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古図は面白い。いま読んでいる「立花宗茂」の本のなかに「立花山古図」見付けた。柳川御花寄託 福岡県立柳川古文書館蔵とある。宗茂は、先日遊びに行った「柳川御花」の藩主でもあった人であり、略歴は調べたことがある。戸次道雪の婿養子になり、立花城主となった因縁がある。当時の武将にしては、融通の利いた人と見え、秀吉、家康と生き残りを果たしている。一度立花城址に行ったことがあるが、小さな城跡であった。どうやら熊本城を子どもの頃からみているので余計そう思うのだろうか。樟の原生林があり、小さな山だが、周辺の地名はいまも多く残っている。ハイキングコースで、いまは、糟屋郡新宮町である。今日も、立花山登山口の近くにある道雪由来の六所宮を観てきたところだ。サクラの頃、写真をブログに載せた事がある。どうも伝記というのは人物が美化されていることが多いので信用ならない。都合のいいように粉飾されている。それほど立派な人物ばかりであったら、日本はもっと素晴らしいはずだろう。「史記」のような、スケールの大きいものを残す気にならなかったのは、余りに世知辛い社会であったからだろうか。古図でも見ながら、眠ることにしようか。P.S.昨日の「ゲド戦記」が物足りなく思ったのは、人物や物や風景が本物ではなく「絵」であり「アニメ」だったからだろう。アニメは、やはり子どもの世界でしかないだろうか。血の通ったものでしか、或いは本物でしか見ようとしないからだろうか。それにしても、何と人間や自然は精緻で繊細な存在だろうか。ストーリー性や物語の内容ではなく、正に其のことが気になっただろう。それは、或いは、私が見る側の限界でもあるかも知れない。色彩や、容に拘ってはいないが、まだ現代の科学では、人間の表情や、自然を描写することは、少なくともアニメでは困難なのだろう。それにしても、ジブリは危ない橋を渡ろうとしているのではないか。彼らの思惑が通用するだろうか。そこに商業主義があるかぎりそうしなければならないのでもあろう。日本のアニメが問われてもいる。多分市民権だろう。>福岡県糟屋郡新宮町 六所宮
2006.07.31
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色々書き過ぎです。八方破りで厭になる。明日は、近くの玄界灘の海水浴でも行きますかね。それとも国立公園の海ノ中道公園のプールにでも行こうかしら。兎に角、家に居たくない。最近体が鈍ってしまってもいる。歯の治療が終わって、やたら食欲がましてしまった。根が真面目で、じっとしていられないのは困ったものです。少し肉体を酷使して、疲れて眠りたい。どうも家でごろごろしていると発想が単調になりそうです。真剣さがなくなってきている。もう山歩きもあまり自信がない。テントを抱えて昔なら時間があれば旅をしただろう。海や山で遊べなくなりつつあるのは、淋しいですね。もし、太平洋をヨットで堀江さんのように海の中を行くとしたら、どうだろうか。すぐ溺れて死ぬでしょうね。植村直巳も急いで逝ってしまいましたね。自分の時間がゆっくりあったでしょうか。今の私には、それがあるけどそれを生かすのが難しいのです。>今日のドライブから、福岡市東部郊外にて
2006.07.31
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宮崎吾朗監督。手島葵の唄が澄んだ印象的な声で良かったですね。透明感があるというか何処かで聴いたような懐かしい気がした。「指輪物語」「ナルニア国物語」につづいて、今回「ゲド戦記」と三大ファンタジーを見たことになる。やはり、「ゲド戦記」は、アニメの弱さを感じたのは年齢の所為だろうか。生とか死とかは、概括すべきではない、小さくした方がいいのかも知れない。ファンタジーなのだから、子どものこころを監督は持つべきなのだろう。大人が常識でつくる作品は面白くない。それとやはりスタッフを変えないとダメだろう。同じ型に嵌ってしまう。観客は、日本人だけでもないし、世界の原作を読んでいる人たちが観るのだから、日本人の観念では独り芝居になる。まあ世間がどう評価するか知らないが、芸術家は一人しかいないということかな。芸術家の子は、親と同じものを目指してもうまくいかないのではないか。まあ奇跡を信じる人もいるが。感想は、手島葵の唄声が印象的だったということかな。(但し、正確には「島」は、山のしたに鳥)それにしても、折角感動したくて劇場に行くのに、それができないようでは物足りないだろう。やはり、一から始めないと新しいものは出来ないし、新鮮ではない。安易に粗製濫造しては、原作がかわいそうだ。
2006.07.31
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日本の戦後の経済成長は、低賃金と豊富な労働力で実現した。それは、高い教育水準が後押しした。勿論それだけではないが、廉いコストの中でも、貧しい生活を守った女性の役割は重要だろう。女性の労働市場へのM型参加、つまり婚前の高率参加と子育て期間の低率、30歳代後半からの再高率参加というシェーマが形成されている。エコノミック・アニマルを家庭でサポートしたのは妻たちであろう。女性が、日本の家族を維持し、三世代同居を実現させていた要でもある。妻たちの、その社会環境下にある「居場所」は、自分たちが自分で選んだものであろうか。個人にとって、その拠って立つ存在は複雑化している。政治的には、非抑圧者で、経済的には非搾取者であるものが、家庭では違うかも知れない。文化的には保守主義であり、或いは日和見主義かも知れない。宗教的には、どこかのかくれ信者だったりする。この社会を批判しながら、その構成員であることを捨てられないのは、女性がエロスを捨てられないのとは同じではない。女性を真に個人として扱うこと、社会における自らの役割を選択する「内心の自由」を認め、それを良しとすることは、男性への経済的依存や、決められて性の役割への同化という、女性たちの陥りやすい錯誤を糺すことになろう。この複雑化した社会を、分析と統合というような単純な側面からみても解析できはしない。人間は、もともと善人でも悪人であるのでもない。その場面で善人になれるかが問われでいるのであり、それは、ぬえのような存在なのだろう。最近、私は、ソフト「将棋」に嵌っていて、PC相手に遊んでいて中々止められません。困ったものです。
2006.07.31
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少し考えると分かってくる事がある。例えば、日本経済に対する女性の貢献はつねに決定的に重要といえる。第二次大戦前は、女性は農業と軽工業に集中していたが、戦後も同じくこれらの低賃金労働者であり、同時に国の機関やサービス業、殊に金融機関と流通業で、不可欠な存在となった。女性は、雇用保障や高賃金が期待できないが、熟練度の高い巨大な労働力要員でもあった。彼女たちは、企業に就職しても、結婚や出産によって退職させられ、復帰しても「臨時」「パート」でしかなかった。これは、労働基準法で禁じられた性による賃金差別を避けつつコストを削減するという意味だ。日本の典型的サラリーマンの長時間労働と企業への忠誠心は、夫と同様に勤勉で献身的であり、子育てから家計まで事実上管理している妻がいたから可能だっただろう。高い教育水準と老人や弱者の介護という負担を強いられながら耐えてきたのは日本女性の特質であり、感動的でもある。かかることをやってのけたのは、日本の「伝統的」思想であり、日本の「教育制度」のいわばおやりになった重要な役割に帰するなのだろうか。勿論、時代は変わりつつあるが、あまりにも前近代的な教育システムが存在し続けてもいる。さて、盛り上がってきた真夏の脳天を突き抜けるセミたちの大合唱を待っているところだ。
2006.07.31
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同じような小説や、映画や、出来事をみていると退屈するが、どこか違うものを感じることがある。それは、いうほど簡単な事ではない。若くて人生に飽きるとすれば、自分の感性が鈍磨しているからだろう。それが新鮮だと思うのは見せかけではダメだ。新しい目をもたないものに見えないからだ。日本国憲法も色々な解釈がある。如何に新しい目で読み解くかだろう。古典だってそうだろう。眠っている目を覚まさせるにはそれだけの準備が要る。一度ではダメだろう。何度も新しいかどうかを確認しなければならない。どこが新しいかを証明することは容易ではない。併し、遣り甲斐はあるだろう。長く研究していると逆に見えなくなるものだ。新しい目で見ることが出来なくなるのだろう。いま求められているのは、新しい目を持つことだろう。それがもてないなら、やめたがいい。10年もやって出来ないなら、一度やめたがいいのだろう。私たち人間の人生は、流れ作業に乗っている自動車のボデーではないだろう。こう暑いと、阿蘇の自然の冷気が恋しくなる。P.S.そうだね。心と身体は別々ではない。ただ便宜上分類しているに過ぎない。だから身体や心だけが夫々壊れるのではない。何故お金の事や柵が大きなダメージにするのだろうか。過敏に過ぎるのだろうか。それは、あまりにひ弱な心身でしかないのだろうか。こころの鍛錬をせず、体を大事にし過ぎて心も萎えさせてはいないか。
2006.07.30
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年齢と共に体内の電解水の回復が劣化して行く顕著な老化だ。と医学部のレジュメの中にあった。梅雨が明けたと思ったら、今度は猛暑になった。寒さよりも暑さが堪える。汗を掻きながら鉢に花を植えた。今年は蝉が多いようだ。蝉の抜け殻が多いのに驚く。雑草も妻から除草剤を止められているので切りがないくらいに今年は繁茂している。遊び人のところには仕事が付いてくるのだろうか。余計な仕事ではない。こちらが止めれば雑草はざまあみろと伸びてくるようだ。私のようななまくらなことしかできないのだから、酷暑や酷寒で生き延びる自信はないが、行って見たい気持ちはある。登山は出来ないが、山歩きは好きである。見るだけかといわれそうだが、見るのは好きだから仕方がない。私は、子どもの頃、熊本市の城西に住んでいたので、近くの金峰山を夕方になると毎日見に行っていた。見ていて飽きないのだから好きだったのだろう。自分が何が好きかというのは、どうも鈍感なのであとで気がつくことが多い気がする。どうも好きとか嫌いかとかもその時にはどうでもいいのかも知れない。それにしても、この猛暑の中で、太陽の陽射しを受けて何とも草木は生き生きとしている。負けそうだ。
2006.07.30
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シルクロードを旅した人びとに去来したのは、胸中に鬱勃したなにものかが、駆り立てるものがあっただろう。私たちもその遺伝子を持つ物かも知れない。ひとは、他人から与えられるもので満足できないものを本来もっているのではないか。わたしのことは「わたしが決めてこそ」自分の人生なのだろう。シルクロードは中国からイランを経てローマにいたる道であった。十世紀までは、この二つの文化圏は境を接していたに過ぎない。生命を賭してまで旅を続けたものは、或いはこの鬱勃たる想いではないだろうか。黙って死ねないものたちが世界に溢れている。悲劇があり、喜劇があらねばならないか。神をさえ創造してさえおさまらない世界であるとしたら私たちは、未だ、現代にあってもシルクロードの夜の闇を歩いているだろうか。イスラエルの果てしない戦争が世界に何をもたらそうとするのだろうか。未だ、陳舜臣の「西域余聞」読んでいた。>蒼空と深まり行く緑の濃さを目に焼き付けながら走り、只今トヨタのディラーのショールームにいる。
2006.07.30
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このブログを書き始めた頃車を買い、今日で一万キロ点検だ。実は、そこまでの走行距離ではないが。それでも殆ど毎日乗っている。一度自宅から出雲大社までドライブしたが往復900キロ位あったがそれが最高。運転は妻と交代したが、殆ど高速だったので、寧ろ走行距離に驚いたくらいだ。あと長崎や熊本に出かけたが、大抵日帰りである。九州は、流石に車がないと不便なので手放せないが、ついそこに行くのにも乗ってしまうので健康にはよくない。案外都会に住んでいた時の方が歩く機会が多いようだ。少なくても私はそうだった。歩かねばと思うが、犬が死んで、散歩も減ってしまった。足腰から人間は弱るので、歩くことは健康のために必要だが、生活環境がそうさせないように出来ているようだ。これから、愈々「自己責任の原則」が叫ばれることだろう。チャンスはいくつもあったが、若いころにあった選択肢が年齢とともに狭められていくだろう。それを厭でも実感している。選択肢がなくなったときには、この世ともお別れになる。それさえ、覚悟していれば、案外この世も偏頗でだらしないが、まだ見るところはあるだろう。そういえば、ディラーのショールームは、コーヒーのサービスもあるし、午後から整備を待ちながら、人の出入りを観察できるのが面白いよ。>せみ時雨
2006.07.30
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昨夜の分のP.S.が書き込みできなかったみたい。どうもメンテに手間取ったのか。3時前にスタートしたので、3時からのメンテにひっかかり、4時頃投稿したのが拙かったようです。それにしても対応が遅いのではないか。使わせて貰って威張ることではないが、腹立つ。大したものではないがそれでも惜しい気がする。スッパリすることはこれから大事なことだろう。日本人の「後回し」が一番拙いだろう。バブルで懲りたはずだけど・・・。ひとりで悩むからいけないのだ。首相ひとりが、どれだけ責任を取ろうとしても国民の生命は守れない。安倍氏は、「猫を被って」はいないだろうか。どうも、重たい。自分が利巧だと思っている人間に碌な奴はいない。点数とりは足し算しかしないものだ。人間は、過ちを犯すと思っていなければならない。だからそれに気付いたら、すぐ引返して元に戻る勇気が要る。それが安倍氏にあるだろうか。重たくなるのは、間違いを懼れるからで、間違いたくない人間がなるものだ。フットワークが悪ければ、すぐ躓くだろう。靖国がどうとか、いまから云うようでは脳がない証拠だろう。政治は、その時の情勢で変わって来る。裃をきて政治を遣ろうとする政治家はダメだろう。自分が重たいと思ったら、ハブ空港にでも行って一日、目の前を過ぎる人たちを眺めてみることだ。
2006.07.30
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それほど文化的な一日でもないが、もう夕方で、お隣に庭師が入り、植木がさっぱりして夕陽が指しているのを眺めている。何もないというので、あり合わせで野菜蕎麦をつくり、肴にして食べだしたところだ。或る意味で何と惨めな夕食だろうか。「一汁一菜」で食事を済ませる元経団連の親分がいて話題になって久しい。ばりばり稼いで遊びまくり、贅沢に暮らすことに憧れているものたちが多い時代だ。勝ちの負けのと空騒ぎをしている。妻子に食事を作らせてそれが幸福だと信じている。他人の真似をすることが一番いいのだと云ったりしている。他人に逆らわない。川の流れのように生きて行くという。何というか、恐れ入った阿呆だろう。こういうひとが、ちゃっかり他人や家族に迷惑を、確りかけてしまうのだろう。確かに、日本人は、貧しいが独自の文化を持っているが、それほど威張ることでもない。アジアの片隅で20世紀の前半は、世界の孤児となり嫌われ者になっていた。だから懺悔をさせられた。必ずしも、自信をもつことがいいとは限らない。いつか過信することにもなる。少し謙虚に生きた方がいいかも知れない。どんぶりにごはんを山盛りにして砂糖をかけて食べたことがある。流石に美味かったかどうか記憶がないが、腹いっぱい食べて淋しくはなかったのだろう。高価な物を食べながら死ぬことばかり考えているよりかましかもしれない。空腹であることが、たまにはいいかも知れないと思う。すこしはあたまがすっきりする。
2006.07.29
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蝉が凄い勢いで鳴いている。クーラーがフル回転して一歩も外に出たくない気持ちになる。三度目のドリップコーヒーを、シャワーのあと飲んでいるところだ。レバノンと日本の違いはという元外交官の本を読んでいた。文化的共通点が少なく、おかれた環境は大いに違うが、比較するにはいい点もある、両国の違いが浮き立つからだ。自分の欠点は本人には判り難いのと同じだろう。自分と大いに違う人がいるとよく理解も出来るだろう。日本人が外国語が苦手なのはどうしてかがよく理解できる。生きる上でそれほど必要としなかったからだ。レバノンは違う。生きるのに外国語を覚える必要があっただろう。レバノンの意味は「白い山」で、美しい自然が見られるという。しかも天然資源に乏しく、人間を資源とするしかない点だ。家族の絆もある。例えば、「アラビアン・ナイト」と「花咲き爺さん」の童話も対照的だ。「見せびらかし」を不道徳とか下品と見るのは、静的社会の一部の民族の価値基準でしかなく、世界基準ではない。飽くまでもそれだけのことだが。どうやら、日本では、一方的に配信される「レバノン情報」の偏った一面だけが報道されているようだ。日々空爆に曝される側の都市に居住するということは、何時家族や自分が殺されるか分からないということなのだろう。政府に文句はいってもどこかで頼っている日本人と、政府を頼りにしないレバノン人との選択の違いは検討する価値があるだろう。あらゆる角度から物事をみないと真実を見失うかも知れないと思う。
2006.07.29
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レバノンの歴史を読んでいるが、さっぱり分からない。余りに長く激しい歴史だ。日本人の歴史の何倍も何十倍もある。何せオスマン帝国からだ。私は頭が悪いのでどうも先に進めないでいる。土台分かろうとするのが不遜なのだろう。中東の歴史からすれば、日本人の歴史などひとつの民族の多寡が2000年にも満たないものでしかないだろう。レバノンには18の宗派がある。ヨーロッパとアジアとアフリカの接点で謂わば要となる地域のことを知らないで何が歴史だろうか。ユダヤ人は、人類にとってもキーパーソンなのだろう。彼らの思想を抜きにして、この世界の平和は無いだろう。私は、頭が悪いので、なかなか呑み込めないでいる。何故コペルニクス以前が、存在しつづけているのだろうか。今日から、明日に向かうのではないのか?「明日に行きたくないひとたち」と向かい合う術を知らない自分がいる。もし、自分が女性なら、男たちを殺すだろうと思う。間違いだろうか。>お隣の庭のハイビスカス
2006.07.29
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芥川龍之介は、漱石に師事した。「路上」は、「三四郎」からの女性の描写があるという。漱石の女性観は、恋愛と結婚は別という古い意識が支配しているし、芥川の恋愛観も作中の中では分からない。実篤の存在は意外と大きいのだという。私は、知らず若いころ実篤に嵌っていたが、罠があったことに気付いた。芥川は短篇小説家なのだろう。新聞小説も書いたが、漱石の読者に対する配慮が無い。それは読者を惹き付ける下心のなさでもあるだろう。持っているものの手持ちのオブジェの量だろうか。「邪宗門」「羅生門」は、未完である。この「路上」も未完であり、彼が、長編が書けないことの証明だ。日常的、芸術的な「刹那」の感動の作家なのだろう。作家の狙いが、天才作家の芥川をしても、いつも成功するとは限らないし惨めな失敗作もあるというよりそれが普通なのだろう。未完にするのは、作家に完成させる能力が無いか、対象とするものが違ってくるのだろう。私たちは、いつも付き合わされて落胆するが、棄てられなくなってしまう。女性の優しさはそこにあるのだろう。もし男尊女卑が、逆バージョンであったら、男は女を殺してしまうだろう。そして人間はいなくなるのではないか。
2006.07.29
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人間は、よく莫迦なことをしたがると思う。それは天邪鬼という。ポー「黒猫」では、罪を隠したいという心と、罪を告白したいという心が起きることだろう。文学で表現されるさまざまなものに、天邪鬼が登場する。先日の女性が起こした事件もそうだろうか。人間に起きる矛盾は、日常茶飯事に悲劇を齎している原因だろう。何れ人間はそのために破滅するかも知れないと思わないでもない。毎日くだらないことを書いているが、これは私のラインであって他人には解からないだろう。当り前だ。他人の尻を追っても解かりはしない。いつまでも同じ所にはいない。ひとは対象を間違え易いのだろう。分からないで迷っているラインを追っても応えは出て来ない。近頃妙なアクセスもあるが無駄なことだろう。私は、マンモスでもモンスターでもない。只の親父だ。いくつも線を引くのは悪癖に過ぎない。謂わば、天邪鬼なのだろう。くだらない。
2006.07.29
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漱石たちが描く明治の女たちは、どこに行ってしまっただろうか。・「黒い眼を左も物憂さうに三四郎の額の上に据ゑた。其時三四郎は美禰子の二重瞼に不可思議なある意味を認めた。其意味のうちには、霊の疲れがある。肉の弛みがある。苦痛に近き訴へがある。・女は瞳を定めて、三四郎を見た。三四郎は其瞳の中に言葉よりも深き訴を認めた。必竟あなたの為した事ぢやありませんかと、二重瞼の奥で訴へてゐる。確かに、日本の女たちは、男尊女卑の呪縛の長い歴史のなかにあり、女の人生は「タダ働き」をさせられる「第二の性」でもあっただろう。「当事者能力」をもっとも奪われた人たちであり、「わたしが誰か」を他人に決められた存在であり、「わたしのことはわたしが決める」ことが無視され続けた。そういう社会を、是認して恥じない時代が明治であり、第二次世界大戦の敗戦前でもある。そして、いまなおジェンダーが叫ばれている。文学者の顔をし、芸術家、文化人を気取る者たちが、何とも野蛮人に見えて堪らない。そして、いまだに、女性や子どもを弄び自分たちの餌にする商売があり、社会的弱者を喰いものにして恥じない世界が罷り通る社会である。もう云うまい。明治の女は、漱石たちの文学の中にいるといっても、差別者の被差別者に対する抑圧の世界でしかないし、ことばをいまに置き換えることを知らない現代の女性たちが蠢いているだけだろう。
2006.07.28
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かって、阿蘇は憧れの観光地だった。国内旅行がまだ華やかな脚光が当たっていた頃だ。そして、阿蘇はただの田舎の田舎になってしまった。温泉はどこにでもあるし、風光明媚でもっと素晴らしいところは世界のどこにもあるだろう。もしないにしても、阿蘇が引き立つ訳ではない。火口があって、草千里があり、火山灰が覆ったカルデラがあるだけだ。阿蘇は阿蘇でしかない。昔は、何かと言えば阿蘇だった。少なくとも私は、若いころは阿蘇しか知らない。他に比べようも無く阿蘇がある。他所の観光地は知らないが、私はそれで満足している。だから、私は、九州以外のところから来る友人を阿蘇に連れて行くことにしている。菊池渓谷から、ミルクロードを走り、大観峰に行き、ミルクたっぷりのアイスクリームを食べる、それから阿蘇の火口に連れて行き、あちこちドライブして、阿蘇の雄大さを愉しんで貰う。南阿蘇から、阿蘇五岳を見ながらドライブすると爽快な気分なってきたものだ。内牧にある町営「阿蘇路」の名物の高菜めしとホルモンの煮込みと特製豚汁とおでんを、こんど是非大学教授夫妻に食べて貰いたいと思っている。きっと病みつきになるだろうね。
2006.07.28
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午後から「龍之介」の7回目講座を聴いた。どうやら作品の単なる解釈ではない。それだけでは中学生だって同じ感想を持つだろう。文脈だけでもない。漱石や鴎外や、龍之介を取巻く環境から作家の意図するものが見えてくる。作家は何を悩み何を表現しようとしたか。幾つかの分類がされ、評価されるが通説がある訳ではない。「開化の良人」は、「本多子爵モノ」と「開化モノ」に分類されている。大正8年作。同じような作品ばかり書いているのではないか。(自動作用)「話」らしい「話」しのない小説ばかり書いているのではないかと苦悩し始めた頃だ。刹那の感動でしかない。そこに問題の所在があるが、それを読み解く鍵が見つからないのは何時の時代も同じかも知れない。先ず、問題の所在が、問題だろう。正確掴むのは容易ではない。まして複雑化した現代で、そこに行き当たるひとは多くは無い。レセプターが問題でもある。今回、歯科に10ヶ月近く通院して思ったが、自分で考えている以上に体の内部から崩れていることだ。表層ではない。人は、本当に自分たちの社会や、人間の本質を読み解く鍵を持っているだろうか。そんなことを考えていたら、いつかビールを飲んでいた。
2006.07.28
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イスラエル軍によるレバノンに駐留した「国連軍への意図的な攻撃」とする安保理の議長声明が削除されたと報じている。それは、アメリカが強硬に反対したからだ。事実はどうかわからないが、イスラエル軍が、レバノンに駐留している国連軍に何故攻撃するのか。逆らうものは誰も許さないという彼らの決意の表明なのだろうか。それこそ戦争の決意であり、いまや空爆によって既に600人が死んでいる。拡大すれば死者は増大するだろうし、反イスラエルの怒りは憎悪を増大させるだろう。イスラエルは1万人以上の予備兵を召集するという。国連のコモンセンスも揺らいでいる。そして中国やフランスが抗議声明を発表していた。それこそ、世界の良識が公の場としている所で、これだ。国連は無力化しつづけている。そうしているのは、世界の人びとが平和に飽きたのだろうか。いまや、私たちは、ただ平和を愛しているというひとびとを信用しないだろう。戦争で利益を得ようとしているものさえいる事実を思い知るだろう。ここに生きている私たちも、この戦争に加担し、生きている同時代人であることを忘れてはならない。ただ私たちには、どこまでも自虐的でしかありえないだろうか?あのノー天気なエリートたちはどこにいるのだろうか?
2006.07.28
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あと5年先には、世界の2006年がどういう一年だったか、歴史が客観的に見るとことが出来るだろう。いま、燻り出したレバノンの戦火は、新たな戦争のスタートになるだろうか。イランが戦場になるのだろうか。レバノンの歴史を知ろうと関係書を読み出したが、長年にわたる異民族の混血によって、ヨーロッパ系からアフリカ系の風貌がみられ、キリスト教、イスラム教など18もの宗派に分かれ、伝統を守っており、宗派を越えて結婚したり、入り混じって住むことは殆どないらしい。レバノンもまたモザイク国家といえそうだ。この民族の脆弱性は、オスマン帝国からの負の遺産でもあろう。昨日、「田原坂の春」について書いたけれど、日本の机上の歴史家と、郷土史家に見られる偏りが、文化を歪んだものにしているのではないかと思う。代弁者的な学者は、いつの世も変わらない。自分が文化の中心にいると思うからだろう。謂わば、コペルニクス以前なのだろう。多くに見られる郷土史家の郷土への盲愛でもなく、ただ自分の心を、そこに持っていけないだけではないだろうか。田原坂の一の坂、二の坂、三の坂と歩いて上りながら、道路の幅員が余りに狭いのに驚いた。両側から、鉄砲を打ち合ったという話を聞いていたので驚愕したし、「弾痕の家」では、弾丸と弾丸が空中で衝突した遺品をみて血の気が失せた。読み解こうとする想像性のないものにないがわかるだろうか。アメリカがしようとすることは何だろうか。イスラエルの未来とは何なのだろうか。そしてパレスチナのひとびとは、どこへ行こうとしているのだろうか。そして日本人は、明日を確り見ているだろうか。>今日は、龍之介の講座があるし、歯科にも行かねばならない。
2006.07.28
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この世界が、容易でないことを。アメリカ政府はイスラエルを支持しており、レバノンは空爆され多くの市民が巻き込まれ血を流していること。裏でシリアとイランが動いていることを。これは、代理戦争の様相を呈してきていることを。国連軍は、世界に、平和を齎す力が無いことを。私たちは、知っている。国益でしか動かない政府が、国連の中の大半であり、自国の利益を優先することが外交だと公言する。国家の代表者が、暴力を肯定して、誰を殺すの殺さないとテレビで報道している。それをよってたかって支持している人びとがいる。これでは、平和を築くことは出来はしない。私たちは、何のために努力しようとしているのだろうか。ひとつ間違えば、家庭の安らぎは破壊され、個人の希望は吹き飛ぶだろう。それが、現実になるかも知れない。記録的な豪雨が、河川を氾濫させて、自宅が流されるように、この国の平穏な日々も核戦争の血の濁流に、流されるのではないか。平和を築くためには、多くの犠牲を厭わず、不屈の精神で遣り遂げる決意が必要だと、私たちは知っている。
2006.07.27
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橋川文三著「西郷隆盛紀行」を手にしたのは、偶然でしかない。謂わば時間潰しのようなものだった。征韓論には、余り価値を認めないし、西郷の人物も時の人でしかないが、「田原坂の春」という項目に惹かれたからだ。私は何度も古戦場を訪れてある種の感慨を覚えてもいる地だからでもある。読んでみて愕然とした。何とも歴史家の文章ではない。「弾痕の家」が、要するに「木造の小屋に過ぎない。」というのだ。確かに建て替えたかも知れないが、いま在るものが昔と違って当然であろう。見るのは歴史であり、そこに残る痕跡から読み解くものであろう。東京からのこのこ出かけてきて、車で回って自分の感想を書かれたのでは堪らない。何が「田原坂の春」だ。こどもの作文ではない。「弾痕の家」をして「大きな公衆便所に似た建物だ」というのだから恐れ入る。しかも作者がどこかの大学教授である。「なんだか、もはや、そこを訪れる気がしなかった。」とは、何と失礼な人物だろうか。田原坂の戦いは、国内戦最後の戦場であり、数千人の戦死者を出した歴史に残る古戦場でもある。こういう学者が、歴史を語り、西郷隆盛を評する資格はないと思う。歴史家として、西郷の評伝を書いているのであれば物見遊山ではないのだから、見識を表白すべきである。つい、腹が立ったので書いてしまった。
2006.07.27
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このブログは、弱点の目立つフィクションでもある。自分の知らないことや、或いは適切に知っていないことについて書くのでなければ、いったい何を書こうとしているだろうか。まさに知らないことに措いてこそ、必ずや云うべきものがあるのであって、ひとは、おのれの知の尖端でしか書かないのだ。即ち、わたしたちの知と、わたしたちの無知とを分かちながら、しかもその知と無知との間の極限的な尖端でしか見ることができないでいる。私は、ただその空間で決然としてあろうとしているだろうか。無知をカバーしてなお明日に手が伸びるだろうか。否、それは不遜というべきだろう。寧ろ、書くことが生と死との間隙にあり、沈黙への反逆を意味しており、或る一貫性へのアプローチであろうとしているに過ぎない。いま、ジル・ドゥルーズ「差異と反復」の難解に戸惑いながら苦闘している自分がいる。ところで、ひとりの人物の本質は、しばしば味方よりも敵によってよく理解されるものではないだろうか。逆境を経由しないものはいつまでも同じところに沈殿してしまうかも知れない。やっと、投稿が2000件になった。・・・なってしまったかも知れない。>今日の fwu キャンパスにて。
2006.07.27
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「心のケア」「心の時代」と騒がれて久しいが、カウンセラーと患者の立場は、対等の理解をいいながら、個人を自由にするとみせかけて、複雑な社会的問題をすべて個人の内面的問題に掏り替えてしまうものではないか。それは、結果として現実に存在する社会的問題について考えたり行動したりするチャンスを奪ってはいないだろうか。もともと「心」に、専門家やエキスパートは、存在しないとしたら、これは、まさしくアメリカ流の個人主義に追随する「関係性の商品化」ではないかと指摘する意見がある。現代に於ける消費社会の進行は、目に見えるものを売り尽くして来ており、とうとう人間の「心」や人間の内面に、その飽くなき欲望の触手を伸ばそうとしているだろうか。これが、「心のマーケット化」の所以だ。「AC問題」や「癒し」ブームの現象でもある。近頃の若者に目立っている人目を気にしない行動も、それが「恥知らずの行動」ですまされる問題ではなく、周りの目を気にすることができないのであるとしたら、ことは深刻な問題である。それは、ことに日本人のネオテニー化が進んでいることを意味しており、謂わば、脳の機能障害でもあるだろう。アメリカ流の「カウンセリング・マインド」が、「心のマーケット化」を推進している。「ああ、そうなんだ」は、自分の立場を中立化して、相手の感情をひとまず受けとめる手法は、まさにカウンセリングのテクニックだろう。>図書館で涼んでいる。昨日の「心理学化する社会」の後半を読んでいた。今日は特製のサンドイッチ持参であるが、段々室内が満員になってきた。外は猛暑のようだ。
2006.07.27
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中学の美術の時間でデッサンしていたら、校長が知らない内に後ろに立っていて、突然声をかけて来たので驚いた。「プロは、そうやって何度も何度も線を引いて、一本の線を探すんだ」その校長は、あとで熊本県の美術館の館長になったひとだった。芸術家とは、同じことの繰り返しをしながら、自分の線を見つけるのだということを漠然と知った気がする。才能があるなしは別として、少なくともその努力をしなければならない。私には、ひとりの師と呼べる先生はいないが、心に残っているフレーズがいくつもある気がする。詩作が好きで、ことばを知らないことを痛感したので、どこかの国語辞典を「あ」から、一語一語覚えようとした。どうも授業が疎かになりがちだった。魚とりや、昆虫に夢中になった。人生は、振り向けば一本の線だが、迷い迷いした幾つかの線のひとつだろう。自分だけの一本の線が描ききれたものは幸せだろう。「お前には、美的感覚があるよ」と、校長は誉めてくれた。多分のたのたと線を引き続ける私を励ましてくれたのだろう。このブログも、いつか自分の一本の線にしたいと思っている。
2006.07.27
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ひろい心とは、日本人が最も憧れるものだろう。鑑真和上は、そのひとりである。鑑真は日本の留学生に伝律授戒のため日本へ行くように請われて、それに応えようとした。彼が55歳のとき。第一次の渡航は742年に試みられたが、密告されて失敗し、二度目は遭難して失敗。何度も失敗した。五度渡航失敗の後、鑑真は失明した。そして、六度目にやっと成功し、奈良のみやこに入ったのは、天平勝宝六年(754年)彼は67歳になっていた。五度目の渡航は暴風雨で漂流して海南島に流れ着くという悲惨な失敗だったが、鑑真に日本行きを請うた日本僧栄叡が病死したとき、「続日本紀」には、ーーー時に栄叡物故す。和上、悲泣して明を失す。とある。鑑真の「ひろい心」は、不屈の精神であろう。いまこそ、日本人は、この「ひろい心」に学ぶべきではないだろうか。律法を請われて、六度も渡航を繰り返した鑑真の不屈の精神と、努力を忘れてはならない。どうやら梅雨明けだ。
2006.07.26
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俺は、長距離トラックの助手席に乗っていた。父が勤めていた運送会社に頼んで、郷里の熊本まで大阪の大学から無銭便乗して帰省し、夏休みを過すつもりだった。大阪を出る時もう真っ暗だった。時々無骨な運転手が話しかけてきたが、暫くしたら、うつらうつらして、時々頭をガラス窓にぶつけてガラスに当たる度に痛くて目が覚めたりした。トラックは休みなしで福岡まで走り続けていた。初めての真夜中のトラックで星空が眼前に拡がっていた。まだ高速道の無いときだったので、国道を走っていた。運転手は2人で、もうひとりは後ろの簡易ベットで仮眠していた。俺は、そのときふと、俺は、この初めての経験を、そして今見ている情景をいつか思い出すだろうと想った。疲れていた、こころもからだも深い闇の中に吸い込まれようとしていると感じた。不思議な空間があった。或いは、このままトラックは、どこかの絶壁から落ちていくかも知れないし、どこかにぶつかって、俺は死んでしまうかも知れないと妄想が拡がったりした。未だ、俺は学生で、遣りたいことは一杯あるし、健康だし、それほど他人にひけらかすものはないけれど死にたくはない。併し、誰も交通事故など起こしたくて起こしている訳ではないし、多くのひとは、それでも事故を起こし、そうしてそのまま死でいくのではないか・・・。この時間は何なのだろう。日頃したこともない世界に入り込んでいるような気がした。眠かった。どろのように眠っていた。時々、頭をガラスまでにぶつけつづけた。
2006.07.26
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斎藤環の同名のタイトルの本を読んだ。久しぶりの女子大の図書館は夏休みで多かった。もう数ヶ月通っているので顔を覚えてくれたようだ。冷房があるので快適だし、夕方まで居たかったが、昼飯を食べるために引き上げることにした。今度学食も夏休みか調べたい。PTSDとは、トラウマや著しいストレスに曝された後に、その体験に関連してフラッシュバックや過敏性、或いは類似の体験を回避しようとする行動で、精神障害を指すもので、ベトナム帰還兵たちが罹患したといわれている。併し、所謂「トラウマ語り」には、本来語り得ないはずのものを過剰に語り過ぎるという現象があり、もはやトラウマはそこには存在せず、むしろ彼が語る背後にこそ、本当の問題が隠されている可能性がある。という。ややもするとトラウマの犠牲者が神聖化されている。問題の処理の方向性を誤ると、逆効果にもなるだろう。それと、「日本史探訪」を少し読んだ。人物の捉え方どうも物足りなく感じるのは何故だろうか、こうして比べると陳舜臣は、スケールが大きい作家だと判る。
2006.07.26
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たとえば、いまや世を挙げて「癒し」なのだろうか。ヒーリング、エコロジーなど、調和とリラックスのイメージが先行している。まるで皮膚感覚の世界だろう。そして、トラウマのインフレーションだ。映画は、いまやグロテスクの時代だろう。「ロード・オブ・ザ・リング」も「ハリーポッター」も昨日見た映画「デッドマン・チェスト」もそうだろう。背景にトラウマがある。穢れのない美少女では売れない。むしろ「傷付つけられた美少女」でないと売れない時代だ。現代人は、グロテスクという酸性雨に晒されている。それがこれからどうなるのだろうか。もう守ってくれ人間の素朴さや、山も緑も、とうになくなってしまった。私たちには、いまのところ、その能天気といかがわしさと、があるだけだ。けふ、附属図書館に来ている。弁当を持っていないので、空腹になったら、どうするか決めていない。図書館の梯子をするか、どこかに行く。もう梅雨明けだろうか。>昨日のクマ蝉
2006.07.26
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法顕にしろ、陳舜臣「西域余聞」が、紹介している求法僧たちは、威厳に満ちており、それこそ一種のフロンティア精神があるだろう。「誰も求法のために天竺へ行った者がいない。だから、私が行かねばならない」だ。しかも六十を過ぎて出かけた3年かかり天竺に至り、帰国したのは77歳だ。それから10年近く訳業に従事した。不屈の精神である。当時の中国には律蔵が不足していた。組織をまとめる戒律が必要だった。日本も同じ理由で、律師の鑑真和上を求めた。何と、ゆたかに先人は存在していることか。知らないのは、知ろうとしないからではないか。中国は、インドに仏法を求めた。そして、それをはじめて成し遂げたのは、六十を過ぎた老人であり、それは成果云々ではない。それを遣り遂げようとして、最後まで挫けなかった精神こそフロンティアではないか。当代随一の名僧と謳われた鳩摩羅什しかり、仏図澄しかりだろう。優れた先人に学ぶべきだ。唯、知ることだけではない。これから私たちは、容易くショートしない人生を歩かねばならない。
2006.07.26
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「デッドマン・チェスト」を見てきました。前回は面白かった。今度は、どうか。どうもマンネリかなァー。何でいまだに「蛸」なのか。どうも発想が、陳腐で大昔と変わらない感じですね。人食い人種が出てきたり、映画人のおさとが知れる。どうやら、ディズニーランド映画も地に堕ちた感じ。興行とはそんなに人材不足なのだろうか.凋落した文化のイギリスの作家がファンタジーで活躍するのは、日本の漫画と同じだろうか。机の上でしかそも想像力が発揮できないのか。中国映画も、韓国映画も、本来の芸術とはかけ離れた世界だろう。タレント不足でしかないのは、表現文化が無いからだろう。もっと可能性はあるのだろうけれど、他人任せで自分で想像しようとしないからだ。利益重視の才能の無い奴が、ためにして、搾り出した作品など、すぐに限界が来るだろう。映画人は、現代科学や、人間の存在を知らな過ぎるだろう。人間は、もっと表現力があり、創造性があるだろう。
2006.07.25
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三国の戦乱期を経た中国人は、自分たちの苦悩が人間のそれであり、西域人も同じ人間であることに気付いて、それまでの仏教がエキゾチズムの域を出ていないことを知り、仏教の門が開かれた。そこに天竺への道に向かう求法僧が法顕と三蔵法師だ。自分のあらわした旅行記が現存するのは幸運な求法僧が、このふたりに共通していえる。艱難辛苦の末、天竺に至り、長い歳月を過して帰国した。併し、法顕は、399年64歳。三蔵は629年27歳だ。法顕が長安を天竺に出発したのは、64歳というのは勇気を与えてくれる。しかも大砂漠を渡り、酷寒の大雪領を越えての旅である、同志11人が同行した。途中で帰ったり、残留したり、病没したりで、帰国し、初志を遂げたのは、法顕ただひとりである。不屈のひとだ。白い泡を吹きながら死んだ同志の遺体を撫で、なげき悲しんで号涙するひとであった。天竺に入りの最初のひとが、法顕であり、北天竺に足を踏み入れル魔で、西域をほぼ3年は旅をしたという彼は67歳になっていた。帰った時は80歳近くになっていた。いま、私たちは、先人の残した業績に深謝すべきであり、続かねばならない。
2006.07.25
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いつか雨上がりのようだ。庭に出てみて、蝉の抜け殻が金のなる木に10数個あるのを見つけた。よくみると脱皮したばかりのオスの熊蝉がいた。この瞬間の蝉は動きが鈍いので直ぐ手で捕まえられる。早速捉まえて、写メールで撮って見たが、調子が良くない。どうやら携帯も寿命らしい。お陰で多分ぼやけている事だろう。庭の隅に蝉の卵を産みつけたのだろう。近年蝉が増えたわけだ。外出しようとしたら大雨になって躊躇してしまい、諦めて自宅で読書していた。李商隠の無題詩(陳舜臣の「西域余聞」に引用) 断えて消息無く 石榴紅なり句の意味は、想う男からまるで便りが無いという女性の身になって詠んだものだが、自分は身につけてとぃる石榴色のスカートがむなしいという意味もと、「石榴色」は、石榴酒という解釈もあるらしい。妙に、艶かしい石榴の実を思い出した。午後は、蝉が騒ぐことであろう。晴れてきたのでもう気温が大分上昇傾向のようだ。
2006.07.25
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ライバルを異質なものとし、峻別する意識が強烈に働いていると物事を見失うことがある。中国と日本の差は、西欧の「モノ」を採用するについて、日本が中国に先んじたのは、実にその点にあると陳舜臣は「西域余聞」で述べている。二者択一の世界は、物事を判断するのに明快だが、しばらく考えてみるとふしぎと悲しくなるという。宗教がまさにそうだろう。アジア諸国から欧米へ留学した青年が、酒に溺れてダメになるケースが多いらしい。それは、免疫性を持っていないこともある。普段の生活で、誰も酒の飲み方を教えてくれものはいないのだから気の毒な話であろう。それは、酒だけではない。タブーとされる二者択一しかない世界でもある。ややもすると、日本人も「敵」か「味方」か、「イエス」か「ノー」かの二者選択しかない世界になろうとしていないだろうか。アジアで日本が、他国に先んじた特質は、和洋折衷にあったのではないか。そのフットワークではないか。日本の未来が、次第に硬直化しつつある原因のひとつは、ライバルへの執着にあるのではないだろうか。
2006.07.25
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流石に、世間も自分も怠惰の中にいる。TPOがあるにしても、どうもいけない。こんどの記録的豪雨で、自宅を失ったひとが茫然自失の態だった。同情をしないひとはいない。誰を怨むことも出来ない、その無念さは喩えようがないものだ。長年築き上げたものが一瞬にして破壊されてしまうのだ。それに引き換えて、自分は何をしているだろうか。ただ見ているだけではないか。「同情はいらない。カネをくれ!」というフレーズが流行ったことがある。なんとも現実的で、直接的なことばが話題になったが、現実的な救援措置を講じるべきだろう。災害に於ける国家の被害者救済のルールの法整備を構築すべきだろう。一日に数十万の細胞が消滅している脳細胞なのだから、日々老化を続けている。それほどのんびりしてはいられない。そのうちあちこち使えなくなるだろう。いまわかっていることが、いつまでわかっているかさえ判らない。怠惰は自分の中にあり、しかも日々の中にあるだろう。P.S.訳の判らないことを言うのは、歩きたくないからで、走りたいのだろう。誰も判らないことを云いながら自分だけはわかろうとしているからだろう。たとえ誰一人判らなくて貰わなくてもいい。
2006.07.24
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ワァーキングプアの問題が指摘され、社長がホームレスの話も珍しいことではない。少子化で大学の存在自体が問われ、存在価値の薄い学部は淘汰されるだろうと噂されている。組成濫造もあるが時代の流れもある。もう聖域はない。無駄を省くのは必要だが、誰がそれを判断するかでもあるだろう。既成勢力が自分の後釜を指名するようでは、革新は出来ないし、出来るはずがないだろう。体制に反するからと教授になれないという話は、日本の大学の「井底の蛙」を示すだろう。数式を入れないと経済学の論文が評価されないとも聴いた。必要でそうするのではない。それこそ、「大学教授がホームレスなる日」があるかも知れないし、もう既にあるかも知れない。勿論自業自得もある。犯罪を犯せば、誰だってそうなるだろう。まさかは、つき物の世界でもあるから驚くにはあたらない。理由が何にしろ、自分の今の研究が無価値になることはあるだろう。それを承知で研究しているだろうか。生き残るために、自分のフットワークは大丈夫だろうか?油断すると、ホームレスだ!群がるアリたちに鉄槌を喰らわすときだろう。>福岡市の梅雨最中の郊外にて
2006.07.24
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自然の美しさは、それに目覚めたものは、自分は何だろうかと考え出すのだろう。街にあふれる一つの花にも、小さな樹木にしろ、数十億年の歴史があり、進化の成果でもある。その時間の流れは、半端ではない。いまだに、人間には、自然の中の何物をも、その素材なしにはつくることができない。私は、いま外を眺めているが、雨が降り、風に小枝が揺れているが、この風景さえ、現代科学を束にして寄ってたかって再現しようとしてもできない。わたしたち人間は、途方もない世界に生きているだろうか。生まれてきたエリアが違うのだろうか、それとも目覚めが早過ぎたのだろうか。そも、わたしたちは、何ものだろうか。そよ風ひとつ作り出すことができない人間が、与えられた課題に応える能力があるだろうか。どうも雨の湿気が眠気を誘ってくるようだ。未だ暫く、ヒトは眠り続けるだろうか。>即席ラーメンを作りました。茹で過ぎですが、でも案外この方が美味い。負け惜しめですが。
2006.07.24
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意匠は同じだけど、確か以前は「住尾のアベックラーメン」といってと思う。経営でも替わったのだろうか?知らないが、兎に角、懐かしいのでひとつ買ってきたが、食べるチャンスがなくいつか忘れていた。即席 美味しいスープ付、とあるのをいま見つけた。受験生の頃、真夜中これをよく食べていた。ラーメンが好きになったのは、こいつからだろう。お陰で胃痛にもなった。母がよく作ってくれて、野菜や、鶏卵が入っていた。熊本では、知られたラーメンであったと思う。「アベック」とは、二人前という意味だ。乾燥した棒緬で、チャンポンや焼そば、冷しラーメンも料理できるとある。併し専ら私はラーメンだ。独身時代が永かったので、料理は、廉価と簡単を旨としたので、即席を愛用したが、結婚していつか忘れていたが、7年前に横浜に単身赴任して、またぞろ独身料理になったが、この「アベックラーメン」を見たことがない。恐らく九州限定ではないだろうか。殊に、このラーメンは、ギトギトしたスープがとんこつ味で凄い。どう凄いのか、濃いのだ。毎日食べればまた胃痛になるだろう。それでも、今日の昼飯にこの「アベックラーメン」を作ります。きっと懐かしい味がするでしょう。写真は、これから、作ります。
2006.07.24
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「歴史問題」で日本が20世紀とおなじ過ちを繰り返さないために、21世紀においてその「生き方」が問われるだろう。人びとにとって、時代の潮流は激しく、そして一面残酷でもある。この国のメジャーが求めている期待されるモデルは、心身ともに弱者ではない。フレッシュで、スマートでクールでなければアウトだ。ワーキングプアは、その落伍者たちだ。まさしく、これはハリウッドシネマの見せかけの世界だ。人種差別を国旗の陰に隠そうとするだろう。「貧富の差」があって当然だし、自分たちの考えに反対するものは敵だし、その悪と戦争をするのは国旗に忠誠を尽すことであり、すべての国民の義務だと云う。誰にでもサクセスストーリーのチャンスがあるというが、本当ではない。少なくとも、のろいひとや、病弱者や、老人は、住み難い世界だろう。いつの時代にも、適応できるひとと、そうでないひとがいる。そして、それは必ずしも温かい愛情に満ちた世界であるとは言えないのが悲しい現実だ。それを社会は、本気で救おうとするかだろう。見せかけではなく、優しい、慈愛に満ちたまなざしを向けるかだろう。弱者を切り捨てようとしている。自己責任の原則の拡大は、暗雲となって、このままでは、心の中でも、梅雨前線が記録的な豪雨をまねく事になるだろう。
2006.07.24
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一瞬だったが、ベイルートでミサイル攻撃で家族を亡くした少女が、物凄い表情で嘆き哀しんでいる報道を見たとき、何度こんな場面を見ただろうと思った。何度見ても慣れるということがない。恐らく彼女の絶望は、放射能に晒された人間の皮膚の細胞と同じだろう。細胞を崩壊させる絶望だろう。これほどの悲しみを味わう彼女の不幸は、誰がしたのだろうか。ただ、自国の正義のためにしたことだろうか。仕方がないと済まされる問題ではない。私だけではなく、世界中で、同じようなシーンをみて、胸を潰される人は多いし、それが反戦に繋がらないとはいえない。ベトナム戦争も現地の報道による映像の悲惨さが戦争を終結させるひとつになったかもしれない。多くの血が流れないと済まされないのだろうか。それほど憎しみあった人間たちに、異教徒間の共存は可能なのだろうか。何故、人間にそれほどの悲しみがあるのだろうか。そうしなければ生きていけないのだろうか。もしかしたら、私たちは、何かを裏切りつづけているのだろうか?
2006.07.23
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梅雨前線の影響で九州の大雨は深刻になっている。雨に弱い土地柄だ。これから九州北部にも夜半にかけて洪水警報が出ている。どこまで続くだろうかと心配する向きも出て来ている。そういう悲鳴が聞こえてきている。こんなことはいつまでもつづくはずがない、時が来れば過去の話になるだろう。それでも、もうこれまでの降雨量の記録は破られている。喉元を過ぎればすぐに忘れてしまうのが常だ。テレビで実況中継がされていたが、南九州は、あちこちで河川が氾濫していた。道路が川になっていた。それこそ台風で河川の氾濫はあっても、梅雨の長雨では珍しいことだろう。緑が減少して、九州は砂漠化してきているのではないか。雨を大地が吸収しなくなり、道路が増加してコンクリート化してもいる。生態系は、崩壊して何れは、死の街になるのではないかという危惧を抱くのは杞憂だろうか。蒸し暑いので、クーラーを点けた。
2006.07.23
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未だ雨が降り続いている。九州南部は大雨だ。災害も出ている。治水政策は過去のデータを基礎にしているのだろう。想定内のことが起これば災害はないが、気象異常はもう定期便だ。どうしたら災害が防げるだろうか。本気で対策を講じるべきだろう。せめて50年、100年レベルの計画を立てるべきだろう。昨日と同じことをしていたら、それこそ「日本沈没」にも、巨大地震や、Tunamiにも対応など出来るはずがない。誰に何ができるのか?社会は、知っているのだろうか。その地位にあるものが、何もしないし、出来ないのだろう?肩書きに囚われずに、それこそ仕事の出来る人材を造らねばならない。それには、先入観で判断しないことだ。過去に何をやったからではない。これから何ができるかで判断すべきだろう。主婦だって総理大臣になればいい。こどもの大学教授がいても腰を抜かす時代ではない。大地震などさせないくらいの科学的知識をもてばいいのだ。ささいなことに悩むことはない。もっと人間は遥かに遠い未来がある、だろう。歴史が見たこともない、ネクスト・ソサエティがあると信じようではないか。
2006.07.23
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レバノンは、アジアとアフリカとヨーロッパの接点に在り、これらの異民族の侵入の度に、夥しい血を流し、幾多の辛酸を嘗めた。数え切れない無数の困難を克服する過程で、たくましい民族性が培われたのであろう。レバノンに於けるユダヤ教、キリスト教、イスラム教の存在は、イギリスの歴史学者アーノルド・トインビーをして「宗教の博物館」と言わせている。これらの諸宗教はお互いに寛容と共存をしてきたが、ひとたび衝突が起きると、しばしば近隣国からの介入などで深刻な流血騒ぎを惹起している。15万人の生命が奪われた1975年乃至1990年の内戦が、それだ。イスラエルが、レバノンに逃れたパレスチナ人との戦闘が激化してきているニュースが流れている「中東の宝石」は、宝石であるがゆえに苦難の日々が続いている。異民族の侵入や定住により混血が繰り返されて、はっとするような気高い美女の国でもある。地政学的な脆弱性が、レバノンの独立を困難にし、国内の政治的、経済的、社会的な安定性を著しく複雑にし難しいものにしている。首都ベイルートは、かって「中東のパリ」と称された瀟洒な美しさを見せていた街だという。人も物も破壊し尽くす、戦争に対して、人類はまだ無力でしかないのだろうか。
2006.07.23
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戦後生まれの作家だ。どうやらフィクションではない。実名が出てくる。しかし歴史書といえるだろうか。作家はどういうスタンスか。100人に上る関係者の取材をしたという。満州という日本が描いた幻影とそこで関東軍と、里見甫と甘粕正彦を描いているが、聞知の伝聞だ。タイトルの期待は裏切られた。少なくとも聞きまわっただけだ。阿片を中国と同列に扱おうとすることさえ不遜だろう。日本人の中国蔑視という思い上がりの病気はそれこそ治癒しているわけではないようだ。それこそ、資料で判断すべきではないか。知りもしないものに訊きまわっても意味がない。日本にノンフィクション作品が評価されないのは、根拠となるデータ不足で、作家が書いてしまうことだ。 朝から、この本を読みながら、この国の歴史に対する国民の意識レベルである。作家を育てるのは、厳しい態度であり批判であろう。作家の識見はどこにあるかということだ。色んな角度からの視点があっていいが、事実を膨らませてはならない。混乱させられるだけだろう。何が、「阿片王」で、何が、満州の夜と霧、なのだろうか。キャッチコピーでしかないのであろう。朝から、気分が悪い。
2006.07.23
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生きてまだこれからも明日があるものはかけがえない時間をもつものたちだ。 世の中には、明日とも知れない病と闘う人たちもいる。 私はそのひとりの女性を知っている。彼女は、どういう気持ちでここ数年を生きてきただろうか。 そのひとでなければ判らない世界だろう。このまえ息子が結婚した。 そして、いま、初孫が生まれるのを待っている。 じっと、それをこころの支えにして、病苦に耐えながら・・・。 人びとには、血潮が流れている その温かさを知るだろう。 何時か、きっと知るそのときがくるだろう。 そして、それが、何時か、氷のように冷えてゆくのだ。 それは、いつだろうか。 それまでは、人間は、みな誰も、夢を抱く権利がある。
2006.07.22
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平和を目指しているが、現代は「平和」と云えるのだろうか。戦争状態という訳ではないが、必ずしも日常は安全な世界でもない。交通事故あり、さまざまな犯罪や事件もある。いつそれらに巻き込まれないとも限らない。日本では、一応法秩序が制定されているが、いつ冤罪になるかも知れないし、誤判もある。警察もいつも大衆の味方であるとは限らない。運用の悪用も考えられる。権力者は、時として豹変して国民を弾圧するかも知れない。常に監視の目を向けておかねばならない。そのことを歴史は教えている。国民の監視が緩む時、またぞろ悪法がでてくるかも知れない。油断はならないだろう。歴史の旅に出ることは、個人にとっても価値があるだろう。図書館で、適当な本はどこにもあるだろう。でも出来るだけ多く読まねばならない。必ずしもいい本とは限らない。そういえば、今日は公共図書館に行ったけれど、数年間、本棚の本が殆ど変わらないというのはどうしたものだろうか。私の頭が変なのだろうか。同じところに何時もあるだけが図書館だろうか。そろそろ、新しい発想の図書館があっていいと思うが・・・。
2006.07.22
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1937年7月7日夜の盧溝橋事件が、日中両国間の全面戦争のきっかけを作ったといわれる。すなわち日本の支配層は中国の抗日運動の発展を正当に評価することが出来ず、虚勢的な傾向を強めて行き帝国主義的侵略そのものが戦争を敗戦に導いた。多民族を侵略しつつあるという認識さえ欠いた日本の帝国主義支配者の感覚が、予期しない戦争拡大の最大の原因であり、一番の問題でもある。世界は、ファシズムの時代であり、世界は世界大戦という悲劇に向かう。果たして、戦争への道をたどることはないのだろうか。いまの優しい男たちが守れる国家があるだろうか。これは、ただ老婆心でしかないのであろうか。どうも沈滞モードから中々抜け出せずにいるようだ。読書量が少ない所為だろう。余計なことを考えるのは、暇の所為に違いない。>やっと歯科医院も次回まで。
2006.07.22
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1936年の2・26事件は、軍部の政治的制覇による戦争準備体制の確立にとって大きなターニング・ポイントである。クーデタそのものは、体制維持勢力に封じられたが、陸軍は事件処理を通じて、その政治的発言権を拡大した。事件を反乱軍として首謀者を厳しく処罰して、それをテコとして利用し、戒厳令下強硬に組閣に介入した。更に「庶政一新」「国防充実」「強力国策」を約束させた。軍部は、内閣の生殺与奪の権を握った。広田内閣は戦争体制確立のために、画期的な政策を大転換を実施した。この軍備の大拡張は軍需工業に膨大な支出をばらまくものであり、重化学工業はこれによって一挙に躍進した。戦争経済の推進は、軍部と独占資本との結合を意味する。しかも反戦・反ファシズムの気運は、人民戦線というかたちで組織化されることはなかった。日本人の歴史にとって、これは拭いようのない不幸である。民主主義の確立の貴重な体験と実践の意味を学ぶチャンスを逸したからだ。図書館から・歴史としての戦後日本 上・下・ネクスト・ソサエティ・いま、歴史問題にどう取組むか・西域余聞・聖地エルサレム・レバノンの歴史・平和主義と戦争のはざまで・阿片王・立花宗茂
2006.07.22
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小泉最後の外遊は、赤っ恥を掻き捨てのそれらしい。ブッシュから「コイズミは、ウォッカの飲み過ぎではしゃぎ過ぎ」と言わせており、まるでミーハーの女子大生の卒業旅行の態だ。ここ数ヶ月の政府は、政治の空白ともいえる状態だ。それこそ小泉個人の好き勝手をさせて次期内閣を目論むような資質で、厳しい国際情勢を乗り越えられるとは思えない。取り巻きを利用して組閣など考えるようではもともとビジョンのない証拠だ。それこそ日々、我が身を削って世界に立ち向かう外交官は、国際感覚をもった内閣を望んでいるはずだ。二世議員でいいのか。スタンドプレーばかり遣るような人物で、この国の安全を守れるのか。土台マスコミが、政府に媚を売るような態度は本末転倒だろう。骨のある記者を配して政府批判を展開すべきだろう。何が今後の日米や、日中、対西欧、対アジア、対世界に必要であるか。何をなすべきで、何をすべきでないか。ロジックの使える記者でなければ意味がない。それこそ現内閣は、政権が代われば一掃されるべきだろう。それが、現代の政治ではないか。
2006.07.22
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芥川龍之介の「作品年譜」をみると22歳「老年」から、35歳の最後の「或る阿呆の一生」までの生涯を概観すると、作品の出来は30歳までではないか。余りに急ぎ過ぎた結果だろう。漱石から誉められたのが、却って裏目に出たのだろうか。文壇で余りに早く注目されて、自滅したのだろうか。病弱な身体でひ弱に育ったのだとは云うまい。云う方が空しくなる。才知を過大評価していないだろうか。古典の雅に魅かれてしまい帰り道を見失うものは多いだろう。ミイラ取りがミイラの類だろう。病的な神経でしか見えないものは、凡人には見えないものだ。それでいい。そんなものは見えない方がいいのだ。遊女の遊びをよしとした当時の文人の才能など取るに足りない。茶屋遊びを文人と結びつけた古典の芸術など腐った林檎のようなものだ。芥川は青春の輝きだが、すぐに消えてしまう花火のようなものだろう。その花火を歓ぶ向きもあるが、一夜の夢だろう。芥川の作品年譜をみていると、独りの天才作家と言われた人の爪あとのようだ。
2006.07.21
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