全29件 (29件中 1-29件目)
1
日銀、苦肉の「奇策」 マイナス金利導入大量に国債を買い、市場に巨額のお金を流し込む金融緩和を続けてきた日本銀行が、「マイナス金利政策」という新手法の導入に追い込まれた。欧州で先行例があるものの、日本では未知の政策に踏み込む。世界経済の先行きに不透明感が強まるなか、効果は出るのか。年明けから中国経済の不透明感や原油安による資源国経済の低迷を嫌って、金融市場は混乱。円高と株安が進んだ。だが、日銀の追加緩和への期待が徐々にふくらみ、先週22日には日経平均株価が前日より大幅上昇。追加緩和を予想した投資家が先回りして買いに動いたためで、「一発逆転の威力を秘めた追加緩和の必然性は増している」との見方が市場で広がった。ダボス会議から帰国した黒田総裁に日銀幹部が用意していたのは、金融機関が日銀に任意で預ける預金の金利をマイナスにする「マイナス金利政策」だった。欧州中央銀行が一昨年から導入しているが、日銀には経験がない「奇策」だ。その背景には、近づきつつある現行の緩和策の限界があった。13年4月に大規模な金融緩和を始めた当初、日銀の長期国債購入規模は年50兆円だったが、14年10月の追加緩和で年80兆円まで拡大。それでも、物価はなかなか目標に近づかず、日銀が保有する国債は発行額全体の3割まで占めるようになった。「17~18年には限界が来る」との外部機関の調査報告が相次いでいた。ただ、29日の金融政策決定会合では、日銀執行部が提案したマイナス金利政策の評決は、14年10月の追加緩和時と同じ5対4と「薄氷」の差だった。石田浩二審議委員は「これ以上の金利の低下が実体経済に大きな効果をもたらすとは判断されない」と主張し、効果に疑問を投げかけた。---マイナス金利とは、また凄まじい手段をとったものです。今回の決定は市中銀行が日銀に任意で預ける預金の金利をマイナスにする、つまり預金利子をつけずに預金手数料を取る、ということです。銀行からすれば、日銀にお金を預けることは損になるので、そのお金が融資に回り、経済がより活性化する(だろう)ということです。あくまでも、日銀の預金利子の話なので、我々一般預金者の金利が「ただちに」マイナスになるわけではありません。ただし、あくまでも「当面のところは」です。長期的にはどうなるか分かりません。一昨年からマイナス金利が導入されているヨーロッパでは、すでに一般銀行の預金利子がマイナスになる例も出てきているとのことです。もっとも、現状でも銀行預金の金利なんて、ゼロに近い利率ではありますけど。大手都市銀の場合、定期預金の金利は0.025%です。2年以上なら利率は上がりますが、微々たる差です。1億円預けても利子は年に2万5千円、笑っちゃうしかありません。おそらく、マイナス金利が導入されてしばらく経つと、小額の普通預金など銀行にとって利益にならないような預金の金利がマイナスになることが想像されます。大口で長期の定期預金はマイナスにはならないでしょうが。つまり、これは国を挙げて国民に対して「銀行にお金を預けることは悪である、だから罰金を取る」とシグナルを発しているも同然ということになります。銀行にお金を預けるより使ってしまえ、あるいはハイリスクハイリターンの投資にまわせ、と、そう言っているわけです。言い換えれば、堅実な生活など送るな、投機的な生活を送れ、ということです。そういえば、1年半ほど前に、麻生財務相が、一般家庭のタンス預金や銀行預金を害悪視する発言を行ったことがあります。世の中にはいろいろな人がいます。ハイリスク・ハイリターンを好む人もいるでしょうし、安全志向を好む人もいる。みんながみんな安全志向ばかりでは社会の活力という点で問題があるでしょうが、みんながみんな冒険志向というのも危険なことです。安全志向の人も冒険志向の人もいる(居場所がある)、というのが正常な世の中だと思うわけです。ただし、現在は経済的に先の見通しが立ちにくい時代です。そういう中で安全志向の人が増えるのは。いわば生活の知恵による自己防衛というもので、やむをえないことです。「異次元緩和」が永久に続けられるならともかく、そんなわけには行かないことは明らかです。政府の誘導に乗ってハイリスクハイリターンの投資に手を出して、経済情勢の悪化で損をしても政府が補償してくれるわけではありません。だから、いくら政府がこんな誘導をしても、その誘いに乗ろうとは私は思わないし、同様に考える人は多いだろうなと思います。一時的に株価は上がるでしょうが、実際の経済にどれだけの好影響があるかは、きわめて疑問と思います。
2016.01.31
コメント(4)
<船員予備自衛官化>「事実上の徴用」海員組合が反発民間船員を予備自衛官とし、有事の際に活用する防衛省の計画に対し、全国の船員で作る労組の全日本海員組合が29日記者会見し、「事実上の徴用で断じて許されない」とする声明を発表した。防衛省は「強制はしない」としているが、現場の声を代弁する組合が「見えない圧力がかかる」と批判の声を上げた。防衛省は九州・沖縄の防衛を強化する「南西シフト」を進めるが、武器や隊員を危険地域に運ぶ船も操船者も足りない。同省は今年度中にも民間フェリー2隻を選定し、平時はフェリーだが有事には防衛省が使う仕組みを作る。一方、操船者が足りないため、民間船員21人を海上自衛隊の予備自衛官とする費用を来年度政府予算案に盛り込み、有事で操船させる方針。この動きに海員組合は今月15日、防衛省に反対を申し入れ、29日の会見に臨んだ。森田保己組合長は「我々船員の声はまったく無視されている。反対に向けた動きを活発化させたい」と述べた。申し入れでは防衛省幹部から「予備自衛官になるよう船員に強制することはない」と言われたという。だが、森田組合長は「戦地に行くために船員になった者はいない。会社や国から見えない圧力がかかるのは容易に予想される」と強調した。会見に同席した組合幹部も「船はチームプレーで1人欠けても運航できない。他の船員が予備自衛官になったのに、自らの意思で断れるのか。防衛省は、できるだけ多くの船員が予備自衛官になるようフェリー会社に求めている」と危惧を表明した。太平洋戦争では民間の船や船員の大部分が軍に徴用され、6万人以上の船員が亡くなった。森田組合長は「悲劇を繰り返してはならない」と訴えた。有事での民間船員活用計画の背景には、海自の予算や人員の不足がある。有事で民間人を危険地域に送ることはできない。現役自衛官に操船させる余裕はなく、海自OBの予備自衛官を使うことも想定しているが、大型民間船を操舵できるのは10人程度しかいない。このため、防衛省は来年度に予備自衛官制度を変更し、自衛隊の勤務経験がなくても10日間の教育訓練などで予備自衛官になれる制度を海上自衛隊にも導入する。防衛省の計画について、津軽海峡フェリーは昨年末、毎日新聞の取材に対し、2隻を選定する入札に応じたことを認め、「船員から予備自衛官になりたいという申し出は確認していない」と述べた。---1941年12月8日、南雲忠一中将指揮する機動部隊がハワイを奇襲攻撃して太平洋戦争が始まりました。この南雲機動部隊には、徴用された6隻のタンカーが随伴していました。南雲機動部隊の参加艦艇は、太平洋戦争中に1隻残らずすべて撃沈されています。それは徴用されたタンカーも同様です。(1隻だけ座礁状態で水面の上に残存し、戦後に浮揚・修理されているが)ガダルカナル島をめぐる戦いでは、ガダルカナル島に送る陸軍部隊を乗せた徴用商船が主要な攻撃目標となり、そのほとんどが撃沈されています。太平洋戦争全期間をつうじて、商船2500隻以上、漁船や機帆船を含めると6000隻以上が撃沈されています。引用記事には、太平洋戦争中に船員6万人が亡くなったとありますが、実はその死亡率は陸海軍の軍人をはるかに超える43%だったといいます(軍人に占める志望者の割合は、陸軍で23%、海軍16%)。生き残った船員も、大半が一度は撃沈されて油の海を泳いだ経験がある、と言われます。戦後も、私の記憶している限りでは、1982年のマルビナス(フォークランド)紛争で、英軍が徴用していたコンテナ船アトランティック・コンベア号がアルゼンチン海軍機の対艦ミサイル攻撃を受けて撃沈されています。(アトランティック・コンベア号は空母に補充用の航空機を搭載していたのですが、実質的には甲板上を臨時の滑走路にして、代用空母のような運用も行っていたらしい)こういった過去の動向のためか、船員組合はかつての民社党系列の同盟(右派系労働組合)傘下にあったもかかわらず、戦争につながる動きにはかなり敏感に反応しているようです。命がかかっているんだから、当然のことでしょう。「強制はしない」というものの、操船に必須の船員が「予備自衛官にはなりません」と言ったらどうなるのか。船会社としては、有事に徴用される契約を結ぶ以上は、「予備自衛官になってもいいです」という人に挿げ替えて動かせるように対処しようとする事は明らかでしょう。確かに、防衛省自身が直接的に強制するわけではないけれど、それは事実上強制です。船会社も「船員から予備自衛官になりたいという申し出は確認していない」とのこと、そりゃ当たり前でしょうね。ただし、現実問題として、予備自衛官という制度は形骸化しているところがあるようです。防衛出動や災害は件の際、予備自衛官は召集に応じる義務があることになっています。しかし、実際には一律に有無を言わさぬ招集なんてことは不可能です。東日本大震災の際も、召集の打診に応じた人、更に勤務先との休暇取得の調整が付いた予備自衛官を招集した、つまり実質的には召集という名のお願いをして予備自衛官を動員した、というのが実態だったようです。もっとも、東日本大震災当時と違って、何しろ今は安倍政権ですから、「有事」の際に、本当に有無を言わさぬ予備自衛官召集をおっぱじめかねない、という怖さはあります。
2016.01.30
コメント(2)

チリ産ワイン躍進、決め手はコスパ フランス産抜くチリ産ワインの輸入量が2015年、王者フランス産を抜き首位になった。「コストパフォーマンスが高い」との評価が消費者に定着しつつあり、日常的に楽しむワインとして広がっているようだ。財務省が28日発表した貿易統計によると、ボトルワイン(スパークリングを除く)の輸入量のうちチリ産は前年比18%増の5万1593キロリットル。フランス産の5万1519キロリットル(同3%減)を上回り、初めて首位になった。チリ産の輸入量はこの10年で6倍超という勢いだ。チリ大使館のミカエル・マルスカ商務参事官は「非常にうれしい。これからも政府としてサポートしていく」とコメントした。「チリ産ワインは価格の割にしっかりした味、という認識が消費者に広がっている」と話すのは、輸入食材に強いスーパー「成城石井」のバイヤー、東海林慶さん。店頭では1千~2千円台が主力だが、約1万5千円の「アルマヴィーヴァ」なども人気という。11月に解禁されるフランスの新酒「ボージョレ・ヌーボー」にならい、南半球のチリで新酒が出る夏に「チリヌーヴォ」のフェアも開催している。---何とまあ、チリワインが輸入量ナンバーワンとは驚きました。ただ、今ではコンビにでも普通にチリワインが売っていますから、当然のことではあるのかもしれません。私もチリワインは大好きです。赤ワインより白ワインのほうが好きで、冷蔵庫には常に白ワインが眠っています。(ただし、眠っているだけで、栓を開けるのは年に5回か6回ですが)。おおむね、チリワインが2/3、アルゼンチンワインが1/3の割合で、それ以外の国のワインを買うことは、まずありません。日本でチリワインが普及し始めたいちばん最初によく売っていたのは、「コンチャ・イ・トロ」のサンライズという銘柄です(チリワインなのに、なぜ英語?とも思うけど)。どこでも簡単に手に入るので、他のワインが手に入らなければ、これを買っておけば確実、という、安全牌みたいな銘柄。最近は他の銘柄も増えてきましたけど。最近よく買うのは、コノ・スールとロス・バスコス、アロモ。それに、アルゼンチンのトラピチェあたりでしょうか。ブドウの品種は全然こだわりなし。といっても、だいたいシャルドネかソービニオン・ブランですが。おおむね1000円台前半のワインばかり買っています。1万円もするワインは、買ったことがありません。というか、白ワインではそもそもそんな高いワインはありませんが。よく冷えた白ワインで、わずかに炭酸が混ざったものが大好きなのですが、じつはスパークリング以外で、炭酸が入ってしまうのは管理が悪い、ということになっているんだそうですね。それは知らなかったけど、それなら管理が悪いほうが私にはおいしいです。もちろん、スパークリングも好きですが、土産でもらったことはあるものの、自分でスパークリングワインを買ったことはありません。チリのワイナリーは行ったことがありませんが(首都サンティアゴの少し南にブドウの産地とワイナリーが連なっているようです)、アルゼンチンではワイナリーの見学に行ったことがあります。アルゼンチンのブドウ産地は、ほとんどがメンドーサ州。1994年に、チリのサンティアゴから1泊2日でメンドーサまで往復した際、ワイナリー見学に行きました。GIOLというワイナリーですが、ここのワインを日本で入手したことはありません。2月末、南半球なので、日本で言えば8月末相当です。チリのサンティアゴも暑かったけど、メンドーサはそれ以上に蒸し暑かった記憶があります。スペイン語で、ワインはvino(ビーノ)、ワイナリーはbodega(ボデガ)と言います。また行きたいな♪
2016.01.29
コメント(4)
首相、甘利氏続投の意向示す 参院代表質問で安倍晋三首相は27日午前の参院代表質問で、週刊文春の報道で金銭授受疑惑を指摘された甘利明経済再生相について「速やかに必要な調査を行い、自ら説明責任を果たしたうえで、経済再生、TPPをはじめとする重要な職務に引き続き邁進してもらいたい」と答弁した。甘利氏が適切に説明する前提で閣僚を続投させる意向を示したものだ。首相は答弁で「政治資金などの問題は政治家としての責任を自覚し、説明責任を果たしていく必要がある」とも述べた。民主党の郡司彰氏が「(報道で指摘された)現金を大臣室で受け取ったか否かを覚えていないというのは、まったく理解不能だ」などと指摘し、首相の任命責任を追及したのに答えた。政府は、2月4日にニュージーランドであるTPPの署名式に甘利氏を派遣する方針で、27日の衆院議院運営委員会理事会で与野党に説明した。甘利氏は疑惑について28日に調査結果を説明し、国会の承認を得たうえで署名式に出席する予定だ。自民、公明両党の幹事長と国会対策委員長は27日朝に会談し、甘利氏の説明を踏まえ、今後の国会対応を検討することを確認した。これに対し野党は、甘利氏に27日中の説明を求めており、TPP署名式への出席にも反発している。このため、衆院予算委員会での新年度予算案の審議については、与党がめざす28日の趣旨説明、29日の実質審議入りが「厳しい状態になっている」(佐藤勉・自民党国対委員長)という。---本人は「覚えていない」と称している、つまり、ただちには否定できないわけです。贈賄側には録音テープもある、というところから考えて、受け取っていることは確実でしょう。この金の目的はURへの口利きのためだったようですが、本人はURへ口利きをしたことを否定しているものの、この疑惑をスクープした週刊文春の第二弾によれば、甘利の秘書がURを恫喝した録音も残っているらしいですね。記事そのものは未見ですけれど。つまり、どう考えても真っ黒と言うしかなさそうな状況です。このような汚職(または汚職に類する行為)が行われた、ということ自体も許し難いことですが、それに輪をかけて、安倍首相はその甘利経済再生相を続投させる、というのです。信じ難い思いです。何でも、お仲間のあいだでは、甘利大臣ははめられた、という同情論がある、とのこと。仮にはめられたのだとしても、お金を受け取って、少なくともその一部を、収支報告書に記載しなかったわけです。そして、本人は否定しているけど、贈賄側の意に沿ってURに秘書を通じて口利きをしていた可能性が高い。それで、はめられた、 などと言われても、とても同情の余地があるようには見えません。要するに、たとえ収賄(あるいはそれに類する行為)を行った人物でも、お友達は大事だから続投させる、ということでしょうか。と、ここまで書いたところで、甘利大臣辞任の報道が飛び込んできました。やっぱりねえ、それ以外にあり得ないと思っていました。(より正確に言えば、議員自体を辞職すべき話だと思うのですが)しかし、明らかに辞任以外あり得ないような収賄(に類する行為)にも関わらず、続投させようとした安倍首相の態度は、やはり見逃すわけには行きません。沖縄で宜野湾市長選に勝ったので、向かうところ敵なし、何でもやりたい放題できるといわんばかりの態度としか、私には思えません。
2016.01.28
コメント(5)

沖縄本島に初「雪」 名護でみぞれ観測強い寒気が流れ込んだ24日夜、沖縄県名護市と久米島町でみぞれを観測した。1977年2月17日の久米島以来39年ぶりで、みぞれは分類上、雪に含まれるため沖縄県内での降雪は観測史上2度目となる。沖縄本島では初めて。久米島町謝名堂で午後9時56分から6分間、名護市宮里で10時26分から15分間など断続的に観測。各地で「あられ」や「ひょう」も確認された。国頭村奧で午後10時49分、県内観測史上2番目に低い気温3・1度を記録。県内観測地点28カ所のうち14カ所でその地点の観測史上最低気温となった。---この冬は、今月半ばまでは観測史上有数の暖冬で、普段は雪国である水上温泉にこの冬は雪がまったくないという話は、先日当ブログでも記事を書きました。雪がないところが、先週から一転して厳寒となり、九州では大雪が降っているとの報。そして、沖縄では何と観測史上2度目の雪(沖縄本島では史上初めて)を観測した、というのです。びっくり仰天の話ではありますが、ただし、今回みぞれを観測した名護市は、気象庁のサイトで確認すると観測開始は1966年のようなので、過去50年間で初めて、という記録です。同じく、1977年以来2度目のみぞれを観測した久米島も、観測開始は1958年となっています。那覇は1891年から観測記録がありますが、まだ雪を記録したことはないようです。ちなみに、1月24日に那覇の最低気温は6.1度を記録していますが、これは1917年1月20日と並ぶ観測史上最低記録。99年ぶりのタイ記録というわけです。一方、奄美大島でも115年ぶりに雪が降ったとか。こちらは、観測開始が1897年で初めて雪を観測したのが1901年とのこと。これまたすごい記録ではあります。一方、更に南の台湾では台湾北部でも積雪 「一目見たい」市民が山間部に殺到今回の寒波で、亜熱帯に属する台湾北部でも23日から24日にかけ、山間部を中心に雪が降った。台湾の中央気象局によると台北郊外の陽明山でも7年ぶりに降雪を観測。24日夕までに9センチの積雪があったという。台湾では雪がめったに見られないため、一目見ようという市民が山間部に詰めかける騒ぎになった。気象局では陽明山など4カ所の観測所で降雪を確認したが、台湾メディアに寄せられた住民の通報では、山間部の広い範囲で雪が降ったもようだ。台北の市街地でも雪がぱらついたところがあるという。---台湾寒波で65人死亡…最低気温4度台湾の公共テレビなどによると、台湾を襲った寒気の影響で、23日から25日にかけて少なくとも65人が死亡した。地元紙「聯合報」(電子版)によると、心臓や血管の疾患によるものが多いという。台北の24日の最低気温は4度で、過去44年間で最も低かった。---7年ぶりの降雪観測だそうです。もっとも、台湾には玉山を初めとする3000m級の山があり、ここでは毎年必ず降雪があります。冬の玉山で雪上訓練をする人たち。ただ、この動画から判断する限り、風の強さこそ日本の冬山に近いけど、雪の量はかなり少ないなと思います。台北で最低気温が4度というのが過去44年で最低だそうです。やっぱり暖かいんだねえ。しかし、より北方の沖縄・那覇の最低気温記録が6.1度であるところから考えると、それより南の台北の最低気温記録が沖縄より低いのは、ちょっと意外でした。一方香港でも霜見物の80人を救助、香港 最高峰、59年ぶり寒波香港・新界地区にある香港最高峰「大帽山」(957メートル)で24日、59年ぶりの寒波でできた霜を見に来ていた80人以上が低体温症になるなどして救助された。1人が重症。山頂は氷点下6度になっていた。地元メディアが伝えた。消防当局は、危険なので登山に行かないよう市民に呼び掛けた。香港では24日、寒気が流れ込み、1957年以降で最も低い気温3・3度を記録した。---雪ではなかったようですが、霜が見たくて山に登って遭難が80人とは。マイナス6度は、ある程度の防寒対策がないと厳しい気温であることは確かです。それにしても、九州、沖縄、更に南では記録的な寒波だったけど、東京はというと、寒かったし氷点下にもなったけど、雪の予報は当たらず、記録的というほどでもありませんでした。今月初めに雪がまったくなかった水上温泉は、積雪が50cmになりました。まあまあ積もったけど、平年に比べればまだかなり少ないです。つまり、今回の寒波は南のほうに行くほど強烈だった、ということでしょうか。そして、早くも寒波は終わりを告げて、今週末からは暖冬に逆戻りのようです。
2016.01.26
コメント(4)
それホンモノ? 「良き伝統」の正体日本人は「伝統」という言葉にヨワいらしい。例えば選択的夫婦別姓制度の是非を巡る議論。安倍晋三首相ら反対派は「同姓が日本の伝統だ」と主張し、いくら専門家が「同姓は明治中期以降の新しい制度」と指摘しても聞く耳を持たない。このように最近は、新しく、ウソに近い「伝統」がやたらと強調されている気がするのだが……。「(ホテルで)酔って従業員に絡む人も」「寝間着にスリッパでロビーをウロウロする人は少なくなったが、じゅうたんにツバを吐いたりたばこを捨てて焦がしたり」「ひどいのはロビーのイスで足を開いて高イビキ」……東京五輪の年、1964年3月19日付毎日新聞東京都内版が報じた日本人のマナーの悪さを嘆くホテル側の声の一部である。前年7月1日付では「汚れ放題東京の顔 銀座の歩道はゴミの山」との見出しで、通行人のごみのポイ捨てや住民が路上にぶちまけた「台所の残り物」が散乱する様子を伝えている。そして今、日本のマナーに反する中国人観光客はいる。列に並ばなかったり、ごみを捨てたりする人を記者も見たことがある。だが−−。「そこは『お互い様』です。最近まで私たちもそうでした。僕は70年代に米国留学したのですが、向こうで何に驚いたかというと、『割り込み』せず、みんなが列を作ること。当時の日本と大違いでした」と振り返るのは、社会心理学者で一橋大特任教授の山岸俊男さんだ。鉄道利用者のマナーの悪さを報じた1951年2月の「サン写真新聞」に掲載された「割り込み乗車」の写真。「乗るときは一番後ろにいて、電車が来ると横に回り、ねじるように押し入る」らしい。日本の駅で当たり前になっている「整列乗車」が生まれたのも戦後。東京では47年ごろ、営団地下鉄渋谷駅が最初らしい。駅長や駅員が整列乗車を訴えるプラカードを首から下げ、並び方を指導したのが始まりだ。これが後年、国鉄などに広がった。戦後のさまざまな取り組みによって今のマナーの良さがある、ということ。「怖いのは、そうした過去を忘れ、今あるものを『これが日本の伝統だ』『昔からそうだった』、そして『だから日本人は昔から優れていた』と思い込むこと。これは非合理的な思考だし、他国を見下す思想につながる。近ごろはそんな風潮が広がっているようで心配です」冒頭の選択的夫婦別姓はどうか。戸籍が作られた奈良時代から明治中期までは別姓が基本、初めて同姓を強制したのは1898年の旧民法で、当時は同姓が基本だった欧米に倣ったのだ。「でも、現在では同姓を強制している国は極めて例外的。なぜ日本はこれほど不自由なのでしょうか」と武蔵大の千田有紀教授(現代社会論)。欧米でも近年は別姓も選べるし、逆に別姓が基本だった中国では同姓も選べる。「明治以降の夫婦同姓が家族本来のかたち、という考え自体が『日本の伝統』と呼べるのかは疑問だし、『別姓を認めると家族の一体感が損なわれる』という反対論も根拠があるのでしょうか」中央大の山田昌弘教授(家族社会学)は「『多数派がやっていること』を伝統と言い換え、少数派を従わせようとしているだけです。自分と異なる考えを認めない。それを正当化するために『家族が崩壊する』と言い出す。」という。「根底にあるのは『伝統の捏造』と同じ考え」と分析するのは作家で歴史研究家の原田実さん。道徳や公民の教科書が取り入れている「江戸の商人・町人の心得・風習である江戸しぐさ」が、1980年代に創作されたことを2014年に著書「江戸しぐさの正体」で指摘し、教育界に波紋を広げている。「『昔は良かった』という考えがクセもの。この考えに従うと『今ある良いものは昔からあったはずだし、昔はさらに良かったはずだ』との考えに陥りやすい。だから『日本人の道徳・マナーは昔から優れていた』と考えてしまう。『戦後日本から道徳やモラル、公の心が失われた』と言う人は戦前を評価する傾向にあるが、これも同じ。本当にそう言えるのでしょうか」試しに統計を見れば、戦前・戦中(1926〜45年)の殺人事件の人口10万人当たりの発生件数は1・25〜4・14件で、2014年の0・83件より高い。「現状否定のために過去を美化しても、史料に裏切られるのがオチ」と原田さん。(要旨)---実は、数十年の歴史しかないものを、大昔から続いている伝統のように思う、というのは、誰しも陥りがちな錯覚の一つではあるかもしれません。自分たちにとって望ましいもの、誇りに思えるものが、古い時代から続いてきたと思うことは心地よく感じられるし、また古い時代の思い出はえてして美化されやすいものです。当事者自身が昔の思い出を美化するのは、ある意味で止むを得ないことですが、当事者として経験していない若い世代まで、それを真に受けて、いわば「集団の記憶」を受け継いでしまうと、伝統の捏造につながっていくことになりそうです。引用記事では触れられていませんが、高度経済成長に伴って1970年代以降日本人の海外旅行が急増しましたが、その当初、どころか80年代のバブル全盛期くらいまでは、日本人の海外でのマナーも何かと問題になっていたものです。当時、その種の恥ずかしい日本人観光客の姿を批判する書籍や雑誌記事はよく見かけました。つまり、現在の中国人観光客の姿というのは、ほんの30年か40年前の日本人観光客の姿そのものなのです。以前に、「『昔はよかった』と言うけれど」「戦前の少年犯罪」という本を紹介したことがあります。戦前の日本の公衆道徳がどれほどひどかったか、少年犯罪が今と比べてどれほど多かったか(なおかつ、質的にもひどい犯罪が多かった)ということを紹介する書籍です。上記引用記事でも、殺人事件の人口比発生率が現在より戦前戦中のほうがずっと高かったことが指摘されていますが、少年犯罪全般も、その傾向は変わらないようです。全犯罪戦数では、20年から15年ほど前に犯罪が急増した時期がありますが、その後急減して、現在は統計史上もっとも犯罪の少ない時代になっています。また、2000年前後に犯罪が急増したといっても、殺人、強盗などの、いわゆる凶悪犯罪は、顕著に増加したわけではありません。それらの犯罪は1960年代以前のほうが、はるかに多かったのが現実です。引用記事中でも槍玉に挙げられていますが、夫婦同姓が家族本来の形、などという考え方は、明治以降に作られた「伝統」に過ぎず、それまでは夫婦別姓でした。夫婦同姓という「伝統」は当時の欧米諸国の真似から始まっていることは明らかです。ところが、手本とした欧米諸国が夫婦別姓を認めてもそれを真似しようとはしなかった。一度はじめてしまった制度を改変するのが嫌だという、単なる硬直化に過ぎないものを、「伝統を守れ」と言い換えているだけに過ぎないように思えます。
2016.01.25
コメント(4)

東日本大震災・福島原発事故被災者支援 アンデスの響き チャリティーコンサート3月5日(土)午後1時30分開場2時開演場所 日本基督教団北千住教会 東京都足立区千住旭町1-20 TEL 03-3888-2047JR・地下鉄北千住駅東口より徒歩5分※「北千住教会」という名称の教会はもう一つあるようなので、ご注意ください。協力券 1000円出演 ティエラ・クリオージャ/グルーポ・ハカランダ主催 東京関東キリスト者平和の会教会ホームページ・地図---実は、教会で演奏するのは3箇所目です(他に、お寺で演奏したこともあります)。教会の建物は、いずれも音響条件がとてもよくて、音が響くのです。今回の教会も、先日下見に行ってきましたが、音がよく響く会場です。ただ、今まで演奏した中ではもっとも小さな教会で、席は40席あまりしかありません。パイプ椅子を出すそうですが、それでも50人が限界、というところでしょう。出演は、私の参加している「ティエラ・クリオージャ」(8曲くらい演奏予定)と、パラグアイ・アルパを中心とするトリオ「グルーポ・ハカランダ」の二つです。今回は、我々のグループは1曲だけ踊りも入ります(踊るのは私ではありませんが)。今日も、この演奏に向けて、とあるカラオケボックスで練習していました。ティエラ・クリオージャこのときは、メンバーが足りなかったため、助っ人に参加してもらっています。私の隣でケーナの副旋律を吹いている女性です。(5人で演奏しているのですが、右端のチャランゴ奏者が画面からはみ出しています)グルーポ・ハカランダ実は、上記ティエラ・クリオージャの動画で、助っ人でケーナの副旋律を吹いていたのがグルーポ・ハカランダのアルパ奏者です。北千住教会(下見の際に撮影しました)
2016.01.24
コメント(2)

常々当ブログで書いているように、私はいまだにフィルム一眼レフを常用しています。いつまで常用するか分からない状態ですけど。元々は、1999年にキヤノンのNEW EOS KISSとセットのレンズ(EF28-80mm F3.5-5.6)を買ったのが、私の一眼レフの最初でした。今は、このどちらも売却してしまい、手元に残っていませんが。現在使っているのは、EOS7で、2台あります。2000年に発売されたもののようです。私自身が1代目を購入したのは2003年で、中古品でした。どっちが2003年に買ったほうかは、覚えていません。中古価格で4万円前後だったように記憶しています。実は、このカメラを岩にぶつけて壊してしまったため、2005年にもう1台買ったのです。それも中古で、そのときは3万円を切っていたと思います。ちなみに、現在は中古価格を調べたところ3000円台のようです(笑)壊れたから2台目を買ったのに、結局壊れたほうも修理してしまい、同じカメラが2台になりました。なので、そのときにNEW EOS KISSと付属レンズは売却したと思います。重さは電池込みでも500g台で、さほど重過ぎず、私にとっては非常に使いやすいカメラです。背面です。一方、現在常用しているレンズはEF24-85mmF3.5-4.5というレンズですが、これはEOS7より前、2001年に購入したものです。EOS KISSとセットのレンズより、いいレンズを使ったほうがいい写真が撮れるんじゃないか、という、後から考えると危険な考え(笑)が頭に浮かんでしまったのです。こちらは新品で購入したもので、値段はまったく覚えていませんが、当時3~4万だったのではないでしょうか。広角側が、それまで使っていたレンズは28mm、このレンズは24mmです。たった4mmの違いで、ずいぶん広く撮れるようになるんだな、とびっくり。2001年12月のボリビア旅行は、すべてこのレンズとNEW EOS KISSとの組み合わせで撮影しました。そのとき以来、ずーっと、山ではこのレンズを常用しています。もう、かれこれ15年近く使っています。EOS KISSとセットのレンズよりは上のランクとはいえ、そんなに高級なレンズではないと思いますが、わたしにとっては必要充分なのです。重さも380gと軽い。もっとも、広角端の24mmは、最初のうちはワイドぶりにびっくりして多用しましたけど、ふと気が付くと、最近はワイド端はそれほど使っていません。自分でも理由はよく分かりませんが、やたらと広角でいろいろなものを1枚の写真に収めても、そんなにいい写真にはならないから、でしょうかね。しかし、今でもこの広角が役に立つことが、時々あるのです。80-200mmの望遠ズームレンズです。値段は覚えていませんが、比較的安価なものだったと記憶しています。いつ買ったかも覚えていませんが、2001年前後だったと思います。何回かは山にもって行きましたが、山の風景写真で200mmの望遠レンズは意外にそれほど使わなかったのです。いや、実際のところは荷物を担いでレンズ交換が面倒だっただけですけど。登りで息が上がっているときは、ザックを担いだままカメラが構えると、200mmは手ブレになりやすい、ということもあります。(荷物が重いので、三脚は山にはほとんどもっていったことがありません)そんなこんなで、近年はこのレンズは山には全然持っていっていません。ほぼ子どもの運動会撮影専用と化しています。EOS7の1台目を買ったときか2台目を買ったときか忘れましたが、それと同時に買ったEF50mm F1.4 USMという単焦点レンズです(中古)。ズームレンズより単焦点のほうが画質がよい、という話を聞いたのと―ますます危険な方向です(笑)、室内で子どもの写真を撮るのにF3.5では厳しかったので、これを買いました。非常にいいレンズなのですが、F1.4まで開くと、被写界深度が極度に浅いのです。子どもの鼻にピントが合うと目はぼけている、くらいに。F1.8以下に絞れば、被写界深度はある程度深くなります。数字以上に明るいレンズで、前述のEF24-85mmF3.5-4.5とこのレンズを同じ焦点距離、同じ絞りにそろえてシャッターを切っても、こちらのほうがシャッター速度が速いのです。写真の明るさは絞りと焦点距離だけでは決まらないんだ、と思い知らされました。ただし、晴天の山ではそんなに明るいレンズは必要ないし、風景写真はできるだけ被写界深度が深いほうがいいので、このレンズを山に持っていったことはありません。そして、コンパクトデジカメを買ってからは、室内で子どもの撮影はデジカメに置き換わってしまったので、最近はこのレンズの出番がほとんどありません。カメラマニアの中には「レンズ沼」という言葉があるそうで、あのレンズがほしい、このレンズがほしいと、新しい、高級なレンズを次々と買う人も多いと聞きます。ここまでの勢いでは、私もそうなりかねないところだったかもしれませんが、何故かここでパッタリと、新しい(中古も)レンズを買わなくなりました。一時期、100mmの単焦点マクロレンズがほしいなあと、中古を物色したことがあるのですが、結局買わなかった。そのうちに、フィルムカメラが明らかに斜陽になってきて、これ以上新しいレンズを買っても、それより今あるレンズを使い倒そう、という気になったのです。私にとっては山が主で写真が従であり、写真が主ではない、というところも要因かもしれません。で、それ以外の小物も紹介します。カメラケース。山ではカメラをむき出しのままってわけにも行かないので。本体は2台ありますがも1度に2台のカメラは持って歩けないので、ケースは一つだけです。カメラ本体よりはるかにボロになってしまいました。PLフィルタ、UVフィルタ、クローズアップフィルタなど。PLフィルタなんて、67mmが一つと58mmが何故か二つあります。(口径を間違って、すでに持っているものを重複して買ってしまったのです)しかし、ほとんど使っていません。PLフィルタなんて、2012年5月、コンパクトデジカメで金環食撮影するために、減光フィルタの代わりに2枚重ねでコンデジのレンズに押し当てて(笑)使ったのが最後です。いやー、フィルタって、一眼レフ用だけど、こういう使い方でコンデジにも使えるんですよ。ただ、レンズには普段保護フィルタをかぶせています。この記事のために、長らく使っていなかった50mm単焦点レンズを引っ張り出してみたら、保護フィルタが曇ってます。全然使っていなかったからなあ。ただし、保護フィルタだけで、レンズ本体はきれいなままでした。ライトボックスとルーペ。リバーサルフィルム(ポジフィルム)に同時プリントはないので、これがないと、どの写真をプリントするか、選ぶことができません。そして、最後に一番大事なもの。フィルムです。私はフジのPROVIA100Fというフィルムを使っています。コダックもコニカもフィルム生産から撤退し、今は普通に手に入るフィルムはフジカラーしかありません。まあ、元々フジカラーを使っていたので問題ありませんけど。去年値上げしたんですよね。で、私がなぜ未だにフィルムカメラに固執しているかというと、一つは、現像されたポジフイルムをライトボックスで覗き込んだときの画像の美しさ、そのワクワク感がどうも捨てられない、ということです。プリントしたりパソコンに取り込むと、それほどでもないのですが、ライトボックスで覗いたときのポジ写真の美しさは、やみつきになります。もう一つは、デジタル一眼レフに移行すると、どうしたってカメラの性能が劣るものになってしまう、という問題があります。フィルム一眼レフのファインダーって、とても広いのです。それに対してデジタル一眼レフの普及機は、撮像素子がフィルムより小さい(APS-Cサイズ)ので、ファインダーもフィルム一眼レフより小さい。覗くと、なんだかがっかりしてしまうのです。それに伴って、レンズも同じレンズだとより望遠になってしまいます。これも、なんだかがっかりな話です。ならば、フルサイズ機を買えばよいのですが、あんな高いものを買う気はしない、というのが一つと、あんな重いものを山に(特にテント山行のときに)持って行けるか、と思うのです。いちばん軽いフルサイズ機のEOS6Dでも、本体680g(バッテリーを入れれば700gを超える)で15万円。ザックの中に入れている分には100gあまりの差はたいした違いじゃないけど、首から提げているときはね。私の山の師匠(職場の先輩)はマミヤの中判カメラ(6×4.5だったと思う)をテント山行でも担いで登っていましたが、私には無理です。というわけで、今のフィルム一眼レフと同程度の重さ、同程度の広角が使えて、ファインダの見やすさも同程度、値段はせいぜい5~6万、と考えると、そんなデジタル一眼レフはどこにもない。ならばフィルムの方がいいじゃない・・・・・・ということで、ここまできたわけです。しかし、そろそろ手間がきつくなってきてたので、どこかの条件を妥協しようかな、と思いつつあります。
2016.01.23
コメント(2)

2週間前の写真ですが、やっとパソコンに取り込んだのでアップします。昨年も同じ成人の日の3連休に来たら、C61の運転をしていましたが、今年はD51でした。雪がないので秋みたいですけど。D51は、1180両以上製造され、日本の蒸気機関車としては(電気機関車・ディーゼル機関車を含めても)最大の製造数を誇ります。その大半は、戦時中の軍需輸送用に作られたものです。同じく、より大型で強力なD52型も戦時中に280両あまり製造されています。が、しかし、ドイツは戦時中に50型蒸気機関車3000両以上、52型6000両以上を製造しています。それだけでも、当時のドイツと日本でどれだけ生産力に差があったか一目瞭然です。しかも、そのサイズとパワーもD51/D52より大型で強力です(ドイツは標準軌、日本は狭軌なので仕方のないことではあるが)戦前戦中に作られたD51の機関室は、むき出しの開放型です。現在は、さすがに危ないので写真のように開口部に覆いが付いていますけど。水上温泉から宿に向かう途中で谷川岳方面を撮影。水上に雪は皆無でしたが、さすがに山には雪がありました。翌日、土合駅で地上に出たところから。谷川岳のはずです。位置によっては、こんなに鋭角的な山に見えるんですね。この時間は、こんなに晴れていました。土合橋から白毛門に向かって登っていくうちに、山頂が見えました。まだまだ晴天です。山頂がいよいよ近づいてきましたが、雲行きはちょっと怪しくなってきました。もっとも、この写真では暗く写っていますが(明るい写真は雪の陰影が潰れて、稜線が雲と区別が付かなくなってしまいます)、実際はこのときはまだ晴れ間もあって日差しも出ていました。山頂に到着。残念ながら、空は厚い雲に覆われてしまいました。実際はもうちょっと明るかったけど、ともかくもう日差しはありませんでした。谷川岳の一ノ倉沢の大岸壁を目の前にしているのですが、雲に阻まれてほとんど見えません。上州武尊山です。この山も、いつかは登りたいなあ。天気もこんな状態になってしまったため、今回は写真はこのくらいです。それにしても、リバーサルフィルムの写真をやっとパソコンに取り込みましたが、まだプリントした写真にはなっていません。その前、年末に行った上高地の写真も同じ状態です。紙焼きにしていないポジがたまり始めてしまいました。次に撮影したときに、まとめてプリントします。が、最近リバーサルフィルムの手間に、私が対応できなくなりつつあります。現像に出す・完成したポジを引き取って、その場でライトボックスで確認してプリントに出す・そのプリントを引き取る。1本のポジフィルムをプリント写真にするのに、3回写真屋に行く必要があります。リバーサルフィルムには同時プリントというものがないので、手間と時間がかかる。プリントをサボっているのは、何本もまとめてプリントに出せば、写真屋に行く手間が何回分か省けるから、という理由もあります。とりあえずポジがあればパソコンに写真は取り込めるし。しかし、こうなってくるとポジフィルムで撮影する意味が乏しくなってきます。パソコンに取り込むだけならデジカメのほうがが速くて画質が良いに決まっているわけで。しかも、このところ、現像したポジに、妙に反っている部分があるのです。おそらくそのせいで、スキャナで読み込む際に、一部の写真にノイズが載っています(アップした中では下から3番目の写真)。読み込みの際にフィルムが完全に平らになっていないためでしょう。もともとのフィルムのせいか現像時にそうなったのか分からないですけど。さすがに、そろそろデジタル一眼レフを買おうかな、なんて思案中です。もちろん、そうなったとしてもフィルムカメラでの撮影を完全にやめはしないですけど。
2016.01.22
コメント(4)
去年の訪日外国人旅行者 過去最高の1973万人余日本政府観光局によりますと、去年1年間に日本を訪れた外国人旅行者は推計で1973万7400人となり、これまでで最も多かった一昨年の1341万3467人より632万人余り、率にして47.1%増え、過去最高を更新しました。これは、円安の傾向が続いたことや、中国人向けビザの発給要件が去年1月から大幅に緩和されたことなどが主な要因です。国や地域別では、中国からの旅行者が最も多く、一昨年より2倍以上増えて499万3800人。ついで韓国からが45.3%増えて400万2100人、台湾からが29.9%増えて367万7100人。そして、アメリカからの旅行者が15.9%増えて103万3200人と、初めて100万人を超えました。また、去年の外国人旅行者数は、出国した日本人1621万2100人を上回り、大阪万博が開かれた昭和45年以来、45年ぶりに入国外国人旅行者が出国日本人を上回りました。日本政府観光局では、外国人旅行者の伸びは緩やかになるものの、政府が掲げる2000万人の目標を今年達成できる可能性があるとしていて、今後、旅行者のさらなる拡大に向け宿泊施設の確保など、受け入れ態勢の強化などが課題となります。菅官房長官は「ビザ発給要件の緩和や免税品の大幅拡充という、かつてできなかった規制改革を行った成功事例の1つだ」「真の地方創生や国際的な相互理解増進につながる大胆な取り組みを、今年度中に取りまとめ、さらなる大台を目指したい。政府としては、地方創生に資するよう、さまざまな対策をしっかりととりたい」と述べました。観光庁の田村明比古長官は会見で、今年の訪日外国人旅行者の見通しについて「2000万人を超えることを期待しているが、去年のような過去に例を見ない急激な増加が続くということは考えにくく、伸び率は少し穏やかになると思う」と述べました。そのうえで田村長官は、外国人旅行者が東京や大阪など都市部に集中しているため「地方への誘客は重要なポイントだ。来年度予算は今年度より大幅に増えているので~地方の観光資源の掘り起こしや外国人旅行者の受け入れ態勢の強化を支援していきたい」と述べました。---来日する外国人旅行者の急激な増加については、以前にも記事を書いたことがあります。外国人旅行者の増加は、確かに体感します昨年7月末の時点で来日外国人が1100万人に達し、最終的には年間1800万人に達するだろう、という予測でした。実際には1978万人ということは、7月末時点での予測より更に伸びた、ということになります。この間、言うまでもなく去年の8月以降は株価の低迷があり、円高への揺り戻しもあったわけですが、そういった経済情勢も来日外国人旅行者の趨勢には致命的な影響を及ぼしていない、ということのようです。それにしても、前年度比で5割増とは、なかなかすごいものがあります。そして、以前の記事でもそうなる可能性ありと指摘したように、海外へ渡航する日本人世来日外国人の方が多くなったそうです。当時の記事にも書きましたが、山登りでも、あるいは都内で出歩いていても、外国人の増加は実感します。最近時々、都内の大きな公園で笛の野外練習をすることがあるのですが、ちょっと前に練習していたらペルー人に話しかけられたことがありました。日本に出稼ぎに来ているペルー人、ではありません。観光でやってきたペルー人でした。私が「コンドルは飛んでいく」を吹いていたので、それと気付いたようです。リマから来たといっていましたが。せっかくなので、Todos vuelven(みんな帰っていく)という、ペルーのワルツを吹きましたけど。今現在も出稼ぎで日本に在住するペルー人やブラジル人は大勢居ますけど、ちょっと前までは、ペルー人が観光で日本に、というのはほとんど考えられなかったと思います。時代は変わったんだなあと思いました。山登りでも、富士山は例外的に以前から外国人登山者が多かったようですが、それ以外の山で外国人の姿を見かけることはかなり稀でしたが、最近は山でも急激に外国人が増えました。先日行った水上温泉でも、水上から越後湯沢方面への1日5往復しかない各駅停車ですら、中国語を話す2人連れを見かけたくらいです(登山という様子の人ではなかったけれど)。で、日韓関係、日中関係がいろいろと問題にはなっていますが、それでもやっぱり来日外国人旅行者で一番多いのが中国、2番目が韓国です。人口比で考えれば、台湾も相当に多いとは思いますけど。もっとも、欧米系の来日外国人も相当増えています。都心部の公園などでは、むしろそちらのほうが目立ちます。中国人観光客の増加は、去年だけでなく、それ以前からの趨勢ですが、欧米系の来日外国人の急増はごく最近のことのように思えるのです。ただし、引用記事の統計から見ると、実際は伸び率でも中国人がいちばん大きいようなので、私の感じている印象は、必ずしも実態を反映しているわけではないようですが。中国の景気低迷で、今年の来日外国人数がどうなるかわかりませんけれど、去年後半の株価低迷でもさほど影響を受けなかったところから考えると、さらなる増加は難しくとも、急減することもなさそうに思えます。逆に、日本人の海外渡航者が急増する要素もなさそうなので、ここ何年かは、日本人の海外渡航者より来日外国人数の方が多い状態が続く、ということになりそうです。そうすると、旅行、観光業界は、外国人抜きでは成り立たなくなっていくのだろうと思います。
2016.01.21
コメント(4)
日経平均、632円18銭安の1万6416円19銭で終了=東京株式20日の東京株式市場の日経平均株価は、前日比632円18銭安の1万6416円19銭で終了した。東証1部全銘柄の値動きを示す東証株価指数(TOPIX)は、51.44ポイント安の1338.97で終了した。---年明け以来、とどまるところを知らない株価の急降下。確か昨年末は19000円台だったと思うので、すでに3000円近く下げた、ということです。資本主義社会だから、株が上がるときもあれば下がるときもある、それ自体は仕方のないことですが、その株式市場に年金積立金が相当につぎ込まれています。それがこの2週間あまりで一体どれだけ目減りしたのでしょうか。もっとも堅実な運用であるべき年金積立金を、リスクの高い株に投資するのがアベノミクスの本質だったわけですが、早くもその馬脚が現れつつあるようです。私が将来もらえる年金にかかってくるので、アベノミクスが破綻してもらっては困るのですが、しかし冷静に考えれば、私が年金をもらえるとき(15年以上先の話です)までアベノミクスが順調に推移するなんてことは、どう考えたってありえるはずがない。どのみちいつかはこうなる運命だったのでしょう。ちなみに、私個人について言えば、ドル預金がかなり目減りしました。ただし、それでも預金した当初のレート(1ドル90円台)に比べれば、まだまだ充分に黒字ですけど。年金積立金は減る、資産の一部も減る、実に踏んだりけったりです。
2016.01.20
コメント(3)
石原慎太郎の日本よ、ふたたび 航空機産業は国家の命運を握る…MRJは米国に気兼ねせずもっと大型にすべきだった昨年の暮れ近く久し振りの国家的快挙として日本製のジェット旅客機MRJが誕生した。慶賀に堪えないが私自身にはいささかの不満がある。世界全体の需要からすれば本来ならばかつて活躍したYS11よりもう一回り大きな中小型の旅客機を作るべきだった筈だ。私は知事在任中アジアの大都市のネットワークを造り毎年一度の国際会議を催していた。アジアの大都市間で協議統合すべき問題は多々あるが、実は本当の密かな狙いは航空機を製作出来る能力を保有している国同士の連帯で一番需要の高い中小型の純アジア製の旅客機をなんとしてでも作り世界に飛ばしたいという念願だった。~インドネシアの会社のごときは同じ発想で新型旅客機の製作に手をつけていたがアメリカの強い横槍で計画は潰され訪れたバンドンの本社の前庭には完成されるはずだった新型機の外形だけのドンガラが飾られていたものだ。という経緯もあって日本の官僚たちはアメリカに気兼ねして新しいアジア製旅客機のサイズを縮小させてしまった。今回の経緯を目にして、私が思い出したのはかつて日本製のYS11が思惑が外れて生産継続が挫折したいわれは、YSの性能の良さとその売れ行きを懸念したアメリカが東南アジアで手を尽くして日本製飛行機の販路を潰したというまぎれもない事実だった。そのつぶさな実態を私は当時、商社丸紅のインドネシア支店長をしていて、後には社長になった同窓の親友鳥海からつぶさに聞かされていた。その作業に暗躍していたのは他ならぬロッキードスキャンダルで表にたったコーチャンとクラッターなどという手合いだったそうな。自動車での競争で日本に敗北したアメリカは太平洋戦争の緒戦での日本製のゼロ戦が、ドイツが自慢のメッサーシュミットが撃ち落とせなかったB17を簡単に撃墜させたトラウマを抱えていたせいで日本の航空機産業の台頭を絶対に許せずに、中曽根内閣時代に三菱重工が従来のいかなる戦闘機の性能をも上回る次期支援戦闘機FSXの計画を発表した時、強引にこれを潰してしまった。この戦闘機の性能は旋回と宙返りの直径が従来の半分でいかなる相手との空中戦で優位にたてるという絶対的なものだった。(以下略)---何と言うか、妄想だらけの文章です。MRJはYS11より一回り大きくすべきだったというのですが、言われずとも、MRJはYS11より一回り大きいのです。YS11は全長26mあまりで乗客定員は60名前後ですが、MRJは短胴型で全長33mあまりで70席クラス、長胴型(先日初飛行したのはこちらのタイプ)36m弱で90席クラス。長胴型はYS11の5割増程度の座席数になります。MRJ開発の動機には、国威発揚的な発想もあっただろうとは思いますが、どのような機体を開発するかに関しては、マーケットリサーチの上で決定されたはずです。MRJより大きな機体となると、ボーイングB737とエアバスA320シリーズという強力すぎるライバルがいて、今からそこに割って入ろうとしても、とても売れる見通しが立たないという分析が、当然あったはずです。もちろん、できるだけ燃費が低くなるようなサイズと形状、エンジンの選択という都合もあったでしょう。機体サイズを決めるのに国威発揚的発想を持ち込んでどうするの。それで売れなかったら石原新太郎が資材で赤字を補填するのでしょうか?米国がYS11の販路を潰した云々の話は、私には真偽のほどは分かりませんが、相当マユツバっぽい、とは思います。そもそも、米国は航空機大国ではあるけれど、このクラスの旅客機には力を注いでおらず、YS11のライバルに米国機はありませんでした。だから、YS11は米国やラテンアメリカでもまあまあ売れた。YS11は180機ほど製造されています。現在の基準ではあまり売れなかったように見えますが、1960-70年代当時としては、このクラスの旅客機の中ではかなり売れたほうです。当初は150機量産予定だったというから、当初予定より売れています。問題は、コストがかかりすぎたこと。売れば売るほど赤字がかさんだ。必要以上に頑丈に作ってしまったこともその原因の一つかもしれません。これらの事情を考えると、石原が主張するような経緯があったとは考えにくいし、仮にそういうことがあったとしても、YS11が失敗した原因は米国の妨害などではないと思いますけどね。「日本製のゼロ戦が、ドイツが自慢のメッサーシュミットが撃ち落とせなかったB17を簡単に撃墜させた」というのも、これはまた凄まじい妄想です。メッサーシュミットBF109は、B17をかなり撃ち落しているし、一方零式艦戦にとって、B17の撃墜はかなり困難でした。B17は高空を飛行でき、Bf109もB17と同じくらいの高高度で空戦ができたけれど、ゼロ戦は高高度飛行性能は低かったのです。かつて、総力戦とは恐ろしいものである、という記事で、連合軍のドイツと日本に対する空襲を比較したことがあります。対独空襲では、米軍機爆撃機搭乗員の戦死は8万人、イギリス軍もほぼ同じくらいで、合計16万人近い戦死者が出ているのに対して、対日爆撃での搭乗員の戦死者は4000人です。米軍だけでも20倍(連合軍としては40倍)もの開きがある。対日爆撃に投入されたB29の方が、対独空襲に使われた米軍のB17、B24、英軍のアブロ・ランカスターより新型で高性能だった点を割り引いてもなお、その差は大きすぎます。それはすなわち、防空戦闘機、対空砲火、レーダー監視網などの総合能力において、当時日本よりドイツの方がはるかに強力だったことを示しています。(必ずしもBf109とゼロ戦という、個別の機体の性能だけのことではないけれど)「中曽根内閣時代に三菱重工が従来のいかなる戦闘機の性能をも上回る次期支援戦闘機FSXの計画を発表した時、強引にこれを潰してしまった。この戦闘機の性能は旋回と宙返りの直径が従来の半分でいかなる相手との空中戦で優位にたてるという絶対的なものだった。」これまた、明らかに事実に基づかないヨタ話です。当時の次期支援戦闘機、つまり現在のF-2戦闘機ですが、この開発をめぐって、独自開発か米国との共同開発かで右往左往した事実はあります。当時、一度は独自開発の次期支援戦闘機の完成予想図がマスコミに報じられましたが、それが覆って、F16をベースに日米共同開発になりました。そうなった経緯は知りませんが、政府や防衛庁内部にも、独自開発でまともな戦闘機が作れるのかどうかを不安視し、共同開発を求める強力な意見があったことは確かです。当時現役だったF-1支援戦闘機は独自開発でしたが、あまり優れた性能ではなかったことも、共同開発に傾いた理由の一つだったのかもしれません。経緯はともかく、結果として、独自開発の次期支援戦闘機は試作機は作られていないし、設計図面すら作られてはいません。設計図も作らないうちから「いかなる相手との空中戦で優位に立てる」戦闘機が完成すると信じるのは、妄想以外の何物でもないでしょう。要するに、床屋政談の類いに過ぎないのです。それもかなり低レベルの。こんな妄想だらけの駄文でも、石原慎太郎が書くと、新聞紙面に掲載しちゃうんだから、産経新聞ってすげーなーと思います。
2016.01.19
コメント(2)
「天皇」と呼び捨てにしながら開会式に出席する共産党ってどういうこと? 「人間として当たり前」って1月4日、早々と通常国会が召集された。天皇陛下をお迎えして参院本会議場で行われる開会式に、共産党の志位和夫委員長ら幹部6人が出席した。共産党議員の開会式出席は昭和22年以来で、約69年ぶりとなった。本会議場の志位氏らは天皇陛下をお迎えする際に起立し、頭を下げ、他党の議員と同様の振る舞いだった。国会議員が開会式に出席するのは「当たり前だ」と思っていた。だが、少なくとも共産党にとっては常識でなかった。いわく、天皇陛下のお言葉には政治的な発言が含まれ、「高い玉座からお言葉を賜る」(志位氏)という形式に反対だったからだという。ところが今回、天皇陛下のお言葉が「ここ三十数年は儀礼的、形式的な発言が慣例として定着した」(志位氏)と判断し、方針を転換した。ならば昨年から出席してもよかったのに、なぜ今年からなのか。安全保障関連法の廃止を目指す野党連立政権「国民連合政府」構想を提唱する共産党にとって、他党の「共産党アレルギー」を払拭する狙いがあるのは明らかだ。志位氏は開会式後の記者会見で「私たちは一貫している。現行憲法の国民主権、主権在民、そして天皇の制度については国政に関する権能を有さないという制限条項を厳格に守ろうと。この1点でこれまでも対応してきたし、これからも対応する。変わらない」と説明した。「なぜ今回からなのか」の説明になっていないが、開会式での所作に関する次の言葉にはもっと驚いた。「衆院議長にしろ、天皇にしろ、礼をしたときに私たちも礼をした。人間として当たり前だ」礼をするのが当たり前ならば、公の場で天皇陛下を「天皇」と呼ばないことも当たり前ではないか。呼び捨てにする感覚は、少なくとも私にはない。志位氏が「厳格な順守」を訴える憲法の第1条には、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とある。天皇陛下を尊重しない姿勢は国民をないがしろにすることにつながり、憲法の精神にもとる。このことからしても志位氏の言うところの「当たり前」を共有できない。(以下略)---一言でいってバカ記事の極みです。いかにも産経らしい。確かに、60年以上開会式に欠席してきたのが、今年から方針転換して出席したのは、記事の見立てどおり、野党共闘のための策だと、私も思います。でも、それの何が問題なのかは、私には分からない。共産党は、以前は「わが党のみが唯一、常に正しい」という唯我独尊的態度で、野党の中でも孤立する傾向がありました。特に宮本時代はそれが特に著しかった。そのような孤立主義を捨て、自党の政策の中で、譲れる部分は譲ることで他党との連携を図るのは、政治的な選択としてごく当たり前のことではないでしょうか。今は、自公政権だって、連立政権です。連立相手との協調を優先して、自党の政策の譲れる部分は譲る、自民党と公明党だってやっていることですから、共産党がやってはいけない、ということはないでしょう。更に馬鹿馬鹿しいのは、天皇に陛下という尊称を付けないのはけしからんという言い分。「呼び捨てにする感覚は、少なくとも私(記者)にはないそうですが、極右新聞の感覚を一般化されてもねえ。かつて、保守系の政治学者であった高坂正堯は、天皇のことを「天皇さん」(関西弁だったから、天皇はん、だったかも)と呼んでいました。確か、討論番組でも(確か朝まで生テレビだったと思う)、私にはこっちの方がしっくりくる、とか何とか言っていたような。今の産経の飛ばしようだと、この高坂氏すら批判の対象になりかねません。憲法第1条には、確かに天皇は国民統合の象徴と規定されてはいます。しかし、当たり前の話ですが、それは全国民が天皇を敬え、という義務規定じゃありません。そんな義務は憲法のどこにもうたっていません。だいたい、「陛下」という尊称を付けずに「天皇」と呼ぶことが即「天皇陛下を尊重しない姿勢」だという言い分は、かなりぶっ飛んだものだと私は思います。そもそも、日本語で「陛下」という尊称を付けるのは、天皇と外国の国王だけですが、例えば、イギリスのエリザベス女王に対して、儀礼の場では「女王陛下」と言いますが、それ以外では、いちいちそんな回りくどい言い方はしません。当の産経新聞自身の記事だって、「英女王、クリスマスメッセージ 戦後70年にも言及」と、「陛下」という尊称をつけずに報じています。それは、「王」という肩書きそのものが尊称を含んだ表現だからです。天皇も同じでしょう。同じく、儀礼の場では、大臣、大使、軍人(自衛官も)の将官などは「閣下」と呼びますが、儀礼の場以外ではいちいち閣下なんて呼びはしません。国会の答弁で「総理大臣閣下」なんて言わないじゃないですか。天皇だけはそれらの慣例の例外にしたいと思うのは勝手です。そう思う人、思う新聞は、律儀に「天皇陛下」と呼称すればよろしい。しかし、他人にまでそれを強要するなと言いたい。私は、個人的には今の天皇や皇太子には好感を持っていますし、象徴天皇制も廃止する積極的な理由は少ないと思っています。しかし、本人と直接会話するような場でない限り(私にそんな機会があるはずがありませんが)、いちいち「陛下」と尊称をつける必要性を感じません。
2016.01.18
コメント(10)

スキーバス転落 運行代金、基準下回る ツアー会社提案か14人が死亡した長野県軽井沢町のスキーツアーバス転落事故で、バス運行会社の「イーエスピー」が、ツアーを企画した旅行会社「キースツアー」から、道路運送法が定める基準運賃を下回る19万円でバス運行を受注していたことが、国土交通省の特別監査で分かった。イ社を巡ってはずさんな運行管理が相次いで発覚しているが、国交省は利益率の低い受注がイ社の安全運行体制に影響した可能性もあるとみて調べる方針。 ツアーは往復約680キロ。国の基準運賃は27万円が下限になる。基準に反する運賃は道路運送法違反で、イ社は行政処分の対象になる。発注したキ社も旅行業法に抵触し、18日間の営業停止処分となる可能性がある。観光庁などはバスを手配した「トラベルスタンドジャパン」に事情を聴いた。ト社側は「キ社から運賃提案があった。最初から基準を下回っていた」と説明。「キ社から『今冬は雪が少なく客も少ない。当面は低い値段でやってほしい』という要望があった」と明かしたという。ツアーバスを巡っては、旅行会社側がバス会社に安価で発注し、バス会社が利益を出すために安全コストを軽視する実態が指摘されてきた。このため国は45人が死傷した2012年の関越道ツアーバス事故後、貸切バスの運賃基準を引き上げた。イ社は事故車の運転手2人が出発する前に健康状態などを確認する「点呼」をしていなかったことを明らかにした。点呼は道路運送法に基づいてバス事業者に義務付けられた業務で、社長が担う予定だったが、遅刻してできなかったという。ツアーバスはその後、運行計画と異なるルートをたどり、国道18号バイパスで事故を起こした。社長は高速道路料金を節約する目的だった可能性について「経費節減で下を走れと指示することはない」と否定した。(要旨)---14人の死者を出し、しかも、運転手2人を除くと、いずれも10代後半から20代はじめの若者ばかり、なんとも痛ましい事故です。事故現場は凍結も積雪もなかったということなので、事故の原因は運転手のミス(おそらく居眠りか、または何らかの突発的な病気で意識を失ったか)である可能性が濃厚です。そして、その背景にはどうやら、旅行会社が国の定める基準運賃を破る安値で発注した事実があるようです。何しろ社長が自ら運転手の点呼をする(遅刻したので点呼できなかったようですが)というのだから、かなり小さなバス会社なのでしょう。発注元から「値段を下げろ」と言われたら、力関係上、とても逆らえないところだったのでしょう。要するに、安かろう悪かろうで、発注価格が低いから、いろいろなところで手抜きをして経費を下げた、その結果としての事故だった、ということになるのだろうと思います。高速料金をケチって一般道を走って、節約した金額はいくらだったのでしょう。一つか二つ手前の料金所で高速を降りることで節約できる金額は、おそらく1000円2000円程度でしょう。それを節約した結果、会社を潰すほど高くつくことになってしまったわけです。(倒産すると決まったわけじゃないけど、少なくともバス事業はやめるそうです)もっとも、後述するように私が北アルプスに行く際よく利用する「さわやか信州号」でも、その日の道路の混雑状況によって、降りる料金所を臨機応変に変更する、というのはよくあることです。運行計画上どうなっているのかは知りませんけど。旅行会社側は「今冬は雪が少なく客も少ない。当面は低い値段でやってほしい」と言ったとか。先日「雪がない」という記事で、この冬が例年と比べてどれだけ雪が少ないかについて書いたばかりです。その中で、雪が少ないと、冬山好きの登山者、スキー場関係者、スキーヤーが困る、そして春先以降の深刻な水不足につながる可能性がある、ということを書きました。そのときには、まさか雪が少ないことが原因で14人の死者を出すバス事故が起こる、なんてことは予想もしませんでしたが・・・・・・。それにしても、私も山登りでは度々バスを使うのでこういう事故は気になります。かつては、JRの夜行急行「アルプス」や、松本行夜行普通列車が私の山行の足だったのですが、いずれも廃止となってしまいました。現在は全席指定の臨時快速「ムーンライト信州」があるのですが、指定券が全然取れないので、アルピコ交通(松本電鉄)の「さわやか信州号」か毎日新聞の「毎日アルペン号」を使うことが多くなりました。もっとも、最終の特急「あずさ」で松本・茅野・甲府まで行って、夏・秋なら駅前で野宿、冬なら駅近くのホテルで宿泊という「プチ夜行」や、そもそも夜行ではなく朝東京を出て山に行くことも増えましたが。北アルプスの上高地への道(国道158号線と長野県道)や南アルプスの広河原へ道(南アルプススーパー林道)は、なかなかの断崖絶壁を走っており、しかも、夜明け前や日没後に走ることも多々あるわけで、こんなところでもしバスが転落したら、確実に即死だなと思います。もちろん、そんな事態に巻き込まれたことは、幸いにしてありませんけど。スキーバスの事故は、今回の件以外に、1975年の青木湖バス転落事故と1985年の犀川スキーバス転落事故という前例があります。犀川の事故は、夜行バス、乗客は大学生ばかり、運転手は連続勤務で過労と、今回の事故と非常に類似しています。もっとも、ラテンアメリカに行くと、日本よりずっと交通事故が多くて、バスもまた例外ではありません。以前に、そのことで記事を書いたことがあります。南米と交通事故ボリビアの首都ラパスから、世界遺産の町ポトシまでの道は、途中のオルーロまではだいたい舗装されていてそんなに悪くないものの、オルーロから先は未舗装(今はどうか知りません、1994年当時は、です)で、しかも断崖絶壁。そこを、夜行バスが結構なスピードで走るのです。夜明け直後に窓の外を見たら、私は度肝を抜かれました。南アルプススーパー林道と大同小異の断崖絶壁ですが、違うのは舗装されていないこと(南アスーパー林道も、広河原から北沢峠の間で、一部未舗装区間があるけれど)と、ガードレールがないこと。しかし、ボリビアでももっとも危険な道路は、このポトシへの道ではありません。もっと、はるかにやばい道がある。それが、首都ラパスからアンデスの海抜4600mの峠を越えて、熱帯低地のユンガス地方のコロイコにいたる道。例によって、未舗装でガードレールなし。雨季には大量の雨で路肩が崩れることもよくあり、「毎週車が落ちる」と言われます。多分、それは全然誇張ではない。旅行者の間では、「コロイコに行くときは、大型バスには乗るな、コレクテイーボに乗れ」というのは有名な話。コレクティーボというのはラテンアメリカに多い乗り合いタクシーで、ハイエースなどワンボックスカーが使われます。道幅の狭い断崖絶壁の道路では、大型のバスよりハイエースなどのほうが転落の可能性が低いだろう、ということです。これに比べると、いや、比べちゃいけませんね。
2016.01.17
コメント(4)
4月から一般家庭への電力小売が自由化されます。これまでは、東京電力など九大電力会社以外の選択の余地はありませんでしたが、4月以降はどこの電力会社と契約してもよくなります。すでにPPS(新電力会社)が数多く設立されています。我が家も、原発に固執する東京電力とはさよならして、PPSにしよう、と、思っていました。とりあえず東京ガスがいいかな(ガスと電気のセット割というのがあるので)、と思って電気料金を計算してたところ、意外な事実が判明しました。我が家の場合、電機の契約を東京ガスに変えると、東京電力より電気代が上がってしまうのです。PPSは電気代が安くなると宣伝しているのに何故?と思って調べてみると、どうやら月の電気使用量が300KWhを超えると東京電力より安く、300KWhより少ないと東電より高くなるようです。我が家の場合、昨年の月の電気使用量が300KWhを超えたのは、2月と8月の2ヶ月だけでしたから。東京ガスに限らず、他のPPSもざっと調べてみましたが、いずれも、ある程度電気を使う世帯だと東電より電気代が安くなるものの、我が家の電気の使い方だとおおむね東京電力より高くつきそうです。震災以来ずっと節電しているから、と言いたいところですが、震災前の2010年(大変な猛暑の年だったし、節電を特に意識もしていなかった)でさえ、我が家の電気使用量が月300KWhを超えたのは5ヶ月だけでした。だから、我が家の場合は節電しなかったとしても、PPSでは電気代が高くつくことになった可能性が高そうです。我が家の世帯員は3人であり、日本の全世帯の平均世帯員数は2.3人であることを考えると、日本全国の過半数の世帯は、PPSに電気の契約を変えると、かえって割高になる可能性が高いようです。うーーん、意外に少人数の一般家庭にとってはメリットの少ない新制度だったんですねえ。あとは、損得は度外視して、電気代は上がっても東電とは縁を切る、という考え方もあり得ます。ただ、これらのPPSがすべて自前で電気を供給するのか、東電との間で電気の相互融通があるのか、という問題があります。後者だとすればPPSにしても実際には東電の発電した電気を使う可能性はあるわけで、それらを総合的に考えると、当面のところ、PPSへの切り替えは見送りかな、という方向に傾いています。
2016.01.16
コメント(2)
「4K番組は録画禁止」という驚愕のシナリオ官民一体で4Kデジタル放送を検討する次世代放送推進フォーラム(NexTV-F)は技術仕様や放送・サービスの運用規定の仕様をまとめている。BS衛星での4K放送開始が近づく中、民放キー局は無料放送の録画禁止の盛り込みを提案し、譲ろうとしない。消費者がテレビ放送を楽しむスタイルを大きく変える可能性があるルール決めなのに、議論の過程が公開されず、消費者側の意見を届ける手段もない。テレビ番組の録画にコンテンツオーナーやテレビ局が抵抗したのは今回が初めてではない。広く知られているのは、ハリウッドとソニーの8年間の係争だ。このときソニー創業者の盛田昭夫は、「タイムシフト」という造語を生みだした。放送時間に拘束されたテレビ放送を、好きな時間に楽しめるのがビデオ録画機の機能であり、無料放送を個人が私的利用の範囲で複製し、放送時間外に楽しむことは著作権侵害に当たらないとした。(ベータマックス訴訟)それ以来、テレビ放送をタイムシフトして視聴者が自由な時間に楽しむことは著作権侵害にあたらず、自由に行えることが運用ルールとして定着。生活スタイルの中にも溶け込んでいる。しかし、デジタル放送によって、放送側で「番組の蓄積・記録・コピー制御」が可能になった。技術的には録画の可否を、放送局側がコンテンツごとに決められる。コピーワンスやダビング10などは、こうした複製制御の運用規定の一部で、技術的には今すぐ複製禁止、つまり録画不可能の放送が行える。もっとも、上記のような判例や利用者の慣習があり、録画禁止という機能は実際には運用されていない。この、無料放送の複製禁止を可能にするルール改変が、いま行われようとしている。運用規定発表間近の12月8日にNexTV-F技術委員会に提出した報告によると、放送事業者と受信機メーカーの意見は真っ向から対立し、放送局側が複製禁止の運用を強く求めている。しかし、複製禁止を可能にした後の運用基準は現時点では提案されていないようだ。本件に対してメーカーや消費者団体が敏感に反応するのは、過去に放送局側が運用ルールを一方的に変えた前歴があるからだ。現在、デジタル放送視聴にはB-CASカードが必須である。もともと有料放送などの暗号化に使うもので、無料放送はB-CASカードなしで視聴可能のはずだった。しかし、実際の運用では全放送がB-CASカードなしでは受信できなくなった。しかも「運用可能だが実際には運用しない」とされていた無料放送のコピーワンスも断行した。B-CASカード必須の運用を強行したのは、コピーワンスへの布石だったのかもしれない。この経緯を考えれば、消費者の意見も取り入れながら、ガラス張りの場で、複製禁止番組の運用ルールが検討されるべきである。コピーワンス導入当時、放送局は「放送時のミスなどリスクを避けるため、番組ごとに複製運用条件を変えることはできない」と主張した。そこから類推すれば、BSを用いた4K放送(おそらくそれ以降のすべての4K放送も)は、無料放送も含めてすべて複製禁止になるかもしれない。放送局側が一方的に運用を変更した過去の事例や、番組ごとに異なる運用は行えないと突っぱねていたことを考えれば、「柔軟な運用を行うために導入すべき」とする意見には説得力がない。消費者の使い勝手やライフスタイルに影響を与える重大な決定を、放送コンテンツに大きな影響力を持つ5局が密室で一方的なルールを決めることは、独禁法上の懸念も考えられる。(要旨・以下略)---4K放送導入に際して、全番組を録画禁止にする機能を導入しろと放送局は主張している、ということです。地上波デジタル放送では、一時期コピーワンス(番組の録画はできるが、その複製は不可能)という機能が発動されたことがあります。あまりに批判が多くて、現在はダビング10(録画した番組の複製は10回まで可能)という運用に変更されています。視聴者の意見は一切無視して、放送局の都合だけで、すべての放送局、すべての番組で一律に、コピーワンスという機能がいつの間にか決まり、しかも、さしたる周知もなく、それが実際に運用されたのです。その前例から考えれば、録画禁止にする機能を実装したら、テレビ局はそれを実際に発動するでしょう。その最初から最後までを密室で決めようというわけです。もともと、多くの視聴者にとって4K放送にはさしたるメリットがありません。家電量販店で、50インチの大型テレビの4KとフルHDを並べて展示しているのを見たことがあります。「差を見比べてください」というのですが、正直なところ、私にはそんなに大きな違いは感じませんでした。まして、30インチ台のテレビでどこまでの差があるのかは、大いに疑問です。そもそも、それ以前に、我が家のテレビは26インチですが、画面解像度はHD画質(1366x768)です。現在、32インチまでのテレビはほとんどがこの解像度です。この解像度だと、地デジのフルHD画質(1920x1080)放送すら、生かすことができません。世の中に普及しているテレビの相当の割合(おそらく、一般家庭では5割を超えるのでは)は、地デジの解像度すら、テレビの性能を超えてしまっているのです。1920x1080ですらそうなのに、まして、4Kなんて、絵に描いた餅に過ぎません。そんな、絵に描いた餅のためにコピー制限を強化する、つまり使い勝手を悪くするというわけです。視聴者にとっては、デメリットしかない。おそらく、そんなことをしても、多くの視聴者は、ただテレビを見なくなるだけではないかと思われます。私は、近年テレビの視聴時間が、パソコンがなかった時代に比べて格段に短くなっています。下手をすると1週間に1時間も見ていない週もあります。見ているときでも、半分以上は録画です。リアルタイムでテレビの前に座れるとは限らないので。おそらく、多くの人も私と大同小異の傾向ではないかと思われます。録画禁止にしたら、みんなが放送時間にテレビの前に座って見るでしょうか?よほど強い興味のある番組ならそう努力するでしょうが、見逃してしまったらそれっきりです。おそらく、ほとんどの番組は、録画禁止になったら、見逃してそれっきりになるでしょう。つまり、どんどんテレビ離れは進むだろう、ということです。
2016.01.15
コメント(4)
富士山滑落犠牲者の遺族が静岡市を訴える 冬山でのヘリ救助失敗は消防の「過失」か2013年12月に富士山頂付近で起きた滑落事故で、静岡市消防航空隊のヘリコプターによる救助活動に過失があったとして、事故後に死亡が確認された男性の遺族が静岡市を相手取って損害賠償を求める訴訟を京都地裁に起こした。今回のケースは、「万全な準備をしない登山者の登山が『禁止』」されている冬の富士登山での事故で、救出活動はきわめて過酷な環境で行われた。市消防局の調査委員会は「隊員に過失はなかった」と結論付けており、裁判所が市側の過失を認定するかどうかが注目される。2013年12月1日、富士山御殿場口登山道9.5合目付近(標高約3500メートル)で京都府勤労者山岳連盟のメンバー4人が滑落し、そのうち重傷を負っていた男性を静岡市のヘリが救助しようとした。静岡市側の説明によると、隊員が男性をヘリに収容する直前で男性をつり上げるための器具が外れ、隊員が男性のえりや体をつかんだ状態でヘリの高度を下げて地上に降ろそうとしたが、隊員が力尽きて地上約3メートルの高さから男性が落下した。再び男性の救助を試みたが、気候が安定していないことや隊員の体力の消耗が激しかったため断念した。翌12月2日に県警の救助隊が男性を発見したが~死亡が確認された。県警は司法解剖の結果、死因は胸や頭を打ったことによる損傷と寒冷死だったと発表している。この救助失敗が「ミス」だったのではないかという指摘も相次いだため、消防局の調査委員会が救助に当たった隊員2人への聞き取りや再現実験を行い、検証を進めてきた。14年3月に発表した調査結果では、「隊員に過失はなかった」と結論付けた。調査結果によると、男性は発見時に胸から下に寝袋型の防寒シートを着用していた。ヘリが男性を救助しようとした際、防寒シートで固定された両脚と分厚い登山靴がヘリの脚に引っかかったが、隊員がそれに気づかずに男性を引き上げようとしたために男性の両脇から救命用具が外れた可能性が高いとみている。---ヘリコプターで人を吊り上げる行為は、山岳遭難に限らず、海の遭難や大規模災害時に多くの実例があるはずです。しかし、この件以外で、ヘリに吊り上げる途中で人が落ちた、という事故を聞いたことがありません。ひょっとしたら、ヘリによる人命救助の黎明期には起こっていたのかもしれませんが、そうだとしても、経験による救助機器の改良で、そのような事態が起こらなくなって久しい、というところではないかと思います。山岳遭難に関して、私が度々参考にする、豊後ピートさんのブログには、この事故を詳しく検証する記事があります。富士山の遭難で機内収容直前に要救助者が落下富士山の遭難で機内収容直前に要救助者が落下 その2富士山の遭難で機内収容直前に要救助者が落下 その3その中で、別のブログからの引用になりますが、要救助者の吊り上げに使った器具について、「このスリングはやわらかく、直径10センチ近くもあるような素材でわっかの大きさは1メートルもあるもので、ただ単に両腕を通すだけのもので、重傷者や意識不明に近い遭難者の吊り上げは、すり抜けるおそれがあるため通常は使用しないもの」との指摘があります。また、下半身に防寒シートを巻いたままで引き上げたらしいこと、その状態では、股間にベルトを通せなかったであろうことも指摘されています。市の検証結果では「過失はなかった」とのことですが、結果からみれば、吊り上げに使用する用具の選択を誤った、また、下半身に巻いていた防寒シートをそのままにしたため、股間に補助ベルトをとおさないというミスを犯した、ということになるように思います。結果としてみれば、ね。ただ、何しろ冬の富士山ですから、猛烈な風が吹いていたであろうことは想像に難くありません。高度3500メートルでヘリコプターがホバリングしていること自体が奇跡のような状況です。遭難現場に何度も接近しようとしたものの接近できず、やっと、何とか上空にたどり着いたようです。日没も近い時間だったようですから、時間の猶予もあまりなかったのでしょう。ヘリ自体が墜落する危険性もはらんでいる状況だったと思われます。ミスと言えばミスなのですが、そんな状況下で完全無欠の判断を求めるのも難しいような気もします。いずれにしても、遭難であれ災害であれ、その現場でヘリが人を吊り上げるたびに、器具が外れて要救助者が落っこちる、なんて事態が頻発するようでは困ります。過失責任があるのかないのか、損害賠償請求が妥当か、といった点はともかく、再発防止は徹底してほしいところです。
2016.01.13
コメント(4)

今日の東京は寒くて、初雪が降ったそうです。もっとも、積もるほどの降り方ではありませんでしたが。しかし、この冬は、これまでのところ大変な暖冬です。各地で雪の量が極端に少なくなっているようです。昨日まで2泊3日で旅行に行った水上温泉も例外ではありません。昨年の同じ時期と、同じ場所での積雪量を比較してみました。まずは、上越線水上駅です。去年、2015年1月12日の水上駅今年、2016年1月10日の水上駅水上温泉の宿から、谷川岳方面を撮影してみました※この写真は一昨年です。2014年1月12日水上温泉の宿から撮影町は雪景色、家々の屋根には雪が積もっています。今年2015年1月10日水上温泉の宿から撮影遠方の山には雪がありますが、町並みに雪はまったくありません。土合駅去年、2015年1月11日の土合駅積雪は車より高い。駅舎に登る階段は、幅1.5mくらいだと思っていたのですが・・・・・・今年、2016年1月10日の土合駅何と、こんなに幅の広い階段だったとは。土合駅前の駐車場去年、2015年1月11日の土合駅前駐車場足元がカチカチに凍っていて、滑りやすかった。(まさかこんな場所でアイゼンは使えないし)今年、2016年1月10日の土合駅前駐車場ここは、今年も朝は凍結していたので、ちょっと滑りやすかったです。駅から土合橋・谷川岳ロープウェー方面にちょっと歩くと、上越線の上り線踏切を越えます。去年、2015年1月11日の土合駅踏切ロータリー車が何度も除雪したのだろうと思われます。今年、2016年1月10日の土合駅踏切除雪車の出る幕は、なさそうです。土合駅上りホーム(下りホームは、昨日の記事のとおり地下なので、雪は関係ありません)去年、2015年1月11日の土合駅上りホーム列車が止まる範囲のホームは、ちゃんと除雪されています。今年、2016年1月10日の土合駅上りホーム除雪しなくても、ホームに雪はありません。(と、いうのはウソです。ホームの先端には1~2cmの積雪はありました)あまりの違いにびっくりです。雪が少ないと、まず冬山好きの登山者は困ります。もっとも、一昨日私が白毛門に登れたのは、雪が比較的少なくて(それでも、山頂は1m程度の積雪はあったはずですが)、雪の上にトレースが付いていたからです。昨年はトレースがなくて、ラッセルの挙句に途中敗退しました。それから、スキー場関係者が困ります。もちろんスキーヤーも困ります。そしてもう一つ、冬の積雪は春の雪解け水になります。雪が少ないということは、春の雪解け水が少ないということであり、つまり今年の春先以降の深刻な水不足につながる可能性があります。もっとも、このまま冬の間中暖冬で雪不足が続くのかどうかは定かではありません。去年と一昨年の夏は、強烈な猛暑で始まったものの、途中から雨が増えて涼しい夏になりました。2013年の冬は全国的に厳冬で、青森県の酸ヶ湯温泉で566cmの積雪記録が観測されましたが、3月は記録的な暖かい春となりました。だから、この冬も、これから先もずっと暖冬とは限らない、かも知れません。ただ、気象庁の3ヶ月予報では、3月まで暖冬っぽいのですが。
2016.01.12
コメント(2)

この3連休、家族旅行で水上温泉に行ってきたのですが(ここ数年、毎年成人の日の3連休に同じ宿に行っています)、その2日目に相棒・子どもと別行動で山に登ってきました。昨年途中で撤退した白毛門(しらがもん・標高1720m)です。かれこれ5年くらい毎年この時期に水上温泉に行っていますが、今年ほど雪の少ない水上は見たことがありません。少ない、というより、水上温泉は昨日まで雪がまったくありませんでした。かろうじて今朝(1月11日)雪が降って、うっすらと、1cmあるかないか程度の積雪になりましたが、明日には消えてしまうのではないかと思います。さて、昨年白毛門にアタックしたときは、行きはバス、帰りは上越線の電車を使ったのですが、今回は行きも電車を使うことにしました。そのほうが運賃が安いし、登山口になる土合駅の下り線地下ホームを見たかったので。1日に定期列車は5本(すべて普通列車)しか走っていない、超ローカル線です。白毛門への登山は、ここから始まります。なぜなら・・・・・・・・通称、「日本一のモグラ駅」、地上ははるか彼方、しかも、エスカレーターもエレベータもない、ひたすら歩いて登るのです。先ほどの写真で見えた地上の明かりまで462段、駅舎はその先更に24段、合計486段の階段、ホームから駅舎までの標高差70.7mとあります。今ならエレベーターかエスカレーター必須でしょうが、無人駅になってしまったため、今からエスカレーターを整備することもできないでしょう。利用者は登山者が多いので、これが登れない人は山なんか登れるわけがない、ということです。駅舎まで所要10分とありますが、私が登って8分かかりました(荷物は、日帰りとしてはかなり重かったけど)。そこから考えて、山登りや運動と無縁な人だと、10分ではたどり着けない人のほうが多いのでは、と思われます。駅舎から外に出ました。水上は雪が皆無でしたが、土合はさすがに雪はありました。が、その量は見てのとおり、ごくわずかでした。ともかく白毛門に向かって歩き始めます。この間、写真があまりないのですが、土合橋の登山口から標高1000mを越えるくらいまでは、登山道が雪道になったり土が露出したりの繰り返しです。おおむね、急登になると雪が消える。登りはいいけど、これは下りで難渋しそうだなと思いながら登って行きます。目指す白毛門山頂が見えました。この場所の正確な高さは知りませんが、1000mは超えていたはずです。このあたりからは雪は充分にありました。で、この時間(午前中)は天気はごらんのとおりの晴天だったのですが、次第に天候が悪くなってきました。12時半過ぎ、やっと山頂に到着。この山は登り初めが急登、途中で斜度がゆるくなって、頂上直下で再び急登、という山です。最後の急登はきつかった。何といっても、メガネが曇ってしまい、前がよく見えないまま登るのはつらかった・・・・・・。山頂に着いたときの天気は、こんな状態です。どんよりとした曇り、小雪もぱらついていましたが、視界はありました。登山道は笠ヶ岳・朝日岳方面に続きます。笠ヶ岳には避難小屋があり、そこの宿泊したと思しき登山者(ザックのサイズから推測、テントかもしれないけど)ともすれ違いました。登ってきた登山道を振り返ります。目の前には谷川岳の雄姿・・・・・・は、ガスに隠れて見えません。が、これが谷川岳。実は、今回、谷川岳に登るか白毛門にするか迷ったのです。谷川岳は一昨年1月に登ったけど、白毛門は去年敗退したので、今年こそ、と思って白毛門にしました。ところが、前述のとおり、登り始めは雪が少なくて泥道を登る羽目になり、「これは谷川岳に登るべきだったか」と思ったのですが(谷川岳は、標高1300mの天神平までロープウェーで行けるので、そこからの登山道は雪は充分あるはず)、この様子を見て、やっぱり白毛門に登って正解だったと思いました。この日の谷川岳は、山頂まで行っても視界ゼロですから。はるか彼方に、武尊山(ほたかやま)が見えます。が、実は山頂でゆっくりしている時間はありませんでした。一応は視界があったとはいえ、天気は下り坂(と思えた)、しかも、この日白毛門に登った人の中で、私は最後尾だったのです(一応、山頂に着いた時点で先行されていた方が一人いましたが、わたしが山頂に着いた直後に、一足先に下山されました)。私の後に続く人がいないことは、この時点では未確認でしたが、時間的に考えて、後続は多分いないと思っていましたし、実際そうでした。天気が急変して激しい降雪になってトレースが消えたりしたら大変なので、昼飯も後回しにして、すぐに下山にかかりました。頂上直下は急登と書きましたが、その中でいちばん難渋したのがここです。雪がなければどうということはありませんが、アイゼンしてピッケルを持っていると、登りにくいことおびただしい。ここ以外は、急登とはいえ、そんなに厳しい場所はありませんでした。(きつかったけど)しかし、この写真では、どんな場所かよく分かりませんね。もうちょっと離れて撮ればよかった。下山時に振り返って山頂を撮影。中央右の白い峰が山頂です。どんよりとした雲行きで、更に天候悪化するのが怖くて大急ぎで下山したのですが、結局最後までこれ以上天候は悪化せず、視界も保たれていました。どんどん下山します。1時半頃、だいぶ遅めの昼食を、この近辺でとりました。まだ1200mか1300mか、そのくらいの標高はあったと思います。雪もまだまだこのあたりにはありました。もっとも、このあたりだって去年より雪の量はずっと少なかったのだろうと思います。このあたりも、まだまだ気持ちよい雪山なのですが、更に下っていくと、雪がなくなってきます。でも、まったくないわけでもない。アイゼンを外すと滑るし、つけたままだと泥だらけ。結局、最後はアイゼンを外しましたけど。昨年は、登り初めから、途中撤退するまで、雪の付いていない場所なんてまったくなかったし、登り初めからワカンがなければどうにもならない状況でした。しかし、今回はワカンは、ただ担いで行っただけで、まったく使用する機会なしで終わりました。上のほうはそれなりに寒かったけど、下のほうは登りも下りも汗だくでした。登山口直前の急降下は、だいぶ疲れていたのと滑りやすいので、下山速度がかなり落ちましたが、3時20分頃、土合駅に帰り着きました。上り列車が来るまで、15分くらい時間があったので(登りホームは地上なので、駅舎の目の前です)、無人駅なのをいいことに、列車が来るので間、ケーナを吹いていました。4曲か5曲吹いたかな。サンポーニャも吹きたかったけど(プラスチック管を持って行った)、これは持ち出す前に列車が来てしまいました。
2016.01.11
コメント(4)
安倍首相、妻がパートで働き始めたら「月収25万円」 例え話が波紋安倍首相が1月8日の衆院予算委員会で、「安倍家の収入」の例え話をした際に、パートで働き始めた妻の月収を「25万円」と述べたことに対して「社会の貧困の実態に無理解すぎる」などと批判する声が出ている。予算委員会の国会中継によると、「民主党政権に比べて、第2次安倍政権の方が実質賃金の減少率が高い」と民主党の山井和則議員に指摘された安倍首相は、次のように答えていた。「ご指摘の実質賃金の減少についてでありますが、景気が回復し、そして雇用が増加する過程において、パートで働く人が増えれば、一人当たりの平均賃金が低く出ることになるわけであります。私と妻、妻は働いていなかったけど、景気が上向いてきたから働こうかということで(パートで)働き始めたら、(月収で)私が50万円、妻が25万円であったとしたら、75万円に増えるわけでございますが、2人で働いているわけですから、2で割って平均は下がるわけです」2015年11月分のパート労働者の平均月収は、厚労省の毎月勤労統計調査によると8万4000円。年収にすると100万8000円だ。年収130万円未満のパートは年金や健康保険料を負担しなくても済み、103万円以下だと所得税がかからず配偶者控除が適用される。これらの優遇を受けるため、自ら働く時間を抑えている人は多い。「130万円の壁」「103万円の壁」と言われている。(以下略)ーーーどこの世界に月収25万円のパートタイマーがいるのかと話題になっているようです。いわゆる非正規雇用ということなら、月収25万円はあり得ますが、それはもちろん雇用契約が非正規ということに過ぎず、労働時間的にはフルタイム、更に残業もして、下手をすると複数の仕事を掛け持ちしなければ無理な収入でしょう。短時間勤務のいわゆるパート就労で月収25万円は、何か特殊な技能の持ち主(医者とか弁護士??)以外はあり得ないでしょう。要するに安倍はパート就労の月収の世間相場を知らないから、こういう素っ頓狂な数字の例えを持ち出してしまうわけです。で、そのこともありますが、安倍が主張した本筋、つまり、パート就労者が増えたので平均月収が下がった、という言い分はどうなのでしょうか。パートに限定した数字は分かりませんが、少なくとも非正規雇用の就労者数が増加していることは事実です。それが、働く側のニーズに合っているなら問題はないのですが、そうとは思えません。安倍政権の下で、いや、それ以前から同様の傾向は続いていますが、正規雇用の就労者が減って、非正規雇用の就労者が増えています。それが、正規雇用で働きたい人が減って、非正規雇用で働きたい人が増えた、ということでないのは明らかでしょう。雇う側の都合で、正規雇用減らして非正規雇用を増やしているわけです。前述のとおり、この傾向は必ずしも安倍政権だけの責任ではありません。ただ、ここまで平然と、パート就労が増加したことをアベノミクスの功績のように言えてしまうということは、こういった状況に対する問題意識を根本的に持っていないのだ、ということがよく分かります。
2016.01.10
コメント(12)
「憲法改正案はパワーゲーム的に作られた」自民・伊吹氏本来の憲法に照らすと少しおかしいことが、結構このごろ多い。(衆院)解散などというものも、国会と内閣との間に、基本的に乗り越えられない意見の相違があった場合に、主権者の意見を聴くというのが本来の姿です。自民党の憲法改正案は率直に言って、野党時代に、民主党とのアンチテーゼを確立せねばならないというパワーゲーム的判断で作られた部分がある。(若手議員は)まず、現行憲法をしっかりと学んで欲しい。(所属する二階派の会合で)---つまり、民主党政権に対する対抗上、過剰なノリで復古調の憲法改正案にした、ということでしょう。別の言い方をすれば、このとき以降自民党は(民主党に政権を明け渡す直前の時期からそうでしたが)、ネトウヨ層に媚を売る政策をあからさまにすることで支持を拡大する選択をしたわけです。というか、総裁自らがネトウヨみたいなものだし。パワーゲーム的判断とありますが、少なくとも心にもないことを改正案に盛り込んだわけじゃないでしょう。当時野党という立場の気軽さもあって、本音で思っていることは、実現可能性がなくても改正案に盛り込んだらああなった、ということでしょう。つまり、もしも政治的情勢が許せば、ということは野党や護憲派が完全に無力化され、どんな憲法改正案にも強力な反対が起こらないような状況であれば、あの憲法改正案を実現したい、というのが本音ということでしょう。もちろん、現実的にはそんなことは無理、という判断はあるにしても。「お試し改憲」なんて言葉が言われていますが、最初は反対の少なそうなところから憲法を変えて、国民を憲法改正に慣れさせておいて、本音の部分の改正はそのあとで、という魂胆も見え隠れします。ということは、仮に憲法が変えられてしまうとしても、それにどれだけ強力な反対があるか次第によって、その改憲の内容はかなり変わってくるであろう、ということがいえます。それも、改憲は一度だけのことではない可能性が高く、護憲派も「改憲されたらおしまい」ではなく継続的な取り組みが求められる、ということになりそうです。
2016.01.09
コメント(0)

年末に行った上高地のリバーサルフィルム写真がやっと完成しました。いや、実はまだプリント写真になっていなくて、とりあえずスキャナに読み込んだだけですが、ネットには公開できる状態になりました。まずは、上高地の前に11月に登った三頭山の写真から。(実は、三頭山の山頂と上高地はほぼ同じ高さです)三頭山山頂からの富士山これも同じく三頭山からの富士山です。実際は、撮影はお昼過ぎのことで、こんなに暗かったわけではありません。で、続いて上高地です。初日(12月29日)に河童橋と穂高連峰を撮影。これも12月29日の穂高連峰です。ガスに覆われています。そして二日目(12月30日)の夜明けの穂高連峰。雲は多いながらも晴れました。モルゲンロート(朝焼け)の穂高連峰。時間は朝7時頃。同じく穂高連峰。反対側の焼岳の夜明け。明神から明神岳を望む。徳本峠への登りの途中から明神岳を撮影。同じく徳本峠への登りから西穂高連峰を撮影するも、どうしてもガスが取れませんでした。上高地まで戻ってきて、テントを撤収して、お昼の河童橋から穂高連峰を撮影。焼岳。大正池から穂高連峰を撮影。若干雲はあるけれど、晴です。最近、仕事も忙しくて、リバーサルフィルムでの撮影もそろそろ限界か、いい加減デジタル一眼レフに移行すべきか、とも考えています。年末年始は写真の現像所も閉まっているので特に時間がかかるんですね。なかなか悩ましいところです。
2016.01.08
コメント(2)
別府市「生活保護なのにパチンコ」で生活保護停止 - 発端となった市議会のやり取りは?2015年12月16日、別府市でケースワーカーがパチンコ店などで「張り込み」をし、来ていた生活保護利用者に対し生活保護の停止を含む制裁を行っていたことが報道されました。発端となった市議会での質疑と答弁を、関連情報および私見とともに紹介します。 ~さて、話題となった「生活保護でパチンコ」を摘発、の件です。国実市議市民と議員との対話集会をもった。一般市民の方々から苦情があった。生活保護受給者が昼間からパチンコや競輪をしている。今回、課長との話の中で、10月に遊技場の立ち入り調査をしたということを聞いた。状況は? 問題点は? 今後の対策は?社会福祉課長2015年、10月5日から30日にかけ、全ケースワーカーを、延べ5日間動員して、全パチンコ店と競輪場、遊技場調査をした。立ち入りを禁止しているにもかかわらず、25人の保護受給者を発見した。そのうち6割が、高齢受給者だった。自分が(注:25人の)一人一人と面接した。複数回の指導に従わない場合、保護の停止など、厳しい措置を実施した。しかし、そのような方にこそ、生きがいをもって、社会的自立を促す指導も必要と実感。今後の対策、これまで以上に、遊技場調査を強化、厳格な措置を行うのはもちろんのこと、加えて、たとえば自治会や老人クラブでの活動、介護支援ボラ登録など、社会参加に向けた支援も充実。一人一人が地域の中で生きがいを見出すことにも力を注いでいこうと考える。正直、意味が分からないです。全ケースワーカーの動員には「ヒューマン・リソースの無駄遣い」という言葉が思い浮かびました。それに、この方々はすでに「生きがい」を持っているわけです。パチンコや競輪という生きがいを。生活保護費のやりくりで楽しめているんだったら、他人がとやかくいう筋合いはないかと。それに「生きがい」は、自分で見出し、選ぶからこそ「生きがい」になるのではないでしょうか。他人に「これがあなたの生きがい」とあてがわれたものに、内心ムカつきながら「生きがいをありがとう」と言わされるなんて。~生活保護利用者にパチンコ・競輪を禁止する規定は、生活保護法にも施行規則類にもありません。つまり、生活保護利用者に対して遊技場への立ち入りを禁止する権限が、自治体にはないんです。さらに、それを理由とした保護停止ですか……? もう「なんだかもう訳がわからなさすぎる」というしかありません。根拠はいったい、何なのでしょうか?~また、そもそもの問題は「生活保護でパチンコ」は法で罰することができるのかどうか? です。根拠になりうるのは、生活保護法のここくらいでしょうかね? (生活上の義務)第六十条 被保護者は、常に、能力に応じて勤労に励み、自ら、健康の保持及び増進に努め、収入、支出その他生計の状況を適切に把握するとともに支出の節約を図り、その他生活の維持及び向上に努めなければならない。ご覧のとおり、罰則なしの努力規定です。(以下略)---生活保護制度に詳しい知り合いによると、この件について職場でちょっと話題になったことがあるそうです。別府市は、よくこんなことをやっちゃうな、信じ難い、ということでした。引用記事のみわよしこ氏の言い分にも、ちょっとどうかと思う部分はあります。パチンコや競輪を「生きがい」という言い分は、とても賛同できるものではありません。確かに「生活保護費のやりくりで楽しめている」分にはいいでしょうが、そんな人間ばかりではありません。はっきり言ってしまえば、延べ5日間の調査で2度パチンコ店に入店していることが発覚するような人間は、そうとう長時間パチンコ店に入り浸っている蓋然性が高い。そんな人間がきちんと「保護費をやりくり」してパチンコを楽しんでいるとは思えません。ギャンブル依存、あるいはその予備軍みたいな状況で、生活も破綻している可能性は高いと思われます。そういう人をギャンブル(パチンコを含め)から遠ざけるための努力は必要とは思います。が、しかし、生活保護制度上、受給者がパチンコ店に入ることを禁じるような規定が存在しないことは事実です。禁止されていない行為に対して強制力の伴う指導指示などできないし、ましてそれを理由に保護の停廃止なんてあり得ないと、不服審査請求を出されたら、行政側はとても勝てないだろうというのが、知人と、その知人の職場での意見だそうです。行政機関が法律に基づかない独自ルールを振りかざしちゃダメだろう、ということです。では、パチンコ店に入り浸る受給者をどうしたらよいか。強制力はないけれど、ともかく説得するしかない、ということです。ただ、そんな人たちが説得だけで容易にギャンブルをやめるものではありませんが。今は、ギャンブル依存の治療を行う精神科もあります。もっとも、おそらくアルコール依存がそうであるように、ギャンブル依存の治療も非常に難しいであろうことは容易に想像がつきますが。どの道、指示書で脅して保護停止にしたって、ギャンブル依存は治らないんだから同じことです。対処療法的ですが、生活保護費を週払い、極端な場合は日払いにして、月初めにあっという間に保護費を使い切ってしまうような事態を避ける手段もある(本来生活保護費は毎月1回支払い)そうですが、これは担当ケースワーカーにとっても負担で、特に日払いなんてのはとても長期間続けられるようなものではない、ということです。家賃を本人に渡さず、家主に直接送金する手法も広く取り入れられています。そういった努力にもかかわらず、保護費をギャンブルにつぎ込んでしまったらどうするのか?どうにもならない、のだそうです。生活保護というのは最後のセーフティーネットだから、そのあとにはもう何の救済手段もありません。最低限飢え死にしないように乾パンだけ渡すような例もあるようですが、そこまでです。そのような状況に陥る人は、肉体的にはともかく、社会生活能力という意味ではすでにご臨終を迎えているて、もはやどうにもならないと。住所不定者などは、そういう例がかなり高率らしいです。結局、住所不定者の場合は、A福祉事務所で保護を受けて、もらった金をたちどころに使い果たして失踪、しばらくしてB福祉事務所に姿を現して保護申請、なんて例が多いそうです。まあ、どうにもならない世界というものはある、ということです。
2016.01.07
コメント(6)
北朝鮮が「初の水爆実験に成功」と発表 特別重大報道で北朝鮮は6日午後、「6日午前10時、朝鮮で初の水素爆弾実験を成功させた」と発表した。朝鮮中央通信が伝えた。北朝鮮による核実験は2013年2月以来、4回目。韓国政府は同日正午に国家安全保障会議を招集した。北朝鮮の核実験により、朝鮮半島での緊張が高まるのは必至の情勢だ。日本政府もNSCを開き、情報収集と分析を始めた。北朝鮮の金正恩政権は経済改革と核開発を同時に進める「並進路線」を主張。日米韓は、北朝鮮が弾道ミサイルに搭載できる核爆弾の小型化を目指し、実験を更に続けるだろうとみていた。ただ、北朝鮮が水爆を開発する技術力は保有していないとしている。北朝鮮は最近、国際的な孤立を深めており、「水爆」による核実験という最も強硬な対応に踏み切った。朝鮮中央通信は、金正恩第1書記は昨年12月15日に水爆実験を実施する命令を出し、今月3日に最終命令書に署名したと伝えた。韓国気象庁によれば、北朝鮮北部、咸鏡北道吉州郡の北方約50キロの地点で6日午前10時半ごろ、マグニチュード(M)4・8の人工地震を感知した。吉州郡豊渓里には北朝鮮の核実験場がある。北朝鮮は過去、2006年10月、09年5月、13年2月の計3度にわたって核実験を実施。最近も同実験場で4本目の新たな実験用トンネルの掘削が確認されていた。韓国国防省関係者は「北朝鮮はいつでも核実験を実施できる準備を整えている」と指摘した。同庁の観測では、06年の実験の際はM3・9、09年はM4・5、13年はM4・9程度。北朝鮮は爆発力の強い水爆を使ったと発表したが、爆発は過去と同規模だった。(以下略---北朝鮮が水爆の実験に成功したとすれば、これは驚くべきことであり、かつ許しがたいことです。ただし、現状では、北朝鮮政府が成功と発表しているだけで、例によって、本当に成功だったのかどうかは極めて怪しい。引用記事によれば、地震計の捉えた爆発力は、過去の核実験と同程度、数キロとんから、せいぜい10キロトンくらい、とのことです。これは、広島の原爆と同程度かそれよりやや小さい程度の爆発力であり、水爆(メガトンクラスの爆発力)とはとても思えないものです。もちろん、それだって核爆発であることに違いはなく、強い非難に値する行為ですけれど。水爆(核融合爆弾)は、起爆装置に原爆(核分裂爆弾)を使います。だから、仮に北朝鮮の発表のとおり、水爆実験だったとすれば、起爆装置の爆発には成功したが、水爆の本体は爆発しなかった、ということでしょう。今のところ、報道では、そもそも水爆の実験だったこと自体に懐疑的で、従来型の核兵器の改良型(ブースト型)に過ぎないだろう、との見立てです。いずれにしても、繰り返しますが、核兵器の実験を行った、という事実は明確です。広島型と同程度と言っても、その広島では1発の原爆で十数万人の死者が出ています。そのような兵器の実験を行ったことは、愚行であり、暴挙であります。ただし、その愚行、暴挙を北朝鮮はすでに3回行っている。爆発の規模から見て、今回は過去と同程度の暴挙であって、過去の例を超越した行為ではないことも事実です。だから許されるわけではないけれど。
2016.01.06
コメント(2)
お小遣い制が日本のお父さんをダメにする我が家では結婚当初から、財布の紐は私が握っており、財務大臣は私です(ちなみに、総理大臣は妻です)。当初は何となく小遣い制が嫌だったのでそうしたのですが、今思えばこれは非常に大きな決断であり、小遣い制を採用していたら起業もできていなかったと確信しています。新生銀行の調査によれば、2014年の「サラリーマンのお小遣い調査」では、2年ぶりに金額が回復して、サラリーマンのお小遣い平均額は前年比1115円増加の3万9572円でした。大体4万円くらいの小遣いが平均だということを押さえましょう。4万円だと1カ月の「お小遣い」としては大した金額ではありませんよね。毎日ランチを外で食べていれば、飲み会に何回か行って終わりです。とても贅沢ができる水準ではありません。一説によれば、国内では夫が家計を管理している割合は2割程度と言われています。共同管理が3割、お小遣い制を採っていると思われる家庭は5割近くに達するとのこと。お小遣い制採用の割合は、米国20%、中国20%、イタリア7%、英国6%(出典:週刊東洋経済2010年7月3月号)だとか。ランチで格安のハンバーガーや牛丼を食べ、部下に奢ることもできず、何か買いたいと思ったら奥さんに頭を下げる、せめて副業をして少しは自由に使えるお金を確保したい・・・。「日本のお父さんはかわいそう」と直感的に思うことは、こんなところからも裏付けられそうです。高校生の話ではなくて、一家の大黒柱として収入を得ているお父さんのお話なので。とほほです。資産全体をコントロールしたり投資をしたりということには、男性(役割的に“外の社会に出ている方”)の方が向いています。私を含め、金融機関に勤務している人の中には比較的、財布の紐を握る人が多いのですが、このあたりの意識が高いことの現れでしょう。お小遣い制によるデメリットはたくさんあります。一番、恐ろしいのは自分に対する前向きな投資ができなくなることです。予備校に通って資格を取ったり、高額セミナーに行ったり、起業準備や副業のためにシェアオフィスを借りるなどの投資を行ったりという判断が、自分でできなくなっていきます。相談して理解して下さる奥さんなら良いですが、費用対効果の説明を求められたりするともうダメです。高額セミナーの費用対効果なんて、説明できませんよ。また、お金を自由にコントロールできないことでセルフイメージが縮小してしまうことも大きな損失です。自分ができることに大きく制限がかかり、そもそも起業をしたり、大きな仕事をしようという発想が奪われてしまいがちです。サラリーマン、特に将来起業を志す人は財布の紐を握れというのが私の主張なのですが、起業に限らず、あなたが人生のコントロールをしたいと思うのなら、資産は自分で管理しましょう。細かな日々の出費まで干渉する必要はありませんが、お金の流れ全体を理解しましょう。~(以下略・要旨)---当ブログでも何度か書いたことがありますが、我が家でも、私が財布の紐を握っています。なんだかドキッとしたのは、「財務大臣は私です(ちなみに、総理大臣は妻です)」という一文。うちとまったく同じだ。というか、同じことをこのブログだったか別の場所だったか忘れたけど、どこかに書いた記憶があります。ところが、我が家のように夫が家計を管理している家庭は、日本では2割しかないというのです。これはびっくり。まあ、実際のところ、私が相棒に月定額の生活費を渡し(具体的にいくらかは、非公開とさせていただきます)、公共料金などの引き落としは私の口座から、あとは私と相棒それぞれの手持ち金はそれぞれが自己管理、私が渡した生活費をどう使うかは相棒にお任せ、というふうになっています。たまに争いになるのは、夏冬に旅行に行った際、どっちがその費用を負担するか、です。(笑)だいたい、旅行は往復の交通費は私が出して、宿代は基本的には相棒が出し、一部を私が拠出、みたいな感じで落ち着きます。ついでに、休みの日などに相棒が出かけていると、私が食事を作ったり、私と子どもが2人で食事を作ったりするのですが、そういうときに買い物に行くのも、何故か私の財布からお金を出しています。まあ、これは文句を言うほどのことでもないので、争いになったことはないですけど。大体のところ、私も相棒も散財するタイプではないのですが、相棒に言わせると、私は相棒よりはケチ、らしいです。まあ、私もそう思わないでもないのです。そのおかげで、私は大蔵大臣を罷免されずにきているわけです。浪費を始めたら、とたんに我が家の首相から罷免されるに決まっています。もっとも、山登りは、実は結構お金を使っていることに相棒は気付いていないかも。※昨年末の上高地は1泊2日で交通費が約1万6千円、食料その他あわせて2万円弱。年間合計すると、山登りだけで15万円くらいです。が、月にすれば1万円ちょっとですけどね。音楽に関しては、練習場所の使用料と交通費、それに昨年は9000円のケナーチョを1本買っただけなので、おそらく年間合計で3~4万円くらいではないかと。何年かに一度、高価な楽器を買ったり、大きな登山装備を買い換えると、金額は跳ね上がりますが。私は、引用記事の話とは違って起業しようという計画を持っているわけではないのですが、それでも自分の今後の身の振り方について考えるところはあります。だから、貯蓄額とその増減に関しては、常に意識をしています。起業などとは無関係に、自分の収入と支出と貯蓄を自分で把握して管理することは誰にとっても重要だと思うのです。金銭管理は自立の重要な第一歩ですから。それを放棄して「社会人」というのもね、と思います。そういえば、給与の振込先口座を複数に分けることができる会社は少なからずあるようです。かつて私が勤めていた会社がそうだったし、現在の勤め先も、確かそうできたはずです。実際にそんなことをやっている人は少ないでしょうが。前の勤め先で、管理職だった人がそれを実行していました。妻が管理している通帳には給料全額は振り込まないようにして、一部を隠し口座に振り込んで、へそくりにしていたようです。だから、その人は給与明細を家にもって帰らないのです。給与明細を妻に見られると、金額のズレからへそくりの存在がばれるからでしょう。そこまでして・・・・・・と、思いましたねえ。
2016.01.05
コメント(5)
年頭会見 改憲、参院選で訴える 「国民的議論を」安倍晋三首相は4日午前、首相官邸で年頭の記者会見を行い、憲法改正について「参院選でしっかり訴えていく。その中で国民的な議論を深めていきたい」と述べ、参院選で民意を問う考えを明確にした。また衆院を解散して衆参同日選に踏み切る可能性に関しては「全く考えていない」と述べた。安倍政権は、憲法改正で大規模災害を想定した「緊急事態条項」の追加を目指す方針を固めている。与党は参院で改憲発議に必要な「3分の2以上」(162議席)を下回っており、参院選ではおおさか維新の会などを含む改憲勢力が3分の2ラインを獲得できるかが焦点になる。 (以下略)---「憲法改正で大規模災害を想定した緊急事態条項の追加を目指す」とのことですが、その具体的な内容がどのようなものかは、明らかになっていません。ただ、自民党の改憲草案では、そのあたりの規定はこうなっています。第99条(略)2(略)3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。4(略)憲法とは、基本的に国家(政府)を縛る法律であって、国民を縛るのは一般の法律の役目です。だから、憲法には「国民の義務」は納税の義務、勤労の義務、保護する子女に教育を受けさせる義務の3つしか規定されていません。それを、「権利ばっかりなのはおかしい」などと言う保守系の人士も少なくありませんが、それは、憲法というものの意味を履き違えた意見としか言いようがありません。で、自民党の改憲案も、人権に制約を課すことばっかり考えている内容です。それは、この緊急事態条項も同じです。「緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も~国その他公の機関の指示に従わなければならない。」なんてことを、なぜ憲法に書くのか。「緊急事態条項」ということに関しては言及されることが多いドイツ基本法でも、緊急事態に際しての政府の権限については規定されていますが、国民に対して「国の指示に従う義務」なんてものを規定はしていません。要するに、何でもいいから国民の権利や自由を制約したい、「緊急事態」というのはその名目として最適だ、というような思考が透けて見えるのです。で、これもすでにマスコミから数多くの指摘がありますが、衣の下の鎧よろしく、最終目標は憲法9条の改正なのは明らかなのに、いきなりそこに手を付けるのは抵抗が大きくて目処が立たないから、変えやすいところを先に手をつけて、国民を改憲になれさせようという魂胆がミエミエなのです。要するに、最終目標はあの自民党の改憲草案の内容が目標なのでしょうが、現時点では、改憲の内容など二の次で、とのかく憲法を変える(その実績をつくる)ことが目的と化しているようです。こんなご都合主義的、不誠実な憲法改正論があるか、と私は思います。ともかく、憲法を変えることには、(特に、安倍政権の下で変えることには)断固として反対です。
2016.01.04
コメント(2)
原発はテロに勝てるか? 航空機が撃墜したら? テロリストが侵入したら? 検証してみると…2001年に航空機を使ってニューヨークの高層ビルに衝突させた「9・11」に始まり、先月パリで発生した同時多発テロでは、武装したテロリストにより約130人が殺害されるなど、「テロの時代」とも称される今世紀。東京電力福島第1原発事故を教訓に策定された“世界最高水準”とされる新規制基準をクリアした日本の原発は、テロに勝つことができるのだろうか-。再稼働を目指す原発のテロ対策を検証してみた。巨大ヘリが原子炉に落ちたら…「史上最悪の原発テロ発生。巨大ヘリ墜落まで、あと8時間!」「人質は日本」。映画「天空の蜂」の告知ポスター。物々しいキャッチコピーと、激しく炎上するヘリの写真は海外のパニック映画さながらの迫力だった。テロリストが防衛省の巨大ヘリを乗っ取り、原発の真上でホバリングさせて、政府に国内の全原発停止を要求するという現実離れした設定だが~映画や小説の結末がどうなるかはさておき、そもそも国は原発に航空機が墜落することを想定しているのだろうか?徹底対策を求めた原発の新規制基準原子力規制委員会の前身である原子力安全・保安院は、9・11のテロの翌年の平成14年、「実用発電用原子炉施設への航空機落下確率に関する評価基準」を策定している。ここでは、航空機の落下確率を過去の事故の傾向や飛行場との位置関係から原発ごとに算出し、米国やフランスなど諸外国の基準を参考として、原子炉などに直撃する可能性が「年1000万分の1回」を超えなければ、「設計上考慮する必要はない」としている。しかし、福島第1原発事故後に作成された新規制基準は、原発の敷地内に航空機が落下し、爆発的な火災が発生した場合の原子炉への影響についても評価するよう求めた。九州電力川内原発1、2号機では、原子炉などの重要施設に航空機が落下する確率が年1000万分の1を超えないことを確認した上で、敷地内に航空機が落下し、火災が起きた場合の影響を評価した。(以下略)---長々と続く、原発の安全性を礼賛する産経の電力界提灯記事ですが、引用部分を読んだだけで、てんで話しにならないことが一目瞭然としています。「巨大ヘリが原子炉に落ちたら」という小見出しをつけておきながら、それに対する回答は「原子炉などの重要施設に航空機が落下する確率が年1000万分の1を超えない」から「敷地内に航空機が落下し、火災が起きた場合の影響を評価した。」というのです。そのような評価を、9.11のあとで策定したというのだから、あきれ返るしかありません。確かに、単純な事故として、飛行機が原子炉に直撃する可能性は高くはないでしょう。それでも、「年に1000万分の1以下」ほどまで低かどうかは、いささか疑問の余地はありますが。しかし、問題はそんなことではなく、テロリストが人為的に飛行機を原発にぶつけた場合はどうなのか、でしょう。目標は原発ではなかったものの、9.11はまさしくそういうテロだったわけだし、日本でも、政治的目的も自爆の意図もなかったものの、ジャンボジェットを操縦したいという意図からハイジャックを行い、機長の殺害に至った事例がありました。(1999年の全日空61便ハイジャック事件)テロリストが航空機をのっとって原子炉に向かって突っ込む、という事態を起こす可能性は、年に1000万分の1なんて低い確率のはずがありません。また、犯人に操縦の技術があれば、「目標」を直撃する可能性はかなり高いと思われます。9.11では、ハイジャック犯は単発の軽飛行機の操縦訓練を受けた程度でしたが、4機のうち3機までが「目標」を直撃しています。だから、どう考えたって、原発の敷地内に(重要施設は外して)落下する可能性より、重要施設を直撃する可能性のほうが高いでしょう。要するに、ジェット旅客機が(もちろん、爆装した軍用機ならなおさら)原子炉本体や重要施設を直撃したら手の打ちようがないから、そういう事態は起こらないことにする。しかし9.11もあったのに、一切そういう危険を無視もできないから、原発の敷地内に墜落する想定だけはしておく。-そんなところでしょう。別の言い方をすれば、「原発の安全対策は問題ない」という結論が先にあって、その結論を脅かさない程度の「リスク」だけを想定した、ということでしょう。そういう「安全対策」の果てに起こったのが、福島第一原発の事故だったわけですが。そして、普段は壊れたテープレコーダーのように「安全保障」を叫び続けるのに、ことが原発となると、電力会社の言い分を丸呑みして、こんな穴だらけの説明をただオウム返しのように伝えるしか脳のないバカ新聞、それが産経というわけです。
2016.01.03
コメント(0)
トランプ氏当選なら「恥ずかしい」5割も米キニピアック大は22日、来年の米大統領選に向けた共和党の候補者指名争いで支持率首位を走る不動産王ドナルド・トランプ氏について、有権者全体の50%が大統領になることを「恥ずかしい」と答えたとの世論調査結果を発表した。トランプ氏が大統領になることについて、「恥ずかしい」が5割で、「誇らしい」は23%だった。民主党支持層では82%が、無党派層では47%が「恥ずかしい」と答えた。一方、共和党支持層では「誇らしい」が44%で、「恥ずかしい」の20%を大きく上回った。支持率も、同党支持層では28%で、24%のテッド・クルーズ上院議員らを抑えて首位を維持した。トランプ氏は、イスラム教徒の米国入国を一時禁止すべきだと提案するなど過激な発言や下品な言葉を繰り返している。21日には、民主党最有力候補のヒラリー・クリントン前国務長官が、2008年大統領選の予備選で敗れたことを性的な言葉を使ってこきおろし、19日のテレビ討論会でトイレ休憩から戻るのが遅れたことも「どこに行ったかは知っている。気持ち悪いし、口にしたくない」などと批判した。 ---日本も今年は参院選があります。それによって、場合によっては自公政権が2/3の議席を占めて憲法改正の発議を行う可能性もある、という重大な局面です。そして、海の向こうの米国でも、今年は大統領選があります。こちらもまた、日本にとっては大きな影響があります。目下のところ、台風の目になっているのはドナルド・トランプです。人となりの面でも、政治家の資質・能力という面でも、疑問符がたくさん付き、政治家としては致命的な暴言、舌禍を積み重ねています。要するに米国のネトウヨということです。さすがに、これらの発言に対しては、共和党の保守派(たとえばブッシュ前大統領)すらも口を極めて避難をしています。ところが、それにもかかわらずトランプは共和党の予備選では首位を独走中というのです。(舌禍癖、政界の中で人望がまったくない、にもかかわらずネトウヨ世論の人気が高いという点からは、日本で言えば石原慎太郎に似ているようにも思えます。)もちろん、共和党の予備選挙で勝ったからといって本番の大統領選で勝てるとは限りません。共和党の党員という限られた集団の政治的志向と米国の全有権者の政治的志向は同じではないからです。近年、宗教保守が共和党の予備選に大きな影響力を持っているため、右寄りじゃないと共和党の予備選には勝てない、けれど右寄り過ぎると本選では勝てない、というジレンマがあるようです。引用記事にあるように、共和党支持層の中ではトランプが勢力を伸ばしていても、米国の有権者全体としては、トランプが大統領になることを恥ずかしいと考える人が5割もして、誇らしいと考える人の2倍以上にもなります。その限りにおいては、仮にトランプが共和党の予備選に勝って大統領候補になったとしても、本選で勝てる可能性はなさそうに思えます。ただし、絶対大丈夫かというと、そう断言もできないでしょう。「恥ずかしい」と考える5割が一致団結して対立候補に票を投じるなら、もちろんトランプ当選の目は絶対ないのですが、棄権する人が大量に出たら、その限りではありません。私は、米国の有権者ではないので、誰を支持するとかしないとかは言っても意味がありませんが、もし米国の有権者だったとしたら、社会主義者だというバーニー・サンダースを応援したいところです。ただ、トランプ対サンダースでサンダースに勝ち目があるのか、というところは考えてしまうでしょうね。負ける=トランプ当選ということになるので。一方の共和党陣営の中でも、トランプは非常に扱いに困った存在であるようです。前述のとおり、政界では共和党陣営でもトランプを支持する人はほとんどいない。トランプ政権が上手くいくはずがなく、彼の失政がそのまま共和党の評価の低下につながることを恐れているのでしょう。かといって、トランプを予備選から追放すると、無所属で出馬を強行しそうなので、そうなれば共和党支持層が分裂し本選の敗北が確実になります。トランプは、日本と中国双方に対して(要するに、非白人全般に対して、ということなのでしょう)かなり偏見を持っているらしく、万が一にも大統領に当選すると、日本に対しても悪い影響がかなりありそうです。そんな人物が当選することだけはカンベンしてほしいのですが、果たしてどうなるやら、です。
2016.01.02
コメント(9)

昨年は、仕事上でドタバタと色々なことがありすぎて、年末という実感のないまま大晦日を迎え、うっかりすると12月32日を迎えそうな気分でしたが、暦は誰の前でも公平なので、2016年1月1日を迎えることができました。何年か前に我が家(実家)のおせち料理を紹介したことがありますが、そのときは写真が1枚しかありませんでした。今年は、実家にiPad miniを持っていき、おせち料理の写真を何枚か撮って来ました。我が家(実家)は、おせち料理が大好きで、私が子どもの頃は、正月3ヶ日は毎朝御節を食べていたように記憶しています。重箱に入れるのは1月1日だけでしたが。しかし、さすがに今は食べるのは1月1日だけですけど。全体像。この重箱は、栗きんとんと昆布巻き以外は、母の手作りです。こちらの重箱は、手作りのものはありません。買って来たものを組み合わせて入れているだけです。2段の重箱じゃ入りきらないので、皿に入っています。蓮根だけが母の手作りで、あとは既製品です。単独の写真は撮りませんでしたが、小皿に入っているなますも母の手作りです。そして、御節といえばお雑煮。お雑煮は、東京では人によって中身が全然違うと言われます。我が家でも、それは実感します。実家のお雑煮は、純然たる関東風(なのでしょうか?)角餅に澄まし汁、具は菜っ葉と三つ葉とナルトだけ。それに対して、相棒が作るお雑煮は、これとはまったく違い、味噌汁に丸餅、具もたくさんです。実家には餅つき機があって、以前はお餅も家でついていたのですが、さすがに父の死後はお餅は買ってくるようになったようです。で、これはおせち料理とは言えないですが・・・・・・今年はカニまで。そして、これもおせち料理じゃないですが・・・・・・1年のうちに、朝からお酒を口にするのは元旦だけです。もっとも、昨日の晩もちょっとお酒を飲んだせいか、今朝はぐい飲み2杯でギブアップ。弟と2人で4号瓶の半分も飲まず、残りは実家においてきました。遠からず、弟の胃袋に消えるでしょう。母は、今年78になります。母が完全リタイアしておせち料理を作らなくなったら、相棒はおせち料理を・・・・・・多分作らないでしょう。お雑煮くらいは作ると思うし、何か1品か2品買ってくることはあるでしょうけど。全部が既製品のおせちセットを注文して、というのは、母も相棒も私も、あんまり趣味じゃないので。そう考えると、実家でみんなそろっておせち料理を楽しむことができるのも、あと、そう長いことではなさそうです。何はともあれ、今年もよろしくお願いします。
2016.01.01
コメント(4)
全29件 (29件中 1-29件目)
1