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生き返るはず…埼玉・ふじみ野立てこもり男、死亡した母親の心臓マッサージ依頼 医師に断られ散弾銃を発砲埼玉県ふじみ野市の住宅で男が立てこもり、医師らが死傷した事件で、男が弔問に訪れた医師らに亡くなった母親の蘇生措置を頼み、断られると散弾銃を取り出して発砲していたことが30日分かった。捜査関係者によると、男の母親が事件前日午後に亡くなり、医師らが死亡を確認した。男は医師らを名指しで指定して「焼香に来てほしい」と言い、母親が利用していた在宅クリニックの医師ら関係者男女7人が自宅を訪れると、「生き返るはずだから心臓マッサージをしてほしい」「助かるはず」と頼んだ。死後1日以上が経過していたため、医師が丁寧に説明して断ると散弾銃を取り出して医師に発砲。(以下略)---たばこ注意した高校生に土下座させ、頭踏みつける 容疑の男を送検JR宇都宮線の車内で喫煙を注意した男子高校生が殴る蹴るの暴行を受けた事件で、県警は25日、容疑者を傷害容疑で送検した。容疑者は高校生を土下座させ、足で頭を踏みつけたりしていた。事件は日曜正午ごろ、東京方面に向かう車内で起きた。高校生は友人3人と遊びにいく途中だった。加熱式のたばこを吸って高校生に注意された宮本容疑者は顔を近づけて威嚇。高校生が「離れてください」と押すと、宮本容疑者は「手を出したな」と激高して顔を殴ってきたという。駆けつけた車掌や同級生らが止めに入ったが、暴行は止まらなかった。宮本容疑者は停車した自治医大駅で高校生を車内から引きずり出し、さらに暴行を加えた。暴行は車内と車外で10分以上続いた。高校生はほおを骨折した。(以下略)---「謝れや」「はい暴行罪」あごマスク電車寝そべり男性、車掌の注意に逆ギレ 一体何が?阪急に聞くあごマスクで阪急電鉄の電車の座席に寝転がっているのを注意した車掌に対し、乗客の若い男性が逆ギレする映像が動画アプリ「TikTok」に投稿され、ツイッターなどで拡散している。「とりあえず謝れや。叩いたよ」。男性は、足を組んで仰向けに寝そべりながら、注意しに来た車掌に対し、こう主張した。マスクは、あごにかけている。右腕を示して、「痛いよ」と言い、起き上がると、「電話するからね」とスマートフォンを右手に持って出した。男性は、座席に座り直すと、自分の右側の座席を指して、こう車掌に言い返す。「空いてるやん、ガラガラやん。何があかんねん」車掌が「ご理解いただけないんですか?」と強い口調で呼びかけると、男性は、うなずいて、同じ言い分を繰り返した。車掌がさらに「2席分、寝転んでいます」と説明すると、男性は、スマホを車掌に向けて写真を撮った。(以下略)---医師が殺された事件と、暴行で顔面骨折、そして単なる迷惑行為と、被害の程度は千差万別ながら、どう考えてもしぉかいのルールに従って他者と円滑な関係を築くことができなさそうなタイプの人間の暴走が、立て続けに報じられています。広い意味では、大阪・北新地の精神科放火事件も同じかもしれません。いずれの例も、信じがたい暴挙、愚行であり、腹立たしいことおびただしいものがあります。ただ、どんなに腹が立っても、常人とは異なる精神世界に生きているこれらの犯人(最後の例は、「犯人」とまで言える犯罪行為かどうかは微妙ですが)にその怒りが理解されることは、おそらくないのでしょう。医師に猟銃をぶっ放した男は、死刑はどうか分からないですが、無期か相当長期の懲役刑が予想され、年齢から考えても生きて刑務所から出てくる可能性は低そうですが、宇都宮線の暴行犯は若いし、刑もせいぜい数年でしょうから、すぐに社会に戻ってくることになります。最後の事例に至っては、犯罪とまでは言い難く逮捕されていないでしょうから、今日も明日も各所で迷惑行為を働いているかもしれません。そういえば、1年以上前にこんな迷惑行為もありました。ピーチ機内でマスク拒否、男逮捕 航空法違反などの疑い関西空港行きのピーチ・アビエーションの機内で昨年(2020年)9月、マスクの着用要請を拒んで客室乗務員らとトラブルになり、運航を妨害したなどとして、大阪府警は容疑者を威力業務妨害と傷害、航空法違反の疑いで逮捕し、発表した。逮捕時、「事実は違います」と容疑を否認したという。---この犯人も、その後どういう判決になったのか、あるいは不起訴にったのかは知りませんが、仮に実刑になったとしても5年も10年もとは考えられませんから、すぐに社会に舞い戻ってくるのでしょう。もっとも、これもトンデモな人物ではありますが、暴行で骨折させたり、まして殺人を犯す輩に比べれば、まだしも多少マシではあります。いずらにしても、こういう人間の存在は、周囲の人間を振り回して疲弊を強います。もちろん罪を犯せば刑務所にぶち込まれて、その間だけは社会から隔離されていますが、よほどの重罪でなければ、やがて舞い戻ってきて、同じことを繰り返すわけです。かといって、社会から排除したり、微罪でも終身刑で刑務所に放り込む、なんてことができるわけもありません。殺人のような凶悪犯罪を犯す輩はごく稀ですが、そこまでの凶悪犯罪は侵さないけれど、果てしない迷惑行為や異常行動で周囲を疲弊させる、「どうにもならない人」は、社会の中に一定数存在します。幸いなことに、私は私生活の中では、これまでのところ、こういう人間に不利まわっれた経験はほとんどありません。仕事では、ずいぶん振り回されましたが。こういう人にであってしまうか否か、ほとんど運ですが、世の中には否応なく一定の割合で、こういう種類の人間がいるというのは、いかんともしがたい現実、というしかないのだろうと思います。
2022.01.31
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「天皇制廃止?絶対しません」共産リーフレット作成「不安」解消狙う衆院選で議席を減らした共産党が、安全保障政策や天皇制に関する党綱領への疑問や批判に応えるリーフレットを作成した。有権者に広がった「不安」を解消する狙いがある。「あなたの『?』におこたえします」と題した資料では、天皇制について「与党になったら天皇制は廃止? そんなことは絶対にしません」と明記した。「続けるか、なくすかは、あくまで憲法にもとづいて国民の総意にゆだねる」と綱領の立場を解説している。---なるほどね。私としては、共産党のそのような変貌には、多少複雑な心境もありますが、現在の天皇、上皇、その一族には基本的に好意的感情を抱いているので、当面の間天皇制が続くことには、少なくとも反対ではありません。もっとも、現在の天皇家一族に好意的感情を抱いているからといって、今後も子々孫々の代まで「千代に八千代に」天皇制が維持されなければならない、とはまったく思いませんけどね。でも、別に私が(共産党も)「天皇制廃止」などと叫ばなくても、ネトウヨ層が「女系天皇許すまじ」と叫び、秋篠宮とその子どもたちに対するバッシングを続けていれば、あと100年以内には天皇制は消えてなくなるので、私はただ黙ってそれを見守るだけのことです。私は、(天皇制を今後も維持したいなら)女性天皇、女系天皇を認めるしか選択肢はないだろうと思うのですが、いわゆる保守層と、それを支持基盤とする自民党保守派にとっては、それは絶対に認められないことらしいです。で、代わりに言い出しているのが「旧皇族(の子孫)の皇族復帰」(実際には、本人自身が皇族だったことがない人に皇族「復帰」という表現は誤りと思いますが)という世迷い事です。秋篠宮家に対する大バッシングを見ても、保守派の連中の意にちょっとでも染まないとあれほどの攻撃を受けると知って、そんなに危険な皇室に入ってもよいと考える人が、果たしているのでしょうかね。仮にいたとして、旧皇族の皇室「復帰」したとしても、それは一時の引き延ばしに過ぎません。というのは、少子化の波は旧皇族だって無縁ではないからです。1947年に皇族を離れた旧皇族は11家あったそうですが、そのうち現在未婚の男性がいるのは4家しかないそうです。ということは、あと70年も経てば旧皇族だって「男系男子」はほとんどいなくなる可能性が高い。もっとも、さきに、天皇制を今後も維持するつもりなら女性天皇、女系天皇を認めるしか選択肢はない、と書きましたが、以前はそのように考えていたのですが、現在は少し考えが変わりました。というのは、秋篠宮家へのすさまじいバッシングを見てしまったら、「愛子天皇」の夫に立候補する人も多分現れないだろなう、と思ったからです。あのすさまじいバッシングを見たら、「愛子天皇」の夫候補も、「悠仁天皇」の妻候補も、多分どちらも出てこないでしょう。それでも、「どちらか」であれば「片方だけ」よりは確率は多少なりとも高いと思いますが。だから、結局はあと100年は経たずに天皇制は自然消滅せざるを得なくなるだろうしと思います。そうなったところで、困るのは私ではない、「天皇制を守る」つもりで逆には課穴を掘っている保守派の連中を鼻で笑うだけのことです。
2022.01.29
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もう復帰しておりますが、先日、とうとう濃厚接触者になってしまいました。職場で、私の隣の席の職員が新型コロナウイルスに感染してしまったためです。その職員は、おそらく子どもの学校経由で感染したようです。隣の席なので、私も濃厚接触者に認定され、10日間の自宅待機になりました。実際には、感染者の陽性が判明するまでは隔離部屋で一人勤務していたので、自宅待機していたのは8日間(土日含む)だけですが。私もPCR検査を受けましたが、その結果が判明するまでは大いに不安でした。何故って、我が家には受験生がいますから。子どもに感染したらえらいことです。自宅に帰らずにホテルに泊まることも考えましたが、色々な事情からそれはやめました。ただ、ペーパータオルにしよう毒用エタノールを振りかけて、玄関もトイレも寝室も、ドアノブはそれで触って開け閉めしてました。正直なところ、感染者とは同じ電話機を共用して、何度も電話をしていましたから、これは多分私も感染しただろうなと覚悟しました。ただ、PCR検査の結果が出たのは接触日から3日後の夕方だったのですが、オミクロン株の潜伏期間は3日という話なのに、3日目にもまったく風邪の症状や発熱がなかったので、「これはひょっとして感染を免れたかも」という期待も少しはもっていました。結果として私は(他の2人の濃厚接触者も)陰性でした。子どもの受験のことがあったので、この時は本当にホッとしました。それに、仕事の上でも、私自身は陽性でも陰性でも濃厚接触者として自宅待機は変わらないのですが、私が陽性になると更に私の周辺の職員が濃厚接触者になり、際限なく自宅待機が拡大していくので、そうならずに済んだことも助かりました。ただ、そこから先が長かったです。多少の紆余曲折はありましたが、ともかく職場からリモートワーク用の端末を借り、自宅で仕事をしていましたが、それでもリモートではできない色々な仕事が途中で止まってしまい、業務への支障は著しいものがありました。それにしても思うのは、この濃厚接触者も10日間自宅待機という決まり(その直前までは自宅待機は2週間だったので、多少はマシになったのですが)はもう勘弁してほしい、ということ。自分が感染者だったらともかく、PCR検査では陰性、発熱もなく体調まったく問題ないのに、1週間以上の自宅待機って、何の刑罰だよとしか思えませんでした。そして、この惨状は私の部署だけだったわけではありません。何しろこれほどまでに世の中の感染者数が増加しているのです。その一人一人に、数人ずつの濃厚接触者が発生して、もろとも自宅待機になるのですから、私の仕事もそうでしたが、あっちでもこっちでも職場崩壊の危機です。コロナをただの風邪だなどと言うつもりは一切ないけれど、でも濃厚接触者に対してすらこのように過剰な対応を取ることは、日本中のあらゆる仕事、社会のシステム、ライフラインにたいして破滅的な悪影響を及ぼしかねません。陰性で発熱その他の症状がなければ、濃厚接触者というだけで何人も自宅待機にするのは、もうやめてもらいたいと、今は本当にそう思います。それにしても、コロナの拡大はすさまじいもので、職場関係もそうですが、高校同期の山仲間、某フォルクローレグループの演奏仲間も前後して罹患しています。だから、今更「濃厚接触者になりました」なんてのは珍しくもなんともない話で、次は私自身が感染者になっても、一向に不思議はありません。ちなみに、私の周囲の感染者の中でも、ワクチンを接種していない感染者はけっこう大変だったようです。命の危機、というほどではなかったものの、「ただの風邪」ではとうてい済まない、インフルエンザより更に長引いたということです。それでも「重症」の定義には全く入らないと思いますが。私自身はワクチン接種しているので、感染してもそこまで重くはならないと思いますが、それもワクチンの免疫が保たれている間だけです。だから3回目の接種が始まったのでしょうが、しかし、それをいつまで続けるかですね。3回目のワクチンだって半年かそこらで免疫が切れるとすれば、4回目?5回目?いつまでそれを続けるのでしょうか。どこかで割り切らざるを得ない時期が、遠からず来るように思います。
2022.01.27
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「国の名誉の問題」自民・高市氏、佐渡金山の世界遺産推薦求める自民党の高市早苗政調会長は党本部で記者会見し、世界文化遺産登録をめざす国内候補に選ばれた佐渡金山遺跡について、ユネスコに推薦すべきだと政府に求めた。「日本国の名誉に関わる問題だ」と述べた。この日は政調会長に就任して初めての定例会見だった。韓国との関係悪化の懸念から明確な方針を示していない政府に注文をつけ、「高市カラー」をアピールした。佐渡金山は、戦時中に佐渡の鉱山で朝鮮半島出身者が働いていたなどとして、韓国政府が選定の撤回を求めている。高市氏は、文化遺産としての価値の高さや、地元の新潟県や佐渡市が強く推薦を希望していることに触れ、「政府には登録に向けて本気で頑張ってほしい」と主張。韓国やユネスコへの説明を強化すべきだという考えを強調した。(以下略)---世界遺産とは何か、公益財団法人日本ユネスコ協会によれば世界遺産とは、地球の生成と人類の歴史によって生み出され、過去から現在へと引き継がれてきたかけがえのない宝物です。現在を生きる世界中の人びとが過去から引継ぎ、未来へと伝えていかなければならない人類共通の遺産です。とされています。「人類共通の遺産」を「日本国の名誉の問題」にすり替えて何とも思わない辺りは、いかにもネトウヨ脳と思わざるを得ません。「世界」遺産なのであって「日本」遺産ではない、という事実が意識から抜け落ちているとしか思えません。佐渡には、四半世紀ほど前に行ったことがあり、佐渡金山にも行ったことがあります。あまり記憶は残っていませんが、江戸時代の水替人足の過酷な労働については、確かジオラマ展示があったようなおぼろげな記憶があります。そう、佐渡の金山は、江戸時代、無宿人(今でいうところのホームレス)を捕縛して水替(鉱山からの排水作業)に使役する強制労働で成り立っていたのです。水替人足の寿命は平均3年と言われ、10年働けば年季が明けた放免されたものの、生きて年季が明ける者は1割程度、という過酷な世界だったようです。「一にたたかれ 二にしばられ 三に佐渡の山へ水替えに」「二度と来まいぞ金山地獄、来れば帰るあてもない」などと民謡にも歌われた、まさしく地獄ということです。そして、時代は下がり太平洋戦争当時、佐渡の金山には朝鮮からの労働者が動員されてきていた、これもまた歴史的事実です。佐渡金山には400年の歴史がありますが、その中で圧倒的に金の産出量が多かったのは太平洋戦争中です。そこには、江戸時代より採掘技術が進歩した、という要因もあるでしょうが、戦費調達のために無理な採掘を行ったであろうことも容易に推察できます。そういう意味では、現存する世界遺産の中ではボリビアのポトシ銀山が、佐渡金山に類似した性格と言えます。ポトシも先住民のすさまじい強制労働によって成り立っていた鉱山でした。そして、ポトシ鉱山は「負の世界遺産」だとされます。負の世界遺産には、他にアウシュビッツや広島の原爆ドーム、ビキニ環礁の核実験場跡地などがあります。佐渡金山もそれらと同様に「負の世界遺産」と位置付けるのであれば、世界遺産というのも一考の余地はあります。もっとも、そのように位置づけると、今度は高市らネトウヨ層が「自虐だ」と発狂を始めるでしょうが。報道によれば、そもそもは2015年南京大虐殺の世界記憶遺産登録を巡って日本政府が反発し、その後日本の主導で世界遺産の登録を巡って関係国の異議申し立てを認めるように制度が変わったのだそうです。そういう制度改正を日本政府が求めたのは、ネトウヨ層の意向を受けてのことでしょうから、まさしく身から出た錆、もしくはブーメランというものです。そもそも近年、個人的な感覚では富士山の世界遺産登録以降、世界遺産のインフレが凄まじく、「人類共通の遺産」という歴史上あるいは自然上の重要に、どうも疑問を抱いてしまいます。別に佐渡の金山に限らず、「もういいんじゃない?」というのが正直なところです。
2022.01.25
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「南海トラフ」の前兆か 未明の大分、宮崎を襲った震度5強 列島周辺で頻発する強い揺れ「すでに始まっているといってよい」識者22日大分県と宮崎県で最大震度5強を観測する地震が発生した。震源地は日向灘で、震源の深さは45km、地震の規模はM6.6。列島周辺で震度5強程度の強い揺れが頻発しているが、今回は南海トラフ巨大地震の想定震源域で起きた。専門家は、巨大地震へ地震活動が活発化していると指摘する。高知県や熊本県でも震度5弱を観測。その後も日向灘を震源とする地震が続いた。~武蔵野学院大の島村英紀特任教授は「フィリピン海プレートが起こした地震で、震源がより浅く、マグニチュードが大きくなれば津波が起きる可能性もあった。南海トラフ地震も同様のメカニズムで発生する」と解説する。~今回の地震は南海トラフ巨大地震の想定震源域だったが、有識者を交えた「南海トラフ沿いの地震に関する評価検討会」の基準であるM6.8には達しておらず、臨時開催はしないという。~災害史に詳しい立命館大環太平洋文明研究センターの高橋学特任教授は「活発化する太平洋プレートに圧縮されたフィリピン海プレートの動きを注視すべきで、その中には首都圏も含まれる。小笠原の地震やトンガの噴火のほか、昨年来、トカラ列島や沖縄、台湾周辺でも地震が頻発しており、南海トラフ地震は始まりかけているといってもよい」との見方を示した。---残念ながら、人類の現在の能力では、次にいつどこで大きな地震が起こるかを予測することは不可能です。今回の日向灘の地震は南海トラフ超巨大地震の想定震源域の南端で起こったため、各方面で緊張が走ったわけですが、では今回の地震が南海トラフ地震の予兆か、引用記事にあるように「南海トラフ地震は始まりかけているといってもよい」のかというと、それはどうでしょうか。長い目で見れば、確かに今回の地震が南海トラフ超巨大地震の予兆の一つである可能性はあると思います。長い目で見ればというのは、今後10年20年のスパンです。そのくらいの時系列でみれば、今回の地震は南海地震の予兆の一つだったということに、おそらくなるでしょう。ただ、「予兆」という言葉は、通常はせいぜい2~3年以内に起こる事象に対して言うように思います。しかし、南海地震が2~3年以内に起こる可能性は、ない-と私には断言できませんが、その可能性は高くはないだろう、と推測することはできます。今回の地震に関しては、ウェザーニュースがYouTubeチャンネルで分かりやすく解説しています。つまり、今回の地震と想定される南海地震では、地理的な震源の位置は重なるけれど、地震発生のメカニズムは異なる、ということです。想定される南海地震は、プレート境界線のひずみの蓄積から生じるけれど、今回の地震はプレートの奥深くでの内部破断、ということです。それから、日向灘は確かに南海地震の想定震源域の南端に位置していますが、過去の東海・東南海・南海地震の震源域を見ると、少なくとも有史以降の地震では、日向灘まで震源となったことが確実に判明している例はないようです。従って、今回の地震が南海地震の「直接的な」予兆とは言えません。ただし、今回の地震の揺れが、本物の南海地震の震源域に「揺さぶり」をかけたのは間違いないように思います。そのことが南海地震に一切の影響を与えないものかどうかは、私には分かりません。与えるかもしれないのでは?という気もします。ただし、東海・東南海・南海地震に関しては、もう一つの法則があります。これは、以前の記事に紹介したことがあります。阪神淡路大震災から15年この地域の巨大地震は、しばしば連動して起こります。特に東海地震・東南海地震・南海地震は、連動する可能性が非常に高い。歴史を紐解けば1946年12月21日 南海地震 M8.01945年1月13日 三河地震 M6.81944年12月7日 東南海地震 M7.91855年11月11日 安政江戸地震 M 6.91854年12月24日 安政南海地震 M8.41854年12月23日 安政東海地震 M8.41854年7月9日 安政伊賀地震 M7.61707年10月28日 宝永地震(東海・東南海・南海同時発生)M8.4~8.71703年12月31日 元禄地震(元禄関東地震)M8.11605年2月3日 慶長地震(東海・東南海・南海同時発生)M7.9~8※---東海、東南海、南海の各地震は、そのうちの2つか3つすべてが連動して起こる可能性が高いというのが引用記事の趣旨ですが、そのことに加えてもう一つ、地震の間隔に注目する必要があります。各地震の発生間隔は、もっとも短くて約90年、長いと150年ほどです(もっと古くからの地震の間隔をどこか別の記事に書いた記憶があるのですが、自分でも発見できません)。宝永地震より以前も、有史以降判明している限りの東海、東南海、南海地震で、これより発生頻度の高い例はありません。プレートの動きによるひずみの増大は一定であるとすれば、プレートの動きが最近急に加速した、ということがない限り、これより発生頻度が高まる可能性は低いと思われます。一口に巨大地震と書きましたが、過去の地震の歴史を調べると、実はそれぞれの地震の発生間隔と規模には差があります。上記の地震について言うと、こうなります。1605年慶長地震(M7.9-8巨大)※ 約100年間隔※1707年宝永地震(M8.4-8.7超巨大) 約150年間隔1854年安政地震(M8.4巨大) 約90年間隔1944-46年昭和東南海・南海地震(M7.9-8巨大)1707年の宝永地震は、それ以降の1854年安政地震と1944-46年の昭和東南海・南海地震よりも地震の規模が大きかったことが指摘されています。もちろん残りの二つだって巨大地震であり、多くの犠牲者を出し1944年の東南海地震は太平洋戦争中の日本の工業力の最後の砦を破壊した、と言われますが。ということは、前回が超巨大地震なら、次までは約150年、前回が巨大地震なら次までは90~100年、という法則になります。※プレート間のひずみを最大限に解放し切った超巨大地震ではその後にひずみが蓄積するのに長時間を要するが、より小規模の地震では、ひずみが完全には解放し切っていないので、次のひずみ蓄積までの所要時間が短いであろう。このように考えると、この地震の規模による次の地震までの発生間隔の違いは説明がつきやすいです。この法則を当てはめるなら、次の東海・東南海・南海地震の発生は、2030年代半ば以降である可能性が高いと考えられます。もちろん、これは過去の、それも17~18世紀以降の記録だけに基づいて、地震の発生頻度を将来に当てはめただけの乱暴な推計で、推計と呼ぶにも値しないものです。過去の経験がそのまま将来にも無条件であてはまる、と断定することはできません。ただ、前述のとおり、東海・東南海・南海地震の発生メカニズムを考えると、プレートの動きが突然速くなる、プレートの動く方向が変化するなどの、地質学的に新しい局面に移行しない限り、この発生頻度から大きく外れる可能性は高くないはずです。だとすると、東海・東南海・南海地震の発生までは、少なくともあと10年は猶予があると考えてよいのではないかと私は考えています。あと10年もあるのか、あと10年しかないのかは意見が分かれるでしょうが。※慶長地震について1605年慶長地震の震源域には諸説あります。津波の被害記録は明瞭ですが、揺れそのものの被害記録が明瞭ではないからです。このため、東海・東南海・南海地震という説とともに、他の震源域、あるいは遠方の地震で発生した津波被害といった説も存在します。もし慶長地震が東海・東南海・南海地震に含まれないとすると、宝永地震の前の東海・東南海・南海地震は、一挙に約100年古くなって、1498年明応地震ということになります。宝永地震までの間隔は200年も離れているので、これを当てはめれば「次の東南海・南海地震まであと110年くらい大丈夫かもしれない」という見方も可能になります。(大丈夫、ではばく大丈夫「かもしれない」に過ぎないことに留意)もっとも、東南海・南海地震の記録は、明らかに宝永地震(または慶長地震)以降とそれ以前で発生頻度が違います。宝永(または慶長地震)以降は前述のとおり90~150年間隔ですが、それ以前は140~200年間隔程度でしか地震の記録がありません。でも、それはおそらく、地震の発生間隔が昔の方が長かったから、ではありません。17-18世紀ころを境に急に地震の発生頻度が上がったと考えるよりは、古い時代の地震は断片的にしか記録が残っていないだけと考える方が自然ですから。今のところ、慶長地震の震源域については決着はついていないので、次の地震まで10年か110年かは、神のみぞ知る、というところです。ただ、「万が一への備え」という意味では、あと100年大丈夫と決めてかかるのはどうか、というところです。あくまでも来ない「かも知れない」だけですから。それに、この地域を襲う可能性がある巨大地震が東南海・南海地震だけ、ということでもありません。
2022.01.23
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もし生活保護を利用できていたら。大阪の放火事件についての新事実2021年12月、大阪の雑居ビル内のクリニックで放火事件が起き、25人が死亡。あまりにも痛ましい事件に日本中が衝撃を受けた。そんな大阪の放火事件について、1月13日、重要な事実が報道された。~昨年12月17日、大阪の雑居ビル内のクリニックで放火事件が起き、25人が死亡。あまりにも痛ましい事件に日本中が衝撃を受けた。年末には61歳の容疑者も死亡し動機の解明は困難となったが、この事件に対して「拡大自殺」と指摘する声は多い。そんな大阪の放火事件について、1月13日、重要な事実が報道された。それは、容疑者が昨年と数年前の2回、生活保護の申請について大阪市此花区役所に相談に行っていたものの、受給には至っていなかったということだ。男性は土地、建物を所有していたが20年から家賃収入は途絶え、生活に困窮していたものとみられている。ちなみに生活保護は、住んでいない不動産を所有していると処分するよう言われるが、すぐに売れるわけではないので、売れる前に生活保護を利用し、売れたら保護費を返還すればいい。売れるのを待っていたら、その間に餓死してしまう可能性だってあるからだ。また、自らが住んでいる持ち家であれば、資産価値が二千数百万円ほどであれば住み続けながら生活保護を利用できる。容疑者は、このような説明を受けていたのだろうか。ただ漠然と、「不動産あると受けられないんですよねー」というような対応をされてはいなかっただろうか。(以下略)---雨宮処凛氏には賛同できる意見も多々ありますが、この記事に関しては「そのとおりだ!」とは言いかねるのが正直なところです。引用記事にあるとおり、この犯人は困窮しており、生活保護の相談をしていたけれど、申請はしていなかったので、事件時点では生活保護を受給していなかったようです。では、もし受給していたらこのような事件を起こしていなかったのでしょうか?本人も死んでしまい、「たられば」をいっても実際には分かりませんが、確かに生活保護を受けていれば事件を起こさなかった可能性は、ゼロではないでしょう。しかし総合的に考えて、その可能性が高いとも言えません。まず、彼が前例としてもっとも参考にしたのは京都アニメーションへの放火事件でしょう。その犯は、犯行当時生活保護を受給していたことが報じられています。生活保護で最低限度の生活を保障されても、このような凶行に走った容疑者がいる以上は、今回の犯人も「生活保護を受けていれば凶行に走らなかっただろう」とは言えません。知人の福祉事務所関係者に言わせれば、生活保護受給者が警察の厄介になる割合は、正確な統計などないからまったく感覚的なものではあるけれど、どう考えても世間一般よりは高い、とのことです。もちろん、だからと言って受給者の大多数が犯罪に手を染めているわけではありませんが。貧困とは通常はお金のない状態を指します。でも、お金がないことは、貧困の結果であって原因ではありません。では原因は何か、というと千差万別様々ですから一概には言えません。ただ、人間関係、人柄、社会的能力など(まとめて総称すれば「社会性」)に欠陥を抱えているるために疎外されて貧困に陥る人がかなり多いのは確かです。生活保護制度は金銭的貧困という「結果」を最低限度は解決しますが、社会性の不足という、貧困の「原因」を解決するわけではありません。社会性に、少なくとも致命的な問題は抱えていない人であれば、お金がないという結果を解決すれば全体の問題も解決できます。しかし社会性に大きな問題を抱えている人は、お金がないという結果を解決しても、それは対症療法にしかなりません。そして中には、京アニ事件の犯人のように、生活保護によって最低限度の生活が保障されていても犯罪を犯す人も現れます。人間というのは社会的生物であり、社会の中に居場所がなければ「まとも」でいるのは難しいからです。もちろん、生活保護受給者の中ても、そんな人は一部です(そんな人が大部分だったら、生活保護ケースワーカーなんて、やっていらんないでしょうし)。ただ、知人が経験則で語っていたことがあります。病気も障害もないのに、20代30代40代で生活保護に至る人は、人格や社会性の面で何らかの問題のある人の割合が、相当高い、と。以前に記事を書いたことがありますが、人格や社会性の面で問題があるのは「本人が悪い」のか、というのは、これは非常に難しく奥が深い問題ですが。(実際の生活保護の受給者は高齢者が大多数なので、全体としてみればそういう「ヤバイ」人の割合はかなり少数派だといいます)京アニの放火犯がまさしくそういう人間だったわけです。今回の犯人がどんな人物だったかは知りませんが、犯した犯罪の中身、報じられている前科や様々な行動を総合して考えると、かなり「ヤバイ」人であることは確かです。そして、そのヤバさが原因となって社会との接点を失い、疎外、孤立状態にあったとすれば、生活保護を受けてもそれが解消されるわけではありません。従って、この犯人が生活保護を受けていたとしても、時期は違っても結局は同様の凶行に至った可能性は高い、と私は思います。もちろん、可能性が高いだけで「絶対に」と言うつもりはありません。たとえ5%凶行の発生確率が下がるだけでも有益だと言われればそうかもしれませんが、問題の本質がそこだとは私は思いません。この犯人の生活保護の相談がどのような内容、雰囲気で行われたかは知る由もありませんが、そのような「ヤバさ」の片鱗が発露されていなら、面接相談員もそれなりにストレスを受けながら対応したのではないでしょうか。まあ、生活保護の面接相談員は、メンタル的にそんなにヤワでは務まらないでしょうが、どんなにタフな人間だろうと嫌なものは嫌だし、怖いものは怖いですからね。引用記事に「生活保護は、住んでいない不動産を所有していると処分するよう言われるが、すぐに売れるわけではないので、売れる前に生活保護を利用し、売れたら保護費を返還すればいい。」とあります。「売れたら保護費を返還すればいい」(法63条返還)のは事実ですが、裏があります。生活保護で医療費がかかると、本人に大きな不利益になるのです。これは以前にも説明したことがありますが、生活保護になると国民健康保険(75歳以上の場合は後期高齢医療)からは脱退となり、医療費は全額生活保護の医療扶助で支払われます。自己負担はありませんが、返還となると10割全てが生活保護費ですから、その全額が返還になります。受ける時はタダだけど、返すときは健康保険よりはるかに高くつくのです。この犯人の場合は、精神科通院はこの対象とならない可能性が高いですが(精神科への通院は「精神自立支援医療」という生活保護とは別制度があり、保護費の返還対象とはならない)入院や精神科以外の通院もあれば、その返還金は高額になる可能性があります。それを知らせずに保護を開始して、後で「医療費100万円返還です」などと言ったら大騒動になるでしょうから、その決まりは申請までに伝えているはずです。だから、それが嫌で保護申請をしなかった可能性は考えられます。家屋が本人の居住用物件と認められれば、引用記事にあるように「保有容認」(つまりそのまま持ってて良い)ですが、65歳以上になると「リバースモゲージ」制度の利用が義務になります。その不動産を担保に「社会福祉協議会」から生活費を借りてください、という制度で、簡単に言えば、あなたが亡くなったらその不動産は社会福祉協議会≒役所が頂いて、支払った保護費の穴埋めに使います、ということです。この犯人は61歳だったそうですから、65歳はたった4年後です。このこともまた、本人が生活保護利用をためらった理由の一つかもしれません。これらのことは国の生活保護制度の決まりとしてそうなっているのですから、個別の福祉事務所の対応がどう、という問題ではありません。日本のどこかに、これとは異なる対応をする福祉事務所があるわけではありません。というわけで、生活保護制度にいろいろと問題があること(例えば上記のような医療扶助10割返還という制度など)は確かだし、一般論として福祉事務所の対応に何の問題もない、というつもりはないのですが、かといって、この犯人が生活保護が受けていればこの凶行が防げた、責任の一端は福祉事務所(または生活保護制度の欠陥)にある、という言い分にも、どうも与することができないのです。
2022.01.21
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池田信夫ツイッター噴火の規模はまだ不明だが、ピナツボ火山と同じVEI6だとすると、地球の平均気温は3年で0.5℃下がる。80年で2℃上がるというIPCCの予測を大幅に書き換える可能性がある。---いやー、今知ったことでもありませんが、池田信夫ってバカでしょ。ピナツボ山の噴火は、日本では2年後の1993年の平成の米騒動を引き起こした(その一因となった)のですが、世界平均で見ると1992年の気温低下がもっとも著しく、93年はそれに次ぎます。ただ、影響はその2年で終わりました。日本では、翌1994年は前年とは一転して酷暑で水不足の夏として記憶されています。世界平均で見ても1994年はかなり気温が上昇し、翌1995年はさらに上昇して当時としての観測史上最高気温となりました。それも、2年後の1997年には更新されてしまったのですが。気象庁ホームページ「世界の年平均気温」そもそも、年平均気温で見ると、全体の傾向としてはずっと気温が上昇傾向にある中で、ピナツボ山噴火による気温低下は、細かい振幅のわずかな下振れの部分に過ぎないのです。それで地球温暖化傾向を止めてしまうほどの力は、少なくともピナツボ火山レベルの噴火にはない、ということです。当然、もっと大規模な噴火なら話は変わってきますが。さて、そうすると当然次の疑問が湧いてきます。世界の年平均気温で見れば1970年代以前なんてほとんど1993年より気温が低いのに、なんでその時代は不作にならなかったのか?その答えは、以前別の記事で半分触れたことがあります。北海道で米作ができるのは温暖化のせいか?「温暖化」というと、一般的には「夏に酷暑になる」という印象があります。しかし、実際には温暖化によって気温が上がるのは夏ではなく冬です。旭川の過去の気象統計を見ると、統計開始最初の5年間(1889-1893年)の1月の平均気温は-11.1度、~昭和最初の5年間(1927-1931年)の1月の平均気温は-10.0度、最近5年間(2017-2021年)は-7.1度と、128年前と比べて4度、90年前と比べても3度も暖かくなっています。一方8月の平均気温は1888-1892年平均20.0度、1927-1931年は21.6度、最近5年は21.0度、128年前に比べて1度しか上がっておらず、90年前と比べたら、今の方が若干ですが気温が低いのです。---はい、地球温暖化の主要な現象は「夏が暑くなる」ことではなく、「冬が寒くなくなる」ことだというのはよく覚えておきましょう。一方、1993年の冷夏はどうだったか?これは文字どおり、「冷夏」です。つまり夏だけが寒かったのです。前述のとおり、1993年の記録的冷夏に対して、翌1994年は記録的猛暑となりましたが、「年平均気温」で比べてしまうと、この2年間の気温の差はそれほど大きくないのです。1993年東京の年平均気温15.5度、1994年同16.9度です。たった1.4度の違いです。では、月平均気温で見てみましょう。1月から12月ではなく、前年12月から11月までの1年で見てみます。東京1992-93年 1993-94年12月 9.4 8.5 1月 6.2 5.5 2月 7.7 6.6 3月 8.7 8.1 4月13.4 15.8 5月18.1 19.5 6月21.7 22.4 7月22.5 28.3 8月24.8 28.9 9月22.9 24.810月17.5 20.211月14.1 13.4比較すれば一目瞭然でしょう。1993年7月平均気温22.5度、8月平均気温24.8度、この2か月が途方もなく異常低温だったので、それ以外の月はそこまで極端な差はありません。それどころか12月から3月までと次の11月は、1993年の方が猛暑の1994年より暖かいのです(1月から12月ではなく12月から11月で区切ったのは、ひと冬をつなげて考えるためです)。年平均気温では翌1994年と1.4度しか気温の差が生じていないのは、冷夏で気温が下がっても暖冬で気温が上がっているからです。年平均気温で見たら、1993年の東京の平均気温15.5度より低い年は、それ以前にゴロゴロありました。1988年15.4度、1986年15.2度、1984年14.9度など。それなのに、93年だけが記録的不作だったのは、農作、特に米作は基本的には春から秋にやるものだからです。夏の暑さと日照時間不足が致命的で、冬の寒さは影響がないのです。地球温暖化は夏の気温はあまり変わらず、冬の気温が上がる。いっぽう、「火山の冬」は、観測史の中では、そんなに多くの実例があるわけではないので一般論としては分かりませんが、少なくともピナツボ山噴火が日本に及ぼした影響としては、冬(あるいは夏以外)の気温はあまり変わらず夏の気温が下がったわけです。ということは、地球温暖化と火山の冬が組み合わさると冬は暖かく夏は寒くなる、ということになります。もちろん、確実にそうなるとは限りませんが、年平均気温で見れば両者が帳消して気温の上昇が一時的に止まるように見えたとしても、第一にそれはわずか数年のことに過ぎないし、第二に、年平均気温の変動がわずかでも、月ごとの平均気温を見たらそうとは限らない、ということです。火山の冬による冷夏が農業の大きな悪影響を及ぼすことは言うまでもありません。逆に地球温暖化によって冬の気温が上昇することは、北海道の米作の件でも指摘したように、農業に対する有益な効果はほとんどありません。したがって、火山の冬を打ち消すためにCO2を放出、なんてことには害悪だけがあって益は何もない、ということです。
2022.01.19
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火山爆発指数5~6の規模か ピナトゥボが6、「破局噴火」は7以上南太平洋のトンガ諸島にある海底火山で日本時間15日に発生した爆発的な噴火は、噴煙が成層圏にまで達し、遠く離れた日本にも津波警報が出た。噴火の規模は、昨夏の福徳岡ノ場をはるかに超え、記録的な冷夏の原因にもなった1991年のフィリピン・ピナトゥボ山の噴火にも迫るとの見方もある。世界的な気候への影響も懸念される。地元当局などの観測では、噴火は日本時間の14日と15日にあり、特に15日午後1時ごろに発生した噴火が大規模だった。米海洋大気局や日本の気象衛星「ひまわり8号」の衛星画像などから、噴煙の高さは上空約20kmと成層圏にまで達し、半径260kmにわたって広がったとみられる。噴火があった周辺では2014~15年に海底火山の噴火があり、新島ができていた。世界の火山活動をまとめている米スミソニアン自然史博物館によると、昨年末から今月初めにかけて断続的に噴火があったが、その後は活動が落ち着いていたという。今回の噴火の規模について、防災科学技術研究所火山研究推進センターの中田節也センター長(火山地質学)は、噴煙の高さや広がりから、火山爆発指数で5~6だったのではないかと指摘する。「ピナトゥボ山の噴火が6で、それと同じか、やや小さいくらいだった可能性がある」と話した。---トンガでの噴火は、当初15日夜の段階では日本で津波の心配なし、ということでしたが、一夜明けて16日朝になったら全国に津波注意報(三陸に津波警報)が出ていてびっくりしました。地震による津波とメカニズムが違うので、予測等が難しいようです。気象庁は一時「津波ではない」と言ったり、その後「津波かどうかわからない」と言っているようですが、津波の発生原因は地震のみに限られるものではなく、火山噴火やそれによる土砂崩れ(地震・火山に起因するものに限らず、有史以降に記録はないものの、隕石落下によるものも含まれます)も含むので、今回の事象は当然津波の一種ということになろうと思います。そして、噴火の規模ですが、1991年のピナトゥボ火山の噴火に匹敵するか、やや小さいくらいの可能性に言及しています。別の報道では、18983年のインドネシア・クラカタウ火山の噴火に匹敵する可能性を示唆するものもあります。「デジタル台風」に今回のトンガの噴火と昨年の福徳岡ノ場海底火山の噴火の気象衛星写真が並べて掲載されています。出典:デジタル台風:2022年フンガ・トンガ=フンガ・ハアパイ噴火今回のトンガの噴火2021年福徳岡ノ場海底火山噴火福徳岡ノ場海底火山噴火は、日本では戦後最大級、明治以降でも桜島大正噴火以来第2位の噴火規模とみられていますが、それでも噴火の規模は今回のトンガの噴火とは大差があります。もっとも、福徳岡ノ場は火口の水深が25mの海底なので、噴出物の多くは軽石として海中に放出され、空中に放出された火山灰はごく一部であることも、この差の一因ですが。引用記事に火山爆発指数が触れられていますが、無料記事部分は途中で切れてしまっています。火山爆発指数は火山噴火の規模を噴出物(溶岩や火山灰など)の総量で区分したもので、噴出物総量が1立方km以上だと爆発指数5、10立方km以上で6、100立方km以上の超巨大噴火、いわゆる破局噴火だと7、1000立方km以上(有史以降記録なし)だと8になります。過去100年間で最大規模の噴火は前述の1991年ピナツボ火山の噴火で、噴出物総量は10立方km、爆発指数は6でした。1883年のクラカタウ火山噴火の爆発指数は同じく6ですが、噴出物総量はピナツボ火山の2倍にあたる20立方kmでした。破局噴火の爆発指数7の最新の事例は1815年、同じインドネシアのタンボラ山で、噴出物総量は150立方kmと推定されています。これは、有史以降の火山噴火としても史上最大と推定されています。日本における爆発指数7の噴火は、7300年前の縄文時代、鹿児島沖の喜界カルデラの噴火(噴出物総量100立方km)が最新の事例です。というわけで、もし今回の噴火がピナツボ火山と同規模とすれば30年ぶりの規模であり、クラカタウ火山と同規模とすれば140年ぶりの規模ということになります。ちなみに、日本の主だった噴火の例で言うと、1707年 富士山宝永噴火 噴出物総量1.7立方km(マグマ換算0.7立方km) 爆発指数41914年 桜島大正噴火 噴出物総量マグマ換算1.6立方km 爆発指数51991年 雲仙普賢岳 噴出物総量マグマ換算0.2立方km 爆発指数4※2011年 新燃岳 噴出物総量マグマ換算0.02立方km 爆発指数32013-15年 西之島 噴出物総量0.16立方km 爆発指数42014年 木曽御嶽山 噴出物総量0.001立方km以下 爆発指数おそらく12021年 福徳岡ノ場海底火山 噴出物総量0.5立方km 爆発指数4※雲仙普賢岳:一連の噴火の合計であり、多くの死者を出した6月3日の火砕流単独ではない。となります。噴出物総量は記載ないものは地上に出た噴出物の体積ですが、「マグマ換算」とあるものは地上に出た火山灰や火砕流、軽石の体積の半分前後になります。いちぶ、どちらの数値が不明のものもあります。いずれにしても、これら日本の主要な火山噴火のどれより、今回のトンガの噴火は、はるかに大規模となります。火山の沖合15kmから撮影したという噴火の動画(動画部分は1:00より)火山からトンガの首都までは60kmあまりしか離れていないということで、通信網が途絶して現地の状況は明確には分からないようです。ただ、各国大使館からの衛星電話による断片的な情報では、人的被害は今のところ報告されていないようです。報告されていない(分からない)だけであって、皆無とは思えませんが、火砕流に覆われて死屍累々、という状況ではないことは確かなようです。ただ、あくまでも「現時点では」です。ニュージーランド首相の発表によれば、大量の降灰に見舞われて街並みが月面のようになっている、とのことです。1991年ピナツボ火山の噴火では、火山から30km圏内の住民全てを事前に避難させていたため、火砕流や溶岩、火山弾による直接の死者は出ませんでした。このことから類推して、ピナツボ山噴火とだいたい同規模とすれば、火山から約60km離れているトンガの主島トンガタブ島には火砕流は到達しなかったのは不思議ではありません。なお、グーグルマップで調べた限りトンガタブ島より火山に近い島はなさそうなので、他の有人島にも火砕流は到達していない可能性が高そうです。ただし、今後は分かりません。まず、噴火がこれでおしまいかどうかが分かりません。今回と同規模あるいは更に大規模の噴火が起こる可能性は、現時点では分からないでしょう。そしてもう一つ、火砕流や溶岩、火山弾による直接の死者が出なかったピナツボ火山噴火でも、その後ラハール(火山泥流)による土砂崩れや雨を吸って重くなった火山灰による家屋の倒壊などで、800人以上の死者を出しています。さらに、避難所生活での不衛生な環境によっても数百人の死者が出ており、合計すると1000人以上が亡くなったようです。前述のとおり、今回の噴火でも大量の降灰に見舞われているので、今後降り積もった火山灰による二次災害で多くの犠牲者が出る恐れがあります。そしてもう一つ、この噴火の影響は全世界に及ぶ可能性があります。成層圏まで吹き上げられた火山灰によって日光が遮られることによる「火山の冬」と言われる気候変動です。ピナツボ火山の噴火では、翌1992年と93年の北半球の平均気温が0.5から0.6℃下がり、地球全体で約0.4℃下がったとされます。日本においては、噴火直後の1991年と92年の夏も、冷夏気味でしたが、最大の影響は2年後の1993年で、記録的な冷夏となりました(観測史上唯一、沖縄・奄美を除く日本本土で梅雨明けが記録されず、「平成の米騒動」となった年)。この原因の大きな部分がピナツボ火山の噴火だと目されています。噴出物総量がピナツボ火山噴火の2倍に達したクラカタウ火山の噴火では、その後5年間平均で世界の平均気温が1.2度下がったというので、気温低下の程度もピナツボ火山の噴火を上回ったようです。ただし、この当時はまだ気象統計も断片的なので、正確な推計とは言えないでしょうが。※ちなみに、気象庁の統計で調べると、クラカタウ火山噴火の翌翌1884年の東京の年平均気温は12.9度、札幌は5.7度でいずれも観測史上の最低記録、鹿児島は15.9度で史上2位の低温記録、8月の月平均気温は東京24.1度で低温記録の史上5位、札幌18.4度、鹿児島25.7度でいずれも2位の低温記録です。それ以前の十分な長さの記録があるわけではないので(観測記録は東京1875年、札幌1877年、鹿児島1883年から)「それ以前との比較」は不明確ですが、少なくともそれ以降との比較では、1884年が記録的に寒かったのは確かです。なお、ピナツボ山は北緯15度、クラカタウ火山は南緯6度、トンガは南緯21度なので、過去の2例より南に位置しているため、北半球よりは南半球の方が影響は大きいでしょうが、そうだとしても北半休は影響なし、では済まないものと思われます。
2022.01.17
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諸事情によりこの週末はどこにも出かけられないので、先週の鳥写真です。まず1月9日葛西臨海公園アオアシシギ。珍しい鳥ではありませんが、久しぶりに撮影しました。鳥じゃないですけどね。笛練習をしていたら、足元の岸壁をのそのそ歩いていたので。クマネズミと思ったのですが、人家は近くにないので、何らかの野ネズミ類?でもクマネズミのような気がします。ドブネズミは明らかにこれより大きいので違うと思われます。鳥と違ってネズミの識別は全然自身がありません。クイナがいました。クイナクイナ同じ場所にオオバンもいました。こちらもツル目クイナ科です。そしてクイナ科3種目が登場。バン(おそらく若鳥)です。ちなみに、クイナ科の各種特徴オオバン→泳げて潜れる。バン→泳げるけど潜れない。その他のクイナ(クイナ、ヒクイナ等々)→泳げないし潜れないヤンバルクイナ→泳げないし潜れない上に飛べないノスリとロビンソンヘリコプターノスリが舞い降りる大観覧車を背景に、ノスリとカラスがバトル中。アカハラ。これも珍しい鳥ではありませんが、久しぶりに撮影しました。ツグミ科です。アカハラ。この鳥を追いかけまわしていじめることを「アカデミックハラスメン・・・・・・」いえ、何でもありません。そして1月10日秋ヶ瀬公園ツグミ。珍しい鳥ではありませんが、なんと今シーズン初撮影です。姿も声も何回か見聞きしていますが撮影しそびれていました。近縁のアカハラ、シロハラは何回か撮影したのにね。元々、ツグミ類は他の冬鳥より渡来が遅い傾向のように思いますが、今シーズンは特にこれまで数が少ないように思います。ルリビタキのメス。前回撮影したものと同じ個体だと思います。相変わらずすごく人慣れしています。ルリビタキ。この日はどんよりと曇っていたので、明るさが足りず、前回よりかなり厳しい写真になってしまいました。ルリビタキガビチョウ。日本産の鳥ではない、いわゆる篭脱けで、特定外来生物に指定されています。キセキレイ
2022.01.16
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林外相、感染拡大「米軍も要因」 地位協定見直しは考えず林芳正外相は13日、日本記者クラブで会見し、在日米軍施設における新型コロナウイルスのクラスター(感染者集団)が、周辺自治体で感染拡大を引き起こした可能性に言及した。「在日米軍が要因の一つである可能性は否定できない」と述べた。基地周辺での感染拡大に関し「深刻に受け止めている」と表明。米側に対し「感染拡大防止と、地元の方々の不安解消に向けた対応を申し入れてきた」と強調した。米軍に大きな権限を認める日米地位協定について「見直しは考えていない」と説明。今後の対応を巡っては、日本の外務、防衛担当者、米軍関係者らでつくる日米合同委員会で協議する考えを示した。---先日、この件についての記事を書いたところですが、さっそく外務省が地位協定の見直しは考えていないと言い始めました。実は、字面の上では、これは間違った方針とは言えません。在日米軍が検疫の抜け穴になっている現状は、必ずしも日米地位協定の「文面」が原因ではないからです。日米地位協定第9条2 合衆国軍隊の構成員は、旅券及び査証に関する日本国の法令の適用から除外される。合衆国軍隊の構成員及び軍属並びにそれらの家族は、外国人の登録及び管理に関する日本国の法令の適用から除外される。(以下略)日米地位協定によって、米軍は旅券、査証、外国人登録、管理についての日本の法令が適用されません。あれ?では検疫に関する法令は?それを適用しない、などという文面は日米地位協定のどこにも書かれていません。松竹伸幸氏のブログ「超左翼おじさんの挑戦」の記事がその点を指摘しているので、そのことを知りました。コロナ感染と日米地位協定・上つまり、地に米地位協定の文面から見れば、在日米軍と言えども検疫法の適用を逃れることはできないはずです。ところが、現実には在日米軍は日本の検疫を受けずに来日します。日本政府は、第9条2の「外国人の登録及び管理に関する日本国の法令の適用から除外される」という規定の「管理」に検疫も含まれるという理屈を発明して、在日米軍に検疫法を適用しないことを正当化しているそうです。主権を放棄し、法律も条約もまげて米軍に奉仕するのが政府の役割、ということのようです。まさしく属国そのものです。というわけで、日米協定には、普通に読めば検疫法を適用除外にするような条項はないのだから、検疫法を在日米軍にも適用するのに日米地位協定の改定は必要ないわけです、本来は。「外国人の登録及び管理に関する日本国の法令に検疫法が含まれる」という解釈を改めればいいだけのことです。もっとも、日本政府はそのような解釈の変更を行って検疫法を在日米軍に適用する気も、まったくないのでしょう。米国様に、なんとか少しは日本の検疫にも配慮してくださいませと、おそるおそるお伺いを立てて、「慈悲にすがる」だけでしょう。要は、政府のやる気の問題です。属国の長であることが権力の源泉である自民党政府が、米国の属国という現状を真剣に打破する気など、残念ながら期待する方が間違いというものでしょう。
2022.01.14
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「タカをくくってはならない」オミクロン株 専門家警鐘 重症化率低くても医療逼迫の懸念新型コロナウイルスの新変異株「オミクロン株」が加速度的に広がり、感染拡大の第6波に突入したとみられる。オミクロン株の重症化率はデルタ株に比べて低いとされるが、感染者が増え続ければ、医療の逼迫は起き得る。専門家は「タカをくくってはならない」と警鐘を鳴らす。~重症化率については希望的な観測が広がる。~沖縄でオミクロン株に感染し、療養中の675人のうち、無症状・軽症は92.3%と大半を占め、気管挿管を必要とする重症者はいなかった。それでも、国立感染症研究所長は「デルタ株と比較し、重症化しにくい可能性が示唆される」との表現にとどめる。理由は沖縄の療養者の年齢構成だ。全体の6割が重症化リスクが低い20代以下の若者だった。(以下略)---新型コロナのオミクロン株が急激に勢力を拡大し、沖縄・山口・広島に「まん防」が発令されました。もっとも、オミクロン株では患者の数は急激に増加しているものの、重症化する人はきわめて少なく、もはやふつうの風邪やインフルエンザと見分けがつかない、とも言われます。だから新型コロナはもう危険ではない、ただの風邪だ、という意見も散見される昨今です。しかし、そう決めつけるのはまだ早いのではないか、と思われます。というのは、引用記事にあるように、沖縄では感染者の6割が20代以下であり、オミクロン株でなくても元々重症化リスクが低い人たちだからです。しかも、日本では多くの人がワクチン接種済です。ファイザーにしてもモデルナにしても、ワクチンに感染を防ぐ効果はあまりありません。「感染予防効果もあるのではないか」という推測もありましたが、事実としてワクチン接種済みでも感染する例はきわめて多いので、その効力はまずありません。しかし、感染しても重症化を防ぐ効果は、絶大なものがあります。そして、日本全国の接種率は8割近くに達しています。とりわけ、重症化リスクのある50代以上は9割超、80代以上では95%超が接種をすませています。相対的に接種率が低いのは、重症化リスクの低い若年層です。つまり、オミクロンの毒性が下がったから重症化しなくなったのか、ワクチン接種による免疫のおかげかは、このデータでは分かりません。もちろん、ワクチンによる免疫が永続するものなら「もう心配ない」と言えますが、残念ながら免疫は永続的ではないから3回目の接種、という話になっているわけです。キリがない、とは思います。どこかで割り切らないと、永久にコロナ禍から脱せなくなるのではないか、という懸念も感じます。自粛生活はもうこりごりです。でも、だからもう新型コロナなんか心配ない、とはなりません。こういった条件を精査した上で、「免疫が切れる頃にどうなるか」を見通した上で「どうするか」を決めなければなりません。それは、そう簡単なことではないのでしょう。まあ、私の個人的な「あきらめ」も含めての話ですが。
2022.01.12
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前回の続きです。オキの耳からトマの耳に引き返す途中、だいぶトマの耳に近づいたところからの撮影です。トマの耳に戻ってきました。オキの耳を撮影。右側は鋭く切れ落ちていますが、こんなところにシュプールがあるのです(冬に行く度に必ずあります)。どう考えても雪崩の巣で、普通の登山者がここを登るのはほぼ自殺行為と尾身うのですが、スキーだと行けるんですね。至仏山が見えます。手前の稜線は西黒尾根。2人下っていくのが見えます。かなりの急登で、夏に初めて谷川岳に登った際、下りに使ったことがありますが、積雪期には私の能力を超えるルートです。奥が、登ってきた天神尾根、登山口の天神平も見えます。天神平のアップ(手前下側は西黒尾根)。あそこまで戻ります。左は日光白根山、中央右は武尊山快晴になりました。気持ちよく下っていきます。山頂方面を振り返ります。また至仏山。急に風が出てきました。晴れているのですが、風に飛ばされて雪が舞っています。いわゆる地吹雪です。かなり強烈な地吹雪になってきました。冬の日本は上空を偏西風(ジェット気流)が流れるため、世界的に見てかなり風の強い山域になります。それが積雪量の多さ、標高の割に森林限界が低くて鉱山植生が豊富であることの原因なのですが、そのため冬山に登っていると、この程度の風は割と頻繁に遭遇します。天神尾根下山中の様子を動画にまとめました。風があまりなく快調に下っているところから地吹雪まで。熊穴沢の避難小屋。煙突?だけ残してすべて雪の下です。入口は雪の中にトンネルが掘ってあります。トイレがないので本当に緊急用です。この辺りまでくると、地吹雪は収まっています。本コース中唯一の難所。往路に下りになり、復路は登り返しになるので、往路が難所です。といっても、たいしたことがないし、雪の状態によってはまったく壁になっていない時もあります。朝日岳と白毛門。天神平スキー場の上に到着。3時前、このくらいの時間が一番雪の陰影が深くてきれいです。ここでお決まりの。時間も少なく、他の登山者の往来も少なくなかったので、ケーナとサンポーニャ2曲ずつしか吹きませんでした。それにしても、この辺りで標高1400m~1500m程度と思いますが、1970m前後の山頂とは、明らかに寒さが違います。時によって谷川岳は冬でもポカポカ陽気で登りは汗ダラダラになる時がありますが、この日は結構寒くて、山頂では、日なたでもケーナを吹くのはちょっと無理な感じでした。でも、この場所は合計15分くらい笛を吹いていて、まあ何とか耐えられました。天神平に戻ってきました。ちなみに、トマの耳からの下山開始は12時55分、肩の小屋着が13時頃で、昼食後13時28分頃下山開始、スキー場の上部尾根に着いたのが14時47分なので、肩の小屋から1時間20分でした。写真撮って笛吹いて15時6分に下り始めて、天神平には15時19分着、13分で降りてきたわけです。前回書いたように、何度登っても素晴らしく、多分来シーズンもまた登るでしょう。(その前に冬の白毛門ももう一度登りたいのですが、あちらは難易度が高く、なかなか容易ではありません。)
2022.01.10
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何度目か覚えていませんが、雪の谷川岳に登ってきました。(去年も登ったし、多分5回目くらいかな)何度登っても、素晴らしい山なので飽きません。それに、東京から日帰りできるのも魅力です。ただ、それもすべて「晴れれば」ですけど。日本海側気候の山ですから、基本的に冬季は天気が良くない(だから雪がたくさん積もる)のですが、この3連休初日は、晴れの予報になりました。といっても天気予報は確実ではない(平地はまだしも山は特に)のですが、果たして?天神平にて。晴れました!!が、谷川岳山頂方面はガスがかかっています。とにかく出発です。天神平を出発した時間は9時43分でした。谷川岳天神尾根は積雪期と無雪期で、登り初めのコースが少し違います。夏道は登りはじめからしばらく山腹を巻きますが、冬のルートはいきなり直登で田尻尾根の稜線に出ます。この登りが、結構きつい。そして尾根に出たところからはしばらくアップダウンの少ないルートを進みます。これは田尻尾根の稜線に出たところです。この辺りからまた登りになります。晴れていますが、向こうにガスがかかっているのが分かります。ザンゲ岩を通過とうとう、ガスに突入です。あーあ、晴天もここまでか・・・・・・。と、思ったら、奇跡が起きて突然晴れました。左が日光白根山、中央右が武尊山。ここが一番きつい登りでした。肩の小屋直前。肩の小屋に着きました。ここまでくるとトマの耳山頂は目と鼻の先ですし、斜度もゆるくなります。なお、肩の小屋は冬季閉鎖中で、トイレも閉まっているとのことです。(冬季は、ロープウェイ天神平駅から山頂までトイレはない)肩の小屋通過が12時4分なので、天神平から2時間半でした。この日は割と好調に歩くことができ、夏の標準コースタイム+15分でここまで来ました。で、トマの耳山頂は目の前なのですが、ひとまずそこは通過して、オキの耳に向かいます。トマの耳山頂付近から。肩の小屋が目の前に見えます。爼倉の稜線。こちらは、まだ結構ガスがかかっています。トマの耳へ。トマの耳手前でオキの耳を振り返って撮影。オキの耳山頂に着きました。確か苗場山だったと思います。稜線はさらに先まで続きます。左が茂倉岳、右が一ノ倉岳。いつか、この先を朝日岳まで一周してみたいですが、冬はどう考えても無理かな。トマの耳に向かって引き帰します。続々と登ってきています。以下次回に続く。
2022.01.09
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沖縄・山口・広島にまん延防止適用、31日まで 全国の感染6000人超政府は7日、新型コロナウイルス対策本部で、感染が急拡大している沖縄・山口・広島の3県をまん延防止等重点措置の適用対象にすると決定した。期間は9~31日。岸田首相は、オミクロン株の感染拡大の速さを考慮し、重点措置を強化すると説明した。各知事の判断で酒類の提供停止などを可能とするほか、3県が保険医療提供体制の確保計画の準備状況を公表し、医療提供体制の確保に万全を期す。今回適用対象とした沖縄県と山口県では米軍基地の周辺地域などで感染が広がっている。日米の外務・防衛担当閣僚会合では、林芳正外相が米軍関係者の外出制限の導入を含め、感染拡大防止の徹底強化を米側に求めた。新型コロナウイルスへの感染はこの日も拡大しており、東京都では新たに922人の感染が確認された。沖縄県でも1414人大阪府では676人の感染が確認された。NHKなどの国内メディアは、全国の感染確認者が6000人を超えたと伝えた。6000人を上回るのは昨年9月15日以来。(以下略)---正直なところ、オミクロン株は感染は爆発的なものの、重症化する例は少ないとされており、これに対してどこまで厳戒態勢を取るべきかは、私はやや懐疑的です。ただ、それにしても、程度はともかくとして感染予防策は必要です。しかし、日本国内で、あるいは外国から日本に帰国、あるいは渡航する日本人、外国人に当然に求められている感染症対策の、巨大な抜け穴が在日米軍であることは明白な事実です。そして、それが今回の第6波感染拡大の大きな要因になっているのは、おそらく事実であろうと思われます。感染拡大が著しく、今回「まん防」の対象となった沖縄は言うまでもなく在日米軍が集中していますし、山口県と広島県は、両県の境界付近に米軍岩国基地があります。そして、米軍基地が新型コロナウイルス感染症予防の巨大にブラックボックスになりうることは、今回初めて明らかになったことではありません。すでに1年前、同様の事態が起こっている島があることが日本のメディアにも取り上げられています。「日本から一番近い楽園」グアムが崩壊寸前 新型コロナ禍「日本から一番近い楽園」ともいえるグアムが今、崩壊の危機にさらされている。新型コロナウイルス感染症により、米国の準州であるグアムでは、2020年3月に知事が公衆衛生緊急事態を発令、その後事実上のロックダウン政策が施行された。グアム政府が迅速に対応したことで、その後の感染者拡大には歯止めがかかり、5月から経済活動への規制が段階的に緩和された。ところが、7月下旬から再び感染者が増加し、8月には最高レベルの規制が再開されたが効果は限定的で、12月初旬には累計感染者は約7000人(人口約16万6000人)に達し、感染拡大が深刻な状況下にある。グアムは太平洋に浮かぶ孤島で、空港で島外からの入島者検疫をすれば水際で感染が防げそうに思える。実際、一般入島者は空港でのPCR検査結果が「陰性」でも14日間、政府指定検疫施設から一歩の外出できない強制完全隔離を強いられていた。その一方、米連邦政府からグアム島内の米軍軍事施設の工事のために送り込まれる労働者は、入島時の検疫も14日間の強制隔離も免除されている。米連邦法上「グアムは未編入領土であり米連邦政府の所有物である」と明記され、米国の「植民地」である。グアム島民は大統領選挙はおろか国政選挙の選挙権もなく、連邦議会に地域代表の議員を立てる権利も認められていない。グアム政府は連邦政府の決定には口出しができない一方的な支配関係が続いているのだ。8月上旬からの第2波を引き起こしたのは、この米軍基地関係労働者と目されている。島内で患者が治療を受けている2つの病院は、ともにICU病床がわずかしかない。重篤な肺炎に対応できるエクモも、操作できる医療技術者もいない。海軍病院もあるが、軍人とその家族など限られた軍関係者しか受診できない。新型コロナ第2波の影響で島民たちが休職や解雇で貧窮している状況を受け、島民からは何よりも経済再生を優先してほしいという要望が高まってきている。しかし、主要産業である観光業が壊滅状態の今、グアムが経済的な活路を見いだす方法はどこにあるのだろう。島内で新型コロナ関連の死亡者が出た場合、連邦政府からグアム政府に支払われる1人当たり4万ドルの弔慰金のうち1/4の1万ドルは遺族に給付されるものの、残りの3万ドルはグアム政府の収入になる。コロナ禍で観光業が大打撃を受け、米軍基地関連工事以外に大きな産業がなくなったグアム政府にとって、連邦政府からの「コロナ禍による死亡者への弔慰金は大きな財源」となっている。このようにコロナ禍で大打撃を受けているグアムはさらに連邦政府の「抑圧」に逆らえない状況に追い込まれつつある。沖縄本島の半分以下約549平方キロのグアム島の総面積のうち米軍軍事施設の占める割合は現在の33%から今後60~70%近い数字になる可能性がある。終息の見えない「新型コロナ」と島内でかなりの比重を占める「米軍基地」の拡張。楽園グアムの観光はその両方から挟み撃ちに遭っている。(要約)---グアムで一般島民、一般渡航者に対しては水も漏らさぬ検疫と感染症対策で新型コロナを完全に抑え込んでも、米軍基地という巨大な抜け穴からいくらでも水が漏れていた、ということです。であれば、同じ事態は当然在日米軍基地でも起こりうると、この記事を読んだ当時思いました。それから1年、グアムで起こった事実を知ってさえいれば、誰でも容易に予想ができる事態を、誰も食い止めることができず、案の定沖縄と山口、広島で同じ事態を再現している、というのが現状です。無為無策、という以外の表現が思い浮かびません。要するに日米安保は絶対、在日米軍様は神聖にして侵すべからず、という固定観念から一歩も踏み出すことができないから、何も言えないのしょう。米国の準州という名の植民地であるグアムと、さして変わらぬ事実上の植民地、というのが我らが祖国日本の現状です。
2022.01.07
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音楽の演奏は一人ではできないものです(ピアノなど独奏楽器なら別かも)。だから、フォルクローレに関しては、私は3つのグループに参加しています。山登りは単独行が中心ではありますが、年に何回かは高校同期の山仲間と一緒に山に登ります。でも、鳥撮影だけは、私に仲間は誰一人いません。他のカメラマンとちょっと立ち話をすることがある程度で、それ以上の連絡も交流も一切ありません。そんな友達一人もいないバードウォッチャーの私が、鳥撮影界の常識(?)に爆弾を投げ込んでみました。まずは普通に今月の鳥写真から1月2日、今年初撮影は葛西臨海公園でした。ヒメアメツバメが飛んでいました。スピードが速くて、ピントが合わずピンボケ写真しか撮れません。ツバメと名が付きますが、普通のツバメ(スズメ目ツバメ科)とは外見が似ているだけで別系統です。(アマツバメ目)ノスリ。池の対岸ですが、いつになく近くの木に止まりました。ノスリ。遠くから見ると、鷹っぽくない優しげな眼つきと思ったのですが、近くから見るとやっぱり鷹ですね。ノスリ。向こうを向きました。ずーっと下を見下ろしてノスリ。池に飛び降りた。魚か何か、獲物を捕らえたのでしょう。この後樹林の奥の方に飛び去ってしまいました。同日午後は石神井公園です。みんなの人気者、カワセミ。名前も声(さえずり)も、誰でも知っている、その上、冬から初春にかけては、ちょっとした公園に行けばあちこちにいる鳥です。が、その姿を見る機会はあまり多くはありません。地面に近い笹や灌木の藪の奥にいて、明るいところにはめったに出てこないので。しかも、こんなに地味で目立たない、さえずらない限りは鳥好き以外は目もくれなそうな鳥です。ウグイス。今の時期はチッチッチッという地味な地鳴きしかしません。声は、ちょっとした公園なら本当にあちこちで聞きます。ウグイス。山手線の色を「ウグイス色」と表現することがありますが、本物のウグイス色はあんなに明るい黄緑ではなく、こんなに薄暗い灰緑色なのです。ウグイス。何年も鳥を撮っていますが、こんな至近距離で撮影できたのは初めてです。まともに鑑賞に耐える写真自体、今までに3~4回しか撮れたことはありません。カチカチに凍った石神井池は、午後2時過ぎでも解けていません。その氷の上を往来するカモとオオバン。氷の上でも滑らないのか?というと・・・・・・左から3羽目(カルガモ)が派手に転んでおります。その後ろの4羽目(オオバン)もこけそうでバランスを取るために羽を広げています。そして1月3日は秋ヶ瀬公園。シメ。アオジ。大好きな鳥の一つで、今の時期はどこの公園にもいるのですが、飽きずに毎度撮影します。冬の初めは警戒心が強くて人が近づくとすぐ逃げますが、初春くらいになる結構近づいても逃げなくなります。人気者のエナガ。モフモフとかわいい鳥です。キセキレイそして、この日のメインゲスト、ルリビタキの登場です。ルリビタキのメス(またはオス若鳥)最初は距離があったのですが、どんどん近づいてきます。しかし、近すぎでしょう。撮影時に私から見て逆光側の位置の道路に止まっているので、順光で撮影しようと移動しようとすると、パッと飛んで私の前に出て、順光側の位置を取られちゃうのです。また私が順光側の位置に出ると、ルリビタキくんが追い抜いて・・・・・・と、20メートル前後にわたって追いかけっこ状態。普通、そんなことをやったら鳥は飛んで行ってしまうはずですが、このルリビタキは逃げないのです。アスファルトの上のルリビタキって今一つ風情が、と思ったら、おあつらえ向きな木の枝の上に止まりました。ルリビタキ、とうとう足元まで来ちゃいましたよ。100-400mmの望遠レンズですが、400mmでは近すぎてはみ出すので、137mmに落として撮影しています。というわけで、私が推測するに、このルリビタキは、人間から餌をもらったことがあるのでしょう。だから人=餌をくれるものと認識して、極度に人慣れしているのだろうと思います。野鳥撮影のルールとしては、餌で誘引しての撮影は一般に問題視、害悪視されています。ただ、それが問題視されているのは、それだけその手を使う人が多い、ということでもあるのでしょう。公然と「餌でおびき寄せて撮影して何が悪い」という意見は、あまり見たことはありません。皆さん多少は後ろめたさがあるのかもしれません。公然と「何が悪い」とは言わないけど、実際には結構やっている人がいます。実は、この日も、この撮影場所から数百メートル離れた場所で、倒木か何かの上にえさを撒いて撮影の準備をしている二人組のカメラマンがいました。私は関りを避けて、さっさと通り過ぎてしまいましたが。そういうわけで、私自身も、餌でおびき寄せて珍しい鳥の写真を(自然に撮れた風を装って、言い換えれば「ヤラセ」で)撮りたいとは思わないし、それを推奨する気もまったくありません。だけど、餌でおびき寄せて撮影することが悪か、と言われると、そうとも思わないのです。だって、撮影目的ではありませんが、一時期自宅のベランダに小鳥のえさ台を置いていたことはありますから。その当時は鳥撮影はしていなかったので、1枚も写真を撮ったことはありませんが。都会なので、珍しい鳥が来たことはあません。スズメとかシジュウカラ、ムクドリ、ヒヨドリくらいです。台風来襲時に飛ばされると危険なのでえさ台を取り外してしまい、それっきりになってしまいました。新潟県の白鳥渡来地の瓢湖には、「白鳥おじさん」という人がいて、ハクチョウたちにえさを撒き続けた結果、全国的に有名な白鳥スポットになりました。鹿児島県の出水のナベヅル、マナヅル越冬地や、北海道のタンチョウ越冬地の鶴居村も餌付けを行っていることで有名です。宮城県の伊豆沼では組織的な餌やりはされていませんが、白鳥の餌が販売されています。餌付けではなくても、収穫の終わった近隣の田んぼで、落穂や稲わらがガンやハクチョウの餌になっているので、人間活動に依存していることは同じです(先日行った印西市の白鳥の郷も同様)。撮影目的ではない庭のえさ台や餌付けが許されて、撮影目的のそれが許されない、というのはどうも筋の通った話ではないように思います。それに、餌で誘引しての撮影が、鳥にとっていかに有害かを力説するホームページをいくつか閲覧しましたが、正直に言って、その有害性についての説明は、いささか過大表現という感をぬぐえませんでした。そこまで鳥は適応力のない生き物ではないでしょう。餌付けされた途端に野生の生命力を失って、自力で餌をとれなくなって死んでしまうかのような理解はいささか短絡的です。冬場は野外にえさが少なく、野生の動物にとっては試練の季節。その時期に節度をもって最小限の餌を与える(それを撮影に利用する)ことは、そこまで野鳥にとって有害なことか、怒って全面否定するような話かな、という思いを、どうしても禁じえません。繰り返しますが、私自身は、普通には撮れない鳥を餌で誘引して「やらせ撮影」をしたいとはまったく思いません。やるなら、スズメやムクドリ、ヒヨドリに堂々と餌をやっている風景を撮影してみたい、とは思いますが。でも、他人の心の中に指図する権利はありませんから、餌で誘引してでも珍しい鳥の写真を撮りたい、それが楽しいと思う人の心の中を「間違っている」と言うことはできません。私の趣味、主義とは違う、というだけです。自分の趣味、主義と外れること=悪、ではありません。ただ、嘘はやめてほしい、とは思います。自分自身や親しい知人に見せて楽しむだけなら問題にもならないことですが、コンクールに出すとか公式の場で展示するとかなら、餌で誘引した写真は、そうと明示すべきでしょう。そこは信義の問題であって、「やらせ」であることへのうしろめたさめいたものが、多少はあってしかるべきです。が、それは餌をやること自体の是非とは次元の異なる話です。それと、国立公園の特別保存地域みたいな、特に人為的な影響を排すべき場所では、やめてくださいね、ということは思います。まあ、鳥の写真について珍しくも長々と難しいことを書いてみました。というわけで、もう1枚ルリビタキ。ルリビタキ。
2022.01.05
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右が大同心へ、左が硫黄岳へ。亜高山帯針葉樹林の登り。降雪は激しさを増します。最悪の天気なんだけど、実は雪の樹林帯歩きって、楽しいです。未だに東京で雪が降ると、ちょっと心が躍ってしまう人間ですから。もうそろそろ森林限界に近いようです。森林限界に出た!暴風雪だ!!稜線に出ました。赤岩の頭。視界なし。一人だったら、ここで確実に引き返していました。ここに出るまで、樹林帯の登山道はほとんど一人だったのですが、稜線上には何人か登山者がいました。年末なので、入山者は多いのです。向こうにもう一つ指導標が見え、登山者もいるから、あそこまで行ってみよう。というわけで、次の指導標に到着。先ほどの指導標から、ほんの20mか30mですけど。そうしたら・・・・その先にケルンが見えたので、そこまで行ってみました。さらにその先に行くという人が4~5人いたので、私もその先へ。一人だったらこの先は行っていないでしょうが、岩場が見えてきました。実は先ほどの赤岩の頭から硫黄岳山頂までって、登山地図の標準コースタイムで20分です。目と鼻の先。でも・・・・・・このまま硫黄岳まで行けるかな、と思った次の瞬間、また一層激しい暴風雪。さっきのケルンが一瞬見えなくなりました。その瞬間即時撤退。帰る際の目標物が見えなくなったら厳しいですから。かろうじて見えているうちに、一目散にケルンまで引き返して、下山しました。やっぱり樹林帯の降雪は楽しいけど稜線上の降雪は怖い。下山中。降雪はさらに激しさを増しています。私の後からも何人か登山者が登ってきており、私の前にここを登山者が通過したのはおそらく15分か、どんなに長くても30分前だと思いますが、もうトレースが埋まり始めています。赤岳鉱泉に帰ってきました。吹雪の中でも氷壁を登る人たち。(を脇目に見ながら、私はインスタントみそ汁を飲んでいました)昨日より一段と積雪が増しています。この間もどんどん雪が降っています。生クリームがおいしそうです。林道の終点まで戻ってきました。雪が降ったので、車のわだちで圧雪されてツルツルだった林道が、フカフカ雪になって歩きやすくなってました。前回紹介した、八ヶ岳で一番の難所「やまのこ村」脇の斜面も、わだちの跡を避けてフカフカ雪を踏めば何の問題もなく通過できました。これならアイゼンが欲しいと思うこともなし、です。で、美濃戸口まで下山して、八ヶ岳山荘近くで第2回笛タイム→小屋で入浴→帰宅降雪の山登りもそれはそれで楽しいけど、次はやっぱり晴れた登山がいいなあ。
2022.01.03
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あけましておめでとうございます。昨年は、良い1年だった、とは言いかねる1年でしたが、今年こそ、よい1年であってほしいものです。さて、年末に八ヶ岳に行ってきました。当初は別の山を考えていたのですが、年末年始に冬型の気圧配置が強まる予報で、日本海側は強烈な悪天候が予想されたため、太平洋気候で晴天が予想される(結果として予想は大外れでしたが)八ヶ岳にしました。もっとも、正直なところ、赤岳鉱泉の山小屋間予約をしたのが12月26日で、「多分満室だろうな」と思い、その場合は日帰りで別の山と考えていたのですが、以外にも予約が取れたのでした。茅野がバスで美濃戸口に到着。晴れています。最高の登山日和です。美濃戸口から美濃戸まではコースタイム1時間、標高差230mほどです。バスで来た場合は美濃戸口から歩きですが、車は美濃戸まで入れます。そのため、この間の林道は冬場、砂利道の路面は圧雪されてカチンカチンでツルツルのアイスバーンになっています。これが滑りやすくて、下山時は結構怖いのです。往路は登りなので、それほどのことはありませんが。実は冬の八ヶ岳最大の核心部はここだと思っています。美濃戸の「やまのこ村」脇。前述のとおり、美濃戸口から美濃戸までの林道はずっとアイスバーンなのですが、ここが一番斜度があってしかもツルツル。でも「こんなところでアイゼンなんて」と、どうしても思ってしまうので、いつもアイゼンなしで下るので、怖い怖い。登りはいいんですけどね。それと、このときは前の降雪から間もなかったので、ところどころ圧雪されていない雪が残っていたので、そこを踏んで歩けばそれほどは滑りません。でも、ここは車でスタットレスやチェーンを巻いていても、結構滑るんじゃないかなあ。私は運転しないから分かりませんが。美濃戸山荘。まだ晴れています。これなら最高の晴天登山が期待できる、とこのときは思ったのですが。ここで標高1720m。美濃戸の先も車道はしばらく続きますが、山小屋関係車両のみ通行可で一般車は入れません。車道終点。山小屋関係の車だけ、ここまで入れます。ここがだいたい標高1930mか1940mくらい。まだ日差しはありましたが・・・・・・登っていくにつれて日差しがなくなってしまいました。赤岳鉱泉の少し手前で登山道から外れて樹間に潜んで・・・・・・この日第1回の笛吹きタイム。登山道に居座って吹くと邪魔なので、脇にそれたわけです。赤岳鉱泉到着。「アイスキャンディー」と呼ばれる人工氷壁がお出迎えです。どちらかというと、超巨大ジャングルジム、という気もします。先ほどまでの素晴らしい晴天はどこへ。山小屋に荷物の一部を置いて、まずは雪山散歩で中山峠の展望台を目指します。展望台に着きました。硫黄岳-横岳-赤岳の絶景が一望・・・・・・できません(笑)ガスで何も見えない、展望なし台になってしまいました。この天気だし、時間も4時過ぎだったので中山展望台には誰もいません。そこで第2回笛タイム。ケーナは連続2曲が限界。サンポーニャは、指が口のすぐ近くなので指に息がかかって、大丈夫ですが。でも、登ってきていて体が温まっているので、指先の冷たさを除くと、東京で今の時期に屋外練習するほどは寒さは感じなかったりします。この日の赤岳鉱泉の夕食はステーキでした。美味しかったです。いつもだったら山に行けば必ずビールを飲むのですが、実は前日が職場の御用納めで、そのあと同僚と忘年会でした。ビールしか飲んでいないにもかかわらず(中生を4杯くらいだった気がします)、この日は二日酔いで、体調は今一つ。この時間には復調していたものの、ビールを飲もうという気になりませんでした。コロナ禍でずっと飲み会というものに縁がなく、自宅で飲むのは週末に350mlの缶ビール1本だけなので、どうもずいぶんお酒に弱くなった気がします。そして翌朝です。赤岳鉱泉の朝食。サバの塩焼き、脂がのっていて美味しかったです。しかし、外に出ると・・・・・・このとおりの空模様です。当初目標の赤岳は、この天気では到底無理と判断して硫黄岳に目標変更しました。ともかく登り始めます。左が硫黄岳への一般ルート。右側のロープで通行止めしてあるのが大同心の氷壁登りコース。先行するパーティーが大同心に入っていきましたよ。この天気に、頑張るねえ。私はもちろん左の一般ルートへ。しかし、この辺りから雪も激しく降り出しました。というわけで、続きはまた次回です。
2022.01.02
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