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松は、いいですね。松はまっすぐに天に向かって伸びようとしますが、それが防風林であれば、風にその姿を曲げられてしまいます。生物は、太陽と水と栄養と大地で生きていますから、環境に大きく影響されるでしょう。人間も、同じかも知れない。よく寺社に行きますが、懐古ではない。どこにも木があるからです。木を見に行きます。「どっこい俺は生きている」という姿のような気がしてきます。写真は、いつも見惚れた風景です。ここまで遣るには、これを管理し、守る人がいるに違いない。おばさんかおじいさんか知りませんが、誰かがいるのでしょう。そのひとびとがいるかぎり、この風景が見られることでしょう。しかし、風化はあるでしょう。そうすれば雑草が繁茂してしまう。この写真は、記念に撮りました。次回に行った時の証拠です。さて、これから出かけます。
2006.11.28
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画質が悪いのは、もう少し改善できると思いますが、まあ今夜はこんなところでご勘弁ください。この風景は、雑然としているようですが、何となく調和があるというか、私は、一目で好きになりました。休憩所のベンチから眺めていると、心が落ち着いてくるようでした。有料の庭園で、写真のころは、ぼたん展があっていましたね。鎌倉の写真は、結構ありますから、今後ぼつぼつ載せたいと思いますが、多少補正が必要で、一度で上手く行くとかぎりませんので、時間がかかると思います。そういえば、この場所は、秋もいいし、冬も閑静で良いところです。
2006.11.27
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何と申しましょうか、やっとストックしていた写真が投稿できるようです。時は春です。この池は四季折々で、愉しめます。私は、右端の休憩所で、甘酒を飲みながら季節を眺めるのが好きでした。蓮の花が咲き、そして冬が来て、春になり、柳とさくらが春を知らせてくれます。そろそろ明日の準備をします。では、また。
2006.11.27
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魚が泳いでいるのが見えましたね。一日遊んだら面白いだろうね。ハナウマ湾は、オアフ島の南端に位置している。太平洋の波が打ち寄せている雄大な風景だ。遥か遠くに日本があると思うと不思議な気分がしました。
2006.11.27
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モードを切り換えてと言いたいところだが、まあいつもと変わらない。写真のハワイとは、反対方向なのが残念ですが、まあゆっくり愉しんできます。やっと遣り方を覚えました。それと、良い写真が撮れればいいのですが、案外ケアレスミスが多かったりしますが、愉しんで参ります。風邪を引かないといいのですが、まあ美味いビールが愉しみです。まあ出たとこ勝負ですね。
2006.11.27
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漸く、花壇の写真が出せそうです。それから、少しづつ出せるかも知れないと愉しみです。ということは、これまで載せられなかった写真も挑戦してみたい。それにしても最近の運動不足で、旅行は大丈夫だろうか?なんて間際になって心配しています。結構ツアーは、忙しそうです。それこそ、明治のひとたちは、大変な旅だったのでしょうね。異国の土になったひとも多いに違いない。特に、国策で世界に移民した人たちの苦難は、言うまでも無いことでしょう。それにしても、人間はじっとしておれないようにできていないとつくづく思います。レールなんて走りたくないというのが、もともとの人間の本性ではないのかという気がします。私は、死にかけた者たちですか。そんなことはない。人間のやってきたことに文句を言いますよ。この花壇だって、画質が悪いのは調整が悪いのであって、花の所為ではない。私の腕が悪いだけです。先程、気温を調べたら20℃でした。福岡は、暖かいです。>写真は、横浜。
2006.11.27
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数学の証明問題で先生の言うとおりに書かないと×になる、ということがあるのは、やはりおかしいのであって、そういうことを続けていると、できる子は、先生を見下すようになる。例えば、やろうと思えば、全国一斉にペーパーテストで点数の順位を出すことも可能なのだろう。だが、それは、その時の点数評価でしかない。それでも、寄ってたかった名門校造りが為されている。教育は、難しい問題だ。韓国の試験が話題になっているが、日本も、中国も同じようなことを遣っている。アメリカや欧州でさえ学力低下を見直し始めている。一番解り易いのは、ペーパーテストでしかないためなのだろうか。どれだけ教育のチャンスがあるかでその人の将来が決められている。それは、一般的にそうなると思われているからだろう。政治家は五万といるが、首相は一人である。現実は、そうは行かない場合ばかりでもある。何でそれでも首相になりたがるかといえば、名誉や権力が手に入るからだろうか。それで、なにが出来るかといえば、小泉純一郎氏をみればわかる。テストは、どれだけ履修できているかを見るだけなら、他にも方法はいくつもあるだろうが、要は、能力の比較にあるのだろう。上と下を決めないと合否が決められないという。1点差が、どれだけ能力と関係があるのだろうか。要するにいい加減なのだ。教師が示せる問題の所在など、大したことではない、もっと深くて、隠されたところに、本当の問題の所在がある。それを、学生と一緒になって考えるのが教師ではないか。くだらない教師が多いから、問題の所在を複雑にしているだけなのだろう。文春12月号の「教育特集」を読んでいると、ただ批判のポーズを見せるだけの、何もできない日本のインテリたちがうじゃうじゃいることに辟易する。自民党のこの前の12名は復党するという話だが。あれは何なのだろうか?やはり甘い砂糖が嘗めたい人たちなのだろうか?さもしい政治家の表白でしかない。
2006.11.27
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雨の中ノートなどを買ってきた。PCを旅行にもって行かないから、どこかで、本でも買って暇潰しをすることになるでしょう。何せ、ぼーっとしていることが苦手なものですから。福岡は、雨です。暖かいので、薄着です。冬仕様で行きますけど、寧ろ、あちらも予定外の暖かいといいけどね。三毛猫が、日中、誰もいなくなると困るのではないかと妻が心配しています。お隣に留守中のお願いをして行くことになりそうです。犬がいた時もそうでしたが、ペットも人間の都合で迷惑なことです。行きは、ソウルに一泊します。市内観光もあるようです。大学の友人が、韓国旅行をして、キムチを食べ過ぎて腹を壊して急遽帰国した話を思い出しました。彼は、大阪から、急行にも乗らず、福岡までのんびりするともりで行って、フェリーに乗ったそうですが、知り合いになった韓国の人にキムチ料理をご馳走になったそうです。白菜に挟むものが色々あって貧富の差がそこにもあるといっていましたね。彼は、失恋したばかりで、それを忘れる為に出かけたのですが、その傷も癒えないまま飛行機でかえる破目になったと話していました。そういえば、この友人は、面白いひとで、大阪から東京まで、昔の東海道を歩いたのですが、帰りは新幹線で帰ったと言っていました。まだ後日談があって、法学部を卒業したのに、その後音楽家になり地方の演奏者だと言っていました。話したとき、彼女がどうとか言っていたけど忘れてしまいました。そういえば、アメリカ大陸を自転車で横断した学友もいましたね。みんな苦しんでもいるでしょうが、愉しいときも過ごしているのではないでしょうか。そう思いたいですね。>リンドバークが日本に来た時の飛行機です。複製ですが。まあ韓国で腹を壊さないようにしたいと思っています。
2006.11.27
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下の娘がこれほど猫好きだとは知りませんでした。これまで、犬は二匹いましたが、猫は、数年前から居座り続けている白猫と、最近新参の三毛猫がおりますが、それほどとは思いませんでしたが最近、缶詰が増えました。人間のではなく、猫の食べ物です。人間より、猫優先というのはよく解りませんが、ペット好きの話は聴いた事がありますが、まさかなのであります。どうも理解できない。私たちは、どんな時代に生きているのだろうか?可愛いのは解らないでもないが、相手が猫ですからね?気が違ったのと違うんか・・・とか。私もただの親父ですかね。一時のことなのでしょうか。どこから見ても、私には、ばい菌一杯の野良猫ですからね。価値観がわからない。猫と同じレベルで生きているとも思えないが、これだけペットブームというのは、猫の陰謀でもあるのと違うだろうか?やれやれです。はい。
2006.11.27
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どうですかね。この今の私の居場所でございます。机の上を片付けていませんね。勿論清掃していますよ、時々だけど。それから、出かけるときは、ちゃんとして出掛けますよ。マイペースですが。暫く、お休みします。一週間ほど。多分出かける直前までブログの投稿はすると思います。ヒマですから・・・。ところで、夜は何にしようかなどと余計な心配をしております。私的なサプライズはあるでしょうかね。それはわからん。一寸先は闇だから・・・。一度、PCのリセットしたことがあるけど、ありゃ意外と大変だった。結局、ブログを継続できなかった。だからこのままかも知れない。また、どこかで逢いましょうと、挨拶していた方がいいだろうか?大した「ブロ愚」でもないのだから、どうでもいいけどね。たとえば、こころを入れ替えて、別人のようにわき目もふらず仕事をするというのはどうだろうか?それも好いかも・・・ね。私は血液型Bなので、他人の話を聞かないと言われたりしたけど、それより分裂気質が強いのではないだろうか?と自分では思っていますので、頭の切換えは遅くはないと思う。遺伝子もあるかも知れない。余計なことだけど、よく見に来てくれる蘭ちゃんや、ときどき見に来てくれる皆さんとも、この瞬間、ここで、ネットしています。では、
2006.11.27
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別に何もないのですが、一応、それなりのストーリーがあり、ここにいます。それだけは確かですが、多分誤解されていると思う。人間は目的がないことには余計なことはしないものだと。それはそうですね。莫迦でもないぎり・・・そう莫迦というのも差別用語ですかね。それは、他人に対してであって、自分自身にいうのだから関係はないけれど。いよいよ行くぞ行くぞと引っ張りましたがそろそろです。近くて遠いといいますが、今や遠くて近い欧州です。恐らくあと10年も経てば、中学生たちがホームステイで、勉強しにいくのではないか。苦労して語学の勉強しなくても、スラスラとお喋りしあうようになるでしょう。科学はそんなチャチな進化ではない。それこそ、既成概念が、理解しようとしないだけなのでしょう。くよくよ考える大人たちの先を時代は進んでいると思う。人間は、将来昆虫たちから生き方を学ぶのでしょうか?それは知らないが、僅かの時間だけれど、ぽっかり浮かんで、ジェットの高みから、下を眺めるのも好いでしょう。>写真は、造花ではありませんよ。バイオテクノロジーの成果ですよ。私たちは、この21世紀の同時代人として、この科学の進化に立ち会ってもいる。その現場から逃げても仕方がない。そのツケは、みんなではらうことになるでしょう。どんなマイストーリーを選択しますか。窓の外で、愛される父親ですか。可愛い女ですか。強かでなければなりませんか?もうそろそろ5時になりますね。ドイツとの時差は8時間。ドイツでは、そろそろ26日の午後九時になるころですね。地球は、眠らない。
2006.11.26
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誰も莫迦のふりをするのだろう。やはりうそつきの進化論は、うそではなかったか。結婚したがる男なんて、くだらないよ。それを真面目に考えるなんて、何て莫迦な女なのだろうか。本当のことは誰も知らない。そう蘭の花だって、昆虫を騙すんだぜ。そいつを昆虫は、莫迦らしいとはいわないのさ。女が子供を、本当は好きなのかなのかーなぁ? わかりはしない。みんな死んでいったんだ。善人も悪人も、そいつらはみんな帰らない。みんな帰る場所を失くしてしまっているのだろう。それとも死んだふりをしているだけかも知れない。ひとは、同じ悩みをもちながら捨てられないのかも知れない。嘘つきが嘘をつくのは当り前ですよ。それをいつまでも気付かないとしたら、むしろ善人ではない。自分の嘘に気付かないなんて。そいつはなんのだろう?
2006.11.26
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場所は、ホーチミンからミトーへ向かう国道1号線沿いで、養魚場が盛んなようだ。コーヒーが廉いので買って飲んでみたが、甘いコーヒーだった。ベトナムコーヒーは、安価な労働力を背景に、90年代後半から輸出を拡大しており、97/98年度の輸出額は約39万トンだが、00/01年度は87万トン以上となっている。この影響で、1トン当たりの1,522ドルから、437ドルに急落したといわれ、価格破壊が、国際的な非難を浴びた。ベトナムの主力商品はインスタントコーヒーなどに利用されているロブスタ種であり、世界最大のロブスタ種生産国になっており、その多くが大手焙煎企業の隠されたブランドの一部になっているようだ。レギュラーコーヒーなどで利用されている高品質のアラビカ種は輸出全体の2%にすぎないと言われる。フェアトレードは1989年のオランダに端を発しテ、途上国生産者との間に直接かつ長期にわたる取引関係を築くことと、かれらが生産物を保証された金額で売り、好ましい対価を受取れるようにすくことを目的としている。まず初めにフェアトレード運動の対象になったのがコーヒーであった。コーヒーの小規模生産者が、国際市場が不安定であったため悪影響を受けていたのである。
2006.11.26
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写真集を見ていたら、去年死んだ愛犬チップの写真があったので、懐かしくなって載せました。散歩の好きな犬でした。この家に来て、15年間生きていましたが、老い耄れて死にました。それでも、写真のように外ばかり見ていました。優しい目をした犬でした。名前は、チップでした。
2006.11.26
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老いたゲーテの詩に、 青春は酒なしに酔い 老年は酒によって若返るというのがある。酒が、どんな化学的反応をし、脳に与えるダメージをゲーテが知っていたわけではないだろうが、彼はそう思ったのだろう。彼が最後の恋をしたのが74歳で、19歳のウルリーケに対してだといわれる。しかも求婚したのだ。彼の父は、39歳で17歳の娘を妻にしているから遺伝もあるのだろうか?処で、「ひらめき脳」とは、若いから「ひらめく」のではない。どうやら学力優秀だからでもない。筋のいいアイデアを発想するの脳力は、性別でも年齢でもないようだ。要は、鍛えることことではないだろうか。「ひらめき脳」は、バージョン・アップできる脳力だといえそうだ。どうして、鍛えるのだろうか?ある本によると、脳に次から次へとアイデア・メモを貼り付けていくことだそうだ。そのアイデア・メモを、いつも休まずに引っ張りだして活用していると、脳の記憶装置が整理分類して行き、それがユニークなアイデアを生むことが出来るらしい。問題は、インプットだけでなく、アウトプットの場所と時間のタイミングでもある。どうも勉強脳とは違うようだ。物知り博士では、周囲から莫迦にされるのが落ちだ。こうした人を「トリビア人間」というらしい。仕事、ビジネス、金儲けのできない人間のことらしい。どれだけ引っ張り出せるか、どれだけ成果をあげるかでもあるのだろう。脳のインデックス・メモがどれだけ充実しているか、でもある。勿論酒は、毒である。然し、毒のない社会は、砂漠でしかない。>定点観測。11月26日。落葉も最終章に」近いようであります。
2006.11.26
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銀杏は、木々の中でも一番古い歴史をもつ。雄と雌があったり、精虫を日本人が始めて発見したりで、大学で記章にしている所も多い。あちこちに名所もある。ギンナンの臭いときたら人間のそれに似て凄い。暫く、脳が麻痺してしまう。小学生の時、大きな銀杏があって、毎年ギンナンの実を拾った覚えがある。今でも焼き鳥を食べる時に、おつまみでよく食べている。そして、その度に思い出している。それとあの大量の落葉はなんだろうか。横浜では、山下公園のところに銀杏並木があり、よく見物に行った。それと鎌倉の鶴岡八幡宮の階段の公暁が隠れていた銀杏も大きくて立派だ。どこにでも銀杏があるが、「ハイデルベルク城」のマリアンネの詩の高い木々も、銀杏の木だ。城の略図をみるとゲーテの記念碑があり、「西東詩篇」のイチョウの木があるそうだ。最近、イチョウが、精神病薬として見直されていると聞いた。どうも癒しの効果があるらしい。公立図書館に借りた本の延長をして貰い行き、ついでに近くの銀杏並木を見てきました。もうかなり落葉しています。
2006.11.26
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ある余りにも有名な理論物理学者が言ったことばだ。おそらく自然界の引き起こす事態そのものには合理的な因果関係がある。ところが、生命たちは、まるでサイコロ遊びをするように気儘に生きてもいる。まるで、自然界は恣意的なもののようだ。ニーチェはいう。「しかしわれわれは、われわれが本来あるところのものになりたいと思う、・・・新しい人間、一回的な人間、比較できない人間、自律的な人間、自己創造的な人間に、・・・そしてそのためにはわれわれは、この世におけるすべての法則的なもの、必然的なもののこよなき学び手・発見者とならなければならぬ。われわれは、この意味で創造者たりうるためには、物理学者でなければならない」 (氷山英広訳「悦ばしき知」)私たちは、何を学んできただろうか、と時々滅入ってしまう。そのまま動けなくなってしまうひとも多いに違いない。孫悟空のように岩に閉じこまれてしまうのだろうか。三蔵法師が通りかからなければ物語にもならなかった。三蔵法師は、実在のひとで、当時中国には、坊主修行のための律法がなく、それを天竺まで行き持ち帰ったのだ。誰もしないことをしたひとだ。そこにロマンがあるそれが下地となり、西遊記を生んだのだろう。聖書もひとりで書かれたものではない。多くのひとびとが残したものであろう。やがて、中には仇花もあるが、それでも、野には花が溢れている。
2006.11.26
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縄文人やラスコーの人々の感性がなくなり、ひとは自分の利害や快楽のために、人間も自然さえ商品のように利用してゆく近代思想のなれのはてにさえ直面しつつある現代である。縄文人が、日ごろ見ていていたブナの林や、山間の清流、満点の星空が、君には、まだ見えますか?朝から、ゲーテの魅力をお供にするにはどうしたら好いかを考え、気に入ったサイトから「ゲーテの魅力」をプリントアウトした。30ページ。ついでに、ハイデルベルク城も。外にも、データがあるが、勿論、W.Sauer "Rothenburg ob der Tauber"も持参する。それほど気負ってはいませんよ。どうせ物見遊山だもの。目の玉の奥にある脳で、何か拾って来ますよ。自分なりのドイツを、もっと中世の修道院の歴史を読んでおくべきだった、けど。まあ本は逃げる訳でもない。少し行くのが遅れたけど、旧友の足跡をたどって見ますよ。私は、国籍は、日本人だけど、ゲーテだってご先祖さまだと思っている。だから、フランクフルトも、ドイツだってこころの故郷のようなものだ。いくつかの meme が脳の中で騒いでいる。「やっと、このぐうたら野郎(私のこと)が、ドイツに行くのだ」と。イスラム教でも、キリスト教でも、聖地巡礼がある。日本にも、以前は伊勢参り、出雲大社へお参りするのが慣わしだった。それは、ひととしてのお勤めでもあっただろう。そこで学ぶものがあったに違いない。現代は、そういうものを省略してしまいがちだ。見なくても行かなくても解るではないか、写真で見ればいいではないかというだろう。写真は、カメラマンが写した物で、空気までは伝わらない。脳は、空気まで知っている。何をみて、ひとは畏怖しただろうか。何をみて歓喜しただろうか。私が見た幼いころのハンセン病患者を世話していた修道女が、いまもドイツで見られるらしい。その彼女らは、私の脳にあるイメージとどう違い、同じなのだろうか。さてさて、日本の朝は、来た。>生きた薔薇の花弁で描いたものですが、人間なんて、なんという贅沢な生き方をするんだろうか。
2006.11.26
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天に向かって聳え立つ、そんなお城がいくつもあるなんて、素敵ではないか。世界中の富をかき集め造られたのだろう。何て血塗られた豪華なお城なのだろう。今度は行かないけど、ノイシュヴァンシュタイン城なんて、その名を聞いただけで震えが来そうだ。ケタケタと笑うしかないお城は、豪華そのもものギャラリーなのだろうね。モーツアルトの映画のセットをみるようなのだろうね。そんなのを見ても私には、どうせ、フランクフルトソーセージと美しいイルミネーションくらいしか、頭に残らない。昼に搭乗員の女性から案内の電話があり、愈々、準備中。いつも国際線から、出かける時はうきうきするけど、帰国するときは、何か未練が残る気分がするものですね。それほど、他人様から冷たい目で見られたことは無いけれど、向こうではどうなのだろうか。まあそういう経験もした方がいいかも知れないが、したくもない気もする。まあ、頭を空っぽにして、大いに遊んで来るつもりです。少し脳に風穴をあけて空地を造ってきますよ。それが、これからの励みになればと思っています。所詮、人間の遊びとは、自然界の気紛れな遊びの中に加わることでしかないだろう。自己撞着、延命への未練、衒いという見栄、自分本位でしかない自分の態度に亀裂を入れて、自然界の奔放な流れに身を任せることになる、この人間の遊びは、時に命取りにもなるが、どうにも止められないものでもあるだろう。
2006.11.25
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今日講座で貰った資料に「気候変動に関する国際連合枠組条約」というのがある。1988年に設立されたIPCCの報告だ。2005年5月現在の、188ヶ国およびEUが締結したサイトが照会されている。良いものが手に入ったと思う。大学はいい情報を活かし切っているだろうか?と思う。がんがんばら撒いて欲しいと思う。手にするひとが使いこなし切れなければ、ばら撒くべきだ。自分で宝の持ち腐れにしてはならない。自分が一番利巧などと思う勿れだ。往々にして、収集ばかり遣る人間がいる。集めて穴倉に仕舞い込んでひとり占めにしてしまう。とんでもない話だ。情報は開示して、それを有効になるかどうかだろう。こそこそ遣るから碌な知恵が回らないのだ。さっさと遣らないと、地球は救えないのではないのか?ここ100年で1℃、地球の平均気温が上がったと騒いでいたが、こんどは2℃上がるのを止められるかどうかだという。そのためにどれだけの種が、地球から絶滅して行くのだろうか?それは、何れ、食物連鎖を切断して、人の生存をも危うくするかも知れないというのに・・・。学者たちの警告を、政府は、まじめに聞くべきだろう。
2006.11.25
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なにかばたばたしていました。PCも上手く作動しませんし、サインインできなかったりしました。やっと、元に復旧しました。大学に本を返して、旅行するので借りないつもりでしたが、また借りてしまいました。返却日は来月の9日なので、まあ返却期間はありそうです。・ヒトは今も進化している・脳インデックス メモ術・死と生の遊び ー縄文からクレーまでー3冊までというのは知っていましたが、あと1冊。「中世の修道院」に関する本がありましたので、念のため係りのひとに訊いて見ましたが、やはり3冊までだそうでした。何か根拠があるのでしょうか?本は高価だからでしょうか?借りたまま返さないひとが多いからなのでしょうか?一日に10冊くらい読むひともいるかも知れない。脳は鍛える為にあるのですから、甘やかせてしまえばそれまででしょう。時々、思うのですが、頭も好いひとが、脳を甘やかせているのではないか。使えるのに使わないのは、他のひとに譲るべきではないか。あり余る食料を生産しながら、何故毎年800万人の人びとが飢餓のために死ななければならないのだろうか?口元まで持って行って遣らないから、それとも輸送手段がありませんか?戦争しなければ、正義は守れませんか?何かおかしい、と思いませんか?それとも、私が狂っているのでしょうか?少し変ですね。どうもね。PCの所為でしょうか?何か草臥れてしまいました。
2006.11.25
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講師は、農業経済の計量分析が専門の教授だった。分厚いデータで恐れ入る。とても僅かな時間で理解はできない。それでも、多彩な資料は有難い。・地球温暖化防止・エネルギー資源の確保・バイオ燃料の実用化・バイオ燃料製造技術・世界の食料問題・農産物貿易とフェアトレード運動という、流れは、概ねだが理解できた。京都議定書での日本の6%削減は、現在マイナス13%の状況まで追い込まれている。中国やインドから権利をカネで買おうとしていることや、その取組みの甘さは、平均2℃の温暖化をとめることは難しいのではないか?バイオマスは、場当たり的なものに過ぎない。日本政府は、世界に対して責任を果たす意欲を感じない。12億人の人びとが慢性的な栄養不良で苦しみ、毎年、1800万人が飢えに起因する病気で死亡している。一方で飽食が進んでいる。もし、人間が利巧なら、穀物は平等に飢えた人びとにも分配可能だろう。何と、毎年、500万人は子供たちが飢餓の為に死んでいる。それが、何であろうと、国際政治や市場経済は、それは偽善でしかない。46億人分の12億人は、26%だ。それを誰が無視できるだろうか?
2006.11.25
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今朝は、PCのご機嫌が悪い。「うそ」とは、何だろうか。まだ悩んでいる。進化論の話だけれど。シセラ・ボクは「うそとはだますことを意図して言われた言葉である」と定義している。これに対して、マーク・トウェインは「考察を重ね、数学的に計算した結果は、言葉に表されたうそとそれ以外の形で表されたうその比率は、1対22,894だということがわかった。したがって、言葉によるうそなどたいしたものではなく、あれこれ騒いだり、重要なもののように思わせようとするのは意味がない」という。 ある個体の行動を機能的欺きであると見做すには、以下の条件が充たされねばならない。a)個体が、信号Scを典型的に(高い確率で)発するような文脈Cが存在し、Scに対してグループの他の個体はBという行動をとって反応する。b)個体が、時折、別の文脈C’で信号Sを発し(Sc’)、他の個体は行動Bを取って反応する、そのことによって結果的に、発信者が相対的な適応度の増加を経験する(能動的な情報歪曲)。c)個体が、時折、文脈Cにおいて信号Sを発せず、そのことによって結果的に、信号を発しなかった個体が相対的な適応度の増加を経験する(情報の留保)。d)適応度の増加は、機能的な欺き行為によって、欺いた個体が何らかの利益を獲得し、欺かれた個体が何からの損失を被ることによって起こる。 (ホワイトゥン編「マキャべり的知性と心の理論の進化論2」の引用)「ひとは生まれながらのうそつき」であり、そのことで、進化をつづけたというのだから、見逃せない話ではあるだろう。今朝は、違うところから投稿している。できるだろうか不安はある。
2006.11.25
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明日は、土曜講座がある。テーマは「世界の食糧問題の潮流」。経済学部の教授が講師だ。それこそ予定の講座のあらすじくらい事前に呉れるようであれば良いが大抵、その場で渡される資料が精々だ。阪大の時は、冊子になっていた。講義を甘く見ているのは、寧ろ講師だと思う。私は、講師が話したいことを理解したいから、事前に資料が欲しい。学生ころであれば、ある程度ノートしながら理解できるのは、事前に何の話か予想されていたからだ。どうでもいい話をされても聴いていて面白くはない。要するにいい加減なのだろう。教師たちが、段々いい加減な講義をしているのではないか。いじめが問題になっているが、親も悪いが教師も悪いから起きるのだろう。いじめで自殺をするなどというのは、教育の破綻の証明でしかない。私のブログも勿論いい加減で書いているから、大きいことはいえないが、どうも酷過ぎるのではないだろうか。誰かが、本気にならなければならないだろう。私も含めてだが。
2006.11.24
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東横線が渋谷から桜木町まで来ていて、丁度廃線になった。JR線と市営地下鉄も桜木町駅があった。まだ、みなとみらい駅が開通したばかりだった。この駅前広場は、夜になると、若者たちの輪ができて、あちこちで小さな演奏会が始まる。夜遅くまで賑わいをみせていた。ここから、すぐ近くに長い「動く歩道」があり、ランドマークまでひとびとを運んでいた。桜木町駅は、みらとみらいの玄関口であったが、東横線が廃線になり、便利なみなとみらい線ができたので、ひとの流れが変わったかも知れない。私は、通勤で桜木町駅を経由して、横浜駅まで行っていたので、よくこの駅を利用していた。休みになると、この駅から、市立図書館に行き、帰りにみなとみらい周辺を歩き回った。いい運動にもなったから。此処から、赤レンガに行き、そこから新しく出来たばかりのプロムナードを歩いて、山下公園に行き、暫く休憩して、中華街を経由して、横浜スタジアムを抜けて、地下鉄関内駅まで行って、南区のマンションに帰るのがも決まりのコースでもあった。あちこちにスターバックスの店があったので梯子した。いつもPCを持ち歩いていた。クリスマスになると、大きなクリスマスツリーが出来て、電飾が豪華だった。よくあちこちで演奏会が毎週のようにあっていた。ことにランドマークビルのエリアであるクリスマスの演奏会は華やかだった。高い天井から、物凄い人工雪が降り、雪のクリスマスが演出された。流石に大都会のやることは派手なものだ、と田舎者は呆れ返った。それだけは、見逃さずに見に行ったものだ。
2006.11.24
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秋;ある日の日記(横浜にて) 朝早く、出掛けるつもりだったが、結局10時過ぎに出発。戸塚のスタバでトール・ラテして、さて、どのルートにするか、暫くハリポタでも読みながら考えよう。晴天だし暑くもなく寒くもない気持ち良い一日になりそうである。駅内の売店で名物の「鯵の押し寿司」を買い。北鎌倉駅で下り、淨智寺から、源氏山ハイキング・コースを歩いた。ここは福岡から来た妻子とも一緒に歩いたとこだ。坂道もあるが散歩を楽しみながら歩けるコースだ。 平日で、季節が良いので、何時もより多くの人たちで溢れていた。小学生のグループが幾組も来ており、道を訊かれた。流石になんども来ているので、全部応えられたのが可笑しかった。いつの間にか、常連さんになったわけだ。昼過ぎになったので、葛原岡神社で弁当を食べた。小学生たちも昼食を始めて彼方此方で賑やかだった。残念ながら、紅葉は未だのようであったが、それでも、秋日が指さしており、どこも美しい風景が見られて、秋の鎌倉を楽しんだ。 化粧坂から、道灌の英勝寺、寿福寺と回り、鶴岡八幡宮は、リホーム中だった。甘酒を戴くのを止めて、源氏池は、観賞するだけにした。建長寺の中庭に行くつもりで、門前までいったが、半僧坊まで歩くのがきつそうなので、中止した。 ぶらぶらと歩いて北鎌倉駅まで行き、京浜急行経由で関内に着いた。 伊勢佐木ストーリを散策して、大通りを歩き、阪東橋から、吉野町のマンションまで歩くことにした。歩くのが目的なのだから、今日は何とか満足することにした。 今日の経費。吉野町・戸塚(地下鉄) 260円。ラテ代・300円。戸塚・北鎌倉160円。鯵寿司弁当・850円。まろ茶・150円。北鎌倉・関内京浜急行・390円 合計2,110円 帰宅してDM 126だった。所期の目的の運動は、達したようだ。調子に乗って飲みすぎないようにしたいが・・・ 秋晴れの中、気分も爽快で、良い一日だった。悩みがない訳ではないが、それはそれとして、自分の記憶の中に、刻まれる一日として残したい。先日は妻子と鎌倉を歩いたが、また一人歩きの日のあってよいと思う。かけがえのない自分の人生である、妻子も理解してくれるであろう。 メールで毎日妻子に伝えている。また鎌倉かというところだろう。妻の仕事は、今日は遅番。娘は大学生で 午後からバイトらしい。昨日の郵便物は午後に着くらしい。帰宅して、クリーニング取りに行き、「いなげや」に夕食を買いに行き、焼酎の水割りで一杯遣り始めている。明日一日で休日も終わりだが、まだ、癒しの時間である。 鎌倉は、おざなりの歴史ではなく、何時か本当の歴史を知りたいと思う。 それでも、何度か行かないことには分からないものだ。行くたびに感想も変わってくるのは何故だろう。ただ通りすがりの観光地が、忘れがたい地になるかも知れない。 感傷旅行で終わるのではなく、思い入れの地として残るとすれば、いまの自分の精神的な高揚もあるかも知れない。>懐かしき鎌倉駅
2006.11.24
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時々空気が重くなる。胸が塞がるのではないが、深呼吸をしたくなる。もっとそれに早く気付けば良かったのだ。したいことを早く始めれば良かっただろう。無頓着でありすぎてはいないだろうか?「うそつきの進化」が、私たちを惑わしつづけているだろう。真実を知ることに臆病すぎただろう。ただ周囲を傷つけまいとして、自分の身を苛み過ぎたのだ。そんなチャチな精神で、押し渡るものは、小さい溝でしかないだろう。誰も救うことなどできはしない。どんな高いビルも、墓標でしかないのだ。100年も経てば、遺物でしかなく、私たちは誰もいなくなっているだろう。くだらない相手の為に、することなどありはしない。自分に何ができるかを考えるべきだろう。 昔のひとは、鳥になりたかった。鳥のように自由に空を飛びたかった。 ついに、人は鳥にはなれなかったけれど、時々、その夢を見ている。 雲の上を、一瞬だけだが飛んで、好きなところへ行けるようになった。
2006.11.24
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その時になってみないと解らないことはある。結婚も老後もそうだろう。老後がこわいと脅されてもいる。ものの解った人が、自分の来し方をわずかばかり美化してみせて何かしら納得してしまい、返す刀で僻んで見せるような奴が多いとしても、それは、違うし、お門違いも甚だしい。差別を、決して差別とは言わないのが、利巧なのではない。だから、何でも認めてしまう輩は、ただ長生きしたために何でもする・・・だろう。だが、それが何のためだか解らずにいる。自分のこころを消していても、どこかで、苦しくなって自分がひょろひょろ出てきてしまうものだ。等身大で生きることを止めようとしているのではないか。息を止めて生きようとしても、いつまでも息が続くわけがないのだ。俄かにありのままの現実を受け入れられないかも知れないが、それでも、この社会を呑みこんで生きるしかないだろう。「罪と罰」のソーニャは、体を売って稼いだ金貨を食卓の上に置くと継母は娘の足元で、一晩泣くが、ちゃっかり金貨を受取るのだ。心の中だけの正義や真理を求めても無駄なことかも知れない。それこそ、打ちのめされる現実があるだろう。そこから自分は何かを問わねばならない。ちっぽけな、ちゃちな学問で人生を知ったと自惚れるな。机の上の真実など、ただの紙切れでしかなく、売春婦の尻を拭くテッシュにもなりはしないのだ。もう、秋の日は傾いてきた。だらだらと時が流れて行くようだ。苦いコーヒーを飲んでいる。
2006.11.24
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凍死しないために、 どれだけの注意を払っていますか? あなたのこころは何を準備すべきでしょうか。 聴こえませんか? それとも聞こうとしないのですか? 全球凍結が、また来るかも知れない。かって、地球は、二度も海まで凍りついた。地下深くに棲む微生物以外すべての生物が死滅した。人びとは、それよりも温暖化で死んだ方がましなのでしょうか?そういえば、世界中が、快適な科学文明を謳歌しているものね。そこまで行くのに自動車を乗り回し、日本で一番儲けているのはトヨタ自動車で、皆がそれに頭を下げている。科学の発展も、多くの戦争で遣り遂げてきた成果かも知れない。地球は、人口増加で、緑を失い、もはや赤い大地が剥き出しになりかけている。それは、衛星画像で誰もがみているが、悲鳴を上げるものさえいない。そう目玉でしか見ていない。目の奥にあるものが死んでいる。もう小さな生き物が凍死を始めているだろう。見えないところで、じわじわと進んでいる。地球上の生物が、太陽に騙されている。いつまで永久に明日があると信じてもいる。太陽は膨張し何れ地球も呑み込まれるが、それまでの時間があると思い込もうとさえしている。「こどもたちの十字軍」が、夜の闇で叫んでいる。 私たちの声が聴こえませんか? 助けに来られなくても、 どうか、その犬を殺さないで、 その犬が、私たちのいるところを知らせます。
2006.11.24
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ゲーテさん、日本では、あんたは憧れの大詩人だったけど、今はどうだろうか?あんたに逢いたいけれど、逢えるかどうだか、・・・。何せ「フランクフルトの息子」だし、ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ大学もあるくらい有名なひとだもの。それと、もう2世紀前に死んでしまった。あんたにとって、キリスト教は何だったのだろうか?そして、女性たちは?あんたが死んで、2世紀も経つけど、あんたの年齢まで長生きできそうにない。その元気も、その勇気も、その情熱もありゃしない、つまらない日本の親父だけれど、こんど逢いに行く。あんたの生きたフランクフルト! そして、マリアンネの墓地と、ハイデルベルクの城を!あの有名なローテンブルクやニュルンベルグのクリマルでは、おそらく、「こどもたちの十字軍」を思い出して震え上がることだろう。硬いだけの石の城を見るだろう。そして、闇の中で輝き続ける電飾の中で、凍りついた大地さえ、見るだろう。日本人が、憧れ続けたヨーロッパは、そうした凍てついた風景が似つかわしい。しかし、それでもそこに生きつづけている魂が、鮮やかに蘇ってくるものがある。 私を愛をもって思い出してください。私があなたを思っていることは、 次の詩(「ハイデルベルクの城」マリアンネの詩)が、証拠立てるでしょう。 この上なく美しい所も、愛と友情によって親しみ深いものにされなければ、 異郷に過ぎません。 私にとってハイデルベルクより美しい所がどこにあるでしょうか。マリアンネ。 ハイデルベルクの城・・・1824年7月28日夕方7時 明かりに囲まれた広いへやべやよ、 豪華に飾られた王公の建物よ、 茂った葉におおわれた高い木々よ、 そなたたちの上の紺青の空よ、私のあいさつを受けて。 ・・・・・ (マリアンネの詩)この詩の高い木は、銀杏だそうだ。日本では、いちょうの葉が色づいて、もう散り始めた。昨夜のニュースでは、札幌で8cmの積雪があったそうだ。
2006.11.24
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キリスト教徒は、20億人を超えるというデータがある。日本では50万人。宗派が多くて、全体が捉え難い。イスラム教徒は約11億人だという。どうもよく解らない。約1%しかいない。日本のカトリック教会は、戦時中「靖国参拝は、宗教活動にあたらない」との見解を出して、以後戦争に協力した。生き残るためならプライドも捨てて何でもするだろうか。それでなければ、生き残れなかったのは、事実だろう。日本人の曖昧さには、生き残りがかかっていただろうか。どうもそういうことを考えていると、よく見かける風景も何だか訳の解らない風景に見えてならない。建物も、建造物も、港も船も、人間も、曖昧なものに見えてならない。まとまりのない町や村が雑然と寄せ集ってできているのではないか。何を何から守っているというコンセプトがあるだろうか。何をしなければならないかという信念さえない気がして来る。世界の人口は65億人を超えている。キリスト教徒が20億人とすると、世界の30%になる。日本は、1%にもならないというのは、どう考えたらいいのだろうか。一言で、キリスト教といっても、カトリック教や、プロテスタントなど宗派も多いので、必ずしも統合されているのではないが。それにして、世界を知るためには、少なくともキリスト教が何たるかは、知る必要があるのではないか、という気がしてならない。>横浜の港
2006.11.23
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どこの国にも弛んだ空気が政治、経済界に漂い腐臭を延々と撒き散らせているように見える。勿論昔が良かったいうつもりはない。まともであった時代は、すぐに泡沫のように消えてしまう。政治が駆け引きに走る限り、一時の平安しか得られることはない。小泉政権と安倍新政権とどこがどう違うのか理由も定かではないのに、今回の日中首脳会談で「ペンディングになっていた日中関係が動き始めた」と日本外交筋は述べたという。中国の記者は、党の支持で、記事が書けないだけのようだが。「今まで国家のため、共産党のために尽してきたのに、今の政府はわれわれを簡単に裏切る。なぜ金持ちの言うことばかり聞いて、庶民を大事にしないのか」という素朴な疑問が中国ではあるという。中国にバブル経済が拡がりつつあることが懸念されている。どういう事態になるのか誰にも予測がつかない。中国は、それこそ北朝鮮の独裁政治を止められないでいる。何が共産主義だろうか?勿論、複雑な政治、経済のダイナミックスは、様々な矛盾を惹起させずには措かないが、それこそ靖国問題で政治を停滞させるようなことで、政治などできるはずがない。そして、日中ともに内在するものは、それは何れも、庶民への侮りがあることだろう。それを許している歴史があるとしても、それがいつかは、喉もとを切り裂くに違いない。いまはただ眠っているとしても。
2006.11.23
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そろそろバタバタと旅行の準備をしなければならない。Advent marks the beginning of the build-up to Chistmas、starting on the Sunday after 26th of November. It begins with quiet contemplative days in November, but excitement and activity increase as Chistmas approches, accompanied by the usual shopping,preparation of special food and Advent celebrations.Adventskranz には、毎年200万人もの人が訪れるという。身動きができないくらい混むらしい。迷子になるというポントンさんの話もオーバーではないようだ。150の屋台とニュルンベルグの名物は、レープクーヘンとニュルンベルガーソーセージ、そしてグリューワインだそうだ。 一度、北海道に出張した時に買った防寒服が、この際役に立ちそうだ。それから殆ど利用することも無かったのを、妻に頼んで出して貰ったら、ナフタリンの臭いが強い。ローテンブルグの歴史を、朝から読んでみた。目が痛い。 Rothenburg's Development to a townThe origins of the town can be found in the section of the city called Detwang,a neighbouring little village in the Tauber Valley.In 970 the East Franconian Earl Reinger erected the parsonage Detwang and simultaneously built a castle on the strategically favourable ledge of Rothenburg. Reinger is considered tobe the first of the Earls of Rorhenburg. His royal lineage died out in 1116 with Heinrich II von Rothenburg. Emperor Heinrich V invested his nephew Duke Konrad von Schwaben(of Swabia) with the districts of East Franconia.Thus Rothenburg fell into the possession of the powerful Hohenstaufers. In 1137 konrad became king of the German Empire and held court in Rothenburg. In frontof the old Earl's castle he built the Reichsveste(empire fortress) or Kaiserburg (emperor's castle) as his residence. His son Friedrich grew up in the castle of Rothenburg. The child of Rothenburg, as he was commonly called, was just 8 years old as his father died, and so Konrad's nephew Friendrich I ,nicknamed Barbarossa,was elected as successor. However, the child of Rothenburg remained in possession of the Swabian and Franconian family properties. At the age of 13, he was knighted and nominated Duke of Rothenburg by Barbarossa. Life in his court comprised one of the high points in the history of the castle. by W.Sauer>写真は、定点観測:10月5日
2006.11.23
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31年ぶりに開催された35千人集めた吉田拓郎たちのコンサンートの再放送があっていた。これで二度みた。何だろうかこの大人たちは?善人も悪人もいるだろう。間違いなく言えることは、あれから31年経ち、皆歳を重ねて、歴史を刻みながら時間が経過したことだ。拓郎は、何を歌ったのだろうか。唯今日まで生きてきたこと。そして、明日も、これまでのように生きて行くこと、だろうか?肺ガンを患いながら、再起してコンサートを続けるという。カネ儲けだけだろうか?拓郎の歌には、おとなたちのこころを揺さぶる時代があるだろうか?泡沫でしかない叫びなのだろうか?この時代に翻弄されたしらけた夢でしかないのだろうか?この社会を幼児化しているのだろうか?その一翼を担っただろうか?確かに、懐かしい歌詞が流れていて、どこかで聴いたのだろう。あの拓郎の顔も、いつか見慣れたけれど、もう見向きもしない若者たちの時代である。音楽にしろ、もうフォークや演歌の時代でもない。すべてが書き換えられて行く。拓郎たちももはやなごり雪のように消えて行くだろう。同窓会のあとのような寂しさしかないだろうか。
2006.11.23
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この世に生まれて、最初の記憶として残っているのは、ハル婆ちゃんに抱かれている自分である。よく、老婆から、「お前と最初にあったのは、お前たちが青島から引揚げて来たのを「上熊本駅」に出迎えに行った時で、第一印象は、鼻が低い子だと思ったよ。」だった。あまりうれしい印象ではないが、それが頭のどこかに残り、何度か自分もハルに抱かれている夢をみた。寒い日で、厳しい人生を予感させるものだったかも知れない。 次は、引揚げてきてすぐ母の親戚宅でお世話になっている頃、薄暗い部屋の記憶がある。そして、熊本市内の花園町の長屋で過ごしていた。遊んでいたら、ある時天から大きな石が突然降ってきた。 誰かが叫んだ。「マアチャンが、頭をうっぽいだー。」母は、絶句したらしい。その時のことを覚えている。ガッーンと頭に何かが当たり、出血したが、そんなに痛くはなかった。周りで大騒ぎしているのはぼんやり分かっていたが、何のことか、訳が分からずに座り込み気絶したらしい。目が覚めて、母がりんごを勧めた。りんごはあまり好きではなかったが、その時は美味しいと思った。誰かが屋根に投げた石が私の頭を直撃したらしい。今も頭の上が丸くない。凹んでいる。 それから、小学生の入学の時、母に手を引かれて、桜の門を潜ったのを鮮やかに覚えている。確か入学式があり、遅れて式に出席するので慌てている母の手に引かれて、手が痛かった。この前、母校の城西小学校をインターネットでみたら、めづらしい桜で有名な小学校だった。 父が、今の公文みたいなことをやり、毎日計算をさせられた。お陰で、計算だけは速くなったが、内省的で目立たない存在だった。自分より利口そうにみえる奴が嫌いだったのかも・・・。世の中のことが全く分からなかったし、どうして、自分が人間なのか理解できなかったのだ。近くの山に登り、夕方になり暗くなって、首吊りした枝や、梟がいて、やたら怖かった。熊本の田舎で、無駄な少年時代を過ごしたようだ。 中学、高校と先生にも友人にも、学問にも大した出会いはなかった。それでも、下○孝志や今○直久とは、昔と変わらず、今も付き合っている。 母は、誰からも好かれる女性で、51歳で、胃癌で亡くなった。母は幼くして、盲腸炎で親と死別していた。親に縁の薄い女性だった。信じられないが、当時は病気に対する知識がなく、虫垂炎で冷やさないといけないのに患部を温めたそうだ、多分腹膜炎を起こして死んだらしい。
2006.11.23
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父が亡くなったのは、平成前だから20年近くになるが、時々思うのは、「今の季節で、九州のどこが一番良い風景が見られるだろう」ということだ。母が癌で死んだ後、二人で一年余り、熊本を起点に九州一円をドライブ旅行して回った。いつも父がナビをした。どういう訳か詳しかった。寧ろ、父から「今頃は、どこの、何が、見ごろだろうから、・・・」と注文されることが多かったようだ。九州を地盤とする運輸関係の仕事を定年したばかりだったからだろうか、地理には詳しかったのと、歴史が好きだったようだ。いつも助手席で「ナビ」をしてくれて、勝手に歴史の話をして歓んでいた。新しい道を行きたがり、山道を上り詰めて、行き止まりで、長い急坂をバックしなければならなくて延々と下り続けたこともある。椎葉から人吉に行く途中では、対向車が脱輪して、これも椎葉まで何キロも戻らねばならなかった。余り頼りになるナビではなかったが、父がいると、どこに行こうと安心していられたのは不思議な気がする。何とかなるだろうという思いがしたからだろうか。「おい、どうする?」と父は、私によく訊いた。私は、「親父、おふくろ」と中学生のころから呼んでいた。殆ど、好きにさせてくれた。世間的には、甘すぎるといわれるような両親だったが、いま思うと、いろいろと教えてくれたのだと思う。早過ぎる死だったが、それも、私には、身を持って教えてくれたのではないかと思っている。「もたもたしていると一生なんて、すぐ終わるんだ」と。父が死んで、火葬場の煙になって、帰途、いつも父が座っていた助手席が空になっているのが、妙に寂しい思いがしたのを覚えている。
2006.11.23
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どんな木立だろうと思いますね。知らない街に行くと、つい木立を探しますね。建物や人間よりか樹や花がいい。黙って付き合ってくれますからね。殊に、木立が好きですね。動かないものね。せかせか生きているのも煩わしさが付いて回るもの。水や太陽がないとどうしようもなくて枯れてしまうのも好い。大地に戻るだけだもの。街の木はどうなのだろうか。そんな環境ももろともせずに生きているのだろう。潔い生き方がいい。誰にも納得の行く生き方ですもの。この写真は、シンガポールで、やはり高い木です。
2006.11.22
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文春12月号から「教育特集・子供を殺すのは教師か親か」で、斉藤孝が「日本人は「学力」を軽んじ過ぎたのだ。「勉強ばかりしていては真の人間性が育たない」という批判は間違っている。我々は、まさに人間性を育てるために学問をするんです。「学力」が育つとともに、判断力がつき、人間理解が深まり人との関係をうまくいくようになる。この基本を再認識すべきでしょう」と述べている。勉強しないものが、人間性が練れているのではない。この社会で、最も被害を蒙るのは、勉強の習慣のない子供たちではないかというのは、あたっているだろう。基礎学力がないと、不登校から立ち直っても、職を得られないし自立できない現実がある。安倍新政権の「教育再生会議」は、教育学者が一人もいないという。この政権の目論んでいるものがわかる気がする。どうも、表裏のある社会は、解り難い。それを読み取るにはやはり学問しかないのではないか。たとえ、地球を何周歩き回ったとしても、見ているのは目玉でしかなく、その奥にあるものが考えていなければ意味がないだろう。それが学ばなければすべてが徒労に終わる。いずれにしても、学なき社会をつくりあげたのは、誰だろうか、考えれば見えてくるものがあるだろう。>昨日のイオンで見つけたクリスマスツリー。
2006.11.22
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セラピストは、ほとんどずっと黙って聞き役に徹し、ときどき「解釈」(患者の隠された思考を読み解いた内容)を挿入する。精神分析療法を行うセラピストは質問するか意見を述べるだけで社交的なおしゃべりはしない。自分の内面をさらけだすようなことは口にすることは禁じられている。患者をおだてたり、威圧したり、誘ったりして特定の態度や感情や行動を起こさせることがないよう注意を払う。この接触のしかたは矛盾に満ちたものだ。セラピストは患者に、誰にも言えないことをありのままに語るように促がし、仰向けに寝かせられて容赦なく微細な点まで探られるのに、セラピストは守られ、透明人間になるからだ。その関係は一方的で、マキャヴェリ・モジュールでもある。患者は、孤独でしかないからだ。知識だけの精神分析でなにができるだろうか。一時的なものでしかない治療は、やがて患者をして絶望をまねくだけではないか。救われない患者が、何をもとめているか。そんな手法で解るはずがないと思う。>定点観測:つつじの頃。
2006.11.22
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ワーグナーの音楽をこよなく愛したルートヴィヒ二世は、1864年18歳でバイエルン王に即位し、41歳で悲劇な死を遂げたが、この有名な未完の城を残した。中世のヨーロッパの遺産は、何を語っているのだろうか。ひとり富を独占した西欧は没落し、またEUとなってよみがえったフェニックスだろうか。長い歴史に封印された亡霊が古城の奥に眠り続けているだろうか。いくつかのルートヴィヒ二世のゆかりの城が残された。世界のあちこちに残る遺物の物語る声を、こころ静かに聞いて見るのもいいだろう。私たちが旅をしているのは、この「うそつきの進化」をつづけている世界であり「隠された意味」を聞き取るためなのだから・・・。>定点観測、今年初め、珍しい雪の日。
2006.11.22
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やっと、「うそつき進化論」の中の「ソーシャル・ポーカー」に。 あなたの顔・・・は、一冊の本のようなもの。 人はそこから異様なことを 読み取ってしまうかもしれません。 (シェイクスピア「マクベス」)「心はその持ち主が子孫を残す可能性を少しでも高めようと努力している。自己欺瞞は多くの場合、生存競争を勝ち抜く為の役に立っている。自分が自分の心にだまされて暮らしていると考えなければならないとしたら、私たちはどうしようもなく不安になるのも当然だろう」「意識という鏡は、目に心地よい像を映して私たちの注意を引きつけおき、無意識にこっそり、自分の利益になるように人間関係を操るに任せる。そうすれば私たちが良心のうずきや罪悪感に煩わされることはない」ニコラス・ハンフリーは、社会の中の人と人との関わり合いをチェスのゲームに喩えている。どちらも相手を出し抜く為にどのような策略を用いるかによって進み方が決まる。私たちの人生をかけて、この社会というゲームに臨んでもいる。奇妙なことにこのゲームは、私たち自身が参加していることに気付いていないとき、もっともうまく進むようにできている。なんて皮肉なんだろう。男も女も、一番美しく輝く時には岩陰に隠れていて、段々夢が破れてゆくころにそこから出てくるのだろうか。ひとの顔は、こころの鏡のようにあるだろう。>定点観測。今朝の公園。よく見えませんが、落葉で公園は埋まっています。誰かの人生の如くですね。
2006.11.22
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無意識にコード化されたコミュニケーションというテーマは、フロイトの心とは不透明で自己欺瞞に満ち、そのほとんどが意識されないものでもあろう。第三者には表向きの意味に目を向けさせてメッセージを理解したと勘違いさせ、コード化したメッセージに気付かれないようにすることもある。例えば19世紀のアメリカで奴隷が歌っていた黒人霊歌には、奴隷主やKKKに聞かれてもわからないように宗教的な歌詞の裏に逃亡への憧れや抵抗のコードが織り込まれていたのだ。無意識に行われる「エピソード記憶」は、つまりは特定の出来事の記憶というかたちをとるので、こんどの私の旅行も、たとえば、今朝起きてすぐしたことは何だったか、最近観た「7月24日通りのクリスマス」のストーリーのあらずじはどうだったか、去年のクリスマスに何をしたか、のような記憶と同じになるのだろう。エピソード記憶にはストーリーが含まれている。そしてストーリーには人のこころを強くとらえる力があるだろう。いまや、日本人にとって、欧州旅行も、昔の「隣村」に出かけるより容易くなっている。無意識のうちにコードを用いて行われるコミュニケーションがある。「どうしてこんなことを伝えたいかわからない。でも、伝えずにはいられない。それも今すぐに」なのだろうか?私たちの日常に表現されるものは、多くの現実を語っている。それらのイベントには、生物学的に意味のないものは殆どないだろう。私たちは謂わば、たとえそれが、エピソード記憶でも切迫感を味わってもいる。この冬にも、一人ひとりの冬物語があるだろう。そしてそのコードがコミュニケーションとなり、さまざまなストーリーを生むだろう。>先日の雁の巣飛行場跡地のサイクリングコース。
2006.11.22
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もうこのブログでも何度も触れているが、ローテンブルグのガイドブックを読んでいた。 Photographs:Willi Sauer とあるが、写真が素晴らしい。この風景に月末に逢えるのは嬉しい。どうやら、先程コメントを戴いたノルウェーのポントンさんも、その頃行かれるらしい。写真と同じ風景を、自分の目で見られるのは、長年の夢だったので嬉しいことだ。亡くなった元同僚が奨めてくれた地でもある。それと、昨日偶々川崎大師の写真をブログに載せたけれど、そのポントンさんが、川崎に住んだことがあって、「懐かしい」、とコメントを呉れたというのも、偶然とはいえ、嬉しいことだ。意外とニュールンベルグ辺りのクリマルで、すれ違うかも・・・。何でも、ニュールンベルグのクリマルの規模が大きくて迷路なので迷子にならないように、・・・だそうだ。ミュンヘンにも、suh さんがいて、旅のアドバイスをコメント呉れたりしている。そのほかにもブログ仲間が見てくれているというのも、不思議な思いがする。これは新しい神経系ニューロンのネットワークなのかも?博多発は、そろそろ寒い朝だ。少し動いて、体を温めたくなった。どうぞ、皆さんも風邪を引かれませんように・・・。そして、こころの方・・・も。
2006.11.22
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ある風景が、何となく心惹かれます。芸術性などうでもいい。それは、自分の印象の延長にあるからかも知れない。いつまでも見ていられる。本殿から撮ったので、仲見世は、写真の奥になる。一緒に参詣したひとが、ご朱印を集めていて、朱印帳に捺印して貰っていましたね。大して信仰心もなくて、それでもお寺が好きですね。年中あちこちに行っています。今度は、ローテンブルグとニュルンベルのクリマルですからね。でも日本人が抱いている宗教観ではないものが、最近西欧人にはあるのが少し、解って来ました。そういう意味では、少し違った感情が湧くのではないか、という気がします。そして、ゲーテも、まだ謎ですが、「ファウスト」がドイツ人にとって、何なのかも。まあ、何かのきっかけにするかは、結局、個人のキャパなのでしょうね。
2006.11.21
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芸術家も作家もその多くが、創造的な仕事をするためには思考が制約を受けていないことが重要だと訴えてきた。モーツァルトは、曲の一部が浮かんだ時のことを書いている。「私が私であるとき、というのはつまり、完全に自分自身であるとき、まったくの一人で、元気いっぱいであるとき・・・馬車に乗って旅をしているときやおいしい食事のあとで散歩をしているとき、そうでなければ夜寝付けないでいるとき、そういうときにアイデアがもっともよく、豊かに流れ込んでくる。それがどこからどのようにしてやってくるのかはわからないし、強引に引き寄せることは出来ない」注釈によると、モーツァルトの手紙かどうか、疑問視されている。少し凡庸な気もしないではない。意識しているものは、氷山の一角に過ぎないことはよく分かるが、無意識のエリアが、まだよく分からない。分からないのに能力があるかどうかなど分かるはずはないだろう。>写真は、川崎大師前の仲見世。流石に趣がある。「あげまん」が当世風だ。
2006.11.21
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血縁係数を視野に入れて考えれば、近親に対する利他的行動は生物学的には意味がある。家族の誰かを助けることは、自分がその家族と共有する遺伝子、つまり自分の遺伝子を助けることにもなるからだ。場合によったら、自分の子どもを育てるより、血縁者の適応度を高めることに労力を注いだ方が生物学的には有利になることもある。日本にも、昔貧しい時代には、その風習があった。女性が、自分の孫の世話にエネルギーを費やせば、自分の遺伝子の25%が残る確率を高めることが出来る。母親なら、同じ行動によって50%の利益になる。ハミルトンは、一見非利己的に見える行動もコスト上に適応度を高める可能性があるとしたら、遺伝子レベルで利己的な意味をもつことを明らかにした。ハミルトンは、進化を推し進めるのは、生物が子孫を多く残そうとする働きではなく、遺伝子が自分のコピーを多く残そうとする働きだ、ということに初めて気付いたのだ。利他的行動を取る個体は、自分にもっとも近しい親しいもの世話をすることで、自分の適応度を高めている。弟を守っているという行動は、実は、弟の遺伝子を守っている訳だ。進化生物学は、これまでの私たちの常識を覆すかも知れないが、そこに科学の目があるのであって逃れることの出来ない科学的真理でもある。それが何であろうと、恐らく、デッドロックは続くのだろう。>観測している木です。角度を変えました。
2006.11.21
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新刊本を読むとやはり新鮮なものがある。食いついて吐き出すものもあるが、何かわくわくしてくるものがありますね。いつも新鮮な良い本出逢えるなら、そうべきでしょうね。その価値は十分あると思う。本当のコストとは何でしょうか?おカネで何でも解決しようというのは傲慢でしかないし、そんな社会でもない。ブログでリンクしている人や、覗いてくれた人たちのブログを見ると、いいものは、写真と文が、バランスが取れていると思う。写真なんか要らないが、日本語のコミュニケーションは、会話向きではない。モノローグになると、余程、ながく付き合わないと判り難いですね。さて、定期検診も済んだので、今日当たり理髪して来ようかと思っています。旅行用のポシェットを探そうと思っています。旅行の準備は何もしていないのでソロソロ気になりだしています。もぎたての果物の味は、産地でないと、・・・新鮮さが一番ですよね。初めて、知ったものの感動は特別のものでしょう。こどものころ病弱な私の為に母が、山羊を飼ってくれて、毎朝新鮮な山羊の乳を飲まされましたが、それよりも、感動したのは、その山羊が、こどもを産んだ瞬間を見たときでした。ことばに表現できないショックを受けました。そして、母山羊が、袋をたべて、こどもが、すぐよろよろと立ち上がる姿が目に焼きついていて、今もまざまざと長期記憶にあります。母はただ、息子に山羊の乳を飲ませる為に飼ってくれたのでしょうが、私は、より多くのことを学んだような気がしています。優しいひとが多いですね。日本人は、美しいこころを持っていると思いますよ。住み易い母国を離れて、外国人と結婚して、文化の違いが大きい外国に住んでいる日本人女性が好きですね。なにものも畏怖しない勇気が好きですね。どうぞ、日本人の持つ美しいこころをひろげてくださいますように!!
2006.11.21
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朝はピリリと寒くなりました。居候の三毛猫と二階から一緒に下りてきました。膝の上に乗ろうとしますので拒否しました。だって彼は、隙あらばPCに乗ろうとしますからね。何度か危なかった。朝は、すっきりしているので本を読んでも頭に入る感じがしますね。それが段々永続きがしないというか、集中力がなくなってきた。まだ、「やっかいな自己欺瞞」から「自己欺瞞の進化」のところを行ったり来たりしています。どうも、あっさりパスするのも勿体ない気がする。まあ、興味もある。好きなタイプの女性と話しているようなものです。生物が繁殖する為には、まわりにある資源を有効に利用しなければならない。「資源」はほかの生物も含まれる。策略を駆使して手に入れるしかない。他の脳に細工して、操ることもする。「寄生生物の吸虫ユーハプロルキスは、カリフォルニアの沢沼地にすむメダカの仲間、バンデッド・キリフィッシュに寄生し、宿主が危険を察知する正常な感覚を失わせる。この小さなハイジャック犯は、えらから体内に侵入し、神経をたどってこの小さな魚の脳に入り込み、そこに工場を構えると、魚の神経系を破壊する化学物質の製造を始める。まもなく、寄生された魚は奇妙な行動を取るようになる。水面に近いところで横倒しになり、よく光る腹部に太陽の光を受けながら長い時間これ見よがしに体を揺すって泳ぐのだ。こんな無謀な行動をとればランチを求めてうろついている海辺の鳥に「ここに餌がいますよ」と宣伝するようなもので、寄生されたキリフィッシュが腹を空かせた鳥にさらわれる確率は寄生されていない仲間の四倍に上る」「実は、これも吸虫の狡猾な策略の一部でしかない。吸虫がライフサイクルの次のステージに進むためには鳥の胃に入る必要がある。キリフィッシュの遊泳行動を担う神経のメカニズムを狂わせたのもそれを狙ってのことだ。また、クラシフィアラ・ブルゴグロッサは、同じ目的で社交嫌いになるような外科手術を施す。寄生されたキリフィッシュは、捕食者がいても仲間と群れなくなり、そのために群れを作っている場合よりもずっと捕食されやすくなる」「生物学的な操作を直接行う例では、もっと複雑な手段をつかう気味の悪い縮小条虫がいる。・・・」David Livingstone Smith(三宅真砂子訳)「うそつきの進化論」からの引用であるが、読んでいると、人間も他の生物と変わらない生き方をしていることが、よく理解できる。中には、同じことをしている人間もいたりして、見につまされるものがあったりもする。たとえば、互恵的利他主義は人間の普遍的特性である。「情けはひとのためならず」もひとが、それが強く求められるような状況の下で進化してきたことを物語っている。それは安定した信頼関係であり、こどもは長時間にわたる親の保育を必要とし、近親と触れ合う期間が長くなければならないことだ。それを、怠るととんでもない人間が出来あがりもするだろう。
2006.11.21
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写真集から載せようとしたのだけれど、人物が一緒だったりして、投稿できないのばかり、花の写真は、サイズが大き過ぎるし(うまく出来ない)、そろそろ、新規分にしなければならないようです。 「自己欺瞞の進化」とは、 だますことや、裏と表を使い分けること、 うそをつくこと、ごまかすこと、見て見ぬふりをすること、 隠し事をすることーーー私たちはそんなことに 秀でた類人猿である。 >大埠頭からの眺望 サンジダ・オコンネル(サイエンスライター)
2006.11.20
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知事たちが、利権の代表者であるか、代弁者であることが露見し始めたのは、時代の流れでもあるだろう。そして汚職が如何に多いかということ今更ながら感じる。これは氷山の一角に過ぎない。もっと露見しないだけで、企業と官僚との癒着は日常化しているだろう。それが、どこまで聖域でありつづけるかどうかが、今後の拡がりのポイントでもある。福岡市の前市長山崎氏の評判がすこぶる悪い。麻生県知事も、破れた山崎氏に対して、過去の実績ばかりで、これからのビジョンを何もいっていないでは、・・・とか何とか批判していた。選挙の前にいえばいいのに。何とも、醜い。福岡県は、どうなのか?まともな行政なのか。吉田宏新市長が、当選会見でしどろもどろだった。新聞記者をしたというが、どこまで政治ができるのだろうか。どこまで勉強していて、新市長としての資質はどうなのか?またぞろ新米なので何も分かりませんと弁解するのではないだろうか。そんなひとが市長選に立候補するのが可笑しいのだ。政治の素人が、政治を利権の道具にしているのではないか。もう、疲れた。昨夜から、ノンアルコールにしている。いつまでつづくだろうか?>写真は、オアフ島。
2006.11.20
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