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2002年08月31日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 予定していた用事がキャンセルになって(仕事ではないけど)思いがけずカウンセリングもないオフの一日になった。こんな日はいくらでも寝ようと思えば寝られる。起きる目標がなくなったらこんなことになる。起きないといけない日はどんなことがあっても起きる。朝起きられないのではなく、起きる必要がないとか、起きたくないというのがどうやら真相のようである。

 さて、今回も耳障りな話になるかもしれないが…

 アドラーは、今の出来事あるいは状態をあることを原因として説明することを「見かけの因果律」(semblance of causality, scheinbare Kausalitaet)と呼んでいる。なぜ「見かけ」なのかといえば、実際には因果関係がないからである。本来は因果関係のないところに因果関係があるかのように見せるという意味である。

 例えば、遺伝を持ち出して自分には才能がないというようなことをいう。また今の自分がこのようであるのは親の育て方に問題があったからだというようなことをいう。昨日見たように、ある殺人事件の容疑者は調べに対し、「自分はすぐにカッとする性格。話しているうちに、イライラすることをいわれて殺した」と話したと新聞に報じてあったが、こんなことをいっても自分の行いの免責にはならないことは明らかである。

 なぜ本来因果関係がないところに因果関係があると考えるかといえば、端的にいえば、自分の行動の責任を他のものに転嫁する必要があるからである。遺伝や親の育て方や、環境、さらには性格を今自分がこんなふうになっているということの原因であると見なす。そのようにしてあることを原因として今の症状を説明することができる、と考える。

 PTSD(心的外傷後ストレス障害)という言葉が何か大きな自然災害、あるいは事件があった際によく使われる。そのような災害、事故、事件に遭遇することで「心が傷つけられる」ために起こる、と考えられる。人は「トラウマ」(心的外傷)を受け、そのために、強い抑うつ、不安、不眠、悪夢、恐怖、無力感、戦慄などの症状が生じるというわけである。

 もとより、何かしらの影響を受けないということはないかもしれない。ここには決して書けない悲惨な話をよく聞く。しかし、ある出来事によって人が誰もが同じ影響を受けると考えることは、先にも見たように、人が外界からの刺激に反応するものにすぎない、と考えることである。

 しかし、アドラーは、人をこのような意味での反応者(reactor)ではなく、行為者(actor)である、と考える。同じ経験をしても、そのことで傷ついたと思う人もいればそうでない人もいる。アドラーは、トラウマは必ずしもトラウマである必要はなく、いかなる経験もそれ自身では、成功の、あるいは、失敗の原因ではない、人は経験によって決定されるのではなく、経験に与えた意味によって自分を決めている、と考えている。

 もしもある経験によって人が必ず同じようになるのであれば、今とは違うあり方へと導くことを意味するはずの教育、育児、治療はそもそも不可能であるといわなければならない。アドラー心理学はそのような悲観的な治療論、教育論の立場に立たないのである。



 池田晶子は、「本物のトラウマを抱えている人」は、トラウマブームの中で迷惑している、として、「自分から傷つくことを選んでおきながら、外から傷つけられたかのように言う、それが、甘えだというのである」といっている。傷つけられたと思うから、傷になるのである。傷つけられた、と思うことには目的がある。現状がうまくいってないことの責任を自分に求めず、他の何かに転嫁したり、自分を傷つけた人を断罪し、そのことによって自分の正当性を確認するという目的である。いずれの場合も、問題の解決に向けては一歩も前進しない。





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最終更新日  2002年08月31日 01時25分30秒
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