微妙な顔の表情や立体感の出し方に工夫があり、かなり試行を繰り返した上で到達した表現世界だと分かた。 そのニュアンスの一部でもお伝えできればと、許可を得て写真を撮らせててもらった。どの作品もいい味を出している。同級生や友人をモチーフにしているだけにその人柄までも伝わってくる。 この絶妙な糸さばきは、一見の価値ありだ。 息子さんが経営しているイタリアンの店でランチを摂り、頂いた珈琲券で落合にある蔵をイメージした珈琲店「かわらや」で「お茶」して帰る。 中津川駅前にある「おふくろ」という店の団子型の五平餅は絶品だけど、あいにくこの日は定休日。 その代わりでもないが、去年・今年と食べそこなった栗のリベンジの意味もあって、中津川の老舗川上屋で「栗きんとん」を買って帰る。◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.31
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♪ 食べごろの朝の下調べに入れ替わりくる鳥の悦楽 ようやく色づいてきた隣家の柿の木。この実を食べるためにいよいよ鳥たちの争奪戦が始まる。 先ずはどの程度の熟れ具合なのか、毎朝、入れ違いで下見にやって来る。 昨日、最初にやって来たのが二匹のハシブトガラス。大きな声で縄張りを主張し、威嚇するように鳴いていた。まるでブルータスの様だ。 今朝は、ヒヨドリがまずやって来た。その様子を隣の木で窺いながらメジロが飛び回っている。ヒヨが行ってしまうと一頻りメジロがチェック。その間をシジュウカラが虫を求めて、木の枝を行ったり来たり。 だいぶ前に様子を見に来た椋鳥は、その後まだ姿を見せていない。まだ少し早いというのが分かっているのだろう。 11月中旬ころに柿が完全に熟れる様になると、これらの鳥が競うように入れ替わり立ち替わりやって来る。 午前中にメジロの一群がやってきて賑やかに啄み、午後になると今度はムクドリの軍団がやってきます。喧しい声で鳴きながら先を争うようにして食い散らかして行く。 そしてその間、ヒヨドリが時なしにやって来て大きな声で威嚇しながらそのワル振りを発揮する。 夕方近くなると、今度はスズメの一群がやって来る。 雀だってフツーツは好きなのだ。餌台にメジロ用に置いてある蜜柑を食べに来たりするぐらいだ。 それぞれの活動時間が違うのか、かち合わないための知恵なのか、時間帯がずれているのが面白い。ヒヨドリだけは例外で、この世で一番強いと思っているのか、のべつ幕なしやって来ては大きな顔して喰い荒す。『実りの秋のアレンジ』smAll tAlkさんにお借りしました。フラワーアレンジメントの店La hortensia azulの作品とか。 この実りの秋は、多くの動物にとって至福の季節だ。 しかし、自然の中で生きている動物たちは餌不足で、かなりシビアな生活を余儀なくされているようで、各地で野生動物の被害が出ている様子。 たらふく食べて冬に備えなければならない動物たちにとって、この国はますます生きにくい国になっているようだ。 ともあれ、庭があり、そこに実のなる木が有るというのは豊かなことです。 名古屋市内に、林檎の木があって立派な実をつけている庭がある。この地方で出来た林檎が美味いのかどうかは分からないが、その実が真っ赤に実ってる様子を想像するだけで豊かな気分になる。◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.30
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♪ DMの写真に先を越されしを知りし夕べや初蜜柑食む 岐阜県中津川に住む知人のキルト作家からDMが届いた。 写真には身近な人を即興で表現したと、表情豊かな似顔絵がたくさん載っている。残り布を使ったソーイングで、知人の人柄までも窺える雰囲気を上手く表現されている。 私も、絞り染めでカリカチュアをやってみたいと思っている矢先にこのDMだ。「やられた!」という感じ。 絞り染めでこの写真のように写実的に表現するのはほとんど不可能で、余程特徴を捉えて省略・誇張しないと似顔絵にはならない。その点、ミシンワークはかなり細かい表現が可能なので、この様な作品も不可能ではないと思うが、表現力となるとまた話は別だ。 彼女・内田美恵子さんは、「ミセス暮しをつづるパッチワークキルト展第4回ミセス大賞」で「二〇〇二、秋」が優秀賞を受賞、「第一回原田泰治の世界をキルトで遊ぶ絵画キルト展」では大賞を受賞するなど、その世界での実力者だ。「第一回原田泰治の世界をキルトで遊ぶ絵画キルト展」 大賞受賞作品「とうちゃんのトンネル」(クリックで拡大) ここで使われているのは古い麻の蚊帳。それを新たに何色もに染め直して用している。その染めを担当したのが私で、古い麻は毛羽立って細かい糸クズが大量に染液に浮遊して大変だったことを思い出す。 彼女は、長年パッチワーク・刺繍講師としても活躍。5年ほど前から、ライフワークとして布の人物画に取り組み、同級生など60人を"描いて"きた。「苦労するのは、表情をとらえるチャンス。イメージが出来上がれば、手持ちの布を組み合わせてミシンで抑え、一気に仕上げる」と内田さん。今回は生き生きと体温が伝わる肖像のほか、「大好きな」オニをモチーフにした作品15点ほどを紹介するとのこと。~布と遊ぶ~「内田美恵子 手仕事展」 2012年10月31日(水)~11月6日(火) AM9:00~PM4:30(最終日は12:00まで) 中津川駅前にある「中電ふれあいギャラリー」(中津川太田町12-1-17) TEL0573-66-1231◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.29
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♪ 付箋紙を林のようにつきたてて画家はことばのしもべとなりゆく 画家はもともと文学青年だった人が多い。 ただ抽象的表現の言葉の世界で、その才能を発揮するのはかなり難しい。芥川賞や直木賞を受賞してもその後の作品を発表できず、受賞後も話題作を発表していく人は数パーセントに満たないのも事実。 文学に憧れたとしても畢竟、比較的表現しやすい絵画の方へ腰を据えることになるのは必然のことかも知れない。 同じ形而上の世界を表現するにしても、起承転結を踏まえながら時空を超えた表現や、脳内に空想のイメージを喚起できる文学のようにはいかない絵画。友人の絵描きは”小説家の成れの果てが画家だ”と、いみじくも言っっていたものだ。 画家は、そうして言葉・文章にコンプレックスを持つことになる。それを補うために、種種の言葉を取り込んでその欠落した部分を埋めようとする。 言葉には魔力があり一たび捉えられると、その言葉に支配され離れられなくなり知らぬ間に言葉・文章の僕となっていく。自分の言葉なのか誰かの言った言葉の受け売りなのかさえ自分でも分からなくなる。 言葉を知っていれば知性が高いと思いこみ、言葉の知識を披歴することで自己表現している気になる。 そう言っている自分にもその傾向があるので、しっかりと自己を見つめ余分な装飾を身に纏わないように努める必要を感じている。 尾辻克彦の芥川賞受賞作 池田満寿夫 芥川賞受賞作 岡本太郎や中川一政、東山魁夷のようにエッセイや紀行文に文才を発揮する画家も少なくはないが、池田満寿夫や赤瀬川源平(尾辻克彦)のように小説と表現芸術の両方で注目されるというのは極稀なこと。 でも、やっぱり文才のある人には憧れる。こう言う私は言葉の魅力にやられている患者の一人なのかもしれない。 今、ツイッター中毒が問題になっている。簡単な言葉の中に潜む悪魔のささやき。いつしか言葉に支配され、自己を失い、言葉の海を漂流していく。麻薬と同じ作用を脳に及ぼす言葉という厄介なもの。 正常な人を病人にすることも出来、洗脳もすれば自殺にまで追い詰める。 人が言葉を造ったはずなのに、言葉が人を支配するという皮肉。思考を奪いモンスターを生みだし、秩序を破壊してゆく。 美しい言葉が嘘っぽく聞こえ、言えば言うほど空々しくなっていく政治家の世界。人の上に立つ者の言葉の質の低下は、間違いなく社会に反映していく。 今、言葉は泣いている。◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.28
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♪ オキアミを主食となせるクジラのごと微細藻類に生きる日や来む 「ユーグレナ」と言う名の微生生物は、ラテン語で「美しい(eu)眼(glena)」という意味を持ち、和名ではミドリムシと言うおなじみのもの。 「ムシ」という名では捉えきれない不思議な生物で、ワカメやコンブと同じ「藻」の仲間でありながら、動物のように細胞を変形させて移動することも出来る。 ユーグレナ(ミドリムシ)は、炭酸ガスを取り入れて光合成を行う一方、体内に油分を蓄積することが出来るという。生物学上で植物と動物の両方の性質を備えている生物は大変珍しいらしい。 最近、それが人類の未来に大いに役立つ可能性を秘めているということで、専門会社が設立されて研究がすすめられている。 植物と動物の両方の栄養素(59種類)をもつことから、食品として注目され、すでに乾パンやクッキーに練りこんだものやサプリメントなどが販売されている。 また、油を蓄えることから燃料を抽出することができ、植物油と動物油の性質を併せ持った油が、ジェット燃料に向いている事が分かりANA,JALの要請を受けて研究が始まっている。 二酸化炭素を吸収して育つことから沖縄電力の依頼で、発電時の二酸化炭素を軽減する試みや、東京都下水道局の水をきれいにする研究も行われているという。 1gに10億匹、0.05mmという小さな単細胞。髪の毛の太さがおよそ0.07mmなので、それよりも小さい。 将来のエネルギー問題・食糧問題を解決すべく研究が急がれるところで、2042年にはユーグレナによって自給自足を可能にする壮大な計画が「株式会社ユーグレナ」で進められている。 光合成によって成長していくので太陽光と水、二酸化炭素で育つことができ、その栄養素の生産効率はなんと稲の約80倍とも言われる。 また、高濃度の二酸化炭素の中という過酷な環境下でも成長していける生存能力の高さも注目すべき部分で、大気中の約1000倍という高い二酸化炭素濃度の中でも元気に生育していく適正能力を持っているという。 そして光合成を行うということは、二酸化炭素を炭水化物等に固定化して酸素をつくるということ。この生産効率がミドリムシはとても優れている。 この二酸化炭素の固定能力の高さが、地球温暖化対策にとても有望であると期待されているわけだ。 世界で最初にミドリムシの屋外大量培養が行われたのは豊かな太陽、ミネラル豊富な水、澄んだ空気が沖縄県石垣島。島のほぼ中央に位置する於茂登岳からは非常に水質が良い地下水が得ることができ、安心・安全なミドリムシの成長には最適な環境。 ここで育ったミドリムシを「石垣産ユーグレナ」と名づけられ、様々な商品として販売されている。◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.27
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♪ リビングの奥まで日光(かげ)を伸ばしつつ落暉へ急ぐかきつかたかな 日に日に午後の陽が、南向きのリビングの奥へ奥へとその日光を伸ばしていく。 夏にはほんの少しだった日影も秋に入ると、何時の間にこんなに奥まで届くようになったのかと驚く。3時から4時ごろの移ろいの速さにも驚かされる。 あっという間に日は傾いて、今はもう5時には日没となる。 上の写真は1時すぎのもので、1時間後には奥のピアノの傍まで伸びてきた。 今日は全国的に最上級のピーカン天気だ。きっともの凄く美しい夕日が見られる事でしょう。秋の夕日は本当に美しい。 5時前後に、是非、都会の人はビルの最上階で、海辺の人は海岸で、農村の人は開けた場所で、PCの前の人は「富士山ライブカメラ」で、東京湾アクアラインでは川崎方面に、・・・・・・秋の夕日を楽しんでください。 晩秋ともなると日没は4時後半と早くなり、見逃すことも多くなりそうです。◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.26
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♪ その生は刹那刹那の非演出 只管(ひたすら)といふ絶対の日々 昨日のあのカマキリは、一日経って場所を少し変え、こんな状態で死んでいた。一見、死んでいるようには見えない見事な往生だ。こんな勇敢な戦士だったのだ。全身を使って威嚇と防御の姿勢相手は太った黒猫だ。その大きさに怯むことなく、果敢に戦いを挑んでいく。絶体絶命のピンチ 羽があって飛べるのだから飛んで逃げればいいと思うのだが、それをしないで立ち向かっていくところが蟷螂の凄いところ。 毎日が初めての連続で、その刹那刹那を必死になって生きてゆく。 過去も未来も存在しない世界に勇猛果敢に生きて、超然として死んでゆく彼らの生涯。ただひたすらの「生」だ。 人が得た知能が人類にもたらしたもの。それが果たして価値あるものだったのかどうか。過去を想い、未来を想像することで得られるものは果たして何なのだろうか。 原始の時代と現代と、その幸福感はどう違うのか。知れば知るほど分からないことが増えてゆき、その追及に明け暮れる現代社会。知らぬが仏、知らぬが華の浮世でもある。知らないことの幸せも決して少ないとは言い切れない。 「過去も未来も無い」と仮定して生きてゆく。これはかなり魅惑的な生き方になるに違いない。毎日が初めての連続で、その瞬間瞬間が生きている実感そのものだし、それをクリアすることでしか次がないという絶対の一日。その結果が履歴となり歴史となる。◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.25
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♪ 鎌を閉じ何を想うや蟷螂は夕風の中身じろぎもせず 塀の上にたたずむカマキリ。 その鎌に触れても、怒ってその自慢の鎌を振り上げることなくじっとしたまま、わずかに手を横に動かしただけだ。ほとんど身じろぎもしない。 生を全うし最期の時を迎えたのか、来し方を思いめぐらせているようなその姿は哀れでもあり気高くもある。孤独の中にシンプルで嘘も偽りもない生を生き抜いてきた彼ら。その姿はしたたかで逞しくもある。 その抵抗もせず黙然としている様子を眺めていたら、 ”余計なことを考えずにただ一生懸命生きよと”言われているような気がしてきた。◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.24
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♪ 呼吸する星が気胸を患えば不全に喘ぐ処処の細胞 今、アマゾンに世界第3位のベロモンチ・ダム水力発電所が造られている。水没する面積は横浜市をはるかに上回る約500平方キロ。 BRICs(ブリックス)に代表されるこの国は今、上昇中の経済発展の中で電力需要が大幅に伸びている。ここだけで全国の1割をまかなうというもので、2015年に一部が稼働し始めるという。 アマゾンの熱帯雨林は地球の肺であり、野生生物の宝庫でもある。植物は4万種におよび動物は427種の哺乳類、1300種の鳥類、378種の爬虫類、400種以上の両生類、3000種の魚類が発見されていて、今でも新種が次々発見されている。 森林は酸素の供給地であるという考えは間違っているという。実際にはアマゾンの熱帯雨林は極相状態にあり、酸素や二酸化炭素の消費と放出が均衡しているため、大気成分に影響を与えないということらしい。 問題は二酸化炭素の方で、1000億トンという膨大な二酸化炭素を蓄えているという。森林伐採で、約400万平方キロあった森林の内2011年までの間に約19%の76万平方キロが失われているという。日本の面積の2倍の広さにあたる。 世界有数の食糧生産国となったブラジルは大豆の生産がアメリカを抜いてトップになり、1990年に2700万頭だったアマゾンの肉牛は、’03年に6400万頭に増えている。 2010年2月3日、イギリスリーズ大学、シェフィールド大学、ブラジル・アマゾン環境研究所は、共同研究を通じて、ブラジル一帯に及んだ干ばつがアマゾン一帯の熱帯雨林を二酸化炭素排出源に変えている可能性に言及した。 これは2005年に発生した100年に一度とされた干ばつの結果190万平方キロの森林がダメージを受け、膨大な量の枯死木が二酸化炭素の吸収量を相殺してしまう量を排出するという内容である。 干ばつは2010年にも2005年を上回る規模で発生しており、今後の気候変動により干ばつが増加すれば更なる影響が生じることを示唆しているという。 今、アマゾンは炭素を蓄える側から排出する側に変わる「過渡期」なさしかかっているという。 また、アマゾン地域を潤す雨雲は、水量にして毎秒3200立方メートルもあり、「空飛ぶ川」とも呼ばれる。アマゾンの森林からは、海面から蒸発する水分の1.5倍もの水蒸気が立ち上っている。これが上昇気流を生み、地上の気圧を下げて、大西洋からの風を新たに呼び込む。巨大な森の存在が、1年を通して風を呼び、雲を生んでいる。 今のままのペースで森林伐採が続けば、アマゾンの雨量は12~21%減ると予測されている。 この大規模な異常気象は地球全体に影響を与え、各地に異常気象を招き、干ばつや集中豪雨をもたらす原因にもなるという。一方で砂漠化が進み一方で異常降水の被害をもたらす。 ◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.22
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♪ 下戸でないことをしみじみ噛みしめて赤ワイン飲む自死せぬように 一日の終わりに赤のグラスワインを一二杯飲む。 貧乏人にとってこんな贅沢はない。1000円をちょっと超えるぐらいのフランスAOCの格付けワイン。特に赤ワインに限っていて白はほとんど飲まない。 このルビー色の醸し出す幸福感は、他の飲み物には絶対に出せない。この色を眺めているだけで一日のストレスが随分に軽くなっていく気がしてくる。 ろうそくの炎もまた、痛んだ心を慰め、落ちつかせてくれる作用があるように思う。 どちらもこの赤い色が関係している。赤は興奮を誘う色ではあるが、この二つの色に限ってはどうもそうではないらしい。 沈鬱な気分を井戸の底から引き揚げ、正常な空気の流れる所へと導いて、滞った血流を元に戻してくれる。 呑み助からすると下戸の人がどれだけ損をしているかと思わずにはいられない。当人からすれば知らない世界の話なので、「大きなお世話」というに違いないが・・・。 今回のは、リカーマウンテンでちょっとしたセールがあったので3本まとめて買った。その中の一本が結構美味かった。 シャトー・ドゥ・ヴォージュラス ル・プリウレ ’09年物。マコン、ラングドック、ヴィニュロン・アンデパンダン各金賞受賞とある。産地 コルビエール、主要品種 グルナッシュというあまり聞きなれない名前。 芳醇でまろやかな味は女性にも飲みやすそう。渋みは少なく、口の中に残る余韻も長く、優雅な感じのするいいワインだった。 開高健のように筆が立つなら、もうちょっとましな文が書けるのに残念ながら私はそんな才能は持ち合わせていない。 以前このブログにも書いた「ロマネコンテ」での彼の文を、もう一度読んでみてください。グッと来るものがあります。 生産地「コルビエール」は、ラングドック地方の南部にあり地区の代表的存在。 岩場と潅木材と荒地が80%を占める山岳地帯の中の僅かな土地に葡萄畑が散在し、年間300回近くも吹き荒れる風の影響をまともに受ける。 乾燥と荒々しさの源のセルス(西風)とフランス一のこの乾燥地帯に、夏の過度の暑さを和らげ雨をもたらすラマン(海風)が、葡萄に特殊な成長をもたらし、出色の赤ワインを生む。 この丘陵地帯の地形と土壌は一様ではないから、出来るワインも多様。ワインに共通の性格を形付けているのは気候で、それが肉厚のワインを生み出す。多くは若飲みタイプだが、長寿のものもあるという。フランスワインの生産地コルビエールはオレンジ色のエリア 21世紀のワインはラングドックの時代とか、ローヌやプロヴァンスを含めた南仏地域を「フランスのニューワールド」などと呼ぶようになり、フランスでも最も注目すべき地方になっているという。◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.21
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♪ 諸々の意にそぐわざる出来事に心の襞がすり減ってゆく 昨今は、いろんな不都合が重なって自分の影が薄くなっていくような気がする。 自分の思い通りには行かないのが世の常だとは思いつつ、些か厭になって全部投げ出したくなることがある。 甘くて弱い自分が情けない。 成るようにしか成らないのだから、ここは割り切って、自分を責めないことが肝要だと思い直す。 「まア、いいか、」って。◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.20
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♪ 早朝の屋根にすずめの賑やかしこの情景の永久なるべしを 当たり前の情景が当たり前ではなくなっていく。 恐竜時代の絶滅は1000年に1種がなくなっていたものが、1975年から2000年までの25年間に年間平均4万種、13分間に1種の生き物が絶滅してしまったという。そして今も世界中で多くの生き物に絶滅の危険がせまってきている。 身近な所でも確実にそれは進んでいる。ハゼの数ここ最近になって極端に減っているし、雀もずいぶん少なくなっている。当たり前だったものが当たり前で無くなっていく。 自然界において「最も不自然な存在」である人間によって、自然がものすごい勢いで破壊されていくことがその原因の最たるものだ。「生き物が絶滅する5つの理由」 その1 森林の伐採や開発 森林を伐採山を開発したために、生き物の棲みかが奪われる。 その2 汚染 農薬などの化学物質のために生き物が死んだり弱ったりしてし、生活排水など で棲みか汚される。 その3 らん獲・密猟 ペットやはく製、園芸などのために、生き物が捕獲される。 その4 外来種 他の地域から持ちこんだ外来種との生存競争に負け、棲みかを取られ、交雑 して純粋な在来種がいなくなる。 その5 里山の放置(ほうち) 里山が手入れされないために、生き物のすむ環境が変わり、住めなくなって いく。 地球上に存在するものに何一つ無駄な、無意味な存在などない。食物連鎖を含む絶妙なバランスのもとに、全てが何らかの関係性をもって生きている。 ひとつの種が絶滅すれば他の種へ影響を及ぼす。その負の連鎖が次々と広がって、やがて最後には人間に影響を及ばす。 分かっていながら止められない。人間の都合が優先順位の第一番にある以上、目先の邪魔者は消される運命にある。 2012年現在、レッドリストに載った種の38%が絶滅の危機にあり、全哺-乳類の25%が地球の歴史から姿を消そうとしている。我々が誕生してから絶滅した種も珍しくなく、毎日100種以上の生物たちが絶滅の危機に瀕している。 ◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.19
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♪ 夕さりて里の丘みちをちこちに淡き煙の立ち上る見ゆ 「空の巣症候群」という厄介なものがある。やることがなくなって鬱になるという、逆の意味で贅沢病みたいのものと言えなくもない。 人はつくづく面倒な生き物だと思う。 すべてバランスの問題だとは思うが、それがなかなか難しい。ある性格というものが災いして、適当を通り越して過剰に自分を抑え込んでしまう人がいる。相手のために自分を犠牲にすることに生き甲斐を感じるというタイプ。 そういう人はこの「空の巣症候群」病のお客さんだ。 献身という名のユートピア。その中に一度入ってしまえば、そこはもう悦楽の花園だ。良妻賢母という最高のご馳走は、賞賛の対象であって非難されるところの微塵もない宮廷料理のようなもの。 何時まででも食べていたい。 そんな美味しいものを手放す時が来るなんて、これっぽっちも考えたことはなかった。それが、ある日突然やって来るのだ。 「子育て」を終え、それと同時に更年期を迎え、旦那は海外出張とくるといつの間にかこの「空の巣症候群」という魔の手に掛けられる。両親の介護からの解放というのもある。 束の間の安息と解放感。しかし、それに心底浸っていられるのもそう長くは続かないもの。相手が自分の手を離れるとその対象を失って何もすることがなくなり、目的を失なって生き甲斐まで失くしてしまう。 「私は、一体何をすればいいの?」まじめな性格が、何もしていない自分を責める。 何をしても身が入らない。食欲もなくなり、気力が落ち込んで倦怠と無力感に苛まれてしまう。鬱状態となって、自信がなくなり漠然とした不安に、胸苦しさや吐き気、不眠や肩こりなどの症状が現れ、外へ出るのも億劫になってしまう。 人は自転車と同じで、どこかを目指して走っている間は安定しているが、走るのをやめると途端に倒れてしまう。 走る目的を見つけない限り、バランスの取れた安定した生活は戻らない。 適当なストレスはコレストロールと同じで、生きていく上では必要なもの。喧嘩をする相手も、結構生きるエネルギーになっているものだ。 水清くして魚棲まず。 収穫の後の畑に立ち昇る煙。「もう何もしなくていい、ご苦労さまでし」と言ってるように、無風の野辺に静かに立ち昇っている。◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.18
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♪ 昊天にほうき雲浮く丘の道 曲がりに小さき野紺菊咲く‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 映画「野菊の墓」、「野菊の如き君なりき」は伊藤左千夫の小説を映画化したもので、どちらも切ない悲恋物語だ。 野菊は、平凡な庶民の真面目でけなげな姿をイメージさせる、素朴で控えめな花。どこにでもあり、誰も気にとめないような雑草に近い植物だ。 「ノコンギク」は「ヨメナ」に良く似ていて混同されることが多いらしい。ただし種内の変異は大きく、同種とされるものにはかなり見かけの異なるものがあるという。 「ヨメナ」は時に野菊の代表とされ、辞典等では野菊をヨメナの別称とする例もあるぐらいだ。 「ノコンギク」との違いは、ヨメナの種には冠毛がないこと(花期が終わった花序があれば一目でわかる)と、葉の両面に毛があることで、ほぼ無毛のヨメナとは異なることが分かるという。しかし、それもかなり微妙で、混同されるのは仕方ないらしい。 判別のポイントは、葉の手触りと冠毛の長さにあるようです。ノコンギクの葉はざらざらしているのに対し、ヨメナの葉はつるつるしている。ヨメナは「嫁菜」のことで、食用になることからもよく分かる。 「京都九条山観察日記」より 家のカミサンも野菊みたいな人だ。控えめで地味で古風なところがある。しかし、芯はきついところもあって、私は自分を恐妻家と称してるぐらいだ(笑)。「嫁菜」というより、どちらかと言えば「野紺菊」の方で、食用にするにはちと舌触りが良くないかもしれない。◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.17
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♪ 圧政の犠牲となりし末裔の遺産となりぬ君主の狂気 世界遺産の内の文化遺産の中には、時の王族や権力者がその国の民を非人道的な扱いをして造営させた権力を象徴するものも多い。 この古代都市シーギリヤ(スリランカ)は、紀元5世紀、父王を殺して即位したカッサパ王が自らを神と称して、南北約180m、東西約100m、高さ約200mの岩山の山頂に「天上の宮殿」を築いたもの。 弟の復讐に遭って自死するまでの17年間、この巨岩の上にその類い稀な空間の楽園を刻みつけた。階段状に庭園が配され、貯水池と宮殿が造られた。 「岩上の宮殿」 どう見たって狂気の沙汰としか思えない。権力者は、その力の象徴と防衛のためにどうしても「城」が必要だ。築山・城壁を築くよりは確かに手っ取り早いことはよく分かるが・・・。 岩山の北側に高さ数十mの獅子を象った城門が築かれたが、現在はレンガ製の足先が残るのみだそうだ。 西側中腹の窪みにはスリランカ美術の白眉である気品あふれる天女像「シーギリヤ・レディー」が、500体近く描かれていたという。 入口付近 階段状の庭園 壁画 入口 麓の市街地には人工池を配した「水の庭園」など、傑出した造園技術が見られる古代庭園があったらしい。 創意工夫に満ちたスリランカ芸術の宝庫シーギリヤだったが、王の自害によりわずか11年で打ち捨てられ、その後、12~13世紀まで寺院として使われいたといふ。 権力にまかせてとんでもないものを造ったことが、後の世の遺産となってその国の為になっているというのは皮肉なことだ。 絶大な権力者がいた国ほど、結果的には文化遺産が多く残っているという事実。古代の歴史は権力者の為にあり、権力者のみによって創られるということでもある。◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.16
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♪ おもむろに黄金の稲穂消えゆきて畦に一群 曼殊沙華立つ 稲刈りの終わった田んぼをぽつねんと眺める媼が一人。その視線の先に、落ちた稲籾を啄んでいるのか一羽のダイサギがゆったりと歩んでいた。 ♪ 秋ひより苅田を歩む白鷺の悠揚としてまほらなるかな 一粒の種籾から分株(ぶんけつ)によっておよそ8本の穂が出る。その一本の穂には120粒以上の実がなる。つまり、一粒の種籾から960粒以上のお米が採れるという。 その白米の重さは約20gで、一合がおよそ180gあるので、種籾9粒でおよそ一合のお米が出来る勘定だ。 一合のご飯で、大きめの「おにぎり」が3個できる。「おにぎり」一個は3粒の種籾に当たるというわけだ。 新米の出回る季節。どこ産のものでも、日本のお米は本当に美味しくなった。美味しいお米は、汗と工夫と努力の、正しく美しい結晶だ。 ご飯離れが進んでいるなんて馬鹿げたことだ。 戦後、アメリカが小麦粉の輸出促進を狙って、パン食を普及させたことが根底にあるとか。 小麦の高騰でお米に注目が集まって来ているのはいいことだ。お米さえあれば、災害の時もいかなる非常事態にも対応できるのだから。◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.15
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♪ 女郎花 薊 竜胆 吾亦紅 千振咲ける遠き残映 私の故郷には、四季折々に当たり前のように山野草の花が溢れていた。 子供のころに過ごした関東平野の茨城県の中央海寄りにあったそこは、まだ高度経済成長の前で、自然そのものが当たり前の極極素朴な片田舎だった。 遊ぶものと言えば「陣取り合戦」や「馬跳び」、「缶蹴り」や「かくれんぼ」、「釣り」や「掻い干し(小川を堰き止めて小魚を獲るもの)」など、体だけで道具を使わないものばかり。 唯一、野球(ソフトボールの小球)が男の子の最もメジャーな遊びだった。 チーム手製の球団旗まで創って、近隣のチームへ練習試合の遠征をしたりしていた。 幼稚園や保育園などない時代(地域)で、小学校まで3キロほどある道を徒歩通学するコースは自然そのもの。戦後昭和の日本が、そのまま手つかずに残っていた。日本全土がそうだったが・・・。 通学の帰途、遊びの中で「きのこ(ハツタケ)」を採ったり、山栗やグミを採って食べたりした。 住んでいたエリアは鯉渕学園という3年制の農業学校の周辺で、農家は埒外だったので他の子供たちとは少し環境が違っていた。牛を飼う牧場もあれば胡桃・林檎・栗の果樹園もあった。 湿った窪地にはモウセンゴケが当たり前に生えており、その小さな食虫植物には愛着がある。沼の周囲にはアヤメがあちこちに紫の花を開き、鷺草が白い花を可憐に咲かせる。花の時期は、今では定かでないものもあるが、林に入ればシュンランやセンブリの花が咲き、ヤマユリがその強烈な芳香を漂わせる。雑木林にはキンラン・ギンラン、ワレモコウやノアザミの姿もあり、ネジバナ(モジズリ)も珍しくはなかった。 秋の七草は言うに及ばず、シドミ(草木瓜)やグミ、ノイチゴなどの実もあった。 春蘭 金蘭 銀蘭 関東平野だけに植生は単純で、たまに行った筑波山とか加波山(かばさん)は異郷の趣があり、何時まででもいたい場所として記憶されている。 北から御嶽山、雨引山、燕山、加波山、丸山、足尾山、きのこ山、弁天山、筑波山の順に連なる筑波連山。標高709mの加波山は、その中では、877mの筑波山に次いで標高が高く、古くは、神母山、神場山、神庭山などともいわれていた。天狗の山としても知られていたらしく、そんなことを聞いたような気もする。 過ごしたのは中1までで、遊びが仕事だった小学生には草花の名前など知る由もない。名前を知ったのは長じてからのこと。 この故郷も衛星写真で見る限り、昔の面影はまったく無くなっていて、今行っても何処がどこだか分からないほど変わってしまった。 林を潰し、造成されて新しい道が出来、かつて遊んだ風景の欠片も見当たらない。 あの懐かしい風景は心の中にあるだけ。せめて歌にでも詠んで残しておきたいと思う。◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.14
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♪ 路地裏にふと見上げればアパートの壁赤々と染まりいて、あッ! 今頃の夕日は本当に美しい。どのシチュエーションでもその美しさは変わらない。 いつの間にか日が暮れるこの頃、その直前に見せる夕焼けの美しさには思わず「あッ」と驚かされる。 都会の真ん中にいても、田舎の田園の中でも、海辺でも、その得意の夕焼けセレモニーの演出手腕は変わらない。 この秋の夕焼けの美しさは世界中に共通なのだろうか。それとも、湿潤な気候のアジアの特徴なのだろうか。 それまでの季節と違って湿度が下がり、空気が澄むようになったことから来るアジアの秋の特徴なのだろうか。 夕方は太陽の光が斜めに射してくるので、地球の空気層を通る距離が長くなります。そのため、錯乱しやすい波長の短い青い光は届きにくくなり、波長の長い錯乱しにくい赤い光のみが届いて、空が赤く見える。 夏とは違い、太陽の通過する位置が下がることでそのことが強調されるため、夕日の色をより赤くするというのが秋の夕焼けの特徴だ。◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.13
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♪ 浮草の時のはざまに漂いて流されてゆくシフトの勤務 シフト勤務というものは、人を見えない綱で縛りあげ、自由というものを完全に抑え込んでしまうものらしい。 休みの日が一定せず、予定を立てて行動することを許さない。ただただ仕事をこなし、その合間の休みは骨休めでしかあり得ない。決まった曜日に行われるようなものに参加することなど不可能だ。 カルチャーセンターに通ったり何かを学ぶためのスケジュールが立てられない。 こんな職場に長いこといると、人はどんどん単純化していくような気がする。自分の意思で行動できることを阻害されて、思考することを放棄せざるを得ないからだ。◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.12
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♪ 鬱憤が肥溜めのごと溜まりおり黄色い狂気が街に潜める 殺人事件が毎日のようにニュースになる。 怨恨、腹いせ、金銭トラブル、無理心中、無差別殺人、強盗殺人、婦女暴行殺人、尊属殺人(親殺し)、卑俗殺人(子殺し)などなどその種類は様々だ。自殺だってれっきとした殺人だ。 一体、この頃の日本はどうなってしまったのだろうか。 殺されても仕方がないというような同情を買うものは少なく、ほとんど犯人の一方的な感情から来た理不尽なものばかり。それぞれの事件の背景にあるものは違うにしても、その根底にあるものには何か共通するものが存在するような気がする。 自己中心と自暴自棄。疎外感と不信感。 PCが緊急のアップデイトをしたがっているので、取りあえずここで終了することにします。 7時前には出かけなければならないので・・・・。◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.11
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♪ iPS細胞でも創れない二つの顔を持つ猫に会いたし “2つの顔”を持つ「ビーナス」は現在、世界で最も有名なネコだそうだ。 この3歳になるトータシェル(オレンジと黒などのまだら模様。白が加わると三毛ネコと呼ばれる)のメスは、フェイスブックに自分のページを持っていて、ユーチューブに投稿された動画は100万回再生され、先週はテレビ番組「トゥデイ」にも出演したらしい。 カリフォルニア大学デービス校の教授で、イエネコの遺伝について研究しているライオンズ氏は、ビーナスの2色に分かれた顔に驚いたネコ愛好家たちは、本当に驚くべき点を見落としているかもしれない。それは、ビーナスの青い目だ。ネコの目は緑か黄色が多く、青は少ない。 青い目のネコは、シャムネコなど「身体に白い部分の多い」ネコであるのが一般的だと言う。ビーナスは胸のところに白いぶちがあるだけで、これは青い目を説明する理由として不十分だとライオンズ氏は述べている。「ビーナスの存在はちょっとした謎だ」。 猫はいろいろ。笑わせてくれますね。 ◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.10
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♪ 廃屋が自然に還りゆくところ獣は歌いアニマが嗤ふ 人里離れれた村に点在する小さな廃屋。そこはいつしか動物たちの家となった。 フィンランド南西部の村。割れたガラス窓やドアの廃屋の中にはノネズミやアナグマの足跡が点在する。住人がいなくなった家に入り込んで、自分たちのくつろぎの場所にしているらしい。 人間が長い間自然から借りて生活していた土地が、自然に返り、元に戻っていく過程の姿だ。 「ここはもう私たちのもの」 廃屋の中から外を眺めるリス アマチュア写真家のカイ・ファガーストロムが、廃屋のキツネ、リス、アナグマ、ネズミ、フクロウなどの動物たちの姿を10年に渡って撮影してきた。 何日もかかって、ここでの彼らの姿を追っていたある日、一羽のフクロウがが窓から舞い込んできた。 「私に気づくと、フクロウは足を踏みならすようなしぐさをしたんです。まるで『出て行きな、ここは俺の家だ!』と言っているようでした。」火事で住む人がいなくなった家 『森の中の家』と題された写真集は、フィンランド語、ドイツ語、英語で出版されている。 日が長い夏のある夜、アナグマの一家が廃屋のキッチンに現れた。用心深いアナグマの撮影には4年の歳月がかかったという。 ファガーストロムは窓台にカメラをセットし、家の外の踏み台に立ったまま何時間も待ち続けた。そして、ようやくこの一枚を撮ることができた。 ヨーロッパヤチネズミを見つめるファガーストロムの愛犬を撮影するのには、幾晩もかかった。 ナショナル・ジオグラフィック日本版2012年10月号「北欧の森 廃屋の動物たち」より★ 片や、日本ではタイワンリスやクマの被害がニュースになっている。 三浦半島では異常繁殖し、住宅街にまでやって来て家を荒らしまわるタイワンリスに困り果て、大々的に捕獲作戦を展開中。毎日、相当数が捕獲され殺処分されている様だ。 ただ殺すのは忍びない。どうせなら食料にして食べたらどうかと思ったりする。机の脚以外、足のある動物はなんでも食べるという中国人なら間違いなく食べるでしょう。案外美味いかもしれない。 人間はもともと残酷な生き物だ。手塩にかけて育ててきた牛を売り、人々は美味しい美味しいと言って食べる。そのことに全く罪の意識など持ってはいない。だれだ~、涎を垂らしてるのは 食べてあげるということでせめてもの罪滅ぼしを願う人間。都合のいい言い訳だが、動物の食物連鎖の宿命だから仕方がない。 異常繁殖のタイワンリスだって、人間が自然の摂理を蔑ろにし、その原因を作っているのだからこちらに責任がある。タイワンリスには罪はないのだ。 人間はその責任を取る必要があるのだから・・・・。◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.09
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♪ 情けない思いが募るこのごろの洟垂れ小僧の未知との戦 歳を取っても体験することがすべて経験済みとは限らない。 初めて遭遇する諸々のものに上手く対応できないことが重なると、歳のせいだとは思うものの自己嫌悪に陥ることとなる。 50・60は洟垂れ小僧とはよく言ったもので、実際、まだまだ知らない世界ばかりので、全然成長していない自分に驚いたりする。客観的には分かるものでも、いざ主観となると心もとないところがある。 引退だといって最後の公演をしたはずのベテランが、またやって来て記念講演をしたりする。ソニー・ロリンズなんか何度引退したことか。80になった記念コンサートが」企画されてやってきたのが2010年。さすがにもうないとは思うが、それだけ引き際というものが難しいということだろう。 ’56年の名盤 クリックで全曲聴く 「老醜を晒す」というが、まだまだやりきれていない気分を引きずっているのと多くの観衆の前で演奏することの醍醐味が忘れられずにいるということか。 絶頂の頂点で引退するなんてことは、周りが許さないこともあってなかなか出来ることでもない。 歳をとれば全てが分かるようになるというのは錯覚で、歳をとれば取ったでその歳でしか分からないことも新たに生まれてくるわけで、死ぬまでそれは続くのでしょう。 ついつい昔の自分と今の自分を比較しがちだが、それはまったく意味のないこと。肉体も精神もまったく別の生き物だということを自覚する必要があるようだ。 「男の顔は履歴書」と言ったのは大宅壮一。男の顔は「領収書」を書いたのは藤本 義一。経歴は顔に出る。顔を見ればその人の来し方が分かると。 何をしているかではなく「何を考えているかが重要である」と私も常々思っている。何をしてきたか、何をしたいかがその人格の全てだと言ってもいい。 横綱になると風格が出てきて、必ず顔も良くなっていく。それはそのことを如実に表している。同じ相撲を取っているにもかかわらず、その内面にあるものは雲泥の差なのだ。 先日横綱になった日馬富士のインタビューを聞いて感銘を受けた。 まさに横綱に相応しい哲学の持ち主で、今までの横綱とはずいぶん中身が違う気がする。横綱の責任と使命を明確に自覚し、「謹んでお受けいたします。横綱を自覚して、全身全霊で相撲道に精進します」 の言葉には彼の真摯な思いが凝縮されている。 こんなことを書いている自分が、情けない思いをしているのだから情けない。 因みに、「女の顔は請求書」と言ったのは「吉行淳之」。やはり藤本 義一がこのタイトルの本を書いている。あれが欲しいこれが欲しいと女は金がかかるからと。◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.08
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♪ 一番の電車が通る音聞こゆ未知へのとびら押し開けてゆく 夜中に目が覚めてしまい、それからもういくら頑張っても眠れない。 無理に寝ようとしても仕方がないので、今日締め切りのアメリカの短歌会の歌を作ることに。10月の歌がまだできていなかったので、焦っていたとことだ。 自由詠と題詠の二首をどうにか捻くりだして、アメリカの担当者へメールする。アメリカに住みながら日本の歌の心を維持していくのは大変なような気もするが、どうなのだろう。気候風土、生活習慣、文化の歴史などまったく違う環境にいて、なお日本の文芸を愛する心は尊いものだと思う。 どこに住んでいても日本人には日本の血が流れている。 外国にいればこそかえって日本の良さを深く認識でき、心の中には諸々の美しい日本が息づいているのでしょう。モネ 睡蓮 こちらは逆にカロード・モネが日本の庭園に魅せられて描いた睡蓮の絵。日本庭園まで造って、多くの睡蓮の絵を残した。パリのオランジュリー美術館にはこんな大作が8枚飾られているそうです。 この絵を描いたのが日本人ではないということには驚きます。それには大きな意味を感じないではいられません。◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.07
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♪ 居待月見上げる窓辺にスペインのテンプラニーニョの赤ワイン飲む 台風のせいで中秋の名月を観そこなったが、二日後にはよく晴れて居待月がよく晴れた空に上がって良い夜となった。 そんな夜はワインが飲みたくなる。衝動買いで買ってあった、スペインのワインを飲んでみた。値段が手ごろなので気楽に飲めるのが良い。 樽で1年、瓶詰めして1年熟成させたものであることを謳っているもので、テンプラニーニョ(テンプラニージョ)という品種のブドウを使った赤ワインだ。 ちょっと渋みと酸味が強いが、飲みなれるとそんなに気にならない。濃厚な香りが深紅の色と共に、その魅力を存分に発揮している。 月を愛でながら赤ワインを飲む。これぞ日本人に生まれた特権だ。 スペインは、イタリアとフランスに続く世界第3位のワイン生産国だそうで、ブドウの作付面積では117万ヘクタールで世界第1位だとか。 しかし、他の作物と一緒に植えられる場合が多く、作付面積の割に生産量は少ないという。 国土は地中海性気候が広がっており、ワインの生産に適しているが地域によって地形や気候に変化があるため、多様なワインができることで知られる。 シェリー酒やシャンペンが特に有名らしい。「テンプラニーニョ Tempranillo」 スペインの黒ブドウ。香りが良く、数々の銘酒を生み出し、スペインワインのスター的存在。「早熟」といった意味でリオハ&ナバラ地方が原産と言われる。 カタルニアではウル・デ・ジェブレ、ラマンチャではセンシベル、カスティーリャ・レオンではティント・フィノなどと呼ばれている。繊細で香りが良く酸度が高く、タンニンも豊富で長熟ワインとなる。◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.06
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♪ ピカチュウは人にはあらず人として生きゆく先に試練し多し アニメやゲームのキャラクターから名づけられたり、本来の漢字の読みとはかけ離れた当て字を使ったりした奇抜な名前。そんな当て字など難読の名前を「キラキラネーム」とか言うらしい。 かつてテレビ朝日系列で放送されていた番組『目撃ドキュン!』にちなんで、こうした名前はDQN(ドキュン)ネームとも呼ばれている。DQN(ドキュン)ネームの数々 夜舞刀(やまと)、稀羅璃(きらり)、羽亜都(はあと)、亜羅史(あらし)、絵麗菜(えれな)、菩蓮(ふうか)、梨李愛乃(りりあの)、煌海(ふぁんしい)、姫華璃(ひかり)、魅留久(みるく)、奈菜花(ななは)、美久詩(ぴくし)、結愛(ゆいあ、ゆいな、ゆあ、ゆめ)、恋獅子(れんじし)、愛星(あいり)、心美(ここみ)、光宙、光中(ぴかちゅう)、王(ろい)、美貝(みしぇる)、愛理(らぶり)、愛兎(あいと)、観都(みんと)、億砥(おくと)、対樹(といき)、純(ぴゅあ)、美紀(みっふぃー)、麗音菜愛梨亜(れおなあめりあ)、本気(まじ)、亜菜瑠(あなる)、世歩玲(せふれ)、ララ桜桃(ららさくらんぼ)、安堵龍(あんどりゅう)、思留音菜(しるおな)、約書亜紀(よしゅあき)、亜成(あなる)、愛棒(らぼ)、鳳晏(ぽあ)、精飛愛(せぴあ)、亜妃(あわゆき)、飛哉亜李(ひゃあい)、最秀(もす)、陽咲(ひなた)、祈星来(きらら)、麻楽(まら)、窓風朝穂子(そふぃあすいこ)、爆走蛇亜(ばくそうじゃあ)、大描夢(ひがむ)、嗣音羽(つぉねぱ)、地雨(ぢぬ)、桃苺橙(とまと)、羽彩風(わいふ)、紘早咲(つばさ)、希音(きらら)、夢絆(ゆめは)、葉輪子(ぱりんこ)、勇行侍(いいじ)、振門体(ふるもんてぃ)、我流羅(がるら)、聖王子(ぽぷり)、優留姫(ゆるめ)、扶少桜(ふろりだ)、闘女(きゅあ)、夢桜(ゆら)、夢音(みゅーと)、時二十四(じょうじ)、希海(まなみ)、歩夢(あむろ)、愛恋好(ありす)、翔輝愛(ときあ)、愛彩(ありさ)、稀夢(れあむ)、希乃亜(ののあ)、愛恋好(ありす)、風音(ひゅん)、千瑠和(ゆりあ)、叶夢(かりむ)、愛永遠(まとあ)、心光(しんぴ)、光斗(らいと)、龍希斗(りきと)、波波波(さんば)、璃桜(りおん)、心和(ころな)、成霞(なすか)、白水(いずみ)、涼翔(りひと)、羅桜(らら)、綺心(きこ)、伸恵隆(のえる)、柊南(ひいな)苺花(めいな)、蒼龍(きよしげ)、歩希(いぶき)、茜優(あやさ)、煌(きらら)、虹音(にの)、恋乃奏(このか)、月影(ゆり)、虹菜(にいな)、深華(みふぁ)、愛鈴(あんり)、向葵(あおい)、愛音(あい)、月愛(るうあ)月星花(るきな)、などなど枚挙に暇がない。 こっちは芸能人が自分の子供に付けた名前亜人夢(あとむ)、瑠美衣(るびい)、羅偉我(らいが)、宝冠(てぃあら)、我流(がりゅう)、玲夢(りむ)、宙奈(そな)、蓮音(れんおん)、希空(のあ)、青空(せいあ) 普通では絶対読めない名前たち。 思慮分別のない「バカ親」が、如何に今の日本に多いかが分かる。50歳60歳になって、病院の待合室で「ぴかちゅう」さんとか「みるく」さん、「ひゅん」さんとか呼ばれているのを想像したことがあるのだろうか。 こんな名前が当たり前の時代が来て、何の違和感もなくなると信じているのだろう。アマモ 別名「リュウグウノオトヒメノモトユイノキリハズシ」「龍宮の乙姫の元結の切り外し」日本一長い名前の植物 実際、名前のせいで就職が不利になったり、いじめの対象になっって悲しんでいる子供はたくさんいる。親の良識が疑われ、教養の程度も知れようというもの。 どんな状況を想像してもマイナスの方が多いに決まっている。 普通の名前の私でも、二通りの読み方があるため学校では学年の初めは必ずその読み方を訂正させられた。それが小学一年生からずっと一生の間続くのだ。 「竹脇無我」や「下條アトム」のように、芸名のような名前が職業によっては有利になる人もいるかもしれない。しかし、皆が皆アニメや芸能の仕事に就くわけでもないだろう。 ここに挙げた名前の全部がそうだとは言わないが、間違っても政治家や大会社の経営者には絶対なれないだろう。 親は”子を想って一生懸命考えた”と言うかもしれないが、それが返って仇となって人生の幅を狭くし、余分な苦労を背負う羽目になるのは本末転倒というもの。 これは立派なドメスティック・バイオレンスだと思う。「DQNネーム(子供の名前@あー勘違い・子供がカワイソ)」には、こんな吃驚するような、とても読めないDQNネームがうんざりするほど載っている。◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.05
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♪ 三角の二つの角に冷徹な目を光らせて蟷螂の立つ カマキリが嫌いな人は多いかもしれないが、その独特の姿は愛嬌があって好きだという人も多いのでは。 細い首に小さな頭。ノコギリ鎌を振りかざし、大きな羽を広げて威嚇する姿は観ていても飽きない。体を左右に振りながら獲物を狙う様子は逞しさすら感じる。 逞しさを感じさせてくれるような昆虫なんて他には見当たらない。 時には蝉を捕まえて、頭からむしゃむしゃと喰ってしまうオオカマキリなんか、見る人によっては恐怖すら感じるかもしれない。 しかし、どんなに威嚇して鎌を振り上げてもしょせん昆虫だ。「蟷螂の斧」という言葉の通り、いくら小さくても動物にはかなわない。 「橋下・維新の会」の会は、このところ国会議員と齟齬を生じてぎくしゃくしてきた。世論調査でも人気はいま一つパッとせず、その実力を訝っている人が多いことを物語っている。 幾ら鋭い斧を振り回しても、実績がない上に国会議員の実力が不足している。自身が国政には出ていかないことに加えて、大阪と東京に分かれて活動しているのもマイナス要素だ。 自民党が息を吹き返しそうな勢い(実際は成人病が完治していない)で、その知名度を武器にしているのに比べ、橋下市長一人だけの力で立ち向かうのは困難な情勢だ。 年内に総選挙があるのは間違いないが、それが何時なのかが分からない。「維新の会」がモタモタしている間にサッサと選挙を終わらせたいのが自民党。民主党は、まったく不利な情勢となって出来るだけ延命を図りたいところ。 いずれにせよ、選挙になったらなったで、国民は一体誰に投票すればいいのか非常に難しい選択を迫られる。浮動票の持ち主達は、いっそのこと全員が「白票」を投じたらいいと思ったりもする。 「お前らの中に投票したい奴なんか一人もいない」と、明白な意思表示をするべき時が来ているのではないだろうか。◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.04
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♪ 四度目の自慢話を手で制し話題を変える術を手に入る 70過ぎて引退を表明し、しばらく無為の日々を気ままに過ごし自由を満喫していた親方。たまに訪れても留守のことが多かった。 今朝、早朝ウォークに出たついでに仕事場に寄ってみようと近くまで来たら、何時ものようにラジオの声が聞こえてきた。それも、二か所に分かれている仕事場の両方から聞こえる。親方が戻ってきたのだ。 久しぶりに会った親方は、腹がずいぶん出た感はあるにしても顔は生き生きとして却って若返った感じがするほど元気だった。”2年ほど気ままに過ごしリフレッシュしたので、75歳過ぎたがここでもう一度現役に復帰する”と宣言。 これには驚いた。今年から団塊の世代が65歳となり、ぞくぞくと高齢者のリタイヤ族が世の中にあふれだしてきた矢先だ。それよりも10歳も上の大工が現役に復帰するというのだから。 久しぶりの早朝ウォーキングに出て感じたのは、高齢者のウォーカーが増えたということ。次から次へとやってきて、パークロードだけでも20人以上に挨拶をした。ほとんどが中高年の男で、相変わらずボソッとした返事が返ってくる。 中には、70を越していそうな変な姿勢で走るランナーの姿もあった。 どこへ行っても年寄りばかりの時代になって、若者の影がますます薄くなっていく。昔のように、「隠居」して後進に道をあけることもなく、65歳まで定年を延長すれば国の財政面でもいいのだろう。 その分仕事のパイの奪い合いにもなりかねない。ゆき合いの空 まあ、政治家が70過ぎても現役で娑婆を牛耳っている事を考えれば、元気な人は70までは働けるわけだ。75歳になって肉体労働を伴う大工の棟梁に現役復帰する親方は特別としても、好きな仕事を幾つになっても続けられるというのは幸せなことだ。◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.03
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芸無くも高学歴に救われるクイズブームに沸けるタレント かつて、芸能の世界では学歴は無用で邪魔もの扱いされていた時代があった。そんなものは芸を磨くのに必要ないし、却って邪魔になると言われてきた。 芸があってなんぼの世界で学歴では飯は食えない。学歴があってもそれを隠していたぐらいだ。流石にこの頃は高学歴社会になって、どんな世界にも有名大学卒がいたりするのが当たり前になってきた。 職業に「学歴の壁」は、両方の意味で無くなったと言える。 最近の芸能人にはそんな高学歴の人が当たり前になり、ブームに乗ってそんな人ばかりを集めたクイズ番組が幾つかある。京大や東大の国公立卒も珍しくなく、早稲田や慶応などの有名私立大卒も目白押しだ。 「タレント=Talent」は、本来の意味が「才能のある人」であることを考えれば、当然バカでは勤まらない職業であるのは明白。頭の回転、記憶力など相当な能力を要求される職業だ。 しかし、本末転倒で、これらのクイズ番組だけで喰っているかのようなタレントもいるようだ。「芸が身を助ける」どころか「身(学歴)が芸(無いのを)助けている」ようなものだ。 昨夜の「ネプリーグ」は大学対抗戦だった。「クイズ・タイムショック」など、問題は概ね易し目にしてあるようだが、「平成教育委員会」「Qさま」は結構難しい問題も入れてある。 ブームに便乗して儲ける時に儲けておかないと、何時仕事がなくなるか分からない因果な商売。どのクイズ番組にも必ず顔を出す「あの人たち」は、本業以外の言わば「アルバイト」でかなりの金を稼いでいる事でしょう。高学歴の・お笑いタレント ★(オリラジ)中田敦彦・慶應義塾大学 ★藤森慎吾・明治大学 ★(くりーむしちゅー)上田晋也・早稲田大学 ★有田哲平・立教大学 ★(ナイナイ)岡村隆史・立命館大学 ★(きゃい~ん)天野ひろゆき・日本大学 ★(ガレッジセール)ゴリ・日本大学 ★(Wコロン)ねづっち・東洋大学 ★(アンガールズ)田中・広島大学 ★レイザーラモンHG・同志社大学 ★(ビジーフォー)グッチゆうぞう・獨協大学 ★(カラテカ)矢部太郎・東京学芸大学 ★(浅草キッド)水道橋博士・明治大学 ★(オードリー)春日俊彰・日本大学 ★(ロザン)宇治原史規・京都大学 ★(爆笑問題)太田光&田中裕二・日本大 ★(はんにゃ)川島章良・明海大学 ★(アンジャッシュ)渡部健・神奈川大学 ★綾小路きみまろ・拓殖大学 ★江頭2:50・九州産業大学 ★(ほんじゃまか)石塚英彦・関東学院大学 ★坂本ちゃん・日本大学 ★(コント赤信号)ラサール石井・早稲田大学 ★渡辺正行&小宮孝泰・明治大学 ★小島よしお・早稲田大学 ★清水圭・同志社大学★笑福亭鶴瓶・京都産業大学 ★笑福亭笑瓶・大阪芸大 ★関根勤・日本大学 ★(ナイツ)塙宣之&土屋伸之・創価大学 ★永井秀和・創価大学 ★にしおかすみこ・青山学院大学 ★博多華丸&大吉・福岡大学 ★ビートたけし・明治大学 ★そのまんま東・専修大学&早稲田大学 ★(髭男爵)ひぐち君・関西学院大学 ★(Take2)深沢邦之・明治大学 ★(はりせんぼん)箕輪はるか・早稲田大学 ★松村邦洋・九州産業大学 ★波田陽区・熊本学園大学 ★三遊亭円楽・青山学院大学 ★小倉久寛・学習院大学 ★仲本工事・学習院大学 ★ふかわりょう・慶應義塾大学 ★エドはるみ・明治大学 ★イモトアヤコ・文教大学モデルタレント ★八田亜矢子三浦奈保子・東京大学 ★福田萌・横浜国立大学 ★優木まおみ・東京学芸大学 ★真鍋かをり・横浜国立大学 ★山口もえ・成城大学 ★佐々木梨絵・島根大学 このデータは「時遊人SUZUのひとり言」から転載させていただきました。 ここには、このほか「俳優・女優」「歌手」「アナウンサー」「司会業」「評論家・文化人」まで網羅してあります。★ それにしても一昨日の「世界の果てまでいってQ」のイモトアヤコは凄かった。 訓練はしたというものの登山はまったくの素人。なのにあの「マッターホルン」を登頂してしまった。 恐怖に耐え、疲労に絶え、番組のプレッシャーに絶え、その強靭な精神と底知れない体力で、つぎつぎと困難を乗り越えていく姿は感動的で、観ているものに大きな勇気を与えてくれた。 つぎは、ヒマラヤに挑戦することになるらしい。これも目が離せない。◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.02
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♪ 流れ来る時間(とき)に小舟を浮かべつつ今やって来る未来を迎ふ 人が感じている時間という概念は、決して絶対的なものではない。その時の置かれた状況によって長くもなれば短くもなる。場合によっては歪んだりしているかも知れない。 例えば同じ曲を流しても、安静にしていたり寝ぼけている時は速く聴こえ、激しい運動・活動の後では遅く聴こえる事がある。こうした場合、感じている時間の速さに相対的な違いがあると言える。また、年齢を重ねれば重ねるほど、1日なり1年が過ぎるのが速くなってきている。7歳の子供にとっての1年が人生の7分の1であるのに対して、70歳のお年寄りにとっての1年が人生の70分の1あることからも分かる。 それぞれの国や地域、民族の間で勝手に流れていた時間が、機械的時計の発明によって時間に追われる生活を強いられるようになった。 先行する時間を追いかけるような不可能な概念に弄ばれて、喘ぎ喘ぎ生活している現代人。 太陽暦のもとで、昔のように日の出とともに起き、日没とともに休息に入る生活をしてれば、現代病には絶対に罹らない。ダリは、時計に対して一種の嫌悪感を持っていたのかも知れない。 実際に売られているダリの「とろけ時計」ひげが針になっていて回転する。クリックで動画へ 左 掛け時計のダリウォッチ、 右 イタリアの置時計 「時間は過去から未来へ流れているのではなく、未来から過去へ流れている」。 創造主が世界をつくった、とするユダヤ・キリスト教の伝統に沿った時間観には、「時間というのは過去から未来に向かって流れている」とする考え方があるらしい。 創造主のいる宗教では「絶対神がビッグバンを起こし宇宙を創造したことからすべてが始まり、それにより玉突き的に因果が起きて現在まで来た」と考えたがる。そう考えないと創造主自体の存在を肯定できないので、「過去の出来事が現在の原因である」と解釈されることになるというのだ。 “過去の因果によって現在、そして未来がある”などと考える限り、自分自身で明るい未来を切り開くことなどできない。 自分に向かって未来がどんどんとやってきては過去へと消えてゆく(自分が過去から未来へと向かっているのではなく)。未来のほうが自分に向かって流れてくる感覚。 現在は過去の産物などではなく、未来の産物であり、しかも未来というのは固定されたものではなく、無限の可能性であり、しかもその未来は(過去の因果ではなく)さらに未来の因果によって決まる、ということになる。 Wikioediaよりスイスの「リベンハム(Libenham)」の時計文字盤が中心から右へずらしてある。 左の腕に着けることを念頭に、シャツに隠れて見にくくなることに対応。リュウズも左側に付けて、邪魔にならない配慮がしてある。 敢えて電池は使わない「機械式の自動巻き」にしてある。人の腕の自然な動きと振動で歯車が回転し、ゼンマイを巻き上げる古き良き時計の真髄を見せる。 高い技術を要する「機械式」は、今でも多くの高級時計に用いられているらしい。フランク・ミュラー「クレージーアワー」フランク・ミュラー「Aeternitas Mega 4」価格▼$2,700,000(約2億1960万円/2010/11現在)●4日パワーリザーブの自動巻 ●トゥールビヨン ●グラン&ソヌリ ●ミニッツ・リピーター ●ウェストミンスターカリオン付きグランソヌリ ●スプリットセコンド・クロノグラフ ●1000年間エターナル・カレンダー ●デイズ●マンス ●24時間計 ●閏年計 ●ムーンフェイズ ●均時差計 ●2タイムゾーン計測 これはもう時計などと言えるものではなく、究極の機械的構造をもったアートと呼ぶべきものだろう。これで時間を確かめるなんてことはしないはずだし、そんなことなどどうでもいいと想わせる”とてつもない”ものだ。 時計の歴史◆2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」と タイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。◆2011年1月2日からは、楽歌「TNK31」と改題してスタートすることにしました。★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
2012.10.01
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