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2002年09月01日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 久しぶりに夜に眠ることができた。受験勉強をしていた時、ずっと深夜に勉強していたのに、試験が近づくと朝型に変えないといえないと先生にいわれたことを思い出した。目覚める直前に、56分の特急に間に合うだろうか、と自問していた。どこかに行くことになっていて時間ばかり気にしていた。それとこれも僕にはよくある夢なのだが、今夜は化学の単位が取れないので今年は卒業できないと恐れていた。もう既に講義も始まっているのに一度も出てないではないか。それでなんとしても出席しようと思うのだが、乗り遅れたのならもうやめておこう、あ、でも卒業できないかもしれない…目が覚めた時、もう学生ではないことに気づき安堵する。こんな夢である。取らなければならない単位を取れてない。こんな思いはずっと持ち続けている。

 さて、昨日書いたようなことは一般の本にも書いてある。前にも日記で紹介した『ジュラシック・パーク』の著者、また『ER』の原作者であるマイクル・クライトンは、自伝小説『トラヴェルズ―旅、心の軌跡』(ハヤカワ文庫)野中で次のようなことを書いている。クライトンは、ハーバード大学の医学部に進学し医学博士の学位を取るが、医師になることを断念している。

 マイクル・クライトンによれば、アメリカ人はそのアメリカ式食事の故に既に十七歳までに動脈硬化を進行させており、心臓発作がいつ起こってもおかしくはないそうである。「ではなぜ彼らは二十年も三十年も待って心臓発作を起こしたのか? なぜ来年ではなく今年、先週ではなく今週それは起きたのか?」とクライトンは問う。

 軽い発作を起こした四十代の男性に問う。

「なぜ心臓発作を起こしたんです?」
「本当に知りたいのか?」
「ええ」
「昇進したんだ。会社は私をシンシナティに転勤させたがっている。ところが女房が反対でね。女房の家族はみんなボストンにいるもんで、わたしと一緒に行くのは嫌だっていうんだ。だからなんだ」

このような質問をしても誰も腹を立てなかった。そして誰一人、動脈硬化の標準的な医学上の原因、例えば喫煙とか、食事とか、運動不足などには言及しなかった。



「われわれが病気を引き起こす。われわれは自分の身に起こるあらゆる病気に対して直接責任があるのだ」

 このように考えふるまう方が、自分は病気には無関係であると考え、ふるまうよりも「より善く生きることになる。自分が責任を負ったほうが治る可能性が大きいとわたしは信じている」

 クライトンはここで病気についていっているが、病気に限らずあらゆることに自分で責任を負うことが、クライトンがいうように人が善く生きることを可能にする。ところが、自分が責任を負おうとはしないで、他の何かに原因を求め、しかもそのような原因によって今のあり方以外のあり方はできないということを人に認めてもらいたいと思い、自分でも認めようとすることがある。
 そうではなくて、たしかにまわりの状況、出来事などが人に何も影響を及ぼさないというのではないが、その中にあって人が自ら自分の今のあり方を選べると考えた方が、選択に伴う責任を引き受けなければならない一方で、自由に生きることを可能にするのである。

 クライトンがここで使っている「善く生きる」という言葉についてはまた稿を改める。プラトンの『クリトン』の中でソクラテスは、

「大切にしなければならないことは、ただ生きることではなくて、善く生きるということなのだ」

といっているのである。





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最終更新日  2002年09月01日 07時20分29秒
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